第33回 那覇マラソン

〜 リベンジのはずが絶望的な大惨敗に! 〜


2017年12月3日(日)沖縄の那覇市第33回那覇マラソンが開催された。

(幹事長)「長い1年やったなあ」
(ヤイ)「長かったですねえ」
(支部長)「準備不足を考えると、あっという間やったけどな」


長い1年と言うのは、つまり、
1年間、待ち遠しかったと言う事だ。実は、本当なら去年、初出場する予定だったのだ。それなのに、ワクワク楽しみにしていたのに、なんと大会の3日前に交通事故で車にはねられ、肋骨を骨折してしまったため、やむなく欠場したレースだ。なので、今年が待ちに待った初出場になる。また、ヤイさんや支部長もリベンジのために、待ち望んでいたのだ。


〜 エントリー 〜


那覇マラソンは多くのマラソンランナーにとって憧れの大会だ。マラソン大会そのものとしては東京マラソンや大阪マラソンも魅力的だが、行き飽きた東京や大阪の街と違って、そもそも沖縄へ行くって事だけでもワクワクするから、沖縄のマラソン大会だなんて、聞いただけでもワクワクする。ウキウキする。ゾクゾクする。誰もが出たくなる大会だ。
しかし、実際に行くとなると、なかなか重い腰が上がらないやはり遠いからだ。東京や大阪の人に取っては、東京マラソンや大阪マラソンと違って、長時間、飛行機に乗って、しかも前日から出掛けなければならないから、かなりハードルが高いと思う。その点、四国の人間にとっては、所詮、東京マラソンだって飛行機で行かなければならないし、前日に行かなければならないから、大差は無いように思える
とは言え、出張とかでしょっちゅう出掛ける東京と、遊びでしか行くことが無い沖縄では、やっぱり馴染み度が異なるから、なんとなく精神的にハードルが高い

それなのに、去年、なぜ思い切って出場することにしたのかと言うと、一昨年に初参加した奈良マラソンエントリーに去年は失敗したからだ。奈良マラソンは那覇マラソンの1週間後に開催されている大会だが、一昨年、初参加したら、坂が多くて非常に厳しいコースで大変だったけど、変化があって、とっても楽しいマラソン大会で、「絶対に来年も出場しよう」って強く思ったのだ。ただ、奈良マラソンは抽選じゃなくてネット受付の先着順なので、エントリーには秒単位の熾烈なクリック競争があり、数秒の差が命取りになる。それなのに去年は、酒を飲みながら夕食を食べているうちにすっかり忘れてしまい、気が付いたときには受付開始から1時間が経っていて、当然ながら既にエントリーは閉店休業になっていた。
奈良マラソンのエントリー失敗のショックから立ち直るために、ふと思い出したのが「Naraマラソンの1週間前にNahaマラソンがある」っていうダジャレのような小松原選手の言葉だ。小松原選手は6年前、初フルマラソンとして那覇マラソンに出場し、すっかりその魅力に取り憑かれてしまい、その後、毎年出場している。その彼の強い勧めに従い、去年、初めて那覇マラソンに参加することにしたのだ

ただし、奈良と違って沖縄は遠方なので、一人で行くのは寂しい。東京マラソンも大阪マラソンも抽選だったので一人で行ったけど、しょっちゅう行ってる東京や大阪と違い、滅多に行かないリゾートアイランド沖縄に一人で行くのは寂しい。てことで他のメンバーにも声を掛け、賛同を得た支部長、ピッグ、ヤイさんの合わせて4人で参加することにした。
とは言え、那覇マラソンは先着順ではなく抽選だ。全員で行くには全員が抽選に当選しなければならない。東京マラソンや大阪マラソンなんて、自分1人が当選するのだって難しいので、メンバーが揃って当選するなんて可能性はゼロだ。ところが調べてみると、意外にも那覇マラソンの競争率は低いらしい例年1.3〜1.4倍程度とのことだ。世紀末的なマラソンブームが続いていると言うのに、なんで憧れの那覇マラソンの競争倍率がそんなに低いのか不思議だが、上にも書いたように、東京や大阪の近辺の人達は東京マラソンや大阪マラソンとなると大挙して申し込むが、遠方の沖縄にまで出掛けようっていう人は少ないってことか。マラソンブームとは言っても、そこまで熱心では無いってことだ。また、那覇マラソンの定員は30000人で、日本のマラソンでは最大規模だってことも理由だろう。そのため競争率が低くなっているのかもしれない。
だとしても、いくら競争率が低くても、うまいこと全員が当選するかどうかとなると不安になる。1人くらい落ちこぼれる人が出てくるかもしれない。ところが調べてみると、なんとグループエントリーが可能なシステムになっていて、同じグループでエントリーした仲間達は運命共同体で、当選するときは全員当選だし落選の場合は全員落選なのだそうだ。これなら誰か寂しい思いをする人も出ない。て事で、支部長に申し込んでもらったところ、見事に全員当選したのだ。

(支部長)「私のエントリーがうまいからやな」
(ピッグ)「何か違いってあるんですか」


ところが、リゾートアイランド沖縄での初マラソンにワクワク胸を躍らせていた大会3日前の夜、最後の練習として軽く数kmくらい走ろうと思って会社から自転車に乗って帰宅していた時、自宅まで100mも無い近所の道で、狭い路地から突然、車が飛び出してきてはねられたのだ。救急車で搬送された救急病院で診断を受けると、肋骨が3本も骨折していて、全治6週間と診断された。足の骨折とかならギブスで固めて治療ってことになるが、肋骨は呼吸と共に常に動いているので、そういう治療はできないから、自然治癒を待つしかない。施してくれたのは、大きく呼吸して胸が広がると、くっつきかけた肋骨が離れてちぎれてしまうので、それを防ぐために胸にバストバンドってのを巻いてくれただけだ。自然治癒を待つだけなので、痛くなければ何をしてもいいとは言われたが、さすがに「運動なんかしてもいいんですか」って聞いたら「当面は控えてください。て言うか運動なんかしたら痛いと思いますよ」なんて言われた。さらに「実は3日後にマラソン大会があるんですけど、やっぱり無理ですかねえ」なんて聞いたら、引きつったような顔で「1ヵ月程度は運動は控えてください!」なんて怒られた。

だけど、苦労して予約した飛行機もホテルも既にキャンセルはきかないし、せっかくみんなで沖縄へ行く予定だったので、取りあえず4人で沖縄に出掛けた。そして、もしかして奇跡的に痛みが薄れたら出場しようなんて思っていた。しかし、当日、ホテルから会場まで行く途中、歩いているだけでも痛みに耐えるのに疲れてしまい、とてもじゃないが走れる状態ではないと悟り、残念だけど最終的に出場を諦めた
私はそのままホテルに戻り、ベッドでウンウン唸っていたから知らなかったが、去年の大会は猛暑のレースとなった。その日の那覇は、12月の気温としては102年ぶりに記録を更新する観測史上最高気温だったようで、おまけに風が無く、マラソンとしては非常に厳しいコンディションだった。そのため、完走率は1999年の第15回大会に次ぐ低さの53%だった。つまり3万人走って半分近い1万4千人もがリタイアしたってことだ。このような厳しいコンディションの中、ピッグは5時間半という史上最悪のタイムでゴールし、支部長に至っては途中で力尽きてリタイアした。さらに、ヤイさんは痛めていた肉離れが悪化して早々に走れなくなった。ただ、鉄人ヤイさんそのまま根性で歩き続け、制限時間の6時間はオーバーしつつも、最後まで歩いてゴールした。

(幹事長)「よくもまあ、そんな長距離を歩けますねえ」
(ヤイ)「来年のためにコースを把握しておこうと思って」


楽しみにしていたのに初出場できなかった私はもちろん、途中から走れなくなったヤイさんも「悔しいので、来年は完走しよう」て事で、2年連続での沖縄遠征に意欲を見せた。もちろん途中リタイヤの支部長もリベンジに燃え、ピッグにも有無を言わさず、4人で再び挑戦することになった
去年に引き続き、支部長がグループエントリーで申し込んだら、あっさりと4人揃って当選した

(支部長)「やっぱり私のエントリーがうまいってことやな」
(幹事長)「もしかしたら、島の外から来る人は優先してくれてるんかなあ」


4人揃ってだから、観光立国の沖縄としては最優先してくれる上客かも知れない。

(支部長)「安ホテルやけどな」
(幹事長)「そこまでチェックはできんやろ」


〜 宿泊場所の確保 〜


那覇マラソンで最も苦労するのはエントリーではなく、宿泊場所の確保だ。東京マラソンや大阪マラソンなどの過去の事例からも分かるが、大規模なマラソン大会が開催されると宿泊場所の確保は困難を極めるエントリーの当選が決まってから探していたのでは、我々には手が出ない高級ホテルか、極端な安宿しか残っていない4年前の大阪マラソンでは、予約しようと思ってネットで探すと、山ほどホテルが空いているので、さすがは大都市だと思ったら、妙に安い。カプセルホテルでも普通なら3000円はするのに、1000円程度から大量にある。一体こりゃ何じゃと思って場所と条件を確認していくと、極端に安いホテルは西成区に集中していた。つまり釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街のホテルなのだ。ドヤ街で労務者が住んでいた簡易宿所(通称ドヤ)が時代の流れでビジネスホテルっぽく模様替えしているだけなのだ。いくら模様替えしたとは言っても、元々3畳トイレ無しといった狭い部屋だし、エリアとしては極端に怖いイメージだ。しかし、釜ヶ崎のドヤ街以外のホテルを探そうとすると、とても高額なホテルしか残っていなかったため、仕方なくドヤ街に泊まった。

こういう経験から、去年は宿の確保には早めに動いた。早めと言うのは、当選が決まってから動くのではなく、当選するかどうか分からないうちから押さえておくのだ。当選発表の2ヵ月も前に手配を開始した。ところが、それでも甘かった。その時点で既に手頃なホテルは全滅だった。他の参加者達は、それより早く、はるか以前に手配に動いていたようだ。大阪マラソンの場合と同じで、手頃なホテルは皆無で、うんと安いホテルか、トンでもなく高いリゾートホテルしか残ってなかったのだ。過去の経験から言えば、こういう場合には、ためらう事なく安いホテルを選択するのがよろしい。どんなに安いホテルでも、日本なので危険を感じる事はない。それにマラソン大会はどこも朝が早く、そんなにゆっくりくつろぐ時間も無い。単に夜、寝るだけだ
それに、那覇の安いホテルは、ドヤ街の労務者を相手にする大阪の釜ヶ崎とは事情が異なる。那覇の安いホテルのメインの客は海外からのバックパッカー達であり、そもそもホテルと言うよりユースホステルみたいな感じだ。普通は大部屋に雑魚寝で転がされるイメージだが、散々探した結果、4人で1部屋に泊まれるホテルをゲットした。ホステル沖縄リトルアジア・ゲストハウスという宿だ。大部屋の雑魚寝なら1人1泊1200円からあるが、さすがに4人部屋なので1人1泊2000円する。とは言っても、格安なのは間違いない。実際に泊まってみると、窓の無い部屋で、息苦しいが、ま、夜寝るだけなので、それほど問題は無かった。てことで、今年も当選発表の2ヵ月も前に手配を開始し、無事、同じリトルアジア・ゲストハウスを予約する事ができた。お値段も去年と同じ1人1泊2000円だ

(支部長)「ここで提案やけど、せっかく沖縄まで行くんやから、もう1泊して観光しない?」
(幹事長)「おっ、その手があったか!」


去年は大会の前日の土曜日に那覇に入り、大会翌日の月曜日に帰ってくると言う2泊3日コースで行った。しかし、支部長の言う通り、せっかく沖縄まで行って2泊3日で帰ってくるのはもったいないもう1泊して観光すると楽しさ倍増だ。しかも、1泊延長したところで1人2000円しかかからない。て事で慌てて手配したら、うまいこと4人分延長できた。


〜 飛行機の確保 〜


宿泊場所と並んで苦労するのが飛行機の手配だ。高松から那覇へは1日1往復しか飛行機が飛んでないから、なかなか席が取れない。金に糸目をつけずに正規料金を払うのであれば、もっと簡単に取れるのかもしれないが、3ヵ月前から売り出される安いチケットを取ろうとすると非常に苦労する。東京マラソンや大阪マラソンは同じ3万人規模と言っても、大半が東京や大阪の地元の人だけど、那覇マラソンは全国から満遍なく集まってくるはずだから、人口比からすれば香川県から2〜300人くらい出場してもおかしくはない。なので、飛行機もあっという間に完売するのかも知れない。
結局、去年は、4人分のチケットを確保することができず、途方に暮れたが、ふと関西方面からの発着を見てみると、あるわ、あるわ、なんぼでもあるわ。関西には伊丹空港、関西空港、神戸空港と3つの空港があるため、那覇空港との便数が多いのだ。結局、発着の時間を考慮した結果、行きは関空発、帰りは神戸空港着の便を利用することにした。お値段は行きも帰りも8000円台で、往復でも17000円ほどと、とてもお安くなった。当初、狙っていた高松空港発着便の一番安いチケットでも片道15000円はしたので、半額程度だ。もちろん、高松空港と違って関空や神戸空港との移動に時間とお金はかかるが、それでも許容範囲だ。

て事で、今年は最初から関西方面からの発着便を探したが、手配が早かったため、伊丹空港の発着便が取れた。去年は行きが関西空港発で帰りが神戸空港だったので、その間の移動で船に乗るなんて裏技を駆使したが、今年はそんな心配もない。大会前日の12月2日(土)に高松から伊丹空港へ行って那覇へ飛び、大会翌々日の5日(火)に那覇から伊丹空港に飛んで高松に戻ってくる行程だ。
料金は去年と同じく、行きも帰りも8000円台だったから、高速道路料金やガソリン代や駐車料金まで含めても、高松空港発着の一番安いチケットより少し安いくらいだった。宿泊料金も格安なので、全部合わせてもコストは東京マラソンなんかに比べたら随分安くあがる
ちなみに、那覇マラソンは参加料そのものも6500円で、最近のマラソン大会の参加料の高騰ぶりを考えると、比較的良心的と言える。京都マラソンの12000円は論外としても、東京マラソンや大阪マラソンなんかは軒並み10000円を超えるし、田舎でも徳島マラソンなんか毎年値上がりし続け今では9000円にまでなったことを考えると、那覇マラソンは安い。もちろん、沖縄までの交通費や宿泊費を考えると、トータルとしてはかなり高い買い物だが、それでも安くあがっている。

なーんて喜んでいたら、支部長が暗い顔をしてやってきた

(支部長)「火曜日に仕事が入って休めなくなった」
(幹事長)「なんとなーっ!」


今年は気楽に1泊延長して楽しもうということにしたが、もちろんみんな仕事を簡単に休めるという前提での行程だ。ところが、支部長は月曜日は休めるものの、延長した火曜日は休めなくなったと言う。

(幹事長)「ほんだら月曜日早々に帰るん?」
(支部長)「いや、月曜日はみんなと一緒にめいっぱい観光した後に帰る」


て事で、支部長だけ月曜日の夜に便で帰ることになった。しかし、那覇から最終便で関西に戻ると、なんと新幹線に間に合わないから高松に帰れない事が判明。

(幹事長)「じゃ、もっと早い便で帰る?」
(支部長)「いや、奥の手を使う」


奥の手と言うのはフェリーだ。神戸から夜行のフェリーに乗って、翌朝に高松に帰ろうという作戦。てことで、支部長は大会翌日の月曜日の最終便で神戸空港に飛び、神戸港からジャンボフェリーに乗って火曜日の朝に高松に帰り、そのまま会社に行くという超強行軍となった。急な行程変更だが、チケットもなんとか取れたので一安心していた。
で、いつもの事ながら出発の前日にANAから自動メールが届く。明日の飛行機の確認メールだ。ところが、それを見ると私とヤイさんとピッグの分しか記載されておらず、支部長の予約がどこにも記載されていない。支部長の飛行機は、帰りの便は変更したけど、行きの便はそのままにしてあるはず。普段は全てネットで予約したり変更したりするが、今回は変更内容がややこしいので電話で変更したから間違いないはずだ。もしかして支部長には連絡が行ってるかもしれない。

(幹事長)「そっちにANAから確認メール来てる?」
(支部長)「え?なんにも来てないで」
(幹事長)「おかしいなあ。支部長の予約が記載されてないんや」
(支部長)「え!?私の予約が消えてしまってるん!?」


支部長がふて腐れてしまったので、慌ててANAに電話したら、確認メールは来なかったけど、無事、支部長の予約も残っていたので、一安心。

(幹事長)「良かった良かった」
(支部長)「週末はふて寝せんといかんのかと思ったで」


〜 自転車の手配 〜


1泊延長して沖縄を観光しようという提案が支部長から出た時から、私の中ではサイクリングしか無いと決めていた。

(幹事長)「翌日は沖縄をサイクリングしよう!」
(支部長)「え?マジ!?」
(ヤイ)「フルマラソンの翌日にサイクリング!?」
(ピッグ)「面白そうとは思いますが」


サイクリングを希望する理由はいくつかある。
まず、積極的な理由として、沖縄の青い空の下、ぜひサイクリングしたいという思いだ。

(幹事長)「まさか反対意見は無いやろ?」
(支部長)「それはそうやけど、フルマラソンの翌日に無理と違う?」
(ヤイ)「私は一人で首里城に行きます」


次に消去法的な理由として、私はこれまで沖縄には5〜6回は来ており、たいていの観光地へは行ったことがあるからだ。4人で観光することになれば、どうせ首里城とかのありきたりな観光地へ行くのは目に見えているので、つまんない。

(支部長)「やっぱり、そういう理由か」
(ヤイ)「私は一人でも首里城に行きますからね」


そして、さらに沖縄の青い海が見たいという理由もある。沖縄と言えば、何と言っても青い海だ。ところがなんと、那覇マラソンでは青い海が見られないと言う。

(幹事長)「ほんとなの?」
(支部長)「私が去年リタイアするまで走った区間では海は全然見えんかったな」
(ヤイ)「私は最後まで歩いてコースを観察しましたけど、一回だけ遠くにチラッと見えただけですね」
(ピッグ)「苦しくて見る余裕無かったですね」


那覇マラソンのコースって、てっきり海岸線の道を青い海を見ながら走るのかと思ってたら、なんと海はほとんど見えないらしい。イメージと全然違う。それなら、代わりに青い海を見ながらサイクリングしたいと思うのだ。

(幹事長)「まさか反対意見は無いやろ?」
(支部長)「それはそうやけど、しつこいけど、フルマラソンの翌日に無理と違う?」
(ヤイ)「しつこいけど、私は一人で首里城に行きますよ」


て事で、全員一致の意見で翌日は沖縄をサイクリングする事になった

(ピッグ)「まさか自転車は持って行きませんよね」
(幹事長)「重いし面倒なので現地でレンタルしようよ」


さっそくピッグが調べると、1日3000円くらいでロードバイクをレンタルできるらしい。事前に予約すると、体型に合った自転車を準備しておいてくれるとのことなので、ピッグに予約してもらう。これで準備万端だ。
気がかりは、フルマラソンでボロボロになった体でサイクリングが可能なのか、という点だが、順番は違うけど、トライアスロンの事を考えると十分に可能だろう

(ヤイ)「それはトライアスロンに出てから言ってください!」


〜 沖縄へゴー! 〜


伊丹空港へはピッグが車を出してくれたので、支部長も含め3人で高松を8時半に出発し、途中でヤイさんをピックアップする。飛行機の出発時間は14時で、伊丹空港まで2時間ちょっとで着くだろうから、もっと遅くても良いんだけど、渋滞とかあったら困るので、かなり早めに出発した。
この日は、西日本は穏やかに晴れ渡り、風も無く、暖かい

(幹事長)「まさに絶好のマラソン日和やなあ。こんな日に走りたいな」
(ピッグ)「沖縄地方は違うようですよ」


本当かどうか分からないが、天気予報では沖縄地方はしばらく雨模様とのことだ。香川県地方なら、天気予報が雨模様と言っても実際に雨が降る可能性は限りなくゼロだが、沖縄は南の島なので逆に絶対に降るだろう。

(幹事長)「せっかくの沖縄なのに、雨だと嫌だなあ」
(支部長)「何を言うとるん!雨は大歓迎だ!」


去年は猛暑で途中リタイアを余儀なくされた支部長としては、暑いより雨が降って走りやすくなるのは大歓迎のようだ。

(幹事長)「でも、せっかく青い海を見に沖縄へ行くのに、雨だと嫌じゃない?」
(支部長)「だからマラソンコースから海は見えないんやってば!晴れても雨でもリゾート気分にはならないんやってば!」


ま、暑いよりは雨の方がマシかもしれない。

(ヤイ)「でも、観光するのなら晴れてる方が良いですね」
(支部長)「観光は二の次でマラソンが第一やないの」
(ヤイ)「いやいや、私は走りませんから」


ヤイさんが突然トンでもない事を言い出す。

(幹事長)「ななな、何を今更言いよんですかっ!?」

ヤイさんは肉離れが完治してないので、今回は走らないと言うのだ。

(幹事長)「去年の那覇マラソンで肉離れが悪化して途中から歩いた悔しさを晴らすために1年間待ったんじゃないですか。
       そのために今年は年始めの丸亀マラソンの後は、ずっとマラソン大会を欠場し続けて満を持していたんじゃないですかっ!」
(ヤイ)「でも結局、良くなってないから」


ま、しかし、去年と同じく、現地に行けばヤイさんの事だから走りたくなるのではないだろうか。
高速道路は渋滞も無く、順調に11時過ぎには伊丹空港に着いた。空港の駐車場は高いので、ピッグがあらかじめ調べておいた近所の駐車場に車を停め、空港ビルに入る。

(支部長)「伊丹空港を使うのは、もしかしたら初めてかもしれんなあ」

それはあり得る。私は青森に勤務していた頃、高松に帰ってくるのに時々、青森〜伊丹便なんかを使ったこともあるが、普通、大阪へ行くのには新幹線やバスを使うし、大阪以遠に行くのなら羽田経由になるのだろうから、伊丹空港を使うケースは極めて少ない。
伊丹空港も普天間基地に負けず劣らず市街地のど真ん中にあり、かつては騒音が大問題になっていた。そして周辺住民や地元自治体は「移転しろ!」の大合唱だった。それを受けて政府は海の真ん中を巨費を投じて埋め立てて関西空港を作った。ところが、いざ関西空港が出来たから伊丹空港は撤去しようとなった段階で、地元は急に慌てて「伊丹空港が無くなると地元経済が大打撃を受ける」なんて言い出して、撤去反対の姿勢を打ち出し、今では逆にターミナルビルの増設工事が進んでいる。空港が無くなったら地元経済が打撃を受けるのは分かり切ったことであり、それなのに撤去を訴えていたのは、まさか本当に撤去されるとは思ってなかったからだろう普天間基地も全く同じ状況だ。ともかく、今では伊丹空港は永遠に不滅です、って感じで存在している。

(ピッグ)「なんか伊丹空港に批判的ですが」
(幹事長)「いえいえ、決してそのような事はございません」


もちろん、関西空港より伊丹空港の方が我々にとってはアクセスが便利なので、伊丹空港が存続した方が嬉しい。ただ、かつてのいきさつというか、周辺住民の我が儘に翻弄された航空行政が腹立たしいのだ。莫大な税金をつぎ込んで関西空港や神戸空港なんか作らずに、伊丹空港をもっと大規模な国際空港に増設してくれたら良かったのに、現状は中途半端な空港が3つ併存するという無駄な状況だ。これは羽田空港と成田空港の中途半端な併存も同じ状況だ。有無を言わさず伊丹空港や羽田空港の充実に邁進すれば良かったのに、フラフラと腰が据わっていない行政のせいで、世界の他のハブ空港に比べて機能が貧弱な空港だらけになってしまった。例えば、四国に限らず、日本の多くの地方都市においては、海外へ行くのに一番便利な乗り換えハブ空港はソウルだ。ソウルは日本の多くの地方都市と路線があり、また世界中の主な国との路線も充実している。空港は、単に立地場所の地域経済だけの問題ではなく、日本の国力につながる重要問題だ。

(支部長)「何をごちゃごちゃ言うてるん」
(ピッグ)「幹事長の独り言のコーナーみたいですね」
(幹事長)「すんません」


伊丹空港で昼食をとり、休憩室でたっぷり時間を潰し、ようやく飛行機に乗り、14時に伊丹空港を出発し、那覇空港に着いたら16時20分だ


〜 沖縄到着 〜


天気予報通り沖縄に着くと空はどんよりと曇っていたが、なんとか雨は止んでいた。でも、いつまた降り出すか分からない状況なので、急いで受付を済ませる事にする。
那覇マラソンの大会会場は空港からモノレールで3つめの駅にある奥武山総合運動場で、前日の受付もここでやっている。モノレールのチケットは去年と同じく48時間フリー切符を買う。使うのは今日2回と明日2回で、お買い得なのかどうか分からないが、いちいち買わなくても済むのはメリットだ。
奥武山総合運動場はモノレールの奥武山公園駅を降りるとすぐ側にあるが、中が広くて受付場所へ行くのに道に迷ってしまう。天気は悪いけど、南の島だけあって、12月に雨が降っても決して寒くはなく、ちょうど良いくらいの気温だ。
3万人規模のマラソン大会と言えば東京マラソンなんかと並んで全国一の規模なので、前日の受付会場も東京マラソンのような華やかな雰囲気を期待すると大間違いで、企業の宣伝ブースなんかは少なく、なんとなく少し寂れたような雰囲気だ。やはり東京と地方の立地条件の差だ。ただ、スポーツ用品の屋台なんかは沢山出ていて、さっそく支部長が物色を始める。

(幹事長)「何を探してるん?」
(支部長)「新しいランニングシューズを買おうかと思って」


支部長のランニングシューズは比較的新しく、まだまだ買い換える必要はないように思えるが、なぜかスペアのシューズを欲しているようだ。結局、買ったのは、今、履いているシューズと全く見分けが付かない同じようなシューズだった。
受付を済ませると、雨が降らないうちに宿へ向かう。宿は国際通りの近くにあるので、モノレールをさらに5駅乗って牧志駅で降りる。去年も泊まった宿なので、道は分かっている。よく目立つ巨大高級ホテルのハイアットリージェンシーのすぐ裏だ。当たり前だが、リトルアジア・ゲストハウスは去年と同じたたずまいで存在した。丸國マーケットと言う何の店か不明な店舗の2〜3階部分だ。

うらぶれた商店街のはずれにあるリトルアジアの階段で
(去年と同じく那覇マラソンの歓迎幕が掛かっていた)


受付は2階で、昔のユースホステルみたいなシステムだ。部屋はユースホステルみたいな大部屋と、我々が予約したような小部屋の個室がある。大部屋なら色々と情報交換もできて楽しい面もあるだろうが、我々のような完全なるおっさん達にとっては個室がありがたい。
個室は何部屋かあるんだけど、案内された部屋は、なんと去年と同じ部屋だった。おっさん専用の部屋なのか?四畳半くらいの板の間で、中にロフトと言うか中2階のような部分があり、そこに布団が2組敷いてあり、その下に2段ベッドがある。これで4人分の寝床があるわけだが、支部長が「イビキがひどいから、みんなの迷惑にならないように」との理由で中2階に上がると、必然的に、中2階でもう1人寝ることは不可能になるので、布団を1組下に降ろす。結局、去年と同じ配置で、2段ベッドの下に私が、2段ベッドの上にピッグが、そして床にヤイさんが寝ることになった。

(ヤイ)「あれ?テレビが無くなってるよ」

ほんとだ。去年は私は骨折の痛みに耐えきれず、早々に戻ってきて、ベッドで呻きながら一日中、福岡国際マラソンで川内選手が力走するのを見ていたので、テレビが本当に役立った。そのテレビが無くなってるのだ。受付の人に聞くと、「電波が入らなくなって・・・」とか何とか意味不明の言い訳をしていたが、後で確認すると喫煙室には大きなテレビが置かれたままになっていた。おそらくNHKから受信料を要求され、やむを得ず個室のテレビは撤去したんだろう。窓の無い部屋でテレビも無くなれば、部屋で時間を潰すのは不可能に近くなる。
て事で、何はともあれ夕食に繰り出した。いつの間にか、恐れていた雨が降り出していたが、去年、散々周辺を探索したので、迷路のようなアーケード街の地理は把握しており、雨に濡れずに歩いて行ける、去年行った店に直行した。食べ物はマアマア普通だが、とても可愛い子のいる店だ。とても色が白くて可愛くて、てっきり本土から来たのかと思って聞いてみたら沖縄出身の子だった。

(ピッグ)「今の発言は差別になりませんか」
(幹事長)「それは誤解だ!」


沖縄の現地の子もとても可愛い。本当にそう思う。ただ、顔立ちは北方系(朝鮮系)の本土の人とは明らかに異なる。
ま、それはいいとして、今日行ったら、その可愛い子は既にいなくなっていた。居酒屋のアルバイトだから仕方ないか。

(支部長)「あの子がいないんだったら、もうこの店には二度と来ることもないな」
(幹事長)「ほんとほんと。もう金輪際、来ないな」
(ヤイ)「料理は普通ですからね」
(ピッグ)「みんな、そんな評価だったんですかっ!?」


今日はマラソンの前夜なので、あんまり深酒することなく、適当に切り上げて店を出た。去年は夕食の頃には商店街は閑散としていたが、今年は時間が少し早いため、まだ開いている店が多く、人通りも多かった。
宿に帰っても、まだ時間は早かったが、明日のマラソンに備えてみんな早々に寝床に入った

(ヤイ)「って、まだ8時ですよっ!子供でもまだ寝ませんよっ!」
(支部長)「いやいや、明日の朝は早いから、もう寝ます」


寝ます、と言っても、さすがにまだ早いだろうと思ったけど、なんと支部長はあっという間に眠りについてしまった
実は私も疲れ始めていた。風邪が完治していないのだ。「番外編」コーナーに書いたように、11月下旬に京都・奈良紅葉巡りに行った帰りに高野山に寄ったら予想もしなかった雪に見舞われ、あまりの寒さに風邪を引いてしまったんだけど、それがまだ治りきってないのだ。毎日、朝になると割と元気なんだけど、夕方頃になるとしんどくなってくる。今日も歩き回ったせいもあり、なんとなく頭痛がするし疲れてしまった。なので、早々に布団に潜り込んで一安心なんだけど、ヤイさんじゃないけど、さすがにそんなに早くは眠ることはできなくて、深夜まで悶々とした状態だった。


〜 会場へゴー! 〜


早々に眠りについた支部長は、当然ながら早々に目が覚めて、4時には活動を開始したが、私はその頃になってようやく深い眠りについた。
スタートは9時で、宿から会場までは30分もあれば着くんだけど、モノレールは大混雑で乗るのに時間がかかるかもしれないって事で、余裕を持って7時には出発することにしたので、仕方なく6時半頃に起きた。昨晩買ったおにぎりを食べて、ぼうっとした頭で何を着るか考える。

(ピッグ)「やっぱり今日も悩みますか?」
(幹事長)「天気が中途半端やからなあ」


去年みたいに暑ければ何も考えず半袖Tシャツ1枚にするしかない。今年は天気予報では気温は23〜4℃らしいが、それくらいの気温でも普通なら半袖Tシャツ1枚だろう。それでも暑いくらいだから、他に選択肢は無い。でも今年は雨になるかもしれない。雨が降ると、さすがに寒くなる可能性がある

(支部長)「雨が降っても寒くはならないって」

もちろん、これがハーフマラソン程度なら寒くなる前に終わってしまう。しかしフルマラソンとなると終盤にトボトボ歩く可能性がある。雨の中をトボトボ歩くと気温23〜4℃でも体は冷える。寒くなる。寒いのは嫌だ。

(ピッグ)「幹事長は本当に寒さに弱いですねえ。青森にいたのに」
(幹事長)「青森の人は冬は家から出ないから、結構、寒さに弱いぞ」


雨に備えて今回は長袖シャツも持ってきた。最近、登山用に愛用している吸湿性と速乾性に優れたインナーウェアだ。どんなに汗をかいても全然ベチョベチョせず、いつまで経ってもサラサラで、汗が冷えて寒くなる事がない優れものなので、今日のように雨が降るかもしれない日でも適している。1週間前の瀬戸内海タートルマラソン大会でもこれを着て、暑くも寒くもなく正解だった

(ピッグ)「タイムは悪かったですけどね」
(幹事長)「ふむ。タイムには関係ないってことか」
(支部長)「暑くても寒くてもタイムには関係ないって前から言ってるやんか!」


かなり悩んだ結果、雨が降った場合はビニール袋を被って凌ぐ事にして、半袖Tシャツにした。着るのは4年前の大阪マラソンでもらったTシャツだ。たいていのマラソン大会は参加賞としてTシャツをくれるが、デザインとしてはイマイチのものが多く、持てあまし気味だ。その中で、この大阪マラソンのTシャツは、これまでもらったTシャツの中で群を抜いて素晴らしいデザインなので、とても愛用している。
続く問題はタイツだ。

(幹事長)「タイツ履く?」
(支部長)「暑くても寒くてもタイツは履くよ」
(ピッグ)「私は今日は履きません」


最近は支部長と同様、暑くてもタイツを履くピッグだが、今日は雨が降ったらビチャビチャして肌触りが気持ち悪くなりそうだから履かないという。私は逆に、雨が降ったら防寒のためにタイツを履きたいところだが、上も半袖Tシャツにしたし、タイツも履かないことにした。ランニングキャップも鬱陶しいから嫌いだが、雨が降り出した時に備えて被っていくことにする。持ち物はハンドタオル、ティッシュペーパー、雨合羽用のビニール袋だ。

(支部長)「ウォークマンは?」
(ピッグ)「初めての大会だし、退屈はしないだろうから持たない」


延々と吉野川の堤防の上を40kmも走る徳島マラソンなら退屈して発狂しそうになるからウォークマンは必需品だが、初めてのマラソン大会だから全てが目新しくて退屈することはないだろう。そもそも那覇マラソンは沿道の応援なんかもすごいらしいからウォークマンを聴く必要は無い
いつもながら私が悩んで悩んで決めていると言うのに、他のメンバーは相変わらず着るものに無頓着で、みんな暑い時も寒い時も全く同じウェアで走ろうとしている。支部長は今回も、今年の丸亀マラソンで支給された派手な蛍光色の関係会社STNetの宣伝Tシャツを着ている。

(幹事長)「この沖縄でSTNetの宣伝をしても仕方ないやろ」
(支部長)「いや、この蛍光色が気に入ってるんよ」


着る物に悩んだため、当初の予定よりは少し出発が遅くなったが、モノレールにはすぐ乗れたため、順調に進んだ。
今にも雨が降りそうな空だが、降るのかどうか分からない。天気予報も、午後は天気が回復するという予報もあれば、一日中降ったり止んだりっていう予報もある。南の島は山が無くて遮るものが無いため、次から次へと雲が通っていくから本当にどうなるか分からない。ただ、気温はちょうど良いくらいなので、雨が降っても降らなくても走りやすそうだ
モノレールの壺川駅を降りると、会場が見え、続々とランナーが向かっているのが見える。

モノレールの壺川駅から見下ろすと会場へ向かう大勢の参加者が見える


会場へ向かっていると、いつもの事だけど、だんだんテンションが上がってくる

(幹事長)「気温もちょうどいいし、風も無いし、絶好のコンディションじゃないか。
       なんだか今日はいけそうな気がするっ!」
(ピッグ)「いつも言ってますけど、良い結果が出たためしは無いですよね」


確かに、今年は絶望的な大撃沈が続いているが、それは去年の年末の交通事故や、今年の春の登山での怪我の影響が大きかった。ところが、怪我が回復して影響が無くなってからも惨敗が続いているし、振り返れば去年辺りから絶不調が続いている

(支部長)「だからそれは不調なんじゃなくて歳のせいなんやってば」

支部長は歳のせいだと言うか、それを受け入れたくない私は、今日ここで一発好記録を出して、最近の不調を一掃したいのだ。

(ピッグ)「目標はどれくらいですか?」
(幹事長)「取りあえず5時間」
(ピッグ)「割と控えめな目標ですね」


去年、ピッグですら5時間半もかかった事を考えると、どんな魔物が潜んでいるか分からないコースなので、取りあえず公けには目標を5時間と宣言した。しかし、もちろん、自分の中では4時間半を切りたいと思っている。去年は猛暑のレースで、リタイア率が50%近かったから、ピッグも大惨敗を喫したが、今年はコンディションは悪くない。また、このコースはアップダウンもあるが、脱藩マラソンみたいなアホみたいな坂は無いし、坂があるのは中盤までなので、なんとか乗り越えられるだろう。て事で、密かな目標は4時間半だ。1km6分20秒で走れば達成できるタイムだから、そんなに難しそうには思えない。ハーフマラソンで半分の2時間15分もかかったら空前絶後の大惨敗なんだから、ハーフマラソンの調子で走れば軽く達成できそうに思える。

(幹事長)「支部長は?」
(支部長)「もちろん、今年は完走やな。脱藩マラソンでコツを掴んだからな」


コツと言うのは、前半を徹底的に抑えて走る、という事だ。超今更な事だが、私と同じく、なかなか大人になれない支部長は、相変わらずレース前半は調子に乗って飛ばしてしまい、終盤に撃沈するというのを繰り返している。しかし、今年の龍馬脱藩マラソンで私がしつこく「前半は無理して抑えるべし」と強く忠告し、それに従った支部長は私とほぼ同タイムでゴールし、フルマラソンに対する苦手意識が払拭されたのだ。
なーんて話していると、ヤイさんが

(ヤイ)「走ろうかなあ、どうしようかなあ」

なんてつぶやく。

(幹事長)「まだ言ってるんですか!ここまで来たら走るしかないじゃないですか」
(支部長)「途中で痛くなったら去年みたいに歩いたらええじゃないですか」
(ヤイ)「さすがに、二度と歩きたくはないですね」
(幹事長)「ゆっくり歩きながらグルメしたらええじゃないですか」


私は去年、走ってないから分からないが、この那覇マラソンは別名グルメマラソンと言ってエイドに美味しいものがいっぱいあって、それを食い散らかしながら走るのが楽しいマラソンなんだそうだ。大会事務局が用意した公式エイドだけでなく、沿道には私設エイドが並び、色んな食べ物が提供されるソーキソバを始めとする沖縄の名産品はもちろん、中には吉野家の牛丼チキンラーメンとかもあるらしい。

(幹事長)「マラソンのエイドで牛丼やチキンラーメン食べたら吐くはろ?」

さらに裏エイドには泡盛オリオンビールもあるらしい。

(幹事長)「マラソンのエイドで泡盛飲んだら倒れるぞ!」

沖縄名産のグルメコーナーには長蛇の列が出来て、30分とか平気で並ぶらしい。そのせいで完走できないランナーが多いとのことなのだ。
実は那覇マラソンの完走率は異常に低いことで有名だ。普通、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。かつて瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは制限時間が5時間と厳し目だったが、そういう大会には実力の無いランナーは最初から出ないので、結局、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。制限時間をクリアできるかどうか不安なランナーは、そんなに多くはいないのだ。ところが那覇マラソンの完走率は低い。とても低い。高い年でも70%ちょっとだ去年は53%と異常な低さだったが、実は1999年の第15回大会では、それを下回る52%だった。2人に1人しか完走していないのだ。
この異常なまでの完走率の低さは、一般には暑さと厳しい坂が原因と言われている。本土では寒くなり始める12月だが、沖縄ではまだまだ暖かく、走るには暑すぎる季節なのだ。また、コースは坂が多く、最大標高差は100mほどだが、累積の獲得標高は300m近い。青い海の横を気持ち良く走るという勝手なイメージと違って、実は坂のある内陸部を走る厳しいマラソン大会なのだ。しかし、完走率が低い本当の理由は、ランナーがあちこちのエイドで食い散らかしているうちに制限時間オーバーになってしまうからなのだ。酔っぱらって走れなくなるランナーもいるそうだ。そもそも、わざわざ島外から来た人は完走を目標にしているが、島内の地元の人の中には、楽しいイベントと割り切って初めから完走することを目的にしていない参加者も多い。このレースはフルマラソンの部だけで、ハーフマラソンの部は無いんだけど、中間点の平和祈念公園で勝手に止めるランナーがとっても多いらしい。最初からハーフマラソンしか走る気がない人が多いのだ。

(ヤイ)「じゃあ、取りあえずスタートして、様子を見ながら考えましょう」

スタートはブロック別になっており、早い順だと思うが、私と支部長はGブロックだが、ピッグはFブロック、ヤイさんはHブロックだ。

(幹事長)「何なん?このブロック分けは?申告タイム順?」
(支部長)「特に申告した覚えは無いなあ」


まとめてグループエントリーした支部長は記憶に無いと言うが、我々の記憶は全くアテにならない。だとしても、わざわざ4人を異なるタイムで別々に申告したとは思えない。どういう意味なんだろう。どうせタイムはネットで計測してくれるし、それほどムキになって前方からスタートする必要はないが、4人がバラバラでスタートするのは寂しいぞ
スタート地点への集合は8時20分までで、それに遅れると最後尾からのスタートとなる。一方、手荷物預かりは8時30分まで受け付けてくれる。

(支部長)「おや?手荷物預かりは有料ってなってるよ」
(幹事長)「なんやてっ!?手荷物預かりが有料のマラソン大会なんて聞いたことないぞ!」


手荷物預かりが無いマラソン大会はいくらでもあるが、有料の手荷物預かりってのは聞いたこと無い。参加費が安い大会とは言え、前代未聞だ。でも、パンフレットを良く見ると、無料の手荷物置場は別にあった。誰も管理していないので盗まれ放題だが、貴重品を入れてなければ盗む人もいないだろう。スタートとゴールが異なる徳島マラソンなんかを例外として、我々が出場するほとんど全てのマラソン大会では手荷物は自己責任でその辺りに置いておくだけだから、同じ事だ。手荷物置き場の場所を探すのに、また一苦労で、道に迷いながらなんとかたどり着いた。手荷物置き場はテントになっていて、中には棚がズラッと並び、勝手に荷物を置くシステムだ。受付で貰ったビニール袋に入れてると誰の荷物か分からなくなるので、4人の荷物をひもで結び合って棚に置く。

トイレは数多く用意されているので、それほど並ばずに最後のトイレを済ませた。まだまだスタートまで時間はあるが、ぼうっとしてても仕方ないので、スタート地点に移動する。3万人もの人が参加する大きなレースなので、整列場所も広大で、ものすごい数の人がぎっしりと詰まっている。ピッグやヤイさんと分かれ支部長と2人でGブロックに行くと、もう最後の方だった

Gブロックの最後尾に並ぶ幹事長


8時20分を過ぎたが、いつになっても整列せずにフラフラと歩いている選手がたくさんいる。その辺に座り込んでピクニックを続けている人だっている。最初から完走しようなんて思ってなくて、適当に行けるところまで行けば良いから、スタートも最後尾からでいいやって思っている参加者かもしれない。スタート時間になったとしても、最後尾のランナーが走り出すまでには30分はかかるだろうから、最後でいいやって思ってるランナーには、まだまだ時間はたっぷりあるのだ。
スタートまでまだ1時間近くもあるので、我々も本当なら芝生の上に座って待ちたいところだが、最後尾からのスタートは避けたい。なぜなら、この大会の制限時間は6時間15分だが、それはグロスタイムなので、スタートに30分もかかっていたら、ネットタイムでの制限時間は5時間45分になってしまう。もちろん、普通のマラソン大会なら5時間をオーバーすることはないから、どうでもいいんだけど、このマラソン大会はどこに魔物が潜んでいるか分からないから、リスクはできるだけ小さくしておかなければならない。一昨年、3時間8分という驚異的なタイムを叩きだした小松原選手でさえ、去年は4時間半もかかったくらいだから、何が起きるか分からないのだ。

一緒にGブロックに並び時間を持て余す支部長


場内アナウンスでスタートの合図が聞こえたから、いよいよスタート時間になったみたいだ。だが、当然ながら我々の集団が動き始めたのは、しばらく経ってからだ。しかも、ソロソロと歩き始めただけだ。それでも歩き始めると、テンションは上がってくる。
相変わらず天気はイマイチで、雨が今にも降りそうだ。でも、風は無いし気温もちょうど良くて暑くもなければ寒くもないから、やる気が満ちてくる。
どこまで行くんだろうって思いながら歩いていくと、そのうち公園から出て、広い道路に出た

(支部長)「たぶん、もうすぐスタート地点やと思うで」

なかなかスタート地点が分からずに戸惑っていたが、ようやくスタートのゲートらしきものが見えてきた。


〜 スタート 〜


スタートのゲートらしきものの辺りにスタートラインらしきものが何本も引かれてあって、どれがスタートラインなのか分かりにくかったけど、取りあえずスタートしたらしい。スタートの合図が聞こえてから10分ほど過ぎている
スタートラインを越えると、なんとか走り始めることができたが、ランナーの数が多いからスタート直後はものすごい混雑で渋滞がひどく、走り始めたとは言っても、超スローペースだ。でも、ウォーミングアップなんかを一切しない我々にとっては、序盤のスローペースがウォーミングアップ代わりなので焦ってはいけない。
とは言え、あまりの渋滞に、少し焦る。トンでもなく遅いランナーがたくさんいるのだ。普通のマラソン大会なら、最近は割と厳格にタイム順のスタートとなっているため、正直に申請して並んでいれば、前には遅いランナーはおらず、周囲は自分と同じようなペースのランナーばかりで、最初からストレス無くスムースに走れる。しかし、このマラソン大会のブロック分けは不可解で、我々より前にものすごい数の遅いランナーがいる。いくらなんでも遅すぎてぶつかりそうになるし、歩いているのと変わらないので、仕方なく右へ左へ移動しながら遅いランナーを抜いていく

そうこうしてると、1km地点の距離表示があった。超スローペースなのは分かっているが、時計を見て改めてびっくり。なんと7分近くかかっている。すると一緒に走っている支部長が言う。

(支部長)「距離表示の少し手前が1km地点やったな」

支部長はGPS付きの腕時計をしているため、走った距離が正確に計測できるのだ。距離表示がいい加減なマラソン大会は多く、そういう時はGPS付き腕時計が威力を発揮する。ただ、今日の場合は、距離表示がいい加減というより、我々がスタートラインだと思って時計のスイッチを入れた場所が、実はまだスタートラインの手前だったのだろう。スタートラインらしきものが何本も引かれてあったため、間違ったのだろう。

1km地点を過ぎると、いよいよ国際通りに入っていく。去年は出場を断念してトボトボと宿に帰る途中に、国際通りで大勢のランナーが走っていくのを見て情けない思いをしただけに、今年は国際通りのど真ん中を颯爽と走るのが大変気持ちいい。沿道からは大勢の観戦者が声援を送ってくれる。

国際通りは1km以上続くが、我々の宿の近くに2km地点の表示がある。そこでタイムを確認して、再び、びっくり。さきほどとほぼ同じで、7分近くかかっている。最初の1kmはもしかしたら距離が長かったのかもしれないが、この1kmはきっちり1kmのはずだ。それなのに7分近くかかっているなんて、こら、どうしたことだ?
やはり混雑のせいなのか?同じように3万人規模の東京マラソンや大阪マラソンは大都市なので道の幅が広く、ランナーは多いけど、ここまで混雑はしてなかった。那覇の道はそこまで広くないから、まだまだ大混雑が続いているのだ。でも、まあ仕方ない。ここで焦って、さらに右へ左へ移動しながら遅いランナーを抜いたところで、それほどタイムが縮まる訳でもない。フルマラソンの場合、終盤のペースダウンをどこまで食い止めるかがポイントだ。ここで無理して無駄に体力を消耗して終盤に撃沈したのでは意味がない。て事で、辛抱強く大混雑の中を進んでいく。

国際通りを抜けると道は右折し、ちょっと進んでさらに右折する。その後も何度も道を曲がるため、今どの辺りを走っているのか皆目見当がつかなくなる。ものすごくザッとした地図しか頭に入れてないため、先が見えないから不安になってくる。頭に入っているのは、20kmほど走ったら島の南の海岸線に近くなるっていう程度だ。しかも、海岸線に近づいても海は見えないと言うし、目標が見あたらないコースだ。取りあえず、まだまだ市街地なので沿道の応援は多く、賑やかな雰囲気だ。

まだまだ大混雑は続いているが、徐々に少しだけマシになって走りやすくなったような気がし始めた。そのため、3km地点から5km地点のラップは、なんとか6分半くらいになっていた。もう少し上げられれば4時間半ペースになる。もう少し待てば走りやすくなるかもしれない。
5km地点を過ぎてしばらく進むと最初の給水所があった。相変わらず空は曇っていて、そんなに暑くはないが、こまめに給水はしておく。

水を飲んで少しスッキリしてスピードアップを期待したんだけど、その後は再び徐々にタイムは悪くなっていく。おかしい。なんとなくスピードが出ない。一緒に走っている支部長はもちろん、周囲の他のランナーも同じようなペースなので、特に焦りは無いが、いつまで経ってもスピードが乗らない。支部長には「前半は徹底的に抑えて走るように」と厳しく指導しているから支部長は無理して抑えて走ってるんだろうけど、私は無理して抑えているんじゃなくて、結構ギリギリで走っている。まだまだ混雑はしているが、それより自分の元気がイマイチで、追い抜いていくのがしんどい。10km地点では遂に再び1km7分ちかくまでラップが落ちていた。ここまでのタイムを4倍したら、まだギリギリ4時間半はクリアできるが、このままペースが落ちなければ、という前提なので、簡単ではない。

沿道には、まだまだ途切れることなく大勢の地元の方々が声援を送ってくれている。バンドの演奏も多い。たいていは中高年のおっさんのバンドだが、演奏はしっかりしてて楽しい。小さい子供の声援もとても多い。小豆島や高知の山の中のマラソンでは、応援してくれている人の大半はおじいちゃんおばあちゃんで子供は少ないから、子供が応援してくれているのは嬉しい。
公式の給水所は数kmおきにあるが、給水所と給水所の間にも、地元の方が設置してくれた私設エイドがいくらでもあるし、ちゃんとしたエイドでなくても、応援してくれている人がコップに入れた飲料やお盆に入れた食べ物を差し出してくれるので、もう公式の給水所を気にする必要は無くなった。喉が乾いた時に水分をもらって飲めばいいし、甘い物も塩分も欲しいときにもらうことができる。とても素晴らしい環境だ。

10km地点を過ぎると、いよいよ上り坂が現れた。最初の坂はすぐ終わったが、11km地点を過ぎるとかなり急勾配の坂が現れた。そのため12km地点で見たラップは7分を大きくオーバーしていた。いくらなんでも遅すぎるので、焦ったが、上り坂はそんなに長くは続かず、穏やかな下り坂となった。頭に入っているものすごくザッとした地図では、10km地点辺りから中間点の20km地点辺りまで上り坂が続くっていうイメージだけど、そんな単純なものではなく、結構アップダウンはあるみたいだ。
下り坂になると当然ながらタイムは少し良くなるが、上り坂になるとたちまち悪くなる。結局、10km地点から15km地点まで平均で1km7分ほどかかった。いくら上り坂基調とは言え、そんなに大した坂ではないし、まだまだ前半だ。それなのに、ここまでタイムが悪くなってるって事は、今日は調子がとても悪いってことだろう

(支部長)「分からん人やなあ。だからそれは不調なんじゃなくて歳のせいなんやってば」

支部長の言葉は無視するとして、原因を考える。まず思いつくのは風邪の影響だ。まだ体がしゃんとしてないのかもしれない。もう1つ思いつくのは疲労だ。1週間前のタートルマラソンの疲れも残っているし、その後も距離は短いものの毎日ランニングしたため、疲労がすっかり抜けた状態ではないのだ。どっちにしても、今さら仕方ないことだけど。

その後も丘陵地が続き、とても緩やかだけどアップダウンの道が続く。とても緩やかな傾斜なので大したことはないんだけど、なんとなく市街地のフラットな道より足に堪える。天気は相変わらず曇り状態で、暑くはないんだけど、かなり汗はかいているし、エネルギーも涸れてきたような気がするので、沿道の方々が差し出してくれるお菓子なんかをもらう。支部長の話では、去年は猛暑のため給水が足りなくなり、ランナーの暴動が起きかけたとのことだったが、今年は暑くないからそんな事もなく、どこでもらっても冷えた水を飲むことができる。元気な時なら水をもらう時もスピードを緩めずに走るんだけど、かなり疲れてきているので大きくスピードダウンして水をもらう。そんな事をしているからか、その後も徐々に着実にタイムは悪くなっていく。

そして遂に18km地点あたりから本格的な長い上り坂が始まった。傾斜は大したことないんだけど距離が長い。たぶん中間地点まで続くんだろう。そして19km地点を過ぎた辺りから傾斜がきつくなってきた。もちろん、きついと言ったって、北山林道駆け足大会や酸欠マラソンや龍馬脱藩マラソンと言った夏場の山岳マラソンの激坂に比べたら遙かに緩やかな坂だけど、一気にスピードダウンしてしまう
最近、こういう事が多い。以前なら頑張ってガンガン上って行けた坂がきつくて一気にスピードダウンしてしまうのだ。酸欠マラソンやタートルマラソンでも、序盤の上り坂で明らかにペースダウンしてしまい、周囲のランナーから取り残されてしまった。敢えてペースを抑えてるのではなく、力が入らないから遅れてしまうのだ
そして、他のランナーはともかく、なんと支部長にも遅れを取り始めた。北山林道駆け足大会や龍馬脱藩マラソンの再現だ。何が衝撃かと言って、支部長に上り坂で負ける事ほど衝撃的な事は無い。支部長は上り坂には極端に弱く、逆に下り坂区間は異常なまでに速いので、レース全体としては支部長に負ける事はある。しかし、いくらこっちが絶不調のどん底で喘いでいると言っても、上り坂で支部長に負けるなんて、以前ならあり得なかった異常事態だ。しかし、上り坂で支部長に負けるのも、今年は北山林道駆け足大会と龍馬脱藩マラソンに続いてもう3回目なので、諦めの境地だ。ここで無理して頑張って、終盤で潰れたら元も子もない。って事で、支部長を追うのは諦めた

苦しみながら上っていくと20km地点があり、この1kmはなんと8分を大きくオーバーしていた。どうりで支部長にも負ける訳だ。あまりにもひどいペースだ。
その後もまだ上り坂は続いたが、しばらく進むと、ようやく上り坂は終わり、道はいきなり下り坂となった。久しぶりの下り坂なので、嬉しくなって思いっきりガンガン大股で走る。って自分では思いながら走ったんだけど、同じペースで走っている周囲のランナーを見る限り、そんなにガンガン走れている訳でもないので、大してペースアップできている訳ではなさそうだ。

21km地点を過ぎるとすぐに中間地点の表示があり、なんとか半分走った事が分かり、ホッとする。この疲れ具合からすれば、完走できるかどうかも不安だが、取りあえず半分は来たし、もう上り坂もないはずだから、一安心だ。ここまでのタイムを2倍すると、4時間半は完全に不可能な領域になっているが、まだ5時間はかからない。もうこの後は上り坂も無いし、なんとか1km7分のペースで走れれば最低限の目標はクリアできる。

中間点を過ぎると平和祈念公園てのがあり、ここが第一制限地点になっている。つまり最初の関門だ。ここには公式のエイドもあり、とても賑わっている。色んな食べ物が支給されているようだ。ものすごく気になったが、最低限の目標である5時間のクリアも不透明になってきているので、ここは我慢してパスすることにした。
そのおかげもあり、22km地点で見たラップは、久しぶりに大幅に良くなっていた。この調子で走れれば5時間は切れる。

と思ったんだけど、なんとその後は再び緩やかながらも上り区間となり、一気にペースダウンしてしまう。上り坂は1kmほどで終わり、再び下り坂となったが、もう力が尽きかけていて、下り坂だというのに24km地点で見たラップは1km7分だった。そして、その後は再び上り坂が現れた。上り坂はもう無いと思っていたのに、次から次へと現れるので精神的にくじかれた。ものすごく緩やかな傾斜だけど、力が尽きかけた今となっては激坂に感じられ、足を引きずるように走る。て言うか、もう走っているとは言えなくなってきた。ペースも極端に落ちたし、そもそも常にどちらかの足は地面に着いている状態だから競歩の世界に入ってしまっており、走っているとは言えない状態だ。

トボトボと走っていたらひめゆりの塔の表示が出てきた。おかしいなあ。ひめゆりの塔なら、だいぶ前に通り過ぎたはずだ。ものすごくザッとした地図しか把握していないとは言え、頭が混乱してきた。後から調べてみたら、なんと、私が今までひめゆりの塔だと思っていた大きな塔は、だいぶ前に通り過ぎた平和祈念公園にある沖縄平和祈念堂だった。今まで沖縄には何度も来てて、ひめゆりの塔も何度も見ていたつもりだったけど、それは沖縄平和祈念堂だったのだ。勝手に勘違いしていた。そして、ひめゆりの塔はなんと高さ数十cmしかない小さな記念碑なのだった。知らなかった!
それはどうでもいいとして、混乱した頭でトボトボ走っていたら、25km地点で見たラップは1km8分を大きくオーバーしてしまった。もう5時間切りすら危うい事態だが、それどころか走り続けるのが辛くなってきた。以前、よく失敗していたパターンは、序盤から飛ばし過ぎて終盤で足が痛くなって歩き始めて惨敗するというものだ。しかし今日は足が痛くなった訳ではない。2ヵ月前の龍馬脱藩マラソンでは、足は痛くはならなかったが、終盤、足が攣ってしまって走れなくなって空前絶後の大惨敗となった。しかし今日は足が攣る気配は無い。また呼吸がしんどい訳でもない。心肺的には何の問題も無い。なんだか体全体がしんどいのだ。しんどくて走り続ける気力が無くなったのだ

マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、自分で「もう走れないかなあ」なんて思い始めたとたん、本当に走れなくなってしまう。逆に精神力で復活することもある。4年前の徳島マラソンでは、足が痛くなってトボトボ歩いていたら支部長に追いつかれ、それで気合いを入れ直したら痛みがスッと消えて無くなり、その後は順調に走れた。今年の京都マラソンでも、23km過ぎに早々に体全体に疲労を感じてしまい、もう完走できないかもしれないなんて弱気になって歩き出そうとした瞬間に亀ちゃんに会い、励まされながら一緒に走ってもらったおかげで最後まで歩かずに完走できた。さらに、つい1週間前の瀬戸内海タートルマラソンだって、中盤に目標を失ってチンタラ走っていたら國宗選手に追いつかれ、一気に気合いを入れ直してレースを立て直すことができた。このように、自分で力尽きかけたと思っても誰かの助けがあれば一気に盛り返す事ができる。しかし、今日は救世主の亀ちゃんも國宗選手もいない。ピッグとヤイさんはスタートブロックが違うため、全く姿は見えないし、唯一、一緒に走っていた支部長の背中も見えなくなってしまい、誰も救ってくれる人がいない。こうなると、なんの歯止めも無くなり、なんとか25km地点を越えた途端に遂に歩き始める

当たり前だが、歩くと楽だ。いったん歩き始めると、もうなかなか走り出す事はできない26km地点まで歩き通しとなった。どれくらいのラップかと思って時計を見たら、1km12分近くかかっている。時速5kmか。ま、そんなもんだろう。ここまでのタイムは3時間ちょっとだから、残りを1km7分で走れれば5時間は切ることができるが、既に歩いている現状を考えると、絶対に無理だろう。逆に、このまま歩き続けたら制限時間内での完走(完歩?)が危なくなってしまう。さすがに、それはマズイ。て言うか、制限時間で完走できなければ、あの空前絶後の大惨敗を喫した龍馬脱藩マラソンよりタイムが悪くなってしまう。累積の標高差が900mもある大山岳マラソンの龍馬脱藩マラソンより悪いだなんて、もうマラソンは止めなければならない事態だ。
なーんてボウッと考えながらも、一度歩き始めたら、なかなか再び走り始めるのは難しいため、26km地点を過ぎても惰性でダラダラ歩いていた。すると突然、小さな可愛い女の子が近寄ってきて、満面の笑顔で
(女の子)「頑張ってぇ!」
って言いながら飴玉をくれた。普段の小豆島や高知の山の中のマラソンと違って高齢化が進んでいない沖縄なので、最初から沿道にはたくさんの小さな子供達が応援してくれていたが、トボトボ歩いていたる私にわざわざ近寄ってきて励ましてくれるなんて、今まで経験したことが無い。これには大感激だ。彼女の可愛い笑顔を見たら、暗い顔をして歩いてた私の顔も一瞬にして笑顔になり、爆発的な元気が沸いてきた。あんな可愛い小さな女の子に励まされたら走らざるを得ないじゃないか!
て事で、再び走り出す。ペースは極端に遅いままだが、それでも歩くのと走るのでは全然違う。どんなに遅くても走っていれば、そこそこのスピードにはなる。そして28km地点を過ぎると下り坂になり、久しぶりに気持ち良く走れ、29km地点でのラップは1km7分くらいにまで回復した。

でもそれは下り坂だったからこそのペースアップであり、フラットな区間になるとすぐにペースダウンした。それでも、なんとか走り続けていると、おや、あれに見えるは支部長じゃないか!よく目立つ蛍光色のTシャツを着ているから、すぐ分かったが、だいぶ前に置いて行かれてしまい、その存在すら忘れていた支部長が道端で屈伸しているのだ。

(幹事長)「どしたん?足が攣ったん?」
(支部長)「まだ攣ってはいなんやけどなあ」


だいぶ苦しそうだ。私も再び限界に来ていたので、立ち止まってしばらく様子を見る。支部長がなんとか走れそうになったので、一緒に走り始める。かなりのスローペースだが、今となっては走り続ける事だけが重要だ。救世主が現れた訳ではなく、逆に私が支部長の救世主になった形だが、どっちにしても孤独に走っているより誰かと一緒に走っている方が励みになる
その後は二人して超スローペースで走ったり、時々力尽きて歩いたり、の繰り返しで、30km地点から35km地点辺りまでは1km9分前後というアホみたいなスローペースで進む。時々歩きが入るので仕方ない。去年、支部長がリタイアした34km地点辺りは、全くアップダウンの無いフラットな区間なんだけど、直線コースが3km以上も続き、精神的には辛い区間だ

(幹事長)「去年のリタイア地点を過ぎて、一応、去年のリベンジは果たせたな?」
(支部長)「ここまで来たらリタイアは無いわな」


制限時間まではまだ100分以上あるから、残り8kmをベタ歩きしても制限時間内にはゴールできるから、もうリタイアする必要は無い
ところが、その安心感からか、支部長が再び立ち止まる。足が限界に達したようで、しばらく休みそうだ。私はまだなんとか足が動くので、そのまま走り続ける。コンスタントに1km8分を大幅に上回る超スローペースだが、ここまで来れば苦しいながらもやる気が沸いてきて、歩きたいとか歩こうとかいう気持ちは消えてなくなり、頑張って走り続けられる。途中で話しに聞いていたチキンラーメンのエイドなんかもあり、ものすごく興味をそそられたが、そんなところでチキンラーメンなんか食べたら吐きそうだし、もう二度と走れなくなりそうなのでパスする。
そこからもしばらくは、ほぼフラットな区間が続くが、遂に雨が降り始めた。雨と言っても、まずは霧雨ような小雨だが、もっと降り出したら嫌だなあという不安が出てくる。頑張って走っているとは言え、ペースが遅いので体の発熱は乏しく、雨が降り出すと寒くなってくる。でも、まだビニール袋を被るほどではない。本降りになる前にゴールしたいという気持ちも沸いてきて、精神的には頑張る材料が出来た。

雨脚は徐々に強くなるが、それでもそんなに寒くはないので、ビニール袋は被らない。那覇空港の側に近づいた38km地点辺りから小さなアップダウンが現れるが、大した坂でもないので、それほど辛くはない。それより雨の方が心配で、早くゴールしたい気持ちが強い。
モノレールの赤嶺駅の辺りに40km地点があり、いよいよゴールが近づいてきた。この辺りが坂のピークで、ここから最後の下り坂になるため、久しぶりにスピードアップして走る。そして41km地点を過ぎると、ゴールのある奥武山公園が近づいてきた。下り坂で一気にスピードアップしたので、その勢いのまま、一気にゴールまで駆け抜けよう!
なーんて思って最後に競技場に入ったら、なんと、トラックは泥の海じゃないか!トラックは土だったので、雨でぬかるんでいるのだ。距離の短い内側のコースは泥の海状態なので、みんな距離が長い外側のコースを選んで走っている。外側のコースだってぬかるんでいるので、みんな泥まみれにならないようにソロソロと走っている。どうせ悲惨なタイムに変わりはないので、私もタイムは無視して水たまりをよけながらソロソロと走ってゴールへ向かった


〜 ゴール 〜


何はともあれゴールした。一応、完走はできた。レース全体を通して、そんなに頑張れた訳ではなく、中盤はダラダラ歩いたりしたが、終盤は精神的に持ち直して、34km地点から後はなんとか頑張って走り通したので、足はかなりの疲労感を感じる。あんまり、もう歩きたくない。その辺に座り込んで休みたい。でも、ほとんど止みかけたとは言え、まだ小雨がパラついているので、座り込んで休むのは諦めて、記録証をもらいに行く
分かっていた事だが、惨憺たるタイムだ。なんとか完走はしたものの、当初狙っていた4時間半に比べて1時間近くも遅かった。もう考えられない惨敗だ。最低限の目標である5時間にすら、遙かに遠く及ばない惨敗ぶりだ。標高差が累計で900mもある龍馬脱藩マラソンを除けば、空前絶後の大惨敗だ。密かに4時間半を狙っていただけに、絶望感は大きい。
アップダウンがあるとは言え、奈良マラソンなんかと比べたら大したことないし、コンディション的にも今日は暑くも寒くもなく風も無く、何の理由も見つからない。敢えて探せば、まだ風邪が全快していないって事と、1週間前のタートルマラソンや日頃の練習の疲れが抜けてなかったことくらいだ。しかし、それは言い訳くさい。本当の理由は何なんだろう。支部長が言う通り、やはり歳のせいなんだろうか。

打ちひしがれながら、陸上競技場を出て、荷物置き場へ荷物を取りに行く。この公園の中は、本当に地理が分かりにくく、案内の表示は無いし、地図もほとんど無いから苦労する。元気なときなら良いけど、足が疲労の極限に達して歩きにくくなっており、足を引きずって歩くのが本当につらいから、できるだけ最短距離を歩きたい。なんとか苦労して、ようやく手荷物置き場に着いたかな、なーんて思ったら、なんと、さっき出てきた陸上競技場に戻っていた。もう怒りは頂点に達した。何に対する怒りかと言えば、手荷物置き場の案内表示を設置しない事務局に対してだ。
一人で怒ってても事態は良くならないので、仕方なく再び歩き始め、なんとか手荷物置き場に着いた。手荷物置き場に着いて、びっくり。ピッグは早々にゴールしているだろうとは思ったが、なんとヤイさんの手荷物も既に無くなっていて、私の荷物と支部長の荷物だけが残されている。まさかヤイさんも既にゴールしてるのか?まさか?
手荷物置き場で着替えようかとも思ったが、足は痛いし体は疲れているので、着替えることすら面倒で、そのまま荷物を担いでモノレールの駅に向かう。元気な時ならどうってことない道のりだが、疲労困憊して足が痛くなった状態で駅まで行くのは、またまた大きな困難の道だった。ますます怒りが沸いてきた。もう対象の無い怒りだ。

なんとか壺川駅が見えてきて、公園と駅を結ぶ橋を見ると、駅へ向かうランナーと同じくらいの数のランナーが橋を渡って公園に入ってくる。いったい何事なんとかと思ってみている、リタイアした人たちだった。リタイアした人を運んできたバスが駅の横で停まって降ろしているんだけど、リタイアした人の数の多いこと多いこと。2人に1人がリタイアした去年と違って、今年の天候ならリタイアした人は少ないだろうと思うんだけど、それでもすごい数の人がリタイアして戻ってくる。やはり最初から完走するつもりの無い人がたくさんいるんだろうなあ。

橋を渡って駅を上り、なんとかモノレールに乗り込むと、奇跡的にシートに座る事ができた。となりに座っていた女性が「走ったんですか?」って聞いてきたので、しばらくお話しする。彼女は赤嶺駅の辺りで応援していたとのことだ。彼女とお話ができたので、足の痛みも忘れてあっという間に牧志駅に着き、宿へ向かう。
雨はなんとか止んだけど、足が痛くて悲しい気持ちでトボトボ宿へ向かっていると、こんどは店先のおじさんがジェスチャーで「走ったの?」って聞いてきたので、少しお話しする。「なんとか完走できました」って言うと、拍手してくれたので嬉しくなって、少し元気が出た。走っている時の沿道の声援もありがたかったが、レースが終わってトボトボ帰る途中でも、このように元気づけられて本当にありがたかった。沖縄の人たちは本当に良い人が多いなあ

宿に帰ると、当然ながらピッグとヤイさんが帰っていた。ヤイさんは、肉離れは悪化しなかったんだけど、肉離れの治療のために1年近く走ってなかったため、途中で走れなくなったんだそうだ。さすがの鉄人ヤイさんでも、練習無しでフルマラソンを完走するのは無理だったようだ。それで中間地点で諦めてリタイアしてバスに乗って帰ってきたんだそうだ。

(幹事長)「それやったら去年みたいに歩いて帰ってきたら良かったのに」
(ヤイ)「制限時間には間に合いそうになかったし、歩いて完走するのは一度で十分ですよ」


ヤイさんの話によると、ヤイさんは本当に限界が来て中間点でリタイアしたんだけど、他のランナーを見てると、まだまだ元気そうなのに、中間点になったとたんにあっさり止めてリタイアする人がとっても多かったそうだ。最初からフルマラソンを完走しようという気はなく、ハーフマラソンのつもりで参加している人たちらしいとの事だ。どうりで完走率が低いはずだ。今年の完走率は69.7%で、53%だった去年よりはマシだったものの、絶好のコンディションでも70%を切るって言うのは、やはり最初から完走するつもりのないランナーが多いって事だろう。
私はタイムとしては大惨敗だったけど、出走者の中での順位は1/3くらいで、完走者の中での順位は1/2くらいだった。あのひどいタイムでも完走者の中でちょうど半分くらいで、リタイアした人も含めれば上位1/3だなんて、やっぱりペースが遅いマラソン大会って事だろうなあ。
一方、ピッグは去年とは打って変わって、まあまあ良いタイムでゴールしていた

(ピッグ)「なんか今日は調子が良かったですねえ」

やっぱり去年と違って今年はコンディションが良かったんだろう。それなのに空前絶後の惨敗をした私は一体どうした事だろう。何が原因なんだろう。
ボロボロになった体をシャワーで洗い流してサッパリして出てくると、支部長が帰ってきていた。あの後も、なんとかあんまり歩かずに完走したそうで、私のタイムとそんなに差は無かった。でも、私と同じく、手荷物置き場に行く道に迷い、同じように怒っていた。


〜 反省会 〜


支部長がシャワーから出てくると、さっそく夕食に出掛ける。まともに食事してないからお腹はぺこぺこだ。外に出ると、またまた激しく雨が降っている。レース中はなんとか小雨で済んだけど、2日連続で夜は雨だ。いかにも南の島らしい天気だ。
今日も雨に濡れないようにアーケード街をうろつき、一軒の居酒屋に入る。この辺りには「せんべろ」というシステムがあるようで、千円でお買い得なメニューが提供される。千円でベロベロになれるっていう意味だろう。入った店では、好きな飲み物3杯と、好きな食べ物1品を選べる。飲み物だけでも生ビールを3杯頼めば、それだけで千円の元は取れるんだけど、さらに私は串揚げ10本セットを頼んだ。ピッグはおでん5本セットを頼んだ。はっきり言って、食べ物はどれもイマイチだったけど、お値段に文句は無い。ただ、疲れ切った支部長は生ビールを1杯頼んだ後はウーロン茶をもらっていた。かなり弱っているようだ。

(幹事長)「それにしても、今日の惨敗の原因が分からない。
       去年と違ってピッグがいつも通りのタイムだった事を考えると、コンディションやアップダウンのせいではない。
       まさか歳のせいなんやろか?」
(支部長)「やっと分かってきたんかな。歳のせい以外の何物でもないがな」


今日の救いは、大惨敗しながらも、なんとか支部長には勝ったということだ。今年は支部長との勝負は、交通事故明けの満濃公園リレーマラソンでは惨敗し、その後の丸亀マラソンでは復活して勝ったんだけど、なぜか徳島マラソンでは大惨敗し、さらに春の登山の怪我の影響でオリーブマラソン北山林道駆け足大会は惨敗し、秋になってからは酸欠マラソン、龍馬脱藩マラソン、タートルマラソン、そして今回の那覇マラソンと4連勝した。トータルで5勝4敗だから良い勝負だ。この中で注目すべきは龍馬脱藩マラソンと那覇マラソンのフルマラソン2戦だ。どちらも空前絶後の大惨敗を喫したんだけど、支部長も同じような惨敗ぶりで、2戦ともかろうじて逃げ切ったものだ。私だけでなく支部長も惨敗傾向なのだ

(幹事長)「つまり支部長も歳のせい?」
(支部長)「そやで。私はもうフルマラソンで5時間は切れないと思っている」


なんと、早くも悟ってしまったのか。私はまだまだ諦めきれず、自己ベストを出したいなんて思っているのに。
お腹もいっぱいになったので、早々に店を出た。まだまだ時間が早かったから商店街は賑わっていて、宿に向かう途中でヤイさんと私はお土産に版画を買った。
宿に帰ると、みんな疲れ切ったので、今日も早々に寝床に入った

(ヤイ)「って、まだ8時ですよっ!子供でもまだ寝ませんよっ!」
(支部長)「いやいや、明日の朝は早いから、もう寝ます」


明日は自転車をレンタルしてサイクリングするんだけど、一応、店には7時に行くと言ってある。宿から自転車屋まで15分はかかるだろうから、今朝以上に早起きする必要があるのだ。とは言え、さすがにまだ早いだろうと思ったけど、今日も支部長はあっという間に眠りについてしまった。



翌日からの話は、「自転車部の活動」のコーナーに掲載されている「沖縄サイクリング」の記事を読んでね。

(ピッグ)「読んでね、って言ってますけど、記事が見あたらないんですけど」
(幹事長)「すんません。急いで書きますぅ」


〜おしまい〜




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