第34回 那覇マラソン
2018年12月2日(日)、沖縄の那覇市で第34回那覇マラソンが開催された。
(幹事長)「遂にリベンジの時がやってきたぞ!」
(支部長)「リベンジできるかなあ」
(ヤイ)「完走は無理でしょうねえ」
(幹事長)「みんな何を弱気な事を言ってるんですかーっ!」
那覇マラソンは私にとって曰く付きの因縁の大会なのだ。
那覇マラソンは多くのマラソンランナーにとって憧れの大会だ。マラソン大会そのものとしては東京マラソンや大阪マラソンも魅力的だが、行き飽きた東京や大阪の街と違って、そもそも沖縄へ行くって事だけでもワクワクする。
(ピッグ)「沖縄は初めてじゃないですよね?」
(幹事長)「7〜8回は行ったかな」
沖縄へは那覇マラソンの他、家族旅行で来たこともあるし、仕事でも数回来たことがある。それでも、沖縄は何度来ても楽しい。「何が楽しいか」と言っても「特にこれが」ってものは、実は無い。ただ南の島が好きな私としては、沖縄の空気が好きなのだ。海の雰囲気だけでなく街の雰囲気も大好きだ。
だから、沖縄のマラソン大会だなんて、聞いただけでもワクワクする。ウキウキする。ゾクゾクする。
ただ、実際に行くとなると、なかなか重い腰が上がらない。やはり遠いからだ。東京や大阪の人に取っても那覇マラソンは、東京マラソンや大阪マラソンと違って、長時間、飛行機に乗って、しかも前日から出掛けなければならないから、かなりハードルが高いと思う。その点、四国の人間にとっては、所詮、東京マラソンだって飛行機で行かなければならないし、前日に行かなければならないから、大差は無いように思える。
とは言え、出張とかでもしょっちゅう出掛ける東京と、遊びでしか行くことが無い沖縄では、やっぱり馴染み度が異なるから、なんとなく精神的にハードルが高い。
だが、一昨年、遂に重い腰を上げてエントリーしたのだ。なぜ思い切って出場することにしたのかと言うと、3年前に初参加した奈良マラソンのエントリーに失敗したからだ。奈良マラソンは那覇マラソンの1週間後に開催されている大会だが、3年前に初参加したら、坂が多くて非常に厳しいコースで大変だったけど、変化があって、とっても楽しいマラソン大会で、「絶対に来年も出場しよう」って強く思ったのだ。
ただ、奈良マラソンは抽選じゃなくてネット受付の先着順なので、エントリーには秒単位の熾烈なクリック競争があり、数秒の差が命取りになる。それなのに一昨年は、酒を飲みながら夕食を食べているうちにすっかり忘れてしまい、気が付いたときには受付開始から1時間が経っていて、当然ながら既にエントリーは閉店休業になっていた。
奈良マラソンのエントリー失敗のショックから立ち直るために、ふと思い出したのが「Naraマラソンの1週間前にNahaマラソンがある」っていうダジャレのような小松原選手の言葉だ。小松原選手は7年前、初フルマラソンとして那覇マラソンに出場し、すっかりその魅力に取り憑かれてしまい、その後、毎年出場している。その彼の強い勧めに従い、初めて那覇マラソンに参加することにしたのだ。
ただし、奈良と違って沖縄は遠方なので、一人で行くのは寂しい。東京マラソンも大阪マラソンも抽選だったので一人で行ったけど、しょっちゅう行ってる東京や大阪と違い、滅多に行かないリゾートアイランド沖縄に一人で行くのは寂しい。てことで他のメンバーにも声を掛け、賛同を得た支部長、ピッグ、ヤイさんの合わせて4人で参加することにした。
ところが、リゾートアイランド沖縄での初マラソンにワクワク胸を躍らせていた大会3日前の夜、最後の練習として軽く数kmくらい走ろうと思って会社から自転車に乗って帰宅していた時、自宅まで100mも無い近所の道で、狭い路地から突然、車が飛び出してきてはねられたのだ。救急車で搬送された救急病院で診断を受けると、肋骨が3本も骨折していて、全治6週間と診断された。
足の骨折とかならギブスで固めて治療ってことになるが、肋骨は呼吸と共に常に動いているので、そういう治療はできないから、自然治癒を待つしかない。施してくれたのは、大きく呼吸して胸が広がると、くっつきかけた肋骨が離れてちぎれてしまうので、それを防ぐために胸にバストバンドってのを巻いてくれただけだ。
自然治癒を待つだけなので、痛くなければ何をしてもいいとは言われたが、さすがに「運動なんかしてもいいんですか」って聞いたら「当面は控えてください。て言うか運動なんかしたら痛いと思いますよ」なんて言われた。さらに「実は3日後にマラソン大会があるんですけど、やっぱり無理ですかねえ」なんて聞いたら、呆れかえった顔で「1ヵ月程度は運動は控えてください!」なんて怒られた。
だけど、苦労して予約した飛行機もホテルも既にキャンセルはきかないし、せっかくみんなで沖縄へ行く予定だったので、取りあえず4人で沖縄に出掛けた。そして、もしかして奇跡的に痛みが薄れたら出場しようなんて思っていた。しかし、当日、ホテルから会場まで行く途中、歩いているだけでも痛みに耐えるのに疲れてしまい、とてもじゃないが走れる状態ではないと悟り、残念だけど最終的に出場を諦めた。
私はそのままホテルに戻り、ベッドでウンウン唸っていたから知らなかったが、その年の大会は猛暑のレースとなった。その日の那覇は、12月の気温としては102年ぶりに記録を更新する観測史上最高気温だったようで、おまけに風が無く、マラソンとしては非常に厳しいコンディションだった。そのため、完走率は1999年の第15回大会に次ぐ低さの53.2%だった。つまり3万人走って半分近い1万4千人もがリタイアしたってことだ。
このような厳しいコンディションの中、ピッグは5時間半という史上最悪のタイムでゴールし、支部長に至っては途中で力尽きてリタイアした。さらに、ヤイさんは痛めていた肉離れが悪化して早々に走れなくなった。ただ、鉄人ヤイさんそのまま根性で歩き続け、制限時間の6時間はオーバーしつつも、最後まで歩いてゴールした。
(幹事長)「よくもまあ、そんな長距離を歩けますねえ」
(ヤイ)「翌年のためにコースを把握しておこうと思って」
楽しみにしていたのに初出場できなかった私はもちろん、途中から走れなくなったヤイさんも「悔しいので、来年は完走しよう」て事で、2年連続での沖縄遠征に意欲を見せた。もちろん途中リタイヤの支部長もリベンジに燃え、ピッグにも有無を言わさず、4人で再び挑戦することになった。
てことで、私としては昨年が待ちに待った初出場だった。また、ヤイさんや支部長もリベンジのために、待ち望んでいた。そして、その結果は大惨敗だった。
去年は一昨年のような猛暑ではなく、それほど悪いコンディションではなかった。完走率も69.7%まで上昇している。それにもかかわらずタイムは5時間半近くかかってしまった。超過激な山岳マラソンの龍馬脱藩マラソンを除いては、空前絶後の大惨敗だ。那覇マラソンも坂は多いが、トータルの標高差を見ると奈良マラソンやタートルマラソンの方が坂は厳しい。それなのにタイムは圧倒的に悪かった。
「歳のせいじゃないのか」と言う意見も支部長から出されたが、那覇マラソンの2ヵ月後の今年2月の海部川マラソンでは4時間半で走っている。海部川マラソンだって山間部を走るマラソン大会で、トータルの標高差は那覇マラソンとほぼ同じだ。
「初めてのコースは分からない事が多く、戸惑いもあって思ったようなペースで走れない」って感想もあるが、海部川マラソンだって初参加だったが、良いタイムだった。
なので、大惨敗の理由は良く分からない。一昨年はリタイアした支部長も去年は私と一緒に完走だけは果たしたが、タイムは私と同様に大惨敗タイムだった。さらにヤイさんは足が動かなくなり、途中でリタイアした。
ピッグだけは割りとマシなタイムでゴールしたので「那覇マラソンは卒業します」と言いながら去っていったが、私と支部長とヤイさんは、なんとしても再びリベンジしなければならない状況に追い込まれたのだ。
また、自転車部の新人加藤選手も騙して連れて行く事に成功した。
〜 エントリー 〜
那覇マラソンは先着順ではなく抽選だ。全員で行くには全員が抽選に当選しなければならない。東京マラソンや大阪マラソンなんて、自分1人が当選するのだって難しいので、メンバーが揃って当選するなんて可能性はゼロだ。ところが、意外にも那覇マラソンの競争率は低い。例年1.3〜1.4倍程度だ。
世紀末的なマラソンブームが続いていると言うのに、なんで憧れの那覇マラソンの競争倍率がそんなに低いのか不思議だが、東京や大阪の近辺の人達は東京マラソンや大阪マラソンとなると大挙して申し込むため競争率が跳ね上がるが、遠方の沖縄にまで出掛けようっていう人は少ないってことだ。マラソンブームとは言っても、みんなそこまで熱心ではないってことだ。
那覇マラソンの定員が30000人で、東京マラソンや大阪マラソンと並んで日本のマラソンでは最大規模だってことも理由だろう。そのため競争率が低くなっているのかもしれない。
ただ、いくら競争率が低くても、うまいこと全員が当選するかどうかとなると不安がある。1人くらい落ちこぼれる人が出てくる可能性はある。
ところが、なんと、那覇マラソンはグループエントリーが可能なシステムになっていて、同じグループでエントリーした仲間達は運命共同体で、当選するときは全員当選だし落選の場合は全員落選なのだそうだ。これなら誰か寂しい思いをする人も出ない。
て事で、一昨年、支部長に申し込んでもらったところ、見事に全員当選したのだ。
(支部長)「私のエントリーがうまいからやな」
(幹事長)「誰がやっても同じやろ?」
そして、去年も引き続き、支部長がグループエントリーで申し込んだら、あっさりと4人揃って当選した。
(支部長)「やっぱり私のエントリーがうまいってことやな」
(幹事長)「もしかしたら、島の外から来る人は優先してくれてるんかなあ」
4人揃ってだから、観光立国の沖縄としては最優先してくれる上客かも知れない。
(支部長)「安ホテルやから、そんなに地域経済に貢献はしてないけどな」
(幹事長)「事務局もそこまでチェックはできんやろ」
てな事で、今年も支部長がグループエントリーで申し込んだ。
抽選とはいえ、絶対に当選するものとばかり思っていたから、すっかり当選を前提にスケジュールを組み、宿泊場所の予約など準備していた。
そしたら、当選発表の8月上旬に支部長が血相変えて飛び込んできた。
(支部長)「て、て、て、てえへんだ、てえへんだっ!」
(幹事長)「なに慌ててやがるんでぃ」
(ピッグ)「いつから江戸っ子になったんですか」
(支部長)「那覇マラソンの抽選に外れちまったんだよ!」
(幹事長)「なんだって!?そんな事があるのかよっ!?」
信じられない事態だった。那覇マラソンの抽選は形式的なものであり、島外からの観光客は最優先で当選するものとばかり思っていた。それが落選だなんて!こんな事なら奈良マラソンに申し込んでおけば良かった。
考えてもみなかった事態に呆然としながらも、ここは気持ちを切り替えなければならない。どっちみち生きていかなければならないのだから、終わった事をいつまでもクヨクヨするんじゃなくて、人生は前向きに生きていかなければならない。
(ピッグ)「そこまで大袈裟な事でもないでしょう?」
那覇マラソンに落選し、奈良マラソンの申込はとっくの昔に終わっているので、他に何かマラソン大会は無いかと探してみたら、新居浜であかがねマラソンてのが開催されるらしい。前半はひたすら上り、後半は下ってくるというかなり過激な坂のマラソン大会だ。
まだ今年は2回目で、しかもハーフマラソンは今年が第1回目の新しいマラソン大会なので知名度が低く、まだまだ余裕でエントリーできるようだ。那覇マラソンとは両極端のマイナーな大会だが、なんだか面白そうなので、そちらにエントリーする事にした。
もちろん、他のメンバーにも声を掛けたが、誰も賛同者がいない。コースが厳しいマイナーな大会なので魅力を感じてないようだ。仕方なく幹事長の強権を発動して支部長を道連れにして2人でエントリーした。
一方、加藤選手は前日の土曜日に松山で開催される坊ちゃんランランランてのを推薦してきた。もちろん、2日連続ってのは無謀なので私は無視したが、心優しい支部長はそっちにもエントリーした。
(幹事長)「ちょちょちょ、ちょっと!2日連続やで!認知症が進んでない?」
(支部長)「自分を追い込んでみるわ」
このように気持ちを切り替えて新しい人生の第一歩を踏み出した我々の元に、9月上旬になってピッグから衝撃的な情報がもたらされた。
(ピッグ)「て、て、て、てえへんだ、てえへんだっ!」
(幹事長)「なに慌ててやがるんでぃ」
(支部長)「ほら、慌てたら江戸っ子になるやろ?」
(ピッグ)「那覇マラソンの追加募集が始まってますぜ!」
(幹事長)「なんだって!?そんな事があるのかよっ!?」
3万人の当選者を発表したものの、辞退者が多く、入金した人が少なかったため、追加募集をするらしいのだ。
(幹事長)「歩留まりが悪かったって事やな」
(支部長)「沖縄なんて遠方なんやから、歩留まりが悪いことくらい当然、予想できたはずやで」
(幹事長)「もう30年以上もやってるのに事務局の見通しは甘いなあ」
最初っから県外客は優先的に全員当選させるべきだったと思う。しかし、何はともあれ参加の道が開けたんだから喜ばしい事態だ。
追加募集は最初の申込と違って、抽選じゃなく先着順だ。エントリー期間は2週間で、既に始まっている。こりゃ一刻も早く慌ててエントリーしなければならない。
ところが最初の申込と違って、今回はグループエントリーができないから、各自でエントリーしなければならない。誰か一人でもエントリーできなかったら悲惨なので、時間を合わせて一斉にエントリーすることとし、私と支部長とヤイさんがエントリーに成功した。一方、加藤選手は既にスケジュールを変えてしまっていたためエントリーを断念した。
て事で、今年の大会は3人で参加することとなった。
〜 宿泊場所の確保 〜
那覇マラソンでエントリー以上に苦労するのは宿泊場所の確保だ。東京マラソンや大阪マラソンなどの過去の事例からも分かるが、大規模なマラソン大会が開催されると宿泊場所の確保は困難を極める。エントリーの当選が決まってから探していたのでは、我々には手が出ない高級ホテルか、極端な安宿しか残っていない。
5年前の大阪マラソンでは、予約しようと思ってネットで探すと、山ほどホテルが空いているので、さすがは大都市だと思ったら、妙に安い。カプセルホテルでも普通なら3000円はするのに、1000円程度から大量にある。一体こりゃ何じゃと思って場所と条件を確認していくと、極端に安いホテルは西成区に集中していた。
つまり釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街のホテルなのだ。ドヤ街で労務者が住んでいた簡易宿所(通称ドヤ)が時代の流れでビジネスホテルっぽく模様替えしているだけなのだ。
いくら模様替えしたとは言っても、元々3畳トイレ無しといった狭い部屋だし、エリアとしては極端に怖いイメージだ。しかし、釜ヶ崎のドヤ街以外のホテルを探そうとすると、とても高額なホテルしか残っていなかったため、仕方なくドヤ街に泊まった。
こういう経験から、初めて参加ようとした一昨年は宿の確保に早めに動いた。早めと言うのは、当選が決まってから動くのではなく、当選するかどうか分からないうちから押さえておくのだ。当選発表の2ヵ月も前に手配を開始した。ところが、それでも甘かった。その時点で既に手頃なホテルは全滅だった。
沖縄なんて全国有数の観光地だからホテルはいっぱいあると思っていたのだが、大会の規模が大きいから、収容しきれないのだ。他の参加者達は、それより早く、はるか以前に手配に動いていたようだ。大阪マラソンの場合と同じで、手頃なホテルは皆無で、うんと安いホテルか、トンでもなく高いリゾートホテルしか残ってなかったのだ。
過去の経験から言えば、こういう場合には、ためらう事なく安いホテルを選択するのがよろしい。どんなに安いホテルでも、日本なので危険を感じる事はない。それにマラソン大会はどこも朝が早く、そんなにゆっくりくつろぐ時間も無い。単に夜、寝るだけだ。
それに、那覇の安いホテルは、ドヤ街の労務者を相手にする大阪の釜ヶ崎とは事情が異なる。那覇の安いホテルのメインの客は海外からのバックパッカー達であり、そもそもホテルと言うよりユースホステルみたいな感じだ。普通は大部屋に雑魚寝で転がされるイメージだが、散々探した結果、4人で1部屋に泊まれるホテルをゲットした。ホステル沖縄リトルアジア・ゲストハウスという宿だ。
大部屋の雑魚寝なら1人1泊1200円からあるが、さすがに4人部屋なので1人1泊2000円する。とは言っても、格安なのは間違いない。実際に泊まってみると、窓の無い部屋で、息苦しいが、ま、夜寝るだけなので、それほど問題は無かった。てことで、去年も当選発表の2ヵ月も前に手配を開始し、同じリトルアジア・ゲストハウスを予約する事ができた。お値段も同じ1人1泊2000円だ。
そして今年も同様に、当選発表の2ヵ月前に手配を開始し、同じリトルアジア・ゲストハウスを予約する事ができた。お値段も同じ1人1泊2000円だ。たぶん、ここはなかなか満室にはならないのかもしれない。他の参加者達はどこに泊まっているのだろう。似たようなホステルはいっぱいあるから、分散しているのかもしれないし、仕方なくお高いリゾートホテルに泊まっているのかもしれない。
宿泊場所はあっさりと確保できたものの、落選通知が来たので、最初はキャンセルしようかと思った。しかし、世の中、何があるか分からないので、取りあえず予約したままにしておいたら、追加募集で参加できることになったので、結果的には良かった。3年連続のリトルアジアだ。
(幹事長)「今年はマラソン大会の翌日はどうする?」
(支部長)「今年も翌日は観光しよう」
一昨年は大会の前日の土曜日に那覇に入り、大会翌日の月曜日に帰ってくると言う2泊3日コースで行ったが、去年は「せっかく沖縄まで行って2泊3日で帰ってくるのはもったいない」という支部長の言葉に賛同し、もう1泊して観光することになった。1泊延長したところで宿泊費は1人2000円しか余分にかからないので、時間さえ取れれば延長した方が良いに決まってる。
去年は延長した翌日でサイクリングをした。今年は何をするか考えてないが、取りあえず1泊延長して今年も3泊4日コースで攻めることとした。
〜 飛行機の確保 〜
宿泊場所と並んで苦労するのが飛行機の手配だ。高松から那覇へは1日1往復しか飛行機が飛んでないから、なかなか席が取れない。金に糸目をつけずに正規料金を払うのであれば、もっと簡単に取れるのかもしれないが、3ヵ月前から売り出される安いチケットを取ろうとすると非常に苦労する。
東京マラソンや大阪マラソンは同じ3万人規模と言っても、大半が東京や大阪の地元の人だけど、那覇マラソンは全国から満遍なく集まってくるはずだから、人口比からすれば香川県から2〜300人くらい出場してもおかしくはない。なので、飛行機もあっという間に完売するのかも知れない。あるいは、週末はいつでも旅行会社が事前に押さえてしまっていて、慢性的に取りにくいのかもしれない。
いずれにしても、一昨年は、4人分のチケットを確保することができず、途方に暮れた。が、ここで、ふと関西方面からの発着を見てみると、あるわ、あるわ、なんぼでもあるわ。関西には伊丹空港、関西空港、神戸空港と3つの空港があるため、那覇空港との便数が多いのだ。
結局、発着の時間を考慮した結果、行きは関空発、帰りは神戸空港着の便を利用することにした。行きと帰りの空港が異なると車の置き場に困るが、行きは神戸空港に車を停めて、神戸空港から関西空港まで船で移動し、帰りは神戸空港に降り立つという裏技を駆使した。
お値段は行きも帰りも8000円台で、往復でも17000円ほどと、とてもお安くなった。高松空港発着便なら一番安いチケットでも片道15000円はしたので、半額程度だ。もちろん、高松空港と違って関空や神戸空港との移動に時間とお金はかかるが、それでも許容範囲だ。
て事で、去年は最初から関西方面からの発着便を探したら、手配が早かったため、伊丹空港の発着便が取れた。
やはりそれが便利だったので、今年も同じように伊丹空港の発着便を取った。
大会前日の12月1日(土)に高松から伊丹空港へ行って那覇へ飛び、大会翌々日の4日(火)に那覇から伊丹空港に飛んで高松に戻ってくる行程だ。
料金は去年と同じく、行きも帰りも8000円台だったから、高速道路料金やガソリン代や駐車料金まで含めても、高松空港発着の一番安いチケットより少し安いくらいだった。宿泊料金も格安なので、全部合わせてもコストは東京マラソンなんかに比べたら随分安くあがる。
ちなみに、那覇マラソンは参加料そのものも6500円で、最近のマラソン大会の参加料の高騰ぶりを考えると、比較的良心的と言える。京都マラソンの12000円は論外としても、東京マラソンや大阪マラソンなんかは軒並み10000円を超えるし、田舎でも徳島マラソンなんか毎年値上がりし続け今では9000円にまでなったことを考えると、那覇マラソンは安い。
もちろん、沖縄までの交通費や宿泊費を考えると、トータルとしてはかなり高い買い物だが、それでも思った以上に安くあがっている。
〜 レンタカーの手配 〜
那覇マラソンの翌日は、去年は私の強い希望によりサイクリングを決行した。フルマラソンの翌日にサイクリングするって事で、当初は疑問視するメンバーもいたが、結果的には楽しかった。マラソンで使う筋肉と自転車で使う筋肉は異なるので、それほど大きな負担にはならなかったのだ。
しかし、今年はもうサイクリングするつもりはない。
(支部長)「やっぱり、しんどい?」
(幹事長)「適当な行き先が見あたらなくて」
去年は那覇でロードバイクを借りて、残波岬まで行って帰ってきた。できれば万座毛まで行きたかったが、残波岬まででも十分疲れたので、フルマラソンの翌日としては残波岬辺りまでが限界だ。
そうなると、今年は適当な行き先が無い。島の東海岸を攻める手もあるが、あんまり楽しそうな地域でもないし、行き帰りに山を越えなければならない。また南部へ行く手もあるが、前日の那覇マラソンで南部を一周しているので、それほど行きたくもない。
てことで、今年はサイクリングは止めて、レンタカーでも借りて普通に観光しようということになった。
(支部長)「どこ行くん?」
(幹事長)「美ら海水族館なんて、どう?」
(ヤイ)「ええですねえ」
ま、行き先はその場で決めても良いし、取りあえず早めにレンタカーの手配をすることにした。飛び込みで行ったら売り切れているかもしれないからだ。
そして驚いた。事前にネットで予約すると、とっても安いのだ。まる1日借りて、コンパクトカーなら3千円弱で借りられるのだ。沖縄は観光客が多いからレンタカーの需要も多く、料金は高いのかと思ったら、レンタカー会社も多く、競争が激しいのかもしれない。
クラスを上げてもそれほど高くはならないので、ちょっと広い普通車を借りたが、保険やら何やら色々入れても4千円弱だった。去年借りたロードバイクが1日1台3000円だったのと比べても、驚異的に安い。
〜 沖縄へゴー! 〜
伊丹空港へは支部長が車を出してくれたので、うちに9時に来てもらい、途中でヤイさんをピックアップして伊丹空港に向かう。飛行機の出発時間は14時で、伊丹空港まで2時間ちょっとで着くだろうから、もっと遅くても良いんだけど、渋滞とかあったら困るので、かなり早めに出発した。
1週間前の天気予報では、南の海で台風が発生し、沖縄方面に来るかも知れないって事だったから心配だった。沖縄の事だから、もし台風に直撃されたら、マラソン大会どころではなくなるだろう。だが、その台風は沖縄まで来る前に東に方向を変え、消滅したようだ。そのため、沖縄地方の天気は、快晴でもないし、また大雨でもないようだ。
(幹事長)「ちょうどいいくらいかなあ」
(支部長)「雨が降ってくれた方が良いけどなあ」
一昨年、猛暑で途中リタイアを余儀なくされた支部長としては、晴れよりは雨が降って走りやすくなるのを望んでいるようだ。
(幹事長)「でも、せっかく青い海を見に沖縄へ行くのに、雨だと嫌じゃない?」
(支部長)「だからマラソンコースから海は見えないやんか!」
そうなのだ。沖縄の魅力と言えば、何と言っても青い海なのに、なんと那覇マラソンでは青い海が見られないのだ。那覇マラソンのコースって、てっきり沖縄本島南部の海岸線の道を青い海を見ながら走るのかと思ってたら、海がほとんど見えないコースを走るのだ。
イメージと全然違う。なので、少なくともマラソン当日は晴れても何の意味も無い。て言うか、晴れたら暑いだけで、何も良いことはない。曇りか小雨ぐらいが望ましい。
(ヤイ)「でも、観光するのなら晴れてる方が良いですね」
(支部長)「観光は二の次でマラソンが第一やないの」
(ヤイ)「いや、私は走るかどうか決めてませんから」
ヤイさんが突然トンでもない事を言い出す。去年と同じ展開だ。
(幹事長)「ななな、何を今更言いよんですかっ!?」
ヤイさんは、一昨年はレース中に肉離れが悪化して途中から歩いたため、制限時間をクリアできなかった。
(支部長)「正確に言うと、途中で制限時間をオーバーして関門で引っかかり、強制的にリタイアさせられたにもかかわらず、
勝手に歩道を最後まで歩いてゴールしたんやけどね。何を考えとるんか分からんわ」
(ヤイ)「まだまだ時間の余裕があったのに、早々に途中でリタイアして道端で寝てた人に言われたくないですね」
去年は、その悔しさを晴らすためにリベンジに燃えていたのだが、肉離れそのものの悪化ではなくて、ずうっと走ってなかった事による走力不足で途中でリタイアした。
その後も、肉離れが完治してないので、あまり走っていない。出場するレースも今年は厳選しており、エントリーしたのは丸亀マラソンと徳島マラソンと那覇マラソンの3レースだけだ。そして、そのうち丸亀マラソンと徳島マラソンは足の調子が悪いとのことで欠場した。このままいくと、那覇マラソンも欠場するかもしれないのだ。
(幹事長)「いくら何でも今年、一度もレースに出ないって訳にはいかないでしょう?」
(ヤイ)「いや、私はそれほどマラソン大会に命は賭けてませんから」
ま、しかし、現地に行けばヤイさんの事だから走りたくなるのではないだろうか。
高速道路は渋滞も無く、順調に進んでいたが、神戸ジャンクションで間違って新名神に入ってしまい、だいぶ遠回りとなった。去年までは新名神が無かったので、ボーっとしてても山陽道から自動的に中国道に入ったが、新名神が出来たため、注意してないと間違ってしまうのだ。
ただ、時間的に余裕をもって出発していたので、12時過ぎには伊丹空港に着いた。
伊丹空港の正規の駐車場は料金が高いが、調べてみると、最近できた臨時駐車場は格安とのことだったので、少し遠いけど、臨時駐車場まで行って車を停めた。正規の駐車場だと初日が2500円で翌日以降は1日1500円だが、臨時駐車場だと初日から1日1000円だ。
(支部長)「これは来年のための備忘録?」
(幹事長)「その通り。1年も経つと忘れてしまうからな」
伊丹空港で昼食をとり、ダラダラと時間を潰し、ようやく飛行機に乗り、14時に伊丹空港を出発し、那覇空港に着いたら16時20分だった。
〜 沖縄到着 〜
天気予報通り沖縄に着くと空は薄曇り状態で、本土に比べたら暖かい。
那覇マラソンの大会会場は空港からモノレールで3つめの駅にある奥武山総合運動場で、前日の受付もここでやっている。
モノレールのチケットは、一昨年や去年は48時間フリー切符を買ったが、明日は今の時刻までにはレースも終わってるだろうし、明後日は使うアテも無いから、24時間フリー切符を買った。
奥武山総合運動場へは、これまではモノレールの奥武山公園駅を降りて行っていたが、いつも公園内で道に迷ってしまうので、今年はモノレールの壺川駅で降りて行った。
3万人規模のマラソン大会と言えば東京マラソンなんかと並んで全国一の規模なので、前日の受付会場も東京マラソンのような華やかな雰囲気を期待すると大間違いで、企業の宣伝ブースなんかは少なく、なんとなく少し寂れたような雰囲気だ。やはり東京と地方の立地条件の差だ。ただ、スポーツ用品の屋台なんかは沢山出ていて、支部長と一緒にゼリーを探す。
(幹事長)「何を買ったん?」
(支部長)「足攣り防止のゼリーとエネルギー補給のゼリー」
支部長は足攣り防止ゼリーとエネルギー補給ゼリーが7本くらいセットになったものを買っていた。私は別のメーカーの、足攣り防止専用のゼリーを買った。坂の多いフルマラソンでは、この頃、足を攣る事が多いので、2人ともなんとかしたいのだ。今年2月の海部川マラソンでも途中でゼリーを飲んだが、そのおかげかどうか分からないが足は攣らなかった。
ただ、超過激な山岳マラソンの龍馬脱藩マラソンではゼリーを飲んだにもかかわらず足は攣った。効果があるとしても、万能ではないのだろう。ま、気休めかも知れない。
受付を済ませると、宿へ向かう。宿は国際通りの近くにあるので、モノレールをさらに5駅乗って牧志駅で降りる。今年で3年連続の宿なので、道は分かっている。よく目立つ巨大高級ホテルのハイアットリージェンシーのすぐ裏に、リトルアジア・ゲストハウスは去年と同じたたずまいで存在した。
勝手が分かっているので、受付は部屋の場所だけ聞いて済ませる。部屋はユースホステルみたいな大部屋と、我々が予約したような小部屋の個室がある。大部屋なら色々と情報交換もできて楽しい面もあるだろうが、我々のような完全なるおっさん達にとっては個室がありがたい。
一昨年と去年は同じ部屋だったので、てっきり我々のようなおっさん組専用の部屋かと思ったら、今年は別の部屋だった。四畳半くらいの板の間で、中にロフトと言うか中2階のような部分があり、そこに布団が2組敷いてあり、その下に2段ベッドがある。なので、一応4人部屋ではあるが、これまでの部屋より少しだけ狭かった。4人から3人になったからだろうか。
例年のように、支部長が「イビキがひどいから、みんなの迷惑にならないように」との理由で中2階に上がったので、2段ベッドの下に私が、2段ベッドの上にヤイさんが寝ることになった。
(ヤイ)「中2階にあがってもイビキは聞こえてきますけどね」
(幹事長)「あれはイビキというより、叫び声やけどね」
支部長は真夜中に奇声を発する。初めて聞いた人は殺人事件でも起きたのかと思うような叫び声だ。また、意味は良く分からないが、日本語の文章を叫んだりもする。それに備えて私もヤイさんも、ウォークマンやiPodで防御している。
(ヤイ)「今年もテレビは無いですねえ」
一昨年は、骨折の痛みに耐えきれず早々に部屋に戻ってきた私は、ベッドで呻きながら一日中、福岡国際マラソンで川内選手が力走するのを見ていたので、テレビが本当に役立ったが、去年からテレビが無くなってるのだ。
受付の人に聞くと、「電波が入らなくなって・・・」とか何とか意味不明の言い訳をするが、喫煙室には大きなテレビが置かれているので、おそらくNHKから受信料を要求されて個室のテレビは撤去したんだろう。
窓の無い部屋でテレビも無くなれば、部屋で時間を潰すのは不可能に近くなる。なので、早々に夕食に繰り出した。今晩は、明日のレースに備えて暴飲暴食は控えなければならないし、店を探し回って疲れるのも避けたいので、去年の最終日に行った沖縄料理店へ行くことにした。
ところが、我々の記憶力は極端に落ちているので、結局、かなり探し回ったし、店の前に来ても「絶対にここだ」という確信も得られなかった。ただ、店のじいさんが店の片隅で新聞を読んでいるのを見て、ヤイさんが「間違いない。去年も新聞読んでたじいさんだ」と思い出したので間違いない。
8時に閉店すると言われて少し驚いたが、明日のマラソンに備えてあんまり深酒することなく、適当に切り上げて店を出て、コンビニで明日の朝食を買って宿に戻る。部屋に入ってもまだ時間は早かったが、明日のマラソンに備えてみんな早々に寝床に入った。
(ヤイ)「って、まだ8時ですよっ!子供でもまだ寝ませんよっ!」
(幹事長)「テレビも無いし、する事ないじゃないですか」
寝ます、と言っても、さすがにまだ早いが、いつものように支部長はあっという間に眠りについてしまった。支部長は何時でもどんな所でもあっという間に寝てしまう。
(ヤイ)「車を運転してても、あっという間に寝てしまいますからね」
(幹事長)「支部長の横に乗っていると怖いから、私も一緒に寝てますよ」
(ヤイ)「いかんやないですかーっ!」
さすがにまだまだ眠れる時間ではないが、体だけでも休めないといけない。「登山部の活動」のコーナーに書いているが、昨日、里山登山に行ったんだけど、予想外に大変な山で、すごく疲れてしまったのだ。さらに今日もあちこちでチョコチョコと歩き回っているので、足の疲れがまだとれていない。
完全に失敗だった。とにかく、頭は眠れなくても、足の疲労感だけでも軽減させておかなければならない。
なので、早々に布団に潜り込んだが、深夜まで悶々とした状態が続いた。
〜 会場へゴー! 〜
早々に眠りについた支部長は、当然ながら早々に目が覚めて、4時には活動を開始したが、私はその頃になってようやく深い眠りについた。
スタートは9時で、宿から会場までは30分もあれば着くんだけど、モノレールは大混雑で乗るのに時間がかかるかもしれないって事で、余裕を持って7時には出発することにしたので、仕方なく6時過ぎに起きた。昨晩買ったおにぎりを食べて、ぼうっとした頭で何を着るか考える。
(ヤイ)「今日は悩む必要はないでしょう?」
(幹事長)「寒くなったりはしませんかね?」
(ヤイ)「何を寝ぼけてるんですか。暑くなることはあっても寒くなることなんて、あり得ませんよ!」
一昨年くらい暑ければ悩むことなく半袖Tシャツ1枚になるが、小雨でも降ったら少し寒くなる可能性がある。
(支部長)「雨が降っても寒くなんかならないって」
天気予報では気温は25℃らしいが、それがどれくらいの気温なのか分からない。
(幹事長)「真夏35℃に比べたら10℃も低いですよ」
(ヤイ)「何をアホな比較してるんですか。1週間前のタートルマラソンで何を着たんですか?」
確かに、1週間前のタートルマラソンでは半袖1枚でちょうど良かった。沖縄なんだから、それで寒いって事はあり得ないかもしれない。ただし、それはハーフマラソンの場合だ。フルマラソンとなると終盤にトボトボ歩く可能性があり、そうなると体も冷えるのだ。
などと悩んだが、結局、半袖Tシャツにした。着るのは5年前の大阪マラソンでもらったTシャツだ。たいていのマラソン大会は参加賞としてTシャツをくれるが、デザインとしてはイマイチのものが多く、持てあまし気味だ。その中で、この大阪マラソンのTシャツは、これまでもらったTシャツの中で群を抜いて素晴らしいデザインなので、とても愛用している。
続く問題はタイツだ。
(幹事長)「タイツは履く?」
(支部長)「暑くても寒くてもタイツは履くよ」
て言うか、支部長は暑くても寒くても上は半袖Tシャツ1枚でタイツと軍手を履く。年がら年中、ウェアは一定なので、参考の意見を聞くべき相手ではなかった。
ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が圧倒的に多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてないので、履くのは防寒の時だけだった。でも、最近は、少しでも足攣り防止効果があるのなら藁にもすがりたいのでタイツを履くことにした。
手袋は要らなそうだし、ランニングキャップは鬱陶しいから被らない。
持ち物はハンドタオル、ティッシュペーパー、それにスマホだ。スマホは重くて邪魔になるので本当は持って走りたくない。でもレース後の待ち合わせや写真撮影には必要だし、那覇マラソンの手荷物預け場所は誰も管理してなくて盗まれ放題なので、貴重品は持って走らなければならないのだ。
ティッシュペーパーの袋にはモノレールの切符と緊急時用の千円札を入れておく。
(支部長)「なんかお腹の具合が悪いな」
(ヤイ)「牛乳の飲み過ぎですよ」
支部長はお通じが良くなるように昨晩、牛乳パックを買い、それを早朝に一気飲みしたのだ。しかも、ヤイさんの「この高温で腐るといけないから冷蔵庫に入れなさい」という忠告を聞かずに部屋に置いていたのも良くなかったかも知れない。
(支部長)「なんか気分が悪いわ」
(幹事長)「お腹がスッキリしたのなら、ええやんか」
予定通り7時に宿を出発し、モノレールにもすぐ乗れたため、順調に会場に着いた。 モノレールの壺川駅を降りると、会場が見え、続々とランナーが向かっているのが見える。
雨が降りそうな気配はないが、空は一面、曇っている。気温は暑くもなく寒くもない程度。
(幹事長)「これくらいなら気温もちょうどいいし、風も無いし、絶好のコンディションやな」
(ヤイ)「いや、これから絶対に暑くなりますよ」
まずは手荷物を仮設テントに置きに行く。テントの中には棚がズラッと並び、勝手に荷物を置くシステムだ。手荷物の中身は、盗られても被害が少ない衣類やタオルだが、みんな昨日の受付でもらったビニール袋に入れているので、どれが誰の荷物やら分からなくなる。
なので3人のビニール袋をヒモで結んでおく。こうすれば少なくとも間違って持って行く人はいないだろう。
トイレは数多く用意されているので、それほど並ばずに最後のトイレを済ませ、まだ少し早いが集合場所に並ぶ。スタート地点への集合は8時20分までで、それに遅れると最後尾からのスタートになるのだ。
3万人もの人が参加する大きなレースなので、整列場所も広大で、ものすごい数の人がぎっしりと詰まっている。スタートはブロック別になっており、普通に考えれば早い順だと思うが、私とヤイさんはGブロックだが、支部長はHブロックになっている。
(幹事長)「何で?去年、私と一緒にゴールした支部長が後のブロックで、途中リタイアしたヤイさんが私と同じブロック?」
(ヤイ)「間違って逆に申告したんじゃないですか?」
(支部長)「いや、そなな申告をした覚えは無い」
支部長はタイムを申告した記憶は無いと言うが、高齢化が進んだ我々の記憶は全くアテにならない。だとしても、わざわざ異なるタイムで申告したとは思えない。そう言えば、去年もみんなバラバラのブロックだった。たぶん大きな意味は無いんだろう。
どうせタイムはネットで計測してくれるし、それほどムキになって前方からスタートする必要はないので、3人で一緒にスタートすることにした。
いよいよリベンジの時が来た
(まだ出走するのを躊躇しているヤイさんは着替えていない)
ヤイさんは、最後まで出走しようかどうか悩んでいたが、なんとかスタートする事になった。
(ヤイ)「絶対に完走は無理だと思いますけどね」
(幹事長)「ゆっくり歩きながらグルメしたらええじゃないですか」
那覇マラソンは別名グルメマラソンと言ってエイドに美味しいものがいっぱいあって、それを食い散らかしながら走るのが楽しいマラソンだ。
大会事務局が用意した公式エイドだけでなく、沿道には私設エイドが並び、色んな食べ物が提供される。ソーキソバを始めとする沖縄の名産品はもちろん、中には吉野家の牛丼やチキンラーメンとかもある。
(幹事長)「マラソンのエイドで牛丼やチキンラーメン食べたら吐くと思うんやけどなあ」
さらに裏エイドには泡盛やオリオンビールもある。
(幹事長)「マラソンのエイドで泡盛飲んだら倒れるぞ!」
沖縄名産のグルメコーナーには長蛇の列が出来て、30分とか平気で並ぶらしい。そのせいで完走できないランナーが多いとのことなのだ。
那覇マラソンの完走率は異常に低いことで有名だ。普通、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。
かつて瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは制限時間が5時間だったし(今は5時間半)、丸亀ハーフマラソンの制限時間は2時間5分と少し厳し目だったが(今は3時間)、そういう大会には実力の無いランナーは最初から出ないので、結局、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。制限時間をクリアできるかどうか不安なランナーは、そんなに多くはいないのだ。
ところが那覇マラソンの完走率は低い。とても低い。高い年でも70%ちょっとで、去年も69.7%だった。一昨年は猛暑で53.2%と異常な低さだったが、1999年の第15回大会では、それを下回る52%だった。2人に1人しか完走していないのだ。
この異常なまでの完走率の低さは、一般には暑さと厳しい坂が原因と言われている。本土では寒くなり始める12月だが、沖縄ではまだまだ暖かく、走るには暑すぎる季節なのだ。また、コースは坂が多く、最大標高差は100mほどだが、累積の獲得標高は300m近い。青い海の横を気持ち良く走るという勝手なイメージと違って、実は坂のある内陸部を走る厳しいマラソン大会なのだ。
しかし、完走率が低い本当の理由は、ランナーがあちこちのエイドで食い散らかしているうちに制限時間オーバーになってしまうからなのだ。酔っぱらって走れなくなるランナーもいるそうだ。
(ヤイ)「と言うか、最初から半分しか走るつもりが無いランナーが大勢いますからね」
もちろん、わざわざ島外から来た人は完走を目標にしている人が大半だろうけど、地元の人では、楽しいイベントと割り切って参加することが目的で、初めから完走することは目指していない参加者が多い。
このレースはフルマラソンの部だけで、ハーフマラソンの部は無いんだけど、中間点の平和祈念公園で勝手に止めるランナーがとっても多い。
昨年、途中でリタイアしたヤイさんの話によると、中間点まで元気に走ってきて、まだまだ走れそうなのに、中間点になったとたんにあっさり止めてリタイアするランナーが非常に多かったらしい。最初からフルマラソンを完走しようという気はなく、ハーフマラソンしか走る気が無いのだ。どうりで完走率が低いはずだ。
(ヤイ)「みなさんは頑張って去年のリベンジをしてください」
(幹事長)「絶対にリベンジしたいですね!」
今日の目標は、もちろん大惨敗した去年のリベンジだ。去年は目を覆うような大惨敗だったので、そのリベンジとなると、少しくらいタイムが良くなったくらいでは満足できない。去年は5時間半近くかかったので、せめて5時間は切りたい。
普通のマラソン大会なら、5時間を切るってのは最低限の死守すべき目標であり、5時間を切っても喜べないどころか、ギリギリ5時間切りなんて惨敗の範疇だ。しかし、何が理由か分からないが、去年5時間半もかかったって事は、何かしらの魔物が潜んでいる大会なので、取りあえずここは控えめに5時間切りを目指すとしよう。5時間は1km平均7分で走ればクリアできるので、分かりやすい。
もちろん、もっと良いタイムは出したい。いまのところ、まだ暑くはないから、それほどコンディションは悪くない。また、このコースはアップダウンもあるが、脱藩マラソンみたいなアホみたいな坂は無いし、坂があるのは中盤までなので、なんとか乗り越えられるだろう。去年走っているので、コースの概要は覚えているから、コースに対する不安感も無い。
集合時間の8時20分を過ぎたが、いつになっても整列せずにフラフラと歩いている選手がたくさんいる。その辺に座り込んでピクニックを続けている人だっている。最初から完走しようなんて思ってなくて、適当に行けるところまで行けば良いから、スタートも最後尾からでいいやって思っている参加者だ。
スタート時間になったとしても、最後尾のランナーが走り出すまでには30分はかかるだろうから、最後でいいやって思ってるランナーには、まだまだ時間はたっぷりあるのだ。
我々だって実際に走り出せるまで、まだ1時間近くもあるので、その辺の芝生の上に座って待ちたいところだが、最後尾からのスタートは避けたい。なぜなら、この大会の制限時間は6時間15分だが、それはグロスタイムなので、スタートに30分もかかっていたら、ネットタイムでの制限時間は5時間45分になってしまう。
もちろん、普通のマラソン大会なら5時間をオーバーすることはないから、どうでもいいんだけど、このマラソン大会は油断できないから、リスクはできるだけ小さくしておかなければならない。
〜 スタート 〜
場内アナウンスでスタートの合図が聞こえたから、いよいよスタート時間になったみたいだ。だが、当然ながら我々の集団が動き始めたのは、しばらく経ってからだ。しかも、ソロソロと歩き始めただけだ。それでも歩き始めると、テンションは上がってくる。
走り出すのを待っているうちに、雲がどんどん晴れてきて、青空が広がってきた。まだ9時なので日射しは強くはないが、直射日光に当たると暑くなってきた。
(幹事長)「げげ。ちょっと暑くなってきましたね」
(ヤイ)「だから今日は絶対に暑くなりますよ」
ダラダラと歩き続けると、ようやく公園から出て広い道路に出た。ここまで来ると小走りできるようになり、いよいよ遠くにスタートのゲートらしきものが見えてきた。
スタートのゲートらしきものの辺りにスタートラインらしきものが何本も引かれてあって、どれがスタートラインなのか分かりにくかったけど、取りあえず我々もスタートしたらしい。スタートの合図が聞こえてから10分近く経過している。
スタートラインを越えると、なんとか走り始めることができたが、ランナーの数が多いからスタート直後はものすごい混雑で渋滞がひどく、走り始めたとは言っても、超スローペースだ。でも、ウォーミングアップなんかを一切しない我々にとっては、序盤のスローペースがウォーミングアップ代わりなので焦ってはいけない。
とは言え、あまりの渋滞に、少し焦る。トンでもなく遅いランナーがたくさんいるのだ。普通のマラソン大会なら、最近は割と厳格にタイム順のスタートとなっているため、正直に申請して並んでいれば、前には遅いランナーはおらず、周囲は自分と同じようなペースのランナーばかりで、最初からストレス無くスムースに走れる。
しかし、このマラソン大会のブロック分けは不可解で、我々より前にものすごい数の遅いランナーがいる。いくら何でも遅すぎてぶつかりそうになるし、歩いているのと変わらない。あまりにも遅いランナーは、仕方なく右へ左へ移動しながら追い抜いていく。
そうこうしてると、1km地点の距離表示があった。超スローペースなのは分かっているが、時計を見て改めてびっくり。なんと7分以上かかっている。去年よりさらに遅い出だした。
1km地点を過ぎると、いよいよ国際通りに入っていく。東京マラソンの出だしの歌舞伎町界隈と同じく、那覇の目抜き通りである国際通りのど真ん中を颯爽と走るのが大変気持ちいい。沿道からは大勢の観戦者が声援を送ってくれる。
国際通りは1km以上続くが、我々の宿の近くに2km地点の表示がある。そこでタイムを確認して、さらに、びっくり。ラップはさきほどからさらに悪化し、7分半近くかかっている。最初の1kmはスタート直後の混雑で仕方ないにしても、ここまで来てさらに混雑がひどくなっている。国際通りは道幅が狭いから混雑度が増しているのだ。
同じように3万人規模の東京マラソンや大阪マラソンは大都市なので道の幅が広く、ランナーは多いけど、ここまで混雑はしてない。那覇の道はそこまで広くないから、どこまでも大混雑が続くのだ。
でも、まあ仕方ない。ここで焦って、さらに右へ左へ移動しながら遅いランナーを抜いたところで、体力を消耗するだけで、それほどタイムが縮まる訳ではない。フルマラソンの場合、終盤のペースダウンをどこまで食い止めるかがポイントだ。ここで無理して無駄に体力を消耗して終盤に撃沈したのでは意味がない。て事で、辛抱強く大混雑の中をゆっくりと進んでいく。
国際通りを抜けると道は右折し、ちょっと進んでさらに右折する。その後も何度も道を曲がるため、今どの辺りを走っているのか皆目見当がつかなくなる。ものすごくザッとした地図しか頭に入れてないため、先が見えない。頭に入っているのは、20kmほど走ったらピークになり、その後は10kmほど下り基調になり、最後の12kmはフラットな道になる、っていうくらいだ。
取りあえず、まだまだ市街地なので沿道の応援は多く、賑やかな雰囲気だ。
まだまだ大混雑は続いているが、徐々に少しだけマシになって、少しだけ走りやすくなってきた。そのため、3km地点から5km地点のラップは、なんとか6分半くらいになってきた。
ただし、早々に喉が渇いてきた。集合する直前にエネルギーと水分補給のゼリーを飲んだが、もう1時間くらい経っている。しかも既に暑くなっているため、かなり汗をかいているからだろう。
那覇マラソンは公式エイドの他にたくさんの私設エイドが出ているが、こんな序盤の区間には、まだまだエイドは少ない。それでも時たま、紙コップを差し出してくれている人がいる。
ところが、それらは直前にならないと見えないため、コースの端っこを走ってなければ取ることができない。しかも、コースの右端なのか左端なのか直前にならないと分からないのだ。人が少なければ、コップを発見してからでも近寄っていけるが、ものすごい大混雑で走っているから、近寄っていくのは不可能だ。
最初、右端を走っていたら左端にコップを発見したが、既に手遅れで、それなら、と思って左端を走っていると今度は右端にコップが出現する。慌てて右端を走ると、今度は再び左端に出現する。そういう事を4回繰り返したあげく、右へ左へ虚しく移動するのが疲れたので、喉は渇いているが、もう私設エイドは諦めた。
こういう暑い日は、もっと公設エイドを増やして欲しいと思うのだが、5km地点を過ぎてしばらく進むと、ようやく最初の給水所があった。奪い合うように紙コップをもらい、がぶがぶ水を飲んだが、水は既に生ぬるくなっていた。がぶがぶ飲むので、あんまり冷たくない方がお腹には優しいかも知れないが、スッキリはしない。
水を飲んで少し落ち着いたこともあり、その後は似たようなペースを維持する。1km6分半のペースは決して速くはないが、まだまだ混雑しているし、周囲の他のランナーも同じようなペースなので、特に焦りは無い。て言うか、このペースを最後まで維持できれば万々歳だ。まだまだ序盤なので、決して焦らず抑えめのペースで自然体で走っていくべきだ。
最近、マラソン大会の距離表示には疑念を抱いている。どう考えても同じようなペースで走っているにもかかわらず、1kmごとのラップが大きく変動することがよくあるのだ。坂があったりすれば納得できるし、どんどんペースが落ちていってるのなら分かるが、何もないフラットな道でも激しく上下するのだ。
これは明らかに距離表示がいい加減なせいだと勝手に思っている。陸連が公認したちゃんとしたマラソン大会でも疑惑の距離表示はいくらでもある。なので、1kmごとのラップは、あんまり神経質に一喜一憂しても仕方ない。
だが、5kmごとのチップでの計測点は、いくらなんでも正確だろうと思う。なので、5kmごとの計測点でのラップは重要だ。
そして10km地点でのラップは、はやりだいたい1km6分半程度のペースを維持できていることが確認できた。まずは、なんとか許容範囲だ。
沿道には、まだまだ途切れることなく大勢の地元の方々が声援を送ってくれている。バンドの演奏も多い。他のマラソン大会だと、バンド演奏なんかしてくれているのは若い人が中心だけど、那覇マラソンではたいていは中高年のおっさんやおばさんのバンドだ。しかし、演奏は若い人のバンドよりしっかりしてて楽しい。昔、基地の米軍兵相手に演奏していた人達だろうか。
小さい子供の声援もとても多い。小豆島や高知の山の中のマラソンでは、応援してくれている人の大半はおじいちゃんおばあちゃんで子供は少ないが、沖縄は出生率が高く、子供が多いからだろう。
公式のエイドは数kmおきにあるが、この辺りまで来ると、公式エイドの間にも地元の方が設置してくれた私設エイドがいくらでも出てくるし、ちゃんとしたエイドでなくても、応援してくれている人がコップに入れた飲料やお盆に入れた食べ物を差し出してくれる。
序盤の区間は大混雑でコップを受け取ることもできなかったが、この辺りまで来ると、なんとか混雑も少しマシになってきて、私設エイドを見つけて取りに行けるようになってきたので、もう公式の給水所を気にする必要は無くなった。喉が乾いた時に水分をもらって飲めばいいし、甘い物も塩分も欲しいときにもらうことができる。
10km地点を過ぎると、いよいよ上り坂が現れた。最初の坂はすぐ終わったが、11km地点を過ぎるとかなり急勾配の坂が現れた。そのため12km地点で見たラップは7分をオーバーしていた。さすがに少し焦ったが、上り坂はそんなに長くは続かず、穏やかな下り坂となった。頭に入っているものすごくザッとした地図では、10km地点辺りから中間点の20km地点辺りまで上り坂が続くっていうイメージだけど、実際にはそんな単純なものではなく、結構アップダウンはある。
下り坂になると当然ながらタイムは良くなるが、上り坂になるとたちまち悪くなる。結局、10km地点から15km地点まで平均で1km7分近くかかった。いくら上り坂基調とは言え、そんなに大した坂ではないし、まだまだ前半なのに、ここまでタイムが悪くなるってのは心配だ。確か去年も全く同じ展開だったような気がする。て事は、今年も去年と同じような展開になるのだろうか。
その後も丘陵地が続き、とても緩やかだけどアップダウンの道が続く。とても緩やかな傾斜なので大したことはないんだけど、なんとなく市街地のフラットな道より足に堪える。天気は晴れたり曇ったりの繰り返しで、確実に暑くなっていく。給水所があれば、とにかく水をがぶ飲みする。なんだかお腹も空いてきたので、バナナを食べることにする。まだお腹が空くには早いような気もするが、お腹が空いたら力が出ないので、早め早めに消化の良いバナナを食べる。
そして遂に18km地点あたりから本格的な長い上り坂が始まった。傾斜は大したことないんだけど距離が長い。たぶん中間地点まで続くんだろう。そして19km地点を過ぎた辺りから傾斜がきつくなってきた。
もちろん、きついと言ったって、北山林道駆け足大会や酸欠マラソンや龍馬脱藩マラソンと言った夏場の山岳マラソンの激坂に比べたら遙かに緩やかな坂だけど、一気にスピードダウンしてしまう。まだまだ無理して頑張ればペースダウンしないかもしれないが、ここで無理したら終盤に力尽きるのは目に見えているので、無理はしない。他のランナーがどんどん追い抜いていくのが気がかりだが、気にしないようにする。
去年は信じられないことに、この坂で支部長に置いて行かれた。あれほど坂に弱い支部長に置いて行かれた事に衝撃を受けたが、今年は支部長はだいぶ後方に遅れているようだ。牛乳のせいで体調が悪いのかもしれない。
去年はコースが分からず不安でたまらなかった上り坂だが、今年は上り坂も20kmまでと分かっているので、淡々と上っていくと20km地点に到着した。この1kmのラップは、なんと8分をオーバーしていた。5時間を切るには1km7分で走らなければならないから、まだ半分の地点で1km8分もかかっていたら絶望的だが、ここからは下り基調なので回復する事を期待する。
その後もまだ上り坂は続いたが、しばらく進むとようやく上り坂は終わり、道はいきなり下り坂となった。久しぶりの下り坂なので、嬉しくなって思いっきりガンガン大股で走る。って自分では思いながら走ったんだけど、同じペースで走っている周囲のランナーを見る限り、そんなにガンガン走れている訳でもないので、大してペースアップできている訳ではなさそうだ。
21km地点を過ぎるとすぐに中間地点の表示があり、なんとか半分走った事が分かり、ホッとする。中間地点のタイムを2倍すると、まだまだ5時間までには貯金があるので、この後、失速しなければ5時間は切れる。もうこの後は上り坂も無いし、なんとか1km7分のペースで走れれば目標をクリアできる。
中間点を過ぎると平和祈念公園てのがあり、ここが第一制限地点になっている。つまり最初の関門だ。ここには公式のエイドもあり、とても賑わっている。色んな食べ物が支給されているようだ。ものすごく気になったが、こんな所で時間を無駄にする訳にはいかないから、我慢してパスする。
そのおかげもあり、22km地点で見たラップは、1km6分と大幅に良くなっていた。
と思ったんだけど、なんとその後は再び緩やかながらも上り坂があったりして、再びペースダウンしてしまう。上り坂は長くは続かず再び下り坂となったが、なかなか足はスムースに動かなくなってきた。そして24km地点の前から再び上り坂が現れた。なんとなく上り坂はもう無いと思っていたのに、次から次へと現れるので精神的にくじかれた。やはり記憶力が衰えているなあ。
上り坂と言っても緩やかな傾斜なんだけど、力が尽きかけた今となっては激坂に感じられ、足は重い。周囲のランナーにどんどん追い抜かれていく。
ただし、どんどん追い抜かれているから順位が下がっているかと言えば、そうでもない。既に歩いている人がたくさんいて、おびただしい数の歩いているランナーを追い抜いているので、プラスマイナスで言えば順位は上がっているはずだ。
暑くて喉が渇いて大変だが、沿道の人が差し出してくれたアイスキャンディーを食べると、一気にリフレッシュした。ビニールのチューブに入った冷たい氷菓だ。めちゃ美味しい。
なんとか頑張って走っていたらひめゆりの塔の表示が出てきた。ひめゆりの塔なら、だいぶ前に通り過ぎたはずだと思ったが、それは間違いだ。去年も同じように間違って混乱したが、本当はここがひめゆりの塔で、だいぶ前に通り過ぎたのは平和祈念公園にある沖縄平和祈念堂だ。長らくあれがひめゆりの塔だと信じてきたので、すぐ間違えてしまう。本当のひめゆりの塔はなんと高さ数十cmしかない小さな記念碑なのだ。
混乱した頭でトボトボ走っていたら、25km地点が現れ、ここのラップは1km8分近くにまでペースダウンしていた。5時間切りがかなり危なくなってきた。
なんとなく中間地点から10kmほどは下り基調だとイメージしていたが、実際には、24km地点から28km地点の間は細かなアップダウンがありながらも、ほぼフラットだった。下り坂のアテがはずれて、なかなか苦しい区間だったが、去年ほどではない。
去年は体全体がしんどくなって走り続ける気力が無くなった。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、自分で「もう走れないかなあ」なんて思い始めたとたん、本当に走れなくなってしまう。逆に精神力で復活することもある。
5年前の徳島マラソンでは、足が痛くなってトボトボ歩いていたら支部長に追いつかれ、それで気合いを入れ直したら痛みがスッと消えて無くなり、その後は順調に走れた。
去年の京都マラソンでも、23km過ぎに早々に体全体に疲労を感じてしまい、もう完走できないかもしれないなんて弱気になって歩き出そうとした瞬間に亀ちゃんに会い、励まされながら一緒に走ってもらったおかげで最後まで歩かずに完走できた。
また去年の瀬戸内海タートルマラソンだって、中盤に目標を失ってチンタラ走っていたら國宗選手に追いつかれ、一気に気合いを入れ直してレースを立て直すことができた。
このように、自分で力尽きかけたと思っても誰かの助けがあれば一気に盛り返す事ができる。
しかし、去年の那覇マラソンは誰も救世主がいなかったので、心が折れてしまい、25km地点から歩き出してしまったのだ。
今年も疲れてはきたけど、去年ほど苦しくはない。「歩けば楽だろうなあ」とは思いつつ、まだまだ頑張ってリベンジしなければならない気持ちが残っている。いったん歩き始めると、もうなかなか走り出す事はできないので、ここは我慢しなければならない。
相変わらずコンスタントにお腹が空いてくるので、バナナがあれば片っ端からバナナをもらう。アイスキャンディーも5本くらいもらった。今日は水とアイスキャンディーとバナナだけで生きている感じだ。
スローペースでなんとか走っていくと、ようやく30km地点が見えてきた。この5kmの区間平均ラップは1km8分近くにまで落ちている。このまま残り12kmを1km8分ペースで走ったとしても、5時間はオーバーしてしまう。もう5時間切りは完全に絶望的だ。
しかも、30km地点の後は、もう下り坂が無いため、かなり厳しい戦いとなる。特に35km地点の前はフラットなだけでなく、直線のコースが3km以上も続き、変化に乏しく精神的にきつい区間だ。
ここまでは坂があって苦しい道だったが、アップダウンだけでなく何かと変化に富んだ道だったので、苦しくても気が紛れたが、ここからの10kmは変化に乏しい気が紛れない道なので、精神的に非常に辛い。歩きたい気持ちとの戦いだ。
こういう時、ウォークマンでもあれば多少は気が紛れるのだが、持ってくるのを忘れてしまった。延々と吉野川の堤防の上を40kmも走る徳島マラソンなら退屈して発狂しそうになるからウォークマンは必需品だが、那覇マラソンでは不要だと思っていたのだ。
ようやく35km地点にたどり着いて時計を見ると、この5kmは1km平均8分半くらいかかっている。もう疲れて歩きたくて仕方ない。でも、さすがに残り7kmを全部歩いたら、大惨敗した去年のタイムより悪くなるだろう。さすがにそれは嫌なので、走り続ける。疲れて歩きたいとは思うが、足は痛くなってないし、足が攣りそうな気配も無いので、なんとか走っていける。
途中でチキンラーメンのエイドなんかもあり、とても興味をそそられるんだけど、そんなところでチキンラーメンなんか食べたら二度と走れなくなりそうなのでパスする。
給水では、終盤になると水やスポーツドリンクのほかコーラが出てくるようになる。疲れた時に飲むコーラは本当に美味しい。喉の渇きを潤すだけでなく、リフレッシュして力が沸いてくる。今日はここまでバナナとアイスキャンディーで生きてきたが、終盤はコーラで命をつないだ。
そこからもしばらくは、ほぼフラットな区間が続くが、38km地点辺りから再び上り坂となる。前半の上り坂に比べたら傾斜は緩やかだが、疲れ果てた今となっては激坂だ。
必死で走っているつもりだが、客観的に見れば歩いているように見えるだろう。て言うか、実際に、歩いている人に追い抜かれたりした。ものすごくしっかりした足取りでグングン歩いていくから、負けてしまうのだ。それならこっちも歩き返せばいいかと言えば、こっちは疲れ果てているので、歩けばさらに遅くなってしまうだろう。周りのランナーも大半が歩くか、歩くのと変わらないスピードで走っている。
モノレールの赤嶺駅の辺りに40km地点があるがが、 39km地点と40km地点でのラップはいずれも1km10分を越えていた。
だが、もう残り2kmだ。いよいよゴールが近づいてきた。この辺りが坂のピークで、ここから最後の下り坂になるため、久しぶりにスピードアップして走る。スピードアップと言っても、しょせんは1km7分くらいの遅いペースだが、周囲のランナーも疲れ果てているので、それくらいのペースでもごぼう抜きする事ができる。
そして41km地点を過ぎると、ゴールのある奥武山公園が近づいてきた。下り坂で一気にスピードアップした勢いを持続して、そのまま一気にゴールを目指して駆け抜ける。
しかし、奥武山公園に入ったら、すぐゴールのような気がしていたが、実はここからが長く、野球場の横を通って一番奥の陸上競技場まで行かなければならない。ま、しかし、ここまで来たら歯を食いしばって駆けていかなければならない。
去年は、最後に陸上競技場に入ったら、雨でトラックは泥の海になっていたが、今年は乾いた土なので、最後までスピードを落とさずゴールまで走れた。て言うか、今どき、土のトラックって、あんまり見たこと無いぞ。
〜 ゴール 〜
何はともあれ、去年はだいぶ歩いたが、今年はなんとか完走してゴールした。タイムは去年よりはマシだったとはいえ、5時間すら切ることができなかったから、惨敗だ。
他のマラソン大会なら、5時間を切れなかったら大惨敗だ。て言うか、歩いてないのに5時間を大きくオーバーするなんて、普通では考えられない。
なので、もしかして那覇マラソンは良いタイムが出ない仕掛けになっているのかもしれないので、大惨敗ではなくて、ただの惨敗と言うことにしておこう。
レース終盤は歩きたい気持ちと戦って、なんとか足を引きずるようにして走ったが、足は痛くないし、疲労感は去年ほどではない。ゴールして、芝生の上に寝転がると、とても気持ちいい。しばらく休んだら、記録証を貰いに行く。メダルもかけてもらって、一応、ホッとした。
なんとか完走できた幹事長
支部長らの動向が分からないので、取りあえず荷物置き場へ荷物を取りに行く。この公園の中は、本当に地理が分かりにくく、去年は痛い足を引きずって道に迷い、怒りが爆発したが、もう今年は道に迷う事なくあっさりと荷物置き場に行けた。
手荷物置き場に着くと、なんと支部長とヤイさんの荷物は既に無く、私の荷物だけが取り残されていた。どう考えても二人が既にゴールしたとは思えないので、恐らく二人とも途中でリタイアして早々に引き上げてきたんだろう。
手荷物置き場で着替えようかとも思ったが、今日は寒くないし、このまま宿まで帰ろうと思って外に出る。去年と違って足が痛くないので、外に出てちょっと休んでいると、支部長から連絡が入る。やはり二人とも途中でリタイアして早々に帰ってきて、ゴール横で私を待っていたらしいが、私を見つけられなかったようだ。
二人と合流して話を聞くと、 ヤイさんは、やはり足の具合が悪くて、まともに走れなかったそうだが、支部長は足の痛みも無いし、体の疲れも無かったんだけど、気分が悪くなったんで中間地点でリタイアしたんだそうだ。熱中症だろうか。それとも、やっぱり牛乳が悪かったんだろうか。
宿に帰るためモノレールの壺川駅に行くと、公園と駅を結ぶ橋の上で、逆に駅から橋を渡って公園に入ってくる大勢のランナーとすれ違う。途中でリタイアした人たちだ。リタイアした人を運んできたバスが駅の横で停まって降ろしているのだ。猛暑の一昨年ほどではないが、今年も暑かったのでリタイアした人の数はかなり多い。
後で聞くと、2人に1人がリタイアした一昨年ほどではないが、今年も暑さで完走率は60.1%しかなかったそうだから、1万人以上の人がリタイアしてバスで戻ってきたわけだ。こりゃバスの輸送も大変だ。
記録証によると、出走者の中での順位は1/4くらいで、完走者の中での順位は1/3くらいだった。
去年は出走者の中での順位は1/3くらいで、完走者の中での順位は1/2くらいだったから、少しはマシだった。タイムはそれほど良くならなかったが、今年は暑くてコンディションが悪かったため、相対的な順位はだいぶ良くなったようだ。
〜 反省会 〜
宿に戻ってシャワーを浴びたら夕食に繰り出す。まともに食事してないからお腹はぺこぺこだ。今日は、一昨年も去年も行った店に行った。一昨年初めて行ったらとても可愛い子のいた店だ。その子は去年は既にいなくなっていたから、もう会えないんだけど、食べ物はマアマアだったので安心できる。
(幹事長)「それにしても、今年も惨敗した原因が分からない。支部長は牛乳のせいやろけど、私は心当たりが無い」
アップダウンがあるとは言え、奈良マラソンなんかと比べたら大したことないので、なぜこんなに惨敗するのか理解できない。
(ヤイ)「今年も暑かったからですよ」
確かに去年よりは暑かった。コンディションが良かった中での去年の大惨敗に比べて、今年は暑いコンディションの中での小惨敗なので、相対的にはだいぶマシなのかもしれない。順位もだいぶ良くなっているので、そんなに悲観する結果ではないのかもしれない。
だが、しかし、それにしても実感としては惨敗だ。
思いつく最大の原因は疲労だ。
一昨日、甘く見て登った里山登山がとっても大変で、疲労が残っていたことだ。昨日だって移動で少しは疲れたので、やはり疲労が大きな原因ではないだろうか。
さらに、1週間前のタートルマラソンでハーフマラソンを走った疲れも残っているかもしれない。小松原選手は、フルマラソンの前週だからハーフマラソンじゃなくて10kmの部がちょうど良いと行ってたが、やはり1週間前のレースとしては10kmコースくらいにしておいた方が良いのかも知れない。
翌日は予定通りレンタカーを借りて、まずは首里城を攻め、次に美ら海水族館を攻めて巨大なジンベイザメやイルカショーを見て、最後は今帰仁城跡を見て戻ってきた。
(幹事長)「来年はどうします?」
(支部長)「来年は離島へ行く?」
(ヤイ)「いいですねえ」
来年のレースでのリベンジではなく、レース翌日の事しか考えてない我々だった。
〜おしまい〜
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