第55回 こんぴら石段マラソン
2023年10月15日(日)、琴平町の金比羅宮(こんぴらさん)で第55回こんぴら石段マラソンが開催された。
超マイナーな草レースだが、なんと今年で第55回だから、めちゃ由緒正しいレースだ。確かに、何十年も前から必ずNHKのテレビニュースで伝えられていたから、琴平町には欠かせないイベントなんだろう。
こんな超マイナーな草レースが55年も続いているのは本当に驚異的な事だが、その理由は、やはり文句なしに楽しいからだ。
普通のマラソンコースとは違って、こんぴらさんの石段を駆け上がるという特殊なコースで行われる。普通のマラソン大会だけじゃなくて、たまにはこういう面白いレースに出るのが楽しい。
なので、2020年もとてもとても楽しみにしていた。
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
このマラソン大会の中止騒動は全国的なもので、日本中のあらゆるマラソン大会が次々と中止になっていった。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
このようなヒステリックな動きに対抗するため、我々はマラソン大会を自主開催する事にした。その第1号が、2020年の第43回オリーブマラソンだった。
そして、それ以降、中止になったマラソン大会はことごとく自主開催を続けた。
ただ、例外はこのこんぴら石段マラソンだ。こんぴら石段マラソンだけは自主開催をしなかった。
なぜなら、無断でこんぴらさんの石段を駆け上がったりしていたら一般の参拝客に大迷惑だし、神社に怒られるだろう。
正式な本来のコースを走るのが難しい丸亀マラソンは代替コースとして丸亀競技場で自主開催したが、こんぴら石段マラソンの代替コースなんてある訳ないから、残念ながら自主開催はしなかった。
2022年になると、ようやくコロナのバカ騒ぎが収束し始め、全国的にマラソン大会が復活し始めた。
国民の多くが理解するまで3年もかかったが、ようやくコロナなんてただの風邪に過ぎないっていう理解が進んできたからだ。
ところが、人口が密集している大都市の東京や名古屋で大規模マラソンが開催されたのに、なぜか田舎で沿道の観客だってスカスカの四国で開催されるマラソン大会は3年連続の中止が続いた。
こんぴら石段マラソンも2022年は開催されなかった。
しかーし!ようやく2023年になって四国のマラソン大会も全面的に復活し、このこんぴら石段マラソンも4年ぶりに復活した!
まずは良かった良かった。
ただ、従来は9月初旬に開催されていた酸欠マラソンが今年は10月1日の開催になったため、10月はほとんど休む間もなくマラソン大会が続く事態になった。いくらなんでも、こりゃ厳し過ぎる。
さらにその後も、スケジュールが立て込んで大変な事になっている。
10月1日 酸欠マラソン
10月8日 脱藩マラソン
10月15日 こんぴら石段マラソン、四万十ウルトラマラソン
10月29日 庵治マラソン
11月5日 下関海響マラソン
(幹事長)「完全に川内優輝状態やがな」
(支部長)「川内優輝は石段マラソンなんかには出ないけどな」
〜 エントリー 〜
55年もの歴史を誇る由緒正しいこんぴら石段マラソンだが、実はペンギンズがこの石段マラソンに参加したのは、今年でまだ5回目だ。
初参加したのは2012年の第47回で、参加したのは支部長と國宗選手の2人だけだった。私は娘を連れてキャンプに行ったので参加できなかったし、ヤイさんは村の秋祭りで獅子舞をせねばならないとの事で参加しなかった。
2回目に出たのは2014年の第49回で、その時は私と支部長とピッグの3人で出た。初参加の私は、とても楽しくて仕方なかった。
3回目に出たのは2017年の第52回で、その時は私と支部長とピッグとD木谷さんと國宗選手の5人で出たが、やはりとっても楽しかった。
そして4回目に出たのが2019年の第54回だ。こんなに楽しいマラソン大会なのに、なぜかみんなの意欲は低く、その時は私とのらちゃんの2人しか出なかった。それでも、初参加ののらちゃんは楽しくて大はしゃぎだった。
このマラソン大会はとっても楽しいのに、なぜ以前は参加してなかったのかと言えば、あまりにも超マイナーなので見落としがちになるからだ。
我々はこういう草レースにはとても興味があるんだけど、こんな草レースはランネットなんかには出展されていないから、いつから申込み可能なのか分かりにくいし、そもそも存在すら忘れがちになり、存在を思い出すのは例年、「今日、金比羅宮で石段マラソンが開催されました」っていう夕方のテレビニュースを見たときだ。
もちろん、レースが終わってから気付いたんでは間に合わないんだけど、認知症が着実に進行しているしている今日この頃では、東京マラソンや丸亀マラソンといったメジャーな大会の申し込みでさえすぐに忘れて慌てるくらいだから、こんぴら石段マラソンみたいな超マイナーな草レースの存在は、残念ながらあっという間に忘れてしまう。
それでも、今みたいなマラソンブームが到来する以前は、忘れてさえいなければ、簡単にエントリーできた。支部長が初めて参加した2012年前は、なんと当日受付でも走れた。それくらい参加者が少なかったのだ。
2017年の募集要項にも、まだ「定員に達しない限り、当日受付可」なんて書いてあった。
しかし、異常なまでのマラソンブームが吹き荒れている昨今の情勢で、そんな事が許されるはずがない。
2017年だって、募集要項には「当日受付可」なんて書いてありながら、実際にはエントリーが開始された8月1日の夕方には定員がいっぱいになって募集は打ち止めになっていた。当日受付どころか、募集開始日に即日完売だったのだ。
ランネットなんかには一切情報が出ないし、パンフレットも無いような超マイナーな草レースが、どうしてあっという間に瞬間蒸発するのか不思議だ。琴平町内では回覧板が回っているのだろうか。
ともかく、この異常なまでのエントリー競走に勝つためには、こんぴら石段マラソンの存在を思い出したら、毎日のようにマメに琴平町のホームページをチェックし、情報が掲載されたら即、エントリーに備えるという行動が必要だった。
ところが、2018年から募集のシステムが変わった。それまでの先着順から抽選制になったのだ。
一般的にはマラソン大会の募集は先着順だ。その方が事務局も楽だし、参加者も申し込んだ時点で予定が確定するから便利だ。
でも、あまりにも人気が高まり過ぎると、エントリー競走が過熱して弊害が出てくるので、抽選になる。
コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止になる以前は、東京マラソンなんか競争率が10倍以上だったし、大坂マラソンや京都マラソンなんかも5倍前後だったので、こういうメジャーな大会はたいていは抽選だ。
しかし、こんぴら石段マラソンのような超マイナーな草レースが抽選ってのは聞いたことがない。
なぜ、こんなマイナーな草レースが抽選になったかと言うと、定員がとても少ないからだ。
こんぴらさんの石段の数は本宮までが785段、奥社まで行くと1368段ある。以前は石段マラソンは奥社まで走ってたんだけど、最近は本宮までになっており、本宮までの石段の数である785にちなんで参加者の定員は785人しかないのだ。
なぜそんなに募集人数が少ないかと言えば、交通規制が無くて、いつもと同じように一般の参拝客が大勢歩いている狭い石段をランナーが駆け上がり駆け下りるため、参加者が多いと、とっても危険だからだ。
実際に走ってみると、これでも多いと感じるくらいだ。せめて開催している間は一般の参拝客を規制して欲しいとも思うが、こんぴらさんの境内を使わせて頂いている我々としては、そんな事を言える立場ではない。
てな事で、伝統ある面白い大会なのに定員が少ないから競争が激しくなり、遂に抽選制になったのだ。
もちろん、他のメジャーな大会のようにインターネットを使ったエントリーシステムではないので、申し込みには往復葉書を使う。
往復葉書なんて何年も使った事が無く、従来のFAXでのエントリーからむしろ退化したような印象だが、当選すれば返信されてくるっていうシステムだ。
とは言え、他のマラソン大会のように、過去の参加者へパンフレットとか案内が送られてくる訳でもないし、琴平町のホームページに情報が掲載されるのがエントリー開始の直前ギリギリになるのは従来通りだ。
うかうかしていると、思い出した頃にはとっくにエントリーが終わっている。
ランネットなんかには一切情報が出ないので、こんぴら石段マラソンの存在を思い出したら、毎日のようにマメに琴平町のホームページをチェックしなければならない。
て事で、今年も7月下旬から毎日のように琴平町のホームページをチェックしていた。ところが、いつまで経っても何の情報も掲載されない。8月に入っても何の情報も掲載されない。
まさか今年は中止になるんだろうか、なんて思ったり、あるいは私の知らないところで、裏でコッソリと既に申し込みが終わっているんじゃないかって疑心暗鬼になったが、8月末になってようやく琴平町のホームページで開催が発表された。
申し込み期間は9月1日〜20日となっている。情報発表から受付開始までの時間が短いのは毎度の事だが、抽選だし、しかも募集期間は3週間もあるので、それほど慌てる必要は無い。
て事で参加者を募ったところ、のらちゃんは今年も手を挙げた。
支部長も「ほな久しぶりに出てみようか」と参加表明した。
新人のO野選手も興味を示して手を挙げた。
一方、D木谷さんと長谷選手と倉石選手のウルトラ3兄弟は、同じ日に開催される四万十ウルトラマラソンに出場するとて不参加となった。この時期は各地でマラソン大会が開催されるから、日程が重なってしまいがちなのだ。
2018年は脱藩マラソンと同日開催になったため、我々もこんぴら石段マラソンへの参加を諦めた。
こんぴら石段マラソンは、とても楽しいマラソン大会ではあるが、あくまでも超マイナーな草レースなので、他のレースと重なってしまった場合は迷う事なく欠場だ。
てことで、今年参加するのは私のほか支部長、のらちゃん、O野選手の4人となった。
〜 有料化 〜
こんな楽しいマラソン大会なのにこんぴら石段マラソンは長らく無料だった。たぶん経費がかからなかったからだろう。
タイムを計測する訳でもないし、交通規制する事なく一般の参拝客が行きかう参道を走るので交通整理のスタッフもいない。完走後にはお守りくらいはくれるにしても、お守りの原価はタダみたいなものだ。
今は参加記念のTシャツをくれるが、以前はTシャツも無かったので、どう見積もっても、ほとんど経費はかかっていなかった。
今どき、参加料が無料のマラソン大会なんて、とても珍しい。過去を振り返っても、2011年に出た青森県南部町のうぐいすマラソン大会くらいしか出たことない。
しかも南部町うぐいすマラソンは無料なだけあって、参加賞も何もなかったが、こんぴら石段マラソンは大変お得なマラソン大会だ。
2012年に初めて支部長と國宗選手が参加した時は、Tシャツなんてくれなかった。それが2014年に出た時は、デザインの良いTシャツをくれた。
参加料が無料にもかかわらず、参加賞としてTシャツをくれたのだ。もうあり得ないほど太っ腹のマラソン大会だ。
マラソン大会の景品のTシャツって、品質自体は、昔は何回か洗濯したらクタクタになるような粗悪なものだったが、最近は丈夫なものになってきた。
だが、デザインはたいていダサく、使い道に困るようなTシャツが多い。早くボロボロになって捨てられるんならまだいいけど、品質が良くなっていつまでもくたびれないから、かえって始末に困るのだ。
ところが、5年前にもらったTシャツは、とっても素敵なデザインだった。
参加費が無料なのに、なんでこんな素晴らしいTシャツをくれるんだろうと不思議に思った。
その時ちょうど、全国門前町サミットというイベントを琴平町で開催していたので、Tシャツはたぶん門前町サミットの予算から出ているんだろうって勝手に結論づけた。
なので、Tシャツをくれるのはその年だけだろうと思っていた。
ところが2017年に参加した時もTシャツをくれた。しかも、2014年のと同じTシャツの残り物なんかじゃなくて、異なるデザインの新しいこんぴら石段マラソンTシャツだった。
なんと2014年から毎年、新しいTシャツをくれていたのだ。
琴平町は面積が極めて少なくて人口密度が高く、こんぴらさんに観光客がわんさか来るから、町の財政がとっても豊かなので無料で大盤振る舞いしているのだろうと素直に思っていた。
ところが、内部事情に詳しい町会議員さんに聞くと、実は財政は火の車で、なんとかして有料にしたかったらしい。
それで2018年からようやく有料化にこぎつけた。
とは言え、参加費は僅か1000円だ。本当はもっと高い料金設定にしたかったらしいが、関係者の協議の結果、1000円になったようだ。
大会による赤字額に比べれば、1000円くらい徴収したからと言って焼け石に水だろうけど、ちょっとでも赤字補填にはなるだろうし、将来の値上げも不可能ではないだろう。
また、参加者にとっても、タダではイマイチありがたみが無い。
なんだかお手軽すぎて、適当にエントリーだけして当日は欠席っていう人もいただろう。有料化すれば、参加者も少しは真剣になって無断欠席も減るだろう。
なーんて思ったが、参加費の支払いは当日の受付で現金払いだ。なので、当日になって無断欠席してもキャンセル料はかからない。
そのほか、2014年はTシャツのほかに、うどん引換券と無料温泉入浴券もくれたんだけど、2017年には無くなっていた。
聞くところによると、思った以上に参加者が増えてきて、Tシャツだけで予算が無くなったためにうどん券と温泉券は中止になったそうだ。
それが2018年から有料制になったため、うどん引換券だけは復活した。無料温泉入浴券も復活して欲しいところだけど、参加者が温泉に殺到して大混雑するから、やむを得ないかな。
引換券は、うどんかソフトクリームを選択できるようになっていて、2019年には、走る前はうどんを貰おうと思っていたが、走り終えると、激しい運動をした後なのでうどんを食べる気が起きず、冷たいソフトクリームを美味しく頂いた。
なので、どちらか選択できるのは嬉しいサービスだ。
〜 金刀比羅宮へ出発 〜
当日は、朝7時20分に支部長がO野選手を乗せて迎えに来てくれて、その後、のらちゃんをピックアップして琴平町に向かう。
ここんとこ、酸欠マラソンや脱藩マラソンでは早朝4時の出発とかが続いたが、今日は近場なのでだいぶゆっくりだ。
昨日は少し雨が降ったりしたが、私の天気予報通り、今日は朝から良い天気だ。
大会の実施要領には「雨天の場合及び荒天の時は中止(石段が濡れると非常に危険な為、小雨でも中止となる場合もあります」なんて書いてあるが、この天気なら、昨日の雨で濡れた石段も早々に乾いているだろう。
初詣の時は死ぬほど渋滞する金比羅さんだが、普段の日曜日は道路が空いていて、琴平町には順調に予定通り9時前に到着した。
地元情勢に詳しいのらちゃんの案内で無料の駐車場に車を停め、そこから会場まで歩いていく。
大会会場は、参道に入ってすぐの所にある金陵の郷だ。
会場に着いたのは9時頃で、スタート時間は10時からで、受付は9時半までだから、楽勝だ。
普通のマラソン大会なら、準備したりする時間も必要だが、この大会は準備なんかは一切不要なので、スタートギリギリでも構わないくらいだ。
受付で参加料の1000円を払うと、参加賞の新しいTシャツをくれた。
これまで3回貰ったTシャツは、どれも真っ黄色の生地に琴平町のマスコットキャラクターのこんぴーくんをあしらったポップで良いデザインだった。毎年デザインが変わっていたから、これを集めていくのも楽しかった。
ところーが!今年はデザインが一新されていた。
真っ黄色の生地というのは同じだが、こんぴーくんのイラストが無くなって、「Kompira石段Marathon」という文字だけのデザインになった。
これはこれで悪くはないんだけど、こんぴーくんのイラストが無くなって、ちょっとガッカリだ。
Tシャツのほかに、これまではうどん引換券と金毘羅さんのお守りをくれていたが、今年はお守りの代わりに特別限定クリアファイルをくれるとの事だ。
お守りとクリアファイルとどっちが良いのか微妙だが、いずれにしても参加賞は完走した後にくれるので、完走しなければならない。
受付で貰ったTシャツはゼッケンの代わりにもなっていて、レースに参加するには、このTシャツを着て走らなければならない。一般の参拝客が歩いている中をかき分けて走っていくレースだから、誰が参加者か分かるように、よく目立つ黄色のTシャツになっている。
ゼッケンの代わりとは言え、ナンバーは付いていない。タイムも計測しないし順位も数えてくれない。
以前は順位を付けてくれていたが、私が初参加した2014年から順位は競わず自分のペースで走る大会に変更された。
あくまでも参加する事に意義がある健脚大会であり、自己満足のために走るマラソン大会なのだ。
て言うか、最初から走るつもりの無い人もいる。のんびり歩いて参拝するのでも構わないのだ。
なので、杖をついたじいさんなんかも黄色いTシャツを着ている。何でもアリって感じだ。
場内アナウンスでは「どうしても参加したいという人がいたら限定20名まで受け付けます」なんて言っている。
参加の定員は785人で、事前に申し込んだ人の中から抽選で選んでいるはずだが、定員に達しなかったんだろうか。それとも、来ている人にだけの特別サービスなんだろうか?
受付が終われば準備しなければならない。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だが、こんぴら石段マラソンは参加賞のTシャツの着用が義務付けられているから、着るものには悩まなくても済む。
(支部長)「この時期は、どっちみち悩む事は無いやろ?」
(幹事長)「せやな。どっちみちTシャツ1枚やな」
今頃の季節は暑くもないし寒くもないから、もともとウェアに悩む要素は少ない。
とは言え、何を着ても自由なら、短距離だからタンクトップにしようか、なんて悩む余地も出てくるが、参加Tシャツの着用が義務付けられているからスッキリしている。
のらちゃんは黄色のTシャツの下に白い長袖シャツを着ている。
(幹事長)「そんなん着たら暑いやろ?」
(のら)「日焼け予防だよ」
(幹事長)「距離は短いし、ほとんど日陰のコースやから日焼けはせんやろ?」
下は、いつも履いているランニングパンツを履く。
(のら)「シューズはどれにしたの?」
(幹事長)「石段に備えて厚底シューズにしたよ」
石段の下りに備えて、いつものシューズとは違うシューズを履いてきた。
石段用の専用シューズがある訳ではないが、石段の下りに備えて底が厚いカーボン入りのシューズを履いてきた。厚底シューズの本来の機能ではないが、石段の下りは衝撃が大きいから、厚底シューズの方がクッション性が高そうだからだ。
また、石段の場合、濡れると滑りやすいので、雨の場合にはシューズ選びに注意しなければならないが、今日は大丈夫だ。
お気楽なレースのお気楽メンバー
準備はあっという間に終わり、スタートまでたっぷり時間があるので、参道の真ん中で記念撮影をする事にし、その辺にいたお姉さんにシャッターをお願いした。
彼女は単なる観光客だと思ったら、なんとレースに参加する高校の陸上部のコーチだった。すぐそばで、元気満々の高校陸上部員が10人くらい闘志を燃やしていた。
彼女もその高校の陸上部出身で、なんと実業団の名門である天満屋の陸上部にいたんだそうだ。めちゃくちゃ凄い人にシャッターをお願いしてもらった。
その後、知り合いの琴平町議会議員さんとか副町長さんに会ったので、しばらく世間話に花を咲かせたりしていると、こんな超トリッキーなコースの草レースなのに、ウォーミングアップやダッシュしている選手がいた。
上位争いをしている連中だろう。
(幹事長)「いや、我々もウォーミングアップはするべきや」
(支部長)「何を血迷ってるん?」
(幹事長)「出だしは全力疾走せんといかんからな」
(のら)「私もやってこようっと!」
このレースは距離が短いから、最初から最後まで全力疾走となるので、ウォーミングアップの必要性も無くはない。
普通のマラソンなら、我々にとってはレースの序盤がウォーミングアップ代わりになるが、このレースのように最初から全力疾走するのであれば、少しは足を慣らしておかなければ故障する危険性がある。
ただ、実はこのコースは、フラットな直線コースは最初の100mくらいで、その後は石段が現れるから、全力疾走はできなくなる。
(O野)「え?距離が短いから最初から最後まで全力疾走じゃないんですか?」
(幹事長)「全力ではあるけど、石段では全力歩きやな。石段を走って登ったら、すぐに足が動かなくなるんよ」
石段になっても力を抜く訳ではないが、全力疾走の勢いで一段飛ばししながらピョンピョンと走るように登るとすぐに足が動かなくなる。石段になったとたんに、一段一段早足で歩くようにチョンチョンと登るのだ。
なので、全力疾走できる区間は100mほどだ。て事で、ほんの少しだけウォーミングアップで軽く走る。
(のら)「どれくらいのタイムで走るつもり?」
(幹事長)「目標は19分かなあ」
どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
て言うか、こんな特殊なコースのレースは他に無いから、他のレースとの比較なんて不可能だ。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。
金毘羅さんの石段は、いくら有名な長い石段とは言っても、下から上まで標高差は僅か170mだから、大して時間はかからない。
過去のタイムは、2014年が20分ちょっと(正確には不明)、2017年が20分25秒、2019年が18分55秒だった。
2014年と2017年は、途中で写真を撮ったりしながら物見遊山で走ったので余計な時間がかかったが、2019年は気合を入れていたのらちゃんと一騎打ちの真剣勝負したので、大会自己ベストが出た。
なので、目標になるのは2019年の18分55秒だ。つまり、19分を切れば大会自己ベストの可能性が大きい。
(のら)「じゃ、あたしも19分切りを目指すよ」
のらちゃんは2019年のタイムが19分4秒だったから、19分を切れば文句なく大会自己ベストだ。
(幹事長)「下りは一段飛ばしで降りてくるように」
(のら)「はいっ、艦長!」
のらちゃんは前回は、最初は一段飛ばしが怖くて一段ずつ降りていたが、それでは遅すぎるので厳しく指導した結果、最後はなんとか一段飛ばしで下りれるようになった。
今年は最初から下りは一段飛ばしだ。
一方、支部長は今年の春先から足の故障によりランニングの不調が続いている。7月末の汗見川マラソンでは途中リタイアし、その後はほとんどランニングを控えている。
なので、今年はゆっくり完走するとの事だ。
〜 スタンバイ 〜
しばらくすると、9時半から開会式が始まった。
説明によると、混雑を避けるためにスタートは年齢別に分かれてスタートする。タイムも順位も競わないため一斉にスタートする必要は無いのだ。
スタート順は以下のようなものだ。
10:00〜 男子49歳以下
10:02〜 男子50歳代
10:04〜 男子60歳以上
10:06〜 女子39歳以下
10:08〜 女子40歳以上
10:10〜 その他大勢(家族連れ、友人同士、ゆっくり参拝したい人など)
初参加で腕試しをしたいO野選手は男子50歳代の部門に出るが、私と支部長とのらちゃんは3人での真剣勝負なので、最後のその他大勢部門でスタートすることにした。
その他大勢部門は色んな有象無象の集団がいるので大混雑しそうだけど、前回の経験からすると、前の方で走れば問題無い。
2012年に支部長らが初参加した時は、30歳代までの選手は石段が1368段ある奥社まで走って折り返すが、40歳代以上は785段の金比羅宮本宮で折り返すコースだった。
しかし、2014年に私が初参加した時は、若い人も含め、全員が785段の金比羅宮本殿で折り返すコースとなった。どうせなら奥社まで走っていきたいところだが、主催者としては早く終わらせたいのかもしれない。
もちろん今年も全員が本宮までだ。
途中の本宮までとは言え、最初聞いたときは、785段もの石段を駆け上るなんてめちゃめちゃ大変そうで、途中で心臓麻痺で死ぬんじゃないかと不安になった。
でも、2012年に参加した支部長と國宗選手に聞くと、二人とも「楽勝だった」と豪語する。本当かなあと半信半疑ながら2014年に初参加してみたら、彼らの言う通り、本当に楽勝だった。
もちろん785段の石段が大変なのは事実で、走って駆け上がるのは不可能だ。
テレビニュースの映像を見ると、先頭集団はものすごいスピードで駆け上がるスーパーなランナー達だが、我々はどんなに頑張っても一生懸命早足で歩いて上るのが関の山だ。
でも、途中で力尽きる事なく頑張って上っていくうちに、割りとあっさりと上りは終わってしまう。思ったほど厳しいレースではないのだ。
また、このレースの制限時間は2時間近くある。最初から最後まで歩きっぱなしでも楽にゴールに間に合うような緩い時間設定となっているのだ。
なので焦る必要は全くなくて、2014年や2017年に出たときは、途中で写真を撮ったり参拝したりしながら物見遊山で進んだが、それでも往復で20分ちょっとだった。
(幹事長)「2周するんなら、もっとペースを抑えた方が良いかもしれないけど」
(のら)「えええーっ!?にしゅう!?そんなん可能なん?」
もちろん可能だ。実際に、1周では物足りないから2周する人もいる。
折り返しの本宮で通過証を受け取り、ゴールしたら通過証と引き替えに御守りなんかをもらうんだけど、「2回走ってもいいですけど、2回目の時は通過証を受け取らないでください」なんて注意事項がアナウンスされているくらいだ。
制限時間は2時間近くもあるから、単純に計算したら4回でも5回でも行ける。もちろん、だんだん弱ってくるからスピードは落ちるだろうけど、それでも3回は行けるだろう。
用心しなければならないのは下りだ。上りはしんどいけど、しんどいだけで危険性は無い。
下りは石段から転げ落ちる恐怖と隣り合わせの危険なレースとなる。一つ間違えば、転がり落ちて全身骨折か、運が悪けりゃ頭を打って死んでもおかしくない。絶対に恐いので、慎重に下らなければならない。
過去の経験から言うと、石段の下りは一段飛ばしがよろしい。飛ばさないで一段一段降りていると、圧倒的に遅くなる。
かと言って、2段飛ばしにすると飛躍的に危険度が増す。一段飛ばしでリズミカルに降りるのが理想的だ。
ただ、それでも足を引っかけて転ばないように慎重に降りなければならない。緊張感が続く下りだ。
〜 スタート 〜
いよいよスタートの時間となり、スタート地点に集合する。参加者数は僅か785人だが、それでも全員が集まると、狭い参道は黄色いシャツを着た集団に埋め尽くされた。
まずは男子49歳以下の部がスタートした。最前列に陣取ったようなランナーはロケットスタートのダッシュで飛び出していった。
6部門のうちの1つなのに、ものすごく人数が多い。どう見ても全体の半分ほどのランナーが走り出していった。
かなり老けた人もいるし、なんと女性も混じっている。どう考えても、意図的な確信犯だろう。
49歳以下の男子の部には最も速いランナー達が揃っていると思われるので、とにかく先頭争いしたい人は年寄りだろうが女性だろうが、ここでスタートするのかもしれない。
あるいは、参加男子と一緒に走る家族や仲間が一緒に走り出したのかもしれない。それならその他大勢部門に出れば良いようなものだが、その他大勢部門は大混雑するので避けたのかもしれない。
続く男子50歳代の部でも、先頭ランナーはかなり速い。トレラン用のリュックを背負って、全身、完全にトレラン仕様のランナーもいる。明らかに登りに慣れた高速ランナーだ。
だが、男子60歳以上の部になると、人数は10人ほどに減り、杖をついた爺さんもいる。我々もこの部門で走れば上位入賞間違いなしだ。
次は女子部門だ。女子39歳以下の部には例の高校陸上部の選手が数人、最前線に陣取り、スタートと同時にものすごいスピードで駆け出していった。
女子40歳以上になると、もうそれほど速いランナーはいない。トレパンなんかを履いて最初からゆっくり歩きだすおばさん達も多い。完全に歩きとおすつもりだ。
そして、いよいよ最後のその他大勢の部のスタートだ。前回の経験を生かして、混雑を避けるために最前列に陣取る。
最前列にはガキんちょ共がわんさかスタンバイして大混雑だ。こいつらをスタートダッシュで蹴散らさなければ走りにくくなる。
(幹事長)「スタートダッシュで先頭に立つように」
(のら)「そんなの無理だよ!」
最前列は大混雑でスペースが狭く、二人が並ぶのは無理だったので、のらちゃんを先頭に立たせ、私はその背後から着いていくことにした。
スタートの合図と同時に、最前列のランナーは一斉にスタートし、全力で走り出す。思った通り、最前列のガキんちょ共は必死で走っていくので、なかなか着いていけない。
しかし、彼らは子供で何も考えてないので、最初は速いが、あっという間にスピードが落ちる。
それなのに、のらちゃんがなかなかガキんちょの前に出ようとしない。ガキんちょ共を蹴散らすのは大人げないと思って遠慮しているのだろうか。これでは石段が現れる前に先頭に出る事ができない。
って事で、少し隙間ができたところで、のらちゃんを追い越して前に出る。先頭には出られなかったが、石段が現れる前になんとか先頭集団に入った。
スタート直後のフラットな区間が終わると、参道は石段に変わる。最初は石段とフラットな部分が交互に現れるが、だんだん石段が多くなる。それでも2段程度の石段なら一気に飛び越していく。
しかし、すぐに急な石段が続くようになる。この大会の勝負どころは石段区間であり、石段をどれくらい粘り強く上れるかで勝敗は決まる。
傾斜45度の急な石段なので走って駆け上がることは不可能だ。それでも、最初は元気なので一段飛ばしてガンガン登ることは可能だ。て言うか、序盤で力が余っているから、一段飛ばしくらいでガンガン上がっていった方が歩きやすいし、気持ちも良い。
しかし、そんな子供みたいな事をしてたら、すぐに足が動かなくなるのは分かっている。登山の時も、急登を大股でガンガン上っていくのは禁物だ。絶対に後から疲れがドッと出てくる。
石段だって同じで、いくら元気があっても、決して飛ぶように上がってはならず、無駄なエネルギーを使わずに着実に歩いて上がらなければならない。
なので、石段区間では最初から地道に一段ずつ登っていく。一段づつ上がるのは歩幅が狭くて、とても歩きにくいが、我慢してチョコチョコ上がっていく。
一度、勢いがついたまま一段飛ばしで上がってみたが、すぐに足が動かなくなったので、慌てて地道に一段ずつ上っていく走法に戻した。
土産物屋が立ち並ぶ狭くて急な石段を早足で一段一段歩いて上っていると、のらちゃんのペースが遅くなってきて、少し遅れ始める。
まだほんの序盤なのに大丈夫かなと心配になったが、彼女は力があるので、すぐに慣れて追いついてくるだろうから、取りあえずマイペースで登っていく。
急な石段が続くが、ずうっと傾斜45度の急な階段が永遠に連続する訳ではなく、ときどき数メートルほどのフラットな部分がある。
ついつい、こういう区間では石段でのスピードの惰性でそのままゆっくり歩く人が多いが、そういう短い区間でも走れる時は走らないと良いタイムは出ない。
トレランレースでも、こういう小さな積み重ねが重要で、少しでもフラットな区間があると、すかさず走る。
ところが、頑張って上っているつもりなのに、明らかに前回とは足の動きが違ってきた。早くも疲れてきて足が動かないのだ。スピードが全然出ない。
先にスタートした女性陣に追いつきはしたが、石段ではスピードは全く同じだ。一緒にスタートしたガキんちょ共ともスピードは変わらない。
ただ、女性陣やガキんちょ共は石段と石段の間の短いフラットな部分でも惰性で歩くので、その隙にダッシュして追い抜いていく。
お土産物屋さんが立ち並ぶ一之坂が終わると365段目に大門があり、そこをくぐると五人百姓がいる。大門から中が金刀比羅宮の境内であり、境内で商売が許されているのは五人百姓だけだから、ここから先は落ち着いた境内の雰囲気となる。
五人百姓の前を走り抜けると桜馬場に出る。ここは階段が無くてフラットな上、とても清々しくなる気持ちの良い区間だ。
桜馬場を抜けると、いったん左に曲がり、馬舎の前を右折して、再び石段の区間が現れる。石段は急だけど、表参道と違って広々としている。
足の疲れはどんどんひどくなり、駆け上がるのはもちろん、早足で上がるのも不可能になり、一歩一歩普通に歩いて上っていくペースになってきた。できるだけスピードは落としたくないが、足が痙攣しそうだ。
呼吸は苦しく、自分でも大きな声でゼイゼイ言ってるのが耳障りなくらいだ。胸の辺りが痒くなってくる。
ただ、疲れているのはみんな同じなので、私を追い抜いていくランナーはいない。その他大勢部門には、そんなに速いランナーはいないようだ。
石段を上ると628段目に旭社があり、その前を右折して少しフラットな道を走ると、最後に御本宮へ向かう急で長い石段が現れる。
旭社から本宮へ上るルートは石段が狭くて急で長いため、上りと下りが別々に分かれた一方通行の回廊区間となっている。
とっても急で長い石段なんだけど、これが最後の上りなので、上を見ずに足下だけを見てひたすら頑張って一気に上ると、ようやく最高点に達してホッとする。
急な石段を上がっている最中は、息も苦しくて限界のように感じられたが、終わってしまうとホッとする。
石段の下を見たが、のらちゃんの姿は見えない。前回はすぐ後ろにいたけど、今日はだいぶ遅れているようだ。
石段を上り終えたところにある御本宮に手を合わせて参拝し、その後、通過証を受け取り、次に三穂津姫社にも参拝し、そこから下りの石段に入る。
ここで時計を見ると、上りは12分ほどだった。なので、下りを8分で走れば合計で20分を切れる。
上りが12分なら下りは半分くらいで行けそうに思えるが、下りは上りより楽と言えば楽だけど、滑ったら大怪我をするので、精神的には緊張する。
最近は老化の進展により、何も無い平らな道でも躓いたりするくらいなので、石段で躓く恐れは大きく、油断は大敵だ。
それに石段は急なため、足への負担も思った以上に大きくて、足を故障しそうでとても走りにくい。
こわごわと石段をしばらく駆け下りていくと、フラットな桜馬場の区間に出る。ここは緊張感を休めながら気持ち良く走ることができる。
しかし、五人百姓の前を通り過ぎると再び急で狭い石段が延々と続く。速いランナーは、こういうところを2段飛ばしでピョンピョンと跳ぶように降りていくところだが、私はそんな怖いことはできない。
速いランナーはとっくに前方に消えているから、周囲の参加者は、みんな慎重に一段づつ下りている。そういう遅い人たちや、一般の観光客をかき分けながら、緊張感を持続させつつガンガン降りてく。
慎重に下りているつもりだが、それでも一段飛ばしで下りていると、一度、かかとが滑ってヒヤリとした。なんとか転倒は免れたが、気を付けなければならない。
この厚底シューズはクッションが効いて良いのだが、ソールは滑りやすい事が分かった。次回は別のシューズを検討しよう。
足を前向きにして下りると足が引っかかりそうになるので、体を横向きにして一段飛ばしで下りていく。
転倒しないように緊張の連続で、精神的に疲れるが、遅いランナーを追い抜いていくのは気持ちいい。
なんとか転ぶこともなく急な石段が終わり、最後の短いフラットな区間になった。
急な石段の下りでは神経はすり減らしたけど、体力的にはあまり消耗しておらず、フラットな区間を全力疾走してゴールした。
〜 ゴール 〜
最後は全力疾走したけど、タイムは20分8秒だった。19分を切れず、前回より遅かっただけでなく、20分すら切れなかったので情けない。
あと8秒なら、分かっていればそれくらいは縮められたと思うので、残念だ。
それにしても、前回より1分以上も遅かったのはショックだ。敗因は上りで足が動かなくなった事だ。駆け上がる事なく、一段一段上っていたにもかかわらず、足が動かなくなってしまった。情けない事だ。
また、カメラを持ってあちこちで写真を撮りながら走った2017年のタイムと比べても、さほど変わらなかったというのは愕然だ。
しばらくしてのらちゃんも帰ってきた。彼女も前回よりかなり遅かった。
(幹事長)「練習不足やろか?それとも老化やろか?」
(のら)「両方かなあ」
支部長は居直ったように、ものすごく遅く戻ってきた。この夏はほとんど走れてなかったから仕方ない。
また、初参加のO野選手は18分台だった。
(O野)「最初に一段飛ばしで駆け上がってたら、そのうち足が動かなくなって、何度も立ち止まりましたよ」
(幹事長)「だから駆け上がったらいかんって言うたやろ」
ま、自分で経験しないと身に沁みないから仕方ない。
トップは、例の陸上部の男子高校生で、13分ほどだったとの事だから、これは速い。上りも駆け足で上がったのだろうし、下りも2段飛ばしくらいでガンガン駆け下りたのだろう。さすがに真似はできない。
ゴールすると、通過証と引き替えに参加賞が貰える。
今年はお守りの代わりに特別限定クリアファイルをくれるとの事だったが、今年も金比羅さんのお守りをくれた上に金比羅さんのクリアファイルもくれた。また、これまで通り地元の名産おまんじゅうもくれた。素晴らしい大盤振る舞いだ。
そして、一番欲しかったのがうどんかソフトクリームの引換券だ。これまではタダ券だったが、今年の券には300円の補助券と書いてある。なので、300円を超える分は自己負担のようだ。
スタートする前は、ゴール後にうどんを食べようと思ってたけど、激しい運動をした後なのでうどんを食べる気が起きず、前回と同じように冷たいソフトクリームが欲しくなった。
なので、ゴールの横にあるお店でおいりをまぶした和三盆味の可愛いソフトクリームを貰った。お値段は350円って書いてあるので、50円を払う必要があると思ったら、お店のお姉さんは「いいですよ」って言って、そのままタダでソフトクリームをくれた。これまた素晴らしい。
のらちゃんや支部長やO野選手も同じソフトクリームを貰って食べた。
短い距離のマラソン大会の割りには汗をかいたが、お風呂に行くのも面倒だったので、そのまま着替えてうどん屋に繰り出して昼食を食べた。
て事で、4年ぶりに出たこんぴら石段マラソンは、思った通り今年も楽しかった。他の大会と重ならない限り、来年も出なくちゃ。
これで酸欠マラソン、脱藩マラソンと3週連続のマラソン大会が終わった。しかし、1週間あけて2週間後には庵治マラソンがあり、さらにその翌週には初参加の下関海響マラソンがある。
マラソン月間はまだまだ続くよ〜。
〜おしまい〜
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