第10回 とくしまマラソン
2017年3月26日、第10回とくしまマラソンが開催された。
これまで徳島マラソンは、レースの半年近く前に戦いが始まっていた。半年近く前に受付開始になるエントリーが大変だったのだ。しかし今回は楽勝だった。
〜 楽になったエントリー競争 〜
徳島マラソンは今回で10回目になるが、9年前の最初の年から申し込みは大混乱がつきまとってきた。その背景には、昨今の異常なまでのマラソンブームがある。徳島マラソンの定員は年々、増強されてきたんだけど、それを上回るマラソンブームにより申込者が激増して、申し込み競争が激化してきた。このため、徳島マラソンの申し込みは、第1回の時から混乱を極めてきたのだ。
最近は、申し込みの受付は夜の10時にスタートするんだけど、10時前からパソコンの前にスタンバイして、10時になった瞬間にパソコンのキーを叩いてランネットに入らなければならない。10時になった直後にエントリーボタンを押したつもりでも、キーを叩くのが一瞬でも遅れると、あっという間に長蛇の列ができてしまい、何十分も待たされることになり、待っている間に定員オーバーで受付終了になったりする。なので10時になった瞬間にキーを叩かなければならない。
かと言って、ちょっとでもフライイング気味にキーを叩くと、一瞬でパソコンがフリーズしてウンともスンとも言わなくなってしまい、再起動したりしているうちに、えらく時間がかかって大変な事態に陥る。そのため、事前に電波時計を使って手許の時計を超正確に合わせ、10時1秒になった瞬間にパソコンのキーを叩かなければならない。
ところが、昨年から状況は大幅に改善された。定員が大幅に増強されたのだ。一昨年は総定員10000人、うちインターネットでの受付が9000人だったのが、昨年は総定員が15000人になり、うちインターネットでの先着順が13800人になった。ざっと1.5倍だ。もちろん、定員が1.5倍に増えたって、希望者が何万にもいたら焼け石に水で、激しい競争は緩和されない。東京マラソンなんか定員が3万人もあるけど、何十万人も希望者がいるから競争率は10倍を超えている。徳島マラソンも一昨年まであんなに熾烈なエントリー競争が繰り広げられていたのだから、定員が1.5倍に増えたくらいでは厳しい競争が緩和されるとも思えなかったのだが、蓋を開けてみると、状況は大幅に変わった。
私自身は僅か2分待っただけでサイトに入っていけて、あっさりとエントリーできた。他のメンバーは不手際の連続で大いに手間取り、1時間以上も時間がかかったんだけど、それでも全員無事にエントリーできた。後から確認したら、13800人の定員がいっぱいになったのは、翌日のお昼頃だった。そして、受け付け開始から2時間後の夜中の12時までに申し込んだのは12000人程度だったらしい。つまり、一昨年まで9000人の枠を目指して熾烈なエントリー競争を繰り広げていたのは12000人だったって訳で、定員が13800人になって、その12000人が全員エントリーできてしまえば、後はなかなか埋まらない状況になったのだ。
て事で、今年も同じような状況だと思われたため、もうそんなに目をつり上げて必死にエントリーする必要も無いとは思われたが、これまで数々の油断による失敗を繰り広げてきた我々なので、一応は今年も時計を睨みながら、受付開始と同時にパソコンのキーを叩いてエントリーした。そして、昨年と同様に、全員あっさりとエントリーすることができた。
(支部長)「マラソン大会もバブルが崩壊してるみたいやからな」
(幹事長)「え!そうなん!?」
てっきり、異常なまでのマラソンブームは続いているのかと思っていたら、支部長が持ってきてくれた日本経済新聞電子版の記事によると、ピークは過ぎているらしいのだ。あまりにも衝撃的な記事なので、ここにご紹介する。
ランナー置き去り 市民マラソン、バブル崩壊
国内最大のマラソン大会、東京マラソンを2月26日に控え、今年も市民マラソンの季節が本格的に始まる。自治体などが誘致するマラソン大会は増える一方だが、それを支えるランナー人口が減少に転じていることはあまり知られていない。マラソン大会に「供給過剰」のひずみが出始めている。
■種子島マラソン、30年の歴史に幕
今年3月12日を最後に、ある市民マラソンがひっそりと姿を消す。「たねがしまロケットマラソン」だ。第1回の1987年から今年で30年。国内最大のロケット発射場、種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)がある種子島を縦断するマラソンで、多いときには3000人近くのランナーを集めた。
「参加者は年々減っている。このままでは町の財政を圧迫するばかりだ」「30年も続いた大会なのに……」「今年から鹿児島マラソンも始まった。あちらは日本ガスや京セラ、トヨタ系も協賛している。競合しても未来はない」――。
昨年9月26日、たねがしまロケットマラソンの主催者会議に南種子町長や、商工会議所の幹部が集まった。「こんな状態で続ければ、クレームが来るのは目に見えています。ランナーたちから惜しまれるうちに、有終の美を飾りましょう」。企画課主任の松木龍宏が、大会データを片手に主張。町長の名越修は「続けられないのか。わかった」と了承し、廃止が決まった。
種子島は風光明媚(めいび)な鹿児島県の観光名所だ。マラソンついでに観光を楽しむ人も多く、古参のランナーたちの間では知る人ぞ知る名マラソンだった。だが、参加者数の低迷に歯止めがかからず、昨年は1800人、ピークから4割減った。
「ブームの終わりなんでしょうね。参加者減を抑えられなかった」。松木は肩を落としながらも、今年で最後となる大会のため備品の発注などの準備に戻っていった。
■ランナーは減る、大会は増える
正月の箱根駅伝、2月の京都マラソン、東京マラソンと、この季節に盛り上がる市民マラソン大会の熱気からは想像できないが、実は、ランニングブームは頭打ちの兆候が出ている。笹川スポーツ財団(東京・港)が1年おきに実施している調査によると、年に1回以上ランニングをする「ランニング人口」は14年に986万人で、12年の1009万人から微減となった。
2月下旬にも公表される16年のランニング人口はさらに減少する見込み。2期連続での減少となれば、東京マラソンが開催され、ブームに火が付いた06年以降初めてとなる。同財団主任研究員の渋谷茂樹は、「コアなランナーはいるが、あまり熱心でなかったランナーが離れ始めた」と理由を解説する。
一方、フルマラソンの開催件数は急増している。マラソン大会の口コミサイト「ランネット」を運営するランナーズホールディングス(東京・渋谷)によれば、15年に開催された国内のフルマラソンの数は77大会。東京マラソンが始まった06年度の50大会から10年で35%増えた。
「供給過剰」のひずみは少しずつ顔を出している。
■さいたま国際、国内最高値
昨年11月13日に1万6000人のランナーが参加した第2回さいたま国際マラソン。マラソン歴5年の会社員、水田三喜男(46)は、脚をつらせながらも3時間30分台で走りきった。タイムには満足したものの、大会には不満が残った。参加費が「高すぎる」(水田)。
フルマラソンの参加費は1万5000円。抽選倍率が10倍を超える東京マラソンは1万800円、観光地の魅力十分な京都マラソンでさえ1万2000円だ。「景観などもみるべきものはなかった。なぜ、こんなに高いのだろう」といぶかしむ。
全国のマラソンに関する口コミサイト、ランネットには、「給食がなかった」「更衣室が満室で、女性の前で着替えた」といったコメントがあふれている。その数約1150件。
同大会に沿道警備のボランティアとして参加した鬼頭晃子(47)は、管理のずさんさに驚いた。「こんな状態でランナーが倒れたらどうなっちゃうんだろう」。コースに見物客が進入しないように見張ったり、競技中に倒れたランナーの救援を呼んだりするボランティアは大会に不可欠だ。通常、ボランティアリーダーと呼ばれるベテランがグループを管理し、指示を出す。だが、当日のリーダーは、スタート直前に、「ここにいてください」と一言残したきり6時間、1度も顔をださなかったという。「見回りをしながら、『異変はありませんか』と聞くのが普通。事故が起こっていたらと思うとゾッとする」(鬼頭)。
そもそも同大会は、1回目の大会ではフルマラソンの完走時間を4時間に設定していたが、昨年の第2回は6時間に拡大。その結果、参加者数は1回目の5000人から1万6000人に急増した。「給食がない」という苦情やボランティアの不足は、無理な参加枠拡大が原因になっている。
大会の不備についてさいたま市に尋ねると、「給食不足は、業者のミス。ボランティアについては、見込み違いだった」(スポーツイベント課)と認めるものの、イベント課副参事の横川康夫は、「完走時間を拡大したのは、市民ランナーを取り込み、みんなのマラソンにするためだ」と話す。
さいたま国際の無理な大会運営は、その発足の経緯と関連していそうだ。
■女子の低迷で消えた大会
日本女子マラソンの成長とともに、36回を数えた横浜国際女子マラソンが最後の大会を終えたのは14年11月のことだ。日本陸上競技連盟や、主催する新聞社が、財政難を理由に継続を断念したという。この大会は、女子のエリート選手の選抜の場ともなり、前身の東京国際マラソンはロサンゼルス五輪(1984年)での女子の正式種目採用の原動力になった歴史ももつ。
だが2007年に東京マラソンをはじめとする大規模市民マラソンが人気を集める一方、女子マラソンの低迷はスポンサー獲得を難しくしていった。
「女子マラソンの選考大会」という横浜国際の看板に飛びついたのが、さいたま国際だった。「ここから、世界へ。」をキャッチフレーズに、現職市長が旗振り役となり、観光資源の乏しいさいたまを盛り上げようと誘致した。
だが、主催団体の幹部は、「資金繰りが苦しい。参加者の負担増でまかなうしかない」と本音を漏らす。国内のスポーツ事情に詳しい専門家も「女子マラソンでは、野口みずきや高橋尚子など、視聴率をとれるスターが今はいない。それに加え、マラソン全体のブームが頭打ちになったのを見誤った」と指摘する。
市民マラソンの運営費は、自治体の予算、企業の協賛金、参加費でまかなわれる。この3つのバランスが良いほど、持続可能な大会になるといわれるが、さいたま国際の場合、全体の運営費約8億円に対し、さいたま市と埼玉県の支出が3億3000万円と、4割以上に上る。
東京や大阪、京都など、大都市のマラソンならば集客力や予算でカバーできるが、全国80カ所近くまでひろがった市民マラソンとその文化に生き残る道はあるのか。
(以下略)
(幹事長)「そうやったんかいな。全然しらんかった!」
(支部長)「参加費も高いしな」
そうなのだ。最近のマラソン大会の参加費は高騰を続けている。かつては、マラソン大会の参加料なんて3000円が相場だった。それがだんだん高騰していき、大都市のメジャーな大会は軒並み10000円を超えるようになってきた。6回目の応募で初めて当選して先月走った京都マラソンなんか12000円もした。それでも京都の町を走れるから渋々納得したが、田舎の堤防を走るだけの徳島マラソンの高騰には納得しがたい。徳島マラソンも最初は安かったが、毎年のように値上がりを続けてきて、今では9000円もする。いくらなんでも高すぎる。確かにマラソン大会は経費がかかるだろうとは思うけど、那覇マラソンなんか6500円だったし、タオルやTシャツやお弁当までくれて4000円の瀬戸内海タートルマラソンのような例もあるので、釈然としない。
まあ、それでもエントリー競争が少しでも緩和されたのは喜ばしい事だ。一昨年までは、エントリー競争があまりにも厳しかったから、無事にエントリーできたら、もう完走したような達成感を味わってしまい、本番なんかどうでもいいような気になっていた。まったく本末転倒だった。
〜 フラットなコースが人気の理由 〜
定員増によりエントリー競争が緩和されたとは言え、なぜ徳島マラソンの人気が高いのかと言えば、坂がほとんど無くて、とても走りやすいフルマラソンだからだ。今や日本中、至る所でマラソン大会が行われているが、フルマラソンでフラットなコースってのは意外に少ない。日本は山が多いから平坦なコースを片道21kmも確保できる場所は少ない、って事ではなく、交通規制の問題だ。21kmの平坦な道なんて、いくらでもある。ハーフマラソンではメジャーな大会になった丸亀マラソンだって、折り返し点を坂出から高松まで延長すればフルマラソンが行えるけど、ああいう幹線道路を長時間、交通規制してフルマラソンを開催するのは容易ではない。
東京都知事や大阪府知事みたいに絶大な権力を誇る政治家なら、警察も文句を言えないから、都心のど真ん中でマラソン大会を開催できる。しかし知事の力が強くない地方では、そう簡単にはいかない。香川県内では、交通量の少ない小豆島で行われる瀬戸内海タートルマラソンが唯一のフルマラソンだ。小豆島に限らず、交通量の少ない山間部や島嶼部なら大がかりな交通規制をしなくても42kmのコースを確保するのは比較的簡単だから、多くのマラソン大会がそういうコースで実施される。ただ、当然ながら、そういう場所では、どうしても坂が多いコースとなってしまう。なので、坂がほとんど無い徳島マラソンは、我々にとって、大変貴重なレースなのだ。
なぜ山間部でも島嶼部でもない徳島でフルマラソンの開催が可能なのかと言うと、吉野川という真っ直ぐな大河川があるからだ。この川の堤防の上をコースにすれば、大して交通規制をしなくてもフラットで真っ直ぐなコースを確保できるのだ。このように、徳島マラソンはコースとして魅力的なため、昨今のマラソンブームのせいで参加希望者が激増しているのだ。我々としても、同じ県内だけど船で行かねばならない小豆島より、徳島の方が行きやすいから、とてもありがたいフルマラソンなのだ。
しかし、裏を返せば、徳島マラソンのコースはつまらない。ただひたすら延々と吉野川の堤防を走るだけだからだ。はっきり言って途中から飽きてくる。前半の途中の10km辺りで飽きてくる。その後、折り返して吉野川の北側から南側に移ってしばらくは気分が転換するが、30km辺りで再び強烈に飽きてくる。30km辺りと言えば、体力的にも厳しくなってくる辺りであり、精神力が非常に重要になってくる辺りなので、そこで飽きがくると心が折れて致命的になる。なので、フラットではあるけど、精神的には厳しいコースと言える。
ところで、例年、徳島マラソンは4月下旬に開催される。一昨年は4月に統一地方選挙があって忙しくなるからという理由で、例年より1ヵ月も早まって3月下旬に開催されたが、いつもの年は4月下旬に開催される。ところが今年は、特に理由も無いのに3月下旬の開催となった。
(幹事長)「もしかして、これからは毎年3月の開催になるんかいな?」
(支部長)「暑くなる心配が無くなるから、ええ事やな」
私は反対だ。4月下旬なら気候も暖かくなってきて、天気が良いと暑いくらいになるが、個人的には大好きな季節だ。もちろん、記録的には、もっと寒い時期のレースの方が良い記録が出やすいんだけど、フルマラソンの場合、終盤には足を引きずって歩く事も多く、そうなると寒い季節の大会は辛い。
(幹事長)「4月下旬やったらトボトボ歩いても寒くないんやけどなあ」
(支部長)「最初から歩くことが前提やなあ」
(幹事長)「それはお互い様やろ?」
(支部長)「私は歩いても3月の方がええな」
支部長は暑がりなので、寒くなる心配はしていない。羨ましい限りだ。
〜 突然の欠場 〜
今年の参加メンバーは、私のほか支部長、ピッグ、國宗選手、ヤイさん、D木谷さん、小松原選手、W部選手と言った顔ぶれだ。
(幹事長)「ん?ピッグはもう出場のお許しが出たん?」
ピッグは2人の子供さんがこの春、受験だったから、しばらくマラソン大会には参加できなかったのだ。
(幹事長)「子供が受験やったら父親は家に居ない方が良いんじゃない?」
(支部長)「家におったら勉強の邪魔になるやろ?」
(ピッグ)「満濃公園リレーマラソンと丸亀マラソンに続いて3回目の同じ会話ですね」
もちろん、これは子供のためと言うより、奥さんの目が恐いからだろう。子供が受験勉強で大変なのに、父親がたわけたブタの格好してルンルン走りに行くなんて、奥さんとしては許せないのだろう。間違いない。
(ピッグ)「だから満濃公園リレーマラソンじゃないからブタの格好はしませんがな」
(幹事長)「諸悪の根源は那覇マラソンやな」
(支部長)「間違いないな」
去年の12月の初めに我々は沖縄の那覇マラソンに初参加した。春に子供さんが受験を控えていると言うのに父親が暢気に沖縄までマラソンに行ったりするから、奥さんの目が厳しくなったのではないだろうか?
て事で、ピッグは1月の満濃公園リレーマラソン、2月の丸亀マラソン欠場が続いた。でも今回、ようやく復帰できることになったのだ。
(幹事長)「お子さんの受験も終わって、なんとか放免されたってわけ?」
(ピッグ)「まあ、なんとか」
それから、今年はゾウ坂出も参加しない。ゾウさんは11月に出産したばかりなのだ。なので、普通なら1年くらいはマラソン大会なんか出られるはずがないんだけど、なんと2月初めの丸亀マラソンに出場してしまい、仰天したばかりだ。でも、今回の徳島マラソンには出場しない。
(幹事長)「さすがにフルマラソンは、まだ無理?」
(ゾウ)「いえ、そういう理由じゃなくて、何かあったらすぐに赤ちゃんがいる家に帰れるように、当分は出場を近場のマラソン大会に限定してるんです」
なので、5月の小豆島オリーブマラソンにも出ないとのことだ。
(支部長)「ゾウさんが出ないから油断してるやろ?」
(幹事長)「いや、ほんと、今年こそは負けるんじゃないかって、すごいプレッシャーやったからな」
ゾウさんは出産するまで、最近、めきめき力をつけてきて、負けが続いてきた。去年は1月の満濃リレーマラソンの2kmという短いコースでも初めて負けたし、2月の丸亀ハーフマラソンでは一昨年、去年と2年連続で負けてしまった。かろうじてフルマラソンだけはまだ負けてないが、この調子だと、フルマラソンでも負けるのは時間の問題だ。なので、出産のために去年、今年とゾウさんが出ないのはプレッシャーからの解放だ。
ところで、例年、直前になってドタキャンしてきた國宗選手からの連絡が、なかなか入らない。
(幹事長)「おかしい。まさか今年は参加するんやろか?」
(支部長)「まさか。どうせ直前になったら連絡が入るって」
なーんて待っていたら、やっぱり今年もレースの直前になって國宗選手から連絡が入る。レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。去年は汗見川マラソンから龍馬脱藩マラソンに至る夏場の山岳レース全シリーズを連続ドタキャンしたし。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、今週末の徳島マラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、急に出られなくなりまして・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、理由は聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?」
本当に仕事でした。これで徳島マラソンは4年連続の欠場だ。
ただし、國宗選手の名誉を守るために言うが、なにも彼はマラソンを止めてしまった訳ではない。それが証拠に、1月の満濃公園リレーマラソンでは恥ずかしいおサルの格好をして参加した。
(幹事長)「なんで選りに選って恥ずかしいおサルの格好を選んだん?」
(國宗)「あれが走りやすいんですよ。幹事長に圧勝したでしょ?」
確かに私は完敗したな。
さらにヤイさんも足の肉離れの具合が悪く、欠場すると言う。なんでも野球の練習のダッシュで悪化したらしい。
(幹事長)「野球なんかしてるヒマがあったらマラソンのトレーニングして下さいよ!」
(ヤイ)「いや、野球が本業ですから」
ただ、ヤイさんは徳島まで応援には来てくれる。心強い限りだ。
〜 徳島へ出発 〜
事前の天気予報では、レース当日の天気は曇りで、雨の確率も結構高かった。雨が降ったり風が吹いたりしたら寒いだろうって心配していたが、朝起きた時点では雨は降ってなかった。どんよりと雲が立ち込めて晴れる気配はないけど、ものすごく寒って感じでもないし、風も無いから、このままだとそれほど辛いレースにはならないかも知れない。
ピッグが車を出してくれて、支部長を5時15分に拾い、D木谷さんを5時20分に拾い、その後、私んちへ5時30分に来て、5時40分には高速道路に入る。去年はこれより15分遅いスケジュールだったが、去年の記事を読むと、駐車場が異常な混雑ぶりだったため、今年への教訓として「6時に高松発ではちょっと遅い。定員が増えたため、もっと早く出発しよう」って書いてあったからだ。
(支部長)「なんぼ早くても、老化が進んだ私らは平気やけどな」
その後、6時頃に津田PAでヤイさんを拾う。
(幹事長)「ヤイさんは応援って言ってましたけど、結局は走るんでしょ?」
(ヤイ)「今日は走りません!」
(支部長)「せっかくわざわざ徳島まで行って走らないなんて、もったいないやない」
(ヤイ)「これ以上、肉離れを悪化させたら野球に出られなくなりますから」
(幹事長)「野球の練習でダッシュなんかするから悪化したんでしょ?野球なんか止めたらどうですか?」
(ヤイ)「だから、野球が本業なんですってば!」
ところが、いざ徳島へ出発ってところで、ピッグが真剣な顔をして車の中を探しまくっている。
(幹事長)「どしたん?何か忘れたん?」
(ピッグ)「バッグが無いんですよ」
ピッグの全荷物が入ったバッグが見当たらないんだそうだ。慌てて全員で荷物を確認したけど、やっぱりどこにも見当たらない。
(支部長)「どこかで落とした?」
(ピッグ)「普通、落ちませんよねえ」
(ヤイ)「家から持って出ましたか?」
(ピッグ)「持って出たはずですけど」
(幹事長)「良い事を教えてあげよう。歳とると、あり得ないくらい忘れ物をするんだよ」
ピッグは私より10歳は若いが、それでもそろそろ物忘れが出てきても不思議ではない。そしてピッグが自宅に電話して奥さんに確認したら、やっぱり玄関先にピッグの荷物が寂しく置き忘れられていることが判明した。
(ピッグ)「ひえ〜。何も持ってきてませんがな!」
幸い、シューズだけは履いていたが、後はランニングパンツすら持ってない。でも、今から家に取りに帰っていたら確実にスタートに間に合わない。
(ヤイ)「ゼッケンは私のを貸してあげますよ」
(幹事長)「そんな事をしたらヤイさんが出られないじゃないですか!」
(ヤイ)「だから私は走らないって言ってるじゃないですかっ!」
なんとかヤイさんを走らそうとする企みはあっさりと崩れてしまった。
(支部長)「ランニングパンツなら私が貸してあげるよ」
(幹事長)「下半身裸で走ったら捕まるやないか!」
(支部長)「タイツはいてるがな!」
支部長はタイツだけで走ると言う。う〜む。ちょっとセクシー過ぎるような気もするけど。
Tシャツも支部長のを借りることになり、なんとかピッグも走れる目処が付いた。
(ピッグ)「それにしても情けないなあ」
(幹事長)「そうやって君も着実に大人になっていくんだよ」
なんとか騒ぎも収まったところで徳島に向けて出発し、車の中で朝食を食べる。最近はマラソン大会の日の朝食と言えばおにぎりに決めている。以前はマラソン大会の朝食と言えば、決まって菓子パンをたくさん食べていたが、マラソン大会で走っている最中にお腹を壊してトイレに駆け込むことがよくあり、この原因を深く考えてみたら、菓子パンが原因ではないのかって思えてきた。て事で、最近は菓子パンを止めておにぎりを食べるように変えた。そのおかげだと思うが、それ以降はマラソン大会でお腹を壊していない。これは単なる気のせいではなく、NHKの「ためしてガッテン」で、パンなんかに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいと言っていたので間違いないだろう。
去年と同じく、休日の朝の高速道路は空いていて、とても順調に進む。行き先は吉野川河川敷の臨時駐車場だ。徳島マラソンの受付会場には駐車場が無く、だいぶ離れた所にある臨時駐車場からシャトルバスで会場に移動するのだが、臨時駐車場は吉野川河川敷と沖洲マリンターミナルの2箇所ある。スタート会場には沖洲マリンターミナルが近いので、以前は沖洲マリンターミナルの臨時駐車場に車を停めていたが、シャトルバスがトンでもなく時間がかかって遅刻ギリギリになった事があったため、最近は吉野川河川敷の臨時駐車場を利用している。スタート会場までは多少遠いものの、割りとスムースに行けるのだ。
(ピッグ)「どういうルートにしましょうか?」
(幹事長)「去年と同じルートで行こう!」
徳島の高速道路は非常にいびつなルートになっていて、徳島ICまで行くとかなり遠回りになる。距離的に最も近いのは、高松自動車道の板野ICで降りて、そのまま一般道路で行くルートだ。ただ、駐車場周辺で道路が混雑すれば時間がかかるので、どちらにするか迷うところだ。
ところが去年は、よそ事を考えていたピッグが鳴門ICなんていう中途半端なところで降りてしまったため、その後のルートで私と支部長が「右だ」「いや左や」なんて叫きまくり、ピッグがますます混乱してトンでもない道を通ったため、渋滞に巻き込まれることなくスムースに駐車場へ到着することができた。
板野ICで降りても徳島ICで降りても鳴門ICで降りても、正しいルートは吉野川橋の北側へ行き、県道39線を通って吉野川橋を北から南へ渡れば、そこに吉野川河川敷の臨時駐車場がある、というルートだ。ところが去年、我々が臨時駐車場に到着した時は、吉野川橋の上が端から端までビッシリと渋滞になり、全く身動きできない状態になっていたのだ。別行動で移動していたW部選手は、板野ICで降りるという良い子のルートを通っていたら、吉野川橋の上で渋滞に巻き込まれて身動きが取れなくなり、僅か1kmの吉野川橋を渡るのに40分もかかって、危うくスタートに遅刻するところだった。ピッグが右往左往して訳の分からないルートを通ったからこそ我々は渋滞に巻き込まれずスムースに駐車できたのだ。これに懲りた渡B選手は今年は前日から徳島に入り、ホテルに宿泊した。
(幹事長)「去年はピッグの右往左往に助けられたから、今年もピッグの中途半端なルートで行こう!」
(ピッグ)「感謝の気持ちがあるんなら言い方を変えてください!」
去年の記事には、今年への教訓として「吉野川臨時駐車場へは西からではなく、遠回りになるけど東から攻めよう」と、ちゃんと書いてある。本当に役に立つホームページだ。
て事で、今年も鳴門ICを降りた後は、国道11号線をそのまま走って吉野川を渡って少し通り過ぎ、いったん市街地に入ってから右折を繰り返して狭い道を通って堤防まで戻り、堤防の狭い道を走るという遠回りルートで攻めたおかげで、今年も全く渋滞とは無縁のスムースな到着となった。
去年も駐車場へはスムースに到着したものの、駐車場はほぼ満杯状態で、駐車するのがギリギリだったけど、今年は去年より15分早めたおかげで駐車スペースも十分にあり、楽勝で停める事ができた。
(ヤイ)「マラソンと直接関係の無い行程の話を細かく書いているのは来年への備忘録ですか?」
(幹事長)「もちろん、そうです。ここに書いておかないと絶対に忘れますからね」
臨時駐車場に着いて外に出ると、結構、寒い。
(幹事長)「うわ、結構、寒いなあ」
(D木谷)「そうですね。寒いですね」
(ピッグ)「やっぱり3月はまだ寒いですねえ」
(支部長)「これくらいが良いんやってば」
ただ、いくら寒いと言ったって、2月の厳寒の京都マラソンに比べたらマシなので、寒さに対する恐怖心は今日は少な目だ。風もさほど強くないから、それほど走りにくくはないだろう。
スタート開場へ行くシャトルバスはいっぱい待機してて、どんどん運んでくれるので、全然待たずにバスに乗れた。
〜 会場到着 〜
徳島市内は慢性的に交通渋滞が発生するが、日曜日の早朝のため、特に渋滞に巻き込まれることもなく、7時過ぎには会場に着いた。スタートが徳島県庁前なので、会場も徳島県庁の周辺だが、なぜか毎年のように場所が変わる。去年はグランヴィリオホテルってところだったが、今年は徳島県職員会館だった。
2階が男子更衣室になってて、和室と洋室といくつか部屋があるが、どれも狭くて既に満室状態だ。それでも和室なら狭いスペースでも座れると思い、強引に割り込んでいく。
今年はゼッケンやチップだけでなく、パンフレットや記念品も事前に送られてきていたので、当日は受付がなく、単に着替えるだけだ。ちなみに今年の記念品はバッグだった。普通、マラソン大会の記念品と言えばTシャツと相場が決まっているが、徳島マラソンはTシャツ以外の時もある。ランニング手袋だったこともあるしペットボトルホルダーだったこともある。昔の記念品Tシャツは品質が悪かったから、どんどんヨレヨレになっていって次々と消費できていたが、最近のTシャツは品質が良くて、どれだけ着て洗濯してもなかなかヨレヨレにならないから、着てない新品のTシャツが山のように溜まる一方なので、Tシャツでない記念品は嬉しい。
(支部長)「そうは言っても、このバッグはチャチ過ぎるんじゃない?」
(幹事長)「薄くて軽いから持ち運びには便利やけど、耐久性に不安があるなあ」
かつて屋島一周クォーターマラソンでは素晴らしく立派なスポーツバッグをくれたことがあり、支部長なんかは長年愛用していたが、おそらくあれは何かの残り物だったのではないかと思われる。参加人数が極端に少ない草レースだからこその豪華景品だった。徳島マラソンのような大規模大会で豪華景品を期待してはいけない。
さて、次はいよいよ何を着るかを決めなければならない。「何を着るか」は、どんな季節でも最も重大な課題だ。特に、今日のような寒い日には死活問題となる。
(ピッグ)「相変わらず着るものに悩みますねえ」
(支部長)「せやから、そんなん関係無いって。暑かろうが寒かろうがタイムには何の影響も無いってば」
もちろん、タイムという観点からは、結果的に見ると、暑かろうが寒かろうが何を着たかでタイムに影響があった記憶は無い。暑いときもあれば寒いときもあるけど、タイムはそれ以外の体調とか練習不足とかの要因で決まる。て言うか、寒いのは辛いがタイムはむしろ寒い方が良いことが多いし。しかし、冬期のマラソンでは、寒さはタイムじゃなくて死活問題になる恐れがあるのだ。
(幹事長)「支部長やって2月の丸亀マラソンで寒さで震えてたやないの」
(支部長)「あれは体調悪化で寒い中を歩いたからや」
(幹事長)「今日もフルマラソンやから終盤は歩くぞ」
(ピッグ)「やっぱり歩くことが前提ですか」
もちろん、フルマラソンだからと言って常に終盤を歩く訳ではない。でも、最後まで歩かずに走ったレースでも、フルマラソンになると終盤、疲れて足を引きずって歩くようになるので、終盤の走るペースってのは歩くのと変わらない。自分の主観では走っているつもりでも、他人が見たら歩いているのと変わらない。それくらい遅いペースになると、歩いているのと同じように体は寒くなる。特に徳島マラソンの場合は、吉野川の堤防は例年、風が強く、気温が低い時は本当に寒くなる。
て事で、今日は防寒対策を万全にしなければならない。まずは、去年の丸亀マラソンの会場で買った防寒用の長袖ランニングシャツを着る。生地の厚さはそんなに厚いってわけでもないが、背中の首筋の部分が補強されて暖かくなっている。その部分が暖かいと、身体全体が暖かく感じるのだそうだ。その上には龍馬脱藩マラソンでもらったTシャツを着る。このTシャツの選択は、今回はオレンジ色で統一したかったからだ。去年の秋から履いているシューズはオレンジ色で、妙に派手なので、何を着てもシューズだけが浮いて見える。そこで今回は、逆にウェアをシューズに合わせてオレンジ色で統一しようと思ったわけだ。実は先月の京都マラソンでも同じウェアだったが、派手ではあるが統一感があってなかなか気に入ったのだ。
下はオレンジ色のランニングパンツの下にランニングタイツを履いた。最近は、9割以上のランナーがランニングタイツを履くほど普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてないので、普段は履かない。でも今日は防寒用に履く。もちろん、普段は履かない手袋も必需品だ。雨が降ったらランニングキャップも必要だろうけど、なんとか雨は降らずに終わりそうなので、キャップは被らない。
ピッグは支部長から借りたTシャツとランニングパンツで問題ないようだ。これが私だったら困り果てるところだが、もともと着るものに無頓着で、どんな季節でも短パン半袖だけのピッグだからこその適応力と言える。
(幹事長)「羨ましい無頓着ぶりやなあ」
(支部長)「幹事長も一度、自分を追い込んでみたら?」
いざとなったら私でも少しは適応力が出てくるかもしれないが、取りあえずは準備を万端にせねばならない。一応、長袖の半袖と2枚着たらなんとか寒さはしのげるとは思うけど、それでも不安なので、イザという時のための防寒用のビニール袋をポケットに入れておく。ポケットにはティッシュとハンドタオルも押し込む。さらに終盤になって走るのが飽き飽きしてきた時のためにウォークマンも入れておく。
(支部長)「ポケットがパンパンになってるで」
(幹事長)「そういう支部長はタイツやからポケットが無いやん」
ランニングパンツをピッグに貸した支部長は下半身がタイツだけで、セクシー過ぎる格好となった。女性でタイツだけってのは嬉しいが、男でタイツだけってのは怪しい。ただし支部長はウェストバッグを付けているので荷物は運べる。
着替えが終わると、トイレを考える。普段なら7時頃に起床して朝食を食べてから大きい方をするが、今日みたいに早起きして車の中で朝食を食べるとトイレに行くタイミングが難しい。ただ、今日は駐車場にスムースに車を入れるために早く来たため、スタート時間までまだ1時間半もある。なので時間を気にする必要は無いため、大の用を足しにトイレに行くことにする。
もちろん、マラソン大会の会場でトイレに行くのは大変で、今回も例外ではなく、当然ながらトイレの前には長蛇の列が出来ていて、列の流れは非常に悪そうだ。いくら時間はたっぷりあると言っても、トイレの前で展望無く長時間待つのは嫌だ。しかし、最近、空いているトイレを探すのが得意になっていて、動物的勘により的確に空いているトイレを探し出せるようになった。たいていの場合、臨時の仮設トイレじゃなく、既設の建物の、しかも奥まった分かりにくい場所にあるトイレは空いている。今回も簡単に探し当てる事ができ、案の定、ガラガラだったので、余裕を持って用を足すことができた。
トイレも終わり、外で集合写真を撮る
(左からヤイさん、支部長、ピッグ、幹事長、D木谷さん)
だいぶゆっくりしてたが、係の人が「手荷物預けは8時30分までですから急いでくださーい!」て叫び始めたので、慌てて手荷物を預けに行く。
去年は手荷物を預ける場所が遠くて、手荷物を預けに行くのが大変だった。文句が出たからかもしれないが、今年は更衣室からスタート地点に行くまでの間に手荷物を預ける場所ができたので、とても楽になった。と喜んでいたら、道が狭いもんだから、とても混雑していて、なかなか身動きが取れない状態になってしまった。ま、ギリギリじゃなくて、もっと余裕を持って預けに行ってれば良かったんですけどね。
〜 集合 〜
手荷物を預けたらスタート地点に並びに行く。コースは去年から少し変更になり、同時にスタート地点も少し変更になった。コースが変わったからスタート地点も変わったのか、その逆なのか分からないが、たぶん、参加者が増えたため従来のスタート場所では道が狭くて収容しきれなくなったためスタート地点が変わり、その影響でコースも少し変わったのではないだろうか。一昨年までは、ちょっと裏道的な道路を出発して、しらさぎ大橋を渡って吉野川北岸に出ていたが、去年から県庁前の広い国道11号線を走って吉野川大橋を渡って吉野川北岸に出るようになった。個人的には新しいしらさぎ大橋を通るコースの方が気持ち良くて好きだったが、仕方ない。
スタート地点は県庁前の国道11号線で、スタート地点の集合場所は、申告タイムの順番になっている。これは速いランナーと遅いランナーが一緒くたにごちゃ混ぜになっているとスタート時の混雑がひどくなり、混乱するからだ。速いランナーにしてみれば、遅いランナーが混じっていると邪魔になって走りにくいし、遅いランナーだって周りが速いランナーばかりだと走りにくい。分けた方が速いランナーも遅いランナーもスムースに走りやすい。どうせタイムはチップでネットタイムを計測してくれるから、無理して前の方からスタートする必要は無い。
さらに、今年は単にブロック分けしているだけでなく、S、A、Bの3ブロックの前半集団と、C、D、Eの3ブロックの後半集団のスタート時間を10分間ズラすウェーブスタート方式となった。丸亀マラソンでも今年から採用された方式だが、これで混雑は一段と緩和される。丸亀マラソンの時は後半集団の前の方が集合場所だったから、前方にランナーが少なく、とっても走りやすかった。なのでウェーブスタート方式の場合は後半集団の前の方が一番走りやすいと分かった。
ところが今日は、支部長とピッグはCブロックで後半集団の前の方という絶好の集合場所になったが、私とD木谷さんはBブロックで前半集団の後ろの方という嬉しくないポジションになった。前には大量のランナーがいて、失敗だった。
前半集団とは言え、その中では後ろの方だから、全部で15000人も出場するランナーの前から半分くらいのポジションなので、スタート地点から随分南へ歩いていった。
途中、前の方に整列していた小松原選手と出会う。
(幹事長)「さすがに速いランナーは前の方におるんやな」
(小松原)「でも今年は激務が続いてて心身ともにボロボロで、完走するのがやっとですよ」
もちろん小松原選手のレベルの話だから我々よりは遙かに速いとは思うけど、走る前から見るからに疲れていた。
相変わらず厚い雲が立ち込めてお日様が出る気配はなく、気温も上がりそうにない。スタート地点は人が大混雑しているから寒くはないが、このまま堤防の上に出たら寒いこと間違いない。この大会は、本当に気温に翻弄される。一昨年は今年と同じ3月末開催だったが、暑くて、スタート直前になって長袖シャツを脱いで腰に巻き付けて走った。去年は4月末の開催だったが中途半端な気温で、悩みに悩み、結局、スタート直前に半袖Tシャツ1枚になって走った。逆に今年は長袖と半袖を着てても寒そうなので、ここで防寒用のビニール袋を被った。
だんだんスタート時間が近づいてきたので、本日の目標を決めなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、大会自己ベストの更新を狙うのが良い子のあるべき姿だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。しかも、この徳島マラソンは坂の無い高速コースなので、良いタイムを狙いたいのが常だ。
しかし、今年は大会自己ベストは期待薄だ。理由は去年12月の交通事故だ。去年12月4日の那覇マラソンの直前に交通事故で肋骨を3本も骨折してしまい、12月いっぱいは安静を余儀なくされていたのだ。ようやく軽くジョギングし始めたのは1月初めの満濃公園リレーマラソンの直前からで、そのため満濃公園リレーマラソンでは想像を絶する遅さで惨敗した。自分では全力疾走しているつもりなのに、トンでもなく遅いのだ。理解を越える空前絶後の遅さだった。1ヵ月の安静期間のうちに筋力が極端に弱っていたのだ。もともと真面目にトレーニングしている人なら、1ヵ月も休めば走力は大幅に落ちるだろうけど、私のように、もとからチンタラ練習しているだけのランナーなら、1ヵ月くらいサボったって大した影響は無いように思えるのだが、レベルが低ければ低いなりに、やはり落ちるようなのだ。
さらに、筋力の低下により足が動かないだけでなく、呼吸も思うようにできなくなった。肋骨の骨折の治療は自然治癒を待つしかないんだけど、くっつきかけた肋骨が再び広がってちぎれないように、胸にバストバンドを巻いて胸が広がらないようにしていたせいで、バストバンドをはずしても胸が広がらなくなってしまった。胸の筋肉が小さくこわばって深呼吸ができなくなったのだ。
てな訳で、2月の丸亀マラソンは、完走すら不可能だろうと思いながら参加したんだけど、ハーフマラソンとは言え、最後まで余裕を持って完走することができた。最初から最後まで遅いタイム設定のペースランナーにピッタリと着いていったのが功を奏したのだ。最初から徹底して抑えたペースだったため、最後まで足がヘタることなく何の問題も無くあっさりと余裕を持って完走できたので、本当に気持ち良かった。
その2週間後には京都マラソンがあった。丸亀マラソンは余裕を持って完走できたが、それはハーフマラソンだったからであり、フルマラソンの京都マラソンは完走が難しいだろうなあって思いながら参加した。ところが、途中で亀ちゃんに久しぶりに再会し、ずうっと一緒に走ってもらったおかげで、これまた最後まで歩くことなく完走できた。
て事で、ハーフマラソンもフルマラソンも最後まで完走できたので、満濃公園リレーマラソンの後に感じていた不安感は払拭された。ただ、そうは言っても、丸亀マラソンも京都マラソンも、どちらもあくまでもペースが遅かったから完走できたものだ。完走できて嬉しかったけど、タイムはトンでもなく遅く、普通の状態なら惨敗中の惨敗と言えるような遅さだった。なので今日も、完走はできるだろうけど、良いタイムは期待できない。坂が多かった京都マラソンですら、ギリギリで5時間は切ったから、坂が無くてフラットな徳島マラソンなら、いくらなんでも5時間をオーバーするなんて恥ずかしい事態は避けられるだろうが、大会自己ベストは不可能だろう。とにかく最優先目標は一歩も歩かずに完走する事であり、そのためには最初から抑えたペースで走らなければならないからだ。
(支部長)「最初から抑えたペースなら安心という訳ではないけどな」
(幹事長)「去年の悪夢が蘇るな」
今年と違って、去年は怪我もなく、体のどこも痛くなく疲れも無く、天候も暑くもなく寒くもなく例年のような風も無く、絶好のコンディションだったし、終盤に撃沈しないように前半から徹底的にペースを抑えて一定のペースで走り、最後まで一歩も歩かなかったにもかかわらず、途中で歩きまくった時より悪いタイムだった。怪我からの回復途上で、しかも坂が多かった先月の京都マラソンよりも悪いタイムだったのだ。
以前なら、どんなに遅いペースでも全然歩かずに最後まで完全に完走できたら、そんなに悪いタイムにはならなかった。いくら遅いと言ったって、走るのと歩くのではペースが違うからだ。逆に、一度でも歩いてしまうと心が切れてしまって、「ちょっとだけ」は通用しなくなり、歯止めが無くなって繰り返し歩いてしまうから、惨敗は免れない。
だから、一歩も歩かなかった去年の徳島マラソンの空前絶後の惨敗は、いったい何が起きたのか今だに信じられない気持ちだ。あの惨敗を考えれば、今回も、最後まで完走できたとしてもタイムが良いとは限らない。
ただ、最後まで歩かずに完走できたレースは、裏を返せば足が痛くならなかったレースだ。足が痛くならなかったからこそ最後まで歩かずに完走できるのだ。どんなレースでも終盤は足が棒の様に重くなってしんどくなり、ペースは極端に落ちて歩くようなスピードになるけど、どんなに足が重くなっても、痛くさえ無ければ、なんとか精神力で乗り切って足を引きずりながらゆっくり走り続けることができる。
しかし、足が痛くなると我慢できない。辛くて辛くて歩かざるを得なくなる。立ち止まって屈伸したりして、なんとか痛みを取るしかないのだ。こうなると、タイムが多少良かったとしても足が痛くなるよりは、タイムは徹底的に悪くても足が痛くならない方がマシだ。なので、タイムはさておき、最後まで足が痛くならずに完走できる事を目指したい。
もちろん、いくらタイムは度外視と言っても、5時間オーバーなんて恥ずかしい失態だけは避けたい。なので平均のペースは7分/km以内だ。終盤では確実に7分/kmをオーバーするだろうから、最初は6分半くらいのペースで臨みたいぞ。
(支部長)「それで練習はしてるん?不十分とは思うけど」
(幹事長)「まさに不十分を絵に描いたようです」
2月の京都マラソンを完走して不安感を払拭してからと言うもの、油断しまくって、まともに練習はしていない。1週間前は大山へ雪山登山に行ったし、2週間前には娘とスノーボードに行ったし、まともなランニングの練習は3週間前が最後だ。
(支部長)「フルマラソンを舐めたらあかんで」
(幹事長)「昨日ゴルフに行った者に言われたくはないな」
実は2月の丸亀マラソンの時も、1週間前に雪山登山に行ったけど、最後までしっかり走れたから、登山は少しはマラソンの練習にもなるのかもしれない。
練習不足と言えばピッグも同罪だ。彼は那覇マラソン参加の懲罰としてしばらく謹慎していたので、ロクに練習できていないはずだ。
(ピッグ)「あくまでも自主的な自粛であって罰を受けてた訳ではありませんから」
(幹事長)「じゃあ練習した?」
(ピッグ)「昨日と一昨日、20分ずつくらい走りました」
(幹事長)「舐めとんか!」
一瞬、2日連続で20km走ったのかと思ったが、聞き間違いだった。フルマラソンを走る心構えがなっていない。
(幹事長)「ランナーとして恥ずかしくないんか?」
(ピッグ)「今日はタイムなんかは気にせず、走れることの喜びを噛みしめようと思います」
会話がかみ合ってないが、今日はピッグに負けないことだけは確かだろう。
遠くでは開会式が始まったようで、何も見えないが場内放送の声だけは聞こえてくる。今年は野口みずきがゲストに来ているようだ。彼女も我がアイドル高橋尚子様と同じオリンピックの金メダリストなんだけど、高橋尚子様に比べたらどうしても地味で、華やかさに欠ける。だが実は私は、野口みずきも高橋尚子様と同じくらい好きだ。高橋尚子様は元来走るのが大好きで、ものすごいトレーニング量なんだけど、悲壮感が無かった。悲壮感をうまく隠していただけかもしれないが、それが功を奏して明るいイメージが定着している。それに比べて野口みずきは、どうしても悲壮感が漂い、何となく暗いイメージになってしまっている。でも彼女の真面目さは大好きで、現役時代は心から応援していた。引退してどうなるのかなあ、なんて勝手に心配していたけど、結婚もしたし、こういう大会にも呼ばれるようになって、良かった良かった。
〜 スタート 〜
いよいよスタートの号砲が鳴ったが、我々の場所からスタート地点までは、まだまだ長いので、しばらくしてようやくノロノロと動き出す。動いたり止まったりしつつ、しばらく進むとようやく遠方にスタート地点のアーチが見えてくる。アーチの横では野口みずきが声援を送ってくれている。間近で見ると、思った以上に明るい雰囲気で、とても好感が持てる。
スタート地点を越えると、小走りができるようになる。まともに走れないのでフラストレーションも感じるが、ウォーミングアップ代わりと割り切れば良い。それに、以前のコースは序盤に狭い道を折れ曲がったりして結構、混雑したが、去年から広い国道をストレートに走るようにコースが変わったため、混雑はひどくない。
しばらくすると走りやすくなってきたが、どれくらいのペースで走るべきか悩む。ふと横を見ると4時間のペースランナーが走っている。
(幹事長)「取りあえず、あれに着いて行きましょうか?」
(D木谷)「そうですね。ちょうど良いですね」
て事で、まずは4時間のペースランナーの後を着いていく。丸亀マラソンで最初から最後までピタリと着いていって楽勝だった2時間のペースランナーと同じペースのはずだから、1km5分40秒くらいのペースだろう。
実際のペースはどれくらいかなあと思ったんだけど、最初の1km地点の距離表示は見落としてしまい、次の2km地点も探していたんだけど連続で見落としてしまった。実は去年も最初の1kmと2kmの距離表示は見つけられなかった。まさか最初の2kmは距離表示が無いんだろうか。そんな事ってあるだろうか。でも2年連続で見落とす事も考えにくいので、距離表示は無いのかもしれない。なんでや!?
ただ今年はペースランナーに着いて行ってるので、距離表示が無くてもそれほど不安ではない。
コースは国道11号線を真っ直ぐ北上して吉野川大橋を渡るが、吉野川大橋の真ん中でようやく3km地点の距離表示がある。ここまでで平均1km6分10秒くらいのペースだ。4時間のペースランナーの割りには遅いが、序盤は混雑があるから仕方ないのだろう。
なーんて思っていたら、遅れを取り戻すかのようにペースランナーがペースを上げ、着いていくのが少しきつくなってきた。もちろん、これがハーフマラソンならどうってことなく着いていくペースなんだけど、フルマラソンでこのペースで着いていくと、後半は潰れそうな気がしたので、そろそろ諦めてペースを落とす。気が付くとD木谷さんの姿も見えない。前に行ったのか後ろに下がったのか分からないが、このまま独りで走るしかない。
徳島マラソンのコースは基本的に橋と堤防の上を走るので、例年、北西からの強風に苦しめられるが、今年は風が弱くて走りやすい。気温は低めだが、風が弱いので寒くはない。て言うか、走るにはちょうどいい気象条件だ。
吉野川大橋を渡って吉野川北岸の堤防の道路に入ると、第1救護所があり、しばらく進むと4km地点がある。この1kmは6分を少し切っており、まあまあ良い感じだ。
と思ったんだけど、吉野川橋の付け根の5km地点で見ると、なんとこの1kmは7分もかかっている。あり得ないペースダウンだ。実感としては同じペースで走っており、1分以上もペースが変わるなんて、どう考えてもあり得ない。て言うか、1km7分なんて、終盤に足を引きずり始めた頃のペースだ。この序盤でそんな遅いペースは絶対にあり得ない。
数年前から感じてる事だが、やはりこのマラソン大会は距離表示が不正確だと思う。この区間に限らず、同じペースで走っているつもりなのに、区間によるタイムの変動が激しいのだ。坂も無ければ風も無いし、立ち止まったりもしていないのに、いくらなんでも1kmで1分も変動するって、絶対にあり得ない。しかも毎年、区間によるペースの上下が同じパターンなのだ。なので1kmごとのタイムの変動に一喜一憂してはいけない。
ただ、5kmごとには正確にタイムを計測する機器が設置されているので、おそらく距離も正確だろうと思われる。で、この最初の5kmの平均タイムを見ると1km6分20秒弱だ。なかなか良いペースで走っていたつもりなのに、最後の1kmで誤差が激しかったので、結局、なかなか悪いペースになっている。なんだかガッカリだ。
吉野川橋の付け根の5km地点には第1給水所があり、普通なら走り始めたばかりの給水所はパスするんだけど、今日は最初からこまめに給水することにした。
最初の5kmは、思いの外、イマイチのペースだったが、無理するのは厳禁なので、今の自然体で走っていくと、その後、6km地点、7km地点、8km地点、9km地点でのラップは1km6分前後で安定して、再び良い感じになった。
ところが、10km地点で確認して、再び、びっくり。またまたこの区間で大幅にペースダウンして1km7分近いラップになっている。あり得ないペースダウンだ。実感としては同じペースで走っており、1分近くもペースが変わるなんて、どう考えてもあり得ない。絶対にこのマラソン大会の距離表示は不正確だ。なので1kmごとのタイムの変動に一喜一憂してはいけない。
ただ、5kmごとには正確にタイムを計測する機器が設置されているので、5kmごとのタイムは正確だろうと思われるので、この5kmの平均タイムを計算すると1km6分10秒ちょっとだ。決して速くはないが、最初の5kmよりはマシだし、一応、許容範囲だ。このままペースを維持できれば、そんなに悪くはない。
なーんて思ったんだけど、その後、11km地点、12km地点、13km地点、14km地点、そして15km地点と、6分30秒前後のラップが続いた。この5kmは大きな変動は無く、距離表示不正疑惑は出なかったが、コンスタントに1km6分30秒もかかっているのは間違いない。まだ10km過ぎで早くもこんなに大きくペースダウンしているなんて、かなり驚いた。驚くと同時に危機感を感じる。まだ1/3しか走ってないのに、こんなに大幅にペースダウンするなんて、一体どういう事だろう。今日は調子は悪くないと思っていたのに、一体何が起きたんだろう。
確かに、さきほどから追い抜いていくランナーが増えてきた。しかも、10分遅れでスタートしたCブロック以降のナンバーを付けたランナーがどんどん追い抜いていく。これは相当ヤバイ状況だ。
実感としても、どんどん足が重くなってきた。明らかに終盤に近づいたときの状態だ。おかしい。おかし過ぎる。
その後も着実にペースは落ちていく。今日は給水所ごとにこまめに水を取っているし、エネルギー補給のために飴やソイジョイももらったんだけど、何の足しにもなっていないようだ。
そして20km地点でのラップは再び7分をオーバーしていた。5km地点で7分オーバーしていた時は絶対に距離表示の間違いだと確信したが、今回は着実にペースダウンしていった末の7分オーバーだから、間違いではないだろう。まだ半分しか走ってないのに早くも7分オーバーだなんて、もう絶望的だ。とは言え、まだ足が痛い訳じゃないので、取りあえず折り返して吉野川の南岸まではたどり着こうと思う。
しばらく行くと、ちょうど半分になる21km地点の表示がある。これでなんとか半分終わったっていうのは嬉しい。取りあえずホッと一息だが、この1kmはさらにぺーダウンし、7分を大きくオーバーしていたから、絶望感はさらに高まっていく。半分が終わった段階でこの状態ってのは、完走すら危うくなってきた。
さらにしばらく進むと西条大橋が現れる。去年からコースが少し変わり、西条大橋の付け根付近で吉野川から離れてだいぶ北の方まで走らされ、折り返し点で再び西条大橋に向かって折り返してくる。すれ違いながら他のメンバーを探してみるが、ランナーが多いこともあって、前にも後ろにもメンバーを見つける事はできなかった。
西条大橋に入る手前の23km地点や西条大橋の終盤にある24km地点でのラップは7分半を越え、普段ならレース終盤に足を引きずっているペースになった。
第6給水所を過ぎてしばらく進むと25km地点の計測があり、この1kmはなぜかペースアップになっていたが、恐らく距離表示が不正確なだけだろうし、こんな状態で多少ペースアップしてたって嬉しくもなんともない。取りあえず25kmまで走れたというだけだ。
相変わらずコンスタントに大勢のランナーが追い抜いていく。なんでみんなそんなに速いんだろうって思うけど、単に自分が異常にペースダウンしているだけだ。とにかく今、頭にあるのは、27km地点にある第7給水所のそば米汁の接待だけだ。
と思って頑張るんだけど、26km地点、27km地点のラップは8分近くになっていた。普通なら終盤に歩き始める頃のペースだ。一体なにが起きたんだろう、って感じ。
でも、とにかく第7給水所まで辿り着いた。ここにはそば米汁や半田そうめんのお接待があり、かつてはこの休憩ポイントが楽しみで仕方なかった。しかし、最近は少しでも良いタイムを目指してパスしている。時間をロスするだけでなく、いったん休んでしまうと足が固まってしまい、再び走り始めることができなくなるんじゃないかっていう不安があるからだ。でも今日は、この先どんなに頑張ってもロクなタイムにはならないし、やる気も失せてきているので、ここで本格的に休憩することにした。
そば米汁を1杯もらうと、ちょっと生き返った気分になる。半田そうめんも頂こうかと思ったけど、冷たいそうめんを食べるとお腹具合が悪くな恐れがあるので、暖かいそば米汁をもう1杯もらう。それからトイレに行こうと思ったが、どのトイレも行列ができているので、そば米汁をさらに1杯もらってトイレに並びながら食べる。ここまで時間を消費すると、もう居直ってしまい、しゃがみ込んで休憩する。
いったん、こんなに本格的に休んでしまうと、その場は元気回復したような気になるが、足がすっかり終了モードになってしまっているので、再び走り始めても、すぐに足が重くなってまともにレースに復帰するなんて不可能な状態になる。いくら頑張ろうと思っても、足が言う事を聞かなくなるのだ。
それは分かっているんだけど、もう休まざるを得ない状態だ。肉体的な疲れだけじゃなく、精神的にも闘争心は皆無になり、もうやる気は全く無いのだ。こんな状態で重い足を引きずって再び走りだす気は起きない。
とは言え、ここでいつまでも休める訳でもないので、仕方なく立ち上がり、トボトボと走り始める。去年も異常なまでにペースダウンして苦しんだが、今日はそれ以上の最悪の状態だ。去年は終盤の撃沈を避けるために序盤から超スローペースで走ったのに、中盤から早くもペースダウンして、最後まで一歩も歩かずに完全に完走したにもかかわらず、空前絶後の惨敗となった。その反省もあって、今日は序盤に、そこまで超スローペースではなくそこそこ良いペースで走ったと思うけど、去年以上に早い段階で撃沈してしまった。一体どうすれば良いと言うのだろう。
一体この先、どこまで走れるのだろう。なーんて思いながらトボトボ走り始めたとたん、なんとリタイアバスが待っているではないか!こんな良いタイミングでリタイアバスが待ってくれているなんて、まるで私のために待ってくれているようなものだ。おいでおいでと呼んでいるではないか。
躊躇う余地も無く、リタイアバスに引き寄せられていき、係の人に聞いてみる。
(幹事長)「このバス、いつ出ますか?」
5年前に、暴風雨によるアクシデントでリタイアした事があったが、その時は冷たい雨の中、リタイアバスを2時間も待たされ、低体温症になって辛い思いをした事があるので、リタイアバスが出るまで長時間待たされるくらいなら、今日の天候なら歩いて帰ろうかと思ったのだ。
(係員)「あと20分くらいで出ます」
(幹事長)「え?そんなに早く!?じゃ、乗せて」
すると係員は、私をジロジロ見ながら
(係員)「でも元気そうですねえ」
なんて言う。これまでマラソン大会の係員ってのは、苦しそうに走っていると「大丈夫ですか?リタイアしますか?」って心配して声を掛けてきてくれて、どちらかと言えば勇気あるリタイアを勧めてくるのが普通だったんだけど、この係員は私に対して不信感を抱いている。
(幹事長)「え?い、いやいや、足が痛くて歩けないんですぅ」
と慌てて適当な事を言ってリタイアバスに乗せてもらう。本当はまだ足は痛くはないんだけど、このまま走り続ければ痛くなるだろうと思うから、全くの嘘ではない。
(ピッグ)「いや、それは嘘でしょ。リタイアバスは本当に走れなくなった人のために用意されているのだから、まだ走れる元気な人が乗っちゃダメですよ」
(支部長)「そんな事はない。かつて塩江マラソンでは、私が一生懸命走っているのに、後ろから来た救護車がしつこくリタイアを勧めてきたから、仕方なく乗ったりしたぞ」
(ピッグ)「それは最後尾をヨタヨタ走っていたからでしょ!」
バスに乗り込むと、タオルと水と、防寒用にアルミのレスキューシートまでくれた。そんな大変な状況でもないので、とても心苦しい。
(ピッグ)「そうでしょ?後ろめたいでしょ?」
隣のシートには、本格的なランニングシャツ、ランニングパンツの速そうなランナーが乗っていて、どうしたのかと思ったら、なんと「足を骨折してしまった」との事だった。ひえ〜。足を骨折してるんならリタイアバスなんかに乗らないで、救急車か何かで病院に駆けつけた方が良いと思うのだが。そういう人を見ると、ますます後ろめたくなってしまう。
発車まで20分あるから、窓から走ってくるランナーを見る。支部長が苦しそうに走ってきたら声をかけて一緒にリタイアを誘おうと思ったりもしたが、見つけられなかった。20分近く経ったら、片O氏が走ってきた。彼も徳島マラソンには欠かさず出ているようだ。ボロボロになった私より、さらに20分も遅れているから、決して順調な走りではないはずだが、見たところ足取りは重くなく、問題なく完走しそうな勢いだ。そういうのを見ると、思わず私もレースを再開したくなってきたが、無理言って乗せてもらっているので、自重した。て言うか、恐らく、再開してもすぐにまた撃沈しそうだ。
バスは20分ちょっと経ってから出発し、道路も混雑してなかったので、ゴールの陸上競技場まで順調に着いた。リタイアしたのがスタートからちょうど3時間後だったので、バスが出るまで待ったりしたが、それでもまだ4時間も経過していない。なのでうちのメンバーが帰ってくるまでには、まだ時間がある。て事で、真っ先にタダで接待してくれるうどんを食べ、それから荷物を受け取って着替えも済ませた後、ゴール横でみんなの帰りを待つ。
まず最初は予想通りD木谷さんが帰ってきた。
(D木谷)「うわ、速いですねえ。あのまま突っ走ったんですか?」
(幹事長)「いえいえ、情けないことに27kmでリタイアして早々に帰ってきました」
最初は一緒に4時間のペースランナーに着いて走っていたD木谷さんだが、ちょっと速いと思って早々に離れたんだそうだ。私はさらにしばらくペースランナーに着いていったんだけど、それが悪かったからかどうか分からないが、その後、撃沈してしまった。
(D木谷)「私も序盤から自重した割りには、その後もイマイチで、あんまり良いタイムじゃなかったんですよ」
確かに、彼としてはあんまり良いタイムではなかった。私も最近、よくあることだが、最初から飛ばせば終盤に撃沈するのが目に見えているからと言って、最初からあんまり抑えすぎると、結局、最後まで遅いままでパッとしたタイムにはならない。終盤に撃沈したら元も子もないが、最初はある程度は飛ばした方が良いのかも知れない。
しばらくするとピッグも帰ってきた。レースへの出場禁止措置でしばらく自宅謹慎していたから、今日は絶対に私より遅いだろうとまで予想していたピッグだが、なんと予想外の好タイムで帰ってきた。
(幹事長)「どしたん!?何があったん?まさか密かに練習してた?あり得ないとは思うけど」
(ピッグ)「自分でも分かりませんねえ。妙に最後までペースダウンすることなく快調に走れましたねえ」
信じられないピッグの底力。侮れないピッグの底力。一体、どこから力が沸いてくるんだろう。
(ピッグ)「何ヶ月も休養してたのが良かったのかもしれません。幹事長は1週間前に登山に行った疲労が溜まってるんじゃないですか?」
(幹事長)「1週間も経ってるのに?」
(ピッグ)「歳取ると疲労が抜けるのに時間がかかりますよ」
そうなのだろうか。
その後、応援に専念したヤイさんも合流し、一緒に待っていると、支部長が帰ってきた。思ったより元気そうだ。
(幹事長)「おや?割りと元気そうやなあ」
(支部長)「はっきり言って、元気やな」
支部長としては決して悪いタイムではなかった。支部長は徳島マラソンでは、大抵はボロボロになって帰ってくるのに、今年は妙に元気そうだ。
(幹事長)「まさか歩かなかったとか?」
(支部長)「まさか!歩きまくったで」
適度に歩きを入れるのが支部長流のレース展開だが、多少歩いたって、最後まで元気に完走できれば文句は無い。
予想外の好タイムでゴールしたピッグと言い、珍しくボロボロにならなかった支部長と言い、みんなが元気にゴールしたのを見ると、早々にリタイアした自分が情けなくなってきた。足は極端なまでに重くなっていたが、まだ痛くはなってなかったから、まだまだ走れたはずだ。やはり精神力の問題だ。情けないなあ。
〜 反省会 〜
レースの後は、疲れを取るために、今年も5年連続で恒例のあいあい温泉に行くことにする。競技場から臨時駐車場へ戻るシャトルバスは、直接行けば2kmも無いのに、なぜか逆方向のJA会館まで行って、そこで別のバスに乗り換え、しかもそのバスもなぜかわざわざいったん逆方向の藍場浜公園まで行ってから吉野川河川敷の臨時駐車場へ行くという、壮大な時間の無駄を強いられ、随分時間がかかった。
(支部長)「だから歩いて行った方が早いって言ったのに」
(幹事長)「私は早々にリタイアしたから歩けるけど、みんなは歩くのも大変だろ?」
(支部長)「こういう時のためにヤイさんがおるんやないの。ヤイさんが車を取りに行ってくれたら、みんな待ってるがな」
(ヤイ)「なんで私がそんな寂しい役をせんといかんのですか!」
臨時駐車場から車を飛ばしてあいあい温泉に着くと、例年のように駐車場はいっぱいで、温泉の中も混雑していたが、露天風呂で足を揉みほぐすと、気持ち良い。京都マラソンで亀ちゃんも言ってたが、マラソンの後は温泉に限る。
温泉から出てソフトクリームを食べながら反省会を行う。
(幹事長)「去年も原因不明の空前絶後の不調に苦しんだが、今年はそれ以上の惨敗と言うか撃沈だったが、相変わらず理由が分からない」
2月には、もっとアップダウンのある京都マラソンを気持ち良く完走できたから、交通事故の影響は皆無のはずだ。練習不足はいつもの通りだが、京都マラソンの前だって練習不足に変わりはなかった。唯一可能性として考えられるのは、ピッグが指摘した1週間前の登山だが、丸亀マラソンの1週間前にも登山に行ったが、あの時は気持ち良く完走できたから、決定的な原因とも思えない。
去年は、教訓として、
・いくら前半から徹底してペースを抑えて走っても、後半になればペースダウンは避けられない
・前半から後半へペースダウンする幅は、いくら前半に徹底してペースを抑えて走っても変わらない
・つまり、前半を徹底的にペースを抑えて走ったら、後半のペースは徹底的に悪くなる
という事が分かった。前半から遅く走ったら、身体はそれに順応して、その遅いペースが基準になってしまい、そこからどんどんペースダウンしてしまい、全体としてトンでもないタイムになってしまう、って事だ。
(D木谷)「まさに今年の私ですね。序盤にちょっと抑えすぎたせいで、最後まで調子が上がりませんでしたね」
(幹事長)「その教訓があったから、今年は序盤にそこまで自重せず、自然体で飛ばしたら、早々に撃沈してしまいましたがな」
去年も空前絶後の惨敗だったが、今年はそれ以上の大惨敗だ。暑くもなく寒くもなく、例年のような風も無く、体もどこも痛くなく疲れも無く、絶好のコンディションだった中での大惨敗だ。序盤を抑えても惨敗し、序盤を抑えなければもっと大惨敗するなんて、原因を追及してなんとかしないと、この先、復活できないぞ。
大惨敗は喫したものの、27kmしか走らなかったから、当日は割と平気で、足も痛くなく疲れもなく、「リタイアしなければ良かったかなあ」なんて後悔が出たりしていたが、翌日のお昼頃から急激に体調が悪くなり、頭痛と吐き気で苦しんだ。昼食も夕食も食べられず、早々に寝たけど、さらに翌々日まで気分はすぐれなかった。数年前にフルマラソンを完走して、同じように体調が悪くなったことはあったけど、完走もしてないのに、こんなに苦しむなんて、どうしたことだろう。もし途中でリタイアしてなかったら、もっと体調が悪くなっていたかもしれない。リタイアして良かった。て言うか、この調子の悪さの原因は一体なんだろう?やはり疲れていたんだろうか。それとも歳のせいなんだろうか。今後に大きな不安を残すこととなった。
〜おしまい〜
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