第10回 龍馬脱藩マラソン大会(自主開催)

〜 熾烈なデッドヒートを制したのは誰だ! 〜


2021年10月中旬高知県檮原町において第10回龍馬脱藩マラソンが開催される予定だった。

このレースは、6月上旬の北山林道駆け足大会7月下旬の汗見川マラソン9月上旬の酸欠マラソンに続く夏場の山岳マラソン4連戦の最終戦として大きな存在感のある大会だ。

坂の過激さは北山林道駆け足大会や酸欠マラソンも同じくらい超厳しいが、なんと言ってもこの脱藩マラソンはフルマラソンがあるので、その過激さは筆舌に尽くしがたい
他の上記3大会は、コースが厳しいと言っても、北山林道駆け足大会は距離が13kmと短いので楽しいまま終わるし、汗見川マラソンは坂の厳しさが少しマシなうえ終わってからの川遊びが楽しいハーフマラソンだし、酸欠マラソンは天空の絶景コースを走るハーフマラソンなので、厳しいとは言いつつ、いずれもとっても楽しい大会だ。
しかし、脱藩マラソンは楽しさを感じる余裕は無く、最初から最後まで苦しいだけの大会だ。あまりにも厳しい大会なので、開催日が近づいてくると憂鬱な気分になり、できることなら逃げ出したいくらいになるので、自分でも本当にこの大会を楽しみにしているのかどうか、よく分からない。
しかし、苦しいからと言ってこの大会を避けたりすると、自分が情けなくなり、ずっと後悔する羽目になるし、また自分の現時点での力を把握するためにも、避けて通れない地獄の関門のような大会だ。

(ピッグ)「結局、楽しみにしてるんですか、それとも嫌なんですか?」
(幹事長)「分からんかなあ、この乙女心が」


ま、「嫌よ嫌よも好きのうち」ってとこか。
それなのに、ああ、それなのに、なんと去年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった

事の発端は去年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された
しかし、その後、状況はますます悪くなり、遂に去年3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になってしまった。あまりの事に呆然とした。
そして、その後も、全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった

これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

(ピッグ)「この説明、いつまで続くんですかね。もう一字一句同じ文章が続いてますが」
(幹事長)「希望的観測で言えば、今年いっぱいで終わるんじゃないかな?」

今年、残されているレースは、酸欠マラソン庵治マラソンタートルマラソンの3つだ。これらは既に中止または延期が決まっている。
しかし、来年2月の丸亀マラソンは今のところ開催予定なので、うまくいけばマラソン大会の中止騒ぎは今年でおしまいになるかもしれない

ともかく、素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない

多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
さらに、それに付け込んで何でもかんでも政府を批判する無能な民主党が調子に乗ってギャアギャア騒ぐからだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。

もちろん、大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、私も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。

そして、恐れていた通り、その後も5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままではマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。


〜 マラソン大会を自主開催 〜


って嘆き悲しんでいた時、ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。

(ピッグ)「この話も、いつまで続くんですかね。もうウンザリですね」
(幹事長)「今年いっぱいは我慢してね」

去年5月のオリーブマラソン以来、自主開催してきたマラソン大会の記事にはしつこく書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。

(幹事長)「お待たせしました!はい、どうぞ!」
(ピッグ)「中止になった大会を
ペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え!?」


あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、
我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。

(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば」


1997年に我々がペンギンズを立ち上げた時
クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、
素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだった。

と感心していたのだが、去年5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また去年7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
さらに今年5月のオリーブマラソンに至っては、胸に大きく「勝手に小豆島オリーブマラソン」なんて書いたTシャツを着て自主開催しているグループがいた。
つまり、
マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。

(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば

てなわけで、その後は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった
その第1弾が去年5月17日に開催した
サイクリングイベント第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月のオリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソン9月の脱藩マラソン11月の庵治マラソン12月のタートルマラソンを自主開催してきた。

これらも例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、願わくは、コロナのバカ騒ぎは去年で収束して、今年はマラソン大会が復活して欲しかった。
ところが、
今年になってもコロナのバカ騒ぎが終わらず、マラソン大会の中止が続いているため、2月の丸亀マラソンを自主開催し、続いてトレラン大会である2月の善通寺五岳山空海トレイルも自主開催した。

この善通寺五岳山空海トレイルは、去年はギリギリでなんとか本大会が開催され、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止になる前の最後の大会だった。
それから
まる一年が経って一周したので、そろそろバカ騒ぎを止めてマラソン大会を再開して欲しかったところだが、去年、最初に中止になった徳島マラソンは、なんと2年連続で今年も中止になってしまった
コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が2年目に突入したのだ。そのため、徳島マラソンの代替大会として3月の香東川マラソンを自主開催した。
そして、その後も2年連続のマラソン大会中止が続いているため、5月の小豆島オリーブマラソン7月の北山林道駆け足大会7月の汗見川清流マラソンを2年連続で自主開催してきた。
さらに、マラソン大会や自転車イベントに続く
初めてのトライアスロン大会として9月のサンポート高松トライアスロンを自主開催した。

そして、これらに続くマラソン大会として、今回の
龍馬脱藩マラソン大会2年連続自主開催となったわけだ。

脱藩マラソンの開催日は基本的に10月の10日前後だ。
ただ、今年は予定が立て込んでいたため、当初は
四国のてっぺん酸欠マラソンを10月17日(日)に開催し、脱藩マラソンは翌週の10月24日(日)の開催を予定していた。
ところが、10月17日は天気予報が雨模様となったため、急遽、脱藩マラソンと日程を入れ替え、酸欠マラソンを翌週に順延し、この
脱藩マラソンは10月17日(日)の開催とした。

普通のマラソン大会なら、多少雨が降っても平気で決行するが、酸欠マラソンが開催される瓶ヶ森林道は標高が高く、風を遮るものも無いため、天気が悪いとすぐ暴風雨になる。
そのため、2015年から5年連続でエントリーしたにも関わらず、そのうち3回も悪天候で中止になっている。なので、酸欠マラソンはできるだけ天気の良い日に開催しないと危険になるのだ。
一方、脱藩マラソンが開催される梼原町も標高は高いが、そこまで悪天候にはならないので、日程を入れ替えたものだ。
いずれにしても自主開催なので我々の都合で勝手に開催日は設定できる

(ピッグ)「そもそも酸欠マラソンは去年は8月末に開催しましたよね。なんで2ヶ月も遅くなったんですか?」
(幹事長)「色々と事情があってなあ」


去年は8月末に私の手術という大イベントがあったため、その直前に開催したが、今年は私の登山遠征という小イベントがあったため、かなり延び延びになって10月下旬になったものだ。

(ピッグ)「今年の事情には納得できかねますね」


〜 超厳しいコース 〜


龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。
四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。
四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。
死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。
そして、その後継レースとして新しく2011年にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。

四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった
しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンの部ができたのだ。

ハーフマラソンのコースも累積の標高差は380mもあるから、汗見川マラソンやタートルマラソンより厳しい。
しかし、フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近くある。 ハーフマラソンの2倍以上の厳しさだ。
前半は基本的に上りが続き15km地点辺りまでの上りはそれほど過激ではないが、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。
そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンだ。

龍馬脱藩マラソンに初めてエントリーしたのは2014年。ただ、そのときは台風のため直前に中止になってしまった。
それで、龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは2015年。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。
一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう
でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。

ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースは超過激ってほど大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。

(幹事長)「あんなに恐れていたのに、あんまり大したこと無かったよなあ?」
(支部長)「いやいや、そんなことはない。十分に厳しかったで」

支部長は満腹したようだが、私は、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。
そこで今度は阿南のスーパー女性ランナーY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。

(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」

この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。
なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからだ。つまり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。
しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないのだフルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになるのだ。
なので、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にならない。

若い頃は坂のあるコースよりフラットなコースの方が好きだった。

(ピッグ)「普通そうですよね」
(幹事長)「誰だってフラットな方が楽だもんね」


でも、歳とってくると、だんだん坂が好きになってきた。良いタイムが出やすいフラットなコースよりも、むしろアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた
その大きな理由として、歳とってくると、フラットな高速コースではタイムが伸び悩んでいるって事がある。フラットなコースでタイムが伸び悩むと、なんだかやる気が失せてしまうが、坂が多い厳しいいコースだと、タイムは悪くても当たり前なので気にしなくてもいいし、坂がある方が純粋に面白い
て事で、最近は、タイムは二の次で、フラットなコースよりも激坂がある山岳マラソンの方が面白くなってきた。さらにトレイルランにも参加するようになっている。

とは言え、北山林道駆け足大会は距離が13km弱なので楽しいだけで終わるし、汗見川マラソンや酸欠マラソンはハーフマラソンなので、なんとかギリギリで楽しく走り終えることができる。
しかし龍馬脱藩マラソンのフルマラソンは前半の20kmが登りっぱなしという超過激な山岳マラソンなので、楽しいうちに終わらず、後半は悲劇になってしまう
なので、出場するには勇気が必要だ。


〜 過去は惨敗続き 〜


散々、悩んだが、やはり一度はフルマラソンの部に出てみたいので、2016年に初めてフルマラソンの部に出場した
その結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。
それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって痛みを取ったりした。
しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こんな辛い思いは二度としたくないから、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」なんて決意した。

ところが、翌年になると、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思い、2017年もフルマラソンの部に出場した

(支部長)「もう出ないって言ってたのに、ほんまに記憶力が悪いな」

辛かった記憶が薄れたこともあるが、前年はフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思ったのだ。
そして、嫌がる支部長も強引に誘ってフルマラソンに一緒に参加した。そして、結果は、二人そろってさらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった
前年の反省から、前半は徹底して抑えて走って余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下るつもりだった。
ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。結局、終盤は前年と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、前年を上回る衝撃的な大々惨敗だった。
そして、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」と決意した。

ところが、翌年になると、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思うし、 記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶が薄れてきたこともあり、2018年も性懲りもなくフルマラソンの部に出場した

(支部長)「記憶力が悪いと言うより、記憶力が無いな」

私よりは記憶力の衰えがマシな支部長は、二度とフルマラソンには出なかったが、私は再びフルマラソンに挑戦した。そして作戦を大きく変更した。
2016年は、「恐れていたけど、案外走れるぞ」なんて思って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2017年は、その反省から、前半を徹底して抑えて、急坂ではためらうことなく歩いた。それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
なので、2018年は、取りあえず何も考えずに再び自然体で走る作戦としたのだ。

(支部長)「それは作戦とは言わんぞ」

自然体で走っていたら、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上れたが、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、3年連続で呆れてモノも言えないくらいの大惨敗を喫してしまった。

(支部長)「それって、最初の年と全く同じパターンやんか。学習効果が無いなあ」

ただ、大惨敗ながらも大会自己ベストは僅かながら更新したと勘違いして、レース直後には「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ところが、家に帰って調べてみたら、2016年のタイムより10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったことが判明した。

それで仕方なく、2019年も再びフルマラソンの部に出場した
2016年と2018年は前半の上り坂を一歩も歩かずに上ったため、後半に足が痛くなったり攣ったりして走れなくなったので、再び前半は徹底して抑えるという作戦に変え、少しでもきつく感じるとすぐ歩いた。前半での抑制を、2年目の時より、さらに徹底したのだ。
その結果、前半は過去3大会と比べて最も遅かった。しかし、それが功を奏して後半は足が痛くならず失速しなかったため、初めて後半の方が前半より速いタイムで走れ、結果としてなんとか大会自己ベストを更新することができた
てことで、晴れて「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ただ、足が痛くならずに完走できたもんだから、またまた性懲りもなくフルマラソンに出て「もっと良いタイムを出したいな」なんて心が揺らいでいた

ところが、最初に書いたように、昨年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。それで、昨年2020年は我々独自で自主開催をした
自主開催でフルマラソンを走るのは難しい。エイドも無ければ沿道からの声援も無い。普通のフラットなコースであっても、フルマラソンの距離を自主開催で走るのはとても厳しい
個人練習の時なんて、よっぽど気合を入れても、せいぜい20km程度が限界だ。それ以上の距離になると、足も痛くなるが、そもそも精神的にやる気が失せてしまう。
ましてや、脱藩マラソンのフルマラソンのコースは殺人的に厳しい。こんな厳しいコースを自主開催で走るのは不可能だ

(幹事長)「てことで、私の勝手な判断により、ハーフマラソンだけの開催とする」
(ピッグ)「異議なし」
(支部長)「異議なし。て言うか、ハーフマラソンでも厳しいで」
(D木谷)「フルマラソンも走れなくはないと思いますけど」
(T村)「せっかくわざわざ行くんだから、フルマラソンを走りましょうよ」


と言うことで、去年は満場一致でハーフマラソン1種目のみの開催とした

もちろん、今年も自主開催なのでハーフマラソン1種目のみの開催だ
支部長の言うように、ハーフマラソンだって甘くはない。あくまでもフルマラソンと比較するとマシと言うだけで、獲得標高は約380mもあり、約220mの汗見川マラソンや約190mのタートルマラソンよりはるかに大きい。

参加するのはのほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、のらちゃんの5人だ。このうちスーパー女子部員のらちゃんは初参加だ。


〜 檮原町へ出発 〜


去年に続き、今年もピッグ様が車を出してくださった。

(幹事長)「すまんな、いつもいつも。5人になるとミニバンでないと狭いからなあ」
(ピッグ)「えっと、幹事長の車もミニバンですよね」
(幹事長)「コロナウイルスのワクチンを接種したばかりから運転は控えておこうと思ってな」
(ピッグ)「いつ接種したんですか?」
(幹事長)「6週間前」
(ピッグ)「もう関係ないでしょ!」

コロナウイルスのワクチン接種は、1回目も2回目も、ほとんど何の副作用も無かった

(ピッグ)「私も無かったですね」
(支部長)「私も無かったわい」
(のら)「私も無かったよ」


副作用は免疫反応が活発な若い人の方が強く出る傾向にあるが、色々と知人に聞いてみると、中高年者でも、日頃から家でダラダラしている人は副作用で苦しむ人が多い。
一方、我々のように日頃から体を鍛えて体力がある人はほとんど副作用が出ないようだ。やはり基礎体力は重要だ。

て事で、ピッグが6時ちょっと前に迎えに来てくれて、その後、支部長、D木谷さん、のらちゃんをピックアップして6時半頃に出発した
例年の正式大会は、フルマラソンのスタート時刻が9時なので5時に出発していたが、今年はハーフマラソンしか走らないから、そんなに急ぐ必要はない。こういう柔軟さが自主開催の良いところだ。

日曜日の朝の高速道路は空いていて、車は順調に進む。
車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてみたらその後は一度もお腹を壊さなくなった
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無いのだ。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年2月の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレにこもってしまった。原因は分からない。でも、少なくともおにぎり路線が悪い訳ではないだろう。
エネルギーをいっぱい摂取しようと思って、おにぎりの他に、バナナやゼリーも食べたりしていたが、それらを控えるべきかもしれない。あんまり無理してレース前に食べすぎるのは禁物だ。

今日は当初計画では酸欠マラソンを自主開催する予定だったが、天気が悪そうなので急遽、脱藩マラソンに変えたものだ。なので、天気は悪くなるかもしれない
でも珍しく、普段は雨が少ない瀬戸内海側は雨予報だったが、普段は雨が多い高知の方は逆に曇り予報になっていた。
瀬戸内海側から四国山地に入ると、ガスが出てきて、いかにも天気が悪そうだが、太平洋側に抜けると少し明るくなってきた。ちょうど良いマラソン日和になるかもしれない。


〜 会場到着 〜


いつものように須崎にある道の駅かわうその里に寄ってから梼原町に向かい、会場の梼原町役場には9時半頃に着いた。
去年はガラガラだった役場の駐車場に、なぜか車がたくさん停まっている。何かあるのだろうか。ちょうど車を降りてきて若い女性に支部長が聞いてみる。

(支部長)「今日、何かあるんですか?」
(女子)「あ、はい。今日は役場の採用面接なんです!」
(支部長)「え?」


なんと、役場の採用面接を受けに来ていた若い女性だった。とてもハキハキして好感の持てる女性だった。

(支部長)「私なら、即、採用やな」

でも、そんなに大勢の学生が採用面接を受けに来ているとは思えないので、車が多いのは別の理由がありそうだ。

天気はだんだん良くなり、青空も見え始めた。かと言って炎天下になりそうな気配もなく、ちょうど良いマラソン日和になってきた。
そうなると、ウェアを考えなければならない。ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ

(支部長)「今日は何を着るんかな?」
(幹事長)「こんなに良い天気になるとは思ってなかったなあ」


今日は雨対策ばかり考えていたから、晴れ間が見え始めた事に戸惑ってしまう。
そうは言っても、炎天下にはなりそうにない。雲一つ無い快晴で太陽がギラギラ照りつけてくるのなら、薄手の袖無しランニングシャツなんかが欲しいところだが、そこまで暑くはならないだろうから、普通に半袖Tシャツ1枚でいいだろう。
今日、持ってきたのは2013年の丸亀マラソンでもらった青いTシャツだ。

(ピッグ)「マラソン大会を自主開催する時は、その大会でもらったTシャツを着ないとダメだって言ってましたよね」
(幹事長)「しもた!忘れてた」
(支部長)「記憶力がゼロになりかかっとるで」


ピッグと支部長は、ちゃんと脱藩マラソンでもらったTシャツを着ている。

下は練習の時にいつも履いている短パンを履いた。これは短いから、暑い時でも走りやすい。
タイツは、最近は筋肉の疲労防止のために寒い時期ならタイツを履くが、今日はタイツを履くと暑すぎるので脹脛サポーターを履いた。
ピッグやD木谷さんも脹脛サポーターを履いているが、支部長はタイツを履いている。支部長はアームカバーまで付けている。

(幹事長)「それ、暑いやろ?」
(支部長)「どっちにしても暑いんやってば」


日差しはきつくないので、嫌いなランニングキャップは被らない。
自主開催なので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。水分を持って走るには、トレランリュックか飲料ボトルホルダーかの選択になる。
私は腰に着ける飲料ボトルホルダーは揺れて気になるので、これまでトレランリュックを使っていたが、今回、新しい飲料ボトルホルダーを娘にもらったので、それを使ってみる。
支部長は今日もトレランリュックを使い、D木谷さんとピッグは飲料ボトルホルダーだ。のらちゃんは小さなウエストバッグに無理やりペットボトルをねじ込んでいる。
そのほか、顔を拭くハンドタオルティッシュのほか、念のため足攣り防止用のドーピング薬2RUNも入れた。

準備が整ったら団旗を持って記念撮影だ。

天気が良くなりやる気が漲る参加メンバー
(左から支部長、のらちゃん、D木谷さん、幹事長、ピッグ)


記念撮影をしてたら、おばちゃんが団旗を覗き込みながら聞いてくる。

(おば)「今日は何があるんな?」
(支部長)「マラソン大会の自主開催です」
(おば)「ふ〜ん。どこ走るんな?」
(支部長)「脱藩マラソンのコースです」


おばちゃんは全く理解できてなかった。話を聞くと地元の人ではなく、愛媛県から来ているとの事で、梼原町の役場とか図書館とか建物を見に来ているらしい。
梼原町には雲の上のホテルとか、珍しい建物がたくさんあるので、それらを見学するために、多くの観光客が来ているのだそうだ。それで役場の駐車場に車がいっぱい停まっているのか。知らなかった。

準備が終わったところで、コースを周知する。コースは去年と同じで、汗見川マラソンと同じように川に沿って遡る単純なコースのようなイメージがあるが、割と分かりにくいコースなので、詳しく説明する。
橋を何度か渡って対岸に移動するんだけど、その道が分かりづらい。
まず、トンネルを2つ通って急坂を下ってしばらく行ったところで、川の西側に行くために橋を渡るのだが、去年は渡る橋を間違えてしまった。間違っても距離はほとんど同じなので実害は無いが、できれば正式なコースを走りたい。
その後、川の東に戻るために再度橋を渡るのだが、これまた去年は間違えてしまった。ここも間違っても距離はほとんど同じなので実害は無いが、できれば正式なコースを走りたい。
これらの橋は、当然、帰りも渡るのだが、帰りもかなり分かりにくい。ただ、曲がる箇所の道路には消えかかった矢印が薄っすらと残っており、それを読み取れれば間違わないだろう。
また、折り返しの前後の3kmほどの区間は、盲腸のように集落に入ってグルっと回ってくる分かりにくいコースであり、そこも間違えやすい。
のらちゃん以外は、みんな参加した事があるから初めてではないんだけど、いつもはスタッフが誘導してくれるから、ボウっと走っていても間違うことはないが、スタッフがいない今日は注意しないと間違った方向へ行ってしまう。

(のら)「そんなややこしいコース、絶対に分かんないよ」
(幹事長)「落ちこぼれないで誰かに付いていったら大丈夫」


とは言え、北山林道駆け足大会では、みんながコースを間違えた時に、唯一初参加でコースを知らないはずののらちゃんが間違いを指摘してコースに復帰できたから、大丈夫だろう。

なお、地図で入念に確認したところでは、このコースはハーフマラソンの21.0975kmより500mくらい長いようだ。以前、支部長がGPS付きの時計を着けて走って確認した時も、そういう結果になった。
普通のマラソン大会のように折り返し点で引き返してくるコースなら、折り返し点を設置する場所によって正確に距離を調整できる。しかし、このコースは一方通行の周回コースになっているから、正確な距離調整ができないはずなので、大きな誤差があっても不思議ではない。
ま、しかし、どっちにしても良いタイムが出るようなコースではないから、細かいことを気にする必要はない。


〜 スタート前 〜


スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。特に、このレースは坂が厳しい過酷なコースだから、他のレースとの比較は意味が無い。

なので、目安はあくまでも過去のタイムだ
この大会は、過去5回出場したことがあるが、そのうち4回はフルマラソンなので比較できない。唯一ハーフマラソンに出たのは2015年で、その時のタイムは2時間2分だった。
普通のマラソン大会なら大惨敗タイムだが、この過酷なコースを考えると、2時間を切るのは不可能に思える。そもそも脱藩マラソンに限らず、汗見川マラソンや酸欠マラソンも含め、夏場の山岳マラソンで良いタイムが出る訳がない。
なので、一応、目標は2時間を目安とするが、絶対に無理だろう。

そもそも、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは難しい
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと思うが、そうは言っても正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。

事実、去年も自主開催だったが、2時間11分という目を覆いたくなる大々惨敗タイムだった。去年は病み上がりでロクに練習もできてなかったので仕方ない面もあったが、それにしても情けないタイムだ。
今年も10月に入って長期の登山遠征に行き、あんまり練習ができなかった。特に、長い距離は全然走れてなくて、21kmも走れるかどうか不安だ。最後まで歩かずに完走できればいいのだが。

(支部長)「このコースで歩かずに完走は不可能や」
(幹事長)「最後の激坂が関門やな」


関門は終盤の17km地点から1kmほど続く驚異的に厳しい激坂だ。疲れて足がパンパンになったところに強烈な坂があるから、大半のランナーは歩いてしまう激坂だ。
コースがあまりにも過激なので、今日の戦略は自然体で思うままに走っていくことにした。

(ピッグ)「前半に調子に乗って飛ばして終盤に失速するという、今まで何百回も失敗したパターンですか?」
(幹事長)「このコースでは、いくら調子に乗っても飛ばすのは不可能やろから、無理はしないよ」


気になる支部長の動向だが、前半は初参加でコースを知らないのらちゃんと一緒に走ってあげるのだそうだ。
支部長が前半からトップを独走する展開にはならないようだが、最後まで失速しないのらちゃんと支部長がタッグを組めば脅威だ。


〜 スタート 〜


いよいよ10時になり、主催者の幹事長からありがたいお言葉を頂いて開会式が10秒ほどで終わり、支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。
天気は雲の合間から時折り晴れ間が覗くという、暑くもなく寒くもない絶好のマラソン日和だ。

例年なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、今日は参加メンバー5人の自主開催だから、取りあえずは何も考えずに自然体で走る
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。

町中心部の狭い道を少しだけグルッと回った後、広い幹線道路に出る。

(幹事長)「帰りは、ここを入っていくから間違えたらいかんよ」
(のら)「は〜い」


私なら間違えそうな箇所だが、彼女はこういう所で絶対に間違えないから不思議だ。

最初はほぼフラットだが、1kmほど走ったところで上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、序盤から無理して頑張ると終盤に撃沈するので、ペースを落としたいところだ。
去年は序盤に支部長と競り合って消耗したが、今日は支部長はのらちゃんにコースを教えながら最後尾で走ってくるから競り合う心配は無い。ちょっと一安心だ。

と思ったら、今年はD木谷さんが後ろにピタッと着いてくる。以前はD木谷さんは前半は最後尾で走り、後半にみんながペースダウンし始めた頃にどんどん追い抜いていくというレースパターンが多かった。彼はスタミナがあって終盤になっても崩れないから、どんどん逆転されていくのだ。
ところが、最近のレースでは、前半のうちから飛び出して先行逃げ切りパターンで優勝する事が多くなった。今日もそんな感じだ。
しかし、さすがにこんな序盤でリードを許したら絶対に挽回できないので、今日は抜かれてはなるものかと必死で頑張り、二人で競り合う。さらにピッグも一緒に着いてくる。

2kmほど走ったところから、坂の傾斜は一気に強まり、激坂になってくる。少しペースダウンしていくのが自分でも分かる。
するとD木谷さんが力強い走りで前に出る。ここで早々に追い抜かれるのは避けたかったが、あんまり無理すると自滅するのは目に見えているので諦めた。
ピッグは前に出ず、私に着いてくる。

すると、突然、後方からガシャンという音がする。

(幹事長)「何があったんかな!?」
(ピッグ)「誰かペットボトルを落としたようですよ」


去年はトンネルの中で支部長が転倒してあわや大惨事の怖い目にあったので、その記憶が生々しく蘇ってきてドキッとした。
今回は、小さなウエストバッグにペットボトルをねじ込んでいたのらちゃんがペットボトルを落としただけだったので一安心した。

激坂を1kmほど登ると、ピークを迎え、トンネルに入る
トンネル内はフラットだし、涼しくてホッとするが、このトンネルは照明が無く、真っ暗だ
去年は、この真っ暗なトンネルで支部長が歩道から転落して車道に転げ落ちたので、できるだけ注意して走るんだけど、明るい外から入ってきたからほとんど前が見えず、闇に吸い込まれていきそうでクラクラする。本当に危険だ。

トンネルを出ると緩い下りになって、やっと軽快に走れるようになってくる。
さらに少し進むと再びトンネルがあり、そのまま緩い下り坂が続く。このトンネルの中も暗くて、下り坂だからと言ってあんまりスピードを出すのは危険だが、このトンネルの歩道は幅が広いので少しマシだ。

トンネルを抜けると、傾斜は一気に強まり、強烈な下り坂となる。帰ってくる時は誰もが歩いて上る壁のような激坂だ。
下り坂とは言え、ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから自重しなければならない坂だ。
とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、割りと難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。
金さんなんかは「小股でチョコチョコと走るのが良い」ってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。
それに、今日はフルマラソンじゃなくてハーフマラソンなので、あまり気にせず、飛ばせる所は飛ばせば良いと思ってガンガン走って下る
下り終わって後ろを振り返ると、支部長とのらちゃんは少し離れているが、一緒に走ってきているので、特にトラブルは無いようだ。

下り坂をガンガン走り終えると、ようやくフラットになり、四万十川の支流の四万川川(しまがわかわ)に沿って走る県道2号線に出る。
スタートから5kmほど走ったところで、幹線道路の県道2号線から橋を西側に渡って対岸の狭い道に移動する
この辺りには橋が3本かかっていて、去年は間違って1つ目の橋で渡ってしまったが、正しくは3つ目の橋で渡らなければならない。スタート前に口を酸っぱくして説明した場所だ。
それなのに、1つ目の橋のところで少し前を走るD木谷さんが私を振り返って確認しながら渡ろうとする。

(幹事長)「違います。まだ先ですよ」

2つ目の橋は、いかにも地元住民しか渡らないような狭い小さい橋なので間違う心配は無い。
と思ったら、なんとD木谷さんがまたまた渡ろうとして入っていく。

(幹事長)「違う違う、まだまだ先でんがな!」

よっぽど早く渡りたいようだ。
少し進むと、ようやく3つ目の橋が現れる。ここは真っすぐ進む道が通行止めになっていたので、間違えようがなく、この橋を渡らざるを得ない。
道の表面を注意深く見ると、橋の東側にも西側にも、薄っすらと微かに矢印が残っていたので、これが正式なコースだという事を確認できた。
スタートからここまで距離は5kmちょっとで、タイムは30分ちょっとかかっているから、1km平均6分近いペースだ。去年とほとんど同じで、とっても遅いペースだ。

橋を渡った対岸の道は道幅が狭く、林道のような雰囲気だ。交通量は皆無だから走るのは安心だが、アップダウンがある。
しかしD木谷さんは多少の上り坂は気にすることなくガンガン上っていき、徐々に引き離されていく。
前半で頑張りすぎると後半に撃沈するのは分かっているが、まだ前半なのにあんまり離されると、後半で逆転することが難しくなるので、とりあえず一生懸命頑張って着いて行く。ピッグも一緒に着いてくる。
天気は悪くはないが、日差しは強くない。それほど暑くはないから走りやすい。

9kmほど走ったところで再び橋を渡って川の東側に移動し、県道2号線に復帰する
去年はここでも勘違いして、本来、渡るべき橋より手前の1つ目の橋を渡ってしまったが、先行するD木谷さんはここでは間違えずに、1つ目の橋をスルーしてちゃんと2つ目の橋を渡った。

そこから少し走ると、県道304号線に入っていく分岐がある。
普通のマラソンコースのように折り返し点で折り返すのではなく、集落の中をぐるっと一方通行で周回して帰ってくるコースなので、その集落へ入っていく道への分岐だ。
ハーフマラソンのコースは、この分岐を右折して集落に入っていくが、我々が走り慣れたフルマラソンのコースは、そのまま真っ直ぐ四万川川を遡っていくので間違えやすいところだ。なので、スタート前に口を酸っぱくして説明した。

それなのに、D木谷さんは分岐をチラッとは見たものの、そこで右折せず、そのまま真っすぐ走っていってしまった。私も絶対的な確信は無かったので、分岐で立ち止まって確認してみる。
確かに、思ってたより道は狭いので、入っていくのは少しためらわれる。でも、この先を真っすぐ進んでも分岐は無さそうだ。

(幹事長)「ここで曲がると思うんやけどなあ」
(ピッグ)「そうですねえ。そんな感じですよねえ」


取り合えず少し先へ行ってしまったD木谷さんを呼び戻す

(幹事長)「ここで曲がるんだと思いますよ」
(D木谷)「そうでしたかねえ。フルマラソンでは真っすぐ走って行くので分かりませんでした」


相談していると、少し後ろを走ってきた支部長とのらちゃんも追いついてきた。

(のら)「待っててくれたん?」
(幹事長)「いや、悩んでただけや」


全員がほぼ一緒なって再スタートだ

ここも、かなりの傾斜がある上り坂だ。フルマラソンのコースも、復路ではこの集落に入っていくが、激坂のコースを30kmほど走った後の上り坂なので、完膚無きまでに叩きのめされるのが常だ。ただ、今日はハーフマラソンなので、それほど苦しくはない。
ここでD木谷さんが再び前に出る
普通なら、コースを間違えて余分に走ってしまうと疲労感が増すところだ。北山林道駆け足大会では、トップを走っていた支部長がコースを間違えて余分に走ってしまい、それをきっかけにトップの座から転げ落ちてしまった。
ところが今日のD木谷さんは、そんな些細なトラブルは物ともせず、あっという間にトップに復帰した。
離されまいとして頑張って走ってみるが、D木谷さんは力強い走りを続け、ジワジワと差が広がっていく。ピッグは相変わらず私のすぐ後ろを着いてくる。

上り坂が終わると、前方に橋が見えてくる。この橋を渡って対岸に移ると復路となる。この橋でスタート地点から約11kmだ。
川を渡ると後方が良く見える。少し後ろを支部長とのらちゃんが一緒に走ってくる。足取りはしっかりしているから要注意だ。
と思ってたら、なんと、すぐ後ろを走っていたピッグが前に出てきてた。こんな所で抜かれる訳にはいかないと思って頑張ってみるが、少しずつ差を付けられていく。あかんがな。

集落コースが終わって本道に戻ると、後半は基本的に緩やかな下り坂となる。ただし、全体としては緩やかな下りだが、時々、上り坂もある。
橋を渡って対岸の狭い道に入っていくと、狭いクネクネ道なので、D木谷さんの後ろ姿が見えたり隠れたりになってくる。
せめて、すぐ目の前のピッグには引き離されたくないが、なんとなく差が開いていく。みんながペースアップしているとは思えないから、私がペースダウンしているのだろう

おまけに、なんと、後ろを走ってくるのらちゃんの足音が聞こえてきた。しかも着実に近づいてくる。のらちゃんが近づいてきたという事は、たぶん支部長も一緒に近づいてきているって事だ。
さすがにお尻に火がついて気合が入り、なんとかペースを上げる。
先行するランナーの姿はよく見えないんだけど、時折りD木谷さんの後ろ姿がチラリと見えたりする。意外に、それほど差は付いていない。
これで一気にやる気が復活してきた。必死で頑張って走っていると、ピッグとの距離が少しずつ縮まってきた。そして、遂にピッグを捉え、そのまま抜き去った
一方、後ろから迫ってきていたのらちゃんの足音は遠くなり、聞こえなくなった

そして、D木谷さんも後姿もだいぶ近くなってきた。ほとんど追いついた時に、ちょうど再び橋を渡って県道2号線に復帰するポイントになった。
すると、なんとD木谷さんは、またまた道を間違えて、橋を左折せずに真っすぐ進もうとするので、慌てて呼び戻す。

(幹事長)「よく間違えますねえ」
(D木谷)「矢印が見えなかったんですよ」


確かに矢印は薄く消えかかっているので、矢印に頼りすぎると間違えてしまいがちだ。
て事で、すぐ後ろを走っていたピッグも合わせて、3人一緒に橋を渡って川の東側の県道2号線に復帰した。
すぐ後ろからはのらちゃん達も迫ってきているので、ほとんど全員が一緒になった

(幹事長)「これは熾烈な争いになりましたねえ。最後の壁のような坂を歩かなかった者の勝利ですね」
(D木谷)「そうですね」


せっかく、さっきまで気合が入ってトップに立ちかけたのに、ちょっとダレてしまって再びD木谷さんがトップとなり、その後にピッグが続く
とは言え、3人の差はそれほど大きくはない。さらに後ろののらちゃんとも大した差はない。たぶん、そのすぐ後ろには支部長がいるだろうから、少しの差で5人が並んで走っている状況だ。
これくらいの差は、最後の激坂で簡単に引っくり返るだろう。珍しく全員揃ってのデッドヒートだ。なんとしても歩かずに頑張らなければならない。

そのままの状況で走って行くと、遂に最後のめちゃめちゃ急な上り坂が現れた
序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急な下り坂を、今度は反対に上らなければならない。フルマラソンの時は問答無用で歩かざるを得ない激坂だ。
だが今日はハーフマラソンなので、それほど疲れ切ってはいないので、頑張って走り続ける
この上り坂は距離が長く、ずっと前方まで見える。なので先行するランナーの様子が良く分かる。
すると、D木谷さんもピッグも歩かずに走り続けている。みんな走り続けているって事は、なかなか順位に変動は起きそうにない。
それでも後ろには支部長たちが迫ってきているはずなので、諦めて歩く訳にはいかない。

すると、後ろから迫ってきていた足音が急に聞こえなくなった。後ろを振り返って確認すると、なんとのらちゃんが歩いている支部長も姿も見えない。二人とも力尽きたんだろうか。
こんな激坂は走ろうが歩こうがスピードはあんまり変わらないんだけど、それでも走れば少しは歩くより速いので、差は着実に開いていく。これで彼らには勝ったも同然だ
この坂はかなり長くて、炎天下のレースになると、暑さと坂の厳しさで頭がクラクラして気が遠くなる。
でも、今日はそれほど暑くはないから、さほどバテず、途中で歩きたくなったりはしない。

前方を見ると、先行する二人はトンネルに達し、相次いでトンネルの中に入っていく。なんとなく差は開いているようだ。
それでも諦めずに走り続け、ようやく自分もトンネルに入る。行きと同様に、中は真っ暗なので二人がどこにいるのかよく分からないが、前方に小さな影は見える。
トンネルの中では坂は緩やかになるので、頑張ってペースアップして走るが、先行する二人も同じようにペースアップしているようで、後姿はどんどん小さくなり、トンネルを抜けてしまった。

しばらくして私もトンネルを抜けると、まだまだ上り坂は続いている。そして先行する二人は2つ目のトンネルに入っていこうとしている。
私も続いてトンネルに入る。真っ暗で歩道が狭いトンネルだ。歩道から転落しないように足元を見ていると、あまりにも暗くて何も見えなくなってしまう。むしろ遠方の出口の方を見た方が目がクラクラしなくて済む。
ここはほぼフラットなので、転落には注意しながらもペースは上げなくてはならない

誰が誰かは分からないが、前方の二人はトンネルを抜けたようだ
私も続いてトンネルを抜けてビックリ。そんなに離れてはいないと思った二人の姿が見えない。二人ともトンネルを抜けて上り坂が終わったら、猛然と走っていったようだ。
全く後ろ姿が見えなくなったので、もう絶対に追いつくことは不可能だろう。

残りは2kmちょっとだし、下り坂なので、一気にガンガン走って終わりたいところだが、先ほどの激坂の上りを頑張って走って上ったせいで、下り坂なのに足が思うように動かない。はがゆいばかりだ。
前の二人には追い付けないだろうし、後ろの二人には大差を付けているし、もう頑張るモチベーションが無くなった

なーんて油断してたら、なんと!後ろから激しい足音が一気に迫ってきた。誰かと思って振り返って見ると、なんとのらちゃんが猛然と駆け下りてきた
あんなに歩いて上っていたのに、下りになったとたん一気にペースアップしたようだ。
私は、さきほどの過激な上り坂で必死で走ったせいで、もう足が動かなくなったのに対し、のらちゃんは上り坂を歩いたから足が温存できていて、そのおかげで下り坂になったとたんに激走できるのだろう。
考えてもなかった事態に慌てふためいたが、彼女はあっという間に私に追いつき、あっという間に軽々と抜き去って走り去った。ものすごいスピードの差で、どうあがいても付いていける状態ではない。

愕然としながら、走り続けるが、どうしても足が動かない。もう限界のようだ。下り坂なので、なんとか走り続けられるが、ペースはどんどん落ちていってるようだ。
ここまで来たらゴールは近いと思うんだけど、思いの外、距離が長い。いつまで経ってもゴールにならない。


〜 ゴール 〜


いい加減ウンザリした頃に、ようやく町中に入っていく分岐が現れた。そこを左に曲がって再び右に曲がるとゴールが見えてくる
ゴール前の最後の最後は再び急な上り坂なのでゲンナリするが、大した距離ではないので、なんとか歩かずにゴールした。

ゴール横では、早々にゴールしたD木谷さんがスマホを構えて待っていてくれて、写真を撮ってくれた。
ゴールタイムは2時間4分ちょっとだったので、2015年の公式タイムよりは2分遅かったが、去年よりはだいぶマシだった。でも、最後の最後でのらちゃんに抜かれたのがショックで、ガッカリだ。

しばらく待っていると、支部長も戻ってきた。意外に私との差は少ない。

(支部長)「幹事長の後姿が見えたから追いつけるかなと思ったけど、無理やった」
(幹事長)「ぞぞぞ!」


危うく支部長にも抜かれるところだった。油断したら危ない危ない。

結局、トップはD木谷さんで、その後、ピッグ、のらちゃん、私、支部長とゴールしたが、それぞれの間隔は同じようなものだった。


〜 反省会 〜


走り終わったら、温泉だ。近くの雲の上のホテルの温泉へ行く。本大会の時はランナーが殺到して、入場するのを待たされるが、今日はすぐに入れた。
気持ちよく露天風呂に入って疲れを癒した。

温泉の後は自由軒にラーメンを食べに行く。人気の店とあって、日曜日の昼下がりは大変な混みようで、ずいぶん待たされた。
自由軒と言えば味噌カツラーメンだ。美味しく頂き、満足だ。

お腹を満たしながら、反省会を開く。

(幹事長)「最後の壁のような激坂の前では、それほど差は無かったのに、その後で大撃沈してしまったなあ」
(支部長)「幹事長だけが撃沈してたな」

みんな最後までスピードを維持していたのに、私だけが大失速してしまった
残り5km地点まではなんとか頑張れたんだけど、それが限界だったようだ。明らかに練習不足のせいだ。

(D木谷)「来年は正式大会が復活しますかねえ?」
(幹事長)「さすがに復活するんじゃないですか」
(D木谷)「そうなると、またフルマラソンにしますか?」
(幹事長)「ここのフルマラソンは一昨年卒業しました!」


このコースのフルマラソンの辛さを考えると、来年、正式な大会が復活しても、もうフルマラソンは止めてハーフマラソンを楽しく走りたいと思う。
以前は、なんとなくこのマラソン大会はハーフマラソンでは物足りないような気がしてたけど、それはフルマラソンとの比較においてそう感じていただけで、ハーフマラソンのコースも、これはこれでなかなか厳しく、変化があって面白いコースだ

(幹事長)「楽しいコースだよねえ」
(支部長)「いや、決して楽しいコースとは思わないぞ」

ただ、今はそう思ってても、いざエントリーする時になると、ついつい心が揺れ動いて、再びフルマラソンにエントリーしてしまう可能性も無くはない。

(幹事長)「みんなでフルマラソンに再チャレンジする?」
(支部長)「絶対に嫌!」


来週は、当初予定を今日の脱藩マラソンと入れ替えた酸欠マラソンだ。
子持権現山登山もセットの楽しいイベントだ。

(支部長)「怖いのは絶対に嫌やで!」


〜おしまい〜




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