第45回 小豆島オリーブマラソン大会(自主開催)

〜 涼しい潮風に吹かれて大惨敗 〜



2022年5月22日(日)、第45回小豆島オリーブマラソン全国大会が開催されるはずだった。

この大会は1997年の第20回大会から参加し続けており、我々にとっては欠かすことのできない重要なマラソン大会だ。
なので、2020年も2月には早々にエントリーを済ませ、楽しみにしていた
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった

事の発端は2020年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、その後、状況はますます悪くなり、遂に3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になってしまった。あまりの事に呆然とした。
そして、その後も、全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった

これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

(ピッグ)「この説明って、去年でおしまいになると思ってましたよねえ」
(幹事長)「ほんと!まさか、今年もまた、この説明を延々と繰り返す羽目になるとは思わなかったよ」

バカみたいな
マラソン大会の中止騒ぎ庵治マラソンでおしまいになり、この説明もおしまいになると思っていたのに、またまた繰り返す事になろうとは!
ともかく、素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない

多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
さらに、それに付け込んで何でもかんでも政府を批判する無能な民主党が調子に乗ってギャアギャア騒ぐからだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。

もちろん、大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、私も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。

そして、恐れていた通り、その後も5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままではマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。


〜 マラソン大会を自主開催 〜


って嘆き悲しんでいた時、ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。

(ピッグ)「この話も、去年でおしまいになると思ってましたよ
(幹事長)「ほんと、ほんと!

2020年5月のオリーブマラソン以来、自主開催してきたマラソン大会の記事にはしつこく書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。

(幹事長)「お待たせしました!はい、どうぞ!」
(ピッグ)「中止になった大会を
ペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え!?」


あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。

(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば」


1997年に我々がペンギンズを立ち上げた時クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだった。

と感心していたのだが、2020年5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
さらに2021年5月のオリーブマラソンに至っては、胸に大きく「勝手に小豆島オリーブマラソン」なんて書いたTシャツを着て自主開催しているグループがいた。
つまり、マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。

(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば

てなわけで、その後は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった
その第1弾が2020年5月17日に開催したサイクリングイベント第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月の小豆島オリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川清流マラソン8月の四国のてっぺん酸欠マラソン9月の龍馬脱藩マラソン11月の庵治マラソン12月の瀬戸内海タートルマラソンを自主開催してきた。

これらも例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、願わくは、コロナのバカ騒ぎは2020年で収束して、2021年はマラソン大会が復活して欲しかった。
ところが、2021年になってもコロナのバカ騒ぎが終わらず、マラソン大会の中止が続いたため、2月の丸亀マラソンを自主開催し、続いてトレラン大会である2月の善通寺五岳山空海トレイルも自主開催した。

この善通寺五岳山空海トレイルは、2020年はギリギリでなんとか本大会が開催され、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止になる前の最後の大会だった。
それからまる一年が経ってマラソン大会の中止騒ぎも一周したので、そろそろバカ騒ぎを止めてマラソン大会を再開して欲しかったところだが、2020年に最初に中止になった徳島マラソンは、なんと2年連続で去年も中止になってしまった
コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が2年目に突入したのだ。そのため、徳島マラソンの代替大会として3月の香東川マラソンを自主開催した。

そして、その後も2年連続のマラソン大会中止が続いたため、5月の小豆島オリーブマラソン7月の北山林道駆け足大会7月の汗見川清流マラソンを2年連続で自主開催してきた。
さらに、マラソン大会や自転車イベントに続く初めてのトライアスロン大会として9月のサンポート高松トライアスロンを自主開催し、それに続いて10月の龍馬脱藩マラソン10月の四国のてっぺん酸欠マラソン11月の瀬戸内海タートルマラソン1月の庵治マラソンを自主開始した。

もちろん、これらも例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、私のタイムは2年連続で大惨敗続きだった。

(支部長)「それは根性の無い幹事長の話であって、私はこの2年間、絶好調を維持してるよ」
(幹事長)「おみそれしました!」

しかし、バカみたいなコロナ騒ぎもいよいよ収まり、マラソン大会の自主開催は庵治マラソンでおしまいになり、
2022年にはマラソン大会が復活するはずだった。その第一弾が丸亀マラソンのはずだった。
実は全国的には2021年12月に
奈良マラソンが開催された。たぶん、大きなマラソン大会としては、この奈良マラソンが復活の第一号だっただろう。
奈良は県知事が「
緊急事態宣言とかマンボウとか全く意味が無い。経済が打撃を受けるだけで、感染防止には何の効果も無い」という正論を断固として貫いており、そのおかげで奈良マラソンは開催された。

緊急事態宣言やマンボウが何の効果も意味も無い事は明らかだ。そんな事をしようがしまいが、感染が広がる時には広がるし、収束する時には収束する。当たり前だ。誰が考えたって分かる簡単な事だ。
ところが、一部のヒステリックで愚かな市民やバカで自分勝手なマスコミに批判されるのを避けようとする
自己保身に凝り固まった多くの県知事は、何も考えずに見境なく緊急事態宣言やマンボウを乱発する。
そのせいで多くのマラソン大会が中止に追い込まれているのだ。

そして、四国でも唯一、香川県知事だけがマンボウに手を挙げ、
丸亀マラソンも中止に追い込まれた。本当にバカみたいな話だ。
てな訳で、怒り狂いながら2月の丸亀マラソンを自主開催し、さらに続いて2月の善通寺五岳山空海トレイルを自主開催した。


〜 大会中止が3年目に突入 〜


この善通寺五岳山空海トレイルは、2020年はギリギリでなんとか開催され、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止になる前の最後の大会だった。
それからまる2年が経って2周もしたので、そろそろバカ騒ぎを止めてマラソン大会を再開して欲しかったところだが、2020年に最初に中止になった
徳島マラソンは、なんと3年連続で今年も中止になってしまった
コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が、信じられない事に3年目に突入したのだ。

ただし、大きな声で言っておかなければならないが、
全国的にコロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が3年目に突入した訳では決してない
上に書いたように、事の発端は2020年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だったが、東京マラソンは今年は開催された3月6日の開催だ。
また、2020年は東京マラソンに続いて一般市民ランナーの参加が中止になった名古屋ウィメンズマラソンも今年は開催され、ゾウさんが出場して完走した。東京マラソンの1週間後の3月13日の開催だ。

(ゾウ)「キャッホー!完走してティファニーのペンダントをゲットしたよ!」
(のら)「いいな、いいなあ」

人口が密集している大都市の東京や名古屋で大規模マラソンが開催されたんだから、この流れからいくと、当然、田舎の徳島マラソンは何の問題も無く開催されるだろうと思っていた。
それなのに、なんと!
田舎で沿道の観客だってスカスカの徳島マラソンは中止になったのだ
本当に何を考えているのか!信じられない。

なぜ人口が密集している東京や名古屋で大規模マラソン大会が開催されたのかと言えば、
コロナの感染者数が減ったからではない。相変わらず感染者数は高止まりしている。
しかし、
コロナのバカ騒ぎは収まりつつある。ようやく国民の多くはコロナがただの風邪に過ぎないって事が分かってきたのだ。
独善的な医療関係者と下品なマスコミが、あたかもコロナを恐ろしい病気のようにヒステリックにわめきたてるもんだから、国民の多くが理解するまで2年もかかったが、ようやくコロナなんてただの風邪に過ぎないっていう理解が進んできたのだ。
テレビニュースだって、ウクライナ情勢と知床半島観光船沈没事故の話題ばかりで、コロナの事なんて言わなくなった。本当にスッキリする。
それなのに、
一体なんで徳島マラソンは3年目になっても中止にするんだ!?もう、全く理解不能だ。

2020年の徳島マラソン中止は全国的なマラソン大会の中止の先駆けとなったので許せなかったが、
今年の徳島マラソン中止は全国的なマラソン大会復活の流れに水をさす中止となったので、やはり許せない。
などと怒りは収まらないが、
無力な我々にできることは自主開催だけなので、徳島マラソンの代替大会として4月の香東川マラソンを自主開催した。

そして、3年目に突入した徳島マラソン中止の流れに乗るかのように、
5月のオリーブマラソンも3年連続の中止になってしまった

ただ、多額の参加費をとっておきながら、いつも直前になってドタキャンされ続けてきた徳島マラソンなんかに比べて、
オリーブマラソンは中止の発表が早く、また中止が決まって以降の対応も非常に誠実だ

(ピッグ)「丁寧な手紙と共に小豆島の特産品とか送ってくれましたからね」


走ってもないのに意味不明に完走メダルを送り付けてきただけでお茶を濁した徳島マラソンと違い、数々の特産品と共に、心のこもった手紙を送ってくれたオリーブマラソンに対しては、我々は非常に好意的だ。

(幹事長)「参加費がとっても高い徳島マラソンのぞんざいな対応に比べて、オリーブマラソンは参加費が安いのに丁寧な対応だよなあ」

て事で、オリーブマラソンも3年連続での中止になったが、それほど怒り狂う事もなく、淡々と
今年も3年連続で自主開催することとなった


〜 自主開催が当たり前に 〜


ここまでマラソン大会の中止が続くと、自主開催が普通になってきた

(幹事長)「なんか、もう、自主開催が当たり前になってきたなあ」
(ピッグ)「これはこれで良いんですけどね」


確かに、
自主開催レースには色んなメリットがある
列挙すると、
  ・みんなの都合に良い日に開催できる
  ・天気が悪い時は延期できる
  ・勝手にスタート時間を決められるから早朝に出発しなくてもいい
  ・混んでないから駐車場に困らない
  ・混んでないからトイレに困らない
  ・終わってからも混んでないからスムースに帰れる
  ・参加費がかからない


今回のオリーブマラソンで言うと、本来の正式な大会は例年5月下旬に開催されてきたから、基本的には5月の下旬に開催したいところだが、参加できないメンバーがいると困るので、アンケートを実施した。
その結果、例年よりは少し早いが
5月15日の開催とした。
例年なら、今の時期は、天気の事はあんまり心配する必要は無いんだけど、1週間ほど前から、早くも梅雨入りしたんじゃないかって思うくらい雨が続いていた。
でも、運よく自主開催日当日は
晴れ予報となった。

(支部長)「今の季節は炎天下より雨の方が走りやすいけどな」
(幹事長)「私は炎天下のランニングが好きやで」
(ピッグ)「好きなのとタイムが良いのとは別問題ですけどね」


このように自由に日程を調整できるほか、基本的に参加者は我々だけなので、
普通のマラソン大会のように参加者が溢れて混雑するって事がない
そのため、トイレの前で長蛇の列に我慢して並ぶ必要も無いし、レースが終了してからもスムースに帰れる。

それに、何と言っても
参加費がかからないってのも大きなメリットだ。
最近はマラソン大会の参加料が高騰していて、神戸マラソンの参加費は、なんと2万円にまで高騰している!

(支部長)「もう我々のような貧乏人はマラソン大会には出られないご時世になりましたな」
(のら)「よく言うわ。どこが貧乏人なんよ」

我々はだいたい毎月1回くらいのペースでマラソン大会に出ているから、参加費だけでも年間で10万円はかかっている。それがタダになるのだから、自主開催も悪くない。

(ピッグ)「良い事づくしですよね」
(幹事長)「いまいち気合が入らないのは問題やけどな」


自主開催レースの唯一のデメリット
  ・正式な大会ほどは気合が入らないから良いタイムは出ない
ってことだ。
唯一ではあるが
極めて重大なデメリットだ。

ただし、これは人による。
私なんかは、本番でないと気合が入らない。本番なら参加者が大勢いて、たくさんのスタッフがサポートしてくれて、沿道の声援も多いから、やる気がみなぎる。
私がマラソン大会に出たのは、1995年の瀬戸内海タートルマラソンが初めてだ
当時はマラソンブームが起きるはるか以前の事で、ジョギングする人だって滅多にいなかったから、全国的にもマラソン大会は数が少なく、たまにあっても出場するのはマニアックな人ばかりという状況だった。
なので、一般人にはマラソン大会に出るなんて発想は無かったんだけど、タートルマラソン大会のCMがテレビで流れていて、「
ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘われて、ついフラフラと軽はずみな気持ちで申し込んでしまったのが最初だ。
もちろん、右も左も分からないど素人が一人で初参加したので、とんでもない大惨敗だったが、初めて出場したマラソン大会は感動的なものだった
誰でも参加できる市民マラソン大会を走っているだけなのに、
沿道の住民からは熱い声援があり、まるでオリンピックを走る一流選手になったような気分になれたからだ。
今思えば、人口が少ない地域の小さな大会だから、もっと大きな都市部の大会に比べたら、沿道で声援を送ってくれる人の数は少なかったんだろうけど、他人から声援を受けて走るなんて事は、義務教育を終えてからは初めてだったので、とても快感だった。
この初参加が、あまりにも楽しかったため、それから色んなマラソン大会にどんどん出るようになった。
なので、私はマラソン大会が大好きだ。
本番になると、アドレナリンが出まくって普段以上の力が出る
逆を言えば、
本番でないと、どうしても気合が入らない。いくら頑張ってるつもりで、からっきし駄目だ。

ただ、これは私の個人的な問題であり、
女子部員のゾウさんやのらちゃんは、普段の練習でも本番と同じようなペースで走っている。練習の質がとても高いのだ。
このように練習の時ですら本番と同じようなスピードで走れるゾウさんやのらちゃんなら、自主開催レースでも正式な大会と同じようなタイムを出すことも可能だ。
でも、私なんて、どんなに頑張ってみても、本番のようなペースを練習で出すのは不可能だ。
自主開催レースなら、永遠のライバルである支部長やピッグと一緒に走るから、独りで練習している時よりはマシだが、それでも
大したスピードは出ない

さらに、常に大勢の参加者が周りにいるため緊張感が持続する本大会と違って、参加者が少ない自主開催レースだと、
他のメンバーから少し遅れてしまうと、すぐに一人旅となり、その時点で緊張感もやる気も無くなり、トボトボと足を引きずりながら撃沈する。

(幹事長)「やる気なくなるよな?」
(ピッグ)「完全になくなりますね」


一方、女子部員は精神力が強靭なので、一時的に他のメンバーに離されても決してくじけないから、粘り強く走り続け、終盤に逆転できたりする。

女子部員にとっては自主開催レースはデメリットが無いので、怖いもの無し
なのだ。

ところが、今年は
のらちゃんは家庭の事情で急遽、参加が取りやめになり、ライオン4世も仕事で参加できなくなった。
ゾウさんは来られるんだけど、去年に続いて小さなお子さん連れのため、せっかく小豆島まで行くのに、レースには参加しないという。

(ゾウ)「今日はピクニックです」
(支部長)「子供と一緒に走ったらええやん」
(ゾウ)「無理ですよ!」

(幹事長)「おんぶして走ったらええやん」
(ゾウ)「無理ですってば!」


久しぶりにゾウさんに勝てるチャンスと見て、私たちは参加を説得したが、彼女は頑なに拒否する。
また、庵治マラソン、丸亀マラソン、善通寺五岳山空海トレイルと3戦連続で出場していた長谷さんは、香東川マラソンに続き、農園の作業が忙しいとの事で不参加となった。
てことで、今年のオリーブマラソンを走るのは私、支部長、ピッグ、D木谷さんとなった。


〜 フェリーの選択 〜


オリーブマラソンは、近年、エントリーの競争も激しくなってきたが、なんと言っても交通の便の悪さが大きなネックだ。
小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、関西地方からの参加者も多く、そういう意味では立地の良い大会と言える。
しかし、レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路がほとんど無い。なので、通常は主催者が出している高松発の臨時船に乗る。

ただ、臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。
車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、冷たい波しぶきが飛んでくるし、帰りは逆に太陽熱で焼けて熱くなった鉄板の上で焼かれるお好み焼き状態になり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。
そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいていた。
それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなってきた
奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるので、もはや家畜船と呼ぶのが相応しい阿鼻叫喚の世界になっている。

しかし、当然ながら自主開催では奴隷船すら出ない
それで一昨年、交通手段を検討した結果、次の2案が選択肢となった

  @ 高松東港からジャンボフェリーに乗って坂手港に行く。

  A 高松港から内海フェリーに乗って草壁港に行き、そこからバスで坂手港に行く。


ジャンボフェリーだと会場の坂手港に直接行けるので、文句なく最善に見えるが、高松東港はJR高松駅から遠く離れているため、ゾウさんやのらちゃんのように西讃からJRで来るメンバーにとっては不便だ。
しかもジャンボフェリーは一日に6:00発、14:00発、16:30発の3便しかないから、6:00の便に乗らざるを得ない。そうなると、JR高松駅からの距離を考えると、始発電車に乗ってもJRではたどり着けない。
一方、内海フェリーはJR高松駅のすぐ近くの桟橋から出港するし、便数が多いから無理のない時間に出発できるが、現地でのバスの乗り継ぎが少し面倒だ

て事で、迷うところだが、一昨年は結局、JR組が都合で不参加になり、高松東港の立地の悪さは問題ではなくなったので、ジャンボフェリーにした
ジャンボフェリーは朝が早いとは言え、毎年、奴隷船に乗る時も私や支部長はみんなの席取りのために5時過ぎには高松港に着いて並んで待っているので、時間は同じようなものだ。

ただ、上記の自主開催のメリットのうち、
  ・勝手にスタート時間を決められるから早朝に出発しなくてもいい
てのは消えてしまった。
しかしここで、某ピッグから素晴らしい意見が出された。

(ピッグ)「朝早いと涼しいうちに走り終えられるんじゃないですか」
(幹事長)「時々ええこと言うなあ」
(ピッグ)「常に言ってますがな」


早朝に出発しなくてもいい、っていうメリットは消えてしまったが、勝手にスタート時間を決められるから、現地に着いたらすぐにスタートできるというメリットがある。
正式な大会はいつも10時スタートで、ゴールは12時前後になるため、天気が良い年は暑さにやられてしまう。早朝に出発するにも拘わらず、走るのは炎天下になる事が多いのだ。
一昨年も晴天だったので、正式大会のスケジュールなら炎天下のレースとなるところだったが、6:00に高松東港を出て7:15に坂手港に着き、8時前にスタートして、暑くなり始める前の10時にはレースが終わった。
て事で、ジャンボフェリーに乗っていくという選択は正しかった。出港は早いとは言え、例年の奴隷船と変わらないし、暑くなる前に終了できたのが良かった

そして去年は、草壁港行きの内海フェリーが、コロナのバカ騒ぎによる乗客激減のため、なんと廃止になってしまった
たかが風邪に毛が生えた程度のコロナウィルスに対してヒステリックに騒ぐもんだから、世の中がめちゃくちゃだ。これも全て下品なマスコミと医療関係者の独善と無能な民主党のせいだ。
てことで、選択肢の2番目は

  A 高松港から国際両備フェリーに乗って池田港に行き、そこからバスで坂手港に行く。
もしくは
  B 高松港から小豆島フェリーに乗って土庄港に行き、そこからバスで坂手港に行く。

に変わった。

池田港や土庄港は草壁港より、さらに少し遠いところにある。
つまり、現地でのバスの乗り継ぎがさらに面倒になったのだ。
て事で、去年は検討するまでもなく、ジャンボフェリーに乗っていくことにした
高松組もJR組も車で乗り合わせて6:00出港に合わせて高松東港へ集合した。
去年も一昨年と同様、晴天だったが、8時にスタートして、暑くなり始める前の10時にはレースが終わったので、炎天下のレースにならずに済んだ

ところが!
今年もジャンボフェリーで行こうと思って調べ見たら、なんと定期検査中とのことで便数が減っている
行きの便は通常とほぼ同じ6:15に出港するんだけど、帰りの便がいつもの11:40の便が無く、15:00の便しかない。
これだとレースが終わって5時間も待ち時間が出来てしまう

そこで参加者に選択肢を提案してみた。
 @ 待ち時間を活用して近くの洞雲山に登る
 A 土庄港行きか池田港行きのフェリーに乗る
 B 日程を変更する


洞雲山は小豆島では有名な良い山で、以前から登りたかった山だ。坂手港からだと往復3時間ほどで登れるので、時間は十分ある。
ところが、

(支部長)「オリーブマラソンを走ってヘロヘロになった後で登山するのは無理やで」
(ゾウ)「子供連れなので無理ですぅ」


との意見が出たので@はボツになった。
また、日程変更案は、

(ゾウ)「5月いっぱいは予定が入ってるので、6月以降になります」
(ピッグ)「6月になると暑いですよ」


との意見が出たのでBもボツになった。

て事で、Aの行先変更案が採用された
土庄港行きフェリーも池田港行きフェリーも一日に十数便出ているので、行きも帰りもだいぶ自由度が増す。
ただし、土庄港や池田港から坂手港までバスで往復する時間がかかるので、ジャンボフェリーを使うのと比べて、高松港に戻ってくるのは結局、1時間ちょっと早いだけだ。

(支部長)「ま、それでも、何も無い坂手港で5時間もボケっと待つよりマシやな」

どの便にするか色々と検討したが、JRの高松駅到着時間を考慮して、7:20高松港発、8:20土庄港着のフェリーで行くことになった。
土庄港に着いた後は8:40土庄港発、9:26坂手港着のバスで移動し、マラソンは10時頃のスタートとなる。
これだと、上記の自主開催のメリットのうち、
  ・勝手にスタート時間を決められるから早朝に出発しなくてもいい
っていうメリットが復活した代わりに、スタート時間は正式大会と同じになり、
天気が良いと炎天下のレースになるかもしれない。

(幹事長)「望むところやな」
(支部長)「それはマズい!」


〜 出港 〜


フェリーの出港時間は7:20だが、ただいま瀬戸内国際芸術祭が開催されており、日曜日の朝なので観光客が殺到してフェリーに乗れなくなる事態にならないかという不安があったので、6:40に港に集合とした
私が時間通りに港に着いた時には、既に支部長が来ていた。

(幹事長)「いつもながら早いな」
(支部長)「もう20分も待ってるで」


恐るべき支部長の早起きだ。
天気予報では今日は晴れのはずだったが、朝から曇ったままで、少し肌寒い

(幹事長)「曇ってるなあ。このままだと暑くはならないかも」
(支部長)「しめしめ」


しばらくするとピッグD木谷さんも到着し、さらに少し待ってるとゾウさん親子も到着し、全員集合となった。

観光客が殺到するのではないかという不安があったが、時間が早かったためか、 フェリーに乗り込むと、そんなに混雑はしてなかった。
て言うか、乗船客はとても少なかった。普段と変わりない。

(幹事長)「こんなに空いてるんなら、正式な大会の時も奴隷船じゃなくて定期便のフェリーに乗りたくなるよなあ」
(支部長)「でもT頭君の情報によると、正式な大会の時はどのフェリーも奴隷船状態になるらしいよ」


普通の座席に座ろうか、それとも雑魚寝スペースに寝転がろうか迷ったが、往路はボックスシートに陣取った

7:20になって船が動き始めたので、朝食にする。少し早起きしたからお腹が空いてきた。
できれば家を出る前に朝食を食べてトイレも済ませたいところだが、いくら早起きが苦痛でなくなったとは言え、普段より早い時間に朝食を食べるとお腹を壊す可能性が高いので、家では食べず、船に乗ってから食べる。自主開催レースならトイレも空いているから大丈夫だ。
朝食はおにぎりだ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてみたらその後は一度もお腹を壊さなくなった
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無いのだ。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンでは5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレにこもってしまった。
原因は分からない。でも、少なくともおにぎり路線が悪い訳ではないだろう。これまでは、おにぎりの他に、バナナやゼリーも食べたりしていたが、それらを控えるべきかもしれない。あんまり無理してレース前に食べすぎるのは禁物だ。

朝食が終わったら、コースの確認だ一昨年や去年と同じコースだが、再度、きちんと確認しておく必要がある。
この大会はハーフマラソン、10kmの部、5kmの部があるが、うちのメンバーはたいていハーフマラソンの部に出ている。
例外は、血の味を味わうために敢えてペースが速くてきつい10kmの部に出ているゾウさんや、全く練習もせずにぶっつけ本番で5kmの部に出たライオン4世くらいだ。
でも、今年は二人とも走らないので、短いコースは不要だ。

ハーフマラソンのコースは、もちろん正式な大会と同じだ。
坂手港を出発して県道248号線を西へ走り、峠を越えて内海湾に出て、県道28号線に入る。スタートからここまで865mだ。
そこから北上してしばらく走り、国道436号線に入って西へ進み、草壁港のすぐ西にある別当川別当大橋を渡ってすぐにあるミナト接骨院の前を第1折り返し点として折り返す。県道28号線に入ってからここまで3515mだ。
折り返した後は国道436号線を東に戻って県道28号線に入り、しばらく南下した後、県道249号線に入る。第一折り返し点からここまでは3515mだ。
ここから県道249号線を西へ向いて5840m走り、二十四の瞳の映画村の奥にある「愛のボラード」の前を第2折り返し点として折り返す。
折り返した後は県道249号線を東に戻って5840m走り、最後は県道248号線1520m走って会場に戻り、ゴールする。
地図で厳密に測定して、正式なハーフマラソンの距離(21,097.5m)にぴったりの21,095mのコースを設定している。

とても分かりやすいコースなのに、一昨年も去年も、2年連続で支部長は第1折り返し点に気付かずに通り過ぎてしまった。

(幹事長)「ちゃんと気を付けてよ」
(支部長)「なんか風景がイメージと違うんよねえ」


第1折返し点は分かりにくいが、第2折り返し点の「愛のボラード」は船を繋留する岸壁の杭の形をした白い巨大な物体で、あまりにも異様な目立つ物体なので、間違える心配は無い。


〜 島に上陸 〜


1時間の船旅が終わって8:20に小豆島の土庄港に着く。空は相変わらず曇ったままで、晴れそうにない。

フェリーを下船したら、次は港のバス停から8:40発のバスに乗って坂手港に向かう。
バス停は土庄港観光センターの出口の方にあるのを知っていたが、一応、念のためフェリーの係員に聞いてみた。そしたら、なぜか反対側の港の奥の方を指さす。
おかしいなあ、と思いつつ行ってみると、そちらが始発のバス停だった。始発のため、早目にバスがやってきて、すぐに乗り込む事ができた。

後から来た乗客が乗り込むと、バスはちょうど満席になった。フェリーは空いていたが、バスは定員が少ないため、すぐに満席になるのだ。
バスの便数が多ければ問題ないが、フェリーの便数とバスの便数はほとんど同じで、どちらも1時間に1本くらいだ。なので、バスに乗る方が競争が厳しいと言えよう。

8:40にバスが動き出したかと思うと、すぐ次のバス停に停まった。私が知っていた土庄港観光センターの出口の方にあるバス停だ。
すると、そこからもフェリーを下船した観光客が乗り込んできた。しかし、始発のバス停で既に満席になっているので、彼らは座る場所が無く、立ったままだ。
短い距離なら良いけど、これから長時間バスに乗らないといけないので、立ったままは辛い。始発のバス停で乗っておいて良かった

その後のバス停でも、乗客が少し降りたかと思うと、また乗ってきて、しばらくバスの混雑は続く。もっとバス便を増やしたら良いのに、と思うが、普段は乗客が少ないのかもしれない。
ただ、オリーブ公園の辺りで大半の観光客が降りると、車内はかなり空いてきた。我々の他には、ほとんどいない状態だ。
道路は混雑も無く、時刻表より少し遅れたくらいで、バスは9:30頃坂手港に着いた。

バスから下りたら、まずは場所の確保をしなければならない。例年のように、港の狭い芝生に囲まれたベンチに陣取る
空は相変わらず曇ったままで、あんまり暑くはなりそうにない。オリーブマラソンで、こういう天気は珍しい。

オリーブマラソンは毎年5月末に開催されるが、この季節は天気が良いときは本当に気持ちが良い。まだ湿度があんまり高くないから、木陰でボケッとしてるぶんには暑くなく、大変気持ちが良い季節だ。
ただ、マラソン大会となると事情は異なる。木陰は気持ち良くても、炎天下を走るとなると非常に暑い。個人的には寒いのは嫌いで、暑い方が好きだから、真夏の炎天下で汗だくになって走るのは楽しくて好きなんだけど、しかし、いくら好きでも暑いとタイムは悪くなる。

それでも、昔の私達は、マラソン大会では晴れを望んでいた。雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。
しかし、2010年の第33回オリーブマラソンで考えが変わった。その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。
そしたら、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、むしろ坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった
私だけでなく、最後までデッドヒートを演じたピッグも快走だったし、支部長も例年なら絶対に歩く最後の大きな坂も歩かずに2時間を切る大会自己ベストを出した。
それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになったのだ。

この大会には1997年から出続けているが、昔からずうっとタイムが悪く、長らく2時間を切ったことがなかった。私に限らず、ピッグや支部長だって、他のレースに比べたらタイムは悪かった。
でも、それが暑さのせいだとは誰も思わなかった。いくら暑いと言ったってまだ5月なんだから、7月下旬の炎天下の汗見川マラソンや四国カルストマラソンのような地獄の暑さではないからだ。
なので、このレースのタイムが悪い理由は坂が多いからだと信じていた

オリーブマラソンのコースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だが、後半に入ると、二十四の瞳の映画村まで行って折り返してくる曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。
この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に次から次へと坂が襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなるのだ。
同じ小豆島だけど、反対側の北西部で行われる11月の瀬戸内海タートルマラソンも同じように坂が多いが、なぜかそちらの方はタイムが良い。
タートルマラソンはコース全般に満遍なく坂が配置されてるけど、オリーブマラソンは疲れが出る後半に坂が集中するのが良くないのだと思っていた。
なので、オリーブマラソンでは2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた

マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、走る前から「このコースでは2時間を切るなんて絶対不可能だ」なんて決めつけていたら、現実にも2時間を切ることは難しい。
途中で苦しくなったら、「どうせ良いタイムは出ないコースだから頑張ってもしょうがない」と、すぐに諦めるからだ。
以前は、最後の大きな坂では、ほぼ必ず歩いていた。無理して走っても、どうせ良いタイムは出ないと信じていたからだ。

それなのに、2010年に土砂降りの中、みんな揃って快走したもんだから、メンバー全員、衝撃を受けた。オリーブマラソンのタイムが悪かったのは、坂が多いからというだけではなくて、暑さのせいが大きかったのだ
そのため、それまではみんな雨を嫌がっていたんだけど、一転して、暑い季節のマラソンは雨乞いをするようになった
そして、その翌年の2011年も、序盤に激しい雨が降ったため、前年と同じように後半にペースを上げることができて、大会自己ベスト2位を出した
これでオリーブマラソンも雨さえ降れば良いタイムが出るという事が分かり、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がついた

そして、さらに、雨さえ降れば良いタイムが出るということが分かると、雨が降らなくても暑さ対策を施せば、炎天下のレースになっても良いタイムを出すことが可能になってきた
暑さ対策とは、秘密兵器のメッシュのシャツだ。2014年のオリーブマラソンに初めて、他のメンバーから沸き起こった「恥ずかしいから脱いでくれ」という批判を気にせずに着て走ったところ、炎天下にもかかわらず暑くないため、好タイムを出すことができたのだ。

(幹事長)「あのメッシュのシャツは、自分では、まるで何も着ていないような感覚なんですよ」
(D木谷)「いや、はたから見ても裸同然ですよ」

2014年に炎天下で好タイムを出した時に着たメッシュのシャツ


遠くからだと何か着ているように見えるが、確かに、そばで見ると、スケスケで裸のように見えなくもない。
しかし、このメッシュのシャツの威力は絶大で、2015年のオリーブマラソンでも自信を持ってメッシュのシャツを着て走ったら、炎天下のレースだったにもかかわらず、土砂降りの2010年に出したタイムを更新する大会自己ベストを出した
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、「雨が降らなくてもメッシュのシャツを着れば良いタイムが出る」という事が分かったのは大きな自信となった。
雨が降らなくても、暑さ対策さえ万全に施せば、暑さを楽しむことができる。もう怖いものは無いのだ。


〜 スタート前の準備 〜


て事で、ウェアの選択に入る。「何を着るか」は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な課題だ

(D木谷)「だからメッシュのシャツを着るんでしょ?」
(幹事長)「いや、そう簡単にメッシュのシャツは着ません」


2014年や2015年に炎天下にもかかわらず好タイムを出せたのは、メッシュのシャツのおかげだと思う。それまで炎天下のレースでは惨敗続きだったのが、急に快走できるようになった理由は他には見当たらない。間違いない。
しかし、実は、その後はこの秘密兵器のメッシュのシャツを着ても惨敗することがあった
続く2016年は同じメッシュのシャツを着て走ったにもかかわらず、以前と同じような惨敗を喫してしまった
さらに2019年も3年ぶりにメッシュのシャツを着て走ったが、惨敗とは言わないまでも、平凡なタイムだった
てことで、メッシュシャツを着たからと言って必ずしも快走できる訳ではないってことが分かった

それに、一昨年や去年もそうだったが、そもそも今年も自主開催で正式な大会でないため、ロクなタイムが出ないことは分かりきっている
女子部員は練習の時でも本番同様のスピードで走ることができるので、自主開催レースであっても、正式な大会と同レベルのタイムが期待できる。
しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れてみても、本番とはほど遠いペースに落ちぶれてしまう。
今日は練習ではないが、自主開催のレースなので正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのが目に見えている。

こんな状態なので、秘密兵器のメッシュシャツを出してくるのは止めておいた。なぜなら、秘密兵器のメッシュシャツはいつ買ったのか忘れてしまったが、もう古くてボロボロになっていて、いまにも破れそうなのだ。
だからここぞと言う時のために大切に保管しておかなければならない。どんなにあがいてもロクなタイムが出そうにない自主開催レースで着るのはもったいないのだ。
てことで、今日は一昨年や去年と同じく袖無しの白のシャツを用意してきた。メッシュのシャツほどではないが、これもなかなか涼しい。

ところが、天気予報が外れて、どう見てもしばらく晴れそうにない。レース中は曇ったままの可能性が高い。こうなると肌寒い事はあっても暑くなる心配は無さそうだ。
てことで、急遽、長袖のパーカーを着ることにした。

(支部長)「え?長袖?」
(ピッグ)「暑くないですか?」
(D木谷)「大丈夫ですか?」


あんまりみんなに言われると不安になってくるが、今日はもう晴れないと思って、長袖で走ることにした

(支部長)「いくら炎天下でなくなったとしても、長袖は要らんやろ?」

そう言われても、今日は炎天下になると思って袖なしのシャツしか用意してきてないので、それでは寒そうだ
確かに、みんなは半袖のTシャツだが、肌寒いため、みんなアームウォーマーを付けている。
私もそのスタイルで行きたいところだが、今日は炎天下の心配しかしてなかったので、アームウォーマーなんか持ってきてない

下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。これは汗で濡れてもベチョベチョしないから走りやすい。
寒い時は防寒用としてランニングパンツの下にランニングタイツを履くが、今日は炎天下の心配しかしてなかったので、タイツなんか持ってきてない。
ただ、四痙攣の航路さんから「タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できる」と聞いているので、代わりに脹脛サポーターを持ってきている。
D木谷さんやピッグも脹脛サポーターを履いている。
一方、支部長はタイツを履いている。そう言えば、支部長は最近、常に脹脛サポーターではなくタイツを履いている。

(幹事長)「暑がりの支部長なのに、タイツは暑いんじゃない?」
(支部長)「脹脛サポーターはきつくて履きにくいから止めたんよ」


たしかに、脹脛サポーターはとてもきつくて脱着が大変だ。特に、走った後で一生懸命に脱いでいたら、足が攣ってしまうのだ。

(幹事長)「でも暑いやろ?」
(支部長)「長袖着てる幹事長に言われたくない」

支部長は、あれだけ暑さに弱いというのに、タイツだけでなく、汗を拭くために手袋も履いている。
私も汗を拭くために手袋を履こうかなと思ったが、さすがに鬱陶しそうなので止めて、汗を拭くためのハンドタオルをポケットに入れた。

炎天下にはなりそうにないので、嫌いなランニングキャップは被らない。他のメンバーは全員、キャップを被っているが、彼らはどんな時でも被っている。
晴れている時はサングラスも必携だ。眩しいからと言うより、歳とってくると紫外線による目への悪影響が強まって白内障の危険性が出てくるので、サングラスをかけるようにしている。サングラスをかけると、目がとっても楽だ。
でも、今日はサングラスは必要無さそうだ。日焼け止めクリームも持ってきたが、長袖を着たので、それも不要だ。

自主開催レースなので給水所が無いため、水分の補給自己責任で何とかしなければならない。
飲料ボトル用ホルダーを腰に巻いて走るメンバーもいるが、私は腰に着ける飲料ボトル用ホルダーは揺れて気になるので、いつもならトレランリュックにスポーツドリンクを入れて背負って走る。この方が少し重いが安定している。
でも、今日は曇ったままなので、飲料ボトルは要らないような気がしてきた。

(D木谷)「今日は曇ってるので飲料ボトルは持っていかなくても良さそうですね」
(幹事長)「私もそう思う」
(支部長)「いやいや、曇ってても汗はかくから喉は渇くよ」

支部長は今日もトレランリュックにスポーツドリンクを入れている。
でも、私とD木谷さんは飲料ボトルを持たず、身軽に走ることにした
一応、念のため足攣り防止用のドーピング薬2RUNや、お腹を壊した時のためのティッシュペーパーをポケットに入れたら準備完了だ。

準備ができたらスタート前の記念撮影をする。
最近、普通のポーズだけでなく、ジャンプした写真も必ず撮ってるが、これがなかなか大変だ。カメラのタイマーに合わせてジャンプするんだけど、みんなバラバラに飛んでしまい、なかなか全員が揃って飛び上がった写真が撮れない。
何度も繰り返しジャンプしてると疲れて果ててくる。このあとレースが無いのなら、みんなが揃うまでとことんトライしてもいいんだけど、これからスタートするんだから過激な運動は控えなければならない。
て事で、仕方なく、後から合成する事が多いんだけど、今回は、子ゾウさんも含めて、うまく全員の息が合ってちゃんとジャンプできている写真を撮る事ができた
しかも、去年から記念撮影の時は団旗を後ろに掲げることにしているが、今回は団旗を吊るす場所が無かったので、支部長とピッグが両側から団旗を持ったままジャンプするという驚異の新技を披露した。

(幹事長)「団旗がきれいに広がったままジャンプできている!素晴らしい!素晴らし過ぎる!」
(ピッグ)「タイムに芸術点を加算してくださいね」

団旗を持ったまま見事なジャンプを決める
(左から幹事長、支部長、ゾウさん親子、ピッグ、D木谷さん)


スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を設定せねばならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストの更新を狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ

と言うのは建前で、本番でもないのに自己ベストを出せるはずがないのは、一昨年のオリーブマラソン以来、数々の自主開催シリーズで証明されている。
上にも書いたように、女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。
しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうが、正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。

(支部長)「それにしても最近、遅いな。その体たらくは一体どうしたん?」
(幹事長)「自分でも分からん」


この自主開催シリーズでは、去年10月の酸欠マラソンでは支部長やピッグに勝利したが、その後はタートルマラソン、庵治マラソン、丸亀マラソン、香東川マラソンと4戦連続で最下位に沈むというトンでもない体たらくぶりだ。

(支部長)「練習量が足りないんと違うか?」
(幹事長)「いや、ま、そこそこは練習してるんやけどな」
(支部長)「私は一昨年からずっと毎月200km以上走っとるよ」
(幹事長)「どっひゃあ〜!」

一昨年2月の丸亀マラソンで私が好タイムを出した時、「前月と前々月に月間走行距離300kmを続けた成果や」なんて偉そうに言ったもんだから、それに刺激を受け、支部長はそれ以来、ずっと継続的に月間走行距離200kmを達成しているのだ。
でも、支部長の練習量には負けてるとしても、最近、練習量がそれほど極端に減ったわけではない。支部長よりは少ないものの、そこそこの月間走行距離は確保している。

(支部長)「それやったら練習の質の問題やな」
(幹事長)「やっぱり、そうやろなあ」


単にダラダラと距離を走るだけでなく、もっと力を入れてスピードを上げてトレーニングしないと効果的ではないのだろう。

(支部長)「それとも老化かもしれんな。そうやったら、もう永遠に元には戻らんな」
(幹事長)「ほんまかいなーっ!?」


老化説を打ち破るためには、支部長に勝利して最下位を脱出せねばならない。
以前は支部長は上り坂が苦手だったので、オリーブマラソンでは、前半のフラットな区間でリードされても、後半の坂で逆転することができた。
しかし、圧倒的な練習により支部長は苦手な上り坂を克服してしまったので、坂にはもう期待できない。
支部長に勝てる唯一の可能性は、暑さに弱い支部長が自滅する場合だ。極端に暑さに弱く、極端に汗っかきの支部長は、炎天下のレースではフラフラになることもある。
去年は、それほど炎天下ではなかったにも関わらず、支部長は期待通り暑さにやられてしまい、久しぶりに圧勝した。
しかしながら、今年はずうっと曇ったままで、肌寒いくらいだ。このままでは支部長の自滅は期待できない。
この後、天気が急変して炎天下になるのを願うのみだ。


〜 スタート 〜


スタート時間が近づいてきたので、本来なら主催者の幹事長からありがたいお言葉を頂戴するところだが、幹事長が直前までトイレに行ったりシューズの紐を結び直したりしていたため時間が無くなった。
幹事長が慌ててスタートラインにやってきたのはスタート時刻の10:00の10秒前だったので、支部長のカウントダウンにより大急ぎで一斉にスタートとなった。
スタート地点は、坂手港のバス停の前だ。

自主開催レースなのでタイムはもちろん自己計測だが、交通信号で待つ間は時計を止めていい。一方、給水時には時計を止めてはならない。本番と同じだ。

天気は相変わらず薄曇りで、10時だというのに少しひんやりするくらいだ。走りやすいと言えば走りやすいが、それは私だけではなく、暑さに弱い支部長には絶好のコンディションだ。
支部長との戦いがあるため、正式な大会ではない自主開催レースにしても、かなりやる気が湧いてくる
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会には程遠いが、みんなと走るので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。

自主開催レースでは、常に序盤は私が先頭を走っている。序盤はコースが分かりにくい事が多くて、道に迷う人が出るといけないので、分かりやすい道になるまではコースを把握している私が先導している
自主開催レースが始まって以来、常に同じパターンだ。あわよくば、そのまま最後まで先頭で逃げ切りたいところだが、逃げ切れたのは酸欠マラソンだけだ。たいていは、序盤のうちに支部長に抜かれていく。
でも、せめて折り返し点まではトップで行きたい。去年も一昨年も連続で、トップを走る支部長が折り返し点に気づかずに行き過ぎてしまった。さすがに今年はもう分かってるとは思うが、できれば私が先頭で確認したい。

最初の大きな坂を越えると、下り坂を飛ばして古江地区に下る。この後は、草壁港の近くにある第1折り返し地点まで平坦な道が続く
後ろからはみんなの足音がついてきている。本当なら少しはみんなを引き離したいところだが、全員が着いてきているところを見ると、そんなに速くは走れていないようだ。
それでも足は軽く、スタスタと前に出る。なんとなく快調に走れているような感じなので、気持ちは良い。

前半は信号がいくつかあるが、たいていは三差路の交差点のため、うまく走ればほとんど信号待ちをしないですむ。
今日はまだ支部長が迫ってこない。自重しているのだろうか。

道が草壁港を目指して西向きになると、支部長ではなく、ピッグが迫ってきた
まだ序盤なので、ここでピッグに抜かれる訳にはいかないので、少し頑張ると、ピッグが少し後退する
しかし、しばらく走ると、またピッグが迫ってくる。で、また少し頑張って引き離す。
なーんて事を何度か繰り返したら、遂にピッグが私を追い抜いて前に出る。しかし、まだ序盤なので、ここで引き離される訳にはいかないので頑張って着いていく。
ピッグもそれほどスピードは出していないので、ピッタリと後ろを走って行く。相変わらず自分では快調にスタスタと走れている。良い気持ちだ。

そのまましばらく走って行くと、交差点の信号が赤信号だったので、良い子のピッグはすぐにストップした。
しかし、その交差点は交通量がほとんどないような狭い道との交差点だったので、私は左右を確認したうえでピッグを追い抜いて止まらずに走り続けた。

(ピッグ)「あ、そんな事して良いんですか?」

と言うような声がしたような気もするが、気にせず走り続けると、ピッグや他のメンバーも後ろに続いて走ってきた。
ここまでずっと曇って涼しかったのだが、ようやく雲が薄くなって薄日が差してきた。こうなると一気に暑くなり、長袖を着てきた事を後悔し始める。

(幹事長)「いかん、暑くなってきた!」
(支部長)「ほんと、急に暑くなるなあ」


私も暑くなってきたが、私以上に支部長は暑さを感じているはずだ。なので、暑くなって走るのがしんどくなってきたものの、支部長へのダメージは私以上のはずなので、私にとっては有利だ。

しばらく走ると、別当大橋を渡って第1折り返し点のミナト接骨院に近付いてきた。そのすぐ向こうの鋭角の三叉路が折り返し点だ。

(幹事長)「ここが折り返し点やからね」
(支部長)「はいはい」


なんとか折り返し点まで私がトップで走って来られたので、今年は全員、間違えることなく折り返すことができた。
ここまで約4.4kmのところを23分半くらいで来たので、1km5分20秒ほどのペースだ。一昨年よりはマシだけど、去年よりは遅い。割りと快調に走ってきたつもりだったが、決して速くないぞ

ここまでなんとかトップで来られた事で気が緩んだ訳でもないが、折り返してしばらく走ると、再びピッグが追い抜いていく
まだ前半なので、ここで引き離される訳にはいかないので頑張って着いていくと、なんとか後ろを着いていける。
と思ったんだけど、ほんの少しピッグに離され始めた。暑くなってきた事もあり、ここで無理して着いていくと後半でバテそうなので、深追いは自重する。
すると、支部長が私を追い抜いてピッグに着いていく。まだまだ暑さは平気のようだ。当然のように、D木谷さんも続いて抜いていく
決して私がペースダウンした実感は無いので、みんながペースアップしたのだろうか。そんな事あるだろうか?

みんなから少しずつ離れていき、前半のうちから一人旅になってしまった。それでも緊張感は維持しているつもりだ。
前方を見ると、支部長がピッグを追い抜いて先頭に出たが、ピッグも粘り強く後を追っている。さらにD木谷さんもすぐ後ろを着いていく。
と思ってたら、そのうちD木谷さんがピッグを追い抜いて支部長に迫っていく。ピッグは少しだけ離されたようだ。
こうなると香東川マラソンの時と同じように、支部長とD木谷さんのトップ争いとなり、ピッグは気持ちが折れてズルズルと後退するかもしれない。

みんなの後姿が小さくなってきたなあ、なんて思ってると、突然、前方からゾウさん親子が声援を送ってくれる。こんな所までお散歩してきたんだ。
子ゾウさんとハイタッチして元気をもらい、態勢を整えて再び前方のメンバーを追う

ただ、いつも思う事だが、前半を終えて二十四の瞳の映画村へ入っていく道への分岐が、なかなか現れない。間違えようのない1本道なのに、道を間違えてるんじゃないかって思うくらい遠い。
こんな所に坂なんてあったんかいな?って思いながら小さな坂を越えると、ようやく二十四の瞳の映画村への分岐点が現れた。
トップを走る支部長とのタイム差を測ってみると、まだ1分くらいだ。このままでは追いつけないにしても、支部長が撃沈したら、すぐに追いつける差だ。
ただ、今日のような涼しいコンディションでは、支部長が撃沈する可能性は低い。

時計を見ると、第1折り返し点からこの分岐まで、なんと1km5分40秒ほどのペースに落ちている。去年は少なくともここまではペースダウンせずに来られたのに、今年は早くも大きなペースダウンだ
快調にスタスタと走れていると思っていたが、それは大きな勘違いだった。これならみんなに離されるのも当たり前だ。
て事で、ちょっと気合を入れなおす。

いよいよ、ここからがオリーブマラソンのコースで楽しい区間だ
スタートからここまでの前半部分は、日よけの無い平坦な市街地を走っていくだけで、あんまり面白くない。
しかし、ここから二十四の瞳の映画村に向かう区間は、アップダウンもあるし、日陰もあるし、変化に富んでいる。山と海に囲まれた自然の中を走る楽しい区間だ。

なーんて気持ちも新たに走っていると言うのに、なんとなく遠くを走るメンバーの後姿がだんだん小さくなっていくような気がする。
緊張感を持って走ってるつもりで、近くに競り合う相手がいないと、ついつい緩くなってしまうのよね。
先ほどは雲が薄くなって暑くなったが、再び雲が厚くなり、暑さはなくなった。こうなると私も走りやすいが、私以上に支部長には有利なので、追いつくのは難しくなってきた。

それでも、まだ諦めてはいない。
以前は後半になると必ず失速していたが、2010年に土砂降りの中で快走して以来、良いタイムを出した年は全て、坂がある後半の半島区間の方がペースが上がっている
前半のフラットな区間のペースは、良い年も悪い年も似たようなもので、さほど変わりはない。だが、後半の二十四の瞳の映画村へ行く半島区間でのペースが異なる。
惨敗パターンの時は、この半島区間で止めどもなくペースが落ちていくのに、快走パターンの時ではどんどんペースが上がっていく
一般的に、後半でペースを上げるのは理想的な展開とされているが、なかなか難しい。しかし、オリーブマラソンに限って言えば、ここ数年、好タイムを出したときのレース展開は、どれも後半にペースアップできている。
なんでそうなるのか、何が決め手になるのか、全く分からないが、目指すパターンは後半のペースアップだ
第2折り返し点を過ぎてもペースが落ちなかったら、その後はペースアップできる可能性が大きいということであり、諦めることなく、最後まで突っ走れば良いタイムが期待できるのだ。そうなれば勝機もあるかもしれない。

しばらく平坦な海岸線を走ると、すぐに大きな坂が出現する。この半島の中で最大の坂だ。
なんとか坂を上りきった見晴らしの良い場所に来ると、湾を挟んだ前方に陸地が見える。早くも第2折返し点の岬が見えてきたのかと思ったが、そうではなくて、内海湾を挟んだ草壁港の辺りが見えているだけだった
いくらなんでも、折返し点まではまだまだ長いはずなので、当たり前だ。

坂を下りると再び海岸線の道を走る。この辺りも美しい景色だ。
海岸線で見通しが良いので、先頭を走る支部長の緑のTシャツが遠くに見えた。そのすぐ前を白のTシャツが走って行く。D木谷さんのようだ。D木谷さんが支部長を抜いてトップに出たようだ。
一方、ピッグの白いTシャツは少し離れて後ろを着いていく。D木谷さんや支部長にはだいぶ離されたので、なかなか追いつけないだろうけど、ピッグには追い付けるかもしれないと思って頑張って走る。

しばらく行くと、再び坂の区間に突入する。これでもか、これでもか、と何度も小刻みにアップダウンが繰り返される。本番ではいつも苦しむ厳しい区間だ。
ところが、最近はあんまり坂の負担を感じず、なんとなく割りとあっさりと坂の区間が終わるようになってきた。もっと坂が厳しいマラソン大会に数多く出るようになって坂に慣れてきたのだろうか。
それとも、本番のレースでは必死に走っているからきついけど、自主開催レースでのんびり走ってるから、大した坂とは感じないだけだろうか。

まだまだ坂は続くはずと思っていたのに、今日もあっさりと坂が終わり、遠方に二十四の瞳の映画村が見えてきた
第2折り返し点の「愛のボラード」もはっきりと分かる。

見通しの良い海岸線なので、だいぶ背中が小さくなったとは言え、なんとか支部長の緑のTシャツが見える。そのすぐ前を走る白いTシャツはD木谷さんだろう。
でも、ピッグの白いTシャツが見えない。だいぶ遠くなって見えにくいとは言え、どんなに目を凝らして見ても、もう1人の白いTシャツが見えない。
おかしいなあ、なーんて思ってたら、なんと、突然、前方からD木谷さんが走ってきた。え?どゆこと?
なんと、D木谷さんは二人を一気に大きく引き離して、独走状態で早くも折り返してきたのだ。
すると、支部長と競り合っているのはピッグなのか?

困惑しながら走って行くと、二人が折り返してきた。確かに支部長は少し疲れているようにも見える。ただ、まだまだ撃沈したような感じではない。
二人で競り合いながらペースを維持しているようだ。

しばらく進んで私もようやく「愛のボラード」に着いたので、折り返していく。
半島区間に入ってからのペースを必死で暗算すると、なんと1km6分をオーバーしている。もちろん去年より大幅に遅いし、大惨敗だった一昨年と比べても遅い。
まだまだ緊張感を維持して走ってきたつもりだったが、それは大きな勘違いだったようだ。去年はのらちゃんなんかと競り合って走っていたから、ペースを維持できたけど、完全な一人旅の今年は緊張が緩みまくってしまったようだ。
ここから二人の背中を追わなければならないが、かなり遠くに離されている。支部長が撃沈しない限り追いつくのは無理だろう。

過去のレースでは、調子が良い時は、ここからの後半にペースアップしている。ここまでのスローペースのおかげで足は疲れていないような気がする。気合さえ入れば、ペースアップできるかもしれない
折り返した後、しばらく続いた平坦な区間が終わると、細かなアップダウンが繰り返される坂の区間に入る。
調子が良いときと悪い時の差は、この辺りからはっきりと現れてくる。調子が悪い惨敗パターンのときは、この辺りからみるみるうちに奈落のようにペースが落ちていくが、調子が良い快走パターンのときは、逆にペースを上げることができる。
とにかく、ここから頑張ろう。なんて思って坂に突入したとたん、なんと足が一気に重くなってきた完全に惨敗パターンだ
ここまで快調に走ってきて疲れは無いと思ってたけど、それは大きな勘違いだった。かなり足に疲れが出てきたようだ

曲がりくねった道になるので、前方のメンバーの後姿は全く見えなくなった。そうなると、ついつい緊張感が緩んでしまう。
なんとか追いつこうと気合を入れるが、姿が見えてないと、ついつい意識が甘くなってしまう
こうなると展開としては厳しい。他のメンバーの背中が見えていると頑張りも持続するが、それが見えなくなってしまうと練習で独りで走っているのと同じになる。

ダラダラ続く坂の区間は、往路では全く負担感が無かったが、この復路では足が重く、まるで歩いているようなスピードだ
それでも頑張って最後の見通しの良い海岸線に出た。ここで誰かの後姿が見えたら力も蘇ってくるところだが、全く影も形も見えない。第2折返し点の時よりも、さらに差は広がってしまったようだ。
なんとか半島の区間が終わる分岐までやってきたが、第2折り返し点からのペースは1km6分20秒ほどにまで落ちている。後半にペースアップできた去年に比べたら、ものすごい遅さだ。

半島区間が終わると、いきなり最後の大きな坂になる。昔は、ことごとく歩いていた坂だ。私だけでなく、他のメンバーも大半は歩いていた。
でも、最近は支部長を含め、あまり歩かずに乗り切っている。気持ちの持ちようなんだけど、厳しい厳しいと思っていると、つい歩いてしまうが、所詮は大したことないと思っていると、割にあっさりと上り終えてしまう。
だが、しかし、今日は足が疲れているせいか、かなり堪える。暑くないので歩きたいとは思わないが、トンでもないスローペースとなった。

なんとか歩かずに坂を上り終えると、後は下るだけだ。いつもなら、力いっぱい足を広げて駆け下りる区間だが、今日は足が動かなくなっているため、下り坂でも遅々として進まない
去年は後ろから支部長が迫ってきていると勘違いして、見えない影におびえて死に物狂いになって終盤を走ったが、今年はそういう緊張感も無く、ヨタヨタと走りながらゴールに向かう。


〜 ゴール 〜


最後の直線区間も明らかにペースダウンしながら、なんとか最後まで走ってゴールすると、先にゴールしたメンバーとゾウさん親子が待っていてくれた。
さっきの分岐からゴールまでのペースは、さらに落ちていて、ものすごいペースダウンぶりだ。
どんなに惨敗した時でも、この最後の区間のペースは、第2折返し点から分岐までのペースよりはマシなのに、今日はとめどもなく遅くなってしまった。やはり一人旅の緊張感の無さが原因だろう。

みんなの結果は、D木谷さんがトップを守ってゴールし、その後にピッグと支部長が続いたようだ。

(幹事長)「今日は涼しくて走りやすかったんじゃない?」
(支部長)「それでも汗まみれや」

ピッグは終盤、コースを間違えるという予想外の行動に出たが、最後まで撃沈はしなかったようだ。

私のタイムは2時間を大きくオーバーしてしまい、去年より10分も遅い大惨敗だ。
かつてはオリーブマラソンでは2時間を切るのは不可能だと思っていたくらいだから、2時間をオーバーしたからと言って、必ずしも大惨敗ではないが、ここまで遅かったのは、レース直前に登山で滑落して靭帯を損傷してしまい、出場するのがやっとだった2017年大会以来の事だ。
今日は正式な大会ではないから、そんなに気合は入っていないが、同じ条件の去年や一昨年よりも悪いのだから言い訳はできない。

(幹事長)「一体どうしたんだろうなあ?」
(支部長)「だから、もう歳なんやってば」


〜 帰りのバスとフェリー 〜


本大会ならゴールすると冷たいソーメンを頂けるし、お弁当の配布もある。しかし、もちろん、今日はそんなものは無い。ソーメンどころか、この近辺には飲食店もコンビニも何も無い
土産物店はあるが、去年と同様に開店休業状態だ。
それに、今日はバスで土庄港まで戻らないといけないが、バスの発車時刻は12:45で、あと30分しかない。あんまり、のんびりしているとバスに乗り遅れてしまう。

(幹事長)「もっと時間に余裕がある計画だったのに、なんでこんなに遅くなったんや?」
(支部長)「幹事長のゴールがめちゃ遅かったからやんか!」


なので、取りあえずバス停まで行ってから着替えをする事にした。
すると、バス停に着いたとたん、なぜかいきなりバスが来た。土庄港行きと表示してある。
ここが始発の便だから早めに来たんかな、と思いつつ、取りあえず乗り込んでみたら、なんと、いきなり走り始めた。聞くと、12:15発の便とのことだ。
でも、時刻表にはそんな便は載ってない。バス会社のホームページを確認しても、こんな便は存在していない。
しかも、朝、来た時には通らなかったような道に入っていったりする。キツネにつままれたような気分だ。まさか怪しいバスじゃないだろうな。

(幹事長)「何なんやろ、このバス便?」
(ゾウ)「一応、土庄港行きって書いてますから、最終的には着くんじゃないですか?」


最終的には土庄港に着くとしても、全く別のルートを走るバスなら、到着時間が遅くなるかもしれない。そうすると帰りのフェリーに乗り遅れてしまう。
なので、責任者の私はずっとヒヤヒヤしながら乗っていたが、そうとは知らない他のメンバーは安心しきっている。支部長は車内で堂々と着替えを始めた
その後、恐れていたとおり、終盤になって遠回りをし始めた。このままではフェリーに遅れてしまうかもしれない。
なーんて心配していたが、最後の最後で、すごい近道を通り、土庄港にはだいぶ早く到着した。不思議なバスだ。

て事で、当初計画ではフェリー乗り場での待ち時間は20分くらいしかなかったが、40分くらい時間ができたので、土庄港観光センターで昼食を食べた
小豆島で食事と言えば、もちろんソーメンだ。オリーブを練り込んだオリーブソーメンなんてものがあったので、それを注文した。冷たいのと、暖かいのがあったが、走った後のお腹に優しい暖かいソーメンにした。
オリーブなのかどうかはよく分からなかったが、なにかしらの緑色の植物的なものが入っているのは確かだった。ことさら美味しいかどうかは微妙なところだ。

お腹を満たしてしばらく待つと、フェリーの乗船が始まる。13:55土庄港発のフェリーだ。
帰りの船も朝と同じくらいの乗客でで、ゆったりと雑魚寝スペースに寝転がった。
ゾウさんジュニアは元気まんまんで、去年と同じように雑魚寝スペースを走り続けている。

(幹事長)「エネルギーが有り余ってるなあ」
(ゾウ)「付き合うのが疲れちゃいますよ」


支部長は早々と目を閉じて熟睡しているように見えるが、実は起きていて構想を練っているのかもしれない。

今日は暑くなくて途中まで気持ちよく走れたと思ったけど、あまりにも悲惨なタイムだったので、心底ガッカリだ
相変わらず支部長には惨敗したし、何が悪いのかいつまで経っても分からない。なんとしても次の戦いでは勝利せねばならない。

コロナウィルスの感染自体は一向に収束が見えないが、少なくともコロナウイルスのバカ騒ぎは沈静化しつつある。
しかしながら、マラソン大会の中止は続いており、次の6月の北山林道駆け足大会も既に中止が決まっている。なので、次戦も自主開催をせざるを得ない。
ただし、北山林道駆け足大会は、地域の人たちが手作りで開催してくれる山間部の小さな大会で、非常に印象が良い大会だ。なので、中止は非常に残念だが、中止を非難する気持ちは毛頭ない。
来年こそは是非とも復活して欲しい。それまでは我々で自主開催していこう!


〜おしまい〜




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