第33回 瀬戸内海タートルマラソン大会

〜 絶好のマラソン日和で最悪の結果 〜


2012年11月25日(日)、小豆島において第33回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催された。

このマラソン大会は、僕にとっては初めて参加したマラソン大会ということで、一番愛着がある大会だ。坂が非常に多くて厳しいコースなんだけど、季節が良いせいか、それとも相性が良いからか、なぜかタイムも悪くないので、最初に出た第16回からほぼ毎年欠かさず出ている。

なんだけど、実は今年は同日に開催される
大阪マラソン神戸マラソンを狙っていた。どちらも去年から開催されたばかりの若いマラソン大会で、走り飽きた小豆島の田舎道を走るより、大都会のど真ん中を走ってみたいと思って応募したのだ。

(石材店)「一番愛着があるとか何とか言いながら浮気者ですね」
(幹事長)「人生の基本やな」


しかしながら、競争率が10倍を超える東京マラソンならまだしも、そこまで競争率が高くない大阪と神戸なら、どっちかは当選してもいいと思っていたのに、見事に両方とも落選してしまったのだ。ついでに言えば、来年3月の第2回
京都マラソンも落選した。関西3都マラソンにことごとく落選した訳だ。
で、大阪も神戸も落選してしまったため、結局、今年も瀬戸内海タートルマラソンへの出場となったのだ。

(石材店)「東京マラソンに当選したから良かったじゃないですか」
(幹事長)「許す」


ま、今シーズンは
東京マラソンに7年目にしてやっと当選したから、関西3都マラソンに立て続けに落選したけど悔しくはない。ただ、言わしてもらえば、大阪と神戸なんて隣同士なんだから、同じ日にぶつけずに調整しろよと言いたいぞ。

で、この瀬戸内海タートルマラソンは、徳島マラソンが無かった頃は近場の貴重なフルマラソンだったので、ときどきフルマラソンの部に出ていた。でも4年前に坂が無いフラットな徳島マラソンができてからは、厳しい坂が多い瀬戸内海タートルマラソンは、ハーフマラソンの部にしか出ていない。フルマラソンは1年に1回で十分だと思う。おまけに青森に単身赴任していた最近3年間は、青森でもフルマラソンの弘前アップルマラソンに出てきたので、1年に2回もフルマラソンに出ていたわけで、この瀬戸内海タートルマラソンでフルマラソンを走る体力と気力は残ってなかった。

しかし、今年は上にも書いたように、同じ日に開催される大阪マラソンと神戸マラソンに申し込んでいて、どっちかは当選するだろうと思っていたので、
気持ちとしてはフルマラソンを走る気満々だった。別に、それに向けて練習していた訳では決してないが、気持ちの上だけではフルマラソンを走る予定だったので、半ばやけくそで、代わりに瀬戸内海タートルマラソンをフルマラソンで申し込んでしまったのだ。

て事で、今年は
暑い夏が終わって9月頃から割と練習量を増やしてきた。もともとが貧弱な練習量なので、増やしたと言っても、たかがしれてるんだけど、いつもよりは少し多かった。毎週、平日に2回、仕事が終わって帰宅してから5km走り、週末は20km以上をチンタラ走っていたから、毎週30km以上は走っていた。

(石材店)「むしろ1週間に30kmも走ってなかったっていうのは練習不足ですよ」
(幹事長)「えっ?そうなん?」
(ピッグ)「えっ?そうなん?」


つまり、練習量が多かったなんて言ったって、真面目なランナーに比べたら少ない方だ。なのに、普段の練習量が少なかったためか、ちょっと練習量を増やしただけで、それが負担になって
足首を痛めてしまったのだ。週末にチンタラ走っていたら、15kmくらい走った時点で、突然、足首がキリキリと言うかチクチク痛み出し、さらにしばらく走っていると、もう痛みで走れなくなってしまった。翌日になると痛みだけでなく、足首が腫れてきて、さらに翌日になっても痛みが一向に治まらないので整形外科に行った。超音波とか使って色々診てくれたが、骨や筋に別状は無く、筋肉が使いすぎて炎症を起こしているとのことだった。使いすぎなんて、言うのが恥ずかしいくらいしか走ってないんだけどね。痛みや腫れを抑えるための飲み薬や塗り薬ももらったけど、結局は治るまで待つしかないとの事だった。
ただ、2週間後にあった庵治マラソンへの出場については、痛みが無くなれば走っても大丈夫、との事だった。

(石材店)「そんなもんですよ。僕なんか慢性的に足首の炎症を抱えてますから、ちょっと走れば痛くなりますけど、気にしてませんよ」
(幹事長)「え?そ、そんなもんなんか?」
(支部長)「私だって、はしれば必ず足の爪を内出血しますよ」
(幹事長)「そ、それは、また全然違うような・・・」


てな事で、痛みが無くなればOKなので、庵治マラソンにも出場した。なんちゅうても、今年は2月の丸亀マラソン以来、まともにレースで走ってなかったので、庵治マラソンを欠場すると、9ヵ月もレースに出ないままフルマラソンを走る事になるのだ。いくらなんでも、それは不安すぎるので、なんとしても庵治マラソンには出場したかったのだ。庵治マラソンは、距離は12mと短いとは言え、このフルマラソンの1ヵ月前の貴重なレースなのだ。長いブランクを乗り越えてフルマラソンを戦うには、せめて庵治マラソンでは、そこそこのレベルに戻しておく必要があると思うのだ。

(ピッグ)「でも結果はパッとしなかったですよねえ」
(幹事長)「悲しい・・・」


なんとか足首の痛みも治まり、なんとか気分も盛り返して出場したものの、いざ走り始めると、足首の痛みが不安になってきて、いまいち全力が出せない。精神的に怖くて思い切れないのだ。結局、これまで7回開催された庵治マラソンのうち、コースを知らなかったから戸惑った第1回大会に次ぐワースト2番目の悪いタイムだった。
てことで、結局、大きな不安を抱えたままでの今回の瀬戸内海タートルマラソンの出場となった。



さて、この愛着ある瀬戸内海タートルマラソンだが、毎年、しつこく四電ペンギンズの他のメンバーにも参加の圧力をかけているのに、なぜか参加メンバーが極端に少ない。僕のような思い入れが無いせいか、同じ小豆島でも春のオリーブマラソンなんかに比べて、ペンギンズのメンバーの参加率はとっても悪い。サンポート高松トライアスロンとかこんぴら石段マラソンと言ったマイナーなレースに初参加を続けている支部長は、瀬戸内海タートルマラソンなんて目もくれず、次は津田のクロスカントリーなんて、これまたマイナーな大会に出ようか迷っているし、ピッグは11月始めの羽ノ浦マラソンで今年の走り納めになってしまった。そして、去年、唯一人いっしょに参加してくれたトリ君は、今年は同じ11月25日に開催される高知県日高村のひだか茂平マラソンに出ることになった。

て事で、今年、唯一人いっしょに参加してくれたのは國宗選手だ。國宗選手は、今年の満濃動物リレーでペンギンズにデビューした後、丸亀マラソンや小豆島オリーブマラソンに出場している新進気鋭の元短距離ランナーだ。
それから今年は、同じ職場のW部選手が参加した。渡B選手はランニングを始めて、まだ2年ほどで、レースにも数えるくらいしか出たことはない。

(支部長)「私らの長いキャリアに比べれば、まだまだヒヨッコですなあ。赤子の手をひねりますか」
(幹事長)「いやいや、既に私らのレベルではないのよ」


W部選手は、平日に仕事が終わって帰宅してから20km以上平気で走る練習の虫で、今年の徳島マラソンでは、なんと3時間40分の好タイムを出している。

(幹事長)「僕らも毎日20km走ったら、それくらい速くなれるんかなあ?」
(支部長)「毎日20kmも走るくらいやったら、マラソン止めますわ」


毎日20kmも走ったら、足首が炎症おこしてパンパンに腫れる事だけは間違いないだろうなあ。



今年は天候がいまいちで、すっきりしない雨が降る日も多いのだけど、レース当日は朝から良い天気だった。基本的に、この瀬戸内海タートルマラソンの開催日は、天気が良くて気持ちの良い絶好のマラソン日和が多い。今年も、なぜかこの日は良い天気。気温は低めだけど、風もないし、絶好のコンディションだ

今年も小豆島へはフェリーで行くことにする。以前は、ちょうど良いタイミングで高速船があったため、多くのランナーが高速船を利用していた。ちょうど良いタイミングとは言っても、ウォーミングアップをしない僕にとっては、ちょっと早かった。あんまり早く行ってもヒマなだけなので、僕はそれよりさらに遅い高速船を利用していた。それだとスタート時間になんとかギリギリで間に合うという多少リスキーな時間設定だけど、そんなギリギリの船に乗るような気合の入っていないランナーはごく少数なので、空いていたのだ。多少リスクはあるとしても、着替えたら即スタートという時間設定なので、待たなくても良いのが嬉しいところだ。
ところが最近は海運不況で便数が半分に減ったため、みんなが乗っていた高速船の便がなくなり、僕が乗っていたギリギリの便だけになってしまった。そうなると客が集中し、高速船に乗るためには、かなり早くから並ばなければならなくなった。高速船に乗っている時間はフェリーの半分の30分だけど、並ぶ時間を入れると、フェリーと変わらないうえに、並んだあげく、もし満席で乗れないなんて事態になれば悲惨だ。フェリーと違って、高速艇は定員オーバーの乗客は絶対に乗せないから、もし満席になってしまったらアウトなのだ。
そんな訳で、最近は料金も半額で済むフェリーを利用することが多い。ただ、高速艇なら30分で着くところを、フェリーだと1時間もかかるし、それまで乗っていた高速艇より1時間も早い7時20分に出港するので、シートに座ろうと思えば30分前には乗らなければならない。そうなると、かなり早起きしなければならない。

(幹事長)「シートに座るためには30分前には乗り込んでおかねばならんからな」
(國宗)「結構、早いですね」


ところが、去年の記事を読むと、30分前では既に遅かった事が判明。慌てて40分前集合にする。

(石材店)「ほんとに記憶力が無いですねえ。1年前の事でも完璧に忘れてますね」
(幹事長)「ただし、最近は自覚があるから、去年の記事を読み返すだけマシやで」


この大会に限らず、前年の記事を読み返すのは鉄則だ。
で、去年の教訓を胸に、当日は40分前に船着き場に到着した。すると、どうだ。船の乗船口には既に長蛇の列だし、チケット売り場にも長蛇の列だ。まずい。慌てて國宗選手に電話する。

(幹事長)「もしもし。今どこ?」
(國宗)「並んでます」
(幹事長)「チケット売り場?」
(國宗)「いえ。乗船口です」


て事で、良い子の國宗選手が僕より早く到着して、既にチケットを買った上で乗船口に並んでくれているので、取りあえず一安心。
チケット売り場の列には、なんと、たまたま近所の人が並んでいる。そんなに親しい人ではないが、娘同士が小学校、中学校、高校の同級生で、子供同士や母親同士は親しい。

(幹事長)「いつから走ってるんですか?」
(近所)「いや、つい最近始めたばかりで、レースに出るのは今年のオリーブマラソンが初めてだったんですよ」


その後、庵治マラソンにも出て、今回が3回目だそうだ。最近の爆発的マラソンブームを象徴するような人だ。で、こういう人に限って、練習量が多かったりするのだが、この人も、仕事が終わって帰ってきてから10km走ったりしているらしい。だから、キャリアが短いからと言ってバカにすると、あっさり負けたりするのだ。

チケット売り場の列は順調に流れ、チケットは購入したが、その頃には既に乗船口は開いていて、乗船口に並んでいた人は既に乗り込んでいる。で、僕が乗り込んだ時には、当然ながら既にシートはいっぱいだ。しかし、良い子の國宗選手がシートを確保してくれていたので、悠々と座ることができた

(幹事長)「ほんまに早くから済んません」
(國宗)「まだ琴電が動いてなかったんですよ」


なんと琴電って、意外に始発が遅く、最寄りの駅からでは間に合わないので、ちょっと離れたJRを利用したんだそうだ。本当にご苦労さまでした。
一方、初参加のW部選手は、僕よりもさらに遅く、堂々の重役出勤だ。國宗選手が大きいシートを確保してくれていたので、彼も無事、座ることができた。

無事、座ることができたので、朝食のパンを食べる。以前は、家できちんと食べてから出ていたんだけど、普段より食べる時間が早すぎるからか、あるいは十分にエネルギーを補給しようと思って大量に食べるのが悪かったのか、レース中にお腹を壊す事が多かった。なので、最近は、移動中に適量の食事をするように心がけている。それに、金さんか誰かが書いていたけど、ゴールの時間から逆算して5時間前に食事するのが良いのだそうだ。僕の場合、フルマラソンだと5時間くらいかかることも多いので、それだとスタート直前に食べないといけなくなる。さすがにそれじゃあお腹が痛くなるが、できるだけ遅く食べるのがよろしい。



お腹いっぱいになって、少しだけうたた寝したら、小豆島に着いた。港からは会場までは送迎バスがあるが、乗り場に長蛇の列が出来ているから歩いていく。歩くと10分少々くらいなので、適度なウォーミングアップになる。歩き始めると、ちょっと肌寒いくらい気温が低いが、空を見ると澄み渡った快晴で、風も無く、絶好のコンディションだ。

(幹事長)「最高のコンディションやなあ。何の言い訳もできんなあ」
(國宗)「1ヵ月前の庵治マラソンも絶好の天候だったにもかかわらずパッとしませんでしたよねえ」


過去の戦績を振り返ってみれば、よっぽど暑いとか寒いとか暴風雨の時とかは悪影響もあるけど、天候が良いからと言ってタイムが良くなった事例は記憶にない。きちんと練習をしてない限り、当日の天候が良いからと言って良い結果が出る事はない。考えてみれば当たり前だけど。

会場に着いて受付を済ませる。例年、プログラムには温泉の無料券が付いていたのだが、それがいつの間にか無くなっている。レースの後、温泉にゆっくり入って体を休めるのが楽しみで、とても有り難かったのに、どうして無くなったんだろう。

受付が終わると男子の更衣室になっている中央公民館の会議室に入り、何を着るか悩む。今日の天候を考えると、ハーフマラソンなら悩むことなく半袖Tシャツだ。多少、肌寒いくらいが走っているとちょうど良くなる。ハーフマラソンなら最後まで頑張れるので、体が冷える事はないだろう。しかしフルマラソンなら終盤は確実に歩くようなペースになり、て言うか、ほとんどの場合、終盤は歩くので、体が冷えて寒くなる。これは辛い。なので、迷った時には長袖にしている。しかし、今日は、それでも不安だ。長袖は薄手のシャツしか持ってきてない。なんだか、これだと寒そうな気がする。て事で、今日は長袖のシャツの上に半袖のTシャツも着ることにした。こんな重装備は、真冬のレースでも珍しい。しかし、最近は寒さに弱くなってきたので、これくらいで良いような気がする。
そして、今日は秘密兵器がある。ランニング用タイツだ。

(國宗)「秘密でもなんでもなく、私はいつも履いてますよ」

最近、なんとなくの印象では、ランナーの半分くらいはランニング用タイツを履いているような気がする。それほどポピュラーなアイテムとなった。國宗選手に限らず、支部長だって暑くても常に履いているし、石材店も履いている。今どきタイツを履いてないのは、15年以上も同じランニングシャツを着ているピッグくらいだ。

(ピッグ)「私らタイツなんて履いても変わりませんって」
(幹事長)「全く同感」


膝とかに故障を抱えている人は、タイツを履くとサポーター代わりになって良いらしい。膝とかにテーピングしている人がいるけど、いちいちテーピングするより効率的な気がする。

(幹事長)「でも、筋肉をサポートして走りやすくしてくれる効果があるってことだけど、ほんまかなあ」
(石材店)「エネルギーが生まれる訳ではないので、楽して早く走れる訳ではありませんけど、人によっては走りやすくなるかもしれませんね」


う〜ん、どうだろう。基本的に眉唾のような気がする。このように懐疑的な私がランニング用タイツを購入したのは、もっぱら寒さ対策だ。上は長袖シャツを着たり重ね着したりできるけど、下はトレパン履いて走る訳にもいかないので、寒さ対策としてはタイツしかない。てな訳で、今回、タイツを履くことにしたのだ。
以前、佐伯先輩がタイツを履いているのを見ると、なんだかブカブカしていた。先輩も太くはないけど、僕はもっと細いので、僕なんかが履いたらブカブカになって格好悪くなる。これも、今まで避けていた理由だ。ところが最近のタイツは、かなり細くて締め付けが強いらしい。て事でスポーツ用品店に行って試着すると、ブカブカどころか、細い僕でもきつく感じるくらい締め付けてくる。なんとなく足全体を固めるように締め付けてきて、走りを助けるって言うより、むしろ走りにくい感じ。大リーグボール養成ギブスみたいだ。効能を読むと、ふくらはぎなんかは締め付け効果により疲れが溜まりにくいとは書いてあるので、それは期待できるかもしれない。
ま、基本は寒さ対策なので効用には期待せずに履いてみる。確かに、履いただけで暖かい。これで寒さ対策は万全だ。

着替えを終えると、小松原選手にばったり会う。一応、彼もペンギンズの登録メンバーなんだけど、会うのは久しぶりだ。今年、僕が3年ぶりに高松に帰ってきたのに、入れ替わるように現場に異動になったため、会社では会わないのだ。彼もフルマラソンかと思ってゼッケンを見ると、おや?なぜか10kmレースのゼッケンだ。

(幹事長)「あれ?10kmなんかに出るん?」
(小松原)「来週、那覇マラソンに出るんで、今日は軽く練習なんですよ」


なんと!来週は那覇マラソンに出るとな!

(幹事長)「那覇マラソンかあ。えーなー」
(小松原)「那覇マラソンは、ええですよう。ぜひ、今度一緒に出ましょうよ!」


彼は去年、初フルマラソンとして那覇マラソンに出場したんだけど、すっかり気に入ったそうだ。沖縄本島の南部の海岸沿いを走るコースも気持ちいいけど、完走すると琉球ガラスの完走メダルをくれて、それを首から提げていると飲み屋で一杯タダで飲ませてくれるのだ。なので次々と飲み屋をハシゴするとタダでたくさん飲めるらしい。
高松から行くとなると那覇へは1日1往復しか飛行機が飛んでないから、レース前日に行って、レース翌日に帰ってくるという2泊3日コースになるので、前日は抑えるとしても、レース当日の夜は思う存分飲めるのだ。東京マラソンができるまでは那覇マラソンは日本で一番大きいマラソン大会だったらしく、全国から大勢のランナーが集まるから、同じような連中が飲み屋街に溢れていて、お友達もいっぱいできるそうだ。

スタート時間が近づいてきたので、外に出て写真を撮り、スタート地点に並ぶ。スタート地点の混雑の中にいると、走る前から暑くなってきた。気温は低いんだけど、天気が良くて風が無いから、人混みの中にいると暑くなるのだ。走る前から暑いのでは、いくら終盤に歩くようになっても、こら暑すぎる。いくら寒いのは辛いと言っても、暑く感じるようでは明らかに消耗する。てことで、スタートまで、あと5分だけど、慌てて半袖Tシャツを脱いで、ゼッケンを長袖シャツの方に付け替えて、半袖Tシャツは、その辺に置いて、大急ぎでスタート地点に戻る。めっちゃ焦ったが、なんとか間に合った。ただ、全くストレッチすらしてないことに気づいた。ま、これはいつもの事だけど。

左からW部選手、筆者、國宗選手
(この時は長袖シャツの上に半袖シャツを着ていた)

落ち着くまもなくスタートの合図。今日の作戦は、とにかく抑えて走ることだ。足首の故障のため練習が不十分だし、無理して走って故障が再発するのも怖い。それに、前半で多少頑張って1km当たり10秒や20秒速く走ったところで、終盤に力尽きて歩いたりすると、何の意味も無いことは、これまでの数え切れない惨敗の経験から嫌というほど分かっている。

(石材店)「嫌と言うほど分かっている割には、毎度々々同じ過ちを繰り返してますけどね」
(幹事長)「ほっといてくれ!」


レースになると気分が高揚して序盤はなんだか調子が良いような勘違いしてついつい速めのペースで飛ばしてしまって終盤に泣きを見るのが常である。ただ、ハーフマラソンくらいなら、それでもなんとか最後まで頑張り抜くことも可能な場合もあり、良いタイムが出るのはそういうケースだ。自己ベストを出そうと思えば、最初から多少はリスクを冒しても少しだけ無理して速めなペースで飛び出していかなければならない。
しかし、フルマラソンになると、よっぽど練習を積んでいない限り最後まで頑張れるはずがなく、今回のように練習不足だと絶対に終盤は力尽きるはずだから、できるだけ前半はペースを抑えて力尽きるタイミングをできるだけ遅くしたいのだ。なので、今日の作戦は序盤で抑えて、中盤でも抑えて、終盤に余力が残っていれば初めて頑張ってみる、というものだ。
もちろん、希望としては、取り合えず大会自己ベストの更新は狙っている。どんなレースであろうとも、取り合えず大会自己ベストの更新は狙っている。もとい。「狙っている」という表現は不適切だ。あくまでも単なる願望であり、その裏づけとなる練習はしてないので、狙っているとは言えない。うまくいけば良いな、という淡い願望だ。
それから、タイム自体はそんなに気にしてないが、帰りの船の時間は気にしなければならない。まあ、よっぽど遅くならない限り、適当な時間の船に乗れるんだけど。

全く緊張感も無く、自然な感じで走っていくが、周囲も同じようなペースのランナーが多い。このレースはマイペースでゆっくり走る人が多いのが良いところだ。ただし、このレースは距離表示が少ない。5kmおきにしか無いのだ。なので、今のペースが分かりにくい。
相変わらず天気は良く、スタート直後は町中で風も無く、またランナーの密集度も大きいので、だいぶ暑い。2枚も重ね着していたら暑くてたまらなかっただろう。周囲のランナーからも「こら暑いわ」と言った声が多く聞かれる。重ね着を止めて良かった良かった。

市街地を抜けると、坂が出てくる。このコースは坂が多いのが特徴だ

(ピッグ)「このコースに限らず、四国のレースは坂が多いですけどね」
(國宗)「ほんとに坂が多いですねえ。心が折れますよ」


まず2km地点辺りから3km地点辺りまで最初の大きな上り坂がある。大きな上り坂ではあるが、庵治マラソンの5km地点から6km地点にかけての巨大坂ほど勾配はきつくない。距離は長いけど、淡々と走っていけば、そのうちピークがやってくる。天気は良いけど気温は低めなので、山に入って木陰で日差しが当たらなくなると、肌寒いくらいだ。重ね着をやめた事もあり、上り坂でもそんなに暑くはならず、良い感じだ。
ピークの後は、当然ながら緩くて長い下り坂が1kmほど続く。これまでは上り坂でタイムを落とした分を取り返すために、下り坂ともなれば重力のなすがまま思いっきり転げ落ちるように駆け下りていたが、最近見たNHKのラン&スマという番組で金さんが「下り坂で飛ばすと後半、足にくる。前半の下り坂を抑えて走るのがポイント」って言ってので、今日は下り坂も抑えて走る。

下ってしばらく行くと、後方から猛然と走ってくるランナーがいる。周囲のランナーは、みんな同じようなペースのランナーばかりなので、彼らは10分遅れでスタートしたハーフマラソンの出場ランナーだ。ものすごいペースの違いだが、あまりにも別次元なので感慨は無い。
さらに行くと、ようやく5km地点の距離表示がある。ちょうど30分くらいなので1km6分のペースだ。良い記録を狙うには、あまりにも遅すぎるペースだが、今日はこれくらいで抑えて走るつもりだ。ハーフマラソンのランナーに次から次へと抜かれていくが、気にしない。ただ、メイド姿のおねいちゃんに抜かれた時は気になった。

5km地点の手前から次の坂が現れ、それが終わったかと思うとまたまた次の坂が現れる。この坂を上り始めた頃に、ハーフマラソンのトップ選手が折り返して走ってくるのにすれ違う。呆れるくらい早いが、呆れるくらい早いランナーはごく少数だ。意外に少ない。この坂を下った辺りに次の10km地点の距離表示がある。今度の5kmも、ほぼ30分だ。いいペースが維持できている。

10km地点を過ぎると、大勢のハーフマラソンのランナーとすれ違い始める。例のメイド姿のおねいちゃんもすれ違い、顔を見れたので満足。再び大きな坂があり、それを登り始めた頃にハーフマラソンの折り返し点がある。ここで折り返したら楽なんだけど、今日はそのまま真っ直ぐ進む。
ハーフマラソンの折り返し点を過ぎてからが、本当のフルマラソンって感じになる。沿道の住民の方も、この辺りから色んな食べ物をふるまってくれる。たかがハーフマラソンなら飲み物さえあれば食べ物は不要だけど、フルマラソンともなるとお腹が空いてくるから食べ物の補給が必要なのだ。ゼリーを持って走ることも考えたけど、沿道で提供してくれる食べ物があればゼリーは要らないと思って持ってこなかった。

ハーフマラソンの折り返し点を過ぎてしばらく走ると、長い下り坂となる。この辺りから少し肌寒くなってきた。坂があるのは、たいていは山の中で、木陰で日差しが当たらない。風はほとんど無いのだけど、海側から向かい風気味にそよ風が吹いてくる。ほんのそよ風なんだけど、気温が低いこともあって結構、肌寒く感じる。序盤は体も熱かったけど、今日のようなスローペースが続くと体も発熱しなくなってくる。

その後、しばらくフラットな道を走ると、このコース最大の坂が現れる。さすがにこの坂は長くて堪える。ただ、まだ前半なのでそんなにペースは落ちず、なんとか無理しない範囲で頑張って上り続けると、15km地点の表示がある。今度の5kmは、若干ペースダウンしたけど、それでもまだ30分ちょっとで、なんとかペースを維持できている。このままのペースが最後まで維持できれば大会自己ベストも夢ではない。しかも、このままのペースで行けば、思っていたのより1便早い船に乗って帰れる。これは大きなインセンティブになるぞ。

(國宗)「帰りの船の心配しながら走ってるんですかっ!」

大きな坂を登り切り、下り始めた頃に、折り返してきたトップランナーにすれ違う。やっぱりペースが違う。走りが違う。惚れ惚れするぞ。坂を下ってからは、折り返し点まで小さな坂がいくつか残っているが、大した坂ではない。途中で早くも折り返してきたW部選手とすれ違う。かなり早いぞ、これは。余りに真剣に走っているから、大声で呼んでいるのに、なかなかこちらに気づかないほどだった。

いくつかちょこちょこと坂を越えると20km地点だ。ところが、大した坂は無かったのに、この5kmは大幅にタイムが落ちた。せめて半分まではペースを維持したかったのに、早くもペースダウンだ。こら、まずい。ペースが落ちたこともあり、体はますます寒くなってきた。これも辛い。
そこからさらに1kmちょっと行ったところが折り返し点だ。半分終わったと思うと、気が楽になる。これから先はオマケみたいな。

(國宗)「そうなんですか?それは悟りなんですか?余裕なんですか?」
(幹事長)「嘘です。ごめんなさい」


どちらかと言うと「まだ半分もあるのか」と思って気が遠くなる。ただ、方向が逆向きになったら、肌寒く感じていたそよ風が追い風になって寒くなくなった。日差しに当たると、ちょうど良い感じ。
しばらくは小さな坂をいくつか越えて戻る。だいぶお腹が空いてきたので、クリームパンなんかをもらって食べる。美味しい。そのまましゃがみ込んで休みたい気分だけど、まだまだそんな状況ではない。

いくつかちょこちょこと小さい坂を越えたら25km地点だ。この5kmは、ますますタイムが悪くなっている。着実に、かなり悪くなっている。このままなんとか踏ん張れたとしても、相当悪いタイムだが、冷静に考えれば、今後ますますタイムは悪くなるかもしれない。一気に先行きに暗雲がたれ込めてくる。
そうは言っても、ここで無理したら終盤にますます悲惨な目に合うので、あくまでも自然体で走る。しかし、自然体で走ると、ますますどんどん遅くなる。なんとか30km地点に着いたけど、この5kmも着実に遅くなっていた

その後は、このコース最大の上り坂だ。だいぶ足が痛くなってきて、もう上り坂は歩きたいんだけど、一度歩くと歯止めが無くなってしまうので、なんとか無理して走り続ける。走り続けるって言ったって、走り続けているのは気持ちの問題であり、実際に走れているかと言うと、もう歩いているとしか言えない状況。沿道の人が「もう、みんな競歩状態やなあ」なんて言ってるのが聞こえる。確かに周囲のランナーを見ると、両足が同時に空中に上がっている瞬間がないから、完全に競歩状態だ。て事は同じペースの僕も競歩状態なんだろう。それでも歩くよりはペースが速いので、歩くよりはマシだ。

最大の坂を上り終えるとハーフマラソンの折り返し点まで戻ってきた。「30kmからがマラソンだ」とは、よく言われる言葉だけど、これは本当にそうで、ここからが驚異的にしんどい。人によって、このしんどさのレベルは違うだろうけど、僕なんかは、ここから先は歩くか走るかの勝負になってくる。足が痛くて痛くて、もう歩きたくなるんだけど、それをどこまで走るかが勝負だ。できるだけ歩かないようにするんだけど、上り坂になると、もう歩くしかなくなる。フラットな所でも、走り続けていると足が痛くてたまらなくなるので、時々止まって屈伸運動したりする

ようやく35km地点までたどり着いたけど、この5kmのタイムの落ち具合には目を見張るものがあった。ものすごく遅い。驚異的に遅い。アホみたいに遅い。こら、もう駄目だ。これ以上頑張っても何の意味も無い。
てことで、もう無理して頑張る気力が失せた。足が痛くなれば徹底的に休んだ。止まって休むより、歩いた方がタイム的には良いんだけど、歩いても痛みが取れなくなってきたので、道ばたに座り込んで足を休める。しばらく休むと痛みがジワッと和らいでいくのが気持ち良い。でも、再び走り始めるとすぐまた痛くなる。その繰り返しだ。
もう、こんな状態になればタイムなんか何の意味も無い。だらだら歩きながら時々休む。走っては歩き歩いては走りの繰り返し、じゃなくて、歩いては止まり止まっては歩きの繰り返し状態。周りのランナーも、ほぼ全員が歩いている。この歩く集団は、まるで難民だ。悲惨なマラソン難民だ。

と、ここでふと気づいた。こんなにダラダラしてたら、帰りの船に間に合わないかもしれない。序盤では、1便早い船に乗れるんじゃないか、なんてフザけた希望を抱いていたけど、こうなると1便遅い船に乗る羽目になってしまう。これはいかん。タイムはもうどうでもいいけど、船に乗り遅れることだけは避けようと思って、なんとか頑張って小走りする。

最後の大きな坂を下りたら、残りは2kmだ。例年なら、ここから先のフラットな2kmは頑張って走るところだけど、今年は無理だ。ラスト1kmになったら、いくらなんでも最後の力を振り絞るところだけど、今日は、最後の力を振り絞って走ってみても、すぐに足が痛くなって走れなくなってしまう。それでも、さすがにゴール直前の数百mは、沿道の声援も多いし、みっともないので、なんとか痛みを堪えて走る。まあ、そういう気持ちで頑張って走ろうと思えば走れるわけであり、足が痛くて走れない、なんて言っても、もっと根性を出せば走れないことはないのだろう。ただ、生まれてこのかた根性というものに縁が無いお気楽人生を歩んできた私としては、根性なんて出そうにも出せない。最後の最後は、根性というより、最後くらいは良い格好したいっていう見栄で走りながらゴールすると、なんと、とっくに帰っているものとばかり思っていた國宗選手とW部選手がゴール横で待ってくれていて、声援を送ってくれる。

(幹事長)「うわあ、すまんすまん。てっきり先に帰っているものと思ってた。まさか待っていてくれてるとは思わなかったよ」
(國宗)「何をおっしゃいますか。幹事長様を放っておいて先に帰れる訳ないじゃないですか」


國宗選手はハーフマラソンだから、3時間くらい待っているはず。W部選手も、あのスピードなら相当早かったはずだから、ずいぶん待っているはず。スタート前に「僕の事は気にせず先に帰っといてね」ってはっきり言っとけば良かった。ご迷惑をおかけしました。

それにしても、ひどい結果だ。たぶんフルマラソン自己ワースト記録だろう。こんな良い天気で、特に故障も無く、何が原因で、こんな悲惨な結果になったのだろう。手の打ちようが無い気分。
せっかく履いたタイツも何か効用があったとは思えない。やっぱり足は痛くなったし。ま、これは寒さ対策だったので、特に不満は無いけど。

あまりの惨敗ぶりに徹底的にガックリきたけど、なんとか予定していた船には乗れそうなので、大急ぎでソーメンを1杯だけ食べる

(石材店)「それは食べるわけですな」
(幹事長)「このマラソンの楽しみの重要な要素だからな」


この大会は弁当が支給されるが、マラソンで疲れ切った体に冷えたパサパサの弁当は喉を通らない。それに比べて暖かいソーメンは体に嬉しい。時間の余裕があれば2杯は食べるところだが、船に遅れるのが怖いので1杯で我慢する。

ソーメンを食べ終えると、そのまま着替えも後回しにして荷物と弁当を抱え、港への送迎バスを待つ。朝はウォーミングアップ代わりに歩いてきたが、帰りは足が痛くて歩く気にはなれない。以前は、温泉のタダ券が付いていたこともあり、温泉ホテルの小さなマイクロバスで送り迎えしてくれていて、車が小さいうえに1台でピストン輸送していたので、車を待つ人が長蛇の列となっていた。ところが、温泉のタダ券が無くなった代わりに、港への送迎は大きなバスが何台も動員されていて、ほとんど待たずにバスに乗れ、順調に港に着いた。
港には既に長蛇の列が出来ていて、座れるかどうか不安だったけど、朝の船に比べて客室が広く、余裕で座れた。まずは着替えを済ませ、ゆっくり弁当を食べて、ちょっとうたた寝したら高松港に着いた。



翌日、会社をサボりたかったけど、根性出して出社する。

(石材店)「それは根性とは言いません。社会人としての当然の責務です!」

やっぱり、これは根性のうちには入らないのか。

(國宗)「昨日はお疲れ様でした。足、痛くないですか?」
(幹事長)「がっかりするほど痛くない」


ほんと、全く痛くない。昔はレース翌日ともなると、足が痛くてまともに歩けなかったのに、最近は全く痛くない。これは喜ばしい事でも何でもなく、単に全力を出し切れてない証拠だ。あれだけレース中は足が痛いのに、レースが終わって少し休むとすぐに回復してしまうって、何なんだろう。力を出し切れていないのは確かだ。レース中に甘えずに、もっと自分に厳しくして走り続けないといけないのかなあ。足が痛いったって、大した事はないのかなあ。

それにしても、天気は良いし気持ちの良い一日だったのに、なんでこんな悲惨な結果になるのだろう。ちゃんと練習しないと通用しないってのは前から分かってはいるものの、それを改めて痛感させられた。しかし、だからと言って練習量を増やそうとすると故障してしまう。ジレンマだ。一体、どうすりゃいいの?

(幹事長)「何が悪いんかなあ。どうすればいいんかなあ?」
(支部長)「それは違う。考え方が間違っている。何も悪いことなんて無い。それが当たり前なんよ。普通なんよ。こんなものなんよ」
(幹事長)「これが現実なのか?これを率直に受け入れろと言うのか?もう明るい未来は無いのか?」
(支部長)「そんなものは無い。早く気づくんだ。そうすれば楽になる」


そうなのかなあ。もし、そうだとすれば、僕はフルマラソンへ参加する事について大いに疑問を抱かざるを得ない。そもそもフルマラソンなんて体に悪いしなあ。もうフルマラソンは止めようかなあ。

なんて真剣に思ったんだけど、3日後には「来年リベンジしたろか」なんて思い始めた。これが悪い癖だよなあ。支部長も、高松トライアスロンで惨敗して「もうトライアスロンは止めようかなあ」なんて言ってたのに、2日後にはトレーニングを再開してたもんなあ。

て事で、次は来年の正月早々の1月13日に開催される満濃リレーマラソンだ。距離も短いし、今回も動物チームで楽しく走るから、傷ついた心と体を癒すには絶好のレースだ。心機一転頑張ろう!


〜おしまい〜




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