第36回 小豆島オリーブマラソン大会

〜 暑さと腹痛との闘い 〜



2013年5月26日(日)、第36回小豆島オリーブマラソン全国大会が開催された。

去年は私は申し込みはしていたものの、親族の法要のため参加できなかったから、2年ぶりの参加となる。今年、参加するのは私の他に
支部長、ゾウ坂出、國宗選手、トリ君、さらに私の職場の同僚であるW部選手も一緒だ。渡B選手は去年の瀬戸内海タートルマラソンでも一緒に参加したが、フルマラソンで我々より1時間は早いというスピードランナーだ。そして、もちろん、我がペンギンズが誇る世界的高速ランナー城武選手も出る。城武選手は3年前のこのレースで優勝した驚異のランナーだ。こんなプロ級ランナーがペンギンズに所属していること自体が不思議だ。

(國宗)「ほんと不思議ですよねえ」
(ピッグ)「不思議というか、所属してないでしょ」
(幹事長)「誰が所属しているかを決めるのは幹事長の私だ」
(城武)「え?私の意向は・・・?」
(幹事長)「今年も優勝を狙ってるん?」
(城武)「最近、練習不足なので、今回は優勝は無理ですね」


ちなみに、彼は通常は毎朝10km、毎夜20km、合わせて毎日30kmも走っている。それが最近は仕事が忙しくて帰宅が深夜になる事も多く、夜は走れず朝しか走ってないそうだ。毎朝10kmのトレーニングでは優勝は無理なのか。もう想像もできない世界だ。

(幹事長)「毎朝10kmも走っていたら、それだけで私なら体中ボロボロやけどね」

支部長、ゾウ坂出、國宗選手は去年も参加し、ぼちぼちの結果を出している。ぼちぼち、という、ややネガティブな評価が下されるのは、みんな3年前と2年前の結果が良かったから、それと比べるとパッとしなかったという意味だ。
3年前は、城武選手が優勝したってのは別格として、私や支部長も、それまでの結果からは考えられないような好タイムだったのだ。原因はただひとつ。雨が降ったからだ
このレースは毎年5月末に開催され、天気が良いときは本当に気持ちの良い季節となるが、ボケッとしてるぶんには気持ちが良いが、走るには暑いのだ。ただ、それまでは、暑いと言ったって所詮5月なんだから、タイムにはそんなに影響があるなんて思ってなかった。そして3年前は、サボろうかどうしようか迷ったくらいの激しい雨が降る悪天候だったが、エースランナー城武選手が出るというので渋々ながら一緒に走ってみたら、なんと全員、このレースはあり得ないような好記録を出してしまったのだ。このレースは坂が多いからタイムが悪いとばかり思っていたのに、実はそれだけではなく、暑さのせいもあって毎年タイムが悪かったのだ。

続いて2年前も雨で、3年前ほどは激しい雨でなかったためか、タイムは3年前より悪くなったが、それでも以前に比べれば好タイムだった。つまり、
このレースは雨の方が圧倒的にタイムが良くなるっていうことが証明されたのだ。

そして去年は、天気が良かったもんだから、例年のように暑くなり、みんなバテてしまって、ぼちぼちの結果となったのだ
そうそう、そして去年は、なんと
中山選手(元ダイエー、前ジュビロ、現コンサドーレ))が5年振りに現役復帰した。中山選手は長らく体調不良で走れなかったのだが、強引に誘って参加させたのだ。その結果は、やはりまだ体調不良が完治してなかったため、大変なレースだったそうで、途中で休んでアイスクリームを食べながら、なんとか帰還したらしい。これに懲りて、中山選手は再び休眠状態に入ってしまった。

一方、トリ君は、このレースは今年が初参加だ。ただ、同じ小豆島で毎年秋に開催されている瀬戸内海タートルマラソンには出たことがあるから、小豆島のマラソンのイメージは掴めているはずだ。

(トリ)「って、どういう意味ですか?」
(幹事長)「要するに坂が多いってことやね」


タートルマラソンと同様、このオリーブマラソンも、島の海岸線の道路を走る。海岸線だからフラットかと言えば大間違いで、もっと海岸ギリギリに道路を造れよ、と言いたいくらい平気で何度も何度も丘を越える。山の多い島だから仕方ないんだろうけど。で、タートルマラソンはコース全般に満遍なく坂が配置されているが、このオリーブマラソンは、
スタート直後(てことは、ゴール直前)に大きな坂があるほかは、前半は坂がないフラットなコースとなり、後半は次から次への坂が現れる。10kmの部は前半だけだから最初の(そして最後の)坂だけだが、ハーフマラソンになると後半が厳しい。まだまだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に坂が次から次へと襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなるのだ。

ただし、坂が多いからタイムが悪いと信じていたのだが、実は暑さの要因も大きかったのは3年前に証明されたところだ。
さらに言えば、本当に坂があるとタイムが悪いのか、という疑問もある。普通に考えれば坂があればあるほどタイムは悪くなりそうだ。ところが私個人で言えば、ハールマラソンのベストタイムは、超フラットで高速レースとして有名な丸亀マラソンではなく、嫌になるくらい坂がある瀬戸内海タートルマラソンで出したものだ。過去の平均タイムで言えば、丸亀マラソンの方がタイムは良いが、ベストタイムはタートルマラソンで出したのだ。なので、調子が良ければ、坂が多いコースでも良いタイムは出るってことだ。

このレースが開催される小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、
関西地方からの参加者も多く、もともと人気の高いレースだったが、最近の空前のマラソンブームのせいで、参加者はますます増加し、今年は全部門で5600人を超える大レースとなった。こんな島のレースとは思えない規模だ。
参加者が多いのは、活気が出るから、素直に喜ぶべき事だけど、このマラソンは
参加者が多くなると致命的になる欠陥がある。それは交通手段だ。レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路がほとんど無いのだ。あるのは神戸からのフェリーのみだ。他の港に着いてからバスや自家用車で移動する手もあり、数年前はみんなで車に乗り合わせて行ったこともあるが、移動に時間がかかり、会場へ着くのがギリギリになるのが難点だ。
そして
唯一とも言える交通手段が、主催者が出している高松発の臨時船だ。ただ、この船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいているのだ。それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら、早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなっている。つまり、奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるという状況であり、ますます厳しい環境で、もはや家畜船かもしれない。

て事で、今年も奴隷船を確保するため、かなり早めに申し込んだので、一応チケットは入手した。しかし、いくらチケットがあっても遅く行ったら奴隷か家畜のように車両甲板に転がされてしまう。

(トリ)「どれくらい前に行ったら良いんですか?」
(幹事長)「そうやなあ、船の出発が6時50分だから、記憶では30分前には行ってないと座れなかったような気がするぞ」
(トリ)「うわあ、かなり早いですねえ」


でも、本当に30分前で良かったのだろうか。近年、若年性アルツハイマーが急速に進んで過去のことをほとんど覚えてない私だが、マラソン大会に限れば、唯一の救いは「
マラソン大会の前には過去の記事を復習しておくべきだ」という習慣が身についてきたことだ。

(石材店)「もう若年性じゃなくて、年相応のアルツハイマーですけどね」

で、今回も過去の記事を読み返してみた。すると、驚いた事に、2年前には6時過ぎに船に乗り込んだのに、既に座る場所が無かった事が判明した。つまり、
出港の1時間前には行っておかないと座席は確保できないようなのだ

(幹事長)「驚き!」
(石材店)「混雑ぶりにですか?それとも自分の記憶力の無さに?」


て事で、私と支部長はできるだけ出港の1時間前の5時50分には港へ行くように努めることにした。どちらか1人だけに任せると、お寝坊したときに全滅するからだ。他のメンバーは、ま、適当に急ぐように申し伝える。



レース当日は、あまりに朝が早いので、家では食事をせず、パンなどを抱えて港へ急ぐ。港へは5時50分前には到着した。支部長も、その直前に着いていたらしく、二人で列にならぶ。行列は、まだそんなに長くなく、これなら楽勝で座るスペースを確保できそうだ。ただ、風邪が治り切ってないので、早起きなんかしたら鼻水が止まらない。1週間前の徳島航空基地マラソンの前日辺りから風邪がひどかったけど、無理してレースに出たせいで、なかなか治らず、まだ鼻水が止まらない状態なのだ。大丈夫かなあ。

出港1時間前になると乗船が開始される。あらかじめ定めていた目標通り、客席の一番前のボックス席を二人で占領する。これだけのスペースがあれば全員が座れるだろう。後は他のメンバーが来るのを待つだけだ。しばらくすると、W部選手がやってくる。さらに國宗選手が来る。そしてトリ君もやってくる。

(トリ)「すんません。目覚ましが鳴らなくて、僕が乗る予定だった始発電車の踏切の音で目が覚めました」

子供がいたずらするので時計にチャイルドロックしてたら、目覚ましが鳴らなかったそうだ。もう、意味なーい!

(幹事長)「て事は、15分後の次の電車に乗ったわけ?」
(トリ)「もう必死でしたよ」


ゾウ坂出は、まだ来ない。なぜなら彼女が乗る坂出からの電車は、平日はもっと早い便があるのに、休日は、この船の出港にギリギリ間に合う時間のが最も早いのだ。徳島マラソンの時も苦労するんだけど、ほんと、もっと早い電車を走らせて欲しいなあ。

出港までは、まだまだ時間があるので、普段の朝食の時間に比べたら早いんだけど、暇つぶしに朝食を摂る。糖分たっぷりの甘い菓子パンだ。以前は、エネルギー補給とばかりに朝食を大量に食べていたけど、お腹を壊すので、最近は量は控えめにしている。
普段、家で朝食を食べた時は、その直後にトイレに行って大の用を足す。今日は船の中で食べたから、船の中でトイレに行くべきなんだけど、当然ながらトイレは長蛇の列で、とても並ぶ気にはなれない。一日くらいトイレを我慢しても大丈夫だろう、と思ってトイレはパスする

出港時間が近づいてきたので、いったん船を下りて乗船口で待っていると、ようやくゾウ坂出がやってきた。彼女は、以前はこのレースは10kmの部に出ていたけど、最近はハーフマラソンの部に出ている。ハーフマラソンなら、もういつでも走れる実力を着けた。

(支部長)「て言うか、フルマラソンだって、私ら、いつ負けるかも分かりませんよ」
(幹事長)「プレッシャーやなあ」


支部長と私は、レースによって勝ったり負けたりの好ライバルだけど、さすがにゾウ坂出に負けたら面目丸つぶれっていう危機感は共有している。

ようやく船が動き出す。同じ小豆島でも秋のタートルマラソンは土庄町が会場で、高松からフェリーで1時間で着くが、今日の会場の坂手港までは1時間半かかる。この間に仮眠でも取れれば楽になるんだけど、この混雑状況では横になるのは不可能だ。

もう日が昇り、徐々に暑くなり始める。5月末ともなれば、天気が良いときは、かなり暑くなる。もちろん、暑いと言ったって、7月に行われる炎天下の汗見川マラソンとか四国カルストマラソンみたいな地獄の暑さではないから、なんとかなりそうな気もするんだけど、このレースは妙にタイムが悪い。これは僕だけでなく、他のメンバーも妙にタイムが悪い。暑いだけでなく、ほとんど風も無く、なんとなくむせ返るような雰囲気になるのが良くないのかもしれない。3年前は激しい雨が降っていて気温が低かったせいか、異常にタイムが良かったし、2年前も途中で止んだとは言え、途中まで土砂降りだったので、やはり気温は低く、かなりの好タイムだった。そのおかげで、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がつき、根拠は無いけれど、雨が降らなくても、頑張れば良いタイムが出るかも、なんて期待を抱くようになったのだ。

ただ、その期待の裏付けとなるべき練習量は、はっきり言って不足している。4月下旬に徳島マラソンでフルマラソンを走り、1週間前には徳島航空基地マラソンの10kmレースを走っているのだから、一見、練習量は確保できているような気がするけど、なぜか、ここんとこ練習してても、あんまり長距離が走れないのだ。週末に走っても、20kmも走れない。10数kmも走れば足が動かなくて走れなくなってしまうのだ。これは、何なんだろう。練習しすぎの疲労蓄積などと言えるほど、そもそも練習もしてないし。1週間前の徳島航空基地マラソンは10kmだったので勢いで走れたけど、この状態で21km走れるかどうか不安だ。

船の中では、仕出屋トラ2号にも会う。仕出屋トラ2号は6年前の満濃動物リレーでトラさんデビューしたものの、その後、冬眠に入った。トラが冬眠するのかどうか知らんが、長い冬眠から覚めて活動を再開したのは今年の2月の丸亀マラソンだ。

(幹事長)「ようやく目が覚めたか」
(トラ2号)「はいっ!心を入れ替えました、お師匠さまっ!」


彼女は今日、友人のN方さんも連れてきていて、二人並んで通路に座りこんでいる。
さらに、近くにはK野くんも通路に座っている。ほんとに彼は、相変わらず良い身体をしている。引き締まった肉体年齢は、相当、若そうだ。羨ましいなあ。



だらだらしていると、ようやく小豆島に着いた。例年のように島の小学生達の鼓笛隊が演奏で迎えてくれる。これを聞くと、ようやく少しやる気が沸いてくる。

参加者が増加しているので、芝生の公園でシートを広げるスペースを確保するのが苦労するかもしれないと思い、受付は後回しにして公園へ急ぐ。ところが、公園に着いてびっくり。ほとんどが臨時駐車場になっているのだ。確かに、何年か前に車で来たとき、駐車場が少なくて苦労したから、少しでも駐車場を増やしたい気持ちは分かるけど、これじゃあ荷物を置く場所も無いぞ。人間の待機場所を無くして駐車場を確保するなんて、こりゃ本末転倒でないか?
ウロウロ探して、ようやく狭いながらもスペースを確保して落ち着き、それから受付を済ます。

受付が終わると、例によって悩むのは、何を着るか、だ。しかし、今日は暑くなりそうなので、ほとんど迷わずに超薄手のランニングシャツとランニングパンツにする。青森勤務時代に作った陸上部のユニフォームだ。見るからに速そうだけど、実際に、これを着ると非常に走りやすく、これを着たときは、たいてい好タイムを記録している
さらに、今日はほとんど雲も無い快晴なので、着る物だけなく、暑さ対策は万全だ。

  暑さ対策@
     Tシャツじゃなく、青森時代の陸上部で(会社の金で)作った超薄手のランニングシャツとランニングパンツを着る

  暑さ対策A
     帽子は嫌いだから普段は被らないけど、今日は我慢して帽子を被る

  暑さ対策B
     老化が進むと、紫外線による目への悪影響が強まるので、鬱陶しいけどサングラスをかける

  暑さ対策C
     老化が進むと、紫外線による皮膚への悪影響が強まるので、ベタベタして気持ち悪いけど日焼け止めクリームを塗る


(ゾウ)「AからCは、私たちは以前から当然のように対策してる事ですけど」
(幹事長)「できるだけ自然のままが好きなんだけど、寄る年波には勝てんでのう」

やる気がみなぎる参加メンバー
(左から國宗選手、支部長、ゾウ坂出、幹事長、トラ2号、W部選手、N方さん、トリ君)

一方、支部長と國宗選手は、揃って半袖Tシャツにタイツを履いている。

(幹事長)「そのタイツは暑いやろ?」
(支部長)「いや、もう、これを履かんと落ち着かんから」


トリ君は、膝に故障を抱えているので、分厚いサポーターを巻いている。さらにトラ2号の友人の野Gさんを見ると、なんとTシャツの上にウィンドブレーカーを着ている。

(幹事長)「おいおい、いくらなんでも、それは暑すぎるって!」
(野G)「いや、でも、日焼けするから・・・」
(幹事長)「いかん、いかん。いくらなんでも暑くてバテるぞ。老婆心ながら、これは見過ごすわけにはいかん!」


てな事で、強制的にウィンドブレーカーは止めさせる。

僕等が確保したスペースの隣には大きなテントが張ってある。関係者のテントだろうな、なんて思っていたら、なんと茨木市のテントだった!

(國宗)「それが、どうかしたんですか?」
(幹事長)「知り合いがいるのよ」


大会会場である内海町と大阪府茨木市は、なぜか姉妹都市なのだ。一体どういう関係があるのか聞いてみたけど、なんだか後からこじつけたような理由しか分からなかったが、交流は続いていて、このマラソン大会には、毎年、茨木市の職員や市民が大挙して参加しているのだ。そして、その茨木市の職員チームに、僕の同僚のMちゃんの娘さんがいるのだ。彼女は大阪の大学を卒業して、そのまま大阪で就職したのだ。
て事で、テントを訪ねて、彼女を見つけ出す。娘さんは、Mちゃんとは似ても似つかない可愛らしいお嬢さんだった。

(幹事長)「私、お父さんの同僚の者です」
(娘さん)「父には来るなって言ったんですよ」


て事で、Mちゃん本人は応援に来ていないのだ。彼女は応援だけでなく、5kmの部に出るそうだ。北朝鮮が攻めてきても走りそうにないMちゃんとは、性格も正反対なのかもしれない。



スタートまで時間はたっぷりあったはずなのに、そんなこんなでダラダラしていたら、スタート時間ギリギリになってしまった。

(國宗)「僅か1週間前のレースと同じ展開ですねえ。学習効果が無いですよねえ」

遅れていったので、前の方には行けず、後ろの方からのスタートになってしまった。まあ、今日は、風邪は治ってないし、天候は暑くて大変だし、冷静に考えれば好記録が生まれるコンディションではないから、後ろの方からのスタートでもいいか。
ただ、この短いランニングパンツを履いた時は、たいてい好記録が生まれているので、なんの根拠も無いけれど、なんだかいけそうな気もする。甘いかなあ。

スタートの合図を待つ間、少しだけストレッチをするが、今日みたいに暑い日は、ストレッチなんかしなくても身体はだれて柔らかいような気がする。

しばらくすると、スタートの合図が鳴り響く。ただ、集合が遅かったから後ろの方に整列していたため、スタート地点まで、なかなか進まない。でも、タイムはチップでネット計測してくれるから、焦らない。
だらだら歩いて、ようやくスタート地点にたどり着くが、ん?チップは付けているものの、スタートラインには何も計測しているようなものが無い。ってことは、ネット計測はしてくれないのか?慌てて腕時計のストップウォッチのボタンを押す。自分でネット計測しなければならない。

集合が遅かったため後方からのスタートとなり、周囲は結構、混雑していて、なかなか思うように走れない。もっと前からスタートすれば、同じようなペースのランナーの中で全体として調和の取れた集団としてスムースに走れるんだけど。でも、まあ、ここで焦っても仕方ないので、最初の1〜2kmはウォーミングアップと考えて周囲に合わせてゆっくり走っていく。

このコースは、スタートしていきなり大きな坂があるが、もう慣れているので、気負うこともなく淡々と坂を上る。大きな坂を過ぎると、その後、往復8kmほどは平坦な道が続く
ペースとしては、練習不足が明白で、完走できるかどうかも不安があるので、そんなに無理はできないものの、一方で、根拠無く、なんだか行けそうな気もするので、意識的に抑えることもなく、自然のままに走っていく。
後半に入ると1km毎に距離表示があるんだけど、前半はなぜか距離表示がほとんどないので、どれくらいのペースで走っているのか分からない。でも、なんとなく自分の感覚では快調に走れているような感じだ。風邪の影響は不思議と全く感じられない暑さもあんまり気にならない。これは超軽量ウェアのおかげか。サングラスと帽子のおかげで太陽のまぶしさも感じない。まぶしさを感じないと、暑さもあんまり気にならないような気がする。

このレースは、比較的、給水所が多く、序盤から時々設置されている。喉はまだ渇いてないと思っても、水は早めにこまめに取るべきだそうだが、暑いからか、給水所は結構、混雑してて、水を取るには立ち止まる必要がある状況。まだ全然、喉は渇いてないし、せっかく快調に走れているので、給水所はパスしていく。(これが後からダメージにつながるとは思いもしなかった)

しばらくすると、早くもトップ選手が折り返してくるのとすれ違う。トップは、なんと城武選手だ。いきなりすれ違ったもんだから、声はかけられなかった。練習不足で今回は優勝は無理だろうって言ってたけど、やっぱり実力者だなあ。

5km近く走ったら最初の折り返し点がある。折り返しながら、すれ違うランナーを確認するんだけど、メンバーは誰も分からなかった。以前は、このマラソン大会も参加者がそんなに多くなかったから、メンバーの顔も容易に確認できていたんだけど、最近は参加者が多くて、誰が誰やら分からない。
そのうち、15分ほど遅れてスタートした10kmの部のランナーもすれ違ってくるようになる。ここでもトラ2号を確認しようとしたんだけど、やっぱり分からなかった。

この辺で、なんだかお腹の張りを感じた。朝、トイレで大の方をしてないからか。でも、ま、そんなに気にすることはないだろう。

ようやく距離表示があったかと思うと、「10kmの部 7km地点」っていう表示だ。でも、コースは10kmの部もハーフマラソンも同じはずなので、おそらく、ここが7km地点なんだろう。で時計を見ると、おや?これは速い。妙に速い。かなり速い。意外なほど速い。最初の混雑時のタイムロスなど無かったかのような好タイムだ。ただ、体感的には快調に走れているので、あり得ないタイムでもないか。炎天下なのに雨天で出した大会自己ベストを大きく上回るのは確実だ。嬉しくなって気持ちよく走る。

しばらく行くと分岐点があり、10kmの部のコースから別れて、Yの字コースの、もう1本の坂の多い道へ入っていく。気分的には、ここまでで半分って意識なんだけど、まだ8km程度だから、ここからの方が長い。しかも、ここからは坂が次々と出てくる。まさに、この往復11kmの道が勝負なのだ。

分岐した道を少し行くと、8kmの距離表示がある。時計を見ると、さっきの7kmの距離表示から、すごく時間が経っている。どう考えても1.5kmは来ている。て事は、さっきの7km地点の表示は、あくまでも10kmの部のものであって、ハーフマラソンの距離とは異なるってことだ。でも、同じコースを走っているつもりなのに、なんで差が出るんだろう。
とにかく、ここで8kmって事は、さっきぬか喜びしたほど速いペースではない。相変わらず、自分としては快調に走っているような感覚だけど、大会自己ベストなんて到底無理なペースだ。とは言え、それでも、まあまあ悪くないタイムだ。
8kmの表示以降は、1kmごとに表示があるんだけど、良いペースが続いている。3年前の雨天時に出した大会自己ベストには及ばないものの、2年前の大会自己ベスト2位のタイムは上回っている。風邪は治ってないし、天候は暑くて大変という今日のコンディションを考えると、予想外に快調に走れているぞ。やっぱり、この短いランニングパンツが好記録を生むのだろうか。

なーんて楽観的に考えていると、再びお腹の張りを感じた。これは単なる張りというより、なんとなく嫌な感じ。お腹を壊した恐れがある。こういう事態は、最近だけでも2回ある。5年前の徳島マラソン4年間の青森の走れメロスマラソンだ。徳島マラソンの時は、コースが吉野川の堤防なので、なかなかトイレが無くて、苦しんだあげく、コースの近くにあった自動車の整備工場のトイレを勝手に借りて、そこで20分以上も苦しんで、当然のようにレースはボロボロになった。完走できたのが不思議なくらい。走れメロスマラソンの時は、ゴールまで数kmってところで遂に耐えきれなくなってビニールハウスの陰で用を足し、なんとかゴールした。その割りにはタイムは、まあまあだったのは、2回目だったので手際が良かったのと、ゴールまであと少しだったから影響が少なかったためだ。ただ、今回は、まだまだ、その兆しがあるっていう程度で、単なる張りなのかどうか分からない。

しばらくすると、5kmの部の最後尾の選手とすれ違う。よく見ると、おや?あれは福家先生の父上ではないのか?確か父上様は90歳になったはず。もう、信じられません。元気で、しっかりした足取りだ。確かに、スピードは遅い。歩くようなスピードだ。いや、しかし、そんな事は、もう関係ない。90歳でマラソン大会に出ていること自体が信じられない快挙だ。80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎と同じくらいの快挙ではないか。そして父上様の横を福家先生も伴走で一緒に走っている。

(幹事長)「福家さあん、頑張ってくださあい!」
(福家父)「おお、ありがとう」


自分なんて、マラソン大会なんか出られなくても、もし90歳まで生きていられれば、それだけで万々歳だ。ああいうお方の走る姿を見ると、やる気が沸いてくる。
その後もタイムは悪くない状態が続く。好天で暑いにもかかわらず、この調子じゃあ、結構良いタイムが出そう。

しばらくすると、早くも第2の折り返しを帰ってきたトップランナーとすれ違う。もちろん、トップは我がエース城武選手だ。最初の折返しの時は、心の準備が出来てなかったので声をかけそびれたが、今回は予想していたので大きな声で声を掛けた。それにしても、城武選手の後の2位の選手がなかなか現れない。ようやく現れたかと思ったら、3分近く離されている。彼らトップランナーの3分ってのは、1km近い距離だ。ハーフマラソンで1km近い差ってのは、もう考えられない。ものすごいダントツ振りだ。練習不足も何のその、圧倒的な勝利だ。どう転んでも、もうトップは間違いないだろう。彼の走りを見て、ますます自分にも気合が入り、快調を維持している、ような気がする。

なんて思っていたら、第2の折り返し点が見えてきた辺りから、なんとなくペースが落ちてきた。1kmごとのラップも少しずつ落ちてきたし、追い抜かれるランナーの数が増えてきた。なんとなく足が重くなってきたような気もするし、お腹の調子もますます不安感が募ってきた。
第2の折り返し点で折返し、メンバーを確認すると、今回はなんとか國宗選手だけは確認できた。僕よりはだいぶ遅れている。よっぽどの事が無い限り、逆転される事はないだろう。しかしライバル支部長の姿は確認できなかった。なんとなく不安。

少しずつペースは落ちてきているが、だからと言って、次々と現れる坂は、特に気にならない。最近はどのレースでも坂があっても、そんなに気にならない。気にならなくてもペースはガクンと落ちるんだけど、精神的には辛くもなく淡々と走れる。むしろ坂があった方が変化があって刺激になるくらいだ。

お腹の調子は、例によって、波のように定期的に嫌な感じが襲ってくる。この嫌な感じの波は、周期をもって襲ってくるんだけど、その強さはだんだん大きくなる。なんとか耐えられたと思っても、次にやってきたときは、さらに強くなって襲ってくる。今回襲ってきた波は、かなりの強さだ。さすがに、もう明らかにお腹を壊している。朝食は控えめにしたつもりだったのに、なぜだろう。食べる時間が普段より早すぎたからか。やっぱり普段通りのスケジュールで食べた方が良かったのか。これは大きな教訓にしなければ。
なんとかまだ我慢はできるものの、このままゴールまで耐えられるものかどうか不安が大きくなってきた。走っていたらすぐにコンビニがあるような街中のレースと違って、このレースのような田舎のマラソン大会は、仮設トイレでも無い限り、なかなかトイレは無い。なので、冷静に考えれば、仮設トイレがあれば、安全策を取って用を足すべきなんだけど、滅多に無い仮設トイレが現れたタイミングとお腹の調子のタイミングは、そんなにうまい具合には合わない。お腹の波と戦って、なんとか治まったと思ったらトイレが現れたりする。そういう時は、せっかくお腹の波が治まったのに、ここでトイレに行くのはもったいない、なんて考えてしまう。もしかして、このままゴールまで持つかもしれない、なんて甘い考えを抱いてしまうから。
第2の折り返し点を過ぎて襲ってきた大きな波に打ち勝ってしばらくすると、滅多にない仮設トイレが現れる。でも、せっかく波に打ち勝ったのに、ここでトイレに行くのはもったいないと思う。どうせ、あと6kmくらいだ。もしかしたら、このまま頑張れるかもしれない。

お腹の調子が悪くて気を取られているのもあるけれど、もしかして足の方もだんだん動かなくなっているのかもしれないが、タイムが着実に悪くなっていく。お腹のせいなのか、それとも足に限界が来つつあるのか、どちらのせいか分からないけど、大会自己ベスト2位は怪しくなってきた。

トイレをパスしたら、当然のように、再び大きな波がやってきた。かなり大きな波だ。しかし、今回もまだなんとか耐える事が出来た。と思ったら、その後に、トイレに行けそうな場所があった。仮設トイレではないが、トイレを借りる事ができそうな施設がある。しかし、再び、せっかく耐えられているんだから、ここでトイレに行くのはもったいないなんて思ってしまい、またまたパスした。
もちろん、これは失敗だ。しばらく行くと、もう耐えきれないほどの大きな波が襲ってきた。こら、もう駄目じゃないか?この波の強さから考えれば、このままレース終了まで我慢できるような甘い事態ではない。いずれ破綻する時が来るのは確実だ。こうなったら、もう、できるだけ早めに処理した方がいい。しかし、山と海に挟まれた海岸線の道を走るこのコースでは、コンビニも民家も無い。こうなったら草むらしかない。しかし、こんな日に限ってティッシュを持っていない。この短いランニングパンツにはポケットが無いのだ。どうする?他に選択肢が無いなら、草でもなんでも使うしかない。なんて思っていたら、またまた、なんとかおさまった。もちろん、もうこの時点では、ゴールまでたどり着けるとは思っていない。なんとか今を堪え忍んだだけだ。

と、ふと横を見ると、サトやんが走っているではないか。サトやんは、見るからに遅そうな、ええおっちゃんなんだけど、何を隠そう、見かけによらず大変、速かった。過去形なのは、発電所勤務だった頃は、お昼休みとかに毎日、構内をランニングしていたので、それはそれは大変速かったからだ。ところが一昨年、本店勤務になってからというもの平日は走る事が難しくなり、練習量が激減してしまった結果、一気に遅くなってしまい、最近のレースでは私が勝利している。そして、去年の年末に再び発電所勤務になり、またまた練習量が増えて、往年の速さを取り戻したかと思っていたんだけど、なんとなく、そんな感じでもない。もう息も絶え絶えで今にも死にそうな感じで走っている。そもそも、足も動かなくなりつつある上に、お腹の具合と戦いながらヨタヨタ走っている僕と、こんなところで一緒になるくらいだから、決して早いとは言えない。どっちが追いついたのかは分からないけど。

(幹事長)「おお、サトやんやないの!」
(サトやん)「おっ?おお、誰かとおもたら。もう、あかん。足が動かん」
(幹事長)「発電所に異動になって練習量が増えたんと違うん?」
(サトやん)「あかんのや。今回は練習できてないんや」


その言葉に嘘は無いだろう。どう見ても練習量が足りてない走りだ。もう、ヨタヨタのボロボロだ。今にも倒れ込みそうだ。走れているのが不思議なくらいだ。でも、そのサトやんと同じペースで走っている僕って、はたから見たら、やっぱり同じようにヨタヨタのボロボロなんだろうか。愕然。

(幹事長)「お腹を壊したみたいで、もうアカンのや。どっかトイレ無いかなあ」
(サトやん)「もうちょっと行ったらあるで。ちょっと坂を下りていくけどな」


おお、そうか。サトやんはトイレの位置を把握していたのか。なんとなく安心した。あとどれくらいかは分からないけど、まだしばらくは持ちそうだ。そのままサトやんと一緒にしばらく走っていくと、サトやんの言うとおり、海側に何やら大きな施設がある。工場か試験場みたいな建物だ。道からはだいぶ降りていくが、もうこれが最後のチャンスだ。迷わず降りていくと、なんと他にも、もう1人トイレめがけて降りていくランナーがいる。もしかして1人分しかなかったら、先を越されたら決定的な敗北になる可能性があるので、ここは必死にダッシュしてなんとか先頭で建物の中に入っていく。係の人がいて、手前と奥に1つ個室があると言う。手前の個室を見ると空いていたので、迷わず飛び込む。良かった。助かった。5年前の徳島マラソンの時は、これで力尽きてしまって20分以上もしゃがみ込んでボロボロになったけど、今日は過去の経験を生かし、最小限のタイムロスで用を足した。
坂道を上り、コースに戻り、なんとかレースを再開する。とは言え、レース途中で、しゃがみ込んで休んでしまうと、足が休憩モードに入ってしまい、なかなか復活できない。でも、あと4km程度だ。できるだけ頑張らなければ。

と思うのだけど、もう足が動かない。トイレ休憩のせいなのか、トイレ休憩が無かったとしても、足に限界が来たのか、それは分からない。分からないけど、足が動かなくなったのは事実だ。大会自己ベスト2位はおろか、晴天時の大会自己ベストも、もう無理だ。もう何の心の支えも無い状態。とは言え、いくらトイレ休憩があったとは言え、ライバル支部長には負けたくないという気持ちもあり、なんとか頑張る。
少し行ったところに、写真撮影のカメラマンがいたので、ここは無理して快調に走っているかのようにポーズを取った。ちょっと空しい。

残り2kmを切ってしばらく行ったら、最後の大きな坂が待ち受けている。ボロボロになった時は、迷わず歩く坂だ。しかし、今日はなんとか歩かずに頑張ろうと思う。昔は何のためらいも無く歩いていたけど、3年前の雨天時に好タイムを出してから、最後の大きな坂を走りきればタイムも悪くないって事が分かり、もう歩くつもりは無い。だが、走っているとは言え、スピードは歩いているのとほとんど変わりない。歩いているランナーもいっぱいいるけど、速さはほとんど同じだ。おまけに、両足のふくらはぎが攣りそうになってきた。レース中に足が攣るなんて、久しぶりで、ちょっと怖い感じ。ヨタヨタ走っていると、なんと國宗選手に追い抜かれた。第2の折り返し点では、あんなに差を着けていたのに、トイレ休憩で一気に差を縮められ、最後の坂で抜かれてしまったのだ。

それでも、なんとかモチベーションは維持しつつ、最後の1kmは、それなりにスパートを掛けて頑張る。もちろん、スパートと言っても、自分ではスパートしているつもりでも、たぶんスピードは遅く、他のランナーを抜いていったわけではない。それでも、他のランナーに抜かれることもなく、最後の頑張りを見せた。
ところが、なんと、またまたお腹の調子が悪くなってきた。あと数百mだと言うのに。もう、こうなったら早くゴールしてトイレに駆け込まなければならない。と思うのだけど、お尻の力も入れておかなければ危うい状況だ。この中途半端な状態で、なんとか頑張ってゴールした。タイムは、良いはずはない。しかし、それでも、トイレ休憩の時間を差し引いた自己計測でいえば、過去のこの大会の平均よりは少し良いタイムだ。3年前や2年前の雨天時の好タイムに比べれば大幅に悪いけど、それ以前の好天時のタイムの中では、決して悪い方ではない。お腹と戦いながら、このタイムなら、まあ、良しとせねばならぬだろう。

なーんて分析する余裕も無く、ゴール後は、そのまま止まることなく一直線にトイレに駆け込む。レース前と違ってトイレが空いているのが救いだ。もうレースも終わったので、心ゆくまで長時間しゃがみ込み、足を痺れさせながら、へとへとになって外へ出た。



荷物を置いている場所へ戻ると、さすがにみんなもう帰ってきていた。

(國宗)「おや幹事長、えらく遅かったじゃないですか。最後の坂で撃沈しているのは目撃しましたけど、それにしても遅いんじゃ?」
(幹事長)「お腹を壊してなあ。ゴール後は、そのままトイレに直行してた。足も攣りそうだし」
(支部長)「足が攣るのは脱水症状やな」
(幹事長)「そうなのか。お腹を壊したから、水分をほとんど補給しなかったんよ」
(支部長)「お腹を壊した時も水分補給した方が早く治るで」


お腹を壊してトイレを我慢しながら走っているのに、冷たい水なんか飲んだら、ますますひどくなると思ったから、水を飲まなかったのに、本当は飲んだ方が良かったのか。水をちゃんと飲んでいれば足も攣らないし、お腹もマシになったのかもしれない。う〜ん、失敗。

(幹事長)「みんなは、どうやったん?」
(支部長)「いかん。もう最後の砦が崩れてしまった」
(幹事長)「どゆこと?何があったん?」
(支部長)「遂に、ゾウ坂出に負けてしもた」


なんと、僕より遅かった支部長は、遂にゾウ坂出に負けてしまったのだ。ゾウ坂出は、近年、着実な進化を遂げており、どのレースも、出るたびに記録を更新している。たまたま、最近、彼女が好記録を出したときは、僕等も同じように好記録を出してきたから負けずに済んでいたけど、ひとつ間違えれば、いつ負けてもおかしくない危うい状況だったのだ。そして、今日、遂に支部長は暑さのためにボロボロになってゾウ坂出に敗れてしまったのだ。て事は、僕も危うい所で負ける可能性があったのだ。トイレ休憩で、もう少し休んでいたら、僕も負けた可能性が大きい。もう失うものも無いっていう状態だったけど、それでもなんとか最小限のダメージで済ませたのが、結果的に良かったわけだ。

(幹事長)「いつ、どのような時でも、その瞬間その瞬間でベストを尽くす事が大切やな」
(國宗)「言ってる事は正しいですけど、トイレ休憩で考える事でも無いですよね」


W部選手も暑さで苦しめられたようだけど、元々が速いので、我々よりはダントツで速かった。

優勝は、もちろん、あのままぶっちぎりで突っ走った城武選手だ。3年前に優勝した時より、タイムは悪かったけど、2位との差は圧倒的だった。タイムが悪くなったのは、3年前は雨天で、僕等も揃ってタイムが良かったせいだろう。今日みたいな暑い日なら、当然タイムは悪くなるだろう。2位以下の選手が、すごく遅かった事から、条件が厳しかった事がよく分かる。

(幹事長)「練習不足の割りには、2位との差は圧倒的やったなあ。1km近く離したぶっちぎりのダントツ優勝やったやん」
(城武)「最近は練習量が減っていましたけど、過去の蓄積というか貯金のおかげですかね」
(幹事長)「暑くなかった?」
(城武)「あんまり暑さは感じませんでしたね」


やっぱり調子が良いと、暑さなんかは感じないのかも。優勝の賞品は醤油セットだそうだ。さすがに重いので、後から送ってもらえるとのことだった。

10kmの部に出たトリ君やトラ2号は、そんなにバテてない。

(幹事長)「足は大丈夫だった?」
(トリ)「今日は平気でしたね」


トリ君は膝に持病とも言える爆弾を抱えていて、レース中に痛みが出る可能性もあったけど、今日は最後まで大丈夫だったようだ。

さて、いよいよソーメンだ。このレースの一番の楽しみが、レース後のソーメン食べ放題だ。今日はお腹を壊しているから、あんまり食べない方が良いんだろうけど、暑さでバテバテなので、お弁当は食べる気力が沸かないから帰りの奴隷船の中で食べるとして、まずは冷たいソーメンをすする。ソーメンを食べた後は、ダラダラするメンバー達をせかして、船着き場へ急ぐ。早く並ばないと帰りの船の座席を確保できないからだ。
ところが、急いで行ったつもりが、もう全然早くなく、船着き場には気が遠くなりそうな長蛇の列が延びていた。文句を言っても仕方ないので、最後尾に並び、前方を観察すると、前の方はシートを広げて弁当を食べたりしている。要するに、僕等が公園でシートを広げて休んでいたことを、船着き場で並びながらやっている訳だ。う〜む、こら賢いやり方だ。来年は僕等も見習おう。

僕等が船に乗り込んだときは、あらかた座席は埋め尽くされていたが、かろうじてパラパラといくつかは座席も確保でき、なんとか座って弁当を食べ、そのまましばらく仮眠を取った。風邪の影響なのか単なる疲れなのか分かんないけど、グッタリだ。

(幹事長)「まあ、しかし、風邪引いてる上に、お腹も壊した割りには、なんとか完走できたから、良しとせんといかんかも」
(支部長)「私はゾウさんにも負けたし、ちょっと反省せんといかんなあ」
(國宗)「次はどうするんですか?」
(幹事長)「次は7月末の汗見川マラソンに申し込んでるんだけど、5月末の今日でも、この暑さでバテバテなのに、
       7月末のレースなんか、出ない方がいいかも。申し込まなければ良かったかも」


汗見川マラソンは数年前まで出ていた酷暑のレースだけど、古い記憶って辛い事は忘れて楽しい事しか覚えてないから、汗見川マラソンもなんとなく楽しいイメージしかないけど、冷静に考えたら、絶対にキツイよなあ。
でも、これに出なかったら、10月末の庵治マラソンまで近辺でマラソン大会は無いのだ。ちょっと中だるみが長すぎるので、やっぱりレースに出たいところだよなあ。



レースから10日が経った6月初旬、國宗選手が報告に来た。

(國宗)「あかんですわ。やっぱり大阪マラソン落選しましたわ」
(幹事長)「え?もう当落発表やってんの?早っ!」


てっきり6月末頃の発表だと思っていた大阪マラソンの結果が、どんどん送られてきているそうだ。その後も続々と落選の報告が入る。東京マラソンほどではないが、大阪マラソンも競争率が5倍を超えるので、落選して当たり前だ。僕は、ただでさえくじ運が悪い上に、今年は東京マラソンを走ったから、落選しても仕方ないかな、なんて思っていた。
で、家に帰ってメールを見ていると、なんと、大阪マラソンにも当選していた!もう信じられない。競争率5倍で3年目の当選だから、平均的なところではあるんだけど、競争率10倍の東京マラソンと同じ年に競争率5倍の大阪マラソンに当選するなんて、1/10×1/5=1/50で50年に一度の快挙だ。

(幹事長)「もったいないなあ。こんな所で運を使い切っていいんかなあ」
(支部長)「いや、老化が進む中、いつ走れんような体になるかもしれんのやから、走れる時に出とかんと」


でも、やっぱりもったいないなあ。出場権を来年まで留保できたらいいんだけどなあ。

おまけに、大阪マラソンの日程は10月27日だ。その1週間前には愛媛県の瀬戸大橋しまなみ海道で自転車の100kmレースが開催される予定なのだ。まだレースの詳細が発表されないので、どのようになるのか不明だが、もしそれに参加すると、自転車で100km走った翌週に大阪でフルマラソンを走ることになる。

(支部長)「あと水泳したら、一人トライアスロンやね」
(幹事長)「肉体の限界に挑戦やなあ」


本来は今年の秋は自転車100kmレースに賭けるつもりだったから、夏場はランニングはほどほどにして、自転車に集中する予定だったけど、こうなったら自転車とランニングと両方頑張らねばならなくなった。ひえ〜。


〜おしまい〜




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