第15回 四国のてっぺん酸欠マラソン大会
2015年9月6日(日)、高知県伊野町で第15回四国のてっぺん酸欠マラソン大会が開催されるはずだった。
今年の夏は7月下旬に汗見川マラソンに出たし、9月にこの酸欠マラソンに出て、さらに10月上旬には龍馬脱藩マラソンに出る予定で、山岳マラソン3連戦という厳しい日程にしたのだ。
(ピッグ)「仕方ないから私もお付き合いして出てますけど、なんで急に山岳マラソンばっかり出るんですか?」
(幹事長)「自転車の影響かも」
一昨年に始めた自転車では、最初はフラットな道を走るのが気持ち良かったけど、だんだん飽きてきて、今では坂道でないと面白くないなんて感じている。その影響で、マラソンもアップダウンの激しい山岳マラソンに魅力を感じるようになってきた。
て言うか、そもそも我々は昔から山岳マラソンに積極的に参加してきた。古くは18年前から参加していた塩江温泉アドベンチャーマラソン、略して塩江山岳マラソンだ。これは前半は延々と12kmも急坂を登り続け、後半は9kmも急坂を下り続けるというトンでもないコース設定のマラソンだったが、場所が近いこともあり、メンバーこぞって毎年参加していた。ところが10年前に塩江町が高松市に吸収合併されたため、この塩江山岳マラソンは廃止されてしまった。高松市関係で言えば、庵治町を吸収合併した時も、庵治マラソンと屋島一周クォーターマラソンが合併されてしまったし、合併するたびにレースが減っていくという情けない結果になったが、屋島一周クォーターマラソンは超マイナーな草レースだったので仕方ないにしても、あの過酷な塩江山岳マラソンが無くなったのは非常に惜しい。
そのほか、四国カルストマラソンというのもあった。これも塩江マラソンと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会で、おまけに開催時期が酷暑の7月で、炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだった。標高1500m前後の高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いのだが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような猛暑になるのだ。なので、曇っていれば良いけど、天気が良いと灼熱地獄のレースになる。もちろん、日射しがきついだけでなく、アップダウンも尋常ではなかった。こんな苦しく厳しいレースだが、マラソン大会がほとんど無い夏場の貴重なレースということで、時々参加していた。ところが、この四国カルストマラソンも廃止されてしまった。合併はしてないので、なぜ廃止になったのかは分からないが、炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。ただ、この四国カルストマラソンは後継レースができ、それが10月に参加する予定の龍馬脱藩マラソンだ。
このほか、7月に参加した汗見川マラソンも四国のど真ん中の山中を走る山岳マラソンであり、これにも過去、何度か参加してきた。
て事で、もともと山岳マラソンには魅力を感じ、結構、参加してきたのだが、この酸欠マラソンはペンギンズとしては初参加のレースだ。このマラソンは一度聞いたら忘れられない面白い名前なので、なんとなく聞いた事があったような気もするが、真剣に出場を考えたのは去年が初めてだ。去年、初参加しようと思ったのには理由がある。6月の徳島航空基地マラソンの後は、マラソンには不向きな猛暑の季節になるから、しばらくレースがほとんど無い。それで数少ない貴重なレースとして7月末の汗見川マラソンに参加しようと思っていたんだけど、マイナーなレースだからと油断してたら、申し込み受付開始と同時に、あっという間に即日完売してしまって、申し込みし損ねてしまったのだ。そのため、次なるレースは無いかいな、と思って探して見つけたのが、この酸欠マラソンだ。ところが、こちらも油断してたら申し込み受付開始からあっという間に完売してしまっていて、申し込みし損ねたのだ。急速に進展する認知症のせいであり自業自得なんだけど、それにしても、汗見川マラソンにしても酸欠マラソンにしても、超マイナーな草レースが、ことごとく、あっという間に完売してしまうなんて、もう世も末だ。
なので、今年は新年早々、年間スケジュール表を作成して、常にそれを確認して、申し込みを忘れないようにしている。そのおかげで、7月の汗見川マラソンも忘れずに申し込むことができた。ただ、他のメンバーにも何度もしつこく注意喚起の周知をしているにもかかわらず、支部長が飲み会で泥酔してしまって申し込みを忘れたのは記憶に新しい。
その反省もあって、汗見川マラソンの次にエントリー開始となった龍馬脱藩マラソンはメンバー全員が無事、エントリーを済ませた。そして、最後にエントリー開始となったのが、この酸欠マラソンだ。龍馬脱藩マラソンと同じく、エントリー開始は日曜日の夜中の12時だ。若い人なら夜中の12時なんて、ほんの宵の口だろうが、高齢化が進んできた我々にとって、夜中の12時まで起きてるのは容易ではない。なんで、そんな時間にエントリー開始するのか理解に苦しむが、文句を言っても仕方ない。ただ、若年性認知症の急速な進行により、ほんと信じられないくらいに記憶力が低下している今日この頃なので、絶対に忘れずに起きておくよう、あちこちに注意喚起のメモ書きをペタペタ貼った。また、他のメンバーにも、数日前、当日の数時間前、直前、直後と、何度もしつこく注意喚起のメールを送り、落ちこぼれが出ないようにした。
それなのに、ああ、それなのに!これだけやっておきながら、エントリー開始の12時の1時間ほど前になって、時計を見て「あっ、もう11時か。もう寝なくちゃ」なんて思って、寝ようと思い、パソコンの電源を落とそうとして、ようやく思い出して慌てた。
ちなみに、その後、9月15日の0時(つまり14日の夜中の12時)に申し込みスタートとなった丸亀マラソンの時も、メンバーにしつこくメールで周知しておきながら、自分が危うく忘れて寝てしまいそうになった。
(幹事長)「もう自分で自分が信じられない。メモは絶対に目立つところに貼っておかないといけないなあ」
(ピッグ)「ちょっと怖いですね。背筋がぞっとする話ですねえ」
酸欠マラソンも、なんとか思い出したので、12時過ぎにはエントリーに成功し、しばらくすると他のメンバーからも続々とエントリー終了の知らせが入った。エントリーしたのは私のほか、支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、D木谷さんだ。後から確認すると、そんなに焦ってエントリーする必要はなかったようだが、油断は大敵なので、取りあえずどんな大会でも、受付スタートと同時に申し込む習慣を付けておかねばならない。
四国のてっぺん酸欠マラソンが開催されるのは高知県伊野町だが、伊野町と言っても、元々の伊野町のイメージではない。元々の伊野町は、高知市のすぐ西側にある和紙の産地で、山深い町ではない。一方、酸欠マラソンが開催されるのは、合併で伊野町に吸収される前は本川村だったところだ。しかも本川村の中でも北の端で、私らのイメージでは高知県と言うより愛媛県だ。なぜなら、コースは瓶ヶ森林道だからだ。瓶ヶ森林道は、ほぼ高知県と愛媛県の県境に沿って走る道で、大半は高知県側を走るが、この道を通るのは石鎚山を始め、石鎚山系の山々へ登山に行く時だからだ。去年も瓶ヶ森や東黒森に登った時に瓶ヶ森林道を通った。よくよく地図を見ると、瓶ヶ森にしても黒森にしても伊予富士にしても、さらには寒風山や笹ヶ峰も含め、この辺りの山は県境にあり、愛媛県の山とも高知県の山とも言えるのだけど、愛媛県側から登るのが一般的なので、なんとなく愛媛県の山というイメージであり、瓶ヶ森林道も愛媛県のイメージだった。
そして、この酸欠マラソンはコースを見る限り、かつて存在した四国カルストマラソンに似ているような気がする。四国カルストマラソンは、酸欠マラソンのコースより数十km南西にある四国カルスト高原を走るもので、酸欠マラソンと同じように愛媛県と高知県の県境の道がコースだった。どちらも県境の尾根の上の道を走るから、見晴らしが良くて気持ち良い。少なくとも車で走ると、それほどアップダウンがあるような感じはなく、快適な尾根の道だ。だが、しかし、それは車で走ってるから勘違いしているだけであり、自分の足で走ると、かなり強烈にアップダウンがある。
四国カルストマラソンの坂も強烈だったが、酸欠マラソンもコース図を見るとスタート地点から最高地点までの高低差が270mもある。しかもスタート直後は3kmちょっとの間で250mも登ることになってて、勾配は8%もある。8%もの勾配を3kmも登るなんて、これは強烈以外の何物でもない。四国カルストマラソンも一番きついところは同じ程度の勾配だったような気がするが、3kmもは続かなかったような気がする。て事は、似たようなコースだけど、酸欠マラソンのコースは四国カルストマラソンより、さらに厳しいような気もする。
ただ、四国カルストマラソンが酷暑の7月に炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだったのに比べ、酸欠マラソンは開催時期が9月なので、暑さが少しはマシかもしれない。
(ピッグ)「そうですかあ?9月もまだまだ暑いですよ」
(幹事長)「そやなあ。天候次第やなあ」
ただ、四国カルストマラソンのコースが標高1100〜1300m前後だったのに対し、酸欠マラソンのコースは1400〜1600m前後で、少し標高が高いから、少しは涼しいかもしれない。
(ピッグ)「そうですかあ?ほとんど同じでしょう?」
(幹事長)「そやなあ。天候次第やなあ」
確かに、標高が100m違えば気温は0.6℃違うから、標高差300mとして気温は2℃しか違わない。やはり酸欠マラソンも四国カルストマラソンと同じように、高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような猛暑になると思われる。なので、曇っていれば良いけど、天気が良いと灼熱地獄のレースになると予想される。でも景色は晴れている方が抜群だろうなあ。
レースの前々日の夜、國宗選手から電話が入る。レースの直前に入る電話は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からの電話はドタキャンの話に決まっている。分かり切っている。徳島マラソンも小豆島オリーブマラソンも、そうだったし。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明後日のレースなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、急に出られなくなりまして・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、理由は聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?」
(國宗)「いや、今回は違うんですよ。急に、お○○いの話が舞い込みまして」
(幹事長)「なんとかーっ!!話が違った。それは目出度い!マラソンなんかしてる場合じゃないわな!」
(國宗)「ま、どうなるか分からんですけどね」
(幹事長)「いやいや、歳を考えたら、もうそろそろ決めんとなっ!」
という事で、非常に重大な所用ができた國宗選手は欠場となり、5人で参加することとなった。
1週間ほど前から天気予報では当日は雨になっていた。でも、1週間も先の天気予報が当たる訳がないと無視していた。ところが、2日前になっても、相変わらず天気予報は雨だ。それでもまだ無視していたが、前日になっても雨の天気予報が続くので、さすがに危機感を感じた。
最近、雨のマラソン大会は嫌いではなくなっている。5年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走できたため、雨に対する抵抗感は払拭されたのだ。7月の汗見川マラソンだって、2年前は直前に雨が降って気温が下がったため快走できたので、今年も雨乞いをしてたんだけど、あいにく今年は炎天下のレースとなり、惨敗してしまった。
ただ、雨が望ましいのは暑い時季のレースだ。もちろん、今も9月初めで下界は暑い。しかし酸欠マラソンのコースは標高1600m前後の高原だ。1600mだと単純に計算しても下界より10℃くらい気温が低い。四国カルストマラソンの経験からすれば、いくら気温が低くても太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような猛暑になるが、曇っていると肌寒いくらいで、さらに雨が降ったら体感温度はかなり寒くなるだろう。いくら夏でも、高原の雨天のレースは不安だ。
レース当日は私のミニバンに全員が乗り合わせて出かける事になった。遠方に住むヤイさんが5時に私の家に車で来て、私の車に乗ってピッグや支部長やD木谷さんを迎えに行った。高松を出発したのは5時半だ。なんで、そんなに早く出るのかと言えば、間に合わないからだ。
受付時間そのものは9時半までOKなんだけど、送られてきた注意書きによると、会場まで車で行けるのではなく、4kmほど手前の瓶ヶ森登山口にある駐車場に車を置いてシャトルバスで移動することになっている。そのシャトルバスの最終が9時10分なのだ。しかも、それよりはるか手前の旧寒風山トンネル出口に関所があり、マラソン大会の交通規制のため、そこを通れるのは8時20分までで、さらにその手前の新寒風山トンネル出口にある関所を通れるのは8時までとなっている。順調に行けば新寒風山トンネル出口まで2時間もあれば着くだろうけど、何かトラブルでもあれば遅れてしまう。
また、会場へ行くには、松山方面からだと本来なら石鎚スカイラインを通って行くのが便利だが、7月の大雨による道路崩壊のため、そっちは全面通行止めになってるとのことで、松山方面から来る人もみんな我々と同じ寒風山トンネル経由になるだろうから、狭い山道が渋滞になるかもしれないのだ。そのため、多少の余裕を持って、高松を5時半には出なければならないと考えたのだ。いくら高齢化に伴って早起きになってきた今日この頃とはいえ、朝の5時出発はきついが、仕方ない。
(ヤイ)「私なんて4時前には起きないといけませんから」
5時に外に出ると、まだ真っ暗だった。しかも天気予報どおり雨が降り始めた。まだ大した事はないけど、雨が極端に少ない香川県で雨が降り始めたって事は、雨が極端に多い高知県では、もうしっかり降っているだろう。しかも山の上となると、激しく大雨になっているかもしれない。しかし、もう行くしかない。
(D木谷)「今日のコースは坂が厳しいんでしたっけ?」
(幹事長)「誰も出たことないから分からないけど、コースマップを見る限り、相当タフなコース間違いないですね」
(D木谷)「来年も出るんですか?」
(幹事長)「今日、走ってみてからの判断ですねえ。あまりにも厳しいコースなら一度出れば十分かもしれませんけど」
(D木谷)「参加受付があっという間に終わったって事は、厳しくても人気あるんでしょうねえ」
(幹事長)「ていうか定員400人しかないですから」
(D木谷)「え!?そんなに少ないんですか?」
7月の汗見川マラソンも定員が1000人と少ないため、あっという間に定員が埋まってしまったけど、酸欠マラソンはさらに少なく、今日の参加者はハーフマラソンの部は僅か300人ほどだ。ほかに10kmの部もあるけど、そっちはもっと少なくて150人ほどだ。いくら道が狭いからって、そこまで少なく絞らなくても良いと思うんだけど。コースが厳しいからハーフマラソンの部は男女比が5対1で、男性が圧倒的に多いが、10kmの部は2対1と女性も結構多い。しかし、このレースは最初の3kmが非常に厳しいので、10kmの部だって厳しいのだ。
(幹事長)「厳しいと言えば、こないだテレビで富士登山競走の模様を放映してたんですけど、あれも魅力的ですねえ」
富士登山競走とは富士山をマラソンで登るレースで、標高770m地点から標高差3000mを登るものだ。
(ピッグ)「あれって誰でも出られるんですか?」
(幹事長)「五合目までのコースは誰でも出られるけど、頂上コースは五合目コースを2時間30分以内で走った実績が無いと
出られないんだって」
(支部長)「いやいや、五合目コースだって標高差1500mやろ?そんなん無理ちゃうか?」
標高差1500mを2時間30分ってのは、何十年も登山をしている私の経験から言えば、絶対に不可能と断言できる。ただ五合目コース自体の制限時間は3時間30分なので、これは十分可能な気がする。例えば今年7月に登った白山は、登山口からの標高差は1500mくらいで、タラタラ登ったので時間はかかったけど、真剣に登れば3時間30分あれば登れると思う。しかもマラソン大会なら荷物は無いし。
(D木谷)「なかなか魅力的ですね」
(ヤイ)「ぜひ出ましょう!」
(支部長)「う〜ん」
(ピッグ)「う〜ん」
(幹事長)「ところでD木谷さん、トライアスロンはどうでした?」
D木谷さんは6月下旬に行われた高松トライアスロンに出たのだ。出たのは個人の部ではなく、チームでリレーする部門での参加だ。D木谷さんも私らと同様、マラソンだけでなく自転車もするので、チームで参加するとなるとマラソンか自転車の区間だろうと思うところだが、なんと水泳の区間に出たのだ。
(幹事長)「なんでわざわざ水泳なんですか?」
(D木谷)「マラソンや自転車はいつでも可能でしょうから、あと水泳さえできれば、来年は個人で参加しようと思って」
(幹事長)「なーるほど。で水泳はだいぶ練習したんですか?」
(D木谷)「いや、まあ、今年に入ってから始めました」
(幹事長)「え?そんな短期間で?それで完走じゃない、完泳できたんですか?」
(D木谷)「ええ、まあ、特に問題なく」
(幹事長)「ふうん、そうなんかあ。以前、支部長が撃沈したから、結構、厳しいっていうイメージなんだけど」
(支部長)「ま、私は事前にプールで1回泳いだだけだったからね」
(幹事長)「でも、素人が半年くらい泳いだだけで出られるもんなんですねえ」
(D木谷)「ええ、まあ、そうですね。ただ昔は水泳の選手だったんですけどね」
(幹事長)「え!?」
なんとD木谷さんは、水泳も素人ではなく、遠い昔、学生の頃は水泳の選手だったのだ。だから少し練習しただけで昔の力が蘇ってきたのだ。
(幹事長)「なーんだ。そうだったのかあ。じゃあ正真正銘の素人の私が半年くらいチョロチョロっと泳いだくらいでは無理じゃない!」
(支部長)「無理無理。そんな甘い考えでは無理よ。撃沈間違い無しよ」
(ヤイ)「やっぱり昔の体力は物を言いますよ。H本さんだって昔はバリバリのバスケット選手だったんですよ」
(幹事長)「なんとかーっ!てっきりスポーツとは無縁の人かと思っていた!」
H本さんは、ほんの数年前にマラソンを始めたばかりなのに、あっという間に我々を抜き去り、今では遠く手の届かないレベルにまで行ってしまった。スポーツとは無縁のインドア女子が気まぐれにマラソンを始めてあっという間に我々を抜き去ってしまったので、呆然と言うか唖然と言うか愕然と言うか、大きなショックを受けていたんだけど、そうだったのか。彼女は元々バリバリのスポーツ女子だったのか。
(幹事長)「それを聞いて安心したというかホッとしましたね。何も我々が特別にだらしない訳ではない、と」
(支部長)「でも、逆に言えば、過去の実績が何も無い私らが、今さらいくら頑張ってもレベルは上がらないって事やなあ」
確かに、そうだ。H本さんがあっという間に我々を抜き去ったのは衝撃だったけど、我々も彼女のように真剣にトレーニングをすればレベルアップできるものと思っていた。しかし、そうではなく、過去の蓄積がある人だからこそ短期間でレベルアップできたのであって、我々には不可能と分かれば、なんとなく寂しい限りだ。
(ピッグ)「いえいえ、どっちみち、彼女みたいに真剣にトレーニングはしませんから」
(支部長)「私らはレベルアップじゃなくて、現状維持を目指すのが現実的やし」
(幹事長)「でも、トライアスロンには出てみたいなあ」
(ヤイ)「そうそう。やっぱり一度は出たいですね」
(D木谷)「水泳は慣れればいくらでも泳げますから大丈夫ですよ」
去年の年末も、自転車に乗らない冬の間はプールへ行こうと思っていたんだけど、結局、新しい水泳パンツを買っただけで一度も行かなかった。今年こそは始めなくてはならない。
(D木谷)「それと2週間後には100kmのウルトラマラソンに出るんですよ」
(幹事長)「えっ!?なんとかーっ!!!」
なんとD木谷さんは京都で開催される丹後100kmウルトラマラソンに出ると言うのだ。
(幹事長)「な、な、な、何を考えとんですか!?」
(D木谷)「ちょっと誘われまして」
(幹事長)「誘われただけで出るんですかーっ!!!」
100kmなんて誘われたからって気軽に出られるもんではない。去年、四万十ウルトラマラソン大会の60kmの部に出たピッグによると、60kmが限界で、100kmは絶対無理ってことだ。私もそう思う。フルマラソンをゴールした後の感覚で言えば、最初からペースを抑えて走れば、あと18kmを走るのは絶対に不可能とは言えない。でも、あと58kmも走るのは絶対に不可能だと断言できる。
(幹事長)「だってフルマラソンの2.5倍でしょ?あり得なーい!」
(ヤイ)「是非、結果を聞きたいですね!」
(支部長)「まさかヤイさん、ウルトラマラソンにも挑戦しようってんじゃないでしょうねえ?」
結局、高速道路を走っている間は、大した雨にはならなかった。西条インターで高速道路を降りて、そこから山へ向かう。新寒風山トンネルを抜けるまでは、走りやすい道だ。しかし新寒風山トンネルを抜けたら、すぐに山道に入る。ここから1時間ほど掛けてクネクネした急勾配の道を登っていくのだ。
山に入ると雨はかなり激しくなってきた。風は大したことないが、霧が出てきて視界は極端に悪い。おまけにミニバンに5人も乗っているので、車の安定性が悪く、路面も滑りやすいので、急ハンドルは厳禁だ。てことで運転は慎重になり、時間がかかる。山道を30分ほどかけて登ると、ようやく旧寒風山トンネルの出口に着いた。ここから先がマラソン大会による通行制限区間で、8時20分から通行止めとなる。山道で時間がかかったとは言え、ここまで順調に進んできたので、まだ7時半だ。関所にいた係員が近寄ってきて「マラソン大会に出る人ですか?」って聞くので「そうです」って答えると、そのまま通してくれた。て事は、マラソン大会に出る人以外は、既に通行止めになっているようだ。
雨も霧も激しくなってきたから、もしかしてレースは中止になるかもしれない、っていう危惧もあったけど、このタイミングで通してくれたって事は、レースは予定通り開催されるってことだ。一安心。
一安心ったって、この激しい雨だ。レースへの不安は大きくなる。下の方では風は大したことなかったが、高度が上がると風が吹き荒れるようになってきたし、霧というより、もうすっかり雲の中で、視界は限りなくゼロに近い。初めて走る道ではないが、運転はより一層慎重になる。て言うか、走った事があるだけに、慎重になる。この道は道幅が狭く、対向車とはすれ違いにくい。いくつかある小さなトンネルは、完全に1車線分しかないから、すれ違いは不可能だが、トンネルでなくても狭くて脱輪しそうだし、路面も濡れているから、できることなら対向車とはすれ違いたくない。ただ、マラソン大会参加者以外は通行止めになっているようなので、対向車が来る可能性は少ない。そうは言っても、関係者の車が通るかもしれないので、油断はできない。それに、そもそも曲がりくねったクネクネ山道なのに視界がゼロに近いので、運転を誤ると崖から転落してしまう。5人も乗ったミニバンは安定性も悪いので、私とは思えないほど慎重な運転になる。後ろには2台ほど車が着いて来てたが、そういうのは無視する。
30分ほどゆっくり走って10kmほど行ったところに、折り返し点らしきものが見えた。地図で見ると東黒森山の辺りだ。ここからがマラソンコースで、ここまで走って折り返して行くってことだ。
相変わらず雨も風も強く、視界も悪い。しかし、ここからは実際に走るコースなので、下見しておかなければならない。
(ピッグ)「坂の勾配は、それほどでもないように見えますけど」
(ヤイ)「車で走っているからそう見えるだけで、実際に走ると結構きついですよ」
そうこう言ってると、時折、かなりな急勾配の区間でも出てくる。
(支部長)「さすがに、これは結構、厳しい坂やで」
(ピッグ)「そうですねえ。汗見川マラソンより厳しいかも」
などと、のどかな事を言ってるので、注意喚起しておく。
(幹事長)「えー、こほん。ちょっと注意しておくが、スタート直後の3kmに比べたら、この辺りはフラットな区間だから」
(D木谷)「えっ!?そうなんですか?これでフラットなんですか?」
スタートから3kmで250mほど登る区間に比べれば、この辺りの斜度は最大でも5%くらいだし、それほど長くは続かないので、はるかにマシだ。
(ピッグ)「でも最初の3kmに比べたらマシっていうだけで、5%でも厳しいですよねえ」
(幹事長)「最初の3kmを乗り切ればマシに感じるって。このマラソンは、最初が勝負だよ」
(ピッグ)「最初に頑張るって事ですか?」
(幹事長)「いえいえ、最初は歩くんです」
どう考えても3kmも急勾配を走るのは無理だ。そんな事をしたら、後で潰れる。庵治マラソンの折り返し近辺の急坂は1kmほどの距離だから頑張って走るけど、3kmもは無理できない。なので、最初の3kmは捨てて、その後で頑張るというのが私の作戦だ。
(ピッグ)「制限時間は大丈夫ですか?」
(幹事長)「制限時間は2時間40分もあるから、全然OK」
道路は尾根を走るようになり、風が吹きすさぶ。背が高いミニバンは風に煽られて、ますます安定性が悪くなる。
折り返し点から6.5kmほど走ったら、ようやく瓶ヶ森登山口の駐車場に着いた。結果的に対向車は来なかったが、本当に疲れた。ゆっくり慎重に運転して時間がかかったとは言え、出発が早かったおかげで、時間はまだ8時過ぎだ。シャトルバスの最終便まで1時間もある。それなのに、駐車場は既に満車に近い。私らはなんとか停める事ができたが、私らより後の車は、停める場所にも困っていた。みんな早いなあ。
すでにシャトルバスが停まっていて、何人か参加者が乗り込んでいる。
(ピッグ)「まだ時間ありますけど、どうします?」
(幹事長)「どうせ会場へ行っても参加者全員が雨をしのげる場所は無いと思うからギリギリまで車で待ってようよ」
(支部長)「それも退屈やで。雨はなんとかなるんじゃない?もう行こうよ」
確かに、視界は限りなくゼロに近い状態が続いているけど、雨は土砂降りってほどではない。風も時折強くなるけど、吹き続けている訳ではないから、傘を差せば何とかなるかも。
って事でバスに乗ろうとしたら、なんとなく様子がおかしい。なかなかバスが出発する気配が無い。そのうち、バスの運転手が車を降りて電話をし始めた。明らかに怪しい雰囲気だ。そうこうしていると、大会関係者の車がやってきた。そしてシャトルバスを待っていた参加者が大会関係者と話し込み始めた。怪しい雰囲気がますます高まる。
そのうち1人の参加者がフラフラ歩いてきたので声を掛けてみると、なんと「中止になった」なんて言うのだ。ほんまかいなっ!?なんで、このタイミングで中止になるんだっ!?まだまだ後から後から参加者の車は続々と駐車場に入ってくる。もう停める場所もないけど、道路は一方通行状態なので、来る車は引き返す訳にもいかず、続々と駐車場に入ってきて、身動きが取れない状態になる。
そもそも以前なら、どんな暴風雨でも、雨風のせいでマラソン大会が中止になるなんて事はないと思っていた。3年前の第5回とくしまマラソンとか2年前の第4回サンポート高松トライアスロンでも分かるように、とんでもない暴風雨の中でも、悪天候のため中止するなんていう発想はマラソン関係者の辞書には載っていなかった。
ところが、去年10月の龍馬脱藩マラソンは、台風が来る恐れが強くなったとのことで、大会の3日前の夜、中止の連絡が入った。3日も前なんて、まだ台風が来るかどうか分からないと思うんだけど、大会事務局は妙に慎重になって中止を決めたのだ。一体何を考えているのか理解に苦しむところだが、台風銀座の高知の山奥のマラソン大会なので、直撃されたらものすごい事になるのかもしれない。それ以来、高知のマラソン大会に限っては、暴風雨の影響で中止になることもあり得ると用心するようになった。なので、今日の中止も「暴風雨でマラソン大会が中止になるなんて、そんな事は絶対にあり得ない!」なんて吠えるほど子供ではない。
待っている他の参加者の間にも、怒りというより諦めムードが漂っている。雨も風も、そんなに大した事はないけど、視界も悪いし、走ってもあんまり楽しい状況ではないからだろう。でも、どうせなら、せめて下の方にあった通行止め区間の入り口で中止を伝えて欲しかった。あそこから1時間もかけて山道を登ってきたのに、また再び1時間もかけて下っていくのかと思うと憂鬱な気分になる。
しばらくすると、いったん会場までシャトルバスで移動していた参加者が再びバスに乗って送り返されてきた。だいぶ早く到着した人達だろうと思うが、本当に気の毒だ。
会場から戻ってきてバスを降りる参加者たち
(幹事長)「って、私らだって本当に気の毒だ!」
(ピッグ)「みなさん、お弁当やパンフレットを持ってますよ」
(支部長)「中止になったけど、会場まで行って受付をして、お弁当を受け取らないといけないのかなあ」
(幹事長)「んなアホな」
さすがに、そんなアホな事はなくて、私らがシャトルバスに乗ろうとすると、係の人が「お弁当はこちらに運んできますから、こちらで受け取ってください」って言ってる。どうせ中止になったんだから、もうお弁当なんか要らないところだが、主催者としては、大量のお弁当の処分に困るだろうから、集まった参加者に配るのだろう。
(幹事長)「お弁当を配るってことは、大会は中止になったけど、参加費の払い戻しは無いって事じゃないのか?」
(支部長)「確かにそうだ。弁当もパンフレットも配ってしまって、それで済ませる気だ!」
(幹事長)「もしかして、そうするために参加者が全員集合するまで中止を発表しなかったのではないか?」
早々と中止を決めて参加者が来なかったら、お弁当の処分にも困るだろうし、参加費の払い戻しにも困るだろう。去年の龍馬脱藩マラソンでは、後から記念品のTシャツだけ送ってきて、それでお茶を濁して、参加費の払い戻しはなかった。今日のマラソン大会も、ギリギリまで中止を発表せずに取りあえず参加者を集めておいて、お弁当を配っておしまいって事にしたかったのではないか?
(幹事長)「許せん!参加費の払い戻しは無くてもいいから、高松を出発する前に中止を決めて欲しかった!」
(ピッグ)「ほんと。ここまで来るだけで疲れましたよねえ」
(支部長)「高速道路やガソリン代もかかってるし」
(ヤイ)「私なんか4時に起きましたよ」
(幹事長)「それは日課でしょ?」
まあ、文句を言う気力も失せてしまっていたので、大人しく弁当の配給を受けるために列に並ぶ。ところが、ここで支部長が奇声を発する。
(支部長)「いかーん!参加証を忘れてきた」
当然のことながらお弁当やパンフレットを受け取るのは参加証との引き替えになるんだけど、支部長は参加証を忘れてきたのだ。
(幹事長)「以前も何かの大会の時に参加証を忘れたよなあ」
(支部長)「そういう事もあったような気がするけど、何だったかさえ忘れた」
(幹事長)「ま、しかし、なんとでも融通が利く小規模大会だから、許してくれるって」
(支部長)「しかも中止を決めて平身低頭しているはずだから強気な態度で出れば通用するわな」
お弁当を配ってくれている係の人達は、自分達に責任がある訳でもないので、特に平身低頭はしてなかったけど、融通が利く小さな大会なので、参加証を忘れてても優しく許してくれて、無事、お弁当をもらえた。
お弁当を配ってくれた酸欠スタッフ
(ピッグ)「パンフレットにはお弁当引換券だけじゃなくキジ汁引換券なんてのも着いてますよ」
(幹事長)「うわ、魅力的!会場へ行ったら貰えるんやろか?」
(支部長)「ゴールした後に配給するんやから、まだ無いやろ」
さらにパンフレットには木の香温泉てとこの半額入浴券てのも着いている。高原のマラソンを走った後に温泉に入れるなんて、とても素晴らしい設定だけど、マラソン大会が中止になったのに温泉に入る気分にはなれない。
お弁当をもらった参加者達は、次々と山を下りていく。交通規制のため登ってくる車はいないだろうから、下りは一方通行で、そんなに混んではないとは思うけど、あれだけ大量な車が一斉に山を下りると、そんなにスムースには流れないだろう。
て事で、まだ9時前で全然お腹は空いてないんだけど、お弁当を持って帰っても仕方ないし、その場で食べる事にした。全員が食べ終わる頃には、他には参加者の車はいなくなってしまった。
とぼとぼと山を下り始めるが、相変わらず視界は悪い。前にも後ろにも車はいない。上りも大変だったけど、肉体的にも精神的に疲れたため、下りはもっと大変で、ものすごく時間がかかったような気がした。いい加減ウンザリした頃に、ようやく下まで降りたが、下に降りるとガスは無く、雨もほとんど降ってないし風も無い。なんとなく悔しい気分だが、山の上を見ると雲の中で、何も見えない。やっぱり中止は仕方ないかなあ。
後で聞くと、一昨年も悪天候で中止だったらしい。去年は開催されたものの、やっぱり天気はイマイチだったようだ。
(幹事長)「て事は、せっかく抜群の景色が見られる高原のマラソン大会なのに、晴れることは滅多に無いってことか」
(ピッグ)「なかなかレアなマラソン大会ですねえ」
(幹事長)「結局、こうなったら、来年も来るしかないなあ」
て事で、せっかく今年は山岳レース3連戦と意気込んでいたのに、中折れになってしまった。
(幹事長)「て言うか、私とピッグは汗見川マラソンに出たけど、他のみんなは汗見川マラソンのエントリーに失敗したから
6月初めの徳島航空基地マラソン以来、次のレースの脱藩マラソンまで4ヵ月もブランクが続くよ」
(支部長)「最近、スポーツジムに入会してトレーニングしてるから。ね、ヤイさん」
(ヤイ)「私は入会しただけで、まだ一度も行ってないけど」
(ピッグ)「て言うか、大会が中止になった割りには、今回もすごく長くて読むのに疲れましたよ」
〜おしまい〜
![]() 戦績のメニューへ |