第6回 龍馬脱藩マラソン大会

〜 史上最悪の大惨敗 〜


2017年10月8日(日)、高知県檮原町第6回龍馬脱藩マラソンが開催された。今年の山岳マラソン4連戦の最終戦だ。
最近は毎年、夏場には山岳マラソンが続いていて、一昨年の夏は山岳マラソン3連戦、去年は山岳マラソン4連戦、そして今年も6月上旬の北山林道駆け足大会の後は、7月下旬の富士登山競走という超ハードな山岳マラソンに初出場し、その後も9月上旬の酸欠マラソン、そして今回の龍馬脱藩マラソンと、山岳マラソン4連戦という超厳しいスケジュールを組んだ。

(ピッグ)「その間にこんぴら石段マラソンもありましたけどね」
(幹事長)「あれはピクニックやったな」


〜 超厳しいフルマラソン 〜


龍馬脱藩マラソンは3年前に初参加する予定だったが、台風が来るって事で3日前に中止になった。あの時は民宿を予約するのに大騒動になり、大変苦労して宿を確保したのに中止になったもんだから、とても残念だった。結果的には台風も直撃しなかったし、本当にもったいなかった。
で、2年前に満を持して初参加したのだが、フルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。
ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースはそんなに大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。

(幹事長)「思ったほど厳しくなかったなあ」
(支部長)「ま、そやな」


なんと、あの坂に弱い支部長ですら、最後の大きな上り坂を歩かなかったのだ。当時、支部長はレフコ・トライアスロンを始めたばかりだったが、早くもその成果が出ていたのだ。レフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、まずプールで泳ぎ、次に自転車マシーンに乗り、最後にランニングマシーンで走るという、1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。単に風呂に入りに行ってる言い訳に過ぎないだろうと最初はバカにしていたが、レフコ・トライアスロンを始めてからと言うもの、坂に非常に強くなり、明らかに絶大な効果が出ていたのだ。
走る前は戦々恐々だったのに、思ったほど厳しくなかったため、みんな強気になった

(幹事長)「恐れていたほどの坂ではなかったよなあ」
(支部長)「全然歩かなかったし、大したコースではなかったな。10kmの部を勧めたH本さんは私らを見くびり過ぎやな」
(D木谷)「それじゃあ、来年はフルマラソンに出ましょうか」
(ピッグ)「いいですねえ。私もフルマラソンに出ようかなあ」


て事で、D木谷さんやピッグはフルマラソンの部に出る事を宣言した
だが、いくらハーフマラソンのコースが思ったより楽だったと言っても、フルマラソンのコースは絶対に超厳しいと思うので、私には少し躊躇いがあったため、阿南のY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。

(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。
     ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」
(幹事長)「私でも完走できるやろか?」
(Y浅)「大丈夫だいじょうぶ。奈良マラソン完走したんやから、いけるって」


Y浅さんとは一昨年の12月に奈良マラソンを一緒に走ったことがある。確かに奈良マラソンも坂がてんこ盛りだったけど、脱藩マラソンの坂は奈良マラソンの2倍以上はある。でも、Y浅さんが毎年出てるくらいなんだから、私でもフルマラソンを完走できるかなあと思って出場することにした。
さらに、小松原選手にも一応、聞いてみた

(幹事長)「どう思う?」
(小松原)「もう子供じゃないんで、出たいと言うのを止めはしませんが、この大会のフルマラソンはきついっすよ」


小松原選手ほどのスーパーランナーでも、脱藩マラソンのフルマラソンはきついらしい。フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560m、累積の標高差が900mもある。ハーフマラソンのコースは累積の標高差が380mだから、厳しさは倍以上だ。前半は基本的に上りが続くが、15km地点辺りまでは緩やかな上りで、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。しかも最後の600mは手を着いて登るような山道だ。ハーフマラソンのコースとは別次元のようだ。
とは言え、小松原選手は「きついっすよ」なんて言いながら、一昨年は3時間31分などと言う驚異のタイムを叩きだしている。フラットなコースでも私らには100%不可能なタイムだ。フルマラソンのベストタイムが3時間8分の小松原選手だからこそ達成できるタイムだ。そのレース展開は、と言うと、

(小松原)「最初からずうっと1km5分のペースを守って行きました」

とのことだ。1km5分って言ったら、私らならハーフマラソンの丸亀マラソンの序盤のペースだ。そのペースで累積の標高差が900mもあるフルマラソンを走るなんて、驚異のペースだ。坂が無くったって1km5分のペースでフルマラソンを走るのはきついに決まってるので、小松原選手のアドバイスは何の役にも立たない。ま、しかし、ハーフマラソンが物足りなかったのは事実だ。
それに、ピッグもフルマラソンに出るっていうのが心強い。D木谷さんは最近は100kmウルトラマラソンやトライアスロンにも出て圧倒的な走力を見せつけているので、一緒に走るのがD木谷さんだけなら、あっという間に置いてけぼりを喰らい、一人トボトボ走る辛い運命が目に見えているが、永遠のライバルのピッグも出るのなら、似たようなレベルなので、最後まで心の支えにして一緒に走れると思ったのだ。
一方、支部長はハーフマラソンは物足りないという感想を述べていた割りには、國宗選手と歩調を合わせてフルマラソンを頑なに拒絶するという大人の対応となったため、結局、去年は私とD木谷さん、ピッグ、小松原選手がフルマラソンの部に、また支部長と國宗選手がハーフマラソンの部に出場した

そして、結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも、「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって足をガードレールの上に乗せて痛みを取ったりした。しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。

タイムが悪いのは仕方ないけど、足が痛くて走れなくなるのは本当に辛い。もう何年も前に、坂が無い超フラットな徳島マラソンでも、序盤に調子に乗って飛ばしてしまった結果、終盤で足が痛くて歩くこともできなくなって大惨敗を喫したことがある。その反省から、それ以降はフルマラソンでは前半に決して調子に乗って飛ばさず、思いっきり自重するという作戦を取っているため、終盤に足が痛くて走れなくなるってことは無くなった。前半から極端に抑えて走るのでタイムはパッとしない状況が続いているが、足が痛くなる辛さに比べたらマシだ。足が痛くならなければ、いくら疲れてきても歩くことは無い。タイムは悪くても、最後まで足が痛くならないのは嬉しいし、また出ようって思うようになる。
ところが、去年の脱藩マラソンのフルマラソンは、前半を抑えたつもりだったのに、上り坂だから負荷が大きくて、足の疲労が蓄積していったのだろう。多少、痛いくらいなら、我慢して歩いたり休んだりしながら、なんとかトボトボと帰ってこられるから、少しずつでもゴールは近づいてくる。でも足が痛くて痛くて歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって休んだりしていたから、なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こう決意した。

(幹事長)「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」
(支部長)「だから言わんこっちゃない」


〜 エントリー 〜


脱藩マラソンの今年のエントリー開始は6月1日の0:00となった。去年はエントリー開始が朝の8:30だったため、ちょっと困った。休日ならいいが、平日の8:30だなんて、そんな時間に自宅にいるのはニートか専業主婦であり、普通のおっさんは会社に行ってる時間だ。「ちょっとは考えてくれ」って去年の記事に書いたら、これを呼んだ担当者が反省して、今年は0:00(つまり夜中の12時)に変えてくれたのだ。

(ピッグ)「ほんとですかっ!?」
(幹事長)「もちろん嘘です」


でも、まあ、私と同じような意見が多かったために時間が変更になったのは間違いない。とは言え、できれば夜の8時とか10時にして欲しかった。夜中の12時は、若い人ならほんの宵の口だろうが、高齢化が進んできた我々にとっては起きてるのは容易ではないから辛いのだ。
ただ、この龍馬脱藩マラソンは、コースが超厳しいこともあって、昨今のキチガイじみたマラソン熱の中にあっても、即日完売にはならない珍しく人気薄のレースなので、そんなに焦る必要はない。汗見川マラソンや酸欠マラソンと言ったマイナーで過激な山岳レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に瞬間蒸発していく昨今の異常なマラソンブームの中で、なぜ、この龍馬脱藩マラソンは余裕を持って申し込むことができるのか?それは、他の山岳マラソンに比べても、コースが超きびしーからだろう

龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだが、死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく5年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。
四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった。しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンができたのだ。そして、そのフルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近い。そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンなのだ。

て事で、龍馬脱藩マラソンのエントリーは、そんなに焦る必要は無いんだけど、あの超マイナーな草レースのこんぴら石段マラソンですら僅か1日で瞬間蒸発してしまうご時世なので、油断は禁物だ。もう、昔の常識は通用しない。どんなレースであっても、強い危機感を持って、取りあえずエントリー開始と同時にパソコンのキーを叩かねばならない。
しかし、ここで大きな問題が出てくる。今年も昨年に続きフルマラソンの部に出るのか、それとも一昨年のようにハーフマラソンの部に出るべきか

(支部長)「何を言よんかいな。もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないって言うてたやんか」
(幹事長)「あまりの惨敗ぶりが悔しくなってなあ」


確かに去年のレース直後には、こんな辛い思いは二度としたくないって思った。ただ「惨敗したから終わり」ってのも情けない。だいぶ時間が経ったから、足が痛かった辛さの記憶も薄れてきた。

(支部長)「昨日の晩ご飯が何やったか覚えてる?」
(幹事長)「晩ご飯を食べたのは覚えてる」


今年もD木谷さんはフルマラソンに出る。彼も去年は彼なりには不本意なタイムだったが、それでも5時間は切ってゴールしたから、それほど抵抗感は無いようだ。それから、去年はフルマラソンに申し込んでおきながらドタキャンしたピッグも、再度フルマラソンにエントリーすると言う。

(幹事長)「去年はピッグも出ると言うから私もフルマラソンに出て惨敗したんぞ。責任取ってくれ!」
(ピッグ)「だから今年こそはフルマラソンに出ますってば」
(幹事長)「ピッグと同様に、去年ドタキャンした國宗選手もフルマラソンに出るんやろなっ!?」
(國宗)「何を言うてるんですかっ!私はハーフマラソンをドタキャンしただけですよ!」


て事で、國宗選手は今年もハーフマラソンにエントリーしたが、私はこのまま引き下がっては悔しさが残るだけなので、リベンジするつもりで今年も性懲りもなくフルマラソンにエントリーすることにした。そうなると残るは支部長だ。

(幹事長)「支部長もフルマラソンにエントリーするように!」
(支部長)「何を言うてるんや!絶対に嫌やで!」
(幹事長)「分かってるか?フルマラソンのコースを走らないと脱藩した事にはならないんぞ」


なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからであり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないのだフルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになるのだ

(支部長)「スタート地点まで戻ってくるんやったら、結局、脱藩してないやん」
(幹事長)「だから折り返し点まで行って脱藩した時点でリタイアしたらええやん。
       前半だけやったら支部長でも楽勝やで」
(支部長)「なんでリタイア前提なん?」
(幹事長)「脱藩マラソンに出たぞ、なんて偉そうに言うためには脱藩地点まで行く必要がある。
       せっかく四万十ウルトラマラソンに出場したのに、100kmの部じゃなくて60kmの部でお茶を濁したばっかりに日々恥ずかしい思いをしているピッグの二の舞になるぞ」
(ピッグ)「60kmの部にすら出たことないのに、偉そうに言わないでください!」


最後まで迷っていたが、最終的に支部長もフルマラソンの部に出ることとなった。以前、あれほど坂に弱かった支部長からは考えられないが、はやり最近のレフコ・トライアスロンの成果に自信を深めているのだろう。

(幹事長)「これでハーフマラソンは國宗選手だけやで。寂しいやろ?一緒にフルマラソンに出よ?」
(國宗)「私は騙されませんからねっ!
     それにしても幹事長は懲りないと言うか、ほんとに坂が好きですねえ。」


私が坂を好きになってきているのは間違いない。自転車も同じで、始めた頃はフラットな道を走るのが気持ち良かったけど、だんだん飽きてきて、今では坂道でないと面白くないなんて感じているが、最近はマラソンでもアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた。大きな理由の1つとして、フラットな高速コースでタイムが伸び悩んでいるって事がある。伸びないと言うより、どんどんタイムが悪くなっている
以前は良いタイムが出るフラットなコースの方が好きで、どの大会に出ても、毎回、大会自己ベストを出すのを目標にしてきた。そして、実際に、時々は良いタイムが出ていたから、それが楽しかった。ところが近年、自己ベストが出なくなってきた。惜しいっていうより惨敗続きで、どう考えても自己ベストなんて出そうにない状況になってきた。何か原因に心当たりがあれば不調のせいだと見なせるし、その対応策も考えられるが、最近は、何の心当たりも無いのにタイムが伸び悩んでいる、と言うか、年々悪くなっている。

(支部長)「だから、それは不調なんじゃなくて歳のせいなんやってば」
(幹事長)「亀ちゃんですら、そう言ってるからなあ」


以前、亀ちゃんに「お前のレベルなら歳のせいじゃなくて、単なる練習不足や」なんて一喝されたように、私らのレベルだと、真面目に練習をすればまだまだタイムは良くなると信じていたんだけど、最近は、少し練習量を増やしただけで疲れが残り、どんどん調子が悪くなる。もともと大した練習量ではないのだけど、それすら増やせないのだ。これも多分、歳のせいなんだろうけど、こうなるとフラットなコースでも良いタイムを出すことはできない。今年2月の京都マラソンで亀ちゃんと一緒に走った時、彼自身が最近はタイムが落ちているなんて告白していたくらいだから、やはり我々の年代になると歳のせいで衰えているのかも知れない。
なんにせよ、フラットなコースではタイムが伸び悩み、なんかやる気が失せつつあるが、坂が多いコースだと、タイムは悪いのが当たり前なので気にしなくてもいい。それに、坂がある方が純粋に面白い。去年から参加している北山林道駆け足大会なんか、最大勾配19%なんていうトンでもない急坂の駆けめぐるレースだが、距離が12.8kmと短い事もあって、とっても楽しくて、ますます山岳マラソンが楽しくなってきた。

(支部長)「確かに、あれは私も楽しかったな」

て事で、最近は、タイムは二の次で、フラットなコースよりも激坂がある山岳マラソンの方が面白くなってきた。以前から出ている汗見川マラソンなんかでは、むしろ物足りないくらいで、今年初めて出場した富士登山競走なんかは、標高差1480mを駆け上がる超過激なレースで、ものの見事に撃沈したが、面白くて楽しかったし、9月始めの酸欠マラソンも強烈な激坂が楽しい。

(D木谷)「酸欠マラソンも楽しかったですよねえ!」

過去を振り返ると、そもそも我々は昔から山岳マラソンに積極的に参加してきた。古くは20年前から参加していた塩江温泉アドベンチャーマラソンもあったし、これと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会である四国カルストマラソンもあった。どちらも今は無くなってしまったが、四国カルストマラソンの後継大会として始まったのが今回の龍馬脱藩マラソンなのだ。


〜 ドタキャンか!? 〜


て事で、今年はのほか、小松原選手、D木谷さん、ピッグ、それに支部長フルマラソンに出て、國宗選手だけがハールマラソンに出ることとなった。
しかし、油断はできない。去年は直前になってD木谷さん、ピッグ、國宗選手の3人からドタキャンの連絡が入って愕然としてしまった。(ただ、D木谷さんはその後、行けることになり、独り寂しくフルマラソンを走る事態は回避された)
今年はどうなるかな、なんて思っていたら、案の定、2日前になって國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。徳島マラソンなんて4年連続でドタキャンしてるし

(國宗)「あのう、直前になって済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明後日の脱藩マラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話を聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとかでドタキャンするんやろ?」
(國宗)「違いますがな!明後日の待ち合わせ場所の連絡ですがな!」


独りだけハーフマラソンの部に出るから、他のメンバーのゴールを待つのがヒマなのでドタキャンするのかと思った。フルマラソンのスタートは9時で、ハーフマラソンのスタートは9時半だから、30分の違いはあるが、2時間ほどで帰ってこられるハーフマラソンと違い、我々ならフルマラソンは早くても5時間はかかるから、國宗選手はハーフマラソンが終わってから少なくとも2時間半以上、待たなければならないのだ
一方、小松原選手は去年に続き、今年も欠場することになった

(幹事長)「去年はアキレス腱を痛めて欠場したけど、今年はどしたん?」
(小松原)「ちょっと海外出張が入りまして」


彼は海外事業部門にいるから、年中どこかへ出掛けているのだ。残念。

(國宗)「ところで今年はどこに泊まるんですか?」
(幹事長)「え?日帰りやで」
(國宗)「え!?あんなに遠いのに?」


國宗選手が参加した一昨年は民宿に泊まったが、去年は早朝に出発して日帰りした宿泊場所を探すのに疲れ果てたからだ
このマラソン大会は、エントリー自体は他のマラソン大会に比べて楽勝だが、一番のハードルは宿泊場所の確保だ。日本全国、超マイナーな草レースも含めて、どんなマラソン大会も受付開始と同時に即日完売してしまう末期的な昨今の状況の中、何日経っても受け付けてくれる龍馬脱藩マラソンは貴重な存在と言えるが、宿泊場所の確保が極めて難しい。このマラソンが人気薄な理由は、コースが厳しいからだけでなく、宿泊場所に困るからかもしれない。宿泊場所が無くて参加できない人が多いのために、いつまでも定員オーバーにならないのかもしれない。
四国内なので、高松から日帰りも不可能ではないような気もするが、檮原町は遠いので、3年前に初めてエントリーした時にH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「檮原まで高松から日帰りは難しいよねえ?」
(H本)「何言ってるんですか!当たり前でしょ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」
(幹事長)「て事は、檮原町に泊まるんよね?」
(H本)「今頃探しても泊まるところは無いですよ」
(幹事長)「え!?そうなん?」


檮原町は高知の、というか四国の山の中にある。かなり不便な場所なのだ。スタートとゴールは檮原町役場だから、檮原町の中心部に泊まることができれば良いんだけど、檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、これは立派なホテルだ。さらに雲の上のホテルの別館でマルシェユスハラというのがあり、こちらも普通のきちんとしたホテルだ。H本さんも毎年、そこに泊まっているとのことだ。でも、これらの予約は極めて難しい。

(H本)「私たちは毎年、そこに泊まって出場してるんだけど、帰る時に翌年の予約をして帰ってますよ」
(幹事長)「どっひゃあーっ!」


一応、電話で確認してみたけど、けんもほろろだった。雲の上のホテルもマルシェユスハラも、どちらも僅か15室しかないので、一見さんが入り込める余地は無いのだ。町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、マラソン大会のホームページを見て民宿をピックアップした。檮原町内に民宿は全部で10軒ほどあるが、檮原町はかなり広いうえに、基本的に山間部なので、同じ町内と言えどもマラソン会場の役場の近くでないと移動が大変だ。なので、現実的な宿泊候補となるのは5軒だった。どういう施設なのか情報が極めて少ないので、片っ端から電話を掛けてみた。ところが、恐れていたとおり、ことごとく満室だ。どこも数部屋しかないような小さな民宿なので、マラソン大会が開催されるとなれば、たちまち全部満室になってしまうのだ。
でも、半ば諦めつつ最後の民宿に電話したら、直前でキャンセルが出たとのことで、1部屋だけ空いていた。ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、高齢で作るのが大変だからと言う説得力の無い理由で難色を示す。最終的に、配膳とかを自分達でやるからという条件で強引に作ってもらえる事になったが、結局、大会3日前の夜、おばちゃんから大会中止の電話があったため、問題の夕食を食べることはできなかった。

3年前、このような経験をしたため、2年前はいち早く宿泊場所の確保に動いた。いち早くと言うのは、大会への参加申し込みをしてからでは遅いって事で、まだ大会の受付が始まる前の4月に早くも予約しようとしたのだ。雲の上のホテルと別館のマルシェユスハラは既に話にならなかったので、民宿を当たったのだが、その中でも、周辺に飲食店がありそうな町の中心部の民宿から当たっていった。そしたら、なんと1軒目で部屋が空いていた。直前にキャンセルが出たらしい。ラッキーだった。でも、部屋は確保できたが、一昨年と同様に食事を作ることには頑なに抵抗され、押し問答にも疲れたので、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。

結局、民宿に泊まっても、古くて設備はイマイチだし食事も出ないのであんまり快適ではない。しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまう。マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。て事で、去年は檮原町内の民宿は探さずに、途中の須崎市で泊まることにしたが、同じ事を考える人も多いようで、須崎市のホテルも普通の所は既に満室になっていて、残っていたのは長期滞在者用らしい少し怪しいホテルだけだった。
須崎市から梼原町までは車で1時間ほどで、近いと言えば近いが、中途半端な距離でもある。高松から須崎までは2時間ほどで、高松から檮原までなら3時間だ。無理したら日帰りできないこともないが、疲れそうだなあ、なーんて悩みつつ、6月に須崎市と梼原町の間にある葉山で開催された北山林道駆け足大会に日帰りで参加した。高松から2時間半かかったが、思ったより疲れなかった。高松から2時間半の葉山まで日帰りで行けるのなら、3時間の檮原だって日帰りが可能だろうって事で、車で日帰りした結果、特に問題も無く十分に日帰りが可能だと分かった
車で日帰りするためには、高松を5時には出発する必要があるが、小豆島オリーブマラソンだって奴隷船に乗るためには5時に家を出て港へ行かなければならないから、早起きという点では同じだ。ただ、問題は誰が車を運転するか、だ。行きはいいけど帰りは疲れ果てているからだ。去年はハーフマラソンに出た支部長に車を出してもらったが、今年は支部長もフルマラソンなので帰りはくたびれ果てているはずだ。

(幹事長)「じゃ、ピッグに車を出してもらおう」
(ピッグ)「ちょちょちょ、ちょっと!私もフルマラソンに出るんですよ!
       それに、脱藩マラソンは他の人が運転するという約束で、先月の酸欠マラソンに私が車を出したんですよ!
(幹事長)「じゃ支部長の車に乗る?恐くない?」
(ピッグ)「う、そ、それは恐いかも・・・」


支部長は疲れると、ほぼ100%居眠り運転をするので、ピッグも渋々車を出してくれることになった


〜 檮原町へ出発 〜


朝、早起きして5時に家の外で支部長車を待っていると、10月の早朝だというのにTシャツ1枚でも全然寒くない。今年も夏は猛暑が厳しかったが、10月に入って急に肌寒くなり、しつこかった猛暑からいきなり秋の気配になった。ところが、今週末は再び気温が高くなるって言う予報だ。もう10月だから猛暑にはならないだろうとは思うが、油断はできない。
ただ、雨の心配は無さそうだ。この季節、雨が少ない香川県地方では晴天が多いが、高知県では雨が降ることも多く、特に山奥では天気は悪くなりがちだ。3年前は台風が来そうだって事で中止になったし、一昨年も小雨が降ったり止んだりだった。去年は結局、雨は降らなかったが、走る前まで微妙な天候だった。しかし、今年は天気予報は晴れと断言しているから、まず大丈夫だろう。汗見川マラソンのような真夏のマラソン大会なら、炎天下で走るより、むしろ雨になった方が嬉しいが、さすがに10月だから雨になると寒いだろう。

5時前にピッグの車がやってきて、予定通り5時に高松を出発できた

(幹事長)「D木谷さんは来週は四万十ウルトラマラソンですよね」
(D木谷)「それが都合で出られなくなりまして」


実はD木谷さんは今年、なんと2つも100kmウルトラマラソンにエントリーしていた。ところがこんぴら石段マラソンの前週の丹後ウルトラマラソンは台風の直撃で中止になり、来週ある四万十ウルトラマラソンは都合で出られなくなったという。とっても残念だ。

(D木谷)「代わり出ますか?」
(幹事長)「だから私はウルトラマラソンには絶対に出ませんから」


42km走るだけでも死にかけるのに、その2.5倍も走れる訳がない。

(D木谷)「今回は練習はしましたか?」
(幹事長)「相変わらず、ちょぼちょぼですね」


去年は初めての脱藩マラソンのフルマラソンって事で、割りと練習したつもりだった。距離は大して走ってなかったけど、毎週、飯野山や大麻山に走って上って坂道の練習を積んだ。おかげで坂に対する恐怖心は無くなったし、実際に去年走ってみて、前半の20kmの過激な上りは歩くことなく順調に完走できた。ところが、なんと楽勝の予定だった後半の下りで足が痛くなって走れなくなったのだ。走れないどころか歩くこともできなくなり、途中で休みまくって大惨敗した
て事で、去年の作戦は間違っていた事が分かった。山に上って上り坂のトレーニングさえ積めば、後半は下りだから何とでもなると思ったのは甘かったのだ。前半の上り坂で力を使い果たしても、後半は下りだから放っておいても帰ってこられると思ったのは間違いだったのだ。上り坂の練習さえすれば通用するようなコースではなかったのだ。

(幹事長)「だから今年は坂を上る練習はしなかった」
(ピッグ)「で、代わりに何を?」
(幹事長)「特に何も」


今年は前半を徹底的に抑えて走る作戦にした。その作戦を思いついたもんだから、もうあんまり練習の必要性を感じなくなってしまい、あんまり練習しなかった。去年は練習しても通用しなかったから、今年は練習じゃなくて作戦に賭けてみることにしたのだ

(幹事長)「どう思う?」
(ピッグ)「あまりにも大胆不敵ですね」
(支部長)「練習した上での作戦やで」


ま、今さら言っても、もう遅い。

朝食のおにぎりを食べながら車は順調に進み、高知市を過ぎて須崎市に入って7時頃に高速道路を下りた。下りた所にある道の駅でトイレを済ませ、国道197号線を走る。
国道も順調に進み、梼原町に到着する直前に高知のおんちゃんからメールが入る。去年と同じように「郵便局の前で待ってる」との事だったので、今年は迷うことなく郵便局の前まで行き、すぐ近くの車を停められる場所に案内してもらう。会場のすぐ近くなので、とても助かります。


〜 会場到着 〜


フルマラソンのスタートは9時なので、まだ十分に余裕がある。受付で参加賞のTシャツ雲の上のホテルの温泉券、檮原町内で使える200円の商品券なんかをもらった後、着替えに移る。

(國宗)「今日も着るもので悩むんですか?
(幹事長)「この天気なら、あんまり悩まないかな」


普通のマラソン大会なら、この季節は着るもので悩む必要は無い。いくら天気が良くても、もうメッシュの袖無しシャツを着るほど暑くはないし、雨が降ったって走っていれば寒くはないから、半袖シャツを着ればいい。しかし、脱藩マラソンのフルマラソンのコースは普通ではない。折り返し点の標高が高く、単純に考えても気温は低いし、おまけに山の上は曇りがちで、肌寒くなる可能性があるからだ。しかも、もガンガン走れるのなら体は熱くなるだろうけど、坂が尋常じゃなく厳しいフルマラソンは終盤にトボトボと歩く可能性が高く、そうなると体が冷えてくる。
て事で、選択肢は3つある
   @ 半袖シャツ
   A 長袖シャツ
   B 半袖シャツと長袖シャツの重ね着

去年はスタート時点で既にちょっと肌寒かったからBを選択したが、スタートしたら天気が良くなって暑くなり、すぐに下に着た長袖シャツを脱いで腰に巻いて走り、そのまま最後まで再び着ることは無かった。今年は空は曇ってるけど寒くない。

(おんちゃん)「そのうち晴れてくるだろうから、今日は暑くなるで」

山の天気ってのは、朝方は曇っていても、日が昇るにつれて晴れてくるもんだ。まだ曇っているのに寒くないって事は、日射しが出ると確実に暑くなるって事だ。なので、今年はあんまり悩まずに半袖Tシャツ1枚にした。着るのは4年前の大阪マラソンでもらったTシャツだ。たいていのマラソン大会は参加賞としてTシャツをくれるが、デザインとしてはイマイチのものが多く、持てあまし気味だ。その中で、この大阪マラソンのTシャツは、これまでもらったTシャツの中で群を抜いて素晴らしいデザインなので、とても愛用している。
日射しを避けるためにランニングキャップも被ろうかとも思ったが、基本的に帽子は鬱陶しくて嫌いなのでやめにした。寒くないからタイツや手袋も不要だ。ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュのほか、途中で栄養補給するためのゼリーを入れて準備万端だ。
ふとピッグを見ると、タイツを履いている。

(幹事長)「今日はタイツは暑いやろ?」
(ピッグ)「いや、サポート機能に期待して」


ピッグは長らくタイツを拒んでいたが、最近は逆に暑くても履くようになった。その一方で、ランニングパンツはもう20年くらい前から履いてるものだ。

(支部長)「ミズノのMマークが消えかかってるで」
(ピッグ)「完全に消えるまで履くつもりです」


支部長は先日のこんぴら石段マラソンでもらった黄色いTシャツを着ている。8月に言った乗鞍ヒルクライムでも3年前のこんぴら石段マラソンのTシャツを着ていたし、だいぶ気に入ってるようだ。一方、支部長は軍手を忘れて慌てている。この暑いのに、なぜ軍手が必要かと言えば、彼は汗を拭くために軍手をはくのだ。去年の北山林道駆け足大会ではソックスを忘れて慌ててコンビニでソックスを買ったが、今日はコンビニで軍手を買うのも忘れてしまった。

(支部長)「しゃあないなあ。タオルを首からかけて走ろうっと」
(幹事長)「タオル持ってるんやったら、最初からタオルやろ」
(支部長)「軍手の方が顔を拭きやすいんやけどなあ」


支部長は足の疲労回復のためのスプレーも持っている。初めての脱藩マラソンのフルマラソンなので、かなり用心している。さらにイヤホンを首にかけている。

(支部長)「あれ?幹事長はウォークマンは付けないん?」
(幹事長)「あ、しもた!忘れた!!」


ハーフマラソン程度ならウォークマンは不要だが、フルマラソンは長丁場になり後半は精神的にもしんどくなってくるので、気を紛らすためにウォークマンが必需品なのに、今日は忘れてしまった

(ピッグ)「今回は記念の集合写真が掲載されてませんけど」
(幹事長)「すんません。せっかくカメラも持って行ったのに撮るのを忘れてました」

ウォークマンは忘れるし、写真を撮るのも忘れるなんて、老化も危機的な水準になってきた。支部長の忘れ物を笑っている場合ではない。
準備もできたので、スタート地点に移動する。ブラブラしていると、会社のOBの恋さんに会う。鯉さんとは最近は年に1〜2度、マラソン大会で出会う。

(幹事長)「このマラソン大会は出たことあるんですか?」
(故意)「フルマラソンの部は初めてなんや」


ちょっと不安そうだが、恋さんの実力からすれば問題はないだろう。
さらに四痙攣の航路さんにも会う。航路さんはマラソンを始めたのは割りと最近だが、学生時代に陸上をやっていたため、あっという間に我々を凌駕してしまった実力者だ。
それから魚クンもいる。

(幹事長)「こないだの酸欠マラソンにも出てましたよね?」
(魚クン)「はい。あちこちに出てます」


他には去年と同じく坂本龍馬が何人かいる。みんな着物を着て、大きな龍馬の顔を被っている。あれは走りにくいだろうし、今日の天候なら暑そうだ。

このマラソン大会は定員が1500人だが、エントリーしているのはフルマラソンが515人、ハーフマラソンが665人、10kmの部が405人で、フルマラソンはハーフマラソンより少ない。しかも参加者の総数も少ないけど、女性の参加者はさらに少なく、フルマラソンは男子が451人で、女子は全体の1/8の僅か64人だ。ハーフマラソンでは女子が1/4ほどいるし、10kmの部では全体の4割が女子だから、いかに女子がフルマラソンを避けているのかが分かる。
最近のマラソン大会は女性の参加者も多いんだけど、このマラソン大会のフルマラソンは超厳しいから女子の参加者が少ないのだ。逆を言えば、こんなレースに参加する女性って相当な実力者に違いないから、決して女性だからと言って侮ってはいけない。もちろん男性だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高い
スタート時間が近づいてくると、支部長が不安そうだ。

(支部長)「完走できるかなあ?」
(幹事長)「前半を徹底して抑えて走るのが絶対条件やな」


このフルマラソンのコースは、前半はずっと上りで後半は基本的には下りが続くが、「前半の上りさえ乗り切れば、後半はずっと下りなので多少くたびれても帰ってこられるから、前半で全力を使い果たしても大丈夫だ」なんていう大きな勘違いをしたため去年は大惨敗を喫した。前半を2時間半くらいで上ったから、前半の上りが2時間半なら後半は下りだから2時間くらいで下りてこられるから、超過激なコースの割りには良いタイムでゴールできるぞ、なんて思ったのが大間違いだった。前半に力を使い果たしてしまったら、後半は下りでも足が動かなくなるのだ。その反省から、今日は徹底的に前半を抑えて走らなければならない
実は、この大会に限らず、最近はフルマラソンに出る場合、前半はできるだけ抑えるようにしている。どんなレースでも最初は軽快に走れて「なんだか今日は調子いいな」なんて勘違いするんだけど、それは気分が高揚しているのと、始めだからまだ元気が有り余っているのと、周囲のランナーにつられているだけだ。そのまま調子に乗って飛ばしたら絶対に後半に撃沈する。なので、できるだけ抑えて走らなければならない。
特に、この脱藩マラソンは前半が急激な上りなので、決して無理をしてはいけない。なので、去年も前半は無理せずに抑えて走ったつもりだった。それなのに後半に足が痛くて走れなくなったって事は、あれでも前半に無理が生じていたって事だ。抑えて走るとは言っても、わざとゆっくり走ることまではせずに「決して頑張らず自然体で走る」っていう程度だった。そしたら、自分では抑えて走っているつもりで、どうしても高揚感のせいで少しは無理していたって事だろう。つまり、自然体で走ってはいけないのだ。自然体で走るってことは、高揚感のせいで調子に乗って走っているってことなのだ

(支部長)「どれくらいのペースがええんやろ?」
(幹事長)「前半は1km平均8分くらいで走ろうと思う」


去年は前半の21kmを2時間半だったから1km平均7分ちょっとくらいだった。今年は前半をもっと時間をかけて、3時間近くかかってもいいくらいのつもりだ。

(ピッグ)「目標タイムなんて考えてるんですか?」
(幹事長)「大会自己ベストの更新やな」


どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。

(ピッグ)「大会自己ベストって言っても、出たのは大惨敗した去年だけでしょ?」
(幹事長)「だから絶対に去年よりはマシなタイムにしたいのよ」


希望的に言えば、この大会で大会自己ベストを出すことはそんなに難しい事ではない。大会自己ベストって言ったって、対象になる記録は大惨敗した去年のものしかないからだ

(ピッグ)「だからそれはさっき指摘しましたがな」

普通のコースならフルマラソンで5時間をオーバーするなんて恥ずかしい限りなので、取りあえず5時間ってのを目標にしてもいいんだけど、去年の実績を考えると、5時間ですら容易ではない。細かい作戦を考えれば、前半の上りは1km平均8分くらいかけて3時間弱で上る。折り返し点の前にある2〜3kmほどの急坂は無理せず歩く戦法だ。最初から歩く作戦なんて、今まで考えたことも無いが、このコースに限って言えば仕方ない。後半の下りは1km6〜7分で走る。後半は基本的に下りだから、もっと早く走れそうにも思うが、去年の経験からすれば、上りで足がヘロヘロになった後の下りはとても遅いので、仕方ない。トータルで5時間ちょっとで完走できれば良いと思っている。

(支部長)「制限時間は何時間やったっけ?」
(幹事長)「6時間や。他のマラソン大会なら6時間もあれば誰でも完走できるけど、ここのコースは油断できんからなあ」


待っているうちに天気はどんどん良くなり、日射しが出てきた。日射しを受けると暑い。半袖Tシャツどころか、夏場のマラソンで着るメッシュの袖無しシャツにした方が良かったかなあ、なんて思い始める。
今日のゲストランナーは、なんとはるな愛だ。

(幹事長)「はるな愛なんてマラソンに縁もゆかりも無さそうだけど、一体どうして?」
(D木谷)「日本テレビの24時間テレビで走ってましたからね」
(幹事長)「今日も走るんやろか?」
(D木谷)「少しだけ走るみたいですよ」


〜 スタート 〜


ゲストランナーのはるな愛がスターターを務めるようで、スタート地点に停められた高所作業車の横でスタンバイしてるんだけど、なかなか動きが見えない。スタート1分前になって、はるな愛が「時間が迫ってますけど大丈夫ですかっ?」って焦っていると、ようやく高所作業車のアームが動き出し、高く上がった。もうスタートまで30秒しかないから、はるな愛が慌ててカウントダウンを始め、ピストルの号砲と共にランナーが一斉にスタートした。
参加者は500人ちょっとのマイナーな大会だが、チップでネットタイムを計測してくれるから、スタートで焦る必要は全く無い。それに、所詮、参加者が少ないので、グロスタイムとネットタイムの差は10秒も無いくらいだ

とにかく今日は徹底的に前半を抑えて走らなければならない。去年は抑えて走るとは言っても、わざとゆっくり走ることまではせずに「決して頑張らず自然体で走る」っていう程度だったため、自分では抑えて走っているつもりででも、高揚感のせいで少し頑張りすぎていたようだ。なので今年は、自然体に走るのではなく、わざとゆっくり走るくらいのつもりで走り始める。周囲のランナーは気にせず、抑えて走る事を心がける。このマラソン大会のフルマラソンに出るランナーはレベルが高いから、気にしてたら墓穴を掘るのだ。と思ったんだけど、意外に周囲のランナーも同じようなペースだ。かなり遅いペースで走っているのに、みんなも前半は抑えて走っているようだ。もちろん速いランナーは前の方からスタートして、あっという間に見えなくなっているんだけど、遅く走るランナーも大勢いるようだ。
うちのメンバーは、と言うと、D木谷さんは少し前を走っていて、少しづつだけど差が開いていく。彼の実力からすれば当然だろう。他のメンバーの姿は見失ってしまったが、ピッグなんかは前の方にいるんだろう。

最初の1kmはほぼフラットだが、1km地点のラップを見ると6分をだいぶオーバーしていた。まあ、こんなものだろう。頑張ってはいけない。
1km地点を過ぎると、上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、絶対に頑張ってはいけないので、一気にペースを落とす。そしたら2km地点でのラップは一気に1km7分をだいぶオーバーしている。でも決して焦ってはいけない。序盤の1分や2分なんて誤差の範囲だ。
ふと横を見ると、てっきり前の方を走っていると思っていたピッグが航路さんと一緒に走っている。おや?まだこんなところにいたのか。私が忠告しすぎたせいで、ピッグも相当ペースを抑えて走っているようだ。航路さんもピッグに付き合って二人してゆっくり走っている。それでも、さすがに私のペースは遅すぎるようで、少しづつ前の方に離れていく。一瞬、一緒に走っていこうかとも思ったけど、絶対に無理してはいけないので自重する

次の1kmは、ますます坂が厳しくなる。ここに坂があったのは覚えているが、この坂って、こんなにきつかったかなあ。でも、せいぜい1kmくらいしか続かないはずだから、無理せずペースを落として走る。日射しはますます強くなり、だいぶ暑くなってきたが、今日は脱ぐモノも無いので暑さの事は考えないようにする。
すると、ここでおんちゃんが追い付いてきた。おんちゃんなんて実力者だから、てっきり前の方を走っていると思っていたのに、まだこんなところにいたのか。やはりペースを徹底的に抑えて走っているんだろう。

(おんちゃん)「さっきまで後ろで支部長と話ながら走ってたんよ」

そうか、支部長も後ろにいるのか。支部長にはあれだけ忠告したから、やはり抑えて走っているんだろう。
さすがにおんちゃんは少しづつ前の方に進んでいく。さきほど追い抜かれたピッグと航路さんも、それほど前の方には行っておらず、しばらくしたらおんちゃんが追い付いて話ながら走っている。
厳しい坂が終わると3km地点があり、この1kmは8分近くかかっていた。でも今日は前半を1km平均8分で走る予定なので、何の問題も無い。
3km地点を過ぎるとトンネルが2つある最初のトンネルは短く、ほぼフラットで、2つ目のトンネルは少し長く、緩やかな下り坂になっているトンネルを出ると今度は一気に急な下り坂となる。かなり急な坂で、ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから自重しなければならない。とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、割りと難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。小股でゆっくり走るのが良いのかなあなんて考えながら走るが、どうしてもスピードが出てしまう。下り坂の途中に4km地点があり、この1kmのラップは6分を少し切っていた。ちょっと速いような気もするけど、下り坂も1kmで終わるので、問題ないだろう。

下り坂を下り切ったところ最初の給水所がある。暑くて早くも喉が渇いてきたので、スポーツドリンクを頂く。今日はタイムを惜しんで給水所をパスすることなく、こまめに給水していくつもりだ。
給水所を過ぎると再び上り坂になる。ちょっとだけきつい上り坂だが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。5km地点で見たラップは1km6分ちょっとだ。意外に速いような気もするが、これからどんどん落ちていくだろう。ちらちら見えていたおんちゃんやピッグらの後ろ姿も見えなくなってしまった。一方で、支部長が追い付いてきた。支部長の時計はGPSでピッピッと特徴的な音を出すので、近くにいればすぐ分かる。

ここから10km地点までは、時々、少しだけ急な坂もあるが、基本的には緩やかな上り坂が続くはずだ。そして、ここから距離表示が2.5kmごとになる。なんで1kmごとに表示してくれないのか疑問だ。ま、めんどくさいんだろう。それに、尋常ではない急坂のコースなので、あんまり細かいペースを気にしても仕方ないだろう、って事かもしれない。
山の中を走る道なので、人家は少なく、沿道で応援してくれる人も少ない。それでも、村人ほぼ総出で応援してくれているようで、あちこちに道ばたにおじいちゃんおばあちゃん達が座りこんで応援してくれる。さらに、川の向こう側で農作業しているおばちゃんが手を振って応援してくれたりして、とても暖かい雰囲気で嬉しい
緩やかな坂が続く7.5km地点の手前には2つ目の給水所がある。ここにはコーラがあったので、美味しくいただく。スポーツドリンクよりはコーラの方がカロリー補給になって嬉しい
7.5km地点でのラップを見ると1km6分ちょっとだった。いくら緩いとは言え、上り坂の区間なのに妙に速い。速いのは嬉しいような気もするが、どう考えても速すぎる。距離表示の間違いかも知れないので、一喜一憂してはいけない。

さらに緩やかな坂を2kmほど走るとハーフマラソンのコースとの分岐に差し掛かる。ハーフマラソンのコースは右の集落に入っていくが、フルマラソンのコースはそのまま真っ直ぐ進む。そこを過ぎると10km地点があり、時計を見ると、なんと、この区間は1km8分を大きくオーバーしている。5km地点を過ぎてからは、似たような緩やかな上り坂で、ペースも同じように走っているつもりなのに、こんなにペースが上がったり下がったりしてるはずがない。やはり距離表示がおかしいのではないか。まあ、しかし、平均すれば予定通りのペースだ。
10km地点には3つ目の給水所があり、ここでも水分を補給する。

10km地点を過ぎると、人家もほとんど無くなり、沿道で応援してくれる人もほとんどいなくなる。こうなると精神的に厳しい。
そして、いよいよ、ここから坂がきつくなるんだけど、一気にきつくなるのではなく、実は10km地点の直後は下り坂がある。下り坂で一息付けるのは嬉しいが、帰り道では上り坂になって負担になるだろうなあ。下り坂が終わると再び上り坂が始まり、傾斜は確実にきつくなっていく。まだ歩くのは早すぎるが、決して無理をしてはいけない。12.5km地点でのラップは、下り坂もあったため1km8分を切っていたが、どんどんペースは落ちていく。
ここには4つ目の給水所がある。さっき飲んだばかりのような気もするが、今日は暑くて汗も大量に出ているので、パスすることなくこまめに給水する。

坂はますますきつくなっていき、15km地点でのラップは再び1km8分をだいぶオーバーしている。でも、前半の平均で1km8分てのが予定なので、問題は無い。
ここから坂が一段と厳しくなるので、後ろの支部長に声を掛ける。

(幹事長)「上り坂は残り5kmやで」
(支部長)「そ、そうか」
(幹事長)「ここからはきつくなるけど、無理せず走ろうな」


去年は曇りがちだったため、 標高が高くなるにつれ少し肌寒くなってきたが、今日は日射しが当たると、まだまだ暑いくらいだ。日陰に入ると涼しくて気持ち良いが、なかなか日陰も少ない。
しばらく進むと5つ目の給水所があり、ここでもしっかり水分補給する。私はいつものように給水所でも立ち止まらずに素早くコップを受け取って走りながら飲むが、支部長は立ち止まってゆっくり飲み食いするから、遅れてしまう。普段のレースなら、上り坂でいったん遅れてしまうと、なかなか追い付いてこられないが、今日はゆっくり走っているので、すぐに追い付いてくる。

(幹事長)「コーラが嬉しいなあ」
(支部長)「え、コーラなんて飲んでるん?走りながら炭酸なんか飲んだら吐きそうになるで」
(幹事長)「スッキリするし、濃厚なカロリー補給になるんやってば」


なんて言いながら、支部長はおにぎりを食べている。おにぎりがあったのか。知らなかった。やはり立ち止まって注意深く見るべきだったかも。おなかが空いてきたので、ポケットに入れてきたゼリーを食べる。ちょっと薬品っぽい味で、体に良さそうな気がして嬉しい。
この辺りで、早くもトップの人が折り返してきた。めちゃめちゃ速いっ。2位の人はなかなか現れなかったから、ダントツの1位だ。
しばらく進んだ17.5km地点でのラップは、さらに一段とペースダウンして、1km8分を大きくオーバーしている。去年よりだいぶ遅い。逆に言えば、やはり去年は抑えているつもりでも、割りと頑張っていたんだろう

坂はさらにどんどん厳しくなってきたので、今日はもう無理せず早々に歩くことにする。なんと支部長は歩かずに走り続けたもんだから、少しづつ差が開いていく。上り坂で支部長にリードされるなんて普通では考えられない事だけど、今日は自分との戦いだ。支部長は永遠のライバルなので支部長に勝つことは義務付けられているが、今日は支部長との戦いより、去年のリベンジが最優先だ。去年のような大惨敗を回避できるのなら、支部長に負けるような事があっても構わない
なーんて思いながら歩き始める。歩くと言っても、今日の歩きは「攻めの歩き」だ。同じ「歩く」と言っても、力尽きてトボトボと足を引きずって歩く場合は、めちゃめちゃ遅い。でも今日のように、まだまだ走れる力は残っているが、戦略的に早めに歩きに切り替えた場合は、力が残っているのでガンガン歩ける。「ガンガン歩けるくらいなら走れよ」と言われそうだが、同じようなペースでも、歩くのと走るのでは筋肉の使い方が異なるので足の疲れ方が違う。走ると、どうしても上下運動が入るが、歩く場合は前後運動だけなので、疲労感が少ない。
私の他にも歩いている人は結構いるが、走っている人も歩いている人もそれほどスピードは変わらない。変わらないどころか、ガンガン歩きながら走っている人を追い抜いたりもした。去年は逆に、折り返し点までの上り坂を最後まで歩かずに走っていたのに、歩いている人に抜かれて悔しい思いをした。気持ちでは走っているつもりでも、自分の足を客観的に見ると歩いているとしか見えなかった。「最後まで歩かずに走る」ってのは精神的な満足感は得られるけど、戦略としたら賢い走り方では無いのかも知れない
支部長も走り続けているが、歩いている私とほとんどペースは変わらない。などと観察していると、遂に支部長も歩き始め、少し開いていた差が縮まっていく

折り返して走ってきてすれ違うランナーが増えてきたが、D木谷さんがえらく上位で走ってきた。なんだか絶好調だ。坂がますます過激になってきた頃に、おんちゃんの姿も見えた。去年もこの辺りですれ違ってチョコレートをくれた。おんちゃんはまず、再び必死で走り始めた支部長に声を掛けようとしたけど、下をうつむいて頑張っている支部長が気付かなかったので、持っていたチョコレートを全部私にくれた。ありがたい。
もう折り返し点まで距離も少ないはず、と思った頃、折り返して走ってきた別のランナーが足を攣って苦しんでいた。上りは苦しいのが分かるが、下りになったのに、なんで足を攣るんだろう?

坂はますますトンでもなくきつくなっていくが、折り返し点の少し前で舗装された道路から外れ、山道に分け入っていく。去年は山道が土砂崩れで走れなくなっていたため、そのまま舗装路を走ったが、今年は復旧したようで、本来の山道に入っていく。この道こそが龍馬が脱藩した道なので、この山道を走らなければ脱藩したことにならないから、今年はこの道を走れて嬉しい。
なーんて思ったんだけど、山道はいきなり下りだった。こんなところで下ったら、後から厳しい上りを上り返さなければならない!がーん!
山道は草が濡れて滑りやすくて、下りでも飛ばす事はできない。慎重に下り終えると、折り返しまで600mとの距離表示があり、そこに係員がいたので、支部長と二人で記念写真を撮ってもらう。こんな所でかなり時間を浪費したが、後続のランナーは誰も来なかった

(幹事長)「まさか私らビリじゃないやろな?」
(支部長)「え?結構、速いと思ってたけど」


ここから上り坂となるが、とっても急な完全な山道で、一気に足が攣りそうになる膝に手をつきながら登っていくが、ここで無理して足を攣ったりしたら、ここまで抑えて慎重に上がってきた努力が水泡に帰してしまう。思った以上に長い急な坂で、不安が高まってきた頃に、上の方で声がしたので、ようや終わりが見えた。
さらに登ると、係の人が声を掛けてくれる

(係)「幹事長さーん、頑張ってー!」
(幹事長)「な、な、な、なんで私の事を知ってるんや?このホームページの読者か!?」
(支部長)「ゼッケン番号を見て確認しているだけやがな」


参加者が少ない大会だからこその嬉しい声掛けだった。支部長は首に掛けた長いタオルが邪魔になってゼッケン番号が見えにくかったもんだから、なかなか声を掛けてくれなかったが、最後にはちゃんと声を掛けてくれた。
山道が終わって舗装路に上がると、すぐに小さな広場があり、給水所もあった。もうすっかり歩いているので、この給水所では立ち止まって物色する。支部長の言うとおり、おにぎりもあるしバナナやチョコレートもいっぱいあったが、支部長のアドバイスに従っておにぎりをもらう。逆に支部長は半信半疑でコーラを手にする

(支部長)「うわ、コーラがうまいっ!」
(幹事長)「そやろ?体に浸み入るやろ?」
(支部長)「濃厚な味が体に浸み渡る!ランニング中のコーラがこんなにうまいなんて知らなかった!」


広場を少し進んで高知県から愛媛県に一歩入ったところ折り返し点が現れる。これで無事に脱藩できた。折り返し点には坂本龍馬がいたので、そこに建っている「坂本龍馬脱藩の地」という石碑をバックに一緒に記念写真を撮った

「坂本龍馬脱藩の地」の石碑をバックに坂本龍馬と一緒に記念撮影


この折り返し点20km地点だ。フルマラソンの折り返し点だけど、まだ21kmには達していない。なぜなら後半の途中で集落に入り込む区間が2kmあるからだ。
記念写真を撮ったりして、だいぶ時間を浪費したけど、それでも前半20kmの平均で1km8分ちょっとだった。時間の浪費部分をのぞけば、ちょうど予定通り1km8分で走ってきたわけだ。終盤はベタ歩きだったが、それでも辻褄は合った。作戦通りだ。これで残りの下りを1km7分くらいのペースでのんびり走れば、去年のリベンジを果たせるぞ。

下りは上りの山道とは違って舗装路を走る。去年は折り返し点直前の山道区間が無かったため、前後のランナーと舗装路ですれ違ったが、今日は折り返し点付近が、上りが山道で下りが舗装路ですれ違わないため、ピッグらがどこを走っているのかは分からなかった。
舗装路とは言え、さっきまでの厳しい上り坂から激しい下り坂となる。一気に転げ落ちたいところだが、坂が急すぎて、ここをガンガン走ると足に大きな負担になりそうなので、調子に乗らずに抑えながら走ろう。なーんて思った瞬間に、なんとここで足が攣ってしまった。さっきの上りの山道でも足は攣りそうになった、なんとか持ちこたえた。ところが下りになったとたんに足が本格的に攣ってしまった。攣ったのは両足の脹ら脛だ。下り坂でブレーキをかけるために太ももの前が攣るのなら分かるけど、なぜここで脹ら脛が攣るんだろう?さっき、下りになったとたんに足が攣って苦しんでいた人とすれ違ったが、みんなこういう状態になるのか。ここまでの上りと違う足の使い方になったため、こんな事になるんだろうか。初めての経験だ。支部長は脹ら脛だけでなく、腿の内側の筋肉まで攣ったと言ってる。ゆっくり走っていけば慣れてくるかなと思い、少し収まったところで、ゆっくりゆっくり走り始める。すると、だんだん足がほぐれてきて、なんとか収まった。

しばらく走ると中間点の表示がある。足が攣って苦しんだりしたため、この1kmはだいぶペースが悪かったが、もう大丈夫なので一安心だ。ここまで下ると山道へ分け入る地点より下なので、後続のランナーとすれ違うようになる。さすがにすれ違うランナーの数は少なく、しかも全員、ヨタヨタと歩いて登ってくる。どう見ても制限時間内の完走は不可能なペースだが、せめて脱藩だけでも達成しようという事だろう。
しばらく進むと22.5km地点があり、1km7分を切ったペースとなった。このまま淡々と走っていけばいい。

折り返し点付近は標高が高くて気温も低めなうえ、山の上なので曇りがちで涼しかったけど、下り始めると、だんだん日射しも出てきて再び暑くなり始める。すると狭い山道を下から救急車がサイレンを鳴らしながら上がってきた。折り返し点方面へ向かっているようだ。疲れと暑さで誰かダウンしたようだ。
坂の下り勾配は少し緩やかになったため、だいぶ走りやすくなってきた。元気な時は下り坂は傾斜がきつければきついほどガンガン走れて嬉しいんだけど、今日みたいなコースだと急な下りはつらいので、これくらい緩くなった方が嬉しい。
ところが、ここへ来て足の股関節が痛み始めた。今まで股関節なんて痛んだ事は無かったんだけど、実は最近、少し痛むようになってきた。近年、体の柔軟性が失われて固くなってしまったので、時々ストレッチの真似事をやってるんだけど、その時に痛めたようで、右足の股関節が少し痛むのだ。今日も右足の股関節から痛み始めたが、右をかばって走るうちに、左も同じように痛み始めた。股関節が痛むなんて、なんだか恐くて、最後まで走れるかどうか不安が出てきた。でも、股関節の痛みを気にしながら無理せず走っていくと、25km地点では1km6分半くらいになっていたので、なんとか一安心だ。

淡々と走っていると、足の攣りも股関節の痛みも和らぎ、なんとか平常ペースで走れるようになった。ただ、痛みは無くても足の疲れは着実に溜まってきたみたいで、足取りが重くなり、ペースは落ちているようだ。去年は25km地点を過ぎた辺りからいきなり足が痛くなり始めて、下り坂なのに痛くて足を動かせない状態になったので、その再現が恐い。ペースは落ちてもいいから足が痛くなる事態だけは避けたい。
27.8km地点で見るとペースは1km7分に落ちたが、まだ痛みは出ていないので嬉しい。このままのペースで最後まで走れれば大丈夫だ。
そのうち、傾斜がさらに緩やかになり、下っているのか上っているのか分からないような区間になった。目で見ると下っているような気もするが、体感としては上っているような苦しさだ。

(幹事長)「これって下ってるんかなあ?」
(支部長)「いや、これは絶対に上ってるで


さらに行くと、本当に厳しい上り坂があるはずだ。前半はハーフマラソンのコースと分かれた後、しばらく下り坂だったので、そこを逆走しなければならないのだ。前方を見ると、随分高いところまで道が上がっているのが見えた

(支部長)「あれを上がるんかっ!ひぇ〜!」
(幹事長)「目眩がするなあ」


ところが、上り区間に入る直前に係の人に別のルートへ入るように指示された。そうか、思い出した。帰りは、ここからメインルートからはずれて集落のある周回区間へ入っていくんだった。あの坂を上らなくていいので、本当に良かった。
なーんて思うのは甘いのが分かっている。この周回区間は、どっちにしても上り坂がふんだんに盛り込まれているのだ。決して油断してはいけない。

まだ足は痛くならず、その点では良かったんだけど、ペースは落ちる一方で、30km地点で見たら1km8分を大きくオーバーしてしまった。さすがにそこまで落ちるとは思ってなかったので、少し焦り始める。
そして、いよいよ30km地点から集落の中に入っていく。ハーフマラソンのコースは本道からはずれてこの集落に入ってぐるっと2km分を一周するんだけど、フルマラソンのコースも帰りに同じ周回コースを走るのだ。そして、この2kmの周回コースはいきなり厳しい上り坂から始まる。ハーフマラソンなら10km地点なので、まだまだ元気だからどうって事ない上り坂だったけど、去年は足が痛くて歩くのも辛い状態だった。
今年も上り坂を走る力は残ってないので、すぐさま歩き始めるが、去年ほどトボトボ歩くほどではない。他にも歩いている人はたくさんいるが、みんな同じようなペースだ

支部長は後半になってもずっとすぐ後ろを走っていて、給水所とかあるとすぐに立ち止まって離れるけど、すぐまた追い付いてくるのを繰り返していた。ところが、この周回区間に入ってからは、足が攣りかけためスプレーして、再び走ることもなく、もう追い付いてこなかった。
足の疲労はひどく、走ってもスピードが上がらないのが分かっているから無駄な悪あがきはせずにダラダラ歩くが、それでも去年のように足が痛くはなっていない。それだけが救いだ。足が痛くなると歩くこともできなくなり、休まざるを得ないが、歩き続けていれば着実にゴールに近づく。
周回コースは川を渡って反対側の道をグルッと回って戻ってくるので、川の対岸が見える。ようく見ると支部長がだいぶ後ろを歩いてくるのが見える。黄色い目立つTシャツなので良く分かる。足取りはしっかりしているので、脱落の恐れは無さそうだ。

2kmの周回コースが終わり、ようやく本道に戻ると、後は10kmほど基本的に緩やかな下り坂を走っていく。これくらいの緩やかな下りが一番走りやすい。なーんて思って走り始めると、また突然、両足の脹ら脛が攣り始める。折り返し点の直後と同じ症状だ。やはり上り坂を上った後で下り坂を走り始めると、筋肉の使い方が変わるために足が攣るようだ。しばらくはまともに走る事ができないので、せっかくの下りなのに、足を引きずってトボトボと歩く。しばらく歩くと、なんとか騙し騙し走れるようになるが、足が攣るのが恐くて、スピードは上げられず、ペースはものすごく落ちている。去年のように足が痛くて下り坂でもトボトボ歩くような事はないが、トンでもなく遅いペースになっていて、32.5km地点でも、さらに35km地点でも1km平均8分半くらいの超スローペースだ。帰りはせめて1km7分くらいのペースで帰ってくる予定だったのに、これじゃあ去年よりはマシだとしても惨敗に変わりはないぞ。

この辺りまで来ると、周辺に民家が少し現れ始めて、沿道で高齢のおばあちゃんだが「頑張って」なんて応援してくれるのがありがたい
坂は非常に緩やかで、上りの時はとても緩やかな上り坂だったけど、今はとても緩やかな下り坂だ。あまりに緩やか過ぎて、もしかしたら上っているんじゃないかって思えてくる。
それでも遂に、残り5km地点の表示が出てきた。歩くようなスローペースになりながらも、なんとかここまで足が痛くならずに済んだから、今年は最後まで足が痛くならずにゴールできそうだ。良かった。本当に良かった。足さえ痛くならなければ、なんとかゴールできる。予想外のスローペースになったために、ここまでで既に5時間近くかかっており、5時間内での完走は不可能となったが、それでもこのまま行けば去年よりはだいぶマシなタイムになるだろう。

そして、いよいよ残り4km地点からめちゃめちゃ急な上り坂が現れた。序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急坂だ。ここを上らなければならない。もちろん、歩く。当然だ。作戦とか言うのではなく、ちょっとでも上っている道を走るのは、もう不可能だ空は雲も無く、炎天下になって暑い。攻めの歩きは不可能で、なんとか足を引きずって歩いていく。去年は後半に足が痛くなって歩くこともできなくなったが、終盤になってなぜか復活し、この坂も走るのは無理だったが攻めの歩きで頑張り、そんなに遅くなかった。ところが今年はいつまで上っても坂が終わらない感じで、ものすごく時間がかかる。
長い長い厳しい坂を上ると、トンネルに入る。このトンネルに入ると傾斜が緩くなるので、走ることができるかなと思って走り始めるが、10mくらい走って力尽きた。まだ走るのは無理のようだ。長いトンネルが終わり、次の小さなトンネルに入ると坂も終わり、ほぼフラットになったので、さすがにもう走れるだろうと思って走り始めるが、今度は再び足が攣り始めた。やはり上りから下りに切り替わると足が攣るようだ。しかも、さきほどの急な坂道を上ってきたせいで、じっとしていても足が痙攣しそうだ。そして脹ら脛だけでなく、支部長と同じように、腿の内側まで攣ってきた。こんな場所の筋肉が攣るなんて経験が無い。こんな筋肉が、一体どうして攣るんだろう。こんな場所の筋肉がつった場合、どうやったら良いのか分からない。

トンネルが終わると、ようやく残り3km地点の表示がある。この1kmは、なんと15分以上もかかっている!去年ですら、せいぜい10分ちょっとだったのに。トンでもない状況になってきた。
ここからはゴールまで下り坂なので、去年は最後の悪あがきをして、この3kmを1km6分ちょっとで駆け下りた。でも今年は足が攣りまくって、走るのも難しくなってしまった。時々、走ろうと試してみるが、何歩か走っただけで、たちまち足が攣って痛くて走れなくなってしまう。せっかく今年は去年と違って足が痛くならずに済んだのに、この終盤に来て足が攣って走れなくなるなんて想定外だ。せっかくの下り坂なのに走ることができず、トボトボ歩くなんて情けないこと甚だしいが、どうしようもない。このままでは空前絶後の大惨敗を喫した去年のタイムをさらに上回る大々惨敗になってしまう。でも走る事ができないので仕方ない。


〜 ゴール 〜


せっかくの下り坂を3kmもトボトボと歩き続け、最後はゴール前にとても短いけど上り坂がある。あまりにも短いから、どうってことない坂だけど、今年はさすがに堪えた。でも地元の高校生なんかが総動員で声援を送ってくれているので、最後くらいは走ろうと思ってなんとか我慢して走ってゴールした。
ゴール横では早々にゴールしていたD木谷さんが写真を撮ってくれた。

苦しみながら大惨敗でゴール


結局、タイムは去年よりさらに悪く、なんとか制限時間に間に合って良かったねという想像を絶する惨敗ぶりだった。何が起きても去年みたいな悲惨なタイムが二度と出るとは思ってなかったので、愕然としてしまう。

(幹事長)「情けない結果になってしまいました。D木谷さんは速かったんじゃないですか?」
(D木谷)「いえ、終盤は歩いてしまいました」


折り返し点で快調に飛ばしていたD木谷さんが歩くなんて思いもよらない展開だが、暑かったのだろうか。タイムも去年より少し悪かったようだ。おんちゃんも苦しんだようで、ゴールと同時にマッサージを受けていたそうだ。ゴールと同時に倒れ込んでテントに担ぎ込まれた去年よりはマシだったようだが、やっぱりこのレースは厳しいんだなあ。
ピッグも既にゴールしていて、5時間半は切ったもののフルマラソン自己ワーストだ

(ピッグ)「それでも航路さんがいたから完走できた感じですね」

優しい航路さんが最初から最後まで一緒に走ってくれたんだそうだ。彼ならもっと早くゴールできただろうけど、今日はピッグのサポートに徹してくれたんだそうだ。私も一緒に走っていれば良かったかなあ。
しばらくすると、周回区間の後は離ればなれになっていた支部長も帰ってきた

(支部長)「30分くらい差を付けられたかなあ」
(幹事長)「いやいや、ほとんど同じや」


私は終盤の坂で極端に遅いペースになったが、支部長は最後まで走れたようで、遅れを一気に取り戻したようだ。最後まで完走したなんて、かつては坂に極端に弱かった支部長とは思えない力走だ。支部長は最後まで完走できた事で満足している。

見事に完走した支部長は喜びのゴール!


記録証をもらうと、順位は去年と同様に男子全体の3/4くらいだった。去年よりタイムは悪かったが、私くらいの順位になると、前にも後ろにもランナーは少なかったから、そんなに順位に変動は無いようだ。
かつてはどんなマラソン大会に出ても後ろから数えた方が早かった我々だが、最近はどんなマラソン大会でも上位2〜3割には入る事が多くなった。決して我々が早くなったのではなくて、空前のマラソンブームのせいで、ロクに走ったこともないような初心者が大挙して出場するようになったから相対的に順位が上がっただけだ。でも、こういう実力者しか出ない厳しいマラソン大会になると、昔のように下位になってしまう。懐かしいような情けないような。


〜 反省会 〜


疲れ果てたので、すぐにお弁当を食べる気力も無かったが、持って帰る訳にもいかないので、なんとか食べ始める。ところが休憩場所のテントの撤収が始まったため、途中でギブアップして席を立つ。

食事の後は、タダ券をもらっている雲の上のホテルの温泉へ行く。

(幹事長)「今、入ったら混んでるかなあ」
(支部長)「これだけ遅かったら、もうピークは過ぎてるよ」


なーんて思って行ったら、ちょうど混雑のピークで、入るまでしばらく待たされた。浴場も混雑していたが、混雑を押し分けて露天風呂に入ると、ぬるめのお湯が気持ち良く、いつまでもプカプカ浮かんだ。途中で眠ってしまい、あやうく溺れるところだった。
お風呂から出て、休憩室で反省する。
去年、足が痛くなった反省から、今年は「前半を徹底的に抑えて走り、急な上りになったら躊躇わずに歩く」という戦術で走ったおかげで、最後まで去年のような足の痛みは出なかった。その意味では作戦は成功した。ところが、足が攣ってしまうという想定外の事態となってしまった。去年のように足は痛くならなかったのに足が攣るなんて、何が原因なんだろう。これまでは、たまにはレース中に足が攣ることはあっても、すぐに回復するのが常だったのに、こんなに足が攣って回復しないなんて初めての症状だ。足が攣らないような対策を考えなければならない

(幹事長)「て言うか、こんなフルマラソンは絶対に二度と出ないぞ!」

普通のマラソン大会なら、走っている途中は、特に終盤になると「早く終わりたいなあ。なんでこんな辛い思いをしてるんだろう。途中でリタイアしたいなあ。もうこんなマラソン大会には出たくないなあ」なんて思うけど、ゴールしたとたん、「よし、来年もまた出よう」なんて思う。タイムが良かった時は当然ながら気持ち良いから再び出たくなるし、タイムが悪かった時はリベンジしたくて再び出たくなる。
ところが、疲れたとか言うレベルならゴールしたとたんに気分が変わるが、この脱藩マラソンのフルマラソンはあまりに厳しくて、去年は足が痛くなって辛くて辛くて仕方なかったから、もう二度とフルマラソンには出ないぞ、と誓った。もう懲り懲りって気持ちだったのだ。それなのに、今年の春になってエントリーする時になると、リベンジしたい気持ちが沸々と沸いてきて、今年もフルマラソンに出てしまい、去年以上の大々惨敗を喫したのだ。呆れてモノも言えない結果だ。

(幹事長)「今度こそ、もう未来永劫、絶対にフルマラソンには二度と出ないぞ!
       来年のエントリーの時に、また心が迷っていたら、厳しく注意してちょうだいね」
(支部長)「来年になったら、また気持ちが変わる可能性があるんや」
(幹事長)「最近の記憶力の低下は著しいからなあ」
(支部長)「私は完走できて満足したから、もうフルマラソンに出ないよ」


〜 性懲りもなく 〜


もう二度と脱藩マラソンのフルマラソンには出ないと固く誓った翌日、なんと早くも悔しさが沸いてきた。あんなに辛い思いをしたのに、早くもリベンジしたくなったのだ。去年はリベンジしようと思うまで半年はかかったのに、今年は僅か1日だ。

(幹事長)「どう思う?アホなんやろか?」
(支部長)「ニワトリ並みの記憶力やな」


去年は足が痛くなったから、今年は「前半を徹底的に抑えて走り、急な上りになったら躊躇わずに歩く」という作戦を決めた。その作戦がうまくいくかどうかは、実際にやってみないと分からなかったが、結果的には成功した。ところが、よくよく振り返ってみると、その作戦を決めたもんだから、正攻法の練習はあんまりしなかった作戦が成功するかどうかだけ考えて、それ以前の、基本練習を怠っていたのだ

(支部長)「練習した上で作戦を考えんといかん、ってレース前に指摘した通りやろ!」

なので、来年は「十分に練習を積み、かつ足が痛くならないように抑えて走り、かつ足が攣らないような対策も考える」という盤石の作戦で挑もうと思う。

(支部長)「そんなうまいこと行くかなあ」


〜おしまい〜




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