第41回 小豆島オリーブマラソン大会
2018年5月27日(日)、第41回小豆島オリーブマラソン全国大会が開催された。
今回は久しぶりに新人2人が登場した。しかも女の子が2人だ。
(ピッグ)「あのう、まさかとは思いますが、その『女の子』って幹事長の昔の同級生じゃないですよね?」
(幹事長)「さすがは一休さん。よく分かったね」
(ピッグ)「それ紛らわしいから、もう『女の子』って呼ばないでくださいっ!」
(幹事長)「じゃ『の』を取って『女子』なら文句ないやろ?」
今どき、女性はどんなに歳とっても自分達の事を『女子』って言ってるから、女子なら良いだろう。
で、女子2人のうちノラちゃんは過去に丸亀マラソンには3回出たことがあり、忍ちゃんは今年の丸亀マラソンがマラソンデビューだった。なので、2人とも初心者の域を出ない。しかし侮ってはならない。彼女たちは何を隠そう、高校時代には山岳部員だったので、体力はあるのだ。もちろん山岳部員だったのはもう40年以上も前の話なので、だいぶ衰えてはいるだろう。それでも先月末に一緒に笹ヶ峰に登った時は、登りのスピードはゆっくりしたものだったが、下りの終盤では男どもよりしっかりした足取りで最後までスイスイ歩いていたから、持久力は我々よりあるかもしれない。
マラソン大会でもよくあるのは、私らは最初は元気だから調子に乗ってガンガン走りながら、スピードが遅い中高年女性をホイホイ追い抜いていくんだけど、こっちが終盤に疲れ果ててガクンとペースダウンしてトボトボ走っていたら、序盤で追い抜いた中高年女性が最後までペースを落とさずにスイスイと走ってきて逆転されるパターンだ。彼女たちはペースは遅くても持久力があるから、最後までペースダウンせず、こっちが撃沈したら負けてしまうのだ。
とは言え、1人は丸亀マラソンは3回走ったことがあるものの、それ以外のレースは初めてだし、もう1人は丸亀マラソンを1回走っただけなので、不安爆発状態だ。なので不安感を取り除くために事前に合同トレーニングなんかもやった。
(ピッグ)「ペンギンズでは合同トレーニングなんてした記憶ないですよね」
(幹事長)「22年目に突入したペンギンズの長い歴史の中で合同トレーニングは皆無やな」
合同トレーニングの1回目は青ノ山ランニング登山だ。青ノ山は丸亀にある標高224mの低い山で、私は何度かランニング登山した事があった。山頂まで緩やかな舗装路が着いているので、ランニングのトレーニングにはうってつけだし、所詮標高が224mしかないので、初心者の彼女たちでも走れるだろうと思ったのだ。実際に走ってみると、決して速くはないが、思った以上にしっかりした足取りで、しかも最後まで全くスピードダウンすることなく走りきったので感心した。
合同トレーニングの2回目は丸亀市民球場のサマーナイトランだ。丸亀市民球場は3年前にオープンした新しい野球場で、しょっちゅう一般開放されている。そして今年の5月、6月、8月は毎週月曜日の夜にサマーナイトランと称して無料開放されている。隣の丸亀競技場なら正式なトラックがあるから分かるが、野球場で走るってどういう事だろうと思ったが、行ってみると、フェンス際だけ土でもなく天然芝でもない人工芝みたいになっていて、そこをグルッと走るのだ。普通の人工芝でもないような気がするんだけど、アスファルト舗装みたいに固くなくて、とっても走りやすいと言うか走っていて楽しい感触だ。場内には音楽も流れていて、なかなか良い雰囲気で夜の野球場を走れる。はっきりは分からないが1周400m程度らしいので、1周走るごとにタイムをチェックしながら走ると、ペースを維持しながらとてもいいトレーニングになる。この丸亀球場サマーナイトランをオリーブマラソンの1週間前に合同トレーニングとして走った。このときも、私が調子に乗って最初から飛ばしていたのに対し、彼女たちはスローペースで走っていたが、終盤にはペースダウンしてきた私としては、彼女たちに着いていくのがやっとという状態になった。やはり女性は持久力がある。
てな事で、有力新人2人が初参加した今年のオリーブマラソンだが、この大会には21年前の第20回大会から参加し続けている。随分、長い間、出場を続けてきたもんだと感慨深いが、昔はヨタヨタ走っていると地元の老人が「ふれあい賞」なんて札を掛けてくれて景品を貰えるなど、のんびりしたムードが漂ったアットホームな大会だったが、近年の異常なまでのマラソンブームにより様変わりしている。
この大会に限った事ではないが、以前は田舎のマラソン大会で定員が一杯になるなんて事はあり得なかったから、誰でも気が向いたら参加できていたのに、最近は世紀末的なマラソン狂走曲のせいで、こんなローカルなマラソン大会でも申し込み受付が始まったら、あっという間に定員いっぱいになり、油断して少しでも申し込みが遅れると参加できなくなってしまう。なので、自分も忘れないようにエントリー受付開始時間を書いたメモをあちこちに貼ると同時に、他のメンバーにもしつこく何度も注意喚起のメールを送り、全員、無事にエントリーが完了した。今回の参加メンバーは私のほか、ピッグ、支部長、國宗選手、DK谷さんといったところだ。ヤイさんは相変わらず足の調子が悪いとのことで欠場となった。一方、今年は3年ぶりにゾウさんが帰ってくる。彼女は2年前はお目出たが判明したため、応援には来てくれたけど出場はしなかったし、去年は、まだ赤ちゃんから遠く離れたところへは行かない方が良いってことで小豆島へは来なかった。しかし、子供も大きくなってきたので、今年は満を持して久しぶりに参加するのだ。
(ゾウ)「幹事長は去年は怪我で大変だったようですが、今年は体調はもう万全ですよね?」
(幹事長)「はっきり言って、もう不安は無い!」
去年はひどかった。そもそもの発端は一昨年12月の交通事故だ。12月4日開催の那覇マラソンに初めて参加することになり、嬉しくてワクワクしていたのに、その直前に交通事故で肋骨を3本も骨折してしまい、那覇マラソンをフイにしてしまったのだ。それで12月いっぱいは安静を余儀なくされ、1月からようやく軽くジョギングし始めたものの、1月初めの満濃公園リレーマラソンは想像を絶する遅さで惨敗した。それでも、2月初めの丸亀マラソンはタイムは遅かったものの最後までペースダウンすることなく余裕を持って完走できたし、さらに2週間後の京都マラソンも、途中で亀ちゃんに久しぶりに再会し、ずうっと一緒におしゃべりしながら走ってもらったおかげで、最後まで歩くことなく完走できた。て事で復活したつもりだったのに、ゴールデンウィークに剣山〜三嶺をテント担いで縦走登山したとき、最後の三嶺からの下山途中で急斜面を滑り落ちて右膝の内側側副靱帯損傷という重症を負った。そのため、ほとんど練習もできないままかろうじて本番には出場したが、空前絶後の大惨敗だった。そもそも出場すら危ぶまれたレースで、完走さえできれば上等だと思っていたので、痛みも出ずに最後まで完走できただけでも満足しなければならなかったが、それでも年代別男子の順位で半分より後ろだったので、かなり情けなかった。それに、なんと、支部長にも負けてしまったし。
(支部長)「それはそんなに嘆く事ではないな」
(幹事長)「一歩も歩かなかったのに、途中で歩いた支部長に負けたのは悔しいで」
しかし、今年は怪我の影響もすっかり無くなり、2週間前には初めて参加したトレイルレースの距離36km、標高差1910mという強烈なコースを完走できたので、体調は万全だ。
(ピッグ)「万全って言うか、その過激なレースの疲れは残ってないんですか?」
(幹事長)「それは心配です」
なんとなく最近、疲れが溜まっているような気はする。歳とってくると、疲れが取れるのに時間がかかるので、あんまり無理はしない方がいい。それでも、精神的には今回は怖いものは無い。
〜 ドタキャン 〜
今回は、レースが近づいてきたと言うのに、國宗選手からドタキャンの連絡が入らない。
(幹事長)「どしたんやろ?まさか参加するんやろか?」
(支部長)「まさか。どうせ前日になったら連絡が入るって」
なーんて待っていたら、やっぱり今年もレースの前日になって國宗選手から連絡が入る。レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっている。特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。一昨年は汗見川マラソンから龍馬脱藩マラソンに至る夏場の山岳レース全シリーズを連続ドタキャンしたし。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明日のオリーブマラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話を聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとかでドタキャンするんやろ?」
(國宗)「違いますがな!港に着くのが遅くなるっていう連絡ですがな!」
始発の電車に乗って港に来ても、船の出航時間ギリギリになるっていう連絡でした。そう言えば、去年まで4年連続でドタキャンしていた徳島マラソンにも、今年は久しぶりに参加したし、最近はドタキャンの頻度が減ってきたような気がする。
(幹事長)「何かあったん?」
(國宗)「私だって仕事が入らなければ参加しますがな!」
一方、最近はトライアスロンからウルトラマラソンまで積極的に出場しているD木谷さんが、珍しくドタキャンになった。
(幹事長)「どどど、どしたんですかっ!?」
(D木谷)「すいません。仕事が入っちゃって」
D木谷さんは来られなくなったが、D木谷さんが誘っていた部下のT村さんは合流するとのことだ。
〜 家畜船に乗船 〜
この大会は、出場エントリーもさることながら、交通の便の悪さも大きなネックだ。小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、関西地方からの参加者も多く、そういう意味では立地の良い大会と言える。しかし、レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路がほとんど無い。なので、主催者が出している高松発の臨時船に乗るか、他の港へ定期便で行くか、どちらかの選択となる。数年前に一度、定員8名の私の車に9人で乗り合わせて池田港に上陸して行ったこともあるが、移動に時間がかかるうえ、駐車場を探すのも一苦労で、会場へ着くのがギリギリになったので、その後は臨時船に戻った。ただ、臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいていた。
それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら、早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなっている。奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるので、もはや家畜船と呼ぶのが相応しい阿鼻叫喚の世界だが、奴隷船だろうが家畜船だろうが、この乗船券ですら最近は入手が困難なのだ。マラソン大会への参加自体はランネットで申し込めるから簡単なんだけど、奴隷船のチケットは参加申込みとは連動しておらず、別途、郵便振込みで申し込まなければならないから、マラソン大会にはエントリーできても、奴隷船が定員一杯で交通手段に困る人が続出するのだ。
(ピッグ)「すんませーん!」
(幹事長)「舐めとんか?」
あれだけ口を酸っぱくしてみんなに周知していると言うのに、今年もピッグが奴隷船の申込に間に合わなくて、乗船券をゲットできなかった。しかも、支部長が「みんなの分もまとめて申し込むよ」って言ってたのに、ピッグは「自分で申し込みますから」って言っておきながら、うかつにも出遅れてしまったのだ。なので、ピッグだけは定期便に乗って他の港に行かなければならなくなった。
(支部長)「でも、何年か前には乗船口で当日券を販売してたなあ」
(幹事長)「そういや、そういう事があったなあ」
てことで、私と支部長が当日、乗船口で当日券をゲットできれば、即、ピッグに連絡し、一緒に乗り込もうという事になった。
当日の朝は早起きをしなければならない。いくらプラチナチケットの奴隷船乗船券を持っていても、遅く行ったら奴隷か家畜のように車両甲板に転がされてしまう。奴隷船に人間の尊厳を維持したまま乗るには、かなり早く港に行かなければならない。奴隷船が出港するのは6時50分だが、6時には乗船開始となるので、6時過ぎに港に着いたのでは遅く、既に座る場所が無くなっている。4年前は5時45分に港に着くと、まだまだ列は短く、余裕で座席を確保できたが、3年前は5時45分に着くと、既に50人以上の長い列が出来ていた。それに懲りて、2年前は5時過ぎに港に着いたら人っ子一人いなくて随分心細い思いをした。その後、5時半になっても行列は数人にしかならず、おかしいなあと思っていたら5時40分頃にはあっという間に長蛇の列が出来ていた。てことで、5時半までに行けば良い、という結論になり、去年は5時15分頃に港に着いたら、案の定、数人のグループが先客で並んでいた。ちょうどいい時間だ。て事で、去年の記事には、ちゃんと
[来年への教訓メモ]
★5時半を過ぎると一気に人が増えるので5時20分頃までには並ぶ必要がある。
と注意書きがあった。
(幹事長)「本当に役に立つメモやな」
(支部長)「物忘れが激しいからな」
て事で、今年も5時20分頃を目安に行くことにした。そのためには自宅を5時に出なければならない。そのためには4時半には起きなければならない。4時半に起きるなんて、若い頃なら想像を絶する世界だったが、高齢化が進んだ今は、何の問題も無くなった。5時に家を出て5時15分頃に港に着いたら、支部長はまだ来ていなかったが、今年も数人のグループが先客で並んでいた。誰もいないとかえって不安だし、大勢いると席の奪い合いになるが、数人程度ってのがちょうどいい。去年に続き、今年も折りたたみイスを持ってきているので、並ぶのも楽勝だ。しばらく待っていると、支部長がやってきた。ん?荷物を持っていない。どしたんやろ?
(幹事長)「あれ?荷物は?」
(支部長)「あそこ」
支部長が指さす方を見ると、船のすぐ側にバッグが1つだけポツンと置いてある。なんでも、支部長は5時前に来たため、まだ係員もおらず、仕方なく船のすぐそばにバッグを置いたんだそうだ。その後、係員が来て、それよりずっと手前に乗船客を並ばせ始めたため、支部長のバッグだけが取り残されてしまったという訳だ。
(幹事長)「それでヒマ潰しに散歩でもしてたん?」
(支部長)「トイレ」
周辺にトイレが無いため、はるばる駅の方までトイレに行ってた間に、事態が動いてしまったとのことだ。ま、それでも、まだ数人しか来てないから問題にはならない。折りたたみイスは2つ持ってきてるので、2人で座っておしゃべりしながら待つ。年によっては、並んでいる時に寒かったりもするが、今日は天気が良いからか既にすっかり明るく、寒さも感じない。この調子なら、今日はだいぶ暑くなりそうだ。
乗船券をゲットできなかったピッグのために、係員に「乗船券の当日券は売ってないの?」って聞いてみたら、「事前に予約した人だけです」って言う。「何年か前には、その場でも売ってくれたよ」って食い下がると「以前はそういう事もありましたけど、もう売ってないんですよ」って言う。でも、係員の足下の段ボール箱には乗船券が束になって入っている。あれは売ってくれないんだろうか。怪しい。
でも、仕方ないのでピッグに「乗船券の当日券は無いから他の港に行って」と連絡する。ピッグは、6時25分高松港発の土庄港行きのフェリーに乗るとのことだ。家畜船は6時50分発で、マラソン会場の坂手港に着くのは8時20分だが、土庄港は坂手港より近いので、ピッグが乗ったフェリーが着くのは7時25分とのことだ。土庄港から坂手港まで1時間もあれば楽勝で着くと思うので、現地に着くのは同じくらいかもしれない。
6時前になり、ようやく乗船開始となる。ことさらダッシュすることもなく、普通に歩いて楽勝で船の2階席の一番前にあるボックス席を押さえた。例年、陣取る場所だ。ここが一番、落ち着く。
しばらくすると、忍ちゃんがノラちゃんを一緒に乗せて車で到着した。二人とも、既に走る時に着る約束の今年の丸亀マラソンのTシャツを着ている。走る気まんまんだ。
続いてゾウさんが、ご主人に車で送ってもらって到着した。さらに出航時間ギリギリに琴電で来た國宗選手が到着した。
またD木谷さんの部下のT村さんも合流した。田Mさんは、てっきりドタキャンとなったD木谷さんの乗船券を譲ってもらって乗船したのかと思ってたら、彼は元から自分の乗船券を持っていたそうだ。それならD木谷さんの乗船券は余ってしまった訳で、それならピッグも乗船できたのだ。残念。
みんな揃って落ち着いていると、後ろから肩を叩く人がいる。誰かと思って振り向くと、今年も恋さんが登場した。
(幹事長)「1年ぶりですねえ。2週間前に奥四万十トレイルレースに出たんですけど、鯉さんも相変わらずマラソン大会には出まくってるんですか?」
(濃い)「その日は私は北川村の中岡慎太郎マラソンに出たな」
故意さんも相変わらず走りまくってるらしい。中岡慎太郎マラソンと言えば、高知のおんちゃんも出ると言ってたし、ちょっと興味があるけど、北川村は遠いなあ。
さらに、少し離れたところで床に座り込んでいる高野くんの姿を発見したので手を振ったが、既に床という床に隙間なく難民が寝転がっていて歩きにくいので、遠征には行かなかった。当然ながら、下の鋼鉄の甲板には家畜が隙間なく寝転がっているんだろうなあ。
〜 出港 〜
6時50分になって船が動き始めたので、朝食だ。さすがに早起きしたからお腹が空いてきた。本当は家を出る前に朝食を食べてトイレも済ませたいところだが、いくら早起きが苦痛でなくなったとは言え、普段より早い時間に朝食を食べるとお腹を壊す可能性が高いので、家では食べず、船に乗ってから食べるのだ。朝食はおにぎり2個だ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、3年前の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えたため、その後は一度もお腹を壊さなくなった。パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無い。ちょっと前までは、おにぎりを3個食べてたんだけど、最近は数も減らして2個にしている。さらにスタート直前に食べるバナナやゼリーも持ってきている。
と思ったら、忍ちゃんがバナナを取り出す。
(忍)「これ、みっちゃんからの差し入れだよ。今朝、持ってきてくれた」
(幹事長)「え?今朝?いったい何時に!?」
(忍)「私が家を出たのが5時だから、その前だったかな」
(幹事長)「ひえ〜!みっちゃん早起きっ!」
ちなみに、みっちゃんも私の元同級生の女子だ。バナナだけでなく、みっちゃんが焼いてくれたというパンも取り出した。いったい、何時に起きてるんだろう。
すっかり日も昇り、外は快晴になってきた。大会の数日前の天気予報では「雨かもしれない」って言ってた。梅雨前線がだんだん北上してきて、大会の前後は雨模様とのことだったのだ。それが、ここへきて梅雨前線の勢いが弱まり、まだ南の方に停滞しているため、「曇りかもしれない」って予報に変わっていた。それが実際には、雲もほとんど無い晴れになったのだ。
(ノラちゃん)「晴れて良かったね」
(幹事長)「いや、それは素人の考えやな」
確かに以前の私達なら、マラソン大会は晴れを望んでいた。そらそうだ。マラソン大会に限らず、屋外での行事は晴れてないと嫌だ。オリーブマラソンは毎年5月末に開催されるが、この季節は天気が良いときは本当に気持ちが良い。まだ湿度があんまり高くないから、木陰でボケッとしてるぶんには暑くなく、大変気持ちが良い季節なのだ。
ただし、マラソン大会となると事情は異なる。木陰は気持ち良くても、炎天下を走るとなると非常に暑い。個人的には寒いのは嫌いで、暑い方が好きだから、真夏の炎天下で汗だくになって走るのは楽しくて好きなんだけど、しかし、いくら好きでも暑いとタイムは悪くなる。むしろ雨の方が望ましいくらいだ。
昔の私たちなら、雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。しかし、8年前のこのレースで考えが変わった。その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。そしたら、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、むしろ坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった。私だけでなく、最後までデッドヒートを演じたピッグも快走だったし、支部長も例年なら絶対に歩く最後の大きな坂も歩かずに2時間を切る大会自己ベストを出した。それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになったのだ。
(幹事長)「今の季節なら、晴れて暑いより、雨の方が絶対に走りやすいよ」
(ノラちゃん)「でも雨って嫌じゃない?」
(幹事長)「最初は抵抗あるけど、いったん雨の中に出てしまえば平気になるよ。雨の方が絶対にタイムは良くなるって」
この大会には21年前の1997年から出続けているが、昔からずうっとタイムが悪く、長らく2時間を切ったことがなかった。私に限らず、ピッグや支部長だって、他のレースに比べたらタイムは悪かった。でも、それが暑さのせいだとは誰も思わなかった。いくら暑いと言ったってまだ5月なんだから、7月下旬の炎天下の汗見川マラソンや四国カルストマラソンのような地獄の暑さではないからだ。
なので、このレースのタイムが悪い理由は坂が多いからだと信じていた。オリーブマラソンのコースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だが、後半に入ると、二十四の瞳の舞台となった岬の分教場まで行って折り返してくるという曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に坂が次から次へと襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなるのだ。
同じ小豆島だけど、反対側の北西部で行われる11月の瀬戸内海タートルマラソンも同じように坂が多いが、なぜかそちらの方はタイムが良い。タートルマラソンはコース全般に満遍なく坂が配置されてるけど、オリーブマラソンは疲れが出る後半に坂が集中するのが良くないのだと思っていた。なので、オリーブマラソンでは2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、走る前から「このコースでは2時間を切るなんて絶対不可能だ」なんて決めつけていたら、現実にも2時間を切ることは難しい。途中で苦しくなったら、「どうせ良いタイムは出ないコースだから」と、すぐに諦めるからだ。以前は、最後の大きな坂では、ほぼ必ず歩いていた。無理して走っても、どうせ良いタイムは出ないと信じていたからだ。
それなのに、8年前に土砂降りの中、みんな揃って快走したもんだから、メンバー全員、衝撃を受けた。オリーブマラソンのタイムが悪かったのは、坂が多いからというだけではなくて、暑さのせいが大きかったのだ。そのため、それまではみんな雨を嫌がっていたんだけど、一転して、暑い季節のマラソンは雨乞いをするようになった。そして、その翌年も、序盤に激しい雨が降ったため、前年と同じように後半にペースを上げることができて、大会自己ベスト2位を出した。これでオリーブマラソンも雨さえ降れば良いタイムが出るという事が分かり、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がついた。
でも、今年は天気予報を裏切って快晴になってしまった。D木谷さんの部下のT村さんもオリーブマラソンは初参加だ。そもそも彼はマラソンを始めてまだ1年ほどの若輩者だが、生まれ持った才能と、若さにより、丸亀マラソンなんかでは私らを圧倒する好タイムでゴールしている。それでも初めてのレースには不安があるようだ。
(T村M)「このレースって、給水所はたくさんあるって聞きましたけど、そうなんですか?」
(幹事長)「え?そうやったっけ?そんなにあったかなあ」
(支部長)「あんまり記憶に無いなあ」
(田M)「え?そうなんですか?暑くなりそうだから困ったなあ」
(ノラちゃん)「暑くなるかなあ?」
(幹事長)「めちゃめちゃ暑くなるよ」
ただ、雨さえ降れば良いタイムが出るということが分かると、雨が降らなくても暑さ対策を施せば、炎天下のレースになっても良いタイムを出すことが可能になってきた。暑さ対策とは、秘密兵器のメッシュのシャツだ。4年前に初めて、他のメンバーから沸き起こった「恥ずかしいから脱いでくれ」という批判を気にせずに着て走ったところ、炎天下にもかかわらず暑くないため、好タイムを出すことができたのだ。さらに3年前も、自信を持ってメッシュのシャツを着て走ったら、炎天下のレースだったにもかかわらず、土砂降りの8年前に出した大会自己ベストを大幅に更新する大会自己ベストを出した。マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、「雨が降らなくてもメッシュのシャツを着れば良いタイムが出る」という事が分かったのは大きな自信となった。雨が降らなくても、暑さ対策さえ万全に施せば、怖いものは無いのだ。
て事で、ウェアの選択に入る。「何を着るか」は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な課題だ。
(國宗)「また例によってウェアで悩みまくるんですか?」
(支部長)「この暑いのにTシャツ以外に悩む余地なんて無いやろ?」
(幹事長)「いや、私にはメッシュのシャツという秘密兵器がある」
上に書いたように、4年前や3年前に炎天下にもかかわらず好タイムを出せたのは、このメッシュのシャツのおかげだと思う。なので今日も暑くなるのだったら、このメッシュのシャツを着なければならない。 他に選択の余地は無い。悩む余地なんて無いのだ。
3年前に炎天下で好タイムを出した時に着たメッシュのシャツと短パン
ところが、ここで忍ちゃんからクレームが付く。
(忍)「何言うてんの!みんなで一緒に丸亀マラソンのTシャツ着て走ろうって言ってたやん!」
(ノラちゃん)「そうよそうよ。そんなん着たらあかんよ!一体感が無くなるやんか!」
(幹事長)「えっと、あの、その・・・」
実は丸亀マラソンの後、二人をオリーブマラソンに誘った時に、彼女たちは「出るんやったら丸亀マラソンのTシャツで揃えようね」って言ってたのだ。確かに、今年の丸亀マラソンのTシャツは色が良い。丸亀マラソンのTシャツは長年パッとしないものが続いたが、今回は鮮やかな緑色で、着てるだけで楽しい気分になれる。なので、普通なら今年の丸亀マラソンのTシャツを着るのは大賛成なんだけど、このオリーブマラソンに限って言えば、炎天下のレースでは秘密兵器のメッシュのシャツを着たい。だがしかし、彼女たちが厳しく詰め寄る。
(幹事長)「そ、そやな。じゃ、やっぱり丸亀マラソンのTシャツを着るわ」
(支部長)「おや?妙に素直やな。やっぱり女子の言うことは聞くんやな」
もちろん、私があっさり折れたのは女子から言われたからだが、実は、この秘密兵器のメッシュのシャツを着ても惨敗することはあるからだ。4年前と3年前は、秘密兵器のメッシュのシャツのおかげで炎天下にもかかわらず快走できたが、次の2年前は同じメッシュのシャツを着て走ったにもかかわらず、以前と同じような惨敗を喫してしまった。その理由は分からないが、メッシュのシャツを着たからと言って、絶対に快走できる訳でもないってことが証明された。なので、今回、メッシュのシャツを諦めたからと言って、それほど心残りは無い。
ギリギリまでウェアの選択に迷う時は、以前からD木谷さんが愛用しているゼッケンベルトが役に立つ。ゼッケンをウェアに直接付けないから、直前になって着替えてもゼッケンを付けなおす必要がないから便利なのだ。私も2週間前の奥四万十トレイルレースに備えて買ったから、今後は便利になるなと思っていたんだけど、今日は持ってくるのを忘れてしまった。仕方なく、これまで同様に、ゼッケンをTシャツに安全ピンで付ける。こうなると、ますます丸亀マラソンのTシャツを着て走るしかない。それに、なんと支部長までもが同じ丸亀マラソンのTシャツを着ている。
(幹事長)「なんや、支部長も同じやんか」
(支部長)「これ、なかなか良いからな」
上がメッシュのシャツなら下も青森勤務時代の陸上部の短いランニングパンツを履くところだが、上が普通のTシャツなので、下も普通のランニングパンツを履く。
新人女子2人を始め、支部長や國宗選手はランニングタイツを履いている。私は以前はランニングタイツのサポート機能を信じてなかったので、寒い時にだけ防寒用に履いていたが、最近はなんとなく足の疲労が軽減されているような気がするので、履く頻度も増えてきた。それでも今日は暑そうなのでランニングタイツはやめておく。
一方、今日は炎天下になりそうなので、嫌いなランニングキャップは被ることにした。
〜 島上陸 〜
1時間半の船旅が終わって小豆島の坂手港に着くと、いつものように島の小学生達の鼓笛隊が演奏で迎えてくれる。本当に心温まる歓迎だが、数年前から年々、隊員の数が減ってきていて、今年はもう驚くほど人数が少なくなっていた。少子高齢化が急速に押し寄せる島嶼部なので、小学生の数も減っているんだろうと思うが、いつまで鼓笛隊を維持できるのか心配だ。
船から下りたら、まずは場所取りをしなければならない。最近は帰りの船に乗るのが便利っていう理由で、船を降りてすぐの狭い芝生のところに陣取っている。船の一番奥まったところに乗っていたため、下船するのが最後になって遅かったので、既に広い場所は無くなっていたが、何とか隙間を見つけてシートを敷き、荷物を置いてから受付へ向かう。
数年前から事前にゼッケンやチップが送られてくるようになったので、受付と言っても、参加賞やプログラムをもらうためだけの受付だ。最近、大きな大会になると、前日に現地で受付をしなければならない、なんていうトンでもない風習が蔓延しており、遠方から参加する人にとっては迷惑この上ないのだけど、当日の朝の受付さえ不要なオリーブマラソンのシステムが普及すれば良いのに、と思う。
参加賞は今年もタオルだ。マラソン大会の参加賞はTシャツが一般的だが、マラソン大会のTシャツはタンスから溢れているのでタオルの方が大歓迎であり、オリーブマラソンのタオルは大きいのでバスタオルにもってこいだ。
基地に戻り、ウェアが整うと、炎天下なので日焼け止めクリームを塗りまくる。さらに、歳とってくると紫外線による目への悪影響が強まって白内障の危険性が出てくるので、サングラスも必須だったんだけど、持ってくるのを忘れてしまった。
(支部長)「ゼッケンベルトと言いサングラスと言い、忘れ物が多いな。やっぱり歳やな」
(幹事長)「支部長みたいにソックスを忘れるよりはマシやな」
ふと見ると、ゾウさんのゼッケンの色が違う。
(幹事長)「あれ?どして?若い女子やから?」
(ゾウさん)「私10kmの部ですよ」
(幹事長)「えっ?そうなん?なんで!?」
(ゾウさん)「スピードが速くて面白いんですよ」
距離が短ければ楽なような気がするが、それは大間違いで、距離が短いレースは全体的にペースが速く、とてもしんどい。今はなき徳島航空基地マラソンなんか距離が10kmだったから、最初から最後まで全力疾走で、めちゃめちゃしんどかった。なので、私らはあんまり好きではない。でも元気なゾウさんは、スピードレースが好きなのだ。
そうこうしてると、ようやくピッグが合流する。
(幹事長)「思ったより遅かったなあ」
(ピッグ)「結構、混んでて時間がかかりましたね。やっぱり家畜船が良いですね」
帰りはD木谷さんの乗船券を使えばピッグも家畜船に乗船できる。
準備も終わったので、そろそろトイレを済ましておこうと思うが、臨時トイレはたくさん設置されているものの、長蛇の列ができているので、ちょっと並ぶ気がしない。例年のように港にある小さなターミナルビルの中の小さなトイレに行こうとしたら、なんと今年はターミナルビルが立ち入り禁止になっていた。船の待合所のトイレは臨時トイレよりはすいているが、それでも長時間かかりそうだ。てことで、もう大の方は諦める。気にし始めると気になって仕方ないが、さっさと諦めたら、割と平気になる。登山の時も一日くらいは平気で我慢できるし。
ダラダラとバナナを食べたりしていたら、ようやくスタートの10時が近づいてきたので、最後のゼリーを吸いながらスタート地点に移動する。
スタート地点で気合いを入れるメンバー
(左からピッグ、T村さん、國宗選手、忍ちゃん、ノラちゃん、支部長、ゾウさん、幹事長)
(忍ちゃんとノラちゃんと支部長と幹事長はお揃いの丸亀マラソンTシャツ)
スタート地点では、例年通り予想タイム順に並ぶようになっている。この大会はタイムをチップで計測してくれるんだけど、それはゴール地点だけで、スタートはチップでは計測してくれず、ネットタイムは出してくれない。そのため、多くのランナーはできるだけ前の方に並ぼうとして混雑する。昔は存続すら危うんでいた小規模大会だが、マラソンブームのおかげで今日の参加者はハーフマラソンの部だけで3007人もいて、後ろの方までかなり混雑している。
空は相変わらず良い天気で、人ごみの中で待っているだけで暑くなってくる。
(ノラちゃん)「初めてやから、なんかドキドキするなあ」
(忍)「もう、めちゃ緊張するよ」
20年以上も前から出ているため緊張感がゼロの私らと違って、新人女子2人はすごく緊張している。スタート前に緊張できるってのは、ダレ切った私らにとっては羨ましいことだ。緊張感が無いと良いタイムが出るはずがない。
とは言え、今日は少しはやる気がある。去年は登山の滑落事故による怪我の影響で、ゴールできるかどうかすら不安だったが、今年は2週間前に初めて参加したトレイルレースを完走できたことから、体調に不安は無い。しかも距離36km、累積標高差1910mという厳しいコースを走り切ったので、妙に自信がついている。ハーフマラソンの21kmくらい簡単に突っ走れそうな気がする。
(支部長)「じゃ、今日の目標は?」
(幹事長)「密かに大会自己ベストを狙いつつも、取りあえず2時間切りを目標とします」
どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。今日は炎天下のレースになりそうだけど、3年前には炎天下のレースで大会自己ベストを出せたので、暑くもて可能性はある。ただ、3年前に出した大会自己ベストはかなり良いタイムだったので、そんなに簡単ではないと思う。2年前は同じく炎天下で惨敗しているし。なので、現実的な目標としては、最低でも少なくとも2時間は切りたい。ハーフマラソンで2時間切りを目標にするなんて、甘すぎるというか情けない気もするが、このレースに限って言えば、2時間を切れば、なんとか納得しなければならない。
レース展開としては、前半のフラットな区間で貯金して後半の坂が多い区間で貯金を吐き出す、なんてパターンではなく、前半はフラットなんだけど、敢えて抑えて後半の坂でペースアップするという理想的な走りを目指す。
(支部長)「そんなん無理と違う?」
(幹事長)「それが、そうでもないんよ」
以前の私のレース展開は、全て後半に失速するパターンだったが、8年前に土砂降りの中で快走した時をはじめ、7年前、4年前、3年前と、良いタイムを出したときは全て、後半の坂のある区間の方がペースが上がっている。前半のフラットな区間のペースは、どの年も似たようなものだが、後半の二十四の瞳の岬の分校へ行く半島でのペースが違う。惨敗パターンは、この半島で止めどもなくペースが落ちていくのに、快走パターンではどんどんペースが上がっている。一般的に、後半でペースを上げるのは難しいが、それだけに理想的な展開とされている。なかなか難しいパターンだが、オリーブマラソンに限って言えば、ここ数年、好タイムを出したときのレース展開は、どれも後半にペースアップできている。なんでそうなるのか、何が決め手になるのか、全く分からないが、目指すパターンは後半のペースアップだ。第2の折り返し点を過ぎてもペースが落ちなかったら、その後はペースアップできる可能性が大きいということであり、諦めることなく、最後まで突っ走れば良いタイムが期待できるのだ。
(幹事長)「ところで支部長の調子はどんなん?」
(支部長)「いまいちやなあ」
(幹事長)「レフコトライアスロンは?」
(支部長)「最近は水泳しかやってないなあ」
なぜ水泳だけに絞っているのかは分からないが、この春から支部長は私的な事情で多忙を極め、あんまりランニングのトレーニングはできていないらしい。
(支部長)「しかも昨日はゴルフやったし」
(幹事長)「またかいなっ!」
なぜか支部長はマラソン大会の前日にゴルフに行くパターンが多い。ゴルフだけなら、そんな大した負担ではないが、翌日にマラソン大会があると、さすがに影響は出てくる。ま、しかし、支部長にとってはよくあることなので慣れているだろう。
〜 スタート 〜
「スタートまで、あと1分」というコールは聞いたが、「スタートまで、あと何秒」とかいうカウントダウンが無いまま、いきなりスタートのピストルが鳴った。毎年同じだから我々は分かっているだが、初参加の2人は慌てていた。
もちろん、スタートのピストルが鳴ったからと言っていきなり走り始められる訳ではなく、しばらくしてようやく周りの集団が動き出す。それでも、スタート地点まではゆっくり歩かなければならない。スタート地点まで歩くと、ようやく走り始めることができるが、最初は混雑しているので思ったようには走れず、しばらくはノロノロと走る。ダラダラ進む前のランナーが鬱陶しいが、前のランナーの前にも、その前にも延々とランナーがダラダラ走っているから焦るのは禁物だ。無理して追い抜いても意味は無い。最初はウォーミングアップと割り切って、ゆっくり走ればいい。
特に、このオリーブマラソンはスタートした直後にいきなり大きな坂があるから、抑えめのペースで走っていくのがちょうどいい。大きな坂だが、ゆっくり走ればどうってことはない。
大きな坂のピークを過ぎると、今度は下り坂になるので、集団のペースは一気に上がる。今年は何も恐れるものは無いので、ここで私もペースを上げる。この後は草壁港の近くにある第1折り返し地点まで平坦な道が続く。混雑はまだまだ解消されていないが、そんなに走りにくいってほどではない。炎天下だが、湿度が低めなせいか、そんなに暑くはない。
このレースは距離表示が5km地点まで無いため、今のペースがどれくらいなのか見当がつかない。それでも前半はいつも似たようなペースなので、とりあえずは自然体で走っていこう。周囲のランナーもだいたい同じようなペースで走っている。
まだまだ序盤だが、さっそく最初の給水所が現れた。これまで、どんなマラソン大会でも、前半の給水所はパスする事が多かったけど、2週間前の奥四万十トレイルレースで主催者の奥宮さんが「給水も給食も、できるだけこまめに取ってください」って言ってたので、今日は給水所ではかならず水を飲むことにした。まだまだレース序盤で喉はそんなに乾いてないが、最初の給水所でもスポーツドリンクをもらう。
調子が悪い時は、なかなか距離が進まず、第1折り返し点まで長く感じられ、なかなか辿り着かないが、今日は調子が悪くないようで、気分が乗ったまま第1折り返し点が近づいてきた。
第1折り返し点で折り返してくるランナーを確認しようとしたが、まだまだ混雑していることもあり、誰も分からなかった。自分が第1折り返し点で折り返してから後続のランナーを確認していると、すぐ後ろをピッグや國宗選手が走ってくるのが分かった。まだまだ差はほとんど無いので、これからどうなるかは分からない。しばらくすると、思ったより早くノラちゃんが走ってきた。同じ明るい緑色の丸亀マラソンのTシャツを着ているから、お互いにすぐ分かる。思ったより早いうえに元気そうだ。さらにしばらくして忍ちゃんが走ってきた。こちらはちょっと苦しそうだが、声を掛けると元気に返事したから大丈夫だ。
一方、支部長も同じ明るい緑色の丸亀マラソンのTシャツを着ているのに、結局、分からなかった。
第1折り返し点で折り返した後は、しばらくすると最初の5km地点の距離表示があるはずなんだけど、メンバーを探していたら見落としてしまった。なので、5kmを過ぎてもペースが分からない。さすがに、これは困った。なんとなく少しだけ疲れが出てきたような気もするが、全く分からない。
なーんて思っていたら、後ろからピッグが四痙攣の航路さんと一緒に追い付いてきた。航路さんは、どんなレースでもピッグを献身的にサポートし、そのおかげで2月の海部川マラソンではピッグは初めてサブフォーを達成した。今日もピッタリ一緒に走っているから、ピッグも良いタイムでゴールできるかもしれない。
(航路)「今ちょうど1km5分半のペースですね」
ん?1km5分半てか?思ったより遅いぞ。最初から1km5分半だなんて、どんなレースであっても、いきなり惨敗ペースだ。でも、スタートする前のタイムロスや、スタート直後の混雑を考えると、1〜2分はロスがあるから、それも入れて平均1km5分半なら、まだ許容範囲だ。ただ、これ以上ペースダウンするのは避けたいので、とりあえず航路さんの後ろをついていく。相変わらず炎天下だけど、まだそんなに大して暑くは感じないので、しんどくはない。
しばらく進むと、10kmの部のランナーとすれ違うようになった。10kmの部は14分遅れでスタートしているから、早いランナーとはすれ違うのだ。ゾウさんはいないかなあと探していると、真剣な顔で走ってくるゾウさんを見つけた。彼女はウォークマンをしているが、大きな声を掛けると気づいてくれた。
最初の給水所の後も、結構、給水所が多い。T村さんに聞かれたときは「そうだったかなあ?」なんていい加減な返事をしたが、確かに給水所が多い。本当に記憶力が悪いなあ。やたら給水所があるなあとは思ったが、今日は暑くて汗をかいているので、そんなに喉は乾いてなくても、給水所があるたびに面倒くさがらずにこまめに水を取っていく。
さらにしばらく行くと、二十四の瞳の分教場がある岬へ向かう分岐点があり、10kmの部はそのまま真っ直ぐに会場に帰るんだけど、ハーフマラソンは来た道から別れて、岬の分教場へ行く道に入っていく。坂が多い海岸線のクネクネした道だ。前半のフラットな区間が終わったので、気分的には、ここまでで半分終わったって感じなんだけど、実はまだ8kmも走ってなくて、ここからの方が長い。なので、調子が悪いときは「ええっ?まだ半分も来てないのか?」って精神的にしんどくなるんだけど、今日はまだまだ平気だ。
少し行くと、ようやく2つ目の距離表示の8km地点がある。これでやっと正確なペースが分かる。と思って時計を見て愕然。なんと1km平均6分近くかかっている。最初のタイムロスを考慮しても、1km5分半以上はかかっている。てっきり今日はまずまずのペースで走れていると思ってたのに、全然あかんやないの!さっき航路さんが言ってた1km5分半のペースから、さらに落ちたのだろうか。航路さんとピッグは相変わらず目の前にいるが、ペースが落ちているのかどうか分からない。でも、このままだと、自己ベストどころか2時間切りという最低限の目標さえクリアできないので、ちょっとペースを上げることにした。と言っても、ちょうど上り坂の区間となったため、実際にはペースはほとんど上げることはできなかったが、少なくとも周囲のランナーよりは速めに走った。
8km地点の距離表示の後は1kmごとに表示があるので、ペースが分かる。次から次へと坂が現れるので、上り坂がある区間と下り坂の区間ではタイムは変動するが、おおよそのペースは分かる。それに、上り坂や下り坂と言っても、このコースの坂は、そんなに延々と続くわけではないから、そう極端にはペースは変わらない。
暑さは厳しくなってきて、給水所で水を含んだスポンジを置いてあるところでは必ずもらうようにする。でも、なんとなくそよ風があって、恐れていたほどは暑くない。しかも、少しだけ雲も出てきて、日差しが和らぐ時もある。本当に暑い時は頭もボウッとしてくるが、そんな感じは全然ない。
ちょっと頑張ったおかげでペースは少し持ち直したが、それでも9km地点、10km地点、11km地点と1km5分半は切れなかった。さらに上り坂が厳しい12km地点では再び1km6分になってしまった。しかし、次の区間は少し長い下り坂なので、思いっきりガンガン駆け下りたら、13km地点ではだいぶペースアップできて快調になってきた。ここからが勝負だ。
なーんて思ってたら、航路さんとピッグに再び追いつかれた。思ったほどペースアップはできてなかったようだ。彼らはまだまだ余裕があるようで、少しづつ差が開いていく。
しばらく行くと、二十四の瞳の映画村の前にある第2折り返し点だ。ピッグと航路さんはじりじりと離れていき、勢いから言えば、追いつくのは容易ではない。ピッグだけならまだしも、航路さんがペースダウンするとは思えないので、今日も逃げきられてしまいそうだ。一方、後続ランナーを確認すると、相変わらず國宗選手は少し後を走ってきている。まだまだ勝負の行方は分からない。
さらに、その後ろを走ってくるノラちゃんとの差は、さすがに少し広がったが、それでもまだまだ元気そうに走ってきた。これなら最後まで歩かずに完走できそうだ。忍ちゃんはだいぶ疲れた様子だが、それでもペースを落とさず走ってきたので、なんとか頑張れそうだ。
それにしても、今度も支部長を見かけなかった。過去のレースでは、支部長とは少なくとも第2折り返し点までは互角の勝負の時が多い。支部長は終盤の坂で歩くから、最後には勝つことが多いが、たまに逃げきられることもある。去年のように私が怪我していた時なら理解できるが、何の不安材料もなく体調万全だった2年前も、第2折り返し点を過ぎた当たりで支部長に引き離され、そのまま逃げ切られてしまった。なので、今年も支部長が前にいるのか後ろにいるのかすら分からない。
第2折り返し点を折り返した後の14km地点で時計を確認し、疲れた頭で必死で計算すると、残り7kmを1km5分半のペースで走れば、なんとか2時間は切れる。ここまで1km5分半を大きく上回るペースできたのに、終盤になって1km5分半にペースアップできるのか、と言えば、なかなか難しい。でも、最初から残り7kmが勝負というのは分かっていた。惨敗パターンの時は、ここから一気に止めどもなくガクンとペースダウンするが、快走パターンの時は、ここから踏ん張るというか、むしろペースアップできるのだ。もう7kmしかないんだから、後の事は考えずに全力を出さなければならない。
しばらく走ると、再び上り坂の区間になるが、頑張ったおかげで、15km地点でもあまりペースダウンはしていない。これは良い傾向だ。調子が良いときと悪い時の差は、この辺りからはっきりと現れてくる。調子が悪い惨敗パターンのときは、この14〜15km地点辺りからみるみるうちに奈落のようにペースが落ちていくが、調子が良い快走パターンのときは、逆にペースを上げることができる。今日は良いタイムはもう出ないだろうけど、パターンとしては快走パターンでいけるかもしれない。
こうなると、もう後の事は考えずに、思い切り全力で走り続ければ良い。て言うか、全力で走り続けなければ2時間は切れないし、もし2時間を切れないのなら終盤まで失速しなかったとしても意味が無いので、終盤に余力が残るようなペース配分なんてする必要はない。全力で走るってのはしんどいけど、終盤の心配をしないでもいいってのは精神的には楽だ。2時間を切れるかどうかギリギリなので、緊張感はあり、モチベーションも維持されている。調子が悪いときは終盤になると辛くて厳しくてウンザリするが、今日はペースがどうなっているか知りたくて次の距離表示が待ち遠しい。調子が悪いときは、走りながら「早くレースが終わって休みたいなあ」なんて事ばかり考えるけど、今日は緊張しながらも今後のレース展開が楽しみだ。
次の16km地点のタイムは、再びペースが落ちたが、坂が多い区間なので仕方ない。残り5kmの頑張り次第で2時間は切れる。遠くからは救急車のサイレンが聞こえてくる。炎天下のレースでは、常に何人か倒れる人が出てくるから、今日も誰か倒れたんだろう。でも、惨敗パターンでやる気を失った時は暑さも堪えるが、今日はもう暑さも気にならなくなってきた。やはり気合の問題だろうか。
次の17km地点や、その後の18km地点、19km地点と、1km5分半程度のペースを維持できている。もちろん、本当に調子が良い時はもっと早く、この終盤でも1km5分を切ったりするので、それに比べたらだいぶ遅い。それでも1km5分半を超えていた前半よりペースアップできているってのは、一応、快走パターンだ。
坂は続くが、足は重くなってないし、上りでもそれほど辛くはない。実際に快調なペースとは言えないが、精神的には上り坂でも苦痛ではない。ただ、まだ油断すると2時間は切れないかもしれないので、気を緩めてはいけない。
そして、いよいよ最後の大きな坂だ。いくら精神的には克服できていると言っても、さすがにこの大きな坂ではペースは落ちる。たぶん、歩いているようなペースだろう。しかし、もちろん、歩こうなんていう気持ちは全くわいてこない。歩いているランナーを気持ち良く追い抜いていくと、思ったより早く上り坂は終わってしまい、あとはもう下るだけだ。
坂を下り終わると残り1kmの表示がある。ここを途中で転んだりせずに一気に走り切れば、なんとか2時間は切れる。てな事で最後の力を全て使い切ろうとペースアップを図るが、今日はパターンとしては快走パターンだと思うんだけど、実際のスピード自体はイマイチで、全力疾走しているつもりでもペースは大して上がらない。それでも、最後まで足は重くならず、気持ち良くゴールできた。
〜 ゴール 〜
結局、タイムはギリギリでなんとか2時間を切った。ハーフマラソンでギリギリの2時間切りというのは一般的に言えば惨敗だが、このコースの場合は、8年前に初めて2時間を切るまでは一度も2時間を切ったことが無かったくらいなので、まあ、そんなに悪くはない。また、1kmごとのペースで見ても、前半より後半の方がペースアップできているので、タイムそのものはパッとしないものの、快走パターンで走ることができたので、気分は良い。
ゴールでは10kmの部に出たゾウさんが写真を撮るために待ち構えているとのことだったが、見つからなかった。そのうち現れるかなと思いながらゴール横で待っていると、しばらくして國宗選手がゴールした。
(幹事長)「お疲れ様。ゾウさんが見つからないんやけど」
(國宗)「ゾウさんなら、写真を撮ってくれてましたよ」
なんと、ゾウさんが待ち構えていたのはゴールじゃなくて、ゴールの500mほど手前の地点だったのだそうだ。そうとは思わなかったので、見逃してしまった。
その後は新人女子2人の帰還を待つ。第2折り返し点では、まだまだそんなに遅れていなかったが、さすがに終盤に疲れが出たのか、すぐには帰ってこない。それでも、まずはノラちゃんがしっかりした足取りで帰ってきた。
(幹事長)「お疲れさん。どうやった?」
(ノラちゃん)「思ったより厳しくなかったよ!」
完走の喜びを爆発させるノラちゃん
直前の合同練習で登った青ノ山の坂に比べたら大したことなかったので、坂も歩かずに楽々クリアしたし、最後までそんなにしんどくはなかったそうだ。ただ、ゴールが近づいたと思って最後にラストスパートしたら、まだまだ残っていたので、そこで力尽きてガクンとペースダウンしてしまったそうだ。これは初めて参加した時に誰もが陥る罠で、我々も初参加したときは、ゴール間近と思ってスパートしたら、そこからグルッと大回りさせられてガックリきたことがある。11月のタートルマラソンも全く同じ構造で、ゴールのアーチが間近に見えているのに、そこからわざわざ大回りさせられるから、精神的にガックリするのだ。それでもノラちゃんは、2月の丸亀マラソンより2分遅いだけだった。私なんか丸亀マラソンより7分も遅かったから、大健闘と言える。
さらに、しばらく待っていると、忍ちゃんもゴールしてきた。彼女は少し疲れているように見えるが、それでも最後まで全然歩かずにペースを守ってゴールした。しかも丸亀マラソンより大幅にタイムが良かった。2度目のマラソン大会なのに大健闘だ。
忍ちゃんも大健闘
一方で支部長の姿が見えない。ずうっと見てたんだけど、分からなかった。さすがに忍ちゃんより遅いって事はないだろうから、記録証をもらいに行ったりしてる隙にゴールしたのかも知れない。
結局、ゾウさんにも会えなかったので、ノラちゃんと忍ちゃんと3人でソーメンを食べに行く。今日みたいに暑い日は、レース後の冷たいソーメンがとても美味しい。
〜 帰りの船 〜
帰りの家畜船は出港時間が2時なので、まだまだ時間はあるが、朝と同じで、早く行かなければ座る場所を確保できない。もちろん、我々がゴールする頃は既に遅く、それから急いで並んだって所詮、シートにはありつけない。しかしゾウさんが10kmの部で早々にゴールして並んでくれていたので、朝と同様、ボックス席を確保することができた。
取りあえずはソーメンで空きっ腹を満たし、船の乗ってからゆっくり弁当を食べるというパターンが嬉しい。
いつものように弁当を食べながら反省会をする。個人的にはタイムはパッとしなかったが、後半にペースアップできたのが嬉しい。
ピッグは、あのまま航路さんとペースを維持して走り、私より少し前にゴールしていた。一方、レース中は見つからなかった支部長は、久々の大惨敗だったようだ。2年前も昨年も、終盤の坂では歩いたにもかかわらず私より速かったのに、今年は終盤どころか途中で早々に歩いたようで、ボロボロでゴールしたようだ。
(支部長)「やっぱり疲労の蓄積と練習不足が致命的やったなあ」
(幹事長)「それに昨日のゴルフが決定打やな」
一方、敢えてスピードレースの10kmの部に出たゾウさんは、なんと部門で201人中13位という上位成績だった。
(支部長)「ぎょぎょぎょっ!やっぱりすごいなあ。走る表情からして真剣やったもんなあ」
満足感に浸りながら祝杯をあげるゾウさんだった。
素晴らしい上位入賞を果たしたゾウさん
また新人女子2人のうち忍ちゃんは達成感に浸りながらも、「もうしばらくはマラソンはいいかな」なんて言ってるが、ノラちゃんは俄然マラソン大会の面白さに目覚めてしまい、やる気まんまんだ。我々が出場する北山林道駆け足大会や汗見川マラソンや四国のてっぺん酸欠マラソンといった夏場の山岳マラソンにいきなり出るのは無謀かもしれないけど、秋の庵治マラソンやタートルマラソンには出るかもしれない。
てことで、次のレースは早くも2週間後の北山林道駆け足大会だ。一昨年おんちゃんに誘われて初めて出て、去年も出たレースだが、ものすごい急勾配の林道を上ったり降りたりする面白いコースで、近年まれにみる楽しさだったので、絶対に出なければならない。しかも、去年は怪我の影響で支部長に急な上り坂で追い抜かれるという衝撃的な屈辱を味わったので、今年はなんとしてもリベンジせねばならない。頑張るぞ!
〜おしまい〜
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