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四電ペンギンズ
オリーブマラソン2024
第47回 小豆島オリーブマラソン大会
2024年5月19日(日)、第47回小豆島オリーブマラソン全国大会が開催された。
この大会は27年前の1997年の第20回大会から参加し続けており、我々にとっては欠かすことのできない重要なマラソン大会だ。
なので、4年前の2020年も2月には早々にエントリーを済ませ、楽しみにしていた。
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
このマラソン大会の中止騒動は全国的なものとなり、日本中のあらゆるマラソン大会が次々と中止になっていった。
マラソン大会中止騒ぎってのは、独善的な医療関係者と破廉恥なマスコミによって引き起こされたあまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
このようなヒステリックな動きに対抗するため、我々はマラソン大会を自主開催する事にした。その自主開催マラソン大会第1号が、4年前の第43回オリーブマラソンだった。
それ以降、中止になったマラソン大会はことごとく開催を続け、オリーブマラソンも2020年の第43回大会から始まって2021年の第44回大会、2022年の第45回大会と3年連続で自主開催を続けてきた。
そして3年後の2023年になって、ようやくコロナのバカ騒ぎが収束し、オリーブマラソンも復活となった。
それに引き続き、今年も無事に開催される事になった。まことに喜ばしい限りだ。
なお、今回の大会は第47回大会と銘打たれている。
コロナで中止になる前に最後に開催された2019年の大会は第42回大会だったから、正式に開催された大会としては今回は44回目の大会になる。
丸亀マラソンなんかは、中止になっていた期間はカウントせず、実際に開催された大会の回数でカウントしている。
一方、坂出天狗マラソンなんかは開催されずに中止になった年も水増ししてカウントしている。オリーブマラソンも同じで、中止になった2020年、2021年、2022年もカウントして今年を第47回としている。
どちらもで別に構わないが、我々はコロナで中止になっていた期間も自主開始しており、このホームページでは自主開催年も同じようにカウントし続けてきたので、整合性は取れている。
〜 エントリー 〜
上にも書いたように、この大会には1997年の第20回大会から参加し続けている。随分、長い間、出場を続けてきたもんだと感慨深い。
昔はヨタヨタ走っていると地元の老人が「ふれあい賞」なんて札を首に掛けてくれて景品を貰えるなど、のんびりしたムードが漂った牧歌的でアットホームな大会だった。
しかしながら、昨今は異常なまでのマラソンブームにより様変わりしてきた。
この大会に限った事ではないが、以前は田舎のマラソン大会で定員が一杯になるなんて事はあり得なかったから、誰でも気が向いたらエントリーして参加できていた。
それが最近は、世紀末的なマラソン狂走曲のせいで、こんなローカルなマラソン大会でも申し込み受付が始まったら、あっという間に定員いっぱいになり、油断して少しでも申し込みが遅れると参加できなくなってしまう。
なので、自分も忘れないようにエントリー受付開始時間を書いたメモをあちこちに貼ると同時に、他のメンバーにもしつこく何度も注意喚起のメールを送ってきた。
ところが、上記のように、コロナのバカ騒ぎのせいで全国的に何年もマラソン大会の中止が続いた。
そして、久しぶりに再開されたマラソン大会は、どこも軒並み参加希望者が激減した。
以前は競争率が5倍ほどで参加するのが至難の業だった大阪マラソンまでもが定員割れになった。
その理由としては、何と言ってもランナーの怒りが最大の理由だろうと思う。
エントリーが開始になる時期に「今年は募集を中止にしま〜す」ってのであれば許せるが、大会直前まで「開催しま〜す」なんて言っておきながら徳島マラソンのように大会直前になってドタキャンされたりしたもんだから、怒りは大爆発だ。
しかも既に支払っていた高い参加費は全額は戻ってこなかった。
このような理不尽な行為に対してランナーの怒りは頂点に達しており、大会が再開されたからと言って素直に参加はしたくない。
また、参加費の高騰も大きな理由だろう。参加者の気持ちを全く考慮もせずに自分勝手に大会を中止にしておきながら、いざ再開が始まるとバカみたいに参加費が高騰しており、開いた口が塞がらない。
ほとんどの大会で2倍近くに値上がりしている。フルマラソン大会は1万円以上するのが当たり前になり、都市型マラソンに至っては2万円近くにまで高騰している。今年3月の琵琶湖マラソンも、近江牛が品切れになっていたくせに、手数料を含めて1万6千円も取られた。
(D木谷)「まだ近江牛が無かった事を根に持ってるんですか?」
(幹事長)「死ぬまで忘れないぞ!」
ちょっと前の感覚から言えば、マラソン大会ごときに10000円も出すなんて有り得なかった。高すぎる。ほんの少し前まで、マラソン大会の参加料はせいぜい3000円くらいだった。
このような複合的な要因により、マラソン大会への参加に無関心になった人々は多いだろう。
特にマラソン大会の経験が浅いランナーには、無関心になった人も多いだろう。私の周りにもいっぱいいる。
世紀末的なマラソンブームが起きたため、よく分からないまま周囲に流されてマラソン大会に出ていたけど、マラソン大会の中止をきっかけに、マラソン大会に出る意義を冷静に考えて、冷めたと言うか飽きた人が出てもおかしくはない。
一方、我々のように、世紀末的なマラソンブームが起きるずっと以前からマラソン大会に出ているマラソン大会中毒者にとっては、マラソン大会への参加を見合わせるなんて事はあり得ないので、参加希望者が激減した事はとても喜ばしい事態だ。
抽選制の大会は毎年応募してもなかなか当選しないし、先着順の大会ではエントリー開始前からパソコンの前でスタンバイして、エントリー開始になると同時に必死でパソコンのキーボードを叩いていた。
このようなストレスフルな状況が改善されて、昔の牧歌的な時代に戻るのであれば、少しくらい参加費が高騰しても許せる。
応募者の激減は、我々のように、いくら怒りと反発を抱えていても何だかんだ言いながらとにかくマラソン大会に出たいという中毒者にとっては喜ばしい状況なのだ。
ところが、マラソン大会の人気低迷への対抗措置として、多くのマラソン大会が定員を減らし始めている。
オリーブマラソンも去年から定員が以前の5000人から3000人に減らされた。
定員が減らされたとなると、参加希望者が減少しても競争率は高いままかもしれない。
て事で、去年は以前と同じように受付開始と同時に素早くエントリーを行い、みんな無事に参加する事ができた。
今年もメンバーにしつこく事前周知して、素早くエントリーを進めた結果、私、支部長、D木谷さん、のらちゃん、加藤選手、ピッグ、O野選手、長谷選手、木村選手、T橋夫妻、M谷さんの12人が無事エントリーを済ませた。
(D木谷)「みんなにしつこく事前周知してた割りには、私が送ったエントリー完了メールを見て慌ててエントリーしてましたよね?」
(幹事長)「夕食を食べてて、すっかり忘れてました!」
結局、今年、一体どれくらいの参加希望者がいて、どれくらいの競争率になったのかは分からない。
エントリーしたのは全員ハーフマラソンの部だ。
(加藤)「あ、違います。私は10kmの部です」
(幹事長)「なんとかーっ!」
10kmの部は距離が短いから楽だ、なんて思うのは浅はかな素人の考えだ。距離が短いとペースが速くなるから、はるかにしんどい。
今年は不参加のゾウさんは高速スーパー女子ランナーだが、毎年10kmの部に出てきた。それは距離が短いガチンコレースが好きだからだ。
距離が長いハーフマラソンになると、全体のペース配分とかを考えて無茶に飛ばしたりはしないが、距離が短いとペース配分なんて考える余地は無く、最初から最後まで全力でぶっ飛ばさなければならない。なので、非常にしんどい。
ゾウさんは何でも限界に挑戦するのが好きなので、スピードの限界に挑戦したくて距離が短い部門に出ているのだ。
(幹事長)「加藤選手がガチンコレース好みだったとは知らなんだ」
(加藤)「ちゃいますがな。距離が短くて楽やからですがな」
ゾウさんは去年はオリーブマラソンにエントリーしていたものの、あとから同日開催のテニス大会への出場が決まり、そちらを優先してオリーブマラソンは欠場した。
(幹事長)「マラソン大会とテニス大会とどっちが大事なんや!」
(ゾウ)「テニス大会に決まってますよ!」
ちなみに、オリーブマラソンをドタキャンして出場したテニス大会では見事優勝し、全国大会への切符を手にした。素晴らし過ぎる。
そして、今年は最初からオリーブマラソンにはエントリーせず、テニス大会に出ると言う。
(幹事長)「ランニングもせずに、テニスの練習ばっかりしてるんと違うか?」
(ゾウ)「もちろんテニスの練習ばっかりしてますよ!」
去年は10kmの部に出て大活躍したライオン4世も別件があるとの事で、今年は不参加となった。
(幹事長)「君は才能があるのに、根本的にやる気が欠如しているなあ」
(ライオン)「がお?」
〜 ドタキャン 〜
レース前日になって支部長から連絡が入る。
(支部長)「ちょっとやんごとなき事情のため、明日は出場を見合わせるよ」
(幹事長)「なんと!それはやんごとないなあ」
支部長が直前になってドタキャンするのは2月の丸亀マラソン、3月の四万十川桜マラソン、4月の富士五湖ウルトラマラソンに続いての事だ。
直前になって主力選手を失うのは誠に残念だが、いずれもやんごとのない状況なので仕方ない。
(幹事長)「今年に入ってからは、出走したのよりドタキャンの方が多いんと違うか?」
(支部長)「さすがにそんな事はないぞ」
調べてみたら、まんのう公園リレーマラソン、坂出天狗マラソン、善通寺五岳山空海トレイル、琵琶湖マラソンには出ていたから、4勝4敗てところか。
〜 奴隷船に乗船 〜
オリーブマラソンは、近年、エントリーの競争も激しくなってきたが、なんと言っても交通の便の悪さが大きなネックだ。
小豆島は、四国と本州と、どちらからでも船で1〜2時間で行けるため、関西地方からの参加者も多く、そういう意味では立地の良い大会と言える。
しかし、レース会場である小豆島坂手地区には、港はあるけど船の定期航路がほとんど無い。なので、主催者が出している高松発の臨時船に乗るか、他の港へ定期便で行くか、どちらかの選択となる。
2007年は臨時船のチケットが入手できなかったため、定員8名の私の車に9人で乗り合わせて池田港に上陸して行ったが、移動に時間がかかるうえ、駐車場を探すのも一苦労で、会場へ着くのがギリギリになった。
そのため、その後は必死で臨時船のチケットを入手するよう努力している。
ただ、臨時船は古いフェリーボートを借り切ったものであるため、座席が少くて、早く行かないと通路の片隅に体を丸めてしゃがみ込むか、広い車両甲板に寝転がるしかない。
車両甲板は固い鉄板で、おまけに朝は冷え込み、冷たい波しぶきが飛んでくるし、帰りは逆に太陽熱で焼けて熱くなった鉄板の上で焼かれるお好み焼き状態になり、とても人間扱いされているとは思えない状況だ。
そのため、我々は、この臨時船を奴隷船と呼び、恐れおののいていた。
それなのに、最近の異常なマラソンブームにより、この奴隷船にすら早めに申し込まないと定員オーバーで乗船券を入手できなくなってきた。
奴隷船は満杯というか定員の3倍くらい詰め込まれるので、もはや家畜船と呼ぶのが相応しい阿鼻叫喚の世界だが、奴隷船だろうが家畜船だろうが、この乗船券ですら最近は入手が困難な状況だ。
マラソン大会への参加自体はランネットで申し込めるから簡単なんだけど、奴隷船のチケットは参加申込みとは連動しておらず、別途、郵便振込みで申し込まなければならない。
一体、どういうシステムなんだ!って文句を言いたくなるが、ともかくマラソン大会にはエントリーできても、奴隷船が定員一杯で交通手段に困る人が続出するのだ。
なので、今年も私が全員の分をまとめて素早く郵便振り込みで申し込み、無事に全員分の奴隷船チケットを入手できた。
大会へのエントリーと同様、実際にどれくらいの競争率になったのかは分からない。
さらに、当日の朝は早起きをしなければならない。いくらプラチナチケットの奴隷船乗船券を持っていても、遅く行ったら奴隷か家畜のように車両甲板に転がされてしまう。
奴隷船に人間の尊厳を維持したまま乗るには、かなり早く港に行かなければならない。
以前は奴隷船が出港するのは6時50分で、1時間前の5時50分頃には乗船開始となっていた。もちろん、乗船開始時間に行ったのでは既に座る場所は無くなっているので、それより早く行く必要がある。
長年の経験から、乗船開始の40分くらい前に行けば楽勝で座席を確保できるという法則が分かっていた。
ところが、去年からスケジュールも場所も変わってしまった。
奴隷船が出る場所は、以前は県民ホールの北側にある船着場だったのが、去年からJR高松駅の近くのフェリー乗り場に変わった。
時間はなぜか少し遅くなって、奴隷船が出港するのは7時25分となった。
そうであれば、以前よりは少し遅めでも良いかなとは思ったが、久しぶりの開催のため、どういう状況になるのか分からなかったので、5時20分頃に港に行った。
そしたら、船が到着したのは7時前で、乗船開始になったのは7時過ぎだった。なので、随分長いこと待たされた。もっと遅くても良かったようだ。
とは言え、その頃には乗船待ちの行列はとんでもなく長くなっていたから、遅くとも6時頃には来ないといけないだろうと思った。
て事で、今年は5時45分頃に港に集合する事にした。
そのためには自宅を5時20分頃には出なければならない。なので4時半頃には起きなければならない。
4時半に起きるなんて若い頃なら想像を絶する世界だったが、高齢化が進んだ今は何の問題も無くなった。
(支部長)「私なんていつも3時頃に起きてるよ」
予定通り、5時20分頃に家を出て5時45分頃に港に着いた。
船着場には既に良い子の長谷選手とD木谷さんが来ていた。まだ他には誰も来ておらず、我々が列の先頭だ。
て言うか、本当にそこが列の先頭になるのかどうかも分からないが、確か去年はその辺りに行列ができたので、今年もそこに待つことにした。
さらにしばらくすると木村選手やピッグもやってきた。そして、その頃には他の人も並ぶようになった。
そして、だいぶ経ってからようやく係の人が「列の先頭」と言うプラカードを持ってきた。
これで、少なくとも6時前に来れば列の先頭になれるような感じだ。
船着場には既にフェリーが停泊しているので、去年はそれが奴隷船なのかと思っていたら、それは6時25分発の定期便だった。
そして、その船が出航した後に入ってきた船が奴隷船かと思ったら、それは6時50分発の定期便だった。
奴隷船は、その後になってようやく入ってくるのだ。
今年はそれが分かっているので、焦らず待っていると、ようやく奴隷船が突然出現した。いつ、どこから現れたのかよく分からない不気味な現れ方だ。
船に乗り込むと、作戦通り、みんなで散らばって座席の確保を急ぐ。みんなで散らばるのは、船の中でどこに良い場所があるか分からないからだ。
船の甲板から客室に上がる階段は4つもあり、どこから上がれば良い席を確保しやすいか分からないので、手分けしてあちこちの階段から一気に攻め上がるのだ。
乗船すると、2階部分の前方にボックス席があったが、そこだけでは数人しか座れないので、付近の座席も一網打尽におさえた。
〜 出港 〜
7時25分になって船が動き始めたので、朝食だ。さすがに早起きしたからお腹が空いてきた。
私の場合、朝食を食べてしばらくするとトイレで大が出るようになるので、できれば朝早く起きて、早目に食べて出発する前にトイレを済ませるのが理想だ。マラソン大会の会場のトイレは、どこも激混みになるからだ。
しかし、老化の進行によって早起きが苦痛でなくなったとは言え、5時過ぎに家を出るとなると、4時には食べないといけなくなる。さすがにそこまですると調子が狂いそうなので、家では食べず船に乗ってから食べる事にした。
もちろん、朝食はおにぎりだ。
以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてからは改善された。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べ始めてからは下痢する頻度はかなり低くなった。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレに籠ってしまった。その後も2022年の神戸マラソンや2023年の那覇マラソンや今年の富士五湖ウルトラマラソンでもお腹を壊し、トイレに籠ってしまった。
いずれの場合も、朝食の量は控えめだったし、パンも避けていた。それなのにお腹を壊した。
年々ますます胃腸が弱くなっているようだ。また、ご飯の他にバナナやゼリーを食べたり、またカロリーメイトを食べたりしたので、それらが悪かった可能性はある。
少なくともご飯路線が悪い訳ではないだろうが、レース前に食べすぎるのは禁物だ。
今日も一応、ゼリーも持ってきたが、これはスタート前に必要に応じて食べることにする。
1週間前から天気予報では今週末は全国的に雨模様との事だった。
以前なら、1週間も前の天気予報なんて、絶対に外れると思っていたが、最近は1週間も前の天気予報が信じられないほど良く当たる。
ただ、その後、天気予報はだんだん良くなり、晴れ時々曇りって感じになってきた。しかも気温は高くなるそうだ。
ところが、今朝になって再び雨模様との天気予報に変わった。
去年は、年初から私が出たマラソン大会はことごとく良い天気に恵まれていた。間違いなく私の人徳のおかげだ。
ところが今年は、打って変わって年初から満濃公園リレーマラソンと言い丸亀マラソンと言い坂出天狗マラソンと言い善通寺五岳山空海トレイルと言い、晴天とはほど遠い天気が続いてきた。
いずれも雨の直後とか雨の直前と言った具合で、かろうじて雨の直撃は避けられてきたが、気持の良い快晴の下でのマラソン大会とはならなかった。
それに続く琵琶湖マラソンは時折雪が降る極寒のレースとなったし、四万十川桜マラソンはモロに大雨に直撃された。
富士五湖ウルトラマラソンはかろうじて雨が降り出す直前にゴールできたが、やはり怪しい天気だった。
そして今日も今にも雨が降り出しそうな怪しい天気になった。
もちろん、雨が絶対的に嫌だと思っている訳ではない。
て言うか、雨が嫌なのはせいぜい3月までで、5月ともなれば晴れると炎天下のレースになる可能性が高まるので、必ずしも雨は悪くない。
オリーブマラソンは毎年5月下旬に開催されるが、この季節は天気が良いときは本当に気持ちが良い。まだ湿度があんまり高くないから、木陰でボケッとしてるぶんには暑くなく、大変気持ちが良い季節だ。
ただ、マラソン大会となると事情は異なる。木陰は気持ち良くても、炎天下を走るとなると非常に暑い。
それでも、昔の私達は、マラソン大会では晴れを望んでいた。雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。
朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。
しかし、2010年の第33回オリーブマラソンで考えが変わった。
その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。
そしたら、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、むしろ坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった。
この大会には1997年から出続けているが、昔からずうっとタイムが悪く、長らく2時間を切ったことがなかった。私に限らず支部長やピッグだって、他のレースに比べたらタイムは悪かった。
でも、それが暑さのせいだとは誰も思わなかった。いくら暑いと言ったってまだ5月なんだから、7月下旬の炎天下の汗見川マラソンや四国カルストマラソンのような地獄の暑さではないからだ。
なので、このレースのタイムが悪い理由は坂が多いからだと考え、2時間を切るなんて絶対不可能だと信じていた。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、走る前から「このコースでは2時間を切るなんて絶対不可能だ」なんて決めつけていたら、現実にも2時間を切ることは難しい。
途中で苦しくなったら、「どうせ良いタイムは出ないコースだから頑張ってもしょうがない」と、すぐに諦めるからだ。
以前は、最後の大きな坂では、ほぼ必ず歩いていた。無理して走っても、どうせ良いタイムは出ないと信じていたからだ。
ところが、2010年に土砂降りの中、みんな揃って快走したもんだから、メンバー全員、衝撃を受けた。オリーブマラソンのタイムが悪かったのは、坂が多いからというだけではなくて、暑さのせいが大きかったのだ。
そのため、それまではみんな雨を嫌がっていたんだけど、一転して、暑い季節のマラソンは雨乞いをするようになった。
そして、その翌年の2011年も、序盤に激しい雨が降ったため、前年と同じように後半にペースを上げることができて、大会自己ベスト2位を出した。
これでオリーブマラソンも雨さえ降れば良いタイムが出るという事が分かり、それまで大の苦手だったこのレースに対して、なんとなく自信がついた。
また、雨さえ降れば良いタイムが出るということが分かると、一気にオリーブマラソンに対する苦手意識が払拭され、雨が降らなくても暑さ対策を施せば、炎天下のレースになっても良いタイムを出すことが可能になってきた。
暑さ対策とは、適切なウェアの選択だ。ウェアの選択がうまくいくと、炎天下でも良いタイムを出す事が可能になったのだ。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、「雨が降らなくても良いタイムを出す事はできる」と思える事は重要だ。雨が降らなくても、暑さを楽しむことができる。もう怖いものは無いのだ。
〜 島に上陸 〜
1時間半の船旅が終わって小豆島の坂手港に着くと、以前は島の小学生達の鼓笛隊が演奏で迎えてくれていた。本当に心温まる歓迎だったが、年々、隊員の数が減ってきていて、最近は驚くほど人数が少なくなっていた。
そして遂に去年から鼓笛隊はいなくなっていた。
(幹事長)「恐れていたけど、遂に消滅したか」
(D木谷)「そして誰も居なくなったって事ですね」
本土以上に少子高齢化が急速に押し寄せる島嶼部なので、小学生の数が激減し、鼓笛隊が維持できなくなったのだろう。
船から下りたら、まずは場所取りをしなければならない。以前は大会会場近くの公園の芝生に陣取っていたが、最近は帰りの船に乗るのが便利っていう理由で、船を降りてすぐの狭い芝生のところに陣取っている。
ただ、今日は今にも雨が降り出しそうなので、屋外に荷物を置いておくのは危険だ。なので、荷物は手荷物預けに預ける事にした。
手荷物預けは受付の隣なので、まずは受付へ向かう。数年前から事前にゼッケンやチップが送られてくるようになったので、受付と言っても参加賞やプログラムをもらうためだけの受付だ。
参加賞は今年もタオルだ。マラソン大会の参加賞はTシャツが一般的だが、マラソン大会のTシャツはタンスから溢れているのでタオルの方が大歓迎だ。特に、オリーブマラソンのタオルは大きいのでバスタオルにもってこいだ。
そのほか、例年通り小豆島名産の醤油とかソーメンとかオリーブ茶とか佃煮とかも頂く。
受付が終わったら、なんと道端で元四痙攣の香炉さんにバッタリ出くわした。高炉さんとは普段は会った事は無いが、レースではよく会う。それも、今日のように偶然に会うのだ。
2022年の神戸マラソンでも走り出してすぐ声を掛けられたし、2023年の徳島マラソンでも声を掛けられた。こんな群衆の中で、よく会うなあと感心する。
(幹事長)「調子はどうですか?」
(航路)「相変わらず足の筋肉を傷めてます」
参加賞を受け取ったら、手荷物預けの近くで準備に取り掛かる。
ウェアの選択だ。「何を着るか」は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な課題だ。
寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。
1週間前から天気予報では今日は雨模様って言ってたので、雨になると冷えるかもしれないって不安だった。でも、昨日の天気予報では晴れになってきて、気温も高いって言ってた。
オリーブマラソンは天気が良いと炎天下の戦いとなる。去年は雲一つ無い快晴で、まさに炎天下の戦いとなった。
なので、今日は暑さ対策を万全にしてきた。去年と同じ袖無しの白のメッシュシャツを用意してきたのだ。
かつて愛用していた秘密兵器のメッシュシャツほどではないが、このシャツも背中側はメッシュになっているし、袖も無いから、普通のTシャツに比べるとかなり涼しい。
ところが、今になって天気予報は「雨が降るかもしれない」なんて無責任な事を言い出した。
確かに、空を見上げると、今にも雨が降り出しそうだ。気温も高くなるって言ってたのに、かなり肌寒い。冬のようにビニール袋を被っているランナーすらいる。
(幹事長)「こんなに天気予報がコロコロ変わっていいのか!?」
(のら)「何があっても対応できるように色んな準備をしてくるんじゃなかったの!?」
予想外のコンディションになった時は、いつも「次回は何があっても対応できるように色んな準備をしてこなければならない」と反省する。
なのに、今日は暑さ対策で頭がいっぱいになり、まさか肌寒いコンディションなんて想定してなかった。
(のら)「やっぱり認知症がひどいね」
(幹事長)「えーん、えーん、しくしくしく」
泣いても仕方ない。普通の半袖Tシャツすら持ってきてないので、袖無しの白のメッシュシャツを着るしかない。
下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。
寒い時は防寒用としてランニングパンツの下にランニングタイツを履くが、今日は炎天下だと思ったので、タイツなんて持ってきてない。代わりに足の筋肉の疲労防止のために脹脛サポーターを履く。
炎天下に備えて日焼け止めクリームを持ってきたが、こんな天気では必要ない。
炎天下に備えて嫌いなランニングキャップも持ってきたが、大雨にはならないようなので被らない。
炎天下に備えてサングラスも持ってきたが、これだけは使う事にした。
(のら)「曇ってるのに?」
(幹事長)「曇ってても紫外線はあるらしいよ」
眩しいからと言うより、歳とってくると紫外線による目への悪影響が強まって白内障の危険性が出てくるので、サングラスをかけることにした。曇ってても、サングラスをかけると目がとっても楽だ。
(加藤)「幹事長、格好ええですねえ。めちゃ速いエリートランナーみたいですよ」
(幹事長)「これでトロトロ走ってたら格好悪いなあ」
汗を拭くためのハンドタオルと、お腹を壊した時の緊急事態に備えてポケットティッシュをポケットに入れたら、記念撮影だ。
スタンバイする参加メンバー
(左から木村選手、加藤選手、香炉さん、ピッグ、O野選手、のらちゃん、M谷さん、長谷選手、幹事長、D木谷さん)
(T橋夫妻は行方不明中)
準備も終わったので、そろそろトイレを済ましておこうと仮設トイレに並ぶ。トイレには長蛇の列ができていたが、意外に回転は早い。仮設トイレの数が多いからだ。
徳島マラソンなんかは仮設トイレの数が異常なまでに少なく、30分以上も並ばされ、スタート時間に遅刻しそうになった事もある。
(幹事長)「本当に徳島マラソンは腹が立つ事が多いなあ」
(のら)「徳島マラソンを目の敵にしてるね」
記念撮影が終わったら団旗をバッグに片付け、手荷物預けに預けてスタート地点に移動する。
〜 スタンバイ 〜
スタート時刻はハーフマラソンが10時で、10kmの部が10時30分だ。10kmの部は去年までは10時14分スタートだったが、なぜかだいぶ遅くなっている。
(幹事長)「10kmの部は制限時間はあるの?」
(加藤)「特に無いようですねえ」
ハーフマラソンは制限時間が3時間だから13時が最終ゴールだ。30分遅れでスタートした10kmの部も、それまでに帰ってくればいいのだろう。つまり制限時間は2時間30分って事だ。
(幹事長)「いくらなんでも甘くない?」
(加藤)「ソフトクリーム食べながらゆっくり帰ってきますわ」
10kmの部に出る加藤選手にスタート直前の写真を撮ってもらい、おもむろに整列する。
スタート地点では、例年通り予想タイム順に並ぶようになっている。
この大会はタイムをチップで計測してくれるんだけど、それはゴール地点だけで、スタートはチップでは計測してくれず、ネットタイムは出してくれない。そのため、多くのランナーはできるだけ前の方に並ぼうとして混雑する。
昔は存続すら危うんでいた小規模大会だが、マラソンブームのおかげで、今日の参加者はハーフマラソンの部だけで2000人くらいいて、後ろの方までかなり混雑している。定員削減になっても、昔よりはかなり多い。
スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を設定せねばならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストの更新を狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。この大会の自己ベストは2015年に出した1時間51分だ。
コースは、スタート直後の大きな坂の後は、前半は草壁の町の中心地まで行って折り返してくるという坂が無いフラットな区間だ。
後半に入ると、二十四の瞳の映画村まで行って折り返してくる曲がりくねった狭い海岸線のコースとなる。
この海岸線の道路は、曲がりくねっているだけでなく何度も何度も丘を越えてアップダウンが繰り返される。まだ元気な前半に坂があるのなら耐えられるけど、疲れ始めた後半に次から次へと坂が襲ってくるので、後半は厳しい戦いとなる。
レース展開としては、前半のフラットな区間で貯金して後半の坂が多い区間で貯金を吐き出す、なんてパターンではなく、前半はフラットなんだけど、敢えて抑えて後半の坂でペースアップするという理想的な走りを目指す。
以前の私のレース展開は、全て後半に失速するパターンだったが、2010年に土砂降りの中で快走した時をはじめ、良いタイムを出したときは全て、後半の坂のある区間の方がペースが上がっている。
前半のフラットな区間のペースは、どの年も似たようなものだが、後半の二十四の瞳の岬の分校へ行く半島でのペースが違う。惨敗パターンは、この半島で止めどもなくペースが落ちていくのに、快走パターンではどんどんペースが上がっている。
一般的に、後半でペースを上げるのは難しいが、それだけに理想的な展開とされている。なかなか難しいパターンだが、オリーブマラソンに限って言えば、好タイムを出したときのレース展開は、どれも後半にペースアップできている。
なんでそうなるのか、何が決め手になるのか、全く分からないが、目指すパターンは後半のペースアップだ。
第2折り返し点を過ぎてもペースが落ちなかったら、その後はペースアップできる可能性が大きいということであり、諦めることなく、最後まで突っ走れば良いタイムが期待できるのだ。
とは言え、最近のていたらくを考えると、そんなに良いタイムが出そうな気はしない。今の私には大会自己ベストを出すのは限りなく難しいような気がする。
なので、密かに大会自己ベストは狙いつつも、現実的な目標は2時間を切れれば良いって感じだ。
ハーフマラソンで2時間というタイムは通常は大惨敗と言える。それを目標にするなんて、甘すぎるというか情けない気もする。
でも去年だって2時間を切れなかったし、今の現状を考えれば仕方ない。
〜 スタート 〜
スタートの時刻が近付いてきた。
相変わらず肌寒いが、すぐに雨が降りそうな感じではない。雨さえ降らなければ、少し肌寒いくらいの方が走るのには適している。
こうなると、ついつい、なんとなく「なんだか今日は行けそうな気がするぅ」なんて思って突っ走り、終盤に撃沈すると言うパターンが多い。
でも、今日はつい先日までの登山遠征の疲れが全身に残っている感じで、快調に飛び出せそうな気がしない。
なので、当初予定通り無理せず自然体で走っていこう。
「スタートまで、あと1分」というコールの後は、例年、「スタートまで、あと何秒」とかいうカウントダウンは無いので、待ち構えていたら、やはり今年もいきなりスタートのピストルが鳴った。
今日も左手には以前から使っているスポーツウォッチを着け、右手にはガーミンを着けている。
左手の時計は、いつものように距離表示に合わせてラップを記録していく。一方、右手のガーミンはGPSで自動的に1kmごとのラップを記録していく。
コースの距離表示も、ガーミンの計測も、どちらも正確なら、両者は一致するはずだけど、マラソン大会の距離表示っては実は非常にいい加減で、不正確だ。またガーミンのGPSも誤差はかなりある。
なので、最近はいつも両方を着けて走っている。
スタートのピストルが鳴ったからと言っていきなり走り始められる訳ではなく、しばらくしてようやく周りの集団が動き出す。しかも、スタート地点まではゆっくり歩かなければならない。
スタート地点まで歩くと、ようやく走り始めることができるが、最初は混雑しているので思ったようには走れず、しばらくはノロノロと走る。
ダラダラ進む前のランナーが鬱陶しいが、前のランナーの前にも、その前にも延々とランナーがダラダラ走っているから焦るのは禁物だ。
無理して追い抜いても意味は無い。最初はウォーミングアップと割り切って、ゆっくり走ればいい。
とは言え、あまりにもゆっくり進むので、前を走っているのらちゃんにぶつかりそうになる。「こら、あかんがな」って思い、コーナーを曲がる時にのらちゃんを追い越して前に出て、ちょっとペースを上げる。
その頃からだいぶ混雑が緩和されてきて、気持よく走れるようになってきた。
このコースはスタートした直後にいきなり大きな坂があるから、そんなにスピードは出ない。それでも、最初は元気なので、それほどペースを落とさなくても、なんとか走って駆け上がる。周囲のランナーも同じようなペースだ。
大きな坂のピークを過ぎると、今度は下り坂になるので、集団のペースも一気に上がる。もちろん、私もペースを上げた。つもりだった。
ところが、ガーミンでスピードを見てビックリ。かなりスピードが上がったと思ってたのに、ぜーんぜん大したスピードは出ていない。
1km地点のラップも去年は5分ちょっとだったのに、今年は大幅に遅い。やはり足が重い。疲れが残っているのだろう。
でも、ここで無理したら、終盤に撃沈するのは目に見えているので、ガッカリしながらも自然体で走っていく。
その後は草壁港の近くにある第1折り返し地点まで平坦な道が続く。
スタート前は肌寒いくらいだったが、走っていると体が温まってきた。でも、メッシュのシャツのおかげで全然暑くはなく、ちょうどいい具合だ。
サングラスも目が楽で良い感じだ。
まだまだ序盤だが、さっそく最初の給水所が現れた。このマラソン大会は給水所が多い。
以前は、どんなマラソン大会でも、前半の給水所は時間の節約のためパスする事が多かった。
でも最近は、足攣り防止のため最初から必ずこまめに水分補給することにしているので、まだレース序盤で喉は全然乾いてないが、水をもらって少しだけ口に含む。
ペースが落ちているのに、スタート直後に追い抜いたのらちゃんがいつまで経っても追いついてこないので、どうしたのかなあと思っていたら、スタートから3kmほど走った内海町の中心部でようやく追いついてきた。
去年も、スタート直後から一緒に走っていたのらちゃんがこの辺りで私を置き去りにして前の方に行ってしまったので、同じようなものか。
このマラソン大会は前半の距離表示が少なく、最初に距離表示があるのは5km地点だ。なので、そこまではガーミンに頼るしかない。
ガーミンで見た1kmごとのラップは、1km地点でもガッカリするようなスローペースだったが、その後もどんどん着実にペースダウンしていき、1km5分半から6分近くにまで落ちてきた。
第1折り返し点の前ですれ違うランナーを見ていると、まず長谷選手がとても速いペースで飛ばしていった。D木谷さんもかなり速い。
のらちゃんとはそれほど差は付いてなかったが、過去の経験からすれば、もう逆転する事はできないだろう。
第1折り返し点で折り返した後、しばらくすると最初の5km地点の距離表示がある。ガーミンとの距離の差は少なかったので、ここまでは精度の問題は無いようだ。
て事は、ここまでどんどんペースダウンしてきたのは間違ってはおらず、正しいようだ。
この1kmは6分近くにまで落ちているし、最初の5kmの平均は1km5分半をオーバーしている。
なんとか踏ん張って走り続けると、二十四の瞳の分教場がある岬へ向かう分岐点がある。
10kmの部はそのまま真っ直ぐに走って会場に帰るんだけど、ハーフマラソンは往路から別れて、岬の分教場へ行く道に入っていく。坂が多い海岸線のクネクネした道で、ここからが勝負だ。
前半のフラットな区間が終わったので、気分的には、ここまでで半分終わったような気になるんだけど、実はまだ8kmも走ってなくて、ここからの方が長い。
なので、「ええっ?まだ半分も来てないのか?」って精神的にしんどくなるんだけど、もう慣れっこになっているので平気だ。
少し行くと、2つ目の距離表示の8km地点がある。5km地点では距離表示とガーミンはピッタリ同じだったけど、ここではだいぶズレが生じていた。どちらが正確なのかは分からない。
ガーミンの表示でもペースは悪かったが、距離表示で見ても、この3kmは1km平均6分近くかかっている。
まだ半分も来てないのに、早くも1km6分だなんて、早々に大惨敗ペースだ。
8km地点の距離表示の後は1kmごとに表示があるので、ガーミンのラップは無視して、距離表示を頼りにペースを見ていく。ただ、瞬間のスピードはガーミンで見ることができるので、重要だ。
スピードを見ながら踏ん張って走っていくと、なんとかペースは持ちこたえ、1km6分をオーバーするまでは落ちなかった。
とは言え、この調子では去年を上回る大惨敗になるのは確実なので、諦める事無くできる限り頑張らなければならない。
12km地点は厳しい上り坂があり、例年、大きくペースダウンする区間だが、なんとかギリギリ6分で切り抜けた。
続く区間は少し長い下り坂なので、13km地点では5分近くにまでペースアップできた。
とは言え、調子が良い時なら5分を切れていたので、そんなに喜んではいられない。
相変わらず空気はひんやりしていて、呼吸もしやすく、走りやすいコンディションだ。
第2折り返し点が近づいてくると、かなり手前で長谷選手が折り返してきた。やはり、だいぶ速い。
しばらくするとD木谷さんもやってきた。彼もかなり速い。
ピッグも予想以上に早々にすれ違った。
さらにのらちゃんともすれ違った。給水所でもらった氷を口に含んでいて、声を出せずにフンガフンガ言ってたが、私より5分くらい速い。
去年はこの辺りで抜きつ抜かれつの大接戦だったが、今年はもう追いつくことは絶対に不可能だろう。
しばらく行くと、二十四の瞳の映画村の前にある第2折り返し点が見えてきた。折り返し点は愛のボラーロというムーミンがクタッとなったような奇妙な形のモニュメントの前だ。
第2折り返し点を折り返した後もしばらくはフラットな区間が続くんだけど、14km地点ではかなりペースダウンしていた。
しばらく走ると再び上り坂の区間に入るが、15km地点ではさらにペースダウンしていた。
ただ、ペースダウンのしかたは、それほど酷くはない。調子が良いときと悪い時の差は、この辺りからはっきりと現れてくるが、今日は微妙なところだ。
調子が悪い惨敗パターンのときは、この14〜15km地点辺りからみるみるうちに奈落のようにペースが落ちていくが、調子が良い快走パターンのときは、逆にペースを上げることができる。
今日は微妙で、決して良くはなってないが、それほど無茶苦茶悪くもなっていない。ちょっとだけ期待を捨てきれない微妙なペースだ。
本格的な坂が出てきた次の16km地点のタイムは大きくペースダウンしたが、去年はその後ズルズルと奈落の底に沈んでいったが、今日はその後は少し持ち直した。
周りを見ても、私を追い抜いているランナーも多いが、私が追い抜くランナーもいる。なので、それほど大撃沈はしていないようだ。
ここでサンダルを履いたランナーを追い抜いた。どうしても気になったので、追い抜きざまに声を掛けてみた。
(幹事長)「それって痛くないんですか?マメとかできませんか?」
(サンダル)「いえ、大丈夫ですよ」
(幹事長)「いつもそれを履いてるんですか?」
(サンダル)「そうですね。慣れましたよ」
感心しながら追い抜くと、私のすぐ後ろにいたランナーも同じように質問している。
(ランナー)「それってランニング専用のサンダルなんですか?」
(サンダル)「ええ、そうです」
そうか。ランニング専用のサンダルなんてものがあるのか。
それにしても、そんな物を履いていると、色んなランナーに質問されて忙しいだろう。それじゃあランニングに集中できなよな、なんて思っていたら、しばらくすると追いついてきて、追い抜いて行った。
さすがにサンダル履きランナーに負けたのでは恥ずかしいので、気合を入れて頑張って再び追い抜いた。
ところが、しばらくすると、またまた再び追い抜かれた。
なーんて事を数回繰り返し、抜きつ抜かれつのデッドヒートを続け、最後はゴール近くになってスパートをかけて引き離した。
彼のおかげで終盤の中だるみ状態を脱して、少しはペースアップできたような気がする。感謝です。
ようやく後半の半島の区間が終わると、メインの道路に戻る。すると、いよいよ最後の大きな坂が始まる。
この大きな坂ではペースが落ちるのは仕方ないが、それでも落ち方を最小限に食い止めたい。厳しい坂とは言っても、調子が良いときは5分半くらいで登れる坂だ。
でも、さすがに今年は調子が良くはないので、思うように足は動かない。それでも歩きたいとは思わないし、歩くようなペースにまでは落ちなかった。
なんとか坂を上り終えたら、もうあとは下るだけだ。全力で駆け下りる。足は思うようには動かないけど、去年ほど棒のようにもなっていない。
かなり長いラストスパートだが、なんとかモチベーションを維持して最後のコーナーを曲がったら、ゴールが見えてきた。
〜 ゴール 〜
なんとかゴールはしたものの、タイムは大会自己ベストどころか、今年も2時間を超過する大惨敗だった。
ただ、去年のタイムよりは少しだけマシだったから、最低限の目標はクリアした。
(ピッグ)「え?そんな目標ってありましたっけ?」
(幹事長)「今、作った」
少しとは言え去年よりはマシだったので、なんとか老化の底なし沼から這い出す事ができたのかなと密かに喜んでいたが、去年、最後までデッドヒートを繰り広げたのらちゃんは、去年よりなんと10分も速かった。
それに比べたら、ぜーんぜん喜べる状況ではない。
のらちゃんは去年は女子年代別部門で9位だったが、今年は女子年代別部門で6位だった。素晴らしいなあ。
他のメンバーも、長谷選手もD木谷さんもピッグも、みんな好タイムでゴールしていた。なので、単に今日は走りやすいコンディションだっただけだ。
むしろ、他のメンバーが去年より大幅にタイムが良かったの対し、私は少ししか良くなってないのを考えると、相変わらず体たらくは続いているようだ。
以前はゴールした後はソーメンのお接待があった。走り終えてバテバテになった状態で頂くソーメンはとても美味しく、何杯も食べていた。
ところが、去年からソーメンは無くなった。なぜだろう?なぜかしら?今だにコロナ感染とかを気にしているのだろうか?それとも経費の問題なんだろうか?
仕方なくお弁当をもらうが、走り終えてバテバテになった状態ではお弁当は喉を通らないので、とりあえず食べるのは後にする。
レース終盤から気温はますます低下し、指先がかじかんだりしたが、ゴールして記録証をもらったりウロウロしていると、遂に雨が降り出してきた。
そんなに強い雨ではないが、雨の中にはいたくないので港に移動する。
なんとかレース中は雨から逃げ切れたが、天気予報は当たった。
〜 帰りの船 〜
帰りの奴隷船は出港時間が2時なので、まだまだ時間はあるが、朝と同じで、早く行かなければ座る場所を確保できない。
いち早くゴールした長谷選手やD木谷さんらが屋根のある列の先頭に並んでくれていたので助かった。
しかも、今年は去年より早めに乗船する事ができたので、朝と同じ場所をみんなで陣取り、落ち着いてからゆっくりお弁当を食べた。
今日は去年よりは少しだけマシだったとは言え、大惨敗タイムだった。
去年より少しだけマシだったのは、炎天下だった去年と異なり、涼しくて走りやすいコンディションだったからだろう。なので、コロナ騒ぎが明けてから続く体たらく状態からは抜け出せていない。
体たらくの根本原因は練習不足と蓄積疲労だろう。
なぜ練習不足なのに疲労が溜まっているのかと言うと、ウルトラマラソンの疲労やサイクリングの疲労や登山の疲労が解消されていないのだろう。
歳とってくると疲労はなかなか抜けなくなるのだ。
(のら)「えっと、私もウルトラマラソンやサイクリングや登山に一緒に行ってるよ」
(幹事長)「ええっと、何の事かなあ」
のらちゃんの凄まじい体力にはとうていかなわない。
それに、スピード不足にはスピード練習が必要だろう。ついつい距離だけ走って自己満足してしまうが、インターバル走なんかが絶対に必要なんだろう。
(幹事長)「でも、しんどいから怠けちゃうのよねえ」
次は早くも1週間後に秋吉台カルストトレイルランがあり、さらにその翌々週には北山林道駆け足大会がある。
超過密スケジュールはまだまだ続いていくのだ。
〜おしまい〜
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