第8回 大阪マラソン
2018年11月25日(日)、第8回大阪マラソンが開催された。
大阪マラソンは定員30000人の大規模マラソン大会だが、抽選の競争率が高くてなかなか当選しない。競争率が10倍を超える東京マラソンほどではないが、毎年5倍を超える競争率なので、第1回から応募し続けている私も、5年前の第3回大会に当選して以来、ずっと外れ続けていた。競争率の高い4大都市マラソンである東京マラソン、大阪マラソン、神戸マラソン、京都マラソンは、全て第1回大会から応募し続けているが、どれも1回ずつ当選しただけだ。
それが、なんと今年、久しぶりに大阪マラソンに当選した。もう、めっちゃ嬉しくてワクワクしていたんだけど、やんごとなき事情により同じ日に開催された瀬戸内海タートルマラソン大会に出なければならなくなったため、せっかく当選したのに、残念ながら出場を断念した。
一方、今年はピッグも当選した。1人でもなかなか当選しないのに、ペンギンズから2人も当選するなんて奇跡に等しいのだが、もちろんピッグは問題なく出場したので、彼の参戦記を掲載します。
6月12日に大阪マラソンの抽選結果が発表されたと聞いたとき、「どうせ今年も落選かな」と期待もせずに何日も経ってからメールボックスを開いたところ、なんと「当選のお知らせ」となっており驚きました。
そこから急きょ、前泊の宿を押さえるためにネットで調べました。以前、幹事長が第3回大阪マラソンの出場時に宿の予約で苦労した話は聞いていましたが、当選発表から既に3日が経過した時点で探してみると、大会事務局が推奨するような宿は高価格帯しか残っておらず大苦戦しました。が、ネットで数時間、粘って検索した結果、JR大阪駅徒歩10分、朝食付で6,100円の宿を予約することができました。
その後、11月も中旬を過ぎた頃、そろそろ大阪マラソンも近いので予約した宿の場所や予約内容を確認しようと、予約した「○○ホテル」をネットで検索してみると『関西では自殺者の幽霊が出るという噂で有名な○○ホテル』と出てくるではありませんか!どうりで超繁忙期にもかかわらずリーズナブルな価格でこの宿が取れたのか、と妙に納得したものの、今さらキャンセルするわけにもいかず、霊感が強い方でもないし大丈夫かな、と考えつつも、怖くて寝れんかったらヤバいなぁとか、豆球だけ点けて寝ようか、などとモンモンとしておりました。
前日の11月24日(土)、前日受付場所であるインテックス大阪に行き、受付を済ませた後、ダスキン社が特設した神社でお祓いをしていただき完走祈願の絵馬を吊るしたり、ショッピングブースで買い物したりしていたらアッという間に時間がたちました。
せっかくなのでフルマラソンの専属セコンドを務めてもらった航路さん、阿南の魔女Y浅さんに大阪マラソン出場のお知らせをラインしたところ、航路さんは明日、小豆島タートルマラソン大会でフルマラソン出場、Y浅さんは、なんと同じ大阪マラソンに参加していることが判明し、これは負けられないと俄然、やる気になりました。
夕暮れ時が過ぎ、問題のホテルへチェックインする時間になりました。ホテルに近づくと立地は便利で外観もそこそこ綺麗で、何の問題もなさそう・・・で、フロントはアジアからの外国人観光客とコミュニケーションができるスタッフも配置されておりました。心配していた噂の308号室は本館と新館があり部屋番号も振り直したと思われ、どこにあるのかわからずじまいでした。とにかく3階らしい番号だったので3階は避けたいと思っていたところ5階となり一安心でした。
それでも就寝時に部屋の明かりを消して目をつぶると何かの気配がしたり、鏡に何かが写るのでは、金縛りに遭うのでは・・・と心配になったのでダウンライトを点けようと思っていましたが、そんな気の利いたものはなく、真っ暗にして寝るしかありませんでした。あれこれ心配したものの結局、何かに遭遇することもなく無事、翌朝を迎えることが出来ました。
後日、支部長にこの話をした際、「美人の幽霊なら会って話したら面白かったですね・・・」なんて強がりを言うと、「幽霊は美女ばかりとは限らんで、おっさんの幽霊が出てきたらイヤやろう」という話になりました。
当日の朝、スタート地点である大阪城公園には大勢のランナーがスタートを前に続々と集まっていましたが、大会運営がスムーズで荷物預けを8時前に済ませて、余裕をもって仮設トイレの列に並びました。毎度のことながら直前に用を済ませて落ち着きたいと比較的、列の短めのラインに並びました。が、スーパーのレジ列と同じように自分の列よりも隣の列の進行が速くて少し悔しがったりしながら、スタート整列締め切り時間も迫り、少々あせりながら・・・なんとか順番が回ってきました。これでレース中にトイレに行かなくてもよくなったと一安心でした。
今回の服装は、最近、レース本番でよく使っている四万十ウルトラマラソンの青のTシャツで、100km完走者に成りすまして周りの尊敬を集める作戦?です。天候のコンデションは最高気温が17℃、無風、曇りがちの晴天で申し分ないです。
いよいよ9:00にスタートとなり、Eブロックの私は約10分遅れでのスタートです。
スタート地点付近にミス・ユニバース日本代表やスピードスケートの岡崎朋美さん(テレビで見たまんまですが、思っていたより大柄)が応援してくれました。
スタート地点でマークしていたのはドラゴンボールの孫悟空に仮装したお兄さんでした。仮装のカツラが目立って追いかけやすいと思っていたものの、もうひとり仮装した女性と2人コンビで横に並んで走っていたので、ペースが合わせにくく早々にパスしました。
スタートの混乱も3万人の人数がいる割にはスムーズでEブロックは申告タイムがサブ4クラスのランナーばかりと思われ、皆さん、走りを心得ているというか、少しペースが速目だなぁと感じました。そうこうしているうちに5kmを通過した頃、手元の時計でもサブ4を狙うキロ5分40秒ペースには、スタートのロスタイムも含めて、序盤はまあまあ良いペースで入れました。
走り始めると、コース沿道には多くの方の応援が切れ目なく続くことや、直射日光を避けられる高層ビルの影や高速道路の高架の影が多くあること、御堂筋などコースの道路が広くて走りやすいなぁと感じました。あまり大阪の地理に詳しくないので14kmで出てきた由緒ある大阪市中央公会堂もチラッと見ただけで通り過ごし、大阪名物の景色よりも沿道の趣向を凝らした応援が心地よく、歌を歌ってくれたり、チアリーダーの応援、太鼓を響かせる勇壮な応援などずっと楽しませてくれました。
しばらく走っているとペースメーカー役にちょうど良いスピードの女性を見つけました。こういう女性を小俣が切れ上がった、というのか、しっかり練習してきた引き締まった感じで、ポニーテールに青と水色のTシャツがお似合いでした。しばらく素敵な後ろ姿の女性に引っ張ってもらっていましたが給水のタイミングで見失いました。
次に見つけたのがタレントの勝俣州和さんで、昨日のテレビ番組で「大阪マラソンに参加します」と言っていたなぁ〜と思い出しました。勝俣さんは意外と顔デカいなぁと思いつつも、テレビクルーに囲まれてマイクをずっと向けられたまま仕事として走っており、これはこれで楽しめないというか、苦しくてもしゃべって面白いコメントを言わないといけないし、愛想も振らんといけないし、まさか途中棄権するわけにもいかず、実はたいへんだなぁ〜と思い、ちょっとだけ並走して「勝俣さん、がんばって」と声をかけてきました。
京セラドームが少しだけ見えた頃、20kmが過ぎ、さらに難波界隈から少し行くと通天閣が見えたらしいけど道路や人の背中ばかり見ていたせいで通天閣の景色を見落としてしまいました。
ここまでのところ、コースが平坦なせいもあり、天候もベストな状態のせいか、今日はあまり苦しくないなぁと思えてきました。ペースはそのままで、悪くともキロ6分以内で抑えて給水では立ち止まらずに行けば、なんとかサブ4を出せるのでは、と皮算用をするようになりました。実は、今回、大黒摩季のアトランタオリンピックテーマ曲「熱くなれ〜」を頭の中で口ずさむみ、サビのところをずっとリフレインしていました。
後半からは「スーパー玉出」の黄色の派手な看板はえらく目立ち、なんとなく目標になりました。さらに次にペースランナーとして、中日ドラゴンズの背番号51京田選手のユニフォームを着た、やや小柄な女性を見つけました。私は愛知県で中学生まで過ごしていたので大阪の街で中日のユニフォームを着て走るドラゴンズ愛に親近感を覚えました。この方もかなり練習をされていると思われ、全然、疲れた様子もなく上手に引っ張ってくれました。
今回、給水をこまめにとったほか、ドライフルーツやバナナなどのエイド給食も食べましたが、困ったのが「スポーツようかん」で、人差し指1本だけで封が切れるという触れ込みなのに、落ち着いていないせいか包装フィルムがどうしても破れず、結局、もらった手前、捨てるわけにもいかず、ずっと手に持ったまま走りました。
35km前後が今回一番の苦しいところとなり2回ほど歩きました。短い時間ならば、むしろ疲労回復に役立つので歩きもありと割り切りつつ、やはり切れ目なく応援してもらっているので、歩いているのが恥ずかしいこともあり、エアーサロンパスをかけてもらい、ちょっとした会話で気を取り直して、なんとか最少時間で歩きから走りに戻すことができました。今回は、ここでキレなかったことが大きかったと思います。
さらに37km付近では20mの上りが出現します。ここも時計を確認し無理せずに歩く、上りきるまでの距離は短そうだし歩いて上りきった後、下りを利用して走りはじめる、さらに下りの勢いをそのままスピードアップにつなげて上りに歩いた時間を取り戻すことを目論みました。これがうまくいき、残りの距離をよいペースで走り通すことができました。
ここまでくるとサブ4までの猶予時間を考え「足が攣らない限り、大丈夫、行けそうだ!」と思えるようになり、淡々と距離を消化していきました。
ようやく残り2kmとなり、昨日、最寄駅から15分くらい歩いたインテックス大阪近辺にたどり着き、もうすぐだ、と逸る心を抑えつつ、残り1kmで「もう大丈夫、サブ4はいける!」と確信を持ち、さて自己新になるかと考えつつ、これで終わりだけど1秒でも早くゴールしたいと、できるだけペースアップしてゴールしました。
結果として、自己新には1分ほど及ばなかったものの、サブ4(ネットタイム3時間56分44秒)を達成できて大満足でした。
みごとサブ4を達成したピッグ
(幹事長)「途中で少し歩いたのにサブ4だなんて、すごいなあ。
僕なんて那覇マラソンで最後まで歩かなかったのに5時間オーバーだったぞ」
(ピッグ)「走りにメリハリを付けましたからね」
ピッグは2月の海部川マラソンで初めてサブ4を達成したが、再びサブ4を達成した事で、まぐれでは無かったことが証明された。実に素晴らしいぞ。
〜おしまい〜
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