第9回 龍馬脱藩マラソン大会(自主開催)

〜 炎天下の熾烈な争い 〜


2020年10月11日(日)、高知県檮原町において第9回龍馬脱藩マラソンが開催される予定だった。

このレースは、6月上旬の北山林道駆け足大会7月下旬の汗見川マラソン9月上旬の酸欠マラソンに続く夏場の山岳マラソン4連戦の最終戦として大きな存在感のある、待ちに待った大会だ。

坂の過激さは北山林道駆け足大会や酸欠マラソンも同じくらい超厳しいが、なんと言ってもこの脱藩マラソンはフルマラソンがあるので、その過激さは筆舌に尽くしがたい
他の上記3大会は、コースが厳しいと言っても、北山林道駆け足大会は距離が13kmと短いので楽しいまま終わるし、汗見川マラソンは坂の厳しさが少しマシなうえ終わってからの川遊びが楽しいハーフマラソンだし、酸欠マラソンは天空の絶景コースを走るハーフマラソンなので、厳しいとは言いつつ、いずれもとっても楽しい大会だ。
しかし、脱藩マラソンは楽しさを感じる余裕は無く、最初から最後まで苦しいだけの大会だ。あまりにも厳しい大会なので、開催日が近づいてくると憂鬱な気分になり、できることなら逃げ出したいくらいになるので、自分でも本当にこの大会を楽しみにしているのかどうか、よく分からない。
しかし、苦しいからと言ってこの大会を避けたりすると、自分が情けなくなり、ずっと後悔する羽目になるし、また自分の現時点での力を把握するためにも、避けて通れない地獄の関門のような大会だ。

(ピッグ)「結局、楽しみにしてるんですか、それとも嫌なんですか?」
(幹事長)「分からんかなあ、この乙女心が」


ま、「嫌よ嫌よも好きのうち」ってとこか。
それなのに、ああ、それなのに、なんと今年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった

事の発端は3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、3月22日の徳島マラソンが中止になった頃から雲行きが怪しくなってきた。全国的にマラソン大会が次々と中止になり始めたのだ。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

(ピッグ)「いつまでも書くんですね」
(幹事長)「腹が立って仕方ないから、自主開催を続けているうちは、いつまでも書くぞ」

素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないと走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、
屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外では感染しない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。

(幹事長)「コロナなんて心の病だ。ウオッカを飲んだら治るぞ」
(ピッグ)「ベラルーシのルカシェンコ大統領ですか」
(幹事長)「ルカシェンコ君もコロナに感染したけど無症状だったやろ?ただの風邪なんだよ」


多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい
下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。

もちろん、
大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、僕も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、
コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。

そして、恐れていた通り、その後は
5月のオリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままでは今年はマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。
って嘆き悲しんでいた時、
ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。

(ピッグ)「もう、この話はゲンナリですねえ」
(幹事長)「最初に聞いたときは感動したからなあ」


5月のオリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソンの記事にも書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。

(ピッグ)「中止になった大会をペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え?」


あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、
我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。

(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「このくだりもゲンナリですよ」


23年前に我々がペンギンズを立ち上げた時
クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、
素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだ。

と感心していたのだが、5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
つまり、
マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。

(ピッグ)「はいはい、もう分かりましたよ」

てなわけで、今年は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった
その第1弾が5月17日に開催した
サイクリングイベント第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月のオリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソンを自主開催したが、これらもとても楽しくて大成功だった。

(支部長)「結果は私の圧勝やったな」
(幹事長)「きーっ、悔しいっ!」


これまでの4連戦の勝敗は、我々とは次元の異なる高速ランナーであるT村選手を除くと、以下のようになる。
  [オリーブマラソン] 1位:D木谷 2位:支部長 3位:幹事長 4位:ピッグ
  [北山林道駆け足大会] 1位:支部長 2位:D木谷 3位:ピッグ 4位:幹事長
  [汗見川マラソン] 1位:支部長 2位:幹事長 3位:D木谷 4位:ピッグ
  [酸欠マラソン] 1位:幹事長 2位:D木谷 3位:ピッグ 4位:支部長


私と支部長との対戦を見ると、支部長が3勝もして圧勝とも言えるが、なぜか直近の酸欠マラソンではボロボロだった。逆に私は順位を上げてきており、調子が上向いてきたことが分かる。

れに続く自主開催マラソン大会の第5弾が今回の龍馬脱藩マラソンだ。前回の酸欠マラソンの流れを持続できれば、今回も支部長に勝利することができるはずだった。
しかし、今回は事情が大きく異なる。私は病み上がりなのだ

前回の酸欠マラソンの開催日は、本来なら9月初旬だった。ところが、私が急遽、8月末に手術して、しばらく入院することになったため、少し繰り上げて8月23日の開催とした。
手術自体はうまく終わり、予後も順調だったが、医者からは手術後3週間は運動厳禁と言い渡された。先週からようやくトレーニングを再開したのだが、3週間もじっとしてたら脚力は衝撃的に衰えてしまい、びっくりするくらい遅くなっているし、長い距離も走れなくなっている。
なんとか必死でトレーニングしてみたものの、今回は支部長に勝てるとは思えない。坂が厳しいコースを21kmも走れるかどうかすら怪しい

(ピッグ)「必死でトレーニングしたなんて言いながら、登山部の活動のコーナーに黒戸山とか登尾山とか東赤石山に登った報告記が載ってますけど」
(幹事長)「だって楽しいんだもーん」
(ピッグ)「黒戸山なんて手術の2週間後ですけど、いいんですか?」
(幹事長)「低い山だから、いいんだよーん」
(支部長)「まだ完全復帰してないんやったら、開催日をもっと遅らせたら良かったのに」


確かに、脱藩マラソンは本来なら10月11日の開催予定だった。まだ2週間もあるから、私の体調もだいぶマシになってるかもしれない。
ただ、10月上旬は登山の長期遠征に行くことにしたので、少し前倒しして9月27日の開催としたのだ。

(ピッグ)「また登山優先ですか」
(幹事長)「だって楽しいんだもーん」


〜 超厳しいコース 〜


龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。
死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく8年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。

四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった。しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンの部ができたのだ。
ハーフマラソンのコースも累積の標高差は380mもあるから、汗見川マラソンやタートルマラソンより厳しい。しかし、フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近くある。 ハーフマラソンの2倍以上の厳しさだ。
前半は基本的に上りが続き15km地点辺りまでの上りはそれほど過激ではないが、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンだ。

龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは2015年。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう
でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。
ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースは超過激ってほど大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。

(幹事長)「あんなに恐れていたのに、あんまり大したこと無かったよなあ?」
(支部長)「いやいや、そんなことはない。十分に厳しかったで」

支部長は満腹したようだが、私は、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。
そこで今度は阿南のY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。

(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」

この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからであり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。
しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないのだフルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになるのだ
なので、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にならない。

そもそも、私が坂を好きになってきているのは間違いない。良いタイムが出やすいフラットなコースよりも、むしろアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた
その大きな理由の1つとして、歳とってくると、フラットな高速コースではタイムが伸び悩んでいるって事がある。フラットなコースでタイムが伸び悩むと、なんだかやる気が失せてしまうが、坂が多い厳しいいコースだと、タイムは悪くても当たり前なので気にしなくてもいいし、坂がある方が純粋に面白い
て事で、最近は、タイムは二の次で、フラットなコースよりも激坂がある山岳マラソンの方が面白くなってきた。さらにトレイルランにも参加するようになっている。

とは言え、北山林道駆け足大会は距離が13km弱なので楽しいだけで終わるし、汗見川マラソンや酸欠マラソンはハーフマラソンなので、なんとかギリギリで楽しく走り終えることができる。しかし龍馬脱藩マラソンのフルマラソンは前半の20kmが登りっぱなしという超過激な山岳マラソンなので、楽しいうちに終わらず、後半は悲劇になってしまう
なので、出場するには勇気が必要だ。


〜 過去は惨敗続き 〜


散々、悩んだが、やはり一度はフルマラソンの部に出てみたいので、2016年に初めてフルマラソンの部に出場した
その結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも、「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。
それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって痛みを取ったりした。
しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こんな辛い思いは二度としたくないから、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」なんて決意した。

ところが、翌年になると、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思い、2017年もフルマラソンの部に出場した

(支部長)「もう出ないって言ってたのに、ほんまに記憶力が悪いな」

辛かった記憶が薄れたこともあるが、前年はフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思ったのだ。
そして、嫌がる支部長も強引に誘ってフルマラソンに一緒に参加した。そして、結果は、二人そろってさらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった
前年の反省から、前半は徹底して抑えて走って余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下るつもりだった。
ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。結局、終盤は前年と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、前年を上回る衝撃的な大々惨敗だった。
そして、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」と決意した。

ところが、翌年になると、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思うし、 記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶が薄れてきたこともあり、2018年も性懲りもなくフルマラソンの部に出場した

(支部長)「記憶力が悪いと言うより、記憶力が無いな」

私よりは記憶力の衰えがマシな支部長は、二度とフルマラソンには出なかったが、私は再びフルマラソンに挑戦した。そして作戦を大きく変更した。
2016年は、「恐れていたけど、案外走れるぞ」なんて思って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2017年は、その反省から、前半を徹底して抑えて、急坂ではためらうことなく歩いた。それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
なので、2018年は、取りあえず何も考えずに再び自然体で走る作戦としたのだ。

(支部長)「それは作戦とは言わんぞ」

自然体で走っていたら、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上れたが、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、3年連続で呆れてモノも言えないくらいの大惨敗を喫してしまった。

(支部長)「それって、最初の年と全く同じパターンやんか。学習効果が無いなあ」

ただ、大惨敗ながらも大会自己ベストは僅かながら更新したと勘違いして、レース直後には「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ところが、家に帰って調べてみたら、2016年のタイムより10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったことが判明した。

それで仕方なく、2019年も再びフルマラソンの部に出場した
2016年と2018年は前半の上り坂を一歩も歩かずに上ったため、後半に足が痛くなったり攣ったりして走れなくなったので、再び前半は徹底して抑えるという作戦に変え、少しでもきつく感じるとすぐ歩いた。前半での抑制を、2年目の時より、さらに徹底したのだ。
その結果、前半は過去3大会と比べて最も遅かった。しかし、それが功を奏して後半は足が痛くならず失速しなかったため、初めて後半の方が前半より速いタイムで走れ、結果としてなんとか大会自己ベストを更新することができた
てことで、晴れて「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ただ、足が痛くならずに完走できたもんだから、またまた性懲りもなくフルマラソンに出て「もっと良いタイムを出したいな」なんて心が揺らいでいた

ところが、最初に書いたように、今年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。それで、我々独自で自主開催をすることとなった。
自主開催でフルマラソンを走るのは難しい。エイドも無ければ沿道からの声援も無い。普通のフラットなコースであっても、フルマラソンの距離を自主開催で走るのはとても厳しい
個人練習の時なんて、よっぽど気合を入れても、せいぜい20km程度が限界だ。それ以上の距離になると、足も痛くなるが、そもそも精神的にやる気が失せてしまう。
おまけに脱藩マラソンのフルマラソンのコースは殺人的に厳しい。こんな厳しいコースを自主開催で走るのは不可能だ

(幹事長)「てことで、私の勝手な判断により、今年はハーフマラソンだけの開催とする」
(ピッグ)「異議なし」
(支部長)「異議なし。て言うか、ハーフマラソンでも厳しいで」
(D木谷)「フルマラソンも走れなくはないと思いますけど」
(T村)「せっかくわざわざ行くんだから、フルマラソンを走りましょうよ」


と言うことで、全会一致で今年の開催はハーフマラソン1種目のみとなった
もちろん、支部長の言うように、ハーフマラソンだって甘くはない。あくまでもフルマラソンと比較するとマシと言うだけで、獲得標高は約380mもあり、約220mの汗見川マラソンや約190mのタートルマラソンよりはるかに大きい。

参加はのほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、T村選手の5人だ。
自主開催を始めてから、この5人の参加率は高い。なぜなら、自主開催なので、みんなの都合の良い日に柔軟に開催日を変えられるからだ。しかし、一方で、他のメンバーの参加が無い。

(幹事長)「どうしてかなあ」
(支部長)「コロナ自粛を無視して傍若無人に走り回るのは私らだけや」


〜 檮原町へ出発 〜


汗見川マラソン、酸欠マラソンに続き、今日もピッグ様に車を出して頂くことにした。

(幹事長)「すまんな、いつもいつも。5人となるとミニバンでないと狭いからなあ」
(ピッグ)「えっと、幹事長の車もミニバンですよね」
(幹事長)「病み上がりだから無理したらいかんやろ」
(ピッグ)「手術前の酸欠マラソンも私が運転させられましたが」
(幹事長)「手術前も無理したらいかんやろ」
(ピッグ)「汗見川マラソンのときは手術の話は無かったですよね」
(幹事長)「高知の山奥は遠いからなあ」
(支部長)「結局、それかい!」

歳とってくると長時間の運転が苦痛になってきたので、私が車を出すのは丸亀マラソンや満濃リレーにして、高知の山の中で開催される夏場の山岳マラソン4連戦は、全て誰かにお願いしている。

て事で、ピッグには6時過ぎに迎えに来てくれるように頼んだ。
例年はフルマラソンのスタートが9時なので、高松を5時に出発していたが、今年はハーフマラソンしか走らないから、そんなに急ぐ必要はない。こういう柔軟さが自主開催の良いところだ。
ところが、いつまで経ってもピッグ車が来ない。いくらなんでも遅すぎると思って電話をするが、出ない。たぶん運転中だから出られないんだろうとは思ったが、何か事故でもあったのなら対応しないといけないので、しつこく何度も電話していると、ようやく出た。

(幹事長)「今、どこ?」
(ピッグ)「すんませーん!寝てました」


なんとピッグは、お寝坊してしまっていたのだ。一回、目が覚めたんだけど、二度寝してしまったらしい。
て事で、いきなり1時間遅れになってしまったが、自主開催なので問題は無い。
その後、支部長、D木谷さんをピックアップする。

(幹事長)「T村選手はどこ?」
(D木谷)「急な仕事で来られなくなったんですよ」


てな事で、高松を出発したのは7時過ぎとなった。
今年の夏は史上空前とも言える異常なほどの猛暑が続き、9月に入っても酷暑が続いていたが、ほんの1週間ほど前から急に涼しくなり、今日も朝から涼しい
オリーブマラソンの時は、暑くなる前に終わらそうってことで、例年より早いスタートにしたが、今日は急ぐ必要はない。

日曜日の朝の高速道路は空いていて、車は順調に進む。
車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、5年前の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてみたらその後は一度もお腹を壊さなくなった
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無いのだ。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと今年2月の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレにこもってしまった。原因は分からない。でも、少なくともおにぎり路線が悪い訳ではないだろう。
エネルギーをいっぱい摂取しようと思って、おにぎりの他に、バナナやゼリーも食べたりしていたが、それらを控えるべきかもしれない。あんまり無理してレース前に食べすぎるのは禁物だ。

瀬戸内側は、晴れ間もあるが、かなり雲も出ていた。それが四国山地に入ると小雨が降ってきた。四国山地は年中雨が降ってるので、よくあるパターンだ。
しかし太平洋側に出ると、雲のない快晴となった。天気予報では、今日は一日中よく晴れるとのことだ。
これだけ晴れると、直射日光が当たって体感温度は少し暑くなるかもしれないが、それでも気温がそんなに高くならなければ、爽やかなレースが期待できるだろう。
なーんて思いながら、道の駅でトイレ休憩したら、外は既にかなり暑い

(幹事長)「車の中はエアコンで涼しかったけど、外はめちゃ暑いやんか」
(支部長)「暑さとの戦いやなあ」

でも、暑くなるのは大歓迎だ。もともと私は猛暑の炎天下に走るのが好きだ。寒い中を走るよりは暑い中を走る方がよっぽど楽しい。なので、暑くても割りと平気だ。

(支部長)「タイムは悪いけどな」

もちろん炎天下のレースはタイムは悪くなる。タイムの事を言えば、やはり寒い冬場のレースの方が良いタイムが出る
厳冬期に開催される丸亀マラソンなんか、雪が降ることもあるが、風さえ無ければ寒ければ寒い方がタイムは良い。季節的には11月から3月くらいまでのマラソン大会が良いタイムを期待できる。
「暑くても平気」ってのは「嫌いじゃない」という意味であって、タイムは寒ければ寒いほど良い。夏場なら雨が降って肌寒いくらいが良い。
でも、それじゃあ本当は楽しくない。やはり炎天下のレースの方がタイムは悪くても楽しい
それに、暑さに弱い支部長に勝利するためには暑くなる方が好ましい。

(支部長)「これこれ、もっと正々堂々と戦いなさい」


〜 会場到着 〜


会場に着いたら10時過ぎになっていた。
早速、着替えに入る。ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ

(支部長)「今日も何を着るか悩むんかいな?」
(幹事長)「こんなに暑くなるとは予想してなかったよ」


相変わらず空は雲一つ無い快晴で、太陽がギラギラ照りつけており、想定外の強烈な炎天下のレースになりそうだ。これならオリーブマラソンで愛用している秘密兵器のメッシュシャツや、北山林道駆け足大会で着た薄手の袖無しランニングシャツなんかが欲しいところだ。
でも、今日は寒くもなければ暑くもないと予想していたので、普通の半袖Tシャツしか用意してこなかった。残念だが仕方ない。

(幹事長)「どんな季節であっても、あらゆる事態に備えて、色んなウェアを準備してこないと駄目だなあ」
(支部長)「気にしすぎなんやってば。どんな季節であっても普通のTシャツで走ったらええんやがな」


今日、持ってきたのは3年前のタートルマラソンでもらったショッキングピンクのTシャツだ。
下は練習の時にいつも履いている短パンを履いた。これは短いから、暑い時でも走りやすい。
タイツは、最近は筋肉の疲労防止のために寒い時期ならタイツを履くが、今日はタイツを履くと暑すぎるので脹脛サポーターを履いた。他のメンバーも全員、脹脛サポーターを履いている。
ランニングキャップは嫌いだが、強烈な日差しを避けるために今日は必要だろう。
日焼け止めクリームも首筋や腕に塗りまくった。ピッグも塗っているが、D木谷さんはアームカバーを付けている。一方、支部長は全く気にしていない。最近は畑仕事で焼きまくっているからだ。

自主開催なので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。
D木谷さんは飲料ボトル用ホルダーを腰に巻いているが、私は腰に着ける飲料ボトル用ホルダーは揺れて気になるので、トレランリュックにスポーツドリンクを入れて背負って走る。この方が少し重いが安定している。支部長も同じトレランリュックにスポーツドリンクを入れている。
一方、ピッグは、汗見川マラソンの時はD木谷さんのように飲料ボトル用ホルダーを腰に巻いて走ったが、揺れて邪魔になったので、結局、手に持って走った。
次の酸欠マラソンでは、自転車用のサイクルジャージを着て、背中のポケットに飲料ボトルを入れて走り、なかなか良いアイデアだと思ったんだけど、やっぱり揺れて邪魔になったので、すぐに手に持ち替えて走った。
そして今日は、最初から手に持って走るのだそうだ。

そのほか、顔を拭くハンドタオルティッシュのほか、念のため足攣り防止用のドーピング薬2RUNもリュックに入れた。
また、自主開催なので誰か迷子になる可能性もあるため、イザと言う時のためにスマホも持ち、ついでにカメラもリュックに入れた。

元気が余ってしょうがない参加メンバー
(左からピッグ、D木谷さん、幹事長、支部長)


準備が終わったところで、コースを周知する。
コースは汗見川マラソンと同じように、川に沿って遡る単純なコースのようなイメージがあるが、今回、グーグルマップを使って入念に確認したところ、実は割とややこしいって事が分かった。
橋を何度か渡って対岸に移動するんだけど、その道が分かりづらいのだ。行きはなんとか分かりやすいが、帰りはかなり分かりにくい。
みんな参加した事があるから初めてではないんだけど、いつもはスタッフが誘導してくれるから、ボウっと走っていても間違うことはないが、今日は注意しないと間違った方向へ行ってしまう。
また、折り返しの前後の3kmほどの区間は、盲腸のように集落に入っていく分かりにくいコースだから、そこも間違えやすい。

それから、正確なところは不明だが、今回、地図で入念に確認したところでは、このコースはハーフマラソンの21.0975kmより500mくらい長いのではないか、と思う。以前、支部長がGPS付きの時計を着けて走って確認した時も、そういう結果になったとのことだ。
普通のマラソン大会のように折り返し点で引き返してくるコースなら、折り返し点を設置する場所によって正確に距離を調整できる。しかし、このコースは一方通行の周回コースになっているから、正確な距離調整ができないはずなので、大きな誤差があっても不思議ではない。
ま、しかし、どっちにしても良いタイムが出るようなコースではないから、細かいことを言っても仕方ない。


〜 スタート前 〜


スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。特に、このレースは坂が厳しい過酷なコースだから、他のレースとの比較は意味が無い。

なので、目安はあくまでも過去のタイムだ
この大会は、過去5回出場したことがあるが、そのうち4回はフルマラソンなので比較できない。唯一ハーフマラソンに出たのは2015年で、その時のタイムは2時間2分だった。
普通のマラソン大会なら大惨敗タイムだが、この過酷なコースを考えると、2時間を切るのは不可能に思える。そもそも脱藩マラソンに限らず、汗見川マラソンや酸欠マラソンも含め、夏場の山岳マラソンで良いタイムが出る訳がない。
なので、一応、目標は2時間を目安とするが、絶対に無理だろう。

そもそも、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは難しい
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと思うが、そうは言っても正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。
て言うか、そもそも今回は病み上がりでロクに練習もできてないので、歩かずに完走できれば十分だ

(ピッグ)「このコースで歩かずに完走ってのは難しいですよね」
(幹事長)「最後に激坂があるからなあ」


このコースは終盤の17km地点から驚異的に厳しい激坂が1kmほど続く。疲れて足がパンパンになったところに強烈な坂があるから、大半のランナーは歩いてしまう激坂だ。

(幹事長)「じゃあ、最後の激坂だけは歩くとして、それまでは歩かずに完走したいな」

コースがあまりにも過激なので、今日の戦略は自然体で思うままに走っていくことにした。

(ピッグ)「前半に調子に乗って飛ばして終盤に失速するという、今まで何百回も失敗したパターンですか?」
(幹事長)「病み上がりの体では、いくら調子に乗っても、飛ばすのは不可能やろなあ」


気になるのは支部長の動向だ。

(幹事長)「相変わらず月間走行距離200kmを維持してるん?」
(支部長)「当たり前やがな。毎日10km走ったあと、1km泳いでるよ」
(幹事長)「どっひゃ〜!」

前回の酸欠マラソンは、私の調子が良かった一方で、支部長が不調だったため、自主開催シリーズで初めて支部長に勝利したが、今日は無理だろうなあ。


〜 スタート 〜


いよいよ10時45分になり、主催者の幹事長からありがたいお言葉が発せられ、開会式が10秒ほどで終わり、支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。
天気はずっと晴天のままで、日差しが強烈なので嫌いな帽子をかぶる。

例年なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、今日は参加メンバー4人の自主開催だから、取りあえずは何も考えずに自然体で走る
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。

町中心部の狭い道を少しだけグルッと回った後、広い幹線道路に出る。
最初はほぼフラットだが、1kmほど走ったところで上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、いつもなら序盤から無理して頑張ると終盤に撃沈するので、ペースを落とすところだ。
ところが、早くも支部長が後ろにピタッと着いてくる。北山林道駆け足大会や汗見川マラソンの時と同じ展開だ。

どちらのレースでも、まだまだ序盤の、しかも上り坂で支部長に追い越されるなんて、かなり危機的な状況だとは思いつつ、序盤で無理すると後半で潰れると思い、自重して競り合うのを止めた。どんなレースでも序盤のオーバーペースは終盤の惨敗を招いてしまうので要注意なのだ。どうせ支部長も、そのうちバテるだろうとも思った。
ところが、どちらのレースも、支部長はバテるどころか、ますます快調になり、最後までぶっちぎられてしまった。
その反省もあり、酸欠マラソンでは最初の激坂から強引に飛ばして支部長を引き離し、最後まで差を付けたまま圧勝した。

本当は今日もこの序盤の坂で支部長を引き離そうと思ってたんだけど、私が病み上がりで体調が戻ってないからなのか、あるいは今日は支部長も好調なのかは分からないが、引き離すどころか早々に支部長に逆転されそうになった
しかし、こんな所で逆転されたら、それでおしまいだ。北山林道駆け足大会や汗見川マラソンの展開を思えば、絶対に再逆転はできない。
なので、今日は抜かれてはなるものかと必死で頑張る。支部長も必死で追い抜こうとして、二人で必死で競り合う。その結果、早々に後の二人とは差が開いた。

2kmほど走ったところから、坂の傾斜は一気に強まり、激坂になってきた。坂が弱い支部長を一気に引き離す絶好の場面のはずなんだけど、ここんとこ坂にめっぽう強くなった支部長は全然遅れない。遅れないどころか、再び私を逆転しようとする
上り坂で、しかもこんなに厳しい激坂の上り坂で支部長に追い抜かれるなんて、半年前までは考えられなかった事態であり、トンでもない屈辱だった。
なので、なんとしても追い抜かれるのは避けたかったが、支部長の力強い走りには負けてしまい、少しずつ支部長に離されだした。相変わらず支部長は絶好調のようだ。

支部長に少し差を付けられたまま激坂を1kmほど登ると、ピークを迎え、トンネルに入るトンネル内はフラットだし、涼しくてホッとする。ここで支部長に追いつきたいところだが、支部長だって楽になったはずだから、そう簡単に追いつけるはずがない。
このトンネルは照明が無く、真っ暗だ。明るい外から入ってきたから、ほとんど前が見えず、闇に吸い込まれていきそうでクラクラする
なんか気分が悪くなるなあ、なんて思った瞬間、前方から大きな音がした。よく見えないが、なんと支部長が歩道から転落して車道の上に転倒している。暗くて歩道の端が見えなかったようだ。車が通ってなくて、本当に良かった。
慌てて近寄って声をかける。

(幹事長)「大丈夫か!?」
(支部長)「なんとか大丈夫や」


暗くて分からないが、痛みは無いとのことなので、そのまま続行することにした
トンネルを出て明るい所に出たところで、再び確認したら、両足を擦り剥いている。

(幹事長)「ほんとに大丈夫?打撲したところは痛くない?」
(支部長)「痛くないな。なんともないみたいや」


一応、一安心だが、かなり擦り剥いているので、ダメージはありそうだ。

トンネルを出ると緩い下りになって、軽快に走れるようになってくる。
さらに少し進むと再びトンネルがあり、そのまま緩い下り坂が続く。このトンネルの中も暗くて、さきほどの転落事故を思うと、下り坂だからと言ってあんまりスピードを出すのは危険だが、このトンネルの歩道は幅が広いので、注意しながらもスピードを上げて走っていく。
トンネルを抜けると、傾斜は一気に強まり、強烈な下り坂となる。帰ってくる時は誰もが歩いて上る激坂だ。行きは下り坂だが、ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから自重しなければならない坂だ。
とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、割りと難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。金さんなんかは小股でチョコチョコと走るのが良いってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。
それに、今日はフルマラソンじゃなくてハーフマラソンなので、あまり気にせず、飛ばせる所は飛ばせば良いと思ってガンガン走って下る
後ろを振り返ると、転落事故の時に追いついてきた二人と一緒に支部長が走ってくる。特に支障はないようだ。

下り坂をガンガン走り終えると、ようやくフラットになり、四万十川の支流の四万川川(しまがわかわ)に沿って走る県道2号線に出る。
すると、なんと、ここで再び支部長がガンガン走って追いついてきた

(幹事長)「ほんとに大丈夫?」
(支部長)「うん。痛みも無いし大丈夫やな」


支部長の強靱な肉体には驚くしかない。肉体だけではなく、精神的なダメージも無いようで、底知れぬ恐ろしさを感じる。

5kmほど走ったところで、幹線道路の県道2号線から最初の橋を渡って対岸の狭い道に移動する。事前にグーグルマップで確認した風景と少し異なるような気がするが、間違いないはずだ。
なーんて思ってたら、すぐ後に別の橋があり、路面に矢印が書いてある。どうやら脱藩マラソンのコースに沿って路面に矢印を描いてくれてるようだ。それによると、私は本来渡るべき橋より手前の橋を渡ってしまったようだ。
でも、どちらを渡っても距離に変わりはないようだ。それに、路面にコースの矢印を描いてくれてるってのは安心材料だ。

橋を渡った対岸の道は道幅が狭く、林道のような雰囲気だ。交通量は皆無だから走るのは安心だが、アップダウンがある。
しかし支部長は多少の上り坂は気にすることなくガンガン上っていき、徐々に引き離されていく。前半で頑張りすぎると後半に撃沈するのは分かっているが、まだ前半なのに支部長に離されると、下り坂の後半で逆転することなんて不可能になるので、とりあえず一生懸命頑張って着いて行く。
それでも支部長の走りは力強く、ジワジワと離されていく。道はくねくねカーブしているから、すぐ支部長の後ろ姿が見えなくなったりするので焦る。

と思った瞬間、カーブを曲がると、いきなり支部長の後ろ姿がすぐ目の前に出現した。なんと支部長は歩いているのだ。

(幹事長)「足は大丈夫?」
(支部長)「足はなんともないけど暑さにバテた」


なんと支部長は、転落事故の影響じゃなくて、単に暑さにバテて上り坂で歩いているだけだった。確かに相変わらず快晴で、ジリジリと日差しが照りつけてくるから、かなり暑いのは間違いなく、暑さに弱い支部長としては苦しいところだろう。
そう言えば、北山林道駆け足大会や汗見川マラソンでも、支部長は圧勝したんだけど、後から聞くと、結構あちこちで歩いたって言ってた。後ろ姿が見えなくなっていたから分からなかったが、こうやって時々歩いていたのだ。
後ろ姿が見えないままだと、もう追いつけないと思ってやる気が失せるが、こうやって歩いているのを目の当たりにすると、俄然やる気が沸いてくる。リュックからスポーツドリンクのボトルを取り出して十分に水分補給し、ここで逆転して一気に引き離そうと頑張って走る
ところが、しばらく走っていると、再び足音がどんどん近づいてきて、あっという間に支部長に追いつかれてしまった

私の場合、フルマラソンの終盤では歩くこともあるが、しばらく歩いて再び走り始めても、スピードは落ちたままで、歩くのと変わりないような超スローペースだ。
しかし、支部長は、すぐ歩くくせに、再び走り出すと、歩く前のようなスピードで一気にペースアップしてしまう。「そんなに元気なら、最初から歩くなよ」と言いたい。

今日は自主開催なので沿道で声援してくれる人はおらず、そもそも山の中を走る道なので人家は少ないんだけど、たまに農作業で出てきているおばあちゃんに「こんにちわ」って挨拶すると、笑顔で「ご苦労さん」なんて返してくれる。すれ違いざまに軽トラのクラクションを鳴らして笑顔で応援してくるおっちゃんもいた。
田舎はこういう暖かい触れ合いがあって、気持ちよく走れる。おかげで、なんとか支部長の背中を追う元気が沸いてくる。

9kmほど走ったところで、再び橋を渡って県道2号線に復帰する。ここでも勘違いして、本来、渡るべき橋より手前の橋を渡ってしまったが、ここも距離は同じだ。
そこから少し走ると、県道304号線に入っていく分岐がある。フルマラソンのコースは、そのまま真っ直ぐ四万川川を遡っていくが、ハーフマラソンのコースはここを右折して、折り返しの集落に入っていく。普通のマラソンコースのように折り返し点で折り返すのではなく、集落の中をぐるっと一方通行で周回して帰ってくるコースだ。

ここも、かなりの傾斜がある上り坂だ。フルマラソンのコースも、復路ではこの集落に入っていくが、激坂のコースを30kmほど走った後の上り坂なので、完膚無きまでに叩きのめされるのが常だ。しかし、今日はハーフマラソンなので、それほど苦しくはない。
とは言え、支部長はジワジワと離れていく。またまた上り坂で置いていかれる。ここで離されると、後半は下り坂だから再び追いつくのは厳しいなあ、なんて思っていたら、またまた支部長が突然、歩き出す。僕なら走るペースがどんどん落ちていって、最後には遂に歩き出す、っていうパターンなんだけど、支部長はガンガン走っていて突然歩き出すから不思議だ。
この上り坂はかなり長いのに、まだ始まったばかりだ。ここで歩き出したって事は、この上り坂は全部歩くってことだろう。そうすると、かなりリードできるはずだ。ってほくそ笑みながら一気に追い越して走り続けたんだけど、なんと、すぐに後ろから足音が迫ってきた

(幹事長)「うわ、もう走ってきた。なんでそんなに早く復活できるん?」
(支部長)「自分でも分からんなあ」


まだまだ上り坂が続いているのに、支部長はそのまま私を追い抜き、着実にリードを広げていく。

上り坂が終わると、前方に橋が見えてくる。この橋を渡って対岸に移ると復路となる。この橋でスタート地点から約11kmだ。
ここまでのタイムは1時間4分で、5年前に一度だけハーフマラソンを走った時のタイムとほぼ同じだ。と言うことは、自主開催の割には健闘していると言えよう。
しかし、一足先に橋を渡って対岸を帰って行く支部長との差はどんどん開いていく
一方、後ろを見ると、D木谷さんがいつの間にかかなり近くに迫ってきている。お尻に火が付いてきたぞ。
再びリュックからスポーツドリンクのボトルを取り出して水分補給をし、橋を渡って対岸に移動する。ここからだと、かなり後方まで見えるようになるが、ピッグの姿が見えない。まさか道に迷って変な所を彷徨ってるんじゃないだろうな。

(幹事長)「ピッグの姿が見えませんねえ」
(D木谷)「あそこに見えてますよ」


と言われた方向を見ると、かなり遅れてピッグが走ってくる。遠くて表情は見えないが、走っているフォームを見る限り、やる気を無くしてダラダラ走っているように見える。自主開催シリーズになってから、どうもピリッとしたところがない。

集落コースが終わって本道に戻ると、後半は10kmほど基本的に緩やかな下り坂を走っていく。全体としては緩やかな下りだが、時々、上り坂もある。
前方の支部長になんとか引き離されないようにしなければならないし、後ろから迫ってくるD木谷さんからも逃げなければならない。精神的にかなりきつい復路だ。

橋を渡って対岸の狭い道に入っていくと、後ろから足音がどんどん迫ってきて、遂にD木谷さんに追いつかれてしまった。彼がここでペースアップしたとは思えないので、私がペースダウンしているのだろう。前半の無理が早くも祟ってきたのだろうか。
なんとか一緒に走ろうとしたが、ついて行けず、徐々に離されていく。
狭いクネクネ道なので、D木谷さんの後ろ姿は見えたり隠れたりだ。さらに、その前の支部長の後ろ姿もちらちらと見え隠れしながら、少しずつ離れていく。D木谷さんは支部長にも追いつきそうな勢いだが、支部長も頑張っているようで、なかなか二人は一緒にはならないまま、どんどん姿が見えなくなっていく。

再び橋を渡って県道2号線に復帰したが、前方の二人の姿は見えず、後ろのピッグの姿も見えない。完全に一人旅になってしまった。精神的には、この展開が一番よろしくない。緊張感が無くなって、ついついペースダウンしてしまうのだ。
フルマラソンの時のように足が痛いとか足が攣るといった症状はないが、明らかに足の動きは悪くなっており、だいぶペースダウンしているようだ。

そして、いよいよ最後のめちゃめちゃ急な上り坂が現れた。序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急な下り坂を、今度は反対に上らなければならない。いつも歩いて上る激坂だ。他のランナーもたいていは歩いて上る激坂だ。
この上り坂は距離が長く、ずっと前方まで見える。そして、なんと、期待通り、支部長もD木谷さんも坂を歩いている。リードは支部長が保ったままで、少し後ろからD木谷さんが歩いている。差は30秒くらいか。二人とも同じようなペースだ。
こうなると俄然やる気が沸いてきた。これが逆転できる最後で最大のチャンスだ。もう頑張って走って上るしかない
こんな激坂は走ろうが歩こうがスピードはあんまり変わらないんだけど、そんな事は言ってられない。走れば少しは歩くより速いだろうから、追いつけるチャンスだ。事実、ほんの少しずつ明らかに差は縮まっている
この坂はかなり長くて、例年、上っていて気が遠くなる。特に今日のような炎天下のレースになると、暑さと坂の厳しさで頭がクラクラする。
しかし今日は違う。坂が長ければ長いほど追いつける可能性が高まるので、もっともっと上り坂が続いて欲しいと思う。

少しずつ差が縮まりかけた時、二人が相次いでトンネルの中に入っていく。しかし、このトンネルはまだ緩い上り坂なので、そのまま惰性で歩くかもしれない。なので、まだまだ諦めずに頑張って走っていく。
トンネルに入ると中は真っ暗なので、二人がどこにいるのかよく分からないが、前方に影が見えるのは確かだ。坂は緩やかになるので、頑張ってペースアップして走る。そのうち前方の二人はトンネルを抜けたようだ

しばらくして私もトンネルを抜けると、まだまだ上り坂は続いている。そして前方の二人は2つ目のトンネルに入っていこうとしている
よく見てみると、先行する支部長はトンネルに入っても惰性で歩いているように見えるが、D木谷さんはトンネルに入ったとたんに走り出したように見える。トンネルの中で逆転するかもしれない。
私も続いてトンネルに入る。真っ暗で歩道が狭いトンネルだ。歩道から転落しないように足元を見ていると、あまりにも暗くて何も見えなくなってしまう。むしろ遠方の出口の方を見た方が目がクラクラしなくて済む。
ここはほぼフラットなので、転落には注意しながらもペースは上げなくてはならない

誰が誰かは分からないが、前方の二人はトンネルを抜けたようだ。
私も続いてトンネルを抜けてビックリ。あんなに近づいたと思った二人の姿が見えない。二人ともトンネルを抜けて上り坂が終わったら猛然と走っていったようだ。全く後ろ姿が見えないので、絶対に追いつくことは不可能だろう。

残りは2kmちょっとだし、下り坂なので、一気にガンガン走って終わりたいところだが、先ほどの激坂の上りを頑張って走って上ったせいで、下り坂なのに足が思うように動かない。はがゆいばかりだ。
逆に、先行している二人は上り坂を歩いたから足が温存できていて、そのおかげで下り坂になったとたんに激走して消え去ってしまったのだろう。
先ほどの過激な上り坂では、必死で走っていたおかげで感じなかったが、こうなると炎天下の日差しが肌に焼け付いて疲労度が倍増だ。

なんだかガッカリだが、下り坂なので、なんとか走り続けられる。しかし、思いの外、距離が長い。もうゴールが近づいても良いと思うのに、なおも道は続く。
いい加減ウンザリした頃にようやく町中に入っていく分岐が現れ、そこを左に曲がって再び右に曲がるとゴールが見えてくる


〜 ゴール 〜


ゴール前の最後の最後は再び急な上り坂なのでゲンナリするが、もう最後なのでなんとか歩かずにゴールした。
折り返し点では5年前のタイムとほぼ同じだったのに、ゴールタイムは10分近く遅く、2時間10分ほどかかってしまった。いくら厳しいコースとは言え、大惨敗のタイムだ。後半のペースダウンが著しかったと言うことだ。
しかし、病み上がりで練習不足だったから、仕方ないだろう。前半はなんとか頑張ったけど、長い距離を走るには、まだまだ体力が回復してないのだろう。

ゴール横では、一足先にゴールした支部長とD木谷さんがスマホを構えて待っていてくれて、写真を撮ってくれた。
どっちが勝ったのか聞くと、終盤でD木谷さんが支部長を逆転し、そのまま僅差で逃げ切ったそうだ。D木谷さんは最初から最後までイーブンペースを維持して走ったと思うので、さすがに支部長も終盤はペースダウンしたってことだろう。

(幹事長)「それでも序盤で転落事故があったにもかかわらず、最後まで失速もせずに、凄いなあ」
(支部長)「暑さにはやられたけど、転倒の影響は無かったなあ」


とは言え、膝は擦り傷の血が出ている。僕なら精神的にダメージがきているところだ。

一方、ピッグはトンでもなく遅れてゴールした。遅い。余りにも遅い。遅すぎる。

(幹事長)「舐めとんか」
(支部長)「やる気あるんか」
(ピッグ)「ちょっと遅れると、もうやる気が失せてしまって」
(幹事長)「自主開催しようって言い出したのはピッグなのに、自主開催シリーズでは惨敗ばっかりやで」
(ピッグ)「練習不足ですかねえ」


確かに、支部長に比べたらピッグの練習量は圧倒的に少ない
支部長の練習量は豊富だ。豊富すぎると言っても過言ではない。基本的に毎日10km走って、その後、1km泳いでいる。もちろん、色んな用事でトレーニングできない日はあるがコンスタントに月間200kmは走っている
これは、昨年12月と今年の1月に連続して月間300km走ったおかげで2月の丸亀マラソンで快走した私を見て、それを参考に心を入れ替えた成果だ。
私は、その達成感から油断してしまい、その後は一気に練習量が落ちてしまったのに対して、支部長はそれ以来、ずっと月間200kmを継続している。しかも、フラットなコースだけでなく、峰山の上り坂を積極的に取り入れた効果的なトレーニングを続けている。
とは言え、ピッグの練習量不足は今に始まった事ではない。以前から決して練習量が豊富だった訳ではない。それでも最近は本番のレースでは快走を続けていた。
それなのに自主開催シリーズが始まってからというもの、オリーブマラソン:最下位、北山林道駆け足大会:ブービー、汗見川マラソン:最下位、酸欠マラソン:ブービー、脱藩マラソン:最下位という惨憺たる成績だ。最下位じゃなくてブービーだったのは私が体調不良だった北山林道駆け足大会と支部長が体調不良だった酸欠マラソンだけだ。

(支部長)「練習不足というよりは、やる気の問題やないか?」
(幹事長)「本番じゃないから真剣味が無いのと違うか?
(ピッグ)「すんませーん!」


〜 反省会 〜


走り終わったら、温泉だ。近くの雲の上のホテルの温泉へ行く。いつもはランナーが殺到して、入場するのに待たされるが、今日はすぐに入れた。
気持ちよく露天風呂に入って反省会を開く。

(幹事長)「相変わらず支部長は凄いなあ。特に今日は転落事故があったのに、最後まで力強い走りやったなあ」
(支部長)「D木谷さんもウルトラマラソンに出てるだけあって、最後までペースが落ちませんねえ」
(D木谷)「幹事長も病み上がりなのに頑張りましたねえ」
(ピッグ)「私は蚊帳の外ですかっ!」

私としては、タイムはサッパリで、大惨敗レベルであり、後半の失速を考えると、スタミナの回復はまだまだだ。しかし、手術からちょうど1ヶ月しか経ってないのに、なんとか最後まで完走できたので、一応、満足だ。
しかし、打倒支部長に向けて、トレーニングに力を入れなければならないぞ。

(D木谷)「来年はまたフルマラソンですか?」
(幹事長)「いえいえ、やっぱりこの大会はハーフマラソンで十分ですぅ」


なんとなくこのレースはハーフマラソンでは物足りないような気がしてたけど、それはフルマラソンとの比較において、そう感じていただけで、久しぶりにハーフマラソンのコースを走ってみると、これはこれでなかなか厳しいコースというのを再認識した
フルマラソンの辛さを考えると、来年、正式な大会が復活しても、もうフルマラソンは止めてハーフマラソンを楽しく走りたいと思う。

(支部長)「とか何とか言いながら、記憶力が悪い幹事長の事やから、来年になったら、またフルマラソンに出ようなんて言い出すんやないか?」
(幹事長)「支部長がフルマラソンに出るんやったら付き合うよ」
(支部長)「絶対に嫌!」


さて次は、マラソン大会としては10月末の庵治マラソン11月末のタートルマラソンを自主開催しなければならない。

そのほかにも、10月は中止になったサイクリングしまなみの代わりにサイクリングやまなみと称して阿蘇にサイクリングツアーに行かなければならないし、中止になった秋吉台カルストトレランの代わりに蒜山トレランも企画している。
おまけに、その間を縫って長期登山遠征も計画しているので、非常に忙しいぞ。

(幹事長)「みんな週末は空けておくように!」


〜おしまい〜




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