第7回 高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治
2012年10月28日(日)、高松市庵治町において第7回高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治が開催された。
(國宗)「なんでクォーターマラソンって名前なのに12kmなんですか?」
(幹事長)「國宗さんは初めてだから知らんだろうが、これには長い歴史に秘められた事情があるのだよ」
この庵治マラソンは、かつて庵治町が存在していた時は庵治半島の海岸線を走る10kmレースだった。一方、その頃、高松市は屋島の周りを一周するクォーターマラソンてのを開催していた。この2つのレースが、庵治町が高松市に吸収合併された時に合体したのだが、場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周クォーターマラソンの12kmを引き継いだのだ。その結果、以前の庵治マラソンのコースに比べ、折り返し点まで1km、往復で2kmの延長となったのだ。
(國宗)「てことは、屋島一周の頃から12kmなのにクォーターマラソンって名前だったんですね。なんでですか?」
(幹事長)「あれ?ほんまやな。説明になっとらんがな」
なんで12kmなのにクォーターマラソンて名前なのかは、結局、不明だ。たぶん、フルマラソンの1/4に毛が生えた程度の距離だからって事で、適当に着けたんだろう。屋島一周マラソンの時は、屋島の陸上競技場を出発して屋島の周りを走るんだけど、10kmで終わっちゃうと、中途半端な場所で終わってしまって不便だったからだろう。
(支部長)「と言いながら、ゴールは、スタートした陸上競技場じゃなくて、その辺の道ばただったよなあ」
(増田)「しかも変に遠回りさせられた妙なコースでしたよ」
(幹事長)「役所のやることは、分からん」
いずれにしても、屋島一周マラソンのコースは坂が極めてなだらかだったので12kmでも楽だったし、庵治マラソンは坂はあるものの10kmだったため、最後の巨大な坂を走らずに済んでたんだけど、庵治マラソンのコースで片道1km延長になったため、5km地点から6km地点まで1kmもある巨大な坂を延々と走らなければならなくなったのだ。
(國宗)「なんもええ事がないやないですか!」
(幹事長)「慣れると楽しいよ」
坂がきついったって、今は無き塩江山岳マラソンや四国カルストマラソンのような血を吐きながら上る山登りマラソンに比べれば大したことはない。それに、坂はあるけど距離が12kmと短いため、フルマラソンやハーフマラソンのように頭を悩ます必要はない点では楽だ。序盤は抑えて走るとか、ペース配分を考えるとか、悩む必要が無いのだ。
(ピッグ)「いくら悩んで作戦立てたって、結局、作戦通りはいきませんからねえ」
(幹事長)「レース序盤のうちに作戦が打ち砕かれると、一気にやる気も無くすからなあ」
作戦を考える必要が無いというのは、つまり自分自身の中でプレッシャーが無いということだ。何も考えず、ただひたすらに全力疾走すればいいだけだ。
(國宗)「それって、しんどくないですか?」
(幹事長)「体はしんどいけど、頭が楽」
(支部長)「老化が進むと、体もしんどいけど、頭の方がもっとしんどくなるからね」
それに、全力疾走なんて言っても、それは主観的なものであり、他人が見たらチンタラ走っている程度だ。「こんなに無理したら後になって足が動かなくなるんじゃないか」なんて心配せずに、その瞬間その瞬間における全力を出して走ればいい、という意味での全力疾走だ。
このように精神的には気楽に出ているレースだが、だからと言って、このレースの重要性が乏しい訳ではない。ここ数年は、このレースはスランプから脱出する好機だったのだ。一昨年は、5月末のオリーブマラソンで大会自己ベストを大幅に更新する絶好調ぶりだったのに、突然、空前絶後の絶不調を迎え、わかさぎマラソン、弘前アップルマラソンと信じられないような惨敗が続いたのだが、このレースで頭を空っぽにして走ったら、過去5回の中で2番目のタイムで、なんとか立ち直れた。
また去年も、オリーブマラソンはまあまあ良かったのに、わかさぎマラソン、弘前アップルマラソンはひどい結果だったが、この庵治マラソンでは、まあまあの結果となり、立ち直りのきっかけを作った。
(支部長)「それって結局、青森県のわかさぎマラソンと弘前アップルマラソンが体に合わなかっただけやないの?」
(幹事長)「単に、そうかも」
ま、それでも立ち直りのきっかけになった事は確かだ。
(ピッグ)「でも、その直後の徳島マラソンは弘前アップルマラソンに匹敵する惨敗だったじゃないですか?」
(幹事長)「ほんまやなあ。全然、立ち直れてないなあ」
ただ、今年も重要なレースである事には変わりない。ここ3年間は、青森勤務だったため、秋から春がマラソンシーズンの高松と、春から夏がマラソンシーズンの青森を行ったり来たりしており、年中レースがあった。しかし今年は高松に戻ってきたため、夏場のレースが無い。しかも今年は親族の法要とかもあり、2月の丸亀マラソン以来、まともにレースで走ってないのだ。
(ピッグ)「4月の徳島マラソンには出ましたけどね」
(幹事長)「悲しい過去には触れないで」
ご存じの通り、暴風雨の中、決行された4月の徳島マラソンは、開始早々転倒してリタイアしてしまったのだ。今、思い出しても悔しいーっ!それを除くと、2月以来、8ヵ月ぶりのマラソンレースなのだ。
(ピッグ)「私は、その間、阿南健康マラソンにも出たし、徳島航空基地マラソンにも出たし、阿波吉野川マラソンにも出ましたけどね」
(支部長)「私も、小豆島オリーブマラソンにも出たし、サンポート高松トライアスロンにも出たし、こんぴら石段マラソンにも出たで」
(國宗)「まあ、それを言えば、私だって小豆島オリーブマラソンや、こんぴら石段マラソンに出ましたけどね」
(幹事長)「う〜む。ずっとレースに出てないのは、私だけか」
ピッグに至っては、1週間前の阿波吉野川マラソン(ハーフマラソン)に出たばかりだ。
(幹事長)「それって大丈夫?」
(ピッグ)「今日は12kmだし、気楽に走ります」
それにしても8ヵ月もレースに出なかったなんて、ちょっと記憶にないくらいだ。と思って、このコーナーを読み返してみると、2003年に2月の丸亀マラソンから11月の塩江マラソンまで9ヵ月のブランクがあったことが判明した。
(ピッグ)「そのときの結果は、どうでしたっけ?」
(幹事長)「塩江マラソンの自己ベストを出したぞ!」
ま、自己ベストったって、塩江山岳マラソンの厳しいコースなので、タイムそのものはひどいもんだった。なので、長いブランクってのは不安材料だ。しかも今年は特に、この長いブランクがプレッシャーだ。なぜなら、11月末の瀬戸内海タートルマラソンにおいて、今年はフルマラソンの部に出るからだ。
(ピッグ)「坂の無い徳島マラソンなら分かりますが、坂の多いタートルマラソンのフルマラソンはきついですよねえ」
(幹事長)「今は猛烈に後悔してる」
瀬戸内海タートルマラソンは、徳島マラソンが無かった頃は近場の貴重なフルマラソンだったが、坂が無い徳島マラソンができてからは、厳しい坂が多い瀬戸内海タートルマラソンは、ハーフマラソンの部に出ていた。フルマラソンは1年に1回で十分だと思う。
しかし、今年は第2回大阪マラソンと第2回神戸マラソンが瀬戸内海タートルマラソンと同じ日の開催となったのだ。当然ながら、どちらも申し込み、どちらも落選してしまった。競争率が10倍を超える東京マラソンならまだしも、そこまで競争率が高くない大阪と神戸なら、どっちかは当選してもいいと思ったのだが、両方とも落選してしまった。ついでに言えば、来年3月の第2回京都マラソンも落選した。関西3都マラソンにことごとく落選した訳だ。
大阪と神戸はフルマラソンであり、それに向けて練習していた訳では決してないが、気持ちの上だけではフルマラソンを走る予定だったので、半ばやけくそで、代わりに瀬戸内海タートルマラソンをフルマラソンで申し込んでしまったのだ。そのため、距離は短いとは言え、1ヵ月前の庵治マラソンは貴重なレースだ。長いブランクを乗り越えてフルマラソンを戦うには、せめて庵治マラソンでは、そこそこのレベルに戻しておく必要があると思うのだ。
(ピッグ)「でも、去年は庵治マラソンの2週間後の徳島マラソンで見事に惨敗したんですよねえ」
(幹事長)「だから、分かってるってば!」
やはり12kmレースでは短すぎて、フルマラソンの調子を予想することは無理なのかも。
てな事もあり、今年は暑い夏が終わって9月頃から割と練習量を増やしてきた。まあ、もともとが貧弱な練習量なので、増やしたと言っても、たかがしれてるんだけど、いつもよりは少し多かった。毎週、平日に2回、仕事が終わって帰宅してから5km走り、週末は20km以上をチンタラ走っていたから、毎週30km以上は走っていた。
(城武)「僕は毎日30km走ってますけど」
(幹事長)「一緒にせんとってくれる?」
つまり、練習量が多かったなんて言ったってスーパールーキーモンキーに比べたら数分の一に過ぎないんだけど、それが負担になって足首を痛めてしまったのだ。庵治マラソンの2週間前の土曜日、例によってチンタラ走っていたら、15kmくらい走った時点で、突然、足首がキリキリと言うかチクチク痛み出し、さらにしばらく走っていると、もう走れなくなってしまった。歩くのも痛かったけど、家まで歩いて帰らざるを得ないので、足を引きずりながら帰った。
翌日になると痛みだけでなく、足首が腫れてきて、なんだか危ない状況。さらに翌日になっても痛みがいっこうに治まらないので、会社の帰りに整形外科に寄った。超音波とか使って色々診てくれたが、骨や筋に別状は無く、筋肉が使いすぎて炎症を起こしているとのことだった。物理療法もやってくれたし、飲み薬や塗り薬ももらったけど、結局は治るまで待つしかないとの事だった。
(幹事長)「2週間後にマラソンがあるんですけど、出られますか?」
(医者)「痛みが無くなれば走っても大丈夫ですよ」
てな事で、要するに痛みが無くなればOKだ。そんなにひどい訳でもないし、絶対安静って訳でもない。そんなに重症でないってのは安心材料だ。ただ、どれくらいで治るのかは全く分からない。
その後も痛みと腫れは治まる気配すら無かったんだけど、数日経ったら、だいぶマシになってきた。で、1週間後の日曜日にちょっと走ってみた。最初の1kmは、まずは全力疾走してみた。
(ピッグ)「そういう時って、まずは恐る恐るゆっくり走ってみるもんではないんですか?」
(幹事長)「そういうのは、まどろっこしくて性に合わん」
最初の1kmの全力疾走では、全く痛みは出なかった。なんだ、あっさり治ったじゃん!てな感じで走り続けていたら、3kmくらいで早くも痛くなり始めたので、慌ててストップして歩いて帰った。全く悪い訳でもないが、まだまだ完治はほど遠いって事だ。
次は、さらに3日後に走ってみたら、5kmほどは痛みなく走れた。これが庵治マラソンの4日前であり、5km走れるんなら出ても大丈夫かな、と思って、不安を抱えながらも出場を決めた。
それにしても、こんな故障は初めてだ。ランナーがよく痛めるのは膝であり、それは走りすぎて膝の軟骨がすり減ったりするのが原因だ。練習量が豊富な人とか、体重が重い人がなりやすい。その点、練習量も少ないし体重も軽い僕は、これまで足の故障とは無縁だった。それなのに、そんなに練習量を増やした訳でもないのに筋肉が使いすぎで炎症だなんて、驚きだ。
(幹事長)「これ以上、練習するなってこと?」
(支部長)「老化は確実に忍び寄って来るからね」
(ヤイ)「年取ると運動後の整理運動が大事ですよ」
セミプロのスポーツマンであるヤイさんによれば、若いうちは体が何にでも対応してくれるから大丈夫だけど、年取ると、スポーツの前にはウォーミングアップ(準備運動)をし、スポーツの後はクールダウン(整理運動)をしなければいけないんだそうだ。特にスポーツ後のクールダウンは必須で、これをやるかやらないかで疲労や故障が大違いだそうだ。これまで、そんなん面倒くさいから一切、やってなかったけど、こんな故障になっちゃうと、これからは気をつけるようにしよう。
(幹事長)「ちゅうても、ウォーミングアップはやらんけどね」
(支部長)「ウォーミングアップなんて、私らの主義に合わんもんね」
(ヤイ)「そのうち体痛めますよ」
なんとか足首の痛みも治まり、なんとか気分も盛り返してレース当日を迎えた。
当日の天気は雨の予報が出ていたが、以前は雨は悪い思い出しか無く、極端に毛嫌いしていたが、一昨年のオリーブマラソンで雨の中、大会自己ベストを出して以来、雨はむしろ好きになった。下手に天気が良くて暑いよりは雨が降って涼しい方が良いと思うようになったのだ。なので、天気予報通り前日の夜から雨が降り出していたが、全然気にならなかった。明け方になると小雨になり、家を出る頃には一応、雨は上がったけど、いつ降ってもおかしくないような空模様だ。まだまだ晴れたら暑くなる季節なので、ベストの天候と言えよう。
今年も支部長が家まで迎えに来てくれる。タイミングが悪い事に、当日の朝は、近所総出で溝さらいの大掃除だ。これはうちの近所だけでなく、たぶん高松市内全域でやっていると思うんだけど、支部長が迎えに来てくれる時間が、うちの周辺では作業のピークだ。僕は大掃除に参加できないので家内が参加したんだけど、うちの前は狭い路地なので、近所の人が総出で大掃除している所へ迎えの車が入ってきて、大掃除に参加もせずに出かけていくのを目撃されるのはバツが悪い。そのため、支部長に電話して「家の前まで来ずに、ちょっと離れた所で待っててね」と連絡しようとするのだけど、車を運転中の支部長は電話に出ない。いくら電話しても支部長は出ないので、同乗しているはずのピッグに電話したら通じた。
(幹事長)「うちの前で大掃除しているから入ってくるとまずいから、ちょっと離れた所で待つことにするね。今、どこ?」
(ピッグ)「幹事長の家の前ですよ」
ななな、なーんと、既に家の前に来てくれていた。予定より早く迎えに来てくれたため、近所の人たちの冷たい視線の中、出かける羽目になった。
その後、國宗さんを途中でピックアップし、4人で庵治の会場へと向かうが、だいぶ手前の道路から庵治方面の道路がやけに混んでいる。いくらなんでも、こんな遠くから渋滞しているとは思わなかった。マラソン人気もバブル絶頂期なのかもしれない。受付時間は9時20分までで、少々遅れても問題ないだろうけど、いくらなんでも渋滞がひどいので、狭い路地に逃げて、なんとか近くまでは渋滞を回避して辿り着いた。それでも最後の最後では迂回路も無く、渋滞の中、かなり時間がかかった。
会場に着くと、受付時間はギリギリで間に合った。受付では参加の記念品もくれるが。これがくせ者だ。この大会の前身である屋島一周クォーターマラソンの頃は、参加費が僅か1000円だったにもかかわらず、素晴らしく立派なスポーツバッグをくれたりして、支部長は今日もそのバッグを持ってきてるけど、庵治マラソンになってから、参加費が2000円にアップしたにもかかわらず記念品は逆にとてもセコくなっている。小さな爪切りが1個入ってただけの年には、さすがにたまげたが、今年は小さいタオルだった。
(支部長)「爪切りよりはマシかなあ」
(幹事長)「おや?これコカコーラの模様が入っとるで!コカコーラの景品やんかあ!タダやんかあ!」
あくまでも金をかけない景品でした。
それにしても人が多い。パンフレットを見ると、我々が出る12kmレースの参加者は1000人弱なんだけど、中学生以下の子供と親が一緒に出る3kmのファミリー部門の応援に来ているじいさん、ばあさんなんかがやたら多く、とにかく予想外の人出だ。数年前は寂しいマイナーなレースだったのに、喜ばしい限りではあるけど、着替える場所とか混雑がひどくなってきた。
この時期のレースは、着るものに悩む余地はない。いくら暑くても半袖Tシャツ以外に選択の余地はない。
(ピッグ)「私はランニングシャツですけどね」
(幹事長)「そのランニングシャツ、15年前の塩江山岳マラソンにも既に着てなかった?」
(ピッグ)「こうやって見ると、幹事長はピンクのランニングパンツはいてますねえ」
一方、國宗氏は長袖の黒いランニングシャツをTシャツの下に着込んでいる。下も、ランニングパンツの下にサポート機能がついた黒いタイツを履いている。筋肉や関節の疲労防止やサポートには良いんだろうけど、ちょっと暑そうな気もする。ま、しかし、今日は小雨も降りそうな涼しい天気だから、ちょうどいいかも。
(幹事長)「何の言い訳もできない最高のコンディションやな」
(支部長)「いくらでも言い訳しまっせ!」
なんとなく地味な今年の参加メンバー
(左からピッグ、支部長、幹事長、國宗さんとその上司)
着替えが終わっても、12kmレースのスタートは、ファミリー部門のレースが終わってからなので、10時50分だから、まだ1時間半もある。この大会の一番の難点は、この退屈な待ち時間だ。早くもウォーミングアップに余念がない人が見受けられるが、いくらなんでも早すぎる。
(支部長)「て言うか、私ら直前になってもウォーミングアップはしませんがね」
ヒマなんで外をぶらついていると福家先生に会う。福家先生は毎年、5kmレースに出ている。
(ピッグ)「お父上様も5kmレースに出るんですか?」
(福家先生)「応援には来てるんだけど、今年は体調が今いちって事で、レースには出ないんよ」
福家先生のお父上は今年90歳で、出るレース出るレース最年長って事で大人気で、みんなから握手を求められる人気ランナーなんだけど、さすがに体調管理しながら出場レースを厳選しているようだ。でも12月の高知県の安芸タートルマラソンには出るんだそうだ。90歳でマラソンレースに出るなんて、もう考えられない。僕は90歳まで生きられるだろうか?
それから矢野選手も登場だ。彼も5kmレースに出る。
(矢野)「この大会は、もう短いレースに転向したんですよ」
(幹事長)「次の予定は?」
(矢野)「来週、大阪の淀川市民マラソンのフルマラソンに出ます」
(幹事長)「短くないやんかーっ!」
単に、フルマラソンの前週だから短い距離に出るということか。それにしても、淀川市民マラソンなんて始めて聞いた。11月25日には大阪マラソンが開催されるというのに、どういうレースなんだ?河川敷を地味に走る、めっちゃマイナーなレースなのか?と思ったけど、ゲストに高橋尚子さまが来るというから、結構、大きなレースなのかも。
それから、当然ながら好敵手のH本さんにも会う。彼女がマラソンをやってるのを知ったのは、3年前のこの大会だった。彼女にとっては、それが生まれて初めてのマラソン大会だった。その時は僕は割と調子が良かったのに、それでも、かろうじて勝ったようなギリギリの勝利だった。その後の瀬戸内海タートルマラソンも好調だったので勝ったんだけど、翌春の徳島マラソンでは敗北を喫した。その年の庵治マラソンや瀬戸内海タートルマラソンでは再びギリギリで逃げ切ったけど、それ以降は、負けが続いている。
(幹事長)「マラソン始めて僅か2〜3年のヒヨッコ女子に負けるなんて、生まれ持った才能の差なのかなあ」
(支部長)「なんでも、土日で60kmも走ったりしてるんやって。練習量の差やなあ」
(幹事長)「そんなに練習したら足首が腫れて歩けんようになるがな!」
なので、彼女に勝つことは、もう不可能なのかも。
まだまだスタートまでは時間があるので、退屈しのぎに、12kmレースの前に行われるファミリーマラソンを見物する。これは親子で揃って走る3kmレースで、ガキんちょのくせに、やたら速いんだ、こいつら。トップ集団は、めっちゃ白熱したレースが展開される。12分を切るタイムで帰ってくるから、親子揃って1km4分以内で走ってるわけで、はっきり言って、これはすごい。
ファミリーマラソンも終わり、ようやくスタートの時間が近づいてきた。なんとなく天気が良くなり、だんだん暑くなってきた。これは想定外だ。雨が降ることはあっても、晴れる事は想定してなかった。もちろん、想定していたら何か準備していたのかと言われると、何の代わりもないのだけど、ちょっと嫌な予感。
普段のレースなら死んでもウォーミングアップなんかしない私らだけど、このレースだけは距離が短いので、時々ウォーミングアップすることもある。なんちゅうても最初っから全力疾走するからだ。しかし今日みたいに暑くなってきたら、もうこれ以上ウォーミングする必要もない。て言うか、走ったら、たちまち汗かきそうだ。風も無いし、体感温度は上昇の一途だ。
(支部長)「今日の目標は?」
(幹事長)「このレースは、まずは1時間切りを目標にせんとな」
12kmレースなので1時間を切るには1km5分を切るペースとなる。そんなに早いペースとは言えないし、坂がゆるやかだった屋島一周マラソンの頃は達成できていたタイムだが、坂が非常に厳しい庵治マラソンでは、なかなか難しい。ここ3年は、あとほんの少しってところで1時間が切れず、非常に悔しい思いを続けているので、今年は1時間を切りたいぞ。そのためには、やはり序盤から速めのペースで突っ込む必要がある。たかが12kmレースなので、終盤でも頑張ればペースアップはできるけど、やはり序盤が勝負だろう。
スタート時間が近づいてきたのでスタートラインに集合する。特に大きな気合いも入ってないので、真ん中どころにポジション取りする。混み合った中にいると、ますます暑くなってくる。これはちょっと厳しいレースになるかも。
けだるい雰囲気の中、スタートのピストルと共に飛び出す。まずは全力疾走するつもりだったんだけど、いざ走り始めると、足首の痛みが不安になってきて、いまいち全力が出せない。精神的に怖くて思い切れないのだ。ふと左前を見ると支部長が同じペースで走っている。右側を見ると、ピッグも同じペースで走っている。これは悩むところだ。彼らと同じペースってことは、そんなにすごく速いペースではないって事であり、もっとスピードアップするべきとも思えるが、足の故障というリスクを抱えた身としては、まずは彼らについて行った方が無難な気もする。
去年は体が軽くて、序盤は自然体でガンガン飛ばして、最初の1kmは異常に速いペースだったので、さすがにこれじゃ絶対に潰れると思って慌てて少しペースダウンしたんだけど、今日の1kmのラップを見ると、ちょっとガッカリするようなローペースだった。最初の1kmは一番元気なはずであり、また最初の1km区間は坂が無い。それなのに、このスローペースでは、この先、どんどん坂が出てくるとタイムはどんどん悪くなってしまう。
これは、さすがにマズイと思ってペースを上げようとするんだけど、坂が出てきたりして、なかなかペースアップは難しく、結局、次の1kmもほぼ同じラップだった。しかも、なんと、早くも足に疲れが出てきた。これはどうした事だ?まだ2kmしか走ってないのに。足の故障で、この2週間はまともに走れなかったとは言え、それまでは十分に走り込んできたはずだ。こら、一体どういう事だ?
もしかしたら、暑さのせいかもしれない。朝方は小雨が降ったりして絶好の涼しいコンディションだったのに、恐れていたとおり、天気はどんどん良くなってきて薄日が差し始め、かなり暑くなってきた。暑さというより、湿度かも。風が全く無いため、あっという間に汗びっしょりになって息苦しくなってきたのだ。
ところが、コンディションのせいなら、みんな平等のはずなんだけど、ふと見ると、同じペースで走っていた支部長やピッグの背中がどんどん離れていく。彼らがこんな所でペースアップしたとは思えないので、これは、やはり僕のペースが落ちているってことだろう。こんな所で支部長に離されたんじゃ情けなさ過ぎるんで着いていこうと思ったんだけど、足が動かない。もう、無理。
序盤、ペースが遅すぎるかなって思ったけど、今日はそれが限界だったのかもしれない。その後は、ペースアップなんてできるような状況じゃなく、坂があるたびにペースはどんどん落ちていく。
しばらく行くと、キャンディーズの歌が聞こえてくる。例によって、ラジカセを背中に取り付けた小豆島の名物おっちゃんだ。このおっちゃんは、この近辺のレースでは、いつでも楽しい曲をガンガン鳴らしながらホイホイ追い抜いていくランナーで、相当な実力者だ。知らない頃は、こんな荷物を背負った人に抜かれたら情けない、なんて思っていたけど、今では抜かれて当然って感じで、何も気にしない。ところが、このラジカセおじさんの後ろに國宗選手がピッタリ着いて一緒に追い抜いて行くではないか。これは衝撃だ。國宗選手はTシャツの下に長袖の黒いシャツを着て、下の黒いタイツを履いているから、僕よりも、ずっと暑いはずだ。それなのに抜いていくなんて、もうボーゼン。
ペースは落ち気味で、みんなに抜かれて精神的には切れかかってきたが、それでも支部長はそのうち絶対に力尽きるはず、と信じて、我慢して走っていく。ペースアップは無理としても、できるだけペースダウンを抑えようと努力する。
そして、ついに5km地点から6km地点まで1kmも延々と続く長い坂が始まった。ただ、この坂も、初めて出た時は面食らって途中で嫌になったけど、もう慣れているので、対処の方法は分かっている。前を見て走っていると、いつまで走っても坂が終わらないから気が遠くなるので、ひたすら足下を見て前を見ないようにして走ればいいのだ。
ただし、支部長がいないか時々は確認する。彼の背中が見えれば精神的にも復活できるのだが。だけど、支部長の姿はいっこうに見えない。おかしいなあ。まさか気づかないうちに追い越したりはしてないよなあ。
長い坂の途中で、まずH本さんとすれ違う。もう絶対に挽回不可能な差がついている。ま、最初から勝つつもりは無いけど。
もうすぐ6km地点の折り返しって辺りでピッグにすれ違う。これくらいの差なら、まだ挽回は可能かも。國宗さんは、ラジカセおじさんから脱落して、僕のほんの少し前だ。これは、もう射程圏内と言えようか。
折り返しを過ぎると、今後は1kmに及ぶ長い下り坂だ。ここは例年、遅れを取り返す区間で、思いっきり駆け下りなければならない。ただ、坂を転げ降りるように走るのは、タイムはかせげるが傷めている足へのダメージは大きい。足首への悪影響が不安で、いまひとつ全力で下ることができない。
しばらく行くと、さとやんにすれ違う。さとやんは、見るからに遅そうな、ええおっちゃんなんだけど、何を隠そう、見かけによらず大変、速かった。過去形なのは、発電所勤務だった頃は、お昼休みとかに毎日、構内をランニングしていたので、それはそれは大変速かったからだ。ところが去年、本店勤務になってからというもの平日は走る事が難しくなり、練習量が激減してしまった結果、一気に遅くなってしまい、去年は久しぶりに私が勝利した。今日の疲れ切った表情を見ると、今年もたぶん勝てそうな気がする。彼を見ていると、本当に練習って重要なのねえ、と実感できる。
さらにしばらく走るとK岡さんとすれ違う。この片Oさんとは、会社では滅多に会わないんだけど、マラソン大会ではよく会う。
(ピッグ)「僕も最近、そういう人が多いですねえ」
(幹事長)「同じ会社なのにねえ」
K岡さんは、いつもN藤さんと一緒にレースに出ていたんだけど、今回は内Tさんは出ていないようだ。
不安を抱えながら長い坂を下り切ると、再びしばらくフラットな道になる。この区間はまだ、しばらくは下ってきたスピードを維持して走れるため、そんなに遅くはないけど、再び上り坂が現れるようになると、一気にタイムは悪くなる。例年そうだけど、前半は上り坂があっても下り坂があっても、それほど極端にラップは変わらないが、同じコースを折り返す後半になると、上り坂があるところと下り坂があるところではラップが極端に変わってくる。力尽きてきて上り坂ではガクンと遅くなるけど、下り坂では必死になるからかもしれないが。
これだけ遅いペースだと、タイム的には何の目標も無くなっているんだけど、今日はすぐ目の前を國宗さんとピッグが走っているのが見えるので、精神的には切れていない。て言うか、すぐに追い越したいんだけど、なぜかなかなか追いつけない。國宗さんなんか、見てると、給水所では立ち止まって水を飲んだりしているし、もうヘロヘロのように見えるのに、なぜか追いつけない。これは、自分では分からないけど、僕自身もヘロヘロになっているのだろうか。
残り3kmの地点で、これはもう一気に行くしかないと思い、無理矢理に必死でスパートをかけてペースアップしたんだけど、なぜか差が全然縮まらない。差は広がってはいないから、まだまだ希望はあるんだけど、それにしてもなぜ差が縮まらないんだろう。彼らもスパートしてるんだろうか。
最後の坂に差し掛かると、さすがに國宗さんもピッグも足取りが重くなり、もうヨタヨタだ。それなのに、僕も追いつけない。自分ではしっかり走れているつもりだけど、僕もヨタヨタなんだろうなあ。
最後の坂を下りたら、もうあと1kmだ。さすがに、もう全力を出し切らねばならない。気持ちを切り替えて必死でスピードアップしたら、逆に最後になって力尽きた國宗さんが一気に遅くなり、あっという間に追い抜くことができた。追い越すときに「もうあと少しやで!」と声を掛けたけど、再び頑張る余力は残ってないみたいだった。
後はピッグだ。こっちも全力でスパートしてるんだけど、ピッグも最後の頑張りを見せて、なかなか差が縮まらない。一昨年のオリーブマラソンでも、終盤、目の前のピッグに追いつけず、僅かな差で負けてしまったが、今日も同じような展開だ。それでも、あの時と違い、今日はなんとなく少しずつ差が縮まってきた。そして、最後の直線数十メートルのところでやっと追い越すことができた。
(ピッグ)「あそこで抜かれるとは迂闊でした!
自分の世界に入っていて、全然、後ろを振り向く余裕がなかったです」
(石材店)「いかんじゃないですか!ゴール直前で抜くのは禁止、って自分が作った会則に書いてるじゃないですか!」
(幹事長)「ごめんなさい。ついついムキになって」
死闘の末、ピッグにはなんとか逆転勝ちできたけど、支部長はやはり負けてしまった。タイムを見ると、そんなに違わなかったから、ちょっと前を走っていたはずなんだけど、走っている時は見つからなかった。見つけていたところで追いつけたかどうかは怪しいんだけど。
結局、これまで7回開催された庵治マラソンのうち、第1回大会に次ぐワースト2番目の悪いタイムだった。第1回のときは、コースを知らないもんだから、次から次へと出てくる坂に戸惑ってペースが狂ったのも敗因だったので、それを除けば、今回は最悪のタイムだった訳だ。う〜む。足の故障で不安があって今いち力を出し切れなかったという気もしないでもないけど、やはり足が動かなかった。全然、立ち直れてないって訳か。
しばらくすると國宗さんも帰ってきた。
(國宗)「支部長にペースを狂わされてしまいましたよぅ」
どうしたのかと言うと、5km地点からの長い上り坂で、前を走っていた支部長がいきなり歩き始め、それを見た瞬間に気持ちが切れてしまったのだそうだ。
(國宗)「あんなにあっさり歩き始めるのを見たら、頑張る気力が無くなりますよぅ」
僕らは、支部長が上り坂では絶対に歩くのを熟知しているから、驚きは無いが、國宗さんにとっては新鮮というか、衝撃だったらしい。しかも、支部長はいくら歩いても、上り坂が終わると何事も無かったかのごとく、すぐまた走り出す。歩くことに対して何の恥も感じてないからだ。
(支部長)「自分やって、平気で歩くやんか。て言うか、平気でリタイヤするやんか」
(幹事長)「そっちこそ、平気でリタイヤするやんか」
(國宗)「醜い争いは止めてください!」
で、再びガンガン走り出した支部長に置いて行かれた國宗さんは、精神的に立ち直ることができずに一気にペースダウンしてしまったのだ。
とは言っても、結局、支部長も僕もピッグも國宗さんも、似たようなタイムだった。要するに、みんな揃ってパッとしないタイムだった。
一方、なんとH本さんは12kmの壮年女子の部で堂々の8位入賞で、表彰された。去年は惜しくも9位だったんだけど、今年は頑張って順位を1つ上げ、入賞した訳だ。
(幹事長)「すごいなあ。もう、すごすぎて羨ましいとも思わんわ」
(H本)「練習量が違いますからね。ふふふ〜ん」
さらに矢野選手も5kmの部で9位だった。惜しくもあと1つで入賞は逃したが、19分6秒という素晴らしいタイムだ。この坂が多いコースで1km平均3分50秒なんて、素晴らしいの一言に尽きる。
それに引き替え、自分のタイムが情けなくなってくる。
(幹事長)「去年は序盤に余りにも飛ばしすぎたのが敗因だったような気がするけど、
今年は明らかに序盤の余りにも消極的な走りが敗因やなあ。一体どうすればよろしいの?」
(H本)「もっと練習すれば良いだけですよう〜」
て事で、次は11月25日の瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンだ。今日みたいな調子じゃ、本当に気が重い。やっぱりハーフマラソンにしとけば良かったなあ。
一方、阿南支部長のピッグは、先週の阿波吉野川マラソン(ハーフマラソン)、今日の庵治マラソン(12km)に続き、なんと来週も3週連続で羽ノ浦マラソン(10km)に出る。
(幹事長)「だだだ、大丈夫!?」
(ピッグ)「距離がだんだん短くなってるので、大丈夫ですね」
う〜む。私も、もっと頑張らんと、いかんなあ。
〜おしまい〜
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