第42回 瀬戸内海タートルマラソン大会(自主開催)
2021年11月28日(日)、小豆島において第42回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催される予定だった。
私の中では瀬戸内海タートルマラソンは一番由緒のあるマラソン大会だ。
瀬戸内海タートルマラソン大会は私にとっては初めて参加したマラソン大会であり、私のマラソン大会の原点と言える、一番愛着がある大会だ。初めて参加したのは、26年も前になる1995年の第16回大会だ。
(ピッグ)「記事があるのは、その2年後の第18回大会からですよね」
(幹事長)「このホームページを開いたのが1997年やからなあ」
26年も前のレースの事なので、レースの中身についてはほとんど覚えてないが、初めて参加したマラソン大会なので、エントリーの経緯はよく覚えている。
その頃、一人でジョギングなんかしてたんだけど、ふと、何かマラソン大会ってものに出てみたいなあなんて思い立った。
でも、当時はマラソンブームが起きるはるか以前であり、ジョギングする人すら滅多にいなかったくらいだから、全国的にもマラソン大会は数が少なく、たまにあっても出場するのはマニアックな人ばかりという状況だった。
ところが、ある日、テレビを見ていたらタートルマラソン大会のCMが流れていた。「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて言う。
その甘い言葉に誘われて、ついフラフラと軽はずみな気持ちで申し込んでしまったのが最初だ。
申し込もうと思い立ったとき、実は既に申し込み受付期間は過ぎてたんだけど、主催者の瀬戸内海放送の本社まで訪ねて行ったら、簡単に申し込むことができた。
今みたいに、申し込み受付開始と同時にパソコンのキーを叩いて1秒を争ってネットで申し込みしないとエントリーすらできないという末期的な状況からは考えられない古き良き時代だ。
当時、私のような素人が誰かから誘われた訳でもなく一人でマラソン大会に出るなんて事は珍しかったと思うので、初心者大歓迎だったのだろう。
(支部長)「チャレンジャーやなあ」
(幹事長)「ほとんど練習もしないで、いきなりトライアスロンに出て撃沈した支部長さまには及びません」
ちなみに、当時はタートルマラソンってことで年齢制限があり、35歳以上でないと出場できなかった。だから30歳代後半で出た私なんかは若手の部類だった。
初参加したレースの結果は、30歳代だったにもかかわらず2時間すら切れない大惨敗だった。順位を見ても、かなり後ろの方だった。
「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘惑していたが、マラソンブームなんてものが起きる遥か以前の事だから、実際に出場していた人の大半は経験豊かな速いランナーで、ド素人の私なんか蹴散らされてしまったのだ。
ただ、タイムは悪いし順位も後ろの方だったけど、初めて出場したマラソン大会は感動的なものだった。
誰でも参加できる市民マラソン大会を走っているだけなのに、沿道の住民からは熱い声援があり、まるでオリンピックを走る一流選手になったような気分になれたからだ。
(幹事長)「今年は聖火リレーランナーに選出されて走ったから、正真正銘のオリンピック選手になったけどな」
(ピッグ)「あれはオリンピック選手とは言いません」
今思えば、人口が少ない地域でのマラソン大会だから、都市部のマラソン大会に比べたら、沿道で声援を送ってくれる人は少なかったはずだ。
でも、他人から声援を受けて走るなんて事は、義務教育を終えてからは初めてだったので、とても快感だった。
初めてだったから、ペース配分も何も分からずに走ったため、ゴールしたら足が動かなくなって座り込んだけど、今思えば、あの疲労感も心地よかった。懐かしい思い出だ。
(支部長)「今じゃ全力を出し切ることもできなくなったからなあ」
(幹事長)「一生懸命走ってるつもりでも力を出し切れてないから、ゴールしても余裕でピンピンしてるもんなあ」
初めて出たマラソン大会がすごく楽しかったというのは、自分でもラッキーだと思う。ときどき、初めて出たマラソン大会が辛かったから一回きりでマラソンを止めてしまったという人の話も聞くが、とても気の毒だ。
私は、初マラソンでマラソン大会に出る楽しさを知ってしまったから、それ以来、病みつきになった。
そういう意味で、単に初めて出場したマラソン大会というだけでなく、私の人生に大きな転機をもたらした瀬戸内海タートルマラソンは、私にとって極めて重要なマラソン大会なのだ。
それなのに、ああ、それなのに、なんと去年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
事の発端は去年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、その後、状況はますます悪くなり、遂に去年3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になってしまった。あまりの事に呆然とした。
そして、その後も、全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
(ピッグ)「この説明、いつまで続くんですかね。もう一字一句同じ文章が続いてますが」
(幹事長)「今年いっぱいで終わる事を期待してるんだけどなあ」
今年、残されているレースは、もう庵治マラソンだけだ。これは既に中止が決まっているので、自主開催する予定だ。
しかし、来年2月の丸亀マラソンや3月の徳島マラソンは今のところ開催予定であり、エントリーも済ませている。なので、うまくいけばマラソン大会の中止騒ぎは今年でおしまいになるかもしれない。
ともかく、素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。
多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
さらに、それに付け込んで何でもかんでも政府を批判する無能な民主党が調子に乗ってギャアギャア騒ぐからだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。
もちろん、大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、私も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。
そして、恐れていた通り、その後も5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままではマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。
〜 マラソン大会を自主開催 〜
って嘆き悲しんでいた時、ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。
(ピッグ)「この話も、いつまで続くんですかね。もうウンザリですね」
(幹事長)「せやから今年いっぱいは我慢してねって言ってるだろが」
去年5月のオリーブマラソン以来、自主開催してきたマラソン大会の記事にはしつこく書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。
(幹事長)「お待たせしました!はい、どうぞ!」
(ピッグ)「中止になった大会をペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え!?」
あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。
(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば」
1997年に我々がペンギンズを立ち上げた時、クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだった。
と感心していたのだが、去年5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また去年7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
さらに今年5月のオリーブマラソンに至っては、胸に大きく「勝手に小豆島オリーブマラソン」なんて書いたTシャツを着て自主開催しているグループがいた。
つまり、マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。
(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば」
てなわけで、その後は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった。
その第1弾が去年5月17日に開催したサイクリングイベントの第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月の小豆島オリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川清流マラソン、8月の四国のてっぺん酸欠マラソン、9月の龍馬脱藩マラソン、11月の庵治マラソン、12月の瀬戸内海タートルマラソンを自主開催してきた。
これらも例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、願わくは、コロナのバカ騒ぎは去年で収束して、今年はマラソン大会が復活して欲しかった。
ところが、今年になってもコロナのバカ騒ぎが終わらず、マラソン大会の中止が続いているため、2月の丸亀マラソンを自主開催し、続いてトレラン大会である2月の善通寺五岳山空海トレイルも自主開催した。
この善通寺五岳山空海トレイルは、去年はギリギリでなんとか本大会が開催され、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止になる前の最後の大会だった。
それからまる一年が経って一周したので、そろそろバカ騒ぎを止めてマラソン大会を再開して欲しかったところだが、去年、最初に中止になった徳島マラソンは、なんと2年連続で今年も中止になってしまった。
コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が2年目に突入したのだ。そのため、徳島マラソンの代替大会として3月の香東川マラソンを自主開催した。
そして、その後も2年連続のマラソン大会中止が続いているため、5月の小豆島オリーブマラソンや7月の北山林道駆け足大会や7月の汗見川清流マラソンを2年連続で自主開催してきた。
さらに、マラソン大会や自転車イベントに続く初めてのトライアスロン大会として9月のサンポート高松トライアスロンを自主開催し、それに続いて10月の龍馬脱藩マラソンや10月の四国のてっぺん酸欠マラソンを自主開始した。
そして、これらに続くマラソン大会として、今回の瀬戸内海タートルマラソン大会も2年連続の自主開催となったわけだ。
本来、今年の瀬戸内海タートルマラソンは11月28日に開催されるはずだった。それがコロナ騒ぎで今のところ来年1月23日の開催に順延されている。しかし、実際に開催されるかどうか分からない。
去年もいったんは翌1月24日に順延されたが、2ヶ月たってもコロナ騒ぎは収まらず、結局、中止となった。今年はどうなるかまだ分からないが、ギリギリまで待って結局、中止になったのではつまらない。
しかも1月23日と言えば丸亀マラソンの僅か2週間前だ。そんな大切な時にタートルマラソンなんて走っている余裕は無い。
(ピッグ)「一昨年の10月なんて4週間連続でマラソン大会に出てましたが」
確かに、2019年10月はこんぴら石段マラソン、龍馬脱藩マラソン、秋吉台カルストトレイルラン、庵治マラソンと4週間連続でマラソン大会に出た。
でも、丸亀マラソンは私にとっては年間で最も重要視している大切な真剣勝負の場だ。こんぴら石段マラソンや庵治マラソンと同列にはできない。
それに、10月は暑くもなく寒くもない絶好のマラソンの季節だが、1月は寒い。風が強いと冷たい波しぶきが飛んでくるタートルマラソンのコースを厳冬期に走りたくはない。
てな事で、本来あるべき11月下旬に自主開催することにした。
最優先事項はお天気だ。寒くない時季のマラソン大会なら、多少雨が降っても平気で決行する。暑い時は、むしろ雨が少し降った方が涼しくて良いくらいだ。でも、今の時期は雨が降ると寒くなるので避けたい。
それで、天気予報を睨みながら11月21日の開催とした。
自主開催は自由に開催日を設定できるから、とても便利だ。みんなの都合が良い日を選べばいいし、天気が悪ければ延期するのも自由だ。
今回、参加するのは私のほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、のらちゃんの5人だ。
〜 小豆島へ出航 〜
レースを開催する小豆島土庄町へは、高松から船に乗っていく。
5月のオリーブマラソンは、会場の坂手港への定期便が無いため臨時の奴隷船に乗るしかないが、土庄町へは定期便が出ているので、以前は定期便に乗っていた。
しかし、最近は異常なまでのマラソンブームのせいで参加者が急増し、定期便だけではさばききれなくなって積み残しが出る事態になったため、2014年から臨時船が出るようになった。
臨時船の出港は朝7時だが、まともな座席を確保するためには6時過ぎには港に行って乗船客の列に並ぶ必要がある。老人化が進んできた今日この頃、起きるのが不可能な時間ではないが、やはり早起きは辛いし寒い。
しかし、自主開催なのでスタート時間は自由に設定できる。JRで来るのらちゃんの電車の時間に合わせて8時2分高松港発のフェリーに乗ることにした。
いつもなら船の中で朝食を食べるが、出発が遅いので、家でゆっくり食べてから出ればいい。
つい1年前に私の自宅の近くに琴電の新しい駅ができたので、そこから電車に乗る。家の玄関から電車のドアまで、ドア・ツー・ドアで5分しかかからず、とても便利になった。
去年は同じ電車に1つ前の駅から乗ってきたピッグと一緒になったが、今年は見当たらない。まさか寝過ごしてるんじゃないだろうな。
ピッグの代わりに、電車の車内には妙に大勢の登山客がいる。大半は中高年女性だが、男性もいる。何事かと思って一人のおばちゃんに聞いてみる。
(幹事長)「どこ行くんですか?」
(おば)「小豆島です」
なんと我々と同じく小豆島へ行くと言う。目的地は寒霞渓で、どうやらツアーの団体客のようだ。
ただ、途中の瓦町で降りる登山客もいるし、終点の築港からJR高松駅に向かっていく登山客もいた。
今日は天気の良い日曜日なので、あちこちの山に中高年登山客が押し寄せているようだ。
伏石駅から終点の築港まで12分で着き、そこから港まで歩いて数分なので、家から港まで20分ちょっとだ。
港に着くと、ちょうどJRで来たのらちゃんと一緒になった。支部長とD木谷さんは既に来ていた。
乗船券を買ってピッグを待っていたが、なかなか来ないので、先に船に乗り込んでシートを確保することにする。
例年のマラソン大会の時なら、乗船開始と共にダッシュで船に駆け上がってシートを確保しなければならないが、今日はのんびり乗船する。
それでも登山客が大勢いたから、大きなボックス席はあっという間に満席になった。
しばらくするとピッグも乗り込んできた。
天気予報は、1週間前の時点では雨予報だったので延期しようとかと思っていたが、直前になって傘マークが消えたので、当初計画通りの日程で開催できた。
朝から薄雲は出てはいるが、晴れていきそうな気配で、少なくとも雨の心配は無さそうだ。
気温はそれほど低くなく、風も弱いから寒くはないし、かと言って暑くなるほど晴れそうな気配もない。絶好のマラソン日和になるかもしれない。
これまでもタートルマラソンは、割りと天候に恵まれていて、滅多に雨は降らず、この季節にしては暖かい日が多い。雨が降ったのは2006年の第27回大会と2016年の第37回大会くらいだ。
もちろん、2010年の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されている。
しかし、それは気温が高い5月末の話であり、雨が降ると寒くなる今の季節は雨は降らない方が望ましい。
(D木谷)「去年から自主開催シリーズの日は天気が良いですよね」
(幹事長)「私の日ごろからの精進のおかげですよね〜」
(ピッグ)「ですよねえ〜」
落ち着いたところで、念のためコース確認をしなければならない。
タートルマラソンにはフルマラソンの部とハーフマラソンの部と10kmの部がある。さすがに小豆島まで来て10kmなんて短い距離を走るのはもったいないので、基本的にはハーフマラソンだ。
(幹事長)「D木谷さんがフルマラソンを走りたいというのであればゴールで待ってますけど」
(D木谷)「独りでフルマラソンはきついですね」
て事で、今年も全員ハーフマラソンを走ることになった。
タートルマラソンのコースは、会場の役場を出て少し市街地を回って、小豆島の北西部の沿岸を通る県道253号線に出たら、そのまま沿岸を10kmちょっと走って折り返してくるというシンプルなコースだ。太い脇道や交差点が無いから、とても分かりやすいコースだ。
ただ、折り返し点の目印を頭に入れておかなければならない。本番のマラソン大会の時は折り返し点に三角コーンが立っているが、自主開催だと自分たちで目印を決めなければならない。
去年、主催者の私が地図で距離を厳密に測定し、折り返し点を特定した。
スタート地点から10kmほど走ったところから500mほどの直線区間があり、それが終わると消防団の赤い火の見櫓があり、そこから緩いカーブを200mほど走った辺りが折り返し点になる。
その辺りの県道の右側に小さなバス停と小さな酒屋があり、その間にとても狭い脇道があるので、そこを折り返し点に設定した。
去年、走ったところ、赤い火の見櫓が目印になるので、とても分かりやすかった。今年の参加メンバーは全員、去年も参加しているので、問題は無いはずだ。
(幹事長)「支部長はオリーブマラソンでは去年も今年も2年連続で折り返し点を間違えたけどな」
(D木谷)「幹事長も去年の脱藩マラソンでは2回コースを間違えましたよね」
(ピッグ)「D木谷さんも今年の脱藩マラソンでは4回もコースを間違えましたよね」
(支部長)「ピッグやって去年の汗見川マラソンでコースを間違えてたやんか」
(のら)「支部長は今年の北山林道駆け足大会でもコースを間違えたよね」
去年参加しているからと言っても、決して油断はできないのだ。
コースは単純で間違えにくいとは言え、タートルマラソンのコースは決して楽なコースではない。坂が多くて厳しいコースだ。
大きな坂は3つある。
まず2kmちょっと走ったところから1つ目の坂が始まる。標高で言えば一番高い坂で、3km地点辺りにピークがある。
その坂を下った4km地点辺りから5km過ぎ辺りまではフラットな区間となり、その後に2つ目の坂がある。標高は高くないが、細かなアップダウンが繰り返されるダラダラした坂だ。
その坂を下った7km地点辺りから8km地点辺りまではフラットな区間となり、その後に3つ目の坂がある。アップダウンが繰り返されて1.5kmほども続く嫌な坂だ。
その坂を下った10km地点辺りから500mほどの直線区間となり、その後200mほどで折り返しとなる。
後半は、これを戻ってくるので、再び大きな坂を3つ越えてこなければならない。基本的に坂また坂の厳しいコースだ。
ただ、坂が厳しいとは言っても、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川清流マラソン、9月の四国のてっぺん酸欠マラソン、10月の龍馬脱藩マラソンの山岳マラソン4連戦のコースに比べたら、まだマシだ。あんなに過激な坂が延々と続く訳ではない。
それに夏場の山岳マラソンと違って季節が良いせいか、過去のタイムは悪くない。シリアスなマラソン大会は冬場がメインとなるが、寒いのが苦手な私は冬のマラソン大会は嫌いで、今の時期がベストだ。
〜 小豆島へ到着 〜
船は1時間後の9時2分に土庄港に着いた。
タートルマラソンの会場は土庄町役場で、港からは1.5kmほどある。
正式大会が開催される時は、港から会場まで送迎バスがあるが、もちろん今日は無いので歩いていく。歩いても15分くらいで、適度なウォーミングアップになる。
(支部長)「我々はウォーミングアップはしない主義やけどな」
(幹事長)「仕方ないよな」
Qちゃんの師匠の小出監督が言ってるように、我々のような一般ピープルにとっては、ウォーミングアップは不必要に体力を消耗するだけで、百害あって一利無しだから、我々は普段はウォーミングアップは一切やらない。
どうせレース序盤は大混雑でまともに走れないので、その時がウォーミングアップだ。
しかし、このように止むを得ず歩く場合は、それがウォーミングアップだと割り切る。
天気が穏やかなので、おしゃべりしながらのんびりと役場に着いた。
役場に着くと、さっそく着替えをしなければならない。何を着るかは、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。朝、起きたときから、頭の中はこの大問題でいっぱいだ。
(D木谷)「今日も何を着るか悩むんですか?」
(幹事長)「悩みまくりますね」
天気は悪くないが、晴れたり曇ったりの状態なので、日差しが照り付けて暑くなるような気配はない。一方、気温はそれほど低くはないし、風も弱い。微妙な天気だ。
もちろん、いかなる天候にも対応できるように、各種ウェアは取り揃えてきている。基本は半袖Tシャツだが、寒い場合に備えて長袖シャツも用意している。
去年も少しだけ肌寒かったので私は長袖シャツにしたが、他のメンバーは全員が半袖Tシャツだった。それでは寒いやろと思ったが、みんな徳島マラソンでもらったアームウォーマーを付けていたのだ。
私はアームウォーマーを忘れていたが、アームウォーマーだと、走っていて暑くなったら簡単に取り外せるし、外した後もポケットに入れておけるから便利だ。
(幹事長)「レース途中で走りながら脱いだり着たりせんでもええもんな」
(ピッグ)「あんな事をするのは幹事長くらいですけどね」
去年の反省から、今年はアームウォーマーを忘れずに持ってきた。
せっかくアームウォーマーを持ってきたので、今年は私も半袖Tシャツとアームウォーマーの組み合わせにした。アームウォーマーは予想外に暖かくて快適だ。
他のメンバーもアームウォーマーを付けているが、今年は支部長が持ってくるのを忘れている。
下は練習の時にいつも履いている短パンを履き、さらにタイツと脹脛サポーターを持ってきた。
最近はランニングタイツを履く選手が多いが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。
しかし、2019年の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走っていた航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。
テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。
ただ、今日は決して寒くはないので、タイツと同じ効果が期待できる脹脛サポーターにした。ピッグとD木谷さんも脹脛サポーターだが、支部長とのらちゃんはタイツを履いている。
気温は低くないので手袋は履かない。支部長は汗を拭くためにどんな時でも必ず軍手を履くけど、私はハンドタオルを持って走るので、手袋は不要だ。
他のメンバーは全員が帽子を被っているが、私は帽子が大嫌いなので、炎天下か強い雨の時しか被らない。
自主開催なので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。水分を持って走るには、トレランリュックか飲料ボトルホルダーかの選択になる。
私は腰に着ける飲料ボトルホルダーは揺れて気になるので、これまでトレランリュックを使っていたが、新しい飲料ボトルホルダーを娘にもらったので、脱藩マラソンではそれを使ってみた。
すると、心配したほど揺れが気にならなかったので、今回もそれを使うことにした。D木谷さんとのらちゃんも飲料ボトルホルダーを付けている。
一方、支部長とピッグは飲料を持っていない。
(幹事長)「支部長は汗っかきで一番水分補給を必要とするんやから、飲料無しでは撃沈するよ」
(支部長)「小銭を持って走るから良いんよ」
去年と同じく、喉が渇いたら自動販売機で飲料を買うとのことだ。ピッグも同じだ。
そのほか、顔を拭くハンドタオルとティッシュのほか、念のため足攣り防止用のドーピング薬2RUNも入れて、準備万端だ。
やる気まんまんのメンバー
相変わらず空は薄日が差している。気温はそれほど低くなく、風も弱いから寒くはないし、暑くもない。
もう絶好のコンディションと言えよう。自主開催とは言え、やる気が湧いてくる。ぜひ好記録を狙いたいところだ。
目標は、もちろん大会自己ベストだ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当だ。なので、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
タートルマラソンのハーフマラソンの大会自己ベストは2009年に出したものだ。この歳になって11年も経つと著しく老化が進んでいるので、冷静に考えれば自己ベストの更新は難しようにも思える。
大惨敗した2016年から2017年、2018年、2019年と毎年少しずつタイムはマシになっていたので、その上昇傾向を維持したかったのだが、去年の自主開催では再び2016年と同じようなタイムに撃沈してしまった。
ただ、去年は夏に大手術をした影響が残っており、まだ完全に復調したとは言えない状態だった。それに対して今年は万全の態勢なので、まだまだ諦めてはいない。
タートルマラソンに限らず、どのマラソン大会でも良いタイムが出たときは最初は抑え気味にスタートして、徐々にペースを上げていくという理想的なパターンだった。
以前は、ペースは下がるものであり、上げていくなんて理想的なレース展開は現実には不可能だと思っていた。しかし最近は、タートルマラソンにしてもオリーブマラソンにしても丸亀マラソンにしても、良いタイムが出たのは、徐々にペースを上げていくことができた時のものだ。
とは言え、序盤にどれくらいペースを抑えて走ったらいいのかは難しい。最初から遅いペースで走れば、最後までペースは落ちないだろうが、適度に頑張らないと良いタイムは出ない。終盤に潰れないギリギリのペースが理想だが、なかなか難しい。
それに、2009年のタイムを上回って大会自己ベストを更新するには、1km平均5分10秒は切らないといけない。年老いた今の私にとっては、なかなか厳しいペースだ。
そもそも、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは難しい。
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる。
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと思うが、そうは言っても正式な本番とは比べ物にならないスローペースになる恐れが濃厚だ。
気になるのは支部長の動向だ。
(幹事長)「相変わらず月間走行距離200kmを維持してるん?」
(支部長)「甘いな。今月は月間走行距離300kmのペースで走ってるで」
(幹事長)「どっひゃ〜!」
情けないが、私は今年は月間走行距離100kmちょっとという月が多い。
今の状況では、まともな勝負では支部長には勝てない。支部長に勝てる可能性があるのは、北山林道駆け足大会や龍馬脱藩マラソンや四国のてっぺん酸欠マラソンのように前半に過激な上り坂があるコースの場合だ。
今日のコースは坂が多いとは言え、それほど過激な上り坂が続く訳ではないから、支部長に勝てる可能性は限りなく小さいだろう。
また、今年の春以降、小豆島オリーブマラソン、北山林道駆け足大会、汗見川清流マラソン、高松トライアスロンと勝ち続けていたのに、その後の龍馬脱藩マラソン、四国のてっぺん酸欠マラソンと2大会連続で最後の激坂下りで追い抜かれたのらちゃんとの因縁の勝負もある。
瀬戸内海タートルマラソンでは、去年はなんとかギリギリで逃げ切ったが、今の調子では負ける可能性の方が圧倒的に高そうだ。
しかし、まあ、レース展開とかペース配分をあれこれ考えても仕方ない。やれるだけやってみよう。
〜 スタート 〜
いよいよ勝手に設定したスタート時刻の9時55分となった。主催者の幹事長からありがたいお言葉を頂いて開会式が10秒ほどで終わり、支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。
例年なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、今日は参加メンバー5人の自主開催だから、静かなスタートだ。
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。
役場の前をスタートして少しだけ市街地を回ると、小豆島の北西部の沿岸を走る県道253号線に出る。あとは折り返し点まで沿岸を10kmちょっと、ひたすら走るだけだ。
まず序盤の市街地は私が先頭を走る。最初は道に迷う人が出ると困るので、分かりやすい道に出るまでは私が先導する。自主開催シリーズが始まって以来、常に同じパターンだ。
あわよくば、そのまま逃げ切りたいところだが、最後まで逃げ切れたのは去年の酸欠マラソンだけだ。最近は、序盤から誰かがすぐ後ろにピッタリ付いてくる。
ところが今日は、後ろから足音が聞こえない。カーブを曲がりながら後ろを確認すると、みんな少し遅れて付いてくる。
決してそんなに速く飛ばしている訳ではないのに、みんななかなか追いついてこない。どうしたんだろう。まさか、自分では軽く走っているつもりなのに、素晴らしい快足になっているのだろうか。
しばらく走ると、市街地から離れ、海岸線の道に出る。割と気持ちよく走れてはいるが、決してそれほど飛ばしている訳ではない。それでも、相変わらず足音は近づいてこない。
どうなってるんだ?と思って後ろを振り返ると、少し離れてピッグが走ってくる。さらに等間隔で支部長、D木谷さん、のらちゃんが走ってくる。そんなに大きな差は開いてないから、みんな抑えて走っているのだろうか。
そのまま走り続けていると、2kmほど走ったら最初の大きな坂が現れる。大した激坂ではないが、今日のコースでは一番高い坂で、少しペースが落ちる。
去年はここでピッグと支部長が私を追い抜いていき、そのまま置き去りにされてしまった。原因は私が上り坂でペースダウンした事だ。
今年は去年の二の舞は避けたいと思い、できるだけペースを落とさないように坂を上がっていく。
だが、今年もようやく後ろから足音が迫ってきた。どうやら足音は一人なので、ピッグが単独で追いついてきたようだ。
ただ、去年のように一気に抜き去って行く勢いではない。ちょっと頑張って走り続けると、後ろにピッタリと付いたままだ。
最初の大きな坂は1kmほど上りが続く。
長く大きな上り坂ではあるが、夏場の山岳マラソン4連戦に比べたら大した急勾配では無いし、距離もそんなに長くはないので、なんとかそれほどペースダウンすることなく走って上れた。
1kmほど走ったら上り坂が終わり、下り坂となる。少しでもピッグを離そうと思ってガンガン下り坂を飛ばす。
下り坂で勢いに任せて大股でガンガン下ると足の筋肉にダメージが溜まり、終盤で足が動かなくなるので、ピッチを上げて小股で走るべきとのことだが、下り坂でピッチを上げて走るのは足がついていかず難しいので、思いっきり転げ落ちるように大股で駆け下りる。
とは言っても、大股で駆け下りてるってのは頭の中のイメージだけの事で、実際には若い頃のように足は開かない。若い頃は下り坂になると本当に転げ落ちるように走れたのに、今は足が思うように広がらない。もっと足を前に出したいのに足が広がらないから、チョコチョコした動きになってしまう。
それでもピッチを上げられれば良いんだけど、チョコチョコ走っているくせに回転も遅く、スピードは上がらない。ストライド走法もピッチ走法もできない体になってしまった。自分の足が思うように動かないのが本当にまどろっこしい。
てな状態なので、頑張って走っているつもりでもピッグを振り切れる訳ではなく、相変わらずすぐ後ろを走ってくる。
坂を下った4km地点辺りから5km過ぎ辺りまではフラットな区間となり、その後に2つ目の坂がある。最初の坂に比べると、そんなに標高は高くないが、小刻みなアップダウンが続くダラダラした坂だ。
そして、遂にピッグが私を追い抜こうと迫ってきた。まだまだ序盤なので、こんな所であっさりと逆転される訳にはいかないので、頑張って競り合う。
するとピッグもそれ以上スピードアップする事はなく、また私の後方に下がる。
それを何度か繰り返していると、遂にピッグがかなり加速して、一気に私を追い抜いていった。さすがに、あんまり無理して着いていくのは良くないと思い、仕方なく先行を許す。
しかし、ピッグは私を追い抜くときは一気にスピードアップするものの、少し前に出ると落ち着いてしまい、同じようなスピードになる。
そうなると、再び抜き返したくなり、ちょっと無理してスピードアップして追いつき、そのまま追い越す。
そのまま一気に引き離すことができれば良いんだけど、こちらも無理なペースアップはそれほど長続きせず、再び似たようなスピードで落ち着いてしまう。
すると今度はピッグがペースアップして再び私を一気に追い抜き、前に出る。しかし、少し前に出ると、またまた落ち着いて似たようなスピードになる。
そういう抜きつ抜かれつの競り合いを何度か繰り返したのだが、こういう競り合いは体力を消耗する。いい加減、一気に振り切りたいところだが、ピッグもしぶとく競り合ってくる。
そして、そんな事を繰り返して消耗しているうちに、なんともう一人の足音が迫ってきた。過去の経験からすれば、間違いなく支部長だろう。
足音はどんどん迫ってきて、遂に横に並んだ。やはり支部長だ。
さきほどまでピッグと二人で激しい消耗戦を繰り広げていたのが、今度は三人での消耗戦となった。支部長とも抜かれたり再逆転したりを繰り返し、激しく消耗していく。
しかし、遂に足が対応できなくなり、少しずつ二人が先行していく。
緊張感が続いている間はペースダウンしないが、「もう駄目かも」なんて弱気になったとたん一気にペースダウンしてしまい、みるみるうちに二人との差が開いていく。
二人は緊張感を維持して競り合いながら、ペースダウンせずに走っていく。
2つ目の坂を降りた7km地点辺りから8km地点辺りまで、しばらくフラットな区間となる。
すると、ここで、恐れていたことだが、遂に後ろを走っていたD木谷さんとのらちゃんも追いついてきた。明らかに私がペースダウンしているって事だ。
(D木谷)「前の二人は良い調子ですねえ」
(幹事長)「二人で競り合ってますから緊張感が持続してますね。私はもう緊張感が切れました」
て事で、そのまま二人は私をあっさりと追い抜いていった。
しばらく走ると、再び坂が現れるが、いつもこれを3つ目の大きな坂だと勘違いしてしまう。
このコースは前半に大きな坂が3つあって、その後にある小さなアップダウンを越えれば折り返し点がある。なので、3つ目の大きな坂をクリアすれば折り返し点までもうすぐ、って事になる。そして、この3つ目の坂があっさりとクリアできてしまうから、すごく嬉しくなってしまう。
しかし、実は、これは3つ目の大きな坂ではなくて、3つ目の大きな坂の前哨戦である小さなアップダウンに過ぎない。そのため、しばらく走ると、目の前に巨大な坂が出現して呆然とする。それこそが本当の3つ目の大きな坂なのだ。
毎年、走ってて、毎年、同じように呆然としているのに、1年経ったら忘れてしまい、ぬか喜びと落胆を繰り返している。
その大きな坂を見ると、今、まさにピッグと支部長が競り合いながら登っていくところだ。予想以上にかなり離れていて、簡単に追いつける距離ではない。
て言うか、さきほど抜かれたばかりのD木谷さんやのらちゃんも、もう坂に上り始めるところだ。頑張れば追いつけるかもしれないけど、頑張ったらそれで力尽きるだろう。
もう完全に一人旅になってしまった。決してやる気を失くした訳ではないが、こうなるとペースはズルズルと落ちる一方だ。のらちゃんの後姿さえ遥か遠くになってしまった。
3つ目の坂を下りた辺りが10km地点となり、ここから500mほどの直線区間となる。直線区間なので見通しが良くなるが、後姿が見えるのはのらちゃんだけで、その前の3人は姿が見えない。
しばらく進むと、折り返し点の手前にある赤い火の見櫓が見えてきた。もうすぐ折り返し点だ。
すると、まずは火の見櫓の手前で支部長とすれ違った。遂にピッグを逆転したようだ。そのすぐ後をピッグが追っているが、まだまだ支部長との差は小さい。
そこからしばらく進むとD木谷さんが折り返してきた。さらにしばらく進むとのらちゃんも折り返してきた。
D木谷さんやのらちゃんとの差は、まだ挽回可能な距離に思えるが、どんどん差が広がっている状況を考えると追いつくのはかなり難しいだろう。
そこから少し走ると、ようやく折り返し点のバス停と酒屋があった。
ここまでの前半のタイムは去年とほとんど同じだ。去年は後半は前半より少し遅かったが、それほど大きな差は無かった。後半はのらちゃんと熾烈な争いを繰り広げたので、ペースを維持できたからだ。
今年も、ここから挽回してのらちゃんに追いつきさえすれば、また緊張感を持って頑張れるかもしれない。
ここで、せっかく持ってきたスポーツドリンクを一口飲み、気合を入れる。
でも、気合いは入ったものの、足取りは相変わらずイマイチで、のらちゃんとの差は徐々に開いていく。その前のD木谷さんは、はるか遠くになってしまい、後姿も見えなくなってしまった。
天気は相変わらずの薄曇りで、空気は冷たいが風は弱く、絶好のコンディションが続いている。なので、天候を言い訳にはできない。やはり、練習不足なんだろうか。
後半の1つ目の坂を越えると13km地点辺りだ。この辺りからは、2つ目の坂までの道が遠くまで良く見える。
すると、いつの間にかD木谷さんはピッグを追い越したらしく、見えるのはピッグとのらちゃんだけだ。二人の差はそれほど大きくはない。て事は、もしのらちゃんに追いつければピッグにも追いつけるかもしれない。
そう思うと少しはやる気が蘇ってくるんだけど、いくら頑張ってみても足が動かなくなっている。ペースは激しく落ち続ける。一体どうした事だろう。
ようやく後半の2つ目の坂に突入したが、恐ろしくペースダウンしている。坂は大したことないと感じられるんだけど、もう全然足が前に出ない。
坂のピークを過ぎて下りになると、必死で足を広げて全力で下るんだけど、下り坂ですらペースが上がらない。
2つ目の坂を越えると16km地点辺りとなり、残りは5kmとなる。いよいよ終盤だ。
2つ目の坂から最後の3つ目の坂までは、しばらくフラットな区間が続く。しかし、前にはもう誰の後姿も見えなくなってしまった。
ようやく最後の3つ目の大きな坂に差し掛かると、疲れてる割には上り坂の負担感は無く、歩きたいとは思わない。でも、ものすごくペースが落ちているのは分かる。単に、ペースが遅いから坂でも平気なだけかもしれない。
坂のピークを過ぎると急な下り坂になるので、なんとか頑張って駆け下りる。
坂を下り終えると、残りは2kmほどだ。もうゴールまでフラットな区間なんだけど、終盤の疲れ果てた頃だし、急な坂を下り終わった直後の反動で、フラットなのに上り坂のような負担感がある。
できればスパートしたいところだが、例年の大会でもウンザリする区間であり、しかも今日は足が動かなくなっているので、スパートどころか走るのもやっとという状態だ。
もうそろそろ最後の曲がり角が近づいているはずだと思いながら、なんとか走り続けていくが、なかなか現れない。時計を見ると、考えられないような時間になっている。
まだかまだかと焦っていたら、ようやく最後の曲がり角が現れ、そこを曲がるとゴールの土渕海峡のアーチが見えてくる。さすがに、もう残り僅かなので、ホッとしながら動かない足を前に出す。
最後のコーナーを回って、ようやくゴール地点に駆け込んだ。
〜 ゴール 〜
ゴールすると、先にゴールしたD木谷さんが写真を撮ってくれた。のらちゃんとピッグも一緒に出迎えてくれた。
時計を見ると、トンデモない大惨敗になっていた。なんと2時間を大きくオーバーしている。
この大会は、マラソンを始めたばかりの頃に2時間をオーバーした事はあるが、それ以来、どんなに絶不調の時でも2時間をオーバーするなんて事はなかった。
自主開催大会はイマイチ気合が入らないとは言え、去年は手術の影響から脱し切れてなかったにもかかわらず、さすがに2時間はオーバーしなかった。
それなのに、体調万全で臨んだ今年、こんな大惨敗を喫するなんて、一体どういう事だろう?
先頭争いの結果を聞いてみると、折返し点で先頭を走っていた支部長は、なんと2回もベンチ休憩を取ったんだそうだ。
(幹事長)「どゆこと?」
(支部長)「いやあ、疲れたからバス停のベンチに座って休んだんよ」
マラソンの途中でベンチ休憩するなんて前代未聞だ。しかも、2回目の時は、自動販売機で飲料を買って、足攣り防止薬も飲んでくつろいだらしい。
もちろん、そんな事をしている間にピッグやD木谷さんに抜かれたとの事だが、なんと、その後、再び走り出すと、ピッグを抜き返して、D木谷さんに次ぐ2位でゴールしたらしい。
支部長はいつもすぐ歩いたりするけど、再び走り出すと、一気にトップスピードになるという能力を持っているのだ。
D木谷さんの優勝タイムは1時間51分で、支部長のタイムは1時間53分だったが、GPSの記録を見ると、支部長はベンチ休憩の時間を除くと1時間49分だったそうだ。
(幹事長)「ベンチ休憩が無かったら、もっと速かった?」
(支部長)「いや、ベンチ休憩しなかったら歩いてたと思う」
それでも支部長は大会自己ベストだった。
のらちゃんも終盤まで粘ったが、あと少しというところでピッグには追い付けなかったらしい。
それにしても、私だけ異次元の大惨敗ぶりだ。一体どうした事だろう。
〜 反省会 〜
レース後は、去年に続き、少し離れた場所にあるオリーブ温泉に行く。役場からは1.5kmほど離れているが、港へ行くのと同じ距離なので、のんびり歩いていく。
(幹事長)「昔は港まで歩いて帰るのが苦痛だったけど、今は楽勝やなあ」
(支部長)「この疲労感の無さは全力を出し切ってない証拠やな」
レースが終わったら座り込んでしまい、歩くどころが立つこともできなくなった頃が懐かしい。
どうすれば、あの頃のように全力を出し切る事ができるんだろう。
オリーブ温泉はマルナカ新土庄店の中にあり、まだ新しい施設だが、去年700円だったのが900円に値上がりしていた。施設内容からすると、いくらなんでも高すぎるぞ。
でも、レース後に近くの温泉に入ると、身体もさっぱりするし足の疲れも和らぐので止められない。露天風呂からは瀬戸内海が一望でき、素晴らしいロケーションだ。
お風呂の中で反省会をしなければならない。
去年は序盤のうちにみんなに抜かれた反省から、今年は気合を入れて頑張ったが、結局は前半のうちに全員に抜かれてしまい、しかも後半はあり得ないほどの大失速でダントツの最下位に沈んでしまった。原因が分からない。
最下位になったのは3月の香東川マラソン以来だ。あの時も一人だけダントツの最下位だった。
去年も、一昨年の正式大会より5分以上遅い惨憺たる結果だと嘆いていたが、今年は去年に比べても7分も遅い空前絶後の考えられない大惨敗だ。
後半は一人旅になってしまったから、誰かと競り合っているのと比べたら失速するのは仕方ないが、それでも、みんなに追い抜かれてもやる気を失った訳ではなく、最後まで微かな希望を捨てずに頑張ったと思う。
今日も、ゴールした後も足が平気というか、疲れを感じていない。ゴールしても平気ってのは、一見、良い事のように思えるが、実は全力を出し切れていない証拠だ。全力を出し切った時は、ゴールしたら最後、もう足が動かなくなる。
なので、今日のように余力を残してゴールしてしまった時は、もっと頑張るべきだったという事だ。
とは言え、レース後半は、頑張ってるつもりなのに足が動かなくなって大失速してしまった。一体、何が悪かったのだろう。原因が分からない。
もしかしたら、今日は早めに朝食を食べたので、レース後半はエネルギー不足になってしまったのだろうか。
(支部長)「だから単なる練習不足なんやってば」
今月も月間走行距離300kmを達成しそうな支部長に比べたら、私の練習量は半分程度だ。もっともっと練習あるのみなのかなあ。
温泉から出て昼食をとり、土庄港に戻る。港までは2kmもあるので、もう歩く元気は残っていない。
ところが、去年は港までの送迎サービスがあったが、今年は無くなっていた。
(幹事長)「料金が上がったのにサービスが低下しているなんて、どういう事や!責任者出てこい!」
(D木谷)「歩いていきましょうよ」
D木谷さんは元気満々なので歩いて港へ行こうとしたが、他のメンバー全員の強い反対により、バスで港に向かうことにした。
バスはのどかに市街地を走り、無事に港に着いた。
帰りの船は、朝と違って登山客の大集団はいなかったが、それでもほぼ全てのシートが埋まっていた。紅葉シーズンの休日とあって、観光客が多いようだ。
(幹事長)「ヤッホー!コロナウイルスなんて気にするな!」
(のら)「船内ではマスクを外したらいかんよ!」
今年のレースは、残すところ庵治マラソンだけとなった。これは既に中止が決まっているので自主開催する。
その後は、来年2月の丸亀マラソンや3月の徳島マラソンは今のところ開催予定であり、エントリーも済ませてあるので、うまくいけば自主開催のマラソン大会は庵治マラソンが最終戦となる。
(ピッグ)「でも、本大会が復活しても、自主開催でやった方が良いレースもありますね」
(D木谷)「酸欠マラソンは子持権現山登山とのセットで自主開催しましょうよ」
確かに、自主開催マラソンはみんなの都合や天気を見ながら開催日を自由に設定できるし、スタート時間も無理のない時間に設定できるし、空いていて走りやすいし、終わったらゆったりと温泉に入れるし、参加料は不要だし、思った以上に良い事がたくさんあった。
一方、本番のような緊張感は得られず、沿道の声援もほとんど無く、タイムもイマイチだ。
なので、取捨選択して本大会に出たり自主開催したりすればいいかな。
〜おしまい〜
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