第10回 龍馬脱藩マラソン大会
2023年10月8日(日)、高知県檮原町において第10回龍馬脱藩マラソンが開催された。
脱藩マラソンは6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の汗見川マラソン、10月上旬の酸欠マラソンに続く夏場の山岳マラソン4連戦の最終戦として大きな存在感のある大会だ。
坂の過激さは北山林道駆け足大会や酸欠マラソンも同じくらい超厳しいが、なんと言ってもこの脱藩マラソンはフルマラソンがあるので、その過激さは筆舌に尽くしがたい。
他の上記3大会は、コースが厳しいと言っても、北山林道駆け足大会は距離が13kmと短いので楽しいまま終わるし、汗見川マラソンは坂の厳しさが少しマシなうえ終わってからの川遊びが楽しいハーフマラソンだし、酸欠マラソンは天空の絶景コースを走るハーフマラソンなので、厳しいとは言いつつ、いずれもとっても楽しい大会だ。
しかし、脱藩マラソンは楽しさを感じる余裕は無く、最初から最後まで苦しいだけの大会だ。あまりにも厳しい大会なので、開催日が近づいてくると憂鬱な気分になり、できることなら逃げ出したいくらいになるので、自分でも本当にこの大会を楽しみにしているのかどうか、よく分からない。
しかし、苦しいからと言ってこの大会を避けたりすると、自分が情けなくなり、ずっと後悔する羽目になるし、また自分の現時点での力を把握するためにも、避けて通れない地獄の関門のような大会だ。
(ピッグ)「結局、楽しみにしてるんですか、それとも嫌なんですか?」
(幹事長)「辛くて苦しいのが好きっ!」
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
このマラソン大会の中止騒動は全国的なもので、日本中のあらゆるマラソン大会が次々と中止になっていった。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしていたが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。
多くの国民がヒステリックに踊らされていたのは、視聴率さえ稼げればいい下品なマスコミがキチガイみたいに煽り立てるのと、新型コロナウイルスの新規患者数をゼロにしようなんていう狂信的な妄想に取り憑かれた医療関係者の独善のせいだ。
このようなヒステリックな動きに対抗するため、我々はマラソン大会を自主開催する事にした。その第1号が、2020年の第43回オリーブマラソンだった。
それ以降、中止になったマラソン大会はことごとく自主開催を続け、この脱藩マラソンも2020年の第9回大会、2021年の第10回大会と2年連続で自主開催を続けた。
そして2022年になって、ようやくコロナのバカ騒ぎが収束し、全国的にマラソン大会が復活し始めた。
国民の多くが理解するまで3年もかかったが、ようやくコロナなんてただの風邪に過ぎないっていう理解が進んできたからだ。
ところが、人口が密集している大都市の東京や名古屋で大規模マラソンが開催されたのに、なぜか田舎で沿道の観客だってスカスカの四国で開催されるマラソン大会は3年連続の中止が続いた。
四国の自治体はマラソン大会の開催について極めて臆病だったのだ。
しかーし!
この脱藩マラソンは四国のマラソン大会としていち早く3年ぶりに復活した!
四国のマラソン大会で復活したのは、この大会が最初となる(注:あくまでも私が知ってる範囲の大会です。たぶん他にも開催された大会があるとは思います)。
これは梼原町の熱意の賜物だろうと思う。元々梼原町は何に対しても前向きで、やる気が溢れている自治体だ。その熱意がマラソン大会の開催にも現れているのだ。
て事で、脱藩マラソンは2022年に目出度く3年ぶりの正式なマラソン大会として開催された。
そして、今年は復活後2回目の開催だ。目出度い事だ。
ただ、従来は9月初旬に開催されていた酸欠マラソンが今年は10月1日の開催になったため、超過激な山岳マラソンである酸欠マラソンと脱藩マラソンが2週連続で開催されると言う大惨事になった。いくらなんでも、こりゃ厳し過ぎる。
さらにその後も、スケジュールが立て込んで大変な事になっている。
10月1日 酸欠マラソン
10月8日 脱藩マラソン
10月15日 こんぴら石段マラソン、四万十ウルトラマラソン
10月29日 庵治マラソン
11月5日 下関海響マラソン
(幹事長)「完全に川内優輝状態やがな」
(支部長)「本番が練習代わりやな」
このような状況なので、是非とも酸欠マラソンの開催は9月初旬に戻して欲しいところだ。
なお、我々はコロナのバカ騒ぎで中止になっていた期間も脱藩マラソンを自主開始しており、回数をカウントし続けてきたので、
このホームページでは自主開催した2020年の大会を第9回大会、2021年の大会を第10回大会と銘打ってきた。
しかしながら、今年の正式大会が第10回大会と銘打たれているので、このホームページでも第10回大会とする。
(幹事長)「第10回大会が2つできてしまったので、ややこしくて済みません」
(ピッグ)「だーれも気にしてないと言うか気付いてないですよ」
〜 超厳しいコース 〜
龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。
四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、史上最大級の厳しいコースだった。
四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。
死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。
そして、その後継レースとして新しく2011年にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。(「第4回大会」は2014年が台風で中止になったため2015年に開催した)
四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった。
しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンの部ができたのだ。
ハーフマラソンのコースも累積の標高差は380mもあるから、汗見川マラソンやタートルマラソンより厳しい。
しかし、フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近くある。 ハーフマラソンの2倍以上の厳しさだ。
前半は基本的に上りが続き、15km地点辺りまでの上りはそれほど過激ではないが、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。
そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンだ。
龍馬脱藩マラソンに初めてエントリーしたのは2014年だ。ただ、そのときは台風のため直前に中止になってしまった。
そのため、龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは2015年となった。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。
(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンでも厳しいです。
脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ。できれば10kmの部にしてください」
あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。
一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。
でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。
ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースは超過激ってほど大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。
(幹事長)「あんなに恐れていたのに、あんまり大したこと無かったよなあ?」
(支部長)「いやいや、そんなことはない。十分に厳しかったで」
支部長は満腹したようだが、私は、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。
そこで今度は阿南のスーパー女性ランナーY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。
(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」
この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。
なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからだ。つまり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。
しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してない。フルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになる。
なので、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にならない。
〜 過去は惨敗続き 〜
散々、悩んだが、やはり一度はフルマラソンの部に出てみたいので、2016年に初めてフルマラソンの部に出場した。
その結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。
それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって痛みを取ったりした。
しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こんな辛い思いは二度としたくないから、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」なんて決意した。
ところが、翌年になると、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思い、2017年もフルマラソンの部に出場した。
(支部長)「もう出ないって言ってたのに、ほんまに記憶力が悪いな」
辛かった記憶が薄れたこともあるが、前年はフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思ったのだ。
そして、嫌がる支部長も強引に誘ってフルマラソンに一緒に参加した。そして、結果は、二人そろってさらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった。
前年の反省から、前半は徹底して抑えて走って余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下るつもりだった。
ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。結局、終盤は前年と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、前年を上回る衝撃的な大々惨敗だった。
そして、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」と決意した。
ところが、翌年になると、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思うし、 記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶が薄れてきたこともあり、2018年も性懲りもなくフルマラソンの部に出場した。
(支部長)「記憶力が悪いと言うより、記憶力が無いな」
私よりは記憶力の衰えがマシな支部長は、二度とフルマラソンには出なかったが、私は再びフルマラソンに挑戦した。そして作戦を大きく変更した。
2016年は、「恐れていたけど、案外走れるぞ」なんて思って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2017年は、その反省から、前半を徹底して抑えて、急坂ではためらうことなく歩いた。それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
なので、2018年は、取りあえず何も考えずに再び自然体で走る作戦としたのだ。
(支部長)「それは作戦とは言わんぞ」
自然体で走っていたら、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上れたが、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、3年連続で呆れてモノも言えないくらいの大惨敗を喫してしまった。
(支部長)「それって、最初の年と全く同じパターンやんか。学習効果が無いなあ」
ただ、大惨敗ながらも大会自己ベストは僅かながら更新したと勘違いして、レース直後には「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ところが、家に帰って調べてみたら、2016年のタイムより10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったことが判明した。
それで仕方なく、2019年も再びフルマラソンの部に出場した。
2016年と2018年は前半の上り坂を一歩も歩かずに上ったため、後半に足が痛くなったり攣ったりして走れなくなったので、再び前半は徹底して抑えるという作戦に変え、少しでもきつく感じるとすぐ歩いた。前半での抑制を、2年目の時より、さらに徹底したのだ。
その結果、前半は過去3大会と比べて最も遅かった。しかし、それが功を奏して後半は足が痛くならず失速しなかったため、初めて後半の方が前半より速いタイムで走れ、結果としてなんとか大会自己ベストを更新することができた。
てことで、晴れて「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ただ、足が痛くならずに完走できたもんだから、またまた性懲りもなくフルマラソンに出て「もっと良いタイムを出したいな」なんて心が揺らいでいた。
ところが、2020年も2021年も新型コロナウイルスのバカ騒ぎのせいで大会が中止になったので両年共に自主開催した。
自主開催でフルマラソンを走れるほど我々の精神力は強くないので、2年連続で自主開催大会はハーフマラソンのみの開催とした。
そして、2022年に3年ぶりに復活した第9回大会は、またまたフルマラソンにしようかハーフマラソンにしようか迷った。
2019年に大会自己ベストを出して卒業宣言したので、もうフルマラソンに出る必要は無いが、足が痛くならずに完走できたもんだから、もう一度フルマラソンに出てもっと良いタイムを出したいという気持があった。
また、初参加するのらちゃんも、みんなから「一度はフルマラソンに出た方が良いよ」なんて甘い言葉をかけられていたので、一緒にフルマラソンに出ようと意欲を見せていた。
でも、その時点でのらちゃんはフルマラソンに出た経験が無く、さすがに脱藩マラソンでフルマラソンデビューってのは無謀だと思い直した。
私も、コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会の中止が終わって最初に復活した正式なマラソン大会がいきなり脱藩マラソンのフルマラソンってのは不安が大きかった。
支部長は、2017年にフルマラソンに出て辛い思いをしたため、二度とフルマラソンには出ようとしなかった。
さらにD木谷さんも、翌週に四万十ウルトラマラソンを控えていたため、フルマラソンは控えた方が良いという結論になった。
て事で、結局、2022年はみんな揃ってハーフマラソンに出場した。
その結果は、大惨敗だった。
脱藩マラソンは2016年以降はフルマラソンに出続けており、ハーフマラソンに出たのは2015年だけだったが、その2015年のタイムに比べて5分も遅い大惨敗となったのだ。
2015年のタイムだって、ハーフマラソンとしては大惨敗だったんだけど、それ以上の衝撃的な大惨敗だった。
(幹事長)「原因が全く分からない」
(ピッグ)「単に老化でしょう」
〜 エントリー 〜
こうなると、今年もまたフルマラソンの部に出るのかハーフマラソンの部でお茶を濁すのか悩むところだ。
去年はハーフマラソンで妥協したのに大惨敗だった。なので、今年はフルマラソンで名誉挽回したい気持が強かった。
また、その後、フルマラソンにデビューし、素晴らしい成績を上げ続けているのらちゃんも、「一度は脱藩したい」って事でフルマラソンに意欲を見せていた。
ところが、心の支えになるはずのD木谷さんが今年は都合で出場できないと言う。
支部長は相変わらず頑なにフルマラソンへの出場を拒む。
こうなると、初めての脱藩マラソンのフルマラソンに挑戦するのらちゃんと二人っきりになってしまう。これは心細い。とても心細い。
てな事で、今年もハーフマラソンでお茶を濁す事にした。
大義名分は「去年、ハーフマラソンで大惨敗したので、それをリベンジしたい」だ。
(幹事長)「もっともらしいやろ?」
(支部長)「ごちゃごちゃ言わんと大人しくハーフマラソンを走りましょ」
(幹事長)「へへいっ!」
てな事で、今年は私のほか、支部長、のらちゃんの3人でハーフマラソンに出場する事になった。
だがエントリーの競争がどれくらいになるのかは見当がつかなかった。
コロナのバカ騒ぎが勃発する前は、日本中を異常なマラソンブームが覆い尽くし、汗見川マラソンや酸欠マラソンと言ったマイナーで過激な山岳レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に瞬間蒸発していた。
その中で、この龍馬脱藩マラソンだけは、即日完売にはならない珍しく人気薄のレースだった。
なぜ、この龍馬脱藩マラソンだけは余裕を持って申し込むことができるたかと言うと、他の山岳マラソンに比べても、コースが超きびしーからだ。
しかし、去年は3年ぶりの正式大会の開催となったため、どれくらい人気になるのか見当がつかなかった。
我々のように3年間待ちに待った大群衆が押し寄せる可能性があった。
その一方で、我々のように怒り狂った大群衆が反旗を翻す恐れも大いにあった。
(ピッグ)「どっちですか!」
(幹事長)「私は待ち焦がれていた方が強いけどな」
大群衆の怒りとは、ずうっと無意味な大会中止が続いてきた事に対する怒りだ。
屋外で開催されるマラソン大会においてコロナウィルスに感染する可能性は完全にゼロなのに、独善的な医療関係者と下品なマスコミがヒステリックに煽るもんだから、多くのマラソン大会が中止を続けてきた。
このような、あまりにも非科学的でヒステリックな対応に対して大半のマラソンランナーが怒り狂っていた。
なので、正式な大会が久しぶりに復活しても、積もり積もった反感により大会への参加を拒むランナーも多いはずだ。
また、丸亀マラソンや徳島マラソンのように、高い金を払ってエントリーしてたのに、僅か2週間前という直前になってドタキャンされる例もあり、大会事務局に対する不信感も極限まで高まっていた。
高い金を払ってエントリーしても直前になってドタキャンされたのではやりきれない思いだ。もう絶対にエントリーなんかするものか、と強く思うランナーも多いはずだ。
てな事で、競争率が高くなるのか低くなるのか分からなかったが、結果的には去年は慌てる必要は無かった。脱藩マラソンに限らず、マラソン大会は全国的に人気がイマイチになった。
待ちに待ってたランナーよりは、怒りと不信感が蓄積したランナーの方が多かったようだ。
熾烈なエントリー競争にウンザリしていた私としては、喜ばしい状況だ。エントリー競争が激烈過ぎて、エントリーに成功した時点で、もう終わったような脱力感に苛まれていたからだ。
とは言え、今年のエントリー競争がどうなるかは、まだ読めなかった。
去年はマラソン大会が復活し始めたばかりだったので、まだまだ様子見のランナーも多かったはずだ。
あらゆるマラソン大会が復活した今年は、参加を希望するランナーも完全に復活する可能性がある。なので、エントリー競争も以前のような熾烈なものに戻る可能性が高かった。
ところが、蓋を開けてみると、今年も慌てる必要は無かった。以前は瞬間蒸発していた汗見川マラソンや酸欠マラソンですら、なかなか定員に達しなかった。いわんや脱藩マラソンをや。
(支部長)「久しぶりに聞いた漢文表現やな」
て事で、今年も余裕をもってエントリーできた。
〜 檮原町へ出発 〜
今年は支部長さまが車を出してくださった。
梼原町は遠いので、出発は早朝になる。
初めて大会に参加した2015年は民宿に泊まったが、2016年以降は早朝に出発して日帰りしている。宿泊場所を探すのに疲れ果てたからだ。
脱藩マラソンは、エントリー自体は他のマラソン大会に比べて楽勝だが、一番のハードルは宿泊場所の確保だ。宿泊場所の確保が極めて難しいのだ。
て言うか、このマラソンが人気薄な理由は、コースが厳しい事もあるが、宿泊場所に困る事も大きい。宿泊場所が無くて参加できない人が多いのだ。たぶん。
距離だけ考えれば、所詮は四国内なので、高松からの日帰りも無茶ではないような気がするが、初めてエントリーした時にH本さんに聞いてみたら、「何言ってるんですか!日帰りなんて無謀ですよ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」なんて言われた。
そのため、宿泊場所を探してみたが、檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、雲の上のホテルの別館のマルシェユスハラもきちんとしたホテルだが、どちらも小規模なので、予約は極めて難しい。
町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、あとは民宿を探すしかないが、民宿も小さな民宿が数軒あるだけなので、マラソン大会の前日の宿泊を確保するのは至難の業だ。
それでも初参加の2015年は、なんとか苦労を重ねた結果、1部屋だけ確保することができた。
ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、「高齢のため食事を作るのが大変だから」と言う説得力の無い理由で難色を示す。
かなり粘ったが、頑なに抵抗され、押し問答の末、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。
この時の経緯は2015年の記事に詳細を記載しているので、是非読んで欲しい。
結局、民宿に泊まっても、風呂も古くて狭くて設備はイマイチだし食事も出ないのであんまり快適ではない。
しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまい、マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。
て事で、翌年から前日の宿泊は諦めて、早朝出発の日帰り路線に変えたのだ。
早朝の4時40分に支部長が来てくれて、その後、のらちゃんを拾って朝5時半頃に高速道路に乗った。日曜日の朝の高速道路は空いていて、車は順調に進む。
香川県地方は朝から曇りだが、高知の方は天気予報ではレース当日は雨模様だと1週間も前から言っていた。
以前なら、1週間も前の天気予報なんて、絶対に外れると思っていたが、最近は1週間も前の天気予報が信じられないほど良く当たる。
なんで1週間も先の天気予報が当たるのか、一体どういう仕組みになっているのか理解できないが、本当に良く当たる。たぶん中国人民解放軍がヨウ化銀を空中散布して気象操作をしているのだろう。
しかも、これが香川県地方なら、天気予報で雨だと言っても、実際に降る事は少ないし、降っても小雨程度だ。讃岐弁では「雨模様」ってのは「雨が降りそうに見えるかもしれないけど、結局は全然降らないのよね」って言う意味だ。
しかし、日本一雨が多い高知県の場合は違う。高知の天気予報で「雨模様」になってると、雨が降るのは間違いない。
土佐弁で「雨模様」ってのは「いきなり土砂降りになるから流されないように気をつけてね」と言う意味になり、雨が降るかどうかではなく、雨の程度の問題になる。
もちろん、今の我々は雨を恐れていた昔の我々ではない。少なくとも夏場のマラソン大会なら、雨そのものは決して嫌いではない。
2010年の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走できたため、雨に対する抵抗感は払拭されたし、2013年の汗見川マラソンでも、直前に雨が降って気温が下がったため快走できたので、もう雨は恐れていない。
でも、それは気温が高いシーズンの話だ。今年は全国的に発狂するほどの酷暑となり、つい先日まで耐えがたい暑さが続いていた。
ところが、高知では、今日は昨日から一転して気温が冷え込むと言う。雨が降る上に気温が下がるとなると、要警戒だ。冷たい雨の中を走るのだけは絶対に嫌だ。
(支部長)「そんな事はない。どんな季節でも雨の方が良い」
(幹事長)「20年前の事を忘れたのか!?」
もう古い話になってしまったが、2000年の丸亀マラソンでは、冷たい雨の中、体中の筋肉がこわばってしまい、空前絶後の大惨敗を喫したのを今でもはっきりと覚えている。
(幹事長)「老化で認知症が進んで記憶力が衰弱しているのに、あの悲惨な戦いは鮮明に覚えているぞ。支部長やって一緒に惨敗したやんか」
(支部長)「老化が進んで寒さには鈍くなったからな」
(のら)「先週くらいの小雨なら良いけど、冷たい雨の中は走りたくないよう。えーんえーん」
先週の酸欠マラソンも小雨や霧雨が降ったり止んだりだったが、それほど強い雨は降らなかったので、体もそれほど冷えなかった。
今日も小雨程度なら良いんだけど。
車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えている。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べ始めてからは下痢する頻度はかなり低くなった。
須崎で高速道路を降り、国道197号線を西にひた走る。順調に車は進むが、やはり梼原町は遠い。
途中で高知のおんちゃんと連絡がとれた。今年も去年と同じように「○○○の駐車場を確保して待ってる」との事だったので、会場のすぐそばの○○○に行って車を停めることができる。
梼原町の中心部に入る手前では、今年も雲の上のホテルの建て替え工事が続いていた。当初は、工事は2021年10月から2024年3月までの予定だったが、資材高騰で大幅に工事が遅れ、今は2027年夏の開業を目指しているらしい。
ただでさえ宿泊が難しかった脱藩マラソンの前夜泊がますます難しくなっている。
〜 会場到着 〜
車は順調に進み、8時過ぎに梼原町の中心部に到着した。駐車場にはおんちゃんが来てくれていて、指示通りに車を停めた。
おんちゃんは最近、練習量が激増した事により絶好調との事で、先週の酸欠マラソンでも軽やかに走っていた。練習量が激減して惨敗が続いている私とは、えらい違いだ。
今日も、我々のようにハーフマラソンでお茶を濁すのではなく、厳しいフルマラソンを走る。
ゼッケンや計測チップや参加賞のTシャツなんかも全て事前に送ってきているので、当日は受付が無い。他のマラソン大会も全てこうやってくれれば、むやみに朝早く行かなくて済むんだけどな。
また、去年は、コロナに感染していない事を証明するための受付があったが、今年はそれも無い。パンフレットだけは当日配布しているので、それだけを貰う。
雨を避けて更衣室に入ったら、さっそく着替えだ。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
予想外のコンディションになった時は、いつも「次回は何があっても対応できるように色んな準備をしてこなければならない」と反省するのに、先週の酸欠マラソンでは炎天下対策しかしてなかったため、予想外の小雨の寒い状態になって困った。
なので、今日は寒さ対策で長袖シャツも持ってきた。登山用に愛用している吸湿性と速乾性に優れた長袖のウェアで、雨が降って濡れてもベチョベチョしないから雨対策にもなる。
半袖Tシャツにアームウォーマーを着けるとか、長袖1枚で良いかなとも思ったけど、雨脚が強くなり寒そうだったので、長袖の上に半袖Tシャツも着た。
Tシャツは先週の酸欠マラソンで貰ったTシャツだ。背中に大きく「酸欠」と書かれたTシャツで、さっそくのらちゃんとお揃いで着た。
インパクトのある画期的なデザインなので、今日は、この「酸欠」Tシャツを着た人で溢れかえっているとばかり思っていたが、他には誰も着ていなかった。なぜだ!
下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。
また、タイツにするか、先週の酸欠マラソンのように脹脛サポーターにするか、迷ったが、雨で足が冷えないようにタイツにした。
雨がかなり降ってきたので、嫌いなランニングキャップも被ったが、手袋までは不要だろうと思って履かなかった。
ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュを入れたら、準備完了だ。
のらちゃんは先週の酸欠マラソンの時と同じように、今日も雨除けのビニール袋を被りたがっていた。
(のら)「これで寒くないよ」
(幹事長)「絶対に暑すぎるってば」
ビニール袋の威力は強力で、とても暖かいんだけど、これまでの経験からすると、走り出すとすぐにとても暑くなり、走りながら脱がなければならなくなる。
私なら走りながらウェアを着たり脱いだりするのに慣れているから平気だが、のらちゃんはそんな事は慣れてないので、今回も私の忠告に従って渋々ビニール袋を脱いだ。
会場で元同僚のT井君に会った。彼はフルマラソンに出ると言う。
彼は我々より速いので過酷なフルマラソンに出るのも不思議は無いんだけど、上下とも登山用に使えそうな重厚なレインウェアを着ている。まるで登山のようなフル装備だ。
(支部長)「何なん?その格好は!?」
(T井)「寒いといけないと思って」
(幹事長)「それは絶対に暑くなるよ」
雨は絶対に通しそうにないけど、重いし、汗で暑くなるのは間違いない。
準備が整ったら団旗を持って記念撮影だ。
小雨が降っているので、あんまり外には出たくなかったが、おんちゃんに「ほら、龍馬がおるよ!」と言われたので、みんなでゴールラインに行って記念撮影をした。
(幹事長)「今年も龍馬は走るんかな?」
(支部長)「今年は、その辺を走るだけやって」
雨にも負けず団旗を掲げて気合を入れる参加メンバー
(左から幹事長、おんちゃん、龍馬、支部長、のらちゃん)
準備が終わったところで、コースを確認する。今年はコースが少し変わったようだ。
まず、トンネルを2つ通って大きな坂を下ってしばらく行ったところに、5km地点(10kmコースの折り返し点)がある。
去年までは、そこを過ぎたら、橋を渡って川の左に移動していたが、今年は橋を渡らずにそのまま真っすぐ進むとの事だ。コースとしては分かりやすくなったようだ。
折り返しの前後の3kmほどの区間は、盲腸のように集落に入ってグルっと回ってくるややこしい区間で、そこは変わらない。
もちろん、要所には案内スタッフがいるはずだから、道を間違える心配は無いが、コースを頭に入れておかないとペース配分はできない。
〜 スタンバイ 〜
フルマラソンのスタート時間は9時なので、おんちゃんは早々にスタート地点に行った。
それより30分遅いハーフマラソンのスタート時間も近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは坂が厳しい過酷なコースだから、他のレースとの比較は意味が無い。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。
この大会は、正式な大会は過去6回出場したことがあるが、そのうち4回はフルマラソンなので比較できない。
ハーフマラソンに出たのは2015年と2022年の2回だけで、2015年が2時間2分台、2022年が2時間7分台だった。
また自主開催では、2020年が2時間11分台、2021年が2時間4分台だった。
なので、とりあえずはベストタイムである2015年のタイムを目指すことになる。
2015年のタイムだって、普通のマラソン大会なら大惨敗タイムだが、この過酷なコースを考えると、2時間を切るのは不可能に思える。
そもそも脱藩マラソンに限らず、汗見川マラソンや酸欠マラソンも含め、夏場の山岳マラソンで良いタイムが出る訳がない。
てな事を総合すると、一応、目標は2時間を目安とするが、たぶん無理だろうな。
2022年だって、3年ぶりの正式な大会だったので、やる気は満ちていたにもかかわらず、トンでもない大惨敗だった。その理由は圧倒的な練習不足だった。
去年の夏は、7月下旬の越後地方、8下旬の北アルプス黒部源流域、9月中旬の南アルプス南部と、長期の登山遠征が続き、さらにその合間を縫ってみんなで富士山登山や涸沢奥穂高岳登山にも行ったため、ランニングの練習がとても少なかった。
また、練習が少なかっただけでなく、疲労が溜まり、ちょっと走っただけでも体調が悪くなったりしていた。
今年はさらに状況が悪い。
今年の夏は、7月の北海道、8月後半の東北地方、9月下旬の南アルプス最南部と、遠方への長期の登山遠征が続き、さらにその合間を縫ってみんなで尾瀬登山にも行ったため、ランニングの練習がとても少なかった。
なんと7月も8月も9月も、月間走行距離は100kmにも満たなかった。去年でさえ月間走行距離が100kmを下回ったような月は無かった。
月間走行距離が100kmにも満たなかったのは、6年前の2017年春に登山で滑落して靭帯を損傷した時以来だ。
そのため、先週の酸欠マラソンでは完走すら不安だったが、なんとか最後まで走る事はできた。タイムは歴史的大敗のひどいものだったが、とりあえず完走はできた。
その疲れが残っているから、今日も最後まで走れるかどうか不安はあるが、なんとしても完走はしなければならない。
もちろん、私の定義では、完走と言うのは「歩いてでもゴールする」という意味ではない。「絶対に歩かない」のが完走だ。「完走」を甘く見てはいけない。
(幹事長)「分かってるよな。一歩でも歩いたらアウトやで」
(のら)「ひえ〜!」
のらちゃんは、走ると速いんだけど、最近、歩き癖がついて、すぐ歩いてしまうようになった。なので、釘を刺しておかなければならない。
急な上り坂では走っても歩いてもさほどスピードは変わらない割りには、走ると体力を大きく消耗する。序盤から無理して不必要に体力を消耗すると、終盤の失速に繋がる。
なので、序盤の激坂を最初から歩くという作戦には一理ある。
しかし、一度でも歩いてしまうと、歩くのに抵抗が無くなり、すぐ歩くようになってしまう。そんなだらしない展開は回避したい。
一方、支部長にはここ2〜3年、負ける事が多くなったが、今年の春先から足の故障によりランニングの不調が続いている。
7月末の汗見川マラソンでは途中リタイアし、その後はほとんどランニングを控えている。
なので、今年は完走が目標だ。
(幹事長)「言うとくけど、完走ってのは一歩でも・・・」
(支部長)「やかましわい!歩いてでもゴールしたら完走や!」
スタート時間が近づいてきたが、雨が降ってるので、みんななかなか外に出ようとしない。
それでもスタート時間10分前くらいになると、ゾロゾロと外に出始める。
スタート時間5分前になって、ようやく交通規制がかかり、スタートラインにランナーが並び始める。
周りを見ると、以前よりはまだ参加者が少ないようだ。
もともとマイナーな大会ではあるが、以前はフルマラソン、ハーフマラソン、10kmの部を合わせて定員1500人だった。
それが今回は全部で定員が1000人になった。2022年は800人だったから、少しは増やしているけど、以前に比べたら少ない。
内訳を見ると、フルマラソンが267人、ハーフマラソンが356人、10kmの部が272人だ。
これくらい少ない方が混雑も無いし、走りやすい。
参加者が少ないから、どこに並んでもタイムにさほど変わりは無い。
て言うか、この厳しいコースで良いタイムは出るはずがないから、スタート時の多少のタイムロスは誤差の範囲だ。
参加者の総数も少ないけど、女子の参加者はさらに少なく、ハーフマラソンの部は女子は87人だ。それでも全体の1/4近くいるから、先週の酸欠マラソンよりは少し多い。
こんなレースに参加する女子ってのは相当な実力者揃いだから、決して女子だからと言って侮ってはいけない。もちろん男子だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高い。
〜 スタート 〜
いよいよ9時半になり、ピストルの号砲と共にランナーが一斉にスタートした。
タイムはネットタイムで計測してくれるのかグロスタイムなのか分からないが、参加者が少ないので、スタートラインを越えるまで10秒もかからなかったから、誤差の範囲だ。
フルマラソンなら前半に飛ばし過ぎると後半は大撃沈するのが必至なので、前半はできるだけ抑えて走らなければならない。でもハーフマラソンなら、そんな事を気にする必要はなく、最初から好き勝手に走れば良い。
と言うのが通常だが、今日は圧倒的な練習不足なので、前半に調子に乗って飛ばし過ぎると後半になって足が動かなくなるのは必至なので、自重しなければならない。
て言うか、先週の酸欠マラソンの疲れが残っているせいか、最初から足が重く、飛び出すような力は無い。なので、かなりゆっくりしたペースで走り出す。
ただ、最初から猛スピードで駆け出していくランナーもいるが、周囲では似たようなペースで走りだすランナーも多いので、焦りは感じない。
雨は降っているが、そんなに強くは降ってないので、すぐに慣れて平気になり、走りにくくはない。むしろ雨の中では呼吸が楽になるので、走りやすいくらいだ。
町中心部の狭い道を少しだけグルッと回った後、広い幹線道路に出る。
少し走ると最初の1km地点の距離表示がある。時計を見ると、いきなり6分近い。最初の1kmはほぼフラットなのに、いくらなんでも出だしから遅すぎる。去年に比べても、ものすごく遅い。
でも、序盤で無理すると終盤で足が止まるので、今日は無理はしない。
1km地点を過ぎると上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、決して無理をしてはいけないので、どんどんペースは落ちる。
すると2km地点でのラップは1km6分半を超えた。
2km地点を過ぎると、坂の傾斜は一気に強まり、激坂になってくる。そのため、さらにどんどんペースダウンしていく。
すると後ろから、すごい大きな声で「おうっ、おうっ」って言う奇妙な大声を出しながら追い抜いてくおっさんがいる。喘ぎ声にしては、はっきりしている。とても鬱陶しくて耳障りなおっさんだ。
そしたら、それに続いて「はあっ、はあっ」と大きな声で息を吐きながら追い抜いていく女性が来た。彼女は去年、前半で抜きつ抜かれつの接戦を演じた女性だ。そんなに大きな声で息を吐いていると、それだけで疲れそうだが、快調な足取りで今年も私を追い抜いて行った。
厳しい坂が終わると3km地点があり、なんと遂に1km7分を超えてしまった。いくらなんでも序盤で7分をオーバーするなんて、遅すぎる。遅いにも程がある。
ただ、取りあえず序盤の坂はこれで終わりだ。ちょっと一安心だ。
ここまでものすごく遅いと思うんだけど、のらちゃんが追い抜いていかない。ここまでペースが遅いと、当然、スイスイと追い抜いていくのが普通なんだけど、彼女も今日は疲れているのだろうか。
急な坂が終わってピークを過ぎるとトンネルが2つある。最初のトンネルは短くほぼフラットで、トンネルを出ると緩い下り坂になり、だいぶ楽になる。
少し走ると2つ目のトンネルがあり、今度のトンネルは長い下り坂で、軽快に走れるようになってくる。
トンネルを抜けると、傾斜は一気に強まり、強烈な下り坂となる。帰ってくる時は誰もが歩いて上る壁のような激坂だ。
ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから、自重しなければならない。
とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、意外に難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。
金さんなんかは小股でチョコチョコと走るのが良いってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。
て事で、飛ばそうか自重しようか悩むのが例年なんだけど、今日は疲れがたまってるからか、足がそんなに動かない。自重しないで自然に走っているつもりでも、全然スピードが出ない。悩む余地が無い。
下り坂の途中に4km地点があり、例年だと1km5分を大きく下回るところなのに、今日は5分を大きくオーバーしている。この激坂の下りで5分を切れないなんて、かなり危機的な状態だ。
それでものらちゃんは追い抜いてこない。
下り坂を下り切ったところに最初の給水所がある。雨で寒いくらいだから、まだまだ全然喉は渇いてないが、足攣り防止のため、全ての給水所でこまめに給水していくつもりだ。
まずはスポーツドリンクを頂いた。
下り坂が終わるとフラットになり、四万十川の支流の四万川川(しまがわかわ)に沿って走る県道2号線に出る。
給水所を過ぎると再び上り坂になる。ちょっとだけきつい上り坂だが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。
そのまま川沿いの堤防の道を走ると10kmの部の折り返し点を示す大きなコーンが立っている。ここが5km地点だ。この1kmのラップも遅かった。
スタートからここまで、去年と比べるとコンスタントに1km30秒くらい遅い。トータルだと2分以上遅い。去年のタイムだって大惨敗タイムだったのに、それより序盤の5kmで早くも2分以上遅いだなんて、かなり危機的な状況だ。
去年までは、ここで幹線道路の県道2号線から橋を西側に渡って対岸の狭い道に移動していた。でも、今年は県道2号線をそのまま直進するようにコースが変わった。
対岸の狭い道より県道2号線の方が良い道だが、これまでは工事か何かで通れなかったのかもしれない。県道2号線の方が道としては良さそうなので、走りやすくなるはずだ。
なーんて思ったんだけど、県道2号線はいきなり上り坂となった。それほど無茶苦茶きつくはないが、かなり長い間、上り坂が続いた。
従来の対岸の狭い道も上り坂だったけど、こんなに長くは続かず、坂とフラットな区間がこまめに繰り返されていた。どっちの方が走りやすいのかはよく分からないが、決して楽になった訳ではない。
従来の対岸の道は、かなり曲がりくねっていたので先が見通しにくかったが、県道2号線はカーブが緩やかなので先まで見通せる。まだまだ上り坂が続くと分かって、ちょっとゲンナリだ。
従来の対岸の道は、山の中を走る道なので、人家は少なく、沿道で応援してくれる人も少ないが、それでも村人ほぼ総出で応援してくれていて、あちこちに道ばたにおばあちゃん達が座りこんで応援してくれていた。
ところが、新しい県道2号線は道は整備されているが、沿道に人家はほどんど無く、応援してくれている人もほとんどいない。かなり寂しい状況だ。
5km地点の後は距離表示が中途半端になり、次の距離表示は7.5km地点だ。これでは、ペースが良く分からなくなる。なので、ここからはガーミンのラップを見ながら走る。
上り坂が厳しかったせいで6km地点のラップは6分を大幅に超えていた。
その後、坂は緩やかに下り始めたため、7km地点のラップは5分半ほどまで改善した。
そのまま県道2号線を走っていくのかと思ったら、7km地点を過ぎた後、橋を渡って以前の対岸の狭い道に移った。県道2号線はそのまま真っすぐに続いているのに、なんでだろう?
橋を渡ると2つ目の給水所があったので、ここでもこまめに給水する。
その直後に7.5km地点があるが、もうガーミンの距離表示に頼っているので、無視する。しばらく走ると8km地点になる。
8km地点を過ぎた辺りで、早くも先頭ランナーが折り返してきた。彼は12kmを過ぎているので、私より1.5倍くらい速い事になる。とても軽やかに走っていく。
トップランナーよりかなり離れて2位のランナーもやってきた。驚いた事に、2位のランナーはビニールカッパを着ていた。マラソン大会でビニールカッパを着るなんて、よっぽどの素人しかしないのに、2位のランナーが着ていたのでビックリだ。
3位以下のランナーは、これまただいぶ離れていた。
この辺りで、ようやくのらちゃんがすぐ後ろに付いたので、しばらくおしゃべりしながら並走する。
雨は小雨のままで、特に走りにくくはない。でも、さすがに少し寒くて、手はかじかんできた。
9kmほど走ったところで、従来通り再び橋を渡って川の東側に移動し、県道2号線に復帰する。
さらに少し走ると、フルマラソンのコースとの分岐点になる。フルマラソンは、そのまま愛媛県との県境を目指して県道2号線を真っ直ぐに進むんだけど、ハーフマラソンのコースは県道304号線に折れて右の集落に入っていく。
集落へ逸れた先は、一般的なマラソンコースのように折り返し点で折り返すのではなく、集落の中をぐるっと一方通行で周回して帰ってくるコースになっている。
そのため、前のランナーや後続ランナーとすれ違わないので、どれだけ離れているか距離が分かりにくい。
集落に入ると、かなりの傾斜がある上り坂になる。フルマラソンのコースも、復路ではこの集落に入っていくが、激坂のコースを30kmほど走った後の上り坂なので、完膚無きまでに叩きのめされるのが常だ。
ただ、今日はハーフマラソンなので、それほど苦しくはない。それでもペースは落ちていき、のらちゃんが前に出る。さすがに、ここであっさりと先行を許すと、そのままズルズルと離されそうなので、ここはついていく。
少し行くと10km地点の距離表示がある。8km地点、9km地点、10km地点のラップは、いずれも1km6分前後だった。去年と似たようなペースだが、緩い上り坂なので仕方ないだろう。
スタートからのトータルでは、去年は10km地点で1時間を切っていたが、今年は1時間をオーバーしている。去年の惨敗タイムより、さらに大きく出遅れている。
上り坂が終わると、前方に橋が見えてくる。この橋を渡って対岸に移ると復路となる。橋を渡った所がスタートから11km地点になる。
橋を渡って対岸を見ると、後続のランナーが見える。かなり後ろの方のランナーまで見えるんだけど、目を凝らして見ても支部長の姿は見えなかった。足の調子が悪そうだから、だいぶ歩いて遅れているのだろう。
なーんて思ってたら、のらちゃんの背中が少しずつ離れていく。こんな所で彼女がペースアップしたとは思えないので、自分のペースが落ちているのだろう。
彼女だけでなく、他のランナーにも離され始めた。これはマズいぞ。
集落区間が終わって本道に戻ると、後半は基本的に緩やかな下り坂だ。
橋を渡って対岸の狭い道に入っていくと、時々上り坂もあるが、全体としては緩やかな下りなので、気合いを入れてペースを上げた。
そのためか、12km地点でのラップは少しだけ速くなり、1km5分半程度になった。このままのペースが維持できれば去年よりは良いタイムが出そうだ。
なーんて思ったんだけど、すぐに力尽きてペースは再びダウンする。
ダラダラした緩い下り坂が続くが、16km地点までは1km6分前後のペースが続いた。
頑張っているつもりなんだけど、下り坂なのに、どうしてもペースが上がらない。のらちゃんの背中は、すっかり見えなくなってしまった。
15km地点を過ぎると再び距離表示が1kmごとになってきて残り5km地点の距離表示が現れる。
次の残り4km地点でのラップはさらに悪くなり、1km6分半にまで落ちた。どんなに足を前に出そうとしても、なかなか進まず、ジリジリとペースが下がっていく。
そして、ここからいよいよ最後のめちゃめちゃ急な上り坂が始まる。このコースの最大の急坂だ。
序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急な下り坂を、今度は反対に上らなければならない。フルマラソンの時は問答無用で歩かざるを得ない激坂だ。
ハーフマラソンでも、終盤の厳しい坂になるから、ここで力尽きて歩き始めるランナーも多い。でも、完全なる完走を目指しているので、ここで歩く訳にはいかない。
こんな激坂は走ろうが歩こうがスピードはあんまり変わらないんだけど、それでも走れば少しは歩くのより速いので、絶対に歩かない。
前半で下った時よりも、上りの時の方がこの坂は長く感じられる。ペースが遅くて時間がかかるからだ。たぶん2倍くらい時間がかかっているだろう。
坂の途中から真っ暗なトンネルに入る。長いトンネルを抜けるとようやく厳しい上り坂が終わり、残り3km地点の距離表示が現れる。
ここで時計を見ると、この1kmは9分近くかかっていた。今年は割と頑張って上ったと思うのに、それでも9分近いだなんて、ガッカリだ。
それでも、激坂が終わった後は、残り3kmはずっと下り坂なので、1km5分平気で走れば去年よりはマシなタイムになる。まだまだ可能性はある。
と思って走り始めたんだけど、最後の上り坂でかなり力を使い果たしたため、足が回らない。下り坂なのに足が思うように動かないのは、はがゆいばかりだ。
残り2km地点の距離表示で時計を見ると、この1kmでも5分半くらいかかっている。この下り坂で5分を切れないってのは、もう絶望的だ。
さらに次の残り1km地点では、また少し遅くなっている。下り坂でも足が動かなくなりつつある。練習不足のせいで、これが限界のようだ。
最後の1kmになると下り坂も終わり、フラットな区間となる。こうなるともう全然足が動かない。ペースは果てしなく落ちていく。
もうゴールは近いはずなのに、思いのほか距離が長い。いつまで経ってもゴールにならない。
〜 ゴール 〜
いい加減ウンザリした頃に、ようやく町中に入っていく分岐が現れる。そこを左に曲がって最後の角を右に曲がるとゴールが見えてくるが、これまた意外に遠い。
ゴール前の最後の最後には再び急な上り坂がある。ものすごく短い坂だけど、ゴール直前の急な上り坂なので、なかなか辛いところだ。
そのため、最後は歩くようなスピードでゴールした。
ゴールの向こうには、いち早くゴールしたのらちゃんがカメラを構えてくれているので、なんとかポーズをとってゴールした。
結局、去年の大惨敗タイムすら超えられない大々惨敗タイムだった。
のらちゃんも去年のタイムより少し悪かったが、私に比べたらずっと速かった。
先週の酸欠マラソンも同じだったけど、後半の下り坂区間で大きな差がついた。以前は下り坂は得意だったのに、下り坂で引き離されるなんて、一体どうした事だろう。
(幹事長)「練習不足だから仕方ないか」
でも、条件が一緒ののらちゃんに2週連続で終盤の下り坂で差をつけられるなんて、練習不足だけでは言い訳できない。
(のら)「歳のせいなんじゃない?」
一方、ちゃんと走れてるか心配だった支部長は、意外にしっかりした足取りで帰ってきた。そんなに無茶苦茶遅くはなかった。
(支部長)「歩いたのは最後の巨大な坂だけやったな」
いつもならあちこちで歩きまくる支部長が、最後の激坂以外では歩かなかったなんて珍しい。
ここんとこ、ほとんど全く走れてなかったと言うのに、いきなりこの坂の厳しいハーフマラソンを完走できるなんて、思いもよらなかった。
(幹事長)「自分やったら絶対に無理やなあ」
(のら)「ランニングはできてなかったけど、水泳の練習を欠かさなかったから良かったんじゃないの?」
支部長は足の故障でランニングはほとんどできなかったが、その代わりに水泳を毎日欠かさずに続けていた。そのため体幹が鍛えられて、ランニングにも良かったのかもしれない。
(幹事長)「登山はランニングには効果が無いのかなあ」
(のら)「無くはないと思うけど、疲れが残ってたんだよ」
フルマラソンに出たおんちゃんは、なんとサブ4.5の好タイムでゴールした。
この超厳しいフルマラソンでサブ4.5だなんて、私なら永遠に有り得ない。凄すぎでビックリだ。
一方、トンでもないフル装備でフルマラソンに出たT井君は完走者リストに名前が載ってなかった。
さすがに暑すぎてリタイアしたのかもしれない。
(支部長)「だから言わんこっちゃない」
〜 反省会 〜
走り終わったら、完走メダルとお弁当を受け取る。
そしたら先週の酸欠マラソンで出会った酸欠姉ちゃんが声を掛けてきてくれた。
(酸欠)「酸欠Tシャツを着てたから分かりましたよ」
(幹事長)「でも自分は酸欠Tシャツを着てないやん!」
(酸欠)「てへぺろ」
(幹事長)「今日は酸欠Tシャツが溢れているかと思ったのに、誰一人おらんがな!」
彼女は去年はハーフマラソンに出ていて、私たちと良い勝負をしていたが、今年は10kmの部に出たので、直接対決にはならなかった。
彼女は今年3月に出た四万十川桜マラソンで、フルマラソンの自己ベストを出したそうだ。なかなか走りやすいコースだったとの事なので、来年は我々も出場してみたいぞ。
走り終えると体がどんどん冷えてきたので、急いでお風呂に行く事にした。お風呂はタダ券をもらった雲の上のホテルの温泉だ。
当然ながら、脱藩マラソンの日はランナーが殺到して大混雑となる。それでも、以前は行列に並んで待たされていたが、去年から整理券を渡され、待合室が準備されるようになったので、とても楽になった。
待合室で、先ほど受け取ったお弁当を食べていると、ちょうと食べ終わった頃にお風呂の順番となった。
ようやく入った温泉は気持ち良く、ぬるめの露天風呂にはいつまでも入れる。すっかりくつろいで疲れを癒すことができた。
(幹事長)「絶望的に調子が悪かった実感は無いのに、結果は絶望的やったなあ。一歩も歩かなかったのに」
(支部長)「私は最後の激坂では歩いたけど、完走できたから満足だよ」
(幹事長)「終盤になると一気にスピードダウンするんだよなあ」
(支部長)「単なる練習不足やな」
練習不足は重々承知してるんだけど、夏場は登山が優先だから仕方ない。
そうなると、10月初旬の脱藩マラソンでは、なかなかフルマラソンには出られない。
(幹事長)「来年は、またフルマラソンに出ようかなんて思うんだけど、難しいなあ」
(支部長)「まだ血迷ってるんかいな」
4年間に卒業したはずの脱藩マラソンのフルマラソンだが、のらちゃんが一度はフルマラソンに出てみたいと言うから、いつかは再びフルマラソンに出なくてはならない。
さて、次のレースは1週間後のこんぴら石段マラソンだ。お遊びの草レースではあるが、4年ぶりの大会なのでワクワクする。
(支部長)「石段で転んで怪我しないようにせんといかんな」
(幹事長)「最近、足腰が弱ってきてるからな」
〜おしまい〜
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