第71回 丸亀マラソン大会
2017年2月5日(日)、第71回香川丸亀ハーフマラソン大会が開催された。
毎年、ペンギンズの初レースは1月の満濃公園リレーマラソンだけど、あれは動物チームで出る遊び半分て言うか遊び全部の行事であり、真剣勝負のレースとしては、この丸亀ハーフマラソンが初レースとなる。このレースは、ほとんど坂が無い日本陸連公認の高速コースを走るってことで、良いタイムが期待できるのだ。
だがしかし、私個人としては、今年は事情が違う。昨年12月4日の那覇マラソンの直前に交通事故で肋骨を3本も骨折してしまい、12月いっぱいは安静にしていた。ようやく軽くジョギングし始めたのは1月初めの満濃公園リレーマラソンの直前からで、そのため満濃公園リレーマラソンでは想像を絶する遅さで惨敗した。自分では全力疾走しているつもりなのに、トンでもなく遅いのだ。理解を越える空前絶後の遅さだった。1ヵ月の安静期間のうちに筋力が極端に弱っていたのだ。
もともと真面目にトレーニングしている人なら、1ヵ月も休めば走力は大幅に落ちるだろうけど、私のように、もとからチンタラ練習しているだけのランナーなら、1ヵ月くらいサボったって大した影響は無いように思えるのだが、レベルが低ければ低いなりに、やはり落ちるようなのだ。
さらに、筋力の低下により足が動かないだけでなく、呼吸も思うようにできなくなった。肋骨の骨折の治療は自然治癒を待つしかないんだけど、くっつきかけた肋骨が再び広がってちぎれないように、胸にバストバンドを巻いて胸が広がらないようにしていたせいで、バストバンドをはずしても胸が広がらなくなってしまった。胸の筋肉が小さくこわばって深呼吸ができなくなったのだ。
(幹事長)「てな訳で、どんなレースでも常に大会自己ベストを目指す私も、さすがに今回は何の希望も抱いていない」
(支部長)「今回は完走できれば良いじゃない」
(幹事長)「そやな。そう思ったら気が楽や」
(ピッグ)「全然トレーニングしてないんじゃ完走も難しいんじゃないですか?」
(幹事長)「だれがトレーニングしてないと言った?」
(ピッグ)「1週間前も『マラソンのトレーニングなんかしている場合じゃない』なんて言いながら登山に行ってたじゃないですか」
(幹事長)「あれは天気がすごく良かったから・・・」
〜 エントリー 〜
丸亀マラソンは、高速レースとして全国的にも名高いことで、以前から人気が高かったが、昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、毎年、さらに参加者が増加している。ただ、会場の丸亀陸上競技場はキャパが大きいため、定員には余裕がある。そのため、一応、定員は1万人となってて、申込者が1万人に達すると受付は終了してしまうが、それとは別枠で、大会前日に会場へ行けばエントリーが可能だ。
そうは言っても、前日申込みなんて、なんだか不安なので、早めに申し込むことに越したことはない。今年の申込みは9月15日に受付開始だった。なのでメンバーに忘れないように周知メールを出した。ところがゾウさんから返事が来る。
(ゾウ)「今年から一般部門がBとCに分かれてますよ」
(幹事長)「え?なに?それ」
これまではハーフマラソンで男子1時間8分以内、女子1時間35分以内の記録を出した実績があるエリートランナーがA部門で、一般ピープルはB部門だった。それが今年は一般ピープルが細分化され、過去3年間で男子1時間50分以内、女子2時間以内の記録を出したランナーがB部門で、それ以外はC部門となっている。そして9月15日から申し込めるのはB部門のランナーであり、C部門のランナーが申し込めるのは9月23日からになっている。速いランナーが優先なのだ。
(幹事長)「過去3年以内か。微妙やな。ま、でも適当に書いてもバレんのと違うか?」
(ゾウ)「証拠となる記録証のコピーを郵送しないといけないようなんです」
(幹事長)「え!?そんなに厳しいの?」
なんで急にそんな事になったんだろう。これまでも、ほとんどのマラソン大会で、エントリー時に自分の過去のベストタイムを申告し、そのタイム順にスタートの順番が割り振られてきた。ただ、それはあくまでも自己申告なので、適当に申告する人も多く、そのため、本当は遅いのに前の方からスタートして後ろのランナーの邪魔になる人も多かった。そういうのを排除するために厳密な管理にしたのだろう。
て事で、慌てて過去の実績を調べてみた。すると、4年前の2013年の丸亀マラソンでは1時間50分を切って大会自己ベストを出していたけど、それ以降は惨敗続きでB部門の参加資格をクリアできていないことが分かった。
(ゾウ)「他のマラソン大会でも良いんですよ」
他のマラソン大会も調べてみたが、1時間50分を切っていたのは、どれも3年以上前の事だった。
(幹事長)「そうか。最近は惨敗続きだったなあ」
(支部長)「いや、それはもう惨敗じゃなくて、歳のせいなんよ。もう我々は1時間50分を切れない体になったんよ」
もちろん支部長も1時間50分を切ったのは2012年が最後で、B部門の参加資格はクリアできていなかった。
一方、最近は私らを蹴散らしているゾウさんは、男子の制限タイムだってクリアしているので、堂々とB部門で申し込むことができる。
とは言え、定員は1万人もあるので、B部門だけでいっぱいになるとは思えないから、我々もそんなに不安になる必要は無い。
(幹事長)「て言うか、ゾウさん出るんっ!?」
(ゾウ)「もちろん出ますよ。毎年出てるじゃないですか。何か?」
(幹事長)「って、ゾウさん、11月に出産予定じゃん!!!」
実はゾウさんはお目出たなのだ。どう考えても11月に出産して2月の初めにマラソン大会に出るのは無理だと思うが、前向きな彼女なので、取りあえず申し込むとのことだ。
一方、ペンギンズ創設メンバーのピッグが今回は欠場すると言う。理由は、この春、子供さんが受験を控えているからだ。
(幹事長)「どゆこと?」
(支部長)「何の関係があるん?」
(ピッグ)「いや、まあ、その」
(幹事長)「子供が受験やったら父親は家に居ない方が良いんじゃない?」
(支部長)「家におったら勉強の邪魔になるやろ?」
(ピッグ)「満濃公園リレーマラソンの時と同じ会話させないでくださいな」
あくまでも憶測だが、子供のためと言うより、奥さんの目が恐いからだろう。子供が受験勉強で大変なのに、父親がたわけたブタの格好してルンルン走りに行くなんて、冷たい目で見られそうだから遠慮しとくのではないか?
(ピッグ)「満濃公園リレーマラソンじゃないからブタの格好はしませんがな」
(幹事長)「諸悪の元は那覇マラソンやな」
(支部長)「間違いないな」
去年の12月の初めに我々は沖縄の那覇マラソンに初参加した。春に子供さんが受験を控えていると言うのに父親が暢気に沖縄までマラソンに行ったりするから、奥さんの目が厳しくなったのではないだろうか?
(幹事長)「そう言えば、ピッグは去年も丸亀マラソンには出なかったなあ。なんでやったっけ?知ってるけど」
(ピッグ)「知ってると思いますが、家族でスキーに行ってました」
(幹事長)「マラソンよりもスキーを優先するって大胆不敵やな」
(ピッグ)「幹事長だって仕事を休んでスノーボードに行ってるじゃないですか」
(幹事長)「仕事はサボってもマラソン大会はサボらんぞ」
て事で、ピッグは1月の満濃公園リレーマラソン、2月の丸亀マラソン、3月の徳島マラソンと、しばらく欠場が続くこととなった。
(ピッグ)「参加はしませんけど、当日は応援に行きますから」
(幹事長)「応援に来るくらいなら、参加しろよーっ!」
〜 駐車場 〜
レースの1ヵ月ほど前にペンギン中村くんから連絡がある。
(ペンギン)「幹事長は今年も駐車場が当たったんですねえ。毎年当たってますよねえ。良いですねえ。私は今年もはずれちゃいました。毎年はずれてるんですよ」
(幹事長)「え?まだ何も届いてないよ」
そう言えば、大会のホームページに駐車場の当選者が一覧表で掲載されているとのことだった。そこまでサービスする必要があるのか疑問だが、しばらくすると大会事務局から駐車券が送られてきた。
昔は会場である丸亀競技場の駐車場に先着順で停めていたが、参加者が増加するにつれ、遅く行って停められなかった車が会場周辺に溢れかえって大混乱するようになったため、事前に駐車場を申込んでいた人にだけ先着順で駐車券が送られてくるようになった。駐車場も丸亀競技場の駐車場だけでは対応できなくなって、遠く離れた土器川河川敷の臨時駐車場なども使われるようになり、申込みが遅れると遠方の駐車場しか当たらなくなった。
それがいつの間にか先着順じゃなく抽選になった。それでも、どこも当たらないって事はなく、たいていは遠方の駐車場券が送られてくるようになった。遠方の駐車場はキャパがでかいので、オーバーするってことはなかったからだ。
ところが、なんと、それでも足りなくなったようで、ペンギン中村くんのように、最近はどこの駐車場も当たらないっていう人が出てきたのだ。
(幹事長)「末期的やなあ」
(ペンギン)「参りました」
私は駐車券がはずれた事はないんだけど、それでも最近は丸亀競技場の駐車場の券が当たった事はない。常に遠方の土器川河川敷とか海岸の工業地帯に設けられた臨時駐車場の駐車券ばかりが送られてきた。私だけでなく、メンバーのうち誰一人、最も近い丸亀競技場の駐車場が当たらなくなったというのは信じられない。利権と不正の臭いがする。
ところが、なんと、今年は私の元に丸亀競技場の駐車場の駐車券が送られてきたのだ!
(幹事長)「てっきり、あそこの駐車場は、もう利権者だけが囲い込んでいるのかと思っていたぞ」
(支部長)「いやあ、良かった良かった。実は私も全部はずれまして」
私が丸亀競技場の駐車場のゴールドチケットをゲットした一方で、他のメンバーは落選者が続出だった。そんなに競争率が高くなっているのか。でも、どうせ我々は乗り合わせていくので、誰かが当たれば良いのだ。
〜 ゾウさん出場決定 〜
上にも書いたように、ゾウさんは申込みをしようとしていたが、いくらなんでも出産2ヵ月後の出場は無理だと思っていた。実は彼女は1月初めの満濃公園リレーマラソンにも出場しようか、なんて迷っていたが、トンでもない悪天候だったため、さすがに諦めた。それからさらに1ヵ月は経っているが、満濃公園リレーマラソンなら1周は2kmだが、丸亀マラソンは21kmだ。いくらスーパーアスリートの彼女でも、まだまだ無理だと思っていた。
実はゾウさんには、恥ずかしながら丸亀マラソンは2年連続で負けている。
(支部長)「それは恥ずかしいな」
(幹事長)「自分やって2年連続で負けてるやん」
しかも一昨年は油断してたら僅差で負けていたってのがゴールしてから分かったんだけど、去年は言い訳の出来ない惨敗ぶりだった。なので本来なら今年は必死で練習してリベンジを果たそうと思っていたところなんだけど、彼女が11月に出産することになり、いくらなんでも今回は欠場だろうと思い、急に目標を見失ってダラけていた。おまけに、私は12月に交通事故で肋骨を骨折したもんだから、さらにやる気を失い、今年の丸亀マラソンは「なんとか完走さえできればいいや」っていうほどにまでモチベーションが下がっていた。
モチベーションが下がりまくって1週間前には雪山登山に行き、その疲れを癒していたレースの5日前になり、支部長がやってきた。
(支部長)「ゾウさんから連絡があって、丸亀マラソンに出るって言ってる」
(幹事長)「え?何だって?言ってる意味が分からん」
彼女の欠場を前提に考えていた私は、しばらく頭の整理がつかず、呆然としていた。
(幹事長)「まさか3kmの部やないわな?」
(支部長)「3kmの部は前日の土曜日やから、それは違う」
(幹事長)「て事はハーフマラソンに出るん?」
あり得ない!あり得なさ過ぎる!出産後、僅か2ヵ月半でハーフマラソンに出るのか?
(ペンギン)「うちの奥さんも出産後4ヵ月で庵治マラソンに出て入賞しましたけどね」
そう言えば、ペンギン中村くんの奥さんも、10年前の庵治マラソンで生後4ヵ月の赤ちゃんを抱いて表彰された。ゾウさんも同じ道を歩むのか?
(幹事長)「いかんがな!支部長は何もハンディを背負ってないから、出産直後のゾウさんになら勝てるかもしれんが、
肋骨骨折のハンディを背負った私は今年も負けるかもしれんぞ!」
肋骨骨折のハンディと出産直後のハンディと、どちらのハンディが大きいかの戦いになるが、こないだの満濃公園リレーマラソンで露わになった呆れるばかりの走力低下を考えると、今年も負けそうな気がする。まずい。まず過ぎる。1週間前に登山になんか行かなければ良かった。何のモチベーションも無かったのが、レース直前になって急に危機的な緊張感を抱く羽目になった。
〜 ドタキャン 〜
ゾウさんの参加に戸惑っていたら、今度はレースの前日になって國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。去年は汗見川マラソンから龍馬脱藩マラソンに至る夏場の山岳レース全シリーズを連続ドタキャンしたし、徳島マラソンに至っては3年連続でドタキャンしている。
(國宗)「あのう、直前になって済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明日の丸亀マラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、急に出られなくなりまして・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、理由は聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとか何とか言うんやろ?」
本当に仕事だった。
(幹事長)「明日は雨が降りそうだからサボるのかと思った」
(國宗)「先月の満濃リレーマラソンも土砂降りだったけど泥まみれになって走ったじゃないですか!」
彼は大変忙しくて、日曜日でも直前になって仕事が入るのだ。ほんとに気の毒だ。
〜 出発 〜
レース当日は、遠方のヤイさんが支部長んちへ行き、支部長の車に乗り換えて私んちへ来て、私を拾って出発だ。今回はゾウさんとD木谷さんとペンギン中村くんは別行動で現地集合となった。
(幹事長)「ヤイさんは肉離れの調子はどうなんですか?」
(ヤイ)「相変わらずですねえ。少しでも無理したら痛みが出ますよ」
ヤイさんは去年の春からずうっと肉離れに苦しめられていて、少しマシになったかなと思ってレースに出ると悪化する、という悪循環を繰り返してきた。12月の那覇マラソンでもスタート直後に足が痛くなって走るのを諦めたが、走るのを諦めた後も歩き続け、途中でリタイアした支部長を尻目に、42kmを完歩するという鉄人ぶりを発揮した。そんな事をしているから完治しないのかもしれないが、今日も様子を伺いながらの出場となった。
レースのスタート時間は、エリートランナーは10時35分、一般ピープルB部門は10時50分、我々C部門は11時だ。駐車場は丸亀競技場の駐車場なので、ギリギリに行っても良いんだけど、ギリギリに行くと、丸亀競技場に隣接した駐車場とは言え、かなり遠方しか停める場所がなくなるので、ちょっと早いかなとは思うが、私んちを7時40分頃に出発した。
1週間前の天気予報では、今日は雨が降るとのことだった。そんな先の天気予報なんて外れるに決まってると楽観視していたが、朝起きたら、やっぱり雨だった。なんで1週間も先の天気予報が当たるのか理解できないが、最近の天気予報って、本当に良く当たる。なんて感心している場合ではない。
ここんとこ私たちが出るマラソン大会は雨に祟られている。去年11月の瀬戸内海タートルマラソンも冷たい雨だったし、先月の満濃公園リレーマラソンもどしゃ降りだった。日本一雨が少ない香川県地方にあって、秋から冬にかけては特に雨が少なく、こういう事は珍しい。瀬戸内海タートルマラソンは10年ぶりの雨だったし、満濃公園リレーマラソンも雨なんて記憶に無い。この丸亀マラソンも17年前の第4回大会は冷たい雨が降って惨敗したけど、それ以外は雨の記憶は無い。
(ヤイ)「今年が第71回だから17年前なら第54回大会でしょ?」
(幹事長)「これにはトリックがあるんですよ」
第1回から出ている私は全てを知っている。第1回大会は70年前じゃなくて、20年前の1997年に丸亀城築城400年記念大会として開催された。当時はまだこのホームページを開設してなかったため記事は残っていないが、翌年の1998年の第2回大会からは毎年記事を掲載している。そのまま第4回までは正直な回数だったのに、2001年の第5回大会のとき、突然50回も上げ底されて第55回になった。1997年の第1回大会の前年には第50回香川ロードレースが開催されていたので、いきなりそれを足したのだ。
香川ロードレースというのは、専門の陸上競技関係者しか出ない地味な大会であり、今の丸亀マラソンとは似ても似つかない全く別のレースだった。長距離レースではあったものの、距離だってフルマラソンの時もあれば35kmレースなんて中途半端こともあったし、レースの性格が全く異なっていた。
水増しの事情については、第56回(本当は第6回)の記事に詳しく書いているが、理由はもちろん、回数が多い方が伝統がある由緒正しいレースのように聞こえるからだ。もちろん、私は回数の水増しを非難するつもりは毛頭無い。私の故郷のマラソンであり、回数が多い由緒正しいレースのように聞こえた方が、知らない人に対しては格好良いから、それでいい。第1回と言うか第51回の頃は、毎年、コースがコロコロ変わり、私の実家のすぐ裏の農道に毛が生えたような道を走ったりしていた草レースだったのが、今や陸連公認の高速コースになって全国的にも有名になり、定員1万人があっという間に一杯になってしまうなんて、地元の私としては嬉しい限りだ。
それはさておき、雨が絶対的に嫌だと思っている訳ではない。以前はどんな季節であろうと、雨は絶対に嫌だったが、7年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されている。大会が中止になるほどの雨でなければ気にしない。ただし、それは気温が高いシーズンの話であり、今は一年で一番寒い時期なので、冷たい雨の中を走るのは嫌だ。17年前の第4回大会は、冷たい雨の中、体中の筋肉がこわばってしまい、空前絶後の惨敗を喫したのを今でもはっきりと覚えている。
ただ、今日の気温は今の季節にしては、そんなに寒くはないうえに、風もあんまり無い。なので、そんなに悲惨な戦いにはならないかもしれないと期待したい。
〜 会場到着 〜
会場には順調に8時半前には到着したので、駐車場はまだまだ空いていた。駐車場は舗装されていないため、雨で一面、泥の海と化しており、歩いたらシューズが泥まみれになるが、端っこの芝生が生えている所に停めることができたので、泥まみれにならずにすんだ。早く来て良かった。
シューズは去年の庵治マラソンから履いている新しいオレンジのアシックスだ。ふと支部長の足下を見ると、なんだか同じようなシューズを履いている。
(幹事長)「あれ?それ同じシューズ?」
(支部長)「色もそっくりやけど、これはミズノや」
スポーツジムでは何度か履いたけど、地面を走るのは初めてとのことで、新しさも似たようなものだ。
受付はスタートの1時間前の10時までだから、まだまだ時間は十分ある。受付では記念品のTシャツをもらった。去年はTシャツじゃなく大きなタオルだったんだけど、今年はまたTシャツに戻った。どのマラソン大会も、同じようなTシャツが毎年、積み上がっていくので、バスタオルの方がありがたいんだけどな。
会場周辺では、例によってランニンググッズを色々と売っている。去年は気温がかなり低く、寒さに震えながら歩いていたら、防寒用の長袖ランニングシャツなんてのを売っていたので、すぐさま買い、これで寒さ対策は万全だと思ってレースに臨んだ。
受付が終わったら、陣取りだ。例年なら、空いているバックスタンドの端っこの客席に陣取るんだけど、今日は雨が降っているので、屋根が無いバックスタンドに陣取る訳にはいかない。でも、まだ早かったので、メインスタンドの座席もいっぱい空いていて、楽勝で陣取りができた。
しばらくしたらペンギン中村君が合流する。中村君は今、仕事で徳島県に住んでおり、今日は奥さんに車で乗せてきてもらったそうだ。
(幹事長)「あれ?奥さんは今日は走らないの?」
中村君の奥さんは、上にも書いたように出産後4ヵ月で庵治マラソンに出て入賞したという強者だ。強者と言っても、見た目はとても華奢な小柄で可憐な女性で、一体どこにそんなパワーが秘められているのか不思議な方だ。
(中村)「先週、大阪国際女子マラソンに出たんで、今週はお休みです」
(幹事長)「え?おおさかこくさい?あれって誰も出られるん?」
(中村)「3時間10分以内のタイムを持っていれば」
(幹事長)「さんじかんじゅっぷん?意味わからん」
中村君は我々と同じ星に住んでいるが、彼の奥さんは別の世界に生きているらしい。
さらにしばらくすると、ゾウさんもやってきた。
(幹事長)「ゾウさん、本当に走れるん?」
(ゾウ)「走れるかどうか不安で頭がいっぱいです。なんとか完走したいんですけど」
(幹事長)「同じやなあ。僕も完走だけが目標や。ゾウさんは11月に出産して、いつからランニングを再開したん?」
(ゾウ)「今年になってからですねえ」
(幹事長)「じゃあ僕と同じやな。ハンディが同じなら、今年も負けるかなあ」
(ゾウ)「えっ?幹事長は安静にしてたのは1ヵ月くらいでしょ?私は去年の春から走ってませんから」
(幹事長)「えっ?あ、そうか!出産後の休養期間しか考えてなかった。そもそも出産前から走ってなかったんか。
じゃあ圧倒的に僕よりハンディがあるやん。じゃあ今年は勝てるかも。て言うか、今年は勝たないと恥ずかしいぞ!」
同じようなハンディの勝負だと勘違いしていたけど、ようく考えてみたら、彼女は去年の春からレースに出ていないのだ。それに比べて私が安静にしていたのは12月だけだ。どう考えても私の方が圧倒的に有利だ。こりゃあ勝てる。絶対に勝てる。急にやる気が沸いてきた。
寒いけど、そろそろ着替えをしなくてはならない。「何を着るか」はマラソン大会において最も重大な要素だ。
(支部長)「だからそれは幹事長だけやってば」
レースの前になると、私はいつも着るものに悩む。寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。なので、レースの直前まで悩みに悩む。5年前の丸亀マラソンでは、長袖の上から半袖を重ね着してスタートラインに立ったものの、なんとなく暑くなって、慌ててその場で1枚脱いだりした。同じ年のタートルマラソンでも、いったんスタートラインに並んだ後で、暑くなって慌てて1枚脱いだ。当然ながら、スタート地点で脱ぐ場合、荷物を置いている場所へ持って帰る時間はないから、その辺の木にくくりつけたりする。
去年の丸亀マラソンは気温が低かったので、上に書いたように買ったばかりの防寒用長袖ランニングシャツを着て、その上から半袖Tシャツを重ね着し、さらにその上にもう1枚着ようとしたら國宗選手から厳しく止められて断念して、2枚でスタートした。ところが、気温は低いものの、珍しく風が全く無かったもんだから、走っているとどんどん暑くなってしまった。買ったばかりの防寒用ランニングシャツは、うたい文句通り熱を発しているように感じられるほど防寒効果抜群で、完全に裏目に出てしまった。
このように、何を着るかは非常に難しい問題なのだ。
(支部長)「だからアホみたいに気にしてコロコロ変えるから裏目に出るんやってば」
確かに、直前まで悩みまくって右往左往した上記の大会の結果を見ると、いずれも無惨な結果が並んでおり、最後まで悩み抜いた成果など無く、むしろ不本意な成績になっている。やはり何も気にせずにスタートすべきなのだろうか?
ただし、今日は迷う余地は無い。冬で雨が降ってるので、まずは昨年から登山用に愛用している吸湿性と速乾性に優れたインナーウェアを着る。どんなに汗をかいても全然ベチョベチョせず、いつまで経ってもサラサラで、汗が冷えて寒くなる事がない優れものなので、今日のように雨が降っていてもベトつかず、寒くならないだろう。その上に着るTシャツは、関係会社のSTNetが展開しているインターネットサービスPikaraの宣伝Tシャツだ。蛍光色の目立つTシャツで、これを着て走って宣伝してくれと言うことだ。ちなみに、この丸亀競技場そのものも、STNetが命名権を取得して、今はPikaraスタジアムという名前になっている。
2枚着てもまだ寒いような気がするが、この上に何か着るとPikaraの宣伝にならないので、今日は上に雨よけのビニール袋を被ることにする。暑がりの支部長は、地肌にPikaraTシャツを着てビニール袋を被っている。
(幹事長)「それって寒くない?」
(支部長)「わたしゃ汗っかきだから、これで十分なんよ」
雨は降っているものの、気温はそんなに低くはないかな、なーんて思っていたけど、じっとしていたら体の芯からしんしんと冷え込んできたので、今日はランニングタイツも履いた。ランニングタイツは、本来は足のサポートのために履くらしい。でも、いったい何をサポートするのか良く分からない。最近は多くのランナーがタイツを履いているが、プロ級の選手は決して履いていないので、どこまで意味があるのか全く不明だ。個人的には、サポートになると言うより、足が突っ張ってむしろ走りにくい。足に負荷がかかって、かえって疲れるんじゃないかっていう疑惑がある。でも、今日のように気温の低い日には防寒のために履くべきだろう。
ところが、なんとゾウさんはランニングタイツを履いていない。
(幹事長)「うわ、寒そう!大丈夫?」
(支部長)「周りを見てごらん。ほとんどのランナーがタイツを履いてるやろ。今どきタイツを履いてないと貧乏人って思われるで」
(ゾウ)「でも去年はタイツを履かないで自己ベストが出たんですよ。今年も同じスタイルで攻めます!」
長いブランクがあったと言うのに、ゾウさんは相変わらず闘志満々で攻めている。すごいなあ。
結局、支部長はTシャツの下には何も着ていないけど、腕にはアームウォーマーを着けているので、一見したところでは下に長袖を着た私と同じように見える。同じような短パンに同じようなタイツを履き、おまけにシューズもほとんど同じオレンジのシューズだ。私は普段はランニングキャップは被らないんだけど、今日は雨よけのためにランニングキャップを被り、手袋も履いたので、支部長と全身ほとんど同じスタイルになってしまった。
いよいよ出発!
お揃いのPikaraTシャツを着た支部長(左端)と幹事長(右端)は全身ほとんど同じスタイル。
ゾウさん(右から2番目)は寒いのに素足!
着替えは終わったものの、スタートまでまだまだ時間があるから、ビニール袋を被った上からジャージなんかを着込んでいたんだけど、それでもどんどん寒くなってくる。なんだか風も少し出てきて嫌な感じ。体の芯から冷えてきて、風邪を引きそうだ。
(支部長)「て言うか、こないだから風邪気味なんよ」
(幹事長)「え!?そうなん?大丈夫?」
熱は大したことないらしいが、ちょっとダルいらしい。風邪気味の支部長と言い、肉離れ気味のヤイさんと言い、出産明けのゾウさんと言い、ケガ明けの私と言い、今日は全員がハンディを抱えてのレースとなった。
集合時間を待っていたらピッグから連絡が入る。
(ピッグ)「予定通り応援に行きますよ」
(幹事長)「せやから応援に来るくらいやったら参加したらええやんか」
(ピッグ)「そこは色々あって」
ピッグは折り返し点の辺りでプラカードを掲げて応援してくれるとのことだ。見逃さないようにしなくては。
〜 集合 〜
10時10分となり、ようやく集合開始となったが、我々C部門の集合締切は10時40分だ。雨が降っている中、グラウンドに降りていくのは躊躇われるので、ギリギリまで待つ。するとゾウさんがソワソワし始めた。彼女はスタートが10分早いB部門だから、集合時間も我々より10分早いのだ。
(幹事長)「それでもまだそんなに慌てなくてもいいじゃない」
(ゾウ)「でも落ち着きませんから」
と言ってゾウさんは早々にグラウンドに降りていった。タイツも履いてないくらいだから、寒くはないんだろう。我々も10時40分の集合時間に遅れたら入場口のシャッターが閉まって入れなくなるので、10時半頃に渋々降りていく。
去年まではスタート地点では目標タイム別に集合し、速い順にスタートするようになっていたが、今年はB部門とC部門に分かれたので、そこんとこがどうなってるのかよく分からない。でも、私も支部長もヤイさんも別々に申し込んだ割りには同じ場所からのスタートになっていたから、忘れたけど、今年も目標タイムは事前に申請していたのかもしれない。
B部門とC部門に分けた意味は今だに不明だが、ちゃんと証拠を提示した人だけでも前の方からスタートしてもらおうって事なんだろうか。確かに、タイムはゼッケンに着けたチップでネット計測してくれるから焦って前の方に並ぶ必要は無いが、後ろの方からスタートしたら、仲間同士でおしゃべりしながらゆっくり走るおばちゃん軍団なんかにブロックされて走りにくい。昔は参加者が少なかったから、邪魔なランナーがいても、そのうちバラけてきて空いてきたが、1万人以上も参加するようになってからは、最後まで混雑は緩和されず、最後までおばちゃん軍団に前をブロックされたままになるので、それは避けなければならない。
自分の本当の実力を申請して自分と同じ速さのランナー達と一緒に走れば、邪魔なランナーを追い抜く必要も無ければ、後ろから抜かれる事も無いので、秩序良く走ることができる。
我々が集合場所へ行くやいなや、すぐにシャッターが閉まり始めた。相変わらず厳格に運用している。
グラウンドに降りると、ちょうど雨が上がった。空を見ると、まだまだ降ることはありそうだが、取りあえずは雨は止んだ。さっきまで吹いていた風もピタリと止んで、寒くない。こうなると絶好のマラソン日和になってきた。雨よけで被っているビニール袋は、むしろ暑くなってきた。
(幹事長)「ビニール袋は、もう脱いだ方がいいかなあ」
(支部長)「いや、まだ天候は変わる可能性があるから、防寒のために着ておこうよ」
10時35分には、招待選手を始め、プロ級のランナーがスタートした。昔はプロ級のランナーも我々一般ピープルと一緒にスタートしてたんだけど、最初だけでも目立とうとしてプロ級のランナーの中に混じって調和を乱す素人ランナーを排除するために、プロ級がスタートした15分後に一般ピープルB部門のスタートとなる。そしてさらに10分後に我々C部門がスタートする。なので、いったん集合しても、前の組がスタートするたびに移動していく。みんなダラダラ移動していけばいいのに、なぜか時々小走りさせられる。
もちろん、今日もウォーミングアップどころか、ストレッチさえ全くやっていない。忘れていた訳ではなくて、我々のように体力の無いランナーにとってウォーミングアップが百害あって一利無しってのは常識であり、さらに最近はストレッチすら無用という説を聞いたので実践しているのだ。なので、この小移動の小走りはウォーミングアップにはなる。
(幹事長)「て言うか、無駄なエネルギーは消費したくない!」
スタート時間が迫ってきたので、本日の目標を設定せねばならない。もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、大会自己ベストの更新を狙うのが良い子の有るべき姿だ。しかも、この丸亀マラソンは坂の無い高速コースなので、良いタイムを狙いたいのが常だ。
しかし、上に書いたように、12月に交通事故で肋骨を骨折し、もう痛みは無くなったものの、しばらく安静にしていたために走力が極端に落ちているので、今年は大会自己ベストなんて不可能だから、取りあえず完走することが目標だ。
(支部長)「タイムは度外視?」
(幹事長)「そうは言っても、一応目安は欲しいから、例えば2時間くらいとか」
(支部長)「満濃公園リレーマラソンで1周2kmを12分もかかっていた今の状態で2時間は不可能やな」
確かに、元気な時は満濃公園リレーマラソンの1周2kmを9分くらいで走っていたので、今年はその1.3倍くらいかかった。て事は、過去の記録から推定すると、
(幹事長)「え?2時間20分以上かかる事になるぞ!」
(支部長)「そんなとこやな」
(幹事長)「ひえ〜!」
2km12分つまり1km6分のペースを最後まで維持できたとしても、21km走ったら2時間6分だ。丸亀マラソンでは出したことないような最悪のタイムだ。しかも、最初は1km6分のペースで走り始めたとしても絶対にペースは落ちるから、どう頑張っても2時間20分が妥当な線だ。しかし、いくらなんでも2時間20分だなんて、最大斜度10%で累積標高差560mもあった驚異の山岳マラソンである四国のてっぺん酸欠マラソンに去年初出場した時のタイムより悪い。つまり、あれより厳しいレースになるって事だ。
(幹事長)「いくらゾウさんが出産明けだと言っても、それじゃ絶対に勝てるわけないじゃん!」
(支部長)「ゾウさんの事は忘れて」
ゾウさんに初めて負けたのは一昨年の事だ。自己ベスト更新の望みが無くなった時点で目標とモチベーションを失ってダラダラ走っていた私に対し、ゾウさんは自己ベストを大幅に更新する快走を見せ、僅差で負けてしまったのだ。まさか負けているとは知らずにチンタラ走っていたのが大きな敗因だった。その反省から、去年は油断せずに最後までゾウさんを意識して走ったが、油断していたとかの言い訳が通用しないほどの完敗だった。
支部長の説によると、歳のせいで年々衰えを隠せない右肩下がり一直線の我々に対し、ゾウさんはまだまだ伸び盛りの右肩上がり一直線なので、一度負けたら、もう二度と逆転することは不可能とのことだ。しかし、まだまだ歳による衰えを認めたくない私は、今年はしっかり練習してリベンジしたいところだった。
ところがゾウさんが出産することになり、当然のように今年の丸亀マラソンは欠場すると思い込んだ私は、一気にモチベーションが下がり、さらに12月に交通事故で肋骨を骨折した時点でモチベーションは完全に無くなったのに、最後の最後でゾウさんの出場を知り、混乱の極みと言うか、もう絶望的な気分だ。もう絶対に今年も惨敗は間違いない。
(幹事長)「分かった。もうゾウさんの事は忘れる。でも、いくら完走だけが目標と言っても、さすがに2時間20分は絶望的に情けないので、せめて1km6分ペースで行けるところまで行くことにする」
(支部長)「そんなに無理したら終盤に失速するってば」
(幹事長)「1km6分ペースが無謀なのかっ!?」
確かに、つい3日前にも、最後の練習として1km6分ペースで走り始めたら、3km走ったところで力尽きて、あとはトボトボ歩いて家に帰った。それに、元気な時でも、序盤をもっと抑えて走っていれば終盤の大失速を防げて良いタイムが出たのに、って反省する事も多い。そもそも、丸亀マラソンのコースは、ほとんど坂が無い日本陸連公認の高速コースだし、気温が低い2月だから、良いタイムが期待できる。それなのに、私はなぜか坂が非常に多くて厳しいコースの瀬戸内海タートルマラソンの方がタイムが良い。おそらくタートルマラソンは前半から坂が多くて厳しいコースなので、終盤の失速を恐れて序盤からペースを抑えめに走っているため、終盤に失速しない事も多く、結果的に良いタイムが出やすい。一方、丸亀マラソンはほとんど坂が無い高速コースで良いタイムが期待できるため、ついつい調子に乗って序盤からガンガン飛ばしてしまい、結局、終盤に大失速するというワンパターンを繰り返している。
なので、序盤に無理しない方が良いって言う支部長のアドバイスは的確だ。しかし、それは序盤に1kmを4分台で飛ばしている例年の話だ。今年はそれより1分以上も遅い1km6分で走るって言ってるのに、それが無謀だと言われたら立つ瀬がない。しかも、いつも終盤に失速しているって言ったって、その失速した状態でも1km6分もはかかっていない。つまり、例年の終盤の失速状態より遅いペースで最初から行こうと思っているのに、それすら無謀かもしれないのだ。なんだか、やる気が100%無くなるような状態だ。
当初は、取りあえず、ゾウさんに着いていくつもりだった。着いていけるところまで着いていって、終盤に余力が残っていれば逆転勝利を狙うし、途中で脱落したらそこで終わりっていうつもりだった。ところがゾウさんはB部門で10分前にスタートしてしまったので、着いていく人がいなくなった。支部長は序盤から飛ばしまくるから着いていったら潰れるし、困った。
なーんて悩んでいたら、すぐ後ろから声を掛けてくる人がいる。支部長の知り合いの会社のOBの人だ。私らより歳は上だが実力者で、今年は2時間のペースランナーをしているそうだ。確かに頭に風船を着けている。隣にもう1人、同じように風船を着けた2時間のペースランナーの女性がいる。彼女は会社の陸上部のOGだそうだ。
(幹事長)「マジで走ったら、どれくらいのタイムですか?」
(女性)「今はマジで走ったことないから分からないですけど、現役の時は1時間10分くらいでした」
(幹事長)「え?いちじかんじゅっぷん?」
彼女も別の星から来たようだ。でも、ちょうど良いところに2時間のペースランナーがいたものだ。取りあえずは行けるところまで彼らに着いていこう。彼らに着いていけたら、あわよくば2時間でゴールできるし、着いていけなくなったら、その時点でペースダウンすればいいし。
(幹事長)「今日は一緒に着いていきます!」
(支部長)「私もそうしようっと」
(幹事長)「え?支部長には遅すぎるんじゃない?」
私もいつも序盤に飛ばして終盤に撃沈するパターンから抜け出せないが、支部長はさらに極端で、序盤はものすごいスピードで飛ばして終盤には完全なる撃沈をする事が多い。ただ、たまに終盤まで撃沈しないこともあり、5年前の第66回大会では最後までスピードを維持し、素晴らしい自己ベストを叩きだした。「序盤は抑えて走った方が良い、という冷静な忠告を無視して冒険しなければ良いタイムは出ない」という逆説を地で行くような行為だが、そんな支部長なのに今日は手負いの私と同じように2時間のペースランナーに着いていくと言う。
(支部長)「風邪で体調が悪いから抑えて走りますよ」
ううむ。支部長の具合は相当悪いようだ。一方、雨も風も止み、絶好のマラソン日和になってきたこともあり、私は俄然やる気が沸いてきて、闘志が漲ってきた。
〜 スタート 〜
なんどか移動を繰り返し、ようやく競技場の南側の国道に出た。ここからだとスタート地点の表示が見えるようになる。去年までは、スタート地点までにものすごい数のランナーがいたが、今年は速いB部門の人達がスタートしてしまっているので、結構少ない。て事は、今年は走りやすいかも。B部門の人達の都合を優先したスタートとばかり思っていたが、ヘタにB部門の後ろの方にいるより、我々のようにC部門の前の方にいる方が悪くない状態かもしれない。
いよいよスタートの号砲が鳴り、スタート地点までダラダラと動き始める。今日はゲストに高橋尚子様が来ていて、スタート地点の真横からハイテンションの声を張り上げて場内放送で盛り上げている。
いつもならスタート地点を越えるまで10分くらいかかったりするけど、今日は僅か2分でスタート地点を越えた。そしてスタートラインを越えたら、割りとすぐに小走りが可能となった。やはり、前にいるランナーが少ないので、とてもスムースだ。とは言え、当分は小走り状態なので、いつもなら少し焦るところだが、今日はペースランナーに着いていけばいいので、何も考えずに後ろにピッタリ着いていく。
ペースランナーは2時間でゴールする予定だが、2時間というのはグロスタイムだ。我々はスタート地点を越えるまでに2分かかっているので、グロスタイムで2時間でゴールしたらネットタイムでは1時間58分くらいになる。ペースランナーは1時間58分を21.1kmで割って「1kmを5分35秒ペースで行きます」って言ってくれた。いつもの序盤のペースからしたら随分スローペースだが、満濃公園リレーマラソンで1km6分ペースで走るのが限界だった私にとっては厳しいかもしれない。なーんて思って走り始めたけど、全然余裕だ。て言うか、遅すぎて走りにくいくらいだ。もしかして、まだ序盤で混雑しているから1km5分35秒ペースより遅いのかも知れない。
なんて思いながら走っていると最初の1km地点の表示が見えてきた。時計を見るとピッタリ5分35秒だ。すごい!めちゃ正確!さすがは元陸上部。
それにしても、レース前は不安があったが、ものすごく余裕を持って楽に走れている。支部長も一緒に走っている。ちょっと心配になって声を掛けてみる。
(幹事長)「今日の私には体に優しいペースやけど、支部長には遅すぎるんじゃない?」
(支部長)「いやいや、今日はこれくらいがちょうど良いよ」
ちょうど適正なブロックからスタートしたため、周囲のランナーも我々のペースと同じようなもので、混雑は大したことない。もちろん、そうは言っても1万人もが参加しているので、周囲のランナーがまばらになることはなく、次から次へと邪魔になるランナーは現れてくるが、抜けなくて困るってことはない。ペースランナーの人も邪魔なランナーをかわしながらすり抜けていくので、私もそれに着いていく。
その後もペースランナーは正確にピッチを刻んでいき、5km地点までの1kmごとのラップは5分35秒、5分32秒、5分27秒、5分35秒、5分26秒だった。速い時と遅い時と10秒ほどの差はあるが、大群衆の中で邪魔なランナーをかわしながら走っているので、多少のブレは出る。ただ、速すぎたら少しペースを落とし、遅すぎたらペースを上げて、トータルではズレが出ないように努力している。
5分35秒ペースは、普段のレースより30秒以上遅いので、楽に着いて行けている。レース前は、今日は完走すら難しいかもしれないっていう不安もあったけど、今のところ楽勝だ。
再び雨が降るかもしれないと思って被ったままのビニール袋のせいで、かなり暑くなってきた。もう脱いでも雨は降らないかなあと思うが、終盤で撃沈して足を引きずって歩く羽目になったら寒いだろうから、着ておくことにする。
5km地点には最初の給水所があるが、混雑しているし、まだ喉は渇いていないので、給水はパスしたいところだ。でも、ペースランナーが給水したらどうしよう、って思っていたら、ペースランナーも給水をパスしたので、一緒に着いていく。もちろん「給水は喉が渇いてからでは遅く、早め早めに給水しろ」っていう鉄則は知っているが、私の場合、あんまり喉が渇かない体質なので、ハーフマラソンなら給水無しでも全然平気だ。
一方、すごい汗っかきで、給水が不十分だとすぐに脱水状態になる支部長は、水を取りに行ったため、ここではぐれてしまう。たぶん、すぐ後ろから着いてきてるんだろうけど、分からなくなってしまった。
その後もペースランナーは正確なピッチを刻み、10km地点までの1kmごとのラップは5分28秒、5分31秒、5分34秒、5分41秒、5分35秒だった。8km地点から9km地点が少し遅いのは、2つ目の給水所があったからだ。私はまだまだ全然喉は渇いてないのでパスしたが、ペースランナーが水分補給したので、しばらくペースを落として彼らが追い付いてくるのを待ち、再び一緒に着いていったりしたからだ。
途中、折り返してきたトップランナー達と早くもすれ違う。先頭を争っているのは珍しく白人と黒人だった。女子のトップは優勝候補のキルワ選手だ。彼女はリオデジャネイロオリンピックの女子マラソンの銀メダリストで、ダントツのトップだった。
10km地点を過ぎてしばらく行くと、折り返し点があるので、すれ違うランナーの中から知った顔を必死で探す。特にゾウさんを何としても見つけたい。でも、ランナーの数が多いし、今年はペースランナーにピッタリ着いていくのが最優先なので、なかなか見つけられない。D木谷さんも前を走っているはずだが分からない。
折り返し点ではピッグがプラカードを持って応援してくれているはずだ。どこかなあと思って探していると、折り返した直後に、可愛いペンギンの絵と「ガンバレ四電ペンギンズ」って書いたお手製のプラカードを持って立っていてくれた。隣には、例年、この辺りで声援を送ってくれるK崎さんも一緒だった。一般の方の声援も嬉しいが、このように個別で声援を送ってくれるのは本当に嬉しい。特に今日はペースを抑えているため、まだまだ余裕で軽快に走っているので、声援に応えるのも楽しい。それにしても、わざわざプラカードを作って応援に来てくれるくらいなら、参加した方が楽なのになあ、なんてしつこく思ってしまう。
ピッグお手製の応援プラカード
折り返し点を過ぎて後続のランナーとすれ違いながら他のメンバーを探す。支部長は少し後から走ってきた。まだそんなに遅れてないから大丈夫だろう。私と同じ蛍光色の目立つTシャツを着ているので、すぐに見つけられた。でも、ヤイさんは全然分からなかった。昔は簡単にメンバーを見つけられていたのに、参加者が激増した今では、メンバーを探す事も困難になってしまった。
今日はペースを抑えて走っているから、そんなに前の方に位置している訳ではないんだけど、それでも後から後から、はるか遠く地平線のかなたまで、夥しい数のランナーが走ってくる。
例年なら丸亀マラソンのコースは、折り返して西に向いて戻る後半が向かい風になり、ただでさえ疲れが出てくる後半がさらに厳しくなる。しかし、今日は相変わらずほとんど無風状態で走りやすい。被ったままのビニール袋は少し暑いけど、脱ぐのが面倒なので、そのまま着ているが、それほど邪魔にはならない。
3つ目の給水所では、さすがに少し喉が渇いてきたので水分を補給した。ほんの一口飲んだだけだが、それで十分だろう。
15km地点までの1kmごとのラップは5分39秒、5分46秒、5分25秒、5分35秒、5分47秒だった。前半はかなり正確に刻んでいたピッチが、後半になってブレが大きくなってきた。給水所とかの要因もあるけど、ちょっと乱れすぎだ。もちろん、遅かった後はそれを取り戻すようにペースを上げてつじつまを合わせる。ペースを上げると言っても、所詮はスローペースなので、着いていくのに困ることはない。遅いときは自分でも「ちょっと遅いなあ」って分かるので、それを取り戻すだけだ。残りは、もう6kmしかなく、まだまだ余裕で着いて行けているので、このまま最後まで行けるかもしれない。でも、いつも最後の3〜4kmで大失速するから、まだ不安はある。
17km過ぎには最後の給水所がある。支部長が毒入り給水所と恐れている給水所だ。本当に毒が入っているかどうかは分からないが、ここからゴールの丸亀競技場までの直線部分では、それまでどんなに快調に走っていても、必ず失速してしまう。それも少しずつペースダウンするんじゃなくて、いきなりガクンと大失速するのだ。去年も一昨年もそれ以前も、それまでどんなに快調にペースを維持していても、この最後の直線部分でいきなり大幅にペースダウンするのだ。ただ、私は以前から、こんな終盤での給水は意味が無いと思ってパスしているのに、やはり毎年、失速しているから、毒のせいではないと思う。この最後の部分は、なかなか自覚できない程度なんだけど、ゆる〜い上り坂になっているのだが、坂と言っても、たかが4kmで15m上がるだけだ。もっと激しい坂があるタートルマラソンに比べてもペースダウンが激しいから、坂が原因とは思えない。何か秘密が隠されているのは間違い無いが、それが何なのかは分からない。
いずれにせよ、今年も私は給水しなかったが、意外にもペースランナーは、この期に及んで再び給水した。2つ目の給水所では給水したペースランナーが追い付いてくるのを待ったが、もう残り3kmちょっとってところで待つのは時間がもったいないので、そのまま自分のペースで走り続ける。ところが、これが大変。いつもは当然ながら最初から最後まで、時計を見ながら自分でペース管理しながら走るんだけど、今日は最初から何も考えずにペースランナーに着いてきたので、いきなり一人になると、ペースが全く分からない状態になったのだ。今走っているペースが速いのか遅いのか、何が何やら分からなくなって混乱に陥った。足がもつれてこんがらがる。
最近、プロが出る大きな大会は、たいていペースランナーがいる。フルマラソンなら30km地点辺りまでペースランナーが設定されたペースを正確に守って走り、参加ランナーはそれに着いていくだけだ。このような風潮に対して「いつもペースランナーに着いて走っていると、自分でペース配分ができなくなるし、駆け引きもできなくなり、勝負弱くなってしまう」と批判する人も多い。今日、その理由が本当に分かった。ペースランナーに着いて走るのは本当に楽だが、人間、楽してたらダメになる。良いタイムが出ても、成長にはならない。
なーんて自己批判している場合ではないので、結局、ペースランナーが追い付いてくるのを待って、再び一緒に走り出す。とたんに楽になる。いつも一気に撃沈する終盤の直線コースだと言うのに、今日はあんまり負担にならない。とは言え、ペースランナーもこの辺りでは大きくペースを落としてしまった。15km地点から18km地点までの1kmごとのラップは5分29秒、5分37秒、5分50秒だった。給水なんかで大きくペースを落としたのだ。ただ、ここでペースランナーはゴールまでの距離と時間を計算して、「残り3kmを1km5分40秒で行けば2時間ピッタリになりますから」って言う。なるほど。ここまで少し貯金が出来ていたようで、ここから先は1km5分40秒で行けばいいらしい。
いよいよ最後の3kmの直線コースだ。いつもは気持ちだけは完全にラストスパートモードになりながら、実は止めどもなくペースダウンしていき、時計を見て愕然とする区間だ。なぜ毎年、この最後の直線コースに入ると絶望的にペースダウンするのかは分からない。普通に考えれば、それまでのペースがオーバーペースだったため、ここで力尽きるんだろうけど、毎年、全く同じ地点から急激にペースダウンするってのは、とっても不思議。
しかし、今年は違う。何も考えずにペースランナーに盲目的に着いていくだけなので乗り切れてしまう。ようく考えれば、何となくきつくなってきたような気もするが、大したことはない。たぶん、ここまでペースを抑えて走ってきたため、余力が残っているだけなんだろうけど、毎年毎年撃沈する区間なのに平気で走れるってのが不思議な感覚だ。
ふと前を見ると、なんとゾウさんが走っている。彼女は我々より10分前にスタートしたんだけど、ようやく追い付いた。さすがに長期間走ってなかったから、だいぶペースダウンしたようだが、それでもここまで走ってきているのは、すごいの一言だ。完走は間違いないだろう。
さらに、突然、高橋尚子様が出現し、道の真ん中に立ってハイタッチしてくれた。これでますます元気が沸いてきた。
19km地点のラップは、ぴったり5分40秒だ。とても快調。ところが、この辺りから道幅が一気に狭くなり、急に大混雑してきた。そのため明らかにペースが落ちている。ペースランナーもそれが分かっていて、なんとかペースを上げようとするが、他のランナーが邪魔になって詰まってしまう。このため20km地点のラップは5分56秒と大きくペースダウンしてしまった。
こらマズイがな。と思って最後の1kmくらいスパートしようと思ったんだけど、大混雑で全然追い抜けない。まずい。まず過ぎる。どんどんペースが落ちていく。最後に陸上競技場の敷地内に入ったところから混雑はマシになり、ようやくスピードを上げて、そのままフィニッシュゲートを駆け抜けた。女子高生が列を作ってハイタッチしてくれるのが嬉しい。
〜 ゴール 〜
結局、グロスでほぼ2時間ぴったりでゴールした。ネットでは2分貯金があったから1時間58分だった。
1時間58分というタイムは、丸亀マラソンでは圧倒的に悪いタイムだが、レース前はまともに走れるかどうかも不安だったので、いくらタイムが悪くても、最後まで余裕を持ってしっかり完走できたのが嬉しい。序盤からペースを徹底的に抑えて走ったおかげだろう。最初から最後まで余裕を持ってペースをキープできたのが本当に気持ち良く、嬉しい。怪我からの復帰レースとしては大満足だ。
しばらくしたらゾウさんが帰ってきた。ゾウさんは去年より20数分も遅いタイムだ。つまり1km当たり1分以上も遅いタイムだ。それでも、僕と同じように、完走できた事が嬉しそうだ。て言うか、産後3ヵ月足らずで完走するなんて、本当にすごいと思う。
(ゾウ)「最後まで歩かずに完走できたのが嬉しいですね」
(幹事長)「僕も同じや。本当に良かった良かった」
沿道で家族が赤ちゃんを抱えて応援してくれていたとのことで、それも励みになったようだ。
そのまましばらく支部長を待つ。折り返し点では、少し後ろを走っていたので、すぐに帰ってくるだろうと思ったのだ。彼も私と同じ蛍光色の目立つTシャツを着ているから見逃すはずはないんだけど、いつまで経っても支部長は帰ってこない。ヤイさんもあんまり目立つウェアじゃないから見つからない。走っている時は熱を発散するから寒くはなかったけど、じっと待っていると濡れたウェアが寒くなってくるので、とりあえず着替えに戻ることにした。
スタンドに戻って着替えていると、中村くんが戻ってきた。
(幹事長)「お、どうやった?」
(中村)「結構、順調に完走できましたね」
彼も僕ほどではなかったけど満濃公園リレーマラソンではさっぱりだったが、今日はタイムも悪くなかった。
続いてヤイさんも帰ってきた。
(幹事長)「なんとか無事に完走できたようですね」
(ヤイ)「いや、やっぱり途中から肉離れの箇所が痛くなって、こら危ないと思ってずっと歩きました。最後だけは走りましたけど」
そう言えば、去年もヤイさんは折返し点まで私のすぐ後ろを走っていたけど、その後、肉離れ状態になってペースダウンを余儀なくされた。鉄人ヤイさんだけど、肉離れはなかなか完治しない。普通なら、肉離れなんかしたら即、リタイアすると思うんだけど、根っからのスポーツマンで強靱な肉体と強靱な精神力を持つヤイさんは、肉離れくらいでリタイアするほどヤワではないから、かえって完治が遅れるのかも知れない。
それにしても支部長はどこへ行ったんだろうって話していたら、ボロボロになって帰ってきた。
(幹事長)「どしたん?見るからにボロボロやけど」
(支部長)「もうフラフラや」
(幹事長)「また脱水症状?」
(支部長)「いや、今日は風邪でダウン」
折り返し点当たりまではペースランナーと一緒に走る僕らのすぐ後ろにいたのに、その後、急激に体調が悪くなり、咳が激しくなった上に、咳き込むと激しい頭痛も出てきて、もう走れる状態ではなくなり、12km辺りから後はずっと歩いたんだそうだ。
(幹事長)「そんなに歩いたん!?ひえ〜!」
(支部長)「リタイアしようとバスを探したんやけど、見付からないから仕方なく最後まで歩いたんよ」
走っているとちょうど良い気温だったが、歩くと寒かったようで、ますます体調が悪化している。今日は全員がハンディを抱えての出走となったが、結果的には僕が一番コンディションが良かったみたいだ。
D木谷さんとは会えなかったが、折り返し点で応援してくれていたピッグに後から聞いたところによると、僕よりだいぶ前方を快調に走っていったとのことだった。
〜 反省会 〜
レースが終わり、駐車場に戻ると、大渋滞になっている。何百台という車が一斉に出ようとしてるんだけど、出口は1箇所で、そこに信号があるから、渋滞状態は完全にフリーズして全く動かない状態だ。30分くらいかかって10mくらいしか動かない。今日中に脱出できるんやろか、なんて不安になっていた時、的確な措置を取る車がいて、その後を着いていったら割りと順調に脱出できた。
(ピッグ)「なにか遠回しな表現ですねえ。何があったんですか?」
(幹事長)「それは公表できんな」
駐車場を脱出すると、例によって、うどん屋での反省会に繰り出す。既にかなり時間が経ってて、もう3時を過ぎている。たいていのうどん屋は2時過ぎには閉店になってしまうので、まだやっているうどん屋を探すのに苦労したが、坂出の街中のわかまつが開いていた。冷え切った体に暖かいチャンポンうどんがとても美味しい。
(幹事長)「今日は久しぶりに気持ちが良い!」
先月の満濃公園リレーマラソンで惨敗した後の最初のまともなレースだったから、レース前は「まともに走れるのだろうか、21kmも完走できるのだろうか」って不安でいっぱいだったが、最初から最後までペースランナーにピッタリと着いていったおかげで、何の問題も無くあっさりと余裕を持って完走できてしまった。2時間という遅いペースだったため、最初から最後まで余裕があり、本当に気持ち良くゴールできた。
レース前は天候も不安だったけど、結果的に、スタート直前に雨は止み、気温は低いけど風もほとんど無く、絶好のコンディションになったのも有り難かった。タイムは悪いけど、こんな快感は久しぶりだ。2週間後には、やっと当選した京都マラソンに初出場することになってて、完走できるかどうかとっても不安だったけど、これならフルマラソンも完走できそうな気がする。
ゾウさんも今日の完走に自信を深め、来週は坂出天狗マラソンに出場すると言う。2週連続なんて大変だけど、彼女なら楽勝でこなせそうだ。
一方、風邪で体調が悪かった支部長は、本当にしんどそうだ。
(支部長)「歳とってくると風邪引いただけでもボロボロやなあ」
支部長はひどく弱気になってしまった。思い起こせば9年前の第62回大会の時は私がインフルエンザで欠場した。あの時は本当にしんどかった。歳とって風邪引くと、本当にしんどいものだ。
でも、来月末には徳島マラソンがあり、みんな出場することになっているから、次こそは全員、万全の体調で臨みたいぞ。
〜おしまい〜
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