第15回 高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治(自主開催)
2020年10月25日(日)、高松市庵治町において第15回高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治(庵治マラソン)が開催される予定だった。
庵治マラソンは、私たちにとって一番身近な場所で開催される貴重なマラソン大会だ。そのため2006年の第1回大会から2012年の第7回大会まで毎年参加していた。
ただ、その後は他のマラソン大会なんかと日程が重なったり、台風で中止になったりして、あまり参加できていなかった。特に2013年から始まったサイクリングしまなみとは日程が重なる事が多い。
そのため、2012年以降は2016年の第11回大会と2019年の第14回大会にしか出られなかった。
サイクリングしまなみは2年おきに開催されており、今年も開催される予定だった。そして、今年も日程が重なりそうだったので、この庵治マラソンには出られないかなと思っていた。
それなのに、ああ、それなのに、なんと今年は新型コロナウイルス騒ぎのせいでサイクリングしまなみも庵治マラソンも中止になってしまった。
事の発端は3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、3月22日の徳島マラソンが中止になった頃から雲行きが怪しくなってきた。全国的にマラソン大会が次々と中止になり始めたのだ。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
(ピッグ)「この説明、もう飽き飽きしましたけど」
(幹事長)「腹が立って仕方ないから、自主開催を続けているうちは、いつまでも書くぞ」
素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないと走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外では感染しない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。
(幹事長)「アメリカのトランプ大統領やブラジルのボルソナーロ大統領も感染したけどすぐに恢復したし、
ベラルーシのルカシェンコ君に至っては感染したけど無症状だったやろ?
ただの風邪なんだよ」
(ピッグ)「アクが強い人はコロナにも強いんですかね。幹事長も強そうですね」
多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。
もちろん、大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、僕も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。
そして、恐れていた通り、その後は5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままでは今年はマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。
って嘆き悲しんでいた時、ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。
(ピッグ)「もう、この話は聞きたくないです」
(幹事長)「最初に聞いたときは感動したからなあ」
5月のオリーブマラソンや6月の北山林道駆け足大会や7月の汗見川マラソンや8月の酸欠マラソンや9月の脱藩マラソンの記事にも書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。
(ピッグ)「中止になった大会をペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え?」
あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。
(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたよ」
23年前に我々がペンギンズを立ち上げた時、クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだ。
と感心していたのだが、5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
つまり、マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。
(ピッグ)「だから、もう分かったって言ってるでしょ」
てなわけで、今年は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった。
その第1弾が5月17日に開催したサイクリングイベントの第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソン、8月の酸欠マラソン、9月の脱藩マラソンを自主開催してきたが、これらもとても楽しくて大成功だった。
これらに続く自主開催マラソン大会の第6弾が今回の庵治マラソンだ。
本来、庵治マラソンが開催されるはずだった10月25日は、サイクリングしまなみの代替となる自主開催サイクリング大会として阿蘇山一周サイクリングに行ったため、今回の庵治マラソンは11月8日の開催とした。
自主開催は自由に開催日を設定できるから、とても便利だ。みんなの都合が良い日を選べばいいし、天気が悪ければ延期するのも自由だ。
今回、参加するのは私のほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、加藤選手、のらちゃんだ。
加藤選手は自主開催シリーズ初参加だ。庵治マラソンは開催場所が近いし、距離が12kmと短いので参加したものだ。
のらちゃんは今年2月の丸亀マラソンで足を故障し、長期休養というか療養を余儀なくされていた。9月頃からようやくランニングを再開できるようになったため、今回、久しぶりに実践に復帰するものだ。
〜 自主開催シリーズの戦績 〜
ここまで自主開催シリーズのマラソン大会は5月以来、毎月1回ずつ、計5戦開催してきた。
(支部長)「結果は私の圧勝やったな」
(幹事長)「きーっ、悔しいっ!」
これまでの5連戦の勝敗は、我々とは次元の異なる高速ランナーである田村選手を除くと、以下のようになる。
[5月:オリーブマラソン] 1位:D木谷 2位:支部長 3位:幹事長 4位:ピッグ
[6月:北山林道駆け足大会] 1位:支部長 2位:D木谷 3位:ピッグ 4位:幹事長
[7月:汗見川マラソン] 1位:支部長 2位:幹事長 3位:D木谷 4位:ピッグ
[8月:酸欠マラソン] 1位:幹事長 2位:D木谷 3位:ピッグ 4位:支部長
[9月:脱藩マラソン] 1位:D木谷 2位:支部長 3位:幹事長 4位:ピッグ
1位:4点、2位:3点、3位:2点、4位:1点で得点付けすると、D木谷さん:16点、支部長15点、幹事長:12点、ピッグ:7点で、それほど差が無いように見えるが、私と支部長との対戦だけを見ると、支部長が4勝もして圧勝だ。私が唯一勝利したのは、スタート直後から急登が始まる酸欠マラソンだけだ。
一方、目を覆うのはピッグの体たらくだ。ピッグと支部長と私は永遠のライバルで、20年以上前からレースのたびに勝ったり負けたりしてきた。
それなのに今年の自主開催シリーズでは5戦中最下位が3回、ブービーが2回という目を覆うばかりの体たらくだ。
最下位じゃなくてブービーだったのは、私が体調不良だった北山林道駆け足大会と支部長が体調不良だった酸欠マラソンだけだ。
これはピッグの力が落ちてきたのではなく、完全にやる気の問題だ。
(幹事長)「舐めとんか」
(支部長)「やる気あるんか」
(ピッグ)「ちょっと遅れると、もうやる気が失せてしまって」
そもそも、今年の自主開催シリーズを発案したのはピッグだ。
(幹事長)「それなのに、やる気が失せるってどういうことや!?」
(ピッグ)「根本原因は練習不足ですかねえ」
確かに、支部長に比べたらピッグの練習量は圧倒的に少ない。
支部長の練習量は豊富だ。豊富すぎると言っても過言ではない。基本的に毎日10km走って、その後、1km泳いでいる。もちろん、色んな用事でトレーニングできない日はあるがコンスタントに月間200kmは走っている。
これは、昨年12月と今年の1月に連続して月間300km走ったおかげで2月の丸亀マラソンで快走した私を見て、それを参考に心を入れ替えた成果だ。
私は、その達成感から油断してしまい、その後は一気に練習量が落ちてしまったのに対して、支部長はそれ以来、ずっと月間200kmを継続している。しかも、フラットなコースだけでなく、峰山の上り坂を積極的に取り入れた効果的なトレーニングを続けている。
とは言え、ピッグの練習量不足は今に始まった事ではない。以前から決して練習量が豊富だった訳ではない。それでも本番のレースでの結果は悪くなかった。
(支部長)「練習不足というよりは、やっぱりやる気の問題やな」
(ピッグ)「すんませーん!」
私は、と言うと、7月の汗見川マラソンで2位になり、8月の酸欠マラソンではようやく1位になったのだが、その直後の8月末に急遽、手術して入院し、療養生活を余儀なくされた。
そのため、しばらく練習もできなかったことから、9月の脱藩マラソンでは3位に沈んだ。
あれから1ヵ月以上経ったため、もう病み上がりとは言えないんだけど、一度落ちた脚力はなかなか回復せず、スピードは落ちたままだ。
(ピッグ)「なんて言いながら、登山には行きまくってますよね」
(幹事長)「だって楽しいんだもーん」
(ピッグ)「そのせいで庵治マラソンが11月にずれ込んだんですよね」
9月末に脱藩マラソンを開催した後、10月上旬には磐梯山を始めとする東北地方の山々に遠征に行き、10月末から11月初めにかけては山梨や長野の山々に遠征に行った。
それらの登山遠征の間には、阿蘇山トレラン登山や里山登山が入ったりしてたため、今回の庵治マラソンの開催が11月になったものだ。
(ピッグ)「登山はマラソンのトレーニングにもなるんですか?」
(幹事長)「なりませーん」
登山でスタミナは付くから、心肺機能という面ではマラソンにも役立つと思うんだけど、登山とマラソンでは足の筋肉の使い方が違うから、脚力を鍛えるという意味では、ほとんど何の役にも立たない。
もちろん逆も同じで、ランニングを鍛えても登山に役に立たない事は、三嶺登山や大山登山で支部長がヒィヒィ言ってたことで証明されている。
なので、登山も行きながら合間ではランニング練習もしっかりやっておかなければならないんだけど、疲労がたまってくると、ついついサボりがちになる。
(幹事長)「ま、今年はマラソン大会が軒並み中止だから、いいじゃない」
(ピッグ)「幹事長こそ自主開催シリーズに真剣に取り組んでくださいね」
〜 会場へ出発 〜
庵治マラソンは会場が庵治町で近いので、必ずしも全員が乗り合わせていく必要はない。のらちゃんは丸亀から車で来るので、私は彼女に拾ってもらうことにした。
また、加藤選手は単独で来るという。
(幹事長)「他のメンバーは適当に乗り合わせてきてね」
(D木谷)「あ、私も近いので単独で行きます」
て事で、みんなバラバラに現地集合することになった。
会場は旧庵治町役場だ。
集合時間は9時とした。普通のマラソン大会だと、まだまだ寒い早朝に起きて、体がしゃんとしないまま出発しなければならないが、自主開催だとスタート時刻も自由に設定できるから、とてもゆったりできる。
のらちゃんと一緒に到着して待っていると、なんとD木谷さんが自転車でやってきた。ウェアもロードバイク用ウェアでバッチリ決めている。
(幹事長)「あわわわ、自転車で来たんや!」
(D木谷)「近かったので」
(幹事長)「そういう意味やったんか!」
私には自転車で来るなんて発想が無かったから、想像もできなかったが、考えてみれば、距離も近いし、今日はとても良い天気なので、自転車で来れば楽しかっただろうなあ。
その後、支部長、ピッグ、加藤選手もやってきて、全員、集合した。
天気予報どおり、朝から良い天気だが、11月に入っているので気温はそんなに高くはない。気持ちの良い秋晴れの、絶好のマラソン日和だ。
(D木谷)「自主開催シリーズになってから、ずうっと天気が良いですよね」
(幹事長)「ひとえに私の善行のおかげですね」
これまで自主開催シリーズ6戦は、いずれも参加希望者の都合が良い日に開催してきた。
自主開催なので天気が悪そうな時には延期すればいいんだけど、結果的に当日の天候は全て絶好のマラソン日和だった。
(幹事長)「私のおかげに間違いないだろう?」
(ピッグ)「ハイハイ、そういう事にしときましょ」
ただ、個人的には、本当は、もっと暑くなってもいい。もともと私は猛暑の炎天下に走るのが好きだ。寒い中を走るよりは暑い中を走る方がよっぽど楽しい。
(支部長)「タイムは悪いけどな」
もちろん、タイムの事を言えば寒い冬場のレースの方が良いタイムが出る。
厳冬期に開催される丸亀マラソンなんか、雪が降ることもあるが、風さえ無ければ寒ければ寒い方がタイムは良い。季節的には11月から3月くらいまでのマラソン大会が良いタイムを期待できる。
でも、炎天下のレースの方がタイムは悪くても楽しい。
〜 コース 〜
みんな集合したところで、コース確認をしなければならない。
庵治マラソンのコースは12kmだ。
なぜクォーターマラソンっていう名前が付いてるのに1/4の10.5kmじゃなくて12kmかと言うと、実は、かつて庵治町が存在していた時は庵治マラソンのコースは10kmだった。これならクォーターマラソンと言える。
一方、その頃、高松市は屋島の周りを一周する12kmコースの屋島一周クォーターマラソンてのを開催していた。
庵治町が高松市に吸収合併された時に、この2つのレースが合体したのだが、場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周クォーターマラソンの12kmを引き継いだ。
その結果、以前の庵治マラソンのコースに比べ、折り返し点まで1km、往復で2kmの延長となった。
(のら)「あれ?おかしいよ。場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周と同じ12kmにして、名前は両方の合体って事は分かるけど、
そもそも屋島一周の頃から、12kmなのに、なんでクォーターマラソンって名前だったの?」
(幹事長)「それが謎なんよ」
なんで12kmなのにクォーターマラソンて名前だったのかは、今となっては不明だ。屋島を一周するコースなので距離を短くすることはできなかったが、フルマラソンの1/4より多少は長いとは言っても、それほど大きく違うわけでもないからって事で、適当に着けたんだろう。
合体した後にクォーターマラソンて名前を受け継ぐんだったら、距離は以前の庵治マラソンのままで良かったと思うのに、わざわざ12kmに延ばしたってのも意味不明だが、合併に伴う役所同士の魑魅魍魎としたバトルがあったのかもしれない。
庵治マラソンのコースは、会場の旧役場から少し走って、庵治半島の沿岸を走る県道36号線に出たら、そのまま沿岸を6km走って折り返してくるというシンプルなコースだ。太い脇道や交差点が無いから、とても分かりやすいコースだ。
ただ、終盤は周囲に何の建物も無い森の中を走る道になるので、折り返し点の目印になるものが無い。本番のマラソン大会の時は折り返し点の三角コーンが立っているが、自主開催だと何の目印も無い。
なので、全員でピッグの車に乗り合わせて、折り返し点の確認に出発する。私が地図で距離を厳密に測定し、折り返し点を特定しているので、みんなで現地確認した上で、木の枝か何かにリボンか何かの目印を付けてこようというのだ。
屋島一周クォーターマラソンの時のコースは坂がなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しい。コースは途中に坂が3つあり、それが終わると、最後に5km地点辺りから始まるラスボスの巨大な坂がある。その巨大な坂を登り切ったところで折り返してくるのだ。
かつて庵治マラソンが10kmコースだった時は、最後の巨大な坂が始まる5km地点で折り返していたため、最後の巨大な坂を走らずに済んでたんだけど、屋島一周と合体してコースが片道1km延長になったため、この巨大な坂を1kmも延々と上らなければならなくなったのだ。
これまで何度も走ってきたコースだが、こうやって車で走りながら確認すると、坂の場所などがあらためて良く分かる。
1つ目の坂は単純に上がって下るだけだ。2つ目の坂は、複合的に細かなアップダウンがあってダラダラ続く。3つ目の坂はそれほど複雑ではなく上がって下がる。
そして最後のラスボスの坂はひたすら登り続ける。1kmほど走ると、ようやくフラットになり、そこに折り返し点がある。
何か目印を付けないといけないな、なんて思ってたら、ちょうどその辺りの道路を補修したらしく、ガードレールの色が、そこだけ白から茶色に変わっていた。
(幹事長)「めちゃ分かりやすいやんか」
(支部長)「このガードレールを目印に折り返そう」
て事で、あっさりと折り返し点問題が解決した。
〜 スタート前の準備 〜
コースが確認できたので、再び会場に戻り、走る準備をする。
何を着るかは、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
(支部長)「今日も何を着るか悩むんかいな?」
(幹事長)「こんなに良い天気だと、あんまり悩む必要はないかな」
10月も末とは言え、こんなに天気が良い日だと、長袖シャツを着る必要はない。
また、いくら快晴でも夏のような強い日差しではないから、暑いって感じでもないので、オリーブマラソンで愛用している秘密兵器のメッシュシャツや、北山林道駆け足大会で着た薄手の袖無しランニングシャツなんかは不要だ。
単純に普通の半袖Tシャツで決まりだ。
(幹事長)「距離が12kmしかなくて、すぐ終わるから、何を着ても問題無いけどな」
(支部長)「いやいや、距離の長短に関係なく、何を着たってタイムに変わりはないんやってば」
着るのは、もちろん庵治マラソンのTシャツだ。紺色のTシャツに、庵治町のキャラクターのあじろう君が描かれている。
(ピッグ)「そんなTシャツありましたっけ?」
(幹事長)「あったから着てるんやがな」
(支部長)「記憶に無いなあ」
確かに、私もいつもらったTシャツなのか記憶に無い。庵治マラソンの記念品はロクなものが無いというイメージしかないから、オリジナルのTシャツがあるなんて信じられない。
庵治マラソンの前身だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、参加費が僅か1000円だったにもかかわらず、素晴らしく立派なスポーツバッグをくれたりしていた。もちろん、何かの残り物だったのは間違いないが、参加者が少ない草レースで数が少なくてもよかったから、結構、良い品をもらえていたのだ。
ところが、庵治マラソンになってからは、参加費が2500円にアップしたにもかかわらず記念品は逆にとてもセコくなってきた。以前と同じように何かの残り物なんだけど、参加者が多くなって記念品の数も多く必要になったため、ガッカリするものが多かった。
過去の記事を読み返して、庵治マラソンの記念品が何だったか確認してみると、
2006年:???
2007年:小さなペットボトルケース
2008年:爪切り
2009年:小さなポーチ
2010年:小さな屋外マット
2011年:保温マグカップ
2012年:コカコーラの小さいタオル
2016年:庵治マラソンのタオル
2017年:(台風により中止)
であった。
(のら)「爪切りなんて年があったん!?」
(支部長)「驚きやろ?コカ・コーラの景品のタオルもあったし」
(ピッグ)「で、Tシャツはいつ貰ったんですか?」
(幹事長)「それが分からなかったんよ」
可能性があるのは2006年と2017年だ。2006年の第1回大会の記事には何を貰ったか書いてない。また2017年の第12回大会は台風で中止になったので、後日、記念品を贈ってきてくれた可能性がある。
過去の記念品の変遷から考えると、2006年ではないような気がする。2006年は記念すべき第1回大会だったから、奮発してTシャツを出した可能性も否定できないが、翌年以降のショボい記念品を考えると、ちょっと考えにくい。
一方、2016年は庵治マラソンの名前が入ったタオルだった。それまでは何かの余りものをくれていたのに、オリジナルの記念品になったのだ。その延長で2017年に初めてオリジナルTシャツになった可能性がある。
(のら)「去年もTシャツだったよ」
(幹事長)「え?そうやったっけ?」
(支部長)「それは記憶に無いなあ」
(加藤)「記憶に無いですね」
ピッグとD木谷さんは去年は出てないので分からないが、参加した我々は記憶に無い。
(のら)「えんじ色のTシャツだったよ」
(幹事長)「えんじ色のTシャツはタートルマラソンじゃないか?」
(支部長)「そうやそうや、タートルマラソンと勘違いしてるよ」
とにかくみんな歳のせいで記憶力がゼロになりつつあるので、真相は分からないままだ。
下には練習の時にいつも履いている短パンを履いた。これは短いから、暑い時でも走りやすい。さらにふくらはぎサポーターを付けた。
最近はランニングタイツを履く選手が多く、今日も支部長、D木谷さん、のらちゃんはタイツを履いている。私はこれまでランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。
しかし、去年10月の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走っていた航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。
て事で、それ以来、できるだけタイツを履くことにしてるんだけど、今日はタイツを履くと暑すぎる。こんな時に重宝するのがふくらはぎサポーターだ。自分でも、いつ、どこで買ったのか忘れてしまったが、ピッグによると一昨年のサイクリングしまなみの会場で叩き売りしてたのを一緒に買ったとのことだ。
履いてみると、かなりきつくて、タイツより締め付けが強くて、なんだかすごく効果がありそうな気がする。
そのほか、みんなランニングキャップを被っているが、私は帽子が嫌いで、炎天下か雨の時しか被らないから、今日は不要だ。もちろん、こんな日には手袋も不要だ。
スタート前の緊張で厳粛な面持ちのメンバー
自主開催なので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。なので、自主開催シリーズでは、いつもトレランリュックにスポーツドリンクを入れて背負って走ってきたが、今日は距離が12kmと短いし、そんなに暑くはないので、給水無しでも大丈夫だろう。
そのほか、顔を拭くハンドタオルとティッシュを短パンのポケットに入れて、準備完了だ。
〜 スタンバイ 〜
スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。特に、このレースは距離が短いし、また坂が厳しいコースだから、他のレースとの比較はできない。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。上にも書いたように、このレースのタイムの目標は1時間切りだ。
14年前の第1回から最初の4年間は毎年、着実にタイムが縮まっていき、第4回大会では1時間0分台のタイムを出し、1時間切りが目前に迫ってたんだけど、その後はV字回復の反対で、V字型に悪化し、毎年着実にタイムが悪くなって、1時間の壁はどんどん遠ざかっていった。
同じ距離だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、調子が良ければ1時間を切った事もあるので、1時間切りというのは非現実的な目標ではないと思うのだが、屋島一周のコースは坂がなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しいので、容易ではない。
距離が12kmなので、1時間を切るには1km5分を切るペースとなる。坂が無い区間なら可能なペースだが、坂が厳しい庵治マラソンでは、全ての区間を1km5分を切るペースで走り続けるのは難しい。なので、フラットな区間では、もっと速く走って貯金しなければならない。
そのためには、序盤から速めのペースで突っ込む必要がある。しかし、序盤から無理し過ぎたら、終盤に一気にツケが回ってきてペースダウンしてしまう。
(支部長)「老化が進んでるんやから、もう諦めたらどう?」
確かに、そう簡単には1時間は切れそうにないのが現実だ。そもそも、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは難しい。
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる。
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと思うが、そうは言っても正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。
て言うか、そもそも今回は、8月末の手術と、その後の療養から完全に恢復した訳ではなく、十分な練習はできてないので、大したタイムは出ないだろう。
それでも、分かりやすいから一応、目標は1時間とする。
気になるのは支部長の動向だ。
(幹事長)「相変わらず月間走行距離200kmを維持してるん?」
(支部長)「当たり前やがな。毎日10km走ったあと、1km泳いでるよ」
(幹事長)「どっひゃ〜!」
前回の脱藩マラソンで全く歯が立たなかった事を考えると、今日も支部長に勝つのは非常に難しいだろう。
ただし、このコースは5km地点からの巨大な坂がある。最近は坂に滅法強くなった支部長だが、かつては坂に弱く、上り坂では必ず歩いてたほどだから、そこに勝機があるかもしれない。
坂はあるけど全体の距離が12kmと短いから、フルマラソンやハーフマラソンのようにレース展開の作戦を考える必要はない。序盤は抑えて走る、とかいったペース配分を考える必要はなく、ただひたすら最初から最後まで全力で走るだけだ。
作戦を考える必要が無いというのは、自分自身の中でプレッシャーが無くなる。何も考えず、ただひたすらに全力疾走すればいいだけだ。
もちろん、本当に全力疾走しているのか、と言われれば、それはあくまでも主観的なものであり、他人が見たらチンタラ走っている程度だろう。
でも、「こんなに無理したら後になって足が動かなくなるんじゃないか」なんてペース配分を心配せずに、何も考えずに、その瞬間その瞬間における全力を出して走ればいい、という意味での全力疾走でだ。
〜 スタート 〜
いよいよスタート時刻となった。主催者の幹事長からありがたいお言葉を頂いて開会式が10秒ほどで終わり、支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。
例年なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、今日は参加メンバー6人の自主開催だから、静かなスタートだ。
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。
旧役場の前をスタートして少し走ると、庵治半島の沿岸部を一周する県道36号線に出る。あとは折り返し点までひたすら走るだけだ。
まず最初は私が先頭を走る。最初は道に迷う人が出ると困るので、分かりやすい道に出るまでは先導するのだ。自主開催シリーズが始まって以来、常に同じパターンだ。
あわよくば、そのまま逃げ切りたいところだが、逃げ切れたのは酸欠マラソンだけだ。そこそこ頑張って走ってリードを広げようとするのだが、すぐ後ろから足音が着いてくる。
1kmほど走ると最初の坂が現れる。大した激坂ではないが、少しペースが落ちる。
すると、早くも足音が迫ってきた。まずはピッグが追い抜いていく。
続いて支部長もピッグに着いて一緒に追い抜いていく。あんなに坂に弱かった支部長に上り坂で追い抜かれるのは衝撃であり屈辱だ。
これは北山林道駆け足大会や汗見川マラソンの時と同じ展開だ。どちらのレースでも、まだまだ序盤の、しかも上り坂で支部長に追い越されるなんて、かなり危機的な状況だとは思いつつ、序盤で無理すると後半で潰れると思い、自重して競り合うのを止めた。
どんなレースでも序盤のオーバーペースは終盤の惨敗を招いてしまうので要注意だ。どうせ支部長も、そのうちバテるだろうと思ったのだ。ところが、どちらのレースも、支部長はバテるどころか、ますます快調になり、最後までぶっちぎられてしまった。
その反省もあり、酸欠マラソンでは最初の激坂から強引に飛ばして支部長を引き離し、最後まで差を付けたまま圧勝した。
しかし、今日は食らいつこうと思っても、全く歯が立たず、どんどん差が開いていく。もともと下り坂やフラットな区間に強い支部長に、上り坂で追い抜かれたりしたら、勝ち目が無い。
ただ、今日は少しだけ様相が異なる。いつもなら支部長がピッグも追い越し、先頭に立ってリードを広げていくところだ。そしてピッグはそのうち撃沈し、最下位に転落するというパターンが一般的だった。
ところが今日は、ピッグが着実な足取りでグングン走り、徐々に支部長を引き離していく。ピッグは最初からかなり飛ばしているようだ。
自主開催シリーズになってから私たちに「やる気が無い」なんて責められているので、今日は強気で責めているのだろう。今日は距離が短いので、無理しても逃げ切れると踏んでいるのだろう。
最初の坂を下りるとしばらくフラットな区間が続き、その後、2つ目の坂が始まる。この坂は小刻みなアップダウンが続くダラダラした坂だ。この坂を下り終えると、再びフラットな区間となる。
ここでD木谷さんが追い付いてきた。D木谷さんは最初から最後までほぼ一定のペースで走るので、過去のパターンを考えると、ここで追い抜かれると二度と追い付けなくなるだろう。なので引き離されないように頑張るんだけど、徐々に差が開いていく。
その後、3つ目の坂を越えると、しばらくフラットな海岸線の道が続き、遠くに最後の激坂が見えてくる。ピッグや支部長が次々と坂を上って行く。
去年は、この辺りでのらちゃんにも追い抜かれ、そのまま逃げ切られてしまった。今日も後ろから迫ってきているだろうから、恐怖を感じる。必死で耳を澄ませてみるが、まだ足音は迫ってこない。私も病み上がりで万全ではないが、のらちゃんは半年以上もランニングができなかったから、私以上に力が落ちているだろう。
5km近く走ったところで、いよいよ最後の大きな坂に突入する。
最後の巨大な坂は、以前は目の前が真っ暗になるほどの絶壁に感じられたが、最近は毎年、夏場に山岳マラソン4連戦(北山林道駆け足大会、汗見川マラソン、酸欠マラソン、脱藩マラソン)をこなしているので、以前ほど絶望的ではない。でも、大きくペースダウンするのは避けられない。
かなり上ったところでピッグが軽快に駆け下りてきた。全く足取りは衰えていない。今日は逃げ切られそうだ。
その後を50mほどの差で支部長が走ってきた。こちらも足取りは確かで、追い付けそうな気がしない。
巨大な坂の傾斜度が緩やかになったら、間もなく折り返し点になる。ここでD木谷さんが走ってきた。それほど大きな差は開いていおらず、彼になら追い付けるかもしれない。
頑張って走ると、すぐに折り返し点となった。すると、少し後ろからのらちゃんが走ってきた。そんなに差は開いていない。私とD木谷さんの差と同じくらいだ。先頭のピッグから、支部長、D木谷さん、私、のらちゃんと、似たような距離差で走っていることが分かった。
こりゃ、うかうかしてたら追い付かれてしまう。急にお尻に火が付いた状態になり、気合が入り、真剣になる。D木谷さんに追いつくより、のらちゃんに追いつかれない方が最優先だ。
必死で坂を駆け落ちるが、自分の足が思うように動かないのがまどろっこしい。若い頃は下り坂になると転げ落ちるように走れたのに、今は、まず足が思うように広がらない。もっと足を前に出したいのに足が広がらないから、チョコチョコした動きになってしまう。
それでもピッチを上げられれば良いんだけど、チョコチョコ走っているくせに回転も遅く、スピードは上がらない。ストライド走法もピッチ走法もできない体になってしまった。
それでも、なんとか必死で駆け下りていくと、大きな坂を下り終わる直前に加藤選手とすれ違った。なんだか、のんびり走っている。
下り坂を必死で駆け下りると、D木谷さんとの差が明らかに詰まってきた。このまま勢いを持続できれば追い付けそうだ。
なーんて思ったんだけど、フラットな区間に入ったとたん、ガクッとペースダウンしてしまい、再び差が開き始めた。
ピッグや支部長は、はるか遠くになってしまい、後姿すら見失いそうだ。
それでも、そのうち支部長が撃沈する事を期待して、なんとか踏ん張って走り続ける。前回の脱藩マラソンでは、後姿が見えなくなったから、もう絶対に追いつけないと思って諦めたけど、後から聞くと、終盤の上り坂では歩いたと言ってたので、今日も終盤の上り坂では歩くかもしれない。そうなるとチャンスが転がってるかもしれない。
なんて思いながら走って行くと、なんと、遠方の支部長が上り坂で歩いているではないか。これは大きなチャンスだ。ここしかない、って感じで必死で全力疾走する。
しかし、全力疾走しているつもりでも、私も着実にペースは落ちており、なかなか追いつけない。そして、もがいているうちに上り坂が終わって支部長が走り始める。支部長は、いくら途中で歩いても、再び走り出すと何事も無かったかのごとく元の速いペースに戻るから、もう追いつくのは無理だ。
それでも、再び支部長が歩くのを期待しつつ、なんとか走り続ける。
今日は良い天気で暑くなるかもしれないと思ったが、沿岸部は少し風もあり、こうやって走っていると、少しひんやりするくらいで、走るにはちょうど良い。今日は水分を持ってないけど、これなら給水は不要だ。
しかし、頑張って走っているつもりでも、確実にペースダウンしているようで、支部長どころかD木谷さんの後姿すら見えにくくなってきた。直線区間からくねくねの坂道に入ると、時折チラチラと見え隠れするだけだ。
下り坂では懸命に足を動かすんだけど、思うようにスピードは出ない。
なんとか最後の坂を越えると、残りは1kmだ。調子が良い時は1km4分半くらいのペースでフィニッシュしている区間であり、ラストスパートで最後の頑張りどころだ。
去年は勝手にライバル視していた同世代女性ランナーと死闘を繰り広げ、まずまずのハイペースで駆け抜けた。
でも、今年は、D木谷さんははるか前方だし、のらちゃんは少し遅れているので、自分独りで気合を入れるのは難しい。
って事で、大してペースアップできないままゴール地点に駆け込んだ。
〜 ゴール 〜
ゴールすると、既にゴールしたピッグや支部長やD木谷さんが迎えてくれた。
続いて、少し後からのらちゃんがゴールした。去年は女子年代別で1位に入った彼女だが、今年は長期離脱の影響で少し遅かった。それでも、半年以上離脱した後、まだ2ヵ月足らずしか走ってないのに、大したものだ。
さらに、だいぶ経ってから加藤選手がのんびりゴールした。途中で写真を撮ったりしながらの、のんびりジョギングだったようだ。
結局、今日は最初に飛び出したピッグがそのまま逃げ切った。折り返しでのピッグ〜支部長〜D木谷さん〜私〜のらちゃんの差は、そのまま2倍くらいに開いてゴールとなった。
(幹事長)「すごいなあ。一度も首位を譲らない完全優勝やんか」
(ピッグ)「やる気が無いって散々批判されましたからね」
自主開催シリーズでダントツの最下位を突っ走っていたピッグが突然、覚醒し、一気にトップに躍り出たのだ。
やる気だけでトップになれるなんて、やっぱりマラソンは精神力のスポーツだなあ。
(ピッグ)「幹事長はやる気あったんですか?」
(幹事長)「やる気はみなぎってたんだけど、足が動かなかった」
私はやる気が無かった訳ではなく、序盤でピッグや支部長に追い抜かれた時に、なんとか着いていこうとしたんだけど、あれ以上、足が動かなかった。やはり手術前の状態には戻ってないのだろう。なかなか厳しい道のりだ。
〜 反省会 〜
例年だと、レース後は、すぐ近くにある保健センターの温泉に入るんだけど、開店時間が13時でまだやってなかったので、少し移動して春日川の川沿いにある湯楽温泉に繰り出して疲れを癒した。
レース後に近くの温泉に入れるのは嬉しい。身体もさっぱりするし足の疲れも和らぐ。
温泉の後はIstyleといううどん屋さんに繰り出す。
(支部長)「これ、何て読むん?」
(幹事長)「アイスタイルとちゃうか?」
うどん屋さんとは思えないネーミングだし、店の外観も少しお洒落だったが、中は普通のうどん屋だったし、うどんも普通だった。
落ち着いたところで反省会をしなければならない。
はっきり言って、今日の結果は不本意だ。前回の脱藩マラソンも惨敗したんだけど、手術から1ヶ月しか経ってないのに、なんとか最後まで完走できたので満足だった。
でも、さらに1ヵ月が経ったのに、今回も同じように惨敗したのはガッカリだ。
特に今日は距離が短かっただけに、スピードが出ない事を痛感させられた。
逆にピッグは、距離が短かったから終盤の失速を気にすることなく最初から最後まで全力で飛ばして圧勝した。
(幹事長)「すごいよなあ。どこにそんな力が残ってたんかなあ」
(ピッグ)「今日は気合が入ってましたからね
打倒支部長だけでなく、打倒ピッグも考えて、トレーニングに力を入れなければならない。
最近は、とにかく距離を走ればいいって感じでダラダラ練習してたが、もっとハイペースの厳しいトレーニングをやっていかなければならないなあ。
続くレースは瀬戸内海タートルマラソンだ。ハーフマラソンなので、今日みたいにピッグの独走は許さないぞ!
〜おしまい〜
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