第40回 瀬戸内海タートルマラソン大会
2019年11月24日(日)、小豆島において第40回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催された。
(ピッグ)「毎年のことながら、このタートルマラソンの記事だけは早いですねえ」
(幹事長)「毎年のことだけど、1週間後には那覇マラソンが迫ってるからな」
ここんとこ、溜まりに溜まっていた登山紀行をようやく書き終えたばかりだが、1週間後に迫ってきている那覇マラソンに備えるために、タートルマラソンごときの記事はさっさと済ませなければならないのだ。
(ピッグ)「記事だけじゃなく、レースそのものも、あんまりやる気が感じられませんね」
(幹事長)「そんな事はないぞ」
私の中では瀬戸内海タートルマラソンは一番由緒のあるマラソン大会だ。真剣に取り組まない訳がないじゃないか。
瀬戸内海タートルマラソン大会は私にとっては初めて参加したマラソン大会であり、私のマラソン大会の原点と言える、一番愛着がある大会だ。初めて参加したのは、24年も前になる1995年の第16回大会だ。
(ピッグ)「記事があるのは、その2年後の第18回大会からですよね」
(幹事長)「このホームページを開いたのが1997年やからなあ」
24年も前のレースの事なんてほとんど覚えてないが、初めて参加したマラソン大会なので、エントリーの経緯はよく覚えている。
その頃、一人でジョギングなんかしてたんだけど、ふと、何かマラソン大会ってものに出てみたいなあなんて思い立った。でも、当時はマラソンブームが起きるはるか以前の事で、ジョギングする人だって滅多にいなかったから、全国的にもマラソン大会は数が少なく、たまにあっても出場するのはマニアックな人ばかりという状況だった。
ところが、ある日、テレビを見ていたらタートルマラソン大会のCMが流れていて、「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘われて、ついフラフラと軽はずみな気持ちで申し込んでしまったのが最初だ。申し込もうと思い立ったとき、実は既に申し込み受付期間は過ぎてたんだけど、主催者の瀬戸内海放送の本社まで訪ねて行ったら、簡単に申し込むことができた。今みたいに、申し込み受付スタートと同時にパソコンのキーを叩いて1秒を争ってネットで申し込みしないとエントリーすらできないという末期的な状況からは考えられない古き良き時代だ。
当時、私のような素人が誰かから誘われた訳でもなく一人でマラソン大会に出るなんて事は、珍しかったと思うので、初心者大歓迎だったのだろう。
(支部長)「チャレンジャーやなあ」
(幹事長)「ほとんど練習もしないで、いきなりトライアスロンに出て撃沈した支部長さまには及びません」
ちなみに、当時はタートルマラソンってことで年齢制限があり、35歳以上でないと出場できなかった。だから30歳代後半で出た私なんかは若手の部類だった。
初参加したレースの結果は、30歳代だったにもかかわらず2時間すら切れない大惨敗だった。順位を見ても、かなり後ろの方だった。「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘惑していたが、マラソンブームなんてものが起きる遥か以前の事だから、実際に出場していた人の大半は経験豊かな速いランナーで、ド素人の私なんか蹴散らされていたのだ。
(ちなみに、翌年の1996年も、翌々年の1997年も2時間を切れず、2時間を切ったのは4回目の出場となる1998年だった)
タイムは悪いし順位も後ろの方だったけど、初めて出場したマラソン大会は感動的なものだった。誰でも参加できる市民マラソン大会を走っているだけなのに、沿道の住民からは熱い応援があり、まるでオリンピックを走る一流選手になったような気分になれたからだ。
今思えば、人口が少ない地域の小さな大会だから、もっと大きな大会に比べたら、沿道で声援を送ってくれる人も数も少なかったんだろうけど、他人から声援を受けて走るなんて事は、義務教育を終えてからは初めてだったので、とても快感だった。初めてだったから、ペース配分も何も分からずに走ったため、ゴールしたら足が動かなくなって座り込んだけど、今思えば、あの疲労感も心地よかった。
(支部長)「今じゃ全力を出し切ることもできなくなったからなあ」
(幹事長)「一生懸命走ってるつもりでも力を出し切れてないから、ゴールしても余力が残っているのよねえ」
初めて出たマラソン大会がすごく楽しかったというのは、自分でもラッキーだと思う。ときどき、初めて出たマラソン大会が辛かったから一回きりでマラソンを止めてしまったという人の話も聞くが、とても気の毒だ。私は、初マラソンでマラソン大会に出る楽しさを知ってしまったから、それ以来、病みつきになった。
そういう意味で、単に初めて出場したマラソン大会というだけでなく、私の人生に大きな転機をもたらした瀬戸内海タートルマラソンは、私にとって極めて重要なマラソン大会なのだ。
それが証拠に、去年なんて同日開催の大阪マラソンに当選していたにもかかわらず、大阪マラソンを捨てて瀬戸内海タートルマラソンに出場した。
(ピッグ)「普通では考えられませんね」
(幹事長)「自分でも考えられない」
大阪マラソンは東京マラソンの次くらいに人気が高いマラソン大会で、競争率は毎年5倍を上回る。なので、平均して5年に1回くらい当選すれば良いって感じだ。私は第1回から毎年、申込を続けており、2013年に一度、当選して出場した。去年は8回目の開催だったので、そろそろもう一度当選してもいい頃かなあなんて思っていたら、うまいこと2回目の当選を果たしたのだ。
6年前に出場した大阪マラソンは、本当に楽しかった。一度だけ当選して出場した東京マラソンも、とっても楽しかったが、それに匹敵するくらい楽しいマラソン大会だった。私の中で楽しかったマラソン大会ベスト3は東京マラソンと大阪マラソンと秋吉台カルストトレイルランだ。
そんなに楽しい大阪マラソンに当選したのだから、万難を排して参加するのが当たり前なんだけど、去年は開催日がタートルマラソンと同じ日になってしまった。以前は10月末に開催されていたのに、いつの間にか11月末に変わっていたのだ。
(ピッグ)「そんなに楽しい大阪マラソンよりタートルマラソンを優先するほどタートルマラソンに思い入れがあるとも思えないんですが」
(幹事長)「そなな思い入れは全くない!」
瀬戸内海タートルマラソンは、私の人生に大きな転機をもたらした極めて重要なマラソン大会だが、はっきり言って飽きてる。
(ピッグ)「飽きますよねえ」
(幹事長)「あなな海と山しか無いマラソン大会なんて飽きるよなあ」
大阪マラソンや東京マラソンの何が楽しいかと言えば、変化に満ちた大都市の風景が次々に現れてくるのが楽しいのだ。それに比べて走っても走っても海と山しか見えない小豆島のレースは退屈だ。ついでに言えば、延々と吉野川の堤防だけが続く徳島マラソンも退屈の極致だ。
ところが去年は登山部の女子部員2人を誘ってしまっていたのだ。この2人は去年5月のオリーブマラソンにも誘って初参加してもらったんだけど、それが楽しかったため、タートルマラソンにも出ることになったのだ。もちろん初参加だから右も左も分からない状況だ。その2人をほったらかして自分だけが大阪マラソンに出るなんてことは許されなかったのだ。
(ピッグ)「大人なんだから、初参加でも何とかなるでしょ?」
(幹事長)「いや、ここだけの話なんだけど、彼女たちは今だに子供のままだから、自分たちだけでは右も左も分からず、迷子になって泣いて帰ってくるのが目に見えていてな」
私が24年前に初参加した時も、もちろん右も左も全く分からなかったが、別に困ったことは無かった。大人なら、それくらいは何とでもなるんだけど、いつまで経っても子供の登山部女子部員たちは放っておけなかったのだ。そんな事をしたら、二度と口をきいてくれないだろう。て事でやむなく大阪マラソンを蹴ってタートルマラソンに参加したのだ。
〜 エントリー 〜
瀬戸内海タートルマラソンは私にとっては最も愛着あるマラソン大会なので、この24年間は、ほぼ毎年欠かさず出ているが、ペンギンズの他のメンバーには、このような思い入れが無いため、以前は参加者が少なかった。しかし近年は丸亀マラソンやオリーブマラソンと同列の四電ペンギンズ公式レースとして出場するのが基本となった。
てことで、今年の参加メンバーは私と支部長、ピッグ、ゾウさん、國宗選手、D木谷さんそして登山部女子部員3人となった。
(ピッグ)「あれ?登山部女子部員の参加は2人から3人に増えたんですか?」
(幹事長)「またまた増強しました」
去年はのらちゃんと忍ちゃんが初エントリーした。
のらちゃんは去年までは丸亀マラソンに2回ほど出たことがあっただけで、それ以外では去年のオリーブマラソンが初めてで、タートルマラソンも去年が初めてだった。でも、もともと素質があったため、めきめき速くなり、今年の丸亀マラソン、今年のオリーブマラソンと順調にタイムを伸ばして私たちを脅かすようになり、遂に10月末の庵治マラソンでは私や支部長や國宗選手を蹴散らしてトップでゴールした。そのほか善通寺五岳山空海トレイルや秋吉台カルストトレイルランにも参加し、向かうところ敵無し状態だ。
一方、忍ちゃんは去年の丸亀マラソンがマラソン大会の初参加で、その後、去年のオリーブマラソンには出たんだけど、去年のタートルマラソンにはエントリーはしたものの、やんごとなき事情により欠場となった。その後も今年の丸亀マラソン、オリーブマラソンと出られない状態が続き、今回、1年半ぶりにマラソン大会に復帰するのだ。
(忍)「大丈夫かなあ。走れるかなあ」
(幹事長)「歩いてもゴールできるって」
忍ちゃんは久しぶりのマラソン大会になるので、10kmの部に出るんだけど、10kmの部の制限時間は1時間30分もあるので、1km9分のペースでゆっくり走っても構わないのだ。
そして、なんともう1人の登山部女子部員のてっちゃんがマラソン大会に初参加となった。てっちゃんは今年7月に、日本最難関の剱岳に一緒に登った強者なので、登山に関してはベテランだが、走ることに関しては極端なまでにド素人だ。練習でもほとんど走ったことがない。たぶん最長でも2kmくらいだ。それも2〜3回だ。それなのに一体何を血迷ってマラソン大会に出ようと思ったのかは分からない。
彼女も10kmの部だが、それでも2km走を2〜3回やっただけで挑もうとするのは、無茶ではないだろうか。
(支部長)「チャレンジャーなんやね?」
(幹事長)「私は一応は準備をしてチャレンジするけど、ほとんど準備なしでチャレンジするところは支部長と同じやな」
タートルマラソンにはフルマラソンの部とハーフマラソンの部と10kmの部がある。10kmは距離が短すぎてペースが速いので、エントリーに当たってはフルマラソンの部にするかハーフマラソンの部にするか、迷わなければならない。
(ゾウ)「私は10kmの部に出ますけどね」
ゾウさんは最近、距離が短くてペースが速いレースにはまっている。坂出天狗マラソンも以前は15kmの部に出ていたが、最近は5kmの部に出ていて、去年、今年と女子年代別部門で優勝し、2連覇の偉業を達成している。
(幹事長)「5kmの部なんてペースが速いやろ?」
(ゾウ)「ペースが速いから出るんですよ」
(幹事長)「どゆこと?」
(支部長)「意味わからん」
距離が短ければ、一見、距離が長いレースより楽そうに思えるが、それは素人の考えであり、距離が短くなればペースは速くなるので、距離が短くてペースが速いレースの方がはるかにしんどい。距離が長ければペース配分とか考えて無茶に飛ばしたりはしないが、距離が短いとペース配分なんて考える余地は無く、最初から最後まで全力で走らなければならないからだ。
極端な例が、1月の満濃公園リレーマラソンで、1周わずか2kmなので、もうペース配分なんて考える余地は無く、最初から最後まで全力でぶっ飛ばさなければならないので、非常にしんどい。年間のレースの中で、あれが一番しんどい。私が出ているレースの中では、その次にしんどいのが12kmの庵治マラソンで、ゾウさんがタートルマラソンで出るのは10kmなので、似たようなしんどさだ。彼女はオリーブマラソンでも私たちがハーフマラソンに出ているのを横目に、やはり最近は10kmの部に出ている。
なぜゾウさんはそんなしんどいレースが好きなのかと言えば、彼女は何でも限界に挑戦するのが好きなので、スピードの限界に挑戦するために距離の短いレースに出ているのだ。
断っておくが、ゾウさんは決して長い距離のレースが遅い訳ではない。今年の徳島マラソンでは、支部長を蹴散らして、私と一緒にゴールしてフルマラソン自己ベストを更新したくらいだから、長距離も得意だ。しかし、楽しいのは距離の短いガチンコレースとのことだ。
(幹事長)「でも血の味がするんやろ?」
(ゾウ)「血の味もするし、最後は吐きそうになりますね」
私らは、どんなに頑張っているつもりでも、血の味もしなければ、吐き気も無い。そこまで頑張れないからだ。
て事で、我々の選択肢はフルマラソンの部かハーフマラソンの部になる。香川県内で唯一のフルマラソンである瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは、かつて、徳島マラソンができるまでは近場の貴重なフルマラソンだったので、ときどきフルマラソンの部にも出ていた。
ただ、タートルマラソンは坂が多くて厳しいコースなので、フルマラソンに出ると、終盤の上り坂は例外なく歩くという非常に辛いレースになるため、坂が無いフラットな徳島マラソンができてからは、タートルマラソンではフルマラソンの部にはあんまり出ていない。7年前の第33回では、ついフラフラと久しぶりにフルマラソンに出たら、空前絶後の惨敗を喫して大会自己ワースト記録をたたき出してしまった。
あれに懲りて、基本的にはタートルマラソンのフルマラソンには出ないことにしている。
(支部長)「て言うか、1週間後に那覇マラソンがあるんやから2週間連続でフルマラソンはあり得ないやろ」
3年前、一昨年、昨年に引き続いて、今年も4年連続でタートルマラソンの僅か1週間後には沖縄の那覇マラソンのフルマラソンに出場するから、タートルマラソンはハーフマラソンで十分だ。十分と言うか、1週間前にハーフマラソンに出るってのは、フルマラソンに備えたトレーニングとして絶好の位置付けだ。
小松原選手の話では、本当はフルマラソンの前週のトレーニングとしてなら10kmの部の方が良いらしい。ハーフマラソンだと疲れが残るからだ。確かにハーフマラソンは疲れが残るから、10kmの部の方が良いのかも知れない。でも、私のマラソン大会の原点である瀬戸内海タートルマラソンで10kmの部なんかに出るのは情けないので、せめてハーフマラソンの部は死守したい。
他のメンバーも、支部長、國宗選手、のらちゃんと、大半はハーフマラソンの部に出るが、トライアスロンからウルトラマラソンまで参加し、自分の限界を追い求めているD木谷さんだけはフルマラソンの部に出る。タートルマラソンのフルマラソンの部は、はっきり言って苦行だから、精神力が強くないと出られない。
(幹事長)「ゾウさんは自分の限界を追い求めて10kmの部に出るけど、D木谷さんは自分の限界を追い求めてフルマラソンに出るんですね」
(D木谷)「たぶん求めてるものが違うんでしょうね」
(幹事長)「私はどっちも無理ですね」
とは言え、このタートルマラソンはハーフマラソンと言っても決して楽なコースではない。坂が多くて厳しいコースなのだ。そもそも四国なんて山がちだから、丸亀マラソンや徳島マラソンを例外として、大抵のマラソン大会は坂が厳しい。
ただ、坂が厳しいとは言っても、6月上旬の北山林道駆け足大会、7月末の汗見川マラソン、9月上旬の酸欠マラソン、10月初めの龍馬脱藩マラソンの山岳マラソン4連戦のコースに比べたら、まだマシだ。あんなに過激な坂が延々と続く訳ではない。
それにタートルマラソンは、夏場の山岳マラソンと違って季節が良いせいか、タイムは悪くない。一般的にマラソン大会は秋から春にかけて開催され、特にシリアスなマラソン大会は冬場がメインとなるが、寒いのが苦手な私としては、冬のマラソン大会は嫌いで、今の時期がベストだ。
一方、これまで我々と一緒にハーフマラソンに出ていたピッグが、今年はやんごとなき事情により10kmの部に出ることになった。
(ピッグ)「やんごとないんですよねえ」
(幹事長)「10kmの部は初めてやろ?血の味を堪能してきてくれたまえ」
さきほどから10kmの部は苦しいって書いてきたけど、もちろん今年が初参加になる登山部女子部員の忍ちゃんとてっちゃんは、速いペースの限界を追い求めて10kmの部に参加するんじゃなくて、単にハーフマラソンは完走できそうにないから、距離が短い10kmの部をチンタラ走ろうっていう魂胆だ。
てことで、今年はハーフマラソンの部が4人、フルマラソンの部が1人、10kmの部でマジに走るのが2人、10kmの部をチンタラ走るのが2人という構成になった。
〜 ドタキャン! 〜
最近、レース直前になってからの國宗選手のドタキャンが少ない。
以前はレースの直前になれば必ず國宗選手からドタキャンの連絡が入っていた。3年前は汗見川清流マラソン、酸欠マラソン、龍馬脱藩マラソン、庵治クォーターマラソンと4戦連続でドタキャンした事があったし、徳島マラソンは2014年から4年連続でドタキャンしていた。それが最近はドタキャンが減った。
(幹事長)「どしたんやろ?体の調子でも悪いんやろか?」
(支部長)「ほんとやなあ。心の調子でも悪いんかなあ?」
もうフルマラソンは永遠にドタキャンするのかと思ってたら徳島マラソンも去年、今年の2年連続で出場し、なんと今年はフルマラソンの自己ベストを出したから、まだまだやる気はあるようだ。
と思っていたら、レース直前になって國宗選手から連絡が入る。もちろん、レースの直前に入る連絡は悪い知らせと相場が決まっていて、特に國宗選手からはドタキャンの連絡に決まっている。分かり切っている。
(國宗)「あのう、済みません」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「明日のタートルマラソンですけど・・・」
(幹事長)「ああ、はいはい」
(國宗)「あの、実は、・・・」
(幹事長)「ああ、残念やな」
(國宗)「えーと・・・」
(幹事長)「いやいや、決して見捨ててはいないからな」
(國宗)「って、何の話ですかっ!」
(幹事長)「どうせ急な仕事が入ったとかでドタキャンするんやろ?」
(國宗)「違いますがな!出ますがな。去年も出ましたがな。
ただ始発電車に乗っても集合時間には間に合わないことを連絡しようと思って」
(幹事長)「なんや、そんな事か。わしらが席を取っとくから、船が出るまでに来てくれたらええよ」
てことで、今回も無事、國宗選手は出場することとなった。
ところが一方、ゾウさんが都合で出られなくなってしまった。
(幹事長)「あらまあ、残念!」
(ゾウ)「久しぶりのレースでガチ走しようと思ってたんですけど、しくしくしく……」
てことで、ピッグは一人で10kmを全力疾走することとなった。
(ピッグ)「いや、私はそこまで全力では走りませんから」
〜 臨時船 〜
レースが開催される小豆島土庄町へは、高松から船に乗っていくんだけど、狂気のようなマラソンブームが到来する前は、楽勝だった。スタート時間の9時30分の直前ギリギリに土庄へ到着する8時20分発の高速船で行けば、全然、待たずにスタートできていた。
(石材店)「着替えるのもやっとで、ウォーミングアップする時間も無かったですけどね」
(幹事長)「知らんやろけど、最近はウォーミングアップどころかストレッチすらやらない事にしてるんぞ」
我々のように体力の無いランナーにとってウォーミングアップが百害あって一利無しってのは常識であり、従来から一切やってこなかったが、最近は、ウォーミングアップに加えてストレッチすら無用という説を信じて実践している。つまり、朝、起きたままの体で、何もせずに自然体で走るのだ。
(のら)「なんか、それっぽい話を聞いたことある。ストレッチしたら力が出なくなるとか」
(幹事長)「そやろ?なんか聞いたことあるやろ?」
ウォーミングアップもストレッチもしないから、港にギリギリに到着する船でも問題は無かった。
ところが昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、高速船に乗るためには、かなり早くから並ばなければならなくなった。8時20分発の前には7時40分発の高速船てのもあるが、いずれにしても高速船に乗るためには乗船の1時間前には並ばなければならなくなった。
そんなに早くから並ぶくらいだったら、早めに出発するフェリーに乗るのと変わらない。おまけに、定員を無視してなんぼでも積み込んでくれるフェリーと違い、高速船は定員を厳守するため、長い間、並んだあげく、満席で乗れないなんて事態になれば悲惨だ。
てことで、7時20分発のフェリーを利用するようになったんだけど、発狂的なまで盛り上がった異常なマラソンブームのため、定期便のフェリーに乗るのでさえ困難をきたし始め、積み残しが出る事態になった。そのため、5年前から臨時船が出るようになった。
臨時船と聞くと奴隷船を思い起こすランナーも多いだろう。
(ピッグ)「それは私たちだけでしょ?」
奴隷船とは春の小豆島オリーブマラソンの時に霧の中から怪しく登場する幽霊船だ。オリーブマラソンは坂手港が会場で、高松から坂手港に行く定期便が無いため、臨時船が出るのだ。この臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。
そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいているのだ。おまけに、昨今の異常なマラソンブームにより、奴隷船には定員の3倍くらい詰め込まれるという状況になり、ますます厳しい環境で、もはや奴隷船と言うより家畜船になっている。
ただ、この奴隷船は定期便が無い坂手航路にマラソン大会の主催者が運行しているものなのでロヒンギャ難民収容キャンプのように非人道的だが、瀬戸内海タートルマラソンの臨時船は定期便を運航している四国フェリーさんがマラソン大会のために増発してくれている普通のまともなフェリーであり、奴隷船や家畜船のようなものではないので、最近は毎年、利用している。
臨時船の出港は朝7時だが、去年の記事を読むと、6時半には乗船開始となっているので、座席に座りたければ、それより早く集合する必要がある。てことで、支部長と私は6時過ぎには港に行って乗船客の列に並び、場所取りする事にした。6時過ぎに港に行くためには、5時には起きなければならないが、老人化が進んできた今日この頃、不可能ではない起床時間だ。
(支部長)「オリーブマラソンは5時に港に来ないといけないから、それに比べたらマシやな」
大会当日の朝5時に起きて外に出ると、星空がきれいに見える。細い細い有明の月もきれいに見える。気温は高くはないけど、風が無いためそんなに寒くはない。天気予報では、今日は午前中は晴れて、午後なって雨が降るという。
台風や大雨などの悪天候によりサンポート高松トライアスロン、汗見川清流マラソン大会、四国のてっぺん酸欠マラソン大会と夏場のマラソン大会が軒並み中止になった去年に比べたら、今年は少しマシだったが、それでも汗見川清流マラソン大会は土砂崩れで距離短縮となったし、四国のてっぺん酸欠マラソン大会は今年も中止になるなど、今年も悪天候に祟られた。
そして11月下旬になった今回のタートルマラソンも、なんと直前に台風27号が発生し、沖縄地方を直撃したあと本土に向かっていたので、かなり心配したが、勢力が弱まり、雨も大したことはなさそうな感じだ。
これまでもタートルマラソンは、割と天候に恵まれていて、滅多に雨は降らず、この季節にしては暖かい日が多い。雨が降ったのは13年前の第27回大会と3年前の第37回大会くらいだ。9年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されているが、それは気温が高い5月末の話であり、雨が降ると寒くなる11月末は天気が良い方が望ましい。
今日の雨も午後からというので、ハーフマラソンのゴールまではなんとか雨には降られずに済みそうな天気予報だ。もちろん天気予報はアテにならないから、雨が降っても動揺しないように心得ておかなければならない。
予定通り6時に港に到着すると、去年と同じように既に支部長が来ていた。
港には既に大勢の参加者が来ていたが、その大半は1つ前の6時25分発の定期便に乗り込んでいるので、まだまだ焦る必要はない。しばらく待合室で待ちながら外を見ていると、臨時船の乗船口に並ぶ人が出てきた。待合室はベンチもあるし暖かいが、乗船口は寒いから、できるだけ並びたくない。
(幹事長)「どうする?」
(支部長)「せっかく6時に来たんだから、もうそろそろ並んだ方が良いんじゃない?」
なんて迷っていると、いきなり場内放送が「6時25分発の定期便は定員に達しましたから、次は7時20分の船になります」なんて叫んだ。
(幹事長)「え?なんか異常に早いな。去年は定員に達するなんて事は無かったぞ」
(支部長)「とにかく臨時船の乗船口に急ごう!」
何が起きたかわからない。それに6時25分の定期便の次は我々が乗る予定の7時の臨時船があるのに、それを言わずに7時20分の定期便の事をアナウンスしていた。よく分からないまま、慌てて臨時船の乗船口に行くと、まだ並んでいるのは2人だけで、私たちは3番目となった。
(幹事長)「6時25分の定期便が早々に定員に達したって言うから、慌てて来ましたよ」
(先客)「臨時船がエンジントラブルで欠航になったみたいですよ」
(幹事長)「え!?じゃあ、我々は何に並んでるんですか?」
(先客)「7時20分の定期便です」
そういう事か。エンジントラブルで臨時船が欠航になったため、臨時船に乗るつもりだった人が6時25分の定期便に乗ろうと殺到して、早々に定員いっぱいになってしまったのか。
そして今度は7時20分の定期便に殺到し始めている。例年なら6時25分の定期便、7時の臨時船、7時20分の定期便の3つに分かれて乗る人たちが、今年は6時25分の定期便と7時20分の定期便の2つに乗ろうとするのだから、絶対に溢れて乗れない人が出てくるはずだ。実は、その後に8時2分の定期便もあるんだけど、それだと土庄港に着くのは9時2分になり、会場へ移動して受付して着替えたりしていると9時30分のスタートにはギリギリだ。て言うか、間に合わない可能性が高い。
て事で、みんなパニック状態で、みるみるうちに行列はとんでもなく長くなっていく。
我々は先頭から3人目に並んでいるので何の問題も無さそうに思えるが、実は大問題だ。電車の時間の関係でギリギリに港に到着するメンバーがいるのだ。切符売り場も混雑するだろうから、彼らの切符も私が事前に買ってるんだけど、そもそも彼らが列に並ぶことができるかどうか不安になってきたのだ。なぜなら列の最後尾では係員が並んでいる人の数をカウントしていて、定員いっぱいになったら列に並ぶことができなくなるだろう。
いくら我々が先陣を切ってメンバー全員分の座席を確保しても、そもそも船に乗ることができなければ何にもならない。
て事で、焦ってメンバー全員に連絡を取る。登山部女子部員のてっちゃんは港の近くに住んでいるので、すぐ到着し、我々のすぐ後方に並ぶことができた。D木谷さんも昨年同様、かなり早く港に着いていたので、列の前の方に並んでいたのでOKだ。ピッグもそれほど後ろでもない。そうこうしていると、忍ちゃんがやってきた。登山部女子部員3人娘の知人のヨッシーが10kmの部に参加することになり、彼の車で一緒に来たのだ。
あとは電車組だ。なんとか連絡が着いて、駅から走って来るように指示する。しばらくすると琴電でやってきた國宗選手が到着したが、JRで来るのらちゃんがなかなか到着しない。ヤキモキしながら待ってたら、ようやくギリギリで現れ、滑り込みセーフとなった。
(幹事長)「ギリギリやんか。危なかったで」
(のら)「そんなこと言ったって、ゼィゼィゼィ、必死で走ってきたんよ、ゼィゼィゼィゼィ」
なんとか全員の到着が確認でき、ホッと一息ついていると、早くも乗船開始となり、支部長と二人で猛然とダッシュして、6人が座れる広いボックス席を2つ買い占める。私と支部長、のらちゃん、忍ちゃん、てっちゃん、ヨッシー、D木谷さん、國宗選手、ピッグのほか、去年も一緒に走ったD木谷さんの部下のT村さん、脱藩マラソンで一緒に走った航路さん、さらにもう1人加わり、2つのボックス席は12人でちょうど満席となった。
(のら)「もう1人って誰?」
(幹事長)「いや、知らない。誰やろ?」
まさかドサクサに紛れて他人が座ってるんではないと思うけど、誰の知人なのかは知らない。
船内はあっというまに満席になり、私ら上級国民が広いボックス席にゆったり座ってグラスを傾けている周囲では、床に座っている難民が溢れかえっている。毎年乗っている臨時船なら、ここまで大混雑はしないけど、今年は突然の臨時船欠航の影響で、オリーブマラソンの奴隷船のような大混雑になってしまった。
とにかく、全員が無事に船に乗ることができて、ホッとした。
(幹事長)「一時はどうなる事かと心配したで」
(支部長)「もう今日のマラソン大会は終わったようなものやな」
まだスタートもしてないのに、グッタリ疲れてしまった。
改めて整理すると、D木谷さんとT村さんはフルマラソンに出て、私と支部長、國宗選手、のらちゃん、高炉さんはハーフマラソンに出て、ピッグ、忍ちゃん、てっちゃん、ヨッシーは10kmの部に出る。(もう1人の人は知らない)
〜 小豆島へ到着 〜
船が動き出すと、朝食を食べる。マラソンの前の食事の時間は、ゴール時間から逆算して5時間前が理想だ。早朝に家で食べるには早すぎる。て言うか、そんなに早起きして急には食べられない。今日のハーフマラソンのスタート時間は9時40分なので、11時半頃にゴールするとして、もう急いで食べ始めなければならない。最近、愛用している赤飯のおにぎりを2個持ってきたので、まず、それを食べる。バナナとゼリーは、後で時間差で食べる事にする。
早朝に起きた時は空が晴れて星空だったが、その後、だんだん曇ってきた。船に乗っている間に、再び晴れてくるだろうと思っていたが、空は一向に晴れず、曇ったままだ。天気予報は外れそうだ。
船は1時間後の8時20分に土庄港に着いた。
(忍)「会場まではどうやって行くの?」
(幹事長)「バスもあるけど、今日は激混みっぽいから歩いていくよ」
港から会場までは1kmちょっとで、送迎バスもあるが、送迎バスに乗るには行列に並ばなければならない。特に今日は船が激混みだったので、バスも激混みっぽいので、並ぶと時間がかかりそうだ。どうせ歩いても15分くらいだから、適度なウォーミングアップになるので歩いていく。
会場に着くと受付をしなければならない。ただし、受付と言ってもゼッケンやチップは事前に送られてきているので、単にプログラムや参加記念のTシャツやおまけの醤油をもらうだけだ。
最近のマラソン大会は、大規模なマラソン大会では当日の受付が無く、受付は前日に済ませなければならない大会が多くなってきた。東京マラソンや大阪マラソン、神戸マラソン、京都マラソン、奈良マラソン、那覇マラソンなんかがそうだ。参加者が多くて当日の朝では大混乱になるからだろうけど、遠方から参加する人は前日から会場に入る必要があるから負担感が大きいので、参加者の利便性を考えて、なんとしても当日の受付をやってもらいたい。
一方、逆に、現地での受付自体を廃止して、ゼッケンやタイム計測チップを事前に送ってくるようなマラソン大会も増えてきた。今日のタートルマラソンもそうだ。とても素晴らしい便利なシステムなので、全てのマラソン大会で採用してもらいたいシステムだ。
受付を済ませ、女子部員が女子更衣室の総合福祉会館に行くのを見送り、我々は男子更衣室になっている中央公民館の会議室に入る。ここで大問題に向き合わなくてはならない。
(國宗)「いよいよ恒例のお悩みの時間ですよね」
大問題とは何を着るかだ。朝、起きたときから、頭の中はこの大問題でいっぱいだ。
真夏の炎天下のレースなら薄いメッシュのシャツ1枚だし、そこまで暑くない季節の晴天時には半袖Tシャツ1枚で悩まずに済むが、今日のように少し寒くなり始めた季節は困る。
この季節でも晴天で気温が高めの日なら半袖Tシャツ1枚でもいい。今日は午前中は晴れの天気予報だったから、あまり悩まずに半袖Tシャツ1枚に決められると思っていた。ところが、天気予報がはずれて、ずっと曇ったままだ。このまま曇って肌寒くなると、長袖でないと腕が寒くなる。その場合は、長袖シャツ1枚にするのか、長袖シャツと半袖Tシャツを重ね着するのかも課題となる。どっちにしようか迷ってしまうと、ゼッケンを付けたり外したりで、ギリギリまで大忙しになる。
(支部長)「いやいや、今日は気温が高めだから、曇ってても暑くなるよ」
(幹事長)「え?そうかな?」
(國宗)「間違いなく暑くなりますよ」
(幹事長)「そう言いながら自分は腕に防寒用のアームカバーを付けてるやんか」
(國宗)「これは暑くなったら簡単に取り外せますから」
体は1枚しか着てなくても寒いことはないだろうから、問題は腕の寒さなんだけど、國宗選手のようなアームカバーなら、走っていて暑くなったら簡単に取り外せるし、外した後もポケットに入れておける。でも、長袖シャツと半袖Tシャツを重ね着していると脱ぐのは面倒だ。
どれにしようか悩んでしまうが、実はこれは、去年と全く同じ状況だ。去年も、晴天になるという天気予報にもかかわらず、ずっと曇ったままで、なんとなく肌寒そうだったので、「暑くなるよ」と言うみんなの助言を無視して長袖シャツの上に半袖Tシャツを重ね着した。ところが、スタート地点に立ってみたら全然寒くないどころか、だんだん暑くなりそうになったので、慌てて更衣室に戻って長袖シャツを脱いだ。
今年も同じドタバタを演じそうな気がしたので、素直にみんなの忠告に従って最初から半袖Tシャツ1枚にした。ちょっと涼しいけど、その方が気合いが入って気持ちが引き締まる。着るのは先月のこんぴら石段マラソンでもらったTシャツだ。一緒に走ったのらちゃんとお揃いにした。
女子部員達は全員が半袖Tシャツの下に長袖を着ているが、これは日焼け防止の意味が強いので我々とは事情が異なる。
ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が圧倒的に多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。ところが、10月の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走った航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。て事で、今日は迷わずタイツを履く。他のメンバーも大半はタイツを履いている。
気温は低くないので手袋は履かない。支部長は汗を拭くためにどんな時でも必ず軍手を履くけど、私はハンドタオルを持って走るので、手袋は不要だ。
帽子も大嫌いなので、雨でも降ってない限り被らない。女子部員達は全員がサンバイザーを付けているが、これは日焼け防止用なので、我々とは事情が異なる。
(幹事長)「それにしても、そのサンバイザーはデカすぎるやろ。走りにくいで」
(忍)「これゴルフ用なのよ」
実は忍ちゃんは昨日、ゴルフに行き、夜は宴会だったんだそうだ。
(幹事長)「前日にゴルフして、おまけに夜は酒盛りするなんて、マラソンを舐めとんか?」
(忍)「いやいや、今日はのんびり走るから、許して〜」
ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュペーパーを入れたら準備万端だ。
準備が整ったら外で集合写真を撮る。フルマラソンに出場するD木谷さんとT村さんはスタート時間が早いため、一足先にスタート地点に向かった。
気合いを入れるメンバー
(フルマラソンに出場するD木谷さんとT村さんは既にいない)
会場へ歩いていくと、元同僚のK口選手に会う。彼とは最近はマラソン大会で会うくらいだ。彼は経験年数は私らに比べれば短いんだけど、もうめちゃめちゃ速くなってしまってて、フルマラソンを3時間半くらいで走る。ただ、この大会はいつもハーフマラソンに出ている。ところが、おや、ゼッケンの色からすると、今年はフルマラソンの部に出るようだ。
(幹事長)「今年はフルマラソンに出るの?」
(川G)「エントリーの際に間違ってフルマラソンのボタンを押してしまったんですよ」
ありがちなミスというかトラブルだけど、K口選手なら何の問題も無いだろう。
(忍)「お弁当はいつもらうの?」
(幹事長)「ゴールした後だよ」
(忍)「でも、もう食べてる人がいるよ」
たまにスタート前にお弁当をもらって食べてる人がいるのだ。強者なのかド素人なのかは分からない。また、タダで支給されるソーメンをスタート前に食べている人もいる。
(幹事長)「こらーっ!ちょっと目を離したスキにソーメンを食べるなっ!マラソンを舐めとんかーっ!」
(忍)「だって、美味しそうなんだもーん」
なんと忍ちゃんはスタート前にこっそりとソーメンを食べていた。レースの直前にお弁当やソーメンなんか食べたら、私なら確実に吐くと思うんだけど。
そろそろフルマラソンのスタート時間だなと思ってたら、場内アナウンスでスタート時間を遅らせるという案内があった。臨時船が欠航になったため、我々が乗った7時20分の定期便に乗れずに8時2分の定期便に乗って来た人のための救済措置として、10分づつスタート時間を遅らせるのだそうだ。たった10分くらい遅らせても意味あるのかなとも思ったけど、ギリギリの時間の中での10分は大きいので、少しはマシかな。
て事で、予定より10分遅れて9時40分にフルマラソンの部がスタートした。フルマラソンの参加者がスタートした後に、ハーフマラソンの部の参加者が整列する。
空は全く晴れる気配は無いので、暑くなる恐れは無くなった。気温は低めのままだ。ただ、風が無いので寒くはない。気温が低くて風が無いとなれば、これは絶好のコンディションだ。やる気がメラメラと湧いてくる。ぜひ好記録を狙いたいところだ。
もちろん目指すべきは大会自己ベストだ。どんなレースであれ、出場する限りは、目標は常に大会自己ベストの更新だ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるので、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、その大会での自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。タートルマラソンのハーフマラソンの大会自己ベストは10年前に出したものだ。この歳になって10年も経つと、著しく老化が進んでいるので、冷静に考えれば自己ベストの更新は難しようにも思えるが、まだまだ諦めてはいない。大惨敗した3年前から一昨年、去年と少しずつタイムはマシになってきているので、少なくともこの上昇傾向を維持して昨年よりは良いタイムを出し、あわよくば10年前の大会自己ベストを更新したいのだ。ただし、大会自己ベストを更新するには、1km平均5分10秒は切らないといけない。最近の私にとっては、なかなか厳しいペースだ。
このレースに限らず、どのマラソン大会でも良いタイムが出たときは最初は抑え気味にスタートして、徐々にペースを上げていくという理想的なパターンだ。以前は、ペースは下がるものであり、上げていくなんて理想的なレース展開は現実には不可能だと思っていた。しかし最近は、タートルマラソンにしてもオリーブマラソンにしても、良いタイムが出たのは、徐々にペースを上げていくことができた時のものだ。丸亀マラソンも、今年は初めて中盤から終盤にかけてペースを上げるという展開で、久しぶりに良いタイムが出た。
とは言え、序盤にどれくらいペースを抑えて走ったらいいのかは難しい。最初から遅いペースで走れば、最後までペースは落ちないだろうが、適度に頑張らないと良いタイムは出ない。終盤に潰れないギリギリのペースが理想だが、なかなか難しい。
〜 スタート 〜
オリーブマラソンは、チップは付けているものの、ネットタイムの計測はしてくれない。スタート時刻は全員同じで、ピストルが鳴った瞬間からタイム計測が始まる。でも、このタートルマラソンは各人がスタートラインをまたいだ時からネットタイムを計測してくれる。なので、スタートの時に焦って前に行く必要はない。これは精神的にありがたい。
(支部長)「この程度の参加者なら、ネットタイムもグロスタイムも30秒くらいしか違わんで」
(幹事長)「その30秒が大きいんやってば」
なので、9時50分になってスタートの号砲が鳴っても、慌てず急がず、ゆっくりスタートラインまで移動し、スタートラインを越えてから走り出せばいい。今日は真ん中あたりに陣取っていたため、スタートラインまでしばらく時間がかかったが、焦る必要はない。
なーんて思っていたら、スタートラインを越えてもなかなか走れない。混雑して走りにくいのだ。分かってはいることだけど、それでも去年はこんなに走りにくい事はなかった。たぶん去年はもっと前の方からスタートしたんだろう。やっぱり少しでも前の方からスタートすべきだ。これは来年への教訓として覚えておかなければならない。
スタート直後の混雑では、無理して右へ左へ移動しながら他のランナーを追い越したりしても、無駄な体力と精神力を浪費するばかりで、大して前に行ける訳ではない。最初の1kmくらいはウォーミングアップと割り切って、小走り状態でゆっくり走ればいい。それは分かっているので、あんまり無理な追い越しはしないが、それでも邪魔なランナーは追い抜いて行かざるをえない。
今日は気温が低くて風が無く、絶好のコンディションだし、体調も悪くない。なので、大会自己ベストの更新を目指して頑張りたい。とは言え、最初からあんまり飛ばし過ぎるのは良くないので、取りあえず自然体で気持ち良く走ってみる。
問題は、このタートルマラソンは距離表示が5kmおきにしか無いから、5km走るまではなかなかペースが分からないって事だ。できれば、最初の1kmのラップで、その日の調子を把握しつつ、軌道修正を図りたいのに、それができない。いくら調子が良いような気がしても、オーバーペースになっていると注意しなければならないし、あんまり遅すぎるとロクなタイムが出ないので多少は頑張る必要もあるから、きめ細かいペース管理が必要なんだけど、距離表示が少ないから、それができないのだ。
適度な緊張感を維持しながら、なるべくペースが一定になるように気をつけながら、まずは淡々と自然体で走るしかない。ただし、「淡々と自然体で」とは言っても、久しぶりの大会自己ベストを更新するためには、いつもよりは少し頑張って走ってみる。
しばらく走ると、航路さんが追いついてきた。
(高炉)「最初から飛ばしてますねえ」
(幹事長)「ちょっと速すぎるかなあ?」
しばらく高炉さんと一緒に走る。
2kmほど走ったら最初の大きな坂が現れる。このコースは、とにかく坂が多い。まず、2kmちょっと走ったところから大きな坂が始まる。この坂が終わると、今度は5km半くらい走ったところから中くらいの坂がある。さらに8kmほど走ったところからちょこちょこと小さなアップダウンがあって、9kmほど走ったところから3つ目の大きな坂がある。そして、それに続く小さな坂の途中でハーフマラソンは折り返して帰ってくる。とにかくフラットな区間が少ない非常に厳しいコースだ。
て事で、早速現れた最初の大きな坂は1kmほど上りが続く。長く大きな上り坂ではあるが、夏場によく出ている山岳マラソンに比べたら大した急勾配では無いので、なんとか普通に走って上れる。
ただし、調子に乗ってストライド走法の大股でグイグイ上っていくと、後からダメージが来るので、ピッチ走法で攻め、序盤でまだまだ元気だけど、自重してチョコチョコと登っていく。
長い上り坂とは言っても、夏の山岳マラソンに比べたら距離もそんなに長くは続かない。1kmほど走ったら上り坂が終わり、下り坂となる。そこからは遅れを取り戻すつもりでガンガン下り坂を飛ばす。上り坂だけでなく、下り坂でも勢いに任せて大股でガンガン下ると足の筋肉にダメージが溜まり終盤で足が動かなくなるので、ピッチを上げて小股で走るべきとのことだが、下り坂でピッチを上げて走るのは足がついていかず難しいので、思いっきり転げ落ちるように大股で駆け下りる。
いつの間にか一緒に走っていた航路さんがいなくなった。ちょっと自重してペースを落としたんだろうか。
坂を下りてしばらく走ると、最初の5km地点の距離表示がある。時計を見ると、ぎょぎょ!だいぶ速い。スタート直後の大混雑にもかかわらず、1km平均で5分10秒くらいだ。大会自己ベストを更新するためにの設定ペースではあるが、スタート直後の大混雑でだいぶ時間をロスしたことを考慮すると、その後のペースは私には速すぎる。ちょっと調子に乗って飛ばし過ぎてるんだろうか。これは終盤に撃沈する可能性がある。ちょっとペースを落とすべきか。でも、今のところしんどくはないし、大会自己ベストを更新するために一か八かこのまま突っ走ろう。もし終盤で撃沈したところで、別に失うものはないから、今日は一発勝負をかけてみよう。
ふと前方を見ると、1ヵ月前の庵治マラソンで、のらちゃんと女子年代別部門で優勝を争った女性ランナーがいるではないか。彼女とは、私も終盤で激しくデッドヒートを繰り広げ、なんとか先にゴールすることができたが、今日は早々に前半で追いついた。追い抜きざまに声を掛けてみる。
(幹事長)「庵治マラソンで表彰されてましたよね?頑張ってくださいね」
(女性)「今日は調子がイマイチなんや」
しばらくすると、のらちゃんが追いついてきた。自分ではかなりハイペースで飛ばしているつもりなのに、こんなに早々に追いつかれるとは思わなかった。早くもペースダウンしているんだろうか。
5km地点を過ぎると、今度は中くらいの大きさの2つ目の坂がある。最初の坂に比べると、そんなに高くはないが、ダラダラと続く坂だ。坂の途中に最初の給水所が現れる。まだまだ全然喉は渇いてないが、最近は足攣り予防のため、喉が渇いて無くてもこまめに水を飲むことにしているので、コップを取って水を少し口に含む。
しばらく行くと、我々と同じこんぴら石段マラソンのTシャツを着ている女性ランナーを追い抜いた。追い抜きざまに声を掛けてみる。
(幹事長)「同じTシャツですね」
(女性)「こんぴらへ来てくれてありがとうございます」
琴平の地元の人だったようだ。
(のら)「走りながら声を掛け過ぎじゃない?」
(幹事長)「うん、もっと走りに集中すべきかも」
この辺りからペースが遅いランナーが大量に現れるようになってくる。なぜ私より前に遅いランナーがこんなにいるのかと言えば、彼らはフルマラソンの部のランナーだ。フルマラソンの部は私らより10分前にスタートしているが、ペースが遅いランナーも多く、この辺りで追いついてしまう。遅いランナーがいっぱいいると、ついつい安心して油断してしまい、ペースが落ちてしまうので、気を付けて緊張感を維持し、彼らを蹴散らさなければならない。
2つ目の坂をクリアしてしばらく走ると、再び坂が現れるが、いつもこれを3つ目の大きな坂だと勘違いしてしまう。
ハーフマラソンのコースは前半に大きな坂が3つあって、その後にある小さなアップダウンを越えれば折り返し点がある。なので、3つ目の大きな坂をクリアすれば折り返し点までもうすぐ、って事になる。そして、この3つ目の坂があっさりとクリアできてしまうから、すごく嬉しくなってしまう。
しかし、実は、これは3つ目の大きな坂ではなくて、数に入らない小さなアップダウンに過ぎない。そのため、しばらく走ると、目の前に巨大な坂が出現して呆然とする。それこそが本当の3つ目の大きな坂なのだ。毎年、走ってて、毎年、同じように呆然としているのに、1年経ったら忘れてしまい、ぬか喜びと落胆を繰り返している。しかし今年は直前に去年の記事を読み返して覚えていたので、心の準備はできている。
この3つ目の大きな坂を上り始めた頃、トップランナーが折り返してくる。2位以下を大きく引き離している。すごいスピードだ。
3つ目の坂を下りた辺りに、10km地点がある。時計を見ると、割りと頑張り続けているつもりだったのに、この5kmは1km5分20秒くらいまで落ちている。スタート直後のような大混雑も無かったのに、早くもペースダウンし始めたのか。早くも大会自己ベストには暗雲が垂れ込めてきたが、大会自己ベストを出した年は後半にペースアップできていたから、今日も後半にペースアップできれば、まだ可能性は残っている。
のらちゃんはその後もぴったり後ろをついてくる。すごいなあ。
次の給水所が現れたので、喉は渇いていないが、こまめに水分補給しておく。小さなアップダウンを越えると、ようやく中間の折り返し点がある。折り返してから後続のメンバーをチェックすると、航路さんが少し後ろを走っている。さらに、その少し後を支部長が来て、國宗選手もいつものように淡々と走ってくる。國宗選手はいつもペースを落とさずに走ってくるから、私がペースダウンするとすぐに追いつかれてしまうので、油断はできない。
後半に入っても、特に足が重くなったような感じはなく、まだまだ戦えそうだ。天気は相変わらずの曇り空で、意外に汗はどんどん出てくるが、暑くて走りにくいなんて事はない。絶好のコンディションのままだ。残りは10kmなので、ペース配分なんかを気にする必要は無くて、頑張って走るのみだ。
なーんて思って走っているのに、なんと13kmほど走った辺りで、のらちゃんが前に出る。
(幹事長)「え?なんで、ここでペースアップするの?」
(のら)「ペースアップしてないよ」
なんと、早くも自分がペースダウンし始めたらしい。 自分では体感的には足はまだまだ大丈夫で、疲れも出ていないと思ったんだけど、そうでもないようだ。こら、あかんがな。なんとか頑張って着いて行こうとするんだけど、あんまり無理するのも良くないかなと思って、取りあえず自重する。7月の汗見川マラソンの時も、途中で追い抜かれたけど、自重していたら、終盤にのらちゃんがペースダウンして再逆転したので、焦るのはやめとこう。
後半の2つ目の坂を登り切った辺りに15km地点があり、タイムを確認すると、平均するとさっきの5kmとほとんど同じようなラップだ。そんなにペースダウンはしていない。それなのにのらちゃんに離されたって事は、13kmを過ぎた辺りから急激にペースダウンしてるのかも。まずい。なんとか頑張って走ろうとするんだけど、のらちゃんの背中は遠のいていく。自分としてはそんなに遅くなっているような感じは受けないんだけど、確実にペースダウンしているようだ。
しばらく走ると最後の給水所があるが、もう終盤なので給水なんてどうでもいいからパスして少しでも走る。
そこからしばらく進むと最後の大きな坂に差し掛かる。上り坂でもまだまだ頑張って走れているんだけど、自分が追い抜くランナーよりも追い越していくランナーの方が多い。これもペースダウンしている証拠だが、まだまだ戦う気力は残っている。大会自己ベストは無理だとしても、せめて去年のタイムは上回りたい。
終盤になると、距離表示が細かくなり、15km地点の次は最後の大きな坂を登り切った頃に「あと3km」の表示がある。つまり18kmちょっとの地点だが、大きな坂があったこともあり、当然のように大きくペースダウンしている。しかも、去年よりさらに大きくペースダウンしている。大会自己ベストを出した時なんかは、ここで逆にペースアップできていたが、今日は序盤で飛ばし過ぎたために撃沈パターンになってしまった。
次は「あと2km」地点の距離表示がある。この1kmは最後の大きな坂を下る区間なので、さすがに大幅にペースアップできたが、それでも過去の実績に比べると、全然遅い。今日の序盤のペースに比べても遅い。
そして、その次の1kmは例年、大幅にペースダウンする区間なんだけど、「あと1km」地点で見たタイムは、ペースダウンぶりが例年よりひどかった。やはり完全に終盤での撃沈パターンだ。
そして最後の1kmは、かなり頑張ったんだけど、もう遅れを取り戻すことはできなかった。
〜 ゴール 〜
そのまま最後まで力尽きずに、なんとかゴールしたが、タイムは、大会自己ベストどころか、超平凡なタイムだった。救いは、去年のタイムを上回って、3年前、一昨年、去年と続いてきた上昇傾向を維持できたことだ。
でも、ゴールしても足が平気というか、疲れを感じていないのが、少し虚しい。ゴールしても平気ってのは、一見、良い事のように思えるが、実は全力を出し切れていない証拠だ。全力を出し切った時は、ゴールしたら最後、もう足が動かなくなる。なので、今日のように余力を残してゴールしてしまった時は、もっと頑張るべきだったという事だ。でも、一体どこで頑張ればよかったのだろう?
のらちゃんは私より1分ちょっと速くゴールし、ハーフマラソン自己ベストを更新した。彼女は去年のオリーブマラソンから始まって、去年のタートルマラソン、今年の丸亀マラソン、オリーブマラソン、タートルマラソンと4レース連続でハーフマラソン自己ベストを更新してきた。まさに伸び盛りだ。
しばらく待っていると、國宗選手が5分遅れくらいで帰ってきた。前半の差がそのまま2倍に開いたって感じだから、今年も彼は前半と後半を同じようなペースで走ったようだ。
一方、支部長は少し遅れて帰ってきた。見るからにしんどそうだ。
(支部長)「いかん!今年も2時間を切れなかった!」
支部長は國宗選手と終盤まで抜きつ抜かれつの熾烈な戦いを繰り広げたらしいんだけど、最後の大きな坂で足を攣ってしまい、少し歩いたそうだ。大量の汗をかいているから、水分不足が原因だろう。私には今日の気温がちょうど良かったけど、汗かきの支部長には暑すぎたようだ。
記録証をもらうと、さすがに今年は飛び賞は当たってなかった。この大会の飛び賞は当たる確率が非常に高く、なぜか惨敗した時によく当たる。惨敗した時は、それを慰めてくれるように飛び賞が当たるのだ。私は最近では惨敗した3年前と一昨年に2年連続でもらった。國宗選手は去年当たった。支部長は3年前と一昨年に連続して当たっていたが、なんと今年も当たってしまった。
(幹事長)「やっぱり惨敗したら当たるんやな」
(支部長)「喜んでいいのか悲しむべきか」
記録証をもらったら、このマラソン大会の一番の楽しみであるソーメンを食べに行く。レースの終盤は、早くゴールしてソーメンを食べる事を心の支えにして走る、と言われるほど、ソーメンはこのマラソンの重要な楽しみだ。周辺に飲食店がほとんど無いため、このマラソン大会ではお弁当が支給されるが、長距離を走り終わってバテている時にお弁当は喉を通らない。でも、暖かいソーメンは喉に優しい。今日も2杯おかわりをもらった。
〜 帰りの船へ 〜
ソーメンを食べていると、10kmの部に参加した登山部女子部員達がブラブラしてるのを見つけたので、すぐさま港へ直行して、帰りの船の座席を確保するよう指示を出す。
帰りの船は、最も早いのは一昨年に乗った12時20分の便があり、10kmの部でいち早くゴールしたピッグはそれに乗って座席を確保しているとの連絡が入ったが、ちょっと時間が厳しいので、去年と同じ13時53分の船に乗る事にした。だいぶ時間があるので、お弁当をもらい、更衣室に戻ってゆっくり着替えを済ませる。
港に着くと、既に長蛇の列が出来ていたが、10km組が先頭の方に並んでいるので、安心して後方に並ぶ。空は今にも雨が降りそうな気配になってきて、ヤキモキしたが、なんとか雨が降り出す前に乗船が始まり、朝と同じく広いボックス席を2つ確保してゆったり座る。朝と違って、帰りの船は10kmの部の人はもっと早い便に、フルマラソンの人はもっと遅い便に分散するので、朝ほどは混んでいないが、それでも、かなりの人が床に座っている。
船の中でゆっくりお弁当を食べながら、反省する。結論から言えば、今日は序盤に少し飛ばし過ぎたと思う。そのため15km当たりから大きくペースダウンしてしまい、平凡なタイムになってしまった。でも、もし序盤をもっと抑えて走っていたら、終盤の撃沈は無かっただろうけど、大会自己ベストは難しかったように思う。大会自己ベストを更新するためには、今日くらいの序盤のペースで走って、かつ、それを最後まで維持しなければならない。
(幹事長)「要するに、もっと練習しなければならないって事だ!」
(支部長)「あまりにも分かりきった結論で、論評する気も起きんわ」
でも、終盤で撃沈した割には、最後まで足の疲労感も無く、ゴールしてからも余裕がありまくりだった。一体、どうすればうまく全力を出し切れるんだろう。
(支部長)「もう私らの歳では全力を出し切ることすら不可能なんよ」
(幹事長)「ひえ〜!」
でも、のらちゃんはハーフマラソン自己ベストを更新したし、ゴール後には足が攣って動けなくなっていたから、理想的なレース展開をできている。羨ましい限りだ。
さらに驚いた事に、10kmの部に出た登山部女子部員たちは、去年の春のオリーブマラソン以来、ほとんど練習できていない忍ちゃんだけでなく、生まれてこのかた練習でも最長で2kmくらいを2〜3回走っただけで出場したてっちゃんも、どちらも1時間5分ちょっとでゴールした。1km平均6分半くらいだ。はっきり言って、すごいと思う。
(幹事長)「絶対に最後は歩くと思ったんやけどなあ」
(てっちゃん)「私の底力を見た?」
5月のオリーブマラソンも女子部員が大活躍だったが、今回も見るべき成果の無かった男子部員に比べて女子部員の活躍が目覚ましかった。明らかに女性上位の時代になってしまった。
さて、いよいよ来週は年間のレースを締めくくる那覇マラソンだ。とんでもない大惨敗続きに終止符を打って、栄冠を掴むことはできるのだろうか!?
〜おしまい〜
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