第74回 丸亀マラソン大会
2020年2月2日(日)、第74回香川丸亀ハーフマラソン大会が開催された。
毎年、ペンギンズの初レースは1月の満濃公園リレーマラソンだけど、あれは動物チームで出る遊び半分て言うか遊び全部の行事であり、真剣勝負のレースとしては、この丸亀ハーフマラソンが初レースとなる。
(支部長)「満濃公園リレーマラソンは遊びやなんて言いながら、惨敗が続いて悔しいやろ?」
(幹事長)「あれは単なる調整ミスや」
(支部長)「素直に老化を認めなさい」
満濃公園リレーマラソンの忌まわしい記憶は忘れて、とにかく丸亀マラソンは正真正銘の真剣勝負だ。このレースは、ほとんど坂が無い国際陸連公認の高速コースを走るってことで、良いタイムが期待できる。そのため、毎年、このレースはやる気まんまんで出場してきた。
特に最近は、かなり真剣に挑んでいる。なぜなら、3年前から一般部門がB部門とC部門に分かれたからだ。以前はエリートランナーがA部門で、一般ピープルはB部門だったが、一般ピープルが細分化され、過去3年間で男子なら1時間50分以内、女子なら2時間10分以内の記録を出したランナーがB部門で、それ以外はC部門となった。A部門がスタートした後、次にB部門がスタートし、最後にC部門がスタートすることになったのだ。
別にB部門だろうがC部門だろうが関係無いじゃない、なーんて事はない。かなり大きな問題なのだ。
タイムはゼッケンに着けたチップでネット計測してくれるから、後ろの方からスタートしても構わないんだけど、後ろの方からスタートしたら大混雑で身動きが取れなくなる。遅いランナーを追い抜きたくても、仲間同士でおしゃべりしながらゆっくり走るおばちゃん軍団なんかに邪魔されて追い抜くこともままならない。
昔は参加者が少なかったから、邪魔なランナーがいても、そのうちバラけてきて空いてきたが、1万人も参加するようになってからは、最後の最後まで混雑は緩和されず、最後までおばちゃん軍団に前を邪魔されたままになるので、それは避けなければならない。
実はスタート順は、B部門とかC部門とかいう大きな部門だけでなく、AブロックからTブロックまで細かく分けられている。以前からそうだった。
このブロック分けが適正に行われていたら、そんなに問題は無い。自分の周りは同じような速さのランナーであり、自分の前は速いランナー、後ろは遅いランナーだ。自分と同じ速さのランナー達と一緒に走れば、邪魔なランナーを追い抜く必要も無ければ、後ろから抜かれる事も無いので、秩序良く走ることができる。そうなればスタート直後の混雑も緩和されるはずだ。
ところが、どのマラソン大会でもそうなんだけど、ブロック分けの根拠は自己申告のタイムであり、みんな速めのタイムを申告しがちだから、本当は遅いのに前の方からスタートするランナーも多い。
(支部長)「それって自分のこと?」
(幹事長)「どきっ!」
こうなると邪魔なランナーが多くて本当に走りにくくなる。
大会の開催要項には、参加上の注意事項として
「スタート順は、申告タイム(2017年1月1日以降の自己ベストまたは予想タイム)順とします。虚偽の申告は、安全な大会運営に支障をきたすので絶対にやめてください。アナウンス、現場係員の指示に従い、必ず指定されたブロックからスタートしてください。割り込みなどは絶対にしないでください」
などと強い口調で書かれているが、なかなか不正は防げない。
その打開策として3年前から導入されたのが、B部門とC部門の分離だ。AブロックからFブロックまでがB部門、GブロックからTブロックがC部門なんだけど、部門分けの基準になるのは自己申告タイムではなくて、大会事務局が把握している過去3年間のタイムだ。虚偽申告するランナーを排除するために厳密な記録に基づいてB部門とC部門に分けたのだ。
(支部長)「細かいブロック分けも過去のタイムを基に実施したらええんやないか?」
(幹事長)「ズルして紛れ込む人が多いから駄目なんじゃない?」
細かいブロック分けは、大きな部門の中でのブロック分けなので、どこにでもこっそりと紛れ込むことが可能であり、あんまり厳密には実施できない。でも大きな部門分けは、ゼッケンの色が異なるため、かなり厳密に実施されており、B部門には遅いランナーは紛れ込みにくいはずだ。(ただし、私の知ってる人で、本当はC部門なのに、毎年こっそりB部門に紛れ込んでいる人がいて、そのノウハウを教えてもらったけど、これは極秘事項です)
一方で、C部門の中では相変わらず遅いランナーが不適正な申告で前の方のブロックに陣取っている。なので、なんとしても1時間50分の制限時間をクリアしてB部門からスタートしたいわけだ。
そういう事情なので、3年前のエントリーに当たっては、慌てて過去の実績を調べてみたが、その4年前の2013年には1時間50分を切っていたけど、それ以降は惨敗続きでB部門の参加資格をクリアできていないことが分かった。
なので、3年前は是非とも1時間50分を切りたかった。ところが、その前年の12月4日の那覇マラソンの直前に交通事故で肋骨を3本も骨折してしまい、12月いっぱいは安静を余儀なくされ、ようやく軽くジョギングし始めたのは1ヵ月前からで、完走すら不安なままスタートした。なんとか2時間のペースランナーに盲目的に着いていって完走する事はできたが、1時間50分なんて切れるはずもなかった。
さらに、その年の5月の連休中には登山で滑落して足を怪我してしまった影響で、その年のマラソン大会はことごとく大惨敗が続き、年が明けた直後の一昨年の丸亀マラソンも大きな不安を抱えたままの出場となった。かなり悲壮な覚悟をもって臨んだ結果、なんとかまあまあのタイムでゴールする事はできたが、1時間50分は切れなかった。
そういう過去の経緯があったため、去年は万全の状態で臨み、真剣に走った結果、なんとか久しぶりに1時間50分を切ることができた。
(ピッグ)「タイムは3年間有効だから、今年と来年はムキになって走らなくても良いじゃないですか」
(幹事長)「わしも最初はそう思った」
しかし、毎年、老化は確実に進行しているから、今年と来年が駄目だった場合、3年後に再び速くなるなんて事は、たぶん無理だ。なので、できるだけ長い間、B部門でスタートできるよう、今年も真剣に走るのだ。
(ピッグ)「やる気満々なのは分かりましたけど、ちゃんと練習はしたんでしょうね?」
(幹事長)「12月と1月は過去最長の月間練習距離を達成したぞ」
(ピッグ)「え?どれくらいですか?」
(幹事長)「恥ずかしいから言わない」
恥ずかしくて言えないくらいの距離ではあるが、私としては過去最長の練習量だった。
(支部長)「その割りには満濃公園リレーマラソンでは惨敗やったな」
(幹事長)「短距離は練習ではカバーできないくらい老化の影響が大きいわ」
満濃公園リレーマラソンのような短い距離のレースは、もういくら練習しても、老化の影響から免れる事は不可能だと分かったが、ハーフマラソンなら練習量がものを言うのではないかと期待している。
(支部長)「そんなアホみたいに練習してたら、また故障するで」
(幹事長)「それは分かってるんよなあ」
実は8年前の秋には、練習量が多かったせいで足を故障した。多いと言ったって、暑い夏場に完全にサボっていたから、夏が終わって少し練習量を増やしただけだ。もともとが貧弱な練習量なので、増やしたと言ってもたかがしれている。スーパールーキーモンキー城武選手が一日で走る距離30kmを1週間かけて走っていた程度だ。それなのに、それが負担になって足首を痛めてしまった。足首が腫れてきて、痛くて走れなくなったのだ。
整形外科に行って検査してもらったら、筋肉が使いすぎて炎症を起こしているとのことだった。「痛みが無くなったら走ってもええよ」って言ってくれたので、2週間後の庵治マラソンには出場したが、もちろん惨敗だった。
私は昔から練習量が少なかったおかげで、他のランナーがよく痛める膝とかの故障とは無縁だったが、そんなに練習量を増やした訳でもないのに筋肉が使いすぎで炎症だなんて、絶望的な気分になった。
(幹事長)「遅くなってるのを食い止めるために練習したいのに、練習ができなくなったら、ますます遅くなるやんか!」
(支部長)「それを人は老化と呼ぶのよ。無理したらアカンよ」
なので、練習量は増やしたいけど、様子を見ながら増やさないと故障してしまうという厳しい状況だが、ここ2ヵ月は、なんとか故障もせず練習できた。だから、今年は秘かに好タイムを狙っているのだ。
(ピッグ)「みんなに言いまくってるから、秘かじゃないですけどね」
もしこれで今年、良い結果が出なければ、根本的に練習方法を考え直さなければならない。
(支部長)「どういう風に?」
(幹事長)「量より質に」
〜 エントリー 〜
丸亀マラソンは、高速レースとして全国的にも名高いことで、以前から人気が高かったが、昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、毎年、さらに参加者が増加している。ただ、会場の丸亀陸上競技場はキャパが大きいため、定員には余裕がある。そのため、一応、定員は1万人となってて、申込者が1万人に達すると受付は終了してしまうが、それとは別枠で、大会前日に会場へ行けばエントリーが可能だ。
そもそも、前日受付OKというシステムは一体どういう意味があるのか、よく分からない。申込し損ねた人のためかなとは思うけど、なぜ前日だけなのか分からない。前日だから天気予報を見ながら遠方から出掛けてくる事も可能だろうけど、なんとなく落ち着かないよね。ま、どっちにしても、前日申込みなんて、なんだか不安なので、早めに申し込むことに越したことはない。
上にも書いたように、我々一般ピープルのエントリーは、3年前からB部門とC部門に分かれた。以前はエリートランナーがA部門で、一般ピープルはB部門だったが、一般ピープルが細分化され、過去3年間で男子なら1時間50分以内、女子なら2時間10分以内の記録を出したランナーがB部門で、それ以外はC部門となった。
私は3年前は交通事故の直後だったため惨敗し、一昨年はあと一歩の所で惜敗したが、去年、久しぶりに1時間50分を切れたため、今回はB部門でエントリーすることができた。
ピッグやD木谷さんは一昨年、既に1時間50分をクリアしてたから、去年もB部門でエントリーできたんだけど、二人ともエントリーを忘れてしまい、C部門でのエントリーだった。C部門のエントリー期間は2ヵ月以上あるが、B部門のエントリー期間は3週間足らずと短い。記録証のチェックに時間がかかったりするからだろう。B部門でエントリーできる記録を持っている人でも、エントリーが遅れるとC部門になるのだ。
一方、ゾウさんだけは、3年前に部門制が導入された時から忘れずにB部門でエントリーし続けてきた。それで今回もゾウさんの注意喚起により、私もピッグもD木谷さんも忘れずにB部門でエントリーすることができた。
なお、B部門のエントリー条件は男子の場合は過去3年間で1時間50分を切るタイムを出していることだが、女子の場合は少し緩やかで、過去3年間で2時間10分を切るタイムを出していればいい。
(幹事長)「いくらなんでも、ちょっと甘すぎないか?」
(支部長)「絶対に甘すぎるで」
確かに男子と女子では平均すればスピードに差はある。でも、その差はせいぜい10分程度だ。日本記録を見たって男子が1時間0分17秒で、女子は1時間6分38秒だから、6分ちょっとしか差が無い。男子より20分も遅い2時間10分だなんて甘い時間設定にしていると、遅いおばちゃん達がいっぱいB部門に来て、邪魔になるから、せっかく部門分けした意味が無くなる。せめて女子も2時間くらいを制限時間にして欲しいところだが、何か陰謀があるのだろう。
ただ、ゾウさんは4年前には私たちを蹴散らして1時間50分を切っているので、堂々とB部門でエントリーできる。
また、まだマラソンの経験年数が浅いのに、最近、驚異的な急成長を遂げている登山部女子部員のらちゃんも、去年は一昨年のタイムを一気に20分以上更新して2時間を切っているので、今年は堂々とB部門でエントリーできた。
(幹事長)「私の指導のたまものじゃな」
(支部長)「生まれ持った才能やってば」
一方、支部長と國宗選手は去年も惜敗したため、今年もC部門でのエントリーとなった。また去年はインフルエンザで出走できなかったペンギン中村君もC部門でエントリーした。
そのほか、今年は登山部女子部員の忍ちゃんも復帰する。彼女は一昨年の丸亀マラソンでマラソンデビューし、同年のオリーブマラソンにも参加したが、その後、大病を患い、長らく医者からランニングを禁止されていた。
(ピッグ)「大病って、何なんですかっ?」
(忍)「恥ずかしくて言えません」
その後、1年半ぶりに去年のタートルマラソンでマラソン大会に復帰したばかりだ。考えてみれば、そのタートルマラソンがまだ3回目のマラソン大会だったわけだが、長いブランクにもかかわらず10kmの部を1時間5分でゴールしたから、決して侮ってはいけない。
(幹事長)「絶対に完走できないと思ってたんやけどなあ」
(忍)「登山部を舐めたらあかんよ」
忍ちゃんはのらちゃんと同じく高校時代には山岳部員だったので、体力はあるのだ。
そして3人目の登山部女子部員のてっちゃんも今回の丸亀マラソンに参加することになった。彼女も高校時代に山岳部員で、去年7月には日本最難関の剱岳に私やのらちゃんと一緒に登った強者なので、登山に関してはベテランだが、走ることに関しては極端なまでにド素人だった。練習でもほとんど走ったことがなかった。たぶん最長でも2kmくらいだ。それも2〜3回だ。
それなのに一体何を血迷ってマラソン大会に出ようと思ったのかは分からないが、いきなり去年のタートルマラソンの10kmの部に出て、忍ちゃんと一緒に1時間5分でゴールしたから、ビックリ仰天だ。
これに味を占めたてっちゃんは、丸亀マラソンにも出たいと言い出した。もちろん、とっくにエントリーは締め切られていたが、上にも書いたように、丸亀マラソンには定員いっぱいになってエントリーを締め切った後でも、別枠で、大会前日に会場へ行けばエントリーが可能なのだ。この制度を活用して、てっちゃんは前日にエントリーしたのだ。
(幹事長)「そうか!こういう人のために前日エントリー制度があったのか!」
前日受付OKなんていうシステムに一体どういう意味があるのか分からなかったが、まさにてっちゃんみたいな人のために用意されたシステムだったのだ。
〜 駐車場 〜
レースの1ヵ月ほど前に、駐車場の券が送られてくる。3年前は珍しく丸亀競技場の駐車券をゲットしたが、他の年はいつも遠く離れた三菱電機の臨時駐車場の券だった。ところが、なんと、今年は三菱電機の臨時駐車場すら外れてしまった。三菱電機の臨時駐車場なんて、福引きの残念賞のポケットティッシュと同じで、丸亀競技場の駐車場が当たらなかった人のための残念賞だと思っていたのに、それすら外れる事があるなんて、もう信じられない。
(幹事長)「世も末じゃ!」
(支部長)「私も三菱電機の臨時駐車場がハズれたよ」
(國宗)「私も三菱電機の臨時駐車場がハズれましたよ」
(ゾウ)「わたしも去年はハズれたけど、今年は三菱電機の臨時駐車場が当たりました」
そこまで末期的な状況になっているとは知らなかった。
昔は会場である丸亀競技場の駐車場に自由に停めていたが、参加者が増加するにつれ、遅く行って停められなかった車が会場周辺に溢れかえって大混乱するようになったため、事前に駐車場を申込んでいた人にだけ先着順で駐車券が送られてくるようになった。その後、丸亀競技場の駐車場だけでは対応できなくなって、遠く離れた土器川河川敷の臨時駐車場なども使われるようになり、申込みが遅れると遠方の駐車場しか配給されなくなった。
それがいつの間にか先着順じゃなく抽選になった。それでも当初は、どこも当たらないって事はなく、たいていは遠方の駐車場券が送られてくるようになった。遠方の駐車場はキャパがでかいので、オーバーするってことはなかったからだ。ところが最近は、それでも足りなくなったようで、どこの駐車場も当たらないっていう人が出てきたのだ。
そうは言っても、メンバーのうち誰かが駐車券をゲットすれば乗り合わせて行けるので、全員が外れるなんていう世紀末的な事が無い限り問題は無い。確率から言えば、全員が三菱電機の臨時駐車場すら外れるなんて事は、数百年に一度くらいだろう。
て言うか、誰かしらは丸亀競技場の駐車券をゲットできる確率が高い。去年は誰もゲットできなかったが、3年前は私が、一昨年はゾウさんが丸亀競技場の駐車券をゲットしている。そして今年はめでたくピッグが丸亀競技場の駐車券をゲットした。
(幹事長)「良かった良かった」
(ゾウ)「遠くの臨時駐車場だと時間がかかりますからね」
三菱電機の臨時駐車場は海岸の工業地帯に設けられており、会場まではシャトルバスで送迎してくれるんだけど、行きはマラソン大会開催のために交通規制が敷かれているため、渋滞で時間がかかって仕方ない。
(幹事長)「本当に迷惑な交通規制だよなあ」
(支部長)「自分たちが出るマラソン大会のせいやがな」
帰りは、もう交通規制は解除されているが、会場周辺道路の渋滞は続いており、戻るのも時間がかかって仕方ない。
(幹事長)「なんであんなに渋滞するんやろな?」
(ピッグ)「自分たちが出たマラソン大会の交通規制のせいですよ」
なので、丸亀競技場の駐車場が利用できるのは、本当に嬉しいぞ。
〜 ジョギング教室 〜
レースの受付は前日と当日があり、どっちでもいいが、私は丸亀に実家があり、しょっちゅう丸亀に行ってるので、前日の土曜日に済ませた。自分だけ前日に受付したって、どうせ他のメンバーは当日に受付するので、あんまり意味は無いんだけど、なんとなく安心できる。のらちゃんも丸亀在住なので、一緒に前日受付をした。
受付ではゼッケンとパンフレットと記念品をもらう。記念品はたまにバスタオルの年もあるが、たいていはTシャツで、今年もTシャツだった。多くのマラソン大会の記念品がTシャツなので、同じようなTシャツが毎年、積み上がっていくから、個人的にはバスタオルの方が良いんだけど仕方ない。今年のTシャツは赤色だった。
パンフレットには第74回と描いてあるが、もちろん、これは嘘だ。よく「幹事長は何回くらい出てるんですか?」って聞かれて「第1回から出てるよ」って答えると、みんな私を仙人でも見るかのように見て驚くが、もちろん私は74歳にはなっていないし、赤ちゃんの分際でハーフマラソンに出るような体力も無い。
本当の第1回大会は73年前ではなくて、23年前の1997年に丸亀城築城400年記念大会として開催された。当時はまだこのホームページを開設してなかったため記事は残っていないが、翌年の1998年の第2回大会からは毎年記事を掲載している。そのまま第4回までは正直な回数だったのに、2001年の第5回大会のとき、突然50回も上げ底されて第55回になった。1997年の第1回大会の前年には第50回香川ロードレースが開催されていたので、いきなりそれを足したのだ。
香川ロードレースというのは、専門の陸上競技関係者しか出ない閉鎖的な大会であり、今の丸亀マラソンとは似ても似つかない全く別のレースだった。長距離レースではあったものの、距離だってフルマラソンの時もあれば35kmレースなんて中途半端な距離のときもあった。レースの性格が全く異なっており、少なくともハーフマラソンが種目だった事はない。
水増しの事情については、第56回(本当は第6回)の記事に詳しく書いているが、理由はもちろん、回数が多い方が伝統がある由緒正しいレースのように聞こえるからだ。もちろん、私は回数の水増しを非難するつもりは毛頭無い。私の故郷である丸亀のマラソン大会であり、回数が多い由緒正しいレースのように聞こえた方が、知らない人に対しては格好良いから、それでいい。
第1回と言うか第51回の頃は、毎年、コースがコロコロ変わり、私の実家のすぐ裏の農道に毛が生えたような道を走ったりしていた草レースだったのが、今や国際陸連公認の高速コースになって全国的にも有名になり、定員1万人があっという間に一杯になってしまうなんて、地元の私としては嬉しい限りだ。
受付が終わり、スタンドに上がって競技場を見ると、女子の3kmレースをやっていた。以前は3kmレースもハーフマラソンの当日にやっていたが、最近は前日にやっている。ハーフマラソンは参加者が増えて肥大化してきたから、3kmレースも同じ日に開催すると大混乱するからだろう。出場しているのは大半が中高生で、社会人は少ない。て言うか、ごく少数の社会人は、いったいどういう理由で参加しているのだろう。
女子の中高生だからってバカにしてはいけない。速い子はものすごく速い。トンでもなく速い。僕らでは100mも持たないスピードだ。専門の陸上部の選手のほか、学校から強制されて嫌々出ている生徒も大勢いて、なかなかチンタラ走っているように見えるが、それでも時計を見る限り、なかなかの速さだ。若いって素晴らしいな。
レースが終わると、今年も金さんのジョギング教室がある。毎年、誰かしら有名な女子選手を相棒にしており、去年の相棒は有森裕子だった。第60回大会のように相棒が高橋尚子さまなら万難を排してでも参加するところだが、有森裕子では悩むところだ。でも、一緒に行ったのらちゃんが「ジョギング教室に出たことないから出てみたい」って言うから、一緒に参加した。
もちろん、大会前日のジョギング教室で何かためになる事を期待してはいけない。そんな即効性のあるノウハウなんて有り得ない。そんなものは最初から期待してはいけない。でも、結果的に、去年は翌日の本番のとき、とても体が軽くなっていた。ジョギング教室のノウハウと言うより、前日に軽く楽しく走ったのが良かったようだ。それで「来年もぜひ参加しよう」って事になった。
しかも今年は待望の高橋尚子さまが金さんの相棒としてやってくる。これは何がなんでも万難を排して参加せねばならない。
このジョギング教室への参加は当日、会場で受け付けをやってるんだけど、今年は事前にインターネットで予約する事もできるようになった。
前日のジョギング教室には、これまでも何度か参加した事があるが、たいていは直前に行っても大丈夫だった。一応、定員はあるけど、定員がいっぱいになるほど参加者が集まる事は珍しい。なので、わざわざ事前にインターネットで予約する必要性は感じなかったが、それでも事前に予約しておけば、当日、ギリギリに行っても大丈夫なので、取りあえず一応、事前に予約しておいた。
ところが前日になって、ふと再確認してみたら、なんと500人の定員が早々にいっぱいになってて、キャンセル待ちを申し込んでる人が150人もいるではないか。一体どういう事だろう。やはり高橋尚子さま効果だろうか。とにかく事前予約しておいて良かった。
ジョギング教室は13時30分から始まるので、直前に競技場の入り口へ行くと、ものすごい数の参加者で大混雑していた。やはり高橋尚子さま効果は絶大だ。
グランドの中に入ると、金さんと高橋尚子さまが登場した。
ジョギング教室の金さん(左)と高橋尚子さま(右)
もちろん、このジョギング教室で何か参考になるような事を真剣に期待してはいけないが、大半の参加者はそれくらい分かっていて、単に金さんや高橋尚子さまと一緒に楽しく過ごすイベントと割り切っている。
今年の内容も、去年と同じく、延々と続くストレッチと、自分の目標ペースのペースランナーと一緒に走るペース走と、質疑応答だ。今さらの内容であり、明日のレースに役立つことは一切無い。でも、誰も最初からそんな事は期待してなくて、和気藹々と楽しい時間が流れていく。
ペースランナーには今年も四国電力の陸上部OBを中心に構成されているが、元締めは矢野選手だ。彼は陸上部OBではなく、ペンギンズOBだが、今ではこのペースランナー部隊を完全に掌握する元締めとして大活躍している。
(幹事長)「私らは卒業したけどな」
(支部長)「声が掛からなくなっただけやがな」
私たちも11年前の第63回大会と10年前の第64回大会ではペースランナーを務めたが、その後はお呼びが掛からなくなった。丸亀マラソンのペースランナーは11年前に初めて導入されたもので、大会のプロデューサーを務める金さんから新城プロに人選の依頼があり、我々に声がかかったのだ。翌年も同様だ。
しかし、その後はペースランナー体制を強化するために、我々のようなド素人ではなく、陸上部OBなどのプロに変えた。少し寂しい気もするが、ペースランナーを務めている限り、この高速レースに出場して好タイムを出すことができないので、どうせならペースランナーより選手として参加したい。
ペース走では、去年と同じく、2時間ちょうどのペースランナーと一緒に軽く走ることにした。目標タイムは1時間50分切りだから、1時間45分のペースランナーと一緒に走ろうかとも思ったんだけど、前日に無理して疲れが残ったら意味ないので、おとなしく2時間のペースランナーと一緒に軽く400mトラックを5周、計2kmを走った。ゆったりしたペースでの僅か2kmのペース走なので、もちろん何の意味も無いが、ウォーミングアップ代わりだ。
(支部長)「前日のウォーミングアップって意味あるん?」
(幹事長)「気持ちの問題やな」
ストレッチは色んな部位について延々とやった。これはこれで何となくためになった。ただ、色々ありすぎてほとんど忘れてしまう。どうせなら、大会当日の集合時にやって欲しいぞ。
その後、質疑応答なんかをやって解散となる。去年は、さらに有森裕子と一緒に記念撮影する時間が設けられていたが、高橋尚子さまは超人気アイドルなのて、そんな事をし始めたら収拾がつかなくなるので、そそくさと居なくなってしまった。残念。
でも、今年も天気が良く、風も無く、ポカポカした気持ちの良い空のもと、楽しいイベントだった。来年も是非とも参加するぞ。
〜 会場へ出発 〜
天気予報ではレース当日は晴れだって1週間も前から言っていた。以前なら、1週間も前の天気予報なんて、絶対に外れると思っていたが、最近は1週間も前の天気予報が信じられないほど良く当たる。なんで1週間も先の天気予報が当たるのか、一体どういう仕組みになっているのか理解できないが、本当に良く当たる。もしかして、中国政府が気象操作をしているのではないかと疑うくらいだ。
なので、今年は安心していたが、実際に天気予報通り、当日は朝から良い天気になった。
もちろん、雨が絶対的に嫌だと思っている訳ではない。以前はどんな季節であろうと、雨は絶対に嫌だったが、第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されている。大会が中止になるほどの雨でなければ気にしない。ただし、それは気温が高いシーズンの話であり、今は一年で一番寒い時期なので、冷たい雨の中を走るのは嫌だ。
(支部長)「そんな事はない。どんな季節でも雨の方が良い」
(幹事長)「20年前の事を忘れたのか!?」
もう古い話になってしまったが、20年前の第4回大会は、冷たい雨の中、体中の筋肉がこわばってしまい、空前絶後の大惨敗を喫したのを今でもはっきりと覚えている。
(幹事長)「老化で認知症が進んで記憶力が衰弱しているのに、あの悲惨な戦いは鮮明に覚えているぞ」
(支部長)「認知症が進んでも古い話は覚えてるんやってば」
ここ3年間は天気がイマイチだったが、今年は良い感じだ。また例年、この時期は西から強い風が吹いてきて、前半は追い風で良いんだけど、折り返してからの後半が強い向かい風となり、ただでさえペースが落ちる後半にますます厳しい戦いを強いられる。でも、今年は今のところ風も弱い。
丸亀までの行程は、今年は支部長さまが車を出してくれて、ピッグと國宗選手を拾ってから我が家へ来て、7時半に高松を出発した。
レースのスタート時間は、エリートランナーが10時35分、一般ピープルB部門は10時50分、C部門は11時だ。当日の受付は、その1時間前の10時までだ。遠い臨時駐車場ではなく、会場の丸亀競技場の駐車場に停められるから、ゆっくり行ってもいいんだけど、途中で何があるか分かんないし、会場の駐車場は激混みで時間がかかるかもしれないので、余裕をもって早めに出たのだ。
その後、途中の坂出でゾウさんを拾って丸亀競技場の駐車場には8時半過ぎに着いた。
D木谷さんやのらちゃんや中村くんは別行動で現地集合だ。
〜 会場到着 〜
会場に着いて他のメンバーの受付を済ませたら、陣取りをしなければならない。
雨の可能性があった去年は、雨が降っていた3年前、雪が降っていた一昨年に続き、雨を避けるために屋根があるメインスタンドに陣取った。メインスタンドの中でも、一番上の3階部分の、さらに一番高い壁際の場所だ。ヤイさんが見つけた穴場で、そこなら壁に遮られて風が来ないのだ。ほとんどの人は2階部分しか目に入らないので、3階まで来ている人はあんまりいない。
でも今年は天気が良いので、以前のように、空いている上にお日様が当たって気持ち良いバックスタンドの端っこの客席に陣取った。今年は我々以外も、半分くらいの人はバックスタンド側に陣取っている。風も無いしお日様が当たって気持ち良い。このままなら絶好のコンディションだ。
場所が落ち着いたら、朝食の続きだ。本当は家を出る前に朝食を食べてトイレも済ませたいところだが、スタートが11時前で、家を出たのが7時半だから、家で食べて出るには早すぎる。理想の食事タイムはゴールの5時間前とのことだから、1時頃にゴールするとしたら、8時頃に食事するのがよろしい。てな事で、来る途中の車の中でおにぎりを1個食べたんだけど、もう1個食べるのを忘れてしまっていた。
しばらくしたらのらちゃんが合流する。さらにペンギン中村君も合流する。ところが、なんとペンギン君は今年も風邪を引いてしまって走らないという。去年もインフルエンザで走らなかったから、気の毒にも2年連続だ。
(支部長)「じゃあ今日は、私たちの応援のためにわざわざ来てくれたん?」
(ペンギン)「いえ、妻の応援です」
言わずと知れたペンギン君の奥さんは、陸連推薦枠で東京マラソンに出場しているほどの高速ランナーで、13年前の庵治マラソンでは出産後わずか4ヵ月後のレースだったにもかかわらず上位入賞したという強者だ。強者と言っても、見た目はとても華奢な小柄で可憐な女性で、一体どこにそんなパワーが秘められているのか不思議な方だ。
(幹事長)「老化で認知症が進んで記憶力が衰弱しているのに、あの驚異の走りは鮮明に覚えているぞ」
(支部長)「だから、認知症が進んでも古い話は覚えてるんやってば」
集合時間の締め切りまでは、まだ、だいぶ時間があるが、取りあえず着替えることにする。
(幹事長)「今日は大いに悩むぞ!」
(國宗)「悩む余地は無いでしょ?」
何を着るかはマラソン大会において最も重要な要素だ。寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。
一昨年のようなコンディションなら悩む余地は無かった。強烈な風雪の中を走るため、防寒に徹しなければならなかったからだ。迷うことなく、防寒用のぶ厚い長袖ランニングシャツを着て、その上に半袖Tシャツを着た。
去年は防寒に徹しなければならないほど寒くはなかったが、雨が降って濡れてもベチョベチョしないように、登山用に愛用している吸湿性と速乾性に優れた長袖のインナーウェアを着て、その上に半袖Tシャツを着た。
しかし、今年は去年よりさらに天気が良い。気温は低いが、風が無く、お日様に当たると暖かい。じっとしてるのに暖かく感じられるような時は走りだすと暑くなるに決まっている。しかも、天気が悪くなる気配も無い。こうなると2枚も重ね着する必要はない。半袖Tシャツだけにするか、長袖シャツだけにするか、悩むところだ。
(支部長)「今日は絶対に暑くなるってば!」
支部長は半袖Tシャツ1枚だ。ゾウさんも半袖Tシャツ1枚だ。確かに、今のコンディションなら半袖Tシャツ1枚でもいけそうだ。なーんて悩んでいると、少し風が吹いてきた。風が吹いてくると、とたんに肌寒くなる。
(幹事長)「半袖では寒いよ」
(ゾウ)「アームウォーマーがあればいいんですよ」
ゾウさんも支部長も、着てるのは半袖Tシャツ1枚だが、腕にはアームウォーマーを付けている。私もアームウォーマーがあれば半袖Tシャツでいいが、そんなものは持ってないので悩まなくてはならない。結局、腕の冷えを防ぐために長袖シャツ1枚にすることにした。
それでも、まだ悩みは尽きない。どの長袖シャツを着るかを決めなければならないのだ。長袖シャツは3種類持ってきている。一昨年着た防寒用のぶ厚い長袖ランニングシャツと、去年着た登山用の吸湿性と速乾性に優れた長袖のインナーウェアと、さらに薄手の長袖シャツだ。結局、かなり悩んだ結果、のらちゃんの指示により、一番薄手の長袖シャツにした。
もちろん冬なので、迷うことなくランニングタイツも履いた。ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が圧倒的に多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかった。
ところが、10月の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走った航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。て事で、それ以来、暑くない限りタイツを履いている。他のメンバーも大半はタイツを履いている。
しかし、今年もゾウさんだけはタイツを履いていない。4年前に圧倒的なタイムを叩き出して僕らを蹴散らした時、彼女はタイツを履いてなかったのだ。それで好タイムを狙う時はタイツを履かないことにしたらしい。タイツは履いてない方が走りやすいってのは私も同感なので、彼女の選択には心を動かされる。
雨が降っていれば被ろうと思って穴の開いたビニール袋も持ってきたが、今の状況なら不要だろう。
気温が低ければ手袋を二重に履こうかと思っていたけど、そんなに寒くはないので1枚だけにする。帽子は大嫌いなので、雨でも降ってない限り被らない。
ポケットにハンドタオルとティッシュを入れたら準備完了だ。
絶好の天候でやる気まんまんの精鋭メンバー
(左から國宗選手、のらちゃん、ゾウさん、幹事長、ピッグ、支部長)
(来るのが遅れた忍ちゃんとてっちゃんは写ってない)
集合写真を撮り終わって、みんなトイレに行ったりバラバラになったところに、忍ちゃんとてっちゃんが現れた。相変わらず二人ともロクに練習はしてないのに、余裕の笑顔だ。去年11月のタートルマラソンでは、二人ともロクに練習もしないで10kmの部を快走していたので、今日だって余裕で完走することだろう。
準備も終わったところで、持ってきたバナナを1本食べ、さらにゼリーを食べる。
トイレは大の方は激混みになっているが、家を出る前にしてきたので大丈夫だ。小の方は空いていたので、一応、行っておく。
スタンドの上から競技場の周りを見ると、招待選手の設楽悠太が双子の兄弟の設楽啓太と並んでウォーミングアップしている。彼らは最初から全力で飛ばすシリアスなランナーなので、ウォーミングアップが不可欠だろうが、我々のような一般ピープルにはウォーミングアップは百害あって一利無しだ。どうせ序盤は大混雑でまともに走れないので、その時がウォーミングアップだ。
10時10分となり、集合開始となった。B部門は10時30分までに、C部門は10時40分までに集合すればいいし、集合は細かくブロック別に分かれるので、急ぐ必要は全くないと思うんだけど、多くのランナーが一斉に走って集合場所に急ぐ。
(幹事長)「なんで、あいつら走って集合しに行ってるの?」
(支部長)「ちょっとでも前の方からスタートしようと思って、自分のブロックの先頭に行こうとしてるんじゃないの?」
自分のブロックの先頭に行ったところで、前のブロックの選手がいるんだから、焦って急ぐ必要は無いように思える。そんなに早く寒いグランドに降りていく必要は無く、ギリギリまで風の無い場所で待てばいい。でも、どんどん集合している選手たちを見ると、なんとなく落ち着かないので、我々も重い腰を上げて集合することにする。
〜 集合 〜
集合場所は、A部門だけは競技場の外だけど、B部門とC部門は同じグランド内で、ゼッケンに書かれたアルファベット順にAブロックから整列していく。B部門はAブロックからFブロックまで、C部門はGブロックからTブロックだ。私は去年、ギリギリで制限タイムをクリアしたので、B部門の最後尾のFブロックになっている。
プログラムを見ると、男子はB部門が全体の17%くらいだけど、女子はさらに少なくてB部門は14%ほどだ。そういう意味では女子に甘い基準って訳でもない。
ただ、女子も男子も一緒にタイム順で集合するから、B部門の最後のブロックであるFブロックは女子の比率が多い。少なくとも1時間50分から2時間10分の間の女子は全員がFブロックにいるはずだ。ぱっと見る限り、周囲の半分は女子で、そのほとんどは私より遅い女子のはずだ。これはスタート直後は走りにくいかもしれない。
(幹事長)「そうか、遅い女子との混雑を避けるために、みんな我先に先頭に並ぼうとしていたのか!」
自分の甘さに気づいたが、仕方ない。ピッグは私より持ちタイムが良いから、1つ前のEブロックなので、余裕で集合している。
ゾウさんとのらちゃんは私と同じFブロックだ。女子2人と一緒なので、待っていても楽しいんだけど、実はこの二人は強敵だ。去年は二人に勝ったけど、ゾウさんには4年前に惨敗している。のらちゃんはマラソンを本格的に始めてまだ2年だけど、急成長中で、去年10月の庵治マラソン、11月のタートルマラソンと連続で負けてしまった。なので、よっぽど気合を入れないと、この二人の女子選手には負けてしまうのだ。
ただ、実は二人とも故障を抱えている。ゾウさんは去年の夏ごろから足に故障を抱えており、今日も痛み止めを飲んでの出場だ。しかし、1月の満濃公園リレーマラソンでは私は惨敗しているので、あまりハンディにはなっていない。
のらちゃんにも満濃公園リレーマラソンでは私は惨敗したんだけど、その満濃公園リレーマラソンでのらちゃんは足を痛めてしまい、その後の3週間はほとんど練習できていない。彼女の実力からすると、それくらい練習してなくても力が落ちることはないけど、怪我が悪化すると困るので、今日はセーブしながら走るとのことだ。彼女のレベルでのセーブなので、これまたハンディになっているとも思えないが、あんまり痛みが増すようだったら、途中で止める事にしている。
(のら)「最後まで完走できるかなあ?」
(幹事長)「セーブして走っても去年のタイムは絶対に上回れるから、焦らずに走ろうよ」
ここで突然、ストレッチの時間となった。競技場の大きなモニタースクリーンにインストラクターが映し出され、それに合わせてストレッチするのだ。昨日のジョギング教室ほど念入りなものでもないし、混雑してるので、あまり大きな動きはできないが、それでも少しは体が軽くなったような気がする。
その後、10時35分になると、招待選手を始めとするトップランナー達がスタートした。昔はプロ級のランナーも我々一般ピープルと一緒にスタートしてたから、最初だけでも目立とうとしてトップランナーの中に混じって調和を乱す素人ランナーがいたけど、今はそういう事はできなくなった。我々一般ピープルB部門は15分後の10時50分がスタートで、さらに10分後の11時にC部門がスタートする。
A部門がスタートしたので、それに続いて我々の移動が始まり、少しずつ進んでいく。
スタート時間が迫ってきたので、本日の目標を設定せねばならない。もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、大会自己ベストの更新を狙うのが良い子の有るべき姿だ。しかも、この丸亀マラソンは坂の無い高速コースなので、良いタイムを狙いたいのが常だ。
ただ、今年も死守しなければならない最優先タイムは、自己ベストではなく1時間50分だ。何度も書いているように、1時間50分を切れば3年間はB部門からスタートできるのだ。もちろん大会自己ベストが出れば1時間50分もクリアしたことになるが、大会自己ベストが出なくても、最低でも1時間50分は死守したいのだ。
もともと丸亀マラソンのコースは、ほとんど坂が無い国際陸連公認の高速コースだし、気温が低い2月だから、良いタイムが期待できる。
それなのに、私はなぜか坂が非常に多くて厳しいコースの瀬戸内海タートルマラソンの方がタイムが良いことが多い。おそらくタートルマラソンは前半から坂が多くて厳しいコースなので、終盤の失速を恐れて序盤からペースを抑えめに走っているため、終盤に失速しない事も多く、結果的に良いタイムが出やすいのだろう。
一方、丸亀マラソンはほとんど坂が無い高速コースで良いタイムが期待できるため、ついつい調子に乗って序盤からガンガン飛ばしてしまい、結局、終盤に大失速するというワンパターンを繰り返している。
割りと良いタイムを出した時でも同じだ。中盤まで非常に良いペースを維持できてたんだけど、そのペースが実はオーバーペースで、終盤にガクンとペースダウンしてしまったが、トータルではかろうじて良いタイムになった、というものだ。つまり、タイムは悪くないが、理想的な展開とは言えない結果だ。
理想的な走り方と言うのは、序盤は抑えめに走って、後半にペースアップするという展開だ。タートルマラソンやオリーブマラソンでも、好タイムを出した時は、たいてい後半の方がペースが速くなっている。オリーブマラソンなんて、前半はフラットで後半に坂が続くから、後半の方が遅くて当たり前なんだけど、好タイムを出した時は必ず後半の方がペースアップしている。
しかし、この丸亀マラソンのコースは終盤に失速するのが必至のコースだ。支部長は「最後の直線区間の直前にある17km地点の給水所の水には毒が入っているから直線区間に入ったら失速は避けられない」という毒入り説を信じて疑わないが、確かに、最後の給水所からゴールの丸亀競技場までの直線部分では、それまでどんなに快調に走っていても、必ず失速してしまう。私も終盤に失速しなかったのは去年だけだ。
私は17km地点の給水所では、もう水分を取らないので、毒入り説には否定的だが、最後の直線コースは緩やかだけど上り坂になっているからペースダウンするのかもしれない。
しかし、なんと去年は初めて終盤にペースを上げるという理想的な展開となった。おそらく、あわよくば好タイムを出そうなんて色気を捨てて、1時間50分切を絶対目標にして、前半を抑えて走ったからだと思う。そのおかげで最初から無茶に飛ばして終盤に撃沈するという永遠のパターンを避けることができたのだと思う。
それで十分なんだけど、ただ、少しだけ後悔もあった。ギリギリで1時間50分は切ったものの、ゴールして、あまりにも余力が残っていたのだ。全力を使い果たした時は、ゴールするともう足が動かなくなるが、まだまだいくらでも走れそうな余力が残っていたのだ。
後から考える結果論で言えば、もうちょっと前半から突っ込んでいたら、もっと良いタイムが出たはずだ。前半をあんまり抑えて走ってしまうと、いくら後半でペースアップしても、トータルで良いタイムを出すのは難しいのだ。
もちろん、去年は何がなんでも1時間50分を切らないといけないと思ったので、リスクを回避してセーブして走る作戦で良かった。だけど、今年は失敗しても、まだ再来年まではB部門で走れるので、少しくらいは冒険して良いような気がする。
なので、前半は程よく抑えて走らなければならないと言いつつも、今年は多少のリスクは冒して、去年よりは少しハイペースで入ろうと思う。もちろん、その加減は非常に難しくて、無理しすぎると後半に失速するから、ほんの少しだけハイペースにしよう。去年は1km5分15秒くらいで走りだし、終盤1km5分5秒くらいにまで上げて、トータルで1km5分10秒ちょっとだったから、今年は最初から1km5分5秒くらいで攻めてみよう。
(ゾウ)「なんか微妙な差ですね」
(のら)「うんうん、誤差の範囲じゃないの?」
ゆっくり移動していくと、ようやく競技場の南側の国道に出た。ここからだとスタート地点の表示が見える。
気温は低めだが、相変わらず良い天気で、風もあまり無いから、寒くない。まさに絶好のコンディションと言える。
と思ったら、場内アナウンスで「今日は絶好のコンディションです。自己ベストを出しましょう。今日、自己ベストを更新できなければ、もう自己ベストは出ませんよ!」なんて言ってる。確かに、その通りだ。今日は惨敗しても、何の言い訳もできない。
スタート地点では、昨日のジョギング教室にも来ていた高橋尚子さまがいて、大きな声で声援を送ってくれている。レース中もどこかで声援を送ってくれるらしい。
〜 スタート 〜
いよいよB部門のスタートの号砲が鳴り、スタート地点までダラダラと動き始める。
みんな一斉にスタートしていた時はスタート地点を越えるまで10分くらいかかったりしてたけど、今日はB部門の最後尾の私でも1分半ほどでスタートラインを越えた。
そしてスタートラインを越えたら、すぐに小走りが可能となった。以前はスタート地点を越えてもしばらくは歩くようなスピードだったから、だいぶマシだ。これまでは序盤がウォーミングアップ代わりだったが、今日はもうウォーミングアップ無しで早々に普通に走れるようになった。
しばらく走ると最初の1km地点の表示が見えてきた。時計を見ると5分ジャストだ。さすがに、ちょっと驚きだ。最初は混雑があるから、去年は5分30秒ほどかかったし、他の年も、こんなに速かったことはない。今年は混雑が少なかったって事だ。やはり最後尾とは言え、B部門で走ると大混雑を回避できることが証明された。ますます、今後もB部門でスタートしなければならない。
混雑が無いと、単にタイムロスが無いだけではない。去年なんか、混雑を抜けようとして、邪魔なランナーを追い抜いて行くのに労力を使った。右へ左へ他人をかき分けながら追い越して走るのは、体力と精神力を無駄遣いする割には大してペースアップできないので、できれば避けたいのだ。
最初の1kmが思いのほか速かったので、次の2km地点はますます速くなってるかと期待したが、むしろ少しだけ遅くなっていた。おかしいな。でも、別に焦るようなペースではないから、無理せずそのまま走る。
次の1kmは丸亀城に向かう直線区間で、走ってる感覚としてはますます快調なので、少しペースアップしたかなと思ったら、3km地点で見たラップは、さらに少しだけ遅くなっている。ただ、遅くなってると言っても、完全に誤差の範囲だし、当初予定は1km5分5秒ペースだから、ちょうどいいくらいだ。無理する必要は全くないので、そのまま走り続ける。
以前は最初の数kmは1km5分を切るペースで走っていたけど、今日はそこまで突っ込んで終盤に撃沈したら元も子もないので、このペースをできるだけ維持して走り続けよう。特に混雑は無く、走りやすい。走っていて快適なペースだ。
なーんて思いながら次の4km地点で時計を見たら、さらに少し遅くなっている。さすがに、これは誤差の範囲じゃなくて、明らかにペースダウンしている。
慌てて気合いを入れ直して走ったら、次の5km地点でのラップは持ち直した。ペースアップしたと言っても、大したペースアップではなく、無理している訳ではないので、まだまだ余裕だ。
と思ったら、なんとすぐ横にゾウさんが追いついてきた。足を故障しているのに、こんなところで追いつかれるなんて、ほんとビックリ。ビックリというより恐怖だ。背筋が寒くなった。慌てて気合を入れなおす。
5km地点には最初の給水所がある。混雑しているし、まだレースは始まったばかりで喉は渇いていないので、給水はパスしたいところだ。もともと私の場合、あんまり喉が渇かない体質なので、ハーフマラソンなら給水無しでも全然平気だ。しかも冬場はあんまり汗もかいていないし。しかし、足の攣りを防止するためには水分の補給は欠かせない。そもそも「給水は喉が渇いてからでは遅く、早め早めに給水しろ」ってのが鉄則だ。てなことで、今日は最初の給水所から真面目に水分を補給していく。混雑しているので少しタイムをロスするのが痛いところだが、仕方ない。
この辺りで早くもトップランナーが折り返してきたのとすれ違う。なんと先頭集団は設楽悠太ではなく、他の日本人2人と白人選手2人だ。どうしたんだろうと思って見ていると、第2集団に設楽悠太や黒人選手がいた。予想外の展開だ。
もちろん、関心は優勝争いではなく自分のタイムだ。水分補給した割には、次の6km地点でのラップはさほどタイムロスは無く、順調だった。
だが、次の7km地点や8km地点のラップは、どちらも少し落ちていた。多少のペースの変動に一喜一憂するつもりはないが、少しづつ落ちていくのは不安だ。
次の9km地点の手前には2つ目の給水所があり、まだ喉は渇いてないけど、ちゃんと水分補給する。そして、この区間にはコース最大の難所である田尾坂があるため、毎年ペースは落ちる。今日も9km地点のラップはかなり大きく落ちたが、これは仕方ない。
なんとか遅れを取り戻そうと頑張ってペースアップしたら、なんとか次の10km地点では持ち直した。
そこから500mちょっと進むと中間点がある。この時点でタイムは53分半くらいだった。単純に2倍すると、ゴール予想タイムは1時間57分だ。ただ、過去のタイムを思い起こすと、もっと速かったことも何度もあるが、たいていは終盤に失速している。なので、このままペースを維持できるかどうかが問題だ。
中間点から少し行くと、折り返し点がある。たぶん前を走っているはずのD木谷さんやピッグは見つけられなかった。
折り返し点を過ぎて確認すると、ゾウさんがすぐ後を走ってきた。時間にして20秒ほどの差だ。涼しい顔をしてて、こっちがペースダウンでもしようものなら、あっという間に追いつかれそうだ。
そして、のらちゃんは足が痛くてペースを抑えて走ってるはずなので、しばらくは現れないだろうと思っていたら、なんと、ゾウさんとほぼ同時に走ってきてて、僕を見つけて大きく手を振ってくれた。もうビックリして、何度も何度も振り返ってしまった。
やはり、この女子部員2人は侮ってはいけない。二人とも終盤に失速しなければ1時間50分を切るだろう。
すれ違って後続のランナーを見ると、後から後から、はるか遠く地平線のかなたまで、夥しい数のランナーが走ってくる。
かつて制限時間が2時間5分だった頃は、僕らのような劣等生ランナーの後ろには、もうほとんどランナーはいなかったのだが、最近は制限時間が3時間にまで延びたため、色んな人が参加するようになり、僕らのような低レベルのランナーが上位になってしまっている。まるで自分たちが速くなったような気分になれて、大変気持ち良いのだが、参加者が激増したため、知った顔を探すのは困難になってしまった。
折り返した後半は西向きになり、正面からモロに西風を受けるようになる。今年は風は弱めだが、それでも風の抵抗はあるし、体が冷えて寒くなる。そのため、風よけになってくれるランナーを見つけなければならない。
同じようなペースで走る大柄なランナーでないと風よけにならないから、なかなかうまく見つからずに苦労する。適当なランナーを見つけたと思って後ろから着いていくと、こっちは風の抵抗が無いから、なんとなくペースが遅く感じてしまう。だが、そのランナーから離れて走り出すと、風を受けてペースダウンしてしまう。自分より少しだけ速いランナーを見つけて、うまく着かなければならない。
女子部員2人が追いかけてくる恐怖のために、折り返してから11km地点と12km地点でのラップはいずれも5分ちょっとで良いペースになった。女子部員さまさまだ。
13km地点の手前には3つ目の給水所があり、ここでもこまめに水分を補給しながら頑張ったつもりなんだけど、この区間は再びコース最大の難所の田尾坂があるため、13km地点では大きくペースダウンした。
次の14km地点は頑張ったおかげで持ち直したが、その次の15km地点では再び大きくペースダウンした。
残り6kmとなったここからの終盤が勝負だ。たいていは、この辺りからペースダウンしてしまうが、去年は逆にここからペースアップして1時間50分を切ることができた。去年は、ここまでペースを抑えて走ってきて、余裕が残っていたことと、気合も十分だったことが勝因だろう。その意味では、今年もここまでは割とペースを抑えて走ってきたし、気合も十分だ。残り6.1kmを必死で走ってみよう。
てことで、気持ちをラストスパートモードに切り替える。もちろん6kmもスパートが持つはずはないが、気持ちの問題だ。
そのおかげで、16km地点でのラップは5分ちょっとにペースアップできた。すばらしい。このままガンガン行きたいところだ。
この後、土器川の橋を渡る。これを越えれば、もう細かなアップダウンは無い。橋を渡って一気に下ろうとすると、なんと前方に高橋尚子さまがいるではないか。道の真ん中に立って、両手でランナーにハイタッチしてくれている。もちろん一目散に駆け寄ってハイタッチしてもらった。素晴らしい。高橋尚子さまとハイタッチできるなんて、素晴らしすぎる。
これで元気をもらい、次の17km地点でも5分ちょっとを維持している。良い調子だ。
17km過ぎには最後の4つ目の給水所がある。支部長が毒が入っているという給水所だ。もちろん、こんな終盤になったら給水は必要ない。迷わずパスして走り続ける。
ここからゴールの丸亀競技場までの直線部分は、たいていは失速してしまう区間だ。それも少しずつペースダウンするんじゃなくて、いきなりガクンと大失速する。それまでどんなに快調にペースを維持していても、この最後の直線部分でいきなり大幅にペースダウンするのだ。
確かに、この最後の部分は、なかなか自覚できない程度なんだけど、ゆる〜い上り坂になっているので、そのせいで失速しても仕方ないと諦めていた。ゾウさんによると、このコースで最も標高が高いのは、途中にある田尾坂ではなくて、スタートとゴール地点の丸亀競技場なんだそうだ。なので、この最後の直線部分は意外に上り坂なのだ。
しかし、去年は終盤でも大きな失速は無かったというか、むしろペースアップできたので、もう恐怖心は無く、自信が付いている。坂と言っても、たかが4kmで15mほど上がるだけだ。もう魔の区間ではない。
と思いながら走ったんだけど、気持ちではガンガン走っているつもりなのに、18km地点でのラップは思いのほか落ちている。
落ちた原因は上り坂ではなく、危機感の喪失だろう。去年はこの時点で1時間50分を切れるかどうか微妙だったため、本気で必死になって走ったが、今年はもう、よっぽど大失速しない限り、1時間50分切りは間違いないって感じになってきた。こうなると、いくら必死で走ろうと思っても、絶対に心に緩みが出てしまい、必死に走れない。本気度が無くなってしまったのだ。
しかし、後はもう残り3kmだ。なんとか気持ちをラストスパートモードにしようとする。例年なら、気持ちだけはラストスパートモードになっても、実際に時計を見ると大幅にペースダウンしてて愕然とするんだけど、19km地点でのラップは、なんとか持ちこたえている。
例年なら、この辺りまでくると大きくペースダウンして他のランナーにどんどん抜かれていくが、今年は逆に他のランナーを追い抜いている。例年なら、自分ではペースアップしているつもりでも、他のランナーが次々と追い越していくので、自分はペースダウンしているってのを痛感させられる区間だが、今日はなんとか余力が残っている。
なーんて思って、一段とペースアップできてるかなと思ったんだけど、20km地点で見たラップは、なんと一気に5分半にまで落ちていた。毎年、この区間はペースが落ちるんだけど、去年はもっとマシだった。今年は落ち方が激しい。まるで惨敗した時のペースだ。やはり気持ちの緩みで油断しているのだろう。て言うか、1時間50分切の目標達成が確実になった今、これ以上、頑張る目標が無いのだ。もう残りは1kmちょっとだから、転んでも1時間50分は切れるだろう。目標喪失だ。次の目標を考えておけば良かった。
そして、いよいよ最後にコースは道路から競技場の敷地に入っていく。ここまで来ると、もうゴール間近になるため、いくら目標が無くなっていても否が応でも気分は高まり、やる気が出てきて、短距離走のつもりで必死で走る。たぶん、実際には大してペースは上がってないんだろうけど、それでもモードが切り替わったような気がする。
〜 ゴール 〜
競技場の中に入り、最後のトラックの直線をゴールゲート目指して必死に走りこむと、ゴール後に女子高生が列を作ってハイタッチしてくれる。これが嬉しい。
さらに審判員をしている友人も駆け寄ってきてくれた。
結局、タイムは去年を上回り、大会自己ベストが出た。
去年より序盤から少しだけハイペースで入ったため、全体的に去年よりペースが上がったのだ。去年のように終盤にペースアップすることはできず、終盤は去年より遅かったが、それでも失速とまでは言えず、ペースダウンは最小限に食い止めることができた。まずまずのレース展開だ。
もちろん1時間50分は切っている。これで3年間は生き延びた。
ただ、今年も去年と同様に、ゴールしても足は全然疲労感が無い。終盤に撃沈したパターンの時は、ゴールすると、もう足が動かなくなるが、今日はまだまだ走れそうな余力が残っている。後から考える結果論で言えば、これなら、さらにもう少し前半から突っ込んでたら、もう少し良いタイムが出たかもしれないなんて思う。来年は、もう少し序盤から飛ばしてみよう。
折り返し点まですぐ後を走っていたゾウさんを待っていると、しばらくして帰ってきた。
(幹事長)「ちょっとペースダウンした?」
(ゾウ)「足にマメが出来たみたいで、痛くて痛くて」
シューズを脱いで見てみると、右足の親指の付け根に大きな血マメが出来ている。こら痛いわ。それでペースダウンしたのか。それでも去年より1分半ほど速かった。
さらに、しばらくするとのらちゃんも帰ってきた。折り返し点では元気そうにすぐ後ろを走っていたけど、表情が疲れ果てている。
(幹事長)「足は大丈夫やった?」
(のら)「大丈夫じゃない。痛くて走れなくなった」
もう自分では立っていられず、横で支えないと歩くこともできない状態になっている。聞くと、前半は痛みが無く、調子よく走れたけど、13km地点辺りから急激に痛みが出てきて、まともに走れなくなったそうだ。前半に飛ばし過ぎたのがアダとなったのかもしれない。
それにしても、支えられて歩くのもやっとの状況なのに、よくゴールまで完走できたなあと感心する。しかも去年より1分ほどタイムを縮め、大会自己ベストを更新した。
ゾウさんと言い、のらちゃんと言い、女子部員の実力と根性には感服させられる。
続いて、10分遅れでスタートした國宗選手がゴールした。去年より2分以上速く、ゾウさんにも3秒だけ速かった。
さらに支部長もゴールした。彼も去年より3分ほど速かったが、惜しくも1時間50分はクリアできなかった。
(支部長)「いかん。去年よりは速かったけど、今年も1時間50分を切れなかった」
(幹事長)「練習量が足りないんよ」
記録証を受け取り、スタンドに戻ると、先にゴールしたピッグが待っていた。去年と同じく、私より2分半くらい速かったようだ。このレースに限らず、最近、ピッグには負けっぱなしだ。
D木谷さんだけは、序盤に飛ばし過ぎて終盤に失速してしまい、去年より遅かったようだ。
(幹事長)「でも、僕だけ良かったんじゃなくて、ほとんどみんな去年より速くなってるやん」
その後、忍ちゃんやてっちゃんもゴールした。二人とも終盤はかなり失速したが、それでもちゃんと完走したから立派なものだ。
(てつ)「終盤に失速しないようにするには、どうしたらいいの?」
(幹事長)「頼むから、少しは練習してね」
今日はコンディションが良かったせいか、大半のメンバーが去年より好タイムを出している。去年も同じことを思った。つまり、大半のメンバーが2年連続でタイムが良くなっている。何も私だけが健闘した訳ではなく、コンディションが良かったから、みんなタイムが良くなっただけのようだ。
(幹事長)「12月、1月と練習に精を出したおかげかと思ったんやけど、そうでもないのかなあ」
トップランナーたちを見ても、優勝候補の設楽悠太は駄目だったが、伏兵の小椋裕介と藤本拓の二人が揃ってハーフマラソンの日本新記録を出した。これは、今、話題のナイキのピンクシューズの影響もあるだろうけど、今日のコンディションが良かったのも一因だろう。
〜 反省会 〜
レースが終わり、駐車場に戻る。恐れていたほどの渋滞はなく、うまく裏道から脱出する事ができた。
いつものようにうどん屋での反省会に繰り出さないといけない。たいていのうどん屋は2時過ぎには閉店になってしまうが、もう3時が近付いているので、毎年、行く店に困る。でも今年は、ゾウさんが知り合いのうどん屋さんに聞いてみると、まだやってるとのことだったので、坂出の中心地まで行く。最近では少なくなった太くてごっつい麺で、美味しかった。
(幹事長)「何はともあれ、今年も1時間50分を切って大会自己ベストを更新できたのが嬉しいぞ」
12月、1月と練習量を増やしたのは間違いではなかったようだ。来年もこの作戦でいこう。
ただ、終盤にペースアップできた去年と違い、少しとは言え終盤にペースダウンしたのが悔しい。これは足に疲労が出たと言うより、明らかに精神的なものだろう。去年と違い、終盤に緊張感が無くなって気持ちが緩んだことが原因だ。ゾウさんかのらちゃんが終盤まで一緒に競り合ってくれていたら、緊張感が持続して最後まで良いペースで走れたと思う。去年の徳島マラソンでは、目標を失ってやる気が無くなって歩くようなペースになり始めた40km地点でゾウさんが追いついてきたから、気合を入れなおして最後まで一緒に走った。
(幹事長)「ああいうパターンが望ましいぞ。今年は二人とも足の故障で仕方なかったけど、来年は万全の体調で挑んでくれたまえ」
(ピッグ)「完全に他力本願ですね」
次のレースは、ゾウさんとD木谷さんは例年通り来週の坂出天狗マラソンに出場する。2週連続は大変そうなので、私はパスしたが、彼らはエネルギーが溢れているから大丈夫だろう。
一方、私は2週間後の高知龍馬マラソンに初出場する。ここ2年はD木谷さんに誘われて海部川風流マラソンに出ていたが、そのD木谷さんが今年は高知龍馬マラソンに出ると言うので、私と支部長も一緒に初参加するのだ。初めてレースだし、高さ50mもある浦戸大橋を越えたりするアップダウンのあるコースなので、記録は狙わず、楽しく完走することが目標だ。
さらに、その翌週は善通寺五岳山で開催される五岳山空海トレイルというトレイルランのレースに出る。去年、初めて出たレースで、距離は15kmに過ぎないが、累積の標高差が1300mもあるのに制限時間が3時間20分という、とってもハードな戦いだ。
て事で、この時期はマラソンシーズン真っ盛りなので、みんなスケジュールが立て込んでいるが、今日の勢いで頑張ろう!
〜おしまい〜
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