第37回 那覇マラソン

〜 リベンジには程遠い大惨敗 〜


2023年12月3日(日)沖縄の那覇市第37回那覇マラソンが開催された。
最後に参加したのが2019年だから4年ぶりの出走だ。

(ピッグ)「コロナ騒ぎで中止になってたからですか?」
(幹事長)「実は違うのよね」


もちろん、全国の他のマラソン大会と同様、
2020年の那覇マラソン新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった
このようなマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

だがしかし、我々が2020年に参加しなかったのはコロナのバカ騒ぎで大会が中止になったからではない。最後に参加した
2019年大会が終わった時点で、我々は那覇マラソンを卒業したのだ。
なぜなら、どうあがいても那覇マラソンでは良いタイムが出ない事が分かったからだ。毎年毎年、
理解不能の大惨敗が続いていたのだ。
同じように大惨敗が続いている脱藩マラソンのフルマラソンは、強烈な激坂のコースが大惨敗の原因だとはっきりしているから、まだ対策を考える余地がある。
ところが、
那覇マラソンは何が大惨敗の原因なのか全く分からない。何をやっても駄目なのだ。

(幹事長)「という事で、那覇マラソンは卒業しようと思います!」
(支部長)「私も躊躇なく那覇マラソンは卒業します!」

(ヤイ)「私は最初から卒業予定でしたよ」

と言う事で、我々は揃って高らかに卒業宣言をしたのだった。
そして
翌2020年は同じ時期に開催されるホノルルマラソンに初挑戦する予定だった。

それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は
新型コロナウイルス騒ぎのせいでホノルルマラソンも中止になってしまった

(幹事長)「このようなマラソン大会の中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ!」
(ピッグ)「もう良いですってば」


その後、コロナのバカ騒ぎも収まり、ホノルルマラソンも那覇マラソンも
2022年には復活する事になった。
ただ、
本当に開催されるかどうか曖昧だったため、我々はどちらも参加手続きを見送った。

そうこうしているうちに、那覇マラソンに参加した事が無い
D木谷さんのらちゃんが「一度は那覇マラソンに出てみたい」って言い出した。
私や
支部長が、那覇マラソンの不思議な魅力についてしきりに吹聴していたからだ。
そのため、まず
今年2023年は那覇マラソンに参加し、来年2024年はホノルルマラソンに参加するっていう事にした。

今年の那覇マラソンに参加するのは、4年ぶりの参加となる
幹事長、支部長、加藤選手のほか、初参加のD木谷さん、のらちゃん、O野選手の合わせて6人だ。


〜 ワクワクする南の島の厳しいマラソン大会 〜


那覇マラソンって聞くと、南の島のパラダイスでのマラソン大会のような印象があるが、私たちにとっては脱藩マラソンと並ぶ最大の難敵だ。

(D木谷)「えっ!そうなんですか?」

これまで、フルマラソンでは数々の惨敗を喫してきた私と言えども、5時間をオーバーするような
大惨敗を続けているのは脱藩マラソンと那覇マラソンだけだ。
自慢じゃないが、
脱藩マラソンのフルマラソンは2016年から2019年まで4年連続で5時間をオーバーしたので、高らかに卒業宣言した。

(ピッグ)「本当に自慢じゃないですよね」

そして、これまた自慢じゃないが、
那覇マラソンも2017年から2019年まで3年連続で5時間をオーバーしたので、高らかに卒業宣言したのだ。

(ピッグ)「これまた本当に自慢じゃないですよね」

上にも書いたように、
脱藩マラソンは累積の標高差が900mもある超厳しい山岳マラソンなので、自分でも仕方ないような納得感がある。
しかしながら、那覇マラソンは途中で大きな丘陵地を越えていくとは言え、
累積の標高差は300mも無く瀬戸内海タートルマラソン奈良マラソンよりも楽なコースだ。
なので、
大惨敗が続いている理由が分からないのだ。

那覇マラソンは多くのマラソンランナーにとって憧れの大会だ
マラソン大会そのものとしては東京マラソン大阪マラソンも魅力的だが、行き飽きた東京や大阪の街と違って、そもそも沖縄へ行くって事だけでもワクワクする
沖縄へは那覇マラソンの他、家族旅行で行ったこともあるし、仕事でも数回行ったことがある。それでも、沖縄は何度行っても楽しい
何が楽しいのか」と言っても、実は「特にこれが」ってものは無い。ただ南の島が好きな私としては、沖縄の空気が好きなのだ。海の雰囲気だけでなく街の雰囲気も大好きだ。
だから、沖縄のマラソン大会だなんて、聞いただけでもワクワクする。ウキウキする。ゾクゾクする。

ただ、実際に行くとなると、なかなか重い腰が上がらないやはり遠いからだ
東京や大阪の人にとっても、那覇マラソンは東京マラソンや大阪マラソンと違って、長時間、飛行機に乗って、しかも前日から出掛けなければならないから、かなりハードルが高い。
その点、四国の人間にとっては、所詮、東京マラソンだって飛行機で行かなければならないし、前日に行かなければならないから、大差は無いように思える
とは言え、出張とかでもしょっちゅう出掛ける東京と違って、沖縄はやっぱり馴染み度が薄いから、なんとなく精神的にハードルが高い

だが、2016年に遂に重い腰を上げてエントリーした。その理由は、前年の2015年に初参加した奈良マラソンがとても楽しかったので、再びエントリーしようとしたのに失敗したからだ。
そのとき「Naraマラソンの1週間前にNahaマラソンがある」っていうダジャレのような小松原選手の言葉を思い出して代わりに那覇マラソンにエントリーしたって訳だ。
遠いリゾートアイランド沖縄に一人で行くのは寂しいので、支部長、ピッグ、ヤイさんも誘って4人でエントリーした。

ところが、リゾートアイランド沖縄での初マラソンにワクワク胸を躍らせていた大会3日前の夜交通事故で車にはねられて肋骨を骨折して全治6週間の大怪我を負ってしまった。
せっかく準備していたので、とりあえず他のメンバーと一緒に沖縄まで行き、あわよくば参加しようと思って会場まで行った。しかし、骨折した箇所があまりにも痛くて歩くのも辛かったので
出場を断念した。
そして、ホテルに戻ってベッドの中で痛みに悶え苦しんでいた私に、
参加メンバーの悲報が続々と届いた

その日の那覇は12月の気温としては102年ぶりに記録を更新する観測史上最高気温で、おまけに風が無く、マラソンとしては非常に厳しいコンディションだった。
そのため、完走率は1999年の第15回大会に次ぐ低さの53.2%だった。26573人出走して、なんと12430人もがリタイアしたのだ。
特に
女性は6508人出走して、完走したのは僅か2690人で、完走率は41.3%という低さだ。超過酷なトレランやウルトラマラソンでも、こんなに低い完走率は見た事ない。
このような厳しいコンディションの中、ピッグは5時間半という自分史上最悪のタイムでゴールし、支部長に至っては途中で力尽きてリタイアした。
さらに、ヤイさんは痛めていた肉離れが悪化して早々に走れなくなった。ただ、鉄人
ヤイさんはそのまま根性で歩き続け、制限時間の6時間はオーバーしつつも、最後まで歩いてゴールした。
ちなみに、前年の2015年大会では3時間半でゴールした高速ランナーの
小松原選手も、この年は4時間半もかかっている。

楽しみにしていたのに初出場できなかった私はもちろん、途中から走れなくなった
ヤイさんも「悔しいので、来年は完走しよう」て事で、翌年も2年連続での沖縄遠征に意欲を見せた。
もちろん途中リタイアの
支部長もリベンジに燃え、ピッグにも有無を言わさず、翌年に同じ4人で再び挑戦することになった。

てことで、私としては
2017年が待ちに待った初出場だったそして、その結果は大惨敗だった
2017年は2016年のような猛暑ではなく、それほど悪いコンディションではなかった完走率69.7%まで上昇している。これは那覇マラソンとしては、とても高い完走率だ。
それにもかかわらず私のタイムは5時間半近くかかってしまった。超過激な山岳マラソンの龍馬脱藩マラソンを除いては、空前絶後とも言える大惨敗だった
トンでもない大惨敗ではあったが、出走者の中での私の順位は上位1/3くらいだったから、そんなに悪いことはない。みんなも遅かったのだ。

前年はリタイアした支部長も私と一緒に完走だけは果たしたが、タイムは制限時間ギリギリの大惨敗タイムだった。ちなみに、支部長が那覇マラソンを完走したのは、今のところ、これが最初で最後だ。
さらにヤイさんは足が動かなくなり、中間地点でリタイアした。
ピッグだけは割りとマシなタイムでゴールしたので「那覇マラソンは卒業します」と言いながら去っていったが、残りの3人は、なんとしても再びリベンジしなければならない状況に追い込まれた。

て事で、2018年に3人で再び挑戦することになった。そして、また大惨敗してしまった。なぜ再び大惨敗したのかは、どうも分からない。
2016年ほどではなかったが、2018年も
かなりの暑さだったため、そのせいかもしれない。完走率は60.1%しかなかったから、私だけでなく、みんな苦戦したのは確かだ。
トンでもない大惨敗にもかかわらず、出走者の中での私の順位は上位1/4に入っていたから、そんなに悪いことはない。実はこれは過去40回ほど出たフルマラソンの中で、私にとって史上最も上位の順位だ。

ただ、個人的な体感としては、それほど暑さで苦しかった印象は無い。ぎらつく太陽の下を走る7月の汗見川マラソンのような炎天下のレースでは決してなかった。
それなのに、私も大惨敗したし、支部長中間地点でリタイアし、ヤイさん15km過ぎでリタイアした。
ヤイさんは足の具合が悪くて、まともに走れなかったそうなので仕方ないけど、支部長は熱中症になったのかもしれない。
いずれにしても、あまりに情けない大惨敗が続いたので、再びリベンジしようと決意した。

て事で、2019年に性懲りも無く3人で再び挑戦することになった。さらにこの年は加藤選手も初参加した。そして、またまた大惨敗してしまった。もう呆れるしかない大惨敗の連続だ。
2018年ほどではなかったが、2019年もかなりの暑さだったのは確かだ。それでも完走率は64.2%に上がったから、それほど極端に暑かった訳ではない。
それなのに私のタイムは
5時間40分近くの驚異的な大惨敗だった。さすがにこれよりタイムが悪かったのは、2016年、2017年、2018年の脱藩マラソン3連発だけだ。
トンでもない大惨敗ではあったが、出走者の中での私の順位は上位40%くらいだったから、死ぬほど悪かった訳ではない。みんなも遅かったのだ。

もちろん、他のメンバーも死屍累々で、
支部長34km地点でリタイアしたし、ヤイさん13km地点で強制排除されたし、加藤選手17km地点で強制排除された。
ちなみに、那覇マラソンには途中に
2箇所の関門があるが、実はそれ以外にも5箇所の競技中止勧告ってのがある。「勧告」って名称になっているが、実際には強制排除されてしまうのだ。

(のら)「怖いなあ。関門と何が違うの?」
(幹事長)「関門は時刻がきっちり決まってるけど、競技中止勧告は現場の判断で適当に強制排除されるんよ」


時間が適当なので、むしろ
関門より怖いとも言えよう。

いずれにしても、那覇マラソンでは良いタイムが出ない事が分かった。それで、一度は
高らかに卒業宣言をした
それなのに、上記のようないきさつで、今回、
再び性懲りも無く那覇マラソンに出場する事になったのだ。

(幹事長)「卒業宣言を撤回して再出場するからには、なんとしてもリベンジしたいなあ」
(支部長)「私も2回目の完走を果たしたいな」


〜 エントリー 〜


那覇マラソンは長らく先着順ではなく抽選だったため、みんなで行くには全員が抽選に当選しなければならなかった
東京マラソンや大阪マラソンなんて、自分1人が当選するのだって難しいので、メンバーが揃って当選するなんて可能性はゼロだ。ところが、意外にも那覇マラソンの競争率は低く、例年1.3〜1.4倍程度だった。
世紀末的なマラソンブームが続いていると言うのに、憧れの那覇マラソンの競争倍率は意外に低いのだ。
東京マラソンや大阪マラソンなんかは、大都市に住んでいる初心者の人達が大挙して申し込むため競争率が跳ね上がるが、遠方の沖縄にまで出掛けようっていう人は少ない。発狂的なマラソンブームとは言っても、所詮は上っ面のブームであって、大半の人は遠方まで出かけるほど熱心ではないってことだ
それに、那覇マラソンの定員は30000人もあり、東京マラソンや大阪マラソンと並んで日本のマラソンでは最大規模だってことも、競争率が低くなっている一因だろう。

ただ、いくら競争率が低くても、うまいこと全員が当選するかどうかとなると不安がある。1人くらい落ちこぼれる人が出てくる可能性はある。
でも、那覇マラソンはグループエントリーが可能なシステムになっていて、同じグループでエントリーした仲間達は運命共同体で、当選するときは全員当選だし落選の場合は全員落選だ。
これなら、一人だけ落選して寂しい思いをする人は発生しない。

て事で、2016年、2017年支部長がまとめて申し込んだところ、無事に全員揃って当選した。
それで2018年支部長がエントリーしたら、なんと落選してしまった。
抽選とはいえ、競争率が低いので、絶対に当選するものとばかり思っていたから、すっかり当選を前提にスケジュールを組み、宿泊場所の予約など準備していたので、大パニックになった。
ところが、その後、9月上旬になって追加募集が始まった。当選者を発表したものの辞退者が多かったからだ。もう35回も開催してるんだから、歩留まり率は予想できたと思うんだけど、予想以上に辞退者が多かったのだろうか。
そもそも、沖縄の基幹産業である観光振興を考えれば、域外からお金を落としにやって来る県外客は最初から優先的に全員当選させるべきだと思う。
追加募集は先着順だったので、何はともあれ急いでエントリーし、3人ともエントリーに成功した。

このような過去の混乱に懲りたのか、2019年は抽選制を止めて先着順となった。
そもそも東京マラソンや大阪マラソンのように周辺の住民が殺到する大都市マラソンと違って、所詮は競争率が1倍ちょっとなんだから、抽選制にする必要は無いのだ。
希望者は全員当選にしてもいいくらいだ。抽選なんて、事務局の手間はかかるし、歩留まりを読み違えると追加募集しなければならなくなる。
先着順にはなったが、グループエントリーはできたため、私が受付開始と同時に素早くパソコンのキーを叩き、4人分のエントリーに成功した

そして、今回も同じように先着順で、グループエントリーも可能だったため、支部長幹事長D木谷さんのらちゃんの分もまとめてエントリーした。また加藤選手O野選手は自分でエントリーに成功した。


〜 宿泊場所の確保 〜


那覇マラソンでエントリー以上に苦労するのは宿泊場所の確保だ。

どんな場合でも、遠方へのマラソン遠征の際の宿泊場所確保は極めて重大な問題になる。
東京マラソンや大阪マラソンなどの過去の事例からも分かるが、大規模なマラソン大会が開催されると宿泊場所の確保は困難を極める
エントリーの当選が決まってから探していたのでは、我々には手が出ない高級ホテルか、極端な安宿しか残っていない

一番記憶に残るのが2013年の大阪マラソンだ。
予約しようと思ってネットで探すと、山ほどホテルが空いている。さすがは大都市だと思ったら、妙に安い。カプセルホテルでも普通なら3000円はするのに、1000円程度からの宿が大量にある。
一体こりゃ何じゃと思って場所と条件を確認していくと、極端に安いホテルは西成区に集中していた。つまり釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街のホテルなのだ。
ドヤ街で労務者が住んでいた簡易宿所(通称ドヤ)が時代の流れでビジネスホテルっぽく模様替えしているだけなのだ。いくら模様替えしたとは言っても、元々3畳トイレ無しといった狭い部屋だし、エリアとしては極端に怖いイメージだ。
しかし、釜ヶ崎のドヤ街以外のホテルを探そうとすると、何万円もする高額なホテルしか残っていなかったため、仕方なくドヤ街に泊まり、夜の釜ヶ崎を探検するという貴重な体験をした
その辺りのドヤ街の相場は1泊1000円程度だったが、私が泊まったところは1泊2400円もしたから、地域では高級な部類だろうが、もちろんそれなりのものだった。
この夜の体験は非常に面白く、ああいう機会でも無ければ、絶対に一生、泊まることがないような場所なので、結果的に非常に得難い経験だった。

こういう経験から、初めて那覇マラソンに参加しようとした2016年宿の確保に早めに動いた
早めと言うのは、バカ正直に当選が決まってから動くのではなく、当選するかどうか分からないうちから押さえておくのだ。そうでないと、手が届かない高級ホテルしか残っていないからだ。
て事で、当選発表の2ヵ月も前に手配を開始した。ところが、それでも甘かった。その時点で既に手頃なホテルは全滅だった。

沖縄なんて全国有数のリゾート観光地だからホテルはいっぱいある。なーんて思うのは素人で、いくら沖縄でも那覇マラソンのような大規模イベントが開催されたら宿泊場所の確保は困難を極める
大阪マラソンの場合と同じで、我々のような貧乏人には手が出ない高級ホテルか、極端な安宿しか残っていない。他の参加者達は、それより早く、はるか以前から手配に動いていたようだ。
過去の経験から言えば、こういう場合には、ためらう事なく安いホテルを選択するのがよろしい。どんなに安いホテルでも、日本は治安が良いので危険を感じる事はない
それにマラソン大会はどこも朝が早く、ゆっくりくつろぐ時間も無い。単に夜、寝るだけだ

沖縄の安いホテルは、ドヤ街の労務者を相手にする大阪の釜ヶ崎とは事情が異なる。メインの客は海外からのバックパッカーなんかであり、ホテルと言うよりユースホステルみたいな感じだ
普通は大部屋に雑魚寝で転がされるイメージだが、散々探した結果、4人で1部屋に泊まれる宿を確保した。リトルアジア・ゲストハウスという宿だ。
大部屋の雑魚寝なら1人1泊1200円からあるが、さすがに4人部屋の個室なので1人1泊2000円する。それでも、格安なのは間違いない。
実際に泊まってみると、窓の無い狭い部屋に4人が転がされる息苦しい牢獄のような環境だったが、夜寝るだけなので、それほど問題は無かった。
てことで、2016年に続き、2017年、2018年、2019年と4年連続で同じリトルアジア・ゲストハウスを確保した。すっかり定宿になってしまった。お値段もずっと1人1泊2000円だった。

しかーし!今年は違う宿を確保してみた
Rakuten STAY 那覇やちむん通りという宿で、我々と一緒に転がされるのを拒んだ加藤選手を除き、5人が1部屋に転がされる

(支部長)「え!?リトルアジアではないんかいな?寂しいなあ」

支部長は窓の無い息苦しい牢獄のような部屋に愛着を感じているようで、私が新しい宿を開拓した事について懐疑的な目を向ける。

(幹事長)「酔っぱらったおばちゃんが廊下にオシッコを垂れ流すリトルアジアの方が良いと言うのか?」
(支部長)「なんか居心地が良いやんか」


たしかに慣れればリトルアジアも良いけど、今回はのらちゃんも参加するので、オシッコ臭い宿はちょっと憚られる。

(D木谷)「お値段はどうなんですか?」
(幹事長)「似たようなものです」


お値段は5人3泊で合計約35000円だから、1人分は3泊で約7000円だ。

(D木谷)「え?3泊分で?」
(幹事長)「1泊分だと1人約2300円です」
(のら)「安っ!大丈夫なの?」


もちろん大丈夫だ。なぜなら1人1泊2000円のリトルアジアより高いからだ。

(幹事長)「リトルアジアより高級ホテルと言えよう」
(支部長)「ほんまかいなっ!」


どういうホテルなのかは行ってみてのお楽しみだ。ワクワク。
どんなにひどくてもリトルアジアより悪いって事はないだろう。リトルアジアは大阪の釜ヶ崎と並ぶ日本の最低基準なので、それよりマシなら万々歳だ。

(幹事長)「もしかしたら、これでリトルアジアの呪縛から逃れて好タイムが出るかもしれないぞ」
(支部長)「大惨敗続きはリトルアジアのせいやったんかいなっ!」


少なくともリトルアジアの淀んだ空気がタイムに良い影響を及ぼしているとは思えないから、今年は大惨敗からリベンジできるかもしれない

なお、前回に引き続き、加藤選手は今回も貧乏人同盟の我々を横目に別の宿に泊ると言う。

(幹事長)「また今回も超高級ホテルに泊まるんかいな」
(支部長)「私もそっちに潜り込もうかなあ」
(加藤)「ちゃいますがな」


宿は3泊分を予約している
那覇マラソンに出るだけなら大会前日の土曜日に那覇に入り、大会翌日の月曜日に帰ってくれば良いので、2016年は2泊3日コースで行った。
しかし2017年は「せっかく沖縄まで行って2泊3日で帰ってくるのはもったいない」という支部長の言葉に賛同し、もう1泊して観光することになった
1泊延長したところで宿泊費は1人2000円しか余分にかからないので、時間さえ問題無ければ延長した方が良いに決まってる。我々の限界費用は安いのだ。
て事で、延長した翌日はロードバイクを借りて残波岬なんかへサイクリングした
同じく2018年は、翌日にレンタカーを借りて首里城や美ら海水族館を観光した
そして2019年は、翌日に離島へ行こうという事で港に行ったんだけど、海が荒れてるとの事で船が出ず、仕方ないので那覇周辺をダラダラ観光した。

今年は前回のリベンジと言う事で、翌日に離島に行く予定で、3泊4日コースで出発した。

(幹事長)「今年はタイムもリベンジしたいし、離島観光もリベンジしたいぞ」
(支部長)「ダブルリベンジかあ。どっちも失敗しそうやなあ」


〜 飛行機の確保 〜


宿泊場所と並んで苦労するのが飛行機の手配だ。高松から那覇へは1日1往復しか飛行機が飛んでないから、なかなか席が取れない
金に糸目をつけずに正規料金を払うのであれば、もっと簡単に取れるのかもしれないが、我々貧乏人同盟には負担が大きい。でも、3ヵ月前から売り出される安いチケットを取ろうとすると非常に苦労する。
東京マラソンや大阪マラソンは同じ3万人規模と言っても、大半が東京や大阪の地元の人だけど、那覇マラソンは全国から満遍なく集まってくるから、人口比からすれば香川県から100〜200人くらい出場してもおかしくはない。
なので、飛行機もあっという間に完売するのかも知れない。あるいは、週末はいつでも旅行会社が事前に押さえてしまっていて、慢性的に取りにくいのかもしれない。

いずれにしても、初めて参加した2016年は、4人分の高松発のチケットを確保することができず、途方に暮れた
が、ここで、ふと関西方面からの発着を見てみると、あるわ、あるわ、なんぼでもあるわ。関西には伊丹空港、関西空港、神戸空港と3つの空港があるため、那覇空港との便数が多いのだ。
結局、発着の時間を考慮した結果、行きは関空発、帰りは神戸空港着の便を利用することにした。行きと帰りの空港が異なると車の置き場に困るが、行きは神戸空港に車を停めて、神戸空港から関西空港まで船で移動し、帰りは神戸空港に降り立つという裏技を駆使した。
お値段は行きも帰りも8000円台で、往復で17000円ほどと、とてもお安くなった。高松発着便なら一番安いチケットでも片道15000円はしたので、半額程度だ。もちろん、高松空港と違って関空や神戸空港との移動にかなりの時間とお金はかかるが、それでも許容範囲だ。

て事で、2017年は最初から関西方面からの発着便を探したら、手配が早かったため、伊丹空港の発着便が取れた。
料金は2016年と同じく、往復で17000円台ほどだったから、高速道路料金やガソリン代や駐車料金まで含めても、高松発着の一番安いチケットより安いくらいだった。

それが便利だったので、2018年も同じように伊丹空港の発着便を取った。
料金は少しだけ上がって、往復で18000円近かったが、高速道路料金やガソリン代や駐車料金まで含めても、高松発着の一番安いチケットより少し安いくらいだった。

そして2019年も関西方面からの飛行機を取ろうと思ったのだが、念のために高松発着便もチェックしたら、なぜか一番安いチケットの空席があった。
料金は往復で25000円くらいだったので関西発着便より8千円くらい高いが、高速道路料金やガソリン代や駐車料金を含めれば、大阪発着便より3000円くらい高いだけだ。
て事で、初めて高松発着便で攻めた。値段は少し高いものの、家を出るのは大阪発より遅くて済むし、帰りも那覇発の時間が大阪着より遅いからゆっくりできて楽だった。

てな事で、今回高松発着便と関西発着便の両にらみで検討した。
そしたら、関西発着便往復25000円近くにまで値上がりしていた。コロナのバカ騒ぎの間に随分高騰していたのだ。これじゃあ以前の高松発着便と同じような価格だ。
ところが、高松発着便も高騰しており、往復35000円近くにまで値上がりしていた。これなら関西発着便との価格差は同じで、高速道路料金やガソリン代や駐車料金を含めれば、価格差は1人当たり8000円くらいだ。
かなり悩んだが、関西3空港のうち最も近くて便利な神戸空港発着便の発着時刻が都合良かったので、みんなで神戸まで行くのも楽しいだろうと言う事で、今年は神戸空港発着便で攻める事にした。

いずれにしても、那覇マラソンは、飛行機代はかかるが宿泊料金が格安なので、全部合わせてもコストは東京マラソンなんかに比べたら高くない
もちろん、トータルとしてはかなり高い買い物ではあるが、沖縄までわざわざ行くという印象に比べれば、思った以上に安くあがっている。

しかも、あらゆるマラソン大会の参加費がコロナのバカ騒ぎに乗じてトンでもない高額に値上がりしている中で、那覇マラソンの参加費は7800円に抑えられている

(D木谷)「え?9800円ですよ」
(幹事長)「ふぉっふぉっふぉっ。私らは高齢者割引が適用されるのじゃよ」


若輩者の参加費は9800円だが、幹事長、支部長、のらちゃんの自由人トリオは高齢者割引が適用されるのだ。

(D木谷)「そんなもんがあるんですかーっ!」
(幹事長)「日本は高齢者天国じゃからのう、ふぉっふぉっふぉっ」


参加費に高齢者割引があるマラソン大会なんて他に聞いた事が無い。本当に素晴らしいマラソン大会だ。

とは言え、若輩者の参加費も2018年までの6500円、2019年の8000円、今回の9800円と値上げが続いているものの、他のマラソン大会に比べたら、とても安い。
20000円近く取られる東京マラソンや大阪マラソンだけでなく、1ヵ月前の下関海響マラソンでも13000円も取られたくらいだ。
なので那覇マラソンは良心的なマラソン大会だと言えよう。


〜 沖縄へゴー! 〜


神戸空港へは支部長が車を出してくれた
のらちゃん、D木谷さん、O野選手を乗せて、うちには9時に来てもらい、高速道路を飛ばして神戸空港に向かう。加藤選手は松山空港から出るので別行動だ。
飛行機の出発時間は13時55分で、神戸空港まで2時間ちょっとで着くだろうから、もっと遅くても良いんだけど、渋滞とかあったら困るので、かなり早めに出発したものだ。

事前の天気予報では、沖縄地方の天気はイマイチって感じだった。ただ、翌日は雨模様との事だが、那覇マラソン当日は曇りって予想だった。

(幹事長)「沖縄だから青空の方が嬉しいんだけどなあ」
(支部長)「いやいや、雨が降ってくれた方が良いって」

過去、何度も暑さにやられて途中リタイアを余儀なくされた支部長は、晴れるより雨が降って走りやすくなるのを望んでいる
支部長が過去4回出場したうちで唯一完走した2017年は終盤になって雨が降った。なので、あの時の再来を期待しているのだ。

(幹事長)「でも、せっかく青い海を見に沖縄へ行くんだから、雨だと嫌じゃない?」
(支部長)「マラソンコースから海は見えないやんか!!」


そうなのだ。沖縄の魅力と言えば、何と言っても青い海なのに、なんと那覇マラソンでは青い海が見られないのだ。

(D木谷)「え!?そうなんですか?」
(のら)「そんなバナナ!」
(幹事長)「恐るべき詐欺やろ?」


那覇マラソンのコースって、てっきり沖縄本島南部の海岸線の道を青い海を見ながら走るのかと思いがちだが、実は海がほとんど見えないコースを走るのだ。
イメージと全然違う。なので、少なくともマラソン当日は晴れても何の意味も無い。
て言うか、晴れたら暑いだけで、何も良いことはない。曇りか小雨ぐらいが望ましい。

(のら)「やだよ、やだよう。しくしくしく」
(幹事長)「どっちがやなの?海が見えない事?それとも雨?」
(のら)「どっちもやだよう、しくしくしく」


過去の戦績を考えると、晴れたら間違いなく全員揃って討ち死にするだろうから、タイムを考えると曇りなのは好ましい。気温も、それほど高くはなさそうだ。これならリベンジできるかも。

高速道路は渋滞も無く順調に進み、11時過ぎにはポートアイランドに着いた。
神戸空港は航空便が少ない小ぶりな空港なので、飲食店はあまり充実していない。なのでポートアイランドで昼食を食べた。ところが、普通の食堂なんだけど、妙に量が多くてお腹がパンパンになってしまった。

昼食を終えて神戸空港に着き、予定通り13時55分に飛行機が神戸空港を出発し、順調に飛んでいく。
ところが、お腹の具合が悪くなってきた。昼食が多すぎたようだ。マラソンの最中にお腹を壊すのを恐れるあまり、当日の朝食には非常に神経質になっている私だが、前日の昼食まではそこまで注意深くなかった。不覚だ。
かなり危機的な状況になった頃に着陸態勢に入ってしまい、トイレに行く事ができなくなってしまった。なんとか我慢して、飛行機が着陸して空港ターミナルに着いたらすぐさまトイレに駆け込み、危機一髪で事なきを得た。


〜 沖縄到着 〜


飛行機は予定通り16時15分に那覇空港に着いた
天気予報どおり、空はどんより曇っていた。それでも、私が好きな南の島特有のもやっとした空気があり、緩い雰囲気がとっても気持ち良い。

那覇マラソンの大会会場は空港からモノレールで3つめの駅にある奥武山総合運動場で、前日の受付もここでやっている
モノレールのチケットは48時間フリー切符を買った。明日までだけなら24時間切符でも良いんだけど、明後日がどうなるか分からないから、とりあえず長めのものを買った。
奥武山総合運動場へは、以前はモノレールの奥武山公園駅を降りて行っていたが、公園内で道に迷ってしまうので、最近はモノレールの壺川駅で降りて行くようにしている。

壺川駅からは大勢の参加者が会場に向かって歩いている。早くもワクワクしてくる。
ただ、3万人規模のマラソン大会と言えば東京マラソンなんかと並んで全国一の規模なので、前日の受付会場も東京マラソンのような華やかな雰囲気を期待するが、実はそんな事はなく、なんとなく寂しい雰囲気だ。
企業の宣伝ブースなんかも少なくて、なんとなく少し寂れたような雰囲気だ。やはり東京と地方の立地条件の差のようだ。
スポーツ用品の屋台なんかも以前と似たようなもので、大したものは売ってない。

受付を済ませたら、宿へ向かう。宿は国際通りの近くにあるので、モノレールをさらに5駅乗って牧志駅で降りる。
今回泊まるRakuten STAY 那覇やちむん通りは、よく目立つ巨大高級ホテルのハイアットリージェンシーのすぐ裏にあるリトルアジアから、さらに南に200mほど行った所にある。4年連続で泊ったリトルアジアの近くなので、道は分かっており、迷わずに着いた。
まずはマンションのように入口で暗証番号を入力すると自動ドアが開く。チェックインカウンターでもタブレットになんじゃかんじゃ入力すると受け付けられ、部屋番号や暗証番号が示される。
そして部屋に行くと、入口で暗証番号を入れるとドアのロックが解除される。
ここまでホテルのスタッフの姿は全く見かけなかった。完全に無人なのだ。たぶん、そのせいで人件費が抑えられ価格が安いのだろう。

部屋に入ると、期待した通り新しくてきれいな部屋だった。ベランダもある。窓が無くて古くて狭くてカビ臭くて薄汚かったリトルアジアとは天国と地獄の違いだ。
5つあるベッドはどれもセミダブルの大き目のもので、とても快適だ。固い床に転がされるリトルアジアとは天国と地獄の違いだ。
壁には大きなテレビがあり、さらに巨大なプロジェクターまである。小さなテレビすら撤去されて無くなってしまったリトルアジアとは天国と地獄の違いだ。
風呂場は広くてバスタブも付いているし、トイレとは別になっているし、洗面所もあるし、冷蔵庫やレンジや食器が付いているキッチンまである。狭いシャワー室やトイレや流しが共用だったリトルアジアとは天国と地獄の違いだ。
これで値段は一人当たり1泊につき2300円だ。リトルアジアの2000円と大した違いは無い。

(幹事長)「皆の衆よ、こんな素晴らしい宿を見つけ出した私に感謝したまえ!」
(支部長)「ははー、ありがとうございまする」
(のら)「なんだか信じられない安さやね」

昼食でお腹を壊したので、まだあんまり食欲は無いが、明日の朝が早いので、早々に夕食に繰り出した。ホテルから徒歩1分くらいのじょうとう食堂ってところへ行き、消化の良さそうなフーチャンプルを食べた。
以前は大会前日でもヤイさんとお酒を飲んでいたが、今年は絶対にリベンジしなければならないから、レース前夜は禁酒だ。
帰りにコンビニで明日の朝食を買って宿に戻る。

部屋に入ってもまだ時間は早かったが、明日のマラソンに備えてみんな早々に寝床に入った
支部長は眠りにつくのがとても早い。そして、真夜中に奇声を発する。初めて聞いた人は殺人事件でも起きたのかと思うような叫び声だ。意味は良く分からないが、日本語の文章を叫んだりもする。
それに備えて私はウォークマンで防御しているが、他のメンバーは気にせずにあっさりと眠りに入った。私だけが神経質なようだ。


〜 朝の準備 〜


寝床に入るのが早すぎたせいか、なかなか寝付けず、ひたすらウォークマンを聴き続ける。ただ、頭は眠れなくても、横になってるだけでも体は休めるので、あまり焦らずに朝まで悶々とする。
支部長は寝るのも早いが、起きるのも早く、4時頃には目を覚まして読書をしている。5時頃になるとみんなゴソゴソと起き出したので、私も起きる。
スタートは9時集合は8時半までで、宿から会場までは30分もあれば着くんだけど、モノレールは大混雑で乗るのに時間がかかるかもしれないので、余裕を持って7時に出発することにした。

現地で着替える時間や場所が確保できるかどうかが分からないので、ウェアを着て、すぐに走れる状態で出発する
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ
寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。
寒いのも暑いのも困るが、事前の天気予報を信じてどちらかに決めつけていると、予想外のコンディションになった時に困ってしまう。何があっても対応できるように、色んな準備をしてこなければならない。

今回は、事前の天気予報では、天気は下り坂だと言っていた。
もちろん、今の我々は雨を恐れていた昔の我々ではない。昔の我々なら、雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかったが、2010年のオリーブマラソンでエース城武選手から一喝されて渋々参加したら、みんな快走できたもんだから、それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになった
この那覇マラソンでも、2017年は終盤に雨が降り出し、そのおかげで支部長は完走する事ができた。しつこいようだが、支部長が完走したのは、今のところ、これが最初で最後だ。
ただ、今日は雨は降らず、曇りで終わりそうだ。

(支部長)「雨が降ってくれた方が良いんだけどなあ」

過去、何度も暑さにやられて途中リタイアを余儀なくされた支部長は、雨が降って走りやすくなるのを望んでいる
ただ、雨は降らないにしても、今日は気温は割りと低めのようだ。少なくとも暑さでやられそうな天候ではないだろう。
寒くも暑くもならないとなると、あまり悩む必要は無い。半袖Tシャツ1枚でちょうど良い。
ただ、逆に、フルマラソンとなると終盤にトボトボ歩く可能性があり、そうなると体が冷えてくる可能性はある。

(のら)「歩かなければ良いじゃない」
(支部長)「簡単に言ってくれるなあ」


まあ、しかし、歩いたらリベンジは絶対にできないので、今日は歩かない前提で行こう。寒さを恐れて長袖シャツにしたら、暑くなる可能性が出てくる。
去年の神戸マラソンの記事を読み返すと、「悩んだ時は薄着にすべきだ」と書いていた。なので、今回も自分に気合を入れるつもりで、清水の舞台から飛び降りるつもりで、思い切って半袖Tシャツ1枚でスタートする事にした。

(幹事長)「決死の決断や!」
(のら)「今日は暑くなるってば」


Tシャツは10月初めの酸欠マラソンで貰ったピンク色の「酸欠Tシャツ」だ。背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインのTシャツだ。
のらちゃんもお揃いのピンクの酸欠Tシャツを着る。D木谷さんも色違いの青の酸欠Tシャツだ。
支部長は酸欠マラソンに出てないので、代わりにこんぴら石段マラソンのTシャツを着た。これも背中に漢字で大きく「石段」と書いてある。

下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。
足は筋肉の疲労防止のためにタイツを履こうかとも思ったが、暑くなりそうなので脹脛サポーターにした。支部長のらちゃんはどんな季節のどんなレースでもタイツを履いている。
一方、D木谷さんは太ももの内側にテープを貼っている。

(幹事長)「何ですか?それは」
(D木谷)「タイツと同じような効果があるらしいんです」


タイツと同じ効果があるのなら、暑くないからテープの方が良さそうだ。
気温は低くないので手袋は履かない。支部長は汗を拭くためにどんな時でも必ず軍手を履くけど、私はハンドタオルを持って走るので手袋は不要だ
雨は降らないようなので嫌いなランニングキャップも被らない。
ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュペーパーのほか、エネルギー補給のための濃縮ゼリーを入れる。
また、緊急事態に備えて、どこでリタイアしても帰ってこられるように、モノレールの切符や小銭を入れる。
さらに足攣り防止用のドーピング薬68(芍薬甘草湯)2RUNの両方を入れる。

(支部長)「どういう使い分けするん?」
(幹事長)「攣りの程度で」


これまでは激坂が延々と続く脱藩マラソン以外では、あまりレース中に足を攣った事は無い。なので、軽い攣りになったら2RUNを飲み、激しく攣ったら68を飲む事にした。

シューズはアシックスノヴァブラストだ。今年の初旬に、のらちゃんが「クッション性が良くて足が疲れないんよ」なんて言って勧めるので、騙されたと思って購入してみた。
ノヴァブラストはアシックスとしてはサブ5を目指す初心者ランナー用みたいな位置付けなんだけど、のらちゃんはこれを履いて3月の名古屋ウィメンズマラソン終盤に一気にペースアップするという驚異的な走りでフルマラソン自己ベストを出した。
それで私も試しに3月の徳島マラソンで履いてみた。
そしたら、なんと、八ヶ岳への雪山登山から下山して、そのまま夜通し車を運転して前日に帰ってくると言う超強行スケジュールのため、疲労と睡眠不足でボロボロ状態だったにもかかわらず、9年ぶりに大会自己ベストを更新するという予想外の健闘を見せた。

大健闘の理由は、最後まで足があまり疲れなかったからだ。ノヴァブラストマジックスピードのようにスピードが速くなるシューズでは決してないが、足が疲れないため、いつものような終盤のペースダウンが避けられたのだ。
フルマラソンでもそれだけの威力を見せたものなので、フルマラソン以上の距離を走るウルトラマラソンには打ってつけシューズだと期待して、4月の富士五湖ウルトラマラソンでも履いてみたら、やはり足の疲れがあまり無くて、初めてのウルトラマラソンを快適に完走できた。
なので、今回もこのシューズの効用で最後まで足が痛くならずに走れる事を期待するぞ。

準備が終わったら、最後に朝食だ。
マラソン当日の朝食は、炭水化物を多目に摂るのが理想的だが、昨日からお腹の調子が悪いので、仕方ないが軽めの朝食としてカロリーメイトだけを食べた。


〜 会場へ到着 〜


予定通り7時に宿を出発しモノレールにもすぐ乗れて、順調に会場に着いた。
モノレールの壺川駅を降りると会場が見える。少し早いかなと思ったが、大勢のランナーが橋を渡って会場に吸い込まれていくのが見える。

雨が降りそうな気配はないが、空は曇っていて、絶好のコンディションかもしれない。
なーんて思ってたら、そのうち日が射してきた。そうなると一気に暑くなってきた

(幹事長)「こりゃ暑くなるかもしれんぞ」
(支部長)「いかんやんか!これじゃバテバテになるよ」


別便でやってきた加藤選手とも合流できた。加藤選手妹さんも一緒だ。
前回の2019年の時も、当初は妹さんも一緒に出場する予定だったが、急用ができて来られなくなったので、今回が初出場だ。

今年こそリベンジなるか?
(左から幹事長、D木谷さん、加藤妹、のらちゃん、O野選手、加藤選手、支部長)


すぐに走れる格好をして来たので、あとは手荷物を預けに行くだけだ。
手荷物預かりは有料で500円もかかるが、無料の手荷物置場もある。ただし、貴重品は入れられないので、悩むところだ。
レース中のアクシデントに備えて少額の現金やモノレールの切符は持って走るので、貴重品と行ってもスマホくらいだ。スマホを盗まれる危険性がどれくらいあるかの判断が難しいところだ。
結局、今どきスマホを盗む人もいないだろうと思って、無料の手荷物置場に荷物を置く。

手荷物置場のテントの中には棚がズラッと並び、勝手に荷物を置くシステムだ。
手荷物の中身は、盗られても被害が少ない衣類やタオルだろうけど、みんな昨日の受付でもらったビニール袋に入れているので、どれが誰の荷物やら分からなくなる。
なので、私はいつも愛用している高松トライアスロンのボランティアでもらったビニール袋に入れて置いておく。

(支部長)「出場してもいないのに、そんなもんを愛用しとんかいな」
(幹事長)「トライアスロンに出た事があるみたいで格好ええやろ?」


荷物を置いたら、最後のトイレを済ませる。
一般的にマラソン大会の仮設トイレは参加者数に比べて設置数が少ないので、スタート時間に遅刻しそうになるほど時間がかかるが、ここはとてもたくさんの仮設トイレが用意されていたので、それほど時間はかからない。
しかも、男子の小用のためのオープンな仮設トイレもあった。これは画期的なもので、すごく流れが早い。他の大会でも、ぜひ採用してもらいたいぞ。

まだ少し早いが、場内アナウンスが「早く集合しろ」ってうるさいので、集合場所に行く。
2万人以上もの人が参加する大きなレースなので、整列場所も広大で、ものすごい数の人がぎっしりと詰まっている
スタートはブロック別になっており、AブロックからKブロックまで分かれている。スタート地点への集合は8時30分までで、それに遅れると最後尾からのスタートになるのだ。
できればみんな一緒に並びたいところだが、フルマラソンの過去の実績タイムを基に振り分けられているため、D木谷さんCブロック幹事長支部長のらちゃんDブロックO野選手Fブロック加藤選手Gブロック妹さんHブロックになっていた。

どうせブロック分けなんて適当だから、別のブロックに紛れ込んでも大丈夫だろうって事で、みんな一緒に並んだ事もあったが、最近はとてもチェックが厳しくなっている
以前はチェックはユルユルで、別のブロックに紛れ込んでも誰も咎められなかったのに、今はむちゃくちゃ厳しくチェックしてて、絶対に許してくれないようだ。

どうせタイムはネットで計測してくれるから、どのブロックから走ってもタイムには関係ないけど、実はスタートブロックは大きな意味を持っている。
最後尾に近いブロックだと、スタート時間になっても、実際にスタートラインを越えるまでに30分はかかる。そうなると、制限時間の6時間15分は実質的には5時間45分しかなくなる
普通のマラソン大会なら5時間45分もあれば楽勝過ぎてちゃんちゃらおかしいが、2019年の私のタイムは5時間40分近いから、笑ってはいられない。お尻に火が着く状況だ。
おまけに、この大会は2箇所の関門のほか5箇所の競技中止勧告ってのがある。「勧告」って名称になっているが、実際には強制排除されてしまう。
なので、スタート直後の大混雑でノロノロ走っていると、前半のどこかで早々に強制排除されてしまう危険性がある。なので、できれば前の方からスタートしたいところだ。


〜 スタンバイ 〜


スタートの前に、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。

何度も言うように、過去に参加した3回は、いずれも史上まれに見る大惨敗の連続だった。
2017年が5時間27分、2018年が5時間14分で、2019年に至っては5時間39分という目を覆うような大惨敗だ。
なので、普通なら一番マシな2018年の記録が目標となるが、あまりにも低レベルな目標なので、せめて5時間を切る事を目標としたい。

普通のマラソン大会なら、5時間を切るってのは最低限の死守すべき目標であり、5時間を切っても喜べないどころか、ギリギリ5時間切りなんて惨敗の範疇だ。
しかし、那覇マラソンは何かしらの魔物が潜んでいる大会なので、取りあえず5時間切りを目指す事にしよう。

もちろん、本音を言えば、もっと良いタイムを出したい。だんだん暑くなってきたけど、炎天下というほどではない。
また、このコースはアップダウンがあるが、脱藩マラソンみたいなアホみたいな激坂は無いし、坂があるのは中盤までで、後半は下り基調だ。
もう4回目の出場でコースの概要は覚えているから、コースに対する不安感も無い。

完走率が非常に低いのが気にかかるが、これはコースの厳しさを表していると言うより、最初から完走するつもりの無いランナーが大勢いるからだ。
普通、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。
かつて瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは制限時間が5時間だったし(今は5時間半)、丸亀ハーフマラソンの制限時間は2時間5分と厳し目だったが(今は3時間)、そういう大会には実力の無いランナーは最初から出ないので、結局、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。
制限時間をクリアできるかどうか不安なレベルのランナーは、最初からそんなに多くはいないのだ。

ところが那覇マラソンの完走率は異常に低いことで有名だ。
2016年は猛暑で53.2%と異常な低さだったが、2018年だって60.2%しかなかった。
この異常なまでの完走率の低さは、一般的には
暑さと厳しい坂が原因と言われている。本土では寒くなり始める12月だが、沖縄ではまだまだ暖かく、走るには暑すぎる季節なのだ。
また、コースは坂が多く、最大標高差は100mほどだが、累積の獲得標高は300m近い。青い海の横を気持ち良く走るという勝手なイメージとは真逆で、実は坂のある内陸部を走る厳しいコースだ。

しかし、実は
完走率が低い本当の理由は、ランナーがあちこちのエイドで食い散らかしているうちに制限時間オーバーになってしまうからなのだ。酔っぱらって走れなくなるランナーもいるそうだ。
那覇マラソンは別名グルメマラソンと呼ばれていて、エイドに美味しいものがいっぱいあって、それを食い散らかしながら走るのが楽しいマラソンなのだ。
大会事務局が用意した公式エイドだけでなく、沿道には私設エイドが並び、色んな食べ物が提供されるソーキソバを始めとする沖縄の名産品はもちろん、中には吉野家の牛丼チキンラーメンとかもある。

(幹事長)「マラソンのエイドで牛丼やチキンラーメン食べたら吐くと思うんやけどなあ」

さらに裏エイドには泡盛オリオンビールもある。

(D木谷)「ビールはともかく、走りながら泡盛飲んだら倒れますよ!」

沖縄名産のグルメコーナーには長蛇の列が出来て、30分とか平気で並ぶらしい。
そのせいで完走できないランナーが多いとのことなのだ。

(支部長)「最初から半分しか走るつもりが無いランナーが大勢いるからなあ」

もちろん、わざわざ島外から来た人は完走を目標にしている人が多いだろう。だが、地元の人は、楽しいイベントと割り切って参加することが目的で、初めから完走することは目指していない参加者がとても多い
那覇マラソンはフルマラソンの部しかなく、ハーフマラソンの部は無いんだけど、中間点の平和祈念公園で勝手に止めるランナーがとっても多い。
中間点まで元気に走ってきて、まだまだ走れそうなのに、中間点になったとたんにあっさり止めてリタイアするランナーが非常に多いのだ。
地元の人の多くは、最初からフルマラソンを完走しようという気はなく、
ハーフマラソンしか走る気が無い。どうりで完走率が低いはずだ。

(小松原)「だから好タイムを目指して真剣に走っていると『お前、何を勘違いしてるんだ』って非難されるんですよ」

なので、完走率が低いって事が必ずしもコースの厳しさを意味する訳ではない。
て事で、確かに過去は大惨敗が続いているが、5時間を切るのはそんなに難しくはないような気もするのだ。
なので、今日の目標は表向きは5時間以内の完走だなんて言ってるが、本音では4時間半を切るのが目標だ。

作戦としては、序盤のフラットな区間では決して調子に乗って飛ばしたりせず抑えて走り、その後、坂が出てきたら徹底的にペースを落として歩くようなスピードで上る
中間地点を過ぎれば、後半は基本的に下りになるので、余力に応じて自然体で飛ばしていく

(支部長)「それって前回と同じやんか」
(幹事長)「そうなんよね」


これまでの3回とも、序盤から抑えてスローペースで走り始め、上り坂では無理せず淡々と上っていったのに、下り基調の後半に突入した頃から足が動かなくなり、歩いたり歩くようなスピードになったりして大惨敗になった。原因は不明だ。
なので、今回も同じ轍を踏む可能性は高い。しかし、とは言え、他に良い作戦も思い浮かばない。最初から飛ばしたら早々に撃沈するだけだろう。

去年の神戸マラソンでフルマラソンデビューしたのらちゃんは、その後に出た名古屋ウィメンズ徳島マラソン下関海響マラソンでコンスタントにサブ4.5を出しているので、今日もやる気満々だ。
那覇マラソンは事情が良く分からないとの事なので、最初は一緒に走るけど、すぐにペースアップして離れて行ってしまうだろう。

支部長は過去4回出場して1回しか完走してないので、今回は完走が目標だ。

(幹事長)「勝率を2割5分(4回中1回)から4割(5回中2回)に上げるんやな」
(支部長)「4割バッターになれば恥ずかしくないからな」


支部長は今年の春先から足の故障によりランニングの不調が続いており、7月末の汗見川マラソンで途中リタイアした後は、ほとんどランニングの練習をしていない。
それでも10月の脱藩マラソン庵治マラソンでは余裕で完走した。ランニングはしてないけど、その代わりに毎日プールで水泳をしている事で体幹が強化されているからではないかと私は睨んでいる。
今日のフルマラソンでどこまで通用するかは分からないが、いつものように序盤から飛ばすのではなく、最初からスローペースで発進すると言う。

スタート時間が近づいてきたので、他のメンバーと分かれて、大混雑の中、支部長のらちゃんと三人でDブロックの中に滑り込む。
最後の栄養補給と水分補給としてゼリーをゆっくり飲む。

そのうちダラダラと歩き出し、公園の出口辺りまで来ると、後ろから声を掛けてくる女性がいた。高知の人で、私とのらちゃんが着ている酸欠Tシャツを見て声を掛けてきたのだ。那覇マラソンには何度か出ていて、前回はサブ4だったと言うから、かなりの実力者だ。
おしゃべりしていると、さらに、もう一人声を掛けてくる女性がいた。やはり高知の人で、同じく私たちの酸欠Tシャツを見て声を掛けてきたのだ。
やはり酸欠Tシャツは良く目立つようだ。こうやってお友達の輪が広がっていくのは嬉しい。


〜 スタート 〜


雲はだんだん晴れてきて気温もだいぶ上がってきた。まだ9時なので日射しはそれほど強くはないが、人ごみの中は風が無いからちょっと蒸し暑い。
9時になり、場内アナウンスで
スタートの合図が聞こえたから、いよいよスタート時間になったようだ
だが、当然ながら我々の集団が動き始めたのは、しばらく経ってからだ。しかも、ソロソロと歩き始めただけだ。それでも動き始めると、テンションは上がってくる。

大きな通りをしばらく歩いていくと、集団はだんだん足早になる。スタート地点は明治橋を渡ったところで、スタートのゲートの辺りにスタートラインが引かれてあり、それを越えたら我々もスタートとなる。
今回はかなり前方のDブロックからのスタートとなったため、スタートの合図が聞こえてから3分もかからないうちにスタートラインを越える事ができた

スタートラインを越えると、なんとか走り始めることができるが、ランナーの数が多いからスタート直後はものすごい混雑で渋滞がひどく、走り始めたとは言っても、超スローペースだ
でも、ウォーミングアップなんかを一切しない我々にとっては、序盤のスローペースがウォーミングアップ代わりなので焦ってはいけない。支部長のらちゃんと一緒に淡々と走っていく。

しばらく走ると1km地点の距離表示があった。超スローペースなのは分かっているが、いきなり7分以上かかっている。しかし、これは想定内だ。最初は大混雑だから仕方ない。
て言うか、1km7分で最後まで走れれば、目標の5時間は切れるのだから、焦る必要は無い。

1km地点を過ぎると国際通りに入っていく。東京マラソンの出だしの歌舞伎町界隈と同じく、那覇の目抜き通りである国際通りのど真ん中を颯爽と走るのは大変気持ちいい。沿道からは大勢の観戦者が声援を送ってくれる。
国際通りは1km以上続くが、我々の宿の近くに2km地点の表示がある。そこでタイムを確認すると、ラップはさきほどより少しマシになっている
過去の大会では、いつも最初の1kmより次の1kmの方がペースが落ちていた。国際通りは道幅が狭いから、スタート直後よりさらに混雑度が増すからだ。
でも今回は割と前の方のDブロックからスタートしたため、これまでよりは混雑がマシだ。

それでも、まだまだトンでもなく遅いランナーがたくさんいて、少し走りにくい。
ここで焦って右へ左へ移動しながら遅いランナーを抜いたところで、体力を消耗するだけで、それほどタイムが縮まる訳ではない。それは過去の経験から十分に分かっている。
フルマラソンの場合、終盤のペースダウンをどこまで食い止めるかがポイントであり、序盤で無理して無駄に体力を消耗して終盤に撃沈したのでは意味がない。
それは分かってるんだけど、いくら何でも遅すぎるランナーにはぶつかりそうになって走りにくくて体力を消耗するので、あまりにも遅いランナーは、仕方なく右へ左へ移動しながら追い抜いていく

国際通りを抜けると道を右折し、ちょっと進んでまた右折する。その後も何度も道を曲がるため、今どの辺りを走っているのか皆目見当がつかなくなる。ものすごくザッとした地図しか頭に入れてないため、先が見えない。
頭に入っているのは、前半は上り基調で、20km地点の手前が最もきつい上り坂で、20km地点過ぎがピークになり、その後は10kmほど下り基調になり、最後の12kmはフラットな道になる、っていうくらいだ。
ただ、もう3回目で慣れているので、何があっても驚くような事は無い。取りあえず、まだまだ市街地なので沿道の応援は多く、賑やかな雰囲気だ。

雲が晴れて日差しが照り始め、てきめんに暑くなってきた。そのため、早くも喉が渇いてきた。だが、序盤は公式のエイドが無く、最初のエイドは5km過ぎだ。
那覇マラソンは私設エイドがたくさんあるのが特徴だが、そうは言っても、こんな序盤の区間では私設エイドも少ない
時たま紙コップを差し出してくれている人がいるが、ランナーも沿道の応援者も大群衆のため、紙コップを差し出してくれる人は直前にならないと見えないし、コースの端っこを走ってなければ取ることができない。
しかも、コースの右側にいるのか左側にいるのか直前にならないと分からない。人が少なければ、コップを差し出してくれている人を発見してからでも近寄っていけるが、ものすごい大混雑で走っているから、近寄っていくのは不可能だ。
なので、右往左往せず左端をずっと走っていたら、すぐに紙コップを受け取る事ができた。

ところが、なんと、ここにきてお腹の具合が悪くなってきた

(幹事長)「まずい。お腹の調子が悪いよ」
(のら)「え?大変じゃん!」


昨日はお昼を食べ過ぎてお腹を壊したから、夕食は消化の良さそうなものを食べた。それでも今朝もイマイチ調子が悪かった
朝食はカロリーメイトだけにしたから、もう安心してたんだけど、甘かった。まだまだお腹の調子は悪いままのようだ。
まだすぐに危機的な状況って訳ではなくて、なんとか大丈夫なんだけど、まだ序盤なので、ゴールするまで大丈夫とはとても思えない。

これまでも、マラソン大会の最中にお腹を壊した事は何度もある。特に、朝食にパンを食べていた頃は、かなりの頻度でトイレに駆け込んできた。
朝食をご飯に変えてからは頻度は激減したが、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会が中止になる前の最後のフルマラソンだった2020年の高知龍馬マラソンでは久しぶりにお腹を壊し、途中の仮設トイレに20分くらいこもってしまった。
これらの過去の経験からすると、最初の方の小波や中波はなんとか我慢できても、そのうち絶対に我慢できなくなる大波が来る。そして、大波が来た時にすぐにトイレがあるかと言うと、そんな都合の良い話はない。
過去には、沿道の近くにあったビニールハウスの中に入ったり、誰もいない工場のトイレに忍び込んだりした事もある。しかし、この那覇マラソンの沿道にはビニールハウスも無人の工場も無さそうだ。
まだまだ余裕があるうちに、早々にトイレを探して対処する必要がある。「まだ我慢できそうだから」なんて思ってトイレに行くのを後回しにしていると、最終的には破綻する。
なので、去年の神戸マラソンの時のように、最近はトレイを見つけたら、早めに行くようにしている。タイムロスするのは仕方ない。

それでトイレを探しながら走っていると、3km地点を少し過ぎた所にある与儀公園に仮設トイレがあった。ところが、かなりの行列ができている。いつもレース序盤のトイレは混んでいるのだ。

(のら)「どうする?」
(幹事長)「さすがに、あんなには待てないよ」


まだまだ我慢できる状態なので、あんなに待って無駄な時間は使いたくない。
それでお尻に力を入れつつトイレを探しながら走っていると、突然、警察署が出現し、その中に駆け込んでいるランナーを見た。最初は分からなかったが、しばらくして「彼はトイレに行ったんだ」って事に気付いた。
でも、気付いた時はだいぶ通り過ぎていたので、引き返すのは諦めた。
パチンコ店の中に入っていくランナーもいた。通り過ぎてから振り返ると、大きく「トイレ」と書いた看板が立っていた。

(のら)「大丈夫?」
(幹事長)「うん、まだ大丈夫だよ」


お尻に力を入れて走っているので、なかなか走りにくいが、緊張感が良い方に作用したのか、ペースは悪くなく、1km6分ちょっとのペースで走れている。
なんとなくまだ大丈夫なので、このまま行けるところまで行こうかなんて甘い考えも出てきたが、それは危険すぎる。
なので、再びトイレを探しながら走っていくと、7km地点を過ぎた辺りに仮設トイレがあった。しかも、そこには男子の小用のためのオープンな仮設トイレもあったため、とても回転が早そうだ。
まだ我慢はできそうだけど、この機会を逃す訳にはいかない。

(のら)「待っとこうか?」
(幹事長)「いやいや、良いよ。自分のペースで走って行ってね」


て事で、当初予定では中間地点までは一緒に行こうと言っていたのらちゃんと早々に別れる事になった。
思ったとおり、トイレには少し待っただけで入れて、しかも手際よく始末できたので、タイムロスは3分もかからなかった。素晴らしい。
高知龍馬マラソンの時は20分もトイレに籠って大きくタイムをロスしてやる気を失ったが、これくらいならまだまだ頑張ろうという気力が湧いてくる

トイレから出ると、すぐに走り出す。さすがにのらちゃんの背中は全く見えなくなっているが、頑張れば追いつけるかもしれないと思い、頑張って走っていく。
少し上り坂の傾斜が出てきたが、それほどペースは落ちず、1km6分半くらいで走って行ける。

沿道には、途切れることなく大勢の地元の方々が声援を送ってくれている
バンドの演奏も多い。他のマラソン大会だと、バンド演奏なんかしてくれるのは若い人が中心だけど、那覇マラソンではたいていは中高年のおっさんやおばさんのバンドだ。昔、基地の米軍兵相手に演奏していた人達だろうか。
小さい子供の声援もとても多い
。小豆島や高知の山の中のマラソンでは、応援してくれている人の大半はおじいちゃんおばあちゃんで子供は少ないが、沖縄は出生率が高く、子供が多いからだろう。小さな子供の声援は本当に励みになり嬉しい。

公式のエイドは数kmおきにあるが、全部で9カ所しかないし、水とスポーツドリンクしかない。
でも、地元の方が設置してくれた私設エイドが途切れる事なく次から次へと現れ、コップに入れた飲料やお盆に入れた食べ物を差し出してくれる。
序盤は大混雑でコップを受け取ることも容易ではなかったが、この辺りまで来ると混雑も少しマシになってきて、私設エイドを見つけて取りに行けるようになってきた。
とは言え、お腹を壊しているので、食べ物は怖くて取れない。お腹が空っぽになって力が出ない状態だが、またトイレに駆け込むのは避けたい。
バナナなんかは本来は消化に良いし、カロリーも高いので理想的な食べ物なんだけど、止めておく。でも、エネルギーが切れているので、飴玉や黒砂糖なんかを貰って口に入れて走る。

10km地点を過ぎると、いよいよ上り坂が現れる。最初の坂はすぐ終わるが、11km地点を過ぎるとかなり急勾配の坂が現れる。そのため12km地点でのラップは7分をオーバーしていたが、それほど極端には遅くなっていない。
それに、この上り坂はそんなに長くは続かず、しばらくすると穏やかな下り坂となる。
頭に入っているものすごくザッとした地図では、10km地点辺りから中間点の20km地点辺りまで上り坂が続くっていうイメージだけど、実際にはそんな単純なものではなく、結構アップダウンはある
それでも平均すれば1km7分を少し下回っているので、大撃沈した過去のペースよりはマシだ。

その後も丘陵地が続き、緩やかだけどアップダウンの道が続く。それほど大した傾斜ではないんだけど、市街地のフラットな道よりは足に堪える。しかも、ダラダラしたアップダウンはどこまでも続く
天気は晴れたり曇ったりの繰り返しで、日差しが照りつけると暑くなるが、気温はそれほど高くないので、まだマシだ。

18km地点あたりから長い上り坂が始まり、19km地点を過ぎた辺りからは傾斜がかなりきつくなる。
きついと言っても、北山林道駆け足大会や酸欠マラソンや龍馬脱藩マラソンと言った夏場の山岳マラソンの激坂に比べたらマシで、歩きたくなるような坂ではない。
過去には、この辺りで一気にペースダウンしていたが、今日はそれほど負担感は無い。他のランナーがどんどん追い抜いていくのは気になるが、ここで無理してはいけない。

上り坂も20km過ぎまでと分かっているので、淡々と上っていく20km地点に到着した。しばらく進むとようやく上り坂は終わり、道は下り坂となった
久しぶりの下り坂なので、嬉しくなって思いっきりガンガン大股で走ると終盤に足が動かなくなる、という失敗をこれまで繰り返してきているので、今日はそんな事はせず、下りになってもゆったりしたペースで降りていく。

21km地点を過ぎるとすぐに中間地点の表示があり、ようやく半分走った事が分かり、ホッとする。
中間地点のタイムを2倍すると、5時間まではだいぶ余裕がある。しかも、この後は大きな上り坂は無いから、1km7分のペースで走れれば5時間切りは楽勝だ。

中間点を過ぎると平和祈念公園てのがあり、ここが第一制限地点になっている。つまり最初の関門だ。
ここでは色んな食べ物が支給されているようで、とても賑わっている。ものすごく気になるんだけど、こんな所で時間を無駄にする訳にはいかないから、今年も我慢してパスする。

22km地点までは急な下り坂が続くため、だいぶペースアップできたが、そこで下り坂はいったん終わり、再び上り坂になる。上り坂と言ったって緩い緩い傾斜だが、急な下り坂の後なので厳しく感じる。
早くも疲れが出てきたのか、ペースは一気に落ちていき、20km地点の前の大きな坂の区間より遅くなってきた。
上り坂はそれほど長くは続かず、再び急な下り坂となったため、ペースも再び回復したが、それでもなかなか足はスムースに動かなくなってきた

那覇マラソンは、南の島のきれいな海を見ながら走るようなイメージだが、実際にはほとんど海は見えない。という記憶しか無かった。支部長も同じような記憶しか残ってないとの事だ。
ところが、今日はこの下り坂の辺りでは、遠くに広々と海が見えた。色は悪く、サンゴ礁のきれいな海が見えてる訳ではないが、一応、かなり海が見えている。
そうだったのか。これまでは疲れて下を向いて走ってたから遠くの海が見えなかったかもしれない。支部長も同じだったのだろう。

なんとか頑張って走っていたらひめゆりの塔の表示が出てきた。
以前は、だいぶ前に通り過ぎた大きな塔がひめゆりの塔だと思っていて混乱したが、それは実は平和祈念公園にある沖縄平和祈念堂であり、本当のひめゆりの塔は高さ数十cmしかない小さな記念碑だ
D木谷さんはせっかくなのでひめゆりの塔に立ち寄って行くと言ってたけど、私にはそんな元気は残されていない。

25km地点を過ぎた辺りから再び上り坂が現れた。元気な時なら気にならないくらいの緩い上り坂だし、初めてではないので心の準備もできてはいるけど、かなりの急坂に感じられる。やはり疲れが出てきたようだ。
大した傾斜ではないとは思うけど、トンでもなくペースが下がり、周囲のランナーにどんどん追い抜かれていく。そして、26km地点でのラップは一気に8分をオーバーしてしまった。
ただ、既に歩いている人もたくさんいて、大勢の歩いているランナーを追い抜いているので、プラスマイナスで言えば順位は同じようなものかも。

暑くて喉が渇いて大変だが、沿道の人がアイスキャンディーを差し出してくれる。これまでも那覇マラソンの後半はアイスキャンディーで命をつないできたが、今年もアイスキャンディーが頼りだ。
ビニールのチューブに入った冷たい氷菓で、めちゃめちゃ美味しい。これを食べると、一気にリフレッシュする。
お腹を壊しているので一気に食べるとまたトイレに駆け込まなければならなくなるので、慎重に口の中で解かして温めながら流し込む。

アイスキャンディーを食べるとリフレッシュはするけど、足取りはどんどん重くなっていき、ペースが落ちていく。もう体全体がしんどくなってきた。
30km地点までは下り坂なので、まだマシだったが、下り坂が終わると再び一気にペースダウンし、その後はフラットなのに1km8分前後にまでペースダウンしてしまった。

それでも、歩きたい誘惑は大きくなってきたが、まだなんとか走り続けられる。走り続けている限りは5時間は切れそうだ。
マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、自分で「もう走れないかなあ」なんて思い始めたとたん、本当に走れなくなってしまう。気持ちが萎えてしまえば、もう走れなくなる。
特に、この辺りはフラットな直線コースが延々と続き、変化に乏しく精神的にきつい区間だ
ここまでは坂があって苦しい道だったが、何かと変化に富んだ道だったので、苦しくても気が紛れたが、ここからの10kmは変化が乏しく気が紛れない市街地の道なので、精神的に非常に辛い。歩きたい気持ちとの戦いだ。

頑張って走っているが、足がだんだん攣りそうになってきた。通常は足が攣る場合は脹脛が攣りそうになるんだけど、今日は太ももの前の部分が攣りそうだ。下り坂でも自重して、そんなにガンガン駆け下りた訳ではないのに、どうした事だろう。
そして、33km地点を過ぎたところで、遂に右足が攣ってしまった。足が重い時はなんとか精神力で足を引きずって走り続ける事も可能だが、足が攣るともう走れなくなる。無理だ。
脱藩マラソンでは、走っている最中に足が攣るのは当たり前だが、脱藩マラソン以外のマラソン大会で足が攣る事は珍しい。那覇マラソンでも足が攣りかけた事はあるけど、走れなくなるほど攣った事は記憶に無い。
立ち止まって休んでしまうとタイムがトンでもなく悪くなるので、我慢して歩き続ける。歩くのは可能だ。
ペースは一気に落ちて1km10分をオーバーするが、しばらくすると痛みが治まってきたので、右足をかばいながら、再び走り始める。このまま、なんとか走り続けると5時間は切れるかもしれない。

ところが、右足をかばいながら走っていると、今度は左足への負担が大きくなり、35km地点を過ぎたところで左足が攣ってしまった。こうなると走れなくなる。痛くて走るのは不可能だ。なので、再び歩き出す。
さすがにこれでは完走できないと思い、持ってきた足攣り防止用のドーピング薬を飲む。2RUNでは効き目が薄いと思い、68(芍薬甘草湯)を飲んだ。即効性があるのかどうか分からないが、藁にも縋る思いだ。
歩いていると、当たり前だが、ペースは再び一気に1km10分オーバーに落ちたが、しばらく歩いているうちに痛みが治まってきたので、再び走り始める。このまま走り続けられれば、まだまだ5時間は切れる。

なんとか走り続けていくと、長かったフラットな区間が終わり、38km地点辺りから最後の上り坂となる。上り坂と言ったって、ほんの微かな緩い傾斜なんだけど、疲れ果てた今となっては激坂だ。
そして、ここで再び足が攣ってしまった。今度は両足が攣ってしまった。68で回復したかと思ったけど、そんなに甘くはなかった。
両足が攣ってしまうと、もう完全に歩くしかない。とぼとぼと坂道を歩いて上る。ただ、私だけでなく周囲のランナーも大半が歩いている。全員が足を攣っているのではないだろうが、足が動かなくなったのだろう。

緩やかな上り坂をしばらく歩いていると、少し足の攣りがマシになってきたので、再び走り出す
周りのランナーも大半が歩くか、歩くのと変わらないスピードで走っている。なんだけど、必死で走っている私をスタスタと歩きながら追い抜いていくランナーもいる。
いくら超スローペースと言えども、走っているのに歩いているランナーに抜かれるなんて、どういう事だ?たぶん、自分では走っているつもりでも、客観的に見ると歩いているのだろうなあ
ペースは少しは上がったが、1km8分台だ。

モノレールの赤嶺駅の辺りに40km地点があり、もう残り2kmとなり、いよいよゴールが近づいてきた。この辺りが坂のピークで、ここから最後の下り坂になるため少しはペースアップを図る。
と思うんだけど、ぜーんぜんペースが上がらない。不思議なほど上がらない。足の攣りは治まったが、もう足が動ない感じ。

41km地点を過ぎると、ゴールのある奥武山公園が近づいてきた。もうラスト1kmなので、ますます頑張ろうとするんだけど、ほとんどペースは上がらない
奥武山公園に入ったら、野球場の横を通って一番奥の陸上競技場まで走る。ゴール直前となり、気持は爽快なんだけど、最後まで足は動かない。


〜 ゴール 〜


なんとか最後まで走って笑顔でゴールしたが、結局タイムは5時間をオーバーしてしまった。最低限の目標としていた5時間すら切れなかった。
那覇マラソン4回連続の大惨敗だ。かろうじて2018年のタイムよりはマシだったので、一応、大会自己ベストではあるけど、恥ずかしくて自慢できないタイムだ。

ゴール横では、先にゴールしていたのらちゃんが待っていてくれて、ゴールの写真を撮ってくれた。

(幹事長)「遅くなってごめんね。どれくらい待った?」
(のら)「30分くらいかな」
(幹事長)「ひえ〜!」


そんなに待っててくれたのか。この厳しいレースでも彼女は4時間35分ほどでゴールしたのだ。

疲れた足を引きずって記録証を貰い、メダルもかけてもらった後、手荷物を取りに行く。もう慣れてるので道に迷う事は無いが、歩くのがしんどい。
手荷物を取ってウロウロしてたらD木谷さんから連絡が入り、落ち合う事ができた。彼はのらちゃんよりさらに10分くらい前にゴールしていた。
O野選手はさらにそれより先にゴールしていて、既にホテルに帰ったようだ。
一方、支部長は早々にリタイアしていた。戻ってくるのを待とうかとも思ったが、リタイアバスがいつ帰ってくるか分からないので、先にホテルに引き上げる事にした。

モノレールの奥武山公園駅に着くと、会場に戻ってくるランナーが良く見える。制限時刻の15時15分の直前だったので、おびただしい数のランナーが制限時間内にゴールしようとしてもの凄いスピードで走ってくる。
あんなに速く走れるのなら、もっと前からちゃんと走って、もっと余裕を持ってゴールしたら良いのに、なんて思うけど、制限時間ギリギリになったから最後の馬鹿力が出てるんだろうなあ。
なんとかゴールしようとする大集団が走り去った後は、諦めてトボトボと歩いて帰ってくるランナーだけになった。

モノレールに乗っていると、支部長から「リタイアバスに乗って会場の近くまで来た」との連絡が入ったので一安心だ。
その後、ホテルに戻ってシャワーを浴びていると、支部長が帰ってきた。

(支部長)「脱藩マラソンで意外に調子よく完走できたから、今日も完走できるかなと思ってたけど、さすがにフルマラソンは無理やったなあ」
(幹事長)「練習不足と言うレベルじゃなくて、夏前からほとんどランニングしてないからなあ」
(支部長)「中間地点辺りまでは順調に走れて、これなら完走できるぞと思ったんだけどなあ」


中間地点を過ぎてしばらくすると、突然、足が動かなくなったとの事だ。
ハーフマラソンくらいなら、長年の蓄積により誤魔化して完走することも可能だが、さすがにフルマラソンは無理だったようだ。

(支部長)「5回出場して完走は1回のままやから勝率が20%に落ちてしまった」

残るは加藤選手だが、彼も絶対にリタイアしていると思ってたら、なんと制限時間ギリギリになって「完走した」という連絡が入った。
制限時間の6時間15分まで、あと6分しかないという神業のような完走だ。我々が奥武山公園駅から見た大集団の中にいたのかもしれない。

(支部長)「いかーん!加藤選手だけには負けた事が無かったのに、負けてしまった!」

実は加藤選手は、10月29日の横浜マラソンと11月19日の神戸マラソンに出場し、どちらも完走している。普段はそれほど練習しないんだけど、立て続けに本番に出て実力をアップするという川内優輝のような事をしている。
それで力をつけて、今日もリタイアする事なく完走できたのだろう。

加藤選手妹さんは、惜しくも34km付近で競技中止勧告により強制排除されたとの事だ。
体力的には十分に完走できる状態だったのに、後ろから大会関係者の車が迫ってきて「あなた達のペースでは絶対にゴールできないから、さっさと歩道に上がってちょ」なんて言われて渋々歩道に上げられてしまったそうだ。
そして、その直後に交通規制が解除され、一般の車が走り出したんだそうだ。
相変わらず厳しいルールだが、歩道に上げられてもリタイアバスが待ってる訳ではなく、リタイアバスが待っている関門地点までダラダラと歩いていかなければならなかったようだ。
それでもリタイアした地点支部長より先だったので、実施的に支部長妹さんにも負けた事が分かった。

(支部長)「いかーん!べったんになってしまった!!」


〜 反省会 〜


全員、シャワーを浴びたところで夕食に繰り出す
沖縄に来たからには、何があってもヤギ料理を食べに行かなければならない。私はヤギ料理が大好きで、沖縄に来る度に食べている
前回は他のメンバーが断固として拒否したので単独での隠密行動となったが、最近では少なくなった正統派の本物のヤギ汁を食べられる店を発見したので、今回も是非ともそこへ行きたかった。
ただ、今日は加藤選手が「フルマラソンで疲れた体にはヤギ料理は負担が大きい」との意味不明の理由で断固として拒んだので、ヤギ料理は明日食べに行く事にして、今日はこれまで4年連続で行ってきた沖縄料理の居酒屋「すん」へ5年連続で行った。
2016年にフラッと入ったらとても可愛い子がいた店だ。その子は翌年からはいなくなっているが、食べ物は悪くないので、安心して毎回行き続けてきた店だ。

別のホテルに泊まっている加藤選手兄妹とはお店で合流し、みんなで反省会となった。
レース中はお腹を壊して、ほとんど何も食べてないので、お腹はぺこぺこだ。色んな沖縄料理をたらふく食べた。

(のら)「またお腹を壊すよ」
(幹事長)「もう壊してもいいです。くすんくすん」


それにしても、またまたまた大惨敗を喫してしまったが、その原因が分からない
2018年のタイムよりは少しだけマシだったから、大会自己ベストではあるが、恥ずかしくて口には出せない。
一時は日射しがあって少し暑かったが、全体的にはそれほど暑くはなかった。そのため完走率は72.5%もあった。2014年以来の70%台の完走率だから、那覇マラソンとしては非常に高い完走率で、とても走りやすかったと言える。
なので、今日の大惨敗の原因は決して気象条件ではない。

考えられる大惨敗の原因は、
 @ 前日に遠方から移動してきているため疲れが出る
   下関海響マラソンもそうだが、四国内で開催されるレースと比べて移動や宿泊の疲れが出ているのは間違いない。
 A 1週間前のレースの疲れが残っている
   前回までは1週間前にタートルマラソンに出ていた。今年はタートルマラソンはなかったが、代わりに1週間前に空海うどんロゲイニングに出た。
   空海うどんロゲイニングは甘く見ていたのだが、かなりのハイペースで27kmも走ったため、予想外に疲れてしまった。
 B 本土からくると暑い
   気温の絶対値は最高でも25度くらいだったから、真夏の汗見川マラソンなんかに比べたら暑さは大したことない。
   でも、毎日の暑さに体が慣れている夏と違って、気温が既に低くなっている本土からいきなり暑い沖縄に来ると、体が暑さに慣れてないから、非常に暑く感じる。
 C お腹を壊した
   お腹を壊すと食べたものが全部出てしまいエネルギー補給ができなくなる。新たに食べるのも怖くて控えていたため、エネルギー不足は否めない。
   またお腹が空いて力が出ないのも間違いない。
の4つだ。
どれも的外れではないように思うが、@からBまでは私だけでなく、他のメンバーもみんな同じ条件であり、他のメンバーが健闘しているのだから、そんな言い訳は通用しない。
とすると私だけ特有の原因はCか。て言うか、@からCまで全部含めて、私の体が弱いって事だ。

(幹事長)「私だけ特別に体が虚弱なのかなあ」
(D木谷)「登山部の活動を見てると、とても虚弱とは思えませんが」


ただ、大惨敗ではあるが、出走者の中での順位は上から26.5%だった。
これは2018年の23.0%に次ぐもので、過去40回ほど出た全てのフルマラソンの中で、私にとって史上2番目の上位の順位だ。

(のら)「じゃあ喜んで良いんじゃないの?」
(幹事長)「あまりにもタイムが悪いから素直に喜べない」


支部長は7月末からほとんどランニングをしていないのだから、リタイアの原因ははっきりしている。明らかに練習不足だろう。
ただ、リタイアした事より、加藤選手が完走した事にショックを受けている。さらに妹さんにまでリタイア地点で負けてしまったのだから、ショックは大きい。

いずれにしても、やっぱり那覇マラソンは良いタイムが出ないって事が分かった。

(幹事長)「という事で、今度こそ那覇マラソンは卒業しようと思います!」
(支部長)「私も躊躇なく那覇マラソンは卒業します」

(D木谷)「そうですか?楽しかったからまた来たいですけどね」
(のら)「そうだよ、そうだよ。楽しかったじゃん。また来ようよ」


将来的にどうなるか分からないが、来年は私も支部長D木谷さんのらちゃんも同じ時期に開催されるホノルルマラソンに初挑戦する予定なので、少なくとも来年は那覇マラソンには出ないと思う。



大会の翌日は観光だ。
前回は離島へ行こうと計画してたのに、波が高いからとて離島航路が全便欠航になり行けなかった。なので今年こそは離島へ行ってリベンジする予定だった。
その顛末は「登山部の活動」のコーナーの「城嶽(沖縄本島)登山」の記事に詳しく書いてるよ。

(ピッグ)「え?なんで登山部の活動のコーナーに載せてるんですか?」
(幹事長)「読めば分かるのじゃよ」


〜おしまい〜




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