第38回 瀬戸内海タートルマラソン大会
2017年11月26日(日)、小豆島において第38回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催された。
(ピッグ)「記事の掲載が早いですね!」
(幹事長)「1週間後には那覇マラソンが迫ってるからな」
(ピッグ)「それはいいとして、3週間前の佐田岬半島縦断サイクリングの記事が出ませんけど、もう書かないんですか?」
(幹事長)「もちろん書くつもりやけど、何かと忙しくて時間が取れないんよ」
(ピッグ)「あれ?むちゃくちゃヒマになったんじゃないんですか?」
(幹事長)「その予定だったのに、ほんと忙しくて」
佐田岬半島縦断サイクリングは久しぶりの自転車部の活動だし、既に3週間も経っているので、早く書かなければならないとは思ってはいるんだけど、やはりマラソンクラブとしてはマラソン大会の記事が最優先だ。とにかく1週間後に迫ってきている那覇マラソンは一大イベントなので、それに備えるためにも、タートルマラソンごときの記事はさっさと済ませなければならないのだ。
(ピッグ)「今『ごとき』って言いましたか?」
(幹事長)「聞き間違いやな」
私の中では一番由緒のある瀬戸内海タートルマラソンをバカにする訳がない。瀬戸内海タートルマラソン大会は私にとっては初めて参加したマラソン大会であり、私のマラソン大会の原点と言える、一番愛着がある大会だ。初めて参加したのは、22年も前になる1995年の第16回大会だ。
(ピッグ)「その記事も無いですね」
(幹事長)「まだペンギンズを結成する前の話やからな」
その頃、一人でジョギングなんかしてたんだけど、ふと、何かマラソン大会に出てみたいなあなんて思った。でも、当時はマラソンブームが起きるはるか以前の事で、ジョギングする人だって滅多にいなかったから、全国的にもマラソン大会は数が少なく、たまにあっても、出場するのはマニアックな人ばかりという状況だった。ところが、ある日、テレビを見ていたら、このタートルマラソン大会のCMが流れていて、「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて言ってるので、ついフラフラと軽はずみな気持ちで申し込んでしまったのが最初だ。申し込もうと思い立ったとき、実は既に申し込み受付期間は過ぎてたんだけど、主催者の瀬戸内海放送まで訪ねて行ったら、簡単に申し込むことができた。今みたいに、申し込み受付スタートと同時にパソコンのキーを叩いて1秒を争ってネットで申し込みしないとエントリーすらできないという末期的な状況からは考えられない古き良き時代だ。当時、私のような素人が誰かから誘われた訳でもなく一人でマラソン大会に出るなんて事は、珍しかったと思うので、初心者大歓迎だったのだろう。
当時はタートルマラソンってことで年齢制限があり、35歳以上でないと出場できなかった。だから30歳代後半で出た私なんかは若手の部類だった。
(幹事長)「それが今じゃ堂々たるタートルランナーじゃ!」
(ピッグ)「それは単に遅いっていう意味ですか?」
(幹事長)「そんな事は決してないぞ」
30歳代で出場し始めた頃は、なんとハーフマラソンの部で2時間の壁を破れずに苦労していた。2時間を切ったのは40歳代になってからだ。さらにこの大会の大会自己ベストを出したのは50歳代になってからだ。ちなみに40歳代の初め頃からフルマラソンの部にも時々出ているが、フルマラソンの部で5時間を切ったのも50歳代になってからだ。
順位を見ても、22年前の初出場の時は男子35〜49歳の部で585人中408位と、かなり後ろの方だった。「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘惑していたが、マラソンブームなんて起こるはるか以前の事だから、実際に出場していた人の大半は経験豊かな速いランナーで、ド素人の私なんか蹴散らされていたのだ。それが今では、だいたい上位1/4くらいには入るようになった。
(支部長)「それは単に遅いランナーが増えたからやな」
当時に比べれば少しは早くなったとは言え、順位が良くなった理由は、異常なまでの熱狂的なマラソンブームのせいで初心者の参加者が激増したことにより、我々の相対的順位が上がっているだけだ。
(支部長)「なんとなく自分達の実力が上がったように錯覚するけど、決してそうではない」
(幹事長)「そやな。こないだの龍馬脱藩マラソンのフルマラソンみたいに、実力者しか出ない大会になったら、後ろから数えた方が早くなるもんな」
でも22年前の初マラソン大会は、順位としては後ろの方だったけど感動的なものだった。誰でも参加できる市民マラソン大会を走っているだけなのに、沿道の住民からは熱い応援があり、まるでオリンピックを走る一流選手になったような気分になれたからだ。今思えば、人口が少ない地域の小さな大会だから、もっと大きな大会に比べたら、沿道で声援を送ってくれる人も数も少なかったんだろうけど、他人から声援を受けて走るなんて事は、義務教育を終えてからは初めてだったので、とても快感だった。初めてだったから、ペース配分も何も分からずに走ったため、ゴールしたら足が動かなくなって座り込んだけど、今思えば、あの疲労感も心地よかった。
(幹事長)「今は全力を出し切れなくなったから、どんな大会でも、ゴールと同時に足が動かなくなるなんて事もなくなってしまい、なんとなく余力が残って不完全燃焼感が強いんよねえ」
初めて出たマラソン大会がすごく楽しかったというのは、自分でもラッキーだと思う。ときどき、初めて出たマラソン大会が辛かったから一回きりでマラソンを止めてしまったという人の話も聞くが、とても気の毒だ。私は、初マラソンでマラソン大会に出る楽しさを知ってしまったから、それ以来、病みつきになった。
そして、上にも書いたように、40歳代、50歳代と、徐々にだけどタイムもマシになってきたので、それも励みになった。ところが、さすがにここ数年は、少しずつタイムは悪くなっている。
(幹事長)「これは、もしかしたら老化やろか?」
(支部長)「他に原因は無いやろ?いい加減に自分の老化を認めたら?」
〜 エントリー 〜
この瀬戸内海タートルマラソンは私にとっては最も愛着あるマラソン大会なので、この22年間は、ほぼ毎年欠かさず出ているが、ペンギンズの他のメンバーには、このような思い入れが無いため、以前は参加者が少なかった。しかし近年は丸亀マラソンやオリーブマラソンと同列の四電ペンギンズ公式レースとして出場するのが基本となった。
(ピッグ)「幹事長が出場し始めた頃は、私らは20歳代で年齢制限に引っかかって出場できませんでしたからね」
(幹事長)「君にもそんなに若かった頃があったんか!」
当時、年齢制限があったのは、たぶん、若い人は「ゆっくり走ろう」という趣旨に背いて飛ばすから、排除しようとしたんだろう。
(ピッグ)「そんな事ないんですけどねえ」
(幹事長)「ほんとほんと。私らみんな遅かったもんなあ」
このレースに限らず、だいたいどのマラソン大会の結果を見ても、一般的に35歳以下の若い人達よりは35歳以上の中高年の方がタイムが良い。すごく早いトップクラスの人は若いが多いが、それ以外の一般ピープルを見ると、若い人は、誰かに誘われてフラフラ出場した初心者が多く、遅い人も多いのが実態だ。
(ピッグ)「でもペンギンズは若い人がいなくなりましたねえ」
(幹事長)「今だに君が若手やもんなあ」
若手選手と女子選手は急募だ!
てことで、今年も私のほか支部長、ピッグ、國宗選手、D木谷さん、小松原選手といった代わり映えのしないメンバーがエントリーした。
一方、ヤイさんは数年間から肉離れが頻発し、もう肉離れ状態が普通になってしまっているが、今年は特にひどく、丸亀マラソンの後は、マラソン大会は全てキャンセルしている。
(幹事長)「でも1週間後の那覇マラソンには出るんですよね?」
(ヤイ)「あれだけは絶対に出ます。それに備えて控えてるんですよ」
(幹事長)「ずっとマラソン大会に出てないまま、いきなりフルマラソンはきついですよ。練習がてらタートルマラソンに出るべきですよ」
我々だって、今年を締めくくる大イベントとして、1週間後の那覇マラソンは絶対に完走したいので、このタートルマラソンごときは単なる練習という位置づけでした。
(ピッグ)「今、再度『ごとき』って言いましたよね!?」
(幹事長)「だから聞き違いやろ」
最近のマラソン大会は、本番より、むしろエントリーの方が緊張する。マラソン大会のエントリーは抽選と先着順の2つのパターンがある。大規模で人気も高い東京マラソンや大阪マラソンといった大都市マラソンは、先着順にすると阿鼻叫喚の修羅場になってしまうので抽選方式だ。これだとエントリー自体に焦る必要は無いが、抽選なので出られるかどうか分からないのがもどかしい。て言うか、東京マラソンは10倍以上、大阪マラソンも5倍以上の高い競争率のため、滅多に出られないから悲しい。その点、先着順のエントリーは頑張れば自力で出場権を獲得できるから、個人的には抽選より好きだ。ただ、エントリーするときは、事前にパソコンの前に陣取って待機し、エントリー受付開始時間と同時に1秒を争ってパソコンのキーを叩かなくてはエントリーできない。なので今年のタートルマラソンの申し込みに当たっても、エントリー受付時間になると同時に必死でパソコンのキーを叩いて申し込んだ。
(ピッグ)「この大会は、そこまで必死にならなくても大丈夫ですよね?」
(幹事長)「たぶんな。でも今は何が起きるか分からないから」
たぶん、タートルマラソン大会は、そんなに焦って急ぐ必要はないような気もする。定員は3000人で、最近の大きな大会が10000人規模なのに比べると少ないが、それでも定員いっぱいに達するのは、例年、エントリー受付開始からだいぶ経ってからだ。しかし、以前は当日いきなり行っても出場させてくれたこんぴら石段マラソンのような参加費無料の超マイナーな草レースでさえ、エントリー受付開始と同時に即日完売になってしまうほどの異常なマラソンブームが収まってないので、決して油断してはならない。
そして、エントリーに当たっては、フルマラソンの部にするかハーフマラソンの部にするか、迷わなければならない。香川県内で唯一のフルマラソンである瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは、かつて、徳島マラソンができるまでは近場の貴重なフルマラソンだったので、ときどきフルマラソンの部にも出ていた。ただ、タートルマラソンは坂が多くて厳しいコースなので、フルマラソンに出ると、終盤の上り坂は例外なく歩くという非常に辛いレースになるため、坂が無いフラットな徳島マラソンができてからは、タートルマラソンではフルマラソンの部にはあんまり出ていない。5年前の第33回の時は、ついフラフラと久しぶりにフルマラソンに出たら、空前絶後の惨敗を喫して大会自己ワースト記録をたたき出してしまった。あれで懲りて、基本的にはタートルマラソンのフルマラソンには出たくない。
(支部長)「いや、そういう問題じゃなくて、1週間後に那覇マラソンがあるんやから2週間連続でフルマラソンはあり得ない!」
そうなのだ。去年に引き続いて、今年も僅か1週間後には沖縄の那覇マラソンのフルマラソンに出場するから、タートルマラソンはハーフマラソンで十分だ。十分と言うか、1週間前にハーフマラソンに出るってのは、フルマラソンに備えたトレーニングとして絶好の位置付けだ。
(小松原)「本当はフルマラソンの前週のトレーニングとしてなら10kmの部の方が良いですよ。ハーフマラソンになると疲れが残りますよ」
小松原選手は6年前に初フルマラソンとして那覇マラソンに参加し、すっかりその魅力の虜になってしまい、それ以来、毎年欠かさずに出ているのだが、その直前の調整として、那覇マラソンの1週間前に開催されるタートルマラソンの10kmの部に出ているのだ。確かにハーフマラソンは疲れが残るから、10kmの部の方が良いのかも知れない。でも、私のマラソン大会の原点である瀬戸内海タートルマラソンで10kmの部なんかに出るのは情けないので、せめてハーフマラソンの部は死守したい。
てなことで、私にとっては、今年のタートルマラソンは、あくまでも那覇マラソンの事前調整という位置付けだ。
とは言え、このタートルマラソンはハーフマラソンと言っても決して楽なコースではない。坂が多くて厳しいコースなのだ。そもそも四国なんて山がちだから、丸亀マラソンや徳島マラソンを例外として、大抵のマラソン大会は坂が厳しい。しかし、今年の夏場に連戦した6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の富士登山競走、9月上旬の酸欠マラソン、10月初めの龍馬脱藩マラソンの山岳マラソン4連戦のコースに比べたら、まだマシだ。あんなに過激な坂が延々と続く訳ではない。
それにタートルマラソンは、夏場の山岳マラソンと違って季節が良いせいか、タイムは悪くない。一般的にマラソン大会は秋から春にかけて開催され、特にシリアスなマラソン大会は冬場がメインとなるが、寒いのが苦手な私としては、冬のマラソン大会は嫌いで、今の時期がベストだ。
〜 ドタキャン!なのか? 〜
今年は、と言うか、今年も気象はますます異常になってきてて、極端に暑い日があったかと思ったら、妙に長雨になったりして、しかも10月の下旬になって2週間連続で週末に台風がやってきて、そのせいで庵治マラソンが中止になったりした。
(幹事長)「結局、雨は降ったけど、風は大したことなかったし、絶対に決行できたと思うぞ!」
(支部長)「あれだけ雨が降ったら無理やってば」
9月だって、D木谷さんがこんぴら石段マラソンの前週の丹後ウルトラマラソンに出る予定だったのに台風の直撃で中止になった。
(D木谷)「あの時は絶対に無理でしたね」
そして今回のマラソン大会の1週間前は、今度は異常なまでの寒波がやってきて、北日本は雪で大荒れだった。まさか西日本は関係ないだろうと思って恒例の京都奈良紅葉巡りの帰りに高野山に行ったら、なんと高野山も雪が降ってて、めちゃめちゃ寒くて風邪を引いてしまった。
こんな直前に風邪を引いてしまい、もうドタキャンしようかなあ、なんて少し思い始めた時に國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。徳島マラソンなんて4年連続でドタキャンしてるし。
(國宗)「あのう、済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「今度のタートルマラソンですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話を聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとかでドタキャンするんやろ?」
(國宗)「違いますがな!出ますがな。ただ始発電車に乗っても集合時間には間に合わなくて」
(幹事長)「なんや、そんな事か。わしらが席を取っとくから、船が出るまでに来てくれたらええよ」
てことで、國宗選手が出るのに私がドタキャンしたら、今後、國宗選手がドタキャンしても責められなくなるので、私も風邪をおして出場することにした。
ところが今度は前日になってD木谷さんから連絡が入る。D木谷さんに限ってドタキャンは無いだろうと思ったら、なんとD木谷さんも風邪を引いて寝込んでしまったそうで、出場はかなり厳しいとの事だった。D木谷さんに限って嘘ではないだろう。
(國宗)「まるで私がいつも嘘ついてサボってるみたいな言い方ですねっ!」
(幹事長)「誰もそんな事は言ってないぞ!」
D木谷さんが風邪で欠場するなんて聞くと、とたんに私も弱気になりかけたけど、私の場合は寝込むほどの重症ではないので、取りあえず会場までは行くことにした。
〜 臨時船 〜
レースが開催される小豆島土庄町へは、高松から船に乗っていくんだけど、狂気のようなマラソンブームが到来する前は、楽勝だった。スタート時間の9時30分の直前ギリギリに土庄へ到着する8時20分発の高速船で行けば、全然、待たずにスタートできていた。
(石材店)「着替えるのもやっとで、ウォーミングアップする時間なんて無かったじゃないですか!」
(幹事長)「最近、石材店は来てないから知らないと思うけど、最近はウォーミングアップどころかストレッチすらやらない事にしてるんぞ」
我々のように体力の無いランナーにとってウォーミングアップが百害あって一利無しってのは常識であり、従来から一切やってこなかった。
(支部長)「小出監督から厳しく止められてるからな」
だが最近は、ウォーミングアップに加えてストレッチすら無用という説を信じて実践している。つまり、朝、起きたままの体で、何もせずに自然体で走るのだ。なので港にギリギリに到着する船でも問題は無かった。
ところが昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、高速船に乗るためには、かなり早くから並ばなければならなくなった。8時20分発の前には7時40分発の高速船てのもあるが、いずれにしても高速船に乗るためには乗船の1時間前には並ばなければならなくなった。そんなに早くから並ぶくらいだったら、早めに出発するフェリーに乗るのと変わらない。おまけに、定員を無視してなんぼでも積み込んでくれるフェリーと違い、高速船は定員を厳守するため、長い間、並んだあげく、満席で乗れないなんて事態になれば悲惨だ。てことで、7時20分発のフェリーを利用するようになったんだけど、発狂的なまで盛り上がった異常なマラソンブームのため、定期便のフェリーに乗るのでさえ困難をきたし始め、積み残しが出る事態になった。そのため、3年前から臨時便が出るようになった。
ここで臨時便と聞いて奴隷船と勘違いしてはいけない。奴隷船とは、カリブの海賊の幽霊船のように春の小豆島オリーブマラソンに霧の中から怪しく登場する船だ。オリーブマラソンは坂手港が会場で、高松から坂手港に行く定期便が無いため、臨時船が出るのだ。この臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいているのだ。おまけに、昨今の異常なマラソンブームにより、奴隷船には定員の3倍くらい詰め込まれるという状況になり、ますます厳しい環境で、もはや奴隷船と言うより家畜船になっている。
ただ、この奴隷船は定期便が無い坂手航路にマラソン大会の主催者が運行しているものなので非人道的だが、瀬戸内海タートルマラソンの臨時便は定期便を運航している四国フェリーさんがマラソン大会のために増発する普通のまともなフェリーであり、奴隷船や家畜船のようなものではないので、今年も利用する事にした。
臨時便の出港は朝7時だが、去年の記事を読むと、6時半には乗船開始となっているので、座席に座りたければ、それより早く集合する必要がある。てことで、支部長と私は6時過ぎには港に行って乗船客の列に並び、場所取りする事にした。6時過ぎに港に行くためには、5時には起きなければならないが、老人化が進んできた今日この頃、不可能ではない起床時間だ。
(支部長)「龍馬脱藩マラソンの時は5時に高松を出発したから、それに比べたら楽勝や」
3日前の天気予報では当日は雨だと言っていた。3日前は気温も低く、風も強く、この上、雨が降ったりしたら悲惨で、風邪が悪化するなあ、なんて心配してたけど、前日の天気予報ではお昼頃まではなんとか持ちこたえそうだと言っていた。実際、当日の朝、起きたら、しばらくは雨は降りそうにない。これまでタートルマラソンは、割と天候に恵まれていて、滅多に雨は降らず、この季節にしては暖かい日が多い。雨が降ったのは11年前の第27回大会と昨年の第37回大会くらいだ。7年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されているが、それは気温が高いシーズンの話であり、冷たい雨の中を走るのは嫌だから、今日はなんとか雨が降らないうちにレースを終えたい。
予定通り6時過ぎに港に到着すると、去年と同じように既に支部長が来ていた。港には既に大勢の参加者が来ていたが、その大半は1つ前の6時25分発の定期便に乗り込んでいるので、まだまだ焦る必要はない。しばらく待合所で支部長と待っていたが、そのうち臨時便の乗船口にも列ができはじめたので、二人で並びに行く。まだ6時25分発の定期便に乗れる時間だが、既に臨時便に並んでいる人たちは、我々と同じように仲間のために席を確保しようとしているのか、それとも確実に座るために臨時便に乗ろうとしているのかもしれない。しばらくすると小松原選手も到着した。
去年と同様、6時半になったら乗船が始まり、行列の前の方に並んでいた我々は余裕をもって広いボックス席を確保できた。しばらくすると國宗選手が乗り込んできたが、一向にピッグが来る気配が無い。國宗選手は電車の時間の関係でギリギリに到着するのもやむを得ないが、ピッグは自転車で来るんだろうから、遅れるとしたら寝坊しているか、来る途中で行き倒れているか、のどちらかだ。支部長が心配して何度も何度も電話するが、全然出ない。自転車に乗って走っている最中なら電話も気付かないかもしれないが、もしまだ自転車に乗っているのなら、もう間に合わない時間になってしまった。
(國宗)「もし寝坊しているのなら、奥さんに起こされたりしませんか?」
(幹事長)「こんな早朝にマラソンに行く自分勝手な旦那を起こしてくれる奥さんがこの世に存在するとは思えんな」
(支部長)「絶対にあり得ないな」
遂に7時になって船が動き出し、完全にアウトになろうとした瞬間、突如ピッグが到着した。予想外にチケット売り場に長蛇の列が出来ていてギリギリになったんだそうだ。電話はバッグに入れていて気付かなかったらしい。なんにせよ、かろうじて全員が揃った。
(幹事長)「小松原くんは今年も那覇マラソンに出るんやろ?」
(小松原)「いや、今年は子供が受験で出られないんですよ」
受験は年明けなので12月の那覇マラソンとは被らないが、去年のピッグと同じ状況で、何かと都合が悪くて出られないんだそうだ。
(幹事長)「それやったら今日はフルマラソンに出たらいいのに」
(小松原)「ここのフルマラソンはきついんでしょ?」
(幹事長)「わしは、もう二度と出たくないな」
上にも書いたように、このタートルマラソンはハーフマラソンも坂が多い厳しいコースだが、フルマラソンは同じような坂が2倍続くから、それはそれはとても厳しいコースなのだ。
(小松原)「龍馬脱藩のフルマラソンとどっちがきついですか?」
(幹事長)「そら圧倒的に龍馬脱藩マラソンが厳しい!あれに比べたら全然大したことはない」
いくら瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンが厳しいと言ったって、かつては制限時間が5時間だったけど私でも完走できていたが、龍馬脱藩マラソンを私が5時間で完走できる可能性はゼロだ。
(小松原)「えっ?その程度なんですか?」
(幹事長)「だから小松原選手だったら楽勝だってば」
私らは広いボックス席でゆったり座っているが、周囲には床に座っている人達も多い。ただ、定期便や高速船も多いので、オリーブマラソンの奴隷船のような激混み状態ではない。
船が動き出すと、朝食を食べる。マラソンの前の食事の時間は、ゴール時間から逆算して5時間前が理想だ。今日のハーフマラソンのスタート時間は9時40分なので、11時半頃にゴールするとして、もう食べ始めなければならない。おにぎりは3個持ってきたが、風邪で体調がイマイチなので2個しか食べる気が起きなかった。
(幹事長)「その後、練習はしてる?」
(支部長)「レフコ・トライアスロンはしばらくお休みしていたけど、最近、レフコ・デュアスロンを復活させたで」
レフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、まずプールで泳ぎ、次に自転車マシーンに乗り、最後にランニングマシーンで走るという、1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。単に風呂に入りに行ってる言い訳に過ぎないだろうと最初はバカにしていたが、レフコ・トライアスロンを始めてからと言うもの、あれだけ坂を苦手にしていた支部長が坂に非常に強くなった。以前は坂が多いオリーブマラソンやタートルマラソンに出れば、終盤の上り坂はことごとく歩いていたのに、最近は全然歩かなくなったのだから、明らかに絶大な効果が出ている。ところが最近、ちょっとサボり気味になり、単にランニングだけしてお風呂に入って帰る状態になっていたそうだ。それを少し立て直し、プールで泳いでからランニングマシーンで走るという、1人で2種目をこなすレフコ・デュアスロンをやっていると言うのだ。
(ピッグ)「幹事長はどんなんですか?」
(幹事長)「そんなに調子は悪くなかったんだけど、風邪を引いてしまって台無しや」
最近、割とマメに走っていたので好調だったんだけど、風邪で体がだるいから、今日はあんまり期待できない。でも、しつこいようだが、今日はあくまでも来週の那覇マラソンに向けての調整レースだから、最後までペースダウンせずに走れれば良しとしよう。
〜 小豆島へ到着 〜
1時間ほどで8時頃には土庄港に着いた。港から会場までは1kmちょっとで、送迎バスもあるが、送迎バスに乗るには行列に並ばなければならず、それも面倒だし、歩いても15分くらいで適度なウォーミングアップになるので、いつも歩いていた。ところが去年は雨が激しく降っていたので、歩いていく気が起きず、初めてバスに乗ってみた。そしたら、思った以上にバスは快適だった。
(幹事長)「あんなに楽ちんなんやから、今年もバスに乗ろう!」
(支部長)「大賛成やな」
(ピッグ)「一昨年までは、こんな短い距離をバスに乗るなんてランナーの風上にも置けないって言ってましたよね?」
(幹事長)「最近、認知症が進んで記憶力がゼロで」
(ピッグ)「しかも、これが唯一のウォーミングアップですよねえ?」
(支部長)「ウォーミングアップは小出監督から厳しく止められてるんやってば」
(幹事長)「無駄なエネルギーの消費は限りなくゼロにしなくては!」
バスに乗るためには長い列に並ばなければならないが、この長蛇の列は意外にスムースに進み、あっという間にバスに乗ることができた。そして快適に会場に到着した。
会場に着くと受付をしなければならないが、受付と言ってもゼッケンやチップは事前に送られてきている。最近のマラソン大会は、大規模なマラソン大会では当日の受付が無く、受付は前日に済ませなければならない大会が多くなってきた。東京マラソンや大阪マラソン、神戸マラソン、京都マラソン、奈良マラソンなんかがそうだった。参加者が多くて当日の朝では大混乱になるからだろうけど、遠方から参加する人は前日から会場に入る必要があるから負担感が大きいので、参加者の利便性を考えて、なんとしても当日の受付をやってもらいたい。一方、逆に、現地での受付自体を廃止して、ゼッケンやタイム計測チップを事前に送ってくるようなマラソン大会も増えてきた。今日のタートルマラソンもそうだ。とても素晴らしい便利なシステムなので、全てのマラソン大会で採用してもらいたいシステムだ。てことで、今日は受付と言っても単にプログラムや参加記念のTシャツやおまけの醤油をもらうだけだ。
受付を済ませて、男子の更衣室になっている中央公民館の会議室に入る。ここで大問題に向き合わなくてはならない。
(國宗)「いよいよ恒例のお悩みの時間ですよね」
大問題とは、何を着るかだ。
(幹事長)「いや、もう、来る途中から、その事で頭の中はいっぱいや」
真夏の炎天下のレースなら薄いメッシュのシャツ1枚だし、そこまで暑くない季節の晴天時には半袖Tシャツ1枚で悩まずに済むが、今日のように少し寒くなり始めた季節は困る。この季節でも晴天で気温が高めの日なら半袖Tシャツ1枚でもいいが、今日みたいに曇ってて肌寒い日は長袖でないと腕が寒くなる。さらに去年のように雨が降ったりしてたら、長袖シャツと半袖Tシャツの重ね着になる。しかし今日は雨は降っていないし、そこまで気温も低く無さそうだ。さらに風も弱そうだ。そうなると重ね着は暑すぎるから、長袖シャツ1枚で良いような気もする。
(國宗)「今後、天気がどうなるか次第ですね」
今は曇っているけど、そのうち雲が薄くなってきそうな気もするし、逆に雨が降ってきそうな気配もある。何とも分からない。取りあえず長袖シャツ1枚にしておき、状況次第で半袖Tシャツも重ね着することにした。着る長袖シャツは、最近、登山用に愛用している吸湿性と速乾性に優れたインナーウェアだ。どんなに汗をかいても全然ベチョベチョせず、いつまで経ってもサラサラで、汗が冷えて寒くなる事がない優れものなので、今日のように雨が降るかもしれない日でも適している。
さらに問題はタイツだ。ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が圧倒的に多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてないので、普段は履かない。鬱陶しいだけだ。履くのは防寒の時だけだ。今日は微妙だ。
(幹事長)「暑くなるかなあ」
(國宗)「タイツは暑さ寒さには関係ないですよ」
取りあえずタイツは履かないでおいて、状況次第で履くことにする。 手袋もどうしようか迷ったけど、雨が降らない限り無くても大丈夫かなあと思って、取りあえず履かない。ランニングキャップも鬱陶しいから嫌いなので、雨が降らない限り被らないことにする。
私がこんなに悩んでいると言うのに、相変わらず他のメンバーは着るものに無頓着だ。暑い時でも寒い時でも全く同じ出で立ちで走ろうとしている。みんな半袖Tシャツを着て、腕に防寒用のアームウォーマーなんかを履いているし、タイツも履いている。支部長は今年の丸亀マラソンで支給された関係会社STNetの宣伝Tシャツを着ている。
(幹事長)「今日はこんぴら石段マラソンのTシャツじゃないんや?」
(支部長)「これ蛍光色で目立つからな」
(幹事長)「こんぴら石段マラソンの黄色のTシャツも目立つで」
スタートは9時40分なので、まだまだ時間があるが、取りあえず一度下に降りて記念写真を撮る。
相変わらず緊張感の無いメンバー
(左から小松原選手、支部長、幹事長、ピッグ、國宗選手)
外に出ると、当然ながら屋内よりは多少寒いけど、風が無いため、それほどすごく寒い訳ではない。
(幹事長)「そんなには寒くないよね?」
(國宗)「微妙ですねえ」
このまま雨さえ降らなければ、そんなに寒くはならないと思うんだけど。
(小松原)「幹事長、シューズにチップが付いてないですよ」
(幹事長)「タイツを履くかどうかまだ決めてないから」
取りあえず、まだまだ時間があるので更衣室に引き上げる。更衣室は暖かいため、タイツを履く気にはなれない。もう決断して、シューズにチップを付ける。上も長袖シャツ1枚で十分だ。ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュペーパーと弁当券を入れたら準備万端だ。
ダラダラと時間を潰していると、小松原選手が若い知人を連れてきた。一瞬、錦織圭かと思ったが、会社のH瀬さんという人だった。なかなか良い体格をしている。
(幹事長)「何かやってるん?」
(H瀬)「水泳なら10kmでも泳げますけど、マラソンは始めたばかりで」
こういう人は油断できない。「ランニングは素人で〜す」なんて言う人に対し、これまで何度も、最初は上から目線で話していたら、すぐに追い越されて蹴散らされてきたからだ。水泳が得意って事は体力は有り余っているはずだ。ランニングを始めたばかりで瀬戸内海タートルマラソンのハーフマラソンに出るのは大胆とも言えるが、私だって22年前に右も左も分からないままいきなりこのハールマラソンに出て、大したタイムではなかったものの、何の問題も無く完走できたから、そんなものかもしれない。
(H瀬)「スタート時間が近づいてますけど、ウォーミングアップとかしないんですか?」
(支部長)「ウォーミングアップは体に悪いよ」
(幹事長)「ストレッチもしない方が体に良いよ。外は寒いからギリギリまでここで休むんよ」
(小松原)「この人たちは超ベテランで何の進歩も無い人たちだから、真似したら駄目!
せっかくマラソン大会に初参加するんだから、早めに会場に行って雰囲気を味わった方が良いよ」
何の緊張感も無い私たちは、ギリギリまで待合所で時間を潰してから出発する。
私たちが出発しようとした時に、ふと見ると、早くも待合所でお弁当を食べている人がいた。レースが終わってから弁当を受け取りに行くのは面倒なので、レース前に弁当を受け取る人はいる。でも、レース前に食べてしまう人がいたのには驚きだ。
(幹事長)「どう思う?」
(國宗)「私なら吐きますね」
レースの直前にお弁当なんか食べたら、普通の人なら確実に吐くと思う。私は吐かないようにゼリーをすすりながらスタート地点に移動する。
スタート地点に着いたら、ハーフマラソンの10分前にスタートするフルマラソンの部がスタートしたところだった。フルマラソンの部の参加者がいなくなった後にハーフマラソンの部の参加者が整列する。空模様は相変わらず曇りで、今後、晴れるのか雨が降るのか分からない。ただ、しばらく風は無さそうなので、そんなに寒くなることはないだろう。少なくとも今の時点では、暑くもなく寒くもなく風もなく、絶好のコンディションと言える。ぜひ好記録を狙いたいところだが、いかんせん風邪気味でイマイチ体がしゃんとしないので、あんまり期待はできない。
もちろん大会自己ベストは目指したい。どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。しかし、8年前に出したこのハーフマラソンの大会自己ベストは、まあまあ良いタイムで、今の状態で更新できる可能性は低い。去年なんか、特に原因が思いつかないのに大会自己ベストより10分近くも遅かった。大惨敗だ。せめて去年のような惨敗は避けたいと言うか、大会自己ベストは無理だとしても、ある程度までは迫りたい。
このレースに限らず、どのマラソン大会でも良いタイムが出たときは最初は抑え気味にスタートして、徐々にペースを上げていくという理想的なパターンだ。以前は、ペースは下がるものであり、上げていくなんて理想的なレース展開は現実には不可能だと思っていた。しかし最近は、タートルマラソンにしてもオリーブマラソンにしても、良いタイムが出たのは、徐々にペースを上げていくことができた時のものだ。とは言え、序盤にどれくらいペースを抑えて走ったらいいのかは難しい。最初から遅いペースで走れば、最後までペースは落ちないだろうが、適度に頑張らないと良いタイムは出ない。終盤に潰れないギリギリのペースが理想だが、なかなか難しい。
〜 スタート 〜
(支部長「このレースって、ネットタイムは計測してくれるんやったっけ?」
(幹事長)「あれ?どうやったっけ?」
でも、どっちにしてもスタートラインを越えるまで大した時間はかからないだろうし、それに数十秒を争うような展開にはならないだろうから、あんまり関係は無い。
なーんて話してたらスタートの号砲が鳴った。スタートラインを越えるまで30秒くらいだった。スタートラインにはタイムの計測機器が設置されていたから、ネットタイムは計測してくれるようだ。スタートラインを越えてからしばらくは混雑で走りにくいが、無理してはいけない。こんなところで多少無理して右へ左へ移動しながら他のランナーを追い越したりしても、無駄な体力と精神力を浪費するばかりで、大して前に行ける訳ではない。最初の1kmくらいはウォーミングアップと割り切って、小走り状態でゆっくり走ればいい。
ただ、このタートルマラソンは距離表示が5kmおきにしか無いから、5km走るまでは、なかなかペースが分からない。まずは自然体で走ってみて、最初の1kmのタイムで、その日の調子を把握しつつ、軌道修正を図ったりしたいのに、それができないのだ。いくら調子が良いような気がしても、オーバーペースになっていると注意しなければならないし、あんまり遅すぎると多少は頑張る必要もあるので、きめ細かいペース管理が必要なんだけど、距離表示が少ないから、それができないのだ。適度な緊張感を維持しながら、なるべくペースが一定になるように気をつけながら、まずは淡々と自然体で走るしかない。
しばらく走るとピッグが前に出る。まだまだ混雑は続いているので走りにくいが、序盤で離されるのは避けたいので、他のランナーをかき分けながら着いていく。風邪が治っていない割には体は重くなく、割と淡々と走っていける。そんなに頑張っていないせいか、暑くもならない。
2kmほど走ったら最初の大きな坂が現れる。このコースは、とにかく坂が多い。まず、2kmちょっと走ったところから大きな坂が始まる。この坂が終わると、今度は5km半くらい走ったところから中くらいの坂がある。さらに8kmほど走ったところからちょこちょこと小さなアップダウンがあって、9kmほど走ったところから3つ目の大きな坂がある。そして、それに続く小さな坂の途中でハーフマラソンは折り返して帰ってくる。とにかくフラットな区間が少ない非常に厳しいコースだ。
てことで早速現れた最初の大きな坂は1kmほど上りが続く。ただ、長く大きな上り坂ではあるが、今年の夏に4連戦した山岳マラソンに比べたら死ぬほどの急勾配でも無い。もちろん、だからと言って調子に乗ってストライド走法の大股でグイグイ上っていくと、後からダメージが来る。金さんの話によれば、上り坂で無理に筋肉を使うと、終盤に大きなダメージになって返ってくるので、チョコチョコとピッチ走法で刻んで上るのが良いらしい。なので、序盤でまだまだ元気だけど、自重してチョコチョコと登っていく。ところが、チョコチョコと登っていると、他のランナーが軒並み追い抜いていく。みんなガンガン走っていく。チョコチョコ走ってもピッチを上げれば良いんだろうけど、なかなかピッチも上げられず、追い抜かれるがままだ。ここで無理してはいけないと思いつつも、なんとなく、あえて抑えてゆっくり走っていると言うより、結構、ギリギリで走っている自分に気付く。「まだまだ力はたっぷり余っているけど、あえて抑えてチョコチョコ走っている」と言うより、「力が出ないからやむを得ずチョコチョコ走っている」ような気がする。風邪で力が出ないようだ。今日はこれが限界なのか。そのため、ちょっと前にいたピッグの背中がどんどん遠くなっていく。もうちょっと着いていきたかったが、今日は無理っぽい。
ただ、夏の山岳マラソン4連戦なんかに比べたら上り坂は長くは続かない。かなり追い抜かれたけど、しばらく1kmほど我慢して走ったら上り坂が終わり、下り坂となる。そこからは遅れを取り戻すつもりでガンガン下り坂を飛ばす。実は金さんの話によれば、上り坂だけでなく、下り坂でも調子に乗って勢いに任せて大股でガンガン下ると足に筋肉にダメージが溜まり終盤で足が動かなくなるとのことだが、上り坂で追い越されまくったので、そうも言ってられない。思いっきり転げ落ちるように大股で駆け下りる。ただ周囲のランナーも大半は同じようなペースで駆け下りているので、あんまり順位は変わらない。
坂を下りてしばらく走ると、ようやく最初の5km地点の距離表示がある。時計を見ると、恐れていた通り、だいぶ遅い。大惨敗した去年とほぼ同タイムだ。大会自己ベストが無理なのはもちろん、去年と同じような大惨敗を喫する可能性がある。ただ、最初はスタート直後の混雑があるため、過去にも、最初はスローペースだったものの、その後ペースアップして良いタイムになった事もあるので、まだ諦めてはならない。
ピッグの後ろ姿はますます遠くなり、時間にして1分近く離されているような感じだ。さらに気になるのは支部長の動向だ。支部長も調子が良いときは前半から飛ばす。以前は支部長は上り坂に極端に弱かったから、いくら前半に飛ばしても、終盤の上り坂では絶対に歩くから簡単に逆転することができるので、終盤も絶えず上り坂があるタートルマラソンでは負ける気がしなかった。だが、レフコ・トライアスロンの成果が出て坂に滅法強くなり、終盤の上り坂でも歩かなくなった支部長は今の私には脅威の存在となっている。さらに伏兵國宗選手の動向も分からない。最近は、ドタキャン國宗の異名を取るほど仕事で欠場するケースが多く、練習量は決して十分ではないだろうが、速いときには軽く負けてしまうので要注意だ。
5km地点を過ぎると、今度は中くらいの大きさの2つ目の坂がある。最初の坂に比べると、そんなに高くはないが、ダラダラと続く坂だ。坂の途中に最初の給水所が現れたが、まだまだ全然喉は渇いてないし、なんとなく気が焦って給水はパスする。
かなりスローペースのはずなのに、この辺りからやけに遅いランナーが目に付くようになってきた。去年と同じ状態だ。去年は、なんで私より前に遅いランナーがこんなにいるのか理由が分からず、戸惑ったが、実は彼らはフルマラソンの部の参加者達だ。フルマラソンの部は私らより10分前にスタートしているが、ペースが遅いランナーも多く、この辺りで追いついてしまうのだ。去年は調子に乗ってスピードアップし過ぎたら、終盤に撃沈するから要注意だと思い、遠慮がちに追い抜いたりしたが、ここで遠慮なんかしてたらますます遅くなってしまうので、今年は右へ左へ移動しながらどんどん追い抜いていく。
2つ目の坂をクリアし、ちょこちょこと小さい坂をいくつか越えると、3つ目の大きな坂が出現する。この坂を上り始めた頃、トップランナーが折り返してくる。しばらくすると2位や3位のランナーも折り返してくる。相変わらず上位の選手は素晴らしく速い。と思って見てたら、なんと、かなり上位でK口さんが折り返してきた。川Gさんは会社の同僚だが、最近はマラソン大会で会うくらいだ。彼も経験年数は私らに比べれば短いんだけど、もうめちゃめちゃ速くなってしまってて、今年もかなり上位で折り返してきたのだ。素晴らしすごて呆れてしまう。
さらに走ると四痙攣の航路さんも、かなり上位で折り返してきた。彼も経験年数はとても短いんだけど、先日の岡山マラソンでサブフォーを達成したとのことなので、ぐんぐん伸びている。うらやましいなあ。
3つ目の坂を下りた辺りに、10km地点がある。時計を見ると、この5kmは最初の5kmよりさらに遅くなっている。遅れを取り戻すどころか、ますます悪化している。去年より完全に遅くなっている。これは真剣にヤバい。ヤバすぎる。なんとなく風邪を引いているのを言い訳に、あんまり真剣に頑張ってはいない気がする。いくら風邪を引いていると言っても情けなさ過ぎるので、後半はかなり気合いを入れないといけない。ただ、ピッグとの差は開いておらず、少し前方に見え隠れしている。彼もペースダウンしてるのかも。
次の給水所が現れたので、まだ全然喉は渇いていないが、念のために水分補給しておく。小さな坂を少し上ると、ようやく中間の折り返し点がある。すぐ前を走っているピッグとの時間差は1分も無い。まだまだ追いつくのは可能だ。一方、折り返してから後続のメンバーをチェックすると、國宗選手が1分遅れくらいで走ってきた。見るからに淡々と走っていて、いつでも追いつかれそうだ。さらに、その後ろから支部長も3分遅れくらいでやってきた。見る限り快調に走っているように見える。
折り返し点から続く大きな坂を下り始めると、すれ違うランナーの数も減ってきて、ほとんど最後尾に近くなった。ここで突然、会社のT頭くんがヨロヨロと歩くようなスピードで登ってくるのとすれ違った。今にも倒れそうな状態に見えたが、声を掛けると意外に元気そうだった。さらにそのすぐ後ろに朝会ったH瀬さんが歩いて登ってくるのに会った。そんなところで歩いているなんて、完走するのも厳しい展開だ。
後半に入っても、特に足が重くなったような感じではなく、まだまだ戦えそうだし、天候も相変わらずで、雨も降らないし暑くもなく寒くもなく風もなく走りやすいコンディションは続いているんだけど、今さらどんなに頑張っても、もう良いタイムは出せない。ピッグの後ろ姿は少しずつ遠ざかるし、なんとなく追い抜いていくランナーも増えたような気がする。もう頑張る目標も無くなったので、あんまり自覚は無いけどペースダウンしているのだろう。
なーんて思いながら走っていたら、いきなり國宗選手が追いついてきた。
(國宗)「なんか、えらくペースダウンしてますね」
(幹事長)「うわ、追いつかれてしまった!」
折り返し地点で1分くらいしか差が無かったから、追いつかれても不思議ではないんだけど、すっかり忘れて無防備だった。タイム的にもすっかり目標を見失ってチンタラ走っていたけど、こんな事ではいけないと、これで気合いが入った。て事で、國宗選手に着いていくことにした。だが、フラットな区間はなんとか着いて行けたが、帰りの2つ目の坂に差し掛かると、ジワジワと離されていく。単にチンタラ走っていただけでなく、はやり足に疲れが出ていたのか。て言うか、今日は前半から上り坂では遅れ気味だったから、仕方ないのかも。でも、上り坂が終わると再び追いつけるかもしれないので、なんとか頑張って後を追う。
2つ目の坂を登り切った辺りに15km地点があり、頑張っているつもりだが、やはりタイムはさらに悪化していた。相変わらず去年より悪い。非常にまずい。でも下りになったので、またガンガン走って降りる。ガンガン走って降りると、少しずつ國宗選手に追いついていき、しばらくフラットな区間を走ってようやく追いついた。やはり今日は足に力が入らなくて上り坂には弱いが、体力そのものは尽きてないようだ。疲れている時は、下り坂では思いっきり駆け下りても、フラットになると、とたんに足が前に出なくなるけど、今日はまだまだ足が前に出ている。
しばらく走ると最後の給水所がある。ここでも走るのを止めずに給水を受けてペースを維持するが、一緒に走っていた國宗選手は足を止めてしまった。快調に走っていると思ったけど、足が攣ったようだ。まだまだ波乱含みの展開だ。
そこからしばらく進むと最後の大きな坂に差し掛かる。今日は前半から上り坂には弱かったが、もう最後の上り坂なので力を振り絞ってなんとか登っていく。するとここで同僚のT智選手が私に声を掛けて軽快に追い抜いていく。とても軽快で快調だ。彼もK口さんと同じように、マラソンの経験年数は私らに比べればはるかに短いんだけど、私よりはずっと速くなってしまった。ただ、それにしても、あんなに軽快なのに、今頃になって私を追い抜くなんて、今まで何をしてたんだろう。ずっと抑えて走っていて、最後になって一気にペースを上げたんだろうか。
終盤になると、距離表示が細かくなり、15km地点の次は最後の大きな坂を登り切った頃に「あと3km」の表示がある。つまり18kmちょっとの地点だが、大きな坂があったこともあり、当然のように、さらに大きくペースダウンしている。ただし、去年はものすごい落ち込み方だったが、今年はそれほどでもなく、この時点になってようやく去年のタイムより早くなった。
次は「あと2km」地点の距離表示がある。この1kmは最後の大きな坂を下る区間なので、さすがに大幅にペースアップできていた。でも、その次の1kmが例年、大幅にペースダウンする区間だ。下り坂でガンガン走った反動が出るからで、それは仕方ないとしても、ペースダウンの幅をできるだけ抑えなければならない。T智選手はあっという間に見えなくなってしまって目標にはできなかったので、次から次へと勝手に目標の選手を定め、できるだけ追い抜いていく。最近はどのレースも終盤は他の選手に追い抜かれる一方だけど、今日は気合いを入れ直したため、まだまだ力が沸いてきて、この終盤にきても他の選手を追い抜いていける。とても気持ちいい。
「あと1km」地点で見たタイムは、やはりだいぶペースダウンしていたが、まあ許容範囲だ。
そして最後の1kmは、かなり頑張る事ができて、かなりの数のランナーを追い抜くことができ、さきほどの下り坂区間を上回る本日最速のタイムで走り終えることができた。
〜 ゴール 〜
結局、去年の大惨敗よりは少しマシだったとは言え、過去の記録と比べれば、かなり悪いタイムでのゴールだった。それでも終盤に力尽きることなく最後まで頑張ってペースアップできたので嬉しい。ちょっと気持ちの良い展開だった。
先にゴールしていたピッグとは2分ほどの差が付いていたから、途中で頑張っても追いつくのは難しかったかもしれない。終盤まで一緒に走った國宗選手は、足の攣りがひどかったようで、だいぶ遅れてゴールした。さらに支部長はだいぶ時間がかかり、去年に続いてギリギリで2時間を切れなかった。終盤の上り坂でも歩かなかったとのことだが、だいぶ足が動かなくなったようだ。
記録証をもらうと、なんと今年も飛び賞の景品が当たっていた。今まで、このマラソン大会の飛び賞はもらった記憶が無かったのに、去年、もらって大喜びしたが、それが今年も2年連続で当たるなんて信じられない。なんて喜んでいたら、なんと支部長も当たっている。支部長も去年、初めて当たったのに、2年連続での大当たりだ。二人とも2年連続で当たるなんて、もしかして去年から賞の数が大幅に増えたのかもしれない。もらったのは高級そうな醤油だった。
景品をもらい、お弁当ももらってから、このマラソン大会の一番の楽しみであるソーメンをもらいにいく。レースの終盤は、早くゴールしてソーメンを食べる事を心の支えにして走る、と言われるほど、ソーメンはこのマラソンの重要な楽しみだ。周辺に飲食店がほとんど無いため、このマラソン大会ではお弁当が支給されるが、長距離を走り終わってバテている時にお弁当は喉を通らない。でも、暖かいソーメンは喉に優しい。特に今日みたいに肌寒い日には暖かいソーメンがお腹に優しい。
〜 帰りの船へ 〜
ソーメンを堪能して落ち着いたところで更衣室に戻り、濡れた身体を拭いて着替えを済ませる。お弁当を食べようか迷っていると、支部長が
(支部長)「もしかしたら1つ早い船便で帰れるかもしれんで」
なんて言う。いつも14時前の船に乗るんだけど、まだ12時過ぎだから、12時20分の船に乗ることができるかもしれないのだ。そうとなれば、みんな慌てて荷物をまとめて下に降りる。建物の前からは港へ送ってくれるマイクロバスに乗ることができる。もちろん、マイクロバスに乗るためには列に並ばなければならない。
(幹事長)「すぐにマイクロバスが来れば船に間に合うけど、来るのが遅かったら厳しい。
マイクロバスを諦めて、今から全力疾走すればギリギリで間に合うと思う。どうする?」
(支部長)「もう走る元気は残ってないわ」
(國宗)「足が攣りますよ」
て事でマイクロバスを待つことにしたが、意外に早くマイクロバスはやってきて、すぐに出発した。途中、信号機で停まったりしてやきもきしたが、港に着いてからダッシュしたら、本当にギリギリで乗り込むことができた。あと10秒遅かった乗せてくれなかったタイミングだ。
いつも乗る14時前の船は毎年、激混みだが、この船はそれほど混んでなくて、床に座っている人はいなかった。船も新しくて快適だったので、来年からも、ゴールしたらダラダラしないで、できるだけ早く身支度を調えて12時20分の船に乗ることにしよう。
(支部長)「これは備忘録?」
(幹事長)「もちろん。来年のレース前に読んで思い出さないとね」
10kmの部に出て既に帰っていた小松原選手から連絡があり、彼は10kmの部で40分を切ったそうだ。1km4分だなんて、1kmだけ走っても無理なスピードだ。
船の中でゆっくりお弁当を食べながら、反省する。反省と言っても、今日は風邪気味だった割には、なんとか頑張れた方ではないかと思う。上り坂でスピードが出なかったので、全体的なタイムは悪かったけど、最後まで力尽きず走れたので、その点では満足だ。
それに、最近は、どうも全力を出し切れないまま終わってしまい、不完全燃焼感が溢れることが多いが、今日はそうでもない。昔は走り終わってゴールしたら足が痛くて動けなくなったものだが、最近は、どうしても余力が残ってしまってて、ゴールしても平気で歩けてしまう。終盤、足がどんどん重くなって、どんどんペースが落ちていくんだけど、たぶん本当は余力が残っているんだろう。なんとか精神をコントロールして余力をうまい具合に引き出せれば、全力を使い切れる。今日は、昔ほどではないが、精神力でなんとか最後まで頑張れたおかげで、走り終わってから足が少し痛くて歩きにくいのが嬉しい。今日の精神力の立て直しは、ひとえに國宗選手のおかげだ。
(幹事長)「本当にありがとうでござる」
(國宗)「私自身は撃沈しましたけどね」
これで来週の那覇マラソンを完走できる見通しが着いた。良かった良かった。
〜おしまい〜
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