第35回 那覇マラソン

〜 リベンジのはずが空前絶後の大敗! 〜


2019年12月1日(日)沖縄の那覇市第35回那覇マラソンが開催された。

(幹事長)「今年こそ絶対にリベンジするぞ!」
(支部長)「もう、わしゃ無理じゃな」

(ヤイ)「私も完走は無理でしょうねえ」
(幹事長)「何を弱気な事を言うとるかーっ!」

那覇マラソンって聞くと、南の島のパラダイスでのマラソン大会のような印象があるが、実は私たちにとっては10月の脱藩マラソンと並ぶ最大の難敵だ。
過去、フルマラソンでは数々の惨敗を喫してきた私と言えども、近年において5時間をオーバーするような大惨敗を喫しているのは脱藩マラソンと那覇マラソンだけだ。脱藩マラソンのフルマラソンの部は2016年に初参戦して以来、今年まで4年連続で5時間をオーバーしているし、那覇マラソンも出走した一昨年、去年と2年連続で5時間をオーバーしている。その他のマラソン大会では、近年だと大阪マラソン京都マラソン神戸マラソン奈良マラソン徳島マラソン海部川マラソンと色んなフルマラソンに出ており、タイムも様々だが、さすがに5時間をオーバーしたことはない。それなのに、
脱藩マラソンと那覇マラソンは逆に5時間を切ったことがないのだ。
しかも、
脱藩マラソンは累積の標高差が900mもある超厳しい山岳マラソンなので、自分でも仕方ないような納得感もあるが、那覇マラソンは途中で大きな丘陵地を越えていくとは言え、累積の標高差は300mも無く、奈良マラソンよりずっと楽なコースだ。なので、大惨敗が続いている理由が分からないのだ。

そもそも那覇マラソンは私にとって曰く付きの
因縁の大会だ。
那覇マラソンは多くのマラソンランナーにとって憧れの大会だ。マラソン大会そのものとしては東京マラソン大阪マラソンも魅力的だが、行き飽きた東京や大阪の街と違って、そもそも沖縄へ行くって事だけでもワクワクする
沖縄へは那覇マラソンの他、家族旅行で来たこともあるし、仕事でも数回来たことがある。それでも、沖縄は何度来ても楽しい。「何が楽しいか」と言っても「特にこれが」ってものは、実は無い。ただ南の島が好きな私としては、沖縄の空気が好きなのだ。海の雰囲気だけでなく街の雰囲気も大好きだ。
だから、沖縄のマラソン大会だなんて、聞いただけでもワクワクする。ウキウキする。ゾクゾクする。

ただ、実際に行くとなると、なかなか重い腰が上がらないやはり遠いからだ。東京や大阪の人に取っても那覇マラソンは、東京マラソンや大阪マラソンと違って、長時間、飛行機に乗って、しかも前日から出掛けなければならないから、かなりハードルが高いと思う。その点、四国の人間にとっては、所詮、東京マラソンだって飛行機で行かなければならないし、前日に行かなければならないから、大差は無いように思える
とは言え、出張とかでもしょっちゅう出掛ける東京と、遊びでしか行くことが無い沖縄では、やっぱり馴染み度が異なるから、なんとなく精神的にハードルが高い

だが、3年前、遂に重い腰を上げてエントリーしたのだ。なぜ思い切って出場することにしたのかと言うと、4年前に初参加した奈良マラソンエントリーに失敗したからだ。奈良マラソンは那覇マラソンの1週間後に開催されている大会で、4年前に初参加したら、坂が多くて非常に厳しいコースで大変だったけど、変化があって、とっても楽しいマラソン大会で、「絶対に来年も出場しよう」って強く思ったのだ。
ただ、奈良マラソンは抽選じゃなくてネット受付の先着順なので、エントリーには秒単位の熾烈なクリック競争があり、数秒の差が命取りになる。それなのに3年前は、酒を飲みながら夕食を食べているうちにすっかり忘れてしまい、気が付いたときには受付開始から1時間が経っていて、当然ながら既にエントリーは閉店休業になっていた。

奈良マラソンのエントリー失敗のショックから立ち直るために、ふと思い出したのが「Naraマラソンの1週間前にNahaマラソンがある」っていうダジャレのような小松原選手の言葉だ。小松原選手は8年前、初フルマラソンとして那覇マラソンに出場し、すっかりその魅力に取り憑かれてしまい、その後、毎年出場している。その彼の強い勧めに従い、初めて那覇マラソンに参加することにしたのだ
ただし、奈良と違って沖縄は遠方なので、一人で行くのは寂しい。東京マラソンや大阪マラソンは抽選の競争率が高いので一人で行くしかなかったけど、那覇マラソンは抽選の競争率が低いので、みんなで参加することが可能だ。しょっちゅう行ってる東京や大阪と違い、滅多に行かないリゾートアイランド沖縄に一人で行くのは寂しいので、他のメンバーにも声を掛け、賛同を得た支部長、ピッグ、ヤイさんの合わせて4人で参加することにした。

ところが、リゾートアイランド沖縄での初マラソンにワクワク胸を躍らせていた大会3日前の夜、最後の練習として軽く数kmくらい走ろうと思って会社から自転車に乗って帰宅していた時、自宅まで100mも無い近所の道で、狭い路地から突然、車が飛び出してきてはねられたのだ。救急車で搬送された救急病院で診断を受けると、肋骨が3本も骨折していて、全治6週間と診断された
足の骨折とかならギブスで固めて治療ってことになるが、肋骨は呼吸と共に常に動いているので、そういう治療はできないから、自然治癒を待つしかない。施してくれたのは、大きく呼吸して胸が広がると、くっつきかけた肋骨が離れてちぎれてしまうので、それを防ぐために胸にバストバンドってのを巻いてくれただけだ。
自然治癒を待つだけなので、痛くなければ何をしてもいいとは言われたが、さすがに「運動なんかしてもいいんですか」って聞いたら「当面は控えてください。て言うか運動なんかしたら痛いと思いますよ」なんて言われた。さらに「実は3日後にマラソン大会があるんですけど、やっぱり無理ですかねえ」なんて聞いたら、呆れかえった顔で「1ヵ月程度は運動は控えてください!」なんて怒られた。

だけど、苦労して予約した飛行機もホテルも既にキャンセルはきかないし、せっかくみんなで沖縄へ行く予定だったので、取りあえず4人で沖縄に出掛けた。そして、もしかして奇跡的に痛みが薄れたら出場しようなんて思っていた。しかし、当日、ホテルから会場まで行く途中、歩いているだけでも痛みに耐えるのに疲れてしまい、とてもじゃないが走れる状態ではないと悟り、残念だけど最終的に出場を諦めた
私はそのままホテルに戻り、ベッドでウンウン唸っていたから知らなかったが、その年の大会は猛暑のレースとなった。その日の那覇は、12月の気温としては102年ぶりに記録を更新する観測史上最高気温だったようで、おまけに風が無く、マラソンとしては非常に厳しいコンディションだった。そのため、完走率は1999年の第15回大会に次ぐ低さの53.2%だった。つまり3万人走って半分近い1万4千人もがリタイアしたってことだ。
このような厳しいコンディションの中、ピッグは5時間半という自分史上最悪のタイムでゴールし、支部長に至っては途中で力尽きてリタイアした。さらに、ヤイさんは痛めていた肉離れが悪化して早々に走れなくなった。ただ、鉄人ヤイさんそのまま根性で歩き続け、制限時間の6時間はオーバーしつつも、最後まで歩いてゴールした。

(幹事長)「よくもまあ、そんな長距離を歩けますねえ」
(ヤイ)「翌年のためにコースを把握しておこうと思って」


楽しみにしていたのに初出場できなかった私はもちろん、途中から走れなくなったヤイさんも「悔しいので、来年は完走しよう」て事で、2年連続での沖縄遠征に意欲を見せた。もちろん途中リタイヤの支部長もリベンジに燃え、ピッグにも有無を言わさず、4人で再び挑戦することになった
てことで、私としては
一昨年が待ちに待った初出場だったそして、その結果は大惨敗だった
一昨年は3年前のような猛暑ではなく、それほど悪いコンディションではなかった。完走率69.7%まで上昇している。それにもかかわらずタイムは5時間半近くかかってしまった。超過激な山岳マラソンの龍馬脱藩マラソンを除いては、空前絶後の大惨敗だった。那覇マラソンも坂は多いが、トータルの標高差を見ると奈良マラソンやタートルマラソンの方が坂は厳しい。それなのにタイムは圧倒的に悪かった。
歳のせいじゃないのか」と言う意見も支部長から出されたが、那覇マラソンの2ヵ月後の去年2月の海部川マラソンでは4時間半で走った。海部川マラソンだって山間部を走るマラソン大会で、トータルの標高差は那覇マラソンとほぼ同じだ。
初めてのコースは分からない事が多く、戸惑いもあって思ったようなペースで走れない」って感想もあるが、海部川マラソンだって初参加だったが、良いタイムだった。
なので、大惨敗の理由は良く分からない。3年前はリタイアした支部長も一昨年は私と一緒に完走だけは果たしたが、タイムは私と同様に大惨敗タイムだった。さらにヤイさんは足が動かなくなり、再び途中でリタイアした。
ピッグだけは割りとマシなタイムでゴールしたので「那覇マラソンは卒業します」と言いながら去っていったが、支部長ヤイさんは、なんとしても再びリベンジしなければならない状況に追い込まれた。

て事で、去年、3人で再び挑戦することになった。そして、なんとまたまた大惨敗を喫してしまったのだ。なぜ再び大惨敗したのかは、どうも分からない。
3年前ほどではなかったが、去年もかなりの暑さだったため、そのせいかもしれない。
完走率は60.1%しかなかったから、私だけでなく、みんな苦戦したのは確かだ。あんな大惨敗だったのに、出走者の中での順位は上位1/4に入っていたから、そんなに悪いことはない。これは過去30回ほど出たフルマラソンの中で、最も上位の成績だ。あんな大惨敗のタイムだったのに、驚きだ。
ただ、個人的な体感としては、それほど暑さで苦しかったイメージは無い。ぎらつく太陽の下を走る7月の汗見川マラソンのような炎天下のレースでは決してなかった。
私も大惨敗したが、支部長とヤイさんは途中リタイアした。ヤイさんは足の具合が悪くて、まともに走れなかったそうなので仕方ないけど、支部長は足の痛みも無いし、体の疲れも無かったのに、気分が悪くなったため中間地点でリタイアしたそうだ。暑さに弱い支部長なので、熱中症になったのかもしれない。

理由はさておき、情けない大惨敗が続いたので、今年も性懲り無く3人で再び挑戦することになったのだ。
そして今年は
加藤選手も参加することになった。実は加藤選手は、去年も当初は参加する予定だったんだけど、抽選にはずれた時点で別の予定を入れてしまい、追加募集には応募しなかったので、去年は出場しなかったのだ。


〜 エントリー 〜


那覇マラソンは長らく先着順ではなく抽選だったため、みんなで行くには全員が抽選に当選しなければならなかった。ただ、東京マラソンや大阪マラソンなんて、自分1人が当選するのだって難しいので、メンバーが揃って当選するなんて可能性はゼロだ。ところが、意外にも那覇マラソンの競争率は低く、例年1.3〜1.4倍程度だった。
世紀末的なマラソンブームが続いていると言うのに、なんで憧れの那覇マラソンの競争倍率がそんなに低いのか不思議だ。東京マラソンや大阪マラソンになると、大都市近郊に住んでいる初心者の人達が大挙して申し込むため競争率が跳ね上がるが、遠方の沖縄にまで出掛けようっていう人は少ないってことだろう。発狂的マラソンブームとは言っても、所詮は上っ面のブームであって、大半の人は遠方まで出かけるほど熱心ではないってことだ
それに、那覇マラソンの定員が30000人で、東京マラソンや大阪マラソンと並んで日本のマラソンでは最大規模だってことも、競争率が低くなっている一因だろう。

ただ、いくら競争率が低くても、うまいこと全員が当選するかどうかとなると不安がある。1人くらい落ちこぼれる人が出てくる可能性はある。
でも、那覇マラソンはグループエントリーが可能なシステムになっていて、同じグループでエントリーした仲間達は運命共同体で、当選するときは全員当選だし落選の場合は全員落選なのだ。これなら一人だけ落選して寂しい思いをする人も出ない。
て事で、3年前、支部長がまとめて申し込んだところ見事に全員当選した

(支部長)「私のエントリーがうまいからやな」
(幹事長)「誰がやっても同じやろ?」

そして、一昨年も引き続き、支部長がグループエントリーで申し込んだら、あっさりと4人揃って当選した

(支部長)「やっぱり私のエントリーがうまいってことやな」
(幹事長)「もしかしたら、島の外から来る人は優先してくれてるんかなあ」


4人揃ってだから、観光立国の沖縄としては最優先してくれる上客かも知れない。

(支部長)「安ホテルやから、そんなに地域経済に貢献はしてないけどな」
(幹事長)「事務局もそこまでチェックはできんやろ」


てな事で、去年も支部長がグループエントリーで申し込んだ。
抽選とはいえ、絶対に当選するものとばかり思っていたから、すっかり当選を前提にスケジュールを組み、宿泊場所の予約など準備していた
そしたら、なんと、当選発表の8月上旬に支部長が血相変えて飛び込んできた

(支部長)「て、て、て、てえへんだ、てえへんだっ!」
(幹事長)「なに慌ててやがるんでぃ」
(ピッグ)「いつから江戸っ子になったんですか」
(支部長)「
那覇マラソンの抽選に外れちまったんだよ!
(幹事長)「なんだって!?そんな事があるのかよっ!?」


信じられない事態だった。那覇マラソンの抽選は形式的なものであり、島外からの観光客は最優先で当選するものとばかり思っていたそれが落選だなんて!こんな事なら奈良マラソンに申し込んでおけば良かった。
考えてもみなかった事態に呆然としながらも、ここは気持ちを切り替えなければならない。どっちみち生きていかなければならないのだから、終わった事をいつまでもクヨクヨするんじゃなくて、人生は前向きに生きていかなければならない

(ピッグ)「そこまで大袈裟な事でもないでしょう?」

那覇マラソンに落選し、奈良マラソンの申込はとっくの昔に終わっているので、他に何かマラソン大会は無いかと探してみたら、新居浜あかがねマラソンてのが開催されるらしい。前半はひたすら上り、後半は下ってくるというかなり過激な坂のマラソン大会だ。まだ2回目なので知名度が低く、まだまだ余裕でエントリーできるようだ。那覇マラソンとは両極端のマイナーな大会だが、なんだか面白そうなので、そちらにエントリーする事にした。
もちろん、他のメンバーにも声を掛けたが、誰も賛同者がいない。コースが厳しいマイナーな大会なので魅力を感じてないようだ。仕方なく幹事長の強権を発動して支部長を道連れにして2人でエントリーした。
一方、加藤選手は坊ちゃんランランランという別の大会にエントリーした。
このように気持ちを切り替えて新しい人生の第一歩を踏み出した我々のもとに、9月上旬になってピッグから衝撃的な情報がもたらされた

(ピッグ)「て、て、て、てえへんだ、てえへんだっ!」
(幹事長)「なに慌ててやがるんでぃ」
(支部長)「ほら、慌てたら江戸っ子になるやろ?」
(ピッグ)「
那覇マラソンの追加募集が始まってますぜ!
(幹事長)「なんだって!?そんな事があるのかよっ!?」


3万人の当選者を発表したものの、辞退者が多く、入金した人が少なかったため、追加募集をするらしいのだ。

(幹事長)「歩留まりが悪かったって事やな」
(支部長)「沖縄なんて遠方なんやから、歩留まりが悪いことくらい当然、予想できたはずやで」
(幹事長)「もう30年以上もやってるのに事務局の見通しは甘いなあ」

最初っから県外客は優先的に全員当選させるべきだったと思う。しかし、何はともあれ参加の道が開けたんだから喜ばしい事態だ。既にあかがねマラソンに金を払ってエントリーしているものの、そんな事を気にしている場合ではない。そんな金は捨てても那覇マラソンに出なくてはならない。
追加募集は最初の申込と違って、抽選じゃなく先着順だ。エントリー期間は2週間で、既に始まっている。こりゃ一刻も早く慌ててエントリーしなければならない。
ところが最初の申込と違って、今回はグループエントリーができないから、各自でエントリーしなければならない。誰か一人でもエントリーできなかったら悲惨なので、時間を合わせて一斉にエントリーすることとし、支部長ヤイさんがエントリーに成功した。一方、加藤選手は「もう坊ちゃんランランランにエントリーしてしまっている」からと言って、那覇マラソンにはエントリーしなかった。

てな事で、去年は抽選制に振り回されたのだが、今年はなんと抽選制を止めて先着順となった。事務局も去年の混乱に懲りたのだろう。そもそも東京マラソンや大阪マラソンのように周辺の住民が殺到する大都市マラソンと違って、所詮は競争率が1倍ちょっとなんだから、抽選制にする必要は無いのだ。希望者は全員当選にしてもいいくらいだ。抽選なんて、事務局の手間はかかるし、歩留まりを読み違えると追加募集しなければならなくなる。
去年の追加募集の際は、先着順に落ちこぼれが出ないように、みんな一斉にエントリーしたが、今年は先着順だがグループエントリーができるため、私が受付開始と同時に素早くパソコンのキーを叩き、私と支部長とヤイさんと加藤選手の4人分のエントリーに成功した

(幹事長)「自分のエントリーの技術に我ながら酔いしれるわ」
(支部長)「誰がやっても同じやってば」


ただし、エントリーはランネットではなく、とても出来の悪いシステムだったため、非常にエントリーしにくいし、時間もかかった。ぜひランネットでエントリーできるように変えてもらいたいぞ。


〜 宿泊場所の確保 〜


那覇マラソンでエントリー以上に苦労するのは宿泊場所の確保だ。東京マラソンや大阪マラソンなどの過去の事例からも分かるが、大規模なマラソン大会が開催されると宿泊場所の確保は困難を極めるエントリーの当選が決まってから探していたのでは、我々には手が出ない高級ホテルか、極端な安宿しか残っていない
6年前の大阪マラソンでは、予約しようと思ってネットで探すと、山ほどホテルが空いているので、さすがは大都市だと思ったら、妙に安い。カプセルホテルでも普通なら3000円はするのに、1000円程度から大量にある。一体こりゃ何じゃと思って場所と条件を確認していくと、極端に安いホテルは西成区に集中していた。つまり釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街のホテルなのだ。ドヤ街で労務者が住んでいた簡易宿所(通称ドヤ)が時代の流れでビジネスホテルっぽく模様替えしているだけなのだ。
いくら模様替えしたとは言っても、元々3畳トイレ無しといった狭い部屋だし、エリアとしては極端に怖いイメージだ。しかし、釜ヶ崎のドヤ街以外のホテルを探そうとすると、とても高額なホテルしか残っていなかったため、仕方なくドヤ街に泊まった。

こういう経験から、初めて参加ようとした3年前は宿の確保に早めに動いた。早めと言うのは、当選が決まってから動くのではなく、当選するかどうか分からないうちから押さえておくのだ。当選発表の2ヵ月も前に手配を開始した。ところが、それでも甘かった。その時点で既に手頃なホテルは全滅だった。
沖縄なんて全国有数の観光地だからホテルはいっぱいあると思っていたのだが、大会の規模が大きいから、収容しきれないのだ。他の参加者達は、それより早く、はるか以前に手配に動いていたようだ。大阪マラソンの場合と同じで、手頃なホテルは皆無で、うんと安いホテルか、トンでもなく高いリゾートホテルしか残ってなかったのだ。

過去の経験から言えば、こういう場合には、ためらう事なく安いホテルを選択するのがよろしい。どんなに安いホテルでも、日本なので危険を感じる事はない。それにマラソン大会はどこも朝が早く、そんなにゆっくりくつろぐ時間も無い。単に夜、寝るだけだ
それに、那覇の安いホテルは、ドヤ街の労務者を相手にする大阪の釜ヶ崎とは事情が異なる。那覇の安いホテルのメインの客は海外からのバックパッカー達であり、そもそもホテルと言うよりユースホステルみたいな感じだ。普通は大部屋に雑魚寝で転がされるイメージだが、散々探した結果、4人で1部屋に泊まれるホテルをゲットした。ホステル沖縄リトルアジア・ゲストハウスという宿だ。
大部屋の雑魚寝なら1人1泊1200円からあるが、さすがに4人部屋なので1人1泊2000円する。とは言っても、格安なのは間違いない。実際に泊まってみると、窓の無い部屋で、息苦しいが、ま、夜寝るだけなので、それほど問題は無かった。てことで、3年前に続き、一昨年と去年も当選発表の2ヵ月の抽選申し込み時に手配を開始し、同じリトルアジア・ゲストハウスを予約する事ができた。お値段も同じ1人1泊2000円だ

そして今年も同様に、エントリーと同時に手配し、同じリトルアジア・ゲストハウスを予約する事ができた。お値段も同じ1人1泊2000円だ4年連続のリトルアジアだ
たぶん、ここはなかなか満室にはならないのかもしれない。いったい他の参加者達はどこに泊まっているのだろう。他にも似たようなホステルはいっぱいあるから、分散しているのかもしれないし、仕方なくお高いリゾートホテルに泊まっているのかもしれない。ただ、リトルアジアの人に聞くと、当日の宿泊客は大半が那覇マラソンの参加者だと言うから、我々のような客も少なくはないようだ。
一方、加藤選手は事情があって、別宿となった。空港から1駅の赤嶺ってところにあるホテルだ。

(幹事長)「超高級ホテルに泊まるのなら、我々もドサクサに紛れて一緒に宿泊させてよ」
(支部長)「そやそや。リトルアジアのベッドより超高級ホテルの床のほうが絨毯が柔らかそうやな」
(加藤)「いえいえ、高級カプセルホテルです」


高級なカプセルホテルとリトルアジアとどっちがマシなのか分からないが、お値段はリトルアジアの2倍ちょっとなので、リトルアジアよりベッドは柔らかそうだ。ただ、少なくとも立地条件は、赤嶺は繁華街から遠いので、国際通りに近いリトルアジアの方が便利ではある。

(幹事長)「今年はマラソン大会の翌日はどうする?」
(支部長)「何するにせよ、今年も翌日は観光しよう」


3年前の初参加の時は、大会の前日の土曜日に那覇に入り、大会翌日の月曜日に帰ってくると言う2泊3日コースで行ったが、2年前は「せっかく沖縄まで行って2泊3日で帰ってくるのはもったいない」という支部長の言葉に賛同し、もう1泊して観光することになった。1泊延長したところで宿泊費は1人2000円しか余分にかからないので、時間さえ問題無ければ延長した方が良いに決まってる。延長した翌日は自転車を借りてサイクリングをした
去年も同様に1泊延長し、レンタカーを借りて首里城や美ら海水族館を観光した。その首里城は、なんと、つい1ヵ月前に火事で焼失してしまった。

(幹事長)「去年行ったばかりの首里城が焼け落ちてしまうとは思わなかったですよ」
(ヤイ)「信じられませんねえ」


今年は離島へ行きたいという意見が出ていたが、具体的には何も決まらないまま、取りあえず1泊延長して3泊4日コースで攻めることとした


〜 飛行機の確保 〜


宿泊場所と並んで苦労するのが飛行機の手配だ。高松から那覇へは1日1往復しか飛行機が飛んでないから、なかなか席が取れない。金に糸目をつけずに正規料金を払うのであれば、もっと簡単に取れるのかもしれないが、3ヵ月前から売り出される安いチケットを取ろうとすると非常に苦労する。
東京マラソンや大阪マラソンは同じ3万人規模と言っても、大半が東京や大阪の地元の人だけど、那覇マラソンは全国から満遍なく集まってくるはずだから、人口比からすれば香川県から2〜300人くらい出場してもおかしくはない。なので、飛行機もあっという間に完売するのかも知れない。あるいは、週末はいつでも旅行会社が事前に押さえてしまっていて、慢性的に取りにくいのかもしれない。

いずれにしても、初めて参加した3年前は、4人分のチケットを確保することができず、途方に暮れた。が、ここで、ふと関西方面からの発着を見てみると、あるわ、あるわ、なんぼでもあるわ。関西には伊丹空港、関西空港、神戸空港と3つの空港があるため、那覇空港との便数が多いのだ。
結局、発着の時間を考慮した結果、行きは関空発、帰りは神戸空港着の便を利用することにした。行きと帰りの空港が異なると車の置き場に困るが、行きは神戸空港に車を停めて、神戸空港から関西空港まで船で移動し、帰りは神戸空港に降り立つという裏技を駆使した。
お値段は行きも帰りも8000円台で、往復でも17000円ほどと、とてもお安くなった。高松空港発着便なら一番安いチケットでも片道15000円はしたので、半額程度だ。もちろん、高松空港と違って関空や神戸空港との移動にかなりの時間とお金はかかるが、それでも許容範囲だ。

て事で、一昨年は最初から関西方面からの発着便を探したら、手配が早かったため、伊丹空港の発着便が取れた大会前日の土曜日に高松から伊丹空港へ行って那覇へ飛び、大会翌々日の火曜日に那覇から伊丹空港に飛んで高松に戻ってくる行程だ。料金は3年前と同じく、行きも帰りも8000円台だったから、高速道路料金やガソリン代や駐車料金まで含めても、高松空港発着の一番安いチケットより少し安いくらいだった。
それが便利だったので、去年も同じように伊丹空港の発着便を取った

そして今年も関西方面からの飛行機を取ろうと思ったのだが、一応、念のために高松空港発着便もチェックしたら、なぜか今年は空席があった。料金は大阪発着便より高く、行きが13000円くらい、帰りが12000円くらいで、往復25000円くらいだった。なので大阪発着便より8千円くらい高いが、高速道路料金やガソリン代や駐車料金を含めれば、伊丹空港発着便より3000円くらい高いだけだ。
て事で、今年は初めて高松空港発着便で攻めることにした。これなら家を出るのは大阪発より遅くて済むから楽なうえ、那覇への到着は大阪発より早くなるので、現地でゆっくりできる。帰りも、那覇発の時間が大阪着より遅いからゆっくりできるうえ、家に着くのは大阪着より早いから楽だ。

那覇マラソンは、飛行機代はかかるが、宿泊料金が格安なので、全部合わせてもコストは東京マラソンなんかに比べたら高くない。もちろん、交通費や宿泊費を考えると、トータルとしてはかなり高い買い物だが、沖縄までわざわざ行くという印象に比べれば、思った以上に安くあがっている。
とは言え、那覇マラソンの参加料は、去年までは6500円だったのに今年から8000円に値上がりした。最近のマラソン大会の参加料の高騰ぶりはすさまじく、京都マラソンの12000円は論外としても、東京マラソンや大阪マラソンなんかは軒並み10000円を超えるし、田舎でも徳島マラソンなんか毎年値上がりし続け来年は遂に10000円にまでなったことを考えると、那覇マラソンはまだ比較的良心的と言えるが、「那覇マラソンよ、お前もか」って気分だ。


〜 沖縄へゴー! 〜


高松空港へは支部長が車を出してくれて、JR高松駅へヤイさんを迎えに行った後、うちに10時半頃に来てもらい、出発した。飛行機の出発時間は11時50分で、空港までは2〜30分もあれば着くから、もっと遅くても良いんだけど、何かトラブルがあったら困るので、少し早めに出発した。

少し前の天気予報では、南の海で強い台風が発生したと言ってたから、少し心配だった。沖縄は台風の通り道で、もし台風に直撃されたら、マラソン大会どころではなくなる。でも、その台風はフィリピン方面に行きそうとのことで、少なくとも那覇マラソンの日は大丈夫のようだ。逆に、那覇マラソン当日は天気が良くて気温が高くなりそうな天気予報になった。

(幹事長)「沖縄だから青空の方がいいよ」
(支部長)「いやいや、雨が降ってくれた方が良いって」

一昨年は終盤に小雨が降るような天候だったため、支部長も完走できたが、猛暑の3年前や、それに次ぐような暑さの去年は途中リタイアを余儀なくされた支部長としては、晴れよりは雨が降って走りやすくなるのを望んでいる

(幹事長)「でも、せっかく青い海を見に沖縄へ行くのに、雨だと嫌じゃない?」
(支部長)「だからマラソンコースから海は見えないんやってば!」


そうなのだ。沖縄の魅力と言えば、何と言っても青い海なのに、なんと那覇マラソンでは青い海が見られないのだ。那覇マラソンのコースって、てっきり沖縄本島南部の海岸線の道を青い海を見ながら走るのかと思ってたら、海がほとんど見えないコースを走るのだ
イメージと全然違う。なので、少なくともマラソン当日は晴れても何の意味も無い。て言うか、晴れたら暑いだけで、何も良いことはない。曇りか小雨ぐらいが望ましい。

(幹事長)「とは言っても、やっぱり南の島の青空の下で走りたいよねえ」
(支部長)「いかんいかん、雨の方がええってば!」
(ヤイ)「どっちにしても、私は完走は無理でしょうから、どっちでもいいですよ」


ヤイさんは、3年前はレース中に肉離れが悪化して途中から歩いたため、制限時間をクリアできなかった。一昨年は、その悔しさを晴らすためにリベンジに燃えていたのだが、肉離れそのものの悪化ではなくて、ずうっと走ってなかった事による走力不足で途中でリタイアした。そして去年は再び足の具合が悪くなって、まともに走れなかったため途中リタイアした。
そもそもヤイさんは、最近、ほとんどマラソン大会に出ていない。肉離れが完治してないとの理由で、出場するレースを厳選しており、最近はエントリーするのは丸亀マラソンと徳島マラソンと那覇マラソンの3レースだけだ。そして、そのうち丸亀マラソン徳島マラソンは足の調子が悪いとのことで、去年も今年も欠場した。那覇マラソンだけは去年に続いて今年も出場するが、走る前から完走は諦めている

(幹事長)「でも、一度は完走しないと卒業できませんよ」
(ヤイ)「いや、完走できなくても、もう今年で那覇マラソンは卒業します」


なんと、ヤイさんから卒業宣言が出てしまった。もちろん、私も脱藩マラソンは去年、卒業宣言しながら、今年も出てしまったくらいなので、我々の卒業宣言はアテにはならない。ただ、来年は私や支部長は、同じ時期に開催されるホノルルマラソンに初挑戦する予定なので、少なくとも来年は那覇マラソンには出られない。一度、中断してしまうと、再来年に復活するかどうかは疑問だ。なので、ヤイさんだけでなく、実は私や支部長も那覇マラソンは今年が最後になる可能性がある

(幹事長)「だから、今年は最後のチャレンジとして、是非ともリベンジしたいのだ!」
(支部長)「ま、一応、完走は目指そうかな」


〜 沖縄到着 〜


予定通り高松空港には11時前には到着し、加藤選手と合流し、11時50分に高松空港を離陸し、那覇空港に着いたら14時00分だった。
天気予報では、明日の当日は暑くなるとの事だったが、前日の今日は暑いって感じではない。それでも、私が好きな南の島特有のもやっとした空気があり、とっても気持ち良い。

那覇マラソンの大会会場は空港からモノレールで3つめの駅にある奥武山総合運動場で、前日の受付もここでやっている
モノレールのチケットは、去年は24時間フリー切符を買ったが、今年は48時間フリー切符を買った。今日はまだ時間が早いため、明日のゴール時間まで24時間以上あるからだ。
奥武山総合運動場へは、以前はモノレールの奥武山公園駅を降りて行っていたが、公園内で道に迷ってしまうので、今年は去年と同様モノレールの壺川駅で降りて行った。

3万人規模のマラソン大会と言えば東京マラソンなんかと並んで全国一の規模なので、前日の受付会場も東京マラソンのような華やかな雰囲気を期待する。でも、去年までの3年間は、大阪発のため飛行機の到着時間が遅かったので、会場に着くのが夕方になり、そのため人も少なくなってて、なんとなく寂しかった。しかし、今年は高松発のため早めに到着したので、人も多く賑わいがあると期待していた。

(幹事長)「期待して来たけど、なんか去年までとあんまり変わらないなあ」
(支部長)「早めに来ても同じやなあ」


企業の宣伝ブースなんかも少なくて、なんとなく少し寂れたような雰囲気だ。やはり東京と地方の立地条件の差のようだ。
スポーツ用品の屋台なんかも去年と似たようなもので、大したものは売ってない。と思ったら、支部長が何やら買おうとしている。

(幹事長)「ちょっとちょっと、何を買ってるん?」
(支部長)「ふくらはぎサポーターや」


私は以前はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だったが、2ヵ月前の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走った航路さんからタイツの機能を教えてもらい、その後はタイツを履くことにした。ただ、1ヵ月前の庵治マラソンの日は暑かったので、以前、買ったままでほったらかしにしていたふくらはぎサポーターの存在を思い出し、それを履いて出場した。
支部長は、私と違ってタイツ信奉者なので、これまではどんなに暑いときでも我慢してタイツを履いていたが、私のふくらはぎサポーターを見て、自分も欲しくなったのだそうだ。支部長は異常なまでに暑がりなので、タイツよりふくらはぎサポーターの方が良いだろう。でも、私はどこかのマラソン大会会場で千円で買ったんだけど、ここで売ってるふくらはぎサポーターは4〜5千円もする。

(支部長)「なんか高いなあ」
(幹事長)「やめとき、やめとき」


ところが、ふと横を見ると、妙に安いのも売っている。千円弱だ。店員に、なんでこんなに安いのか聞くと、「品質は同じだけど、型落ちで叩き売ってる」のだそうだ。ただし、売れ残り商品なので黒はLLサイズしかなく、Mサイズはピンクのみだ。

(支部長)「ピンクなんて恥ずかしいかなあ」
(幹事長)「いや、そんな事はない。逆にプロだと思われるぞ」


て事で、支部長はピンクの激安ふくらはぎサポーターを買った
去年は足攣り防止ゼリーなんかを買ったが、今年は竜馬脱藩マラソンの時に航路さんに教えてもらった足攣り防止用のドーピング薬2RUNを持ってきているから不要だ。

受付と買物を済ませると、宿へ向かう。宿は国際通りの近くにあるので、モノレールをさらに5駅乗って牧志駅で降りる。今年で4年連続の宿なので、道は分かっている。よく目立つ巨大高級ホテルのハイアットリージェンシーのすぐ裏にリトルアジア・ゲストハウスは去年と同じたたずまいで存在した
勝手が分かっているので、受付は部屋の場所だけ聞いて済ませる。部屋はユースホステルみたいな大部屋と、我々が予約したような小部屋の個室がある。大部屋なら色々と情報交換もできて楽しい面もあるだろうが、我々のような完全なるおっさん達にとっては個室がありがたい。
3年前や一昨年に泊まった部屋の隣の部屋だが、部屋の造りは同じで、四畳半くらいの板の間で、中にロフトと言うか中2階のような部分があり、そこに布団が2組敷いてあり、その下に2段ベッドがある。なので、一応4人部屋ではある。例年のように、支部長が「イビキがひどいから、みんなの迷惑にならないように」との理由で中2階に上がったので、2段ベッドの下に私が、2段ベッドの上にヤイさんが寝ることになった。

(ヤイ)「中2階にあがってもイビキは聞こえてきますけどね」
(幹事長)「あれはイビキというより、叫び声やけどね」


支部長は真夜中に奇声を発する。初めて聞いた人は殺人事件でも起きたのかと思うような叫び声だ。また、意味は良く分からないが、日本語の文章を叫んだりもする。それに備えて私もヤイさんも、ウォークマンやiPodで防御している。

(ヤイ)「今年もテレビは無いですねえ」

3年前は、骨折の痛みに耐えきれず早々に部屋に戻ってきた私は、ベッドで呻きながら一日中、福岡国際マラソンで川内選手が力走するのを見ていたので、テレビが本当に役立ったが、一昨年からテレビが無くなってるのだ。そのとき受付の人に聞くと、「電波が入らなくなって・・・」とか何とか意味不明の言い訳をしていたが、喫煙室には大きなテレビが置かれてたので、おそらくNHKから受信料を要求されて、まず個室のテレビを撤去したんだろう。そして今年は喫煙室の大きなテレビも撤去されていて、完全にテレビ無しのホテルになった。全国的にも珍しいと思う。

窓の無い部屋でテレビも無くなれば、部屋で時間を潰すのは不可能に近くなるので、早々に夕食に繰り出した。今年は絶対にリベンジしたいので、レース前夜の今夜は禁酒することにした。

(幹事長)「私は今晩は酒を一滴も飲みません!」
(支部長)「私も飲みません」
(加藤)「私も飲みません」
(ヤイ)「どうぞご自由に。私は飲みますよ」
(幹事長)「完走できるんでしょうね?」
(ヤイ)「飲まなくても完走できませんから」


酒は飲まないにしても、せっかくだから沖縄料理は食べたいので、3年前も一昨年も去年も行った沖縄料理の居酒屋「すん」へ4年連続で行った。3年前に初めて行ったらとっても可愛い子のいた店だ。その子は翌年から既にいなくなっていたから、もう会えないんだけど、食べ物は悪くないので安心できる。
ヤイさんしか酒を飲まないので、あんまり長居することなく切り上げて店を出て、コンビニで明日の朝食を買って宿に戻る。
部屋に入ってもまだ時間は早かったが、明日のマラソンに備えてみんな早々に寝床に入った

(ヤイ)「まだ8時ですよ。さすがに寝られませんねえ」
(幹事長)「でもテレビも無いし、スマホいじるくらいしかする事ないですよねえ」


いつものように支部長はあっという間に眠りについてしまった。支部長は何時でもどんな所でもあっという間に寝てしまう。
支部長のような真似はできないが、体だけでも休めないといけないので、ウォークマンを聞きながら目をつぶる。でも結局、なかなか眠れず、深夜まで悶々とした状態が続いた


〜 会場へゴー! 〜


早々に眠りについた支部長は、当然ながら早々に目が覚めて早朝から活動を開始したが、私は支部長のいびきが無くなったので、その頃になってようやく深い眠りについた。
スタートは9時で、宿から会場までは30分もあれば着くんだけど、モノレールは大混雑で乗るのに時間がかかるかもしれないって事で、余裕を持って7時には出発することにしたので、仕方なく6時過ぎに起きた。昨晩買ったおにぎりを食べて、ぼうっとした頭で何を着るか考える。

(ヤイ)「今日は暑くなりますよ。悩む余地は無いですね」
(幹事長)「確かに今日は暑くなることはあっても寒くなることはないかなあ」


天気予報では、今日の最高気温は25℃らしいけど、それがどれくらいの気温なのか分からない。

(幹事長)「暑いと言っても、真夏の35℃に比べたら10℃も低いのよねえ」
(支部長)「何を言うとるんかいな。1週間前のタートルマラソンで何を着たのか思い出して」


確かに、1週間前のタートルマラソンでは半袖1枚でちょうど良かったんだから、沖縄でそれ以上着こむ必要はない。半袖1枚で寒いって事はあり得ないかもしれない。ただし、それはハーフマラソンの場合だ。フルマラソンとなると終盤にトボトボ歩く可能性があり、そうなると体も冷えるのだ。

(支部長)「いい加減、歩いた時の寒さばかり心配するのは止めた方がええで。最後まで走ったらええやんか」
(幹事長)「絶対に終盤、歩く支部長に言われたくないわ」
(支部長)「私は歩いても暑いんやってば」


支部長は夏であろうが冬であろうが、暑くても寒くても上は半袖Tシャツ1枚で、タイツと軍手を履いて帽子を被る。年がら年中、ウェアは一定だ。それはそれで、すごいと思う。
少しだけ悩んだが、結局、今年も半袖Tシャツ1枚にした。着るのは6年前の大阪マラソンでもらったTシャツだ。たいていのマラソン大会は参加賞としてTシャツをくれるが、デザインとしてはイマイチのものが多く、持てあまし気味だ。その中で、この大阪マラソンのTシャツは、これまでもらったTシャツの中で群を抜いて素晴らしいデザインなので、とても愛用している。

続いてタイツだ。ランニングタイツは、最近は履いてるランナーの方が圧倒的に多いくらい普及しているが、私はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。ところが、10月の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走った航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。
て事で、今日は迷わずタイツを履く。一方、タイツ愛好家の支部長は、今日は暑くなるとの予想で、昨日買ったばかりのふくらはぎサポーターを履いた。

気温は低くないので手袋は履かない。支部長は汗を拭くためにどんな時でも必ず軍手を履くけど、私はハンドタオルを持って走るので、手袋は不要だ
帽子も大嫌いなので、雨でも降ってない限り被らない。

その代わり、足攣り防止用のドーピング薬2RUNを4錠ポケットに入れる。これは竜馬脱藩マラソンの時に航路さんに教えてもらった劇薬だ。航路さんによると「足が攣りかけたな」と感じてから飲んでもいいし、足が攣ってから飲んでも即効性があると言う。
それで10月の秋吉台カルストトレイルランの時に支部長が持ってきて、私にもくれたので試しに飲んでみた。その結果、実は私はあんまり効かなかった。ちょっと攣りかける気配があったので早めに1錠飲んだんだけど、一向に改善しなかった。それでもう1錠飲んだんだけど、やっぱり改善しない。さらにもう1錠飲んだんだけど、やっぱり効いた感じはせず、最後の大きな坂の上りでは、かなり攣りかけた。
ところが支部長は攣りかけて飲んだら、速攻で改善し、全く攣らなくなったそうだ。人によって効き方が違うのかもしれないし、もしかしたら私も効いていて、もし飲んでなかったら完全に攣ってしまっていたのかもしれない。少なくとも支部長では効果を証明できたので、取りあえず今回も持ってきたのだ。
そのほかハンドタオルとティッシュペーパーをポケットに入れる。

予定通り7時に宿を出発しモノレールにもすぐ乗れたため、順調に会場に着いた。 モノレールの壺川駅を降りると、会場が見え、続々とランナーが向かっているのが見える。
雨が降りそうな気配はないが、空は一面、曇っている。気温は暑くもなく寒くもない程度。

(幹事長)「これくらいなら気温もちょうどいいし、風も無いし、絶好のコンディションやな」
(ヤイ)「いや、これから絶対に暑くなりますよ」


まずは手荷物を仮設テントに置きに行く。テントの中には棚がズラッと並び、勝手に荷物を置くシステムだ。手荷物の中身は、盗られても被害が少ない衣類やタオルだが、みんな昨日の受付でもらったビニール袋に入れているので、どれが誰の荷物やら分からなくなる。なので自分のビニール袋には名前を書いておく。
別宿だった加藤選手とも無事、合流できた。

(幹事長)「高級カプセルホテルはどうやった?」
(加藤)「微妙ですね」

普通のカプセルホテルのように上下にカプセルが2段積み重なっているようなものではなく、壁で仕切られたスペースにベッドが置いてあるんだけど、入り口はアコーディオンカーテンなので、外の音は聞こえるんだそうだ。

(加藤)「イビキがうるさい人がいて聞こえてきましたね」
(幹事長)「支部長のイビキがこだまするリトルアジアと同じやな」


シャワーやトイレは当然ながら共用で、自分のスペースにテレビが無いところなど、リトルアジアと似たようなものだ。リトルアジアより新しくてきれいそうだけど、繁華街から遠くて、お値段が少し高いのが難点だ。

加藤選手の沖縄の知人とも合流し、スタート前の写真を撮る。

いよいよリベンジの時が来た
(左からヤイさん、幹事長、ピンクのサポーターを履いた支部長、加藤選手と知人)


持ってきたバナナを食べて、最後のトイレを済ませる。仮設トイレは数多く用意されているので、それほど待たずにすんだ。

まだ少し早いが、場内アナウンスが「早く集合しろ」ってうるさいので、集合場所に並ぶ。スタート地点への集合は8時30分までで、それに遅れると最後尾からのスタートになるのだ。
3万人もの人が参加する大きなレースなので、整列場所も広大で、ものすごい数の人がぎっしりと詰まっているスタートはブロック別になっており、AブロックからLブロックまで分かれている。みんな一緒に並びたかったので、エントリー時にインプットする目標タイムは全員5時間ジャストにしたのに、なぜか私と支部長はGブロックで、加藤選手がJブロック、ヤイさんはKブロックになっている。

(幹事長)「どゆこと?目標タイムが無視されてるやん」
(加藤)「実績タイムで振り分けられたんじゃないですか?」

確かに、エントリーの時、フルマラソンの最近の実績タイムを書いたような気がする。

(幹事長)「でも、それやったら私のタイムは支部長のタイムよりだいぶ速いよ?」
(加藤)「その場合は目標タイムが考慮されたんじゃないですか?」


つまり、実績のタイムと目標タイムのうち、遅い方のタイムで振り分けられているようだ。なんのこっちゃ!
でも、どうせブロック分けなんて適当だから、別のブロックに紛れ込んでも大丈夫だろうって事で、みんな一緒に並ぼうとしたら、今年はチェックが異常に厳しかった。去年までだとチェックはユルユルで、別のブロックに紛れ込んでも誰も咎められなかったのに、今年はむちゃくちゃ厳しくチェックしてて、絶対に許してくれないようだ。どうせタイムはネットで計測してくれるから、前方からスタートする必要はないが、どうせならみんな一緒にスタートしたかった
それに、ヤイさんのように最後尾に近いKブロックだと、スタート時間になっても、実際にスタートラインを越えられるまでに30分はかかるだろう。そうなると、制限時間の6時間15分は実質的に5時間45分になる。なかなか厳しい設定だ。
でも仕方ないので、加藤選手やヤイさんと別れて支部長と二人でGブロックに入る。

(幹事長)「今年は絶対に5時間は切りたいなあ」

今日の目標は、もちろん大惨敗した一昨年、去年のリベンジだ。一昨年、去年は5時間を大きくオーバーする目を覆うような大惨敗の連続だったので、そのリベンジとなると、少しくらいタイムが良くなったくらいでは満足できない。
同じように、3年連続で大惨敗を喫していたのでリベンジを目指した今年の脱藩マラソンは、なんとかそれまでの3年間のタイムよりはマシで、一応大会自己ベストだったが、5時間をオーバーする大惨敗に変わりはなかったので、果たしてリベンジしたと言えるのかどうか疑問が残ったままだ。なので、今年の那覇マラソンも、単に一昨年や去年のタイムを上回るだけではなく、せめて5時間は切りたい
普通のマラソン大会なら、5時間を切るってのは最低限の死守すべき目標であり、5時間を切っても喜べないどころか、ギリギリ5時間切りなんて惨敗の範疇だ。しかし、那覇マラソンは何かしらの魔物が潜んでいる大会なので、取りあえずここは控えめに5時間切りを目指すとしよう。5時間は1km平均7分で走ればクリアできるので、ペース管理は分かりやすい。

もちろん、本音を言えば、もっと良いタイムは出したい。だんだん暑くなってきたけど、湿度は高くないから、それほどコンディションは悪くない。また、このコースはアップダウンもあるが、脱藩マラソンみたいなアホみたいな坂は無いし、坂があるのは中盤までなので、なんとか乗り越えられるだろう。コースの概要は覚えているから、コースに対する不安感も無い。
最初にも書いたが、近年においてフルマラソンで5時間をオーバーするような大惨敗を喫しているのは脱藩マラソンと那覇マラソンだけで、このうち脱藩マラソンは累積の標高差が900mもある超厳しい山岳マラソンなので、自分でも仕方ないような納得感もある。しかし、那覇マラソンは途中で大きな丘陵地を越えていくとは言え、脱藩マラソンほどの過酷なコースではないし、暑さのせいとも言われているが、個人的な体感としては、それほど暑さで苦しかったイメージは無い

完走率は非常に低いが、これはコースの厳しさと言うより、最初から完走するつもりの無いランナーが大勢いるからだ。
那覇マラソンの完走率は異常に低いことで有名だ。普通、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。
かつて瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは制限時間が5時間だったし(今は5時間半)、丸亀ハーフマラソンの制限時間は2時間5分と少し厳し目だったが(今は3時間)、そういう大会には実力の無いランナーは最初から出ないので、結局、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。制限時間をクリアできるかどうか不安なランナーは、そんなに多くはいないのだ。
ところが那覇マラソンの完走率は低い。とても低い。3年前は猛暑で53.2%と異常な低さだったが、去年だって60.1%しかなかった。一昨年は69.7%だったが、高い年でも70%ちょっとだ。最も低かった1999年の第15回大会は52%で、2人に1人しか完走していない。

この異常なまでの完走率の低さは、一般には
暑さと厳しい坂が原因と言われている。本土では寒くなり始める12月だが、沖縄ではまだまだ暖かく、走るには暑すぎる季節なのだ。また、コースは坂が多く、最大標高差は100mほどだが、累積の獲得標高は300m近い。青い海の横を気持ち良く走るという勝手なイメージと違って、実は坂のある内陸部を走るマラソン大会だ。
しかし、
完走率が低い本当の理由は、ランナーがあちこちのエイドで食い散らかしているうちに制限時間オーバーになってしまうからなのだ。酔っぱらって走れなくなるランナーもいるそうだ。
那覇マラソンは別名グルメマラソンと言ってエイドに美味しいものがいっぱいあって、それを食い散らかしながら走るのが楽しいマラソンだ。大会事務局が用意した公式エイドだけでなく、沿道には私設エイドが並び、色んな食べ物が提供されるソーキソバを始めとする沖縄の名産品はもちろん、中には吉野家の牛丼チキンラーメンとかもある。

(幹事長)「マラソンのエイドで牛丼やチキンラーメン食べたら吐くと思うんやけどなあ」

さらに裏エイドには泡盛オリオンビールもある。

(幹事長)「マラソンのエイドで泡盛飲んだら倒れるぞ!」

沖縄名産のグルメコーナーには長蛇の列が出来て、30分とか平気で並ぶらしい。
そのせいで完走できないランナーが多いとのことなのだ。

(ヤイ)「と言うか、最初から半分しか走るつもりが無いランナーが大勢いますからね」

もちろん、わざわざ島外から来た人は完走を目標にしている人が多いんだろうけど、地元の人では、楽しいイベントと割り切って参加することが目的で、初めから完走することは目指していない参加者がとても多い
那覇マラソンはフルマラソンの部しかなく、ハーフマラソンの部は無いんだけど、中間点の平和祈念公園で勝手に止めるランナーがとっても多い。中間点まで元気に走ってきて、まだまだ走れそうなのに、中間点になったとたんにあっさり止めてリタイアするランナーが非常に多いのだ。地元の人の多くは、最初からフルマラソンを完走しようという気はなく、ハーフマラソンしか走る気が無い。どうりで完走率が低いはずだ。
なので、完走率が低いって事が必ずしもコースの厳しさを意味する訳でもないので、
自分では大惨敗が続いている理由が分からない。逆に言えば、他のマラソン大会と同様に5時間を切るのは難しくはないと思うのだ。

(支部長)「私も5時間を切りたいけど、最低でも完走はしたいな」

支部長は一昨年は私と一緒に完走したけど、3年前と去年は途中リタイアしているので、今年は完走して、勝率を5割にしたいのだ。もちろん支部長の過去の実績を考えると、5時間を切る事だって可能なんだけど、ほんと、この大会は魔物が潜んでいるから楽観はできない。


〜 スタート 〜


9時になり、場内アナウンスでスタートの合図が聞こえたから、いよいよスタート時間になったみたいだ。だが、当然ながら我々の集団が動き始めたのは、しばらく経ってからだ。しかも、ソロソロと歩き始めただけだ。それでも歩き始めると、テンションは上がってくる。
まだ気温はあんまり高くないし、湿度も高くないので、例年のような蒸し暑さは感じないが、雲がどんどん晴れてきた。まだ9時なので日射しは強くはないが、直射日光に当たると暑くなってきた

ダラダラと歩き続けると、ようやく公園の出口に来た。ここがスタート地点。これまでは広い道路に出てしばらく進んだところがスタート地点だったが、今年はコースの途中が少し短縮されたため、スタート地点が手前になったのだ。
スタートのゲートの辺りにスタートラインらしきものが何本も引かれてあって、それを越えて我々もスタートとなった。スタートの合図が聞こえてから既に13分が経過している

スタートラインを越えると、なんとか走り始めることができたが、ランナーの数が多いからスタート直後はものすごい混雑で渋滞がひどく、走り始めたとは言っても、超スローペースだ。でも、ウォーミングアップなんかを一切しない我々にとっては、序盤のスローペースがウォーミングアップ代わりなので焦ってはいけない。支部長と一緒に淡々と走っていく。

とは言え、あまりの渋滞に、少し焦る。トンでもなく遅いランナーがたくさんいるのだ。普通のマラソン大会なら、最近は割と厳格にタイム順のスタートとなっているため、正直に申請して並んでいれば、前には遅いランナーはおらず、周囲は自分と同じようなペースのランナーばかりで、最初からストレス無くスムースに走れる。
しかし、このマラソン大会のブロック分けはかなりいい加減なので、我々より前にものすごい数の遅いランナーがいる。いくら何でも遅すぎてぶつかりそうになるし、歩いているのと変わらない。あまりにも遅いランナーは、仕方なく右へ左へ移動しながら追い抜いていく

そうこうしてると、1km地点の距離表示があった。超スローペースなのは分かっているが、7分以上かかっている。しかし、これは想定内だ。て言うか、1km7分で最後まで走れれば、今年の目標である5時間は切れるのだから、焦る必要は無い。

1km地点を過ぎると国際通りに入っていく。東京マラソンの出だしの歌舞伎町界隈と同じく、那覇の目抜き通りである国際通りのど真ん中を颯爽と走るのが大変気持ちいい。沿道からは大勢の観戦者が声援を送ってくれる。
国際通りは1km以上続くが、我々の宿の近くに2km地点の表示がある。そこでタイムを確認すると、ラップはさきほどからさらに悪化し、7分半近くかかっている。最初の1kmはスタート直後の混雑で仕方ないにしても、ここまで来てさらに混雑がひどくなっている。国際通りは道幅が狭いから混雑度が増しているのだ。
同じように3万人規模の東京マラソンや大阪マラソンは大都市なので道の幅が広く、ランナーは多いけど、ここまで混雑はしてない。那覇の道はそこまで広くないから、どこまでも大混雑が続くのだ

もちろん、ここで焦って右へ左へ移動しながら遅いランナーを抜いたところで、体力を消耗するだけで、それほどタイムが縮まる訳ではない。フルマラソンの場合、終盤のペースダウンをどこまで食い止めるかがポイントだ。ここで無理して無駄に体力を消耗して終盤に撃沈したのでは意味がない。て事で、辛抱強く大混雑の中をゆっくりと進んでいく
なーんて思ってたら、なんと支部長が遅いランナーをかき分けて、するすると前の方に進んでいく。こんな序盤から支部長が勝負に出るなんて思ってもみなかった。でも今日はあくまでも自分との戦いであり、目標は5時間だ。支部長と勝負している訳ではない。て事で、支部長が早々にいなくなるのは寂しいが、孤独な戦いを繰り広げることとなった。

国際通りを抜けると道を右折し、ちょっと進んでさらに右折する。その後も何度も道を曲がるため、今どの辺りを走っているのか皆目見当がつかなくなる。ものすごくザッとした地図しか頭に入れてないため、先が見えない。
頭に入っているのは、前半は上り基調で、20km地点の手前が最もきつい上り坂で、20km地点過ぎがピークになり、その後は10kmほど下り基調になり、最後の12kmはフラットな道になる、っていうくらいだ。ただし、もう3回目で慣れているので、何があっても驚くような事は無い。
取りあえず、まだまだ市街地なので沿道の応援は多く、賑やかな雰囲気だ。

スタート直前にゼリーを飲んだばかりだが、日差しが照り始めたためか、早くも喉が渇いてきた。那覇マラソンは公式エイドの他にたくさんの私設エイドが出ているが、こんな序盤の区間には、まだまだエイドは少ない
それでも時たま、紙コップを差し出してくれている人がいる。ところが、ランナーも沿道の応援者も大群衆のため、紙コップを差し出してくれる人は直前にならないと見えないし、コースの端っこを走ってなければ取ることができない。しかも、コースの右側なのか左側なのか直前にならないと分からない。人が少なければ、コップを差し出してくれている人を発見してからでも近寄っていけるが、ものすごい大混雑で走っているから、近寄っていくのは不可能だ。
てな事で、去年なんかは右端を走っていたら左側にコップを差し出してくれている人を発見したけど既に手遅れで、それならと思って左端を走っていると今度は右側にコップを差し出してくれている人が出現するなんて事の繰り返しで、結局、私設エイドは諦めたが、今年はそれが分かっているので、右往左往せず左端をずっと走っていたら、すぐに紙コップを受け取る事ができた。

まだまだ大混雑は続いているが、徐々に少しだけマシになって、少しだけ走りやすくなってきた。そのため、3km地点4km地点のラップは、なんとか7分を切ったが、5km地点では再び7分をオーバーしていた。
5km地点を過ぎてしばらく進むと、ようやく最初の給水所があった。ここでも奪い合うように紙コップをもらい、がぶがぶ水を飲んだが、水は既に生ぬるくなっていた

その後は、小さな坂の有無によって多少のデコボコはあるが、似たようなペースを維持し、だいたい1km7分程度のペースが続く。予定通りのペースと言えばそうなんだけど、特に抑えている訳でもなく自然体で走っているのに序盤から1km7分てのは非常に遅いペースだ。3月の徳島マラソンでは、終盤でもこんなに遅くはなかった。まだまだ焦りは無いとは言え、なんとなく嫌な予感はする。
10km地点でのラップを見ると、この5kmも平均1km7分で、最初の5kmと同じペースだ。このペースを最後まで維持できればいいんだけど、序盤から自然体で走ってこんなに遅いのに、最後まで持つのかどうか不安だ。
なんとなく足が攣りそうな気配もしてきて、予防のために早々に2RUNを1錠飲んだ

沿道には、まだまだ途切れることなく大勢の地元の方々が声援を送ってくれている。バンドの演奏も多い。他のマラソン大会だと、バンド演奏なんかしてくれているのは若い人が中心だけど、那覇マラソンではたいていは中高年のおっさんやおばさんのバンドだ。しかし、演奏は若い人のバンドよりしっかりしてて楽しい。昔、基地の米軍兵相手に演奏していた人達だろうか。
小さい子供の声援もとても多い
。小豆島や高知の山の中のマラソンでは、応援してくれている人の大半はおじいちゃんおばあちゃんで子供は少ないが、沖縄は出生率が高く、子供が多いからだろう。

公式のエイドは数kmおきにあるが、この辺りまで来ると、地元の方が設置してくれた私設エイドもいっぱい出てくるし、ちゃんとしたエイドでなくても、応援してくれている人がコップに入れた飲料やお盆に入れた食べ物を差し出してくれる。序盤は大混雑でコップを受け取ることも簡単ではなかったが、この辺りまで来ると混雑も少しマシになってきて、私設エイドを見つけて取りに行けるようになってきた。それほどお腹が空いた訳ではないが、エネルギー補給は早めにこまめにしなければならないので、さっそくバナナを見つけて頂いた。

10km地点を過ぎると、いよいよ上り坂が現れた。最初の坂はすぐ終わったが、11km地点を過ぎるとかなり急勾配の坂が現れた。そのため12km地点で見たラップはなんと8分になっている。さすがに少し焦ったが、上り坂はそんなに長くは続かず、穏やかな下り坂となった。頭に入っているものすごくザッとした地図では、10km地点辺りから中間点の20km地点辺りまで上り坂が続くっていうイメージだけど、実際にはそんな単純なものではなく、結構アップダウンはある
下り坂になると当然ながらタイムは良くなるが、上り坂になるとたちまち悪くなる。結局、10km地点から15km地点まで計36分かかった。平均で1km7分をオーバーしている。いくら上り坂基調とは言え、そんなに大した坂ではないし、まだまだ前半なのに、ここまでタイムが悪くなるってのは心配だ。去年や一昨年も同じような展開ではあったが、ペースはもっと速かった。

その後も丘陵地が続き、とても緩やかだけどアップダウンの道が続く。とても緩やかな傾斜なので大したことはないんだけど、なんとなく市街地のフラットな道より足に堪える。天気は晴れたり曇ったりの繰り返しで、日差しが照りつけると首筋がジリジリと焦げていくような感じだ。12月なので日焼け止めクリームが必要だなんて発想は無かったから、何も塗ってないが、かなり日焼けしそうだ。

18km地点あたりから長い上り坂が始まり、19km地点を過ぎた辺りからは傾斜がきつくなる。きついと言ったって、北山林道駆け足大会や酸欠マラソンや龍馬脱藩マラソンと言った夏場の山岳マラソンの激坂に比べたらマシで、歩きたくなるような坂ではないんだけど、一気にスピードダウンしてしまう。無理して頑張ればペースダウンしないかもしれないが、ここで無理したら終盤に力尽きるのは目に見えているので、無理はしない。他のランナーがどんどん追い抜いていくのが気がかりだが、気にしないようにする。

上り坂も20km過ぎまでと分かっているので、淡々と上っていく20km地点に到着した。この1kmのラップは、きつい坂のせいで、なんと9分近くにまでダウンしていた。1km7分平均に比べて、ここまでのトータルで3分もオーバーしているが、後半は下り基調なので回復する事を期待する。

しばらく進むとようやく上り坂は終わり、道は下り坂となった。久しぶりの下り坂なので、嬉しくなって思いっきりガンガン大股で走る。って自分では思いながら走ったんだけど、同じペースで走っている周囲のランナーを見る限り、そんなにガンガン走れている訳でもないので、大してペースアップできている訳ではなさそうだ。

21km地点を過ぎるとすぐに中間地点の表示があり、なんとか半分走った事が分かり、ホッとする。中間地点のタイムを2倍すると、5時間を少しオーバーするペースだが、この後は大きな上り坂が無いから、なんとか1km7分のペースで走れればギリギリ目標をクリアできる。

中間点を過ぎると平和祈念公園てのがあり、ここが第一制限地点になっている。つまり最初の関門だ。ここには公式のエイドもあり、とても賑わっている。色んな食べ物が支給されているようだ。ものすごく気になるんだけど、こんな所で時間を無駄にする訳にはいかないから、今年も我慢してパスする。
去年までのコースは平和祈念公園の中に入ってグルッと回ってきたが、なぜか今年は公園の中には入らずに素通りした。そのため、ここではコースの距離が短縮されており、それを補うためにスタート地点が手前になっていたのだ。
22km地点までは急な下り坂が続いたため、この1kmは6分ちょっとと大幅に速くなっていた。

22km地点で下り坂はいったん終わり、再び上り坂になる。上り坂と言ったって緩い緩い傾斜だが、急な下り坂の後なので厳しく感じる。
そして、ここでようやく支部長の背中が見えた。上り坂になったせいか、ものすごくスローダウンしている。僕もスローダウンしているんだけど、それよりずっと遅くなっているので、背中が見えたかと思ったら、あっという間に追いついた。

(幹事長)「やっと追いついたよ」
(支部長)「いかん、足が攣りそうや」
(幹事長)「2RUNもってる?」
(支部長)「持ってる」


でも、見た感じでは、2RUNで対処できるような足の攣りと言うより、脱水症状でフラフラになっているような動きだ。支部長はものすごい汗かきなので、よく脱水症状になるんだけど、今日もちょっと前半に飛ばし過ぎたんじゃないだろうか。

上り坂は長くは続かず、23km地点からは再び急な下り坂となったため、ペースも再び回復したが、それでもなかなか足はスムースに動かなくなってきた。足が攣りそうな気配は消えず、再び2RUNを1錠飲んだ
那覇マラソンは、南の島のきれいな海を見ながら走るようなイメージだが、実際にはほとんど海は見えない。でも、この下り坂の辺りだけは遠くに海が見える。遠くなので、サンゴ礁のきれいな海が見える感じじゃないけど、一応、ここだけは海が見える。

そして24km地点の前から再び上り坂が現れた。元気な時なら気にならないくらいの緩い上り坂だし、初めてではないので心の準備もできてはいるけど、力が尽きかけた今となっては激坂に感じられ、足は重い。周囲のランナーにどんどん追い抜かれていく。
ただ、既に歩いている人もたくさんいて、おびただしい数の歩いているランナーを追い抜いているので、プラスマイナスで言えば順位は同じようなものかも。

暑くて喉が渇いて大変だが、沿道の人がアイスキャンディーを差し出してくれる。去年は後半はアイスキャンディーとコーラで命をつないだが、今年もアイスキャンディーが頼りだ。ビニールのチューブに入った冷たい氷菓だ。めちゃ美味しい。これを食べると、一気にリフレッシュする。
なんとか頑張って走っていたらひめゆりの塔の表示が出てきた。以前は、だいぶ前に通り過ぎた大きな塔がひめゆりの塔だと思っていて混乱したが、それは実は平和祈念公園にある沖縄平和祈念堂であり、本当のひめゆりの塔は高さ数十cmしかない小さな記念碑だ

疲れた足で上り坂をトボトボ走っていたら、25km地点でのラップは再び1km8分近くにまでペースダウンしていた。さらに27km地点でのラップは8分半にまでダウンしてしまった。足が攣りそうなので、再び2RUNを1錠飲んだが、それだけでなく、もう体全体がしんどくなってきた。
それで、遂に誘惑に負けてエイドで足を止めてしまった。一度足を止めてしまうと、再び走り始めるのはなかなかしんどくて、ついついしばらく歩いてしまった結果、28km地点でのラップは1km9分を大きくオーバーしてしまった。

その後は29km地点まで下り坂となったので、ほんの少しだけペースは回復したが、下り坂が終わると再び一気にペースダウンした。そして30km地点でのラップは再び9分近くになり、もう完全に5時間の目標は不可能になってしまった。
しかも、30km地点の後は、もう下り坂が無いため、かなり厳しい戦いとなる。特に35km地点の前はフラットなだけでなく、直線のコースが3km以上も続き、変化に乏しく精神的にきつい区間だ。ここまでは坂があって苦しい道だったが、何かと変化に富んだ道だったので、苦しくても気が紛れたが、ここからの10kmは変化が乏しく気が紛れない市街地の道なので、精神的に非常に辛い。歩きたい気持ちとの戦いだ。

足は今にも攣りそうだ。いつもは足が攣ると言ったら、まず脹脛が攣りそうになるんだけど、今日は太ももの全ての部位が攣りそうだ。最後の2RUNを1錠飲んだ
ただ、足は攣りそうだけど、まだなんとか攣ってはいないので、それが原因で走れない訳ではない。攣らなくても足が痛くなって走れなくなることもあるが、今日は痛くもなっていない。でも、足が疲労で前に動きにくくなってきたのだ。
なんとか走っても、ものすごい超スローペースになってしまってて、歩いている人と変わらない速さだ。て言うか、ガンガン歩いている人には抜かれていくのだ。じゃあお前も歩けば、って言われると、もうガンガン歩くこともできないので、自分が歩くよりは走っている方が少しだけマシだ。でも、やっぱり歩いている人に抜かれると、やる気は失せる。

マラソンは極めてメンタルなスポーツなので、自分で「もう走れないかなあ」なんて思い始めたとたん、本当に走れなくなってしまうし、逆に精神力で復活することもある。
6年前の徳島マラソンでは、足が痛くなってトボトボ歩いていたら支部長に追いつかれ、それで気合いを入れ直したら痛みがスッと消えて無くなり、その後は順調に走れた。
一昨年の京都マラソンでも、23km過ぎに早々に体全体に疲労を感じてしまい、もう完走できないかもしれないなんて弱気になって歩き出そうとした瞬間に亀ちゃんに会い、励まされながら一緒に走ってもらったおかげで最後まで歩かずに完走できた。
さらに今年の徳島マラソンでも、終盤に雨が降ってきて気勢をそがれてペースが落ち、もうこれ以上は頑張れないって感じになったんだけど、40km地点で突然ゾウさんが追いついてきたので一気に息を吹き返す事ができ、疲れも吹き飛んで二人で並んでペースアップして他のランナーをごぼう抜きにした。
これらはうまくいった事例であり、気の持ちよう一つで見違えるほど蘇る事が可能だという証拠だ。でも逆を言えば、気持ちが萎えてしまえば、もう走れなくなる。そして今回は「もう走れないかなあ」なんて思ってしまったため、その瞬間に走れなくなり、歩きだしてしまった。場所は31km地点辺りだ。30km地点を過ぎると39km地点辺りまでフラットな道が続くんだけど、その単調さに気が遠くなり、精神的に持たなくなってしまったのだ。

歩くと、楽だ。当たり前だが、とっても楽だ。足だけでなく全身がホッとする。
歩いていてもお腹は空いてきたので、バナナがあれば頂く。アイスキャンディーも今日は6本くらいもらった。歩いているのにアイスキャンディーをもらうのは気が引けるが、生きていくためには仕方ない。
トボトボと歩いていると、ウォークマンでもあれば多少は気が紛れるのだが、今日も持ってこなかった。去年は持ってくるのを忘れてたんだけど、今年はあえて持ってこなかった。真剣に勝負するつもりだったから、そんなものは余計だと思ったのだ。そのため、辛い気持ちを抱えながらトボトボ歩き続ける。

ベタ歩きしたため32km地点でのラップは1km12分もかかった。時速に換算したら時速5kmだから、そんなもんだろう。このまま歩き続けたら、あと10kmあるから2時間かかる。スタートからここまで4時間もかかっているので、トータルで6時間ペースだ。残り10kmを1km6分で走れば5時間ペースだが、歩いている今となっては、絶対に不可能だ。むしろ制限時間を気にする必要が出てきた。制限時間は6時間15分だが、スタートラインを超えるまでに13分かかっているので、ちょうどギリギリだ。まさか制限時間を気にしなければならなくなるなんて思ってもみなかった。

て事で、少しは危機感が出てきたので、走れそうになったら少し走る。でも一瞬で力尽きてしまう。そんな事を繰り返しながら、少しずつ走る距離を伸ばしていくと、だんだん走れる距離が長くなってきて、35km地点でのラップは1km8分くらいにまで回復した。でも、そこで頑張り過ぎたため、また力尽きて、その後はベタ歩きになってしまう。

そんな事を繰り返しながら進んでいくと、38km地点辺りから再び緩い上り坂となる。上り坂と言ったって、ほんの微かな傾斜なんだけど、疲れ果てた今となっては激坂なので、迷わず歩く。私だけでなく周囲のランナーも大半が歩いている。
緩やかな上り坂は1kmほど続き、39km地点からは再びフラットになるんだけど、一度歩き始めたら惰性で歩き続けてしまい、1km12分ペースが続く。少し前に少し走ったおかげで、残りを全部歩いても制限時間をオーバーする心配は無くなったので、居直って歩き続ける。残りを全部歩こうが全力疾走しようが、どっちにしても空前絶後の大敗北なので、もう何のインセンティブも無くなってしまったのだ。
周りのランナーも大半が歩くか、歩くのと変わらないスピードで走っている。

モノレールの赤嶺駅の辺りに40km地点があり、もう残り2kmとなり、いよいよゴールが近づいてきた。この辺りが坂のピークで、ここから最後の下り坂になるため、久しぶりに走り始める。もう走っても意味はないんだけど、ゴールが近付いてきたら、さすがに少しだけやる気が出てきた。ここまで長い間歩いてきたので、だいぶ力が蘇ってきた。
もちろん、走ると言っても1km8分くらいの超スローペースだが、周囲のランナーも大半は疲れ果てて歩いているので、それくらいのペースでもごぼう抜きする事ができる。

そして41km地点を過ぎると、ゴールのある奥武山公園が近づいてきた。もう後1kmなので、ますます気合が入り、スピードアップする。もちろんスピードアップってのは主観的な感覚であって、所詮は1km6分半くらいのスローペースなんだけど、それでも周りのランナーを蹴散らしてごぼう抜きだ。とても気持ち良い。
奥武山公園に入ったら、野球場の横を通って一番奥の陸上競技場まで行かなければならないが、ますます快調になり、最後までスピードを落とさずゴールまで走れた


〜 ゴール 〜


最後はかなりスピードを上げてゴールしたが、タイムは5時間30分をオーバーしてしまった。スタート前には考えてもみなかった空前絶後の大敗だ。脱藩マラソンに匹敵する大敗だ。
去年も惨敗したとは言え最後まで歩かずに完走したけど、今年はだいぶ歩きまくったから、去年に比べても25分も遅くなっている。
でも、他のマラソン大会なら、終盤に歩いた時でも5時間をオーバーするような事はあまりない。考えられない大敗北だ。

レース後半は歩きまくったおかげで、ゴールしても足は痛くないし、疲労感もあんまり無い。ゴールして芝生の上に寝転がる気もおきない。まだまだ余力が残っている。あんなにスローペースだったんだから、当たり前だ。精神力さえあれば歩かずに完走できたんだろう。不完全燃焼の極致だ。

絶望的な気持ちでトボトボ歩いて記録証を貰い、メダルもかけてもらうが、あんまり嬉しくはない。

大敗北でゴール


支部長らの動向が分からないので、取りあえず荷物置き場へ荷物を取りに行く。この公園の中は、本当に地理が分かりにくく、すぐ道に迷ってしまうが、もう慣れてきたので道に迷う事なく荷物置き場に行けた。
手荷物置き場に着くと、支部長の荷物は残っていたが、ヤイさんの荷物は既に無くなっていた。
着替えようかとも思ったが、寒くはないし、このまま宿まで帰ろうと思って外に出て写真を撮ったりしていると、支部長から連絡が入る。私の直後に荷物置き場にやってきたようだ。
意外に早いなと思ったら、支部長は途中でリタイアして帰ってきたんだそうだ。

(幹事長)「足が攣ったん?」
(支部長)「あそこから歩きっぱなしで、もう力尽きた」


なんと支部長は、僕が追いついた22km地点から後、ずっと歩き続けて34km地点でリタイアしたんだそうだ。

(幹事長)「よくもまあ、そんなに歩けたなあ。それやったら最後まで歩けたんと違う?」
(支部長)「もう限界やった」


なんとかゴールだけはしようと歩き続けたものの、遂に歩くこともできなくなったんだそうだ。足が攣ったからじゃなくて、やはり全身疲労で走れなくったんだそうだ。今日も暑かったから、暑さに弱い支部長は脱水症状になったのかもしれない。

(支部長)「4回出場して完走1回やから勝率が25%に落ちてしまった」

そうこうしているとヤイさんとも合流した。ヤイさんは自分からリタイアしたんじゃなくて、13km地点辺りで強制的に排除されたんだそうだ。

(幹事長)「そんな規制あったんですか!?」
(ヤイ)「まだまだ制限時間内のペースで走っていたのに、強制的に止めさされましたよ」

てっきり関門は中間地点と34km地点の2箇所だと思っていたら、他にも強制排除する競技中止勧告なんて場所が5つもあったようだ。関門と何が違うのか分からないが、現場の係員が突然ランナーを歩道に上げて交通規制を解除して車が走り出すんだそうだ。ヤイさんのように後ろの方からスタートしたら、スタート地点を通るまでに30分くらいかかるので、そこからギリギリ完走ペースの1km8分半くらいのペースで走っているとアウトになってしまうのだ。そんな話は聞いてないぞ、って感じの措置だ。
しかも、去年までは「みなさん、明日の仕事に支障が出ますから、この辺でリタイアしたらどうですか?」みたいな優しい呼びかけだったのに、今年は高圧的な競技中止勧告で排除されたらしい。
それでバスで早々に強制送還されたため、ゴール横でずっと待ってくれていたとのことだ。私が大惨敗であまりにも遅かったから、待ちくたびれたようだ。

(ヤイ)「ゴール横で1時間半くらい待ちましたよ。おかげで日焼けしましたよ」
(幹事長)「遅くなってすんませーん!」
(ヤイ)「遅かった割には最後は必死の形相で走ってましたね」
(幹事長)「ずっと歩いてたんですけど、最後の最後だけは意味なく必死で走りましたからね」


そんなに長時間待ちながら私を見逃さなかった集中力はすごい。
そして、なんと加藤選手も同じように、17km地点辺りで強制的に排除されたんだそうだ。

(加藤)「こんな厳しい掟があるなんて知りませんでしたよ」

宿に帰るためモノレールの壺川駅に行くと、公園と駅を結ぶ橋の上で、逆に駅から橋を渡って公園に入ってくる大勢のランナーとすれ違う。途中でリタイアした人たちだ。リタイアした人を運んできたバスが駅の横で停まって降ろしているのだ。後から聞くと、この日の完走率は64%だったとのことなので、3人に1人以上がバスで帰ってきた訳だから、リタイアした人の数はかなり多い
完走率は64%ってのは、記録的な猛暑だった3年前の53%や、やはりかなり暑かった去年の60%よりは高いけど、これまでの平均が70%前後だから、平年よりは低めだったようだ。やはり暑かったのだろう。


〜 反省会 〜


宿に戻ってシャワーを浴びたら夕食に繰り出す。お昼はまともに食事してないからお腹はぺこぺこだ。それに昨晩は節制してお酒を飲んでないから、今日は打ち上げで飲まなければならない。

(加藤)「昨晩、節制した効果は無かったですね」
(幹事長)「今日はヤケ酒やな」

ただ、脱水症状でボロボロになった支部長は気分が悪くて宿で寝てることになった。
今日はホテルの近くのアグー豚のカツの店に行った。ことのほか安くて美味しくて、お腹がいっぱいなってしまった。

(幹事長)「それにしても、今年の大惨敗の原因が分からない。支部長は脱水症状だろうけど、私は心当たりが無い」

本当に今日は考えられない大敗北だった。タイムだけを見れば、脱藩マラソンと肩を並べる大敗だが、累積の標高差が900mもある超厳しい山岳マラソンの脱藩マラソンなら大敗しても仕方ないけど、いくら途中で丘陵地を越えていくとは言え、累積の標高差が300mも無い那覇マラソンでこんな大敗をしてしまうなんて、本当に理由が分からない。しかも、去年に比べて25分も遅くなっている。今年も暑かったのは確かだけど、去年の方が暑かったと思う。だから暑さのせいではないだろう。
記録証によると、出走者の中での順位は上から40%のところだ。去年は23%だったから、やはりだいぶ悪くなっている。去年ほど暑くはなく、完走率も去年より少し高い中で去年よりタイムが悪かったのだから、当然の結果だ。

なんとか原因を考えると、3つ出てきた。
 @ 前日に遠方から移動してきているため疲れが出る
   これは私だけでなく、他のメンバーも昨晩から「疲れた、疲れた」と言ってたが、地元開催のレースと比べて移動や宿泊の疲れが出ているのは間違いない。
 A 1週間前のタートルマラソンの疲れが残っている
   以前、小松原選手が言ってたように、1週間前なら10kmの部くらいが適当であり、ハーフマラソンは長すぎて疲労が残るのだろう。
 B 本土からくると暑い
   気温の絶対値は今日も最高で28度くらいだったから、真夏の汗見川マラソンなんかに比べたら暑さは大したことない。でも、毎日の暑さに体が慣れている夏と違って、気温が低くなっている本土からいきなり暑い沖縄に来ると、体が暑さに慣れてないから、非常に暑く感じる。

どれも的外れではないように思う。ただし、これは毎年同じ条件であり、一昨年や去年に比べても大敗北した今年の言い訳にはならない。
今年特有の理由として考えられるのは、
 C 序盤から超スローペースで走った
   レース全体のペース配分を考えて序盤をスローペースで走ると、終盤までペースが落ちないことを期待するんだけど、それが成功するケースもある一方で、どんなに序盤をスローペースで走っても、やっぱり後半はいつものように疲れてしまい、ペースはどんどん悪くなるケースも多い。しかも、序盤のスローペースからどんどん悪くなっていくので、とんでもなく超スローペースになってしまうのだ。序盤を速く走ろうが遅く走ろうが、序盤からの落ち具合は同じで、終盤はいつもよりさらに遅くなるのだ。
   例えば序盤から1km5分で飛ばすと1km5分→1km6分→1km7分というように落ちていくのが、序盤から1km7分の超スローペースで行ったら1km7分→1km8分→1km9分というように落ちていくのだ。
   もちろん、前半から飛ばし過ぎると、大撃沈する可能性は高まるが、序盤のスピードは遅ければ遅いほど良いって訳でもないのだ。

(幹事長)「どう思う?」
(支部長)「それに関しては同意するな。最初から遅いと、最後まで遅いな」


ただ、どっちにしても、この那覇マラソンは良いタイムが出ない事が分かった。同じように大惨敗続きの脱藩マラソンは、今年は微かな光明が見えたし、まだまだ作戦と言うか工夫の余地があるが、那覇マラソンは何をやっても駄目だと分かった

(幹事長)「という事で、那覇マラソンは卒業しようと思います!」
(支部長)「私も躊躇なく那覇マラソンは卒業します」

(ヤイ)「私は最初から卒業予定です」

もともと来年は私や支部長は同じ時期に開催されるホノルルマラソンに初挑戦する予定なので、少なくとも来年は那覇マラソンには出られないのだが、おそらくもう二度と復活することはないと思う。
仮に再び参戦するとしたら、1週間前のタートルマラソンは10kmの部にしておき、また沖縄への移動も前々日くらいにして、疲れを取ると共に体を慣らしておく必要があるが、もうそこまでやる気は起きない。

(加藤)「私は一度は完走したいですねえ」
(幹事長)「がんばってーっ!」



去年は那覇マラソンの翌日は首里城や美ら海水族館に行ったけど、「来年は離島へ行こう」なんて言ってたので、翌日は船で慶良間諸島の渡嘉敷島か座間味島へ行こうと思い、朝早くから宿を出て泊港までトコトコ歩いて行った。
ところが、なんと波が高いからという理由で、離島航路は全便欠航だった。

(幹事長)「風は強いけど、どう見ても港の波は穏やかやで」
(ヤイ)「外海に出たら波があるんでしょう」


港の中は防波堤のおかげで波が小さいのかもしれない。それにしても、とても残念だ。
出ばなをくじかれたので、仕方なくモノレールに乗って去年も訪れた首里城へ行った。去年と違って、今年はつい1ヵ月前に火事で焼失してしまい、見るも無残な姿を晒していた
去年まではモノレールは那覇空港から首里までだったが、ほんの2ヵ月前に首里からてだこ浦西なんて所まで延伸されていたので、首里からさらにモノレールに乗って終着駅のてだこ浦西まで行ってみた。そしたら見事に何もない場所だったので、早々に引き返し、その後は国際通りをブラブラした。

昼食は牧志公設市場で食べた。牧志公設市場は那覇の有名な観光スポットで、だいぶ前には来たこともあったが、夜は開いていないので、那覇マラソンに来るようになってからは4年目にして初めての訪問だ。
そして入った食堂でヤギ汁を発見した。ヤギ汁は大好きな食べ物で、だいぶ前に沖縄に何度か来た時は、必ず食べていた。ところが那覇マラソンに来るようになってからは一度も食べに行ってなかった。一般的にヤギ料理はヤギ料理専門店でしか食べられないため、他のメンバーが毛嫌いして一緒に行ってくれなかったからだ。

(幹事長)「絶対に美味しいから食べに行こうよ!」
(支部長)「あんな臭いもん食べられるかっ!」
(幹事長)「臭いのが良いんよ。もとい、臭くても美味しいのよ」
(ヤイ)「遠慮しときますわ」


ところが、この食堂は色々あるメニューの片隅にヤギ汁があったのだ。ここなら自分だけヤギ汁を食べればいいので、迷わず注文した。久しぶりのヤギ汁は美味しかった。でも、はっきり言って物足りないものだった。ヤギの肉を煮込んだものじゃなくて、普通のスープに別に煮たヤギの肉を少し放り込んだだけのもので、スープにヤギの味が無いのだ。あくまでも観光客向けのマイルド過ぎるヤギ汁で、臭いも薄いものだった。
これで眠っていた火が付いた私は、今回は絶対に本物のヤギ汁を食べたいと思い、いろいろ探した結果、宿から繁華街とは反対方向に15分くらいトコトコ歩いた所に本格的なヤギ料理店がある事を探し出し、夕食に繰り出すことにした。もちろん、他のメンバーは断固として拒否したので単独行動となった。
その店はカウンター席が5席ほどあるだけの小さな薄暗い店だけど、本物のヤギ汁を食べる事ができた。スープはヤギ肉の血と油が溶けた茶色い強烈な臭いのもので、肉も大量に入っていた。お昼に食べたヤギ汁と比べて肉の量は5倍で、臭いと美味しさは10倍と言ったところだ。那覇マラソンを完走したと言ったら、店のおばちゃんが手作り味噌をお土産にくれた。本当に幸せな気分になり、那覇マラソンを卒業しようという決意が揺らいだ夜だった。

さて、これで本当に那覇マラソンは最後になるのか、あるいは来年のホノルルマラソンを挟んで再来年に復活するのか、それとも来年もホノルルマラソンツアーがポシャって那覇マラソンに来るのか、どうなるのかな?


〜おしまい〜




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