第40回 小豆島オリーブマラソン大会
2017年5月28日(日)、第40回小豆島オリーブマラソン全国大会が開催された。
この大会には20年前の第20回大会から参加し続けており、随分、長い間、出場を続けてきたもんだと感慨深いが、昔はヨタヨタ走っていると地元の老人が「ふれあい賞」なんて札を掛けてくれて景品を貰えるなど、のんびりしたムードが漂ったアットホームな大会だったが、近年の異常なまでのマラソンブームにより様変わりしている。
この大会に限った事ではないが、以前は田舎のマラソン大会で定員が一杯になるなんて事はあり得なかったから、誰でも気が向いたら参加できていたのに、最近は世紀末的なマラソン狂走曲のせいで、こんなローカルなマラソン大会でも申し込み受付が始まったら、あっという間に定員いっぱいになり、油断して少しでも申し込みが遅れると参加できなくなってしまう。なので、自分も忘れないようにエントリー受付開始時間を書いたメモをあちこちに貼ると同時に、他のメンバーにもしつこく何度も注意喚起のメールを送り、全員、無事にエントリーが完了した。今回の参加メンバーは私のほか、ピッグ、支部長、ヤイさん、國宗選手、DK谷さん、W部選手といったところだ。
ゾウさんは、昨年は申し込んでおきながら、その後、お目出たとなったため、当日は応援には来てくれたけど出場はできなかった。その後、11月に無事出産し、僅か2ヵ月半後には丸亀ハーフマラソンに出て我々の度肝を抜いたんだけど、当分は、何かあった時に急いで赤ちゃんのところへ帰れる範囲でしか活動しないとのことで、今回の小豆島のレースは不参加となった。
この大会は、出場エントリーもさることながら、交通の便の悪さも大きなネックだ。小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、関西地方からの参加者も多く、そういう意味では立地の良い大会と言える。しかし、レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路があまりない。なので、主催者が出している高松発の臨時船に乗るか、他の港へ定期便で行くか、どちらかの選択となる。数年前に一度、定員8名の私の車に9人で乗り合わせて池田港に上陸して行ったこともあるが、移動に時間がかかるうえ、駐車場を探すのも一苦労で、会場へ着くのがギリギリになったので、その後は臨時船に戻った。ただ、臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいている。
それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら、早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなっている。奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるので、もはや家畜船と呼ぶのが相応しい阿鼻叫喚の世界だが、奴隷船だろうが家畜船だろうが、この乗船券ですら最近は入手が困難なのだ。マラソン大会への参加自体はランネットで申し込めるから簡単なんだけど、奴隷船のチケットは参加申込みとは連動しておらず、別途、郵便振込みで申し込まなければならないから、マラソン大会にはエントリーできても、奴隷船が定員一杯で交通手段に困る人が続出するのだ。
〜 左膝の靱帯損傷 〜
エントリーはできたものの、実は大きな不安を抱えていた。そもそもの発端は去年12月の交通事故だ。12月4日開催の那覇マラソンに初めて参加することになり、嬉しくてワクワクしていたのに、その直前に交通事故で肋骨を3本も骨折してしまい、那覇マラソンをフイにしてしまったのだ。それで12月いっぱいは安静を余儀なくされ、1月からようやく軽くジョギングし始めたものの、1月初めの満濃公園リレーマラソンは想像を絶する遅さで惨敗した。それでも、2月初めの丸亀マラソンはタイムは遅かったものの最後までペースダウンすることなく余裕を持って完走できたし、さらに2週間後の京都マラソンも、途中で亀ちゃんに久しぶりに再会し、ずうっと一緒におしゃべりしながら走ってもらったおかげで、最後まで歩くことなく完走できた。て事で完全に復活したつもりだったのに、3月の徳島マラソンでは原因不明の空前絶後の絶不調で途中リタイアし、絶望の底に沈んだ。全く原因が分からなかったから、マラソンそのものに対する不安が出てきて、ちょっと沈んだ気分が続いていた。
(ピッグ)「その割りには遊んでばっかりで練習してませんでしたよねえ。不安を払拭するためには練習あるのみでしょ?」
(幹事長)「不安を払拭するために遊んでたんよ」
(ピッグ)「そもそも徳島マラソンで惨敗したのも、直前にスノーボードに行ったり登山に行ったりしてたからじゃないんですか?」
てことで、あんまり走ることに気乗りがせず、山にばっかり登っていたら怪我をしてしまったのだ。「登山部の活動」のコーナーに書いたけど、ゴールデンウィークに剣山〜三嶺をテント担いで縦走登山したとき、最後の三嶺からの下山途中で急斜面を滑り落ちて足を捻ってねんざ状態になったのだ。最初は軽く考えていたが、帰ってから数日経っても痛みが引かないので整形外科で診てもらったら、右膝の内側側副靱帯損傷てことで思ったより重症だった。膝の内側の靱帯なので、前後の動きはマシだが、足を内側に動かそうとすると痛みが走る。去年の年末の交通事故で肋骨を骨折したのと同じく、こういう怪我は自然治癒を待つほかはなく、サポーターである程度固定しながら治るのを待つことになった。
一応、医者にオリーブマラソンの出場の可否について聞いてみた。
(幹事長)「3週間後にマラソン大会があるんですけど、どうでしょう?」
(医者)「ちょっと厳しいと言わざるを得ませんねえ」
去年の12月に交通事故で肋骨を骨折したとき、3日後の那覇マラソン大会への出場について聞いたら、呆れて「1ヵ月程度は運動は控えてください!」なんて強く指導されたのに比べたら穏やかな口調だったが、痛みが残る限り、言われなくても走るのは控えざるを得ない。しかも、初出場だった那覇マラソンに比べて20年も前から出続けているオリーブマラソンなので、それほど惜しくはない。オリーブマラソンごときで怪我が悪化したら元も子もない。
(ピッグ)「今『ごとき』って言いましたか?」
(幹事長)「すんません。取り消します」
別にオリーブマラソンを軽く見てる訳では、あるが、大好きなマラソン大会なので、可能な限り出場したい。しかもオリーブマラソンの2週間後には、去年初出場して、楽しくて仕方なかった北山林道駆け足大会があるので、その準備の意味合いもあるから、仮に万全な状態に戻らなくても、タイムは気にせず、膝に負担がかからないようにゆっくり走りたいと思った。
ただ、取りあえずはランニングどころか歩くのも不自由な状態で、2週間ほど経った頃からようやく通勤で自転車に乗ることができるようになった。さらにリハビリと称して、登山部の活動のコーナーで紹介したように、低い里山に登ったりもしたが、膝への衝撃があるので、ランニングは控えたままだった。そしてレースの3日前に再び整形外科へ行き、再度、医者に聞いてみた。
(幹事長)「こないだ相談したオリーブマラソンが3日後に迫ってきたんですけど、やっぱり出場は無理ですかねえ?」
(医者)「う〜ん、まあ、注意して走るのならいいかなあ」
(幹事長)「え?ほんとですか!?」
ヘタにOKを出して悪化でもしたら医者の責任問題になるから、てっきり「まだ駄目」って言うのかと思ったら、予想外に出場OKのゴーサインが出た。ちょっと驚きだ。
(医者)「痛めた靱帯は走るのには関係ないですから。ただし、変な動きをしないように気を付けてくださいね」
確かに、膝の内側の靱帯なので、足を前後に動かすランニングには直接は関係ない部位だ。足を内側に動かそうとすると痛みが出るが、そういう動きをしなければ大丈夫だ。不用意な横への動きを防止するために、サポーターを着けていれば、だいぶ安心だ。
てな訳で医者のお許しが出たので、最終的に出場を決めた。そうとなれば少しは練習をしなければならない。怪我してから1ヵ月の間、全く走っていない。いくらなんでもぶっつけ本番は心細いので、その日、うちに帰ってから少し走ってみた。いくらランニングは直接は膝の内側の靱帯を使わないとは言っても、走ると着地する時に衝撃があるので、少し痛みを感じる。ただ、しばらく走っていても痛みがひどくなる気配はなく、我慢できる程度の痛みだ。これなら大丈夫だろうと思って走り続けたが、3kmほど走ったら、他の部分が痛くなってきた。サポーターを着けていると走りにくいから、他の部分に無理がかかるのだ。最初は左足の脹ら脛が疲労してきた。これは許容範囲と言うか予想された範囲だが、そのうち両足の腿とかお尻が疲れてきた。さらに右後ろの腰が痛くなってきた。さすがに腰が痛くなると走り続けるのは無理なので、しばらくストップして様子をみるが、走り始めると再び腰が痛くなってきた。ううむ。これは悩むところだ。
さらに、レースの3日前に3km走っただけで21kmを完走できるのかどうか不安もあるが、走れなくなったらリタイアすればいいし、それは気にしない事にする。て事で、今年は良いタイムを狙えるような状況ではなくて、完走できれば万々歳だ。
〜 ドタキャン 〜
一方、レースが近づいてきたと言うのに、國宗選手からドタキャンの連絡が入らない。
(幹事長)「どしたんやろ?まさか参加するんやろか?」
(支部長)「まさか。どうせ前日になったら連絡が入るって」
なーんて待っていたら、やっぱり今年もレースの前日になって國宗選手から連絡が入る。レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。去年は汗見川マラソンから龍馬脱藩マラソンに至る夏場の山岳レース全シリーズを連続ドタキャンしたし、3月の徳島マラソンに至っては4年連続でドタキャンしているし。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明日のオリーブマラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話を聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとかでドタキャンするんやろ?」
(國宗)「違いますがな!港に着くのが遅くなるっていう連絡ですがな!」
始発の電車に乗って港に来ても、船の出航時間ギリギリになるっていう連絡でした。
一方、久しぶりにレースに復帰する予定だったピッグが急遽、出られなくなったと言う。
(幹事長)「ん?もう謹慎は終わったんと違うのか?」
ピッグは2人の子供さんがこの春、受験だったから、しばらくマラソン大会には参加できなかったのだ。
(幹事長)「子供が受験やったら父親は家に居ない方が良いんじゃない?」
(支部長)「家におったら勉強の邪魔になるやろ?」
(ピッグ)「満濃公園リレーマラソンと丸亀マラソンと徳島マラソンに続いて4回目の同じ会話ですね。もうこれで最後にしてくださいね」
もちろん、これは子供のためと言うより、奥さんの目が恐いからだ。子供が受験勉強で大変なのに、父親がたわけたブタの格好してルンルン走りに行くなんて、奥さんとしては許せないのだ。
(ピッグ)「だから満濃公園リレーマラソンじゃないからブタの格好はしませんがな」
(幹事長)「諸悪の根源は那覇マラソンやな」
(支部長)「間違いないな」
去年の12月の初めに我々は沖縄の那覇マラソンに初参加した。春に子供さんが受験を控えていると言うのに父親が暢気に沖縄までマラソンに行ったりするから、奥さんの目が厳しくなったのではないだろうか?
て事で、ピッグは1月の満濃公園リレーマラソン、2月の丸亀マラソンと欠場が続いたが、3月末の徳島マラソンでようやく復帰することができた。それなのに、今回、再び欠場するという。
(幹事長)「どしたん?また奥さんの機嫌を損ねたん?」
(ピッグ)「違います!親戚の法事なんですよ」
そういう事なら残念だが仕方ない。
さらにヤイさんも足の肉離れの具合が悪く、欠場すると言う。
(幹事長)「普通に歩いてるじゃないですか」
(ヤイ)「去年もそう言われて無理して出場したら、悪化しましたからね」
私なんかは、足が痛くなったら即、ためらわずにリタイアするが、スポーツで鍛えたど根性があるヤイさんは、一度、スタートしたら途中で痛みが出ても絶対にリタイアなんかせずに最後まで完走してしまうから、故障が悪化してしまう。去年は最後の大きな坂にさしかかったところで決定的に肉離れが再発したのだ。ただ、徳島マラソンに続き、今回もヤイさんは応援には来てくれることになった。
〜 乗船 〜
当日の朝は早起きをしなければならない。いくらプラチナチケットの奴隷船乗船券を持っていても、遅く行ったら奴隷か家畜のように車両甲板に転がされてしまう。奴隷船に人間の尊厳を維持したまま乗るには、かなり早く港に行かなければならない。奴隷船が出港するのは6時50分だが、6時には乗船開始となるので、6時過ぎに港に着いたのでは遅く、既に座る場所が無くなっている。3年前は5時45分に港に着くと、まだまだ列は短く、余裕で座席を確保できたが、2年前は5時45分に着くと、既に50人以上の長い列が出来ていた。それに懲りて、去年は5時過ぎに港に着いたら人っ子一人いなくて随分心細い思いをした。その後、5時半になっても行列は数人にしかならず、おかしいなあと思っていたら5時40分頃にはあっという間に長蛇の列が出来ていた。てことで、5時半までに行けば良い、という結論になった。
5時半までに港に着くためには、自宅を5時過ぎに出なければならない。そのためには4時半には起きなければならない。4時半に起きるなんて、若い頃なら想像を絶する世界だったが、高齢化が進んだ今は、何の問題も無くなった。5時過ぎに家を出て5時15分頃に港に着いたら、今年は数人のグループが先客で並んでいた。ちょっと心強い。去年に続き、今年も折りたたみイスを持ってきているので、並ぶのも楽勝だ。しばらく待っていると、W部選手がやってきた。イスは2つ持ってきているので、二人で座って待ち続ける。さらに5時半頃に支部長とD木谷さんがやって来た。
去年より少し列が延びるのが早くなってて、その頃には少なくとも50人以上は並んでいた。やはり5時半までには並ばなければならない。
[来年への教訓メモ]
★5時半を過ぎると一気に人が増えるので5時20分頃までには並ぶ必要がある。
(幹事長)「本当に役に立つメモやな」
(支部長)「物忘れが激しいからな」
去年は並んでいると少し肌寒い感じがしたが、今日は朝から全然寒くない。たぶん今日は暑くなるだろう。
しばらくすると、なんとピッグもやって来た。
(幹事長)「おや?やっぱり出ることにしたん?」
(ピッグ)「いえいえ、単なる見送りです」
(幹事長)「こんな早朝なのに?」
(ピッグ)「練習がてらランニングで来たんですよ。またランニングで帰ります」
ピッグは謹慎期間中の丸亀マラソンでも、わざわざ沿道で応援に来てくれた。ご苦労様です。
6時前になり、ようやく乗船開始となる。ことさらダッシュすることもなく、楽勝で船の2階席の一番前にあるボックス席を押さえた。
しばらくすると、まずJRで来たヤイさんが到着し、続いて出航時間ギリギリに琴電で来た國宗選手が到着した。さらにD木谷さんの同僚の長谷選手もやってきた。
そして、今年も恋さんが登場した。
(幹事長)「1年ぶりですねえ、鯉さん。最近、この大会でしか会いませんけど、相変わらずマラソン大会には出まくってるんですか?」
(濃い)「今年は既に7レースに出たな」
(幹事長)「えっ?既に7つも!?」
故意さんは、かつて私が経理部に居た頃の同僚で、マラソン大会に出始めたのは3年前からだけど、もともと基礎体力もあるし、あっという間に我々のレベルを追い越していった。
〜 出港 〜
6時50分になって、ようやく船が動き始めたので、朝食だ。さすがに早起きしたからお腹が空いてきた。本当は家を出る前に朝食を食べてトイレも済ませたいところだが、いくら早起きが苦痛でなくなったとは言え、普段より早い時間に朝食を食べるとお腹を壊す可能性が高いので、家では食べず、船に乗ってから食べるのだ。朝食はおにぎり3個だ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、一昨年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えたため、その後は一度もお腹を壊さなくなった。パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無い。ゆっくり時間をかけておにぎりを3個食べれば万全だ。さらにスタート直前に食べるバナナやゼリーも持ってきている。
すっかり日も昇り、外は雲一つ無い快晴だ。大会の数日前から全国的に気温が上昇し、まだ5月だと言うのに夏日になった。今日も一段と暑くなりそうだ。
オリーブマラソンは毎年5月末に開催されるが、この季節は天気が良いときは本当に気持ちが良い。まだ湿度があんまり高くないから、木陰でボケッとしてるぶんには暑くなく、大変気持ちが良い季節なのだ。ただし、マラソン大会となると事情は異なる。木陰は気持ち良くても、炎天下を走るとなると非常に暑い。個人的には寒いのは嫌いで、暑い方が好きだから、真夏の炎天下で汗だくになって走るのも楽しくて好きだけど、しかし、いくら好きでも暑いとタイムは悪くなる。
むしろ雨の方が望ましいくらいだ。昔の私たちなら、雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。しかし、7年前のこのレースで考えが変わった。その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。ところが、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、むしろ坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった。私だけでなく、最後までデッドヒートを演じたピッグも快走だったし、支部長も例年なら絶対に歩く最後の大きな坂も歩かずに2時間を切る大会自己ベストを出した。それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになったのだ。
この大会には20年前の1997年から出続けているが、昔からずうっとタイムが悪く、長らく2時間を切ったことがなかった。私に限らず、ピッグや支部長だって、他のレースに比べたらタイムは悪かった。でも、それが暑さのせいだとは誰も思わなかった。いくら暑いと言ったってまだ5月なんだから、7月下旬の炎天下の汗見川マラソンや四国カルストマラソンのような地獄の暑さではないからだ。
なので、このレースのタイムが悪い理由は坂が多いからだと信じていた。オリーブマラソンのコースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だが、後半に入ると、二十四の瞳の舞台となった岬の分教場まで行って折り返してくるという曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に坂が次から次へと襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなるのだ。
同じ小豆島だけど、反対側の北西部で行われる11月の瀬戸内海タートルマラソンも同じように坂が多いが、なぜかそちらの方はタイムが良い。タートルマラソンはコース全般に満遍なく坂が配置されてるけど、オリーブマラソンは疲れが出る後半に坂が集中するのが良くないのだと思っていた。なので、この大会では2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、走る前から「このコースでは2時間を切るなんて絶対不可能だ」なんて決めつけていたら、現実にも2時間を切ることは難しい。途中で苦しくなったら、「どうせ良いタイムは出ないコースだから」と、すぐに諦めるからだ。以前は、最後の大きな坂では、ほぼ必ず歩いていた。無理して走っても、どうせ良いタイムは出ないと信じていたからだ。
それなのに、7年前に土砂降りの中、みんな揃って快走したもんだから、メンバー全員、衝撃を受けた。オリーブマラソンのタイムが悪かったのは、坂が多いからというだけではなくて、むしろ暑さのせいが大きかったのだ。そのため、それまではみんな雨を嫌がっていたんだけど、一転して、暑い季節のマラソンは雨乞いをするようになった。そして、その翌年も、序盤に激しい雨が降ったため、前年と同じように後半にペースを上げることができて、大会自己ベスト2位を出した。
これでオリーブマラソンも雨さえ降れば良いタイムが出るという事が分かり、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がついた。
(支部長)「今日も雨が降ったらええんやけどなあ」
(幹事長)「今日は降水確率0%やな。曇る可能性すら0%やな」
ただ、雨さえ降れば良いタイムが出るということが分かると、雨が降らなくても暑さ対策を施せば、炎天下のレースになっても良いタイムを出すことが可能になってきた。暑さ対策とは、秘密兵器のメッシュのシャツだ。3年前に初めて、他のメンバーから沸き起こった「恥ずかしいから脱いでくれ」という批判を気にせずに着て走ったところ、炎天下にもかかわらず暑くないため、好タイムを出すことができたのだ。さらに一昨年も、自信を持ってメッシュのシャツを着て走ったら、炎天下のレースだったにもかかわらず、土砂降りの7年前に出した大会自己ベストを大幅に更新する大会自己ベストで走りきった。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、「雨が降らなくてもメッシュのシャツを着れば良いタイムが出る」という事が分かったのは大きな自信となった。雨が降らなくても、暑さ対策さえ万全に施せば、怖いものは無いのだ。
のはずだったが、去年は3年連続でメッシュのシャツを着て走ったにもかかわらず、以前と同じような惨敗を喫してしまった。この理由は分からないが、去年は4月の徳島マラソンも空前の惨敗を喫したし、調子としては最悪の状態だったのかもしれない。
(支部長)「過去形で言ってるけど、その後も惨敗続きやろ?」
まさに、その通りで、去年は夏場に山岳4レース(北山林道駆け足大会、汗見川清流マラソン、四国のてっぺん酸欠マラソン、龍馬脱藩マラソン)をこなしたにもかかわらず、その後の瀬戸内海タートルマラソンも丸亀マラソンも惨敗している。そして3月の徳島マラソンも惨敗どころか途中でリタイアした。丸亀マラソンや徳島マラソンは12月の交通事故の悪影響かもしれないが、絶不調が継続していることに違いは無い。この原因は全くもって不明だ。不可解な長期的不調なのだ。
(支部長)「だから単なる老化やってば。もう歳なんよ」
(幹事長)「老化が進んでいるのは認めるけど、1年で急に劣化するかなあ」
(ヤイ)「練習はしてるんですか?」
(幹事長)「いや、ま、ちょっと、ほかごとで遊び過ぎたかもしれないけど」
最近、登山や自転車で遊んでばっかりで、ランニングの練習量が減ったのは確かだし、その疲れで不調なのかも知れない。
ま、しかし、どっちにしても今回は膝の怪我の影響で1ヵ月も練習ができてないから、良いタイムは望むべくもない。どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だが、今回は完走さえできれば良しとしなければならない。
〜 島上陸 〜
1時間半の船旅が終わって小豆島の坂手港に着くと、いつものように島の小学生達の鼓笛隊が演奏で迎えてくれる。本当に心温まる歓迎だが、数年前から薄々感じていた事だが、年々、隊員の数が減ってきている。少子高齢化が急速に押し寄せる島嶼部なので、小学生の数も減っているんだろうと思うが、いつまで鼓笛隊を維持できるのか心配だ。
小学校を小豆島で過ごしたヤイさんは鼓笛隊の演奏に合わせてオリーブの歌を歌っている。
(幹事長)「よくもまあ覚えてますねえ」
(ヤイ)「体に染みついてますよ。幹事長だって小学校は小豆島でしょ?覚えてないんですか?」
(幹事長)「私は小学1年生の時だけでしたから、全然覚えてないですねえ」
船から下りたら場所取りをしなければならない。以前は会場横の公園に陣取っていたが、最近は帰りの船に乗るのが便利っていう理由で、船を降りてすぐの狭い芝生のところに陣取っている。船から下りるのが遅かったので、既に広い場所は無くなっていたが、何とか隙間を見つけてシートを敷き、荷物を置いてから受付へ向かう。
このマラソン大会は事前にゼッケンやチップが送られてくるようになったので、受付と言っても、参加賞をもらうためだけの受付だ。最近、大きな大会になると、前日に現地で受付をしなければならない、なんていうトンでもない風習が蔓延しており、遠方から参加する人にとっては迷惑この上ないのだけど、当日の朝の受付さえ不要なオリーブマラソンのシステムが普及すれば良いのに、と思う。
参加賞は今年もタオルだ。Tシャツはタンスから溢れているのでタオルの方が大歓迎であり、オリーブマラソンのタオルは大きいのでバスタオルにもってこいだ。
もらう物をもらったら着替えに移る。
(國宗)「また例によってウェアで悩みまくるんですか?」
(幹事長)「いや、ここまで暑いと悩む余地は無い」
(國宗)「去年も着てたメッシュのシャツですか?」
(幹事長)「いや、今年は止めとこうかと思って」
上にも書いたように、3年間から着ている秘密兵器のメッシュのシャツは、どんなに炎天下でも暑くなく、そのおかげで快記録を出してきたが、他のメンバーから「裸同然や」とか「大昔のアイドルのステージ衣装みたいや」とか「恥ずかしいから止めてっ!」とか非難囂々だったように、冷静に考えればちょっと恥ずかしい。着ている本人は自分の目に入らないから恥ずかしくないのだが、目立つ事は間違いない。普段なら別に目立っても良いんだけど、今年は膝の故障で完走できるかどうかも怪しい状態で、そんな目立つ格好してヨタヨタ走るのは恥ずかしいから、もっと地味なウェアにした。上は袖無しの白のシャツで、下は黒っぽい短パンだ。秘密兵器のメッシュのシャツを着ても惨敗することはある、ってのは去年証明されたので、それほど心残りは無い。
そして、取りあえず膝にはサポーターを巻いた。
私が色々悩みながら着替えを済ませたと言うのに、ヤイさんが着替えする気配が無い。
(ヤイ)「だから今日は走らないって言ってるでしょ!」
(支部長)「わざわざ小豆島まで来て、みんなが走っている間、2時間もボケッと何してるん?」
(ヤイ)「灯台の方まで歩いていきますよ」
マラソンのコースとは反対方向の南東方面にある大角鼻の灯台まで歩いていくのだそうだ。
(支部長)「どうせ歩くんやったら一緒にレースに出て、歩けるところまで歩いて帰ってきたらええやん」
(幹事長)「ゆっくり10kmくらい走って帰ってきたらええやん」
かなりしつこく誘ったが、ヤイさんの決意は固く、どうしてもレースには出ずにお散歩するとのことだ。
炎天下で戦いに望むメンバー
(左からW部選手、D木谷さん、幹事長、支部長、國宗選手、長谷選手、ヤイさん)
サポーターを巻くと、膝が安定して不安が無くなり、精神的には落ち着くが、少し走ってみると、やはり走りにくくて他の部分に悪影響が出そうだ。でも、サポーターをはずして走ってみると、少し膝が痛むような気がする。気のせいかも知れないが、なんだか不安だ。
(ヤイ)「いかんですよ。ちゃんとサポーターは着けて走ってくださいよ!」
スポーツマンのヤイさんからは厳しい指導がくるが、サポーターを着けると暑いような気もする。
(ヤイ)「そんなのは気のせいです。何の影響もありませんよ!」
でも、何度も着けたり外したりして試走した結果、サポーター無しで走ることにした。
炎天下なので日焼け止めクリームを塗りまくる。さらに、歳とってくると紫外線による目への悪影響が強まって白内障の危険性が出てくるので、サングラスも必須だったんだけど、持ってくるのを忘れてしまった。その代わり、日射しを遮るために、頭が蒸れて暑くなるから普段は被らない帽子を被ることにした。
準備も終わったので、そろそろトイレを済ましておこうと思い、例年のように港にある小さなターミナルビルの中の小さなトイレに行く。穴場は2階のトイレだ。2階は女子の更衣室になっているため、大半の男子は勝手に男子禁制だと思って立ち入ろうとしないが、実は2階にも男子トイレはあり、問題なく使える。ほとんど存在を知られていないため空いているのだ。
(支部長)「字が小さいな」
(幹事長)「極秘情報やからな」
スタート時刻は10時なので、まだまだ時間がある。ダラダラしていると矢野プロにバッタリ出会う。同じ会社にいながら、矢野プロとも、最近はオリーブマラソンでしか会わない。
(幹事長)「今年は7月に富士登山競走に出ることになったで!」
(矢野)「おっ、ええですねえ。今年はまず五合目コースからですね」
さすがは矢野プロ。最初は五合目コースから出なければならない富士登山競走のシステムを知っている。
しばらくすると、矢野プロから聞いたとて新城プロもわざわざ来てくれた。新城プロは一昨年から東京へ職場を移していて、色々と活躍しているが、東京へは単身赴任で行っており、この大会には必ず帰ってくる。
(幹事長)「今年は7月に富士登山競走に出ることになりましたっ!」
(新城)「素晴らしいっ!去年は悪天候で五合目までで中止でしたからねえ」
さすがは新城プロ。去年の大会の様子を知っている。
さらにダラダラしていると、なんとNHKのランスマのカメラマンが歩いている。ランナーと一緒に走りながら撮影するカメラを手にしている。
(幹事長)「ランスマの撮影ですかっ!」
(カメラマン)「ええ、そうです」
(支部長)「テレビ放映するんですかっ?」
(カメラマン)「はい、7月末の予定です」
(幹事長)「誰が来てるんですかっ?りさっちですかっ!」
(カメラマン)「いえ、りさっちは今回は来てません」
横を通りかかったおばちゃんも乱入してきた。
(おばちゃん)「えっ?何?NHKのランスマ?りさっち来てるん!?」
(カメラマン)「いえ、りさっちは来てません」
(おばちゃん)「ええ〜っ?りさっち来てないん?私りさっちの大ファンなのよ!」
(支部長)「じゃ誰が来てるんですかっ?」
(カメラマン)「えっと、お笑い芸人の人と女性タレントと」
(幹事長)「お笑い芸人って、ハブくんですかっ?」
(カメラマン)「いえ、ハブさんは今回は来てません」
なんか、はっきりしない。はっきり言ってくれない。これは2つの可能性がある。全然無名のタレントが来ているから名前を言わないのか、それとも超売れっ子だから騒ぎになるのを避けようとして言わないのか。
(幹事長)「分かった!ザ・タッチの2人?」
(カメラマン)「いえ、タッチも今回は来てません」
よく分からないが、スタートしたら分かるだろう。
まだ時間があるので、バナナを食べ、ゼリーも食べる。それでもまだスタートまで時間はあったが、どうせダラダラ待っているだけだから、スタート地点に移動する。
〜 スタート 〜
スタート地点では、予想タイム順に並ぶようになっている。この大会はタイムをチップで計測してくれるんだけど、それはゴール地点だけで、スタートはチップでは計測してくれず、ネットタイムは出してくれない。そのため、多くのランナーはできるだけ前の方に並ぼうとして混雑している。
今日の参加者はハーフマラソンの部は3178人だ。他に10kmの部と5kmがあり、全部合わせると参加者総数は5519人だ。昔はもっともっと少なくて、大会の存続すら危ぶんでいたけど、最近のマラソンブームのおかげでそういう心配は無くなり、目出度く40回目を迎えることになったのだ。
空は相変わらず雲が無く、ジリジリと日射しが照りつける。待っているだけで汗びっしょりだ。塗りまくった日焼け止めクリームは、早くも汗でビチャビチャだ。でも今日は、それより何より、足が痛くならず完走できるかどうか不安でいっぱいだ。
「スタートまで、あと30秒」というコールの後は、カウントダウンは無くて、いきなりスタートのピストルが鳴った。毎年同じだから分かっているはずだが、今年も忘れてて、慌てて腕時計のボタンを押す。しばらくして周りの集団が動き出すが、スタート地点まではゆっくり歩かなければならない。スタート地点まで歩くと、ようやく走り始めることができるが、最初は混雑しているので思ったようには走れず、しばらくはノロノロと走る。ダラダラ進む前のランナーが鬱陶しいが、前のランナーの前にも、その前にも延々とランナーがダラダラ走っているから焦るのは禁物だ。無理して追い抜いても意味は無い。最初はウォーミングアップと割り切って、ゆっくり走ればいい。特に今回は、膝を故障してて、前後の動きは大丈夫だが、横の動きは危険なので、混雑しているランナーをちょこちょこと追い抜いていくのは避けた方がいい。
それなのに、相変わらず後ろからぶつかりながら前を追い抜いていくランナーが後を絶たない。追い抜いていくのは勝手だが、ぶつかりながら前に行くのは止めてもらいたい。しかも男子だけでなく、小柄なおばはんにまでぶつかられて追い抜かれたから腹が立ち、すぐさま抜き返し、しばらくバトルを演じてしまった。
(支部長)「そなな事をしよったら膝に良くないで」
とにかく今日は無理は禁物だ。膝の様子を窺いながら、抑えめのペースで走る。取りあえずは支部長に着いていくことにした。
このコースはスタートした直後にいきなり大きな坂があるが、抑えめのペースで走っていれば、どうってことはない。
大きな坂を過ぎると、その後は草壁港の近くにある第1折り返し地点まで平坦な道が続く。混雑はまだまだ解消されていないが、そんなに走りにくいってほどではない。炎天下だが、湿度が低めなせいか、そんなに暑くはない。
このレースは距離表示が5km地点まで無いため、今のペースがどれくらいなのか見当がつかないが、周囲のランナーは同じようなペースで走っているから、特に遅いってことはないようだ。このまま自然体で走っていこう。
一方、このレースは、マイナーなローカル大会なんだけど給水所は多い。炎天下のレースになる事が多いからだろう。普段のレースなら前半の給水所はパスする事が多いけど、今日は早めにこまめに水分補給していく。しばらく前の健康診断のとき「最近、マラソン大会の翌日に疲労が出て、頭痛や吐き気が出る事があるんです」って相談したら、「水分補給が不十分なのかも知れません」って言われた。自分ではそんなに喉が渇いてないつもりでも水分が不足している事があるらしい。しかも、その場で症状が出るとは限らず、翌日に体調不良になることもあるらしい。そして、普通の水ではなくスポーツドリンクを飲むことを勧められた。スポーツドリンクは嫌いではないが、そればっかり飲んでいると口の中が甘ったるくなるので、水を飲むことも多いが、普通の水では吸収が弱いらしい。てなことで、スポーツドリンクが置いてある給水所では必ずスポーツドリンクを飲むことにした。ただ、スポーツドリンクを置いてない給水所も多く、その場合は水を軽く含むにとどめた。
3日前に軽く走ったときには膝に痛みは出なかったが、その時は、とってもゆっくり走った。今日は周囲に合わせてそこそこのペースで走っているが、やはり痛みは出ない。着地した衝撃で微かな痛みはあるが、どんどん悪化していくような感じもないし、根本的な危険性を孕んだような痛みは出ない。
第1折り返し地点で折り返してくるランナーを確認すると、D木谷さんは既に1km近く前方を走っている。D木谷さんが速いと言うより、私が遅いんだけど、今日は完走すら不安なので、無理してペースを上げるつもりはない。
第1折り返し地点で折り返してからしばらく行くと、最初の距離表示である5km地点が現れる。時計を見ると、この5kmは1km平均5分30秒を超えるペースだ。普段ならいきなり惨敗ペースだ。過去の惨敗時のタイムと比べても、最初からここまで遅かったことはない。でも、今日は完走すら不安な状態なので、気にならない。ていうか、このペースでも走れていることだけで嬉しい。遅いペースだけど、このままペースを維持できれば2時間は切れる。最初は「今日は完走できれば嬉しいな」くらいに思っていたが、痛みが悪化しないとなれば、欲が出てきて、なんとか2時間くらいは切りたいと思うようになってきた。
なんて調子に乗ってきた矢先に、ここまで一緒に走ってきた支部長が少し前の方に行く。「ん?なんでこんな所でペースアップするんだ?」って戸惑ったけど、よく見てみたら、支部長だけでなく、周囲のランナーがみんなペースアップして前方に進む。後ろからも多くのランナーが私を追い越していく。おかしい。レース終盤にヨタヨタと走っている時は当然ながら大勢のランナーが追い抜いていくが、まだまだ序盤なのに追い越していくランナーがいるってのは、明らかにおかしい。後ろの方からスタートした速いランナーがいっぱいいる、と解釈したいところだが、どう考えても無理がある。明らかに自分が早くもペースダウンしてるってことだ。暑いのは確かだが、まだ走りには影響は出てないと思うし、足の痛みも出てなくて、足が動かないっていう感覚も無い。それなのにペースは落ちているのだ。ショックだ。やはり1ヵ月も全然走らずに、3日前に3km走っただけでは、たった5kmで力尽きるのか。
もちろん、今日はどこまで走れるかを確認するのが第一目的なので、ペースが落ちたからと言って早々にモチベーションが下がる訳ではない。
しばらく行くと二十四の瞳の分教場がある岬へ向かう分岐点があり、その道へ入っていく。坂が多い海岸線のクネクネした道だ。前半のフラットな区間が終わったので、気分的には、ここまでで半分終わったって感じなんだけど、実はまだ8kmも走ってなくて、ここからの方が長い。
少し行くと、ようやく2つ目の距離表示の8km地点がある。時計を見ると、この3kmは1km平均6分くらいにまで落ちている。普通ならレース終盤のヨタヨタ状態のペースだ。過去の惨敗時のタイムと比べても、前半のうちからここまで遅かったことはない。序盤も遅いペースでスタートしたのに、さらに大幅にペースダウンしている。ま、しかし、仕方ない。どこまで粘れるかが勝負だ。
8km地点の距離表示の後は1kmごとに表示があるので、ペースが分かる。次から次へと坂が現れるので、上り坂がある区間と下り坂の区間ではタイムは変動するが、おおよそのペースは分かる。すると、その後も絶望的な過去最悪のペースが続いているのが分かった。周りのランナーは次々と追い抜いていく。こんな所で早くもごぼう抜きされているようでは、終盤まで走れるのか不安が大きくなってきた。相変わらず足の痛みは出ておらず、その点では不安はほぼ払拭されたが、力尽きて完走できないかもしれないという不安が大きくなってきた。ただ、足は疲労が溜まってきて重くなってきたが、呼吸はまだまだ全然しんどくはなっていない。行けるところまで行ってみようというモチベーションは維持されている。
暑さは厳しくなってきて、給水所で水を含んだスポンジを置いてあるところでは必ずもらうようにする。その後、下り坂区間でも足の痛みを気にしながらも大股で走っていくが、それでも過去最悪のペースは続く。
さらにしばらく行くと、二十四の瞳の映画村の前が第2折り返し地点だ。折り返し点で確認すると、DK谷さんは2kmほど先を、支部長ですら1kmほど先を走っていることが分かった。もう支部長に追い付くことも完全に不可能だ。支部長に負けるのは屈辱だが、実は去年も、支部長には負けている。去年は今年みたいな怪我も無く、体調的にも悪いところはなかったのに、オリーブマラソン史上初めて支部長に負けたのだ。私の調子が悪かったこともあるが、かつては坂に極端に弱かった支部長が、レフコトライアスロンで実力をつけてきた証でもある。いずれにしても、支部長に負けたのは、めっちゃショックだったが、今年は怪我してるという言い訳もあるし、初めての負けではないので、それほど悔しくはない。それに、折り返し点の前後は坂が無く、フラットな区間が続くため、ペースダウンはなんとか食い止められている。なので、まだ頑張れば挽回可能かとも思いながら走る。
でも、しばらく走ると、再び上り坂の区間になり、一気に激しくペースダウンしていく。確かに足はあまり動かなくなっている。でも、タイムほど悪いという実感はない。足は重くなっているものの、自分の感覚ではそこそこ頑張れているような自覚なのだ。でも客観的な事実としては、タイムが着実に悪くなっているのは間違いない。
さらに、その後は下り坂区間になってもペースはほとんど上がらない。2時間切りなんて、とうの昔に絶望的になっている。かつては、このオリーブマラソンでは2時間を切るのは不可能と思っていたが、最近はグッとタイムが良くなっているから、2時間を切れないなんて悲しい思いだ。
ただ、それでも、まだまだモチベーションは失っていない。なんとか完走したいという目標は持ち続けている。徳島マラソンでは、27km付近でやる気を無くし、何のためらいもなくリタイアしたが、今日は足は重いながらも最後まで完走したいという気持ちが強い。当初は、今日は完走さえできればいいと思っていたくらいだから、足の痛みが出ずに走り続けられているだけでも良しとせねばならない。
19km地点を過ぎ、残り2kmになると、いよいよ最後の大きな坂に入る。以前は歩くのが当然と思っていた区間だが、最近は歩かずに走って登るのが当たり前になっている。厳しい坂で、走っても歩いてもスピードは変わらないが、歩きたいとは思わない。いくらタイムは悪くても、最後まで一歩も歩かずに完走できれば自信になるからだ。
もちろん、この区間はアホみたいにスローなペースとなり、1kmを7分以上かかったが、上り坂が終われば、後はフラットな1kmが残るだけだ。もう力を振り絞って全力疾走するだけだ、って思いたいところだが、タイムの目標は失っており、完走だけが目標なので、さすがに無理して頑張る気力は沸いてこず、なんとか走り続けてゴールした。
〜 ゴール 〜
ゴールすると、すぐにヤイさんが出迎えてくれた。ヤイさんは、予定通り灯台まで歩いて行ってきたそうだ。
(ヤイ)「膝は痛くならなかったですか?」
(幹事長)「なんとか最後まで大丈夫でした。タイムは悲惨だったけど、完走できたから良かったです」
タイムは過去、炎天下で惨敗を繰り返していた頃と比べても悲惨な大惨敗ぶりだったが、そもそも今日は完走さえできれば上等だと思っていたので、痛みも出ずに最後まで一歩も歩かずに完走できただけで満足しなければならない。
少し休んでいたら、ソーメンを食べて満足した支部長がやってきた。
(幹事長)「結構、速かったん違う?」
(支部長)「炎天下の割りには、そんなに悪くはなかったな」
過去、大きな坂に打ちのめされ続けていた頃の支部長とは思えない余裕の表情だ。
(幹事長)「今日は坂でも歩かなかったん?」
(支部長)「最後の大きな坂では歩かんかったんやけど、その前の坂で少し歩いてしもた」
少し歩いたにもかかわらず、給水所も含めて最後まで一歩も歩かずに完走した私よりだいぶ速かったから、たいしたものだ。國宗選手も支部長より少しだけ遅れてゴールしていた。
記録証をもらうと、さすがに部門別(男子50歳代)での順位も半分以下だった。いくらなんでも半分以下ってのは、記憶に無い。女子も含めた全体の総合順位ではかろうじて半分以内だったが、最近は調子が良ければ上位2割くらい、悪くても上位1/3くらいには入っている。これは、最近のマラソンブームのせいで遅い初心者ランナーが大挙して参加するようになったからだ。それなのに半分程度ってのは、惨敗ぶりが明らかだ。ま、仕方ない。
タイム的には惨敗だが、完走できた満足感はあるので、何はともあれ、ヤイさんと一緒に冷たいソーメンを食べまくる。このレースの一番の楽しみはレース後のソーメン食べ放題なので、惨敗しようが何しようがソーメンを食べまくらなければならない。今日みたいな炎天下のレースの後は、冷たいソーメンがとても美味しい。ソーメンだけでお腹が一杯になると、お弁当を食べられなくなるが、どうせ暑さでバテバテでお弁当は喉を通らないから、取りあえず冷たいソーメンで空腹を満たす。
〜 反省会 〜
帰りの奴隷船は出港時間が2時なので、まだまだ時間は有り余っているが、朝と同じで、早く行かなければ座る場所を確保できない。今日は惨敗したから既に遅くなっている。でも、素晴らしく早くゴールしたW部選手がいち早く並んでくれて場所取りをしてくれた。なんと先頭に並んでくれていたため、朝と同様に大きなボックス席を確保してくれた。
いつものように船の中では弁当を食べながら反省会をする。と言っても、個人的には怪我も悪化せず、なんとか完走できたから、反省することはない。
(支部長)「いやいや、そもそもランニングの練習もせずに独りで山に行ったりしてるから怪我するんや。そこを反省せんといかんがな!」
次のレースは2週間後の北山林道駆け足大会だ。去年おんちゃんに誘われて初めて出たレースだが、ものすごい急勾配の林道を上ったり降りたりする面白いコースで、近年まれにみる楽しさだったので、絶対に出なければならない。その目標があったからこそ、今日も無理して出場したのだ。なんとか今日のレースを無事に完走できたから、北山林道駆け足大会では完全復活を目指して臨まなければならない。もちろん、あと2週間しかないから、万全の体調にまで持っていくのは無理だろうけど、できるだけ全力で走りたいぞ。
〜おしまい〜
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