第16回 高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治(自主開催)

〜 有り得ない大惨敗に茫然自失 〜



2021年10月24日(日)、高松市庵治町において第16回高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治(庵治マラソン)が開催される予定だった。

庵治マラソンは、私たちにとって一番身近な場所で開催される貴重なマラソン大会だ。そのため2006年の第1回大会から2012年の第7回大会まで毎年参加していた。
ただ、その後は他のマラソン大会なんかと日程が重なったり、台風で中止になったりして、あまり参加できていなかった。特に2013年から始まったサイクリングしまなみとは日程が重なる事が多い。
そのため、2012年以降は2016年の第11回大会2019年の第14回大会にしか出られなかった。
2020年も庵治マラソンとサイクリングしまなみの日程が重なりそうだったので、ヤキモキしていた。
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいでサイクリングしまなみ庵治マラソンもどちらも中止になってしまった

事の発端は2020年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された
しかし、その後、状況はますます悪くなり、遂に3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になってしまった。あまりの事に呆然とした。
そして、その後も、全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった

これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

(ピッグ)「この説明も、いよいよ今回で最後ですかね?」
(幹事長)「そうなる事を期待してるんだけどなあ」

この後、予定されているレースは2月の
丸亀マラソンや3月の徳島マラソンで、これらは今のところ開催予定であり、エントリーも済ませている。
なので、順調にいけば
マラソン大会の中止騒ぎは今回でおしまいになるかもしれない

ともかく、
素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない

多くの国民がヒステリックに踊らされているのは、視聴率さえ稼げればいい下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
さらに、それに付け込んで何でもかんでも政府を批判する無能な民主党が調子に乗ってギャアギャア騒ぐからだ。
いい加減に、このようなヒステリックな対応は止めて欲しいのだが、新型コロナウイルスの蔓延よりも、このようなヒステリックな対応の蔓延の方が遙かに早い。

もちろん、大会主催者側は苦渋の決断というか、断腸の思いだろう。なぜなら、大会の成功を一番願っているのは大会主催者なんだから。だから、私も大会主催者を責める気は、さらさらない。
悪いのは、こういう状況に大会主催者を追い込んだ世間のプレッシャーというか、コロナ自警団に代表される、社会を覆い尽くすバカ騒ぎだ。

そして、恐れていた通り、その後も5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、このままではマラソン大会もサイクリングイベントも全滅になりそうな雲行きになってきた。もうお先真っ暗だ。


〜 マラソン大会を自主開催 〜


って嘆き悲しんでいた時、ピッグが突然ナイスなアイデアを提示した。

(ピッグ)「この話も、いよいよ今回で最後ですかね?
(幹事長)「マジでそうなる事を期待してるよ


2020年5月のオリーブマラソン以来、自主開催してきたマラソン大会の記事にはしつこく書いてきたエピソードだが、これを外す訳にはいかないので、しつこくピッグに提案してもらう。

(幹事長)「お待たせしました!はい、どうぞ!」
(ピッグ)「中止になった大会を
ペンギンズで自主開催しましょうよ」
(幹事長)「え!?」


あまりのナイスなアイデアに一瞬、言葉が出なかったが、これは画期的なアイデアだ。そうなのだ、大会が中止になったのなら、
我々で独自に勝手に自主開催すればいいのだ。

(幹事長)「なんて素晴らしいアイデアだ!君がこんな素晴らしいアイデアを出したのは実に23年ぶりやぞ」
(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば」


1997年に我々がペンギンズを立ち上げた時
クラブの名前を何にしようか相談したんだが、幹事長の私の意見を差し置いて、ピッグが「ペンギンズにしましょう」なんて言い出し、押し切られてしまったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、むやみにスピードを追求するのではなくマイペースでゆっくり走る我々のスタンスは、まさに「ペンギンズ」の名前がピッタリであり、
素晴らしいネーミングだったと思う。
ピッグがナイスなアイデアを出したのは、その時以来、実に23年ぶりのことだった。

と感心していたのだが、2020年5月にオリーブマラソンを自主開催して走っていた時、同じように一人で走っている女子がいて、支部長が聞いたところ、彼女も自主開催していた事が分かった。
また7月に汗見川マラソンを自主開催して走っていた時も、同じように走っているカップルがいて、支部長が聞いたところ、彼らもやはり自主開催していた事が分かった。
さらに2021年5月のオリーブマラソンに至っては、胸に大きく「勝手に小豆島オリーブマラソン」なんて書いたTシャツを着て自主開催しているグループがいた。
つまり、
マラソン大会の自主開催ってのは、誰でも思いつくような平凡なアイデアだったことが分かったので、ピッグに対する賞賛は雲散霧消した。

(ピッグ)「ハイハイ、分かりましたってば

てなわけで、その後は中止になったイベントは、できる限り自主開催することとなった
その第1弾が2020年5月17日に開催した
サイクリングイベント第7回ツールド103であり、これが思いのほか楽しくて大成功だった。
続いてマラソン大会として5月の小豆島オリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川清流マラソン8月の四国のてっぺん酸欠マラソン9月の龍馬脱藩マラソン11月の庵治マラソン12月の瀬戸内海タートルマラソンを自主開催してきた。

これらも例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、願わくは、コロナのバカ騒ぎは2020年で収束して、2021年はマラソン大会が復活して欲しかった。
ところが、
2021年になってもコロナのバカ騒ぎが終わらず、マラソン大会の中止が続いたため、2月の丸亀マラソンを自主開催し、続いてトレラン大会である2月の善通寺五岳山空海トレイルも自主開催した。

この善通寺五岳山空海トレイルは、2020年はギリギリでなんとか本大会が開催され、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止になる前の最後の大会だった。
それから
まる一年が経って一周したので、そろそろバカ騒ぎを止めてマラソン大会を再開して欲しかったところだが、2020年に最初に中止になった徳島マラソンは、なんと2年連続で去年も中止になってしまった
コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が2年目に突入したのだ。そのため、徳島マラソンの代替大会として3月の香東川マラソンを自主開催した。

そして、その後も2年連続のマラソン大会中止が続いたため、5月の小豆島オリーブマラソン7月の北山林道駆け足大会7月の汗見川清流マラソンを2年連続で自主開催してきた。
さらに、マラソン大会や自転車イベントに続く
初めてのトライアスロン大会として9月のサンポート高松トライアスロンを自主開催し、それに続いて10月の龍馬脱藩マラソン10月の四国のてっぺん酸欠マラソン11月の瀬戸内海タートルマラソンを自主開始した。
そして、これらに続くマラソン大会として、今回の
庵治マラソン大会2年連続自主開催となったわけだ。

本来、今年度の庵治マラソンは10月24日に開催されるはずだった。だが、参加予定メンバーの都合がなかなかつかず、大幅にずれ込んで
1月9日の開催となったものだ。
10月はマラソンの季節としては私が一番好きな季節で、暑くもなく寒くもなく快適に走れる。それに引き換え1月は寒さが苦手な私としては避けたい季節だ。
でも、最優先事項はみんなの都合なので仕方ない。
今回はのほか支部長、ゾウさん、D木谷さん、のらちゃん、加藤選手さらに
長谷さんを入れて7人の参加となった。ピッグは所用で不参加となったが、7人というのは自主開催シリーズで過去最多の出場選手となる。

自主開催のマラソン大会は自由に開催日を設定できるから、とても便利だ。みんなの都合が良い日を選べばいいし、天気が悪ければ延期するのも自由だ。
最優先事項はみんなの都合で、次が天気だ。寒くない時季のマラソン大会なら、多少雨が降っても平気で決行する。暑い時は、むしろ雨が少し降った方が涼しくて良いくらいだ。でも、今の時期は雨が降ると寒くなるので避けたい。
今回は気温は低いものの、晴天で風が無く、とても良いコンディションとなった。


〜 会場へ出発 〜


庵治マラソンは会場が庵治町で近いので、必ずしも全員が乗り合わせていく必要はないが、のらちゃんは丸亀から車で来るので、坂出のゾウさんと私を途中で拾ってもらった。
ゾウさんは5月のオリーブマラソンには来てくれたんだけど、小さな子供さんを連れてピクニックに来たもので、レースには参加しなかった。

(幹事長)「レースで走るのは久しぶりよね?」
(ゾウ)「めちゃ久しぶりですよ」


ゾウさんは一昨年2月の坂出天狗マラソン大会で大会自己ベストを更新して女子年代別で3連覇した後、楽しみにしていた一昨年の名古屋ウィメンズマラソンがコロナ騒ぎで中止になったため、それ以来、活動自粛して大人しくしていた。なので、レースで走るのは2年ぶりくらいだ。

(幹事長)「でも今日は距離が短いからダントツで圧勝するんやろ?」
(ゾウ)「いえいえ、練習も全然してないんですよ」


ここんとこ何やかやと忙しくて、以前のようなトレーニングはできてないらしい。

(ゾウ)「それに私、坂が大の苦手なんで、庵治マラソンのコースは不安ですよ」
(幹事長)「そうやったかなあ?」


超高速ランナーの彼女だが、意外にも坂は苦手らしい。
しかも、彼女は庵治マラソンには2010年の大会に出て以来、出場していないため、コースが不安らしい。

会場は旧庵治町役場で、集合時間は9時にした。
普通のマラソン大会だと、もっともっと寒い早朝に起きて、体がしゃんとしないまま出発しなければならないが、自主開催だとスタート時刻も自由に設定できるから、とてもゆったりできる。
それでも車は順調に進み、だいぶ早く到着した。しばらくすると支部長が到着し、続いて加藤選手もやってきた。
加藤選手は昨年度の庵治マラソンに続く久々の自主開催シリーズ参加だ。

(幹事長)「一年間、秘密の特訓で鍛えてきたんじゃないやろな?」
(加藤)「いえいえ、滅相も無い」


続いてD木谷さんも車でやってきた。

(幹事長)「まさか今年も自転車で来るのかと思いましたよ」
(D木谷)「今日は疲れてますから」


去年は自転車で登場して他のメンバーの度肝を抜いたD木谷さんだが、今年は前日に私とのらちゃんと一緒に徳島の中津山へ雪山登山して疲れているので、車で来た。

(D木谷)「昨日の雪山は楽しかったですね」
(幹事長)「天気が良くて最高でしたね」
(支部長)「前日に雪山に行くなんて、庵治マラソンを舐め切ってるな」


ことさら庵治マラソンを舐めている訳ではないが、前日は降雪の直後の快晴という貴重な雪山登山日和だったので、そんなチャンスを逃す訳にはいかない。
雪山登山決行を決めた時点で支部長に負けるのは覚悟の上だが、自主開催レースなので許容しよう。

最後に長谷さんが登場した。長谷さんはD木谷さんの会社の同僚で、去年9月のサンポート高松トライアスロン(自主開催)に大粒のブドウを差し入れに来てくれたのが記憶に新しいが、D木谷さんと一緒にトライアスロンを荒らしまくっている強豪選手で、これまでも2018年の海部川マラソン2020年の高知龍馬マラソンに一緒に行ったことがある。

みんな良い子なので、集合時間のだいぶ前に全員が集合した。
天気予報では、昨日ほど良い天気ではなさそうだったが、朝から晴れて、なかなか良い天気だ気温は低いが、風が無いのでそれほど寒くなく絶好のマラソン日和だ。
この2年間、色んな大会を自主開催してきたが、ほとんど晴天が続いている。

(D木谷)「自主開催シリーズになってから、本当にずうっと天気が良いですよね」
(幹事長)「誰も言ってくれませんが、ひとえに私の善行のおかげですよね」


もちろん、自主開催なので天気が悪そうな時は延期すればいい。
でも、結果的に、天気が悪くて順延した事はほとんどなくて、たいていは絶好のマラソン日和だ。

ただ、個人的には、本当は、もっと暖かい方が好きだ。もともと私は猛暑の炎天下に走るのが好きなくらいなので、寒い中を走るよりは暑い中を走る方がよっぽど楽しい。

(支部長)「タイムは悪いけどな」

もちろん、タイムの事を言えば寒い冬場のレースの方が良いタイムが出る
厳冬期に開催される丸亀マラソンなんか、雪が降ることもあるが、風さえ無ければ、寒ければ寒い方がタイムは良い。
なので、今日も風が無くて気温が低いから、良いタイムが期待できるかもしれない。


〜 コース 〜


みんな集合したところで、コース確認をしなければならない。

(幹事長)「コースはもう忘れてるよね?」
(ゾウ)「何にも覚えてません」


庵治マラソンのコースは12kmだ。
なぜクォーターマラソンっていう名前が付いてるのに1/4の10.5kmじゃなくて12kmかと言うと、実は、かつて庵治町が存在していた時は庵治マラソンのコースは10kmだった。これならクォーターマラソンと言える。
一方、その頃、高松市は屋島の周りを一周する12kmコースの屋島一周クォーターマラソンてのを開催していた。
庵治町が高松市に吸収合併された時に、この2つのレースが合体したのだが、場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周クォーターマラソンの12kmを引き継いだ。
その結果、以前の庵治マラソンのコースに比べ、折り返し点まで1km、往復で2kmの延長となった。

(ゾウ)「場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周と同じ12kmにして、名前は両方を合体させたんですよね。
       でも、そもそも屋島一周マラソンは12kmなのに、なんでクォーターマラソンって名前だったんでしょうね?」
(幹事長)「それが謎なんよ」


なんで12kmなのに「クォーターマラソン」って名前だったのかは、今となっては不明だ。屋島を一周するコースなので距離を短くすることはできなかったが、フルマラソンの1/4より多少は長いとは言っても、それほど大きく違うわけでもないからって事で、適当に着けたんだろう。
合体した後にクォーターマラソンて名前を受け継ぐんだったら、距離は以前の庵治マラソンのままで良かったと思うのに、わざわざ12kmに延ばしたってのも意味不明だが、合併に伴う役所同士の魑魅魍魎としたバトルがあったのかもしれない。

庵治マラソンのコースは、会場の旧役場から少し走って、庵治半島の沿岸を走る県道36号線に出たら、そのまま沿岸を6km走って折り返してくるというシンプルなコースだ。太い脇道や交差点が無いから、とても分かりやすいコースだ。
ただ、折り返し点の辺りは周囲に何の建物も無い森の中を走る道になるので、折り返し点の目印になるものが無い。本番のマラソン大会の時は折り返し点の三角コーンが立っているが、自主開催だと何の目印も無い。
なので、前回は全員で車に乗り合わせて折り返し点の確認を行った。私が地図で距離を厳密に測定し、折り返し点を特定しているので、みんなで現地確認したのだ。

屋島一周クォーターマラソンの時のコースは坂がなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しい。
コース途中に坂が3つある。1つ目の坂は単純に上がって下るだけだ。2つ目の坂は、複合的に細かなアップダウンがあってダラダラ続く。3つ目の坂はそれほど複雑ではなく上がって下がる。
これら3つの坂が終わると、最後に5km地点辺りから始まるラスボスの巨大な坂がある。距離は約1kmもある。その巨大な坂を登り切ったところで折り返してくるのだ。
かつて庵治マラソンが10kmコースだった時は、最後の巨大な坂が始まる5km地点で折り返していたため、最後の巨大な坂を走らずに済んでたんだけど、屋島一周と合体してコースが片道1km延長になったため、この巨大な坂を1kmも延々と上らなければならなくなったのだ。

最後のラスボスの坂はひたすら登り続けるんだけど、1kmほど走ると少しフラットになる。そして、ちょうどそこだけガードレールの色が白から茶色に変わっている
なので、ガードレールの色が茶色に変わった所を折り返し点とした。

(幹事長)「分かりやすいやろ?」
(ゾウ)「分かるかなあ?誰かに着いていきますから、置いていかないでね」
(支部長)「ゾウさんはダントツでトップを走るやろうから、その辺りで待っててくれたらいいよ」


最後は、ゴール間近になったところで、県道36号線から役場がある区画に戻ってくるんだけど、慣れてないと、そこが分かりにくいかもしれない。

(ゾウ)「それも分かるかなあ?誰かに着いていきますから、置いていかないでね」
(支部長)「分からなくなったら、その辺りで待っててくれたらいいよ」


〜 スタート前の準備 〜


コースが確認できたので、再び会場に戻り、走る準備をする。
何を着るかは、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ

(支部長)「今日も何を着るか悩むんかいな?」
(幹事長)「風が無いから、あんまり悩む必要はないかな」


かなり気温は低いが、風が無いからそれほど寒くはない。なので、厚手の冬用の長袖シャツの上から半袖Tシャツを着た。
着るのは、もちろん庵治マラソンのTシャツだ。紺色のTシャツに、庵治町のキャラクターのあじろう君が描かれている。

(のら)「私も庵治マラソンのTシャツは持ってるけど、えんじ色で地味だからやめちゃった」
(支部長)「私はグレーっぽいのを持ってたような気がするなあ」


かつては庵治マラソンの記念品はロクなものが無かったので、オリジナルのTシャツは最近のもののはずだ。
のらちゃんが本大会に出たのは2019年だけなので、えんじ色のTシャツは2019年のものだろう。
とすると、私の紺色のTシャツはいつのもなんだろう?

ってことで、過去の記事を読み返して、庵治マラソンの記念品が何だったか確認してみると、
   2006年:???
   2007年:小さなペットボトルケース
   2008年:爪切り
   2009年:小さなポーチ
   2010年:小さな屋外マット
   2011年:保温マグカップ
   2012年:コカコーラの小さいタオル
   2016年:庵治マラソンのタオル
   2017年:(台風により中止)

であった。

(のら)「爪切りなんて年があったの!?」
(支部長)「驚きやろ?コカ・コーラの景品のタオルもあったし」
(ゾウ)「で、Tシャツはいつ貰ったんですか?」
(幹事長)「このリストを見ても分からないなあ」

過去の記事には記載されていないから分からないが、以前はゴミみたいな記念品ばかりだったから、2006年って事はないだろう。
2006年は記念すべき第1回大会だったから、奮発してTシャツを出した可能性も否定できないが、翌年以降のショボい記念品を考えると、ちょっと考えにくい。
たぶん2017年の記念品が紺色のTシャツで、台風で中止になったので、後日、送られてきたんじゃないだろうか。

庵治マラソンの前身だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、参加費が僅か1000円だったにもかかわらず、素晴らしく立派なスポーツバッグをくれたりしていた。もちろん、何かの残り物だったのは間違いないが、参加者が少ない草レースで数が少なくてもよかったから、結構、良い品をもらえていたのだ。
ところが、庵治マラソンになってからは、参加費が2500円にアップしたにもかかわらず記念品は逆にとてもセコくなってきた。以前と同じように何かの残り物なんだけど、参加者が多くなって記念品の数も多く必要になったため、ガッカリするものが多かった。
オリジナルン記念品は、2016年の庵治マラソンの名前が入ったタオルが最初だ。

てな事で、庵治マラソンのTシャツを着ているのは私だけで、みんなウェアはまちまちだ。半袖Tシャツとアームウォーマーだけの人もいれば、ウィンドブレーカーを着ている人もいる。
ただ、タイツは全員が履いている。その中でゾウさんだけはタイツを履いていない

(幹事長)「寒くないの!?」
(ゾウ)「慣れてますから」


そう言えば、コロナ騒ぎでマラソン大会が中止になる直前の2年前の丸亀マラソンでもゾウさんだけはタイツを履いてなかった。
2016年の丸亀マラソンで圧倒的なタイムを叩き出して僕らを蹴散らした時、彼女はタイツを履いてなかった。それ以来、好タイムを狙う時はタイツを履かないことにしたらしい。

タイツは履いてない方が走りやすいってのは私も同感なので、彼女の選択には心を動かされる。
最近はランニングタイツを履く選手が多く、今日もみんな履いている。私は以前はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。
しかし、2019年の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走っていた航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。
て事で、それ以来、できるだけタイツを履くことにしている。タイツを履くと暑い時期には、代わりに脹脛サポーターを履いている。だが、今日は気温が低いので、寒いのが苦手な私としてはタイツは手放せない。

と思って改めて全員を見回すと、加藤選手はタイツどころか長いパンツを履いている。

(幹事長)「それ走りにくくない?」
(加藤)「寒いのが苦手なもので」


ウィンドブレーカーは着ているし、ネックウォーマーも付けているし、私以上に寒がりのようだ。

全員、着替えが終わったところでスタート前の儀式を行う。一斉ジャンプだ。

(支部長)「これやると疲れるんよね」
(幹事長)「一発で決めよう!」


て事だったが、7人もいるとなかなか全員が揃わない。でも、あんまりやってると疲れるので、何枚か撮って合成することにした。

(幹事長)「私のジャンプが一番気合が入っているな」
(支部長)「また無駄なエネルギーを使ってるな」

スタート前の緊張で厳粛な面持ちのメンバー


自主開催マラソン大会では給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならないので、いつもはトレランリュックにスポーツドリンクを入れて背負って走っている。
だが、庵治マラソンは距離が12kmと短いし、暑くもないので、給水無しでも大丈夫だろう
顔を拭くハンドタオルティッシュを短パンのポケットに入れたら、準備完了だ。


〜 スタンバイ 〜


スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは距離が短いし、また坂が厳しいコースだから、他のレースとの比較はできない。

なので、目安はあくまでも過去のタイムだ
この大会には2006年の第1回大会から毎年参加していた。最初の4年間は毎年、着実にタイムが縮まっていき2009年の第4回大会では1時間0分台のタイムを出し1時間切りが目前に迫っていた
だが、その後はV字回復の反対で、V字型に悪化し、毎年着実にタイムが悪くなって、1時間の壁はどんどん遠ざかっていった。
同じ距離だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、調子が良ければ1時間を切った事もあるので、1時間切りというのは非現実的な目標ではないと思うのだが、屋島一周のコースは坂がなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しいので、容易ではない。

距離が12kmなので、1時間を切るには1km5分を切るペースとなる。坂が無い区間なら可能なペースだが、坂が厳しい庵治マラソンでは、全ての区間を1km5分を切るペースで走り続けるのは難しい。というか不可能だ。
なので、フラットな区間では、もっと速く走って貯金しなければならない。そのためには、序盤から速めのペースで突っ込む必要がある

ただし、坂がきついと言ったって、夏場の山岳マラソン4連戦のコースに比べたら大したことはない。
5km地点から1km続く坂は最大斜度20%、平均斜度10%もある急坂だが、平均斜度10%程度の坂が何kmも続く北山林道駆け足大会四国のてっぺん酸欠マラソン龍馬脱藩マラソンに比べたら坂の距離は短いからだ。
また、坂はあるけど全体の距離が12kmと短いから、フルマラソンやハーフマラソンのようにレース展開の作戦を考える必要はない。序盤は抑えて走る、とかいったペース配分を考える必要はなく、ただひたすら最初から最後まで全力で走るだけだ。
作戦を考える必要が無いというのは、自分自身の中でプレッシャーが無くなる。何も考えず、ただひたすらに全力疾走すればいいだけだ。
もちろん、本当に全力疾走しているのか、と言われれば、それはあくまでも主観的なものであり、他人が見たらチンタラ走っている程度だろう。
でも、「こんなに無理したら後になって足が動かなくなるんじゃないか」なんてペース配分を心配せずに、何も考えずに、その瞬間その瞬間における全力を出して走ればいい、という意味での全力疾走でだ。

てな訳で、このレースのタイムの目標は1時間切りだ。
とは言いつつ、そう簡単には1時間は切れそうにないのが現実だ。そもそも、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは難しい
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる
今日はみんなで走るので、単独での練習よりは気合も入るだろうと思うが、そうは言っても正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのは目に見えている。
て言うか、そもそも今日は、前日に雪山登山に行って疲れが残っているので、どう考えても1時間切りは不可能だと思っている。
それでも、分かりやすいから一応、1時間を目安にしているだけだ。

気になるのは永遠のライバルである支部長だ。
昔から支部長とは勝ったり負けたりの互角であり、今年度の自主開催レースを見ても、ここまで4勝4負だ。
私が勝ったのは坂が強烈な北山林道駆け足大会、龍馬脱藩マラソン、四国のてっぺん酸欠マラソン、それにオリーブマラソンだ。
一方、支部長が勝ったのは坂が無いフラットな丸亀マラソン、香東川マラソン、それに汗見川マラソンと瀬戸内海タートルマラソンだ。
敢えて要約すると、坂が強烈なコースは私が勝ち、フラットまたは坂が緩やかなコースは支部長が勝っている。また、暑い時は私が勝ち、涼しい時は支部長が勝っている事が多い。
つまり、支部長は坂と暑さに弱いって事だ。

(支部長)「何を今さら分析してるんや。昔から分かりきってる事やがな」
(幹事長)「そやな」


昔から支部長は坂と暑さに弱かった。少しでも暑くなると脱水症状でフラフラになるし、少しでも坂があるとすぐ歩いてしまう。
ただ、昔はフラットで暑くない時でも互角だったのが、最近はフラットなコースや涼しい時期のレースでは私の惨敗が多い。これは豊富な練習量により支部長が以前とは比べ物にならない圧倒的なスピードランナーに変身したからだ。

(幹事長)「人間って変わるもんやなあ」
(支部長)「才能が開花したな」


なので、支部長に勝つには強烈な坂や暑さによって支部長が自滅するのを待つしかないのだ。
そういう状況を考えると、今日のような気温が低いレースでは支部長が圧倒的に有利だ。
5km地点から続く急坂は支部長に不利だが、それ以外の坂は大したことはない。総合的に支部長が有利だろう。
昨年度の庵治マラソンでも負けた事を考えると、今日も支部長に勝つのは非常に難しいだろうな。


〜 スタート 〜


いよいよスタート時刻となった。主催者の幹事長からありがたいお言葉を頂いて開会式が10秒ほどで終わり、支部長のカウントダウンにより9時30分に一斉にスタートとなった。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。

例年なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、今日は参加メンバー7人の自主開催だから、静かなスタートだ。
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。

旧役場の前をスタートして少し走ると、庵治半島の沿岸部を一周する県道36号線に出る。あとは折り返し点までひたすら走るだけだ。
まず最初は私が先頭を走る。最初は道に迷う人が出ると困るので、分かりやすい道に出るまでは先導するのだ。自主開催シリーズが始まって以来、常に同じパターンだ。
あわよくば、そのまま逃げ切りたいところだが、逃げ切れたのは一昨年の酸欠マラソンだけだ。そこそこ頑張って走ってリードを広げようとするのだが、すぐ後ろから足音が着いてくる。

すぐ後ろに着いてくるのは支部長とゾウさんだ。ゾウさんが「道がよく分からない」と言うので、支部長が一緒に走ってリードしているのだ。
何やら会話が聞こえてくる。

(支部長)「自主開催レースでは幹事長はいつも最初は飛ばすんよ」
(ゾウ)「それで今日も先頭を走ってるんですね」
(支部長)「でも今日はペースが遅いな」
(ゾウ)「いつもはもっと速いんですか?」
(支部長)「最初から飛ばすから自滅するんよね。とりあえず着いていこう」


1kmほど走ると最初の坂が現れる。大した激坂ではないが、少しペースが落ちる。すると、早くも支部長とゾウさんが二人で私を抜きにかかった。

(幹事長)「うわ、速いな」
(支部長)「今日は幹事長が遅すぎやで」

フラットな所ならともかく、上り坂で抜かれると食らいついて一緒に走る気力が失せる。なので、あっさりと先行を許す。
そしたら、なんと、さらにD木谷さん、長谷さん、のらちゃんが一団となって私を抜いていく

そして、なんと、あろうことか加藤選手まで一緒に抜いていくではないか。
加藤選手は去年、私が折返しの1kmの大きな坂を上って折り返して下ってきた時にすれ違った。つまり、折返しの時点で2kmも差を付けていた。
彼は途中で写真を撮ったりしながらの、のんびりジョギングだった。
なので、今年もお散歩がてらにのんびり走り、ダントツの最下位一人旅だろうと思って、全く眼中になかった。それが、なんと、みんなと一緒になって抜いていくではないか。

こりゃ一体、どういう事だ。最近、支部長に早々に抜かれるパターンはよくある。さらに他のメンバーにも前半のうちに抜かれる事も多い。
でも、まだ1kmほどの地点で全員に追い抜かれ、しかも加藤選手にまで追い抜かれるなんて、有り得ないほどの深刻な不調だ
さすがに焦ってなんとか追いすがろうとは思うんだけど、足が動かない。全く動かない
前日の雪山登山の疲れが残ってるんだろうとは思うけど、一緒に雪山に行ったD木谷さんやのらちゃんは快調に走って行く。私だけが疲れが残ってるなんて、そんな事あるだろうか。

最初の坂を下りるとしばらくフラットな区間が続き、その後、2つ目の坂が始まる。この坂は小刻みなアップダウンが続くダラダラした坂だ。
先行するメンバーとの差はどんどん開いていき、加藤選手の姿だけは見えるものの、坂やカーブがあるため、他のメンバーの姿は見えなくなってしまった
この坂を下り終えると、再びフラットな区間となる。

その後、3つ目の坂を越えると、しばらくフラットな海岸線の道が続き、遠くに最後の激坂が見えてくる。先行するメンバーの後姿は、遠くて小さすぎて、見えるような見えないような、よく分からない。
加藤選手の姿すら遠くて、どれくらい離れているのか距離感が掴めない

スタートから5km近く走ったところで、いよいよ最後の大きな坂に突入する
最後の巨大な坂は、以前は目の前が真っ暗になるほどの絶壁に感じられたが、最近は毎年、夏場に山岳マラソン4連戦(北山林道駆け足大会、汗見川マラソン、酸欠マラソン、脱藩マラソン)をこなしているので、以前ほど絶望的ではない。でも、大きくペースダウンするのは避けられない
しかも、今日はとんでもなく遅いので、みんなにどれくらい差を付けられているのか心配だ。
かなり上ったところで、まずはD木谷さんと長谷さんが一緒に軽快に駆け下りてきた

(幹事長)「あれ?支部長は?」
(D木谷)「折り返し点で休んでましたよ」


どうやら折り返し点で休んでいた支部長を追い抜いてきたらしい。
しばらくすると、支部長とゾウさんが一緒に降りてきた。さらに、少し遅れてのらちゃんも降りてきた
彼らとの距離を考えると、また、ここまでの展開を考えると、彼らに追いつくのは完全に不可能だ。
追いつく唯一の目標は加藤選手だ。彼がどれくらい先行しているのか気になる。

巨大な坂の傾斜度が緩やかになったら、間もなく折り返し点になる。ここで駆け下りてくる加藤選手とすれ違った

(幹事長)「去年よりめちゃめちゃ速いやん」
(加藤)「もう無理ですね」


頑張って走ると、すぐに折り返し点となった。加藤選手とすれ違ってからの時間を見ると、距離にして200mほど私から先行しているようだ。一時はもっともっと差が付いていたから、少しは差が縮まったようだ。
そう思うと、少しは気合が入り、一生懸命に坂を駆け降りる。ただ、そうは思っても、なかなか自分の足が思うように動かないのがまどろっこしい
若い頃は下り坂になると転げ落ちるように走れたのに、今は、まず足が思うように広がらない。もっと足を前に出したいのに足が広がらないから、チョコチョコした動きになってしまう。
それでもピッチを上げられれば良いんだけど、チョコチョコ走っているくせに回転も遅く、スピードは上がらない。ストライド走法もピッチ走法もできない体になってしまった。

なんとか必死で大きな坂を駆け下りると、フラットな直線区間になる。他のメンバーの後姿は全く見えないが、加藤選手の後姿だけは見える。頑張ればすぐに追いつけそうに思える。
なんだけど、これがなかなか追いつけない。一生懸命走っているつもりなのに、全然近づかない。やはり今日は極端に遅いようだ。
後半の最初の坂を越えてもなかなか追いつけない。それでも少しは後姿が大きくなったような気がする。
後半の2つ目の坂に入ると、カーブの坂道で後姿が見えにくくなる。それでも頑張って走って行くと、明らかに後姿が大きくなってきた
目の前に獲物が見えると、俄然、力が入る。必死で頑張って坂のピークが見えてきた頃に一気に追いつく

(幹事長)「やっと追いついたよ」
(加藤)「私はもう駄目です」


追い抜いたはいいものの、また逆転されたら情けないので、なんとか必死で坂を上り終え、下りでも必死で足を前に出して駆け下りていく。
そこから少しフラットな区間を走り、最後の3つ目の坂を上る。後ろから加藤選手が迫ってきているかもしれないと思うと、恐怖で心臓がバクバクする。
そのおかげで、少しはペースが上がる。やはり一人旅でチンタラ走るより、誰かと競り合っていた方が良いペースになる

なんとか最後の坂を越えると、残りは1kmだ。ラストスパートで最後の頑張りどころだ。調子が良い時は1km4分半くらいのペースでフィニッシュしている区間であり、調子が悪くても5kmは切っている。
でも、今日は極端に足が動かないから、ペースは上がらない。不安が爆発しそうになったので、坂を下りて振り返ると、加藤選手の姿は見えない。ホッと一安心だ。
一安心なんかしたらペースはガタ落ちになる。でも、どうせ目も当てられないような惨敗なので、少しくらいペースが落ちても同じだ。
って事で、最後は大きくペースを落としてダラダラとゴールした。


〜 ゴール 〜


ゴールすると、既にゴールしたメンバーが迎えてくれた。

(支部長)「次は加藤選手が帰ってくるのかと思ったら幹事長やったな」
(幹事長)「なんとか逆転できたよ」


加藤選手は私に抜かれた後、すっかり力を抜いたようで、だいぶ経ってからのんびりゴールした。

先行グループのレース展開を聞くと、なかなか面白い展開だったようだ。
前半、先行していた支部長とゾウさんが折り返し点で少し休んでいると、後から来たD木谷さんと長谷さんが追いついてきて、すぐ折り返して行ったので、支部長とゾウさんもすぐ後を追い、その後にのらちゃんも続いた。
ゾウさんが支部長から少し遅れ始めると、下り坂の途中でのらちゃんがゾウさんを追い抜いた。支部長は間もなくD木谷さんと長谷さんに追いついた。
フラットな区間に入ると、先行する3人が話をしながらチンタラ走っているので、のらちゃんの闘争心に火が付き、一気に追いついて追い抜いてトップに立った。
後ろから見ていたゾウさんの話によると、油断してたら突然のらちゃんに抜かれた3人は慌てふためき、必死になって後を追い、その後は混戦と言うか入り乱れた乱打戦になったとの事だ。

結局、最近、絶好調で優勝を続けているD木谷さんがトップでゴールし、続いて支部長、長谷さん、のらちゃんの順番になったそうだ。
ゴール前の写真を見ると、4人の差は均等で、トップのD木谷さんとのらちゃんのタイム差が38秒なので、みんなほぼ10秒差ほどで続いてゴールしたようだ。
本大会が開かれていた頃は、私も遅くてもそれくらいでは走っていたので、みんなと一緒にゴールしたかったところだが、私だけ大惨敗だなんて、一体どうした事だろう。
これまでのタイムと比べたら、1km辺り1分近く遅かった。

(幹事長)「空前絶後の前代未聞の大惨敗や。何があったんやろ?」
(支部長)「もう歳と違うか?」


〜 反省会 〜


レース後は、前年と同じく、春日川の川沿いにある湯楽温泉に繰り出して疲れを癒した。
レース後に近くの温泉に入れるのは嬉しい。身体もさっぱりするし足の疲れも和らぐ。

温泉の後は私の好きな春日町市場肉うどんを食べる。ここの肉うどんは、うどんより肉の方が量が多いくらいで、ペース配分を考えないと肉が残ってしまうほどだ。

落ち着いたところで反省会をしなければならない。
どう考えても、今日の結果は衝撃的だ。いくら反省しても、し過ぎる事は無い。
て言うか、手を抜いていた訳でないのに空前絶後の大惨敗を喫したのは、理由が分からず、反省のしようがない。不可解だ。

(幹事長)「一体全体、どういう事なんやろ?」
(支部長)「だから、もう歳と違うか?」

支部長とは歳はほとんど変わらないし、前日の雪山登山はD木谷さんやのらちゃんも一緒に行ってるし、理由がさっぱり分からない。
理由が分からないだけに、絶望的だ
せっかく2年ぶりの丸亀マラソンが1ヶ月後に迫ってきて楽しみにしてるのに、不安と危機感が爆発する。
今さら練習量を増やしても即効性は無いだろうし。むしろ、徹底的に休んで疲れを取った方が良いのかも。


〜おしまい〜




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