第43回 小豆島オリーブマラソン大会(自主開催)

〜 大成功の自主開催シリーズ第2弾 〜



2020年5月24日(日)、第43回小豆島オリーブマラソン全国大会が開催されるはずだった。
この大会は23年前の第20回大会から参加し続けており、我々にとっては欠かすことのできない重要なマラソン大会だ。なので、2月には早々に10名のメンバーがエントリーを済ませていた
それなのに、ああ、それなのに、なんと今年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった

事の発端は3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。ただ、この時点では東京オリンピックの開催計画は変わっておらず、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、3月22日の徳島マラソンが中止になった頃から雲行きが怪しくなってきた。全国的にマラソン大会が次々と中止になり始めたのだ。

もちろん、これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないと走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外では感染しない。
スタート前の待機中では感染リスクはゼロではないかもしれないが、それとて満員電車に比べたら、遙かにリスクは少ない。マラソン大会は、出場する選手だけでなく、沿道に大勢の観衆が集まるが、野球やサッカーみたいに同じ場所で長く観戦する競技ではないから、それらに比べたら感染リスクは低い。

多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。
多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい
下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。

実は、オリーブマラソンには前科がある。2009年の第32回大会も新型インフルエンザで中止になったのだ。あの時も、たかが新型インフルエンザでマラソン大会を中止にするなんて過剰反応だと思ったが、結局、騒ぎが収まってみれば、新型インフルエンザもただの風邪だったことが分かった。
もちろん、大会主催者側も苦渋の決断というか、断腸の思いだっただろう。それは分かる。だって、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、僕も大会主催者を責める気は、さらさらない。悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、社会を覆い尽くすバカ騒ぎぶりだ。

そして、恐れていた通り、今年は
オリーブマラソンだけでなく6月の北山林道駆け足大会や7月の汗見川マラソンまでもが中止となった。
このままでは
今年はマラソン大会もサイクリングイベントも全滅だろう。もうお先真っ暗だ。

って嘆き悲しんでいた時、
ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。

(ピッグ)「中止になった大会をペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え?」


あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、
我々で独自に勝手に自主開催すればいいだけだ。

(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「なんですか?23年前って」


23年前に我々がペンギンズを立ち上げた時
クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、素晴らしいネーミングだったと思う。

(ピッグ)「むやみに仲間うちでの勝敗にこだわってますけどね」

ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだ。

(ピッグ)「何か他にもあったでしょう?」
(幹事長)「何も無い!」


ピッグのナイスなアイデアにより、今年は
中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった。その第1弾が5月17日に開催したツールド103だ。
これが思いのほか楽しくて
大成功だった

(ピッグ)「自分たちのペースで自由に走れるから、正式な大会より良かったですね」
(幹事長)「来年は、正式な大会が開催されても、我々で勝手に独自開催しよう!」

そして、
マラソン大会として初めて自主開催するのが今回の第43回オリーブマラソンだ。
当初の正式大会へのエントリーは10名だったが、新型コロナウイルス騒ぎでみんな状況が変わってしまい、参加するのは私、支部長、ピッグ、D木谷さん、T村選手の5人になった。


〜 ジャンボフェリーに乗船 〜


オリーブマラソンは、近年、エントリーの競争も激しくなってきたが、なんと言っても交通の便の悪さが大きなネックだ。
小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、関西地方からの参加者も多く、そういう意味では立地の良い大会と言える。しかし、レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路がほとんど無い。なので、通常は主催者が出している高松発の臨時船に乗る。
ただ、臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、冷たい波しぶきが飛んでくるし、逆に帰りは太陽熱で焼けて熱くなった鉄板の上で焼かれるお好み焼き状態になり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいていた。
それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら、早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなってきた。奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるので、もはや家畜船と呼ぶのが相応しい阿鼻叫喚の世界になっている。

しかし、今回は自主開催なので奴隷船は出ない。なので交通手段を検討した結果、次の2案が選択肢となった

  @ 高松東港からジャンボフェリーに乗って坂手港に行く。

  A 高松港から内海フェリーに乗って草壁港に行き、そこからバスで坂手港に行く。


ジャンボフェリーだと会場の坂手港に直接行けるので、文句なく最善に見えるが、高松東港はJR高松駅から遠く離れているため、ゾウさんなどJRで来るメンバーに取っては不便だ。しかもジャンボフェリーの便は朝6:00発なので、とても早い。JR高松駅からの距離を考えると、始発電車に乗ってもJR組はたどり着けない。
一方、内海フェリーは出港が9:30なので無理がないが、現地でのバスの乗り継ぎが少し面倒だ

どっちにするか意見を募った結果、ゾウさんなどJR組は不参加になったので高松東港の立地の悪さは問題ではなくなったし、ジャンボフェリーは朝が早いとは言え、毎年、奴隷船に乗る時も私や支部長はみんなの席取りのために5時過ぎには高松港に着いて並んで待っているので、時間は同じようなものだ。
そして「朝早いと涼しいうちに走り終えられるんじゃないですか」という意見が某ピッグから出された。正式な大会はいつも10時スタートで、ゴールは12時前後になるため、天気が良い年は暑さにやられてしまう。今年も天気予報が晴れなので、炎天下のレースが予想される。でも、6:00に高松東港を出て7:15に坂手港に着けば、遅くとも8時までにはスタートして、順調にいけば暑くなり始める前に終了できるかもしれない
て事で、今回はジャンボフェリーに乗っていくことに決定した。

ジャンボフェリーは6:00出港なので、高松東港へは5:30頃を目途に集合することにした。そのためには自宅を5時過ぎに出なければならない。そのためには4時半過ぎには起きなければならない。4時半に起きるなんて、若い頃なら想像を絶する世界だったが、高齢化が進んだ今は、大きな問題ではなくなった。

予定どおり5時過ぎに家を出て、途中のコンビニで朝食を買い込み、5時半頃に港に着いたら、既に支部長、D木谷さん、T村選手が来ていた。
T村選手は去年も参加したが、遊びでサッカーしてて肩を骨折した直後だったので、肩から腕を吊ったままで走った。足の故障じゃなくて肩なら関係ないだろうって思うのは素人で、肩を骨折すると腕を振るのが痛くなるから、だいぶ走りにくくなる。それで、あんまり無理はしたくないとの事で、最後尾からスタートした。なので「もしかしたら私が勝てるかも」なんて思ったが、3kmほど走った地点で軽々と追い抜かれてしまった。
彼はマラソン歴は浅く、デビューしてからまだ3年も経っていないが、もともと素質があるらしく、とても速い。フルマラソンは一昨年のタートルマラソンが初レースだったが、デビュー戦でいきなりサブ・フォーを達成したし、去年のタートルマラソンでは3時間15分なんていうトンでもない記録を出した。また今年2月の丸亀マラソンでは1時間29分という快記録を出した。
学生時代に何かスポーツをしてたかと言うと、学生時代は美術部で、何のスポーツの経験も無い。やはり才能の問題だろう。生まれつき才能がある人は、ちょっと走り始めたばかりでも、素晴らしいタイムを出せる一方で、我々のように才能も根性も無い連中は、どんなに経験を積んで頑張ったって、ロクなタイムは出ない

(幹事長)「経験だけは豊富やけどな」
(支部長)「経験は豊富やけど、老化も進んでいるから、プラスマイナスでマイナスの方が大きいで」

少し遅れてピッグもやってきて、5時50分頃に全員がジャンボフェリーに乗り込んだ。


〜 出港 〜


コロナウイルス騒ぎのため船内は空いていて、ほぼ貸切状態だ。

(D木谷)「こんなに空いてるんなら来年から奴隷船をやめてジャンボフェリーにしてもいいですね」
(幹事長)「いやいや、例年はジャンボフェリーも奴隷船状態になるようですよ」


6時になって船が動き始めたので、朝食にする。さすがに早起きしたからお腹が空いてきた。できれば家を出る前に朝食を食べてトイレも済ませたいところだが、いくら早起きが苦痛でなくなったとは言え、普段より早い時間に朝食を食べるとお腹を壊す可能性が高いので、家では食べず、船に乗ってから食べる。
朝食はおにぎり2個だ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、5年前の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてみたらその後は一度もお腹を壊さなくなった。パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無いのだ。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2月の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレにこもってしまった。原因は分からない。でも、少なくともおにぎり路線が悪い訳ではないだろう。これまでは、おにぎりの他に、バナナやゼリーも食べたりしていたが、それらを控えるべきかもしれない。あんまり無理してレース前に食べすぎるのは禁物だ。

ここで今回のコースを発表する。この大会はハーフマラソン、10kmの部、5kmの部があるが、うちのメンバーはたいていハーフマラソンの部に出ている。例外は血の味を味わうために敢えてペースが速くてきつい10kmの部に出ているゾウさんや、全く練習もせずにぶっつけ本番で5kmの部に出ているライオン4世くらいだ。
ただ、次々とマラソン大会が中止になる中で、みんな目標を失って練習不足が明らかなので、主催者の私としてはコースを3つ用意した。ハーフマラソン、14kmの部、10kmの部だ。

ハーフマラソンのコースは正式な大会と同じだ。今回、地図で厳密に測定した結果、距離は21,095mで、正式なハーフマラソンの距離(21,097.5m)にぴったりだった。

10kmの部も正式な大会と同じだ。ただ、今回、地図で厳密に測定した結果、この10kmの部は実際には9,415mしかないことが判明した。これはコース設定上、仕方なかったのだろう。なぜなら、メインとなるハーフマラソンのコース設定が優先されるからだ。
どういう事かと言うと、10kmの部のコースは、坂手港から草壁地区まで行って、折り返して帰ってくるという1本道のコースだ。ハーフマラソンのコースは、同じように草壁地区で折り返して帰ってくるんだけど、10kmの部より11,095m長いので、8kmほど走ったところで10kmの部のコースから分かれて二十四の瞳の映画村の方へ入っていく
この区間の往復で11,095m長くしようというのだ。ところが、この区間の距離は、実際には11,095mより長くて、11,680mあることが判明した。となると、10kmと合わせて合計で21,680mになってしまう。そこで10kmの部のコースの折り返し点を少し手前にして、距離を短くした。総距離は10kmより短い9,415mになった。
こうする事により、ハーフマラソンのコースはめでたく21,095mとなる。10kmの部のコースは585mも短くなってしまうが、メイン種目じゃないので、許容したのだろう。

(ピッグ)「二十四の瞳の映画村へ入っていく区間の往復距離を11,095mにしたら済む話じゃないんですか?」
(幹事長)「ヤラセの質問をありがとう」


その通りだ。追加する区間の距離を11,095mにすれば、10kmの部のコースを短くする必要はない。しかし、この区間の距離を短くすると、このマラソンコースの売り物である二十四の瞳の映画村までたどり着かなくなってしまう。それではアピールポイントが無くなるので、仕方なく二十四の瞳の映画村までコースを引っ張った。

(ピッグ)「それならハーフマラソンのコースを長くしても良かったんですよね?」
(幹事長)「再びヤラセの質問をありがとう」


10kmの部のコースを短くするか、ハーフマラソンのコースを長くするか、の選択になるが、やはりメイン競技であるハーフマラソンのコースを優先したのだろう。
距離が長くなるとタイムが悪くなるので「あのマラソン大会は良いタイムが出ない」なんて悪評が立ってしまう。逆に10kmの部のコースを短くすると「あのマラソン大会の10kmの部は、なぜか良いタイムが出るぞ」なんて良い評判が立つかもしれない。

(ピッグ)「最初の折り返し点をハーフマラソンと10kmの部で変えればいいんですよね?」
(幹事長)「しつこくヤラセの質問をありがとう」


これが一番正当な解決方法だ。10kmの部の折り返し点をハーフマラソンの折り返し点より先にすれば解決する問題だ。
しかし、10kmの部のスタートはハーフマラソンのスタートより14分遅いだけなので、10kmの部のトップランナーは折り返し点に行く前にハーフマラソンの遅い人たちに追いついてしまう。両方の部のランナーが入り乱れて走る中で、折り返し点を別々にするなんて事は不可能だ
てな事で、10kmの部は距離が短い事が判明したが、何の問題も無いので、今回もそのコースを踏襲した。

これらに加えて、今回、自主開催の目玉ということで、新たに14kmの部を新設した。これはハーフマラソンのコースのように草壁地区へは行かず、いきなり二十四の瞳の映画村まで行って帰ってくるというコースだ。
なぜこのようなコースを設定したかと言うと、正式大会が中止になったため、みんな目標を失って練習不足のはずなので、「ハーフマラソンの部は距離が長くて無理」という人が出る可能性があるからだ。もちろん念頭にあるのは支部長だ。

(ピッグ)「ハーフマラソンが無理なら10kmの部でいいんですよね?」
(幹事長)「なおもヤラセの質問をありがとう」


でも10kmの部のコースは日よけの無い平坦な市街地を走っていくだけなので、あんまり面白くない。本番ならいっぱいランナーが走っているし、沿道の声援もあるから、それなりに楽しいけど、自主開催で走って楽しいコースではない。
一方、二十四の瞳の映画村に向かう区間なら、アップダウンもあるし、日陰もあるし、変化に富んでいる。距離も10kmでは物足りないだろうけど、14kmあれば十分だ。
て事で、自信を持って打ち出した新コースだ。

だが、フェリーの中で私が14kmの部の素晴らしさを力説しても、みんなあんまり食いついてこない。D木谷さんやT村選手は実力者なので、多少は練習不足気味であったとしても、ハーフマラソンくらいはへっちゃらで走る力がある。それに、わざわざ自主開催で小豆島まで来て短い距離でお茶を濁しても嬉しくはない。ピッグもやる気まんまんだ。
問題は支部長だが、支部長も妙に関心を示さない

(支部長)「とりあえずハーフマラソンのコースを走ってみて、無理そうになった時点で引き返してくるわ」

せっかく支部長のために設定した14kmなんだけど、早々にみんなと別れて一人で二十四の瞳の映画村方面に走っていくってのは、なんとなく寂しいし不安なのかな、と思った。まさか、秘かに支部長は自信に溢れていたとは、この時点では知るよしも無かった。
て事で、せっかく支部長を念頭に新設した14kmコースだが、誰も参加せず、取りあえずはみんなハーフマラソンのコースを走ることとなった

正式な大会では折り返し点に三角コーンが立っているが、今回はそんなものが無いので、どこで折り返したらいいのか事前に十分に周知しておく必要がある。 みんなの走力が同じなら、一緒に走ったら混乱も無いが、どう考えても走力がバラバラなので、一緒に走るのは不可能だろう。

(幹事長)「ちゃんと覚えておくように」

  第1折り返し点:国道436号線の、草壁港のすぐ西にある別当川の別当大橋を渡ってすぐにあるミナト接骨院の前
  第2折り返し点:県道249号線の、二十四の瞳の映画村の奥にある「愛のボラード」の前


(ピッグ)「なんですか、愛のボラードって?」
(幹事長)「変な物体や」


愛のボラードとは、船を繋留する岸壁の杭の形をした白い巨大な物体だ。ま、行けば分かる。

朝食を食べてしばらく時間が経ったので、トイレを済ましておく。いつもは長蛇の列ができる仮設トイレを避けて、秘密のトイレを探すのに苦労するところだが、今回はガラガラの船内でゆっくりと用を足すことができた。


〜 島に上陸 〜


1時間15分の船旅が終わって7時15分に小豆島の坂手港に着く。例年なら、ここで島の小学生達の鼓笛隊が演奏で迎えてくれて心温まるところだが、今年は当然ながら鼓笛隊はいない。
船から下りたら、まずは場所取りをしなければならない。例年のように、船を降りてすぐの狭い芝生に囲まれたベンチに陣取る

すっかり日が昇って、早くも少し暑くなってきた。
オリーブマラソンは毎年5月末に開催されるが、この季節は天気が良いときは本当に気持ちが良い。まだ湿度があんまり高くないから、木陰でボケッとしてるぶんには暑くなく、大変気持ちが良い季節だ。
ただし、マラソン大会となると事情は異なる。木陰は気持ち良くても、炎天下を走るとなると非常に暑い。個人的には寒いのは嫌いで、暑い方が好きだから、真夏の炎天下で汗だくになって走るのは楽しくて好きなんだけど、しかし、いくら好きでも暑いとタイムは悪くなる。
それでも、昔の私達は、マラソン大会では晴れを望んでいた。雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。
しかし、2010年の第33回オリーブマラソンで考えが変わった。その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。
そしたら、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、むしろ坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった。私だけでなく、最後までデッドヒートを演じたピッグも快走だったし、支部長も例年なら絶対に歩く最後の大きな坂も歩かずに2時間を切る大会自己ベストを出した。
それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになったのだ。

この大会には1997年から出続けているが、昔からずうっとタイムが悪く、長らく2時間を切ったことがなかった。私に限らず、ピッグや支部長だって、他のレースに比べたらタイムは悪かった。でも、それが暑さのせいだとは誰も思わなかった。いくら暑いと言ったってまだ5月なんだから、7月下旬の炎天下の汗見川マラソンや四国カルストマラソンのような地獄の暑さではないからだ。
なので、このレースのタイムが悪い理由は坂が多いからだと信じていた。オリーブマラソンのコースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だが、後半に入ると、二十四の瞳の映画村まで行って折り返してくる曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。
この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に次から次へと坂が襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなるのだ。
同じ小豆島だけど、反対側の北西部で行われる11月の瀬戸内海タートルマラソンも同じように坂が多いが、なぜかそちらの方はタイムが良い。タートルマラソンはコース全般に満遍なく坂が配置されてるけど、オリーブマラソンは疲れが出る後半に坂が集中するのが良くないのだと思っていた。なので、オリーブマラソンでは2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた。

マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、走る前から「このコースでは2時間を切るなんて絶対不可能だ」なんて決めつけていたら、現実にも2時間を切ることは難しい。
途中で苦しくなったら、「どうせ良いタイムは出ないコースだから頑張ってもしょうがない」と、すぐに諦めるからだ。
以前は、最後の大きな坂では、ほぼ必ず歩いていた。無理して走っても、どうせ良いタイムは出ないと信じていたからだ。

それなのに、2010年に土砂降りの中、みんな揃って快走したもんだから、メンバー全員、衝撃を受けた。オリーブマラソンのタイムが悪かったのは、坂が多いからというだけではなくて、暑さのせいが大きかったのだ
そのため、それまではみんな雨を嫌がっていたんだけど、一転して、暑い季節のマラソンは雨乞いをするようになった
そして、その翌年の2011年も、序盤に激しい雨が降ったため、前年と同じように後半にペースを上げることができて、大会自己ベスト2位を出した
これでオリーブマラソンも雨さえ降れば良いタイムが出るという事が分かり、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がついた

そして、さらに、雨さえ降れば良いタイムが出るということが分かると、雨が降らなくても暑さ対策を施せば、炎天下のレースになっても良いタイムを出すことが可能になってきた
暑さ対策とは、秘密兵器のメッシュのシャツだ。2014年のオリーブマラソンに初めて、他のメンバーから沸き起こった「恥ずかしいから脱いでくれ」という批判を気にせずに着て走ったところ、炎天下にもかかわらず暑くないため、好タイムを出すことができたのだ。
さらに2015年のオリーブマラソンでも、自信を持ってメッシュのシャツを着て走ったら、炎天下のレースだったにもかかわらず、土砂降りの10年前に出した大会自己ベストを更新する大会自己ベストを出した。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、「雨が降らなくてもメッシュのシャツを着れば良いタイムが出る」という事が分かったのは大きな自信となった。
雨が降らなくても、暑さ対策さえ万全に施せば、暑さを楽しむことができる。もう怖いものは無いのだ。


〜 ウェアの選択 〜


て事で、ウェアの選択に入る。「何を着るか」は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な課題だ

(ピッグ)「だからメッシュのシャツを着るんでしょ?」
(幹事長)「いや、今年は変えてみる」


6年前や5年前に炎天下にもかかわらず好タイムを出せたのは、メッシュのシャツのおかげだと思う。それまで炎天下のレースでは惨敗続きだったのが、急に快走できるようになった理由は他には見当たらない。間違いない。
しかし、実は、その後はこの秘密兵器のメッシュのシャツを着ても惨敗することがあった。続く4年前は同じメッシュのシャツを着て走ったにもかかわらず、以前と同じような惨敗を喫してしまった。支部長にまで負けてしまったのだから、究極の惨敗だ。メッシュシャツを着ているのに支部長に負けるなんて、もう全く理由が分からない。さらに去年も3年ぶりにメッシュシャツを着て走ったが、惨敗とは言わないまでも、平凡なタイムだった。
てことで、メッシュシャツを着たからと言って必ずしも快走できる訳ではないってことが分かった

で、そもそも今年は正式な大会でないため、ロクなタイムが出ないことは分かりきっている。ゾウさんやのらちゃんなんかは精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。なので、もし今回、参加していれば、自主開催であっても、正式な大会と同レベルのタイムを出せるだろう。
しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れてみても、本番とはほど遠いペースに落ちぶれてしまう。なので、自主開催の今日は正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのが目に見えている。て言うか、正直なところ、完走できるかどうかも不安なのだ。
こんな状態なので、秘密兵器のメッシュシャツを出してくるのは止めておいた。なぜなら、秘密兵器のメッシュシャツはいつ買ったのか忘れてしまったが、もう古くてボロボロになっていて、いまにも破れそうなのだ。だからここぞと言う時のために大切に保管しておかなければならない。どんなにあがいてもロクなタイムが出そうにない今日なんかに着るのはもったいないのだ。

てことで、今日は3年前に着た袖無しの白のシャツにした。あの時も、直前に剣山〜三嶺をテント担いで縦走登山してて滑落して膝の靱帯を損傷していたので、秘密兵器のメッシュシャツを着ても効果は無いと分かっていたから、ウェアを変えていたのだ。下は練習の時にいつも履いている短パンだ。
一方、あれだけ暑さに弱い支部長はタイツを履いている。

(幹事長)「それ暑いやろ?」
(支部長)「どっちにしても暑いから同じや」


支部長は暑さに極端に弱いにも関わらず、真夏のレースでもタイツは履くが、私は見てるだけで暑くなるので履かない。さらに支部長は手袋も履いている。
さすがに今日は支部長以外はタイツも手袋も履いていない。ただしピッグとD木谷さんは足攣り防止の脹脛サポーターを履いている。

(ピッグ)「幹事長は履かないんですか?」
(幹事長)「持ってくるの忘れてしまった」


その代り、足攣り防止用のドーピング薬2RUNは持ってきた。これは竜馬脱藩マラソンの時に航路さんに教えてもらった劇薬だ。
先週のツールド103(自主開催)では思いがけず真っ赤に日焼けしてしまったので、今日は腕から足から顔まで日焼け止めクリームを入念に塗った。
また、炎天下のレースなので、嫌いなランニングキャップも被ることにした。帽子を被ったら頭が蒸れて暑くなったりするんだけど、直射日光があまりに強いとクラクラするかもしれないので、仕方なく被ることにした。もちろん、帽子は全員が被っている。
さらにサングラスも必須だ。眩しいからと言うより、歳とってくると紫外線による目への悪影響が強まって白内障の危険性が出てくるので、サングラスをかけるようにしている。サングラスをかけると、目がとっても楽だ。

スタート地点で弾けるメンバー
(左からT村選手、支部長、幹事長、D木谷さん、ピッグ)


最後に持ち物を点検する。今日は給水所が無いので、トレランリュックにスポーツドリンクのボトルを入れて背負って走る。トレランリュックは小さいとは言え、いろいろ入るので、カメラスマホ貴重品も入れて走る。汗を拭くハンドタオルや、お腹を壊した時のためのティッシュペーパーも必携だ。
D木谷さんは飲料ボトル用ホルダーを腰に巻いている。一方、T村選手は手に飲料ボトルを1本持って走るようだ。手に持って走るのは走りにくいが、去年、肩を骨折して腕を吊ったまま走った彼には何の問題も無いのだろう。
一方、支部長とピッグは小さなウエストバッグを着けただけだ。

(幹事長)「なんでトレランリュックを持ってこんかったん?」
(支部長)「汗でベトベトになりそうやから」
(幹事長)「飲み物が無かったら脱水になるで」
(支部長)「自動販売機で買うからいいんよ」


途中で自動販売機で飲料を買うなんて、真剣さを疑う行為なので、まさか秘かに支部長が自信に溢れていたとは、この時点では知るよしも無かった。

荷物は、良い子のT村選手がキャンプ用の荷物運搬アウトドアワゴンを持ってきてくれたので、みんなで入れさせてもらう。

(支部長)「今日の目標はあるの?」
(幹事長)「もちろん大会自己ベストや!」

どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
と言うのは建前で、本番でもないのに自己ベストを出せるはずはない。上にも書いたように、ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと期待しているんだけど、そうは言っても、正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのが目に見えている。

て言うか、正直なところ、完走できるかどうかも不安なのだ。実は徳島マラソンが中止になり、その後のマラソン大会も続々と中止が発表されてきたため、3月以降はロクに練習する気が起きず、やたら登山ばかりにうつつを抜かしてきた。登山に行かない日は、できるだけ練習はしようとは思ってきたものの、気合が入らないので、せいぜい1日5km程度の練習でお茶を濁してきた。
いつもなら、ハーフマラソンの大会がある場合、1ヵ月前から週に一度は20km走をやってきた。練習で走ってない距離を本番でいきなり走るのは無謀だからだ。しかし今回、本番がずうっと中止になってきたため、3月以降、最長でも10km走しかやってないことが分かった。
それで慌てて5日前の火曜日に久しぶりに20km走をやってみた。すると、終盤は足が動かなくなっただけでなく、足首が痛くなって歩くのも辛い状態になってしまった。しばらくサボると、こんな悲惨な事になるのかと愕然とした。それ以降は、今日まで回復を願いながら大人しくしていたのだ。なので、今日は完走すら危ういのだ。

(幹事長)「て事で、今日は完走できればヨシとしよう。支部長は?」
(支部長)「走れなくなったら、そこで止めて帰ってくるから気楽やね」


支部長も私と同じで、本番でないと気合が入らないはずなので、今日は私の敵ではないと思っていた。まさか秘かに支部長が自信に溢れていたとは、この時点では知るよしも無かったのだ。


〜 スタート 〜


スタート地点は、坂手港のバス停の前だ。
準備ができたので、スタートする事にした。時刻は7時45分だ。
いつものスタート時刻は10時だから2時間以上早い。これなら、いくら快晴でも暑さはマシだ。ウェアも涼しいしサングラスもしているので、あんまり暑さを感じない

あんまり暑くないこともあり、正式な大会ではない自主開催にしても、なんとなくやる気が湧いてくる。とは言え、完走すら危うい状況なので、あんまり無理して飛ばすのは禁物だ。そこそこのスピードで走り出す。
ところが、そんなに速いペースではないのに、誰も前を走ろうとせず、なんだか私の後ろで牽制している。中でもスピードランナーのT村選手が飛び出さないのが不可解だ。

(幹事長)「何やってんの?ロケットスタートしてよ」
(T村)「いや、今日はサポートランナーに徹しますから」


て事で、T村選手は今日はみんなと一緒に走るらしい。
仕方ないので、とりあえず自分のペースで走る。大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会には程遠いが、みんなと走るので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。

最初の大きな坂を越えると、下り坂を飛ばして古江地区に下る。
すると、後ろから誰かが接近してきた。てっきりピッグかD木谷さんかと思ったら、なんと支部長だった。これまでも支部長は前半は飛ばして後半に撃沈する事は多かった。なので、今日も前半は何も考えずに飛ばしているのだろうと思った。それでも、僕も割としっかり走っているつもりなのに、支部長も同じように走っている。調子は悪くないようだ。

この後は草壁港の近くにある第1折り返し地点まで平坦な道が続く。道が草壁港を目指して西向きになると、なんと、徐々に支部長の後姿が離れていく。彼がペースアップしたのかこっちがペースダウンしたのか分からないが、少しずつ離れていく。
するとT村選手が追いついてくる。彼は先頭からやや遅れたポジションをキープしながら走っているようなので、支部長が少し前に出たもんだから、それに連れて私と同じポジションになったものだ。

(T村)「支部長がやけに速いですねえ」
(幹事長)「どうしたんやろね」

その後も徐々に支部長が遠ざかっていくので、ついにT村選手も私より少し前に出た。
しばらく走ると、別当大橋を渡って第1折り返し点のミナト接骨院に近付いてきた。支部長はちゃんと分かるかなあと思って見ていたけど、全く周囲に注意を払うことなく、ひたすら無心で走り続けているので、慌てて大声で呼び止める。

(幹事長)「おーい!そこが折り返し点やで!」
(T村)「折り返し点ですよーっ!」


なんとか気づいた支部長が立ち止まり、引き返してくる。ここまで約4.4kmのところを24分ほどで来たので、1km5分半ほどのペースだ。これが正式な大会なら、序盤なのにスローペースで愕然とするところだが、自主開催なので、このペースなら許容範囲だ。
ここで少しだけスポーツドリンクを飲む。

再び3人がほぼ一緒になって来た道を戻っていく。しばらく走るとピッグやD木谷さんとすれ違う。二人とも自分のペースを守っているようだ。
その後も支部長はペースを落とすことなく、確実に走っていく。

(T村)「支部長すごいですね。全然ペースが落ちませんよ」
(幹事長)「フォームが全然ブレないよねえ」


後ろから見ていると、支部長はいくら走っても全然フォームが崩れず、きれいなフォームのまま、しっかりした足取りで確実に走っていく。一体どうしたことだろう。
折り返し点まで距離は正確に測っているが、今日は距離表示が無いので、途中の距離が分からない。支部長やT村選手はGPS付の腕時計をしているので、それを聞くんだけど、支部長のペースは全く落ちていないようだ
安全のため歩道がある部分は歩道を走ることにしたんだけど、この辺りの市街地でも、車はほとんど通らず、交通量は極端に少ない。観光客が来なければ、日曜日の朝はこんなものなのだろうか。

二十四の瞳の映画村へ入っていく道は、意外に遠く、なかなか現れない。まだかな、まだかな、と思いながら走っていくうちに、再び支部長との差が少しずつ開いていく。ここで無理して追いついてもバテるだけなので、取りあえず支部長は泳がせておく。普段通りなら、終盤に落ちてくるはずだ。
雲一つない快晴が続くが、時間が早いこともあり、メッシュシャツとサングラスのおかげでそれほど暑さは感じない。ただ、体はそんなに暑くはないけど、帽子を被っている頭がもわっとして鬱陶しくなったので、早々に帽子は脱いで手に持って走る

だいぶ走ったところで、ようやく二十四の瞳の映画村への分岐点が現れ、支部長が折れ曲がっていく。それに続いて私も折れ曲がっていく。
折れ曲がって少し進んだところが8km地点だ。第1折り返し点からの距離とタイムで必死で暗算すると、ペースは1km5分45秒ほどに落ちている。坂はこれからだと言うのに、早くもペースダウンしてきた。やはり甘くはないぞ。

それでも、まだ諦めてはいない。以前は後半になると必ず失速していたが、10年前に土砂降りの中で快走して以来、良いタイムを出した年は全て、後半の坂のある区間の方がペースが上がっている前半のフラットな区間のペースは、毎年似たようなものだが、後半の二十四の瞳の映画村へ行く半島でのペースが違う。惨敗パターンでは、この半島で止めどもなくペースが落ちていくのに、快走パターンではどんどんペースが上がっている
一般的に、後半でペースを上げるのは難しいが、それだけに理想的な展開とされている。なかなか難しいパターンだが、オリーブマラソンに限って言えば、ここ数年、好タイムを出したときのレース展開は、どれも後半にペースアップできている。
なんでそうなるのか、何が決め手になるのか、全く分からないが、目指すパターンは後半のペースアップだ。第2の折り返し点を過ぎてもペースが落ちなかったら、その後はペースアップできる可能性が大きいということであり、諦めることなく、最後まで突っ走れば良いタイムが期待できるのだ。

なーんて思いながら走っていると、今度はD木谷さんが追いついてきた。

(D木谷)「支部長が速いですねえ」
(幹事長)「後姿が惚れ惚れするほど安定して確実にペースを刻んでいくんですよ」


それに引き替え私は、徐々にペースが落ちているようで、遂にD木谷さんにも離され始めた。
5日前に久しぶりに走った20km走で痛めた足首が少し痛くなってきた。痛みは大したことなく、我慢できるんだけど、このまま走り続けていて悪化しないだろうかっていう不安が出てくる。
さらに3年前に登山で滑落して痛めた右足の靭帯の古傷も痛みだした。ただ、こちらは、これまでもこういう時には痛みが出てくるが、それ以上は悪化しないことが分かっているので不安は無い。

しばらく平坦な海岸線を走ると、すぐに大きな坂が出現する。この半島の中で最大の坂だ。
なんとか坂を上りきった見晴らしの良い場所で、先行してた3人が立ち止まっている。

(幹事長)「そんな所で何してるん?」
(支部長)「写真撮ってるんよ」


呆れた。なんと3人で、景色が良いからと写真を撮っていたのだ。マラソン大会の途中で写真を撮るなんて、真剣さが足りない

(T村)「幹事長もさっき写真撮ってましたよね」
(幹事長)「あれはみんなの走る姿を撮ってたんやで」


今大会の成功の様子を記録するために、私は各所でみんなの雄姿を撮影しながら走っているのだ。景色の写真なんて撮ったりはしない。
なので、そのまま3人を抜いて先頭に立った。ここまで快調だった支部長も、そろそろ疲れが出始めているだろうから、このまま先頭を突っ走りたいところだ。
なーんて思いながら勢いをつけて坂を下り始めたつもりなのに、あっさりと支部長が追いついてきて、あっさりと抜き去られてしまった。一体どうなってんの?

坂を下りると再び海岸線の道を走る。この辺りも美しい景色だ。思わず立ち止まって写真を撮る。

(T村)「何してるんですか」
(幹事長)「ほんの一瞬やがな」


もちろん、景色だけでなく、後ろを走ってきたT村選手やD木谷さんの雄姿も撮る。
しばらく行くと、再び坂の区間に突入する。これでもか、これでもか、と何度も小刻みにアップダウンが繰り返される、なかなか厳しい区間だ。
ところが今回は、割とあっさりと坂の区間が終わり、遠方に二十四の瞳の映画村が見えてきた。

(幹事長)「あれれ?もう坂は終わり?」
(T村)「意外にすぐ終わりましたね」


いつもは必死に走っているからきついけど、今日みたいに遅いペースで走れば、大したことはないのだろうか。
支部長はだいぶ前の方に行ってしまったため、T村選手も再び離れていった。支部長は早くも第2折り返し点の「愛のボラード」まで進み、さすがに今度は見落とすことなく折り返してきた。
支部長は極端な汗かきで、すぐに脱水症状になるのに、ここまで給水していない。

(幹事長)「給水は大丈夫なん?」
(支部長)「これから飲むよ」


私も折り返し点で折り返す。半島に入ってからのペースを必死で暗算すると、1km5分50秒ほどに落ちている。しかし、坂の多い区間だったので、これくらいのペースダウンは仕方ないか。調子が良い時は、ここからの後半にペースアップしているから、それに賭けよう。

ここには自動販売機があり、支部長はさっそくドリンクを購入し、グビグビと飲み始めた。私も一緒に持ってきたスポーツドリンクを飲んでいると、遅れていたピッグがやってきた。
その間に、T村選手は我々を置いて先に行ってしまった。彼は手に持っていたドリンクは、走りながら全て飲み切っていたようだ。
彼の後姿を追って再び走り始めたが、あっという間に見えなくなってしまった。

しばらくするとD木谷さんが再び追いついてきて、そのまま抜き去られてしまった。
なんとか、このまま3位のポジションをキープしようと思っていた矢先、いきなり後ろから支部長が追いついてきた。あまりの素早さに驚いてしまった。そして、支部長もあっさりと私を抜いて着実な足取りで引き離しにかかる。
いったい、どうして、こんなに元気なんだろう。もちろん、支部長がこんな速いペースで最後まで突っ走れるとは思えないので、どこかで撃沈するだろうけど、それにしても今のところは足取りが確実だ。

交通量は思ってた以上に少なく、ほとんど車は走っていない。人は往復で2〜3人くらい見た。うち一人は若い女性で、走る格好はしていたものの、ずっと歩いていた。
しばらく平坦な区間を進むと、細かなアップダウンが繰り返される坂の区間に入る。調子が良いときと悪い時の差は、この辺りからはっきりと現れてくる。調子が悪い惨敗パターンのときは、この辺りからみるみるうちに奈落のようにペースが落ちていくが、調子が良い快走パターンのときは、逆にペースを上げることができる。
本来、上り坂に弱い支部長としては、そろそろ落ちてくると期待してたんだけど、全然落ちてこない。むしろ、差はどんどん広がり、ついには後姿が見えなくなってしまった。
こうなると展開としては厳しい。ここまでなんとか頑張ってきたのは、他のメンバーが見えていたからだ。特に支部長の背中を追ってきたようなものだ。それが見えなくなってしまうと、練習で独りで走っているのと同じになり、ズルズルとペースは落ちてしまう。なんとか踏ん張ろうとするんだけど、前にも後ろにもランナーがいないと、なかなか精神力が持たない。

なーんてトボトボ走っていたら、なんと前方に支部長の後姿が見えたじゃないの。どうしたのかと思ってよく見ると、なんと遂に歩き始めているではないか。上り坂だ。やった!この時を待っていたのだ。ここで一気に追い付かねばならない。てことで、上り坂にもかかわらずペースアップしたんだけど、あと少しってところで上り坂が終わってしまい、支部長が再び走り始めた。
でも、一度、歩いてしまったら、ペースはなかなか上がらないはずだから、ここで一気に追いつこうと、なおも頑張る。ところが、なんと支部長は歩きだす前と同じペースに戻り、着実に離れていく。全然ダメージを受けていない。
でも、一度、歩いたという事は、また再び歩くはずだとの確信を持ち、諦めずについて行くと、案の定、次の上り坂でもすぐ歩き始めた。ここがチャンスだと思って一気に追いつこうとしたが、その坂はすぐ終わってしまい、支部長は再び確実なペースで走り出す。あかんがな。
でも、まだチャンスはある。半島区間の終盤にある大きな坂だ。あそこは上り坂が長いから、かならず追いつけるはずだ、と思って小さくなった支部長の後姿を追ったが、なんと終盤の大きな坂では支部長は歩かない。なんで?なんで歩かんの?どこにそんなエネルギーがしぶとく残ってたんだろう。歩かずに坂を上りきった支部長は、下りになると再び確実な足取りでどんどん遠ざかって行った

半島の区間が終わってペースを暗算してみると、二十四の瞳の映画村からの折り返し区間は、なんと1km6分20秒にまでペースダウンしていた。行きに比べて帰りは3分近く長くかかっている。完全に撃沈パターンだった。これじゃあ歩いている支部長にも追いつけないはずだ。
トータルで2時間を切るのも不可能になった。残された目標は、せめて1km平均ペースで6分を切ることくらいか。

半島区間が終わると、いきなり最後の大きな坂になる。昔は、ことごとく歩いていた坂だ。私だけでなく、他のメンバーも大半は歩いていた。でも、最近は支部長を含め、あまり歩かずに乗り切っている。気持ちの持ちようなんだけど、厳しい厳しいと思っていると、つい歩いてしまうが、所詮は大したことないと思っていると、割にあっさりと上り終えてしまう。
今日も淡々と登っていくと、割とあっさりと上り坂は終わってしまった
そして、なんと、再び支部長の後姿が見えた。そんなに遠くはない。もしかして、最後の上り坂で歩いたんだろうか。これはチャンスだ。と思って、再び一生懸命走ってみる。
でも、支部長は走り出すと再び当初のペースに戻り、着実に進んでいく。どうしても追いつけない、どころか、再び徐々に離されていく。まさか、今日はこのまま支部長に負けてしまうんだろうか。そんな事があっていいものだろうか。


〜 ゴール 〜


最後の直線区間も頑張って最後まで走ってみたが、現実は厳しい。結局、支部長には一足先にゴールされてしまった。

支部長はゴールしても余裕があり、続いてゴールしようとする私を制止し、ゴール写真を撮ってくれる準備をし始めた。ところが、ウエストポーチからスマホを出す時に落としてしまい、なんと画面が割れてしまった。なんとか私のゴール写真は撮ってくれたものの、スマホの命は風前のともしび状態になってしまった。

結局、タイムは2時間4分台だった。かろうじて1km6分ペースはギリギリで切ったが、2時間すら切れなかったのは、最近では大惨敗の部類だ。しかし、かつては、この大会では2時間を切るのは不可能だと思っていたくらいだから、長い歴史の中では、それほどの大惨敗でもない。
それに、なんと言っても、今日は正式な大会ではないから、そこまで気合は入っていない。給水所もないから自分でスポーツドリンクをリュックに背負って走っているし、時々写真を撮ったりもしている。それくらいのゆったりした雰囲気の中でのタイムだから、それほど悪くはない

(幹事長)「逆に、支部長の異常なまでに安定した走りは驚愕に値するぞ」
(T村)「最後までフォームが一切乱れなかったので感心しましたよ」
(支部長)「峰山トレーニングのおかげかな」


かつては支部長はレフコでランニングとバイクとスイムの3種目のトレーニングをこなすレフコトライアスロンで力をつけていたが、最近は、コロナウイルス騒ぎで一時期レフコが閉鎖になっていたため、峰山にランニングで上るトレーニングを重ねてきており、その効果が抜群だったようだ。

(幹事長)「いかんがな。私がダラダラと怠けていたスキに支部長に追い越されてしまったがな」
(支部長)「それと、今日は暑くなかったからな」

確かに、今日はスタートがいつもより2時間以上早かったため、雲一つない晴天だった割には、炎天下の暑さにはならなかった。本来の大会なら、ちょうどこれからスタートって時刻にゴールできた。人一倍暑さに弱い支部長としては、好条件だったと言えよう。


〜 帰りの船 〜


いつもならゴールすると冷たいソーメンを頂ける。お弁当の配布もあるが、疲れた体はお弁当は受け付けない。でも、冷たいソーメンは疲れて火照った体に心地よく入っていく。しかし、もちろん、今日はそんなものは無い。
ソーメンどころか、この近辺には何も無い。以前、自転車で小豆島を一周した時も、ちょうどこの辺りで昼食をとろうとしたんだけど、食べられる所が全く無くて、結局、草壁港まで行ってようやくありついた。
なので、空腹を我慢して、取りあえず帰りの船を待つ。帰りは11:20坂手港発なので、1時間以上待たねばならない。
ただ、木陰にいると涼しい風が吹き抜けていき、とても気持ち良い。一年で最も気持ちの良い季節だ。

だいぶ待ってようやく帰りの船に乗ると、朝と同じくらいガラガラだった。朝は座席に座ったが、帰りは畳の雑魚寝スペースに寝転がった。これだけ空いていると、雑魚寝スペースの方が快適だ。

(幹事長)「これまでオリーブマラソンのコースは坂が多くて大変だと思ってたけど、今日みたいなペースで走ったら、意外に大した事はなかったな」
(T村)「そうでしたね。なんとなく坂が大変っていうイメージがあるけど、冷静に見れば大した坂ではないですね」


このイメージを持続できれば、来年の正規大会でも苦手意識は払しょくされそうだ。

(幹事長)「それにしても、支部長の走りはすごかったなあ」
(D木谷)「最後まで崩れませんでしたね」
(支部長)「あれが限界やったけどね」


珍しく謙遜する支部長だが、最後までペースが落ちなかったから、決して限界ではない。知らないうちに、明らかに実力がアップしている
それに引き替え、私はあまりにも練習量が足りなかった。ただ、5日前に初めて20kmしただけなのに、その割には最後までしっかりと完走できたから、少しは自信が付いた。
こういう真剣に走る機会があって本当に良かった。正式な大会が中止になっても、自主開催のマラソン大会があれば、それなりに目標となり、それなりに力も付く。

(支部長)「途中ですれ違った女の子にも「自主開催?」て聞いたら「そうです」って言ってたよ」
(幹事長)「そんなこと聞いたんかいっ!?」


そうなのか。彼女も自主開催だったのか。その割には一人でトボトボ歩いてたけど。

(幹事長)「他にも自主開催してる人がいるんやなあ。ピッグが思いつくくらいやから、誰でも思いつく平凡なアイデアだったか」
(ピッグ)「幹事長は全く思いつかなかったんでしょ?」
(幹事長)「3月の徳島マラソンも自主開催すれば良かったな」
(ピッグ)「退屈な吉野川の堤防を自主開催で延々と42kmも走るのは無理ですよ」


いずれにしても、先週のツールド103に続き、今日の自主開催オリーブマラソン大会も大成功だったので、今年度はこのまま自主開催を続けていこうと思う。
次は早くも6月14日に北山林道駆け足大会がある。自主開催なので必ずしも14日にこだわる必要はないから、みんなの都合と天気を見ながら臨機応変に開催したいと思う。
さらに、その次は7月末に汗見川マラソンが待っている。

次々とマラソン大会が中止になって、一時はお先真っ暗だったけど、俄然やる気が湧いてきたぞ


〜おしまい〜




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