第36回 瀬戸内海タートルマラソン大会
2015年11月29日(日)、小豆島において第36回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催された。
(幹事長)「今年こそは、できるだけ短い記事を目指します」
(ピッグ)「毎年言ってますけど、去年も結局、ダラダラ長かったですよ」
今年は、この時期、神戸マラソン、瀬戸内海タートルマラソン、奈良マラソンと、2週間おきにマラソン大会が続くので、早め早めに書いていかねば記事が溜まっていくのだ。
(ピッグ)「と言いつつ、この間の神戸マラソンの記事も、最近にしてはスタートするまでの文章が短かいと思ったら、
結局、いつものようにダラダラと長かったですけど」
(幹事長)「あれには自分でも驚き!」
(支部長)「フルマラソンで1kmごとのラップを延々と書くからや」
(幹事長)「掲載が早かったから許して」
このタートルマラソンは、今年はハーフマラソンに出るので距離が短いし、距離表示が5kmごとにしかないので、たぶん短い記事になるでしょう。
〜 マラソン大会の原点 〜
毎年書いてるけど、この瀬戸内海タートルマラソン大会は僕にとっては初めて参加したマラソン大会なので、一番愛着がある大会だ。初めて参加したのは、ちょど20年も前になる第16回大会だ。
(幹事長)「あれからもう20年にもなるのか」
(ピッグ)「30歳代後半ですね」
あの頃はタートルマラソンってことで年齢制限があり、35歳以上でないと出場できなかった。だから30歳代後半で出た私なんかは若手の部類だった。
(ピッグ)「じゃあ上位でゴールできたんですか?まさかとは思いますけど」
(幹事長)「まさか、ですな」
20年前に初出場した時の成績は、男子35〜49歳の部で585人中408位だった。上から数えて7割程度の順位だ。つまり後ろから数えた方がずっと早いという情けない順位だ。
(ピッグ)「調子悪かったんですか?違うとは思いますけど」
(幹事長)「普段通りの結果ですな」
あの当時は、どのレースにしたって後ろから数えた方が早かった。1998年の塩江マラソンなんか完走者346人中335位で、後ろから12番目だ。ちなみに、中山選手(元ダイエー、前コンサドーレ)なんか、この時、後ろから5番目という前代未聞の順位でゴールしている。
(中山)「いきなり過去の汚点を晒さないでくださいよ。支部長も1999年の塩江マラソンは後ろから7番目だったでしょ?」
(支部長)「何を言うか。私なんか2002年の塩江マラソンでは途中で最下位になったから、消防車に救護されたぞ。
途中で救急車に乗り換えたし、良い思い出や」
(ピッグ)「今はマシですよね」
(幹事長)「さすがに今は半分より後ろってことはないな」
て言うのは嘘で、先日の神戸マラソンなんか、恥ずかしくも半分ちょっとのとこだった。でも、最近はたいていは上位1/3くらいには入っている。
(ピッグ)「そんなに速くなったようには見えませんけど」
(幹事長)「そんなに速くなっておりません」
そんなに速くなってないのに相対順位が上がったのは、異常なまでの熱狂的なマラソンブームのせいで初心者の参加者が激増したことによる。初心者だって速い人はいっぱいいるが、どちらかと言えば遅い人の方が多い。なので、昔と違って、折り返し点で確認すると、自分の前を走るランナーより後ろを走るランナーの方が圧倒的に多い。
20年前に初参加したきっかけは、テレビで流れていた大会のCMを見て、軽はずみな気持ちで、ちょっと試しに申し込んだというものだ。
(ピッグ)「そう言えば最近はテレビCMを見ませんねえ」
(支部長)「マラソンブームのおかげで、CMなんか流さなくても参加者が集まるからやろなあ」
それまでは一人でジョギングしてたんだけど、なかなかレースに出る機会は無かった。今は日本中でマラソン大会が雨後の竹の子のように乱立し、周囲にもマラソンやってる人間が溢れているから誘われる事も多いだろうし、あまり抵抗感も無く参加する人が多い。
(D木谷)「私も先日は軽くウルトラマラソンに誘われて気軽に参加しましたね」
(幹事長)「気軽に参加して100km走るってのは感心というか呆然としますけどね」
ウルトラマラソンは論外としても、普通のマラソン大会だって、20年前は普通の人が気軽に参加するようなイベントではなかった。マラソンやってる人間なんてとても少なかったし、マラソン大会に出場するなんて、よっぽどすごいランナーか、よっぽど変な人としか思われなかった。参加するのは速い人ばっかりだったから、私たちが出ると順位が悪かったのだ。
20年前は牧歌的な時代だったから、申し込もうと思い立ったとき、実は既に申し込み受付期間は過ぎてたんだけど、主催者の瀬戸内海放送まで行ったら、簡単に申し込むことができた。マラソンブームが来る前はテレビCMを流して一生懸命参加者を集めていたにもかかわらず、参加者は少なかったのだ。今みたいに、申し込み受付スタートと同時にパソコンのキーを叩いて一秒を争ってネットで申し込みしないとエントリーすらできないという世紀末的な状況からは考えられない。
そして、右も左も分からないまま出場した20年前の初マラソン大会は、感動的なものだった。誰でも参加できる市民マラソン大会に単なるド素人が走っているだけなのに、沿道の住民からは熱い応援があり、まるで一流選手になったような気分になれるのだ。これは快感だった。始めて出たマラソン大会が、すごく楽しかったというのは幸せだと思う。もし、天気が悪かったとか、故障したとか、悪い思い出になっていれば、もう走るのは止めたかもしれない。この初マラソンでマラソン大会に出る楽しさを知ってしまい、それ以来、やみつきになり、20年に及ぶ私の長いマラソン人生がスタートした訳だ。
(ピッグ)「20年も走っているとは思えないほどの進歩の無さですね」
(幹事長)「退化してないだけでも良しとせにゃ」
このタートルマラソンは坂が非常に多くて厳しいコースなんだけど、季節が良いせいか、それとも最初に出たときのイメージが良くて、相性も良いと思いこんでいる精神的な要因のおかげなのか分からないが、タイムは悪くない。坂が全く無くて高速レースとの評判が高い丸亀マラソンより、坂が多いタートルマラソンの方がタイムが良い。
(支部長)「丸亀マラソンは最後の給水所の水に毒が入っているから終盤に失速するんよ」
季節的には11月ってのも嬉しい。一般的にマラソン大会は秋から春にかけて開催され、特にシリアスなマラソン大会は冬場がメインとなる。しかし冬は寒い。寒いのが苦手な私としては、冬のマラソン大会は嫌いだ。みんなが嫌がる夏場の暑い時季の方が個人的には好きだ。もちろん、好き嫌いとは別に、良い記録が出るのは寒い季節だ。7月末の汗見川マラソンなんか論外としても、5月のオリーブマラソンでも天気が良い時は猛暑のレースとなって惨敗する。2月の丸亀マラソンなんかの方が良いタイムが出る。でも寒いのはやっぱり嫌だ。どうせなら楽しく走りたいので、せいぜい11月までがよろしい。
てなことで、この20年間、タートルマラソンにはほぼ毎年欠かさず出ている。フルマラソンの部とハーフマラソンの部があり、徳島マラソンができるまでは近場の貴重なフルマラソンだったので、ときどきフルマラソンの部にも出ていた。でも、このレースは坂が多く、終盤になると坂は例外なく歩くという、非常に辛いレースになる。なので、7年前に坂が無いフラットな徳島マラソンが出来てからは、タートルマラソンではフルマラソンの部にはあんまり出ていない。特に今年は、この2週間前には神戸マラソンでフルマラソンを走っており、さらに2週間後には奈良マラソンでフルマラソンを走るので、いくらなんでも2週間おきにフルマラソンを3回も走るのは破滅的なので、このタートルマラソンはハーフマラソンに出る。
〜 エントリー 〜
私にとって最も愛着ある瀬戸内海タートルマラソンだが、四電ペンギンズの他のメンバーには何の思い入れも無いため、従来は参加者が少なかった。
(ピッグ)「そもそも幹事長が初出場した20年前なんかは、私らは年齢制限で引っかかって出場できませんでしたからね」
しかも、ピッグらが35歳以上という年齢制限をクリアできた年になって、急に年齢制限が25歳以上に一気に引き下げられ、なんとなくやる気を削がれたのも事実だ。ただ、最近は参加メンバーも増え、今年は私のほか支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、D木谷さんがエントリーした。一方、例年出ていたゾウさんや小松原選手は、今年は都合で出られなかった。
徳島マラソンに象徴されるように、最近のマラソン大会は、本番より、むしろ申し込みの方が緊張する。申し込みするときは、事前にパソコンの前に陣取って待機し、申し込み開始時間と同時に1秒を争ってパソコンのキーを叩かなくては申し込めない状態になっている。だから、このタートルマラソンの申し込みに当たっても、受付時間になると同時にパソコンのキーを叩いて申し込んだ。他のメンバーにも、例によって数日前から何度もしつこく周知して、全員が無事エントリーを完了した。
ただ、後から確認すると、このタートルマラソン大会は、そんなに焦って急ぐ必要はなかった。定員は3000人で、最近の大きな大会が10000人規模なのに比べると、こぢんまりした大会だが、それでも定員いっぱいに達したのは7月1日の申し込み受付開始から2ヵ月近く経った8月下旬だった。小豆島なので、四国からだけでなく京阪神からの出場者も多いんだけど、四国からでも京阪神からでも船に乗ってこないといけないので、それがネックになっているのだろうか。それでも、締切を過ぎても受け付けてくれていた20年前に比べれば、当初予定の締切前に定員に達したのだから、一応はマラソンブームのおかげでテレビCM無しでも出場者を確保できているのだろう。
この大会はフルマラソンの部とハーフマラソンの部と10kmの部がある。去年は大きな手違いがあって、みんなハーフマラソンの部に申し込んだとばかり思っていたらピッグが一人だけフルマラソンに申し込んでしまい、一人寂しく延々と走ったので、今年はきちんと意思統一して全員がハーフマラソンに申し込んだ。
(幹事長)「と言いながら、坂が多くて厳しいこの大会のフルマラソンで、去年は結構、良いタイムだったよなあ?」
(ピッグ)「1ヵ月前に60km走った貯金がありましたからね」
ピッグは去年の春以降、ほとんどロクに練習してないため奈落の底へ落ち続けているんだけど、去年のこの大会は、1ヵ月前に四万十ウルトラマラソンの60kmの部に出て完走したので、その貯金が物を言ったようだ。
(幹事長)「今年は無理だよね」
(ピッグ)「無理です。ためらいなくハーフマラソンにしてます」
最近のマラソン大会は参加料が高騰しているが、瀬戸内海タートルマラソンの参加料はフルマラソンでもハーフマラソンでも同じ4000円だ。以前は、マラソン大会の参加料なんて3000円が相場だったけど、最近は高い。2週間前に出た神戸マラソンは10810円だったし、大きな大会はたいてい12000円前後だ。大都市だけでなく、徳島マラソンですら来年は9000円に値上がりするそうだ。それに比べたら4000円てのは優しい。田舎は経費がかからないからだろうけど、記念のTシャツなんか要らないから、他の大会も参加料はもっと下げて欲しいものだ。
〜 臨時船 〜
レースが開催される小豆島土庄町へは、高松から船に乗っていくんだけど、狂気のようなマラソンブームが到来する前は、楽勝だった。スタート時間の9時30分の直前ギリギリに土庄へ到着する高速船で行けば、全然、待たずにスタートできたのだ。
(石材店)「ウォーミングアップする時間も無かったですけどね」
(幹事長)「最近はストレッチすらやらない事にしてるんぞ」
我々のように体力の無いランナーにとってウォーミングアップが百害あって一利無しってのは常識であり、従来から一切やってこなかったが、最近、ストレッチすら無用という説を聞いた。本当なのかどうか疑問なんだけど、その方が楽なので実践している。つまり、朝、起きたままの体で、何もせずに自然体で走るのだ。なので港にギリギリに到着する船でも問題は無かった。
ところが昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、この高速船に乗るためには、かなり早くから並ばなければならなくなった。そんなに早くから並ぶくらいだったら、早めに出発するフェリーに乗るのと変わらない。おまけに、定員を無視してなんぼでも積み込んでくれるフェリーと違い、高速船は定員を厳守するため、長い間、並んだあげく、満席で乗れないなんて事態になれば悲惨だ。てことで、最近はフェリーを利用することが多い。
ところが、なんと、発狂的なまで盛り上がった異常なマラソンブームのため、フェリーに乗るのでさえ困難をきたし始めていて、積み残しが出る事態になった。そのため、去年から臨時便が出るようになった。「臨時便」と聞いて、最初は「奴隷船」かと思って躊躇した。奴隷船とは、春の小豆島オリーブマラソンに亡霊のように登場する船だ。オリーブマラソンは坂手港が会場で、高松から坂手港に行く定期便が無いため、臨時船が出る。この臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいているのだ。おまけに、昨今の異常なマラソンブームにより、奴隷船には定員の3倍くらい詰め込まれるという状況になり、ますます厳しい環境で、もはや奴隷船と言うより家畜船になっている。
しかし、奴隷船は、定期便が無い坂手航路にマラソン大会の主催者が運行しているものなので非人道的だが、今回の臨時便は、あくまでも定期便を運航している船会社がマラソン大会のために増発するものであり、去年、乗ってみたら、普通のまともなフェリーであり、奴隷船や家畜船のようなものではなかったので、今年も利用する事にした。
臨時便の出港は朝7時だが、去年の記事を読むと、6時半には乗船開始となっているので、座席に座るのであれば、それより早く集合する必要がある。遠方から来るヤイさんは、JRの始発便に乗ってくるので、6時過ぎには到着する。なので、我々も6時過ぎには港に集合することにした。
(ピッグ)「たかがマラソンのために、みんな早起きしますよねえ」
(幹事長)「高齢化と共に、みんな早起きが可能になってきたからなあ」
ところが他のメンバーとは待ち合わせ時間の調整がついたが、例によって國宗選手だけ連絡が取れない。もしや、またドタキャンかなあと思って待っていると、レースの前夜になってようやく連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る電話は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からの電話はドタキャンの話に決まっている。分かり切っている。徳島マラソンも小豆島オリーブマラソンも酸欠マラソンも淡路島一周サイクリングもそうだったし。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「明日のレースなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話聞いてくださいっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?」
(國宗)「いや、違いますって。今回は出ますがな。ただ始発電車に乗っても集合時間には間に合わなくて」
(幹事長)「なんや、そんな事か。わしらが席を取っとくから、出港の7時までに来てくれたらええよ」
て事で、全員の参加が確認できた。
〜 小豆島へ出発 〜
6時過ぎに港に到着すると、既に支部長が来ていた。チケット売り場には既に行列が出来ていたが、そんなに待たずにチケットは買えた。既に大勢のランナーがチケットを買っていると思われるのだが、それにしては待合所には人が少ない。
(幹事長)「なんでやろ?」
(支部長)「前の便に乗るみたい」
そうか、みんな7時発の臨時便じゃなくて、6時25分発の定期便に乗ろうとして早めに来ているのか。
(幹事長)「じゃあ我々も早いのに乗るか?」
(支部長)「まだ来てないメンバーがおりまんがな」
しばらくすると始発電車に乗ってきたヤイさんが到着し、さらに続いてD木谷さんも到着する。
(幹事長)「ヤイさんは相変わらず毎日20kmウォーキングしてるんですか?」
(ヤイ)「なんとか続けてますよ」
いくら時間が有り余ってるからって、毎日20kmもウォーキングするなんて、狂気の沙汰だ。20kmと言ったらハーフマラソンの距離だ。僕なら飽きて発狂する。ランニングでないとはいえ、毎日20kmも歩いていたら、ヘタなランニングの練習を凌駕するのは間違いない。実はヤイさんは今日、本職の野球の試合もあったんだけど、そっちを断ってタートルマラソンに参加するのだ。かなり気合いが入っている。
(幹事長)「D木谷さんはどうですか?」
(D木谷)「実は岡山マラソンの2日前に右足のふくらはぎが肉離れになってしまい、まだリハビリ中なんですよ」
岡山マラソンは3週間前だったから、それじゃあまだまだ完治はしてないはずだ。
(幹事長)「そんな状態で走って大丈夫なんですか?」
(D木谷)「取りあえず走りながら様子を見ます」
肉離れが完治してないのに走るなんて恐いような気がするけど、ウルトラマラソン100kmに軽く誘われて軽く完走するウルトラマラソンマンだから、大丈夫なのかも。
6時25分の定期便が出港した後は、続いて臨時便の乗船を待つ人の行列が出来はじめたので、我々も乗船口に並ぶことにする。
外に出ると寒い。今日の天気は晴れのち曇りって予報で、雨の心配は無い。でも気温は低めだ。11月末だから、こんなものかもしれないが、まだ暗いし寒いので、着替え用に持ってきたのも含めて半袖Tシャツ2枚と長袖シャツ2枚とジャケットを着込む。
(支部長)「いくらなんでも着すぎと違う?」
(幹事長)「寒さに弱いもんで」
6時半になったら乗船が始まり、行列の前の方に並んでいた我々は余裕をもって広いボックス席を確保できた。さきほど6時25分の定期便が出たばかりなので、そんなに混んでいないし、臨時便の後にも7時20分に定期便があるので、臨時便に殺到するって状況ではない。ここがオリーブマラソンの奴隷船と違うところだ。
しばらくするとピッグと國宗選手も乗り込んできて、メンバーが揃った。ふと見ると、いつの間にか、あっという間に満席になっている。我々が乗り込んだときは空いてたけど、電車が到着したりして一気に客が増えたようだ。床に座っている人達もいる。それでもオリーブマラソンの奴隷船のような混雑ぶりではない。
だが、まだ7時になってないのに、いきなり動き始めた。
(幹事長)「ちょっと早くない?」
(支部長)「臨時便やから、定員に達したら出港するんかなあ」
そうか。チケットはどの便も共通なので、乗れなかった人は別便に乗れってことで、定期便と違って定刻まで待つ必要はないのか。
船が動き出すと、早速、朝食を食べる。ハーフマラソンのスタートは9時30分なので、家を出る前に食べるのは、ちょっと早すぎるので、船に乗ってから食べるのがタイミングとしてはよろしい。朝食はおにぎり2個だ。以前はマラソン大会の朝食と言えば、決まって菓子パンをたくさん食べていた。もともと菓子パンは大好きだし、マラソン大会に出る時は、たいてい普段より早く家を出るので、手軽に菓子パンを食べていたのだ。しかもエネルギー補給と言うことで、たくさん食べていた。ところがここ数年、2008年の徳島マラソンや2009年の走れメロスマラソンや一昨年のオリーブマラソンのように、マラソン大会で走っている最中にお腹を壊してトイレに駆け込むことがある。そこまでいかなくても、ゴールと同時にトイレに駆け込むこともよくある。去年のタートルマラソンだって、ゴールしてソーメンを食べたところでお腹の調子が悪化の頂点を迎え、トイレに駆け込んだし、今年の丸亀マラソンも苦しんだ。この原因を深く考えてみたら、菓子パンが原因ではないのかって思えてきた。て事で、今年3月の徳島マラソンから菓子パンじゃなくて、おにぎりを食べるように変えた。さらに用心には用心を重ねて、下痢予防のために下痢止めの薬も飲むようにした。そのせいかどうかは分からないが、少なくともそれ以降はマラソン大会でお腹を壊していない。
(ピッグ)「それって気のせいじゃないんですか?」
(幹事長)「そうかなあって思っていたら、なんと科学的な事実らしい!」
つい先日、11月18日放送のNHK「ためしてガッテン」によると、パンなんかに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいんだそうだ。もちろん、これは個人差があって、みんながみんな下痢する訳ではない。もしそうだったら、誰もパンなんか食べなくなるだろう。でも、牛乳を飲んだら下痢をする私のようなタイプの人間は、朝、空きっ腹にパンをたくさん食べると数時間後にはお腹を壊すらしい。実は普段でも毎朝、パンは食べてるんだけど、通常はお腹は大丈夫だ。たぶん量の問題だろうと思う。普段の朝食はおかずも多くてパンの量は少ないけど、マラソン大会の朝食って言うと、エネルギー補給とばかり砂糖なんかを大量に使った甘い菓子パンをたくさん食べていたので、とてもお腹に悪かったのだろう。一方、お米に含まれている糖類は消化が良いとのころで、おにぎりに代えれば問題ない。量も控えめに2個にしたが、ちょっと物足りないのでバナナも追加した。おまけとして、スタート直前に食べるゼリーも持ってきた。
最近は大都市のマラソン大会を始めとして、当日の受付が無く、受付は前日に済ませなければならない大会が多くなってきている。神戸マラソンや奈良マラソンもそうだ。参加者が多くて当日の朝では大混乱になるからだろうけど、遠方から参加する人にとっては負担感が大きい。わざと遠方からの参加者に宿泊させようとしているのかもしれないが、参加者の利便性を考えて、なんとしても当日の受付をやってもらいたいものだ。その点、この大会は前日受付なんかじゃなくて当日受付なのでありがたい。て言うか、正確に言うと当日受付ですら、ない。ゼッケンやタイム計測チップは事前に送られてきているのだ。なので当日の受付は単に参加記念のTシャツや醤油をもらうだけだ。大変素晴らしいシステムだ。参加申込みの競争率が低くて、身代わり出走の恐れが少ないからこそできることだけど。
で、船に乗ってる時間を利用して、Tシャツにゼッケンを着けておく。しかし、どのシャツにゼッケンを付けるかが問題となる。何を着るかの大問題になるからだ。
(ピッグ)「やっぱり今日も何を着るかで悩むわけですね」
今頃の季節なら、寒ければ長袖シャツの上から半袖シャツを着て、寒くなければ半袖シャツ1枚が普通だ。ところが今日は寒い。ちょっと悩む。
(支部長)「悩むったって、3枚も着る訳にはいかんやろ?」
確かに、真冬のマラソン大会でも3枚も着ることはない。なので今日は長袖シャツの上に半袖シャツを着ることにする。半袖Tシャツは、2週間前の神戸マラソンでもらったTシャツだ。
(支部長)「いつも着てた大阪マラソンのTシャツは止めたん?」
(幹事長)「いつもいつも同じってのも芸が無いし、このTシャツも格好良いし」
ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてないので、普段は履かないが、今日は防寒のために履くことにした。神戸マラソンでも防寒用に履いてたら、天気が良くなって暑くて大変だったけど、今日は寒いだろう。
着る物も決まって落ち着いていたら、ピッグの元同僚のY浅さんが登場した。彼女は去年の四万十ウルトラマラソンの60kmの部でピッグを圧倒したスーパー女性ランナーだ。
(幹事長)「まさか今日はフルマラソン?」
(Y浅)「いや、今日はハーフマラソンです。先月の龍馬脱藩マラソンはフルマラソンに出ましたけどね」
(幹事長)「げげげっ、あのフルマラソンは厳しいでしょ?」
(Y浅)「でも脱藩マラソンはフルマラソンに出ないと脱藩した事にならないでしょ?」
Y浅さんとは2週間後の奈良マラソンでも直接対決となる。怖い!
(幹事長)「奈良マラソンは坂が多くて厳しいって話だけど?」
(Y浅)「坂が多い方が楽しいですよ。普通のマラソンよりもトレイルランの方が楽しいですから」
(幹事長)「げげげっ、トレイルランもやってるんですかっ!」
トレイルランもウルトラマラソンも興味はあるけど、今の実力じゃあ討ち死には確実だよなあ。
〜 小豆島へ到着 〜
おしゃべりしていたら、あっという間に土庄港に着いた。港から会場までは送迎バスがあるが、歩いても10分少々くらいなので、適度なウォーミングアップになるから、迷わず歩く。
(幹事長)「こんな短い距離をバスに乗るなんてランナーの風上にも置けんな」
(ピッグ)「これが唯一のウォーミングアップなんでしょ?」
今日の天気予報は、だんだん曇ってくるっていうことだったが、少なくとも今は雲一つ無い晴天だ。
20年前の初参加の時からそうだけど、このタートルマラソンは、なぜか天候に恵まれ、この季節にしては暖かい日が多い。今は朝だから寒いけど、結構、暖かくなるかも知れない。いずれにしても天気が良いと気持ちが良いし、今日は絶好のコンディションになるかも。
会場に着いて記念のTシャツや醤油をもらい、男子の更衣室になっている中央公民館の会議室に入る。船の中で考えたとおり、長袖シャツの上に神戸マラソンでもらったTシャツを着る。ランニングタイツも着用だ。
(ピッグ)「いつも着るもので悩んでばかりの幹事長ですけど、今日は悩まなくて良かったですね」
(支部長)「て言うか、いつも悩みに悩んでいるけど、タイムには何の影響もないやろ?」
(幹事長)「確かにタイムとは関係ないかも」
でも、タイムには関係なくても、暑くなると「失敗した!」って思ってしまって精神的に負けてしまうし、寒くなると悲しくなるので、精神を安定させるために、万全の態勢で臨みたいところだ。
着替えも終わり、トイレも済ませたので、取りあえずみんなで外に出て記念撮影をする。
公民館の表には大きなピンクの亀さんがいる。
(ピッグ)「あんなピンクの亀さんっていましたっけ?」
(幹事長)「初めて見るような気がするなあ」
(支部長)「それにしては古ぼけてるなあ」
決して新しいものではなさそうだけど、記憶には無い。記念写真を撮るために上に乗ろうとしたら、突然動き出してびっくり!固定されたものではなかったのだ。どこかで使われていた物らしい。
大きなピンクの亀さんを囲んで記念撮影
(左からD木谷さん、ヤイさん、國宗選手、幹事長、支部長、ピッグ)
そんな事して遊んでいたからかもしれないが、なんだか暑い。気温は低いと思うんだけど、天気が良くて風も無いから、じっとしてても暖かい。
(幹事長)「これ、暑くない?」
(國宗)「幹事長的には暑いでしょ。はっきり言って着すぎですね」
(幹事長)「やっぱり1枚にした方がいいかなあ?」
(支部長)「暑くても寒くてもタイムは変わらんってば」
でも、どう考えても暑くなりそうなので、思い切って長袖シャツは脱いでみた。
(幹事長)「うん。やっぱり1枚で十分。て言うか、裸で走っても気持ち良いくらい」
スタート直前になって長袖シャツを脱ぐのは、2週間前の神戸マラソンでもやった事だが、フルマラソンだと終盤に力尽きてトボトボと足を引きずって歩く事も多いから、そうなると体が冷えるので、その事態に備えて脱いだ長袖シャツは腰に巻いて走った。今年の徳島マラソンも同じ事をした。一方、ハーフマラソンなら終盤で寒くなることは想定しなくてもいいので、3年前の丸亀マラソンや同じく3年前の瀬戸内海タートルマラソンでは、スタート地点でTシャツを1枚脱いでその辺に置いて走って後から回収した。だが今日はまだまだ時間があるので、脱いだシャツは更衣室へ持って上がればいい。
(幹事長)「ランニングタイツは大丈夫かなあ?」
(國宗)「タイツはそんなに暑くないですよ。それより足の疲れを抑える機能がありますから、履いてた方がいいですよ」
(幹事長)「ほんとに大丈夫?こないだの神戸マラソンでは暑かったよ」
(支部長)「だから暑くても寒くてもタイムは変わらんってば」
てことで、長袖シャツだけ脱いで更衣室に置いてきて、再び表に戻ってきたら、なんとなく空が曇ってきた。
(幹事長)「なんか曇ってきてない?」
(ヤイ)「天気予報通りですね。午後は曇りですから」
時間はまだ9時だ。それなのに既に薄曇りになり始めている。そうなると、てきめんに寒くなる。
(幹事長)「これ、寒くない?」
(ピッグ)「暑くはないですね」
(幹事長)「やっぱり2枚着た方がええやろか?」
(支部長)「もう好きにしてちょ」
もう時間も少なくなってきたので、慌てて再び更衣室に戻って長袖シャツを着る。
(幹事長)「こんなにコロコロと気温が変わると困るよなあ」
(支部長)「ちょっと神経質になり過ぎ!タイムは変わらん!!」
(幹事長)「ほんと寒いのは苦手なんよ」
もちろん、ウェアの選択が成功してタイムが良くなった実績は無い。タイムとしては、多少、寒いくらいが一番いい。でも、寒いのは楽しくなくて、精神的に辛いのだ。
ただ、いくら寒いのが怖いと言っても、まだ手袋は不要だし、雨の心配が無いので帽子も被らない。一方、ピッグはいつもの事ながらどんなに寒くても半袖Tシャツ1枚で、タイツも履かないが、手袋と帽子は被っている。これが吉と出るか凶と出るか。
ゼリーを食べて準備万端の体勢でスタート地点に移動する。
〜 今日の作戦 〜
ハーフマラソンの部のスタートは9時40分だが、その10分前にフルマラソンの部のスタートがあるので、我々の集合は、その後だ。丸亀マラソンなんかスタートの30分前までに並ばされ、寒いし退屈するけど、直前の集合てのは、いかにも田舎のレースって感じで、のんびりして心地よい。
スタート地点の集合場所は、一応、目標タイム順になっている。速いランナーと遅いランナーが一緒くたにごちゃ混ぜになっているとスタート時の混雑がひどくなり、混乱するからだ。こういう場合、申告する予想タイムは正直な方がいい。実力より前からスタートすると、周りのみんなから置いてきぼりになって精神的に落ち込むか、あるいは周りの速いランナーにつられて無理して飛ばしてしまって潰れる可能性が高い。逆に、後ろの方からスタートすると、おしゃべりしながら固まって走る遅いおばちゃん連中にブロックされて前へ行けない。なので、自分の実力通りの場所からスタートするのが一番良い。て事で、だいたい真ん中当たりにみんなで並ぶ。
(幹事長)「この大会ってネットタイムで計測してくれるんやったっけ?」
(ピッグ)「どっちでしたっけ?」
最近は、たいていのマラソン大会で計測チップを着けるが、オリーブマラソンなんかは、ゴールタイムは計測してくれるものの、スタートは全員、ピストルの合図に合わせるグロスタイム計測だけだ。
(支部長)「そんなに関係ないって。誤差の範囲や」
確かに、参加人数もそんなに多くないし、グロスタイム計測だとしても大したタイムロスでもないか。
空は曇ったままで、暑くなる心配は無さそうだし、風も無い。まさに絶好のマラソン日和だ。2週間前には惨敗したとはいえフルマラソンを完走しているので、長距離を走る不安も無い。疲れも残っていないし。
(幹事長)「なんだか今日は行けそうな気がするぅ〜」
(ピッグ)「久しぶりに聞くフレーズですけど、その勘違いで今まで何十回、何百回も失敗してきたんですよね」
このレースは、とにかく坂が多い。まず、2kmちょっと走ったところから大きな坂が始まる。この坂が終わると、今度は5kmちょっと走ったところから中くらいの坂がある。さらに9kmほど走ったところから3つ目の大きな坂がある。そして、それに続く小さな坂の途中でハーフマラソンは折り返して帰ってくる。この他にも、小さな坂がちょこちょことあり、フラットな区間が少ないので非常に厳しいコースと言える。
特に支部長は坂に弱いから、去年までは悪戦苦闘していた。オリーブマラソンと同様に、坂があれば何の躊躇いもなく、あっさりと割り切って歩いていた。なので、それまでどんなにリードされていても、終盤の坂で絶対に逆転できるので、坂の多いタートルマラソンでは負ける気がしなかった。
(支部長)「今年は違うで」
10月上旬の龍馬脱藩マラソンで、最後の巨大な坂を歩かずに完走した事で分かるように、“坂に弱い支部長”は過去の話になったのだ。その理由は、支部長が精を出しているレフコ・トライアスロンだ。説明しよう。レフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、自転車マシーンに乗って、次にランニングマシーンに乗って、最後にプールに入るという、順番は異なるけど1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。支部長は数ヶ月前にレフコに加入して、それを毎日やっていると言うのだ。そんな事するくらいなら、レフコまで走って行ったり自転車で行ったりしたらいいと思うのだが、本音は最後に入るお風呂が目当てらしい。なので、帰りに走ったり自転車に乗って汗をかくのが嫌なので、車で行ってるのだ。そんな風呂が目的の本末転倒気味なトレーニングに効果なんかあるんかいな、と私は半信半疑だったが、龍馬脱藩マラソンで最後まで完走したのを見ると、着実にトレーニングの効果が出ているようだ。なので、今年の支部長には油断は禁物だ。
ただし一方で、今回は支部長は前日にゴルフに行っているのが大きなハンディになるかもしれない。
(幹事長)「マラソンの前日にゴルフに行くパターンが多くない?」
(支部長)「あんまり気にしないで予定を埋めているから」
ゴルフでもフェアウェイをキープしてカートに乗りまくっていたら疲れは少ないと思うけど、右へ左へ駆けずり回っていれば疲れがボディーブローのように効いてくるはずだ。
(幹事長)「ピッグだけは練習してないよね。絶対にしてないと思うけど」
(ピッグ)「お察しの通りです」
良かった。ピッグだけは期待通りだ。去年の海部川風流マラソン大会ではサブフォー目前の好タイムを出して手が届かないところに行ってたピッグだが、去年の春以来の練習量激減により、最近は低迷状態が続いており、今回も勝てるような気がする。
(ピッグ)「幹事長は2週間前にフルマラソンを走ったばかりだから練習は十分ですね」
(幹事長)「そう信じたいなあ」
去年、ピッグは1ヵ月前に四万十ウルトラマラソンの60kmの部を走った貯金が物を言って、このタートルマラソンでもフルマラソンを良いタイムで走ったが、私個人の過去の実績を見ると、マラソン大会が続いた時のタイムって、決して良くはない。疲れが残っているとかではなくて、油断するからだ。ちょっと前に大会に出ていれば、しばらくは練習なんてしなくても平気だろうと思って、ついつい練習がおろそかになるのだ。
今回は2週間前に神戸マラソンを走ったばかりで、その後は疲労回復を優先して、ほとんどロクに練習はしていない。これが吉と出るか凶と出るか全く分からない。しかも、その神戸マラソンは楽しいながらもタイム的には惨敗だったから、なんとも微妙に不安だ。
(ピッグ)「それで目標タイムはどうですか?
神戸マラソンでは控えめな目標タイムだった割には、それすら達成できない惨敗でしたけど?」
(幹事長)「あれはフルマラソンだったからな。ハーフマラソンの場合は、常に大会自己ベストが目標だな」
どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
この瀬戸内海タートルマラソンのハーフマラソンの部の大会自己ベストは50を過ぎた6年前に出したものだ。そのときのタイムとペース配分を参考にレース展開を考える。理想的なレース展開としては、最初は、まあまあ抑え気味でスタートして、徐々にペースを上げていくパターンだ。以前なら、それは理想だけど、現実には不可能だと思っていた。ペースは下がるものであり、上げていくなんて非現実的な理想に過ぎないと思っていた。しかし最近は、このタートルマラソンにしてもオリーブマラソンにしても、良いタイムが出たのは、徐々にペースを上げていくことができた時のものだ。
とは言え、どれくらいのペースに抑えて走ったらいいのかは難しい。最初から遅いペースで走れば、最後までペースは落ちないだろうが、適度に頑張らないと良いタイムは出ない。終盤に潰れないギリギリのペースが理想だ。一昨年はペースをだんだん上げていくというレース展開は理想的だったんだけど、スタート時のペースを抑えすぎていたため、終盤にかなりペースアップできたにもかかわらず、大会自己ベストは更新できなかった。その反省から、去年は序盤から少し速いペースで入ったら、その後は徐々にペースダウンしてしまって、結局タイムはイマイチだった。最初にどれくらい抑えて走るか、どれくらいのペースでスタートしたら良いのか、大変難しいところだ。
しかも、このタートルマラソンは距離表示が5kmおきにしか無いから、5km走るまでは、なかなかペースが分からない。まずは自然体で走ってみて、最初の1kmのタイムで、その日の調子を把握しつつ、軌道修正を図ったりしたいのに、それができないのだ。いくら調子が良いような気がしても、オーバーペースになっていると注意しなければならないし、あんまり遅すぎると多少は頑張る必要もあるので、きめ細かいペース管理が必要なんだけど、距離表示が少ないから、それができないのだ。適度な緊張感を維持しながら、なるべくペースが一定になるように気をつけながら自然体で走るしかない。
(支部長)「ごちゃごちゃ言っても、結局、タイムは変わらんってば」
(幹事長)「おっしゃる通り!」
〜 スタート 〜
いよいよスタートとなった。スタートラインを越えるまで30秒くらいかかったけど、スタートラインで計測してくれているようなので、タイムはネットで計測してくれるようだ。
スタート直後は多少は混雑するけど、気温も低く風も無く、気分も良くて、気持ち良くスタスタ走れる。体は軽い。しかし、むやみに飛ばすのは禁物だ。取りあえずはピッグに着いていくことにする。ピッグもそんなに無理はしないだろうし、ちょうどいいペースメーカーだ。
身体も軽く序盤から軽快に走る幹事長
2kmほど走ったら、最初の大きな坂が現れ、1kmほど上りが続く。大きな上り坂ではあるが、死ぬほどの急勾配でも無いし、まだまだ序盤なので大して厳しくはない。しかし、だからと言って調子に乗ってストライド走法の大股でグイグイ上っていくと、後からダメージが来る。金さんの話によれば、上り坂で無理に筋肉を使うと、終盤に大きなダメージになって返ってくるので、チョコチョコとピッチ走法で刻んで上るのが良いらしい。なので、序盤でまだまだ元気だけど、自重してチョコチョコと登っていく。
ただ、抑制して走っているとピッグが少しずつ離れていく。ピッグにまで「自重しろ」って言うわけにもいかず、ちょっと悩んだが、いったんピッタリ着いていくのを諦める。最近のピッグの練習量を考えると、終盤には追いつけるだろう。
1kmほど淡々と走っていくと上り坂が終わり、下り坂となる。実は金さんは、下り坂でも大股でガンガン走ると足に筋肉にダメージが溜まり、終盤に足が動かなくなるから、上り坂と同じように小走りで下りろと言ってたけど、フルマラソンなら気をつけた方が良いだろうけど、所詮ハーフマラソンなので気にしないでもいいと思い、従来通り、重力のなすがまま思いっきり転げ落ちるように大股で駆け下りる重力走法で走った。ガンガン走っていけばピッグに追いつけるかと言えば、決してそうではなく、ピッグも常に下り坂では重力走法でガンガン走っていくので、むしろ差は広がりつつある。
坂を下りてしばらく走ると、ようやく最初の5km地点の距離表示がある。時計を見ると、当初計画よりちょっと遅い。
最初の混雑で少しタイムロスがあるとは言え、ちょっと遅すぎる。大会自己ベストを出すには、この後はかなりペースアップしなければならない。あんまり無理はしたくないけど、大会自己ベストを諦めるには早すぎる。もうちょっと頑張ってみよう。
ちょっとだけペースを上げたおかげか、ちょっとだけピッグの背中が近づいてきたような気がする。少なくとも差は広がってはいない。
5km地点を過ぎると、今度は中くらいの大きさの2つ目の坂がある。最初の坂に比べると、そんなに大きくもないので、あんまり負担は感じない。まだまだ快調に飛ばせていて、ペースは落ちていないはず。
ここへ来て早くもピッグのペースが落ちてきた。1kmごとの距離表示が無いから正確には分からないけど、私と周囲のランナーの位置関係が変わらないのにピッグだけが近づいてきたってのは、明らかにピッグのペースが落ちているってことだ。さすにが遅すぎると思って追い越すことにする。
(幹事長)「ちょっとペースが落ちてるよ。ちょっとだけど」
(ピッグ)「えっ、そうですか!?」
最初の給水所が現れたので、まだまだ全然喉は渇いてないけど、念のために水を補給する。喉が渇いてからでは遅いからだ。無駄の無い動きで給水できたので、タイムロスは無い。
(ピッグ)「立ち止まって飲んでもタイムはほとんど変わりませんって」
(幹事長)「分かってる。でも鮮やかに給水できると嬉しいやんか」
こういう技術だけ上達しても仕方ないんだけど、気持ちは良い。
2つ目の坂をクリアし、ちょこちょこと小さい坂をいくつか越えると、3つ目の大きな坂が出現する。この坂を上り始めた頃、トップランナーが折り返してくる。2位を大きく引き離してのダントツのトップだ。その後、2位以下のランナーも現れ始めるが、まだまだかなり上位でK口氏が走ってきた。川G氏は、以前から速かったとは言え、こんなに速いとは驚きだ。去年もすれ違ったけど、ここまでは速くなかったと思う。
(幹事長)「めっちゃ速いやん!」
(K口)「いやあ、ははは」
3つ目の坂を下りた辺りに、10km地点の距離表示がある。時計を見ると、この5kmは最初の5kmに比べたらペースアップできていた。ただ、最初からこれくらいのペースだったら良かったけど、最初の借金を返済していかねばならないから、これでは不十分だ。もっとペースを上げていく必要がある。足はまだ軽いような気がするけど、さらにペースアップできるかどうかは分からない。
2つ目の給水所が現れたが、相変わらず曇り空で喉も渇いてないから、ここでは給水はパスする。
ほんの小さな坂を少し上ると、ようやく中間の折り返し点がある。ここで折り返して、後続のランナーをチェックする。ピッグはすぐ後ろを着いてきていた。ペースを上げたから、ちょっとは差がついてるかと思ったけど、ピッグもペースを上げたようだ。
だがピッグは想定内だ。予想外だったのは、そのすぐ後ろにヤイさんと國宗選手が一緒に走ってきたことだ。私との差は1分も無い。これには驚きだ。て言うか、この後、ペースダウンしようものなら追いつかれるかも知れない。これは恐怖だ。いくらなんでも恐すぎる。
そして、さらに、なんと支部長もその少し後を走ってきた。私との差は2分も無いだろう。げげげっ。ここまでみんな団子レースになってるとは思わなかった。自分的には、そんなに速くもないけど、まずまずのペースで走ってるから、他のメンバーには確実に勝ったと思っていたのに。
まだまだ余裕の表情で迫ってくる支部長
逆に、先月の龍馬脱藩マラソンで負けたウルトラマラソンマンD木谷さんは、肉離れの影響でだいぶ遅れていた。でも、なんとか走れているから一安心だ。
肉離れにもかかわらず激走するD木谷さん
後半に入ると、なんとなく、少し足が重くなってきたような気がする。前方に十分に蹴り出せなくなってきたような気がする。上り坂ではなんとか頑張ってあんまりペースが落ちないように走り、下り坂では思いっきり駆け下りているつもりなんだけど、なんとなく足がスムースに出なくなってきた。でも、後ろからみんなが迫ってきているかと思うと、ペースを落とすわけにはいかない。恐怖で緊張感は維持している。
相変わらず空は曇りで暑くなく、風も無く走りやすい。何の言い訳もできない絶好のコンディションが続く。
帰りの2つ目の坂を登り切った辺りに15km地点がある。どんなもんかなあ、と思ってタイムを見ると、やはりペースダウンしている。序盤の5kmよりは速いが、大会自己ベストは完全に不可能なタイムになっている。こうなるとモチベーションの維持が難しくなってくる。なんとかペースを上げれば大会自己ベスト2位にはなるかもしれないが、大したモチベーションにはならない。それより誰か他のメンバーに追いつかれる恐怖の方が緊張感の維持には役立つが、さて、どんなもんだろう。一番恐いのはヤイさんだ。龍馬脱藩マラソンでも、油断しきった終盤になっていきなり追いつかれて思わず背筋が凍った。ピッグや國宗選手も油断はできない。
必死の形相で後ろから迫ってくるヤイさん
あと残り6kmだ。もう後は考えなくてもいいから全力を出し切れればいい。めっちゃ気合いを入れて、ラストスパートのつもりで頑張ってみる。と思ったんだけど、気持ちではそう思っても足は思うようには動かない。ちょっとだけスピードを上げたつもりでも、6kmもスパートはできない。足が前に上がらなくなってきている。
最後の大きな坂になると、さすがに大きくペースダウンしてしまう。でも歩きたいと思うほどバテてはいない。周囲には歩いているランナーもいるけど、ここで歩いたら元も子もない。
終盤になると、5kmごとの距離表示のほか、「あと3km」とか「フルマラソンの部40km」とか色んな表示が入り乱れてくるが、疲れた頭で考えていると、こんがらがって訳が分からなくなるので、今日はそういうのは無視して5kmごとの距離表示だけを気にする。
最後の大きな坂を下り終えて19km地点を過ぎると、残り2kmはフラットな区間だ。ここを一気にスパートを掛けて突っ走れば好タイムが出るはず。と思うのだが、ここにきてなんだか暑くなってきた。ここまで曇りだったけど、なんとなく薄日が差してきた。しかも相変わらず風は無いから、とたんに暑くなってきたのだ。終盤に来て暑くなるのは想定外だ。長袖シャツを脱ごうかとも思ったけど、もう後2kmしか残っていないし、走りながら脱ぐのは大変なので、そのまま走る続ける。
最初の給水所で水を飲んだ後は、ここまで給水所をパスしてきたが、暑くなってきたので最後の給水所では水を補給した。手際よく水を取る余裕も無くなってきたので、一瞬立ち止まって、きっちりと水を補給した。
水を飲んでリフレッシュできたので、最後の2kmは全力疾走だ、と思うのだけど、全然、足は動かない。実は、これは今年に限ったことではない。最後の大きな坂を下りた直後の19km地点から20km地点までのフラットな1kmは、毎年、驚くほどタイムが悪くなるのだ。これは一体、どういう事だろう。
理由は2つ考えられる。1つは距離表示がおかしいのではないか、ということだ。これは十分にあり得る。多くのマラソン大会で、坂でもないのに、毎年、タイムが悪くなる区間があったりする。どう考えても距離表示がおかしいと思う。田舎のマラソンだけでなく、先日の神戸マラソンでも明らかに距離表示がおかしい区間があったくらいだ。
しかし、この区間に限って言えば、私のタイムは毎年、悪いけど、周囲のランナーは遅くなっているようには見えない。つまり、この区間になると私を追い越していくランナーが多いのだ。みんながみんなラストスパートで一気にペースアップしたとは思えないので、私が遅くなっているような気がする。て言うか、体感的にも絶対に遅くなっている。なぜフラットな区間なのに遅くなるんだろう。もしかしたら、さっきの大きな坂の下りで思いっきり飛ばして駆け下りた反動だろうか。足が疲れ切ってしまうのだろうか。
こういう時、目標があれば頑張れるんだけど、大会自己ベストは絶望的だし、代わりの目標もなくモチベーションがダダ下がりなので、心の支えは他のメンバーに追いつかれる恐怖だけなんだけど、彼らがどの辺にいるのか分からないから気持ちが中途半端になる。
5年前のレースでは、この辺りでH本さんの後ろ姿を発見し、なんとか追いつこうと必死になって追いかけたおかげで、まあまあのタイムでゴールできた。しかし、今年は適当な目標もいないし、精神力の維持が難しい。
20km地点で見た5kmのタイムは思った通り、かなりペースダウンしていた。これじゃあ、最後の1kmをどんなに頑張ったところで大会自己ベストはもちろん、大会自己ベスト2位も3位も無理だ。もう完全にモチベーションを失ってしまった。
って感じで、目標喪失で呆然と走っていると、なんと、突然ピッグが抜いていく。ひえ〜。全く油断していたわけではないが、いきなり来られると、とっさに対応できない。だんだん追いついてくるのが見えていたら、もっと対応できたと思うが、あまりに突然、抜かれてしまったので着いていく事ができなかった。もうあと2〜300mなんだけど、最後の力を振り絞れない。
ピッグが終盤になってトンでもなくペースアップしたとも思えないので、やっぱり私がペースダウンしてしまったのだろう。最後の1kmなんだからラストスパートしたかったのに。
〜 ゴール 〜
結局、ピッグには追いつけないまま、とっても平凡なタイムでゴールしてしまった。惨敗と言えるほど酷くはないが、絶好のコンディションだった割りには情けないタイムだった。後で調べてみると、過去のタイムと比較すると、ゴールのタイムは平均的なものだったが、最後の1kmのタイムは過去最悪に近かった。H本さんを追いかけてゴール直前で追い越した5年前に比べたら、1kmで1分も遅かった。なんとも情けない結果だ。本当にマラソンはメンタルなスポーツだ。
ただ、タイムはイマイチだったけど、順位は全体の上位1/4くらいには入ったから、そんなに悲観する事はないかも。
(ピッグ)「こないだの神戸マラソンは半分より後ろだったんでしょ?」
(幹事長)「あれはショックだったから、少しは立ち直れたかな」
信じられない底力を見せて逆転優勝したピッグ
ゴールしたらフィニッシャーズタオルを掛けてくれた。この大会は参加費が4000円なのにTシャツはくれるしタオルもくれるし弁当の支給もある大変お買い得な大会だ。
後のメンバーを待っていると、ヤイさんじゃなくて、すぐに國宗選手がゴールした。
(幹事長)「あれ?ヤイさんを逆転した?」
(國宗)「ヤイさんは序盤の無理がたたってペースダウンしましたね」
(幹事長)「それにしても去年に比べたら、すごく速くない?」
(國宗)「いや、もう、めっちゃ速いですよ。去年は後半に撃沈して坂はベタ歩きでしたからね」
賢明なレース展開でヤイさんや支部長を蹴散らした國宗選手
その後、ヤイさんもゴールしてきた。
(幹事長)「最後はバテたらしいけど、ヤイさんも去年に比べたら、すごく速くないですか?」
(ヤイ)「去年は終盤は上り坂は歩きましたから、それに比べたら随分速いですね」
この調子なら支部長もすぐにゴールするかなあと思って待ったけど、なかなか現れない。おかしいなあって思っていたら、なんとD木谷さんが先にゴールした。前半であんなに遅れていたのに、驚異の挽回ぶりだ。
(幹事長)「足は大丈夫だったんですか?」
(D木谷)「前半を走って意外に大丈夫だったんで、後半はペースを上げました」
さすがはウルトラマラソンに気軽に誘われて気軽に出場して気軽に完走するウルトラマラソンマンだ。恐るべき底力だ。
一方、支部長はいつまで経っても現れない。
(D木谷)「最後の大きな坂の手前で追い抜いたんですけどね」
(幹事長)「それなら、そろそろゴールしてもいいはずだよなあ」
その後も、いつまで経っても現れない。もしかして故障してリタイアしたのかも知れない、って心配していたら、ようやくトボトボと歩いてくる支部長の姿が見えた。最後の直線コースになっても足を動かすことができず歩いてゴールした。
(幹事長)「前半は結構、頑張ってたのに」
(支部長)「前半、頑張り過ぎた!両足が攣って走れない!!」
(幹事長)「根本原因は昨日のゴルフやと思うけどなあ」
みんなの話を総合すると、次のような展開だったらしい。
序盤から飛び出したピッグを私が追って途中で抜いたりしたので、てっきり前半は私とピッグが他のメンバーを一気に引き離していたのかと思っていたら、実はそうでなく、すぐ後ろをヤイさんも追ってきていたらしい。ヤイさんはマラソンの練習は全くできてなかったけど、毎日20kmものウォーキングをやってるから自分の力を過信したようだ。そしてさらに、そのヤイさんを支部長が追いかけていたのだ。支部長としては、自分は毎日レフコ・トライアスロンをやってるのに、同時期にレフコに加入しながら一度もレフコに来ていないヤイさんにだけは負けたくないという気持ちが強かったのだろう。つまりこの4人はそんなに差が付いていなかったらしい。それを見ていた賢明な國宗選手だけは「このペースでは絶対に潰れる」と思って一人自重したらしい。この國宗選手の予想は当たり、支部長は折返し点に着く前に限界に達してしまい、足がもつれ始めた。折返し点で確認したら、すぐ後ろを走ってきてたから、えらく速いなあと思ったんだけど、あそこが限界だったらしい。ヤイさんもかなりくたびれてペースが落ち始め、折返し点の直前で國宗選手が追いついたらしい。てっきり、みんな一緒に走ってきていたのかと思ったら、たまたまあそこではみんな一緒になっていただけで、それまでに既にドラマがあった訳だ。
中間地点を過ぎた後は、前半を自重した國宗選手がペースを維持してゴールしたが、ヤイさんは前半の無理がたたってだいぶ遅れをとり、支部長に至っては完全に撃沈してして両足が攣ってしまったため、終盤は坂だけでなくフラットな区間も全部歩きまくったようだ。
私は、と言うと、後から確認したら、今年の丸亀マラソンのタイムより2秒遅かった。
(ピッグ)「全くどうでもいいと思いますが」
(幹事長)「そんなことない!めっちゃ悔しい」
何が悔しいかと言えば、たった2秒なんて、分かっていれば何とでもなったからだ。最後の給水所で立ち止まらなければ2秒なんて無駄にしなかったのに。
(幹事長)「やっぱり過去の記録は、この大会だけじゃなく、全てのマラソン大会の記録を覚えておくべきやなあ」
(ピッグ)「認知症の進行を自覚している幹事長とは思えない妄想」
それと、終盤になって暑かったのも敗因だろう。
(幹事長)「結局、ピッグのように半袖Tシャツ1枚で走った方が良かったのかなあ」
(ピッグ)「少なくとも暑くはなかったですね」
(支部長)「だから、そんなん関係ないってば」
(ピッグ)「しょせん2秒くらい気にしないでくださいよ」
みんなゴールしたところで、このマラソン大会の一番の楽しみであるソーメンをもらいにいく。レースの終盤は、早くゴールしてソーメンを食べる事を心の支えにして走る、と言われるほど、ソーメンはこのマラソンの重要な楽しみだ。周辺に飲食店がほとんど無いため、このマラソン大会ではお弁当が支給されるが、長距離を走り終わってバテている時にお弁当は喉を通らない。でも、暖かいソーメンは喉に優しい。特に今年のは麺がしっかりしてて美味しいので、2杯もらった。
〜 帰りの船へ 〜
ソーメンでお腹も満足したので、弁当は船で食べることにして港へ急ぐ事にする。去年は船に乗り込むのが遅かったため、大混雑でギュウギュウ詰めのフェリーの片隅で小さくなっていたから、今年は早めに乗り込んでイスに座りたい。
さっさと着替えてバスを待つ。
(支部長)「朝、こんな短い距離をバスに乗るなんてランナーの風上にも置けんて言うてなかった?」
(幹事長)「疲れ果てたみんなの事を思ってあげてるんやないの」
実際、私はまだまだ走って港へ行くこともできる。それくらいしか力を使い切ってないのだ。つまり、全力を使い果たせていないのだ。
昔は走り終わってゴールしたら足が痛くて動けなくなったものだが、最近は、どうしても余力が残ってしまってて、ゴールしても平気で歩けてしまう。嬉しいような気もするけど、やはり情けない。終盤、足がどんどん重くなって、どんどんペースが落ちていったんだけど、それでも余力が残っているってことだ。精神をコントロールして、そういう余力をなんとかうまい具合に引き出せれば、全力を使い切って良いタイムが出るだろうし、ゴールした後は足が痺れて動かなくなるだろう。タイムは悪いし、余力が残っているっていう状態だと、不完全燃焼感が満ちあふれて、達成感が乏しい。
港に着いて、お土産物屋さんでオリーブの苗木を買った。去年も買ったんだけど、去年買った苗木は、買った時は20〜30cmだったのが、たった1年で2m以上に成長したので、もう1本欲しくなったのだ。こんなに成長が早いとは思わなかった。ただし、太さは細いままで、ヒョロヒョロしている。たぶん剪定が必要なんだろうな。
早めに港に着いたおかげで、朝以上に余裕を持ってボックス席を確保して帰ることができた。
〜 次の戦い 〜
(ピッグ)「予想していた通りですけど、結局、今回の記事も長かったですね。スタートしてからは短かったけど」
(幹事長)「おっかしいなあ」
(支部長)「スタート直前になってTシャツ着たり脱いだりするからや!」
さて、次のレースは、いよいよ2週間後の奈良マラソンだ。
2週間前には神戸マラソンでフルマラソンを走り、今日ハーフマラソンを走り、2週間後には奈良マラソンでフルマラソンを走る。つまり、1ヵ月の間にフルマラソン、ハーフマラソン、フルマラソンと3回もマラソン大会に出るのだ。どう考えても過密スケジュールだ。これは珍しく神戸マラソンに当選してしまったせいだ。東京マラソンや大阪マラソン、神戸マラソン、京都マラソンと言った大都市マラソンは、どれも競争率が高いから、毎年、全て申し込んではいるものの、落選するのを前提として他の大会にエントリーする。で、今年は秒を争う熾烈な先着争いを勝ち抜いて奈良マラソンのエントリーに成功したかと思ったら、その4週間前の神戸マラソンにも当選してしまったのだ。そして、この2つのフルマラソンの間にあるのが瀬戸内海タートルマラソンだが、この大会は上にも書いたように、私のマラソン人生の原点であるからパスする訳にはいかず、図らずも1ヵ月の間にフルマラソン2回とハーフマラソン1回の過密スケジュールとなったのだ。
12月の奈良は寒いと言うし、坂がとっても多いコースだし、不安いっぱいだけど、初めて出るレースなので楽しみだ。
頑張るぞーっ!
〜おしまい〜
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