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小豆島オリーブマラソン2025
第48回 小豆島オリーブマラソン大会(自主開催)
2025年6月14日(土)、第48回小豆島オリーブマラソン全国大会を自主開催した。
この大会は28年前の1997年の第20回大会から参加し続けており、我々にとっては欠かすことのできない重要なマラソン大会だ。
なので、2020年も2月には早々にエントリーを済ませ、楽しみにしていた。
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
このマラソン大会の中止騒動は全国的なものとなり、日本中のあらゆるマラソン大会が次々と中止になっていった。
マラソン大会中止騒ぎってのは、独善的な医療関係者と破廉恥なマスコミによって引き起こされたあまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
このようなヒステリックな動きに対抗するため、我々はマラソン大会を自主開催する事にした。その自主開催マラソン大会第1号が、2020年の第43回オリーブマラソンだった。
それ以降、中止になったマラソン大会はことごとく開催を続け、オリーブマラソンも2020年の第43回大会から始まって2021年の第44回大会、2022年の第45回大会と3年連続で自主開催を続けてきた。
そして3年後の2023年になって、ようやくコロナのバカ騒ぎが収束し、オリーブマラソンも復活となった。
続いて、2024年も無事に開催された。これでオリーブマラソンは完全復活だ。と思っていた。
ところーが!
なんと今年は再び開催が中止になってしまった。
(幹事長)「どゆこと!?」
(ピッグ)「小豆島だけコロナが復活したんですか?」
(支部長)「んなアホな」
小豆島町の発表によると、
「大阪万博や瀬戸芸の春会期と開催時期が重なり、島内の宿泊施設やフェリー、バスの混雑やスタッフ不足などが予想されることから中止を決めました」
との事だ。
(幹事長)「なんで大阪万博が関係してくんの?」
(支部長)「オリーブマラソンのボランティアをやってくれてた住民が大阪万博のボランティアに行ってしまったんと違うか?」
ふうむ。そういう事もあるのか?
また、
「新型コロナウイルス感染拡大で小豆島の宿泊、観光業界は苦境に立たされ、島内の宿泊施設の客室数はコロナ禍前と比べて1000室ほど減った」
らしい。
それで2023年と2024年の大会では出場者数をコロナのバカ騒ぎ前の5000人から3000人に規模縮小していたようだ。
出場者の9割以上が島外のランナーだから、仕方ない面があるかも。
さらに、
「2026年以降の開催は時期やコースを見直すかどうかも含め今後検討する」
なんて言ってるから、オリーブマラソンが今後どうなるか、予断を許さない。かなり危機的な状況だ。
いずれにしても、今年は正式大会が中止になったため、我々としては伝統の灯を消さないためにも、自主開催するしかない。
なお、今回の大会は第48回大会と銘打った。
2024年に開催された正式大会が第47回大会だったので、必然的にそうなる。
来年、正式な第48回大会が開催されたら、それは許してあげよう。
〜 なかなか楽しい自主開催マラソン大会 〜
コロナのバカ騒ぎが続いた3年間は、日本中のマラソン大会がことごとく中止になったので、我々は全て自主開催を続けてきた。
なので、マラソン大会の自主開催には慣れているし、とても楽しい事が分かった。
自主開催レースには色んなメリットがある。
列挙すると、
・みんなの都合に良い日に開催できる
・天気が悪い時は延期できる
・勝手にスタート時間を決められるから早朝に出発しなくてもいい
・混んでないから駐車場に困らない
・混んでないからトイレに困らない
・終わってからも混んでないからスムースに帰れる
・参加費がかからない
今回のオリーブマラソンで言うと、本来の正式な大会は例年5月下旬に開催されてきたから、基本的には5月の下旬に開催したいところだが、参加できないメンバーがいると困るので、アンケートを実施した。
その結果、例年よりは少し遅いが6月14日の開催とした。
(ピッグ)「誰の都合が悪かったんですか?」
(幹事長)「いや、ま、その、ごにょごにょ」
5月のゴールデンウイークが開けた後、伊豆大島の三原山へ登山に行ったり、島根半島のえびす・だいこくマラソンに出たり、支部長の農園でジャガイモ収穫祭をしたり、高知の龍河洞の冒険コースへ突撃したりで、毎週のように週末にイベントが入り、なかなかオリーブマラソンを開催できなかった。
ちなみに、この翌週以降も南アルプスへ登山に行ったり、宮古島へ行ったり、予定が詰まっていたので、6月14日に開催できなかったら、さらに大幅に順延して真夏の開催になったかもしれない。
このように自由に日程を調整できるほか、参加者は我々だけなので、普通のマラソン大会のように参加者が溢れて混雑するって事がない。
そのため、トイレの前で長蛇の列に我慢して並ぶ必要も無いし、レースが終了してからもスムースに帰れる。
それに、何と言っても参加費がかからないってのも大きなメリットだ。
最近はマラソン大会の参加料が高騰していて、神戸マラソンの参加費なんか、なんと2万円近くにまで高騰している!
(支部長)「もう我々のような貧乏人はマラソン大会には出られないご時世になりましたな」
(のら)「後ろから刺されるよ」
一方、自主開催レースの唯一のデメリットは
・正式な大会ほどは気合が入らないから良いタイムは出ない
ってことだ。
唯一ではあるが極めて重大なデメリットだ。
ただし、これは人による。
私は本番でないと気合が入らない。本番なら参加者が大勢いて、たくさんのスタッフがサポートしてくれて、沿道の声援も多いから、やる気がみなぎる。
逆に、本番でないと、どうしても気合が入らない。いくら頑張ってるつもりで、からっきし駄目だ。
一方、女子部員のゾウさんやのらちゃんは、普段の練習でも本番と同じようなペースで走っている。練習の質がとても高いのだ。
このように練習の時ですら本番と同じようなスピードで走れるゾウさんやのらちゃんなら、自主開催レースでも正式な大会と同じようなタイムを出すことも可能だ。
でも、私なんて、どんなに頑張ってみても、自主開催レースで本番のようなペースを出すのは不可能だ。
(幹事長)「でも、その悩みも解消された!」
(ピッグ)「え?自主開催でも力を出せるようになったんですか!?」
(幹事長)「その逆で、正式大会でも力を出せなくなった」
なぜかしら、1年前の汗見川マラソン以降、酸欠マラソンも脱藩マラソンも庵治マラソンも丸亀マラソンも坂出天狗マラソンも、ことごとく自己ワースト記録を出してしまった。
それも、ちょっと遅いっていうレベルではなく、過去の記録と比較すると、どのレースも断トツの自己ワースト記録なのだ。
なぜだか理由は分からない。
(支部長)「だから、単なる老化やと言うとるだろが」
(幹事長)「老化って、それほど一夜にして進むものなのか?」
汗見川マラソンの前に開催された去年のオリーブマラソンや北山林道駆け足大会はそれほど悪くはなかった。それなのに、なぜかしら汗見川マラソン以降、突然、あり得ないほどタイムが悪くなったのだ。
どうせ正式大会になってもロクなタイムが出ないのであれば、自主開催でも変わりは無い。
て事で、自主開催レースの唯一のデメリットであった「正式な大会ほどは気合が入らないから良いタイムは出ない」てのは問題ではなくなった。
〜 参加メンバー 〜
今回の自主開催レースは、元々はヤイさんの復活をサポートするという意味があった。
かつては毎年フルマラソンに出ていたヤイさんだが、長らく足の肉離れでマラソン大会から遠ざかっていた。
だが、去年の年末の忘年会の時に、
(ヤイ)「そろそろマラソン大会に復活しようかと思いまして」
と、遂に復活宣言をしたのだ。そろそろ復活できそうな調子に戻ってきたようだ。
ヤイさんは那覇マラソンを完走した事が無いので、那覇マラソンを完走してから引退したいとの事なのだ。
(幹事長)「何も引退せんでもええやないですか」
(ヤイ)「引退はともかく、少なくとも一度は那覇マラソンを完走したいですね」
ただ、いくらスーパーアスリートのヤイさんと言えども、本当に長らくマラソン大会に出てないので、いきなり正式大会に出場するのは少し不安がある。
でも、自主開催レースであれば、とても気楽に出場できる。
て事で、今回の自主開催レースの主役はヤイさんだった。
(幹事長)「開催日はヤイさんの都合に合わせますよ」
(ヤイ)「それが出られそうになくなって」
(幹事長)「なんとかーっ!」
せっかく肉離れから回復していたヤイさんだが、なんと直前に野球をしてて再び足を痛めたんだそうだ。
そもそも肉離れで足を痛めていた理由も野球なのに、性懲りもなく再び野球をしてて足を故障したのだ。
(幹事長)「何をしてるんですかー!いい加減に野球は止めてください!」
(ヤイ)「野球が本職ですから」
(幹事長)「ええ歳して盗塁なんかするからですよ!」
(ヤイ)「大谷翔平の真似をしたくなって」
て事で主役のヤイさんが出られなくなった。
最終的に今年の参加者は幹事長、支部長、D木谷さん、のらちゃん、ザビエル、ピッグ、加藤選手、K村選手の8人となった。
みんなオリーブマラソンには何度も出た事があるが、ザビエルだけは初参加だ。ていうか、ザビエルは長距離なんてほとんど走った事が無い超ど素人だ。
(幹事長)「大丈夫なん?」
(ザビエル)「大丈夫かどうかも分かりません」
〜 フェリーの選択 〜
オリーブマラソンは、近年、エントリーの競争も激しくなってきたが、なんと言っても交通の便の悪さが大きなネックだ。
小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、関西地方からの参加者も多く、そういう意味では立地の良い大会と言える。
しかし、レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路がほとんど無い。なので、通常は主催者が出している高松発の臨時船に乗る。
ただ、臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。
車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、冷たい波しぶきが飛んでくるし、帰りは逆に太陽熱で焼けて熱くなった鉄板の上で焼かれるお好み焼き状態になり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。
そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいていた。
それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなってきた。
奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるので、もはや家畜船と呼ぶのが相応しい阿鼻叫喚の世界になっている。
しかし、当然ながら自主開催では奴隷船すら出ない。
それで2020年に初めて自主開催した時、交通手段を検討した結果、次の2案が選択肢となった。
@ 高松東港からジャンボフェリーに乗って坂手港に行く。
A 高松港から内海フェリーに乗って草壁港に行き、そこからバスで坂手港に行く。
ジャンボフェリーだと会場の坂手港に直接行けるので、文句なく最善に見えるが、高松東港はJR高松駅から遠く離れているため、ゾウさんやのらちゃんのように西讃からJRで来るメンバーにとっては不便だ。
しかもジャンボフェリーは一日に6:00発、14:00発、16:30発の3便しかないから、6:00の便に乗らざるを得ない。そうなると、JR高松駅からの距離を考えると、始発電車に乗ってもJRではたどり着けない。
一方、内海フェリーはJR高松駅のすぐ近くの桟橋から出港するし、便数が多いから無理のない時間に出発できるが、現地でのバスの乗り継ぎが少し面倒だ。
て事で、迷うところだが、2020年は結局、JR組が都合で不参加になり、高松東港の立地の悪さは問題ではなくなったので、ジャンボフェリーにした。
ジャンボフェリーは朝が早いとは言え、毎年、奴隷船に乗る時も私や支部長はみんなの席取りのために5時過ぎには高松港に着いて並んで待っているので、時間は同じようなものだ。
しかも、自主開催なら現地に着いたらすぐにスタートできるというメリットがある。
正式な大会は、早朝の奴隷船に乗ってもスタートは10時で、ゴールは12時前後になるため、天気が良い年は暑さにやられてしまう。早朝に出発するにも拘わらず、走るのは炎天下になる事が多いのだ。
でも自主開催なら、早朝のジャンボフェリーに乗っていけば、暑くなる前に終了できる。
翌2021年は、草壁港行きの内海フェリーが、コロナのバカ騒ぎによる乗客激減のため、なんと廃止になってしまった。
たかが風邪に毛が生えた程度のコロナウィルスに対してヒステリックに騒ぐもんだから、世の中がめちゃくちゃだ。これも全て下品なマスコミや医療関係者の独善と無能な民主党のせいだ。
てことで、選択肢は
@ 高松東港からジャンボフェリーに乗って坂手港に行く。
A 高松港から国際両備フェリーに乗って池田港に行き、そこからバスで坂手港に行く。
B 高松港から小豆島フェリーに乗って土庄港に行き、そこからバスで坂手港に行く。
に変わった。
池田港や土庄港は草壁港より、さらに少し遠いところにある。つまり、現地でのバスの乗り継ぎがさらに面倒になったのだ。
て事で、2021年も2020年と同様、ジャンボフェリーに乗って行った。
高松組もJR組も車で乗り合わせて6:00出港に合わせて高松東港へ集合した。
ところが、2022年はジャンボフェリーが定期検査中で便数が減り、あまりにも不便になったため、高松港から土庄行きフェリーに乗って行くことにした。
土庄港行きフェリーも池田港行きフェリーも一日に十数便出ているので、どの便にするか色々と検討したが、JRの高松駅到着時間を考慮して、7:20高松港発、8:20土庄港着のフェリーで行った。
土庄港に着いた後は8:40土庄港発、9:26坂手港着のバスで移動し、マラソンは10時頃のスタートとした。
そして、今年(2025年)はジャンボフェリーの定期検査が終わった時期となったので、2020年や2021年と同様に、ジャンボフェリーに乗って行く事にした。
〜 出港 〜
ジャンボフェリーの出航時刻は6時だ。
ちょっと早いため、西讃から来るのらちゃんはJRでは間に合わないので自分の車で来る。
それで、途中で私も拾ってもらう。のらちゃんに5時に迎えに来てもらい、ジャンボフェリーが出る東港には5時半に着いた。
そしたら、なんと駐車場がほぼ一杯で、かろうじて見つけた空きスペースに停めた。
他のメンバーも、同じような時間にやってきたが、みんな駐車場で苦労していた。
(支部長)「何があったんや?」
(幹事長)「私の見解では大阪万博が諸悪の根源だと思う」
ジャンボフェリーは高松から神戸に寄って大阪まで行くので、他に理由が考えられない。
定刻の6時が近づいたので、船に乗り込む。
ボヤボヤしてたら、あっという間に出遅れてしまい、寝っ転がれるスペースは無くなってしまったので、仕方なく普通のシートに座る。
とは言え、駐車場が満車だった割りには、船内はそれほど混雑はしていない。単に駐車場が狭いだけなのか?
空いている上に、よく利用する高松港発の離島行きフェリーに比べたら船は立派だ。
(幹事長)「これだったら、正式な大会の時も奴隷船をやめてジャンボフェリーにしたくなるよなあ」
(支部長)「でもT頭君の情報によると、正式な大会の時はジャンボフェリーも奴隷船状態になるらしいよ」
6時になって船が動き始めたので、朝食にする。さすがに早起きしたからお腹が空いてきた。
私の場合、朝食を食べてしばらくするとトイレで大が出るようになるので、できれば朝早く起きて、早目に食べて出発する前にトイレを済ませるのが理想だ。マラソン大会の会場のトイレは、どこも激混みになるからだ。
しかし、老化の進行によって早起きが苦痛でなくなったとは言え、5時過ぎに家を出るとなると、4時には食べないといけなくなる。さすがにそこまですると調子が狂いそうなので、家では食べず船に乗ってから食べる事にした。
自主開催レースならトイレも空いているから大丈夫だ。
もちろん、朝食はおにぎりだ。
以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてからは改善された。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べ始めてからは下痢する頻度はかなり低くなった。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレに籠ってしまった。
その後も2022年の神戸マラソンや2023年の那覇マラソンや2024年の富士五湖ウルトラマラソンでもお腹を壊し、トイレに籠ってしまった。
さらに、今年2025年のえびす・だいこく100kmマラソンでは近くにトイレが無かったもんだから、田んぼの中の茂みに隠れて久しぶりに野グソをする羽目になった。
いずれの場合も、朝食の量は控えめだったし、パンも避けていた。それなのにお腹を壊した。年々ますます胃腸が弱くなっているようだ。
ただ、最近、お腹を壊したのは、いずれもフルマラソンやウルトラマラソンの長距離レースだ。今日はハーフマラソンなので、それほど神経質になる必要は無いだろう。
〜 コース 〜
朝食が終わったら、初参加のメンバーもいるので、今回のコースを確認する。
この大会はハーフマラソン、10km部門、5km部門があるが、うちのメンバーはたいていハーフマラソンの部に出ている。
例外は、血の味を味わうために敢えてペースが速くてきつい10km部門に出ているゾウさんや、全く練習もせずにぶっつけ本番で5kmの部に出たライオン4世くらいだ。
ただ、せっかくわざわざ自主開催レースで小豆島まで来て、たった5km走るだけではつまんないから、初参加のザビエルにもせめて10kmは走ってもらいたい。
(ザビエル)「そんな長距離走ったこと無いですぅ」
(幹事長)「ダラダラ走ったらええんよ」
ハーフマラソンのコースは、もちろん正式な大会と同じだ。
坂手港を出発して県道248号線を西へ走り、峠を越えて内海湾に出て、県道28号線に入る。スタートからここまで865mだ。
そこから北上してしばらく走り、国道436号線に入って西へ進み、草壁港のすぐ西にある別当川の別当大橋を渡ってすぐにあるミナト接骨院の前を第1折り返し点として折り返す。県道28号線に入ってからここまで3515mだ。
折り返した後は国道436号線を東に戻って県道28号線に入り、しばらく南下した後、県道249号線に入る。第1折り返し点からここまでは3515mだ。
ここから県道249号線を西へ向いて5840m走り、二十四の瞳の映画村の奥にある「愛のボラード」の前を第2折り返し点として折り返す。
折り返した後は県道249号線を東に戻って5840m走り、最後は県道248号線を1520m走って会場に戻り、ゴールする。
地図で厳密に測定して、正式なハーフマラソンの距離(21,097.5m)にぴったりの21,095mのコースを設定している。
(K村)「本番の時はスタッフがいるから間違えませんけど、別当大橋とかミナト接骨院って分かりますかねえ」
(幹事長)「そこまでは5kmも行ってないから、まだみんな一緒に走ってると思いますよ」
初参加メンバーが落ちこぼれた時は、これまで何度も自主開催レースに参加してコースが分かっているメンバーのうちの最後尾の者が折り返し点で待ってあげればいい。
(のら)「支部長は何度も出てるけど、いつも間違えてるよ」
(支部長)「レースに集中してるからな」
支部長はいつも先頭を走りながら、第1折り返し点に気付かずに通り過ぎて行ってしまう。
(K村)「愛のボラードって何ですか?」
(幹事長)「白いけったいな物体ですね」
「愛のボラード」とは、船を繋留する岸壁の杭の形をした白い巨大な物体だ。
ここまで来ると距離はスタートから14km近くになるから、メンバーもバラけているとは思うが、「愛のボラード」はあまりにも異様な目立つ物体なので、間違える心配は無い。
(幹事長)「それより、ゴールを間違えないように」
(K村)「普通に帰ってきたらいいんですよね」
(幹事長)「手前で曲がったらいかんですよ」
最後はかなり奥まで行ってグルっと回って来なければならない。
ついつい手前の駐車場のところを回ってしまいそうになるが、そこは我慢して広いグラウンドまで行ってからグルっと回ってこなければならない。
10km部門のコースも正式な大会と同じだ。折り返し点はハーフマラソンの第1折り返し点と同じ場所で、単純な一本道の折り返しコースだ。
ただ、スタート地点はハーフマラソンのスタート地点とは異なり、ハーフマラソンのゴール地点だ。しかも、スタートの向きはゴールの時と逆方向に向いて走りだす。
つまり、スタートから折り返し点までの前半のコースと、折り返し点からゴールまでの後半のコースは、向きが逆なだけの同じルートだ。
だから、前半も後半も距離は全く同じで、片道がちょうど5kmだから、往復でちょうど10kmになる。
(幹事長)「10km部門に出るのはザビエルだけかな?」
(加藤)「私も10kmにしたいですぅ」
(幹事長)「ふうむ、仕方ないかな」
(D木谷)「初参加のザビエルが不安なので私も一緒に伴走します」
(幹事長)「ふうむ、保護者としては仕方ないかなぁ」
(支部長)「21kmも走るのはしんどいから、私も10km部門にしますぅ」
(幹事長)「なんとかーっ!!!」
て事で、半分の4人が10km部門を走ると言いだす。
(幹事長)「いくらなんでも、みんな甘えすぎと違うか!?」
(D木谷)「じゃあ、14km部門にします」
14km部門と言うのは、ハーフマラソンや10km部門のように第1折り返し点へは行かず、いきなり第2折り返し点の「愛のボラード」まで走って引き返してくるというコースだ。
これだと距離はちょうど14kmになる。
(ザビエル)「ええーっ!4kmも長くなるんですか?無理です」
(幹事長)「ザビエルには無理なんじゃない?」
(D木谷)「10km部門は市街地を走るだけでつまんないけど、14km部門は自然の中を走れるから楽しいよ」
(幹事長)「でも10km部門はフラットだけど14km部門は坂が連続するよ」
(ザビエル)「絶対に無理ですっ!」
(支部長)「第2折り返し点にはソフトクリームがあるよ」
(ザビエル)「え?そうなんですか?」
なんとザビエルはソフトクリームに釣られて、あっさりと無謀な挑戦をする事になった。
て事で、半分の4人が14km部門を走り、残りの4人がハーフマラソンを走る事になった。
(D木谷)「もしも後半に余力が残っていたら、第1折り返し点まで走ります」
(ザビエル)「絶対に絶対に無理ですっ!」
〜 島に上陸 〜
1時間15分の船旅が終わって7時15分に小豆島の坂手港に着く。
以前は、ここで島の小学生達の鼓笛隊が演奏で迎えてくれていた。本当に心温まる歓迎だった。
ところが、年々、隊員の数が減ってきて、最近は驚くほど人数が少なくなっていたが、遂に一昨年から鼓笛隊はいなくなった。
本土以上に少子高齢化が急速に押し寄せる島嶼部なので、小学生の数が激減し、鼓笛隊が維持できなくなったのだろう。
(幹事長)「どっちにしても今年は自主開催やから誰もおらんけどな」
(支部長)「それにしても、本当に誰もおらんな」
フェリーからは、他にも下船した人はいたが、あっという間に誰もいなくなってしまった。
船を降りると、外は雨が降っていた。だいぶ前から天気予報では今日は雨模様って言ってたが、本当に雨になった。
(支部長)「良かった良かった。晴れてると暑くて走れないからな」
(幹事長)「私は炎天下のランニングも好きやけどな」
(ピッグ)「好きなのとタイムが良いのとは別問題ですけどね」
もちろん、雨が絶対的に嫌だと思っている訳ではない。
て言うか、雨が嫌なのはせいぜい3月までで、5月ともなれば晴れると炎天下のレースになる可能性が高まるので、必ずしも雨は悪くない。
オリーブマラソンは毎年5月下旬に開催されるが、この季節は天気が良いときは本当に気持ちが良い。まだ湿度があんまり高くないから、木陰でボケッとしてるぶんには暑くなく、大変気持ちが良い季節だ。
ただ、マラソン大会となると事情は異なる。木陰は気持ち良くても、炎天下を走るとなると非常に暑い。
それでも、昔の私達は、マラソン大会では晴れを望んでいた。雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。
朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。
しかし、2010年の第33回オリーブマラソンで考えが変わった。
その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。
そしたら、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、むしろ坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった。
この大会には1997年から出続けているが、昔からずうっとタイムが悪く、長らく2時間を切ったことがなかった。私に限らず支部長やピッグだって、他のレースに比べたらタイムは悪かった。
でも、それが暑さのせいだとは誰も思わなかった。いくら暑いと言ったってまだ5月なんだから、7月下旬の炎天下の汗見川マラソンや四国カルストマラソンのような地獄の暑さではないからだ。
なので、このレースのタイムが悪い理由は坂が多いからだと考え、2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた。
オリーブマラソンのコースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だが、後半に入ると、二十四の瞳の映画村まで行って折り返してくる曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。
この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に次から次へと坂が襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなるのだ。
なので、オリーブマラソンでは2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、走る前から「このコースでは2時間を切るなんて絶対不可能だ」なんて決めつけていたら、現実にも2時間を切ることは難しい。
途中で苦しくなったら、「どうせ良いタイムは出ないコースだから頑張ってもしょうがない」と、すぐに諦めるからだ。
以前は、最後の大きな坂では、ほぼ必ず歩いていた。無理して走っても、どうせ良いタイムは出ないと信じていたからだ。
ところが、2010年に土砂降りの中、みんな揃って快走したもんだから、メンバー全員、衝撃を受けた。オリーブマラソンのタイムが悪かったのは、坂が多いからというだけではなくて、暑さのせいが大きかったのだ。
そのため、それまではみんな雨を嫌がっていたんだけど、一転して、暑い季節のマラソンは雨乞いをするようになった。
そして、その翌年の2011年も、序盤に激しい雨が降ったため、前年と同じように後半にペースを上げることができて、大会自己ベスト2位を出した。
これでオリーブマラソンも雨さえ降れば良いタイムが出るという事が分かり、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がついた。
それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになったのだ。
〜 スタート前の準備 〜
船から下りたら、まずは場所取りをしなければならない。晴れていれば、例年のように船を降りてすぐの狭い芝生に囲まれたベンチに陣取る。
ところが、今日は雨模様だ。走るには雨が望ましいが、場所取りには困る。
できれば屋根がある所に陣取りたいところだが、これまで雨をしのげるような場所は無かった。
と思っていたら、なんと坂手港に新しい港湾施設が出来ていた。その名もさかてらすという立派な立派な施設だ。4月にオープンしたばかりらしい。
(幹事長)「なんでこんな所にこんな立派な施設が出来たんや!?」
(支部長)「利用客が多いんと違うか」
でも坂手港にはジャンボフェリーしか就航していない。ジャンボフェリーだけのために、こんな立派な施設を作ったんだろうか。
いずれにしても、これで雨の中で濡れなくて済む。待合室も広いし、そもそもジャンボフェリーは一日に数便しかないので、荷物を置いておいても誰の邪魔にもなりそうにない。
良い場所があったので、さっそく準備に取り掛かる。
ウェアの選択だ。「何を着るか」は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な課題だ。
寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。
だいぶ前から天気予報では今日は雨模様って言っていたので、今日は雨対策を万全にしてきた。雨になると冷えるかもしれないからだ。
それで長袖の薄手のシャツを用意してきた。ところが、天気は雨模様だが、気温は意外に高い。そんなに寒くない。
(幹事長)「長袖は暑いかなあ」
(支部長)「長袖なんか絶対に暑くなるってば」
暑くなるのは避けたいので、半袖Tシャツにした。
(のら)「半袖Tシャツも持ってきたんだね」
(幹事長)「ちょっとはお利口さんになったやろ」
予想外のコンディションになった時は、いつも「次回は何があっても対応できるように色んな準備をしてこなければならない」と反省するのに、いつも忘れてしまい、大失敗を繰り返してきた。
でも今日は、あらゆる天気に対応できるよう準備万端だ。
(D木谷)「秘密兵器のメッシュのシャツは着ないんですか?」
(幹事長)「さすがに、そこまで暑くはならないでしょ」
オリーブマラソンに対する苦手意識が無くなった後、2014年や2015年に炎天下にもかかわらず好タイムを出せたのは、秘密兵器のメッシュシャツのおかげだ。だが、しかし、さすがに今日はそこまで必要無いだろう。
着るのは2023年の酸欠マラソンで貰ったピンク色の「酸欠Tシャツ」だ。背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインのTシャツだ。のらちゃんも同じものを着ている。
下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。
雨が気になるのでタイツも履いた。タイツは、今日もランニングタイツではなく普通の薄手の防寒タイツだ。
日射しは出そうにないが、雨よけのために嫌いなランニングキャップを被った。雨粒が顔に当たると鬱陶しいからだ。
顔の汗を拭くために手袋も履いた。お腹を壊した時の緊急事態に備えてポケットティッシュをポケットに入れる。
また2グループに分かれての自主開催で、何があるか分からないので、スマホも携帯する事にした。
一方、そんなに真剣には走れそうにないので、足攣り防止用のドーピング薬2RUNは不要だろう。
また、晴れている時は日焼け止めクリームやサングラスが必携だが、今日は必要無さそうだ。
自主開催レースなので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。
なので、過去の自主開催レースでは飲料を入れたトレランリュックを背負って走ったりした。
でも今日は雨模様で、そんなに喉も乾かないかなと思い、水分は持っていかない事にした。
(支部長)「喉が乾いたらソフトクリームを買ったらええがな」
(ザビエル)「素敵っ!」
(幹事長)「口の中がベチャベチャするよ」
準備ができたらスタート前の記念撮影をする。
(D木谷)「そう言えば最近、ジャンプの写真が無くなりましたね」
(幹事長)「どきっ!」
確かに、以前はみんなでジャンプして集合写真を撮ったりしていたが、最近はとんとご無沙汰だ。たぶん、そういう元気が無くなったのだろう。
(支部長)「老化やな」
(幹事長)「こんなところにまで老化が忍び寄っていたとは!」
新しく出来た港湾施設「さかてらす」でで団旗を掲げる参加メンバー
(左からD木谷さん、幹事長、ピッグ、ザビエル、のらちゃん、加藤選手、K村選手、支部長)
写真撮影が終われば、そろそろスタートだ。スタート時刻は自由に決められるから、気楽でよろしい。
スタートが近づいてきたので、本日の目標を設定せねばならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストの更新を狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。この大会の自己ベストは2015年に出した1時間51分だ。
と言うのは建前で、本番でもないのに自己ベストを出せるはずがないのは、過去の数々の自主開催レースで証明されている。
上にも書いたように、ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。
しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる。
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうが、正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。
(支部長)「それにしても最近、遅いな。その体たらくは一体どうしたん?」
(幹事長)「自分でも分からん」
去年の汗見川マラソン以来、何が起きたのか理解できないような泥沼状態だ。
(支部長)「練習量が足りないんと違うか?」
(幹事長)「それは自信をもって言えるけどな」
(D木谷)「練習の質の問題もあるんでしょうね」
(幹事長)「やっぱりそうでしょうねえ」
単にダラダラと距離を走るだけでなく、もっと力を入れてスピードを上げてトレーニングしないと効果的ではないのだろう。
(支部長)「それとも老化かもしれんな。そうやったら、もう永遠に元には戻らんな」
(幹事長)「ほんまかいなーっ!?」
支部長に勝利したいところだ。
以前は支部長は上り坂が苦手だったので、オリーブマラソンでは、前半のフラットな区間でリードされても、後半の坂で逆転することができた。
しかし、圧倒的な練習により支部長は苦手な上り坂を克服してしまったので、坂にはもう期待できない。
支部長に勝てる唯一の可能性は、暑さに弱い支部長が自滅する場合だ。極端に暑さに弱く、極端に汗っかきの支部長は、炎天下のレースではフラフラになることもある。
だが、今日は雨模様なので暑さには期待できない。
(のら)「じゃあ駄目じゃん」
(幹事長)「でも今年は支部長は14km部門だから」
支部長との直接対決が無いので、精神的には楽だ。
コースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だ。
後半に入ると、二十四の瞳の映画村まで行って折り返してくる曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。
この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に次から次へと坂が襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなる。
レース展開としては、前半のフラットな区間で貯金して後半の坂が多い区間で貯金を吐き出す、なんてパターンではなく、前半はフラットなんだけど、敢えて抑えて後半の坂でペースアップするという理想的な走りを目指す。
以前の私のレース展開は、全て後半に失速するパターンだったが、2010年に土砂降りの中で快走した時をはじめ、良いタイムを出したときは全て、後半の坂のある区間の方がペースが上がっている。
前半のフラットな区間のペースは、どの年も似たようなものだが、後半の二十四の瞳の岬の分校へ行く半島でのペースが違う。惨敗パターンは、この半島で止めどもなくペースが落ちていくのに、快走パターンではどんどんペースが上がっている。
一般的に、後半でペースを上げるのは難しいが、それだけに理想的な展開とされている。なかなか難しいパターンだが、オリーブマラソンに限って言えば、好タイムを出したときのレース展開は、どれも後半にペースアップできている。
なんでそうなるのか、何が決め手になるのか、全く分からないが、目指すパターンは後半のペースアップだ。
第2折り返し点を過ぎてもペースが落ちなかったら、その後はペースアップできる可能性が大きいということであり、諦めることなく、最後まで突っ走れば良いタイムが期待できるのだ。
とは言え、最近の体たらくを考えると、そんなに良いタイムが出そうな気はしない。なので、現実的な目標は2時間を切れれば良いって感じだ。
ハーフマラソンで2時間というタイムは通常は大惨敗と言える。それを目標にするなんて、甘すぎるというか情けない気もする。
でも去年だって2時間を切れなかったし、今の現状を考えれば仕方ない。取り合えず去年のタイムの2時間1分を目標としよう。
〜 スタート 〜
スタート時間が近づいてきたので、主催者の幹事長からありがたいお言葉が発せられ、開会式が10秒ほどで終わり、事務局の幹事長から注意事項の周知があった。
(幹事長)「安全第1なので交通信号は守りましょう」
(のら)「自分は信号無視するのに?」
自主開催レースなのでタイムはもちろん自己計測だが、交通信号で待つ間は時計を止めていい。一方、給水時には時計を止めてはならない。本番と同じだ。
(ザビエル)「ソフトクリームを食べてる時はどうするんですか?」
(幹事長)「その時点で失格やな」
スタート地点は、坂手港のバス停の前だ。
支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
雨は少し降っているが、大した雨ではない。日差しが無いため、あんまり暑くない。
(支部長)「こりゃ絶好のコンディションやな」
支部長が生き生きとしている。直接対決したら負けるだろうな。
私は、せっかくのコンディションなのに、なんとなく体が重い。正式な大会ではないため、そもそもイマイチやる気は湧いてこないが、それにしもて体が重い。
以前は、自主開催レースでは常に序盤は私が先頭を走っていた。序盤はコースが分かりにくい事が多くて、道に迷う人が出るといけないので、分かりやすい道になるまではコースを把握している私が先導していた。
だが、このコースは道を間違える心配も少ないし、みんなもすっかり慣れているので、今日は敢えて私が先頭を走る必要も無い。
なーんて思うと、よけいに力が入らず、ペースが上がらない。
そんな意識で走っていると、最初の大きな坂に入る前から、ハーフマラソン部門のピッグ、K村選手、のらちゃんが前に出てきた。さすがに序盤から引き離される訳にはいかないので、なんとか着いていくが、ちょっとしんどい。
14km部門のグループは、みんな揃ってゆっくり走るつもりなのか、4人とも私の後ろを走ってくる。
最初の大きな坂を越えると、下り終わったところで古江地区に入る。
他の3人に早々に引き離されるのは避けたいので、なんとか頑張って走って着いていくと、すぐ後ろからも集団の足音が聞こえる。14km部門のみんなも着いてきているようだ。
間もなく第2折り返し点への分岐が現れる。
すると、私のすぐ後ろを走っていた支部長が声を掛けながら曲がっていく。
(支部長)「それじゃあ、私らはここでサヨナラ」
(幹事長)「はいな。頑張ってね」
支部長に続いて加藤選手、D木谷さん、ザビエルも曲がっていく。まだまだみんな元気そうだ。
ハーフマラソンのコースは、この後、草壁港の近くにある第1折り返し地点まで平坦な道が続く。
前半は信号がいくつかあるが、たいていは三差路の交差点のため、うまく走ればほとんど信号待ちをしないですむ。
ピッグ、K村選手、のらちゃんの3人は一緒になって走って行くが、彼らの後姿がじわじわと遠くなる。私だけが遅れ始めているのだ。
道が草壁港を目指して西向きになる頃には、3人の後姿は見えなくなってしまった。
第1折り返し点までは、まだまだのはずなんだけど、なんと早くもピッグが折り返してきた。さらにK村選手も折り返してきた。さらに、少し遅れてのらちゃんも折り返してきた。
こんなに早々に大きな差がつくなんてショックだ。
しばらく走ると、ようやく別当大橋があり、それを渡って第1折り返し点のミナト接骨院に近付いてきた。そのすぐ向こうの三叉路が折り返し点だ。
ペースはなんと1km7分くらいに落ちている。過去のレースでは、大惨敗した時も含めて、この辺りは1km5分台前半で走っていたはずだ。
1km7分だなんて、大惨敗した時の、最後の大きな激坂を登った時のペースだ。みんなが速いんではなくて、私がトンでもなく遅いだけだ。
第1折り返し点で折り返し、走ってきた道を戻っていくが、ペースはさらにじわじわと落ちていく。
早々に完全なる一人旅になってしまったので、早くもやる気は無くなったが、止める訳にはいかないので、淡々と走って行く。
毎回の事だが、第2折り返し点への分岐点は意外に遠く、なかなか現れない。
だいぶ走ったところで、ようやく第2折り返し点(二十四の瞳の映画村)への分岐点が現れ、少しホッとしながら折れ曲がっていく。
ペースは1km7分台半ばまで落ちている。いつもより2分も遅い。あり得ない遅さだ。
雨は上がったようなので、鬱陶しいランニングキャップを脱いだ。
本来なら、ここからがオリーブマラソンのコースで楽しい区間だ。
スタートからここまでの前半部分は、平坦な市街地を走っていくだけで、あんまり面白くない。
ここから二十四の瞳の映画村に向かう区間は、アップダウンがあり、変化に富んでいる。山と海に囲まれた自然の中を走る楽しい区間だ。
なーんて言っても、もちろん今日は楽しいどころか、辛いだけだ。
しばらく平坦な海岸線を走ると、すぐに大きな坂が出現する。この半島の中で最大の坂だ。
坂を下りると再び海岸線の道を走る。海岸線に出ると、内海湾を挟んで寒霞渓の断崖がきれいに見える。
だが、今日は景色を楽しむ余裕は無い。ペースは1km8分台にまで落ちている。北山林道駆け足大会の超激坂区間並みの遅さだ。
愕然としながら走って行くと、なんと、早々に支部長がやってきた。異常に早い。まさか途中で引き返してきたのか?
(幹事長)「妙に早いな。リタイヤするん?」
(支部長)「いやいや今日は調子が良いよ」
なんと、途中で引き返してきたのではなくて、第2折り返し点まで行って折り返してきたと言う。圧倒的に負けている。ひえ〜!
こうなると、14km部門の残りのメンバーといつすれ違うかが問題だ。あんまり早々にすれ違うと面目ないので、なんとか頑張って走って行く。
しばらく行くと、再び坂の区間に突入する。これでもか、これでもか、と何度も小刻みにアップダウンが繰り返される。本番ではいつも苦しむ厳しい区間だ。
頭を空っぽにして頑張って走って行くと、なんと加藤選手がやってきた。
(幹事長)「速いなあ。何があったん?」
(加藤)「みんな一緒ですよ」
加藤選手の後ろにはザビエルとD木谷さんも一緒に走ってきた。
疲れて動きが鈍くなった頭で必死に計算すると、私がここまで走ってきた距離と、彼らが走ってきた距離はほとんど同じだ。つまり、同じペースで走ってきたって事だ。
でも、私がフラットな市街地を走ってきたのに対し、彼らはいくつもの坂を越えて走ってきている。それで同じタイムだなんて、実質的に負けている。
しかも、加藤選手だけでなく、超ど素人のザビエルにまで負けているなんて、顔面蒼白だ。
あまりの遅さに愕然としながらも、止める訳にはいかないので走り続ける。次の焦点は、同じハーフマラソン部門の他のランナーとどこですれ違うかだ。
なんとか坂の区間を走り終わると、遠方に二十四の瞳の映画村が見えてきた。
もう近そうに見えるけど、これがなかなか遠い。いつも、いくら走っても近づいてこないのだ。
なんとかヨタヨタと走って行くと、まずはピッグが折り返してきた。今日は調子が良さそうだ。
その少し後をK村選手が走ってきた。それほど差はないので、まだまだ逆転はあり得るだろう。
のらちゃんはだいぶ遅れてやってきた。どうやら足が痛むようだ。最近、ちょっと故障気味で、長距離を走ると痛みが出るようだ。
それでも私に比べたら圧倒的に速く、どう考えても追いつくのは不可能だろう。
一人寂しく、ようやく第2折り返し点の「愛のボラード」にたどり着き、すぐさま折り返す。
しばらくは平坦な区間が続くが、それが終わると、細かなアップダウンが繰り返される坂の区間に再突入する。
あり得ないような大惨敗で、なんのモチベーションも無くなっているので、ただ惰性で走って行くだけだ。
そのため、ペースはますます落ちていき、遂に1km9分にまで落ちた。脱藩マラソンの巨大な坂でもなかなか出ないスローペースだ。
完全にやる気は無くなり、もう止めたいところだが、止めても港まで歩いて戻らなくてはならないから、それならスローペースとは言え走った方が早いので、ダラダラと走り続ける。
気が遠くなるような長い距離を走り終えると、半島の区間が終わる分岐までやってきた。
半島区間が終わると、いきなり最後の大きな坂になる。昔は、ことごとく歩いていた坂だ。私だけでなく、他のメンバーも大半は歩いていた。
でも、最近は歩かずに乗り切っている。気持ちの持ちようなんだけど、厳しい厳しいと思っていると、つい歩いてしまうが、所詮は大したことないと思っていると、割にあっさりと上り終えてしまう。
なので、今日も走り続ける。
とは言っても、気持ちとしては走り続けているつもりなんだけど、はたから見ていると、どう見ても歩いているようにしか見えないだろう。ペースは超遅いし、足が上がっていないからだ。
それでも、激坂はそんなに長くは続かない。ピークに達すると、今度はしばらく下り坂が続くので、力いっぱい足を広げて駆け下りる。
なーんて思っているのは自分だけで、もう足は広がらないし、ピッチも上がらないので、はたから見ていると、足を引きずりながらダラダラと走っているとしか見えないだろう。
カーブを曲がると、最後の直線区間に入る。この直線は長く長く感じられる。
よっぽど手前の駐車場のところを間違ったフリをして曲がりたかったけど、なんとか我慢して広いグラウンドの向こうまで行ってからグルっと回る。
海岸線に出たら、もうゴールは見えている。ゴール付近では既にゴールしているのらちゃんが待ってくれているのが見える。
〜 ゴール 〜
最後の直線区間をヘトヘトになって走り終えると、ようやくゴールだ。
(のら)「最後まで走ったね。良くやったぞ」
(幹事長)「のらちゃんはどうやった?」
(のら)「足が痛くて速く走れなかったよ」
とは言え、もちろん私よりは遥かに速かった。
トップ争いは、なんと最後の最後でK村選手がピッグを逆転したとの事だ。
(幹事長)「何があったん?」
(K村)「曲がる所を間違えまして」
あれだけ曲がる所を間違えたらあかんよって言ってたのに、最後の直線区間でグラウンドまで行かずに手前の駐車場のところを曲がって近道をしてしまったらしい。
(幹事長)「そりゃ失格やな。て事で私が繰り上げ3位です」
(のら)「それって嬉しい?」
(幹事長)「ちっとも」
一方、14km部門の参加者は、第2折り返し点の二十四の瞳の映画村にソフトクリームが無かったもんだから、半島区間が終わってもそのままゴールに戻らず、第1折り返し点の方に1kmほど走ったところにあるマルキン醤油まで行ってしょうゆソフトクリームを食べたんだそうだ。
(幹事長)「そこまでしてソフトクリームを食べたいの?」
(支部長)「初志貫徹できて嬉しい」
(ザビエル)「美味しかったですぅ」
(幹事長)「私もそっちにしたら良かったかも」
〜 帰途 〜
いつもならゴールすると冷たいソーメンを頂けるし、お弁当の配布もある。でも今日は自主開催レースなので何も無い。
しかも港周辺には飲食店は何も無い。コンビニも無い。まるで何も無い。
なので、空腹を我慢して、取りあえず帰りの船を待つ。帰りは11:35坂手港発だ。いくらトンでもなく遅かったとは言え、まだまだ待たなければならない。
ヒマなのでさかてらすの屋上にあるモニュメントを見に行った。頭には宇宙ヘルメットを被り、体は宇宙服のような物を着た SHIP'S CAT という巨大な猫ちゃんのモニュメントだ。
(幹事長)「なかなか素晴らしいなあ」
(のら)「でも何なの、これ?」
(幹事長)「さっぱり分からん」
だいぶ待ちくたびれた頃に、ようやく帰りのフェリーが到着した。
朝と違って、だいぶ空いていたので、絨毯の雑魚寝スペースに寝転がる事ができた。
高松に着いたら、港の近くのうどん屋で昼食を食べ、無事に自主開催レースが終了した。
本来なら、今日の空前絶後の大惨敗の反省をしなければならないところだが、去年の汗見川マラソン以来、トンでもない大惨敗続きなので、今さら反省する気も起きない。
何をどうすれば良いのか、全く五里霧中なのだ。
次のレースは、7月末の汗見川マラソンだ。
日本列島全体が焼けつくような異常な猛暑に覆われているので、個人的な不調が無くても大撃沈は見えている。
まともに最後まで走れるかどうかすら大いに不安だ。
(幹事長)「そろそろ夏場のマラソン大会は出るのを止めないといけないのかも」
(加藤)「川上り駅伝がありますがな」
普通のマラソン大会は暑さで走る気力が湧かないが、汗見川マラソンの翌週には広見川で川上り駅伝がある。
これは川の中を走るから、そんなに暑さは感じない。でも、その代わり、水の中を走るのでめちゃくちゃ大変だ。
今年は去年のメンバーに加えて新人メンバーが参加する。
(幹事長)「我々が賞金をゲットできるかどうかは新人メンバーの活躍にかかっておる。分かっとるな!?」
(ピッグ)「ひえ〜!」
(ザビエル)「あら〜!」
〜おしまい〜
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