第8回 龍馬脱藩マラソン大会
2019年10月13日(日)、高知県檮原町で第8回龍馬脱藩マラソンが開催された。
1週間前にこんぴら石段マラソンに出たとは言え、あれは完全なるお遊びお散歩レースなので、まともレースとしては7月末の汗見川マラソン以来2ヵ月半ぶりのレースだ。
本来なら、最近は毎年、夏場には山岳マラソンが続いており、特に4年前の夏からは夏場の山岳マラソン4連戦という超過激スケジュールにしている。今年も6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の汗見川マラソン、9月の酸欠マラソン、そして今回の龍馬脱藩マラソンまで、山岳マラソン4連戦というスケジュールにしていたので、脱藩マラソンには準備万端で臨めるはずだった。
ところが、本来ならハーフマラソンだった汗見川マラソンが、今年は大雨による土砂崩れのためコースが変更となり、11kmという中途半端な距離のレースとなった。さらに9月初めに予定されていた四国のてっぺん酸欠マラソン(ハーフマラソン)も天気予報が雨だったので中止になってしまった。
汗見川マラソンは、去年も、実際に大雨が降っているからではなくて、「3週間も前の豪雨によりマラソンコースの道路に崩落の危険箇所があるから」という理解に苦しむ理由で中止になったりした。もちろん、実際には土砂崩れなど発生していなかった。
また酸欠マラソンは、去年は雨が降っていて中止になったが、今年は「雨が降るかも」っていう軟弱な理由で中止になってしまった。去年は雨が降っていたのは確かだ。しかし、台風でも何でもない、ただの雨だった。量は多いかもしれないが、豪雨ではなく、ただの雨だ。そして今年に至っては、天気予報では「雨が降るかも」って言ってたが、実際にはほとんど雨は降らなかった。
一体全体、主催者は何を恐れているのだろう?もう全く理解できない。本当に理解できない。
かつてマラソン大会は、どんなに暴風雨が荒れ狂っても、天気のせいで中止にはならなかった。7年前の徳島マラソンは台風顔負けの暴風雨の中でも決行された。マラソン関係者の間では、雨や風の影響で大会を中止にするなんて発想は皆無だったはずだ。それが、いつから変わってしまったのだろうか。
おそらくは、事故でも起きたら、アホなマスコミ共が一斉に声高に非難するからだろう。実際に参加しているランナー達は、天候の事は自己責任で出場しているのだから、天候のせいで事故が起きても文句言うような幼稚な人はいないはずだ。世の中の悪い風潮は全てアホなマスコミと幼稚な民主党のせいだ。何か事故が発生したら、全て参加者の自己責任でいいから、雨くらいで止めるのではなく、決行して欲しいぞ。
てな訳で、今年も真夏の貴重なマラソン大会が縮小や中止になってしまい、準備不足のまま龍馬脱藩マラソンを迎えることとなった。
何を不安がってるのかと言えば、この龍馬脱藩マラソンは年間の出場レースの中で最も厳しいマラソン大会だから、準備不足のまま出場するのは不安が大きいのだ。本来の予定では、7月末の真夏にも汗見川マラソンのハーフマラソンに出てペースを維持し、さらに9月初めの酸欠マラソンのハーフマラソンに出て調子を整え、万全の態勢でこの龍馬脱藩マラソンに出たかったのだ。
(ピッグ)「自分でちゃんと練習しとけばいいんですけどね」
(幹事長)「レースが無いのに真面目に練習できるほどの人間性は持ち合わせていないぞ」
〜 超厳しいフルマラソン 〜
とにかく、この龍馬脱藩マラソンのフルマラソンのコースは超厳しい。龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは4年前だ。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。
(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」
あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。
でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。
ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースはそんなに大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。
(幹事長)「あんなに恐れていたのに、大したこと無かったよなあ?」
(支部長)「いやいや、そんなことはない。十分に厳しかったで」
支部長は満腹したようだが、私は、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。
そこで今度は阿南のY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。
(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」
この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからであり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。
しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないのだ。フルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになるのだ。
さらに一応、小松原選手にも一応、聞いてみた。
(幹事長)「どう思う?」
(小松原)「もう子供じゃないんで、出たいと言うのを止めはしませんが、この大会のフルマラソンはきついっすよ」
小松原選手ほどのスーパーランナーでも、脱藩マラソンのフルマラソンはきついらしい。フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560m、累積の標高差が900mもある。ハーフマラソンのコースは累積の標高差が380mだから、厳しさは2倍以上だ。
前半は基本的に上りが続くが、15km地点辺りまでは緩やかな上りで、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。しかも最後の600mは手を膝に着いて登るような山道だ。ハーフマラソンのコースとは別次元のようだ。
〜 過去は惨敗続き 〜
しかし、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にならないので、3年前に初めてフルマラソンの部に出場した。そして、結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも、「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。
それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって足をガードレールの上に乗せて痛みを取ったりした。しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。
タイムが悪いのは仕方ないけど、足が痛くて走れなくなるのは本当に辛い。坂が無い超フラットな徳島マラソンでも、6年前の大会では、序盤に調子に乗って飛ばしてしまった結果、終盤で足が痛くて歩くこともできなくなって大惨敗を喫したことがある。その反省から、それ以降はフルマラソンでは前半に決して調子に乗って飛ばさず、思いっきり自重するという作戦を取っているため、終盤に足が痛くて走れなくなるってことはあんまり無くなった。前半から極端に抑えて走るのでタイムはパッとしない状況が続いているが、足が痛くなる辛さに比べたらマシだ。足が痛くならなければ、いくら疲れてきても歩くことはない。
ところが、脱藩マラソンのフルマラソンに初めて出た3年前は、前半を抑えたつもりだったのに、上り坂だから負荷が大きくて、足の疲労が蓄積していったのだろう。多少、痛いくらいなら、我慢して歩いたり休んだりしながら、なんとかトボトボと帰ってこられるから、少しずつでもゴールは近づいてくる。でも足が痛くて痛くて歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって休んだりしていたから、なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こう決意した。
(幹事長)「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」
(支部長)「だから言わんこっちゃない」
ところが、翌年の6月、つまり一昨年の6月、龍馬脱藩マラソンのエントリーが開始になると、再び悩んでしまう。
(支部長)「何を言よんかいな。もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないって言うてたやんか」
(幹事長)「あまりの惨敗ぶりが悔しくなってなあ」
確かに3年前のレース直後には、こんな辛い思いは二度としたくないって思った。ただ「惨敗したから終わり」ってのも情けない。だいぶ時間が経ったから、足が痛かった辛さの記憶も薄れてきた。
(支部長)「昨日の晩ご飯が何やったか覚えてる?」
(幹事長)「晩ご飯を食べた事実は覚えてる」
どう考えても、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しい。悔しすぎる。それに、3年前のレースはフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思われる。
て事で、最終的に、一昨年も再びフルマラソンの部に参戦することにした。さらに、支部長も強引に勧誘する。
(幹事長)「支部長もフルマラソンにエントリーするように!」
(支部長)「何を言うてるんや!絶対に嫌やで!」
(幹事長)「分かってるか?フルマラソンのコースを走らないと脱藩した事にはならないんぞ」
(支部長)「でも、そのまま伊予まで行くんなら分かるけど、引き返してスタート地点まで戻ってくるんやったら、結局、脱藩してないやん」
(幹事長)「それやったら県境の折り返し点まで行って脱藩した時点でリタイアしたらええやん。
前半だけやったら支部長でも楽勝やで」
(支部長)「なんでリタイア前提なん?」
(幹事長)「脱藩マラソンに出たぞ、なんて偉そうに言うためには脱藩地点まで行く必要がある。
せっかく四万十ウルトラマラソンに出場したのに、100kmの部じゃなくて60kmの部でお茶を濁したばっかりに
日々恥ずかしい思いをしているピッグの二の舞になるぞ」
(ピッグ)「その屈辱を晴らすために、今年は100kmの部に出ます!」
脱藩マラソンの1週間後には四万十ウルトラマラソンがあり、遂にピッグは今年は初めて100kmの部に出て、汚名を挽回すると言う。
(ピッグ)「いやいや、60kmを完走した事を汚名って言わないでください!」
それはさておき、最後まで迷っていた支部長も最終的にフルマラソンの部に出ることとなった。
そして、結果は、二人そろってさらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった。
(支部長)「私は、ちゃんと脱藩して完走したから、惨敗とは思ってないで」
3年前の反省から、一昨年は前半を徹底して抑えて走った。初出場で気がはやっている支部長が調子に乗って飛ばそうとするのを一生懸命になだめながら、二人して極端なまでのスローペースで前半を走った。て言うか、折り返し点の手前数kmの急坂は躊躇うことなく歩いた。こうやって前半に余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下るつもりだった。
ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。3年前は足が痛くなって走るどころか歩くことすらできなくなったけど、一昨年は足が痛いって症状ではなかった。でも足が攣ってしまって走るどころか歩くことすらできなくなったのは同じだ。結局、終盤は3年前と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、3年前を上回る衝撃的な大々惨敗だった。
そして、こう決意した。
(幹事長)「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」
(支部長)「去年と同じ事を言よるな」
てな事で、二度とフルマラソンの部には出ないつもりだったんだけど、翌年の6月、つまり去年の6月、龍馬脱藩マラソンのエントリーが開始になると、再びフルマラソンにしようかハーフマラソンにしようか悩んでしまった。
(支部長)「ほんまに記憶力が悪いな。て言うか、記憶力が無いな。
もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないって言うてたやんか」
(幹事長)「あまりの惨敗ぶりが悔しくなってなあ」
デジャブのような会話だが、確かに、記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶は薄れてきた。そして、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しい。悔しすぎる。「惨敗したから終わり」ってのは情けない。て事で、エントリーが始まっても、しばらく悩んだあげく、結局、去年も性懲りもなくフルマラソンの部にエントリーしてしまった。
(支部長)「あれだけ二度と出たくないって叫んでたのに、何も覚えてないの?完全な老人性認知症やな」
(幹事長)「もちろん支部長も出るやろ?」
私より記憶力が良くて意志が強いのか、あるいは私より根性が無いのか、支部長は頑としてフルマラソン出場を受け入れず、去年はハーフマラソンに戻ってしまった。
て事で、私は去年もフルマラソンに出たのだが、再び作戦を変えた。
3年前は「恐れていたけど、案外走れるぞ」なんて思って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。一昨年はその反省から、前半を徹底して抑えて、急坂ではためらうことなく歩いた。それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
なので、一体どうしたらいいのか分からなかったが、取りあえず何も考えずに再び自然体で走り、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、3年連続での呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
(支部長)「3年前と全く同じパターンやな。なんの学習効果も無いな」
ただ、レース直後は、大惨敗ながらも大会自己ベストは更新したと勘違いして「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
それなのに、ああ、それなのに、家に帰って調べてみたら、去年のタイムは3年前のタイムよりジャスト10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったから卒業できなかった。それが余りにも悔しかったため、その時点で今年のリベンジを決めていた。
(支部長)「悪い事は言わん。何度挑戦しても無駄やってば」
(幹事長)「もう一回だけやらせてくれ!」
〜 エントリー 〜
て事で、今年は迷くことなく、6月に龍馬脱藩マラソンのエントリーが開始になると、再びフルマラソンに挑戦することにした。
昨今、汗見川マラソンや酸欠マラソンと言ったマイナーで過激な山岳レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に瞬間蒸発していく昨今の異常なマラソンブームの中で、この龍馬脱藩マラソンだけは、即日完売にはならない珍しく人気薄のレースだ。なぜ、この龍馬脱藩マラソンだけは余裕を持って申し込むことができるのかと言うと、他の山岳マラソンに比べても、コースが超きびしーからだ。
龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。
死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく7年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。
四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった。しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンの部ができたのだ。
そして、そのフルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近い。そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンなのだ。
て事で、龍馬脱藩マラソンのエントリーは競走が激しくないから、そんなに焦る必要は無いんだけど、自分の決意が揺らがないうちに、早々にエントリーした。
(幹事長)「支部長もフルマラソンの部に出ようよ」
(支部長)「いやいや、私は一度出たらもう十分や」
(幹事長)「でもハーフマラソンの部は物足りないやろ?」
(支部長)「そんな事はない!ハーフマラソンの部でも十分にハードや!」
支部長は思ったより意志が固くて、頑としてフルマラソン出場を受け入れず、今年もハーフマラソンに出ることとなった。
他のメンバーはD木谷さんがフルマラソンに、國宗選手がハーフマラソンにエントリーした。D木谷さんは去年は私と一緒にゴールするという大惨敗を喫しているので、是が非でもリベンジしたいところだ。
一方、ピッグは1週間後に四万十ウルトラマラソンの100kmの部に出るので、それに備えて脱藩マラソンには出ないと言う。
(幹事長)「100kmレースの1週間前にフルマラソンを走れば良い調整になると思うけど」
(ピッグ)「脱藩マラソンは厳しすぎるから調整にはならないでしょう」
(幹事長)「わしも脱藩マラソンの1週間後には秋吉台カルストトレイルランに出るけど、去年も何の問題も無かったよ」
強く勧めたが、ピッグの意志は固かった。
(幹事長)「國宗選手も一度くらいはフルマラソンに出ないと心残りやろ?」
(國宗)「いやいや、ハーフマラソンで十分です。絶対にフルマラソンには出ませんからね。
それにしても幹事長は懲りないと言うか、ほんとに坂が好きですねえ。」
私が坂を好きになってきているのは間違いない。良いタイムが出やすいフラットなコースよりも、むしろアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた。
その大きな理由の1つとして、フラットな高速コースでタイムが伸び悩んでいるって事がある。伸びないと言うより、どんどんタイムが悪くなっている。以前は良いタイムが出るフラットなコースの方が好きで、どの大会に出ても、毎回、大会自己ベストを出すのを目標にしてきた。そして、実際に、時々は良いタイムが出ていたから、それが楽しかった。
ところが近年、自己ベストが出なくなってきた。惜しいというレベルじゃなくて、惨敗続きで、どう考えても自己ベストなんて、もう出そうにない状況になってきた。何か原因に心当たりがあれば不調のせいだと見なせるし、その対応策も考えられるが、最近は、何の心当たりも無いのにタイムが伸び悩んでいる、と言うか、年々悪くなっている。
(支部長)「理由は明白や。それは不調なんかじゃなくて歳のせいなんや」
以前、亀ちゃんに「お前のレベルなら歳のせいじゃなくて、単なる練習不足や」なんて一喝されたように、私らのレベルだと、真面目に練習をすればまだまだタイムは良くなると信じていたんだけど、最近は、少し練習量を増やしただけで疲れが残り、どんどん調子が悪くなる。もともと大した練習量ではないのだけど、それすら増やせないのだ。
これも多分、歳のせいなんだろうけど、こうなるとフラットなコースでは良いタイムを出すことはできない。フラットなコースでタイムが伸び悩むと、なんだかやる気が失せてしまうが、一方、坂が多いコースだと、タイムは悪いのが当たり前なので気にしなくてもいいし、坂がある方が純粋に面白い。
脱藩マラソンのフルマラソンの部と同じく、3年前から参加している北山林道駆け足大会では、今年は4年目で大会自己ベストを更新した。過去の記録も大したことないし、それを十数秒更新しただけなので偉そうには言えないが、気分は良い。
また1週間前のこんぴら石段マラソンも3回目の出場で大会自己ベストを更新した。
(支部長)「過去2回は写真を撮りながらブラブラ登ったやろ?あれと比べたらあかんがな」
坂が多くてトンでもない急坂を駆けめぐるレースは、タイムは悪いのが前提なので気分的には楽で、とても楽しい。て事で、最近は、タイムは二の次で、フラットなコースよりも激坂がある山岳マラソンの方が面白くなってきた。
過去を振り返っても、もともと我々は昔から山岳マラソンに積極的に参加してきた。古くは22年前から参加していた塩江温泉アドベンチャーマラソンもあったし、これと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会である四国カルストマラソンもあった。どちらも今は無くなってしまったが、四国カルストマラソンの後継大会として始まったのが今回の龍馬脱藩マラソンなのだ。
とは言え、北山林道駆け足大会は距離が13km弱なので楽しいだけで終わるし、酸欠マラソンや塩江アドベンチャーマラソンや四国カルストマラソンはハーフマラソンなので、なんとかギリギリで楽しく走り終えることができる。しかし龍馬脱藩マラソンのフルマラソンは前半の20kmが登りっぱなしという超過激な山岳マラソンなので、楽しいうちに終わらず、後半は悲劇になってしまう。さすがに記憶力が悪い私でも、あの辛さは覚えているので、決して楽観的にはなれない。
〜 ドタキャンか!? 〜
最近、レース直前になってからの國宗選手のドタキャンが少ない。
以前はレースの直前になれば必ず國宗選手からドタキャンの連絡が入っていた。3年前は汗見川清流マラソン、酸欠マラソン、龍馬脱藩マラソン、庵治クォーターマラソンと4戦連続でドタキャンした事があったし、徳島マラソンは2014年から4年連続でドタキャンしていた。それが最近はドタキャンが減った。
(幹事長)「どしたんやろ?体の調子でも悪いんやろか?」
(支部長)「ほんとやなあ。まさか心を入れ替えたんやろか?」
もうフルマラソンは永遠にドタキャンするのかと思ってたら徳島マラソンも去年、今年の2年連続で出場し、なんと今年はフルマラソンの自己ベストを出したから、まだまだやる気はあるようだ。
と思っていたら、レース前日になって國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっていて、特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。
(國宗)「あのう、夜分遅くに済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「実は、明日の脱藩マラソンなんですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「って、話を聞かんのですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとかでドタキャンするんやろ?」
(國宗)「違いますがな!明後日の待ち合わせ場所の連絡ですがな!」
みんなで一緒に車1台で行く予定だったが、國宗選手は用事があって早く帰らないといけなくなったとのことで、彼だけ別に自分の車で行って、ハーフマラソンが終わったら先に帰るという連絡だった。フルマラソンの部でゴールが遅くなる私を待っていたら間に合わないからだ。
てことで、國宗選手も予定通り参加することになった。
〜 檮原町へ出発 〜
て事で、今年は私とD木谷さんがフルマラソンに出て、支部長と國宗選手がハーフマラソンに出ることとなった。
國宗選手は自分の車で行くため、乗り合わせメンバーは3人になったので、今回はD木谷さんに車を出してもらうこととなった。
(幹事長)「他のマラソン大会なら何でも引き受けるけど、この脱藩マラソンだけは、帰りはボロボロに疲れ果てているから絶対に運転したくないのよねえ」
(支部長)「D木谷さんもフルマラソンの部に出るけどね」
(幹事長)「D木谷さんは体が丈夫やから」
(支部長)「それと、脱藩マラソンだけでなく酸欠マラソンも絶対に運転したくないって言うてるやん」
(幹事長)「脱藩マラソンと酸欠マラソンだけは運転したくないわ」
(支部長)「それと、秋吉台カルストトレイルランも運転したくないんやろ?」
(幹事長)「脱藩マラソンと酸欠マラソンと秋吉台カルストトレイルランだけは運転したくないわ」
(支部長)「なんぼでも増えてるがな」
出発は早朝だ。初めて大会に参加した4年前は民宿に泊まったが、3年前から早朝に出発して日帰りしている。宿泊場所を探すのに疲れ果てたからだ。このマラソン大会は、エントリー自体は他のマラソン大会に比べて楽勝だが、一番のハードルは宿泊場所の確保だ。
(國宗)「一番のハードルは厳しいコース設定じゃないんですね」
日本全国、超マイナーな草レースも含めて、どんなマラソン大会も受付開始と同時に即日完売してしまう末期的な昨今の状況の中、何日経っても受け付けてくれる龍馬脱藩マラソンは貴重な存在と言えるが、宿泊場所の確保が極めて難しい。このマラソンが人気薄な理由は、コースが厳しいからだけでなく、宿泊場所に困るからだ。宿泊場所が無くて参加できない人が多いのだ。たぶん。
距離だけ考えれば、所詮は四国内なので、高松から日帰りも不可能ではないような気もするが、初めてエントリーした時にH本さんに聞いてみたら、「何言ってるんですか!日帰りなんて無謀ですよ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」なんて言われた。
そのため、宿泊場所を探してみたが、檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、雲の上のホテルの別館のマルシェユスハラもきちんとしたホテルだが、どちらも小規模なので、予約は極めて難しい。町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、あとは民宿を探すしかないが、民宿も小さな民宿しかないので、マラソン大会の前日の宿泊を確保するのは至難の業だ。
それでも初参加の4年前は、なんとか苦労を重ねた結果、1部屋だけ確保することができた。ラッキーだった。ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、「高齢のため食事を作るのが大変だから」と言う説得力の無い理由で難色を示す。かなり粘ったが、頑なに抵抗され、押し問答の末、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。
結局、民宿に泊まっても、風呂も古くて狭くて設備はイマイチだし食事も出ないのであんまり快適ではない。しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまい、マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。て事で、3年前から早朝出発の日帰り路線に変えたのだ。
車で日帰りするためには、高松を5時には出発する必要があるが、小豆島オリーブマラソンだって奴隷船に乗るためには5時に家を出て港へ行かなければならないから、早起きという点では同じだ。最近は高齢化の進展により、昔に比べたら早起きもそれほど辛くなくなってきた。
朝、早起きして5時に家の外でD木谷さんの車を待っていると、10月の早朝だというのにTシャツ1枚でも寒くないくらいだ。天気も良さそうだ。
数日前には日本列島を強烈な台風19号が襲い、大会の開催が危ぶまれたが、なんとか助かった。実は、5年前に初参加しようと思ってたんだけど、台風のために直前で中止になってしまったので、台風は恐れているのだ。
冒頭にも書いたように、最近は毎年、台風や豪雨のために夏場のマラソン大会が中止になる事が多いのだが、夏場に限らず、10月に入っても、毎年、台風は次々と襲ってくる。今回の台風19号は強烈で、東日本に大きな被害を与えたが、台風銀座の高知には影響は無かったのでホッとした。今日は雨の心配も無さそうだ。
5時にD木谷さんの車がやってきて、予定通り5時に高松を出発できた。高速道路に乗り、豊浜SAで國宗選手と落ち合う。
車の中で朝食のおにぎりを食べながら車は順調に進む。四国山地の山の中は曇り気味だったが、山を越えて高知に入ると天気は良くなった。快晴だ。
途中で高知のおんちゃんからメールが入る。今年も去年と同じように「○○○の前で待ってる」との事だったので、○○○の前まで行き、すぐ近くの車を停められる場所に案内してもらう。
臨時駐車場に停めても、それほど遠いわけではないから、それほど大きなメリットでは無いように思えるが、そんなことはない。朝は元気だから臨時駐車場から会場まで歩くことも可能だが、レース後は立つのもやっとの半身不随状態になるので、臨時駐車場まで歩いて行くのは不可能になる。なので、会場のすぐ近くに車を停めることができるのは、本当に助かります。
〜 会場到着 〜
会場に着いたら8時前だった。フルマラソンのスタートは9時なので、まだ十分に余裕がある。受付で参加賞のTシャツや雲の上のホテルの温泉券、檮原町内で使える200円の商品券なんかをもらった後、着替えに移る。
(國宗)「今日も着るもので悩むんですか?」
(幹事長)「ふふふ。実はもう着ているのだよ」
この大会は事前にゼッケンが送られてくるので、今日は既にゼッケンを付けたTシャツを着ているのだ。
普通のマラソン大会なら、この季節は着るもので悩む必要は無い。いくら天気が良くても、もうメッシュの袖無しシャツを着るほど暑くはないし、雨が降ったって走っていれば寒くはないから、半袖シャツを着ればいい。
しかし、脱藩マラソンのフルマラソンのコースは普通ではない。折り返し点の標高は1000m近くあり、単純に考えても気温は低いし、おまけに山の上は曇りがちで、肌寒くなる可能性がある。仮にスタート地点の檮原町役場辺りが暑かったとしても、しばらく走って標高が高くなると気温はどんどん下がってくる。むしろ、下界が暑いくらいでないと山の上は寒くなるだろう。
しかも、ガンガン走れるのなら体は熱くなるだろうけど、坂が尋常じゃなく厳しいので、終盤はトボトボと歩く可能性が高く、そうなると体が冷えてくる。
(國宗)「歩くのが前提ですね?」
(幹事長)「歩くのが前提よねえ?」
(おんちゃん)「もちろん歩くのが前提やね」
て事で、選択肢は3つある。
@ 半袖シャツ
A 長袖シャツ
B 半袖シャツと長袖シャツの重ね着
3年前はスタート時点で既にちょっと肌寒かったからBを選択したが、スタートしたら天気が良くなって暑くなり、すぐに下に着た長袖シャツを脱いで腰に巻いて走り、そのまま最後まで再び着ることは無かった。一昨年と去年は、スタート時点では雲があって日射しは無かったけど、寒くはなかったから、天気が良くなると暑くなるかもしれないと思い、@の半袖シャツを選択したら、なんとか最後までしのげた。
今年は、気温は高くなく涼しいような気もするが、ほとんど風もなく空は快晴なので、確実に暑くなっていくだろうと思い、迷わず@の半袖シャツを選択した。
(國宗)「こと細かに書いてるのは、備忘メモ代わりですか?」
(幹事長)「はいな。来年以降も忘れないようにね」
着るのは一昨年のタートルマラソンでもらったTシャツだ。ピンク色なので気に入っている。
気になるのがタイツだ。私はタイツのサポート機能を信じていないから、タイツは防寒用として寒い時にだけ履いている。ところが龍馬脱藩マラソンは2年連続で足が痛くなったり足が攣って走れなくなったので、タイツのサポート機能に心が迷うのだ。支部長と國宗選手はタイツを履いているし、D木谷さんも脹脛をカバーするサポーターを履いている。かなり悩んだが、最終的にはタイツのサポート機能を心から信じられず履かなかった。暑そうだったからだ。
(支部長)「タイツくらい履いても履かなくても、どっちにしても暑いんやってば」
他の3人は帽子も被っているが、鬱陶しくて嫌いなので被らない。
(國宗)「帽子を被らないと炎天下になって暑いですよ」
(幹事長)「帽子は雨の時にしか被らないんよ」
ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュを入れて、準備万端だ。
準備もできたので、スタート地点に移動して、大会マスコットキャラクターの坂本龍馬と一緒に記念写真を撮る。
坂本龍馬と一緒に記念撮影
(左からD木谷さん、國宗選手、坂本龍馬、幹事長、支部長)
このマラソン大会は定員が合計で1500人だが、エントリーしているのはフルマラソンが479人、ハーフマラソンが689人、10kmの部が425人で、計1593人だ。フルマラソンは500人弱で、ハーフマラソンより少ない。フルマラソンだけで見ると、かなり小規模な大会だ。
しかも参加者の総数も少ないけど、女性の参加者はさらに少なく、フルマラソンは男子が420人で、女子は全体の1/8の僅か59人だ。ハーフマラソンでは女子が1/4以上いるし、10kmの部ではなんと全体の半分以上が女子だから、いかに女子がフルマラソンを避けているのかが分かる。
最近のマラソン大会は女性の参加者も多いんだけど、脱藩マラソンのフルマラソンは超厳しいから女子の参加者が少ないのだ。逆を言えば、こんなレースに参加する女性って相当な実力者だから、間違っても女性だからと言って侮ってはいけない。たいていの女性参加者には負けると覚悟しておかなければならない。もちろん男性だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高い。
スタート時間が近づいてきたのでスタート地点でスタンバイしていると、会社のOBの恋さんに会う。鯉さんとはオリーブマラソンでも会ったし、年に2〜3度はマラソン大会で出会う。
さらに元四痙攣の航路さんにも会う。航路さんは一昨年、去年と、ピッグを献身的にサポートし、ピッグの完走に貢献した優しい人だ。
(航路)「会えて良かったですよ。今年はピッグさんが来ないと言うから、独りで走らざるを得ないのかなあと不安に思ってたんですよ」
(幹事長)「航路さんは実力があるから不安なんか無いでしょう?」
(航路)「いえいえ、最近は本当に練習ができてなくて、完走だけが目標なんですよ」
航路さんは去年は途中までピッグを励ましながら一緒に走ってたんだけど、途中で足が痛くなって歩き始め、制限時間の6時間ギリギリでなんとかゴールしたんだそうだ。今年も仕事が忙しくて、ほとんど練習時間が取れないんだそうだ。私なんか、練習時間はいくらでも取れるんだけど、サボってばかりなので駄目だが。
(おんちゃん)「今年はどれくらいでいくつもり?」
(幹事長)「とにかく去年のリベンジさえできればいいので、5時間半は切りたいですね」
普通のマラソンなら、いくら私でも5時間をオーバーしたら惨敗だ。フルマラソンでも5時間をオーバーしたのは、最近では、この脱藩マラソンと年末の那覇マラソンくらいだ。なので、フルマラソンなら最低でも5時間はクリアしないと恥ずかしいが、この龍馬脱藩マラソンに限って言えば、これまでの実績を考えると、5時間は容易ではない。なので、5時間半を切れたら満足する事にした。
5時間半なんて目標としては情けない限りだが、過去のタイムがひどいから、5時間半を切れれば大会自己ベストだ。どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
去年も5時間半を大きくオーバーする大惨敗だったが、ゴールした時点では、3年前や一昨年の大惨敗記録よりはマシで、大会自己ベストだと勘違いしたので、「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。それなのに、家に帰って調べてみたら、去年のタイムは3年前のタイムよりジャスト10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったから卒業できなかった。
なので、今年こそはなんとしても過去のタイムを1秒でもいいから更新して大会自己ベストを出して、卒業宣言をしたい。こんな過酷で辛い脱藩マラソンのフルマラソンからは一刻も早く卒業したいのだ。
過去3年とも、終盤に足が痛かったり攣ったりして動けなくなったから大惨敗したので、それを防げればクリアできるタイムだ。
3年前は初めての脱藩マラソンのフルマラソンって事で、割りと練習した。距離は大して走らなかったけど、毎週、飯野山や大麻山に走って上って坂道の練習を積んだ。おかげで坂に対する恐怖心は無くなったし、実際に前半の20kmの過激な上りは歩くことなく順調に完走できた。ところが、なんと楽勝の予定だった後半の下りで足が痛くなって走れなくなったのだ。走れないどころか歩くこともできなくなり、途中で休みまくって大惨敗した。
つまり、作戦が間違っていたのだ。山に上って上り坂のトレーニングさえ積めば、後半は下りだから何とでもなると思ったのは甘かったのだ。前半はずっと上りで後半は基本的には下りが続くから「前半の上りさえ乗り切れば、後半はずっと下りなので放っておいても帰ってこられるから、前半で全力を使い果たしても大丈夫だ」なんていう大きな勘違いをしたため大惨敗を喫した。前半に力を使い果たしてしまったら、後半は下りでも足が動かなくなるのだ。
て事で、一昨年は大会前に坂を上るような練習はしなかった。て言うか、ロクに練習はしなかった。なぜなら素晴らしい作戦を思いついたからだ。
3年前の反省から、一昨年は徹底的に前半を抑えて走ることにしたのだ。この大会に限らず、最近はフルマラソンに出る場合、前半はできるだけ抑えるようにしている。どんなレースでも最初は軽快に走れて「なんだか今日は調子いいな」なんて勘違いするんだけど、それは気分が高揚しているのと、始めだからまだ元気が有り余っているのと、周囲のランナーにつられているだけだ。そのまま調子に乗って飛ばしたら絶対に後半に撃沈する。なので、できるだけ抑えて走らなければならない。
それは3年前だって分かっていたが、あまりにも過激なコースに対して、前半の抑え方が足りなかったのだ。前半は無理せずに抑えて走ったつもりだったが、あれでも無理が生じていたって事だ。抑えて走るとは言っても、わざとゆっくり走ることまではせずに「決して頑張らず自然体で走る」っていう程度だった。そしたら、自分では抑えて走っているつもりで、どうしても高揚感のせいで少しは無理していたって事だろう。つまり、自然体で走ってはいけないのだ。自然体で走るってことは、高揚感のせいで調子に乗って走っているってことなのだ。
なので、前半を意識的に徹底的に抑えて走る作戦を立てた。そして、折り返し点の前にある2〜3kmほどの急坂は無理せず歩くことにした。最初から歩く作戦なんて、今まで考えたことも無いが、このコースに限って言えば仕方ない。このような前半を徹底的に抑えて走る作戦を思いついたもんだから、もうあんまり練習の必要性を感じなくなってしまい、あんまり練習しなかった。3年前は練習しても通用しなかったから、一昨年は練習じゃなくて作戦に賭けてみることにしたのだ。
そして、その結果は、一昨年を上回る大々惨敗だった。最後まで足の痛みは出なかったが、足が攣ってしまうという想定外の事態となり、3年前より悪いタイムとなったのだ。
それで、去年は、どうしたら良いのか分からなくなって、再び何も考えずに再び自然体で走った。また、足が攣らない事を最優先に考え、こまめに給水を取ったし足攣り防止ジェルも食べた。それと、3回も走れば1回くらいはマシなタイムが出てもおかしくないかな、という根拠のない楽観的な希望もあった。それで、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったら、終盤では一昨年以上のひどい足攣り症状になり、走るどころか歩くこともできなくなり、3年連続での大惨敗となった。
一方、ピッグは前半を極端に抑えて走り、と言うか、徹底的に前半を歩き、終盤にトボトボと歩く私の横を快調なペースで走り抜けていった。明らかに、前半の徹底したスローペースが功を奏していた。前半のペースを抑えるのなら、あれくらい徹底して抑えなければならないのかもしれない。
て事で、今年の作戦は「前半を徹底して極端なまでに抑えて走る」というものだ。
(おんちゃん)「僕は今年は完走さえできたら良いよ」
(幹事長)「え?なんで?」
おんちゃんは実力者なので、いくら龍馬脱藩マラソンと言っても軽く5時間を切る力はあるはず。以前は龍馬脱藩マラソンのフルマラソンを走った翌週に四万十ウルトラマラソンで100kmを走っていたくらいだから、体力的にも問題はないはず。でも、最近は仕事が忙しくて練習が全然できてないため、体重も増えたし、走力も落ちているらしく、去年は大惨敗した私とほとんど同じタイムだった。おまけに今年は直前に胆石ができて、3週間ほど全然走れてないのだそうだ。
おんちゃんも航路さんもD木谷さんも去年は私と似たような大惨敗だったので、みんな目標は限りなく低い。
〜 スタート 〜
空は快晴で雲一つ無く、日射しが出てきて暑くなってきた。ただ、気温は高くないから、なんとなく爽やかで走りやすそうな天気だ。
前方で開会式的なセレモニーをやっているようだが、我々には聞こえない。しばらくすると、ピストルの号砲が鳴らされてスタートとなり、ランナーが一斉に駆け出した。参加者は500人弱のマイナーな大会だが、チップでネットタイムを計測してくれるから、スタートで焦る必要は全く無い。て言うか、所詮、参加者が少ないので、グロスタイムとネットタイムの差はほとんど無い。
今日は徹底して前半を抑えるつもりだから、最初からゆっくり走り出す。おんちゃんや航路さんも同じような作戦で行くとのことで、とりあえずみんな一緒にゆっくり走る。D木谷さんはそこまでは落とさずに走りだし、だんだん背中が遠ざかっていく。
このマラソン大会のフルマラソンに出るランナーはレベルが高いが、決して最初からグングン飛ばしていくランナーが多い訳ではない。ペース配分を考えて、戦略的にゆっくり走るランナーも多い。とは言え、さすがに今日の我々ほどゆっくり走り出すランナーは少なく、みんなどんどん前方へ進んでいく。しかし、今日は絶対に焦らない。
最初の1kmはほぼフラットだが、1km地点のラップを見ると6分半だ。ここまで遅いスタートは初めてだ。
1km地点を過ぎると、上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、こんな所で頑張ってはいけないので、ペースを落とす。そしたら2km地点でのラップは一気に1km7分半になっていた。さすがにおんちゃんは少しずつ前方へ離れていくが、無理して着いていくことはしない。
(おんちゃん)「このペースやったら、まだ無理ではないやろ?」
(幹事長)「いやいや、今日は前半は歩くようなスピードで行きます」
一方、航路さんは僕のスピードに合わせると言う。
(幹事長)「今日は前半は徹底的に抑えて行きますから、どうぞ先に行ってくださいよ」
(航路)「いやいや、今日はできるだけゆっくり走りたいので、ご一緒させてください」
てな事で、集団から遅れて航路さんと一緒に走る。
次の1kmは、ますます坂が厳しくなる。かなり過激な上り坂だ。まだ序盤なので、過去は頑張って走って登ってきた坂だが、今日は最初から歩くようなスピードで登っていく。日射しは少し強くなり、だいぶ暑くなってきて、早くも汗びっしょりだ。
厳しい坂が終わると3km地点があり、この1kmはなんと9分以上もかかっていた。過去3年連続の大惨敗でも、ここで8分をオーバーしたことはないから、驚異的に遅い。でも、焦らない。
3km地点を過ぎるとトンネルが2つある。最初のトンネルは短く、ほぼフラットで、2つ目のトンネルは少し長く、緩やかな下り坂になっている。トンネルを出ると今度は一気に急な下り坂となる。かなり急な坂で、ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから自重しなければならない。とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、割りと難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。金さんなんかは小股でチョコチョコと走るのが良いってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。
てな事で、あまり無理してブレーキをかけるのは止めて、軽く自然体でチョコチョコと駆け下りていくと、下り坂の途中の4km地点では1km6分弱だった。まだ序盤の下り坂なのに6分近くもかかっているなんて、圧倒的に遅いが、今日は気にしない。
下り坂を下り切ったところに最初の給水所がある。まだそんなに喉が渇いてきた訳ではないが、スポーツドリンクを頂く。足攣り防止のため、今日はタイムを惜しんで給水所をパスするなんてことはせず、こまめに給水していくつもりだ。
給水所を過ぎると再び上り坂になる。ちょっとだけきつい上り坂だが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。
5km地点で見たラップは1km7分近くかかっている。しかも、こんなに遅いペースで走っているのに、早くも太ももの後ろ側辺りに明らかに疲労を感じる。これは今日のここまでの走りによる疲労ではなく、最近の疲労が抜けていないって感じだ。最近、マラソンの練習は不十分だったが、1週間後の秋吉台カルストトレイルランに備えて、山の中を走り回る過激なトレーニングをしていて、その後遺症が残っているようだ。
序盤をこんなにゆっくり走っているのに、早くも疲労を感じるなんて、明らかに調整ミスだ。非常にまずい状況だ。今日は完走すら危ういかもしれない。
(幹事長)「ここから、さらにペースを落としますから、気にしないでどんどん先へ行ってくださいよ」
(航路)「いやいや、今日は幹事長より先には絶対に走りませんから」
ここから10km地点までは、時々、急な坂もあるが、基本的には緩やかな上り坂が続くはずだ。そして、ここから距離表示が2.5kmごとになる。なんで1kmごとに表示してくれないのか不満が残るが、尋常ではない急坂のコースなので、あんまり細かいペースを気にしても仕方ないだろうって事かもしれない。
山の中を走る道なので、人家は少なく、沿道で応援してくれる人も少ない。それでも、村人ほぼ総出で応援してくれているようで、あちこちに道ばたにおじいちゃんおばあちゃん達が座りこんで応援してくれる。さらに、川の向こう側で農作業しているおばちゃんが手を振って応援してくれたりして、とても暖かい雰囲気で嬉しい。もちろん、できる限りこちらも手を振り返す。
緩やかな坂が続く7.5km地点でのラップを見ると1km7分半くらいに落ちている。
さらに緩やかな坂を2kmほど走るとハーフマラソンのコースとの分岐に差し掛かる。ハーフマラソンのコースは右の集落に入っていくが、フルマラソンのコースはそのまま真っ直ぐ進む。そこを過ぎると10km地点があり、時計を見ると、さらにペースは落ちている。徐々に坂は傾斜を増しているせいだろう。
10km地点には3つ目の給水所があり、ここでは水分の補給だけでなく、バナナも頂く。過去の大会では、終盤にエネルギーが欠乏してしまい、慌てて何か食べたりするけど、食べてもすぐにエネルギーを吸収できる訳ではないので、今日は飲み物だけでなく、まだお腹が空いてなくても、できるだけ早めに食べ物をとっていくことにした。
10km地点を過ぎると、人家もほとんど無くなり、沿道で応援してくれる人もほとんどいなくなる。こうなると精神的に厳しい。ただ、今年はずっと航路さんが一緒に走ってくれているので、精神的に非常にありがたい。ここまでゆっくり走っていると、もし一人で走っていたら寂しくなりそうだけど、一緒にゆっくり走ってくれる人がいると、なんとなく安心感がある。
(幹事長)「まさか私ら、べったんじゃないでしょうね?」
(航路)「まさか、それはないでしょ。まだ後ろにいますよ」
べったんじゃないにせよ、後ろはほとんどいないだろう。
10km地点の直後は下り坂がある。短い下り坂が終わると再び上り坂が始まり、傾斜は確実にきつくなっていく。まだ歩くほどではないが、決して無理をしてはいけない。
12.5km地点でのラップは、遂に8分をオーバーしていた。ここには4つ目の給水所があり、水分だけでなくバナナも頂く。
その後も坂はますますきつくなっていき、15km地点でのラップは1km8分半くらいにまで落ちた。
(航路)「この辺りから坂がきつくなりますよね。きついと思ったら歩きましょうね」
(幹事長)「少しでも無理してるなと感じたら歩きましょう」
て事で、二人のうちのどちらかが少しでも「歩きたい」と思ったら、すぐに二人一緒に歩くことにした。どちらかが「歩きたい」と思っているのに、もう一人が走り続けるのは、それはオーバーペースになっているはずだ、との考えだ。
すると、すぐに急な坂が現れ、どちらからともなく二人で歩き出す。坂の傾斜が緩やかになったら再び走り出すが、すぐにまた急になり、結局、歩く方が長くなっていく。歩いているのに、脹脛が攣りそうだ。やはり明らかに疲労が色濃く残っている。かなり絶望的な気持ちになってくる。
(航路)「中間地点までの前半を2時間40分でいければ、後半は3時間かかっても5時間40分でいけますよ」
後半は下りなのに3時間もかかるのか、と思うが、過去3年間の実績では、3年とも前半の上りは3時間もかかってないのに、後半の下りでは常に3時間をオーバーしてきた。前半の上りより後半の下りの方が時間がかかっているのだ。なぜなら、後半は足が痛くなったり足がつったりして歩くからだ。歩いたら時間がかかるのは当たり前だ。なので、できるだけ歩かないようにしないといけない。前半の上りは積極的に歩くけど、後半はできるだけ歩かないようにしないといけない。
(航路)「それにしても幹事長はタイツも履かずに、よく頑張ってますねえ」
(幹事長)「え?タイツなんて防寒用だから寒い時にしか履かないよ」
(航路)「タイツを履くと疲労が軽減されますよ」
(幹事長)「え?そうなん?」
航路さんは元陸上部なので、ためになる話を色々と聞いた。タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことで、航路さんはテーピングした上にタイツを履いているのだ。それなら、これからは暑い時期でもタイツを履くことにしよう。
しばらく進むと5つ目の給水所があり、ここでもしっかり水分補給と食料補給をする。
この辺りで、早くもトップの人が折り返してきた。ダントツの1位で、次の2番手がなかなか現れなかった。
坂はますます急角度になってきて、しばらく進んだ17.5km地点でのラップは、遂に1km9分をオーバーした。
この辺りになると、もうほとんど歩きっぱなしで、走ることはなくなる。それでも、足が動かなくなって歩いているのではなく、走ろうと思えば走れるけど、無理をしないために歩いているだけなので、歩くスピードは速い。さっきから、ほとんど歩かずに頑張って走っている女性が近くにいるけど、スピードはほとんど変わらない。
折り返して走ってきてすれ違うランナーが増えてきたが、まずD木谷さんの姿が見えた。かなり快調のようだ。さらにおんちゃんも折り返してきた。こちらも快調に走っている。さらに恋さんまで早々に折り返してきた。でも今日は焦らない。去年は折り返し点まで全く歩かずに走り続けたため、終盤に撃沈したから、無理してはいけない。あくまでも自分との戦いであり、焦ってはいけない。
(幹事長)「今年は最後の山道はあるかなあ」
(航路)「こないだの大雨で道が崩れていたら無いでしょうけど」
このコースは、前半の最後は、折り返し点の少し前で舗装された道路から外れ、山道に分け入っていく。3年前と去年は山道が土砂崩れで走れなくなっていたため、そのまま舗装路を走ったが、一昨年は本来の山道に入っていった。この山道は最初は下りになっていて、しばらく下った後、厳しい上りを登り返さなければならない。あまりにも急なため、走るのは到底不可能な山道で、膝に手をつきながら登っていくしかない。おまけに雨の後だと草が濡れて滑りやすくて、下りでも飛ばす事はできないし、土のところはベチョベチョになって歩きにくい。
なので、できれば山道の部分は無い方が嬉しい。しかし、今年は、山道の入口に係の人が立っていて、「今年はこっちへ行ってくださいね」ということで、山道へ突入した。最初の下りは走ったが、上りになったとたん、ゆっくり歩く。それでも航路さんは力強く歩いて行き、少しずつ離れていく。
いい加減、山道にうんざりした頃に、ようやく山道が終わって舗装路に戻ると、すぐに折り返し点の前の小さな広場となる。ここには6つ目の給水所があり、航路さんが一足先に食べ物を頬張っている。ここまで給水所ではバナナを食べてきた。バナナは走りながらでも食べやすいからだ。でもバナナは腹持ちが良くなく、すぐにお腹が空いてきたので、ここでは腹持ちの良いおにぎりをいくつか食べた。
おにぎりをコーラで流し込みながら、広場を出て少し進んで高知県から愛媛県に一歩入ったところに折り返し点が現れる。これで今年も無事に脱藩できた。
この折り返し点は20km地点だ。フルマラソンの折り返し点だけど、まだ21kmには達していない。なぜなら後半の途中で集落に入り込む区間があるからだ。
給水所で時間をかけたため、20km地点でのラップは、なんと遂に1km12分近くかかってしまった。
後半は、さっきまでの厳しい上り坂から一転して激しい下り坂となる。一気に転げ落ちたいところだが、坂が急すぎて、ここをガンガン走ると足に大きな負担になるので、調子に乗らずに徹底的に抑えながら走る。
一昨年は前半の終盤を歩いたにもかかわらず、後半の急激な下り坂になったとたん足が攣ってしまった。下り坂でブレーキをかけるために太ももの前が攣るのなら分かるけど、なぜか脹ら脛が攣って走れなくなってしまった。上り坂と違う足の使い方になったため、そういう事になったんだろうか。
一方、去年は前半の登りを最後まで歩かずに走ったにもかかわらず、後半の急な下りになっても普通に走れた。ただし、やはり無理があったのか、終盤に足が攣って走れなくなってしまった。
今年はまだ足は大丈夫で、普通に走れる。ただし、絶対に調子に乗って走ってはいけないので、ゆっくりチョコチョコと走っていく。
しばらく走ると中間点の表示がある。ここまでで、なんと3時間近くかかってしまった。過去3回の実績と比べても、とっても遅い。あれだけ徹底して歩いたのだから仕方ないけど、ここまで時間がかかったことはない。これだと後半に3時間もかかったら、トータルで6時間近くかかってしまう。さすがに焦ってきた。
でも、ここで無理してスピードを上げてはいけない。ここまでゆっくり来たのは、あくまでも終盤になって足が痛くなったり足が攣ったりするのを防ぐためだ。過去3回、後半に3時間以上もかかったのは、いずれも終盤に歩いたり止まったりしたからだ。歩かなければ後半に3時間もはかからない。あくまでも終盤の撃沈を防ぐために、辛抱してゆっくり走って下らなければならない。
疲れた頭で計算すると、残り21kmを1km7分で走れば2時間半くらいだ。つまり、残りを1km7分くらいのペースを維持できれば5時間半くらいでゴールできる。下り坂なんだから歩かなければ不可能なペースではないかもしれない。
しばらく進むと22.5km地点があり、1km7分弱にペースアップしていた。急激な下り坂なのに、ほとんど貯金ができていないが、無理をしてはいけない。
その後、坂の下り勾配が少し緩やかになったため、だいぶ走りやすくなってきた。これくらいの傾斜だと、無理してブレーキをかける必要は無く、自然にまかせて下っていけば良いので走りやすい。
前半の上りでは足が攣りかけたが、下りでは股関節なんかが痛みだす。こんな過激なレースを走っていたら、あちこち痛み出しても不思議ではないが、過去の経験からすると、そのうち慣れて痛みは消えるはずだから、あんまり心配はしない。
淡々と下り坂をゆっくり走り続けると、25km地点でのペースは1km7分近いままだった。でも、その後はだんだん下りの傾斜も緩やかになり、走りやすくなってきたからか、少しペースが上がり、27.5km地点では1km6分半くらいになった。ここには給水所があり、再びおにぎりなんかを食べる。
するとここまで一緒に走ってきた航路さんが、突然、休みたいと言う。
(幹事長)「どうしたんですか?」
(航路)「足が攣りかけてしまったので、しばらくここで休みます」
残念だけど、ここで航路さんと別れて一人旅になる。
そのうち、傾斜がさらに緩やかになり、下っているのか上っているのか分からないような区間になった。目で見ると下っているような気もするが、体感としては上っているような苦しさだ。
苦しみながらもなんとか走っていると、後ろから猛烈な勢いで走ってくる足音が聞こえる。こんな後方の集団に、なぜあんなに元気なランナーが残っていたのか不思議だったが、なんと航路さんだった。
(幹事長)「ど、ど、ど、どしたんですかっ!?」
(航路)「しばらく休んだら回復しました」
呆れるほどの回復力だ。でも、これでまた二人で一緒に走れるので心強い限りだ。
しばらく走ると、脇道にそれた集落コースに入っていく。ハーフマラソンのコースは9kmほど走ったら、本道からはずれて集落に入ってぐるっと3kmほど一周するんだけど、フルマラソンのコースも帰路は同じ集落コースに入っていくのだ。
折り返し点からずっと下り坂が続いてきたのに、この集落コースに入るといきなり上り坂がある。大した傾斜ではなく、ハーフマラソンなら半分くらいの地点なので、まだまだ元気だからどうって事ない上り坂だが、フルマラソンの場合は30kmを過ぎてからなので、足が痛くて辛い区間になる。精神的に非常に辛くなる区間だ。できることなら、折り返し点をずっと先に延ばしてもいいから、帰路の途中の集落コースは廃止にして欲しい。
上り坂では再び歩いたりしたため、ペースは再び落ちて、30km地点で見たら1km8分ちょっとにまでペースダウンした。
そして、いよいよ30km地点から集落の中に入っていく。本当に嫌になる集落コースだ。すると再び航路さんが「足が攣った」と言って立ち止まる。再びしばらく休むと言うので、またまた分かれて一人旅となった。3年前や一昨年は、私もこの辺りで足が痛くなって走ることができなくなったが、今年はまだ走り続けられる状態だ。去年もなんとか走り続けたけど、歩くようなスピードだったが、今年は普通に走れる。この苦痛の区間を普通に走れるのは初めてなので、嬉しいと言うか少し感動すら覚える。
3kmの集落コースが終わりかけるところに32.5km地点があるが、普通に走り続けた結果、1km6分半ほどのペースに戻った。この場所で、こんなに普通に走れた事はないので、少し見通しが明るくなってきた。
集落コースが終わって本道に戻ると、後は10kmほど基本的に緩やかな下り坂を走っていく。これくらいの緩やかな下りが一番走りやすい。去年もなんとかここまでは走り続けたけど、ここで突然、足がピキピキと痙攣し始め、両足の脹脛が攣って歩けなくなってしまった。でも、今年はなんとなく、このまま行けそうな気がする。
全体としては緩やかな下りだが、時々、上り坂もある。足が痛いときには辛い上りで、過去3回は必ずトボトボと歩いたりした。今日も周辺では歩いている人が多い。でも今日は上り坂になっても、なんとか走っていける。走ったところで、そんなに速い訳ではないが、歩いている人を抜いていくのが気持ちいい。
35km地点でのラップは1km7分半程度だった。残りの距離は7kmだから、1km平均7分のペースで走れれば5時間半は切れる。道は微かな下り坂が続いていて、なんとかペースは維持できているようだ。
遂に残り5km地点の表示が現れ、ペースは1km7分半くらいで変わらない。ちょっと遅いけど、なんとか5時間半くらいは切れそうだ。もう最後なんだから、ここから先は、なんとかペースを上げようと努力する。
その結果、大したペースアップではないが、残り4km地点では、1km7分ちょっとにまで上げることができていた。
そして、いよいよ最後のめちゃめちゃ急な上り坂が現れた。序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急な下り坂を、今度は反対に上らなければならない。いつも歩いて上る激坂だ。もちろん周囲の人も例外なく全員歩いている。しかし、ここでゆっくり歩いていたら5時間半が切れない。
過去の実績を考えると、この時点で普通に走れているのは珍しい状況だ。この貴重なチャンスを逃したら、もう二度と5時間半を切れるような展開は作れないかもしれない。5時間半を切れるのは今日だけかもしれない。
って事で、今日は最後の力を振り絞り、走って登る事にした。もちろん驚異的に厳しい激坂なので走っても歩くのとそれほど大きな違いはない。それでも少しは歩くより速いだろう。この少しの差でゴール後に泣いたり笑ったりするので、少しの頑張りを侮ってはいけない。それに、全ての人が足を引きずってトボトボと歩いている終盤の激坂を走れている事が嬉しくて楽しくて、なんとか走り続けることができる。
長い長い厳しい坂を上ると、トンネルに入る。このトンネルに入ると傾斜が緩くなるので、ペースアップして走る。真っ暗なトンネルの狭い歩道を、他のランナーを蹴散らしながらどんどん走る。
長いトンネルが終わり、次の小さなトンネルに入ると坂も終わり、ほぼフラットになった。トンネルが終わると、ようやく残り3km地点の表示がある。急な上り坂だったので、走った割には、なんと1km10分もかかっていて呆然としたが、残り3kmを1km7分で走ったら5時間半を切れることになった。
残り3kmは下り坂なので、もう心配することはない。特に最初の1kmは急な下り坂だ。ここまで下り坂でも自重してゆっくりチョコチョコ降りてきたが、ここはもうできるだけ大股でスタスタ駆け下りる。残り2km地点で見たペースは、1km5分少々で、本日の最高値を出した。続く1kmは少し傾斜が緩やかになるが、できるだけ頑張って駆け下りた結果、残り1km地点で見たペースは、1km5分台を維持できた。
最後の1kmはほぼフラットになるが、最後の頑張りで、あんまりスピードを落とさずに走っていけた。
〜 ゴール 〜
最後はゴール前にとても短いけど上り坂がある。あまりにも短いから、どうってことない坂だけど、痺れた足には辛い。それでも今年は大会自己ベストが確実となったので、嬉しくて頑張って走れた。
ゴール前には、一足先にゴールしたD木谷さんがスマホを構えて待っていてくれて、写真を撮ってくれた。
(幹事長)「ありがとうございます!」
(D木谷)「元気そうですね!」
最後まで元気に走ってゴール
ゴール前には地元の高校生が総動員で声援を送ってくれており、彼らとハイタッチしながらゴールゲートをくぐる。
終盤は元気に走れたし、ゴールしてからも足は動く。まだまだ少しは走れそうな勢いだ。
結局、タイムは過去の記録を20分くらい更新する大会自己ベストとなった。タイム自体は、それでも5時間半近くかかっているんだから、フルマラソンのタイムとしては大惨敗の部類だが、こと脱藩マラソンに限って言えば、嬉しい大会自己ベストだ。
去年は私と一緒に大惨敗ゴールしたD木谷さんは、なんと去年より1時間ほどもタイムを縮めた大会自己ベストを出していた。
おんちゃんも今年は最後まで快調だったとのことで、久しぶりに5時間を切ったとのことだ。
こうしてみると、全員、去年よりはだいぶマシだったようだ。僕が僅か20分くらいしか縮められなかったのに対し、D木谷さんやおんちゃんは1時間くらい縮めているので、今日は天候コンディションが良かったという事かもしれない。むしろ僅か20分しかタイムを縮められなかった私が惨敗なのかもしれない。
私も序盤から大きな疲労を感じていたにもかかわらず、最後まで走れたのは、前半を徹底して抑えて走るという作戦が成功したからというわけではなく、単に天候コンディションが良かったからかもしれない。
一方、途中まで一緒に走った航路さんは、その後は大復活できず、だいぶ遅れてゴールした。それでも、かろうじて去年よりはマシなタイムだった。
(航路)「やはり、全然練習ができないまま走るのは難しいコースですね」
記録証をもらうと、去年よりタイムは良かったのに順位は去年より悪かった。やはり今日は全員が走りやすかったのだろう。
〜 反省会 〜
走り終わってお弁当をもらったが、疲れ果てたので、すぐにお弁当を食べる気力は無かった。去年は、地元の高校生が作ってくれる豚汁が暖かくて美味しかったが、今年は無かった。最初から無かったのか、遅かったから無くなったのか、分からない。その代わりに、地元で使える商品券でアイスクリームをもらって食べたら、冷たくて美味しかった。
その後は、タダ券をもらっている雲の上のホテルの温泉へ行く。少しだけ待たされたが、割とすぐに入る事ができた。露天風呂に入って足を揉みほぐすと、本当に気持ち良い。
お風呂から出て、休憩室でお弁当を食べながら反省する。
(幹事長)「なんとか大会自己ベストは出せたけど、疲労を抱えたままの出場は失敗だったな」
ゴールした時は、去年の反省から今年は前半の上りを徹底的に歩いたおかげで、なんとか最後まで足が痛くならずに完走できたと思った。作戦成功だと思ったのだ。
ところが、他のみんなのタイムや自分の順位を見ると、今日は天候コンディションが良かったおかげで全員が好タイムを出せただけのようだ。つまり、自分の作戦が当たったせいではないようだ。むしろ、他のみんなと比べてタイムの短縮度が少ないから、やはり惨敗と言えるのではないだろうか。明らかに調整が失敗して、疲労が残っていたから、大してタイムが良くならなかったのかもしれない。疲労が残っていたのに少しはタイムが良くなったのは、天候コンディションのおかげだろう。もっと良い体調で走っていれば、今日はもっと良いタイムが出ていたかもしれない。
(支部長)「何をブツブツ言うてるんや?」
(幹事長)「来年、再び挑戦するかどうか迷ってるんや」
(支部長)「懲りない人やなあ」
去年は、大惨敗ながら大会自己ベストだと思ったから卒業宣言をしたら、実は大会自己ベストではなかったと判明したので、仕方なく今年も参戦したが、今年は大会自己ベストは間違いないので、もう堂々と卒業宣言してもいい。しかし、少し未練が残るのだ。
一応、大会自己ベストが出たので、リベンジしたことにはなるんだけど、なんとなく、これで本当にリベンジしたと堂々と言えるのか疑問が残るのだ。
普通のマラソン大会なら、走っている途中は、特に終盤になると「早く終わりたいなあ。なんでこんな辛い思いをしてるんだろう。途中でリタイアしたいなあ。もうこんなマラソン大会には出たくないなあ」なんて思うけど、ゴールしたとたん、「よし、来年もまた出よう」なんて思う。タイムが良かった時は当然ながら気持ち良いから再び出たくなるし、タイムが悪かった時はリベンジしたくて再び出たくなる。
ところが、この龍馬脱藩マラソンは、余りにも辛い思いをするので、ゴールした後も、もう二度と出たくないと思ってしまう。3年前も一昨年も去年も、ずっとそう思っていた。ところが今年は最後まで足が痛くならず普通に走れたため、終盤はむしろ気持ちよく走れて、「もう二度と出たくない」とは思わなかった。むしろ、もっと体調を整えて走れば、もっと良いタイムが出る可能性が見えてきた。
(幹事長)「来年もフルマラソンを走りたくなってきたなあ」
(D木谷)「いいですねえ。来年もフルマラソンに出ましょうよ」
(支部長)「もう好きにしてちょ」
過去3年間は、レース直後には「もう二度と出ないぞ」と固く誓っておきながら、半年後にはリベンジに燃えてフルマラソンにエントリーし続けた。
今年はレース直後の時点で「また出ようかな」なんて思っているくらいなので、来年のエントリー時には確実にフルマラソンを選びそうだ。
〜おしまい〜
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