第22回 四国のてっぺん酸欠マラソン大会(自主開催)
2022年夏、高知県伊野町において第22回四国のてっぺん酸欠マラソン大会が開催される予定だった。
このレースは、暑い暑い四国の真夏に開催される大変貴重なマラソン大会だった。
しかもコースは四国の道路としては最も標高が高い瓶ヶ森林道を走る。トヨタ自動車のテレビCMにも使われたりしている絶景コースだ。
こんな貴重で楽しい夏場の山岳レースには何があっても出たくなるが、2015年に初めてエントリーしてから5年連続でエントリーしてきたのに、その2015年を始めとして、なんと、5回のうち3回も悪天候で中止になったという幻のマラソン大会なのだ。
特に2018年と2019年は連続して悪天候で中止になったため、2020年こそは久しぶりに走りたいと思ってウズウズしながら待っていた。
それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
事の発端は2020年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
ただ、これらの大会は東京オリンピックのマラソン代表選考会を兼ねていたため、エリートランナーの部は開催された。
しかし、その後、状況はますます悪くなり、遂に3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になってしまった。あまりの事に呆然とした。
そして、その後も、全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった。
これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
(ピッグ)「え?この説明って、まだ書くんですか?」
(幹事長)「ちょこっとだけね」
ともかく、素人が見たら、マラソン大会ではランナーが密集しているように見えるかもしれない。しかし、毎日乗っている満員電車に比べたら、はるかにスカスカだ。そうでないとぶつかって走れない。
しかも密室の満員電車に比べて、屋外のマラソン大会はウイルスが蔓延できる環境ではない。新型コロナウイルスは感染した人の咳やくしゃみの飛沫による飛沫感染でうつっていくが、飛沫感染は屋外で走っている時に感染なんかしない。
多くの国民が新型コロナウイルスを非常に恐ろしいもののように勘違いしているが、決して、エボラ出血熱のように極めて致死率の高いウイルスでもなければ、風疹のような感染力の強いウイルスでもない。ただの風邪だ。
それなのに、その後も5月のオリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと、続々とマラソン大会の中止が発表になり、マラソン大会もサイクリングイベントも全滅してしまった。
この暗黒の事態を打開するため、ピッグの提案により、中止になったイベントをペンギンズで自主開催していくことになった。
マラソン大会では5月の小豆島オリーブマラソンから自主開催を始め、12月の瀬戸内海タートルマラソンまで全てのマラソン大会を自主開催した。
これらは例外なく、とても楽しくて大成功だったが、そうは言っても正式な大会ほどのやる気と達成感は得られないため、願わくは、コロナのバカ騒ぎは2020年で収束して、2021年はマラソン大会が復活して欲しかった。
ところが、2021年になってもコロナのバカ騒ぎが終わらず、全てのマラソン大会の中止が続いたため、2月の丸亀マラソンから始まって11月の瀬戸内海タートルマラソンまで全てのマラソン大会の自主開催を続けた。
しかし、バカみたいなコロナ騒ぎもいよいよ収まり、今年の2月の丸亀マラソンから正式なマラソン大会が復活する予定だった。我々はちゃんとエントリーし、参加費だって払い込んでいた。
ところが、なんと、丸亀マラソンは直前になってドタキャンされてしまった。
さらに3月の徳島マラソンも、ちゃんとエントリーし、参加費も払い込んでいたのに、やはり直前になってドタキャンされてしまった。
2020年に全国に先駆けて中止になった徳島マラソンは3年目の中止になったのだ。
ただし、全国的にコロナのバカ騒ぎによるマラソン大会中止が全面的に3年目に突入した訳では決してない。
東京マラソンは3月6日に開催されたし、名古屋ウィメンズマラソンも3月13日に開催され、ゾウさんが出場して完走した。
なぜマラソン大会が復活し始めたのかと言えば、コロナの感染者数が減ったからではない。相変わらず感染者数は高止まりしている。
しかし、コロナのバカ騒ぎは収まりつつある。ようやく国民の多くはコロナがただの風邪に過ぎないって事が分かってきたのだ。
独善的な医療関係者と下品なマスコミが、あたかもコロナを恐ろしい病気のようにヒステリックにわめきたてるもんだから、国民の多くが理解するまで2年もかかったが、ようやくコロナなんてただの風邪に過ぎないっていう理解が進んできたのだ。
ところが、人口が密集している大都市の東京や名古屋で大規模マラソンが開催されたのに、なぜか田舎で沿道の観客だってスカスカの徳島マラソンは中止になった。
その流れを受けて、四国で開催されるマラソン大会は、5月の小豆島オリーブマラソン、6月の北山林道駆け足大会、7月の汗見川マラソンと相変わらず3年連続の中止になった。
ただ、マラソン大会はいまだに中止が続いている大会も多い一方で、トレラン大会は開催されるレースが増えてきた。
6月の秋吉台カルストトレイルランは3年ぶりに無事に開催され、みんなで楽しく参加した。
おそらく、トレラン大会はマラソン大会に比べて参加者が少なくこじんまりした規模の大会が多く、また山の中を走るので沿道で密集して応援してくれるような観客がいないってのが理由だろう。
だが、四国のてっぺん酸欠マラソンは四国内の他のマラソン大会と同様に、今年も中止になってしまった。それで仕方なく、今年も3年連続の自主開催となったわけだ。
なお、酸欠マラソンの開催日は、2019年まで9月初旬だった。暑い暑い四国の真夏に開催される大変貴重なマラソン大会だったのだ。
ところが、2020年は早々に中止になったのでよく分からないが、事務局の発表では「10月11日開催予定だった」としている。
また2022年も早々に中止になったので詳細は不明だが、事務局の発表では「10月に開催予定だった」としている。
これまでずっと9月初旬だったのに、なぜ10月になっているのかは分からない。9月は暑いので10月に変更しようとしていたのか、あるいはコロナ騒ぎがあったから、特別に遅らそうとしたのかは不明だ。
いずれにしても自主開催なので我々の都合で勝手に開催日は設定できる。
2020年は8月末に私の手術という大イベントがあったため、その直前の8月末に開催し、
2021年は私の登山遠征という小イベントがあったため延び延びになって10月下旬に開催した。
そして、今年2022年も登山遠征が立て込んでいるせいで、9月10日(土)の開催とした。北アルプスから帰ってきた翌々日に庵治トライアスロンを開催し、南アルプスへ行く前々日に酸欠マラソンを開催するという綱渡りのようなスケジュールだ。
(ピッグ)「ここんとこ山にばっかり行ってますねえ。もう少し真面目にランニングに取り組んでくださいよ」
(幹事長)「あと2回遠征したら来年までお休みします」
〜 8年間で6回も中止になった幻のマラソン大会 〜
本来なら9月初めに開催されていた酸欠マラソンは、7月末の汗見川マラソンと並ぶ四国の夏場の貴重なマラソン大会だった。
四国で夏場にマラソン大会が非常に少ないのは、あまりにも暑くて走るのが大変だからだ。なので、かつては、夏場にはマラソン大会にほとんど参加せず、5月のオリーブマラソンが終わった後は、秋までマラソン大会には出てなかった。
でも、真夏にレースに出ないと、夏の間、ランニングをサボってしまいがちになる。レースが無くても地道にトレーニングできる真面目な人ならいいんだけど、我々のように心が弱いと、レースが無いとどうしてもサボってしまう。
(ピッグ)「レースがあっても、暑いと練習はサボりがちになりますけどね」
レースが無いと完全に休養してしまう心が弱い我々としては、少しでもモチベーションを維持するため、暑い中でもレースに出たい訳だ。
酸欠マラソンと並ぶ貴重な真夏のレースである汗見川マラソンは7月末なので、天気が良いと間違いなく炎天下の灼熱地獄となる。おまけに天気が悪いと豪雨になり、土砂崩れが発生して、すぐ中止になる。つまり炎天下の灼熱地獄か土砂崩れによる中止かという極端な二者択一になる。
それに比べれば、酸欠マラソンは9月初旬だったし、標高が非常に高いので、炎天下でも気温は少しマシだ。ただ、標高が高いため直射日光は強烈で、肌がじりじりと焦げていく。
でも、私は夏の猛暑の炎天下に走るのは嫌いじゃない。寒い中を走るよりは暑い中を走る方がよっぽど楽しい。なので、暑くても割りと平気だ。
(支部長)「タイムは悪いけどな」
もちろん炎天下のレースはタイムは悪くなる。タイムの事を言えば、やはり寒い冬場のレースの方が良いタイムが出る。
厳冬期に開催される丸亀マラソンなんか、雪が降ることもあるが、風さえ無ければ寒ければ寒い方がタイムは良い。季節的には11月から3月くらいまでのマラソン大会が良いタイムを期待できる。
なので、「暑くても平気」ってのは「嫌いじゃない」という意味であって、タイムは寒ければ寒いほど良い。夏場なら雨が降って肌寒いくらいが良い。
でも、それじゃあ本当は楽しくない。夏場のマラソン大会なら、やはり猛暑の炎天下のレースが楽しい。タイムは悪くても楽しい。
(支部長)「タイムが悪くても言い訳できるしな」
夏場のマラソン大会なら、タイムが悪くても暑さのせいにできるのも嬉しい。もし、それほど悪くなければ、「こんなに暑いのに、よく頑張ったな」なんて自己満足に浸ることもできる。
てな訳で、個人的には夏場の暑いマラソンは大好きなんだけど、実はこの酸欠マラソンは暑さよりも、むしろ悪天候の方が強敵だ。
酸欠マラソンに我々が初めてエントリーしたのは7年前の2015年だ。初めての参加だったので、緊張しつつもワクワクしながら麓の西条から延々と瓶ヶ森林道を上って行った。
瓶ヶ森林道は気持ちの良い絶景コースだが、麓から上がっていくのが一苦労で、曲がりくねった狭い坂道を延々と1時間も上り続けてようやく瓶ヶ森駐車場に着くため、レース前からグッタリしてしまう。
瓶ヶ森林道は標高が高いので、天気が悪くなる事は覚悟はしていたが、上に着いたらやはりガスの中で、小雨もパラついていた。
それでも大した雨ではないし、大した風でもない。ガスで景色は見えないし、風の中を走るのは辛いが、それでも我々は走る気まんまんだった。
ところが、スタートを待っていたら、なんと、突然、中止になってしまった。これには呆然とした。かつてマラソン大会は、どんなに暴風雨が荒れ狂っても、天気のせいで中止にはならなかった。
2012年の徳島マラソンは台風顔負けの暴風雨の中でも決行された。あの時に比べたら、雨が降っていると言っても、大したことはないし、風も弱い。
そもそもマラソン関係者の間では、雨や風の影響で大会を中止にするなんて発想は皆無だったはずだ。 それが、いつから変わってしまったのだろうか。
おそらくは、事故でも起きたらアホなマスコミや民主党が一斉に声高に非難するからだろう。
参加しているランナー達は、天候の事は自己責任で出場しているのだから、天候のせいで事故が起きても文句言うような幼稚な人はいないはずだ。
そもそも、夏場のマラソン大会なら、天気が良くて炎天下を汗だくになって走るより、むしろ雨の方が望ましいくらいだ。
怒り狂いながら下山したが、どうしても参加したくて、翌年の2016年に再チャレンジしたら、打って変わって快晴となり、気持ち良く走ることができた。
ただし、酸欠マラソンのコースは1400〜1700m前後で、四国の道路としては最も標高が高いから、快晴でも下界よりはだいぶ涼しいだろうと期待してたら、甘かった。
標高が100m違えば気温は0.6℃違うから、下界より10℃くらい低いはずだが、下界がめちゃ暑い日だったら、山の上もそこそこ暑い。
しかも、高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような灼熱地獄になるのだ。
おまけに強烈な激坂にぶちかまされて、ハーフマラソンとしては歴史的な敗北を喫するタイムとなった。
その翌年の2017年は、時々雲に陽が隠れる天気だったので、前年ほど暑くはなく、そのおかげで少しはタイムがマシだった。
とは言っても、ほんの少しマシだった程度で、他の大会のタイムに比べたら歴史的敗北に変わりは無い。
てな訳で2年連続で順調に出場したのだが、2018年は再び雨で中止になってしまった。
この年は酸欠マラソンだけでなく、マラソン大会の中止が相次いだ。まず最初は7月初旬の高松トライアスロンで、続いて7月末の汗見川マラソンも中止になり、そして最後に酸欠マラソンまでもが中止になったのだ。
確かに天気予報は悪かったが、台風でも何でもない、ただの雨だ。2012年の徳島マラソンの時のような台風並みの暴風雨ではなくて、単なる雨だ。本当に中止にする必要があったとは思えない。
そして、2019年もまた中止になってしまった。前々日に事務局から電話があり「天気が悪そうなので中止になりました」と告げられた。確かに天気予報は雨だったが、大雨の予報ではなく、降ったり止んだり程度の雨の予報だ。
しかも前々日だから、まだ本当に降るかどうかも分からない。そんな曖昧な天気予報で中止決定するなんて、早まり過ぎだ。
そして、結果論だが、当日はほとんど雨も降らず、風も弱かった。どう考えても開催できた天気だ。
そして、一昨年2020年も3年連続で中止となり、去年2021年も4年連続で中止となり、さらに今年2022年も5年連続で中止になってしまったのだ。
一昨年と去年と今年の中止の理由は、悪天候ではなくてコロナのバカ騒ぎだから別問題ではあるが、エントリーし始めてから8年間で6回目の中止だ。
開催されたのは8年間で僅か2回だ。毎年エントリーしているのに2回しか出場していないのだ。
ここまで中止が続くと、まさに幻の大会であり、本当に存在するのかどうか誰にも分からなくなってしまうぞ。
〜 超厳しい山岳マラソン 〜
酸欠マラソンは夏場の貴重なマラソン大会というだけでなく、非常に厳しいコースも魅力だ。
四国の夏場のマラソン大会と言えば、標高の高い場所で開催される山岳マラソンばかりだ。
我々も、ここんとこ毎年、夏場は高知の山岳マラソン4連戦が恒例となっている。6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の汗見川マラソン、9月上旬の酸欠マラソン、そして10月上旬の龍馬脱藩マラソンだ。
なぜ山岳マラソンが夏場に集中しているのかと言えば、夏は暑いから、少しでも気温の低い山岳地帯でマラソン大会を開催しようという発想からだ。特に四国の夏はアホみたいに暑く、平地でマラソン大会なんか開催したら死屍累々の大惨事になる。
そのため山岳地帯で開催するんだけど、じゃあ山の上なら涼しいのかと言えば、これはトンでもない勘違いで、四国では山の上でも暑いのは同じだ。
暑いのに変わりがないうえに、山岳マラソンなのでコースは非常に厳しいから、暑さとコースの厳しさとダブルパンチで、トータルとすれば極めて過酷なマラソン大会となる。
酸欠マラソンが開催されるのは高知県伊野町だが、伊野町と言っても、元々の伊野町のイメージではない。元々の伊野町は、高知市のすぐ西側にある和紙の産地で、山深い町ではない。
酸欠マラソンが開催されるのは、合併で伊野町に吸収される前は本川村だったところだ。しかも本川村の中でも北の端で、私らのイメージでは高知県と言うより愛媛県だ。
なぜなら、コースは瓶ヶ森林道だからだ。瓶ヶ森林道は、ほぼ高知県と愛媛県の県境に沿って走る道で、正確に言えば大半は高知県側を走ってるんだけど、この道を通るのは石鎚山や瓶ヶ森などの石鎚山系の山々へ登山に行く時だから、イメージとしては愛媛県の道だ。
よく地図を見ると、そもそも石鎚山系の山々も県境にあり、愛媛県の山とも高知県の山とも言えるのだけど、愛媛県側から登るのが一般的なので、なんとなく愛媛県の山というイメージがある。高知県の人だって、石鎚山系が高知県の山と言う認識は乏しいんじゃないだろうか。
そのため瓶ヶ森林道も愛媛県のイメージなので、伊野町ってのは違和感があった。
瓶ヶ森林道はUFOラインとも呼ばれ、標高1300m〜1700mの尾根沿いを縫うように走るルートは、天空へと続く絶景のドライブコースとして人気があり、トヨタ自動車のテレビCMにも使われたりしている絶景コースだ。
尾根の上の道を走るから、天気が良いと展望が素晴らしくて気持ち良い。少なくとも車で走ると、それほどアップダウンがあるような感じはなく、快適な尾根の道だ。
瓶ヶ森林道は展望が素晴らしい絶景コース
だが、しかし、それは車で走ってるから勘違いしているだけであり、自分の足で走ると、かなり強烈にアップダウンがある。
酸欠マラソンのコースはスタート地点から最高地点までの高低差が285mだ。しかもスタート直後の序盤で、3kmちょっとの間に250mも登るから、勾配は8%以上となる。8%もの勾配を3kmも登るなんて、これは強烈以外の何物でもない。
最高地点はスタート地点から4kmほど走った瓶ヶ森登山口の少し先で、そこを超えると今度は下りが6km半続いて折り返し点に至る。
折り返した後は、当たり前だが、6km半の坂を登り返し、最後に4kmの急坂を下ってゴールとなる。終盤の4kmが下りになるのは嬉しいような気がするが、レース終盤で足がヘタってきた頃の急な下り坂は決して楽なものではない。
つまり、最初から最後まで厳しいコースだ。
他のマラソン大会と比較すると、ハーフマラソンでは、地獄の山岳マラソン大会だった塩江温泉アドベンチャーマラソンが最大標高差が約350mなのに対して酸欠マラソンは300m弱なので、少し低い。
しかし、累積の獲得標高で見ると、塩江温泉アドベンチャーマラソンが550mちょっとだったのに対して酸欠マラソンは560mちょっとなので、ほぼ同じだ。
また、上り坂の距離は少しだけ塩江温泉アドベンチャーマラソンの方が長かったので、上りの平均斜度は酸欠マラソンの方が少しだけきつい。
また四国カルストマラソンや龍馬脱藩マラソンのハーフマラソンや汗見川マラソンと比べると、最大標高差、獲得標高、平均斜度のいずれをとっても酸欠マラソンの方が厳しい。
つまり、塩江温泉アドベンチャーマラソンが無くなった今となっては、酸欠マラソンは四国内の山岳マラソンのハーフマラソンで文句なしに一番厳しいコースと断言できる。
参加するのは私のほか、支部長、ピッグ、D木谷さん、のらちゃんの5人だ。
〜 会場へ出発 〜
今年は支部長様が車を出してくださり、D木谷さんをピックアップしたあと、私を迎えに来てくれ、その後、ピッグとのらちゃんをピックアップして6時半頃に出発した。
例年の正式大会は、スタート時刻が10時で、受付は9時半までOKなんだけど、途中の新寒風山トンネル出口にある関所を通れるのは8時までなので、余裕をもって5時半には出発していた。
だが、今年は自主開催のため関門が無いので、少し遅めの出発だ。
今日の天気は予報では雨だ。ただ、ずうっと雨が降り続くのではなく、早朝は雨だが、その後、午前中は雨が止み、お昼ごろに再び降り出すという予報だ。なのでレース中は曇りって事だ。
ただし、それは下界の話であり、会場の瓶ヶ森林道は標高が高い山の上なのでずうっと雨が降っているかもしれないし、暴風雨の可能性だってある。
状況的には初めてエントリーしたのにスタート直前で中止になった2015年と似たような天候だ。
夏場のマラソン大会なら、雨そのものは決して嫌いではない。
2010年の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、雨に対する抵抗感は払拭されたし、2013年の汗見川マラソンでも、直前に雨が降って気温が下がったため快走できたので、もう雨は恐れていない。
ただし、瓶ヶ森林道は四国で最も標高が高い林道であり、風が北から南へ吹き抜ける稜線なので、天気が悪くなると暴風雨になり、寒くて走れなくなる恐れがある。
高速道路を走り、西条インターで高速道路を降りて国道11号線を西へ進む。
車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてみたら、その後はあまりお腹を壊さなくなった。
国道11号線から加茂川を渡ったところで南に折れて国道194号線に入る。
この曲がり角にファミリーマートがあり、ここで昼食を調達する。瓶ヶ森林道には山荘しらさの他には飲食店は一切無いし、山荘しらさはお洒落なカフェに生まれ変わったが、メニューは限定的だからだ。
おにぎりなんかを買うメンバーが多いが、私は唐揚げ弁当を買った。過酷なレースの後だから、これくらい食べないと体力が回復しない。
ファミリーマートの南にはビジネスホテル11(イレブン)というのがある。
(ピッグ)「ホテル11に何か用事があるんですか?」
(幹事長)「何も無い」
毎年、ここを通るたびに支部長がホテル11について解説してくれているのだそうだが、認知症が進んだ私は1年経つとすっかり存在を忘れているので、来年は忘れないように備忘録として書いておく。
(ピッグ)「ホテル11の存在を覚えておく事に何か意味があるんですか?」
(幹事長)「何も無い」
ホテル11の存在を覚えていようが忘れていようが、私の人生にこれっぽっちも影響は無いが、少しでも記憶力の維持のために書いておく。
(幹事長)「君らは覚えてるの?」
(ピッグ)「なんとなく聞いたような」
(のら)「聞いてないような」
(D木谷)「聞いてないとは断言できませんね」
ホテル11の事なんて関係ないので、みんなもあやふやだが、少なくとも「聞いてない」と断言できる私よりはマシのようだ。
(ピッグ)「どうしてホテル11っていう名前なんでしょうね?」
(支部長)「そら国道11号線沿いにあるからやろ」
(ピッグ)「あっ、そういう事ですか」
(幹事長)「そらそうやろ。ホテル11の存在を知らない私でもすぐ分かるぞ」
(ピッグ)「言われてみればそうですね」
(幹事長)「うちの実家の近くに昔はスーパー11というスーパーがあったぞ」
(のら)「うん、あったね」
(幹事長)「あれは11人の仲間で始めた店だから11(イレブン)という名前にしたそうじゃ」
昔は母親が重宝していたスーパー11だが、小さなスーパーだったので閉店になってしまった。時代の流れには逆らえないとは言え、不便になってしまった。
(ピッグ)「スーパー11の話も何の意味も無いんですよね?」
(幹事長)「もちろん、何も無い」
国道194号線に入って南に進み、新寒風山トンネルを抜けたら山道に入り、クネクネした急勾配の道を上がっていく。
標高が上がるに従って少しずつ雨が降ってきた。まだ小雨だが、雲の中に入って行くので視界は悪くなる。
〜 瓶ヶ森林道 〜
かなり標高が上がったところで旧寒風山トンネルの出口に着く。ここから瓶ヶ森林道が始まる。
国道194号線からの上り口が標高700mで、ここの標高は1100m程度だから、まだ400mしか上がってきていない。瓶ヶ森林道の最高点は1700m程度だから、まだまだ上がらなければならない。
正式な大会が開催される時は、ここから先は車は通行禁止になり、関所には番兵がいるが、今年は自主開催のためフリーパスだ。
ここには登山客用の駐車場がある。去年は紅葉シーズンの日曜日だったため、見たこともないような大勢の観光客が来ていて、駐車場は既に満車で、狭い林道の路肩に駐車している車も多かった。
しかし今日は、天気が悪いため、車は数台しか停まっていない。
(幹事長)「て言うか、数台も停まっている事が驚きや。この天候の悪い中、登山しに来るなんてアホやな」
(ピッグ)「この天候の悪い中、わざわざ山の上を走りに来るアホよりはマシかもしれませんね」
登山部会則に「2.天気が悪くなりそうな時は、決して登らない。」とあるように、私は天気が悪い時には登山はしない主義だが、悪天候の中を走るのは好きだ。
(のら)「私は雨の中を走るのは嫌だなあ」
(幹事長)「まだそんな事を言ってるのか」
(支部長)「暑いより雨の方が走りやすいよ」
(幹事長)「炎天下で暑いのも好きやけどな」
(ピッグ)「もっとまっとうなレースを目指してください!」
駐車場を過ぎると、傾斜は緩やかになったが、道幅の狭いクネクネの林道は延々と続く。
いくつかある小さなトンネルは完全に1車線分しかないから、すれ違うのは不可能だが、トンネル以外でも道は狭くて対向車とすれ違うのは難儀する。
天気が悪いから対向車は少ないが、ガスで視界が悪いため、対向車が突然現れる危険性は高い。急ハンドルを切って脱輪でもしたら谷底まで転落しそうだ。
しばらく進むと、東黒森山の近くに小さなトンネルが2つ並んでいる。このトンネルのすぐ東のカーブミラーを自主開催レースの折り返し点としている。スタート地点からここまで走ってきて折り返して帰って行くのだ。
つまり、ここからがマラソン大会のコースとなる。参加メンバーはみんな去年も走っているので、コースは分かっているが、1年も経つとほとんど忘れているので、改めてコースをチェックする。
折り返し点からはずっと上り坂が続く。
(D木谷)「車で走ってると、ほとんどフラットに感じますよね」
(のら)「いやいや、どう見ても結構きつそうだよ」
(幹事長)「でも序盤の4kmに比べたら傾斜は緩いんよね」
(ピッグ)「それは序盤の4kmに比べたらマシっていうだけで、疲れた足にはきつく感じるんですよね」
このコースで最も坂が厳しい区間はスタートから4km地点辺りにある瓶ヶ森登山口までで、そこを過ぎた後は緩やかな下り坂が6km半ほどダラダラ続く。
その後、折り返し点で折り返したら、その道を戻っていくので、今走っているのは折り返した後の緩い上り坂だ。
でも、緩い上り坂とは言え、それはスタート直後の激坂との比較であって、実際に走ってみると、結構、厳しい坂だ。
走るのが厳しい上り坂ではあるが、晴れていれば見晴しの良い区間だ。でも今日はガスって視界が悪い。
前方には自念子ノ頭と呼ばれる小さな山があるが、それもほどんど見えない。
自念子ノ頭の辺りは、ほぼフラットな感じになるが、そこを過ぎると再びトンネルがある。このトンネルを抜けると景色が一変する。
前面に瓶ヶ森の山腹が現れ、それを横切る林道がはるか上に見えるのだ。あんな所まで上っていくのかと思うと気が遠くなる場所だ。
(D木谷)「えっ?そんな場所ありましたっけ?」
(幹事長)「ありますよ。もうそろそろ下り坂になるかなあと思ってたのに、はるか上に道が見えて愕然としますよ」
(のら)「そうそう、気が遠くなるよ」
(支部長)「あれを見たら絶対に歩くな」
(D木谷)「記憶に無いですねえ」
(幹事長)「あれを忘れるなんて私以上に認知症なんじゃないですか?」
(ピッグ)「D木谷さんは元気満々で、あれくらいの坂を見ても平気だから覚えてないんですよ」
あの激坂を見て呆然としないなんて、さすがはウルトラマラソンマンだ。
ただ、今日はガスで視界が悪いため、遠方の激坂が見えない。これは精神衛生上は良いかもしれない。
また、天気が良いと、スタートとゴール地点である山荘しらさがはるか遠方に見えて気が遠くなるが、それも今日は見えないので、気にせずに淡々を走れるかもしれない。
かなりきつい上り坂を上り終えると、ややフラットに近くなり、吉野川源流の碑がある。
この辺りがピークのように見えるが、実はまだまだ上りが続く。ようやくピークになったかなと思ってカーブを曲がると、もっと高いピークが見えてくるっていう事が何度も繰り返される。かなり精神的に辛い区間だ。
ただ、それも今日は視界の悪いガスの中を走るので、あまり気にならないだろう。
ようやくピークに達すると、そこからしばらく進んで瓶ヶ森登山口の駐車場に着く。
そして瓶ヶ森の登山口を過ぎてしばらくすると子持権現山がある。
子持権現山は瓶ヶ森のすぐ南にある山で、標高は1677mもあるが、一般的な登山口は瓶ヶ森林道にあり、登山口から山頂までの標高差は100mにも満たない小さな山だ。山と言うより、大きな岩の塊と言った方が相応しい。
去年は、酸欠マラソンの前に子持権現山に登った。
この山の存在はだいぶ前から知ってて、「剱岳のカニのタテバイより怖い」と言った話を聞いていたので、とても興味があった。
でも、100mにも満たない山に登るのに、わざわざ遠路はるばる出かけていくのは面倒なので、延び延びになっていた。
酸欠マラソンは子持権現山の登山口がある瓶ヶ森林道で開催されるので、酸欠マラソンに参加したついでに登ろうと思えば登れるように思える。
だが、本番のレースの日は瓶ヶ森林道は全面的に車両通行止めになるので、レースの前後に登山口まで行くのは困難だ。
て事で、これまでは酸欠マラソンの際に子持権現山に立ち寄る事はできなかった。
それが、一昨年、コロナウイルスのバカ騒ぎが勃発して大会が中止に追い込まれたため、我々で初めて酸欠マラソンを自主開催したとき、ふと子持権現山の話題が出た。
(幹事長)「前々から登りたかったのよねえ。いつか一緒に登らない?」
(D木谷)「じゃあ、来年は酸欠マラソンとセットで子持権現山の登山をしましょうよ」
(幹事長)「お!それはええですねえ。是非やりましょう!」
(ピッグ)「そ、そ、そ、それって怖くないんですか?」
(支部長)「いや、絶対に怖いはずや!怖いんは絶対に嫌やで!」
て事で、満場一致で2021年の酸欠マラソン自主開催の際に子持権現山の登山もやろうと言うことになった。自主開催なので何の制約も無いのだ。
最初の計画では、あくまでもマラソンがメインなのでマラソンが終わってから岩登りをする事にしていたが、レース後に足が痙攣したり攣ったりしている状態で超危険な岩登りをするのは無謀すぎると思い、マラソンの前に岩登りをすることにした。
その結果は子持権現山登山として登山部の活動のコーナーに掲載しているが、雨で濡れた岩がとても滑りやすくて、思いのほか登りにくかったにもかかわらず、誰も滑落することなく無事に登山する事ができた。
(幹事長)「期待した通り楽しかったね」
(D木谷)「これから毎年、酸欠マラソンに合わせて登りましょう!」
(幹事長)「じゃあ、来年は酸欠マラソンのコースに組み込もうか」
(のら)「それ、面白そう!」
(支部長)「嫌だ。もう二度と登りたくない!」
支部長の強固な反対により、レースに組み込むのは止めたが、せっかくなので今年もレース後に登ろうという事になり、一応、みんなヘルメットや登山靴を用意してきた。
レース前ではなくレース後にしたため、もし足がヘロヘロになった人は参加を強制しない事にした。
〜 会場到着 〜
子持権現山を後にして、急こう配の下り坂をしばらく降りていくと、ようやく山荘しらさに到着した。
山荘しらさに到着したとたん、雨が降り出したので、慌てて山荘しらさに逃げ込む。
山荘しらさは数年前から工事中で使用禁止だったが、去年、ようやく工事が終わり、新装開店した。
外観はどう見ても古い建物を塗り直しただけのように見えるが、内部は全く新しい建物に生まれ変わっている。宿泊施設だけでなく、レストランも併設されており、とてもきれいでお洒落な造りに改装されている。
会場に着いたら、いよいよ着替えだ。入口の近くにPRコーナーみたいなものがあり、そこにいたお姉さんに了解をもらって、ロビーの一角を使わせてもらう。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
(支部長)「今日はどういう悩み方をするつもり?」
(幹事長)「雨が降ってきたから難しいなあ」
今日はレース中は雨は降らないと予想してきたので、悩むことなく半袖Tシャツで良いと思ってた。
でも、予想外に雨が降ってるとなると、ちょっと悩む。雨と言っても小雨なら気にはしないが、意外に強く降っている。
それでも下界なら、今の季節なら多少の雨は平気だが、標高が高いので雨に打たれると体が冷えるかもしれない。
(のら)「じゃあ去年も来てた長袖インナーウエアにしたら?」
(幹事長)「持ってきてないのよね」
(のら)「何があっても対応できるように色んな準備をしてくるんじゃなかったの!?」
予想外のコンディションになった時は、いつも「次回は何があっても対応できるように色んな準備をしておかなければならない」と反省するんだけど、今日も忘れてしまった。
(のら)「やっぱり認知症がひどいね」
(幹事長)「今日は曇りしか想定してなかったよ」
て事で、どうしようか悩んではいるものの、持ってきているものは2013年の丸亀マラソンでもらった半袖Tシャツしかない。
一生懸命走っていると、体は寒くはならないだろうけど、腕が雨に打たれて冷えそうだ。
支部長やD木谷さんはアームウォーマーを着けているし、のらちゃんは薄手の長袖シャツを着た上に半袖Tシャツを着ている。
(のら)「じゃあ、これ貸してあげる」
のらちゃんがアームウォーマーを貸してくれた。なんて優しい女王様なんだ!これだと腕が雨に打たれない。素晴らしい。
下は練習の時にいつも履いている短パンを履いた。
支部長やピッグやのらちゃんはタイツを履いているが、私はタイツも持ってこなかった。タイツを履いてないと足が雨に打たれて寒そうだ。
(のら)「どうして持ってきてないの?」
(幹事長)「今日は曇りしか想定してなかったから、タイツは暑いと思って」
最近はいつも、筋肉の疲労防止のためにタイツを履くんだけど、暑い時期には脹脛サポーターにしている。なので、今日も脹脛サポーターしか持ってきていない。
D木谷さんだけは私と同じ脹脛サポーターだが、ランニングパンツが膝上まであるので、足の大半はカバーされている。足が露出して寒そうなのは私だけだ。
一方、普段は嫌いだから被らないランニングキャップは、雨が顔面に当たるのを防ぐために持ってきている。
(のら)「雨対策がバラバラやね」
(幹事長)「自分でも理解できんわ」
自主開催なので給水所が無いため、水分の補給は自己責任で何とかしなければならない。
(幹事長)「今日は雨で冷えそうだから飲料は要らないかなあ」
(支部長)「いくら冷えても汗はかくよ。水分を補給しないと脱水になるよ」
去年と同様に、支部長はトレランリュックに飲料ボトルを入れて背負っている。私もリュックやホルダーは準備してきたが、悩んだ末、今日は飲料無しで身軽に走ることにした。
最初は小雨だった雨は、いつの間にか意外なほどの激しい雨になった。雨は嫌いじゃないと豪語している支部長や私だが、さすがに激しい雨の中に出ていくのはためらわれる。
正式な大会なら問答無用でスタートになるので、悩む余地は無いが、今日は自主開催なので、いつスタートしてもいい。
スマホで雨雲レーダーを確認すると、激しい雨雲は小さいもので、しばらくすると通り過ぎそうだ。
て事で、外は雨が降っているので、雨が通り過ぎるのを待ってる間に、山荘しらさの中で団旗を持って記念撮影する事にした。
PRコーナーのお姉さんにシャッターを押してもらう。
山荘しらさの中で記念撮影
(左からD木谷さん、のらちゃん、支部長、幹事長、ピッグ)
PRコーナーのお姉さんは、てっきり地元の人かと思ったら、なんと地域おこし協力隊として北海道の帯広から来た人だった。
地域おこし協力隊ってのは、過疎や高齢化の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れて、地域協力活動を行ってもらう制度だ。
ここは伊野町とは言っても、合併前は本川村だった地区であり、過疎や高齢化が極端に進行している地域なので、受け入れ先としてはピッタリだ。
ただ、地域おこし協力隊は一般的には都市部の住人が田舎へ行くものだ。帯広は本川村よりはずっとマシだろうけど、都市部とは言えず、過疎や高齢化は進んでいるような気がする。
でも、こんな四国の山の中に北海道から若いお姉さんが単身でやって来てるってのは、とても嬉しい。このまま定住してくれたらいいのに。
〜 スタート前 〜
しばらく待っていたら、予想通り雨が一気に小降りになり、そのうちすっかり雨が上がった。こうなると嫌いなキャップは被る必要が無いので脱いだ。
(幹事長)「次に雨が降り出すのは2時間後やから、それまでに帰ってきたら雨からは逃げ切れるよ」
(支部長)「その予言は信じていいんかな?」
(幹事長)「私の天気予知能力は気象予報士を凌駕するぞ」
外に出て、一応、コースを再確認する。コースは今、車で走ってきた一本道なので、とてもシンプルだ。
スタート地点は会場の山荘しらさの前で、4km地点辺りにある瓶ヶ森登山口まで激坂が続き、そこから少し進んだ最高点からは緩やかな下り坂が6kmほどダラダラ続く。
2つ並んだトンネルを抜けてすぐ折り返すと、帰りは逆に緩やかな上り坂を6kmほど走り、最後は激坂を4km転げ落ちるというコースだ。
また、旧寒風山トンネルの駐車場を起点として、西に向かって1kmごとに道路の真ん中に大きな数字で距離表示がある事が分かった。1kmごとにペースを確認できるので、とても助かる。
山荘しらさの前がちょうど21km地点のようで、大きな数字で21と書いてある。折返し点までは片道10.55kmだ。11と書かれた数字までが山荘しらさから10kmなので、そこから550m行けば2つのトンネルを抜けて折返し点だ。
(D木谷)「私は去年と同じように吉野川の源流に寄り道してきますね」
(支部長)「なんでわざわざそんな無意味な事を?」
(D木谷)「吉野川の源流に立ち寄って2時間を切る事を目標としましたから」
体力が有り余っているD木谷さんとは言え、意味が理解できない行動だ。
雨も上がった事だし、スタート時間は10時半とした。
スタート前に本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは坂が厳しいから、他のレースとの比較は意味が無い。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。
この大会は、正式な大会には過去5回エントリーしたが、実際に開催されたのは2回だ。その2回ともがトンでもない大惨敗タイムで、2016年が2時間15分台で、2017年が2時間13分台だ。
自主開催は2回実施したが、2020年も2021年も2時間12分台だ。正式な大会と同じく、大惨敗タイムだ。
4回とも似たような大惨敗タイムって事は、この超厳しいコースでは、この程度のタイムしか出ないって事だ。
なので、大会自己ベストと言っても大したタイムではないが、一応、2時間12分を本日の目標とする。
そもそも、一昨年5月のオリーブマラソンから始まった自主開催マラソン大会の結果を見ると、正式な大会でもないのに自己ベストを出すのは不可能に近い。
ゾウさんやのらちゃんら女子部員は精神力が強いから、練習の時でも本番同様のスピードで走ることができる。しかし私なんかは練習になると、どんなに気合を入れようとしてみても、本番のような気持ちの高まりを得る事はできないため、アドレナリンの分泌が皆無になる。
みんなで走る自主開催マラソン大会は単独での練習よりは多少は気合が入るが、正式な本番とは比べ物にならないスローペースになるのが当たり前だ。
そんな中で、2020年も2021年も自主開催だったにもかかわらず過去の正式大会より良いタイムを出したっての上出来だったと思う。
(ピッグ)「単に、過去の本大会の記録が大惨敗だったというだけですよね」
今年は久しぶりに復活するはずだった丸亀マラソンに向けて1月末まではまあまあ練習したんだけど、丸亀マラソンも徳島マラソンもドタキャンされてしまったため、完全にやる気を喪失し、その後はあんまり練習していない。
特に6月以降は月間走行距離100kmを達成するのでさえギリギリだった。
(幹事長)「登山遠征が続いているから仕方ないよね」
(ピッグ)「登山に行きすぎですってば!」
今回も4日前に走ったら、10kmほど走ったところで足が動かなくなり、ヘロヘロになってしまった。こんな状態で21kmも走れるかどうかものすごく不安だ。
ライバルの支部長は相変わらず月間走行距離200kmをずうっと維持しているので脅威だ。
ただ、支部長は酸欠マラソンに弱い。
(幹事長)「他のレースで圧勝続きなのに、このレースだけは本当に苦手にしてるなあ」
(支部長)「最初から激坂が続くからなあ」
北山林道駆け足大会も前半に激坂が続くが、激坂区間に突入する前にフラットな区間が3kmほどある。その間に体を慣らすことができるんだそうだ。
また北山林道駆け足大会の激坂区間は2kmほどだが、酸欠マラソンの激坂区間は4kmほどある。そのため、最後は力尽きてしまうんだそうだ。
とは言え、支部長が苦手とする炎天下ならいいけど、今日は雨が降ったりしたため、暑さに弱い支部長には有利な気象条件となった。
このような状況では作戦もクソも無いので、今日は取りあえずは自然体で走っていくことにした。
(ピッグ)「結局、いつも自然体で走ってますよね」
(幹事長)「作戦を考えるとほど練習してないし」
(支部長)「私は最初から歩きまくるよ」
支部長は一昨年も去年も序盤から歩いていた。でも、序盤の激坂区間では走っても歩いてもスピードはさほど変わらないから、最初から歩いて力を温存するってのは悪い戦略ではない。
それに、支部長はどんなに歩いても、再び走り出した時にトップスピードで走り出すから、全く油断できない。
〜 スタート 〜
いよいよ10時半になり、主催者の幹事長からありがたいお言葉が発せられ、開会式が10秒ほどで終わり、事務局の幹事長から注意事項がアナウンスされた。
(幹事長)「今日は天気が悪いので車は少ないと思うけど、ガスで視界が悪いので、崖から落ちないよう十分に注意してね」
続いて支部長のカウントダウンにより一斉にスタートとなった。
スタート地点は、山荘しらさの前の道路に大きく書かれた「21」の数字の所だ。
タイムはもちろん自己計測だ。自主開催なので当たり前だ。
普通のマラソン大会なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、この大会は正式な大会の時でも、参加者はそれほど勢いよくは飛び出さない。スタートから4kmは超過激な激坂が続くので、ゆっくり走り始めるのだ。
しかも、今日は参加メンバー5人の自主開催だから、取りあえずは何も考えずに自然体で走る。
大勢のランナーと競いながら真剣勝負する正式大会のような緊張感は無いが、それでも、みんなと走っているので、単独で練習している時に比べたら、だいぶ気合が入り、清々しい気分でしっかり走れている。競い合う感じが心地いい。
自主開催のマラソン大会ではいつもそうだが、取り合えず序盤は私が先頭を走り、他のメンバーは私の後ろをついてくる。一昨年のように、そのまま一気に引き離せれば気持ち良いところなんだけど、序盤はみんなの足音がピタッと後ろから着いてくる。
もっとスピードを上げたいところだが、無理すると後半に自滅するので自重しなければならない。
しばらく走ると道路に「20」と大きく数字が書いてある。1km地点だ。時計を見るといきなり1km7分を越えている。
いくら最初から厳しい激坂が始まったとは言え、出だしから1km7分オーバーは情けない。
相変わらずみんな後ろを着いてくるので、時々振り返って確認する。
一昨年や去年は早々に歩き出した支部長が、今年は全く遅れることなくしっかりと着いてきている。なかなかの恐怖だ。
そのうち、スタート時には止んでいた雨が少しずつ降ってきた。全然大した雨ではないが、ちょっとだけ鬱陶しい。
ただ、霧雨のような雨のおかげで呼吸がすごく楽だ。加湿器を咥えているような感じだ。
すると、しばらくして誰かが私に迫ってきて、追い抜こうとしている。誰かと思って見ると、なんと支部長だ。あろうことか、いつも早々に脱落する支部長が今年はトップに出ようとしているのだ。
さすがに、ここで支部長に先に行かれては勝ち目が無いので、頑張ってペースを上げて引き離しにかかる。
と言っても、ほとんどペースは上がらず、引き離すことはできなかったが、支部長が前に出るのは阻止できた。
(幹事長)「雨のおかげで呼吸が楽やね」
(支部長)「うん、本当に楽やね」
一昨年や去年は早々に脱落した支部長も、今年は小雨のおかげで呼吸が楽になったようで、全く脱落する気配が無い。
他のメンバーも同じようで、後ろから足音がしっかり聞こえてくる。
道路に「19」と数字が書いてある2km地点でタイムを確認すると、ペースはますます遅くなっており、この1kmは7分半ほどかかってる。
支部長が楽々と着いてくるのは、呼吸が楽なだけではなく、私が遅いからかもしれない。
坂の傾斜はさらにきつくなってきて、ペースはさらに落ち始めるが、その機会を捉えて、なんと再び支部長が前に出ようとする。
今度もなんとか阻止したが、同じ事が何度か繰り返される。こんな風に支部長とアタック合戦していると、どんどん消耗していく。
なんとか踏ん張って走り続けていると、3km地点の手前で突然支部長が歩き始めた。余裕があるように見えたが、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。
それでも、去年は2km地点より前で歩き始めたのに、今年は3km近く走ったから、去年よりはかなり走りやすかったのだろう。
それなのに、私のペースは去年より遅いから、ちょっと悲しい。
支部長が脱落してホッとしていたら、今度はのらちゃんが迫ってきた。彼女もそのまま追い抜いて行きそうな勢いなので、ここも踏ん張ってなんとか阻止してトップを守る。
せっかく支部長とのアタック合戦が終わったのに、今度はのらちゃんとのアタック合戦を繰り返し、消耗していく。
それでも、ようやく坂の傾斜が緩やかになって、瓶ヶ森登山口の駐車場の近くにある4km地点となった。
この1kmは8分近くかかっている。ここまでペースダウンすると愕然とするが、これでようやく激坂区間が終わる。最高点まであと少しだ。もうすぐ楽になれる。
なんて思った瞬間、いきなりD木谷さんがスタスタと私を追い抜いて前に出た。支部長やのらちゃんのアタックは阻止できたが、D木谷さんとはスピードの差が大きくて、阻止しようという気持ちすら起きない。
そもそも、最近の自主開催マラソン大会では、前半のうちからD木谷さんが先頭に躍り出て、そのまま逃げ切る事が多い。なので、対抗するのはあっさりと諦めた。
他のメンバーは、と言うと、一人だけ足音がすぐ後ろを着いてくる。振り返らなくても分かる。のらちゃんしかいない。去年はこうやって終盤まで競り合った。今年も同じ展開になりそうだ。
激坂区間が終わった後も、まだしばらく緩い上り坂が続くが、スタート地点から4.5kmほど走ったところがピークとなり、ようやく下り坂になる。
そこから折返し点まで基本的に下りの区間が続くのでホッとする。
折り返し点まで6kmほど下り坂が続くが、一様な傾斜という訳ではない。まず最初は、しばらく傾斜のきつい下り坂となる。
かつて高知のおんちゃんから「ここで調子に乗って勢いに任せてガンガン下ると足に負担がかかり、終盤で足が動かなくなるぜよ」という忠告は受けているが、ここまでの過激な上り坂から解放された嬉しさと、ここで貯金しようという気持を抑えられず、どうしてもガンガン駆け下りてしまう。
少し進んだところに5km地点があり、この1km区間は上りと下りが半々だったから、まだまだ大して速くはないが、なんとか6分ちょっとのラップになった。良い感じだ。
この辺りから稜線沿いの道になり、晴れていれば見晴らしが良く、ずっと向こうの遙かかなたまで道が見える。あんな遠くまで走るのかと思うと気が遠くなるところだが、今日はガスで何も見えないので、その点では走りやすい。
ただ、前を行くD木谷さんも後ろから来ているはずの支部長やピッグの姿が見えないので、どれくらい離れているのか分からない。分かるのはピッタリ着いてくるのらちゃんだけだ。
相変わらずのらちゃんは時々私を追い抜こうと迫ってくるが、私が頑張って踏ん張ると、追い抜くことができずに諦める。でも、私の頑張りも長続きはしないから、結局、すぐ後ろを着いてくる。そういったジリジリするような並走が続く。
7km地点を過ぎたら、まだ下ってはいるものの傾斜は緩やかになり、もうガンガン走れるような道ではなくなる。て言うか、なんとなく上り坂になっているような気すらする。
(幹事長)「これって、まだ下ってるのかな。それとも上り坂になってるのかなあ?」
(のら)「よく分かんないね」
これは微妙なところで、本当に上り坂になっているのか、それとも緩い緩い下り坂なのか分かりにくい。それまで急な下り坂をガンガン走ってきた反動で体感的には上っているような気もするが、よく分からない。
5km地点から8km地点にかけてのラップはだいたい1km5分半ほどだったが、少しずつペースダウンしている。疲れてきてペースダウンしているのか、それとも傾斜が無くなってきたからペースダウンしているのか、分からない。
下り坂なんだから、もっとスピードが出てもいいと思うんだけど、これが限界なんだろうか。後ろを着いてくるのらちゃんも前には出てこないから、こんなものなのだろうか。
8km地点の手前には最初のトンネルがあり、それを抜けてしばらく進むと本当の上り坂になる。ちょうど自念子ノ頭の側を通っている辺りだ。
上り坂と言ったって、序盤のような激坂ではなく緩い坂なんだけど、既に疲れ始めた足には堪える。
そのため、9km地点でのラップは一気に6分半をオーバーした。
(幹事長)「ここって、こんなに上り坂が続いたっけ?」
(のら)「思ったより上り坂が長いねえ」
去年はこの辺りで後ろを振り返ると、のらちゃんの少し後ろにピッグがいて、さらにその少し後ろに支部長の姿が見えて驚愕した。
のらちゃんはともかく、完全に引き離したと思ってた二人が着いてきている事が分かり、恐怖で心臓が止まりそうになるくらいビックリした。
ただ、それで一気に気合が入ってスピードアップする事ができた。
ところが今年はガスで何も見えないから、ピッグや支部長が迫ってきているのかどうかが分からない。
後から考えたら、これで気が緩んでペースが落ちたようだ。
9km地点を過ぎたら再び下り坂になる。結構、急な下り坂だ。ここを必死で力任せにガンガン駆け下りる。下り坂に強い支部長が後ろから迫ってきているとなると、恐怖に追い立てられる。
そのおかげで10km地点でのラップは再び5分台になった。のらちゃんにも少しだけ差をつけた。
さらにしばらく必死で走り続けると小さなトンネルが見えてきた。このトンネルの次のトンネルを抜けた所で折り返すのだ。
ここで先行するD木谷さんが戻ってきた。タイムにして2分ちょっとの差だ。まだ決して追いつけないタイム差ではないように思えるが、過去の経験からすると絶対に追いつけないだろう。
トンネルを2つ抜け、カーブミラーで折り返す。折返し点でのタイムは去年より少し遅い。やっぱり緊張感が乏しかったからだろう。
折り返すと、すぐ後ろからのらちゃんが着いて来ている。折り返すと、それまで下り坂だったのが上り坂に変わるから、すぐにスピードダウンしてしまう。すると、すぐさまのらちゃんがピッタリと追いついてきた。
でも、この展開は分かっている。問題は支部長だ。
折り返して再びトンネルを2つ抜けたところで、ピッグがやってきた。私との差は2分くらいの差だ。ちょうど去年と同じくらいだ。
過去の数々のレース展開からすると、前半で差をつけたピッグに後半逆転される事は少ないので、取りあえずホッとする。
だが、しかし、なんと支部長がピッグのすぐ後ろを走ってくるではないか。今まさにピッグを追い抜こうとしている。見るからに元気そうで、すごい勢いだ。
去年は折返し点で支部長には5分ほどの差を付けていたので、なんとか逃げ切れたけど、2分の差はあって無いようなものだ。
(幹事長)「こんな少ない差では終盤の下り坂で絶対に逆転されるよ。こりゃヤバいよ」
(のら)「そうやね」
折り返した後は急な上り坂となる。さっきは急な下り坂だったんだから当たり前だ。
後ろから支部長が迫ってきていると思うと焦ってくるが、かなり足に疲れが出てきているため、どうしてもスピードダウンしてしまう。
だが、その後には、先ほど上り坂で苦労した区間になる。自念子ノ頭の側を通る区間で、束の間の下り坂だ。
と思ったんだけど、なんとなく下り坂を感じられない。
(幹事長)「ここって下り坂のはずだよねえ」
(のら)「さっきは長い上り坂だったからね」
(幹事長)「全然、下りって感じじゃないよ」
(のら)「ほんと。フラットみたいだね」
ただ、体感としては下りを感じなかったが、頑張って走ると13km地点でのラップは6分を切っていたから、やはり下っていたのだろう。
この辺りは、このコースの中でも最も景色が良い場所で、晴れていると自念子ノ頭の特徴的な形がよく見える。また、見通しが良いので、先行するランナーや後続のランナーの姿も確認できる。
しかし、今日はガスで何も見えないから、どうしても緊張感が緩んでしまう。
それで少しペースダウンしたら、のらちゃんが前に出てきた。前半はのらちゃんに迫られたら頑張って逆転を阻止してきたが、遂に頑張る元気が無くなり、そのまま逆転を許してしまう。
こうなると、緊張感が無くなり、頑張って着いて行こうという気力が無くなり、ズルズルと離されてしまう。
しかも、ガスで視界が悪いから、少し離れると、もう姿が見えなくなり、一人旅になってしまう。一人旅になると精神力の弱い私はズルズルと果てしなくペースダウンしてしまう。マズい展開だ。
しばらく進むとトンネルがあり、晴れていると、このトンネルを抜けると残りのコースの全貌が見えるようになる。
瓶ヶ森登山口がはるか上に見えて、あんな上まで登っていかないといけないのかと呆然とするし、はるか遠くにゴールの山荘しらさの屋根が見えて、まだあんなに遠くまで走らないといけないのかと気が遠くなる。
しかし、今日はガスで何も見えないから、どこを走っているのかピンとこないまま淡々と走り続ける。精神的な絶望感は感じない代わりに、緊張感が無くて、ダラダラとしたペースで走り続ける。
この辺りは、さきほど走った時は、上りなのか下りなのか分からなかった場所だ。下っているはずなんだけど、体感としては上っているような気がした区間だ。
しかし、こうやって走っていると、今は明らかに上りだ。つまり、さっきは上っているような気はしたが、実は下っていたのだ。下っていたのに、傾斜が緩やかになったから上っているのかと錯覚したのだ。
ペースは一気に怒涛のごとく落ちていき、14km地点や15km地点でのラップは7分を超えてしまった。
そこからはさらに傾斜がきつくなる。序盤の4kmよりはずっと緩やかなはずなんだけど、もういい加減足がくたびれているため、序盤より厳しく感じてしまう上り坂が続く。
そのため、16km地点のラップは遂に8分をオーバーしてしまった。前半の激坂区間より悪い本日の最悪ペースだ。
D木谷さんはもちろん、のらちゃんの姿も見えず、どこを彷徨っているのか分からない状態だ。
時々、後ろを振り返って見るが、支部長やピッグの姿は見えない。でも、ガスで視界が悪いため、実は迫ってきているかもしれない。
16km地点を過ぎても、まだしばらくは上り坂が続くが、傾斜は緩やかになり、だいぶ楽になる。
さらに進むと、ようやく最高点に達して上り坂が終わり、緩やかな下り坂になる。残りは全て下り坂だけで、苦しい区間は終わりだ。
瓶ヶ森登山口の17km地点でのラップはなんとか6分半弱にまで戻していた。
ここからはゴールまで4kmの激坂の下りが続く。
前を行くのらちゃんに追いつくにも、また後ろから迫ってくる支部長から逃げ切るにも、ここからが本当の勝負だ。ここで、どこまでスピードを出せるかが勝敗を決めるのだ。
去年は、ここから頑張ろうとしたのに、ここまでに足を使い果たしていたせいか、もう足が動かなくなり、並走していたのらちゃんに一気に逃げ切られてしまった。
今年はなんとか最後まで頑張らなければならない。
でも、頑張ろうとはするんだけど、前にも後にもライバルの姿が見えない。そうなると、なかなか気合が入らない。
後ろから支部長が迫ってきているのは分かっているので緊張感はあるが、どこまで迫ってきているのかが分からないので、イマイチ実感が湧かない。
折返し点では2分くらいの差だったが、その後の上り坂でもう少し貯金はできているはずだ。そうなると、それほど必死にならなくても逃げ切れるんじゃないのか、なんて甘く思ってしまう。
てな訳で激坂の下りの最初の1kmの18km地点でのラップは去年と同じで、イマイチ冴えなかった。こんなに激坂の下りなのに、どうして5分を切れないんだろう。
ところが、ここで突然雨が降り出した。時計を見ると、スタートからちょうど2時間だ。自分で予言した通り、ジャスト2時間経って再び雨が降り出したのだ。
自分の気象予知能力に我ながら心底感心したのではあるが、雨はどんどん激しくなってきた。多少の雨ならどうって事ないが、あまりにも激しい雨になると、やはり走りにくくなってくる。
て事で、雨から逃げるように頑張って走る。
すると、19km地点でのラップは、ほんの少しだけペースアップできていた。相変わらず5分は切れていないが、少しずつペースダウンしていった去年に比べたらマシだ。
雨はどんどん激しくなり、遂に土砂降りになってきた。路面にはあっという間に水たまりができて走りにくいが、気にしてはいられない。
それでも、こういうワイルドな状態の方が気分は乗ってきて、頑張って走り続ける。
ところが、なんと、ここで後ろから突然支部長が彗星のごとく現れた!有り得ない!!なんてこった!!!
(支部長)「わっはっは。遂に幹事長を捕らえたで」
(幹事長)「ひえ〜っ!!!」
まるで魔王だ。もちろん、みすみす追い抜かれたくはないが、圧倒的なスピードの差だ。
たぶん、折り返してからも少しは貯金は増えていたはずだから、激坂区間が始まった時点ではかなり差をつけていたはずだ。
それを3km弱で一気に追いついてきたって事は、よっぽどのスピードの差があるって事だ。
それとも、折り返してから、私が緊張が緩んでダラダラ走ってた時に支部長は頑張って差を縮めてきたのだろうか。
いずれにしても、あっという間に支部長は遠ざかっていく。唖然、呆然だ。
それでも、私のペースが落ちた訳ではない。20km地点でのラップは、ほんの少しだけどペースアップできていた。
それなのに支部長との圧倒的なスピードの差を考えると、元々がすごく遅かったって事だろう。緊張感の欠如が原因だろう。
それとも、こんな激坂の下りなのに1km5分を切れないなんて、もうスピードは出ない体になったんだろうか。
さすがにピッグは追いついてこないだろうとは思うが、それでも心配なので時々後ろを振り返る。でも、見通しが悪いので何も見えない。支部長も突然、現れたので、後ろを確認しても意味は無いんだけど。
ようやくゴールが見えてきて、後ろからピッグが迫ってくる気配も無いので、ここで力を抜いてゆっくりゴールする。
〜 ゴール 〜
結局、タイムは去年より少しだけ悪かった。
ゴールすると、トップでゴールしたD木谷さんと、途中から私を置き去りにしたのらちゃんと、ゴール直前で私を抜き去っていった支部長が出迎えてくれた。
(支部長)「がはははは!今年は最後に逆転できたな。気持ち良い〜!」
(幹事長)「もう信じられんわ。あのスピードはどこから出てくるん?」
(支部長)「下り坂は強いからな」
いくら下り坂に強いからと言っても、上り坂で疲れ切ってるはずなのに、どこに余力が残っていたんだろう。
(のら)「私も最後の下り坂は飛ばしたよ」
のらちゃんのタイムを聞くと、私との差が思った以上に大きかった。やはり終盤の激坂でのスピードの差が大きかったようだ。
どうして、みんな、疲れ切った終盤に猛スピードで走れるんだろう。
(幹事長)「2時間は切れましたか?」
(D木谷)「あと少しのところで切れませんでした」
(幹事長)「吉野川の源流なんかに寄り道するからですよ」
(D木谷)「こうなると意地でも吉野川の源流に立ち寄って2時間を切りたいですねえ」
しばらく待っていると、ようやくピッグが帰ってきた。
(幹事長)「やる気が感じられんが?」
(ピッグ)「あれだけ歩いている支部長に負けたら、やる気も失せますよ」
聞くと、やはり支部長は序盤の急坂の上りだけでなく、後半の緩やかな上り坂でも歩きまくったらしい。
しかし、ピッグは全く歩かなかったにもかかわらず、早足で歩く支部長との差をあんまり広げられなかったため、下り坂になると支部長に一気に引き離されたんだそうだ。
(支部長)「それにしても幹事長の予言通りピッタリ2時間経過した時から雨が降り出したなあ」
(幹事長)「気象予報士を凌駕する私の気象予知能力に感服したかな」
(支部長)「予言は当たっても、それまでに戻って来られなかったから、何の役にも立ってないやんか」
〜 反省会 〜
当初の予定では、レースが終われば希望者は子持権現山に登山する事になっていて、みんなヘルメットや登山靴を準備してきたが、濡れた岩場を登るのは超危険なので子持権現山登山は中止する。
危険じゃなくても、こんな土砂降りの雨の中、山には登りたくない。
て事で、山荘しらさの中に引上げて着替えをする。土砂降りの雨で全身ビショビショだ。
着替えが終われば昼食タイムだ。朝、コンビニで買ったお弁当を食べる。でも、疲れ切った胃に唐揚げ弁当は重すぎた。なかなか食が進まない。
(のら)「だから、おにぎりくらいにしておけば良かったのに」
(幹事長)「見てたら、ついつい欲しくなって」
なんとか無理やりお弁当を食べたら、去年と同じく、麓の木の香温泉に行く事にする。
(支部長)「木の香温泉と言えば、木製の露天風呂がある所やな」
(幹事長)「え?木製の露天風呂?何それ?」
(ピッグ)「う〜ん?」
(のら)「う〜ん?」
木製の露天風呂なんて見た事ないぞ。
先ほど走った瓶ヶ森林道を戻っていると、こんな天気の悪い日に山に登っている人のほか、こんな見通しの悪い日に自転車に乗ってる人もいる。
(幹事長)「何度も言うが、こんな天候の悪い中、わざわざ山の上で自転車に乗りに来るなんて本当にアホやな。理解できんわ」
(ピッグ)「何度も言いますけど、一番アホなのは、この天候の悪い中、わざわざ山の上でマラソンしに来るアホでしょ」
木の香温泉は道の駅に併設された温泉で、こんな天気の日でも大繁盛で駐車場はほぼ満車だった。
露天風呂に出てみると、なんと湯船も周囲のデッキも全て木製だった。
(幹事長)「本当や!木製の露天風呂や!」
支部長の記憶力の良さには驚きだ。
(支部長)「毎年、来てるんやから覚えといてよ」
木製の露天風呂は、ちょっとぬるめのちょうど良い湯加減なので、いつまでも浸かっていられる。厳しいマラソン大会で疲れた体を癒すには絶好の温泉だ。
最近、登山の後に入る温泉で「登山の喜びの半分は下山後の温泉ではないかと思うくらい下山後の温泉は気持ち良い」なんて思うが、同じように「マラソンの喜びの半分はレース後の温泉ではないかと思うくらいレース後の温泉は気持ち良い」なんて思う。
のんびりお湯に浸かりながら反省する。
今日は前半から去年より少しペースが遅かったとは言え、去年よりタイムが悪かった主な敗因は後半の緊張感の欠如だろう。
去年は後半もずっとのらちゃんと競り合いながら並走していたのでペースを維持できたが、今年は後半早々に一人旅になってしまったため、どうしても緊張感が緩んでペースが落ちていったようだ。
それが無ければ、ゴール直前で支部長に逆転されるなんて失態も防げただろう。
ま、それでも、ほんの数日前に自主練習した時は10kmで足が動かなくなり、今日は完走すら不安だった事を考えると、最後までしっかり走れたので少し安心できた。
やはり走りやすい気象条件だったからだろう。
次のレースは10月上旬の脱藩マラソンだ。なんと、3年ぶりに正式な大会が開催されるのだ。
秋吉台カルストも久しぶりの正式な大会だったが、純粋なマラソン大会としては今度の脱藩マラソンが3年ぶりの正式な大会だ。
もちろん、エントリーも済ませていた丸亀マラソンや徳島マラソンがドタキャンされた実績があるので、まだまだ油断はできないが、開催に備えて練習を積まなくてはならない。
(ピッグ)「もう山には行かないでくださいね」
(幹事長)「えっと、ちょっとだけ‥‥」
酸欠マラソンの翌々日には南アルプスに向けて出発するし、南アルプスからもどってきた1週間後には北アルプスに出発するので、脱藩マラソンの練習はその後になる。
(ピッグ)「それって脱藩マラソンの直前じゃないですか」
(幹事長)「えっと、1週間くらいはあるかな‥‥」
〜おしまい〜
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