第37回 瀬戸内海タートルマラソン大会

〜 雨の中の惨敗 〜


2016年11月27日(日)、小豆島において第37回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催された。

(幹事長)「今年こそは、できるだけ短い記事を目指します」
(ピッグ)「去年、全く同じ事を言いながら、相変わらずダラダラと長かったです!
(幹事長)「今年は夏場の山岳マラソン4連戦やサイクリングしまなみ2016とかあって、もう疲れてきたので、本当に短くします」


ほんと、今年はもう、
毎週のようにマラソンやらサイクリングやら登山やら立て込んで、忙しいったらありゃしない。しかも翌週には初めての那覇マラソンという大イベントもあるので、タートルマラソンごときに時間を取られているヒマは無い。

(ピッグ)「ごとき、って言いましたよね?」
(幹事長)「失礼しましたっ!」


ごときなんて、トンでもない失礼でした。この
瀬戸内海タートルマラソン大会は私にとっては初めて参加したマラソン大会であり、私のマラソン大会の原点と言える、一番愛着がある大会だ。初めて参加したのは、21年も前になる1995年の第16回大会だ

(幹事長)「21年も前の事なんて覚えてないなあ」
(ピッグ)「30歳代後半ですね」
(幹事長)「めちゃ若いやん!」


あの頃は
タートルマラソンってことで年齢制限があり、35歳以上でないと出場できなかった。だから30歳代後半で出た私なんかは若手の部類だった。もちろん、だからと言って上位入賞できた訳ではなく、21年前の初出場の時は、男子35〜49歳の部で585人中408位だった。かなり後ろの方だ。

(支部長)「あの頃は、みんな、そんなもんやったな」
(幹事長)「まだマシな方やな」


あの当時は、
どのレースにしたって後ろから数えた方が早かった1998年の塩江マラソンなんか完走者346人中335位で、後ろから12番目だ。ちなみに、中山選手(元ダイエー、前コンサドーレ)なんか、この時、後ろから5番目という前代未聞の順位でゴールしている。支部長に至っては2002年の塩江マラソンで途中で最下位になったもんだから、もう途中でレースを放棄して消防車に救護された。

(支部長)「懐かしいなあ。あの時は途中で消防車から救急車にハシゴしたぞ」
(幹事長)「古き良き時代やな」


近年は、異常なまでの熱狂的なマラソンブームのせいで初心者の参加者が激増したことにより、我々の相対的順位は上がっており、たいていは上位1/3くらいには入るようになった。

(支部長)「なんとなく最近は自分が速くなったような錯覚に陥るけど、そうじゃないんやなあ」
(幹事長)「こないだの龍馬脱藩マラソンのフルマラソンみたいに実力者しか出ない大会になると、とたんに馬脚を現して後ろの方になるしな」


21年前と言えば、理由は忘れたけど、一人でジョギングをしていた。それで、ふと、何かマラソン大会に出てみたいなあなんて思ったんだけど、当時は
全国的にマラソン大会なんて数が少なかった。たまにあっても、出場するのはマニアックな人ばかりという状況だった。マラソンブームなんて起きる気配も無いし、ジョギングする人なんて滅多にいなかったから、マラソン大会に出るなんて言うと、若い頃から陸上をやってる経験者か、よっぽどの変人としか思われなかった。
ところが、ある日、テレビを見ていたら、このタートルマラソン大会のCMが流れていて、「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて言ってる。それで、ついフラフラと軽はずみな気持ちで申し込んでしまったのだ。今は日本中でマラソン大会が雨後の竹の子のように乱立し、周囲にもマラソンやってる人間が溢れているから、出たこと無い人も誘われる事が多いだろうし、あまり抵抗感も無く参加する人が多いが、当時は私のような変人でなければ、
初心者が一人で気軽にマラソン大会に出るなんて事は珍しかった

(ピッグ)「変人だという自覚はあるんですね」
(幹事長)「君も同類じゃないか」


当時は牧歌的な時代だったから、申し込もうと思い立ったとき、実は既に申し込み受付期間は過ぎてたんだけど、主催者の瀬戸内海放送まで訪ねて行ったら、簡単に申し込むことができた。今みたいに、申し込み受付スタートと同時にパソコンのキーを叩いて1秒を争ってネットで申し込みしないとエントリーすらできないという末期的な状況からは考えられない古き良き時代だ。

(幹事長)「そもそも世の中にインターネットなんて存在してなかったからね」

ただ、「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて宣伝はしていても、
実際に出ている人の大半は経験豊かな速いランナーだったから、右も左も分からない私なんかが出ても蹴散らされてしまい、順位も悪かった。しかし、それでも21年前の初マラソン大会は、感動的なものだった。誰でも参加できる市民マラソン大会に単なるド素人が走っているだけなのに、沿道の住民からは熱い応援があり、まるでまるでオリンピックを走る一流選手になったような気分になれるのだ。

(ピッグ)「小豆島でも声援はあったんですか?」
(幹事長)「今、思えば、人口が少ない土地だから声援を送ってくれる沿道の人も少なかったんだろうけど、初体験の私にとっては強烈な思いでやなあ」


大勢の声援を受けて走るなんて事は、義務教育を終えてからは初めてだったので、声援を受けるのは快感だった。ペース配分も何も分からずに走ったため、ゴールしたら足が動かなくなって座り込んだけど、天気が良かったこともあり、その疲労感も心地よかった。

(ピッグ)「21年後の今でもペース配分は失敗の連続ですよね?」
(幹事長)「そうなんだけど、最近は、ボロボロになってゴールする割りには、どこかに余力が残っていて不完全燃焼感が強いのよ」


初めて出たマラソン大会がすごく楽しかったというのはラッキーであり、この
初マラソンでマラソン大会に出る楽しさを知ってしまったから、それ以来、病みつきになったのだ。

(幹事長)「こうして私の21年に及ぶ長い長いマラソン人生がスタートしたのだよ」
(ピッグ)「21年で進歩した点ってありますか?」
(幹事長)「初期の頃に比べたら、だいぶマシになったぞ」


このタートルマラソンはフルマラソンに出ることもあり、これまでハーフマラソンには14回出たが、タイムのベスト5はいずれも50歳を過ぎてから出したものだ。
タートルマラソンに限らず、丸亀マラソンも小豆島オリーブマラソンも、どれも50歳を過ぎてからの方がタイムは良くなっている

(幹事長)「素晴らしい進歩だと思わんか?」
(ピッグ)「若い頃がいかに遅かったか分かります」


ただし、さすがにここ数年は、少しずつタイムは悪くなっており、
老化が忍び寄っているような気もする

(幹事長)「て事で、普通のフラットなコースではタイムが伸び悩むようになってきたので、最近は坂が厳しい山岳マラソンに軸足を移しつつあります」
(支部長)「私らまで道連れにするのは止めて欲しいぞ」


以前から、坂が厳しいマラソン大会を好んで出場するような人達は存在してて、「好き者やなあ」なんて思っていたけど、だんだん自分がそうなっている。
実は、この
タートルマラソンも坂が多くて厳しいコースだ。そもそも四国なんて山がちだから、丸亀マラソンや徳島マラソンのほかは、大抵のマラソン大会は坂が厳しい。しかし、今年の夏場に連戦した山岳マラソン4連戦のコースに比べたら、まだマシだ
それにタートルマラソンは、
夏場の山岳マラソンと違って季節が良いせいか、タイムは悪くない。一般的にマラソン大会は秋から春にかけて開催され、特にシリアスなマラソン大会は冬場がメインとなるが、冬は寒い。寒いのが苦手な私としては、冬のマラソン大会は嫌いだ。どうせなら楽しく走りたいので、せいぜい11月までがよろしい。
そういう事もあって、坂が全く無くて高速レースとの評判が高い丸亀マラソンより、坂が多いタートルマラソンの方がタイムが良いくらいだ。

(ピッグ)「それは丸亀マラソンの時は前半を調子に乗って飛ばして後半に撃沈するからですね」

確かに、序盤から坂がどんどん出てくるタートルマラソンは、そんなに調子に乗って飛ばせないから、かえって後半まで撃沈せずに済むのかもしれない。


〜 エントリー 〜


瀬戸内海タートルマラソンは私にとって最も愛着あるマラソン大会なので、この20年間、ほぼ毎年欠かさず出ている。四電ペンギンズの他のメンバーには、このような思い入れが無いため、以前は参加者が少なかった。しかし近年は丸亀マラソンやオリーブマラソンと同列の四電ペンギンズ公式レースとして出場するのが基本となった

(ピッグ)「幹事長が出場し始めた頃は、私らは年齢制限で引っかかって出場できませんでしたからね」
(幹事長)「年齢制限が35歳以上だなんて、一体どういう意味だったんだろうなあ」


たぶん、趣旨としては、若い人は「ゆっくり走ろう」という趣旨に背いて飛ばすから、排除しようとしたんだろう。ところが、その割りにはフルマラソンの部の制限時間は5時間と厳しく、なんとなく矛盾していた。(今は5時間30分に緩められたけど)
それに、そもそもマラソン大会の結果を見ると、一般的に35歳以下の若い人達よりは35歳以上の中高年の方がタイムが良い。すごく早いトップクラスの人は若いが多いが、それ以外の一般ピープルを見ると、若い人は、誰かに誘われてフラフラ出場した初心者が多く、遅い人も多いのが実態だ。
あれから20年も経過した今、我々メンバーはいかなる年齢制限があろうとも参加資格を得られる年齢になり、今年はのほか支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、D木谷さん、小松原選手といったメンバーがエントリーした。近年は毎年出ていたゾウさんは、今年は都合で出られなかった。

徳島マラソンに象徴されるように、最近のマラソン大会は、本番より、むしろ申し込みの方が緊張する。もっと大規模な東京マラソンや大阪マラソンなどは最初から抽選なので、申込み自体に焦る必要は無い。ただ、抽選なので出られるかどうか分からないのがもどかしい。東京マラソンは10倍以上、大阪マラソンも5倍以上の高い競争率のため、滅多に出られない。その点、先着順の申込みは頑張れば自力で出場権を獲得できるから、抽選よりは良いような気がする。ただ、申し込みするときは、事前にパソコンの前に陣取って待機し、申し込み開始時間と同時に1秒を争ってパソコンのキーを叩かなくては申し込めない。なので今年のタートルマラソンの申し込みに当たっても、受付時間になると同時に必死でパソコンのキーを叩いて申し込んだ。他のメンバーにも、例によって数日前から何度もしつこく周知して、全員が無事エントリーを完了した。
ただ、結果的に言えば、このタートルマラソン大会は、そんなに焦って急ぐ必要はない。定員は3000人で、最近の大きな大会が10000人規模なのに比べると少ないが、それでも定員いっぱいに達したのは申し込み受付開始からだいぶ経ってからだった。しかし、以前は当日に行っても出場させてくれたこんぴら石段マラソンのような超マイナーな草レースでも即日完売になるようなご時世だから、決して油断してはならない。常に全力投球で即刻申し込んでおかなければならない。

エントリーに当たっては、フルマラソンの部にするかハーフマラソンの部にするか、迷わなければならない

(支部長)「いや、迷う余地は無い。ハーフマラソンでええやん」

かつて、徳島マラソンができるまでは、近場の貴重なフルマラソンだったので、ときどきフルマラソンの部にも出ていた。ただ、タートルマラソンは坂が多くて厳しいコースなので、フルマラソンに出ると、終盤の上り坂は例外なく歩くという非常に辛いレースになるため、坂が無いフラットな徳島マラソンができてからは、タートルマラソンではフルマラソンの部にはあんまり出ていない。4年前の第33回の時は、ついフラフラと久しぶりにフルマラソンに出たら、空前絶後の惨敗を喫して大会自己ワースト記録をたたき出してしまった。あれで懲りて、基本的にはタートルマラソンのフルマラソンには出たくない。
それに、秋はマラソン大会のシーズンなので、他のマラソン大会のフルマラソンに出ることも多く3年前は大阪マラソンに当選したし、去年は神戸マラソンに当選したほか奈良マラソンにも出たし、このタートルマラソンはハーフマラソンでお茶を濁し続けている。
そして今年は、10月に龍馬脱藩マラソンでフルマラソンの部に出たし、タートルマラソンの僅か1週間後には沖縄の那覇マラソンのフルマラソンに出場するから、タートルマラソンはハーフマラソンで十分だ。那覇マラソンの1週間前にハーフマラソンに出るってのは、フルマラソンに備えたトレーニングとして絶好の位置付けだ。

(小松原)「いえいえ、フルマラソンの前週のトレーニングとしてなら10kmの部の方が良いですよ。ハーフマラソンになると疲れが残りますよ」

小松原選手は5年前に初フルマラソンとして那覇マラソンに参加し、すっかりその魅力の虜になってしまい、それ以来、毎年欠かさずに出ている。そして、その事前調整として、那覇マラソンの1週間前に開催されるタートルマラソンの10kmの部に出ているのだ。
そして、なんと我々も、今年は那覇マラソンに初出場するのだ。なぜ今年、那覇マラソンに出るのかと言えば、去年、初参加した奈良マラソンのエントリーに失敗したからだ。奈良マラソンは那覇マラソンの1週間後に開催される大会で、去年、阿南のスーパー女性ランナーY浅さんに誘われて初出場したんだけど、坂が多くて非常に厳しいコースで大変だったものの、変化があってとっても楽しいマラソン大会だったので、「絶対に来年も出場しよう」って強く思った。ところが、奈良マラソンは抽選じゃなくて先着順であり、エントリーに失敗してしまったのだ。せっかく1年前から楽しみにしていた奈良マラソンのエントリーに失敗したもんだから、しばらく失意のどん底に沈んでいたんだけど、「Naraマラソンの1週間前にNahaマラソンがある」っていうダジャレのような小松原選手の言葉を思い出し、出場することに決めたのだ。
て事で、今年のタートルマラソンは、あくまでも那覇マラソンの事前調整という位置付けだ。

(ピッグ)「タートルマラソンは自分のマラソン大会の原点だとか、一番愛着がある大会だとか言ってましたけど、扱いが軽いですねえ」
(幹事長)「失礼しましたっ!」


てことで、今年は迷う余地無くハーフマラソンにエントリーするべきなんだけど、メンバーの間できちんと意思統一をしておかなければならない。2年前の第35回大会では、みんなてっきりハーフマラソンに申し込んだはずだと疑いもしなかったら、行きの船の中で確認したら、なんとピッグが一人だけ勘違いしてフルマラソンに申し込んでいて、全員が呆然とした。もちろん、一番呆然としたのは一人寂しくフルマラソンを走ることになったピッグだ。なので、メンバー全員の統一行動が重要だ。


〜 臨時船 〜


レースが開催される小豆島土庄町へは、高松から船に乗っていくんだけど、狂気のようなマラソンブームが到来する前は、楽勝だった。スタート時間の9時30分の直前ギリギリに土庄へ到着する8時20分発の高速船で行けば、全然、待たずにスタートできたのだ。

(石材店)「着替えるのもやっとで、ウォーミングアップする時間なんて無かったですけどね」
(幹事長)「最近はストレッチすらやらない事にしてるんぞ」


我々のように体力の無いランナーにとってウォーミングアップが百害あって一利無しってのは常識であり、従来から一切やってこなかったが、最近はストレッチすら無用という説を信じて実践している。つまり、朝、起きたままの体で、何もせずに自然体で走るのだ。なので港にギリギリに到着する船でも問題は無かった。
ところが昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、高速船に乗るためには、かなり早くから並ばなければならなくなった。8時20分発の前には7時40分発の高速船てのもあるが、いずれにしても高速船に乗るためには乗船の1時間前には並ばなければならなくなった。そんなに早くから並ぶくらいだったら、早めに出発するフェリーに乗るのと変わらない。おまけに、定員を無視してなんぼでも積み込んでくれるフェリーと違い、高速船は定員を厳守するため、長い間、並んだあげく、満席で乗れないなんて事態になれば悲惨だ。てことで、7時20分発のフェリーを利用するようになった。

ところが、発狂的なまで盛り上がった異常なマラソンブームのため、フェリーに乗るのでさえ困難をきたし始めていて、積み残しが出る事態になった。そのため、一昨年から臨時便が出るようになった。「臨時便」と聞いて連想するのは「奴隷船」だ。奴隷船とは、春の小豆島オリーブマラソンに亡霊のように登場する船だ。オリーブマラソンは坂手港が会場で、高松から坂手港に行く定期便が無いため、臨時船が出る。この臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいているのだ。おまけに、昨今の異常なマラソンブームにより、奴隷船には定員の3倍くらい詰め込まれるという状況になり、ますます厳しい環境で、もはや奴隷船と言うより家畜船になっている。
しかし、奴隷船は、定期便が無い坂手航路にマラソン大会の主催者が運行しているものなので非人道的だが、今回の臨時便は、あくまでも定期便を運航している四国フェリーさんがマラソン大会のために増発するものであり、一昨年、乗ってみたら、普通のまともなフェリーであり、奴隷船や家畜船のようなものではなかったので、今年も利用する事にした。

臨時便の出港は朝7時だが、去年の記事を読むと、6時半には乗船開始となっているので、座席に座るのであれば、それより早く集合する必要がある。てことで、支部長と私は6時過ぎには港に行って乗船客の列に並び、場所取りする事にした。6時過ぎに港に行くためには、5時には起きなければならないが、老人化が進んできた今日この頃、不可能ではない起床時間だ。

当日の天気予報は1週間前から雨だと言っていた。1週間も前の天気予報なんて絶対に外れるだろうと無視していたら、前日になっても天気予報は変わらず、当日の朝、起きたら、本当に雨が降っていた。最近の天気予報は正確だなあ。しかも、朝の天気予報では、一日中雨が降り続くって言ってる。
これまでタートルマラソンは、なぜか天候に恵まれていて、滅多に雨は降らず、この季節にしては暖かい日が多かった。雨が降ったのは10年前の第27回大会の時以来だ。あの時はフルマラソンに出てしまったため、冷たい雨に打ちひしがれて泣きながらトボトボとゴールした。あまりに厳しい天候だったため、一緒に出たピッグやテニス君だけでなく、高速ランナー石材店までもが揃って終盤トボトボと歩いた悲惨なレースだった。でも、その後の10年間は天候に恵まれ、気持ちの良い日が続いてきた。私がタートルマラソンに良い印象を抱いているのは、良い天気が続いている事の影響も大きい。なので、久しぶりの雨は10年前の悲惨なレースを思い出し、とても暗い気分になったが、もう観念するしかない。
ただ、6年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されている。大会が中止になるほどの雨でなければ気にしない。ただし、それは気温が高いシーズンの話であり、冷たい雨の中を走るのは嫌だ。今日の気温は微妙なところだ。

雨の中を6時過ぎに港に到着すると、既に支部長様が来ていた。ご苦労様です。チケット売り場には既に行列が出来ていたが、去年と同様、そんなに待たずにチケットは買えた。既に大勢のランナーがチケットを買っているはずだが、その割りには待合所には人が少ない。大半の人は1つ前の6時25分発の定期便に乗り込んでいるのだ。
臨時船も既に着岸していて、冷たい雨の中、傘を差して乗船口に並んでいる人もいる。我々のようにグループの席取りに来ているのだろう。でも、まだまだ数は少ないので、待合所に待機して、他のメンバーの到着を待つ。
ところが、ふと気付くと、スマホが無い。ついさきほど、到着する直前に支部長と連絡を取り合ったばかりなのに、手許に無い。辺りを見回しても、無い。支部長のスマホから電話を掛けてもらったが、着信音は聞こえない。どこかに落としてきたようだ。慌てて来た道を探しに行ったら、港の直前に落ちているのを発見した。車に踏まれた様子も無いし、雨の中だが水がしみこんだ様子も無く、無事、機能していた。良かった良かった。

スマホを発見して安心していたら、國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。夏場の山岳マラソン4連戦もそうだったし、汗見川マラソン酸欠マラソンは2年連続でドタキャンしたし。

(國宗)「あのう、済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「今日のマラソン大会ですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話聞いてくださいっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?本当は雨が降ってるからサボるんだろうけど」
(國宗)「違いますがな!出ますがな。ただ始発電車に乗っても集合時間には間に合わなくて」
(幹事長)「なんや、そんな事か。わしらが席を取っとくから、出港の7時までに来てくれたらええよ」


まだ6時25分発の定期船は出航していないけど、臨時船の列が長くなりつつあったので、仕方なく我々も冷たい雨の中に並びに行く。聞くところによると、6時25分発のフェリーも満席状態で、座る場所が無いから臨時船に流れて来た人も多いようだ。もう末期的な状況だなあ。
しばらくするとD木谷さんも到着したので、一緒に並ぶ。去年と同様、6時半になったら乗船が始まり、行列の前の方に並んでいた我々は余裕をもって広いボックス席を確保できた。しばらくするとピッグ國宗選手小松原選手も乗り込んできて、メンバーが揃った。
小松原選手は右足のアキレス腱を痛めていて、先月の龍馬脱藩マラソンも欠場するなど、しばらくレースから遠ざかっていた。

(幹事長)「もう大丈夫?」
(小松原)「なんとか走れるとは思いますが、あくまでも調整中と言うことで、今日は抑えて走ります」


来週は那覇マラソンなので、今日は無理しない方が良いだろう。

ふと見ると、いつの間にか、あっという間に満席になっていて、床に座っている人達も多い。ただ、さきほど6時25分発の定期船が出たばかりだし、7時20分発の定期船もあるので、臨時便に殺到してギュウギュウって状況ではない。ここがオリーブマラソンの奴隷船と違うところだ。
去年と同様、出港予定の7時の5分前には動き始めた

(幹事長)「出航予定より遅れるってことはあっても、早く出港するって、問題じゃないか?乗ろうと思ってたのに乗り損ねた人がいるはずだぞ」
(支部長)「定員オーバーになったんと違う?」


なるほど。定員オーバーになってしまえば、これ以上乗せられないから、それなら早めに出港しようと言うことか。でも既に、座席シートはもちろん、床の上もほぼ満席状態になっている。座席シートの数を定員とすると、もう定員の2倍くらいは乗っているように見える。

(幹事長)「どういう定員の数え方をしてるんだ?」
(支部長)「シートの2倍くらいじゃないか?」


それでも車両甲板までギュウギュウ詰め状態になるオリーブマラソンの奴隷船に比べたら半分程度か。
船が動き出すと、早速、朝食を食べるマラソンの前の食事の時間は、ゴール時間から逆算して5時間前が理想だ。今日のハーフマラソンのスタート時間は9時40分なので、家を出る前に食べるのはちょっと早すぎるため、船に乗ってから食べるのがタイミングとしてはよろしい。
以前はマラソン大会の朝食と言えば、決まって菓子パンをたくさん食べていたが、ここ数年、マラソン大会で走っている最中にお腹を壊してトイレに駆け込むことが増えてきた。その原因を考えてみたら、菓子パンが原因ではないのかって思えてきたので、去年の徳島マラソンから菓子パンじゃなくて、おにぎりを食べるように変えた。そのせいだと思うんだけど、それ以降はマラソン大会でお腹を壊していない。これは単なる気のせいではなくて、その後、NHKの「ためしてガッテン」で、パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く下痢しやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いと言っていた。もちろん、誰もがパンを食べたらお腹を壊す訳ではないが、私のように胃腸が弱い人間は牛乳と同じようにパンでもお腹を壊しやすいのだ。事実、おにぎりに変えてから、去年の徳島マラソン以来18レース連続でお腹を壊してないので、効果は間違いない。

(幹事長)「まさかとは思いつつ確認するけど、みんなハーフマラソンだよね?」
(小松原)「私は10kmですけどね」
(幹事長)「それは知ってる」
(D木谷)「えっと、私はフルマラソンですが」
(一同)「えっ!!!?」


なんと今年はD木谷さんがフルマラソンにエントリーしていた。ただ、彼は2年前のピッグのように一人勘違いしてフルマラソンにエントリーしたのではなく、他のメンバーがハーフマラソンにエントリーしたのを知りつつ、自分はフルマラソンにエントリーしていたのだ。

(幹事長)「やる気まんまんですねえ」
(D木谷)「みなさんは来週に那覇マラソンがありますが、私はこれが今年の最終レースですから」
(幹事長)「でも雨の中のフルマラソンは辛いですねえ」
(D木谷)「こんな事になろうとは思ってませんでしたから」


とは言え、ウルトラマラソンに2年連続で出場したD木谷さんだから、問題は無いだろう。

(ピッグ)「幹事長は練習は積んできましたか?」
(幹事長)「ボチボチ」


このタートルマラソンのために練習した訳ではないが、先月の龍馬脱藩マラソンに備えて今年は坂道を走るトレーニングを積んできたから、上り坂に対する不安感は無い。ただ、長距離を走るトレーニングをサボっていたため、龍馬脱藩マラソンでは、前半20kmの上り坂はクリアしたのに、後半の下り坂で撃沈してしまい、悔しい惨敗となった。でも今日はハーフマラソンなので、撃沈する前にレースは終わるだろう。


〜 小豆島へ到着 〜


おしゃべりしていたら、1時間弱で土庄港に着いた。港から会場までは1kmちょっとで、送迎バスもあるが、送迎バスに乗るには行列に並ばなければならず、それも面倒だし、歩いても15分くらいなので、いつも歩いていた。適度なウォーミングアップになるし。
でも今日は、結構、激しく雨が降っているので、歩いていく気が起きず、バスに乗ることにした。バスに乗るための長蛇の列は、意外にスムースに進み、割りとすんなりとバスに乗ることができた。

(幹事長)「これやったら来年からもバスに乗ろうか」
(ピッグ)「こんな短い距離をバスに乗るなんてランナーの風上にも置けないって言ってましたよね?」
(幹事長)「最近、記憶力が悪くて」
(ピッグ)「しかも、これが唯一のウォーミングアップですよねえ?」
(支部長)「市民ランナーにウォーミングアップは不要なんやってば」


まずは受付をしなければならないが、今日のマラソン大会は本当の受付ではない。最近は大都市のマラソン大会を始めとして、当日の受付が無く、受付は前日に済ませなければならない大会が多くなってきている。東京マラソンや大阪マラソンはもとより、神戸マラソンや奈良マラソンもそうだった。参加者が多くて当日の朝では大混乱になるからだろうけど、遠方から参加する人にとっては負担感が大きい。去年から始まった岡山マラソンに我々が誰一人参加しようとしないのは、この理由による。大阪や神戸なら、当日の朝に出発するのはしんどくて、どうせ前日に行くことになるから、前日受付でも被害は少ないが、岡山で前日受付だなんて、宿泊するには近すぎるけど、前日にわざわざ受付だけに行くには遠すぎるのでアホらしい。わざと遠方からの参加者に宿泊させようとしているのかもしれないが、参加者の利便性を考えて、なんとしても当日の受付をやってもらいたいものだ。
一方、逆に、現地での受付自体を廃止して、ゼッケンやタイム計測チップを事前に送ってくるようなマラソン大会も増えてきた。今日のタートルマラソンもそうだ。とても素晴らしい便利なシステムだ。全てのマラソン大会で採用してもらいたいシステムだが、人気が高くて競争率の高いマラソン大会だと、身代わり出走が可能になると、ダフ屋なんかが横行して収拾が付かなくなるからダメなんだろうなあ。参加申込みの競争率が低くて、身代わり出走の恐れが少ないマラソン大会だからこそできることだ。
てことで、今日は受付と言っても単にプログラムや参加記念のTシャツやおまけの醤油をもらうだけだ。

受付を済ませて、男子の更衣室になっている中央公民館の会議室に入る。ここで大問題に向き合わなくてはならない。

(幹事長)「今日は何を着るか。それが大問題だ」
(國宗)「いつもいつも何を着るかで悩んでますが、特に今日は大きな問題ですよねえ」


着るものに悩むのはいつもの事だが、いつもは悩んでいるのは私だけだ。でも今日は、みんな悩んでいる。雨がドシャドシャ降っているからだ

(支部長)「私は悩んでないで」

支部長は暑かろうが寒かろうが炎天下だろうが雨が降ろうが、常に半袖Tシャツ1枚だ。

(幹事長)「それは寒いやろーっ!」
(支部長)「汗っかきやから。それにビニール袋は被るからな」


夏の雨なら、むしろ大歓迎だけど、今の季節の雨は寒くて身体が冷える恐れがある。10年前の嫌な記憶が蘇る。少なくとも一番外側にはビニール袋を被らなければならない。ただ、ビニール袋には袖が無い。ビニール袋に穴を3つ開けて頭と両手を出すものだから、袖が無いのは当たり前だ。なので長袖シャツを着なければならない。もっと気温が高ければ、それだけでも良いが、10年前は長袖シャツにビニール袋を被っただけで走ったため、寒さに震えた。

(幹事長)「歩くと絶対に身体が冷えるからなあ」
(ピッグ)「でも10年前はフルマラソンだったから歩きましたけど、今日はハーフマラソンなので歩く事は無いんじゃないですか?」
(幹事長)「上り坂では絶対に歩く支部長は本当に大丈夫?」
(支部長)「ふふふ。最近はレフコトライアスロンの成果が出て、上り坂でも歩かないのだよ」


説明しよう。レフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、自転車マシーンに乗って、次にランニングマシーンに乗って、最後にプールに入るという、順番は異なるけど1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。最初はバカにしていたが、支部長はほぼ毎日レフコ・トライアスロンをやっているため、明らかに絶大な効果が出ており、坂にも非常に強くなっているのだ。
私もこの夏は山岳マラソン4連戦をこなして坂には強くなっているうえ、そもそもハーフマラソンくらいなら歩く心配は無い。それでも、歩かないにしても、寒いのは嫌だ。まだ暑い方がマシだ。
てな事で、長袖シャツの上に半袖Tシャツを着て、その上からビニール袋を被ることにした

(幹事長)「暑くはないよなあ?」
(國宗)「今日は大丈夫でしょう。て言うか、私もビニール袋が欲しいなあ」


國宗選手はビニール袋を持ってなかったが、支部長が2つ持っていたので、1枚は國宗選手に貸してあげる。D木谷さんが被っているビニール袋は妙に大きい。

(幹事長)「それ普通のゴミ袋より大きいですよねえ?」
(D木谷)「9月に出たウルトラマラソンの手荷物預け袋です」


手荷物を入れる袋だから丈夫だし、しかも透明で大きい。

(幹事長)「ただ、大きいから空気抵抗も大きいかも知れませんね」

一方、ピッグは、ビニール袋どころか、本物の雨合羽を着ている。コンビニなんかで売っているビニールのペラペラの雨合羽だが、フードも着いているし、丈も長い。

(幹事長)「それは確実に空気抵抗が大きいなあ」

でも、フードは邪魔になるにしても、袖が付いているので防水効果は高い。我々が被っているビニール袋は、風が身体を素通りしないから防寒にはなるけど、クビや肩に隙間があるから雨はどんどん入ってくるので、防水効果は乏しい。
小松原選手は雨合羽ではないが、薄いペラペラのウィンドブレーカーを着ている。防水効果はあるとのことだし、割りとピッチリしているので空気抵抗は無さそうだ。

上は決まったし、下も今日はランニングタイツを着用する。ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてないので、普段は履かないけど、今日は雨が降っているので防寒のために履く。さらに、普段は鬱陶しいから被らないランニングキャップも被る。手袋はどうしようか迷ったけど、雨で濡れてビチョビチョになるから履かないことにした。

(支部長)「手袋は汗を拭くために必携やで」
(ピッグ)「雨が降ってるのに汗を拭くんですか?て言うか、それ軍手だからビチョビチョになりますよ」
(支部長)「ビチョビチョの軍手で顔を拭いたらスッキリするがな」


シューズは先月の庵治マラソンでデビューしたばかりの新しいシューズだ。せっかくの新しいシューズが雨でドロドロになるのは嫌だから、古いシューズを引っ張り出して履こうかとも悩んだけど、古いシューズは踵のゴムが剥がれている。それに、雨の中を快走して雨に対する苦手意識を払拭した6年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会でも、最初は新しいシューズを履くのをためらって古いシューズを履いんてたんだけど、古いボロシューズはちょっと歩いただけで水を吸って重くなり、ビショビショで気持ち悪い状態になったため、仕方なく新しいシューズを履いた。そしたら新しいシューズは性能が良くて、濡れても全然水を含まないから重くならないし、ビショビショ感が無くて気持ち悪くなかった。なので、今日も新しいシューズを履くことにした。


〜 スタンバイ 〜


スタートまでは、まだまだ時間があり、今日は雨だからギリギリまで更衣室で待機することにしたが、取りあえずみんなで記念撮影するために外に出た。すると雨は小雨になっていた。

(支部長)「すごく小降りになってきたなあ」
(幹事長)「もう止みそうやなあ」

雨が降ってるので屋外に出たくないメンバー
(左から小松原選手、國宗選手、ピッグ、幹事長、支部長、D木谷さん)

雨が小雨になってくると、冷たさも和らぎ、なんとなく暑くなってきた。長袖シャツと半袖Tシャツだけなら暑くなるほどでもないだろうけど、その上にビニール袋を被っているので蒸れて少し暑くなってきた

(幹事長)「ちょっと暑くない?」
(國宗)「微妙ですねえ」


まだ時間があるので更衣室に引き上げると、更衣室は暖かいこともあり、どう考えても暑い。やはり1枚脱ぐことにした。小雨になったとは言え、まだ雨は降っているので、長袖シャツは必要なので、半袖シャツを脱ぐことにした。せっかく半袖シャツにゼッケンを付けていたんだけど、仕方ない。慌てて付け替える。

(小松原)「こういうのを使ったら付け替えなくてもいいのに」

って小松原選手が見せてくれたのはゼッケンを付けるベルトのようなものだ。それに付けていれば、ウェアに直接付けなくてもいいから便利だ。D木谷さんも同じものを使っている。二人ともトライアスロン用に買ったものらしい。

(D木谷)「来年のトライアスロンデビューのためにも必要ですよ」
(幹事長)「どきっ!」


長袖シャツ1枚になると身体もスッキリし、なんとなく戦う準備ができたような気分。
ハーフマラソンのスタートは9時40分だけど、フルマラソンのスタートは10分早い9時30分なので、D木谷さんがいよいよスタンバイしに行った。

(幹事長)「頑張ってくださいね」
(D木谷)「なんとか5時間以内には帰ってきます」


D木谷さんの実力があれば5時間もかかるはずはないんだけど、今日のコンディションでは何があるか分からないから、不安は残るようだ。
フルマラソン組が居なくなってしばらくすると、D木谷さんと一緒に降りていったはずの同僚の1人が慌てて戻ってきた。「やっぱり寒い!」なんて言いながら慌てて1枚重ね着している。

(幹事長)「なんか不安やなあ」
(國宗)「めっちゃ微妙ですねえ」


スタートまで20分を切ったので、スタンバイしに外へ降りていったら、さっきは小雨になっていた雨が再び激しい雨に変わっていた。そうなると、いくらキャップやビニール袋を被っていても一気に寒くなる

(國宗)「こりゃ寒いですね」
(幹事長)「こら、あかんわ!」


慌てて更衣室に戻り、半袖Tシャツを再び着る。もうゼッケンを付け替える時間はないから、ゼッケンを付けた長袖シャツの下に半袖Tシャツを着る。これでだいぶ暖かくなった。
最初は2枚着ていてスタート直前になって長袖シャツを脱ぐのは、最近は日常茶飯事だ。レースが始まって走り出してから脱ぐことだって珍しくない。先月の龍馬脱藩マラソンでも走りながら長袖シャツを脱ぎ、それを腰に巻いて走った。また、スタート前に1枚脱いで、また考え直して再び着ることも珍しくはない

(支部長)「相変わらず着るものに神経質やなあ。去年も同じ事しよったで」

去年のタートルマラソンでも、最初は2枚着てて、暑いと思ったので1枚脱いだけど、ギリギリになって寒くなり、再び慌てて2枚着た。自分でも自分の性格と言うか決断力に嫌気がさすが、悩んでいるよりは、さっさと変えた方がスッキリする。
もちろん、ウェアの選択が成功してタイムが良くなったとか、ウェアの選択に失敗してタイムが悪かったという実績は思い出せない。タイムとしては、多少、寒いくらいが一番良い。寒いのは楽しくなくて、精神的に辛いから嫌なだけだ。

(幹事長)「ただ、いつもなら気持ちの問題だけど、今日は雨だから、本当に影響するかもしれんよ」
(國宗)「確かに今年は仕方ないですね。難しいですよ」


雨脚は一向に弱まる気配が無い。でも、雨が降ってると、外に出るまではすごく抵抗があるが、いったん外に出て雨に打たれると、すぐ慣れてしまい平気になる。ビニール袋を被ってはいても、あっという間にびしょ濡れになって寒くはなるが、走り出すと身体も温まるだろう。シューズもすぐに水浸しになったが、新しいシューズは期待通り水はけが良く、全然濡れている感じが無い。雨は好ましい状況とは言えないが、実は走り出すとそんなに悪影響は大きくない。風もあったら体感温度が下がって大変だが、今日は風は強くないので問題ないだろう。

(支部長)「私は雨の方が好きやな」
(幹事長)「夏ならともかく、この季節なら雨の方が良いって事はないやろ?」
(支部長)「いやいや、雨の方が呼吸が楽になって快調に走れるんや」


支部長は極端な汗かきなので、雨に対する苦手意識が無くなったどころか、むしろ雨を好むようになってしまった。
スタート地点に移動していると、ちょうど10分前にフルマラソンの部がスタートした。フルマラソンの部の参加者がいなくなった後にハーフマラソンの部の参加者が整列する。例年に比べて、やけに前の方に整列することができた。なんとなく参加者が少ないような気がする。

(國宗)「雨のせいで参加者が少ないんですかねえ」

でも、しばらくして後方を見ると、遙かかなたまで参加者が連なっていた。みんな雨の中に出るのが嫌だから、ギリギリまで待機していたようだ。スタート地点の集合場所は、一応、目標タイム順になっているが、こんな状態なのでグチャグチャだ。速いランナーと遅いランナーが一緒くたにごちゃ混ぜになっているとスタート時の混雑がひどくなり、混乱して良くないんだけど、こんな天候なら仕方ない。どっちみちグチャグチャだ。

雨で空気が冷えているせいか、頭は冴えたような感じになり、なんとなく闘志が沸いてきた。上り坂に対する不安も無いし、もしかしたら良いタイムが出るかもしれない。

(幹事長)「なんだか今日は行けそうな気がするぅ〜」
(ピッグ)「相変わらずスタート前はアドレナリンが爆発して勘違いしますよねえ。
       その勘違いで今まで何十回、何百回も失敗してきたんですよね」
(幹事長)「それにしても、みんな緊張感が無いなあ」
(支部長)「え?何に対する緊張感?」
(幹事長)「ゾウさんなんて、スタート前には胃がキリキリ痛むって言ってるやん。それくらいの緊張感が無いと良いタイムは出るはずないわなあ」


マラソン大会に参加し始めた頃は、我々もスタート前には緊張していたものだが、今は何の緊張感も無い。もうちょっと緊張感があった方が良いタイムが出るに決まっている。


〜 スタート 〜


なんて言ってたら、あっという間にスタートの号砲が鳴った。いつもなら混雑してスタートラインを越えるまで30秒くらいかかったけど、今日は10秒くらいでスタートラインを越えたし、スタートラインを越えてからも混雑は少なかった。路面はあちこちに水たまりが出来ていて走りにくいけど、シューズは水はけが良いから、あんまり神経質に水たまりを避けたりせず走った方がいい。風が無いため、体感温度としては寒くなく、ちょうど良い感じだ。やはり今日は良いタイムが出るかもしれない。

もちろん目指すのは大会自己ベストだ。どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
このタートルマラソンのハーフマラソンの部の大会自己ベストは50を過ぎた7年前に出したものだ。そのときは最初は抑え気味にスタートして、徐々にペースを上げていくという理想的なパターンだった。以前は、ペースは下がるものであり、上げていくなんて理想的なレース展開は現実には不可能だと思っていた。しかし最近は、タートルマラソンにしてもオリーブマラソンにしても、良いタイムが出たのは、徐々にペースを上げていくことができた時のものだ。
とは言え、序盤にどれくらいペースを抑えて走ったらいいのかは難しい。最初から遅いペースで走れば、最後までペースは落ちないだろうが、適度に頑張らないと良いタイムは出ない。終盤に潰れないギリギリのペースが理想だが、なかなか難しい。

しかも、このタートルマラソンは距離表示が5kmおきにしか無いから、5km走るまでは、なかなかペースが分からない。まずは自然体で走ってみて、最初の1kmのタイムで、その日の調子を把握しつつ、軌道修正を図ったりしたいのに、それができないのだ。いくら調子が良いような気がしても、オーバーペースになっていると注意しなければならないし、あんまり遅すぎると多少は頑張る必要もあるので、きめ細かいペース管理が必要なんだけど、距離表示が少ないから、それができないのだ。適度な緊張感を維持しながら、なるべくペースが一定になるように気をつけながら、まずは淡々と自然体で走るしかない。

2kmほど走った頃には、だんだん身体が温まってきて暑くなり始めた。レース前にちょうど良い感じだったので、走り始めたら暑くなるのは予想されたが、やはり暑くなってきた。雨が降ってなければ、暑くなったら即、1枚脱ぐのが常だが、雨が降っている中で脱ぐのは大変だ。被っているビニール袋を脱ぐ手もあるけど、ビニール袋はかさばって持ち運ぶのが大変だ。捨てるのならいいけど、再び必要な局面も予想されるので、捨てるのも躊躇われる。仕方なく、取りあえずは、そのまま走る。

2kmほど走ったら最初の大きな坂が現れる。このコースは、とにかく坂が多い。まず、2kmちょっと走ったところから大きな坂が始まる。この坂が終わると、今度は5km半くらい走ったところから中くらいの坂がある。さらに8kmほど走ったところからちょこちょこと小さなアップダウンがあって、9kmほど走ったところから3つ目の大きな坂がある。そして、それに続く小さな坂の途中でハーフマラソンは折り返して帰ってくる。とにかくフラットな区間が少ない非常に厳しいコースだ。
てことで早速現れた最初の大きな坂は1kmほど上りが続く。ただ、長く大きな上り坂ではあるが、今年の夏に4連戦した山岳マラソンに比べたら死ぬほどの急勾配でも無い。それに、まだまだ序盤なので力は有り余っている。もちろん、だからと言って調子に乗ってストライド走法の大股でグイグイ上っていくと、後からダメージが来る。金さんの話によれば、上り坂で無理に筋肉を使うと、終盤に大きなダメージになって返ってくるので、チョコチョコとピッチ走法で刻んで上るのが良いらしい。なので、序盤でまだまだ元気だけど、自重してチョコチョコと登っていく。
なんとここで傘を差して走っているおっさんが現れた。小さな折りたたみ式の傘だが、それでも走るには空気抵抗が大きいはずで、ペースは遅い。それにしても、20年以上、マラソン大会に出ているが、マラソン大会で傘を差して走っているランナーを見たのは初めてだ。そんなに雨が嫌なのか?雨合羽じゃダメなのか?走りにくくないのか?もう信じられない。そこまで雨が嫌なら走るの止めたらいいのに。

1kmほど淡々と走っていくと上り坂が終わり、下り坂となる。金さんの話によれば、下り坂でも大股でガンガン走ると足に筋肉にダメージが溜まり、終盤に足が動かなくなるから、上り坂と同じように小走りで下りろと言ってたけど、フルマラソンなら気をつけた方が良いだろうが、所詮ハーフマラソンなので気にしないでもいいと思い、従来通り、思いっきり転げ落ちるように大股で駆け下りる。周囲のランナーも似たようなペースで走っているので、順位は変わらない。下り坂になると楽になる上にスピードも上がるので、思った通り暑さは和らぎ、ちょうどいい体感温度となる。

坂を下りてしばらく走ると、ようやく最初の5km地点の距離表示がある。時計を見ると、思ってたより、だいぶ遅い。5kmで27分もかかっている。これじゃあ大会自己ベストなんて到底無理じゃん。雨とは言え、そんなに走りにくく感じてる訳でもないし、もっと速く走れているものとばかり思っていた。ちょっと気合いを入れ直す。

ここまで他のメンバーの姿は見かけなかった。私は雨の悪条件にもかかわらず結構、順調に走れているが、みんな悪戦苦闘して後ろの方だろう。なーんて思って油断していたんだけど、ふと前方を見ると、なんとピッグの後ろ姿が見えるではないか!あのビニールガッパは間違いなくピッグだ。さすがに頭に被っていたフードは後ろに外しているが、その代わりに目立つオレンジのキャップが見える。一体、いつ追い越されたんだろう。全然、気が付かなかった。白い大きな雨合羽を着ているランナーは少ないし、オレンジのキャップも目立つから、追い越されたら気が付くはずだ。もしかしたら最初のうちから前を走っていたのを、ここでようやく追い付いたのかも知れない
どっちにしても、永遠のライバルであるピッグに負ける訳にはいかない。ピッグは一昨年の海部川風流マラソン大会ではサブフォー目前の好タイムを出して手が届かないところに行きかけたが、その後は練習量激減により低迷状態が続いており、今年は夏の山岳マラソンシリーズも先月の庵治マラソンも私が勝った。しかも、去年のタートルマラソンではゴール直前で逆転されて悔しい思いをしただけに、今年はなんとしても勝たなければならない。
て事で、ちょっと気合いを入れてペースアップすると、少し距離が縮まった。でも、なかなか追い付けない。あんまり無理すると後半に悪影響が出るので、どうしようか悩む。やはり、追い抜かれた覚えは無いので、最初から前方を走っていたピッグに追い付いたのではないかと思える。もし、そうなら、だんだん弱ってきているって事なので、そんなに無理しなくても、そのうち彼の方から脱落してくれるような気がする。て事で、取りあえず少し間を開けたまま着いていく

ピッグが前を走っているとなると、気になるのは支部長の動向だ。支部長も調子が良いときは前半から飛ばす。いくら前半に飛ばしても、終盤に坂があるコースなら、坂に弱い支部長は終盤の上り坂では絶対に歩くから簡単に逆転することができる。なので、終盤も絶えず上り坂があるタートルマラソンでは負ける気がしなかった。ただ、上にも書いたように、最近はレフコ・トライアスロンの成果が出て坂に滅法強くなり、終盤の上り坂でも歩かなくなっており、“坂に弱い支部長”は過去の話になっているから油断は禁物だ。でも、たぶん、まだ後ろにいると思われる。
さらに伏兵國宗選手の動向も分からない。彼も速いときには負けてしまう。ただ、最近は、ドタキャン國宗の異名を取るほど仕事で不参加するケースが多く、練習量は決して十分ではないだろうから、まだ後ろにいる可能性が高い。

5km地点を過ぎると、今度は中くらいの大きさの2つ目の坂がある。最初の坂に比べると、そんなに大きくもないし、まだまだ快調に飛ばせていているのでペースは落ちていないはずだ。
最初の給水所が現れたが、まだまだ全然喉は渇いてないし、雨で空気も湿っているので、給水はパスする。
思ったより遅い割には、この辺りからやけに遅いランナーが目に付くようになってきた。スタートは割と前の方からスタートしたから、私より前に遅いランナーがこんなにいたなんて不思議だが、なんでもいるのでホイホイ抜いていく。遅いランナーを抜いていくのは気持ち良いけど、調子に乗ってスピードアップし過ぎたら、終盤に撃沈するから、要注意でもある。

2つ目の坂をクリアし、ちょこちょこと小さい坂をいくつか越えると、3つ目の大きな坂が出現する。この坂を上り始めた頃、トップランナーが折り返してくる。しばらくすると2位や3位のランナーも折り返してくる。彼ら上位の選手は、雨だと言うのにランニングシャツ1枚で走っている。当然ながらビニール袋なんか被っていない。あれだけガンガン走っていると身体も熱を発散して寒くないんだろうな。

3つ目の坂を下りた辺りに、10km地点がある。時計を見ると、この5kmも最初の5kmとほぼ同じタイムだ。全然ペースアップできてないって事だ。結構、頑張っているつもりだったのにガッカリ。どうりでピッグに追いつけない訳だ。ピッグとは相変わらず少し距離が開いたままだ。もう完全に大会自己ベストは不可能となった。せめて、ここから奮起して去年のタイムは上回りたいが、そのためにはだいぶペースアップしなければならない。相変わらず遅いランナー達を次々と大量に追い抜きながら、ふと気が付いた。この人たちはフルマラソンの部のランナーじゃないか!フルマラソンの部はハーフマラソンの部の10分前にスタートしたばかりだから、ペースが遅い集団には5kmを過ぎた辺りから追いついても不思議ではないのだ。そうだったのか。自分が速くなっていたのかと思っていたけど、大きな勘違いだった。あんまり無理して追い抜いたらペースアップのし過ぎになるかも、なんて心配したのも、とんだ勘違いだった。慌てて気合いを入れ直す。

2つ目の給水所が現れた。雨の中、まだ全然喉は渇いていないが、取りあえず念のために水分補給しておく。
ほんの小さな坂を少し上ると、ようやく中間の折り返し点がある。まだこの時点ではピッグはすぐ前を走っている。折り返してから後続のメンバーをチェックすると、國宗選手が5分遅れくらいで走ってきた。さらに、そのすぐ後ろから支部長もやってきた。しんどそうにも見えるが、よく分からない。

後半に入っても、特に足が重くなったような感じではなく、まだまだ戦えそうだ。なんだけど、少しずつピッグの後ろ姿が遠ざかる。ピッグがペースアップしたのか、私がペースダウンしているのか分からないが、なんとなく追い抜いていくランナーが多いような気もする。自覚は無いけどペースダウンしているのだろうか。
相変わらず雨は降り続いているが、全く気にはならない。水たまりも時々あるけど、これも障害にはなっていない。風は弱く大会温度はちょうどいいくらいだ。なのでペースダウンしているとすれば、天候のせいではなく、単に自分の実力の問題だろう
折り返し点からだいぶ走ると、すれ違うランナーの数も減ってきて、ほとんど最後尾に近くなったところに、なんと、またまた傘を差したランナーがいた。前半で追い抜いた傘差しランナーはおっさんだったが、今度の傘差しランナーはおばさんだ。指しているのは同じく小さな折りたたみ式の傘だ。もちろん、走るには空気抵抗が大きいはずで、とても走りにくそうだし、実際に、とても遅い。マラソン大会で傘を差して走っているランナーを見るのは初めてだが、それを2人も見るなんて、理解できない。もしかして、世の中、傘を差してマラソンを走るのは普通なのか?

帰りの2つ目の坂を登り切った辺りに15km地点があり、タイムをチェックすると、頑張っていると思うのに、恐れていた通り大幅にペースダウンしている。大会自己ベストどころか、去年のタイムを上回るのすら不可能な状況だ。非常にまずい。こうなると、せめて恥ずかしいタイムだけは避けたいと思う。ピッグとは良い勝負をしたいところだが、もうほとんど後ろ姿すら見えなくなってしまった。

あと残り6kmなんだから、もう後は考えずに全力を出し切れればいいんだけど、いくら気持ちではそう思っても、なかなか足は思うようには動かない。下り坂では思いっきり駆け下りても、フラットになると、とたんに足が前に上がらなくなってきている。
終盤になると、5kmごとの距離表示のほか、「あと3km」ていうような表示が出てくる。最後の大きな坂を登り切った頃に「あと3km」の表示があり、つまり18kmちょっとの地点だが、ここでのタイムをチェックすると、ペースアップどころか、トンでもなくペースダウンしてて、なんと1km6分近くもかかっている。普通、こんなにペースダウンしていたら自覚がありそうなもんだけど、今日はそんなに遅くなっている気がしないのに極端なペースダウンをしている。4月の徳島マラソン5月のオリーブマラソンも、それほど自覚は無いのにトンでもないスローペースになってしまって空前絶後の惨敗を喫したが、それと似たような状態だ。天候のせいにもできないくらいの惨敗状態だ。一体、どうしたんだろう。単なる老化なんだろうか。でも、ペースは信じられないくらい遅くなっているが、最近は坂道には強くなっているので、最後の大きな坂でも歩きたいなんて発想は全然出てこない。周囲には歩いているランナーもいて、むしろ追い抜くチャンスなので、上り坂は大歓迎だ。

次の1kmは、最後の大きな坂を下る区間なので、さすがにペースアップできたが、それもそこまで。「あと2km」地点からの残り2kmはフラットな区間なので、一気にスパートを掛けて突っ走ればいいんだけど、イマイチ真剣に気合いが入らない。こういう時、目標があれば頑張れるんだけど、去年のタイムを上回るのすら不可能な状況で、モチベーションはダダ下がりだ。6年前のレースでは、この辺りでH本さんの後ろ姿を発見し、なんとか追いつこうと必死になって追いかけたおかげで、一気にペースアップできたが、適当な目標が無くなった今、精神力の維持が難しい。
そのため、「あと1km」地点で見たタイムは、遂に6分を大きくオーバーする呆れるほどのペースダウンぶりだった。せめて恥ずかしいタイムだけは避けたいと思っていたが、いくらなんでも2時間をオーバーするような事にはならないだろうけど、どれくらいなら恥ずかしくないタイムと言えるのか。さすがに最後の1kmは、ちょっと気合いも入ってペースアップできたけど、何の意味も無くなったペースアップだ。


〜 ゴール 〜


結局、とんでもなく情けないタイムゴールした。夏場の山岳マラソン4連戦をこなし、庵治マラソンもパッとしなかったとは言え長期低落傾向には歯止めをかけたんだけど、春の徳島マラソンやオリーブマラソンから続く極端な不振状態からの脱却はできなかったような気がする。

呆然としながら後続メンバーを待っていると、意外に早く國宗選手が帰ってきた。さらに続いて支部長も帰ってきた。支部長はギリギリで2時間を切れなかったが、折り返し点で5分あった私との差を一気に縮めていると言う事は、後半は私よりだいぶ速かったと言うことだ。

(支部長)「最後まで力尽きる事は無かったな」
(幹事長)「最後の大きな上り坂も歩かなかった?」
(支部長)「歩こうなんて発想は無かったな。上り坂で何人か追い抜いたで」


ひえ〜。あれほど上り坂に弱かった支部長が上り坂で追い抜くなんて、もう別人に生まれ変わったとしか思えない。

(幹事長)「半袖1枚で寒くなかった?」
(支部長)「全然。雨で呼吸が楽やったわ」
(國宗)「いや、寒かったですよ!支部長が貸してくれたビニール袋が無かったら死んでましたよ!!」


既に早々とゴールしていたピッグは、後半にペースアップするという理想的な走りにより、結構、良いタイムだったから、今日は完敗だ。

(幹事長)「その雨合羽、邪魔じゃなかった?」
(ピッグ)「調子良かったから、あんまり気になりませんでしたね」


結局は、気持ちの問題なのか。
かろうじての慰めは、タイムが悪かった割りには、順位は去年と変わらず全体の上位1/4くらいに入っていることだ。ちょっと俄には信じられないが、もしかしたら今日は天候が悪かったから全体的に遅かったのかも知れない。

記録証をもらうと、なんと景品が当たっていると言われた。順位で色んな賞が用意されているのだ。もらったのは参加賞で貰ったのとよく似た醤油だった。ピッグも同じようなものが当たった。そして、なんと支部長は年代別順位がちょうど100位だったので、箱入りの立派な景品を貰っていた。なんでこんなに大当たりなんだろうって思ってプログラムを見ると、各部門の1位のほか、色んな順位賞がハーフマラソンだけで263人も当たることになっていた。それでもハーフマラソンの参加者は1271人もいるのだから、3人も当たるってすごい確率だ。

タイムは悲惨だったが、景品をもらって気を取り直したところで、このマラソン大会の一番の楽しみであるソーメンをもらいにいく。レースの終盤は、早くゴールしてソーメンを食べる事を心の支えにして走る、と言われるほど、ソーメンはこのマラソンの重要な楽しみだ。周辺に飲食店がほとんど無いため、このマラソン大会ではお弁当が支給されるが、長距離を走り終わってバテている時にお弁当は喉を通らない。でも、暖かいソーメンは喉に優しい。特に今日みたいに雨で身体が冷えた時には暖かいソーメンがお腹に優しい。あまりに美味しかったので、今年も2杯もらった。
ソーメンを堪能して落ち着いたところで更衣室に戻り、濡れた身体を拭いて着替えを済ませる。去年は帰りの船の中でお弁当を食べたけど、今日は雨が降っていてお弁当を持ってウロウロするのも大変なので、ソーメンを食べたばかりだけど更衣室でお弁当を食べる。


〜 帰りの船へ 〜


お弁当を食べ終わったら、帰りの船に乗るために港へ行かなければならない。帰りの船の出航時間まで1時間以上もあるが、早めに行かないと座れないのだ。去年は早めに乗り込んだから、ボックス席を確保できて、ゆっくり帰ることができた。ところが、下に降りると、港へ行くバスに乗るのに長蛇の列が出来ている。歩いても行けない距離ではないが、元気だった朝ですらバスで来た我々に、雨の中を傘指して歩いていくなんて発想は無い。

(幹事長)「どんなに時間がかかろうがバスに乗るぞ!皆のもの、よろしいか!」
(一同)「おおうっ!」


結局、バスに乗るために時間を使ってしまったのが敗因となり、港に着くとフェリーに乗るための気が遠くなるような行列が出来ていた。雨の中を傘指して待つのかと思うとウンザリだが、幸い雨はだいぶ小降りになってきた。それでも、なんとなく殺気立っている。なぜかと言うと、フェリーは既に着岸していて、いつでも乗れそうなのに、30分前にならないと乗せてくれないのだ。規則通りなんだろうけど、雨の中を待っている客としては早く乗せて欲しい。てな事で、列の後ろの方では、客と係員が怒鳴り合いのイザコザを起こしていた。
ようやく船に乗り込んで、ダッシュして席を探したが、まとまって座れる場所は無く、仕方なく床のスペースを確保して転がった。10kmの部に出た小松原選手はとっくの昔に帰っており、またフルマラソンを走っているD木谷さんはゴールまで時間がかかるので別行動となったため、帰りは4人だ。

船が動き始めてしばらくすると、フルマラソンを走り終えたD木谷さんから連絡が入った。4時間30分を切ってゴールできたとのことだ。この天候で、ここのコースで4時間半を切れれば十分だ。しかもD木谷さんまで順位賞に当たったとのことだ。すごい確率だ。國宗選手だけは当たらなかったけど、実は去年は彼だけが当たっていたので、結構、平等にできているもんだ。

船の中では、阿南のスーパー女性ランナーY浅さんに再開した。先月の龍馬脱藩マラソンでは、前半の上りは同じようなタイムだったのに、後半の下りで撃沈した私と違って、最後までマイペースで悠々とゴールした強者だが、今日はのんびりゆっくり走ったそうだ。彼女は今年も2週間後の奈良マラソンに出るとのことで、次の再開は1月の満濃公園リレーマラソンだ。
元気そうな彼女を見ていると、こっちも元気が沸いてくるが、今日の結果を考えると、また元気が無くなる。

(幹事長)「相変わらず惨敗が続いているけど、なんでかなあ?」
(支部長)「それは既に惨敗じゃなくて、それが今の実力通りなんよ」
(ピッグ)「私は練習量の割りには満足いく結果でしたよ」


タイムが悪いのも悲しいが、全力を出し切れてないのが情けない。昔は走り終わってゴールしたら足が痛くて動けなくなったものだが、最近は、どうしても余力が残ってしまってて、ゴールしても平気で歩けてしまう。終盤、足がどんどん重くなって、どんどんペースが落ちていったんだけど、本当は余力が残っており、なんとか精神をコントロールして余力をうまい具合に引き出せれば、全力を使い切れるだろう。かつて、ゴールした後に足が痺れて動かなくなっていたのが懐かしい。今は不完全燃焼感が満ちあふれて、達成感が乏しい。情けないなあ。

(幹事長)「ここは気持ちを切り替えて、今日のレースはあくまでも那覇マラソンの調整ということで、本番は来週の那覇マラソンだあっ!」
(支部長)「小松原選手の話によると、那覇マラソンは真剣に走るレースじゃないって事だよ」


なんでも、1週間後に迫る那覇マラソングルメマラソンであり、エイドで色んな沖縄名産品を飲み食いするのが目的のランナーが大半なんだそうだ。どうりで完走率が異常に悪いと思った。

(幹事長)「エイドの誘惑に負けて居直るか、好タイムを目指すべきか、悩むところやなあ」
(支部長)「真剣に走り始めても、どうせすぐに撃沈して、グルメマラソンになるんやってば」


〜おしまい〜




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