第5回 龍馬脱藩マラソン大会

〜 空前絶後の討ち死に 〜


2016年10月9日(日)、高知県檮原町第5回龍馬脱藩マラソンが開催された。去年、初めて出場したレースだ。


〜 山岳マラソン最終戦 〜


去年の夏は、7月下旬の汗見川マラソン9月の四国のてっぺん酸欠マラソン10月上旬の龍馬脱藩マラソンと、山岳マラソン3連戦という厳しい日程にしたが、酸欠マラソンが直前で中止になってしまったため、少し肩すかし状態となった。今年はさらに、6月上旬に北山林道駆け足大会に初出場し、7月下旬の汗見川マラソン9月の四国のてっぺん酸欠マラソン、そしてこの龍馬脱藩マラソンと山岳マラソン4連戦という超厳しいスケジュールを組んだが、ここまで順調に消化してきており、今回の脱藩マラソンが最終戦となる。

(ピッグ)「順調と言うにはほど遠い結果ですけど?」
(幹事長)「参加できた事に意義があるのじゃよ。タイムの事は気にするな」


北山林道駆け足大会は今年が初参加だったし、四国のてっぺん酸欠マラソンは去年は中止になったから今年が初参加だった。龍馬脱藩マラソンは一昨年、初参加する予定だったが、台風が来るって事で3日前に中止になったため、去年が初出場だった。しかし、去年はハーフマラソンの部だったが、今年は遂に難攻不落と言われるフルマラソンの部に出る
て事で、山岳マラソン4連戦っていうだけでも厳しいのに、そのうち初参加が実質的に3レースって事で、緊張感溢れる夏場となった。

(ヤイ)「幹事長はほんとに坂が好きですねえ」
(支部長)「自分はええけど、一緒に付き合わされる私らはええ迷惑やなあ」


私が坂を好きになってきているのは間違いない。自転車も同じで、最初はフラットな道を走るのが気持ち良かったけど、だんだん飽きてきて、今では坂道でないと面白くないなんて感じているが、最近はマラソンでもアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた。大きな理由の1つとして、フラットな高速コースでタイムが伸びなくなってきた事がある。伸びないと言うより、どんどんタイムが悪くなっている。

(ピッグ)「それは単に歳のせいじゃないですか?」
(幹事長)「亀ちゃんに言わせれば単に練習不足だと言うんだけど」


なんにせよ、フラットなコースではタイムが伸び悩み、なんかやる気が失せつつある。でも、坂が多いコースだと、タイムは悪いのが当たり前なので気にしなくてもいい。それに、坂がある方が純粋に面白い。6月に初参加した北山林道駆け足大会なんか、最大勾配19%なんていうトンでもない急坂の駆けめぐるレースだったが、距離が12.8kmと短い事もあって、とっても楽しくて、ますます山岳マラソンが楽しくなってきた。

(支部長)「確かに、あれは私も楽しかったな」

そもそも忘れてはならないが、我々は昔から山岳マラソンに積極的に参加してきたのだ。古くは19年前から参加していた塩江温泉アドベンチャーマラソンだ。これは前半は延々と12kmも急坂を登り続け、後半は9kmも急坂を下り続けるという尋常ではないコース設定のマラソンだったが、多くのメンバーが毎年参加していた。ひどい時には、私がビリから10数番目、中山選手がビリから5番目、支部長に至っては消防車に回収されるという惨憺たる結果を残しながらも毎年、楽しんでいた。11年前に塩江町が高松市に吸収合併されて、塩江マラソンが廃止されてしまったのはとても残念だ。
ほかにも、塩江マラソンと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会である四国カルストマラソンというのもあった。開催時期が酷暑の7月で、炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだったので、我々は地獄カルストマラソンと呼んでいた。日射しがきついだけでなく、アップダウンも凄まじい厳しいレースだったが、マラソン大会がほとんど無い夏場の貴重なレースということで、時々参加していた。この四国カルストマラソンも廃止されてしまったので、とても残念なんだけど、この後継大会として始まったのが今回の龍馬脱藩マラソンなのだ。

そもそも、夏場にマラソン大会に出ようと思ったら、こういう山岳マラソンしか選択肢は無い。夏場は全国的にマラソン大会が少ないが、特に四国は猛暑になるから、マラソン大会は非常に少ない。山岳マラソンに出なければ5月の小豆島オリーブマラソンの後は10月の庵治マラソンまで5ヵ月間も適当なレースが無い。意志の強い真面目なランナーならレースが無くてもトレーニングを怠ったりしないのだろうけど、我々のような怠惰なランナーはレースの予定が無いと、まともにトレーニングする気は起こらない。なので、一年中、定期的にレースを入れておかなければならないのだ。
なぜ猛暑の四国でも山岳マラソンなら開催されるのかと言えば、「標高の高い場所なら暑さも和らぐだろう」って言う安直な発想からだ。もちろん、それは大きな勘違いだ。7月に開催されていた四国カルストマラソンは、標高1500m前後の高原なので、曇っていると夏でも肌寒いくらいで空気も澄んで気持ち良いのだが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような灼熱地獄のレースになった。また汗見川マラソンも、9年前に出場したときは、この世のものとは思えないようなあり得ない暑さで、「四国山地の真ん中の高原で、こんなに暑いんだったら、下界は地獄のような暑さだろうなあ」なんて思っていたら、なんと、その日は、汗見川マラソンが開催された高知県本山町が全国で一番暑かったという、トンでもない状況だった。なので、高原のマラソン大会だからと言って暑くない訳は無いのだ。

山岳マラソンは嫌いではないが、塩江マラソンや四国カルストマラソンが廃止された後は、7月末の汗見川マラソンに出れば、それで妥協していた。ところが最近、汗見川マラソンの申込み競争は過熱しており、熾烈な戦いをかいくぐらないとエントリーできなくなってしまっている。一昨年は汗見川マラソンの申込みに失敗してしまい、その代わりになる夏場のマラソン大会を探して酸欠マラソンを発見したんだけど、その申込みにも失敗してしまい、さらに探し出したのが今回の龍馬脱藩マラソンだ

汗見川マラソンと言い酸欠マラソンと言い、クソ暑い夏場の山岳マラソンという超厳しいマイナーなレースなのに、申し込み受付開始と同時に、あっという間に即日完売するなんて、信じられない。どちらも定員が1000人とか400人とか少ないのも要因だろうけど、かつては存続すら危ぶまれていた超マイナーな草レースが、軒並み、発売開始と同時に瞬間蒸発するなんて、世も末だ。
ついでに言えば、2週間後に開催される庵治マラソンだって、最近は毎年、申込みに失敗し続け、今年ようやく久しぶりにエントリーすることができた。これまでの反省から、年間スケジュール表を作成して、常にそれを確認して申し込みを忘れないようにしているおかげだ。

(ピッグ)「とは言いながら、こんぴら石段マラソンのエントリーには今年も失敗しちゃいましたけどね」
(幹事長)「あんなマイナーな草レースまで僅か1日で受付終了になっちゃうなんて、ほんと予想できなかったなあ」


こんぴら石段マラソンなんて、数多くのマイナーなレースの中でも、群を抜いてマイナーな超草レースであり、以前は、事前申し込みなんかしなくても、当日行っても大丈夫って雰囲気のレースだったのだ。

(國宗)「いや、ほんと。4年前に出た時なんか、当日受付OKでしたよ」
(幹事長)「世の中、いったい何が起きているんだ!」
(ピッグ)「古い常識は、もう通用しませんね」


〜 エントリー 〜


龍馬脱藩マラソンには、我がペンギンズとしては一昨年、初参加するはずだった。その理由は、上に書いたように、汗見川マラソンや酸欠マラソンのエントリーに失敗してしまい、長期間、出るレースが無くなってしまったので、慌てて出場可能なマラソン大会は無いものかと探して、まだ申し込み可能だった龍馬脱藩マラソンに申し込んだのだ。汗見川マラソンや酸欠マラソンと言った超マイナーな草レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に瞬間蒸発していく昨今の異常なマラソンブームの中で、なぜ、この龍馬脱藩マラソンには余裕を持って申し込むことができたのか?それは、他の山岳マラソンに比べても、コースが超きびしーからだろう

上にも書いたように、龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだが、死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく4年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。
四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は無くなった。しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースまでだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンができたのだ。そして、そのフルマラソンのコースが厳しいのだ。スタート地点から折り返し点までの標高差は、なんと560mもある。しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は860mもある。しかも折り返し点直前の500mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登るとのことで、塩江マラソンや四国カルストマラソンを遙かに凌駕するトンでもない山登りマラソンなのだ。
一昨年、初めて申し込もうとしたとき、フルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽観的な我々にも分かる。一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにしたのだ。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていた。

ところが、大会の3日前の夜、宿泊を予約していた民宿のおばちゃんから「台風が来るとて大会が中止になったそうや」なんていう電話があった。大会事務局じゃなくて民宿のおばちゃんから連絡が来るってのが釈然としないが、確かに、季節外れの巨大台風が日本に近づきつつあるってのは、天気予報を聞いて知っていた。だが、しかし、当時、我々は「マラソン大会って多少の雨風というかトンでもない暴風雨であっても中止になる事はない」と信じていたから驚きだった。それまで悪天候でマラソン大会が中止になったことは無かったからだ。4年前の第5回とくしまマラソンとか3年前の第4回サンポート高松トライアスロンでも分かるように、悪天候のために大会を中止するなんていう発想はマラソン関係者の辞書には載っていない。でも、日本一雨が少ない香川県と違って、日本一雨が多い高知県(当社比)だから、大会事務局は暴風雨が吹き荒れる事態を用心したのだろう。その後、同じく高知県内で開催される四国のてっぺん酸欠マラソンも、去年はスタート直前になって中止されたので、少なくとも高知のマラソン大会に限っては、暴風雨の影響で中止になることもあり得ると用心している。

てことで、せっかく楽しみにしていたのに一昨年は残念ながら走れなかったため、去年こそは是非、走ろうと思って意気込んで出掛けた。参加したのはのほか、支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、D木谷さん、小松原選手だ。
このうち超スーパーランナー小松原選手だけはフルマラソンの部に出たが、残る6人は、H本さんのアドバイスに従ってハーフマラソンの部に出た。フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560m、累積の標高差が860mもあるから、我々には論外だったが、ハーフマラソンのコースは標高差が120m、累積の標高差が380mなので、だいぶマシだ。しかし、どういうコースレイアウトなのかは分からない。汗見川マラソンより標高差は少ないが累積の標高差は多い。つまり、前半はひたすら上り後半はひたすら下りてくる汗見川マラソンに比べ、途中のアップダウンが激しいってことだ。なので、前半をなんとか頑張りきれば後半は楽に下りてこられる汗見川マラソンのレース展開は通用しない。そこが不安だった。

ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースは、そんなに大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。

(幹事長)「思ったほど厳しくなかったなあ」
(支部長)「ま、そやな」


なんと、あの坂に弱い支部長ですら、最後の大きな上り坂を歩かなかったと言うのだ。当時、支部長はレフコ・トライアスロンを始めたばかりだったが、早くもその成果が出ていたのだ。レフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、自転車マシーンに乗って、次にランニングマシーンに乗って、最後にプールに入るという、順番は異なるけど1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。最初はバカにしていたが、レフコ・トライアスロンを始めてからと言うもの、坂に非常に強くなり、明らかに絶大な効果が出ている。
走る前は戦々恐々だったのに、思ったほど厳しくなかったため、みんな強気になった

(幹事長)「恐れていたほどの坂ではなかったよなあ」
(支部長)「全然歩かなかったし、大したコースではなかったな。10kmの部を勧めたH本さんは私らを見くびり過ぎやな」
(ヤイ)「それじゃあ、来年はフルマラソンに出ましょうか」
(D木谷)「そうですね!フルマラソンに出ましょう!」
(ピッグ)「いいですねえ。私もフルマラソンに出ようかなあ」


て事で、D木谷さんは今年はフルマラソンの部に出る事を宣言し、それにピッグも続いた。いくらハーフマラソンのコースが思ったより楽だったと言っても、フルマラソンのコースは絶対に超厳しいと思うので、私は少し躊躇っていた.。そこで、ピッグの以前の同僚である阿南のY浅さんに聞いてみることにした。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ていると聞いていたからだ。

(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ」

(幹事長)「私でも完走できるやろか?」
(Y浅)「大丈夫だいじょうぶ。奈良マラソン完走したんやから、いけるって」


Y浅さんとは去年12月の奈良マラソンに一緒に出て走った。確かに奈良マラソンも坂がてんこ盛りだったけど、脱藩マラソンの坂は奈良マラソンの2倍以上はある。でも、Y浅さんが毎年出てるくらいなんだから、私もフルマラソンの部に出ることにした。D木谷さんは最近、出るレース出るレース大会自己ベストを連発し、100kmウルトラマラソンやトライアスロンにも出るなど、圧倒的な上り調子なので、一緒に走るのがD木谷さんだけなら、あっという間に置いてけぼりを喰らい、一人トボトボ走る辛い運命が目に見えているが、永遠のライバルのピッグも出るのなら、似たようなレベルなので、最後まで心の支えにして一緒に走れると思ったのだ

(幹事長)「どう思う?」
(小松原)「もう大人なんだから、出たいと言うのを止めはしませんが、この大会のフルマラソンはきついっすよ」


小松原選手ほどのスーパーランナーでも、このフルマラソンはきついらしい。前半は基本的に上りが続くが、15km地点辺りまでは緩やかな上りで、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。しかも最後の500mは手を着いて登るような山道だ。ハーフマラソンのコースとは別次元のようだ。
とは言え、小松原選手は「きついっすよ」なんて言いながら、去年は3時間31分などと言う驚異のタイムを叩きだしている。フラットなコースでも私らには100%不可能なタイムだ。フルマラソンのベストタイムが3時間8分の小松原選手だからこそ達成できるタイムだ。そのレース展開は、と言うと、

(小松原)「最初からずうっと1km5分のペースを守って行きました」

とのことだ。1km5分って言ったら、私らならハーフマラソンの丸亀マラソンの序盤のペースだ。そのペースで累積の標高差が860mもあるフルマラソンを走るなんて、驚異のペースだ。坂が無くったって1km5分のペースでフルマラソンを走るのはきついに決まってるので、小松原選手のアドバイスは何の役にも立たない。ま、しかし、ハーフマラソンが物足りなかったのは事実なので、今年はフルマラソンに挑戦することにした
一方、最初にフルマラソンに出ようなんて言い出したヤイさんは、自分の発言を忘れたかのようにシラを切って今年もハーフマラソンの部に出る。支部長と國宗選手も、フルマラソンは頑なに拒絶したので、今年はD木谷さん、ピッグ、小松原選手フルマラソンの部に、また支部長、國宗選手、ヤイさんハーフマラソンの部に申し込むことになった。

今年のエントリー開始は6月1日(水)8:30となった。普通、マラソン大会のエントリー開始は夜の8時とか10時とか12時だ。夜の8時とか10時はいいとして、夜中の12時は、若い人ならほんの宵の口だろうが、高齢化が進んできた我々にとっては起きてるのは容易ではないから辛いが、一方、平日の朝の8:30ってのも、どうかと思う。その時間に自宅にいるのはニートか専業主婦であり、普通なら会社に行ってる時間だ。一体、どういう時間設定をしてるんだろう。上にも書いたように、この龍馬脱藩マラソンは、コースが超厳しいこともあって、昨今のキチガイじみたマラソン熱の中にあっても、即日完売にはならない人気薄のレースなので、仕事が終わって家に帰ってからでも間に合うような気はするが、油断は禁物だ。ちょっとした油断が死を招くのは、こんぴら石段マラソンのエントリーに今年も失敗したことで明らかだ。もう、昔の常識は通用しない。どんなレースであっても、取りあえずエントリー開始と同時にパソコンのキーを叩かねばならない、という強い危機感を持たなければならない。私の職場は8:40始業なので、なんとかギリギリ始業前だから、他のメンバーも急き立てながら事務所のパソコンを叩いて急いでエントリーした。
結局、今年も心配は無用だったようで、しばらくは受付が継続されていた。やはりイマイチ人気薄なのか


〜 宿泊場所 〜


エントリー自体は一昨年も去年も今年も楽勝だったが、このマラソン大会の一番のハードルは宿泊場所の確保だ。日本全国、どんなマラソン大会も、受付開始と同時に即日完売してしまう末期的な昨今の状況の中、何日経っても受け付けてくれる龍馬脱藩マラソンは貴重な存在と言えるが、宿泊場所の確保が極めて難しい。このマラソンが人気薄な理由は、コースが厳しいからだけでなく、宿泊場所に困るからかもしれない。宿泊場所が無いから参加できない人が多いのかもしれない。それで、いつまでも定員オーバーにならないのかもしれない。
四国内なので、高松から日帰りも不可能ではないような気もするが、檮原町は遠いので、一昨年、初めて申し込んだ時にH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「檮原まで高松から日帰りは難しいよねえ?」
(H本)「何言ってるんですか!当たり前でしょ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」
(幹事長)「て事は、檮原町に泊まるんよね?」
(H本)「今頃探しても泊まるところは無いですよ」
(幹事長)「え!?そうなん?」


檮原町は高知の、というか四国の山の中にある。かなり不便な場所なのだ。なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからであり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。ちなみに、以前開催されていた四国カルストマラソンは、韮ヶ峠から少し東に行った峰の上を縦走するコースだった。
スタートとゴールは檮原町役場だから、韮ヶ峠ほど山深いわけではなく、檮原町の中心部に泊まれば良いんだけど、そもそも檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、これは立派なホテルだ。さらに雲の上のホテルの別館でマルシェユスハラというのがあり、こちらも普通のきちんとしたホテルだ。H本さんも毎年、そこに泊まっているとのことだ。でも、これらの予約は極めて難しい。

(H本)「私たちは毎年、そこに泊まって出場してるんだけど、帰る時に翌年の予約をして帰ってますよ」
(幹事長)「どっひゃあーっ!」


一応、電話で確認してみたけど、全然、相手にもしてくれなかった。雲の上のホテルもマルシェユスハラも、どちらも僅か15室しかないので、一見さんが入り込める余地は無いのだ。町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、マラソン大会のホームページを見て民宿をピックアップした。檮原町内に民宿は全部で10軒ほどあるが、檮原町はかなり広いうえに、基本的に山間部なので、同じ町内と言えどもマラソン会場の役場の近くでないと移動が大変だ。なので、現実的な宿泊候補となるのは5軒だった。どういう施設なのか情報が極めて少ないので、片っ端から電話を掛けてみた。ところが、恐れていたとおり、ことごとく満室だ。どこも数部屋しかないような小さな民宿なので、マラソン大会が開催されるとなれば、たちまち全部満室になってしまうのだ。ホテルは合わせて30室、民宿も合わせてせいぜい20室なので、詰め込んでも100数十人くらいしか宿泊できないのだ。龍馬脱藩マラソンの参加人数は定員1500人ってなってるから、10人に1人しか泊まれないってことになる。高知県内の人は早朝に家を出れば間に合うだろうけど、他県からの参加者は日帰りはしんどい。
でも、半ば諦めつつ最後の民宿に電話したら、直前でキャンセルが出たとのことで、1部屋だけ空いていた。参加予定メンバーは5人いたけど、1部屋と言っても2部屋続きの広い部屋だったので、十分入れるとのことだった。ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、高齢で作るのが大変だからと言う説得力の無い理由で難色を示す。最終的に、配膳とかを自分達でやるからという条件で強引に作ってもらえる事になったが、結局、大会3日前の夜、おばちゃんから大会中止の電話があったため、問題の夕食を食べることはできなかった。

一昨年、このような経験をしたため、去年はいち早く宿泊場所の確保に動いた。いち早くと言うのは、大会への参加申し込みをしてからでは遅いって事だ。まだ大会の受付が始まる前の4月に早くも予約しようとしたのだ。上にも書いたように、檮原町内に普通のホテルは雲の上のホテルと別館のマルシェユスハラだけだが、既に話にならなかった。なので、一昨年と同じように、民宿を当たったのだが、その中でも、周辺に飲食店がありそうな町の中心部の民宿から当たっていった。そしたら、なんと1軒目で部屋が空いていた。やはり直前にキャンセルが出たらしい。ラッキーだ。ただし、6人分の部屋は確保できず、2間続きの和室に4人が泊まり、1人部屋の洋室に1人が泊まる。あと1人くらい詰め込んで泊めさせてもらおうとお願いしたが、なぜか頑なに拒まれ、代わりに近所にある親戚の民宿を紹介された。
部屋は確保できたが、一昨年と同様に食事を作ることには頑なに抵抗され、押し問答にも疲れたので、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら、数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。
て事で、ホテルが確保できるのならいいけど、民宿に泊まっても、あんまり快適ではない。しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまう。マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。去年の記事には以下のような記述がある。
「宿泊すると、どうしても前夜は宴会となり、夜更かしして深酒してしまうので、早朝に出る日帰りツアーの方が良いのではないだろうか。高松からだと遠いんだけど、移動時間は四国のてっぺん酸欠マラソンと同じくらいだったし、しかも酸欠マラソンのようなクネクネの急な山道じゃなくてゆったりした道だったので、運転はむしろ楽だ。なので、来年は日帰りを検討すべきかも。」
て事で、今年はどうしようかと悩んでしまい、あんまり気合いが入らなかったので、宿泊場所確保に動いたのが遅かった。当然ながら既に檮原町内の民宿は全滅だったが、あんまり後悔は無かった。檮原町内のショボイ民宿は、もうあんまり泊まりたくなかったのだ。それで、今年は途中の須崎市で泊まることにした。須崎市ならいくつかまともそうなホテルがあるのだ。ところが、甘かった。同じ事を考える人も多いようで、須崎市のホテルも既に満室になっていたのだ。散々探した結果、普通のホテルではなく、長期滞在者用らしい少し怪しいホテルならなんとか確保できた

(幹事長)「かまんかなあ?」
(支部長)「須崎かあ。中途半端やなあ」


須崎市から梼原町までは車で1時間ほどだ。近いと言えば近いが、中途半端な距離でもある。高松から須崎までは2時間ほどで、高松から檮原までなら3時間だ。無理したら日帰りできないこともないが、疲れそうだ
なーんて悩みつつ、6月の北山林道駆け足大会に出た。場所は須崎市と梼原町の間にある葉山だ。高松からだと2時間半かかるが、思ったより疲れなかった。

(支部長)「幹事長は横で寝とっただけやからな」

高松から2時間半の葉山まで日帰りで行けるのなら、3時間の檮原だって日帰りが可能だろう。梼原町の中心部に泊まるのなら良いけど、所詮、須崎市の怪しいホテルに泊まるくらいだったら高松からの日帰りの方が良さそうに思えてきた。
一番の不安は、今年はフルマラソンに出るって事だ。ハーフマラソンなら、早朝に起きて3時間も車に乗っても、なんとかなるだろう。でも、超厳しいコースのフルマラソンに出るとなると、一抹の不安がある。私が車を出す事態だけは避けたい。

(幹事長)「どうやろ?」
(支部長)「仕方ない。今年も私が車を出そう」
(ヤイ)「私は前日に野球の試合があるから、当日の朝に出発する方がいいですね。早起きは辛いけど」
(國宗)「私は前夜泊の方が疲れなくて良いと思いますけど」


て事で、全員一致で日帰りすることになった。

(國宗)「私の意見はどうなったんですかっ!?」


〜 ドタキャンの嵐 〜


超厳しい龍馬脱藩マラソンのフルマラソンへの初出場なので、非常に不安は大きかったが、北山林道駆け足大会、汗見川マラソン、四国のてっぺん酸欠マラソンと、厳しい山岳マラソンをなんとかこなしてこられたから、山岳マラソン4連戦の総仕上げとしてやる気満々だった。ところが、なんとD木谷さんから不参加の連絡が入る

(幹事長)「どどど、どしたんですかっ?D木谷に限ってサボりではないと思いますが」
(D木谷)「職場のイベントで、どうしても抜けられなくて」
(幹事長)「酸欠マラソンの時と同じ事情ですか。ほんとに残念ですねえ」


D木谷さんは一緒にフルマラソンを走る予定だったので、非常に残念だ。でも、まだピッグがいる。ピッグが一緒に走ってくれれば不安も少ない。
って思っていたら、なんとピッグまで欠場すると言い出した

(幹事長)「ななな、何があるん!?」
(ピッグ)「学生時代の同窓会で友人が大挙してやってくるんですよ」
(幹事長)「そんな理由か!同窓会とマラソンと、どっちが大事やと思ってるんだ!」
(ピッグ)「いや、ま、同窓会ですかねえ」


これは痛い。非常に痛い。超厳しい龍馬脱藩マラソンのフルマラソンだけど、D木谷さんやピッグも出ると言うから私も乗せられて出場することにしたのだ。特に、ピッグは私と同レベルなので、彼が完走できるのなら私も完走できるだろうし、私が撃沈した時は彼も撃沈するだろうから、どっちにしても運命共同体で仲良く参加しようと思っていたのに、彼がいないとなると不安100倍だ

(幹事長)「奴らに梯子を外されてしまったぞ!こんな事って、許されるのか!?」
(支部長)「ハーフマラソンじゃ物足りない、なんて偉そうに言ってたんは誰や」
(ヤイ)「こういう事もあろうかと、私は自重したんですよ」


こうなると一緒にフルマラソンに出るのは小松原選手だけだ。一緒に出ると言っても、彼は別次元の走りをするので、あんまり心の支えにはならないが、最後の砦ではある。
なーんて思っていたら、なんと小松原選手も欠場すると言う

(幹事長)「ななな、何があったん!?」
(小松原)「6月末に痛めたアキレス腱が治らず、まだリハビリ中なんで、今回は泣く泣く諦めます」


ひえ〜!
結局、フルマラソンへの出場は私だけで、支部長、ヤイさん、國宗選手がハーフマラソンの部に出る事になった。これで完全に独りぽっちだ。

などと思っていたら、レースの前日になって國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。汗見川マラソンもそうだったし、酸欠マラソンは2年連続、徳島マラソンに至っては3年連続でドタキャンした。

(國宗)「あのう、直前になって済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明日の脱藩マラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、急に出られなくなりまして・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、理由は聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?」


本当に仕事だった。彼の場合、日曜日でも仕事が入る事は珍しくなく、しかも急に決まる事も多いから大変だ。結局、彼は今年の夏の山岳マラソンシリーズは全て不戦敗となった。誠に残念。

これで参加者は3人にまで減ってしまった、と寂しがっていたら、今度はD木谷さんから連絡が入る。ん?D木谷さんからは既に欠場との連絡が来てるんだけど。

(D木谷)「いや、なんとか行けそうな気配になってきまして」
(幹事長)「えっ?それは良かった!」


てことで、前日になって1人減って1人増えてプラスマイナスゼロで結局4人での参加となった。D木谷さんフルマラソン支部長ヤイさんハーフマラソンに出る。D木谷さんにはあっという間に置いてかれるだろうけど、それでも一緒にフルマラソンに出るメンバーがいるってのは心強い。良かった!


〜 出発 〜


一昨年は台風で中止になったし去年も小雨が降ったり止んだりだったが、今年も天気予報では午前中は雨との事だった。日本一雨が少ない香川県だったら、いくら天気予報で雨だと言っても実際に雨が降ることは、まず無いと考えていいんだけど、日本一雨が多い高知県(当社比)では確実に雨が降る。しかも高知県の中でも山の中の檮原町なら、下界が晴れていても雨は降る。なので雨は覚悟しなければならない。ただ、6年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨に対する抵抗感は払拭されている。大会が中止になるほどの雨でなければ気にしない。もちろん、これが冬なら冷たい雨の中を走るのは嫌だが、今の季節なら大丈夫だ。高知の山の中で標高が高いから気温は下界より低いが、それでもまだ耐えられるだろう。

朝、起きると、予想通り香川県地方は既に雨は止んでいた。
5時少し前に、支部長がヤイさんとD木谷さんを乗せて私んちに迎えに来てくれた。雨模様のせいか、早朝だと言うのに外へ出ても寒くない。でも、今日は支部長は短パンは履いていない。

(支部長)「こないだ短パンで出発したら小学生みたいやとか散々言われたからな
(幹事長)「良識ある態度やな」


予定通り5時に高松を出発できた。

(幹事長)「ヤイさんは足の具合はどうですか?」
(ヤイ)「治りかけた頃に、また痛めるから、なかなか完治しないですねえ。今日も走れるかどうか分からないですね」


ヤイさんは、5月のオリーブマラソンで終盤に無理をして肉離れしてしまい6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソンには、まだ調子が悪いって事で、応援には来てくれたんだけど出場は断念した。9月の四国のてっぺん酸欠マラソンの時点でも、まだ完治はしてなかったけど、そろそろ良いかなって事で出場したら、やはり途中で悪化してしまい、途中から歩いてゴールした。それからまだ1ヵ月しか経ってないので、今日だって不安だ。

(ヤイ)「その後、練習はしてますか?」
(幹事長)「ここんとこ毎週、山に登ってます」


登山部の活動」のコーナーに書いているように、四国のてっぺん酸欠マラソンの前には飯野山に2回、走って上った。飯野山の標高は422m、登山口からの標高差は330mだから手頃な山だが、ちょっと手頃すぎてトレーニングには物足りなかったので、次に大麻山に走って上った。大麻山は標高616mで、登山口からの標高差は550mあるから、最大標高差285m、累積標高差560mの酸欠マラソンのトレーニングにはちょうど良い高さだと思い、レースの1週間前に上ったのだ。このおかげで、四国のてっぺん酸欠マラソンの激坂に対する恐怖心は払拭でき、タイムはイマイチだったとは言え、歩かずに完走する事ができた。今回の龍馬脱藩マラソンのフルマラソンは、四国のてっぺん酸欠マラソン以上に超厳しい激坂コースなので、その後も毎週、大麻山に上ってきた。そのおかげで、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの超厳しいコースに対する恐怖心はだいぶ和らいだ

(幹事長)「支部長は?」
(支部長)「昨日も屋島の周りを一周しましたがな」
(幹事長)「前日にそんなに無理したらいかんがな」
(支部長)「いや、自転車で」
(幹事長)「なんでマラソン大会の前日に自転車に乗るんやーっ!」


ま、それでも、いつもなら前日にゴルフに行く支部長だが、自転車ならマシか。

(支部長)「今回はゴルフは明日にしました」
(幹事長)「結局、行くんかーいっ!」


休日早朝の高速道路は空いていて順調に走れるが、高知に入ると雨が降り出した。まだ6時頃なので、これは想定内だ。フルマラソンのスタートの9時頃までには止むはずだ。

車の中で朝食のおにぎりを食べる。しつこく書いているように、以前はマラソン大会の朝食と言えば、決まって菓子パンをたくさん食べていたが、ここ数年、マラソン大会で走っている最中にお腹を壊してトイレに駆け込むことが増えてきた。その原因を考えてみたら、菓子パンが原因ではないのかって思えてきたので、去年の徳島マラソンから菓子パンじゃなくて、おにぎりを食べるように変えた。そのせいだと思うんだけど、それ以降はマラソン大会でお腹を壊していない。これは単なる気のせいではなくて、その後、NHKの「ためしてガッテン」で、パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く下痢しやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いと言っていた。もちろん、誰もがパンを食べたらお腹を壊す訳ではないが、私のように胃腸が弱い人間は牛乳と同じようにパンでもお腹を壊しやすいのだ。事実、おにぎりに変えてから、去年の徳島マラソン以来16レース連続でお腹を壊してないので、効果は間違いない。以前は、お腹の調子が悪くなくても、用心には用心を重ねて予め下痢止めの薬も飲んでいたんだけど、それも、もう必要ないだろう。

(幹事長)「ところでD木谷さん、ウルトラマラソンはどうでした?」
(D木谷)「それが今年は調子が悪くて70kmでリタイアしました」


D木谷さんは所用で出られなかった四国のてっぺん酸欠マラソン大会の1週間後に、京都で開催された丹後100kmウルトラマラソンに2年連続で出たのだ。去年は知人に誘われて、深く考えずに気楽に誘いに乗って出場し、完走したのだけど、今年は途中で力尽きてしまったそうだ。

(D木谷)「制限時間が14時間のところを、去年はギリギリ13時間57分でゴールしたんですけど、今年は途中で間に合わないと悟ってリタイアしました」
(幹事長)「D木谷さんともあろうお方でもリタイアするんですか。やっぱりウルトラマラソンは厳しいなあ」
(ヤイ)「でも、死ぬまでに一度はウルトラマラソンに出たいですよねえ」


確かに一度はウルトラマラソンを完走してみたい。一番近いのは四万十ウルトラマラソンだが、最初の20kmで標高600mを越える峠を越え、次の20kmで峠を下りて、残り60kmがフラットな道というコースだから、かなり厳しい。

(幹事長)「ちょうど今日の脱藩マラソンのフルマラソンを走り終わってから、さらにフラットな道を60km走るようなイメージですね。どう考えても、不可能ですね」

高知の山の中では雨脚はかなり強かったが、高知市内に入ると雨も上がった。7時頃に須崎で高速道路を降りて国道197号線を走る。すると、早くも高知のおんちゃんからメールが入る。「郵便局の前で待ってる」との事だ。どういう事だろう?郵便局って、どこにあったのか覚えてないけど、行けば分かるだろう。8時前に檮原町に到着し、係の人の指示に従って駐車場へ向かう。事前に送られてきた駐車券によると、もっと会場に近い場所に駐車場があったようだが、既に満車らしく、少し離れた場所の駐車場に誘導された。するとおんちゃんから電話がかかってきて、「もっと近い場所に車を停められるから郵便局の前に来てくれ」との事だ。そういう事だったのか。慌てて引き返して郵便局の前まで行くと、おんちゃんが待っていてくれて、すぐ近くの車を停められる場所に案内してくれた。会場のすぐ近くで、とても助かりました。

(幹事長)「よう知ってますねえ」
(おんちゃん)「地元やからね」


おんちゃんは7月の汗見川マラソンのときも、私らのために待機場所のテントで場所取りをしてくれたし、本当にお世話になってます。


〜 会場到着 〜


結局、予定通り3時間で高松から来られた。日帰りにしたけど、何の問題も無かった。

(幹事長)「四国のてっぺん酸欠マラソンみたいなクネクネした坂道じゃなくて道が良かったから楽やったな」
(ピッグ)「3時間運転したのは私やけどな」


フルマラソンのスタートは9時なので、まだ十分に余裕がある。受付でピッグと小松原選手の参加賞も一緒にもらって更衣室に行く。参加賞はTシャツのほか、雲の上のホテルの温泉券と、檮原町内で使える200円の商品券が付いていた。

(ヤイ)「今日は着るもので悩まないんですか?」
(幹事長)「微妙ですねえ。長袖にするか半袖にするか悩んでます」


普通のマラソン大会なら、この季節は着るもので悩む余地は無い。いくら天気が良くても、もうメッシュの袖無しシャツを着るほど暑くはないし、雨が降ったって走っていれば寒くはないから、半袖シャツを着ればいい。しかし、今日のコースは普通ではない。ハーフマラソンは普通のコースだから、小雨交じりだった去年も半袖シャツで寒くはなかった。でもフルマラソンは折り返し点の標高が高く、単純に考えても気温は低いし、おまけに山の上は冷たい雨が降っているかもしれない。それでもガンガン走れるのなら体は熱くなるだろうけど、坂が尋常じゃなく厳しいフルマラソンは終盤にトボトボと歩く可能性が高く、そうなると体が冷えてくる
ここで選択肢は3つある
   @ 半袖シャツ
   A 長袖シャツ
   B 半袖シャツと長袖シャツの重ね着


(ヤイ)「いくらなんでも2枚重ね着は暑いでしょ」
(幹事長)「2枚着ていた方が柔軟な対応ができるんですよ」


どういう事かと言うと、長袖シャツだけだと暑くなったときにどうしようもない。しかし、2枚重ね着していると、暑くなっても最後は半袖シャツ1枚になれる。

(ヤイ)「いや、でも、最初は暑いでしょ」
(幹事長)「そうやろか?」


今時点では全然寒くはない。普通のハーフマラソンなら、何も迷うことなく半袖シャツだろう。でも、この厳しい坂のフルマラソンが恐くて恐くて、どうしても長袖シャツは手放せないので、2枚着ることにした
下に着る長袖シャツは塩見岳登山(「登山部の活動」参照)の時に着た吸湿性と速乾性に優れたインナーウェアだ。登山の時は、これが素晴らしい威力を発揮した。汗は片っ端から吸収され、かつ片っ端から乾いていくので、いっぱい汗はかいているのに全然ベチョベチョせず、いつまで経ってもサラサラだ。汗が片っ端から乾くおかげで全然暑くないし、急に曇ってきても寒くない。もう奇跡と言っても過言ではない快適さだ。これはマラソンでも絶対に威力を発揮すると思って今日、持ってきたのだ。
上に着る半袖シャツは去年の神戸マラソンで貰ったものだ。3年前の大阪マラソンで貰ったシャツほどではないが、これもなかなか格好良いものだ。

(ヤイ)「目標タイムはあるんですか?」
(幹事長)「超厳しいコースなので皆目見当が付きませんねえ」


普通のコースならフルマラソンで5時間をオーバーするなんて恥ずかしい限りなので、取りあえず5時間ってのを目標にしてもいいんだけど、この超厳しい坂のコースを考えると非現実的だ。最近、トレーニングで大麻山に上っている時は、上りは1km8分くらいかかっている。上りだから遅くても仕方ないが、実は帰りの下りもかなり遅い。下りならガンガン速く走れるだろうと思っていたが、上りで足がヘロヘロになった後の下りは、とても遅いのだ。なので下りも1km7分はかかると見ておかなければならない。これで計算するとトータルで5時間15分だ。しかも、終盤には厳しい上り坂があり、小松原選手の話によると「ほとんどのランナーは歩いてますね」との事なので、さらに時間はかかりそうだ。

(幹事長)「て事で、取りあえずの目標というか目安は5時間15分ですね」
(ヤイ)「制限時間は何時間ですか?」
(幹事長)「6時間なので大丈夫です。ま、遅くても5時間30分までには帰ってきますよ」
(支部長)「あんまり遅いと先に帰りますよ」


ハーフマラソンのスタートはフルマラソンより30分遅い9時半だが、私が5時間半もかかっていたら、彼らは2時間も待たないといけなくなる。頑張らなければ。
参考までに、おんちゃんに去年のタイムを聞いてみたら、なんと4時間9分だって!フラットなコースでも絶対に無理なタイムだ。全然、参考にならなかった。

スタートの30分前になったので、最後にゼリーを食べて外に出る。このマラソン大会は定員が1500人だったが、パンフレットを見ると、エントリーしているのはフルマラソンが543人、ハーフマラソンが666人、10kmの部が361人で、フルマラソンよりハーフマラソンの方が多い。しかもフルマラソンは男子が474人で、女子は1割ちょっとの僅か69人だ。ハーフマラソンでは女子が2割以上いるし、10kmの部では4割が女子だ。このマラソン大会のフルマラソンは超厳しいから女子の参加者が少ないのだ。いつも我々が蹴散らされているスーパー女性ランナーのH本さんですらフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ているくらいだから、フルマラソンへの出場は無謀かもしれないが、恐いもの見たさでワクワク感はある。もし、そこそこのタイムで完走できたらH本さんに自慢してやろう。

スタート時間が近づいてきたので、おんちゃんD木谷さんと一緒にスタート地点に集合する。スタート地点は混雑しているので、なんとなく暑くなってくる。でも、走り始めるとマシになるだろう。
最前列には坂本龍馬が2人いる。どちらも龍馬っぽい着物を着て龍馬のお面を被っている。おんちゃんの話によると、大会の関係者とのことで、最前列から後ろを振り返って盛り上げている。他には酸欠マラソンで終盤に追い抜かれたさかなクンがいる。彼は高知の山岳マラソンには必ず出てくるのだろうか。他には赤い衣装の忍者と、チアガールの格好した女性と、魔女の宅急便のキキの格好をした女性(キキよりは少し年上です)がいるくらいで、仮装ランナーは少ない大会だ。この厳しい坂のコースを考えると、なかなか仮装する余裕は無いだろうなあ。

不安を隠しきれないフルマラソン組の2人を挟むハーフマラソン組の2人
(左からヤイさん、幹事長、D木谷さん、支部長)


と、ここでいきなり声を掛けてくる人がいる。

(Tつ井)「幹事長!お久しぶりですっ!」
(幹事長)「う、うわっ、誰かと思ったらTつ井くんやないかっ!君、マラソンなんかやってるの?」


つT井くんは会社の後輩で、彼がマラソンやってるなんて知らなかった。最近は全国津々浦々異常なまでのマラソンブームで猫も杓子もマラソン始めているから、誰がやってても不思議ではないが、遂にTつ井くんごときまでマラソン始めただなんて、世も末だ。

(幹事長)「この大会は出たことあるん?」
(Tつ井)「いや、初めてなんですよ。不安で不安で」
(幹事長)「そらそやろ。わしでも不安や。目標タイムは?」
(つT井)「目標タイムなんて無いですよ。制限時間内に完走できたらいいですよ」
(幹事長)「ま、君のレベルなら、そうやろな。フルマラソンは出たことあるん?」
(Tつ井)「ええ、2月の高知龍馬マラソンにも出ました」
(幹事長)「ふ〜ん。タイムはどうやった」
(つT井)「まあ、かろうじてギリギリで4時間切れましたけど」
(幹事長)「え!?よじかん切った?サブフォー?どっひゃあーーーっ!!」


お見それしました!Tつ井さま、すんませーん!あっという間にハイレベルのランナーになっているようです。すごいなあ。どうやったらそんなに速く走れるんやろ?


〜 スタート 〜


いよいよスタートとなった。参加者が少ないマイナーな大会なのに、スタート地点にもタイムの計測機があって、ネットタイムを計測してくれるようだ。ただし、参加者が少ないので、グロスタイムとネットタイムの差は、せいぜい10秒くらいだ。

最近はフルマラソンに出る場合、前半はできるだけ抑えるようにしている。どんなレースでも最初は軽快に走れて「なんだか今日は調子いいな」なんて勘違いするんだけど、それは気分が高揚しているのと、始めだからまだ元気が有り余っているのと、周囲のランナーにつられているだけだ。そのまま調子に乗って飛ばしたら絶対に後半に撃沈する。なので、できるだけ抑えて走らなければならない。とは言え、抑えると言っても、わざとゆっくり走ることまではしない。決して頑張らず、自然体で走るっていう程度だ。今日も周囲のランナーは気にせず、ごく自然なペースで気持ち良く走るのを心がける。このマラソン大会のフルマラソンに出るランナーはレベルが高いから、気にしないでいこう。

無理せず自然体で走っているのに、早くも暑くなってきた。走る前から暑いかなあと思っていたくらいだから、走り始めると、とたんに暑くなっても不思議ではない。しかし、慌てたりはしない。もう慣れている。去年の徳島マラソン神戸マラソンではスタート地点で長袖シャツを脱いで腰に巻いて走ったが、3年前の大阪マラソン去年の奈良マラソンでは、途中で暑くなったので走りながら下に着ていた長袖を脱いだ。て事で今回も何の抵抗も無く、下に着た長袖シャツを脱ぐことにする。まずは半袖Tシャツと長袖シャツを一緒に脱いで裸になる。それまで暑かったから裸で走ると涼しくて気持ちいいから、しばらくそのまま走り、それから半袖シャツだけを着る。脱いだ長袖シャツは細長くして腰に巻き付ける。そんなに重いものでもないから気にならない。また寒くなったらいつでも着ることができるので安心だ。走りながらの着脱も、慣れてしまえば簡単なのだ。

ハーフマラソンには去年、出ているので、途中まではコースが分かっている。去年は「どんなにすごい坂なんだろう」って恐怖心を抱えながら走ったけど、意外に大したことはなかったので、怖がる事はない。1km地点のラップを見ると6分くらいだった。ちょっと早いかなとも思ったけど、最初の1kmは坂ではないから、抑えて走っても、こんなものか。

最初の1kmを過ぎると、上り坂が始まる。ハーフマラソンなら、これくらいの坂は頑張ってペースを落とさないところだが、今日はそんな頑張りは禁物で、一気にペースを落とす。そしたら2km地点でのラップは一気に1km7分近くかかっていた。「そこまで遅くなったのか!?」って、ちょっと焦ったが、予定では上りのペースは平均で1km8分と設定したのだから、何の問題もない。

次の1kmは、ますます坂が厳しくなる。序盤からこんなにきつい坂って、あったっけ?去年は、ものすごくきつい坂に怯えていたら、そうでもなかったから、「なんだ、大した坂ではないな」っていう印象が強く残ってしまっていた。そのため今年は、ハーフマラソンと同じ10km地点までは大した坂は無いっていうイメージで走り始めたけど、そんなにチョロい坂ではなかった。去年は、最初に思っていたよりは大したことなかったって言うだけであり、結構厳しい坂だった。て事で、ペースはさらにガクンと落ちて、3km地点では一気に1km7分半を超えてしまった。いきなりすごいスローペースだ。ま、でも、しつこいようだけど、予定のペースは上りは1km8分なんだから、問題ではない。

序盤の坂の最高点まで達するとトンネルがある。最初のトンネルは短く、ほぼフラットだ。続く2つ目のトンネルは緩やかな下り坂で、少し長い。トンネルを出ると今度は急な下り坂になる。かなり急だ。小松原選手やおんちゃんは「ここでバカみたいに飛ばすと後から足が動かなくなるから自重しろ」って言ってたので、アドバイス通り抑えながら走る。下りで抑えながら走るとかえって足に負担がかかるような気もするが、普通のマラソン大会の時のように大股でガンガン飛ばすと関節に負担はかかる。下り坂の途中に4km地点があり、この1kmのラップは6分を少し切っていた。普通なら、こんなに急な下り坂なら5分を切るペースになるが、だいぶ抑えられているようだ。

下り坂を下り切ったところに最初の給水所がある。当然まだまだ喉は渇いてないが、今日はゆっくり走っているので、タイムを惜しんでパスすることなく、こまめに給水していく
給水所を過ぎると再び上り坂になる。意外にきつい上り坂だったが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。5km地点で見たラップは1km6分ちょっとだ。まあ、こんなもんで落ち着ければ良いな。

ここからは、かなり緩やかな上り坂となる。時々、少しだけ急な坂もあるが、ほとんどフラットに近いくらいの上り坂だ。そして、ここから距離表示が2.5kmごとになる。なんで1kmごとに表示してくれないのか不満だ。ラップを2.5で割らなければいけないじゃないか。(もちろん走りながらそんな面倒くさい暗算はできないので、よい子のみんなは2.5で割るんじゃなくて4倍して10で割ろう!)
て事で7.5km地点でのラップは1km7分近かった。ほとんどフラットに近い上り坂だと思っている割にはペースは確実に落ちている。でも、無理は禁物なので、ペースは落ちるままに自然体で走る。7.5km地点の手前には2つ目の給水所があり、コーラがあったので、美味しくいただく。スポーツドリンクよりはコーラの方がカロリー補給になって嬉しい。

さらに2.5km走るとハーフマラソンのコースとの分岐に差し掛かる。ハーフマラソンのコースは右の集落に入っていくが、フルマラソンのコースはそのまま真っ直ぐ続く。この区間は、ほぼフラットだったため、ペースは1km6分半くらいになっていた。よしよし、順調だ。
この10km地点には3つ目の給水所があり、ここでも水分を補給する。

いよいよ、ここから坂がきつくなる。あくまでも徐々にだが、確実にきつくなっていく。決して無理はせずに淡々と走る。ペースが落ちているのは自分でも分かるくらいだ。12.5km地点でのラップは再び7分をオーバーしていた。でも、予定の1km8分までは、まだまだ余裕がある。
ここには4つ目の給水所があった。なんだか、やたら給水所がある。さすがに、さっき飲んだばかりだったので、ここはパスした。

坂はますますきつくなっていき15km地点でのラップは遂に1km8分ちかくにまで落ちていた。なんとなくガッカリ感はあるが、でも前半の平均で1km8分てのが予定なので、まだまだ貯金はあるし、無理は禁物だ。
標高が高くなるにつれ、少し肌寒くなってきたので、腰に巻いた長袖シャツを再び着ようかどうしようか迷う。このままの肌寒さが続くんなら早めに着たいが、また暑くなる可能性もあるので、もうしばらく様子を見る。そのうち坂がきつくなると、また少し暑くなったりして、なかなか安定しない。

しばらく進むと5つ目の給水所があり、ここではしっかり水分補給する。17.5km地点でのラップは、さらに少しペースダウンしていたが、まだ1km8分にまではなっていない。これなら、残りはどんなにペースダウンしても上りの平均で1km8分は軽くクリアできそうだ
そこからしばらく進むと、なんと早くもトップの人が折り返してきた。速いっ!2位の人はなかなか現れなかったから、ダントツの1位のようだ。

折り返してくる人はガンガン走ってきたが、こっちは上り坂で、坂はどんどん厳しくなっていく早くも歩いている人が結構いる。自分は走ってるんだけど、歩いている人と、ほとんどスピードが変わらないように見える。ただ、一生懸命歩けば走るのとそんなに変わらないかもしれないけど、一生懸命歩くのも結構大変で、どっちが楽か微妙なところだ。なーんて思っていたら、本当に歩いている人に抜かれた。すごく歩くのが速い。しっかりした足取りだ。さすがに悔しいので抜き返そうかとも思ったけど、無理は禁物なので自重した。それにしても歩いている人に抜かれるなんて、よっぽど遅いんだなあ、って思って自分の足を見ると、客観的に見ると歩いているとしか見えなかった。両方の足が同時に宙に浮いている瞬間は無いから、競歩のルールで言えば、完全に競歩だ。それでも気持ちは走っているつもり。
坂がきつくなるとペースが落ちて再び肌寒くなるが、力は入っているので汗はかく。寒いような寒くないような中途半端な状態で、なかなか長袖シャツを着る踏ん切りがつかない

少し前方に、魔女の宅急便のキキの格好をした女性(キキよりはやや年上)がチラチラ見える。なんだかヨタヨタ走っていて頼りなさそうなんだけど、それでもなかなか追いつけない。こっちもヨタヨタ走っているんだろうなあ。そのうちやっと追いついたが、気を許すと、すぐに抜き返されてしまう。その後しばらく、彼女とは抜きつ抜かれつの静かな戦いを続ける。

上り坂がとってもきつくなってきて辛くなってきたので、気を紛らわすためにすれ違う人の数を数えていく。そしたら97番目におんちゃんが登場した。さすがに速いなあ。すれ違いながらチョコレートをくれた。嬉しい!
次に198番目にTつ井くんとすれ違う。やっぱり彼も速い!さらに223番目にD木谷さんとすれ違う。みんな順調だ。フルマラソンのエントリーは543人で、ピッグのような欠場者もいるだろうから、参加者500人と見れば250人で半分か。ん?て事は実力者のD木谷さんでも半分より少し前ってところか。う〜ん、レベル高いなあ。

坂はますますトンでもなくきつくなっていき、トンでもなくペースは落ちていく。折り返し点の500mほど手前からは舗装した車道から岩が転がる山道に入るってことだったけど、今年は山道が崩れているとのことで、そのまま舗装路を進む。山道の方がアップダウンが激しそうだったので、良かったかもしれないが、せっかくなら龍馬が脱藩した山道を行きたかった。

もうすぐ折り返し点が来るという辺りで、阿南のY浅さんがすれ違いざまに声を掛けてくれた。さすがは実力者。私より早かったか。
その直後に遂に折り返し点が現れる。折り返し点は高知県から愛媛県に一歩入ったところだ。つまり、脱藩するってことだ。折り返し点に達すると、スタッフのみなさんが「脱藩おめでとう!」って叫んでくれたので、一緒になって「脱藩したぞーっ!ばんざーい!」って叫んで折り返した。すぐ引き返すんだから脱藩は完遂してはいないんだけど。

ここには6つ目の給水所もあり、チョコレートもいっぱいあった。おんちゃんはここでチョコレートを仕入れていたのか。
ここには距離表示もあり、見ると20km地点って書いてる。ん?折り返し点なら42kmの半分の21km地点だと思うんだけど、20km地点なのか。じゃ、このまま折り返したら2km足りないじゃん、って釈然としないまま走る。
タイムはスタートからちょうど2時間半くらいだ。20kmで2時間半なら1km7分半のペースだ。当初の予定である1km8分より早い。ちょっと貯金ができている。上りで2時間半なら、下りはずっと早いはずだから、足りない2kmを走っても、5時間を切れるんじゃないか?残り22kmを1km7分弱で走れば5時間は切れる。このコースを5時間で走れれば、快走と言ってもいいんじゃないか。なーんて皮算用してほくそ笑む。

さっきまでの厳しい上り坂が、今度は激しい下り坂となる。一気に転げ落ちたいところだが、坂が急すぎて、ここをガンガン走ると足に大きな負担になりそうなので、あんまり調子に乗らずに抑えながら走る。せっかくの下りを抑えながら走るのは、なんとなくもったいないんだけど、終盤に足が動かなくなると困るので、我慢する。そのため、22.5km地点でのラップは7分は切ったけど、ちょっと遅かった。
折り返して下りながら後続のランナーを確認すると、少し後ろから、魔女の宅急便のキキの格好をした女性(キキよりはだいぶ年上)がヨタヨタ走ってくる。同じヨタヨタ仲間だけど、少しだけリードできている。さらにスタート地点で最前列にいた2人の龍馬も少し後から来ていた。さらに魚くんも来ていた。
後続のランナーの数も数えていくと、前にいたランナーの1/3くらいしかいなかった。つまり私は前から3/4くらいの位置だ。最近のマラソン大会としてはトンでもなく後方にいる。かつての塩江マラソンのようだ。やっぱりレベル高いなあ。

前半は曇り空で肌寒かったりしてたのが、だんだん天気が良くなり、日差しが出てきた。こうなると暖かいどころか、一気に暑くなってきた。もう長袖シャツを着る必要は無さそうだ。
その後は坂の勾配が少し緩やかになったため、もう抑える必要もなくなり、自然に下っていくと、少しペースアップして25km地点で見たラップは1km6分半くらいになっていた。このままのペースで最後まで走れば5時間は切れる。

なーんて調子に乗って皮算用していたら、25km地点を過ぎた辺りから、いきなり足が痛くなり始めた。以前はフルマラソンを走ると、30km辺りから足が痛くなり始め、いつも苦しんでいた。屈伸したりマッサージしても治らず、歩いたり休んだりしながらトボトボとゴールすることが多かった。ところが3年前の大阪マラソンでは、観光の物見遊山マラソンに徹して最初から超スローペースで走ったおかげで、タイムはパッとしない平凡なものだったが、最後まで足が痛くならなかった。フルマラソンで最後まで足が痛くならなかったのは初めてだったので、それ以降、フルマラソンの場合は最初からペースを抑えて走るようにしており、そのおかげで、タイムはパッとしないものの、最後まで足が痛くならず、歩くことも無くなったのだ。タイムは悪くても、最後まで足が痛くならないのは嬉しいし、また出ようって思うようになる。今年の徳島マラソンは空前絶後の絶不調で惨憺たる結果に終わったが、それでも足は最後まで痛くならず歩きもしなかった。
それなのに今日は序盤から抑えて走ったにもかかわらず昔のように足が痛くなってきたのだ。しかも、まだ25kmしか走ってないのに。これは序盤から抑えたとは言え、上り坂だから負荷が大きかったのだろう。上り坂だから、いくら抑えて走っても足の疲労は蓄積していったのだろう。
て事で、下り坂なのに痛くて足が前に出ない。いや、下り坂のおかげで少しは前に出るんだけど、歩幅がすごく狭いし、ピッチも遅い。27.5km地点でのラップは1km8分近くに落ちた。さらに、その後も足はどんどん痛くなり、遂には歩きが入り始めた。痛くて我慢できないのだ。歩けば痛みが多少は和らぐ。しかし、少しマシになったと思って走り始めると、すぐまた痛くなる。走り続ける事ができない。そんな事をしてたら、30km地点でのラップは1km8分を超えてしまった。

そして、ここで追い打ちをかけたのが行方不明だった2kmだ。なんと、30km地点から、ハーフマラソンのコースと同じように、本道をはずれて集落に入ってぐるっと2km分を一周してくるのだ。そして、この2kmの周回コースはいきなり厳しい上り坂から始まるのだ。そう言えば去年ハーフマラソンに出たとき、この区間は上り坂から始まった。ハーフマラソンなら10km地点なので、まだまだ元気だからどうって事ない上り坂だったけど、足が痛くて歩いている状態では、もう走って上ることなんて不可能だ。そこまでも歩いたり走ったりの繰り返しだったけど、ここに入ったらベタ歩き状態だ。他にも歩いている人はたくさんいるが、同じ歩くにしても、私の歩くペースはとても遅い。しかも、歩いていても足がどんどん痛くなって時々休まざるを得ない。当然ながら、どんどん後続ランナーに追い越されていく。しかし、もうそんな事はどうでもいい。なんとかゴールできるのかどうかが不安だ。
足の痛みもピークに達し、本格的に休むことにした。地べたに寝っ転がって足をガードレースの上に乗せて足から血を降ろすのだ。こうするとスウッと足が楽になる。こんな事を、その辺でやってたら、倒れたのかと思われて係員が飛んでくるので、わざと係員がいる場所で「心配しないでくださいね。大丈夫ですから」と断って寝転がる。それでも係員は心配そうに「大丈夫ですか?」って聞いてくるから、わざと笑顔で「大丈夫だいじょうぶ」って答える。天気が良くなったので、日向で寝転がると気持ち良く、そのまま眠ってしまいたい気分。そうやって数分休むとだいぶ楽になり、普段なら一気に痛みが回復するんだけど、今日はダメージが大きいらしく、走り始めると、てきめんに痛みが蘇る

そんな事を繰り返しているうちに、折り返し点では後方を走っていた魔女の宅急便のキキの格好をした女性(キキよりはすごく年上)や2人の龍馬や魚くんらにも追い越された。
うんざりする2kmを終え、ようやく本道に戻ったが、痛みは無くならない。走れなくても、なんとか歩いていれば、少しずつでもゴールは近づいてくるが、もう足が痛くて痛くて歩くことすらできなくなり、道端に寝転がり足を上げて痛みを取る、ってのを繰り返す。こうすると気持ち良いくらい痛みが引いていくんだけど、しばらく休んで再び歩き始めると、またすぐに痛くなる。とても走るどころではなく、歩いたり休んだりの繰り返しだ。しかも、だんだん休む時間が長くなる。
前半の貯金なんか一気に使い果たし、5時間どころか制限時間の6時間で帰ることだけが目標となる。て言うか、本音は、もうリタイアしたいところだ。もし、かつての塩江マラソンのように、すぐ後ろに消防車か救急車が来て声を掛けてくれたら、すぐに乗り込んでしまうと思うが、こういうマイナーなマラソン大会の場合、好きな場所でリタイアできるわけではない。係員がいて回収車が来るところでリタイアしないと自力で帰らなくてはならない。つまり、リタイアにならない。仮に係員がいるところでリタイアしても回収車が車で長時間待たされる事も多く、その間に身体が冷えてしまう。なんとか足を騙しながら自力で帰った方がマシって事が多い。

35km地点を過ぎると、ますます足の痛みは激しくなり、もう歩くのも無理って感じ。どうしようもないので、道端に寝っ転がって、ずうっと休み続ける。なんとか帰りたいが、歩けないので帰れない状態。それでも、しばらく休むとなんとか歩けるようになり、再び歩く。天気が良くて暑いくらいなのが救いだ。もし走っていれば暑いだろうけど、トボトボ歩いている分には寒いより暑いくらいの方がマシだ。
この辺りまで来ると、周辺に少しは民家があり、ときどき沿道にも応援してくれる人がいる。たいていは高齢のおばあちゃんだ。おばあちゃんが沿道で「頑張って」なんて応援してくれているのに、トボトボと歩き続ける訳にはいかないから、その前では少しは走る。おばあちゃんがいるから少しだけ走れるのであり、こういう時、声援はありがたいなあと感じる

この辺りの坂は非常に緩やかで、上りの時もとても緩やかな上り坂だったけど、こうやって下っていると、むしろ上っているのではないかとすら思えてくる。声援のある所だけは少し走りながら、基本はトボトボと歩いていると、いよいよ残り5km地点の表示が出てきた。そしたら、なぜか急に足の痛みが和らぎ、走れるようになった。精神的なものなのかもしれないが、精神的なもので足の痛みが和らぐとも思えない。なぜか不思議だが、とにかくなんとか走れるようになった。このまま走り続けられれば、制限時間内にはゴールできそうだ。

なーんて思ったとたん、めちゃめちゃ急な上り坂となった。序盤で転がるように下った急な坂だ。小松原選手が「みんな歩きますよ」と言ってた坂だ。普通の人でも歩くのに、さっきまで下り坂をタラタラ歩いていた私が登れる訳がない。何も考えずに素直に歩く。前も見ても後ろを見ても走っているランナーはいない。
と思ったら、後ろから女性ランナーが走って追いついてきた。そして、この坂を見たとたん「ひゃあ、この坂、こんなに長いの!?」って叫ぶ。なので「私は歩きますよ」って言ったんだけど、彼女は歩こうとはせず走り続ける。ただし、走っていても歩いている私とそんなにスピードは変わらないので、しばらく会話する。

(女性)「去年初めて出たんですけど、せめて去年のタイムよりは早くゴールしたいと思って」
(幹事長)「私は去年はハーフマラソンに出て、なんだか物足りなかったから今年はフルマラソンにしたんだけど、甘かったですねえ」
(女性)「ここのコースは、フルマラソンはハーフマラソンの2倍じゃなくて3〜4倍はきついですよ」


などと言いつつ、彼女は先に行ってしまった。足の痛みは無くなっていたので、一緒に走ろうと思えば走れたけど、このまま歩いても制限時間には帰れそうなので、無理して走って辛い目をする必要も無いと思って歩き続ける。
長い長い厳しい坂を上ると、トンネルに入る。このトンネルは傾斜は緩いとは言え、まだ上り坂なので、しつこく歩き続ける。次の小さなトンネルに入ると坂も終わり、ほぼフラットになったので走る。もう残り3kmだ。
さっきまで痛い足を引きずってトボトボ歩いていたのが嘘のように軽快に走る事ができるのが不思議だが、あっという間にさっきの女性に追いついたので、ペースを合わせて再び会話する。

(幹事長)「このコースに備えて山に走って上るトレーニングをしてきたんで、前半の上りは快調に走れたんだけど、帰りの下りで足が痛くなって、ずっと歩き通しでしたよ」
(女性)「私も山のトレーニングは積んだんですけど、やっぱり長い距離を走っとかないとフルマラソンは無理ですね」


彼女も私と同じようなトレーニングをして、前半の上りは攻略できたけど、楽勝だと思った後半の下りでやられたらしい。

(幹事長)「山って、どこの山に上ってトレーニングしてたんですか?」
(女性)「実はわたし、山岳ガイドなんですよ」
(幹事長)「え!?さんがくがいど!?」


なんか話が予想外の方に展開する。

(幹事長)「どこのエリアの山ですか?」
(女性)「富士山です」
(幹事長)「え!?ふ、ふじさん!??」


どひゃーっ!なんと彼女は富士山の登山ガイドをやっているとのこと。彼女の話によれば、毎日午後、富士山の五合目から団体客を連れて登り、八合目の小屋に宿泊させ、翌朝、まだ暗い内に出発して、頂上で日の出を拝み、そのままお昼前に下山するそうだ。そして、その日の午後には、また別の団体客を連れて登る、というのを毎日繰り返すんだそうだ。つまり、彼女は毎日富士山を1往復しているのだ。五合目からなら富士山を日帰り登山するのは難しい事ではないが、それを毎日しているってのは驚異だ。驚愕だ。週末に標高600mちょっとの大麻山に上っているのとは訳が違う。偉そうに話を切り出したのが恥ずかしい。

(幹事長)「すごいですねえ!そんなに山に登ってても、このコースは厳しいんですか?」
(女性)「毎日登ってても、スピードはすごく遅いですから」


素人の団体客を連れて登っているので、とってもゆっくりゆっくり登るんだそうだ。なので、いくらでも登れるんだろうけど、スピードは遅いようだ。こんなにいっぱい歩いて時間を浪費している私に終盤でようやく追いつくくらいだから、よっぽど遅いんだけど、最後の急坂を歩こうともせずに淡々と上ってきたところを見ると、持久力はいくらでもありそうだ。ウルトラマラソン向きかもしれない。
最後の2kmちょっとは、結構な下り坂だし、足も痛くないし、おまけに二人で会話しながら楽しかったので、軽快に走れる。最後の5kmは1kmごとに距離表示があるが、1km6分程度で走れている。レース前には後半の下りは全部これくらいで走る予定だったのだが、最後の最後でペースアップできた。もうちょっと早めにこういう展開になりたかった。


〜 ゴール 〜


最後のコーナーを曲がると、ゴールは目前だ。去年の記憶では、最後の最後でゴール前に急な上り坂があって愕然としたが、今年見ると、とても短い坂だった。最後は彼女と楽しく一緒にゴールした。タイムは去年の彼女のタイムよりは早かったけど、私としては空前絶後のダントツの遅さで、あまりの遅さに清々しく感じるほどだ。

最後は楽しく笑顔でゴール

後半は痛い足を引きずりながらトボトボ歩いてくらいなのに、その後なぜか復活してしまい、ゴールしても余力が残っている。こうなると、なんとなく不完全燃焼気味だ。こんなに余力が残っているのなら、なんとか途中でもっと頑張りたかったところだが、足が痛くて走れなかったのだから仕方ないかなあ。

普通のマラソン大会なら、走っている途中は、特に終盤になると「早く終わりたいなあ。なんでこんな辛い思いをしてるんだろう。途中でリタイアしたいなあ。もうこんなマラソン大会には出たくないなあ」なんて思うけど、ゴールしたとたん、「よし、来年もまた出よう」なんて思う。タイムが良かった時は当然ながら気持ち良いから再び出たくなるし、タイムが悪かった時はリベンジしたくて再び出たくなる。ところが、今日はあまりに厳しかったから、ゴールしても、もう懲り懲りって気持ちだ。山に上って上り坂のトレーニングだけ積めば何とかなると思っていたけど、本当に甘かった。あれだけH本さんに「脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」って忠告されていたのに、やはり心のどこかで舐めていたんだろう。来年は再びハーフマラソンの部に戻ろうと思う

ゴールすると、待ちくたびれたヤイさんと支部長が出迎えてくれた。

(支部長)「おんちゃんが大変な事になっとるで」

おんちゃんは5時間は切ったんだけど、脱水症状でフラフラになってゴールし、そのまま救護テントで横になったままだ。私が行った時には、なんとか復活していたけど、足の筋肉が固まって動かなくなってしまったそうだ。おんちゃんほどの実力者でも、そういう事があるんだなあ。

支部長は、去年より大幅にタイムが良かったらしいが、レース展開は私と似ていたらしい。前半は妙に調子良くて、折り返し点でのタイムも良くて、後半は下り坂だから絶対に2時間を切れると思ったんだけど、その後、下り坂にもかかわらずどんどんペースが落ちて、終盤の上り坂では歩いて、結局2時間は切れなかった。フルマラソンとハーフマラソンの違いはあるけど、前半は良いペースで順調に走ったものの、実は足に大きな負担になっていて、後半は下り坂なのに足が止まってしまうという、同じパターンだった訳だ。でも、空前絶後の討ち死にをした私と違って、去年よりタイムが良かったんだから、満足だわな。

ヤイさんは、今回も肉離れ気味になって足が痛くて走れなくなったそうで、3時間という制限時間内で帰ってくることだけ考えて、なんとか帰還したらしい。

(ヤイ)「こないだの酸欠マラソンと同じパターンでしたね」
(幹事長)「いかんですねえ。もうすっかり肉離れが恒常的になってますねえ」

それでも酸欠マラソンよりはタイムはマシだったそうだ。

記録証をもらうと、順位はエントリーした男子全体の3/4くらいだ。欠場した人がいる事を考えると、実際にはさらに下位だ。かつては後ろから数えた方が早かった我々だが、最近はどんなマラソン大会でも上位2〜3割には入る事が多くなった。決して我々が早くなったのではなくて、空前のマラソンブームのせいで、ロクに走ったこともないような初心者が大挙して出場するようになったから相対的に順位が上がっただけだ。でも、こういう実力者しか出ない厳しいマラソン大会になると、昔のように下位になってしまう。懐かしいような情けないような。
記録証には丁寧に「脱藩記録」として中間地点で計測したタイムが記載されており、2時間30分くらいだ。せめて下りも上りと同じペースで走ったら5時間で帰ってこられたのに。なんか悔しいなあ。やっぱりトレーニング不足なんだろうなあ。山に上って「上りの練習さえ積めば、残りは下りだから何とかなる」と思ったのは甘かったなあ。

その後、お弁当と一緒に豚汁ももらう。疲れた身体には暖かいお汁が美味しい。豚汁を食べていると、終盤を一緒に走った山岳ガイドの女性や阿南のY浅さんがやってきてくれた。小さな大会だから、すぐ顔が分かって嬉しい。Y浅さんは5時間ちょっとでゴールしたというから、後半も前半と同じペースをキープしたって事だ。まさに理想的な走りだなあ。羨ましいなあ。
豚汁だけ食べて、お弁当は後回しにして、タダ券をもらっている雲の上のホテルの温泉へ行く。去年はすごく混雑していたが、今年は私が遅かったもんだから、去年よりはマシだった。心ゆくまで露天風呂に浮かぶが、あれだけレース中は痛かった足が、レース後はあんまり痛くない。どうなってるんやろなあ。
お風呂から出たら、休憩室でようやくお弁当を頂く。さらに、200円の商品券にお金を少し追加してピッグと小松原選手のお土産を買う

帰りも車は順調に進んだが、それでも高松に帰ると真っ暗になっていた。

(支部長)「ゴールして、だいぶ時間が経ったけど、まだ気持ちは変わらん?」
(幹事長)「変わりません!来年はハーフマラソンに戻します!」


これを書いているのはレースの1週間後だが、まだ今でもフルマラソンに再チャレンジしたいという気持ちは起こらない。でも、もし来年こそはピッグがフルマラソンに出るのなら、一緒に出てもいいかなあ、なんていう気持ちが少しだけ沸いてきたかな。


〜おしまい〜




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