第7回 龍馬脱藩マラソン大会
2018年10月7日(日)、高知県檮原町で第7回龍馬脱藩マラソンが開催された。なんと、6月初旬の北山林道駆け足大会以来4ヵ月ぶりのレースだ。
何も4ヵ月もサボっていた訳ではない。最近は毎年、夏場には山岳マラソンが続いている。3年前の夏に山岳マラソン3連戦という厳しい日程にして以来、一昨年の夏は山岳マラソン4連戦、去年も山岳マラソン4連戦、今年も6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の汗見川マラソン、9月の酸欠マラソン、そして今回の龍馬脱藩マラソンと山岳マラソン4連戦という超厳しいスケジュールにしていたのだ。
ところが、なんと汗見川マラソンが中止になってしまった。その理由が信じられないと言うか理解できないと言うかあり得ないものだった。大雨が降っているから、というものではなくて、3週間も前の豪雨が理由だったのだ。確かに3週間前の豪雨はひどかったが、それ以降は、ずうっと猛暑の晴天が続いていた。それなのに3週間も経ってから豪雨を理由に中止になったのだ。3週間も前の豪雨によりマラソンコースの道路に崩落の危険箇所があるから、という理由なのだ。豪雨により道路が崩落して通れなくなった、と言うのなら理解できる。あるいは、再び雨が降っていて、今にも崩れそうだから、と言うのなら理解できる。しかし、豪雨は3週間も前の事であり、しかもその豪雨によっても崩れてはいないのだ。そして大会当日は晴天が続いてカラカラだ。土砂崩れが発生する可能性はゼロに近い。一体、何を恐れているのだろう?もう全く理解できない。本当に理解できない。
なんて怒り狂っていたら、続く酸欠マラソンも雨で中止になってしまった。汗見川マラソンの場合と違って、当日は雨は降っていた。それは確かだ。しかし、台風でも何でもない、ただの雨だ。量は多いかもしれないが、高松トライアスロンが中止になった時のような豪雨ではない。ただの雨だ。6年前の徳島マラソンのような台風並みの暴風雨ではなくて、単なる雨だ。それなのに、前日に、早々に中止決定が下された。一体全体、主催者は何を恐れているのだろう?もう全く理解できない。本当に理解できない。
かつてマラソン大会は、どんなに暴風雨が荒れ狂っても、天気のせいで中止にはならなかった。6年前の徳島マラソンは台風顔負けの暴風雨の中でも決行された。マラソン関係者の間では、雨や風の影響で大会を中止にするなんて発想は皆無だったはずだ。それが、いつから変わってしまったのだろう。おそらくは、事故でも起きたら、アホなマスコミ共が一斉に声高に非難するからだろう。実際に参加しているランナー達は、天候の事は自己責任で出場しているのだから、天候のせいで事故が起きても文句言うような幼稚な人はいないはずだ。世の中の悪い風潮は全てアホなマスコミのせいだ。何か事故が発生したら、全て参加者の自己責任でいいから、雨くらいで止めるのではなく、決行して欲しいぞ。
こういう事情で、7月の真夏の貴重なマラソン大会である汗見川マラソンが無くなってしまい、さらに9月初めの貴重なマラソン大会である酸欠マラソンまでもが中止になってしまい、北山林道駆け足大会から今回の龍馬脱藩マラソンまで4ヵ月もレースが無い日が続くことになったのだ。本当に腹立たしい限りだ。
4ヵ月もの長い間、レースが無かったため、つまんなかった、というだけではない。この龍馬脱藩マラソンは超厳しいマラソン大会なので、長いブランクの後、いきなり出場するのは不安が大きいのだ。私のスケジュールでは、7月末の真夏にも汗見川マラソンに出てペースを維持し、さらに9月初めの酸欠マラソンに出て調子を整え、万全の態勢でこの龍馬脱藩マラソンに出たかったのだ。それなのに4ヵ月もブランクが空いて、いきなり超厳しい龍馬脱藩マラソンに出るのは非常に不安が大きい。
〜 超厳しいフルマラソン 〜
とにかく、この龍馬脱藩マラソンのフルマラソンのコースは超厳しい。龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは3年前だ。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。
(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」
あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。
ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースはそんなに大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。そのため、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。そこで今度は阿南のY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。
(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」
この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからであり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないのだ。フルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになるのだ。
さらに一応、小松原選手にも一応、聞いてみた。
(幹事長)「どう思う?」
(小松原)「もう子供じゃないんで、出たいと言うのを止めはしませんが、この大会のフルマラソンはきついっすよ」
小松原選手ほどのスーパーランナーでも、脱藩マラソンのフルマラソンはきついらしい。フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560m、累積の標高差が900mもある。ハーフマラソンのコースは累積の標高差が380mだから、厳しさは倍以上だ。前半は基本的に上りが続くが、15km地点辺りまでは緩やかな上りで、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。しかも最後の600mは手を着いて登るような山道だ。ハーフマラソンのコースとは別次元のようだ。
しかし、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にもならないので、一昨年は無謀にもフルマラソンの部に出場した。そして、結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも、「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって足をガードレールの上に乗せて痛みを取ったりした。しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。
タイムが悪いのは仕方ないけど、足が痛くて走れなくなるのは本当に辛い。坂が無い超フラットな徳島マラソンでも、5年前の大会では、序盤に調子に乗って飛ばしてしまった結果、終盤で足が痛くて歩くこともできなくなって大惨敗を喫したことがある。その反省から、それ以降はフルマラソンでは前半に決して調子に乗って飛ばさず、思いっきり自重するという作戦を取っているため、終盤に足が痛くて走れなくなるってことは無くなった。前半から極端に抑えて走るのでタイムはパッとしない状況が続いているが、足が痛くなる辛さに比べたらマシだ。足が痛くならなければ、いくら疲れてきても歩くことはない。
ところが、一昨年の脱藩マラソンのフルマラソンは、前半を抑えたつもりだったのに、上り坂だから負荷が大きくて、足の疲労が蓄積していったのだろう。多少、痛いくらいなら、我慢して歩いたり休んだりしながら、なんとかトボトボと帰ってこられるから、少しずつでもゴールは近づいてくる。でも足が痛くて痛くて歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって休んだりしていたから、なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こう決意した。
(幹事長)「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」
(支部長)「だから言わんこっちゃない」
ところが、翌年の6月、つまり去年の6月、龍馬脱藩マラソンのエントリーが開始になると、再び悩んでしまう。
(支部長)「何を言よんかいな。もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないって言うてたやんか」
(幹事長)「あまりの惨敗ぶりが悔しくなってなあ」
確かに一昨年のレース直後には、こんな辛い思いは二度としたくないって思った。ただ「惨敗したから終わり」ってのも情けない。だいぶ時間が経ったから、足が痛かった辛さの記憶も薄れてきた。
(支部長)「昨日の晩ご飯が何やったか覚えてる?」
(幹事長)「晩ご飯を食べたのは覚えてる」
どう考えても、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しい。悔しすぎる。それに、一昨年のレースはフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思われる。て事で、最終的に、再びフルマラソンの部に参戦することにした。さらに、支部長も強引に勧誘する。
(幹事長)「支部長もフルマラソンにエントリーするように!」
(支部長)「何を言うてるんや!絶対に嫌やで!」
(幹事長)「分かってるか?フルマラソンのコースを走らないと脱藩した事にはならないんぞ」
(支部長)「でも、そのまま伊予まで行くんなら分かるけど、引き返してスタート地点まで戻ってくるんやったら、結局、脱藩してないやん」
(幹事長)「それやったら県境の折り返し点まで行って脱藩した時点でリタイアしたらええやん。
前半だけやったら支部長でも楽勝やで」
(支部長)「なんでリタイア前提なん?」
(幹事長)「脱藩マラソンに出たぞ、なんて偉そうに言うためには脱藩地点まで行く必要がある。
せっかく四万十ウルトラマラソンに出場したのに、100kmの部じゃなくて60kmの部でお茶を濁したばっかりに
日々恥ずかしい思いをしているピッグの二の舞になるぞ」
(ピッグ)「60kmの部にすら出たことないのに、偉そうに言わないでください!」
てことで、最後まで迷っていた支部長も最終的にフルマラソンの部に出ることとなった。そして、結果は、さらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった。
一昨年の反省から、去年は前半を徹底して抑えて走った。初出場で気がはやっている支部長が調子に乗って飛ばそう飛ばそうとするのを一生懸命になだめながら、二人して極端なまでのスローペースで前半を走った。て言うか、折り返し点の手前数kmの急坂は躊躇うことなく歩いた。こうやって前半に余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下るつもりだった。ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。一昨年は足が痛くなって走るどころか歩くことすらできなくなったけど、去年は足が痛いって症状ではなかった。でも足が攣ってしまって走るどころか歩くことすらできなくなったのは同じだ。終盤は一昨年と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、一昨年を上回る衝撃的な大々惨敗だった。一昨年よりさらにタイムが悪くなったのは理由がある。前半を徹底して抑え、すぐ歩いたりしたからだ。せっかく前半に余力を残していたにもかかわらず、終盤は同じようにトボトボと歩いたため、結局、前半のタイム差がそのままゴールタイムの差になった訳だ。
そして、こう決意した。
(幹事長)「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」
(支部長)「去年と同じ事を言よるな」
もちろん、支部長は私よりさらに惨敗した。しかし支部長は、タイムなんて最初から気にしてなくて、この超過酷なフルマラソンを制限時間内に完走することだけが目標だったので、満足しているのだ。
(支部長)「ちゃんと脱藩したしな」
〜 エントリー 〜
と言う事だったんだけど、翌年の6月、つまり今年の6月、龍馬脱藩マラソンのエントリーが開始になると、再びフルマラソンにしようかハーフマラソンにしようか悩んでしまった。
(支部長)「ほんまに記憶力が悪いな。て言うか、記憶力が無いな。
もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないって言うてたやんか」
(幹事長)「あまりの惨敗ぶりが悔しくなってなあ」
デジャブのような会話だが、確かに、記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶は薄れてきた。そして、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しい。悔しすぎる。「惨敗したから終わり」ってのは情けない。て事で、エントリーが始まっても、しばらく悩んでいた。
昨今、汗見川マラソンや酸欠マラソンと言ったマイナーで過激な山岳レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に瞬間蒸発していく昨今の異常なマラソンブームの中で、この龍馬脱藩マラソンだけは、即日完売にはならない珍しく人気薄のレースなので、そんなに焦る必要はない。なぜ、この龍馬脱藩マラソンだけは余裕を持って申し込むことができるのかと言うと、他の山岳マラソンに比べても、コースが超きびしーからだ。
龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだが、死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく6年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。
四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった。しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンができたのだ。そして、そのフルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近い。そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンなのだ。
て事で、龍馬脱藩マラソンのエントリーは、そんなに焦る必要は無いんだけど、世間のキチガイじみたマラソン熱は冷めていないから、油断は禁物だ。どんなレースであっても、早めにエントリーしておかないと、取り返しがつかなくなってしまう。
て事で、結局、今年も性懲りもなくフルマラソンの部にエントリーしてしまった。
(支部長)「あれだけ二度と出たくないって叫んでたのに、本当に物忘れがひどいな」
(幹事長)「もちろん支部長も出るやろ?」
しかし、支部長は頑としてフルマラソン出場を受け入れず、今年はハーフマラソンに戻ってしまった。精神力が強い、と言うのか、弱いと言うのか分からないが。
他のメンバーはピッグとD木谷さんがフルマラソンに、國宗選手がハーフマラソンにエントリーした。
(幹事長)「國宗選手も一度くらいはフルマラソンに出ないと心残りやろ?」
(國宗)「いやいや、ハーフマラソンで十分です。絶対にフルマラソンには出ませんからね。
それにしても幹事長は懲りないと言うか、ほんとに坂が好きですねえ。」
私が坂を好きになってきているのは間違いない。良いタイムが出やすいフラットなコースよりも、むしろアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた。
この大きな理由の1つとして、フラットな高速コースでタイムが伸び悩んでいるって事がある。伸びないと言うより、どんどんタイムが悪くなっている。以前は良いタイムが出るフラットなコースの方が好きで、どの大会に出ても、毎回、大会自己ベストを出すのを目標にしてきた。そして、実際に、時々は良いタイムが出ていたから、それが楽しかった。ところが近年、自己ベストが出なくなってきた。惜しいというレベルじゃなくて、惨敗続きで、どう考えても自己ベストなんて、もう出そうにない状況になってきた。何か原因に心当たりがあれば不調のせいだと見なせるし、その対応策も考えられるが、最近は、何の心当たりも無いのにタイムが伸び悩んでいる、と言うか、年々悪くなっている。
(支部長)「理由は明白や。それは不調なんかじゃなくて歳のせいなんや」
以前、亀ちゃんに「お前のレベルなら歳のせいじゃなくて、単なる練習不足や」なんて一喝されたように、私らのレベルだと、真面目に練習をすればまだまだタイムは良くなると信じていたんだけど、最近は、少し練習量を増やしただけで疲れが残り、どんどん調子が悪くなる。もともと大した練習量ではないのだけど、それすら増やせないのだ。これも多分、歳のせいなんだろうけど、こうなるとフラットなコースでも良いタイムを出すことはできない。フラットなコースでタイムが伸び悩むと、なんだかやる気が失せてしまうが、坂が多いコースだと、タイムは悪いのが当たり前なので気にしなくてもいいし、坂がある方が純粋に面白い。一昨年から参加している北山林道駆け足大会や四国のてっぺん酸欠マラソンなんかは、トンでもない急坂の駆けめぐるレースだが、タイムは悪いのが前提なのでとても楽しい。て事で、最近は、タイムは二の次で、フラットなコースよりも激坂がある山岳マラソンの方が面白くなってきた。
過去を振り返っても、もともと我々は昔から山岳マラソンに積極的に参加してきた。古くは21年前から参加していた塩江温泉アドベンチャーマラソンもあったし、これと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会である四国カルストマラソンもあった。どちらも今は無くなってしまったが、四国カルストマラソンの後継大会として始まったのが今回の龍馬脱藩マラソンなのだ。
とは言え、北山林道駆け足大会は距離が13km弱なので楽しいだけで終わるし、酸欠マラソンや塩江アドベンチャーマラソンや四国カルストマラソンはハーフマラソンなので、なんとかギリギリで楽しく走り終えることができる。しかし龍馬脱藩マラソンのフルマラソンは前半の20kmが登りっぱなしという超過激な山岳マラソンなので、楽しいうちに終わらず、後半は悲劇になってしまう。さすがに記憶力が悪い私でも、あの辛さは覚えているので、決して楽観的にはなれない。
〜 檮原町へ出発 〜
て事で、今年は私のほかピッグ、D木谷さんがフルマラソンに出て、支部長、國宗選手がハーフマラソンに出ることとなった。さらにD木谷さんの弟子のT村さんも一緒に行くことになった。田Mさんは今年のオリーブマラソンでも一緒に参戦した若手ランナーで、フルマラソンは徳島マラソンに次いで2回目という初心者だ。もちろん、経験が初心者というだけで、スピードは私らより圧倒的に速い。
メンバーが6人になったので、車の選択肢が少なくなった。5人までだったらハーフマラソンで身体へのダメージが少ない支部長に出してもらえばいいんだけど、支部長の車は6人は乗れないから、選択肢は私かピッグだ。行きはいいけど帰りは疲れ果てているから、私は運転したくない。
(幹事長)「ここはピッグに大役を仰せつけよう」
(ピッグ)「いえいえ畏れ多うございますので、遠慮させていただきまする」
という美しい譲り合いが続いたが、私がレース後に再起不能になるのは明らかなので、最終的にはピッグに強引に押しつけた。
出発は早朝だ。初めて大会に参加した3年前は民宿に泊まったが、一昨年から早朝に出発して日帰りしている。宿泊場所を探すのに疲れ果てたからだ。このマラソン大会は、エントリー自体は他のマラソン大会に比べて楽勝だが、一番のハードルは宿泊場所の確保だ。
(國宗)「一番のハードルは厳しいコース設定じゃないんですね」
日本全国、超マイナーな草レースも含めて、どんなマラソン大会も受付開始と同時に即日完売してしまう末期的な昨今の状況の中、何日経っても受け付けてくれる龍馬脱藩マラソンは貴重な存在と言えるが、宿泊場所の確保が極めて難しい。このマラソンが人気薄な理由は、コースが厳しいからだけでなく、宿泊場所に困るからだ。宿泊場所が無くて参加できない人が多いのだ。たぶん。
距離だけ考えれば、所詮は四国内なので、高松から日帰りも不可能ではないような気もするが、初めてエントリーした時にH本さんに聞いてみた。
(幹事長)「檮原まで高松から日帰りは難しいよねえ?」
(H本)「何言ってるんですか!当たり前でしょ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」
(幹事長)「て事は、檮原町に泊まるんよね?」
(H本)「今頃探しても泊まるところは無いですよ」
(幹事長)「え!?そうなん?」
檮原町は高知の、というか四国の山の中にある。かなり不便な場所なのだ。スタートとゴールは檮原町役場だから、檮原町の中心部に泊まることができれば良いんだけど、檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、これは立派なホテルだ。さらに雲の上のホテルの別館でマルシェユスハラというのがあり、こちらも普通のきちんとしたホテルだ。H本さんも毎年、そこに泊まっているとのことだ。でも、これらの予約は極めて難しい。
(H本)「私たちは毎年、そこに泊まって出場してるんだけど、帰る時に翌年の予約をして帰ってますよ」
(幹事長)「どっひゃあーっ!」
一応、電話で確認してみたけど、けんもほろろだった。雲の上のホテルもマルシェユスハラも、どちらも僅か15室しかないので、一見さんが入り込める余地は無いのだ。町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、マラソン大会のホームページを見て民宿をピックアップした。檮原町内に民宿は全部で10軒ほどあるが、檮原町はかなり広いうえに、基本的に山間部なので、同じ町内と言えどもマラソン会場の役場の近くでないと移動が大変だ。なので、現実的な宿泊候補となるのは5軒だった。どういう施設なのか情報が極めて少ないので、片っ端から電話を掛けてみた。ところが、恐れていたとおり、ことごとく満室だ。どこも数部屋しかないような小さな民宿なので、マラソン大会が開催されるとなれば、たちまち全部満室になってしまうのだ。
でも、半ば諦めつつ最後の民宿に電話したら、直前でキャンセルが出たとのことで、1部屋だけ空いていた。ラッキーだった。ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、「高齢のため食事を作るのが大変だから」と言う説得力の無い理由で難色を示す。かなり粘ったが、頑なに抵抗され、押し問答の末、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。
結局、民宿に泊まっても、風呂も古くて狭くて設備はイマイチだし食事も出ないのであんまり快適ではない。しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまい、マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。て事で、一昨年から早朝出発の日帰り路線に変えたのだ。
車で日帰りするためには、高松を5時には出発する必要があるが、小豆島オリーブマラソンだって奴隷船に乗るためには5時に家を出て港へ行かなければならないから、早起きという点では同じだ。朝、早起きして5時に家の外でピッグ車を待っていると、10月の早朝だというのにTシャツ1枚でも全然寒くない。数日前から異常なほど高温になってきたのだ。ただし、山の中のマラソン大会なので、暑くて困るって事にはならないはずだ。仮にスタート地点の檮原町役場辺りが暑かったとしても、しばらく走って標高が高くなると気温はどんどん下がってくる。むしろ、下界が暑いくらいでないと山の上は寒くなるだろう。
また、今日は雨の心配は無さそうだ。冒頭にも書いたように、今年の夏はマラソン大会の中止が続いて散々だった。しかも、なんと今回も台風が近づいてきていて心配させられた。ちょうど1週間前には台風24号が日本を直撃して大暴れしたが、それと全く同じような進路で強烈な勢力の台風25号がやってきていたのだ。またまた台風で中止になるかもしれないと恐れていたが、なんとか今回は朝鮮半島よりの進路となり、直撃は免れた。
5時にピッグの車がやってきて、予定通り5時に高松を出発できた。
車の中で朝食のおにぎりを食べながら車は順調に進む。四国山地の山の中では、時折雨が降ったりしたが、山を越えて高知に入ると天気は良くなってきた。
途中で高知のおんちゃんからメールが入る。今年も去年と同じように「郵便局の前で待ってる」との事だったので、郵便局の前まで行き、すぐ近くの車を停められる場所に案内してもらう。臨時駐車場に停めても、それほど遠いわけではないから、それほど大きなメリットでは無いように思えるが、そんなことはない。朝は元気だから臨時駐車場から会場まで歩くことも可能だが、レース後は立つのもやっとの半身不随状態になるので、臨時駐車場まで歩いて行くのは不可能になる。なので、会場のすぐ近くに車を停めることができるのは、本当に助かります。
〜 会場到着 〜
会場に着いたら8時頃だった。フルマラソンのスタートは9時なので、まだ十分に余裕がある。受付で参加賞のTシャツや雲の上のホテルの温泉券、檮原町内で使える200円の商品券なんかをもらった後、着替えに移る。
(國宗)「今日も着るもので悩むんですか?」
(幹事長)「ふふふ。実はもう着ているのだよ」
この大会は事前にゼッケンが送られてくるので、今日は既にゼッケンを付けたTシャツを着ているのだ。
普通のマラソン大会なら、この季節は着るもので悩む必要は無い。いくら天気が良くても、もうメッシュの袖無しシャツを着るほど暑くはないし、雨が降ったって走っていれば寒くはないから、半袖シャツを着ればいい。しかし、脱藩マラソンのフルマラソンのコースは普通ではない。折り返し点の標高が高く、単純に考えても気温は低いし、おまけに山の上は曇りがちで、肌寒くなる可能性があるからだ。しかも、ガンガン走れるのなら体は熱くなるだろうけど、坂が尋常じゃなく厳しいので、終盤はトボトボと歩く可能性が高く、そうなると体が冷えてくる。
て事で、選択肢は3つある。
@ 半袖シャツ
A 長袖シャツ
B 半袖シャツと長袖シャツの重ね着
一昨年はスタート時点で既にちょっと肌寒かったからBを選択したが、スタートしたら天気が良くなって暑くなり、すぐに下に着た長袖シャツを脱いで腰に巻いて走り、そのまま最後まで再び着ることは無かった。去年は空は曇ってるけど寒くなかったから、@の半袖シャツにしたら、なんとか最後までしのげた。今年はまだ雲があって日射しは無いが、それでも寒くはないくらいだから、このまま天気が良くなると暑くなる事はあっても寒さの心配をする必要は無さそうだ。なので迷わず@の半袖シャツを選択したのだ。
着るのは5年前の大阪マラソンでもらったTシャツだ。たいていのマラソン大会は参加賞としてTシャツをくれるが、デザインとしてはイマイチのものが多く、持てあまし気味だ。その中で、この大阪マラソンのTシャツは、これまでもらったTシャツの中で群を抜いて素晴らしいデザインなので、とても愛用している。
気になるのがタイツだ。私はタイツのサポート機能を信じていないから、タイツは防寒用として寒い時にだけ履いている。ところが龍馬脱藩マラソンは2年連続で足が痛くなったり足が攣って走れなくなったので、タイツのサポート機能に心が迷うのだ。ふと見ると、ピッグがタイツを履いている。ピッグは長らくタイツを拒んでいたんだけど、最近は積極的に履いている。
(ピッグ)「去年もタイツを履いて調子良かったから、今年もサポート機能に期待してます」
かなり悩んだが、最終的にはタイツのサポート機能を心から信じられず履かなかった。履くのが面倒くさかっただけだが。
そのほか、帽子は鬱陶しくて嫌いなのでやめにしたし、手袋も不要だ。ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュのほか、足攣り防止用のジェルも入れた。
準備もできたので、スタート地点に移動して、大会マスコットキャラクターの龍馬と一緒に記念写真を撮る。
坂本龍馬と一緒に記念撮影
スタート時間が近づいてきたので移動していると、会社のOBの恋さんに会う。鯉さんとはオリーブマラソンでも会ったし、年に2〜3度はマラソン大会で出会う。
さらに四痙攣の航路さんにも会う。航路さんは去年、ピッグを献身的にサポートし、ピッグの快走に貢献した。今年も同じパターンで走るのだろうか。
このマラソン大会は定員が1500人だが、エントリーしているのはフルマラソンが483人、ハーフマラソンが687人、10kmの部が371人で、フルマラソンはハーフマラソンより少ない。しかも参加者の総数も少ないけど、女性の参加者はさらに少なく、フルマラソンは男子が420人で、女子は全体の1/8の僅か63人だ。ハーフマラソンでは女子が1/4ほどいるし、10kmの部では全体の半分近くが女子だから、いかに女子がフルマラソンを避けているのかが分かる。
最近のマラソン大会は女性の参加者も多いんだけど、このマラソン大会のフルマラソンは超厳しいから女子の参加者が少ないのだ。逆を言えば、こんなレースに参加する女性って相当な実力者に違いないから、決して女性だからと言って侮ってはいけない。もちろん男性だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高い。
(おんちゃん)「今年はどれくらいでいくつもり?」
(幹事長)「普通のマラソンと違うから、取りあえず控えめに5時間半」
普通のマラソンなら、いくら私でも5時間をオーバーしたら惨敗だ。最近では、5時間をオーバーしたのは過去2年の龍馬脱藩マラソンと去年の那覇マラソンくらいだ。なので、フルマラソンなら最低でも5時間はクリアしないと恥ずかしいが、この龍馬脱藩マラソンに限って言えば、これまでの実績を考えると、5時間ですら容易ではない。それでも、もうちょっとマシなタイムを目指したいし、心の中では、できるだけ5時間に近いタイムを目指しているが、公式発言としては5時間半を目標タイムとすることにした。
(おんちゃん)「僕も今年は5時間半を切れたら良しとしよう」
(幹事長)「え?なんで?」
おんちゃんは実力者なので、いくら龍馬脱藩マラソンと言っても軽く5時間を切る力はあるはず。以前は龍馬脱藩マラソンのフルマラソンを走った翌週に四万十ウルトラマラソンで100kmを走っていたくらいだから、体力的にも問題はないはず。でも、最近、仕事が忙しくて練習が全然できてないため、体重も増えたし、走力も落ちているとのことだ。
控えめな目標として5時間半ってことにしたが、過去2年のタイムがひどかったもんだから、5時間半を切れれば大会自己ベストって事になる。どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。この大会で大会自己ベストを出すことはそんなに難しい事ではないように思える。大会自己ベストって言ったって、対象になる記録は大惨敗した一昨年と大々惨敗した去年のものしかないからだ。2年とも終盤に足が痛かったり攣ったりして動けなくなったからの大惨敗記録なので、それを防げればクリアできるタイムだ。
(ピッグ)「今年の秘策はあるんですか?」
(幹事長)「足攣り予防のジェルだ!」
今年の海部川マラソンでは、途中で足攣り予防のジェルを食べたおかげかどうか分からないが、最後まで足が攣らずにちゃんと走れ、最近では珍しく良いタイムでゴールできた。ジェルの効果かどうか全く分からないが、取りあえず今回もカルシウムやマグネシウムが入ったジェルをポケットに入れたのだ。
(支部長)「それだけ?」
(幹事長)「それだけ」
一昨年は初めての脱藩マラソンのフルマラソンって事で、割りと練習した。距離は大して走らなかったけど、毎週、飯野山や大麻山に走って上って坂道の練習を積んだ。おかげで坂に対する恐怖心は無くなったし、実際に前半の20kmの過激な上りは歩くことなく順調に完走できた。ところが、なんと楽勝の予定だった後半の下りで足が痛くなって走れなくなったのだ。走れないどころか歩くこともできなくなり、途中で休みまくって大惨敗した。つまり、作戦が間違っていたのだ。山に上って上り坂のトレーニングさえ積めば、後半は下りだから何とでもなると思ったのは甘かったのだ。前半の上り坂で力を使い果たしても、後半は下りだから放っておいても帰ってこられると思ったのは間違いだったのだ。上り坂の練習さえすれば通用するようなコースではなかったのだ。
て事で、去年は大会前に坂を上るような練習はしなかった。て言うか、ロクに練習はしなかった。なぜなら素晴らしい作戦を思いついたからだ。一昨年は、前半はずっと上りで後半は基本的には下りが続くから「前半の上りさえ乗り切れば、後半はずっと下りなので多少くたびれても帰ってこられるから、前半で全力を使い果たしても大丈夫だ」なんていう大きな勘違いをしたため大惨敗を喫した。前半に力を使い果たしてしまったら、後半は下りでも足が動かなくなるのだ。その反省から、去年は徹底的に前半を抑えて走ることにした。実は、この大会に限らず、最近はフルマラソンに出る場合、前半はできるだけ抑えるようにしている。どんなレースでも最初は軽快に走れて「なんだか今日は調子いいな」なんて勘違いするんだけど、それは気分が高揚しているのと、始めだからまだ元気が有り余っているのと、周囲のランナーにつられているだけだ。そのまま調子に乗って飛ばしたら絶対に後半に撃沈する。なので、できるだけ抑えて走らなければならない。それは一昨年だって分かっていたが、あまりにも過激なコースに対して、前半の抑え方が足りなかったのだ。前半は無理せずに抑えて走ったつもりだったが、それなのに後半に足が痛くて走れなくなったって事は、あれでも前半に無理が生じていたって事だ。抑えて走るとは言っても、わざとゆっくり走ることまではせずに「決して頑張らず自然体で走る」っていう程度だった。そしたら、自分では抑えて走っているつもりで、どうしても高揚感のせいで少しは無理していたって事だろう。つまり、自然体で走ってはいけないのだ。自然体で走るってことは、高揚感のせいで調子に乗って走っているってことなのだ。なので、意識的に徹底的に抑えて走る作戦を立てた。そして、折り返し点の前にある2〜3kmほどの急坂は無理せず歩くことにした。最初から歩く作戦なんて、今まで考えたことも無いが、このコースに限って言えば仕方ない。このような前半を徹底的に抑えて走る作戦を思いついたもんだから、もうあんまり練習の必要性を感じなくなってしまい、あんまり練習しなかった。一昨年は練習しても通用しなかったから、去年は練習じゃなくて作戦に賭けてみることにしたのだ。そして、その結果は、一昨年を上回る大々惨敗だった。
(支部長)「その2年連続の大惨敗の結果がジェルだけ?」
(幹事長)「もう1回だけチャンスをくれ」
一昨年は前半の抑えが足りなかったと思う。一方、去年は前半を抑えすぎたと思う。なので、今年はその中間くらいの抑え方で走ろうと思うのだ。
(支部長)「さっぱり意味が分からんが」
(幹事長)「自分でも意味が分からん」
要するに、一昨年のように調子に乗って走ってはいけないが、去年のように前半から歩くような事はしない。
(支部長)「それだと足が攣らないわけ?」
(幹事長)「単なる希望です」
3回も走れば1回くらいはマシなタイムが出てもおかしくないかな、という根拠のない楽観的な希望にすぎない。
〜 スタート 〜
空は雲も少なくなり、日射しが出てきた。でも、まだ暑いってほどでもない。ちょうど良い感じだ。
去年はゲストランナーとしてはるな愛が来てて、スターターを務めていたが、今年はゲストランナーはいないようだ。ゲストランナーなんていてもいなくても関係ないので、経費削減のためには来なくていい。そもそもこんな山の中のマラソン大会にわざわざゲストランナーを呼ぶ必要はない。それに、超過激なコースの龍馬脱藩マラソンなんだから、出場する人は強者ばかりで、ゲストランナーが来るからって参加する人なんていない。そんなミーハーが参加できる大会ではない。
それで大会関係者の誰かがピストルの号砲を鳴らし、ランナーが一斉にスタートした。参加者は500人弱のマイナーな大会だが、チップでネットタイムを計測してくれるから、スタートで焦る必要は全く無い。て言うか、所詮、参加者が少ないので、グロスタイムとネットタイムの差は10秒くらいだ。
今日はできるだけ前半は抑えて走るけど、去年ほど無理して抑えることはしない。おんちゃんも同じような作戦で行くとのことで、とりあえずおんちゃんと一緒にゆっくり走り出す。すぐ前方にスタンバイしていたD木谷さんとT村さんのコンビはどんどん背中が遠ざかっていく。一方、ピッグと航路さんのコンビは我々より後にいるようだ。
このマラソン大会のフルマラソンに出るランナーはレベルが高いが、決して最初からグングン飛ばしていくランナーが多い訳ではない。ゆっくり走る我々と似たようなペースのランナーも多い。みんなも前半は抑えて走っているのだ。
最初の1kmはほぼフラットだが、1km地点のラップを見ると6分を少しオーバーしている。スタート直後の混雑を考えると、こんなものだろう。
1km地点を過ぎると、上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、こんな所で頑張ってはいけないので、ペースを落とす。そしたら2km地点でのラップは一気に1km7分近くになっていた。
(幹事長)「うわ、いきなり7分もかかっている」
(おんちゃん)「上り坂やからそんなもんやで」
次の1kmは、ますます坂が厳しくなる。ここの坂って、こんなにきつかったかなあ。こんなに長かったかなあ。日射しは少し強くなり、だいぶ暑くなってきて、早くも汗びっしょりだ。
厳しい坂が終わると3km地点があり、この1kmは7分半もかかっていた。ま、しかし、取りあえず序盤の坂はこれで終わりだ。
3km地点を過ぎるとトンネルが2つある。最初のトンネルは短く、ほぼフラットで、2つ目のトンネルは少し長く、緩やかな下り坂になっている。トンネルを出ると今度は一気に急な下り坂となる。かなり急な坂で、ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから自重しなければならない。とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、割りと難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。金さんなんかは小股でチョコチョコと走るのが良いってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。
てな事で、あまり無理してブレーキをかけるのは止めて、軽く自然体で駆け下りていくと、下り坂の途中の4km地点では1km5分半くらいだった。ちょっと速いような気もするけど、下り坂もすぐ終わるので、問題ないだろう。
下り坂を下り切ったところに最初の給水所がある。暑くて早くも喉が渇いてきたので、スポーツドリンクを頂く。足攣り防止のため、今日はタイムを惜しんで給水所をパスすることなく、こまめに給水していくつもりだ。
給水所を過ぎると再び上り坂になる。ちょっとだけきつい上り坂だが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。5km地点で見たラップは1km6分ちょっとだ。おんちゃんはずっと一緒に走ってくれている。
(幹事長)「私の事は気にしないでどんどん先へ行ってくださいよ」
(おんちゃん)「いや、今日は私もこれくらいがちょうどいいんよ」
ここから10km地点までは、時々、急な坂もあるが、基本的には緩やかな上り坂が続くはずだ。そして、ここから距離表示が2.5kmごとになる。なんで1kmごとに表示してくれないのか不満が残るが、尋常ではない急坂のコースなので、あんまり細かいペースを気にしても仕方ないだろうって事かもしれない。
山の中を走る道なので、人家は少なく、沿道で応援してくれる人も少ない。それでも、村人ほぼ総出で応援してくれているようで、あちこちに道ばたにおじいちゃんおばあちゃん達が座りこんで応援してくれる。さらに、川の向こう側で農作業しているおばちゃんが手を振って応援してくれたりして、とても暖かい雰囲気で嬉しい。もちろん、できる限りこちらも手を振り返す。
緩やかな坂が続く7.5km地点でのラップを見ると1km6分半くらいに落ちている。いくら緩いとは言え、上り坂の区間なので仕方ないか。天気はすっかり良くなり、日射しが照りつけるが、今日は適度に風があり、涼しくてとても気持ちいいので、気分も良い。
さらに緩やかな坂を2kmほど走るとハーフマラソンのコースとの分岐に差し掛かる。ハーフマラソンのコースは右の集落に入っていくが、フルマラソンのコースはそのまま真っ直ぐ進む。そこを過ぎると10km地点があり、時計を見ると、さらにペースは落ちている。やはり徐々に坂は傾斜を増しているのだろうか。10km地点には3つ目の給水所があり、ここでも水分を補給する。
10km地点を過ぎると、人家もほとんど無くなり、沿道で応援してくれる人もほとんどいなくなる。こうなると精神的に厳しい。ただ、今年はずっとおんちゃんが併走してくれているので、精神的に非常にありがたい。一人で走っていると、ついついペースが落ちていくが、一緒に走ってくれる人がいると、頑張りが出てくる。
10km地点の直後は下り坂がある。短い下り坂が終わると再び上り坂が始まり、傾斜は確実にきつくなっていく。まだ歩くのは早すぎるが、決して無理をしてはいけない。
12.5km地点でのラップは、遂に7分をオーバーしていた。ここには4つ目の給水所があり、今日は暑くて汗も大量に出ているので、パスすることなくこまめに給水する。
坂はますますきつくなっていき、15km地点でのラップは1km8分に近づいてきた。
(幹事長)「めちゃペースダウンしましたねえ。遠慮せずに前に行ってくださいよ」
(おんちゃん)「いやいや、これくらいで余力を残しておいた方がいいって」
しばらく進むと5つ目の給水所があり、ここでもしっかり水分補給する。ついでにチョコレートや塩飴なんかも頂く。
この辺りで、早くもトップの人が折り返してきた。2人が競り合っている。熾烈な戦いだ。かなり間を開けて3位の人が駆け下りてきたが、1人で追うのは苦しいだろうな。
坂はますます急角度になってきて、しばらく進んだ17.5km地点でのラップは、なんと一気に1km9分をオーバーしてしまった。
去年はここらで無理せずに歩いたが、今年はおんちゃんと一緒に淡々と走っていく。走っていくと言っても、歩いている人とそんなに変わらないペースだ。スピードが変わらないのなら、歩いた方が良いじゃないかって思えてもくるが、そんなに無理している訳でもないので、取りあえずペースを保つために走っていく。
折り返して走ってきてすれ違うランナーが増えてきたが、まずT村さんが予想通り上位で走ってきた。しかし、後が続かない。ますます過激になった坂を過ぎても誰も現れない。見落としてしまったのかなあ、と思っていたら、ようやくD木谷さんの姿が見えた。私らとそれほど離れていない。今日はイマイチなんだろうか。
(おんちゃん)「今年は最後の山道はあるんかなあ?」
(幹事長)「折り返してくるランナーの靴が汚れてないから、今年は無いかもしれませんね」
このコースは、本来なら折り返し点の少し前で舗装された道路から外れ、山道に分け入っていく。一昨年は山道が土砂崩れで走れなくなっていたため、そのまま舗装路を走ったが、去年は復旧して、本来の山道に入っていった。この山道は最初は下りになっていて、しばらく下った後、厳しい上りを上り返さなければならない。あまりにも急なため、走るのは到底不可能な山道で、膝に手をつきながら登っていくしかない。おまけに雨の後だと草が濡れて滑りやすくて、下りでも飛ばす事はできないし、土のところはベチョベチョになって歩きにくい。
しかし、今年は、山道の入口に係の人が立っていて、「今年は山道は無しですよ」ということで、そのまま舗装路を進むコースになっていた。去年は、この山道で最後のトドメを刺されたので、今年は山道が無くて良かった。
折り返し点の前には小さな広場があり、給水所がある。ここで水分補給と共にバナナを頂く。
広場を出て少し進んで高知県から愛媛県に一歩入ったところに折り返し点が現れる。これで今年も無事に脱藩できた。ここでもスタート前と同じように、大会マスコットキャラクターの龍馬と一緒に記念写真を撮る。
再び坂本龍馬と一緒に記念撮影
この折り返し点は20km地点だ。フルマラソンの折り返し点だけど、まだ21kmには達していない。なぜなら後半の途中で集落に入り込む区間があるからだ。
20km地点でのラップは、なんと遂に1km10分に達してしまった。でも、まあ、前半20kmがちょうど2時間半で、平均が1km7分半だから、残りの下りを1km7分くらいのペースでのんびり走れば、5時間くらいでゴールできる。下り坂なんだから1km7分くらいでは走れるだろう。なーんて期待するのは考えが甘い。一昨年がまさに同じパターンだった。「意外に楽勝じゃん」なんてほくそ笑みながら下り坂を駆け下り始めたが、途中で足が痛くなって、終盤は下り坂なのに休んだり歩いたりの繰り返しで大惨敗したのだ。なので、今日は変な期待はしない。せめて前半くらいのペースで帰り着けば良いって気持ちだ。
後半は、さっきまでの厳しい上り坂から一転して激しい下り坂となる。一気に転げ落ちたいところだが、坂が急すぎて、ここをガンガン走ると足に大きな負担になりそうなので、調子に乗らずに抑えながら走る。去年は前半の終盤を歩いたにもかかわらず、後半の急激な下り坂になったとたん足が攣ってしまった。下り坂でブレーキをかけるために太ももの前が攣るのなら分かるけど、なぜか脹ら脛が攣って走れなくなってしまった。上り坂と違う足の使い方になったため、そういう事になったんだろうか。今年は前半の登りを最後まで走ったにもかかわらず、まだ足は大丈夫で、普通に走れる。なぜか分からないが、去年よりマシなのは確かだ。
しばらく走ると中間点の表示がある。折り返し点までの前半ではピッグとすれ違わなかった。折り返した後も、この中間点までピッグとすれ違わなかった。いくらなんでも、ゆっくりゆっくり走っている我々より遅いとは思えないので、見落としたのかなあと思っていた。そしたらなんと、ここで航路さんとすれ違った。あの実力者の航路さんとは思えないスローペースだ。どうしたんだろう。しかも一緒に走っているはずのピッグの姿は見えない。
(幹事長)「どうしたんですか?ピッグは?」
(航路)「もうちょと後です」
なんとまあ、ピッグはまだ後とのことだ。確かに、さらにしばらく走ると、ようやくピッグの姿が見えた。
(幹事長)「どうしたん?何かあったん?」
(ピッグ)「いやいや、抑えて走ってますから」
抑えて走るったって、我々だって相当抑えて走っている。その我々よりはるかに後を走っているなんて、異常なスローペースだ。ただ、表情は明るいし、元気そうなので、故障ではないようだ。これがピッグの今年の作戦なのかも知れない。
しばらく進むと22.5km地点があり、1km6分ほどのペースアップしていた。急激な下り坂だから、それくらい出ても不思議ではない。
さらに少し走ると女性が道端に倒れていた。既に大会関係者の車も到着していたが、心臓とかじゃなくて足が痙攣しているようだ。去年の私と同じように、急激な登りが終わって急激な下りになった所で足が麻痺したようだ。やはり、そういう事ってあるようだ。
その後、坂の下り勾配が少し緩やかになったため、だいぶ走りやすくなってきた。これくらいの傾斜だと、無理してブレーキをかける必要は無く、自然にまかせて下っていけば良いので走りやすい。
ところが、ここへ来て左足の股関節が痛み始めた。以前は股関節なんて痛んだ事は無かったんだけど、最近、少し痛むようになってきた。理由は分からないが、老化が進むと色んな所が痛み出すんだろう。まあ、しかし、それも慣れてきたので、あんまり心配はしない。
おんちゃんと一緒に淡々と走り続けると、25km地点では1km6分半くらいだった。
さらに次の27.5km地点でもペースは変わらず1km6分半くらいだ。去年よりは、まだ足がもっている。でも、足の疲れは着実に溜まってきたみたいで、足取りが重くなってきた。ここには給水所があったので、ここで水と一緒にジェルを食べる。この足攣り防止のためのジェルは、今年、初参加した海部川マラソンでも途中で飲んだが、走りながら吸い込んだもんだからむせてしまい、大変な事になった。水分が気管に入った場合は咳き込んで出そうとするんだけど、濃厚なジェルが気管に入ってしまったもんだから、そこでジェルが詰まってしまって息を吸い込むことができなくなってしまい、咳き込むこともできず、息をすることができなくなった。マラソン大会で走っている最中に呼吸が停止するなんて、もう大変というか危険な状態になったので、今回は給水所で立ち止まってから水と一緒に慎重に飲むことにしたのだ。
そのうち、傾斜がさらに緩やかになり、下っているのか上っているのか分からないような区間になった。目で見ると下っているような気もするが、体感としては上っているような苦しさだ。
(幹事長)「もう少しで集落に入っていく周回区間ですよね」
(おんちゃん)「あれって嫌だよねえ」
ハーフマラソンのコースは9kmほど走ったら、本道からはずれて集落に入ってぐるっと3kmほど一周するんだけど、フルマラソンのコースも帰路は同じ集落コースに入っていくのだ。折り返し点からずっと下り坂が続いてきたのに、この集落コースに入るといきなり上り坂がある。ハーフマラソンなら半分くらいの地点なので、まだまだ元気だからどうって事ない上り坂だが、フルマラソンの場合は30kmを過ぎてからなので、足が痛くて辛い区間になる。できることなら、折り返し点をずっと先に延ばしてもいいから、帰路の途中の集落コースは廃止にして欲しいなあ。
まだ足は痛くなってないけど、ペースは落ちる一方で、30km地点で見たら1km8分半近くにまで一気にペースダウンしていた。
そして、いよいよ30km地点から集落の中に入っていく。本当に嫌になる集落コースだ。ただ、一昨年も去年も、この時点で足が痛くなって走ることができなくなったが、今年はまだなんとか走り続けられる状態だ。もちろん、走っても歩いている人と似たようなスピードだけど、それでも一応、なんとか走り続けられる。かなり苦しくなってきているから、一人で走っていたら、たぶんもう歩き始めていると思うが、一緒におんちゃんが走ってくれているので、なんとか心が折れずに走り続けられる。本当にありがたい存在だ。
3kmの集落コースが終わりかけるところに32.5km地点があるが、走り続けた結果、1km7分半ほどのペースに戻っていた。素晴らしい。これならなんとか好タイムで帰れるかもしれない。
集落コースが終わって本道に戻ると、後は10kmほど基本的に緩やかな下り坂を走っていく。これくらいの緩やかな下りが一番走りやすい。なーんて思って走っていると、突然、足がピキピキと痙攣し始めた。遂に両足の脹ら脛が攣り始めてしまったのだ。今日は水分補給もこまめに行ったし、先ほどは足攣り防止のためのジェルも飲んだと言うのに、結局は、この終盤で去年と同じように足が攣ってしまった。さすがに走れなくなって、立ち止まり、屈伸したりするが、再び走り始めると、とたんに攣ってしまう。
てな事で、立ち止まったり走ったりしていると、なんとここでいきなりピッグが後から追い抜いていく。めちゃ快調なペースだ。今頃、こんな所でこんな快調なペースで走れるなんて驚異的だ。やはり前半の徹底したスローペースが功を奏したのだろうか。
一方、私は走ったり立ち止まったりしているうちに、とうとう完全に足が攣ってしまって、走ることができなくなった。こら駄目だ。仕方なく歩き始める。歩いていても攣りそうだ。
(幹事長)「しばらく走るのは無理っぽいから、先に行ってください」
(おんちゃん)「いや、私も限界やな」
と言って、おんちゃんも歩き始めた。ただ、私は足が攣らないようにゆっくり歩いているのに対しておんちゃんはまだ早足で歩けるようで、少しずつ離れていった。
せっかくの下りなのに、足を引きずってトボトボと歩くのは情けない。去年と全く同じパターンだ。いや、去年よりひどい。去年はしばらく歩いたらなんとか騙し騙し走れるようになって、超スローペースだが走ることができた。今年は少しでも走ろうとすると、すぐに足のあちこちが攣ってしまう。歩いていても攣りそうで、ゆっくり歩くしかない。
35km地点でのラップは1km10分を大きくオーバーしていたが、このままだとさらにペースダウンしていきそうだ。
などと絶望的な気分で歩いていると、なんとここでいきなりD木谷さんが後から追いついて声をかけてくる。
(D木谷)「おや?どこで抜かれたんでしょうねえ」
(幹事長)「それはこっちのセリフですがな。どこにいたんですか?」
D木谷さんは今日もらったばかりのTシャツを着ているが、同じTシャツを着ている人がたくさんいるから、追い抜く時に気付かなかったのだろう。それにしても、折り返し点でも私のすぐ前を走っていたから、今日は調子が悪いんだろうとは思っていたけど、この私が追い抜いていたなんて、よっぽど調子が悪いようだ。
(幹事長)「足が攣って走れなくなったんですよ」
(D木谷)「私も大惨敗で何の目標も無くなったので一緒に歩きますよ」
て事で一緒に歩き始める。
(D木谷)「残りを全部歩いても制限時間内には帰れるでしょう」
(幹事長)「う〜ん、微妙なところですね」
残りの距離は7kmで、制限時間の6時間まであと1時間半ちょっとだ。つまり時速5kmで歩けば大丈夫だ。普通に歩けば時速5kmくらいだろうから、一見、楽勝のように見える。しかし今の私は普通に歩くのも容易ではない。痛みをこらえて必死で歩いてなんとか達成できるかどうか、と言ったところだ。しかも終盤のトンネルの前には激坂が待ち受けている。あそこを時速5kmで乗り越えるのは不可能にも思えてくる。
この辺りだって、緩やかながら下り坂のはずだが、今の私には上っているんじゃないかって思えてくる。遂に残り5km地点の表示が現れたが、ペースはなんと1km14分に達していた。歩いたり立ち止まったりの繰り返しだから仕方ないにしても、このペースでは制限時間内に帰ることすら不可能になってくる。どこかで走らなければならない。
そして、いよいよ最後のめちゃめちゃ急な上り坂が現れた。序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急坂だ。ここを上らなければならない。もちろん、歩き続けるしかないのだが、どれくらいのペースで歩けるかが問題だ。なんとなくだんだん足の攣りも収まってきたので、できるだけ積極的に歩く。長い長い厳しい坂を上ると、トンネルに入る。このトンネルに入ると傾斜が緩くなるので、走ることができるかなと思って走り始めるが、すぐに力尽きた。まだ走るのは無理のようだが、頑張って歩いていると、ゆっくり歩いている人を追い抜いたりする。
長いトンネルが終わり、次の小さなトンネルに入ると坂も終わり、ほぼフラットになった。トンネルが終わると、ようやく残り3km地点の表示がある。積極的に歩いたと思っていたけど、上り坂だったため、ペースは1km13分近くかかっている。さすがに危ない。そして、ようやく走ることができそうな感じになってきた。
(幹事長)「なんとか走れそうなので、走りましょう」
(D木谷)「大丈夫ですか?」
最後までは走れなくても、少しでも貯金が欲しい。てな事で走り始めると、かなり歩いてきたおかげで足攣りの危機は遠ざかったみたいで、なんとか走っていける。
ここからはゴールまで下り坂なので、足さえ攣らなければ重力のおかげで自然体で走って下りていく事ができる。よろめいたり躓いたりしながらも、なんとかヨタヨタと走り続ける。
〜 ゴール 〜
スローペースながら最後の3kmはなんとか走る続けることができた。最後はゴール前にとても短いけど上り坂がある。あまりにも短いから、どうってことない坂だけど、痺れた足には辛い。
(D木谷)「歩きますか?」
(幹事長)「いえいえ、高校生に無様な姿は見せられませんから」
ゴール前には地元の高校生が総動員で声援を送ってくれているので、ここで歩くわけにはいかない。なんとか足にむち打って、D木谷さんと一緒にゴールした。
結局、タイムは去年よりはマシで、さらにギリギリだけど一昨年のタイムよりもマシだったような気がする。去年のタイムも一昨年のタイムもはっきりと覚えている訳ではないが、たぶん去年や一昨年のタイムよりはマシだったと思う。て事は、大惨敗ながら一応は大会自己ベストと言うことになる。ひどいタイムだが、一応は喜ばしいことだ。
周りを見渡すと、なんとおんちゃんがすぐ前にゴールしていたようだ。
(幹事長)「お疲れ様!」
(おんちゃん)「あれ?もうゴールしたん?ほとんど一緒やったんや」
(幹事長)「最後は復活して走りましたからね」
おんちゃんは最後まで歩いたようで、一時は開いていた差が縮まり、結局、ほぼ同タイムでのゴールになったようだ。
一方、昨年は私と同様、フルマラソンの自己ワースト記録を出したピッグは、今年はだいぶマシだったようだ。明らかに作戦が成功したようだ。やはり前半のペースを抑えるのなら、あれくらい徹底して抑えなければならないのだろう。でも、これまでピッグをサポートして一緒に走っていた航路さんは、今日は私以上の大惨敗だった。
(航路)「最近、全然練習ができてなくて。やはり練習しないと無理なコースですね」
異動で職場が変わり、忙しくなって練習時間が取れないんだそうだ。私なんか、練習時間はいくらでも取れるんだけど、サボってばかりなので駄目だが。
記録証をもらうと、順位は一昨年や去年に比べたら少しマシだった。どうせ半分よりは下だから、あんまり意味は無い。
ハーフマラソンの部に出た支部長や國宗選手は、ハーフマラソンなのでダメージは少ないが、タイムはパッとしなかった。
〜 反省会 〜
ゴールして疲れ果てて座り込んでいると、同じくゴールしたばかりの女忍者さんと目があった。知り合いではないんだけど、レース中にも見かけた仮装ランナーで、何となく気心が知れているような気がして、お互いの健闘を労い合う。「レース後にアシングした」と言うから、どういう意味かと思ったら、なんとゴールした後、近くの川に飛び込んだんだそうだ。冷たくて気持ち良かったそうで、一瞬、そそられたが、足が動かない状態なので、川まで行くのは不可能だった。
たまたまマッサージしてくれるコーナーの側だったので、そこのマッサージ師に聞いてみる。
(女忍者)「普段は痛まないような股関節とかが痛むんですけど」
(幹事長)「私も妙なところが攣るんですけど」
(マッサージ師)「このコースは普通じゃないので」
累積の標高差が同じくらいであっても、細かいアップダウンが繰り返されるコースなら、上りで使った筋肉を下りで休め、下りで使った筋肉を上りで休めることができるが、このフルマラソンは前半は上る一方で、後半は下る一方になるので、筋肉の疲労が極限に達してしまい、色んなところに支障が出るらしい。
(女忍者)「どういう練習をしたら良いんですか?」
(マッサージ師)「こういうコースで練習するしかないですね」
このレースのためだけに、特別に長い坂で練習するしかないようだ。そんな辛くて厳しい練習をできるとも思えないけど。
疲れ果てたので、すぐにお弁当を食べる気力は無かったが、地元の高校生が作ってくれる豚汁が暖かくて美味しかった。
その後、タダ券をもらっている雲の上のホテルの温泉へ行く。今年はちょうどタイミングが良く、ギリギリで待たずに入れた。露天風呂に入って足を揉みほぐす。
お風呂から出て、休憩室で反省する。
一昨年に足が痛くなった反省から、去年は「前半を徹底的に抑えて走り、急な上りになったら躊躇わずに歩く」という戦術で走ったおかげで、最後まで足の痛みは出なかったが、足が攣ってしまうという想定外の事態となり、結局、一昨年よりタイムが悪かった。それで今年は足が攣らない事を最優先に考え、こまめに給水を取ったし足攣り防止ジェルも食べた。でも、今年も終盤では去年以上のひどい足攣り症状になったため、ゆっくり歩かざるを得なかった。一体どうしたらいいんだろう。
(幹事長)「て言うか、こんなフルマラソンは絶対に二度と出ないぞ!」
普通のマラソン大会なら、走っている途中は、特に終盤になると「早く終わりたいなあ。なんでこんな辛い思いをしてるんだろう。途中でリタイアしたいなあ。もうこんなマラソン大会には出たくないなあ」なんて思うけど、ゴールしたとたん、「よし、来年もまた出よう」なんて思う。タイムが良かった時は当然ながら気持ち良いから再び出たくなるし、タイムが悪かった時はリベンジしたくて再び出たくなる。ところが、この龍馬脱藩マラソンは、ここまで辛い思いをしてゴールすると、さすがにゴールした後も、もう二度と出たくないと思ってしまう。
(支部長)「去年も同じ事を言ってたやん」
去年だけでなく一昨年も同じ事を言っていた。一昨年は足が痛くなって辛くて辛くて仕方なかったから、もう二度とフルマラソンには出ないぞ、と誓ったが、翌年の春になってエントリーする時になると、リベンジしたい気持ちが沸々と沸いてきて、去年もフルマラソンに出てしまった。そして一昨年以上の大々惨敗を喫して、さすがにもう懲り懲りって気持ちになって「もう二度と出ないぞ」と固く誓ったのに、やはり悔しさが沸いてきてリベンジしたくなった。そして、結果は3年連続の大惨敗だ。もう呆れてモノも言えない。
このレースは何度走ってもロクなタイムは出ない。その事が十分に分かった。もうこれ以上、試す必要は無い。それに、3年連続の大惨敗とは言え、一応、去年や一昨年のタイムよりは少しマシだったので、一応、大会自己ベストだ。3年目で大会自己ベストを出したのなら、もうこの大会は卒業しても良いだろう。
(幹事長)「今度こそ、もう未来永劫、絶対にこのフルマラソンには二度と出ないぞ!」
(D木谷)「そう言わず来年もフルマラソンに出ましょうよ」
(ピッグ)「来年になったら絶対にフルマラソンに出たくなりますよ」
(幹事長)「だから、来年のエントリーの時に、また心が迷っていたら、厳しく注意してちょうだいね」
〜 来年こそは 〜
「もう脱藩マラソンのフルマラソンには二度と出ないぞ」と力強く卒業宣言したのだが、なんと家に帰って調べてみたら、去年のタイムよりは少しマシだったが、一昨年のタイムより僅か10秒遅かった事が分かった。
(幹事長)「大会自己ベストじゃなかったーっ!」
(ピッグ)「じゃ来年リベンジですねっ」
たった10秒だなんて悔しくて仕方ない。10秒なんて、分かっていればどこででも挽回できた。歩いたり休んだりした時間を10秒減らせば済んだ話だ。あれだけ長時間辛い思いをしたのに、僅か10秒の差だなんて、ガッカリというよりボーゼンだ。
もうこうなったら、来年こそリベンジして卒業するしかない。
去年も今年も、色々と作戦を考えたが、作戦の事ばかり考えて練習はサボっていた。やはり十分な練習が必要って事だ。
(支部長)「当たり前すぎてコメントする気も沸かないな」
来年は「ゴチャゴチャ作戦を考える前に、十分に練習を積む」という作戦で挑もうと思う。
(支部長)「去年も同じ事を言ってたような気がするなあ」
〜おしまい〜
![]() 戦績のメニューへ |