第9回 龍馬脱藩マラソン大会

〜 3年ぶりの正式大会で大惨敗! 〜


2022年10月9日(日)、高知県檮原町において第9回龍馬脱藩マラソンが開催された。
自主開催ではない龍馬脱藩マラソンの正式大会は3年ぶりで、他のマラソン大会を含めても2020年2月の第8回高知龍馬マラソン以来、実に2年8ヶ月ぶりのマラソン大会だ。

脱藩マラソンは6月上旬の北山林道駆け足大会7月下旬の汗見川マラソン9月上旬の酸欠マラソンに続く夏場の山岳マラソン4連戦の最終戦として大きな存在感のある大会だ。
坂の過激さは北山林道駆け足大会や酸欠マラソンも同じくらい超厳しいが、なんと言ってもこの脱藩マラソンはフルマラソンがあるので、その過激さは筆舌に尽くしがたい
他の上記3大会は、コースが厳しいと言っても、北山林道駆け足大会は距離が13kmと短いので楽しいまま終わるし、汗見川マラソンは坂の厳しさが少しマシなうえ終わってからの川遊びが楽しいハーフマラソンだし、酸欠マラソンは天空の絶景コースを走るハーフマラソンなので、厳しいとは言いつつ、いずれもとっても楽しい大会だ。
しかし、脱藩マラソンは楽しさを感じる余裕は無く、最初から最後まで苦しいだけの大会だ。あまりにも厳しい大会なので、開催日が近づいてくると憂鬱な気分になり、できることなら逃げ出したいくらいになるので、自分でも本当にこの大会を楽しみにしているのかどうか、よく分からない。
しかし、苦しいからと言ってこの大会を避けたりすると、自分が情けなくなり、ずっと後悔する羽目になるし、また自分の現時点での力を把握するためにも、避けて通れない地獄の関門のような大会だ。

(ピッグ)「結局、楽しみにしてるんですか、それとも嫌なんですか?」
(幹事長)「辛くて苦しいのが好きっ!」


それなのに、ああ、それなのに、なんと一昨年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった

事の発端は2020年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、その後、状況はますます悪くなり、遂に3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になってしまった。あまりの事に呆然とした。
そして、その後も、全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった。

これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。

(ピッグ)「あれ?正式大会が復活したのに、この説明は続くんですか?」
(幹事長)「腹が立って仕方ないからな」

ともかく、
素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしていたが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。ただの風邪だ。
それなのに、その後も5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、マラソン大会もサイクリングイベントも全滅してしまった

この暗黒の事態を打開するため、
ピッグの提案により、中止になったイベントをペンギンズで自主開催していくことになった。
マラソン大会では5月の小豆島オリーブマラソンから自主開催を始め、12月の瀬戸内海タートルマラソンまで
全てのマラソン大会を自主開催した
これらは例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、願わくは、コロナのバカ騒ぎは2020年で収束して、2021年はマラソン大会が復活して欲しかった。
ところが、
2021年になってもコロナのバカ騒ぎが終わらず全てのマラソン大会の中止が続いたため、2月の丸亀マラソンから始まって11月の瀬戸内海タートルマラソンまで全てのマラソン大会の自主開催を続けた

しかし、バカみたいなコロナ騒ぎもいよいよ収まり、
2022年2月の丸亀マラソンから正式なマラソン大会が復活する予定だった。我々はちゃんとエントリーし、参加費だって払い込んでいた。
ところが、なんと、丸亀マラソンは直前になってドタキャンされてしまった
さらに
3月の徳島マラソンも、ちゃんとエントリーし、参加費も払い込んでいたのに、やはり直前になってドタキャンされてしまった。
2020年に全国に先駆けて中止になった徳島マラソンは
3年目の中止になったのだ。

ただし、全国的にコロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が全面的に3年目に突入した訳では決してない
東京マラソンは3月6日に開催されたし、名古屋ウィメンズマラソンも3月13日に開催され、ゾウさんが出場して完走した。
なぜマラソン大会が復活し始めたのかと言えば、
コロナの感染者数が減ったからではない。相変わらず感染者数は高止まりしている。
しかし
、コロナのバカ騒ぎは収まりつつある。ようやく国民の多くはコロナがただの風邪に過ぎないって事が分かってきたのだ
独善的な医療関係者と下品なマスコミが、あたかもコロナを恐ろしい病気のようにヒステリックにわめきたてるもんだから、国民の多くが理解するまで2年もかかったが、ようやくコロナなんてただの風邪に過ぎないっていう理解が進んできたのだ。

ところが、
人口が密集している大都市の東京や名古屋で大規模マラソンが開催されたのに、なぜか田舎で沿道の観客だってスカスカの徳島マラソンは中止になった
その流れを受けて、
四国で開催されるマラソン大会は、5月の小豆島オリーブマラソン6月の北山林道駆け足大会7月の汗見川マラソン9月の酸欠マラソンと相変わらず3年連続の中止になった。
そして、10月16日に予定されていた
四万十ウルトラマラソンも中止が発表されてしまった。出場予定だったD木谷さんらはガッカリだ。

(D木谷)「9月の京丹後ウルトラマラソンは参加できたのに、なんで四万十ウルトラマラソンは中止になったんでしょうねえ?」

やはり、
四国の自治体はマラソン大会の開催について極めて臆病なのだ。一体、何を恐れているんだろう?愚かなマスコミを恐れているんだろうか?

しかーし!
遂に今回、
四国のマラソン大会として3年ぶりに龍馬脱藩マラソンが復活したのだ!
四国のマラソン大会で復活したのは、この大会が最初となる(注:あくまでも私が知ってる範囲の大会です。たぶん他にも開催された大会があるとは思います)。
これは
梼原町の熱意の賜物だろうと思う。元々梼原町は何に対しても前向きで、やる気が溢れている自治体だ。その熱意がマラソン大会の開催にも現れているのだ。

て事で、とっても目出度く3年ぶりの正式なマラソン大会として、このたび龍馬脱藩マラソンが開催された。
なお、このホームページ上では、コロナのバカ騒ぎで正式大会が中止になったため自主開催した2020年の大会を第9回大会、同じく自主開催した2021年の大会を第10回大会と称してきたが、今年の正式大会が第9回大会と銘打たれたので、第9回大会が重複する事になったが、ま、気にしない。


〜 超厳しいコース 〜


龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。
四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、過去最大級の厳しいコースだった。
四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。
死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。
そして、その後継レースとして新しく2011年にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。

四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は低くなった
しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンの部ができたのだ。

ハーフマラソンのコースも累積の標高差は380mもあるから、汗見川マラソンやタートルマラソンより厳しい。
しかし、フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の標高差は900m近くある。 ハーフマラソンの2倍以上の厳しさだ。
前半は基本的に上りが続き15km地点辺りまでの上りはそれほど過激ではないが、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。
そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンだ。

龍馬脱藩マラソンに初めてエントリーしたのは2014年。ただ、そのときは台風のため直前に中止になってしまった。
それで、龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは2015年となった。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンでも厳しいです。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。H本さんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。
一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう
でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。

ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースは超過激ってほど大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。

(幹事長)「あんなに恐れていたのに、あんまり大したこと無かったよなあ?」
(支部長)「いやいや、そんなことはない。十分に厳しかったで」

支部長は満腹したようだが、私は、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。
そこで今度は阿南のスーパー女性ランナーY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。

(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(Y浅)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」

この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。
なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからだ。つまり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。
しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないのだフルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになるのだ。
なので、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にならない。

若い頃は坂のあるコースよりフラットなコースの方が好きだった。

(ピッグ)「普通そうですよね」
(幹事長)「誰だってフラットな方が楽だもんね」


でも、歳とってくると、だんだん坂が好きになってきた。良いタイムが出やすいフラットなコースよりも、むしろアップダウンの激しい山岳マラソンの方が面白く感じるようになってきた
その大きな理由として、歳とってくると、フラットな高速コースではタイムが伸び悩んでいるって事がある。フラットなコースでタイムが伸び悩むと、なんだかやる気が失せてしまうが、坂が多い厳しいいコースだと、タイムは悪くても当たり前なので気にしなくてもいいし、坂がある方が純粋に面白い
て事で、最近は、タイムは二の次で、フラットなコースよりも激坂がある山岳マラソンの方が面白くなってきた。さらにトレイルランにも参加するようになっている。


〜 過去は惨敗続き 〜


散々、悩んだが、やはり一度はフルマラソンの部に出てみたいので、2016年に初めてフルマラソンの部に出場した
その結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した。しかも「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。
それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行ける。てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって痛みを取ったりした。
しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こんな辛い思いは二度としたくないから、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」なんて決意した。

ところが、翌年になると、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思い、2017年もフルマラソンの部に出場した

(支部長)「もう出ないって言ってたのに、ほんまに記憶力が悪いな」

辛かった記憶が薄れたこともあるが、前年はフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思ったのだ。
そして、嫌がる支部長も強引に誘ってフルマラソンに一緒に参加した。そして、結果は、二人そろってさらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった
前年の反省から、前半は徹底して抑えて走って余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下るつもりだった。
ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。結局、終盤は前年と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、前年を上回る衝撃的な大々惨敗だった。
そして、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」と決意した。

ところが、翌年になると、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思うし、 記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶が薄れてきたこともあり、2018年も性懲りもなくフルマラソンの部に出場した

(支部長)「記憶力が悪いと言うより、記憶力が無いな」

私よりは記憶力の衰えがマシな支部長は、二度とフルマラソンには出なかったが、私は再びフルマラソンに挑戦した。そして作戦を大きく変更した。
2016年は、「恐れていたけど、案外走れるぞ」なんて思って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2017年は、その反省から、前半を徹底して抑えて、急坂ではためらうことなく歩いた。それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
なので、2018年は、取りあえず何も考えずに再び自然体で走る作戦としたのだ。

(支部長)「それは作戦とは言わんぞ」

自然体で走っていたら、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上れたが、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、3年連続で呆れてモノも言えないくらいの大惨敗を喫してしまった。

(支部長)「それって、最初の年と全く同じパターンやんか。学習効果が無いなあ」

ただ、大惨敗ながらも大会自己ベストは僅かながら更新したと勘違いして、レース直後には「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ところが、家に帰って調べてみたら、2016年のタイムより10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったことが判明した。

それで仕方なく、2019年も再びフルマラソンの部に出場した
2016年と2018年は前半の上り坂を一歩も歩かずに上ったため、後半に足が痛くなったり攣ったりして走れなくなったので、再び前半は徹底して抑えるという作戦に変え、少しでもきつく感じるとすぐ歩いた。前半での抑制を、2年目の時より、さらに徹底したのだ。
その結果、前半は過去3大会と比べて最も遅かった。しかし、それが功を奏して後半は足が痛くならず失速しなかったため、初めて後半の方が前半より速いタイムで走れ、結果としてなんとか大会自己ベストを更新することができた
てことで、晴れて「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ただ、足が痛くならずに完走できたもんだから、またまた性懲りもなくフルマラソンに出て「もっと良いタイムを出したいな」なんて心が揺らいでいた

ところが、最初に書いたように、2020年も2021年も新型コロナウイルスのバカ騒ぎのせいで大会が中止になったので両年共に自主開催した
自主開催でフルマラソンを走れるほど我々の精神力は強くないので、2年連続で自主開催大会はハーフマラソンのみの開催とした。


〜 エントリー 〜


こうなると、今年3年ぶりに復活した正式大会にフルマラソンの部に出るのかハーフマラソンの部でお茶を濁すのか悩むところだ

(幹事長)「悩むよなあ」
(支部長)「悩む余地なんか無いがな。もう二度とフルマラソンには出ないよ」
(ピッグ)「みなさんに合わせます」
(D木谷)「迷いますねえ。フルマラソンに出たいですけど、翌週に四万十ウルトラマラソンがあるので、あんまり無理しない方がいいかもしれません」
(のら)「私もフルマラソンに出てみたいなあ」
(幹事長)「初めて出るフルマラソンが脱藩マラソンってのは無茶やがな」

のらちゃんはフルマラソンに出たことないので、フルマラソンに出たくて仕方ないんだけど、さすがに脱藩マラソンでフルマラソンデビューってのは無謀だ。
私も悩んだ末、久しぶりのマラソン大会なのに、いきなり脱藩マラソンのフルマラソンに出るってのは無謀だと思い、ハーフマラソンにした
脱藩マラソンのエントリー時には四万十ウルトラマラソンも開催予定だったので、D木谷さんもハーフマラソンで妥協した。
て事で、みんな揃ってハーフマラソンの部に出ることにした

久しぶりに開催される脱藩マラソンだが、どれくらい人気になるのか全く読めない
コロナのバカ騒ぎが勃発する前は、日本中を異常なマラソンブームが覆い尽くし、汗見川マラソンや酸欠マラソンと言ったマイナーで過激な山岳レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に瞬間蒸発していた。
その中で、この龍馬脱藩マラソンだけは、即日完売にはならない珍しく人気薄のレースだった。
なぜ、この龍馬脱藩マラソンだけは余裕を持って申し込むことができるたかと言うと、他の山岳マラソンに比べても、コースが超きびしーからだ

しかし、3年ぶりの正式なマラソン大会となると、どれくらい人気になるのか見当もつかない。
我々のように3年間待ちに待った大群衆が押し寄せる可能性がある
その一方で、我々のように怒り狂った大群衆が反旗を翻す恐れも大いにある

(ピッグ)「どっちですか!」
(幹事長)「私は待ち焦がれていた方が強いけどな」


大群衆の怒りとは、ずうっと無意味な大会中止が続いてきた事に対する怒りだ。
上にも書いたように、屋外で開催されるマラソン大会においてコロナウィルスに感染する可能性は完全にゼロなのに、独善的な医療関係者と下品なマスコミがヒステリックに煽るもんだから、多くのマラソン大会が中止を続けてきた。
このような、あまりにも非科学的でヒステリックな対応に対して大半のマラソンランナーが怒り狂ってきた。
なので、正式な大会が久しぶりに復活しても、
積もり積もった反感により大会への参加を拒むランナーも多いだろう
また、今年の丸亀マラソンや徳島マラソンのように、高い金を払ってエントリーしてたのに、僅か2週間前という直前になってドタキャンされる例もあり、
大会事務局に対する不信感も極めて大きくなっている
高い金を払ってエントリーしても直前になってドタキャンされたのではやりきれない思いだ。もう絶対にエントリーなんかするものか、と強く思うだろう。
さらに、数は少ないだろうが、今だに独善的な医療関係者と下品なマスコミに洗脳されたまま
マラソン大会での感染を恐れて敬遠しているマラソンランナーも少しはいるだろう。

てな事で、
競争率が高くなるのか低くなるのか分からない。でも、油断は禁物だ。ちょっとした油断が死を招くのは、過去の多くのエントリー失敗で身に染みて分かっている。
なので、取りあえず素早くエントリーした。

結果論だが、後で考えると、そんなに慌てる必要は無かったようだ。
この大会に限らず、復活したマラソン大会は全国的に人気がイマイチのようだ。待ちに待ってたランナーよりは、怒りと不信感が蓄積したランナーの方がはるかに多かったようだ。
そのおかげで、以前は競争率4倍程度のためなかなか参加できなかった神戸マラソンに申し込んだメンバーが全員当選するという快挙というか奇跡というかかつては考えられなかった事態となった。
また大阪マラソンや京都マラソンもかなり競争率が低くて、みんな当選している。
ゾウさんなんて、京都マラソン、大阪マラソンと2週続いたあと1週だけ休んで名古屋ウィメンズ、徳島マラソンとまた2週続く。つまり5週のうち4週がフルマラソンと言う発狂するようなスケジュールだ。

(幹事長)「それなのに、ああ、それなのに、東京マラソンの申し込みを忘れてしまった」
(ピッグ)「軒並み競争率が低くなってるのは、油断していたランナーも多かったんでしょうね」
(幹事長)「こんなに競争率が低いのは今年だけだよなあ」


てな事で、脱藩マラソンは今年も楽勝でエントリーすることができた。
参加するのはのほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、のらちゃんの5人だ。


〜 檮原町へ出発 〜


今年は支部長さまが車を出してくださった。

梼原町は遠いので、出発は早朝になる。
初めて大会に参加した2015年は民宿に泊まったが、2016年以降は早朝に出発して日帰りしている宿泊場所を探すのに疲れ果てたからだ
脱藩マラソンは、上にも書いたように、エントリー自体は他のマラソン大会に比べて楽勝だが、一番のハードルは宿泊場所の確保だ。宿泊場所の確保が極めて難しいのだ。
て言うか、このマラソンが人気薄な理由は、コースが厳しい事もあるが、宿泊場所に困る事も大きい。宿泊場所が無くて参加できない人が多いのだ。たぶん。

距離だけ考えれば、所詮は四国内なので、高松からの日帰りも無茶ではないような気がするが、初めてエントリーした時にH本さんに聞いてみたら、「何言ってるんですか!日帰りなんて無謀ですよ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」なんて言われた。
そのため、宿泊場所を探してみたが、檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、雲の上のホテルの別館のマルシェユスハラもきちんとしたホテルだが、どちらも小規模なので、予約は極めて難しい。
町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、あとは民宿を探すしかないが、民宿も小さな民宿しかないので、マラソン大会の前日の宿泊を確保するのは至難の業だ。
それでも初参加の2015年は、なんとか苦労を重ねた結果、1部屋だけ確保することができた。
ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、「高齢のため食事を作るのが大変だから」と言う説得力の無い理由で難色を示す。
かなり粘ったが、頑なに抵抗され、押し問答の末、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。
この時の経緯は2015年の記事に詳細を記載しているので、是非読んで欲しい

結局、民宿に泊まっても、風呂も古くて狭くて設備はイマイチだし食事も出ないのであんまり快適ではない。
しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまい、マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。
て事で、翌年から前日の宿泊は諦めて、早朝出発の日帰り路線に変えたのだ。

早朝の4時支部長D木谷さんを乗せてやってきて、その後、ピッグ、のらちゃんを拾って朝5時頃に高速道路に乗った。
日曜日の朝の高速道路は空いていて、車は順調に進む。
車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えている
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無い。

途中で高知のおんちゃんからメールが入る
おんちゃんとも久しぶりだ。最後に会ったのは3年前の脱藩マラソンだから、3年ぶりだ。今年も3年前と同じように「○○○の駐車場を確保して待ってる」との事だったので、会場のすぐそばの○○○に行って車を停めることができた。
臨時駐車場は少し遠く、レース後は立つのもやっとの半身不随状態になり、臨時駐車場まで歩いて帰るのが不可能になるので、会場のすぐ近くに車を停めることができるのは、本当に助かります。

順調に車は進むが、やはり梼原町は遠い。
ふと気が付くと、「21」とか「22」とか道路に大きな数字が書いてある酸欠マラソンのコースである瓶ヶ森林道にも書いてあったような数字だ。
瓶ヶ森林道の数字は旧寒風山トンネルの出口からの距離だったが、この数字は一体何だろう?
だいたい1km進むごとに数字が1ずつ増えているようなので、やはり距離表示のように思えるが、何のために、また、どこからスタートして、どこまで書かれているのかは分からない。

(幹事長)「こんな数字、前からあったっけ?」
(支部長)「あったような、無かったような」
(D木谷)「覚えてませんねえ」


少なくとも私だけが認知症が進んでいるようではないので一安心だ。
それほど新しく書かれたようにも見えないが、こんなに大きな数字が1kmごとに書かれているのに今まで気付かなかったってのは考えられない。
この道は脱藩マラソンだけでなく、北山林道駆け足大会の時も通っているので、これまでに10回以上は通っているはずだ。
あまりにも気になったので、家に帰ってからグーグルマップの航空写真で詳細に調べてみたら、国道197号線の須崎市の起点からの距離だった。起点は毎度お馴染みの道の駅かわうその里がある交差点だ。
そこから1kmごとに延々と数字が道路に書かれており、少なくとも須崎市から44km離れた梼原町までは続いている事が分かった。その先、どこまで続いているのかは、途中で力尽きたので分からない。

さらに進んでいくと、明らかに新しいトンネルが出来ていた。

(幹事長)「これは絶対に去年は無かったやろ?」
(支部長)「さすがに、これは初めて通ると思うなあ」


いくら認知症が進んできた私でも、このトンネルを通るのは今年が初めてだと断言できる。
これまた家に帰ってからグーグルマップの航空写真で調べてみたら、つい最近まで工事中だったので、今年初めて通るトンネルだと判明した。
以前の道もそれほど悪い道ではなかった。て言うか、交通量の少ない道なので、こんな立派なトンネルが必要なのかどうか疑問だ。
こんな立派なトンネルを着けるお金があるのなら、奥工石山や奥白髪山へ行く時に通る人類史上最悪の悪路との悪評を欲しいままにしている林道の改修とか、何年も前から通行止めになっている愛媛県と高知県を結ぶ県道5号線の復旧を急いで欲しいぞ。

梼原町の中心部に入る手前では、雲の上のホテル建て替え工事中だった。当初は、工事は2021年10月から2024年3月までの予定だったが、資材高騰で大幅に工事が遅れ、今は2027年夏の開業を目指しているらしい。
そんなに古いとも思わなかったが、開業して26年が経ち、雨漏りなど老朽化が進んでいたらしい。開業直後に泊まった事があるが、斬新な設計で、いつも満室の人気ホテルだった。
それが、たった26年で雨漏りするなんて、設計は良かったけど工事がずさんだったのではないだろうか。
いずれにしても、ただでさえ宿泊が難しかった脱藩マラソンの前夜泊がますます難しくなった事は確かだ。


〜 会場到着 〜


車は順調に進み、7時半頃梼原町の中心部に到着した。
ちょっと早いと言えば早いが、何かあったら困るので、来年からもこれくらいのスケジュールで来れば良いと思う。

車を停めてしばらくするとおんちゃんがやってきた。

(幹事長)「いやあ、久しぶりですねえ」
(おんちゃん)「そうやね。3年ぶりやねえ」
(幹事長)「今日はフルマラソン?」
(おんちゃん)「いやいや、8月に手術してお腹を切ったばかりやから、今日はハーフマラソンや」


なんと、手術して2ヶ月も経ってないんだそうだ。お腹の傷はすっかり塞がっているが、あまりトレーニングができてないので今日はハーフマラソンにするんだそうだ。
でも、もともと地力があるからハーフマラソンくらいならガンガン走れそうだ。

会場へ行って受付をする。受付の時間は、以前はスタートの少し前までOKだったし、今年も最初の案内では9:00までだったのに、後から変更があり、8:30までとなった。
そうでなければ、もう少しゆっくり来ても良かったんだけど。
受付では、コロナに感染していない事を証明した上で、専用の赤いマスクを手渡された。この赤いマスクが参加者の目印となり、これを着けていないとスタートできない。

受付を済ませたら着替えだ。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ
今日は朝から曇っているが、雨の心配は無さそうだし、風も無い。暑くはなりそうにないし、寒くもなさそうだ。つまり、ちょうど良いマラソン日和って感じだ。

(支部長)「こんな日は、どういう悩み方をするんかな?」
(幹事長)「これなら悩む必要は無いな」
(ピッグ)「幹事長が着るもので悩まないなんて珍しい!」


なぜ悩まないのかと言うと、今日はアームウォーマーを持ってきたからだ。
前回の酸欠マラソンで、長袖シャツを持って行くのを忘れ、半袖シャツでは寒いなあと困っていたら、のらちゃんがアームウォーマーを貸してくれた。そしたら腕は寒くないし、体は熱くないし、ちょうど良かった。
酸欠マラソンは1ヶ月も前に開催したが、今日のコースは酸欠マラソンのコースより標高が低いので、似たようなコンディションだ。
前回の反省から、今日はあらゆるケースを想定して、長袖シャツも持ってきてるんだけど、半袖シャツにアームウォーマーを着けた方が、暑くなったらいつでもはずせるので、長袖シャツより柔軟な対応ができる。
て事で、2013年の丸亀マラソンの青いTシャツに、2020年の徳島マラソンのアームウォーマーを着けた。
これで腕は暖かくなった。体は少し寒いような気がするけど、走り出すとこれくらいがちょうど良いだろう。

下はいつも履いている短パンの下に、筋肉の疲労防止のためにタイツを履いた。脹脛サポーターにしようかとも思ったが、少し寒いかもしれないので、タイツにした。
日差しは無いので、嫌いなランニングキャップは被らない。
この3年間、自主開催が続いていたので、いつも水分の補給で悩んでいた。でも今日は久しぶりの正式な大会で、給水所があるため、もう水分補給で悩まなくてもいいからトレランリュックや飲料ボトルホルダーは不要だ。
なので、顔を拭くハンドタオルティッシュをポケットに入れれば準備完了だ。

(支部長)「私は足攣り防止用のドーピング薬も持って行くよ」
(幹事長)「今日はハーフマラソンだから足は攣らないって」


準備が整ったら団旗を持って記念撮影だ。

(幹事長)「団旗を作ったんよ」
(おんちゃん)「うわ、すごっ!」


団旗を作ったのは去年の春で、これまでも色んな自主開催マラソン大会や登山で掲げてきたが、正式なマラソン大会で掲げるのは今回が初めてだ。

団旗を掲げて気合を入れる参加メンバー
(左からおんちゃん、のらちゃん、ピッグ、龍馬、D木谷さん、支部長、幹事長)


準備が終わったところで、コースを確認する。もちろん、今日は正式な大会なので、要所には案内人がいるはずだ。でも、コースを頭に入れておかないとペース配分はできない。
まず、トンネルを2つ通って急坂を下ってしばらく行ったところで、橋を渡って川の西側に行く。自主開催大会では、どの橋を渡るのか間違った事もあったが、10kmの部の折り返し点のすぐ向こうにある橋を渡る。
その後、川の東に戻るために再度橋を渡るのだが、これまた間違えた事があった。これらの橋は、当然、帰りも渡る。帰りもかなり分かりにくいが、案内人がいれば間違える事は無い。
また、折り返しの前後の3kmほどの区間は、盲腸のように集落に入ってグルっと回ってくるややこしいコースだ。

他の大会もそうだが、これまで正式な大会で何度も走ってきた道なのに、自主開催大会をやるとなると、とたんにコースの細かい部分が分からなくなった。
いつも案内人の指示通りボウっと走っていただけなので、コースの詳細を把握できてなかったのだ。
自主開催大会をやっていて、今までいかにいい加減に走っていたかがよく分かった。

(支部長)「ま、コースを熟知していてもタイムには関係無いけどな」

確かに、脱藩マラソンのフルマラソンのコースはペース配分が極めて重要になるが、ハーフマラソンのコースでは、ことさらペース配分に気を付ける必要は無い。


〜 スタート前 〜


スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。特に、このレースは坂が厳しい過酷なコースだから、他のレースとの比較は意味が無い。

なので、目安はあくまでも過去のタイムだ
この大会は、正式な大会は過去5回出場したことがあるが、そのうち4回はフルマラソンなので比較できない。唯一ハーフマラソンに出たのは2015年で、その時のタイムは2時間2分だった。
普通のマラソン大会なら大惨敗タイムだが、この過酷なコースを考えると、2時間を切るのは不可能に思える。そもそも脱藩マラソンに限らず、汗見川マラソンや酸欠マラソンも含め、夏場の山岳マラソンで良いタイムが出る訳がない。

また自主開催では、2020年が2時間11分、2021年が2時間4分だった。
2020年は手術の直後だった上に、9月の炎天下だったので遅かったのは仕方ない。2021年はコンディションは悪くなかったが、終盤にモチベーションが無くなってダラダラ走った結果だ。
てな事を総合すると、一応、目標は2時間を目安とするが、たぶん無理だろうな。

ただし、正式な大会は3年ぶりで、やる気は満ちている。満ち満ちている。自主大会とは訳が違う。

(支部長)「やる気は分かったけど、練習はできてるんかいな?」
(幹事長)「全くできてない!」


今年の夏は、7月下旬の越後地方、8下旬の北アルプス黒部源流域、9月中旬の南アルプス南部と、長期の登山遠征が続き、さらにその合間を縫ってみんなで富士山登山や涸沢奥穂高岳登山にも行ったため、ランニングの練習がとても少なかった
また、練習が少なかっただけでなく、疲労が溜まり、ちょっと走っただけでも体調が悪くなったりした。

(幹事長)「体力的な衰えをどこまで精神力でカバーできるかが勝敗の分かれ目やな」
(支部長)「絶対にカバーできないと思うよ」


支部長は相変わらず月間走行距離200km以上を維持しているから、練習量に不安はない。しかも今日は支部長が苦手な暑さとは無縁のコンディションだから、支部長に対しては敗色濃厚だ。

スタート地点に並ぶと、いつもより参加者数が少ない
調べてみると、もともとマイナーな大会なんだけど、以前はフルマラソン、ハーフマラソン、10kmの部を合わせて定員1500人だった。
それが今回は全部で定員が800人にまで減らされている。参加者名簿を見るとハーフマラソンの部の参加者は335人だ。コロナ感染を防ぐためと思われるけど、なんだか寂しいぞ。

当然ながら全員が赤いマスクを着けている。これを着けてないとスタートできない掟になってるからだ。
ところが、ただ一人おんちゃんだけが赤いマスクを着けていない。

(幹事長)「あれ?赤いマスクはどうしたん?」
(支部長)「え?何それ?」


なんと、おんちゃんは赤いマスクが必要だと知らなかったようで、慌ててマスクを取りに戻った。超ベテランだけに油断していたのだろう。

ただ、最初は全員が赤いマスクを着けていたが、スタート時間が近づくに連れて、だんだん外す人が多くなる。
スタートの直前までマスクを着けてないといけないんだろうか、なんて思ってたが、そんな事はなく、最後はみんな外していた


〜 スタート 〜


いよいよ9時半になり、ピストルの号砲と共にランナーが一斉にスタートした。
マイナーな大会だけど、チップでネットタイムを計測してくれるから、スタートで焦る必要は無い。て言うか、参加者が少ないので、グロスタイムとネットタイムの差はほとんど無い

フルマラソンなら前半に飛ばし過ぎると後半は大撃沈するのが必至なので、前半はできるだけ抑えて走らなければならない。でもハーフマラソンなら、そんな事を気にする必要はなく、最初から好き勝手に走れば良い
今日は3年ぶりの正式な大会なので、気合だけは十分だ。なので、最初から気持ちよく走り出す。
最初から猛スピードで駆け出していくランナーもいるが、周囲では似たようなペースで走りだすランナーも多く、なかなか気持ちよく走れる。
空はずっと曇りのままで少しひんやりするが、風が無く、寒いほどではない。体が熱くなってきたらちょうど良さそうだ。絶好のマラソン日和と言えよう。

町中心部の狭い道を少しだけグルッと回った後、広い幹線道路に出る
すると、ここでピッグが快速で追い越していく。私も決してそんなに遅くは無いが、ピッグは快調に飛ばしていく。あんなに飛ばして大丈夫だろうか。
すると、今度はおんちゃんがすぐ側に近寄ってきて、一緒に走ってくれ始めた。

(おんちゃん)「ピッグさんは飛ばしてますねえ。いつもあんな感じ?」
(幹事長)「いつもはもっと抑えてますねえ。調子に乗ってますねえ。たぶん後半で撃沈しますよ」


少し走ると最初の1km地点の距離表示がある。時計を見ると5分20秒くらいだ。速いのか遅いのかよく分からない。
普通のマラソン大会なら遅いに決まっているが、坂の多いこの大会のペースとしては適正なのかどうかが分からない。最初の1kmはほぼフラットだから、こんなものかなあ。

1km地点を過ぎると、上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、序盤から無理して頑張ると終盤に撃沈するので、少しペースを落とす。
そしたら2km地点でのラップは一気に1km6分を大きくオーバーした。
2km地点を過ぎると、坂の傾斜は一気に強まり、激坂になってくる。そのため、どんどんペースダウンしていくのが自分でも分かる。

すると後ろから、すごい大きな声で「はあっ、はあっ」と苦しそうな息を吐きながら追い抜いて行く女性がいる。
そんなに大きな声で息を吐いていると、それだけで疲れそうだが、快調な足取りで私を追い抜いて行った。

厳しい坂が終わると3km地点があり、時計を見てビックリ。

(幹事長)「うわ、6分40秒もかかっている」
(おんちゃん)「上り坂やからそんなもんやで」

どうりで先ほどの女性に追い抜かれた訳だ。彼女が速いと言うより、私が遅かったようだ。
しかし、取りあえず序盤の坂はこれで終わりだ。
急な坂が終わってピークを過ぎるとトンネルが2つある最初のトンネルは短くほぼフラットで、トンネルを出ると緩い下り坂になり、だいぶ楽になる。
少し走ると2つ目のトンネルがあり、今度のトンネルは長い下り坂で、軽快に走れるようになってくる。

トンネルを抜けると、傾斜は一気に強まり、強烈な下り坂となる。帰ってくる時は誰もが歩いて上る壁のような激坂だ。
ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから、自重しなければならない。
とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、意外に難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。
金さんなんかは小股でチョコチョコと走るのが良いってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。
それに、今日はフルマラソンじゃなくてハーフマラソンなので、あまり気にせず、飛ばせる所は飛ばせば良いと思ってガンガン走って下る
すると、途中で先ほど追い抜かれた息の荒い女性を追い抜いた。彼女は上り坂は着実に速かったけど、下り坂は弱そうだ。

下り坂の途中に4km地点があり、この1kmは4分45秒くらいだった。

(幹事長)「うわ、ちょっと速すぎるかも」
(おんちゃん)「なかなかええペースやねえ」

ちょっと速いような気もするけど、下り坂もすぐ終わるので、問題ないだろう。

下り坂を下り切ったところ最初の給水所がある。暑くないこともあり、まだまだ全然喉は渇いてないが、足攣り防止のため、全ての給水所でこまめに給水していくつもりだ。
私はスポーツドリンクのカップを取るのがやっとだったが、余裕のあるおんちゃんはチョコレートを取り、私に手渡してくれた。糖分の補給ができて嬉しい。

下り坂が終わるとフラットになり、四万十川の支流の四万川川(しまがわかわ)に沿って走る県道2号線に出る。
給水所を過ぎると再び上り坂になる。ちょっとだけきつい上り坂だが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。
そのまま川沿いの堤防の道を走ると10kmの部の折り返し点を示す大きなコーンが立っている。ここが5km地点だ。
この1kmは5分15秒ほどだったから、このレースにしてはぼちぼちのペースだ。

ここで幹線道路の県道2号線から橋を西側に渡って対岸の狭い道に移動する
ここから10km地点までは、時々急な坂もあるが、基本的には緩やかな上り坂が続く
おんちゃんはずっと一緒に走ってくれている。一人で走っていると、どうしてもペースが緩んでくるので、一緒に走ってくれると非常にありがたい。

(幹事長)「私の事は気にしないでどんどん先へ行ってくださいよ」
(おんちゃん)「いや、今日は私もこれくらいがちょうどいいんよ」


橋を渡った対岸の道は道幅が狭く、林道のような雰囲気で、ジワジワと上り坂の傾斜が強くなる
すると、また後ろから、すごい大きな声で「はあっ、はあっ」と苦しそうな息を吐きながら先ほどの女性が追いついてきた。

(幹事長)「うわ、また追い抜かれる。速いですねえ」
(女性)「いえ、そんなに、はあっ、はあっ」


今度も着実な足取りで追い抜いて行った。
一緒に走ってくれているおんちゃんは余裕がありまくりで、ちょっとダッシュして前に行ったかと思うと、スマホを構えて写真を撮ってくれたりする。とても病み上がりとは思えない。

(幹事長)「手術の跡は大丈夫ですか?」
(おんちゃん)「それは平気やね。でも練習できてないから、あんまりペースは上げない方が良いかなあ」

前方を走るピッグは、その後、それほど離れてはいかない。早くも力尽きかけたのだろうか。頑張れば追いつけそうだ。
なーんて思っていると、突然、後ろからのらちゃんが追いついてきた。
結構、頑張って走れているつもりだったのに、こんな前半で追いつかれるなんて少しショックだ。決して速くはないってことだ。

(幹事長)「支部長やD木谷さんは?」
(のら)「みんなずっと前を走ってるよ」
(幹事長)「え!?そうなん?」


二人とも姿が見えなかったから分からなかったが、早々に前に行っていたのか。D木谷さんはまだしも、支部長にまで早々に先行されていたとなると、かなりショックだ。
のらちゃんはそのまま追い抜いて行ったが、まだ前半なのにあんまり離されると、後半で逆転することが難しくなるので、とりあえず頑張って着いて行く。
前半で頑張りすぎると後半に撃沈する可能性が高いが、そうも言ってられない。
おんちゃんは相変わらず余裕がありまくりで、ちょっとダッシュしてのらちゃんの前に行ったかと思うと、スマホを構えて写真を撮っている。唖然とする余裕だ。

山の中を走る道なので、人家は少なく、沿道で応援してくれる人も少ない。それでも、村人ほぼ総出で応援してくれているようで、あちこちに道ばたにおばあちゃん達が座りこんで応援してくれる
さらに、川の向こう側で農作業しているおばちゃんが手を振って応援してくれたりして、とても暖かい雰囲気で嬉しい。もちろん、できる限りこちらも手を振り返す。
天気はずっと曇ったままで、Tシャツ1枚が涼しくてちょうどいい。これでタイムが悪かったら言い訳できない。
しばらく走ると2つ目のエイドステーションがあったので、ここでもこまめに給水する。

5km地点の後は距離表示が中途半端になり、次の距離表示は7.5km地点だ。なんで1kmごとに表示してくれないのか不満が残る。
ここで時計を見ると1km平均6分ほどにペースダウンしている。いくら上り坂と言っても、かなり緩い上り坂だから、ちょっと遅すぎるかもしれない。

すると、後ろから突然支部長が追い付いてきた。

(支部長)「やっと追い付いたよ」
(幹事長)「うわ、ビックリした!前を走ってると思ったのに」


のらちゃんが「支部長は前を走ってる」って言ってたので、まさか後ろから来るとは思わなかった。のらちゃんの勘違いだった。

(幹事長)「D木谷さんは?」
(支部長)「早々に前に行ったよ」


さすがにD木谷さんは前を走ってるのか。
支部長に追いつかれてしまったのは悔しいが、支部長もかなりしんどそうなので、みすみす離される訳にはいかない。ちょっと頑張って着いて行く。
しかし、支部長はいつもの着実な足取りで少しずつ離れていく。するとおんちゃん支部長と競り合って前方へ走って行く。

これで全くの一人旅になってしまった。もちろん、他にもランナーはたくさんいるから、一人で走っているのに比べたら緊張感は持続する。
特に、女性に抜かれると腹立つと言うか情けないので、少しは頑張れる。これが正式な大会の良いところだ。

9kmほど走ったところで再び橋を渡って川の東側に移動し、県道2号線に復帰する
さらに少し走ると、フルマラソンのコースとの分岐点になる。フルマラソンは、そのまま愛媛県との県境を目指して県道2号線を真っ直ぐに進むんだけど、ハーフマラソンのコースは県道304号線に折れて右の集落に入っていく
集落へ逸れた先は、普通のマラソンコースのように折り返し点で折り返すのではなく、集落の中をぐるっと一方通行で周回して帰ってくるコースになっている。
そのため、前のランナーや後続ランナーとすれ違わないので、どれだけ離れているか距離が分かりにくい。

集落に入ると、かなりの傾斜がある上り坂になる。フルマラソンのコースも、復路ではこの集落に入っていくが、激坂のコースを30kmほど走った後の上り坂なので、完膚無きまでに叩きのめされるのが常だ。
ただ、今日はハーフマラソンなので、それほど苦しくはない。

少し行くと10km地点の距離表示があり、時計を見ると1km平均6分ちょっとだ。ジリジリとペースダウンが続いているようだ。
それでも上り坂を10km走ったところで1時間は切っているから、後半の下り坂を頑張れば、2時間を切るのは十分可能な気がする。

上り坂が終わると、前方に橋が見えてくる。この橋を渡って対岸に移ると復路となる。この橋でスタート地点から約11kmだ。
橋の手前で対岸を見ると先行するランナーが見える。D木谷さんの姿は見えないから、だいぶ先を走っているようだが、おんちゃんのらちゃんピッグ支部長はそれほど差が無く、ダンゴ状態だ。
私もダンゴに加わりたいところだが、なかなか差は縮まらない。て言うか、少しずつ離れていく。

集落区間が終わって本道に戻ると、後半は基本的に緩やかな下り坂だ
橋を渡って対岸の狭い道に入っていくと、時々上り坂もあるが、全体としては緩やかな下りなので、気合いを入れてペースを上げた。
と思ったんだけど、次の距離表示の12.5km地点で時計を見ると、1km平均でかろうじて6分を少し下回る程度だった。これじゃあペースアップとは言えない。これでは2時間は切れないぞ。

その後もダラダラした緩い下り坂が続くが、次の15km地点の距離表示で時計を確認したら、なんと1km平均で6分を少しオーバーしていた。
自分ではそんなにペースダウンしている自覚はないんだけど、下り坂なのにこんなペースでは、とうてい2時間切りは無理だ。
勝手にライバル視した女性が何人かいるんだけど、みんな少しずつ遠ざかっていく。みんなが揃ってペースアップしたとは思えないので、私がペースダウンしているのだろう。

15km地点を過ぎると再び距離表示が1kmごとになってきて残り5km地点の距離表示が現れる。ペースは相変わらずのスローペースだ。
ただ、次の残り4km地点でのラップは少しだけマシになっていた。ちょっとだけ希望を抱かせる展開だ。

でも、ここからいよいよ最後のめちゃめちゃ急な上り坂が始まる。このコースの最大の急坂だ。
序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急な下り坂を、今度は反対に上らなければならない。フルマラソンの時は問答無用で歩かざるを得ない激坂だ。
ハーフマラソンでも、終盤の厳しい坂になるから、ここで力尽きて歩き始めるランナーも多い。でも、ここで歩く訳にはいかないので、頑張って走り続ける
こんな激坂は走ろうが歩こうがスピードはあんまり変わらないんだけど、それでも走れば少しは歩くのより速いので、絶対に歩かない。

この上り坂は距離が長く、ずっと前方まで見える。なので先行するランナーの様子が良く分かる。でも、他のメンバーの後姿はすっかり見えなくなってしまった
前半で下った時よりも、上りの時の方がこの坂は長く感じられる。ペースが遅くて時間がかかるからだ。
坂の途中から真っ暗なトンネルに入る。長いトンネルを抜けるとようやく厳しい上り坂が終わり残り3km地点の距離表示が現れる。
ここで時計を見てびっくり。あり得ないほど遅い。さっきの1kmは6分を切っていたのに、この1kmはなんと9分を越えている。
フルマラソンの時なら常に10分以上かかっていた区間とは言え、ハーフマラソンの時はもっと速かった。全く歩いていないのに信じられない遅さだ。驚異的な遅さだ。
この時点で2時間切りは不可能となった。

激坂が終わった後は、残り3kmはずっと下り坂なので、重力に任せて思いっきり転げ落ちていく。
って思うんだけど、実際には最後の上り坂でかなり力を使い果たしたため、あまり足は回らない。下り坂なのに足が思うように動かないのは、はがゆいばかりだ。
残り2km地点の距離表示で時計を見ると、この1kmは5分ちょっとだった。この下り坂で5分を切れないってのは、もう絶望的だ。
さらに次の残り1km地点では、また少し遅くなっている。下り坂でも足が動かなくなりつつある。やはり練習不足のせいだろうなあ。

最後の1kmになると下り坂も終わり、フラットな区間となる。こうなるともう全然足が動かない。もう限界のようだ。
もうゴールは近いはずなのに、思いのほか距離が長い。いつまで経ってもゴールにならない。


〜 ゴール 〜


いい加減ウンザリした頃に、ようやく町中に入っていく分岐が現れる。そこを左に曲がって最後の角を右に曲がるとゴールが見えてくる
ゴール前の最後の最後には再び急な上り坂がある。ものすごく短い坂だけど、ゴール直前の急な上り坂なので、なかなか辛いところだ。
そのため、最後は歩くようなスピードでゴールした。
ゴール横では、早々にゴールしたメンバーが待ち構えてくれていた。

結局、2時間は切れなかった。て言うか、2015年の公式タイムよりもかなり遅かった。
今日は絶好のマラソン日和で良いコンディションだったのに、もうガッカリだ。

トップはD木谷さんで、なんとギリギリで1時間50分を切っていた。このコースで1時間50分を切るなんて素晴らしい。
またピッグもギリギリで2時間を切っていた。後半に撃沈するだろうという私の予想は外れてしまった。
二人ともギリギリで切ったってところが素晴らしい。これが逆にギリギリで切れなかったってなると、もう悔しくて悔しくて眠れなくなる。
それがのらちゃんで、もうちょっとのところで2時間を切れなかった。でも、なんとのらちゃん女子年代別で入賞してしまった。

(のら)「やったあ〜っ!」
(幹事長)「まさか7人中6位とか言うんじゃないやろな」
(のら)「違うよ。完走者32人中6位だよ」
(幹事長)「それは凄い!凄すぎる!」


でも、5位の選手との差はとても小さく、もう少し頑張れば5位だったそうだ。

(のら)「5位の人って、ものすごく大きな声で『はあっ、はあっ』って苦しそうな息を吐きながら走る女性だったんよ」
(幹事長)「あ、知ってる、その人!前半で抜きつ抜かれつの接戦をしたよ」
(のら)「私も終盤、接戦したんだけど、あと少しのところで負けてしまった。悔しい〜っ!」


あの女性は、苦しそうな息を吐きながら最後まで速かったようだ。
おんちゃんも惜しくも2時間を切れなかった。

(幹事長)「あんなに快調なペースだったのに?」
(おんちゃん)「途中で足が攣ったんよ。やっぱり練習不足やなあ」


支部長は彼らよりだいぶ遅れてしまい、ぜんぜん惜しいタイムではなかった。

(支部長)「幹事長よりは、はるかにマシやけどな」

なんと支部長は7年前に出した大会自己ベストを5分以上も更新したとの事だ。
それに引き換え、私だけは惜しくも何ともない悲惨な撃沈だった。情けない。やはり練習不足だろうなあ。


〜 反省会 〜


走り終わったら、完走メダルお弁当を受け取る。
以前は地元の高校生が作ってくれる豚汁が暖かくて美味しかったが、今年は無かったので、弁当は後回しにして、先にお風呂に行く。

お風呂はタダ券をもらった雲の上のホテルの温泉だ。
自主開催の時はすんなりと入れていたが、正式な大会となると走り終えたランナーが殺到して入場するのを待たされる。
それでも3年前までは行列に並んで待たされたが、今回は整理券を渡され、待合室が準備されていた
整理券は10番目前後だったので、かなり待たされたが、あっという間に待合室は満室になっていった。来年からは、少しでも早く来なければならないぞ。
ようやく入った温泉は気持ち良く、ぬるめの露天風呂にはいつまでも入れる。すっかりくつろいで疲れを癒すことができた。

お風呂から出て、休憩室でお弁当を食べながら反省する

(幹事長)「最後の壁のような激坂も歩かなかったのに、タイムが悪かったなあ」
(支部長)「私は歩きまくったけど、大幅に大会自己ベストを更新できたよ」

つまり、歩くか歩かないかはあまり関係無く、走る時のスピードが重要なようだ。

(幹事長)「どうしても終盤になると最近は一気にスピードダウンするんだよなあ」
(支部長)「単なる練習不足やな」


練習不足は重々承知してるんだけど、夏場は登山が優先だから仕方ない。

(幹事長)「来年は、またフルマラソンに出ようかなあ」
(支部長)「また何を血迷ってるんかいな!」
(のら)「私も怖い物見たさにフルマラソンに出てみたいかも」
(D木谷)「ええですねえ。フルマラソンにしましょうよ」


3年間に卒業したはずの脱藩マラソンのフルマラソンだが、ハーフマラソンで記録が伸びなくなっているので、フルマラソンに活路を見出そうという心境だ。

(支部長)「もう、あの辛さを忘れたんかいな。記憶力がゼロやな」
(幹事長)「あの辛く厳しいコースが懐かしくなってきたんよ」

来年春のエントリー時の心境しだいだ。

次のレースは2週間後庵治マラソンだ。これも3年ぶりの正式な大会なので、ワクワクするぞ。

(支部長)「いくらワクワクしても精神力だけでは練習不足は乗り切れんよ」
(幹事長)「もう今さら無理やな」


〜おしまい〜




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