第41回 瀬戸内海タートルマラソン大会(自主開催)

〜 ピッグ覚醒の2連勝 〜


2020年11月29日(日)、小豆島において第41回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催される予定だった。

私の中では瀬戸内海タートルマラソンは一番由緒のあるマラソン大会
だ。
瀬戸内海タートルマラソン大会は私にとっては初めて参加したマラソン大会であり、私のマラソン大会の原点と言える、一番愛着がある大会だ。初めて参加したのは、25年も前になる1995年の第16回大会だ

(ピッグ)「記事があるのは、その2年後の第18回大会からですよね」
(幹事長)「このホームページを開いたのが1997年やからなあ」


25年も前のレースの事なんてほとんど覚えてないが、初めて参加したマラソン大会なので、エントリーの経緯はよく覚えている。
その頃、一人でジョギングなんかしてたんだけど、ふと、何かマラソン大会ってものに出てみたいなあなんて思い立った。でも、当時はマラソンブームが起きるはるか以前の事で、ジョギングする人だって滅多にいなかったから、全国的にもマラソン大会は数が少なく、たまにあっても出場するのはマニアックな人ばかりという状況だった。

ところが、ある日、テレビを見ていたら
タートルマラソン大会のCMが流れていて、「ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘われて、ついフラフラと軽はずみな気持ちで申し込んでしまったのが最初だ。
申し込もうと思い立ったとき、実は既に申し込み受付期間は過ぎてたんだけど、主催者の瀬戸内海放送の本社まで訪ねて行ったら、簡単に申し込むことができた。
今みたいに、申し込み受付スタートと同時にパソコンのキーを叩いて1秒を争ってネットで申し込みしないとエントリーすらできないという末期的な状況からは考えられない古き良き時代だ。
当時、
私のような素人が誰かから誘われた訳でもなく一人でマラソン大会に出るなんて事は、珍しかったと思うので、初心者大歓迎だったのだろう。

(支部長)「チャレンジャーやなあ」
(幹事長)「ほとんど練習もしないで、いきなりトライアスロンに出て撃沈した支部長さまには及びません」

ちなみに、当時は
タートルマラソンってことで年齢制限があり、35歳以上でないと出場できなかった。だから30歳代後半で出た私なんかは若手の部類だった。
初参加したレースの結果は、30歳代だったにもかかわらず2時間すら切れない大惨敗だった。順位を見ても、かなり後ろの方だった。「
ゆっくり走るタートルマラソンだから誰でも出られるよ」なんて甘い言葉で誘惑していたが、マラソンブームなんてものが起きる遥か以前の事だから、実際に出場していた人の大半は経験豊かな速いランナーで、ド素人の私なんか蹴散らされていたのだ。

タイムは悪いし順位も後ろの方だったけど、初めて出場したマラソン大会は感動的なものだった。誰でも参加できる市民マラソン大会を走っているだけなのに、沿道の住民からは熱い応援があり、まるでオリンピックを走る一流選手になったような気分になれたからだ。
今思えば、人口が少ない地域の小さな大会だから、もっと大きな大会に比べたら、沿道で声援を送ってくれる人も数も少なかったんだろうけど、他人から声援を受けて走るなんて事は、義務教育を終えてからは初めてだったので、とても快感だった。
初めてだったから、ペース配分も何も分からずに走ったため、ゴールしたら足が動かなくなって座り込んだけど、今思えば、あの疲労感も心地よかった。

(支部長)「今じゃ全力を出し切ることもできなくなったからなあ」
(幹事長)「一生懸命走ってるつもりでも力を出し切れてないから、ゴールしても余裕でピンピンしてるもんなあ」

初めて出たマラソン大会がすごく楽しかったというのは、自分でもラッキーだと思う。ときどき、初めて出たマラソン大会が辛かったから一回きりでマラソンを止めてしまったという人の話も聞くが、とても気の毒だ。私は、
初マラソンでマラソン大会に出る楽しさを知ってしまったから、それ以来、病みつきになった。
そういう意味で、単に初めて出場したマラソン大会というだけでなく、
私の人生に大きな転機をもたらした瀬戸内海タートルマラソンは、私にとって極めて重要なマラソン大会なのだ。

それなのに、ああ、それなのに、なんと今年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった

事の発端は3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、3月22日の徳島マラソンが中止になった頃から雲行きが怪しくなってきた。全国的にマラソン大会が次々と中止になり始めたのだ。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

(ピッグ)「この説明、永遠に続きそうですね」
(幹事長)「腹が立って仕方ないから、自主開催を続けているうちは永遠に続くぞ」

素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないと走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、
屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外では感染しない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。

多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい
下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。

もちろん、
大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、僕も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、
コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。

そして、恐れていた通り、その後は
5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままでは今年はマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。
って嘆き悲しんでいた時、
ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。

(ピッグ)「もう、この話はウンザリです」
(幹事長)「最初に聞いたときは感動したんよ」


5月のオリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソン9月の脱藩マラソン11月の庵治マラソンの記事にも書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。

(ピッグ)「中止になった大会をペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え?」


あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、
我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。

(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「ハイハイ、分かりました」


23年前に我々がペンギンズを立ち上げた時
クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、
素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだ。

と感心していたのだが、5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
つまり、
マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。

(ピッグ)「だから、もう分かったって言ってるでしょ」

てなわけで、今年は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった
その第1弾が5月17日に開催した
サイクリングイベント第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月のオリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソン9月の脱藩マラソン11月の庵治マラソンを自主開催してきたが、これらもとても楽しくて大成功だった。

れらに続く自主開催マラソン大会の第7弾が今回の瀬戸内海タートルマラソンだ。
本来、今年の瀬戸内海タートルマラソンは
11月29日に開催されるはずだった。それがコロナ騒ぎで1月24日の開催に変わった。2ヵ月すればコロナ騒ぎが収まる事を期待したからだ。だが、その後、それくらいでは収まりそうにない状況になったため、結局は中止になった
その後、1月24日〜31日の間で
バーチャル大会を行う事になったようだが、いつどこを走ってもいいバーチャル大会なんて参加しても意味はないので、あくまでも現地に行ってみんなで一緒に走って自主開催することにした。

元々の開催予定日だった週末は、私が御在所岳に登山に行ったので、翌週の12月6日の開催とした。
自主開催は自由に開催日を設定できるから、とても便利だ。みんなの都合が良い日を選べばいいし、天気が悪ければ延期するのも自由だ。

(D木谷)「私もその日の方が良いですね」

D木谷さんは11月29日でも参加可能だったのだが、その前週の11月22日に
小豆島で60kmを走ったので、できれば少し休みたかったとのことだ。

(幹事長)「な、な、な、何なんですかっ!?60kmも走るなんて!」
(D木谷)「ウルトラマラソンの自主開催で」


D木谷さんはウルトラマラソンにも時々出てるんだけど、今年はウルトラマラソンも中止になってるため、ウルトラマラソン仲間と自主開催で小豆島を一周したんだそうだ。さすがに自主開催で100km走るのは大変すぎるので60kmコースにしたとのことだが、60kmも自主的に走るなんて考えられない。

(幹事長)「て言うか、フルマラソンだって自主開催はしたくないですよ」
(D木谷)「のんびり走りましたから、大丈夫ですよ」
(支部長)「いやいや、絶対に無理ですよ」


その小豆島一周コースの序盤は、今回のタートルマラソンのコースと同じだから、同じ道を2週間で2回走るんだそうだ。

結局、今回、参加するのはのほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、のらちゃんとなった。


〜 自主開催シリーズの戦績 〜


ここまで自主開催シリーズのマラソン大会は5月以来、毎月1回ずつ、計6戦開催してきた。
これまでの勝敗は、我々とは次元の異なる高速ランナーである田村選手を除くと、以下のようになる。

  [5月:オリーブマラソン] 1位:D木谷 2位:支部長 3位:幹事長 4位:ピッグ
  [6月:北山林道駆け足大会] 1位:支部長 2位:D木谷 3位:ピッグ 4位:幹事長
  [7月:汗見川マラソン] 1位:支部長 2位:幹事長 3位:D木谷 4位:ピッグ
  [8月:酸欠マラソン] 1位:幹事長 2位:D木谷 3位:ピッグ 4位:支部長
  [9月:脱藩マラソン] 1位:D木谷 2位:支部長 3位:幹事長 4位:ピッグ
  [11月:庵治マラソン] 1位:ピッグ 2位:支部長 3位:D木谷 4位:幹事長

1位:4点、2位:3点、3位:2点、4位:1点で得点付けすると、支部長18点、D木谷さん:18点、幹事長:13点、ピッグ:11点で、支部長がD木谷さんとトップ争いをしている。
私と支部長との対戦だけを見ると、支部長が5勝もして圧勝だ。私が唯一勝利したのは、スタート直後から急登が始まる酸欠マラソンだけだ。
これは、ひとえに練習量の差だろう。今年に入ってから、支部長の練習量は豊富だ。豊富すぎると言っても過言ではない。基本的に毎日10km走って、その後、1km泳いでいる。もちろん、色んな用事でトレーニングできない日はあるがコンスタントに月間200kmは走っている
これは、昨年12月と今年の1月に連続して月間300km走ったおかげで2月の丸亀マラソンで快走した私を見て、それを参考に心を入れ替えた成果だ。
私は、その達成感から油断してしまい、その後は一気に練習量が落ちてしまったのに対して、支部長はそれ以来、ずっと月間200kmを継続している。しかも、フラットなコースだけでなく、峰山の上り坂を積極的に取り入れた効果的なトレーニングを続けている。

それに対して私は、と言うと、7月の汗見川マラソンで2位になり、8月の酸欠マラソンではようやく1位になったのだが、その直後の8月末に急遽、手術して入院し、療養生活を余儀なくされた。
そのため、しばらく練習もできなかったことから、9月の脱藩マラソンでは3位に沈み、11月の庵治マラソンでは、とうとう最下位に落ちてしまった。もう病み上がりとは言えないんだけど、一度落ちた脚力はなかなか回復せず、スピードは落ちたままだ

(ピッグ)「登山に行き過ぎなんじゃないですか」
(幹事長)「だって楽しいんだもーん」
(ピッグ)「幹事長の登山のせいで庵治マラソンは11月にずれ込んだし、タートルマラソンも12月にずれ込みましたよね」


登山でスタミナは付くから、心肺機能という面ではマラソンにも役立つと思うんだが、登山とマラソンでは足の筋肉の使い方が違うから、脚力を鍛えるという意味では、ほとんど何の役にも立たない
もちろん逆も同じで、ランニングを鍛えても登山に役に立たない事は、三嶺登山や大山登山で支部長がヒィヒィ言ってたことで証明されている。
なので、登山も行きながら合間ではランニング練習もしっかりやっておかなければならないんだけど、疲労がたまってくると、ついついサボりがちになる。

一方、注目はピッグだ。ピッグは9月の脱藩マラソンまで目を覆うばかりの体たらくだった。ピッグと支部長と私は永遠のライバルで、20年以上前からレースのたびに勝ったり負けたりしてきた。
それなのに今年の自主開催シリーズでは、9月の脱藩マラソンまでは5戦中最下位が3回、ブービーが2回という惨憺たる結果だった。
最下位じゃなくてブービーだったのは、私が体調不良だった北山林道駆け足大会と支部長が体調不良だった酸欠マラソンだけだった。
どう考えても、これはピッグの力が落ちてきたのではなく、完全にやる気の問題だ。そもそも今年の自主開催シリーズを発案したのはピッグなのに、あまりの体たらくぶりに、批判が集中した。

(幹事長)「舐めとんか」
(支部長)「やる気あるんか」
(ピッグ)「ちょっと遅れると、もうやる気が失せてしまって」

この嵐のような批判に目が覚めたのか、前回の庵治マラソンではスタート直後から飛び出し、その後、一度も首位を譲ることなく独走し、完全優勝を成し遂げた
特に練習量を増やした訳でもないので、これはひとえに精神力と言うかやる気の問題だ。やる気だけでトップになれるなんて、やっぱりマラソンは精神力のスポーツだなあ。
ただし、庵治マラソンは距離が12kmしかない。距離が短いので、最後まで全力で飛ばすことも不可能ではない。しかし今回のタートルマラソンはハーフマラソンなので、あんまり無理を続けると終盤に撃沈する可能性がある。
て事で、ピッグの真価が問われるレースになるだろう。


〜 小豆島へ出航 〜


レースを開催する小豆島土庄町へは、高松から船に乗っていく
オリーブマラソンは定期便が無いため臨時の奴隷船に乗るしかないが、土庄町へは定期便が出ているので、以前は定期便に乗っていた。
しかし、最近は異常なまでのマラソンブームのせいでランナーが急増し、定期便だけではさばききれなくなって積み残しが出る事態になったため、6年前から臨時船が出るようになった。
臨時船の出港は朝7時だが、まともに座席を確保するためには6時過ぎには港に行って乗船客の列に並ぶ必要がある。老人化が進んできた今日この頃、起きるのが不可能な時間ではないが、やはり早起きは辛いし寒い。
しかし、自主開催なのでスタート時間は自由に設定できる。JRで来るのらちゃんの電車の時間に合わせて8時2分高松港発のフェリーに乗ることにした。いつもなら船の中で朝食を食べるが、出発が遅いので、家でゆっくり食べてから出ればいい。

つい1週間前に私の自宅の近所に琴電の新しい駅ができたので、そこから電車に乗る。家の玄関から電車のドアまで、ドア・ツー・ドアで5分しかかからず、とても便利になった。
電車に乗ると、1つ前の駅から乗ってきたピッグと一緒になった。琴電の終点駅まで12分で着き、そこから港まで歩いて数分なので、家から港まで20分ちょっとだ。

乗船券を買って待っていると、支部長D木谷さんが現れ、最後にのらちゃんも登場した。
しばらくすると乗船が始まった。いつもならダッシュで船に駆け上がらなければならないが、今日はのんびり乗船する。それでも楽勝で大きなボックス席に座ることができた。

天気予報どおり、朝から良い天気だ。12月に入っているので気温は高くはないから、気持ちの良い秋晴れの絶好のマラソン日和だ。
これまでもタートルマラソンは、割と天候に恵まれていて、滅多に雨は降らず、この季節にしては暖かい日が多い。雨が降ったのは2006年の第27回大会2016年の第37回大会くらいだ。2010年の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されているが、それは気温が高い5月末の話であり、雨が降ると寒くなる今の季節は天気が良い方が望ましい

(D木谷)「自主開催シリーズになってから、ずうっと天気が良いですよね」
(幹事長)「私の日ごろからの精進のおかげですね」


これまで自主開催シリーズ7戦は、いずれも参加希望者の都合が良い日に開催してきた
自主開催なので天気が悪そうな時には延期すればいいんだけど、結果的に、一度も延期することなく、当日の天候は全て絶好のマラソン日和だった

落ち着いたところで、コース確認をしなければならない。
タートルマラソンにはフルマラソンの部ハーフマラソンの部10kmの部がある。5月のオリーブマラソンの時は「21kmも走れる自信が無い」なんて言う支部長のために10kmコースも準備したというのに、何の問題もなく完走するどころか、私を蹴散らした。その後は破竹の勢いを続けているので、もう10kmの部なんて考える必要はない。

(幹事長)「フルマラソンの部を走りたいという希望があれば準備するけど」
(支部長)「自主開催でフルマラソンは無理!」
(幹事長)「先々週60km走ったD木谷さんはどうですか?」
(D木谷)「もう勘弁してください」


て事で、全員ハーフマラソンを走ることになった。

タートルマラソンのコースは、会場の役場を出て少し市街地を回って、小豆島の北西部の沿岸を走る県道253号線に出たら、そのまま沿岸を10kmちょっと走って折り返してくるというシンプルなコースだ。太い脇道や交差点が無いから、とても分かりやすいコースだ。
ただ、折り返し点の目印を頭に入れておかなければならない。本番のマラソン大会の時は折り返し点の三角コーンが立っているが、自主開催だと自分たちで目印を決めなければならない。
主催者の私が地図で距離を厳密に測定し、折り返し点を特定した。
スタート地点から10kmほど走ったところから500mほどの直線区間があり、それが終わると消防団の赤い火の見櫓があり、そこから緩いカーブを200mほど走ったところが折り返し点だ。県道の右側に小さなバス停小さな酒屋があり、その間にとても狭い脇道がある。そこが折り返し点だ。

(D木谷)「赤い火の見櫓ですかあ。そんなもの、ありましたっけ?」
(幹事長)「小さな火の見櫓ですから、注意してないと見落とすかもしれませんね」


D木谷さんは2週間前の自主開催ウルトラマラソン60km走で同じ道を走ってるんだけど、記憶に無いそうだ。それでも、バス停と酒屋もあるので、全てを見落とす事はないだろう。
それに、折り返し点までは片道10kmちょっとなので、それほど差は付かないだろうから、2番手以降の人は前の人にならって折り返して来ればいい。

(支部長)「トップ選手が責任重大やな」
(幹事長)「支部長とピッグの争いかな」


折り返し点は確認できたが、タートルマラソンのコースは決して楽なコースではない。坂が多くて厳しいコースなのだ
大きな坂は3つある。
まず2kmちょっと走ったところから
1つ目の坂が始まる。標高で言えば一番高い坂で、3km地点辺りにピークがある。
その坂を下った4km地点辺りから5km過ぎ辺りまではフラットな区間となり、その後に
2つ目の坂がある。標高は高くないが、細かなアップダウンが繰り返されるダラダラした坂だ。
その坂を下った7km地点辺りから8km地点辺りまではフラットな区間となり、その後に
3つ目の坂がある。アップダウンが繰り返されて1.5kmほども続く嫌な坂だ。
その坂を下った10km地点辺りから500mほどの直線区間となり、その後200mほどで
折り返しとなる。
後半は、これを戻ってくるので、再び
大きな坂を3つ越えてこなければならない。基本的に坂また坂の厳しいコースだ。

ただ、坂が厳しいとは言っても、6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン8月の酸欠マラソン9月の脱藩マラソンの山岳マラソン4連戦のコースに比べたら、まだマシだ。あんなに過激な坂が延々と続く訳ではない。
それに
夏場の山岳マラソンと違って季節が良いせいか、過去のタイムは悪くない。シリアスなマラソン大会は冬場がメインとなるが、寒いのが苦手な私は冬のマラソン大会は嫌いで、今の時期がベストだ。


〜 小豆島へ到着 〜


船は1時間後の9時2分に土庄港に着いた。
タートルマラソンの会場土庄町役場で、港からは1.5kmほどある。
正式大会が開催される時は、港から会場まで送迎バスがあるが、もちろん今日は無いので歩いていく。歩いても15分くらいで、適度なウォーミングアップになる。

(支部長)「我々はウォーミングアップはしない主義やけどな」
(幹事長)「仕方ないよな」


Qちゃんの師匠の小出監督が言ってるように、我々のような一般ピープルにとっては、ウォーミングアップは不必要に体力を消耗するだけで、百害あって一利無しだから、我々は普段はウォーミングアップは一切やらない。どうせレース序盤は大混雑でまともに走れないので、その時がウォーミングアップだ。
しかし、このように止むを得ず歩く場合は、それがウォーミングアップだと割り切る。

天気が穏やかなので、おしゃべりしながらのんびりと役場に着いた。
役場に着くと、さっそく着替えをしなければならない。何を着るかは、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。朝、起きたときから、頭の中はこの大問題でいっぱいだ。

(支部長)「今日も何を着るか悩むんかいな?」
(幹事長)「今日は悩むやろ」


さすがに12月になったんだから、そこそこ冷えるだろうと思って、家から長袖シャツの上に半袖Tシャツを着てきた
ところが12月に入ったというのに、今日は良い天気で、日なたに出ると、なんだかポカポカ温かい。どう考えても2枚も着るのは暑いような気がする。
他のメンバーは全員が半袖Tシャツを着ている。

(幹事長)「半袖では腕が冷えるやろ?」
(支部長)「腕にアームウォーマーを付けるんやがな」


みんな徳島マラソンでもらったアームウォーマーを付けている。アームウォーマーだと、走っていて暑くなったら簡単に取り外せるし、外した後もポケットに入れておけるから便利だ。
ところが私は、今日は長袖シャツを着てきたから、アームウォーマーは不要だと思って持ってこなかった。

(幹事長)「どんな季節であっても、あらゆる事態に備えて、色んなウェアを準備してこないと駄目だなあ」
(ピッグ)「それ、脱藩マラソンの時に同じ事を言ってましたよ」
(幹事長)「もう記憶力がゼロになってしもてなあ」

仕方ないので、半袖シャツを脱いで長袖シャツ1枚になった。登山用の吸湿性と速乾性に優れた濡れてもベチョベチョしない長袖のインナーウェアだ。
のらちゃんは自分が着てきたTシャツをみんなに見せる。

(のら)「見てよ、これ。庵治マラソンのTシャツだよ」
(支部長)「あれ?それっていつの?」
(のら)「だから去年もらったんだってば!」


実は先月の庵治マラソンの時、去年の庵治マラソンで記念品としてえんじ色のTシャツをもらったと言い張るのらちゃんに対して、他の全員が「そんなものをもらった覚えはない」「庵治マラソンの記念品は爪切りを始めとしてロクなものが無かったから、Tシャツなんてくれるはずがない」「えんじ色のTシャツはタートルマラソンでもらったから勘違いしてるんや」「歳とってくると記憶力は衰えるもんや」などと否定の嵐だった。
ところが彼女が家に帰って探してみると、えんじ色の庵治マラソンTシャツが出てきたんだそうだ。それで、自分が正しかったことを訴えるために今日はそれを着てきたんだそうだ。

(のら)「私が正しかったでしょ!」
(支部長)「すんません」
(幹事長)「すんませーん」

下には練習の時にいつも履いている短パンを履いた。これは短いから、暑い時でも走りやすい。
さらにランニングタイツを履いた。最近はランニングタイツを履く選手が多く、今日も全員がタイツを履いている。私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。
しかし、去年10月の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走っていた航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。
て事で、それ以来、できるだけタイツを履くことにしてる。

気温は低くないので手袋は履かない。支部長は汗を拭くためにどんな時でも必ず軍手を履くけど、私はハンドタオルを持って走るので、手袋は不要だ
他のメンバーは全員が帽子を被っているが、私は帽子が大嫌いなので、炎天下か強い雨の時しか被らない。

自主開催なので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。なので、自主開催シリーズでは、いつもトレランリュックにスポーツドリンクを入れて背負って走っている。
ところが、汗っかきで、一番水分補給を必要とする支部長は「喉が渇いたら自動販売機で飲料を買うよ」と言って水分は持たずに走るという。ピッグも同じだ。
D木谷さんはいつものように腰のポーチに飲料ボトルを入れている。のらちゃんはトレランリュックにボトルを2本も入れている。
こうなると迷ってしまう。温かいとは言え、そんなに汗はかかないだろうから、飲料は持たずに走ってもなんとかなりそうだ。でも、こまめに水分補給した方が足攣り防止には効果がある。
悩んだけど、せっかく準備してきたので、トレランリュックにスポーツドリンクを入れて背負って走る事にした。

そのほか、顔を拭くハンドタオルティッシュのほか、念のため足攣り防止用のドーピング薬2RUNもリュックに入れた。
また、自主開催なので誰か迷子になる可能性もあるため、イザと言う時のためにスマホもリュックに入れた。

気合いが爆発するメンバー


相変わらず空は快晴の良い天気だ。気温はやや低く、風は無い。もう絶好のコンディションと言えよう。自主開催とは言え、やる気が湧いてくる。ぜひ好記録を狙いたいところだ。
目標は、もちろん大会自己ベストだ。マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当だ。なので、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
タートルマラソンのハーフマラソンの大会自己ベストは2009年に出したものだ。この歳になって11年も経つと著しく老化が進んでいるので、冷静に考えれば自己ベストの更新は難しようにも思えるが、まだまだ諦めてはいない。
大惨敗した2016年から2017年2018年2019年と毎年少しずつタイムはマシになってきているので、少なくともこの上昇傾向を維持して昨年よりは良いタイムを出し、あわよくば11年前の大会自己ベストを更新したいのだ。

タートルマラソンに限らず、どのマラソン大会でも良いタイムが出たときは最初は抑え気味にスタートして、徐々にペースを上げていくという理想的なパターンだった。
以前は、ペースは下がるものであり、上げていくなんて理想的なレース展開は現実には不可能だと思っていた。しかし最近は、タートルマラソンにしてもオリーブマラソンにしても丸亀マラソンにしても、良いタイムが出たのは、徐々にペースを上げていくことができた時のものだ。
とは言え、序盤にどれくらいペースを抑えて走ったらいいのかは難しい。最初から遅いペースで走れば、最後までペースは落ちないだろうが、適度に頑張らないと良いタイムは出ない終盤に潰れないギリギリのペースが理想だが、なかなか難しい。

それに、2009年のタイムを上回って大会自己ベストを更新するには、1km平均5分10秒は切らないといけない。8月末の手術から完全復活はできていない今の私にとっては、なかなか厳しいペースだ。
そもそも、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは難しい
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと思うが、そうは言っても正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。

気になるのは支部長の動向だ。

(幹事長)「相変わらず月間走行距離200kmを維持してるん?」
(支部長)「当たり前やがな。毎日10km走ったあと、1km泳いでるよ。11月も200kmは走ったし、31kmは泳いだな」
(幹事長)「どっひゃ〜!」

情けないが、今の状況では、まともな勝負では支部長には勝てない。支部長に勝てるとしたら、支部長が自滅した時だけだ。
また、自主開催シリーズでダントツの最下位を走っていたのに、前回の庵治マラソンで突如として覚醒して完全優勝を遂げたピッグの動向も気になる。

しかし、まあ、レース展開とかペース配分をあれこれ考えても仕方ない。やれるだけやってみよう。


〜 スタート 〜


いよいよ勝手に設定したスタート時刻の9時55分となった。主催者の幹事長からありがたいお言葉を頂いて開会式が10秒ほどで終わり、支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。

例年なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、今日は参加メンバー5人の自主開催だから、静かなスタートだ。
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。

役場の前をスタートして少しだけ市街地を回ると、小豆島の北西部の沿岸を走る県道253号線に出る。あとは折り返し点まで沿岸を10kmちょっと、ひたすら走るだけだ。
まず序盤の市街地は私が先頭を走る。最初は道に迷う人が出ると困るので、分かりやすい道に出るまでは私が先導するのだ。自主開催シリーズが始まって以来、常に同じパターンだ。
あわよくば、そのまま逃げ切りたいところだが、逃げ切れたのは酸欠マラソンだけだ。

そこそこ頑張って走ってリードを広げようとするのだが、すぐ後ろから足音が着いてくる。すぐ後ろに迫ってくるのが誰かは分からない。たぶんピッグか支部長だろう。
その後、足音はどんどん大きくなり、ついに横に並んだ。ピッグだ。さらに支部長もピタリと着いている。
なんとか抜かれまいと頑張るんだけど、とうとう二人に前に出られてしまった。それでも、序盤早々にリードされる訳にはいかないので、頑張って食らいついていく。

そのまま3人でダンゴになって走っていると、2kmほど走ったら最初の大きな坂が現れる。大した激坂ではないが、今日のコースでは一番高い坂で、少しペースが落ちる
すると、なんと、ピッグと支部長の二人との差がみるみる開いていく。私の少しペースが落ちたのは事実だが、そんなに大した激坂ではないから、それほど大きくペースダウンしたとも思えない。でも、二人は全くペースダウンしないから、一気に差が開いていくのだ。
ピッグはいいとしても、あんなに坂に弱かった支部長に上り坂で追い抜かれるのは衝撃であり屈辱だ。しかし、これは自主開催シリーズが始まってからお馴染みの風景になってきた。
北山林道駆け足大会や汗見川マラソンの時は、まだまだ序盤の、しかも上り坂で支部長に追い越されるなんて、かなり危機的な状況だとは思いつつ、序盤で無理すると後半で潰れると思い、自重して競り合うのを止めた。
どんなレースでも序盤のオーバーペースは終盤の惨敗を招いてしまうので要注意だ。どうせ支部長も、そのうちバテるだろうと思ったのだ。ところが、どちらのレースも、支部長はバテるどころか、ますます快調になり、最後までぶっちぎられてしまった。
その反省もあり、酸欠マラソンでは最初の激坂から強引に飛ばして支部長を引き離し、最後まで差を付けたまま圧勝した。

しかし、庵治マラソンでは食らいつこうと思っても、全く歯が立たず、どんどん差が開いていった。そして、今日も庵治マラソンと同じで、なんとか食らいつこうと思って頑張ってみるんだけど、全く歯が立たず、どんどん差が開いていく
もともと下り坂やフラットな区間に強い支部長に、上り坂で追い抜かれたりしたら、勝ち目が無い。
僅かな希望はピッグだ。汗見川マラソンでは、ピッグは序盤で支部長と一緒に私を追い抜いていったが、後半は一気に撃沈した。前回の庵治マラソンでは、支部長をも引き離して完全優勝を達成したが、あれは距離が短かったからかもしれない。今日はハーフマラソンなので、汗見川マラソンの二の舞になることを願おう。

最初の大きな坂は1kmほど上りが続く長く大きな上り坂ではあるが、夏場の山岳マラソン4連戦に比べたら大した急勾配では無いし、距離もそんなに長くはないので、なんとか普通に走って上れる。
ピークを越えた辺りで後ろから自転車のお兄さんが「お疲れさまーっ」って声を掛けながら追い抜いていく。さらに続いてお姉さんが「頑張ってくださーい」って声を掛けながら追い抜いていく。今日は自主開催なので沿道の声援は無いが、こういう励ましの声を聞くと元気になる。

1kmほど走ったら上り坂が終わり、下り坂となる。そこからは遅れを取り戻すつもりでガンガン下り坂を飛ばす。
下り坂で勢いに任せて大股でガンガン下ると足の筋肉にダメージが溜まり、終盤で足が動かなくなるので、ピッチを上げて小股で走るべきとのことだが、下り坂でピッチを上げて走るのは足がついていかず難しいので、思いっきり転げ落ちるように大股で駆け下りる
とは言っても、大股で駆け下りてるってのは頭の中のイメージだけの事で、実際には若い頃のように足は開かない。若い頃は下り坂になると本当に転げ落ちるように走れたのに、今は足が思うように広がらない。もっと足を前に出したいのに足が広がらないから、チョコチョコした動きになってしまう。
それでもピッチを上げられれば良いんだけど、チョコチョコ走っているくせに回転も遅く、スピードは上がらない。ストライド走法もピッチ走法もできない体になってしまった。
自分の足が思うように動かないのが本当にまどろっこしい

坂を下った4km地点辺りから5km過ぎ辺りまではフラットな区間となり、その後に2つ目の坂がある。最初の坂に比べると、そんなに標高は高くないが、小刻みなアップダウンが続くダラダラした坂だ。
ここでD木谷さんが追い付いてきた。前回の庵治マラソンと全く同じパターンだが、D木谷さんは最初から最後までほぼ一定のペースで走るので、過去のパターンを考えると、ここで追い抜かれると二度と追い付けなくなるだろう。なので引き離されないように頑張るんだけど、徐々に差が開いていく。
後ろに残ってるのは、のらちゃんだけだ。彼女がどこまで迫ってきているのか気になるところだ。
天気は相変わらず快晴だが、木陰に入ると少し肌寒い。でも、これくらいが体がひんやりして走りやすい。

2つ目の坂を降りた7km地点辺りから8km地点辺りまで、しばらくフラットな区間走ると、再び坂が現れるが、いつもこれを3つ目の大きな坂だと勘違いしてしまう。
このコースは前半に大きな坂が3つあって、その後にある小さなアップダウンを越えれば折り返し点がある。なので、3つ目の大きな坂をクリアすれば折り返し点までもうすぐ、って事になる。そして、この3つ目の坂があっさりとクリアできてしまうから、すごく嬉しくなってしまう。
しかし、実は、これは3つ目の大きな坂ではなくて、3つ目の大きな坂の前哨戦である小さなアップダウンに過ぎない。そのため、しばらく走ると、目の前に巨大な坂が出現して呆然とする。それこそが本当の3つ目の大きな坂なのだ。
毎年、走ってて、毎年、同じように呆然としているのに、1年経ったら忘れてしまい、ぬか喜びと落胆を繰り返している。
早くも足にだいぶダメージがきているが、前半のうちに試合放棄する訳にはいかないから、なんとか頑張って走り続ける。

3つ目の坂を下りた辺りが10km地点となり、ここから500mほどの直線区間となる。直線区間なので見通しが良くなり、折り返し点の手前にある赤い火の見櫓が確認できた。間違いないようだ。
折り返してきたメンバーを確認すると、まず
先頭は支部長だった。前回の庵治マラソンではピッグに逃げ切られたが、今日はそれ以前の自主開催シリーズのようにピッグを逆転してトップに躍り出ている。相変わらず絶好調だ。
ただ、ピッグもあまり離されずに着いていく。ピッグに追いつくのも、なかなか難しい距離だ。
その後、私の少し前でD木谷さんが折り返してきた。こちらは、まだそんなに大きな差ではない。

(幹事長)「折り返し点は分かりましたか?」
(D木谷)「ええ。バス停も酒屋も分かりましたよ」


見ると、折り返し点には事前に調べたとおりの
バス停酒屋があった。

折り返して後ろを見ると、
意外なほどすぐ後ろをのらちゃんが走ってきた
D木谷さんと私の差も、まだそんなに広がっておらず、頑張れば追いつけるかもしれないとの希望を抱かせたが、私とのらちゃんの差は、それより小さく、追いつかれる可能性は大だ。
一気にお尻に火が付いた状態になり、気合が入り、真剣になる。庵治マラソンと同じ状況であり、D木谷さんに追いつくより、のらちゃんに追いつかれない方が最優先だ。

気合いは入ったものの、足取りは相変わらずイマイチで、D木谷さんとの差は徐々に開いていく。その前のピッグや支部長は、はるか遠くになってしまい、後姿も見えなくなってしまった。
天気は相変わらずの晴天で、空気は冷たく、そよ風もあって絶好のコンディションのままだ。なので、天気を言い訳にはできない。やはり、単に練習不足なだけだろう。

後半の1つ目の坂を越えると13km地点辺りだ。去年はここでのらちゃんに追い越され、そのまま追いつくことができなかった。今年もすぐ後ろから迫ってきているのだから、恐怖を感じる。
必死で耳を澄ませてみると、なんとなく足音が大きくなり、迫ってきているように思える。まずい。まず過ぎる。ここで追いつかれた、もう再逆転はできないだろう。なので、必死で逃げる。
必死で走っているつもりなんだけど、前を走っているD木谷さんの背中はどんどん小さくなる一方だ。さらにピッグや支部長の後姿は完全に見えなくなってしまった。ものすごく差が開いてるようだ。

必死で逃げていると、後半の2つ目の坂に突入した。するとのらちゃんの足音が少し小さくなった。どうやら上り坂ではペースダウンしているようだ。ここで差を広げなければならないと思い、上り坂だけど必死で頑張る。
天気は良いが、気温は低く、沿岸部は少し風もあり、木陰ではひんやりするくらいだから、あんまり喉は渇いてないけど、せっかくスポーツドリンクを持ってきているので、少しは飲むことにする。下り坂ではスピードが出ていて飲みにくいので、上り坂のタイミングで飲む。
ピークを過ぎて下りになると、必死で足を広げて全力で下る。
2つ目の坂を越えると16km地点辺りとなり、残りは5kmとなる。いよいよ終盤だ。

2つ目の坂から最後の3つ目の坂までは、しばらくフラットな区間が続く。フラットな区間になると、再びのらちゃんの足音が迫ってくる。どうやらフラットな区間では私のペースの方が遅いようだ。頑張ってるつもりなんだけど、徐々に彼女が迫ってくる。
しかし、ここでようやく最後の3つ目の大きな坂に差し掛かる。上り坂で頑張ると、再び彼女の足音が小さくなる。やはり上り坂では苦戦しているようだ。
さらにピークを越えて下り坂でも一気に差を広げるために頑張って走る。すると、坂を下りきった辺りでは、もう彼女の気配が無くなった。だいぶ差を付けたようだ。

最後の坂を過ぎると、残りは2kmほどだ。もうラストスパートのタイミングだ。
なんだけど、もう足は疲れ果てているので、実際にはペースアップするのは難しく、たぶん徐々にペースダウンしているのだろう。そのため、なんと再びのらちゃんの足音が聞こえてきた。これは、もう恐怖だ。泣きわめきたい気分で必死で逃げる。
必死で逃げていると、のらちゃんの足音は小さくなったり再び大きくなったりの繰り返しで、デッドヒートを繰り広げているらしいのが分かる。

もうそろそろ最後の曲がり角が近づいているはずなのに、なかなか現れない。早く現れないと逃げ切ることができない。
なんて焦っていたら、ようやく最後の曲がり角が現れ、そこを曲がるとゴールの土渕海峡のアーチが見えてきた。もう少しなので、頑張れば逃げ切れると思い、必死になって動かない足を前に出す。
たぶん、全然ペースアップはできてないんだろうけど、必死にゴール地点に駆け込んだ。


〜 ゴール 〜


ゴールすると、先にゴールしたピッグや支部長やD木谷さんが迎えてくれた。
続いて、少し後からのらちゃんがゴールした。庵治マラソンと全く同じパターンだ。去年はのらちゃんに完敗だったが、今年はかろうじて逃げ切る事ができた。

結果を聞いてみると、ずっとリードしていた支部長を、残り1kmちょっとと言うところでピッグが逆転し、そのままトップでゴールしたとのことだ。
ピッグが完全優勝した庵治マラソンとはレース展開が異なるが、ピッグ〜支部長〜D木谷さん〜私〜のらちゃんという結果は庵治マラソンと全く同じだ。

(幹事長)「距離が短い庵治マラソンだけでなく、ハーフマラソンでも優勝か。すごいじゃん」
(ピッグ)「やる気でなんとか最後まで頑張れましたね」


自主開催シリーズでダントツの最下位を突っ走っていたピッグなのに、庵治マラソンに続きタートルマラソンでも優勝するなんて、驚愕だ。

(幹事長)「急に練習量を増やした訳でもないよな」
(ピッグ)「そんな即効性は無いですからね」


やる気だけでトップになれるなんて、やっぱりマラソンは精神力のスポーツだ。

(支部長)「私は大会自己ベストや。しかも過去のタイムを10分くらい更新したで!」
(幹事長)「なんと!10分以上も?」

支部長はタートルマラソンで2時間を切ったことが無かったので、今日は一気に10分くらいタイムを縮めて2時間を切ったのだ。

(ピッグ)「私も大会自己ベストですよ」

なんと、ピッグも大会自己ベストを出したとのことだ。今日は絶好のマラソン日和だったから、好タイムが続出しても不思議ではない。

それに引き替え私は惨憺たる結果だ。大会自己ベストからは10分近く遅いし、去年のタイムと比較しても5分以上遅い。情けない結果だ。
私もやる気が無かった訳ではなく、ピッグや支部長に追い付かれた時も、なんとか着いていこうとしたんだけど、あれ以上、足が動かなかった。まだまだ手術前の状態には戻ってないのだろう。なかなか厳しい道のりだ。

のらちゃんも去年は私より速くてハーフマラソン自己ベストを更新したが、今年は去年より7分くらい遅かった。私も病み上がりで万全ではないが、のらちゃんは半年以上もランニングができなかったから、私以上に力が落ちているだろう。

(のら)「えーん、えーん」
(幹事長)「えーん、えーん、しくしくしく」


私はゴールしても足が平気というか、疲れを感じていない。一方、のらちゃんは後半、僕に追い付こうとして必死で走ったから、疲れ果てている。
ゴールしても平気ってのは、一見、良い事のように思えるが、実は全力を出し切れていない証拠だ。全力を出し切った時は、のらちゃんのように、ゴールしたら最後、もう足が動かなくなる。
なので、今日のように余力を残してゴールしてしまった時は、もっと頑張るべきだったという事だ。むなしい。でも、一体どこで頑張ればよかったのだろう?分からないぞ。


〜 反省会 〜


レース後は、少し離れた場所にあるオリーブ温泉という温泉に行った。役場からは1.5kmほど離れているが、港へ行くのと同じ距離だし、温泉から港へは送迎バスが出ているらしいので、繰り出したものだ。
レース後に1.5km歩くのは楽ではないが、相変わらず良い天気で寒くないので、のんびり歩いていく。
オリーブ温泉はマルナカ新土庄店の中にあり、まだまだ新しい施設で、中は広くて立派だ。
露天風呂からは瀬戸内海が一望でき、素晴らしいロケーションだ。

(ピッグ)「お湯が少し塩辛いですよ」
(幹事長)「え?そうなん?」


舐めてみると、確かにほんの少し塩辛い。海底から湯を掘り出しているから、海水が混じっているのだろう。
レース後に近くの温泉に入れるのは嬉しい。身体もさっぱりするし足の疲れも和らぐ。

お風呂の中で反省会をしなければならない。
はっきり言って、今日の結果は不本意だ。前半の上り坂で支部長とピッグに置いて行かれた展開は、前回の庵治マラソンと全く同じだ。後半のレース展開を考えて深追いしなかった訳ではなく、着いていこうとしたのに着いていけなかった。明らかにスピード不足だ
手術から3ヶ月が過ぎ、持久力は回復したと思っていたが、脚力は戻っていないようで、スピードが鈍ったままだ。もっともっと練習をして回復に努めなければならない。

(幹事長)「でも、練習したら回復するんやろか」
(支部長)「練習量は嘘つかんで」


支部長は今年は年間走行距離が2500kmを越えそうだと言う。私は過去最高だった去年でも2200kmで、今年は2000kmに届かないかもしれない。コツコツと練習を重ねていけば、そのうち復活できるかも。

(幹事長)「でもピッグは練習量を増やした訳でもないのに覚醒したよな」
(ピッグ)「自分でも自分の凄さに驚いてます」
(幹事長)「いかに前々回まではやる気が無かったかの証拠やな」


温泉から出て昼食をとり、温泉の送迎バスで港に向かい、のんびり高松に帰ってきた。

さて、これで今年のレースは全て終わった
今年は例年通り正月早々の満濃公園リレーを皮切りに、丸亀マラソン、坂出天狗マラソン、高知龍馬マラソン、善通寺五岳山空海トレイルと順調に出場していたが、突如降って沸いたコロナバカ騒ぎにより名古屋ウィメンズマラソン徳島マラソン以降は全てのマラソン大会が中止になり、その後はオリーブマラソン、北山林道駆け足大会、汗見川マラソン、酸欠マラソン、脱藩マラソン、庵治マラソン、そして今回のタートルマラソンと自主開催で走ってきた。
自主開催マラソンはみんなの都合や天気を見ながら開催日を自由に設定できるし、スタート時間も無理のない時間に設定できるし、空いていて走りやすいし、参加料は不要だし、思った以上に良い事がたくさんあったが、やはり本番のような緊張感は得られず、沿道の声援もほとんど無く、タイムもイマイチだ。
なので、できればコロナのバカ騒ぎを卒業して、早くマラソン大会を復活して欲しいが、年明けの満濃公園リレー丸亀マラソン、高知龍馬マラソンなんかは早々に中止が決定されている。今のところ、最速で開催される可能性が残っているのは徳島マラソンだ。
1年に及ぶマラソン大会中止の復帰第1戦がフルマラソンになるのはきついが、それでも復活を熱望するぞ。


〜おしまい〜




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