第16回 四国のてっぺん酸欠マラソン大会
2016年9月11日(日)、快晴の高知県伊野町で第16回四国のてっぺん酸欠マラソン大会が開催された。
去年、初参加しようと思って、やる気満々で現地まで行ったのに、スタート直前になって風雨のため急遽中止になった大会だ。風雨と言っても、4年前の徳島マラソンのような台風みたいな暴風雨ではないが、ガスで真っ白になり視界が悪くて危険だったので、仕方なかったかも知れないが、中止にするのなら、もっと早めに決断して欲しかった。せめて山に上る登り口で中止を伝えて欲しかった。て事で、印象の悪い大会ではあるが、逆に非常に欲求不満が残ったので、ぜひ今年は参加して走らねばとの思いが強くなり、懲りずに申し込んでいたものだ。
〜 エントリー 〜
去年の夏は、7月下旬の汗見川マラソン、9月の酸欠マラソン、10月上旬の龍馬脱藩マラソンと、山岳マラソン3連戦という厳しい日程にしたが、酸欠マラソンが中止になったため、少し肩すかし状態となった。今年はさらに、6月上旬に北山林道駆け足大会に初出場し、7月下旬の汗見川マラソン、9月の酸欠マラソン、10月上旬の龍馬脱藩マラソンと山岳マラソン4連戦という超厳しいスケジュールを組んだ。しかも龍馬脱藩マラソンは難攻不落と言われるフルマラソンの部に出る。
(支部長)「自転車もそうやけど、幹事長は坂が好きやからええけど、それに付き合わされる私らは、ええ迷惑やなあ」
(幹事長)「支部長やってレフコ・トライアスロンの成果が出て、山岳マラソンも不得意ではなくなってるやんか」
3年前に始めた自転車は、最初はフラットな道を走るのが気持ち良かったけど、だんだん飽きてきて、今では坂道でないと面白くないなんて感じているが、最近はマラソンでもアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた。特に、6月に出た北山林道駆け足大会は、最大勾配19%なんていうトンでもない急坂の駆けめぐるレースだったが、距離が12.8kmと短い事もあって、とっても楽しくて、ますます山岳マラソンが楽しくなってきた。
そもそも我々は昔から山岳マラソンに積極的に参加してきた。古くは19年前から参加していた塩江温泉アドベンチャーマラソンだ。これは前半は延々と12kmも急坂を登り続け、後半は9kmも急坂を下り続けるという尋常ではないコース設定のマラソンだったが、多くのメンバーが毎年参加していた。11年前に塩江町が高松市に吸収合併されて、塩江山岳マラソンが廃止されてしまったのはとても残念だ。
ほかにも、塩江マラソンと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会である四国カルストマラソンというのもあった。開催時期が酷暑の7月で、炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだった。標高1500m前後の高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いのだが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような灼熱地獄のレースになる。もちろん、日射しがきついだけでなく、アップダウンも凄まじい厳しいレースだったが、マラソン大会がほとんど無い夏場の貴重なレースということで、時々参加していた。この四国カルストマラソンも廃止されてしまったで、とても残念なんだけど、こちらは後継大会として龍馬脱藩マラソンができた。
てな訳で、もともと山岳マラソンは嫌いではなかったのだが、この酸欠マラソンはペンギンズとしては参加したことはなかった。参加しようと思ったのは、一昨年が最初だ。汗見川マラソンの申込みに油断して失敗してしまい、その代わりになる夏場のマラソン大会を探していた見つかったのだ。ただ、その時は、酸欠マラソンも油断して申し込みし損ねたので、参加できなかった。汗見川マラソンと言い酸欠マラソンと言い、クソ暑い夏場の山岳マラソンという超厳しいマイナーなレースなのに、申し込み受付開始と同時に、あっという間に即日完売するなんて、信じられない。
(ピッグ)「どちらも定員が少ないってのも要因でしょうね」
汗見川マラソンは定員が1000人と少ないため、あっという間に定員が埋まってしまうけど、酸欠マラソンはさらに少なく、ハーフマラソンの部と10kmの部を合わせて400人だ。もっと増やせばいいと思うんだけど、会場の広さとか駐車場の容量とか考えると、それが限界なのだろう。
なので、去年からは新年早々、年間スケジュール表を作成して、常にそれを確認して申し込みを忘れないようにしたおかげで、汗見川マラソンも酸欠マラソンも龍馬脱藩マラソンもエントリーに成功した。もちろん、今年も全て忘れずにエントリーすることができた。
(ピッグ)「とは言いながら、こんぴら石段マラソンのエントリーには失敗しちゃいましたけどね」
(幹事長)「あそこまでマイナーな草レースまで僅か1日で受付終了になっちゃうなんて、ほんと予想できなかったなあ」
酸欠マラソンのエントリー開始は日曜日の夜中の12時だ。若い人なら夜中の12時なんて、ほんの宵の口だろうが、高齢化が進んできた我々は、早起きは苦にならなくなってきたが、夜中の12時まで起きてるのは容易ではない。なんで、そんな時間にエントリー開始するのか理解に苦しむが、文句を言っても仕方ない。絶対に忘れずに起きておくよう、あちこちに注意喚起のメモ書きをペタペタ貼って、なんとか申し込むことができた。
エントリーしたのは私のほか、支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、D木谷さんだ。
〜 厳しいコース 〜
四国のてっぺん酸欠マラソンが開催されるのは高知県伊野町だが、伊野町と言っても、元々の伊野町のイメージではない。元々の伊野町は、高知市のすぐ西側にある和紙の産地で、山深い町ではない。一方、酸欠マラソンが開催されるのは、合併で伊野町に吸収される前は本川村だったところだ。しかも本川村の中でも北の端で、私らのイメージでは高知県と言うより愛媛県だ。なぜなら、コースは瓶ヶ森林道だからだ。瓶ヶ森林道は、ほぼ高知県と愛媛県の県境に沿って走る道で、大半は高知県側を走るが、この道を通るのは石鎚山を始め、石鎚山系の山々へ登山に行く時だからだ。2年前にも瓶ヶ森や東黒森に登った時に瓶ヶ森林道を通った。よくよく地図を見ると、瓶ヶ森にしても黒森にしても伊予富士にしても、さらには寒風山や笹ヶ峰も含め、この辺りの山は県境にあり、愛媛県の山とも高知県の山とも言えるのだけど、愛媛県側から登るのが一般的なので、なんとなく愛媛県の山というイメージであり、瓶ヶ森林道も愛媛県のイメージだった。
そして、この酸欠マラソンはコースを見る限り、かつて存在した四国カルストマラソンに似ているような気がする。四国カルストマラソンは、酸欠マラソンのコースより数十km南西にある四国カルスト高原を走るもので、酸欠マラソンと同じように愛媛県と高知県の県境の道がコースだった。どちらも県境の尾根の上の道を走るから、見晴らしが良くて気持ち良い。少なくとも車で走ると、それほどアップダウンがあるような感じはなく、快適な尾根の道だ。だが、しかし、それは車で走ってるから勘違いしているだけであり、自分の足で走ると、かなり強烈にアップダウンがある。
四国カルストマラソンの坂も強烈だったが、酸欠マラソンもスタート地点から最高地点までの高低差が285mもある。しかもコース図を見ると、スタート直後は3kmちょっとの間で250mも登ることになってて、勾配は8%もある。8%もの勾配を3kmも登るなんて、これは強烈以外の何物でもない。四国カルストマラソンも一番きついところは同じ程度の勾配だったような気がするが、3kmもは続かなかったような気がする。て事は、似たようなコースだけど、酸欠マラソンのコースは四国カルストマラソンより、さらに厳しいような気もする。
最高地点はスタート地点から4kmほど走った瓶ヶ森登山口で、そこを超えると緩やかな下りが6.5km続いて折り返し点に至る。折り返した後は、当たり前だが、6.5kmの緩やかな坂を登り、最後に4kmの急坂を下ってゴールとなる。終盤の4kmが下りになるのは嬉しいような気がするが、レース終盤で足がヘタってきた頃の急な下り坂は決して楽なものではない。つまり、最初から最後まで厳しいコースのようだ。
ただ、四国カルストマラソンが酷暑の7月に炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだったのに比べ、酸欠マラソンは開催時期が9月なので、暑さが少しはマシかもしれない。
(ピッグ)「そうですかあ?9月もまだまだ暑いですよ」
(幹事長)「そやなあ。天候次第やなあ」
ただ、四国カルストマラソンのコースが標高1100〜1300m前後だったのに対し、酸欠マラソンのコースは1400〜1700m前後で、四国の道路としては最も標高が高いから、少しは涼しいかもしれない。
(ピッグ)「そうですかあ?ほとんど同じでしょう?」
(幹事長)「そやなあ。天候次第やなあ」
標高が100m違えば気温は0.6℃違うから、標高差300mとして気温は2℃しか違わない。酸欠マラソンも四国カルストマラソンと同じように、高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような猛暑になると思われる。なので、曇っていれば良いけど、天気が良いと灼熱地獄のレースになると予想される。
でも景色は晴れている方が良い。当たり前だが、2年前、瓶ヶ森に登った時に見た景色は抜群の絶景だった。過去10回のうち晴れたのが1回きりというくらい天候に恵まれない大会なのに、もう16回も続いているってのは、天候が良い時は景色が抜群だからというのもあるだろう。
(ピッグ)「むしろ、標高が高いから酸素が薄いんじゃないですか?大会の名前も“酸欠”だし」
(幹事長)「そうかもしれない」
ペンギンズ登山部のリーダーである私からすれば、四国の山の高さで酸欠になる心配は無いが、それは普通に登山している場合であって、ランニングとなれば酸素の薄さは悪影響があるかもしれない。どっちにしても厳しいコースであることに間違いはないだろう。
〜 ドタキャン 〜
今年の夏は記録的な猛暑となり、まだまだ暑い日が続いていたが、四国カルストマラソンや汗見川マラソンなど高原で行われる炎天下の山岳マラソンには慣れているので、暑いのは覚悟の上だ。むしろ不安なのは去年のような風雨だ。去年は風雨で中止になったが、その前年も決行されたものの天気は悪かったらしい。そのさらに前年は、やはり風雨で中止になったとのことだ。この大会に毎年のように来ているおんちゃんの話によれば、「過去10回のうち、大会中止が何回かあり、それ以外もたいていは悪天候で、天気が良かったのは1度っきりだった」とのことだ。四国山地で最も標高が高く、日本海側から瀬戸内海を越えて太平洋側まで風が通り抜けていくような地域なので、下界は天気が良くても、山の上は天気が荒れやすいのだ。
雨のマラソン大会そのものは決して嫌いではない。6年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走できたため、雨に対する抵抗感は払拭されたのだ。真夏の汗見川マラソンだって、3年前は直前に雨が降って気温が下がったため快走できた。なので、もう雨は恐れていないのだが、雨で中止になるのは困る。
以前は、どんな暴風雨でも、風雨のせいでマラソン大会が中止になるなんて事はないと思っていた。4年前の第5回とくしまマラソンとか3年前の第4回サンポート高松トライアスロンでも分かるように、とんでもない暴風雨の中でも、悪天候のため中止するなんていう発想はマラソン関係者の辞書には載っていなかった。ところが、一昨年の龍馬脱藩マラソンは、台風が来る恐れが強くなったとのことで、大会の3日前の夜、中止の連絡が入った。3日も前なんて、まだ台風が来るかどうか分からないと思うんだけど、台風銀座の高知の山奥のマラソン大会なので、直撃されたらものすごい事になるのかもしれないので、大会事務局は慎重になったのだろう。それに、去年の酸欠マラソンのように、スタート直前になって中止になるよりは、3日前に中止になった方が良い。少なくとも、山に上る前に中止を決めて欲しかった。麓からクネクネの狭い山道を苦労して1時間もかけて登ってきたのにスタート直前で中止になるなんて、本当に憤った。
てな声が多かったのだろう。今年は「中止にするかどうか前日に決定します」という事になった。前日に問い合わせたら中止かどうか教えてくれるらしい。でも、仮に前日の段階では決行という判断になったとしても、当日、トンでもなく天候が悪化したら直前でも中止にするだろうから、それほど改善された訳ではない。
て事で、少なくとも高知のマラソン大会に限っては、暴風雨の影響で中止になることもあり得ると用心している。
でも、前日の段階では、中止なんて事にはなりそうになかった。今年の日本列島は猛暑が続いていたが、来週から秋雨前線の影響で、ずうっと雨模様との天気予報だ。大会当日の日曜日は、その境目で、下り坂には入るが、雨が降るとしても午後からとの予報なので、レースが行われる午前中はギリギリでセーフかもしれない。ただし、それは下界の話であって、山の上は午前中から天気が悪いかも知れない。そうなったら、また中止も覚悟せねばならない。
などと思っていたら、レースの前日になって國宗選手から連絡が入る。レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。今年の汗見川マラソンも去年の小豆島オリーブマラソンも酸欠マラソンもそうだったし、徳島マラソンに至っては3年連続でドタキャンした。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明日の酸欠マラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、急に出られなくなりまして・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、理由は聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?」
事実、彼は大変忙しいらしく、前日の土曜日も当日の日曜日も休日出勤せざるを得ない状況とのことなので、仕方ない。て言うか、気の毒だ。
そして、なんと、D木谷さんまでもが急遽、不参加となった。
(D木谷)「どうも済みません」
(幹事長)「一体、何があったんですか?」
(D木谷)「職場のイベントで、どうしても抜けられなくて」
(幹事長)「そうですかあ。ほんとに残念ですね」
(國宗)「私の時と態度が違いますねえ」
(幹事長)「日頃の行いが違うからな」
D木谷さんに限って、練習不足とかいう理由でサボる事はない。
(國宗)「私だって練習不足でサボってるんじゃなくて、仕事だって言ってるでしょ!」
D木谷さんが練習不足でないってのは、1週間後には去年に引き続いて100kmウルトラマラソンに出場することから分かる。
(國宗)「え?また出るんですか?」
(幹事長)「私には絶対に無理ですね」
(D木谷)「慣れたら誰でも完走できますって」
て事で、結局、出場は私のほか、支部長、ピッグ、ヤイさんとなった。
〜 会場へ出発 〜
去年は私のミニバンで出掛けたが、ガスで真っ白で前が見えない状態でクネクネした狭い山道を1時間も運転して疲労困憊したので、今年はピッグにお願いして車を出してもらった。
(ピッグ)「私だって疲労困憊しますけど」
(幹事長)「わしより若いからマシやろ」
まずは、遠方に住むヤイさんが5時に私の家に車で来てくれる。
(幹事長)「肉離れは治りましたか?」
(ヤイ)「いや、まだまだアカンですねえ。取りあえずは来ましたけど、まだ走ると決めた訳じゃないんですよ」
ヤイさんは、5月のオリーブマラソンで終盤に無理をして肉離れしてしまい、6月の北山林道駆け足大会には応援には来てくれたんだけど、出場できるような状態ではなくて欠場し、さらに7月の汗見川マラソンの時も応援には来てくれたんだけど、まだ調子が悪いとのことで出場を断念した。今もまだ完治にはほど遠いらしくて、今日も行くには行くけど、現地で様子を見て、走るかどうか判断するとのことだ。北山林道駆け足大会も汗見川マラソンも酸欠マラソンも、どれも坂を登る厳しいコースだから無理はしない方が良い。とは言え、ヤイさんは鉄人の肉体を持つので、もうそろそろ走れるかも知れない。
ヤイさんと一緒にピッグの家に行き、ピッグ車に乗り換えて支部長を拾って出発する。
5時に屋外に出ると、まだ真っ暗だが、先日までの猛暑の余韻が残っていて全然寒くない。半袖Tシャツ1枚で十分だが、山の上は寒い可能性があるので、ウィンドブレーカーくらいは持っていく。ところが支部長は、最初から短パン半袖姿だ。
(ヤイ)「いくら寒くないと言っても、短パンは無いやろ?小学生じゃあるまいし」
(支部長)「これで全然寒くないで」
(ヤイ)「ここは寒くなくても山の上は気温が低いですよ」
(支部長)「大丈夫、大丈夫」
(幹事長)「山を完全に舐めきってるな」
高松を出発したのは去年と同じ5時半になった。なんで、そんなに早く出るのかと言えば、間に合わないからだ。受付時間は9時半までOKなんだけど、会場まで車で行けるのではなく、4kmほど手前の瓶ヶ森登山口にある駐車場に車を置いてシャトルバスで移動しなければならない。シャトルバスの最終は9時10分だから、そんなに焦らなくてもいいが、麓から少し登った旧寒風山トンネル出口に関所があり、マラソン大会の交通規制のため、そこを通れるのは8時20分までで、さらにその手前の新寒風山トンネル出口にある関所を通れるのは8時までとなっている。順調に行けば新寒風山トンネル出口まで2時間もかからないだろうけど、何かトラブルでもあれば遅れてしまうから、余裕をもって早めに出発するのだ。
若い頃は、こんな早起きは不可能だったが、高齢化の進展により、なんとか対応可能となった。
(ヤイ)「私なんて4時前には起きないといけないんですよ」
しかもヤイさんは前の晩に1時半まで飲んでたから、2時間しか寝てなくて、とても眠そうだ。
順調に高速道路を走り、西条インターで高速道路を降りる頃には、すっかり明るくなっていた。空を見ると、雲は多いが青空も見えている。石鎚山方面を見ると、山の影もきれいに見えるから、山の上も天気は悪くなさそうだ。西条から新寒風山トンネルを抜けるまでは、走りやすい道だが、新寒風山トンネルを抜けたら、すぐに山道に入る。ここから1時間ほど掛けてクネクネした急勾配の道を登っていくのだ。
ただし、去年は風雨も強いし、ガスで真っ白になって前が見えなくて苦労したが、今日は天気が良いから、そんなに苦労もしない。山道を20分ほど登ると、旧寒風山トンネルの出口に着いた。ここから先がマラソン大会による通行制限区間で、関所には係員がいる。8時20分から通行止めとなるが、まだ7時半なので、そのまま通してくれた。
道幅の狭いクネクネの山道は続き、いくつかある小さなトンネルは完全に1車線分しかないから、すれ違うのは不可能だが、トンネル以外でも狭くて対向車とすれ違うのは難儀する。マラソン大会参加者以外は通行止めになっているようなので、対向車が来る可能性は少ないが、一歩間違えたら脱輪して谷底まで転落しそうだ。道路の谷底側には、ずうっとガードレールが付いているが、ガードレールには切れ目無く車がぶつかった跡が残っていて、無傷なガードレールは無い。これまで何百何千人もの命を救ってきたのだろう。おお恐っ!
私は乗り物酔いに弱いから、こういうクネクネの山道は苦手だ。すぐ酔ってしまうので、シートを限りなく水平に倒して横になる。こうやって寝ていると酔いにくくなる。それでもクネクネ道だから右へ左へ車が揺れて体がドアにぶつかったりする。
(幹事長)「ゆっくり寝てられないから、もっと優しく運転してくれんかね?」
(ピッグ)「一人寝ている人が何を言うとんですかっ!」
しばらく進むと、東黒森山の辺りに折り返し点らしきものが見えた。ここからがマラソンコースで、ここまで走って折り返して行くって訳だ。
(支部長)「結構、厳しい坂やなあ」
(ヤイ)「この辺りは去年、見たやないですか」
(支部長)「そうやったかいなあ?」
(ピッグ)「支部長は去年、ずっと寝てましたからねえ」
(幹事長)「わしが必死に運転していたのに、寝てたのかっ!?」
(ピッグ)「今年はその怒りを幹事長にぶつけたいですけどねっ!」
今日のコースで最も厳しい坂はスタートから3km地点辺りまでだ。コース図によると、4km過ぎの最高地点を過ぎた後は緩やかな坂がダラダラ続くようになっているので、この辺りの坂は大した傾斜ではないはずだ。
(支部長)「どう見ても結構、きつそうに見えるけどなあ」
(ピッグ)「確かに、車で走っていると大したことなさそうに思えますけど、実際に走るときつそうですねえ」
(幹事長)「でも序盤の3kmに比べたら傾斜も緩いし、坂が続く距離も短いんよ」
(ピッグ)「でも最初の3kmに比べたらマシっていうだけで、厳しいのは間違いないですよ」
折り返し点から6.5kmほど走ったら、ようやく瓶ヶ森登山口の駐車場に着いた。順調に着いたので、時間はまだ8時前だ。去年は麓から1時間以上かかったが、今年は晴れて見通しが良かったため40分くらいで着いた。去年は駐車場はほぼ満車で、なんとかギリギリで停められたが、今年は到着が早かったおかげで、駐車場はまだまだ余裕でスペースがあった。
〜 会場到着 〜
車を停めてしばらくすると会場へ送ってくれるシャトルバスが到着したので、乗り込む。ここから会場までの4kmが最も傾斜が急な厳しい坂なので、ようく見ておかなければならない。
(幹事長)「でも、見た感じ、そんなに厳しそうでもないよ」
(ピッグ)「いや、そんな事ありませんってば。車に乗っているとそう思うけど、実際に走るときついですよ」
(幹事長)「でも、北山林道駆け足大会に比べたら楽勝じゃない?」
(支部長)「いやいや、そんな事は決してないよ」
やっぱり車で走ってると分かりにくいのかも。なんて思っていたら、坂はますます急になっていき、車に乗っていても明らかに厳しい坂だと分かってきた。こら、やっぱり大変だわ。
車でもクネクネの急坂を走るのは時間がかかり、ウンザリしかかった頃にようやく会場の山荘しらさに着いた。ここには昔々泊まった事があるような気がするのだが、定かではない。
(ピッグ)「いつの事ですか?」
(幹事長)「30数年前」
おぼろげに残っているイメージとは全然違うので、勘違いかもしれない。はっきり言って、かなり簡素な建物だ。
(支部長)「言葉を選んでるけど、はっきり言ってボロって事やな?」
(幹事長)「イメージと違うなあ」
まずは受付だ。ところが支部長は「参加証が無い」と言う。当然のことながらゼッケンや計測チップ、それに弁当やパンフレットを受け取るのは参加証との引き替えになる。
(支部長)「うちには来なかったんや」
(幹事長)「んなアホな。ほんの数日前にハガキが届いたで。みんな届いてるで」
支部長は届いてないと言い張るのだが、心配する事はない。このような超マイナーな大会では、参加証が無くても大抵は通用する。て言うか、支部長は去年も参加証を持ってくるのを忘れたが、何の問題もなく弁当を貰えた。
(支部長)「すんません、参加証が届いてなくて・・・」
(係の人)「ああ、いいですよ。お名前おっしゃって下さい」
て事で、何の問題もなく受付できた。さらに急遽、欠場となった國宗選手とDK谷さんの参加賞なんかも口頭の申告だけで貰えることができた。
パンフレットにはお弁当引換券とキジ汁引換券が着いている。
(幹事長)「キジ汁って、めちゃ魅力的な響きやなあ」
(支部長)「でも、早く帰ってこないと無くなるん違う?」
キジ汁のためにも頑張らなければならない。
さらにパンフレットには木の香温泉てとこの半額入浴券てのも着いている。高原のマラソンを走った後に温泉に入れるなんて、とても素晴らしい設定だけど、この厳しいコースでボロボロになった後、温泉まで行く元気が残っているかどうかは分からない。
受付を済ませ、着替えるために山荘の中に入ると、畳の部屋が並んでいる。参加者が400人と少ないうえ、今日は天気が良くて屋外で着替えている人も多いため、山荘の中は余裕があり、ゆったりとくつろげる。トイレも空いていて、好きな時に行けた。
くつろいでいたらおんちゃんから連絡があり、落ち合う事ができた。
(幹事長)「今日もハーフマラソンじゃなくて10kmの部でしたっけ?」
(おんちゃん)「また入賞を狙いますよ!」
おんちゃんは汗見川清流マラソンでもハーフマラソンではなく6kmの部に出て、狙い通り年代別部門で2位に入り、賞品をもらったのだが、今回も10kmの部に出て入賞を狙っている。参加者が少ないマイナーな大会だから、おんちゃんくらい実力があれば十分に狙えるのだ。
おんちゃんを囲むペンギンズのメンバー
(左からヤイさん、おんちゃん、幹事長、ピッグ、支部長)
何度もこの大会に出ているおんちゃんにコースの攻略法を聞く。
(おんちゃん)「最初の4kmほど急な坂を登ったら、緩やかな下り坂になるけど、そこで調子に乗って飛ばすと終盤に足が動かなくなるから、無理したらあかんよ」
なるほど。下り坂で自制するのが重要なのか。
(ピッグ)「夏場は暑くてあんまり走れなかったんですけど、幹事長はどうですか?」
(幹事長)「ふふふ。聞いて驚くな。わしは山岳マラソンに向けて飯野山や大麻山へのランニング登山をやったぞ」
(ピッグ)「ひえ〜!」
「登山部の活動」のコーナーに書いているように、まず最初は飯野山に走って登った。飯野山の標高は422mで、登山口からの標高差は330mだから手頃な山だ。でも、ちょっと手頃すぎてトレーニングには物足りなかったので、2回登って止めた。次に大麻山に走って登った。大麻山は標高616mで、登山口からの標高差は550mあるから、最大標高差285m、累積標高差560mの酸欠マラソンのトレーニングにはちょうど良い高さだと思い、このレースの1週間前に登った。タイムは予想以上に悪かったけど、途中で休むことなく走って登れたので、今日のコースに対する恐怖心は払拭できた。
(幹事長)「4〜5km程度の坂なら一気に登れるな」
(支部長)「私は無理せずに歩くよ」
(幹事長)「え?最初から?」
(支部長)「最初から無理したってロクな事はないがな」
確かに急な坂では走っても歩いてもさほどスピードは変わらない。終盤なら頑張る意味もあるけど、序盤から無理して不必要に体力を消耗するのは懸命な作戦ではない。なので、最初から歩くという支部長の作戦には一理ある。
(ヤイ)「制限時間はどれくらいでしたっけ?」
(ピッグ)「2時間40分ですね」
(幹事長)「この坂のきついコースで2時間40分って、ちょっと厳しくない?」
(支部長)「ちょっとプレッシャーは感じるな」
ただし、支部長は去年の秋から実践しているレフコ・トライアスロンの成果が著しい。レフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、自転車マシーンに乗って、次にランニングマシーンに乗って、最後にプールに入るという、順番は異なるけど1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。最初はバカにしていたが、レフコ・トライアスロンを始めてからと言うもの、去年の龍馬脱藩マラソン以降、坂に非常に強くなり、明らかに絶大な効果が出ている。5月下旬の小豆島オリーブマラソンでは、坂が多いコースにもかかわらず、負けてしまった。丸亀マラソンのようなフラットなコースでは負けたことがあるが、坂が多いマラソン大会で支部長に負けたのは、たぶん初めてだ。なので、今日だって決して油断してはいけない。
(幹事長)「ヤイさんは出場する決心が付きましたか?」
(ヤイ)「なんだか気分が盛り上がってきてしまったから、走らざるを得ないな」
ヤイさんの顔に精気が漲ってきた。足には肉離れ防止のためにサポーターを巻いていたが、それも「鬱陶しい」とのことで、外してしまった。もう、やる気まんまんだ。
(ピッグ)「目標タイムはどうします?」
(幹事長)「このコースで2時間を切るのは不可能だろうから、2時間10分にしようか」
もちろん、何の根拠も無い。取りあえずの目安として2時間10分って設定するだけだ。1km6分で走れば2時間6分だから、1km6分ちょっとのペースで走ればいい。もちろん、急な上り坂ではもっと時間がかかるだろうけど、逆に帰りの下りで借金を返せば可能かもしれない。
(ピッグ)「今日は着るもので悩まないんですか?」
(幹事長)「今日は選択の余地は無いと思って」
今日は天気が悪くなることはあっても良くなることは無いと思い、半袖Tシャツしか持って来なかった。去年は悪天候で肌寒かったから、長袖シャツにしようかとも思ったけど、いくら山の上と言っても、さすがに9月だから、半袖で我慢できるかなと思って、3年前の大阪マラソンでもらったTシャツを持ってきたのだ。まさか、こんなに良い天気で暑くなると思ってなかった。これならオリーブマラソンで着た袖の無いメッシュシャツ1号とか汗見川マラソンで着たメッシュシャツ2号なんかを持ってくれば良かった。
そんな事だから日焼け止めクリームも持ってきて無かったので、ピッグ様に貸して頂く。日射しもだいぶ眩しそうだが、サングラスも持ってきていない。雨に備えて持ってきていたキャップを、日射しを避けるために被ることにした。本当はキャップは鬱陶しくて嫌いなんだけど、背に腹は代えられない。
〜 スタート 〜
参加者が少ないのでスタート地点での混雑も無いだろうと思い、スタート時間ギリギリまで山荘内でダラダラし、スタート10分前になってようやく外に出た。
ハーフマラソンの部の参加者は僅か281人で、とてもこぢんまりしている。ちなみに10kmの部の参加者は161人で、全部合わせても僅か442人だ。走る道が狭いからと言うより、会場や駐車場の狭さのため、これがギリギリなんだろう。
スタート地点ものんびりした雰囲気
(向こうに見えるトンガリ頭が子持権現山)
参加者の総数も少ないけど、女性の参加者はさらに少なく、ハーフマラソンの部は女性は男性の5分の1以下で、圧倒的に少ない。最近のマラソン大会は女性の参加者が多いんだけど、この大会はコースが厳しいから少ないのだろう。でも、こんなレースに参加する女性って、相当な実力者に違いないから、決して女性だからと言って油断してはいけない。もちろん男性だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高いと思われる。10kmの部は女性は男性の4割ほどいて女性も結構多いが、このレースは最初の3kmが非常に厳しいので、それより先まで走らなければならない10kmの部だって厳しい事に変わりはない。
こんなにマイナーなレースなのに、タイムは計測チップで計ってくれる。同じようにマイナーな北山林道駆け足大会は、ゴール横にいた係の人が目視でタイムを計ってくれていたのに、えらく近代的だ。
スタート地点に行くと、予想通り、ランナーがこぢんまりと集まっている。最後尾に並んでもタイムのロスは無さそうだ。
朝方は雲の隙間から晴れ間が覗くって感じだったけど、天気はどんどん良くなり、完全に快晴になった。石鎚山がよく見えるのは気持ち良いけど、風がほとんど無いから暑い。大阪マラソンのTシャツは格好良いからよく着ているが、こんな日は色が黒いTシャツは熱を吸収して暑い。でも、すぐ後ろに白衣を着て魚の帽子を被ったさかなクンを発見したが、白衣は白だが、その下にワイシャツとか着ているので、かなり暑そうだ。
間もなくスターターが時計を見ながらカウントダウンを始め、10時ちょうどにピストルの音が鳴ってスタートとなった。後ろの方からのスタートだったけど、スタート地点を越えるまでのタイムロスは15秒しかなかった。
普通のマラソン大会なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、さすがに最初から厳しい上り坂なので、それほど勢いは無い。もしかしたら、前の方に陣取った高速ランナー達は勢いよく飛び出していったのかもしれないが、中程より後ろのランナー達は節度をわきまえた態度で地道なスタートとなった。
序盤の坂は厳しかった。予想通りの厳しさだ。ただ、北山林道駆け足大会のような走るのが限界っていう程の急な坂ではない。まあ、なんとか走っていける。北山林道駆け足大会の急坂だと、走るよりむしろ歩く方が早いんじゃないかって思えるが、今日の坂は、あんまり変わらないとは言え、歩くよりは走る方が早い。最近のトレーニングのおかげで、上り坂でも割りと平気に走れているので、なんとなく自信が沸いてきた。
最初は自分のペースを適度に抑える意味もあって、北山林道駆け足大会と同じようにピッグの後を着いていった。ちょうど良いペースだ。
しばらく走ると最初の1km地点の距離表示が現れた。時計を見ると7分ちょっとだ。思ったより遅い。スタート時のタイムロスを差し引いても7分かかっている。なんとなくもうちょっと速く走れているような気になっていたんだけど甘かった。周囲のランナーに比べて特に遅いとは思えないので、やはり坂は厳しいってことか。
このマラソン大会は、不便な山の中を走る小規模なレースだが、その割りには給水所はきちんと用意されている。片道に4箇所あるから、往復で8箇所もある。天気が良いと暑いし、坂も厳しくて、どっさり汗をかくからだろうけど、この体制は素晴らしい。序盤の急な上り坂でも、早速、最初の給水所が現れた。しかも水だけでなく、ちゃんとスポーツドリンクもある。まだ序盤で喉は渇いてないが、今日はいっぱい汗をかきそうだし、喉が渇いてからでは遅いので、さっそくスポーツドリンクを頂く。
その後も同じような急坂は続くが、周囲の他のランナーに比べて、ほんの少し遅いような気がするので、ピッグを追い抜いて前に出る。それでも、2km地点の距離表示を見落としたあと、3km地点の距離表示を見つけて時計を見たら、さらにペースは落ちていて、この2kmは1km7分20秒ほどかかっている。周囲のランナーとも同じようなペースなので、私だけがいきなりペースダウンしている訳でも無さそうだから、坂がますます厳しくなっているって事だろう。なので、そんなに悲観する事はないが、いくら上り坂とは言え1km7分以上もかかっていると、逆に帰りの下り坂では5分を切らなければならない。普通なら下り坂で5分を切るのは可能だが、このタフなコースの終盤でそんな力が残っているかどうかは不安だ。
パンフレットに記載されたコース図によると、最初の3kmは急な上り坂だが、その後は傾斜は一気に緩くなると描かれていた。ところが、3km地点を過ぎても坂の傾斜は同じで、まだまだ急な傾斜が続く。いくら急な坂でも心の準備ができていればなんとか乗り切れるが、終わったと思ったのにまだまだ続いてしまうと、心が折れそうになる。ただ、1週間前に大麻山に登った実績を裏付けに、まだまだ行けるという自信があるのでなんとか頑張れる。
さらに1km走ると、ようやく我々が車を停めた瓶ヶ森登山口に辿り着く。ここが4km地点だ。ここには2つ目の給水所がある。スポーツドリンクをもらい、さらに水を含んだスポンジももらう。冷たいスポンジで顔を拭くと一瞬だけはリフレッシュする。結局、この1kmも同じような厳しい坂だったし、時間も7分程度かかったが、ようやく登りは終わったはず。
と思ったのに、なんと!まだまだ上りやないかっ!どうなってるんやっ!傾斜は一気に緩やかにはなったが、その後も上り坂は続き、数百m走ってようやく上り坂が終わった。その後は一気に下り坂になる。序盤の急な上り坂が終わった後は緩やかな下り坂になるとの事だったが、決して緩やかではない。かなりの勾配の下り坂だ。ここで調子に乗ったら終盤で足が動かなくなるとの忠告はあったが、ここまで心が折れかけながらなんとか厳しい上り坂を走ってきているので、ここは無理してペースを抑えるのも面倒なので、力任せに駆け下りる。
天気が良いので景色がきれいだが、ずっと向こうの遙かかなたまで道が見える。あんな遠くまで走るのかと思うと、かなり気が遠くなるが、基本的には下り坂なので、少なくとも前半は気持ち良く走れそうだ。
少し進んだところに5km地点があったが、この1kmは上りと下りが半々だったので、まだまだタイムは悪かった。でも、その後の6km地点や7km地点での区間タイムは、どちらも1km5分ちょっとだった。ふむふむ。下り区間をこれくらいのペースで走れれば、2時間10分は切れるかもしれない。序盤の上り坂はもっと厳しかったから、逆に終盤の下り坂は1km5分を切るペースで走れるだろう。
なんにしても、しばらくは下り坂が続くから気楽に行ける、と思っていたら、なんと、その後は再び上り坂になった。パンフレットのコース図では、そのまま折り返し点まで下り坂が続くとのことだったが、全然違うじゃないかっ!上り坂と言っても、斜度や緩やかで大した事はないが、下り坂だと思っていたのが裏切られたので、ちょっとショックだ。冷静に考えれば、上り坂と言うよりフラットになっただけのような気もしないことないが、精神的なものもあり、ペースは一気に遅くなり、8km地点で見たタイムはだいぶ悪くなっている。
8km地点を過ぎたところで、なんと早くも先頭ランナーが折り返してきた。8km地点ってことは、帰りは13km地点だから、5kmも先を走っていることになる。この厳しいコースで驚くべき速さだ。
さらに、その後は、やっぱりどう見ても明らかに上り坂となり、9km地点で見たらペースは一気に1km6分半ほどに落ちていた。
そこをなんとか乗り切ったら、再び急な下り坂となり、力任せに駆け下りたら、10km地点でのタイムは再び5分ちょっとになった。上りで疲れた足を下りで休ませられているような気もするが、こんなに勢いつけて下っていると、本当に休めているのかどうか疑問もある。
しばらく走ると、ようやく折り返し点が見えてきた。これで半分か。時計を見ると1時間6分ほどだ。これを単純に2倍すると2時間10分をオーバーするが、厳しかった前半に比べて後半は緩やかなダラダラ上りと急な下りなので、なんとかなりそうな気もする。
と思ったが、折り返すといきなり急な上り坂となった。さきほど下って来た道は、こうやって上るとかなり急だったのだ。みるみるペースダウンしているのが自分でも分かる。
折り返してから後は、すれ違うランナーの中からメンバーを探さなければならないが、参加者が少ないので探すのは難しくないだろう。なんて思ったけど、メンバーを見つけるより前に、さかなクンを発見。思わず手を振ったけど、元気そうだった。
メンバーの中では、最大のライバルであるピッグがどれくらい後を走っているのかが重要だ。序盤早々に前に出た私だが、その後ピッグがどうなったのか皆目検討が付かない。ところがピッグを見つける前に支部長とすれ違った。予想外に早い。私より4分遅れくらいだ。しかも妙に元気そうで、大きな声を掛けてくれた。やはりレフコ・トライアスロンの成果により坂を苦手にしなくなったようだ。この先、油断すると逆転されてもおかしくはない。
ピッグが支部長に負けるはずはないので、支部長とすれ違ったって事は、ピッグとは既にすれ違っているはずだ。折り返してすぐにある給水所で水を飲んだりスポンジで顔を拭いたりしている時にすれ違ってしまったのか。そうだとすると、あんまり差は付けておらず、すぐ後ろを走っているって事だ。怖いなあ。
その直後にはトンネルがあり、トンネルの中でヤイさんらしきウェアの人とすれ違ったので、大きな声で「ヤイさ〜ん」って叫んでみたけど、何の反応も無かったので、人違いだったようだ。トンネルを抜けると11km地点だが、折り返してから上り坂になったせいで、一気にタイムは悪化していた。
さらにしばらく走ると、なんと、ピッグの姿がようやく見えてきた。タイムにして私より8分遅れ。距離にして1kmちょっとの遅れか。支部長よりだいぶ遅いのが意外だ。自分で言っていたように夏場はトレーニングが不足していたのか。
ピッグに逆転される可能性はだいぶ低くなったので、ホッと一安心だ。一安心したせいでもないだろうが、先ほど、折り返す直前に1km5分ちょっとで駆け下りた区間は、今度は上りになったせいで、12km地点で時計を見ると7分をオーバーしてしまった。
この辺りからコースの中で最も緩やかな部分になり、前方には特徴的な形の自念子ノ頭が見え、車で走ってる時は気持ちの良いコースが続く。ただし、足で走っていると微妙なアップダウンでも非常に堪える。
この辺りから自念子ノ頭が見える。
(コースは緩やかに見えるけど、走っていると微妙なアップダウンが堪える)
その後の2kmほどは、前半は上り坂だった区間なので、今度は下り坂になったはずだが、その割りには下っているという実感が乏しい。坂の斜度はとても緩やかだったのか。13km地点でのラップは、下りだと言うのに前半の上りとあんまり変わらなかった。
自念子ノ頭を越えた所にある13km地点を過ぎると、残りのコースの全貌が見えるようになる。はるか遠くにゴールの山荘しらさの屋根が見えるが、高度としては、だいぶ下にある。ところが、その途中の瓶ヶ森登山口は、はるか上に見える。あんな上まで登っていかないといけないのか、と呆然とする。
次の14km地点までの区間は、まだ下り坂のはずだったんだけど、前半に同じ区間を走った時よりだいぶ遅くなっていた。実は斜度がほとんど無いフラットな区間だったようだ。フラットなら前半も後半も同じラップのはずだが、後半になって足がヘロヘロになりつつあるので、だいぶペースダウンしているのだろう。つまり、調子に乗って走ってきたが、早くもペースダウンが著しいって事だ。
ただし、後半になって足がヘロヘロになってきたら、普通のマラソン大会なら多くのランナーに抜かれていくんだけど、今日は抜いていくランナーは少ない。厳しいコースなので他のランナーもヘロヘロになっているのか。それとも単に参加者が少ないから、私より後ろのランナーも少ないっていうだけなのか。
とにかく、もうちょっと頑張らないと2時間10分の目標は厳しくなってきた。最後の4kmは急な下り坂だから良いけど、そこまではなんとか持ちこたえなければならない。
もともと参加者が少ないうえ、参加者のレベルが高いレースなので、こんな厳しいコースにもかかわらず、後ろの方でトボトボと歩いているようなランナーはほとんどいない。最近のマラソン大会はどれも初心者が大挙して参加するので、折り返してすれ違うと、後ろの方に歩いている人が大勢いるのが分かるが、今日はほとんどいない。たまに歩いている人もいるが、明らかに故障してしまった様な人だ。
と思っていたら、なんとヤイさんが歩いてきた。明らかに故障している。足の具合が悪化したのだろうか。
(幹事長)「大丈夫ですかあ?」
(ヤイ)「無理しないように帰りますから、ご心配なく」
なんて言ってるけど、とても心配だ。まだまだ半分も来てないのに、本当に帰れるのだろうか。この大会は道幅が狭いから、リタイアしても回収して運んでくれる車がいるとは思えない。つまり、リタイアしても自分で帰らなければならない。つまり、リタイアは不可能ってことだ。最後の手段として、リタイアして他のメンバーが車で迎えに来るまで待つという手がある。ヤイさんは携帯電話を持っているから、いざという時にはSOSが入るだろう。
行きは上りだと思っていたけど、実はフラットだった区間が終わり、14km地点を過ぎると、行きが急勾配の下り坂だった区間に入った。つまり、帰りは急勾配の上りだ。行きは1km5分ちょっとで駆け下りた区間だから、上りになると相当厳しい。15km地点や16km地点でのラップは、なんと1km8分近くもかかっていた。なんぼなんでも遅すぎる。スタート直後の厳しい上り坂でも7分ちょっとだったのに、あまりにも遅すぎる。これで一気に2時間10分の目標は遠のいてしまった。それでもモチベーションが下がった訳ではない。もともと何の根拠もない目標設定だったので、大した意味はない。とにかく、できるだけ良いタイムでゴールしたい。それに、まさかとは思うけど、ここまでペースダウンしてしまうと、支部長らが追い付いてくる可能性もゼロではない。なんとしても試合を放棄する訳にはいかない。
16km地点を過ぎると、急な上り坂は終わり、だいぶ緩やかになる。さらに進むと、ようやく上り坂が終わって緩やかな下り坂になる。て事で、瓶ヶ森登山口の17km地点でのラップは多少マシになっていた。マシになったと言っても1km7分ちょっとであり、序盤の急な上りと同じだ。
でも、ここから後は下りが続く。しかも、過激に急な下りだ。もうガンガン走りたい。って思ったけど、足がヘロヘロになった状態で、急な下りをガンガン走るのは難しいと言うか、足が壊れそうで怖くて、ブレーキをかけながらでないと駆け下りる事ができない。他のランナーも大半は同じ状態で、そんなに転げ落ちるように走れてはいないが、たまにトンでもないスピードで走り抜けていくランナーもいる。羨ましい限りだ。
てな事で、下りになった割りには18kmでのラップは1km6分を少し切ったくらいで、そんなに早くはない。さらに、そこを過ぎると、一段と下り勾配はきつくなり、ブレーキをかけながらもスピードも上がり、その後は1km5分半くらいのペースで下り続けた。こんなに急な下り坂なのに5分も切れないってのは情けないが、足がもつれそうなので限界だ。
それでもなんとか頑張って駆け下りていたら、さかなクンが猛烈な勢いで追い抜いていった。さすがに、さかなクンに負けたら情けないと思ったが、ついて行けるスピードではなかった。
最後の給水所は当然ながら無視して走り続け、ようやく残り500mの表示があった。ズルズルと落ちていかないために、同じようなスピードの人を勝手にペースメーカーに見立ててなんとか着いて行くが、なかなか追いつけないままゴールが見えてきた。ところがゴールまで10mという地点で、突然、前を走っていたペースメーカーさんが足をよろめかせてストップしてしまった。急な坂を頑張って走りすぎて、突然、足が故障したようだ。あと10mなのに、もったいない。私はそのままの勢いでゴールする事ができた。
〜 ゴール 〜
ゴールして時計を見ると、2時間15分だった。当初目標の2時間10分はどうでもいいが、それにしても遅かった。ハーフマラソンで2時間15分だなんて、あの厳しい塩江山岳マラソン並のひどいタイムだ。塩江山岳マラソン並の厳しいコースなんだから当たり前とも言えるが、塩江山岳マラソンに出ていた十数年前に比べたら実力はアップしていると思うので、なんとなく情けない。ま、しかし、この厳しいコースを走りきったという満足感はある。
他のメンバーを待つためにゴール横にしゃがんだら、休む間もなく支部長が帰ってきた。私と4分差だ。折り返し点での差と同じだ。つまり、後半のタイムは同じだったって事だ。ううむ。あんなに坂に弱かった支部長と、後半だけとは言え、同じタイムだったとは。
(幹事長)「上り坂でも歩かなかったん?」
(支部長)「いやいや、なんぼでも歩いたで」
(幹事長)「それなのに後半は私と同じタイム?」
(支部長)「私は下り坂には強いからな」
そうだった。自転車もそうだけど、支部長は下り坂には滅法強いんだった。
(支部長)「終盤の下り坂はガンガン駆け下りて他のランナーをごぼう抜きしたからな」
(幹事長)「足は大丈夫なん?」
(支部長)「そんなんは気にしないからな」
さらに1分ほどの遅れでピッグも帰ってきた。折り返し地点では8分ほどの差だったのに、5分差くらいに縮まっているから、後半は私らよりだいぶ早かったって事だ。やはりピッグは後半に強い。最近のレース展開は、距離にかかわらず、前半に私がリードして、終盤にピッグが追い付いてくるっていうパターンだ。もっと距離が長ければ逆転されていただろう。
前半の途中から足を引きずっていたヤイさんは、さすがに制限時間内には帰ってこなかった。あの足の状態じゃあ、どう考えても無理だろう。
今日のレースの制限時間は2時間40分で、普通のレースなら、その後に表彰式やったりして余韻を残すのだが、今日のレースは2時間40分が過ぎたら「解散」ってなっている。珍しい表現だ。2時間40分を過ぎたら速やかにゴールの設備なんかを撤去するようだ。できるだけ早く交通規制を解除しなければならないのだろう。
なので、ヤイさんは、車を駐車している瓶ヶ森駐車場辺りでリタイアして、「そこで待っている」っていう連絡が入ると思っていたけど、しばらくしたら帰ってきた。思ったより早かったし、足の状態もそれほど酷くもなさそうだ。
(幹事長)「よく帰ってこられましたねえ」
(ヤイ)「上り坂は歩いたけど、下りになったら走ったからね」
恐るべき鉄人だ。
ヤイさんは、制限時間をオーバーしていたので、もう記録証は発行してくれないだろうと思って貰いに行かなかったら、後日、わざわざ自宅まで記録証を送ってきてくれたらしい。2時間40分を過ぎても、しばらくは計測を続けていてくれたとのこと。とても親切な事務局でした。
早くゴールしないとありつけないかと心配していたキジ汁は十分な量が確保されていて、みんな食べる事ができた。暑い日とは言え、レースで疲れた体には暖かい汁がお腹に優しい。これが無いと、パサついた弁当は食べにくいところだった。急遽、欠場となった國宗選手とDK谷さんの券もあるので、私は2杯いただいた。
記録証も貰って確認すると、私はタイムもイマイチだったが、順位も56歳以上の部で半分近かった。56歳以上の部の中では若い方なのに、半分近い順位だなんて、なんとなく情けない。最近は、距離や坂の有無に関係なく、どんなマラソン大会でも上位2〜3割には入る事が多いので、ちょっと悲しい。やはり、こんな超マイナーで厳しいマラソン大会に出る人は実力者揃いなんだろう。
(幹事長)「この大会は予想以上に厳しかったから、一度出たら、もう来年は出なくていいかなあ」
他のマラソン大会なら、走っている途中は、特に終盤になると「早く終わりたいなあ。なんでこんな辛い思いをしてるんだろう。途中でリタイアしたいなあ。もうこんなマラソン大会には出たくないなあ」なんて思うけど、ゴールしたとたん、「よし、来年もまた出よう」なんて思う。タイムが良かった時は当然ながら気持ち良いから再び出たくなるし、タイムが悪かった時はリベンジしたくて再び出たくなる。ところが、この大会は、あまりに厳しかったから、すぐにまた出たいとは思わなかった。
(支部長)「いやいや、こんなタイムでは終われないぞ。来年はリベンジせんと」
なんと、真っ先に脱落に同意してくれると思った支部長が、やる気を見せている。やはりレフコ・トライアスロンの成果だろう。タイムもそんなに悪くなかったし、精神的にも坂に対する苦手意識が払拭されている。恐るべし、支部長!
それから、10kmの部に出たおんちゃんは、目論み通り、年代別部門で3位に入賞した。汗見川と言い今回と言い、連続で狙った通り入賞している。さすがやなあ。素晴らしい!
イマイチ手放しで満足できない私だが、1ヵ月後の龍馬脱藩マラソンのフルマラソンに向けて、くよくよしているヒマは無い。厳しい上り坂が前半21kmにわたって続くのだから、今日以上に厳しい戦いになるのは間違いない。気合いを入れて頑張ろう!
〜おしまい〜
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