第16回 下関海響マラソン
2023年11月5日(日)、下関市で第16回下関海響マラソンが開催された。
ペンギンズとしては初参加するマラソン大会だ。
(ピッグ)「記事の掲載が遅かったですね」
(幹事長)「あまりの大撃沈のショックからなかなか立ち直れなくて」
このマラソン大会は2008年に第1回が開催されたもので、それほど歴史は古くないが、前々から名前は知っていた。ランネットの評価とかが高かったからだ。
なので、なんとなく一度は出てみたいなあなんて思ってはいた。
だが、夢見る少女のように目をキラキラさせて漠然と思っているだけでは駄目だ。
マラソン大会に限らず、世の中のあるゆる事は「いつか行ってみたいなあ」とか「いつかやってみたいなあ」なんて漠然と憧れているだけでは永遠に実現しない。これは断言できる。
自分で積極的に動かなければ、どんな事であっても実現はしない。
(幹事長)「来年は絶対にホノルルマラソンに行くぞ!」
(支部長)「いえ〜い!」
(のら)「やっほーっ!」
ホノルルマラソンは、何年も前に行くつもりだったが、コロナのバカ騒ぎで参加が大幅に遅れてしまっている。しかし、来年こそは出ようと思う。
ま、ホノルルマラソンは置いといて、下関海響マラソンだって漠然と思っているだけでは、いつまで経っても出場する事は無かっただろう。
きっかけは昨年11月の神戸マラソンだ。
神戸マラソンには私は2015年に参加した事があったんだけど、フルマラソンに出た事が無かったのらちゃんが早くフルマラソンにデビューしたいと駄々をこねたからお付き合いで出場した。
ゾウさんと並んでペンギンズに君臨する2大女王様であるのらちゃんは、ハーフマラソンなら私らを蹴散らしまくっていたが、フルマラソンを走った事が無かったため、密かに肩身の狭い思いをしていた。
なので、一刻も早いフルマラソンデビューを願っていたんだけど、コロナのバカ騒ぎが勃発したため、全国のマラソン大会が軒並み何年も中止となり、なかなかフルマラソンに出場する機会が無かった。
2022年になってようやくフルマラソンが復活し始めたため、早速、出場したのが神戸マラソンだ。
そして、フルマラソンのデビュー戦だったにもかかわらず、幹事長や支部長を蹴散らして好タイムで快走した。
この快走により、のらちゃんは一気に神戸マラソンのファンになってしまい、「今年も出場したい」なんて言ってた。
でも、私を始め、他のメンバーはもう何回も出場していたし、また去年のタイムもパッとしなかったから、さほど神戸マラソンに好印象は抱いておらず、2年連続で出たいとは思わなかった。
そこにD木谷さんから新しい提案があった。
(D木谷)「今まで出た事ないマラソン大会に毎年1つずつ出てみましょうよ」
これは、なかなかナイスな提案だ。
これまで私はマラソン大会と名の付くものは200回以上は出ている。フルマラソンだけでも40回は出ている。
しかし、出場してきた大会は限られている。
フルマラソンでは、四国内だと瀬戸内海タートルマラソン、徳島マラソン、海部川風流マラソン、龍馬脱藩マラソン、高知龍馬マラソン
関西地方だと大阪マラソン、京都マラソン、神戸マラソン、奈良マラソン、加古川マラソン
それより遠くだと那覇マラソン、東京マラソン、弘前アップルマラソン
と言ったところだ。
(のら)「めちゃ色々出てるやん!」
(幹事長)「せやな」
改めてリストアップしてみると、結構、色んな大会に出ている。
ま、しかし、新たなマラソン大会に出るというのは新鮮でよろしい。
て事で、今年はどこか新しいマラソン大会を開拓しようと言う事で、誰かが提案したのが下関海響マラソンだ。
参加するのは幹事長、D木谷さん、のらちゃん、ピッグ、O野選手の5人だ。
残念ながら支部長は別の大事な用件があるとの事でエントリーしなかった。ところが、後になって、その用件というのは1週間違いだった事が分かり、支部長は悔し涙を流すことになった。
(支部長)「やれやれ、これで一休みできるわい」
〜 コース 〜
下関海響マラソンのコースがどんなのかは、実は私は全く知らなかった。
「海響」って言う名前がなんとなく良いイメージだし、海岸線を走るのは気持ち良さそうだし、評判が良い大会だから走りやすい良いコースなんだろう、って漠然と思っていた。
ところが、出場が決まってから真剣に調べてみると、なかなかハードなコースのようだ。
(幹事長)「大きな坂が何度も出てくるアップダウンの激しいハードなコースみたいやで」
(D木谷)「そうみたいですねえ」
(のら)「ええっ?そんな厳しいのは嫌だなあ」
(幹事長)「誰が出ようなんて言い出したんだ!?」
今となっては、最初に誰が言いだしたのかは分からなくなってしまったが、みんななんとなく良いイメージを抱いていた事は確かだ。
スタートは下関駅の近くの海峡メッセ下関という所で、そこから瀬戸内海に面した海岸線の道を東に向かって7.7km進むと1つ目の折り返し点がある。
そこで折り返して再び海峡メッセ下関の近くまで戻ってくる。ここまでで15kmだ。
その後は、海峡メッセ下関を通り過ぎて西に向かって走る。
19kmくらい走ったところに彦島トンネルがある。スタート地点からここまではほとんどアップダウンが無いフラットなコースだ。
しかし、彦島トンネルから上り坂が始まる。彦島トンネルの中も上り坂だが、トンネルを抜けると彦島大橋に向かって坂の傾斜はますます険しくなる。
トンネルを抜けると海は瀬戸内海から日本海に変わるが、たぶん景色を楽しむ余裕は無いだろう。
彦島大橋の手前が上り坂のピークであり、彦島トンネルの入り口からピークまで2kmで50mちょっと上る。なかなか厳しい坂だ。
彦島大橋を渡ると一気に海岸線まで下り、下ったかと思うと再び上り始め、27km地点辺りのピークまで上り続ける。このピークは40mちょっとある。
そのピークを下ると2つ目の折り返し点がある。スタートから28.6kmの地点だ。
折り返したら再び40mちょっとのピークと50mちょっとの彦島大橋を越えてゴール地点の海峡メッセ下関まで戻ってくる。最後の3kmだけはフラットだ。
つまり、前半は超フラットなんだけど、後半になると標高40〜50mの厳しい坂が往復で4つも次々と出現し、ほとんどフラットな区間は無くて上りと下りが連続する。
もちろん、厳しい坂と言っても、北山林道駆け足大会や酸欠マラソンや脱藩マラソンのようなアホみたいな激坂ではない。しかし、フルマラソンの後半に次々と大きな坂が出現するのは非常に厳しい。
(のら)「めちゃめちゃ厳しそうやねえ」
(幹事長)「絶対に良いタイムは出ないな」
前半のフラットな区間で調子に乗ってハイペースで走っていると、後半に潰れるのは間違いない。
終盤に撃沈して足を引きずって歩くような事態だけは避けなければならない。なので、前半のフラットな区間でも欲張らずスローペースで走らなければならない。
ただ、開催時期が11月初めってのは個人的には好ましい。
一般的にマラソン大会は秋から春にかけて開催され、特にシリアスなマラソン大会は冬場がメインとなる。
しかし冬は寒い。寒いのが苦手な私としては、冬のマラソン大会は嫌いだ。東京マラソンはとっても楽しいんだけど、寒い時期に開催されるってのが難点だ。
みんなが嫌がる夏場の暑い時季の方が個人的には好きだ。
(支部長)「いつも言ってるが、好きなのとタイムが良いのとは無関係やで」
(幹事長)「分かっておりまする」
もちろん、好き嫌いとは別に、良い記録が出るのは寒い季節だ。
7月末の汗見川マラソンなんか論外としても、5月のオリーブマラソンや10月の脱藩マラソンでも、天気が良い時は猛暑のレースとなって惨敗する。2月の丸亀マラソンなんかの方が良いタイムが出る。
でも寒いのはやっぱり嫌だ。特にフルマラソンの場合は寒いのは辛い。
ハーフマラソン程度の距離までなら、最後まで同じようなペースで走れるから、寒くても体は熱を発散する。
でもフルマラソンの場合は、前半は体が動いているから熱も出てきて暑くなるが、後半は疲れ切った体を引きずって歩いたりするので、体が熱を発散せず、どんどん冷えてくる。なので寒い時期のフルマラソンは辛い。
(のら)「相変わらず歩くことばかり心配してるね」
(幹事長)「フルマラソンは厳しいからなあ」
昨年の神戸マラソンも11月の開催だったから、終盤トボトボと超スローペースに落ちたが、寒い事はなかった。
下関海響マラソンも11月初めの開催だから、終盤に力尽きてトボトボ歩いても寒くないだろう。
〜 宿泊場所の確保 〜
四国内のマラソン大会は、たいてい当日の朝に受付がある。近くのマラソン大会なら良いけど、高知県内の大会なんかになると、かなり早起きして暗いうちに家を出なければ間に合わない。
一方、大都市のマラソン大会は、たいてい前日に受付がある。参加者が多いと当日の朝では大混乱になるからだろうけど、遠方から参加する人にとっては前日受付は負担感が大きい。
いずれにしても大変だ。
でも、この下関海響マラソンは受付が無い。普通の大会なら受付でもらうゼッケンや参加賞などは事前に送られてきている。
これは便利だ。これで済むんだから、世の中の他のマラソン大会も全て同じように事前に送るようにして、当日や前日の受付は廃止にして欲しい。
と思うんだけど、つい先週の庵治マラソンはゼッケンや計測チップは事前に送られてきたのに、参加賞のTシャツだけは当時の受付でもらった。なぜだろう?なぜかしら?Tシャツを送るとなると送料がかかるからかなあ。
受付が無い下関海響マラソンではあるが、下関は遠いので当日の朝に出発して日帰りするのは無理だ。
香川から下関まで片道5時間はかかるので、遅くとも夜中の2時には出発しないといけない。そんな事したらスタートする前からヨレヨレになってしまう。
なので、受付は無くても前日から移動しなければならない。なので、宿泊場所を確保しないといけない。
だが、しかし、この宿泊場所の確保がとっても大変だ。遠方へのマラソン遠征の際の宿泊場所確保は極めて重大な問題なのだ。
一番記憶に残るのが2013年の大阪マラソンだ。
予約しようと思ってネットで探すと、山ほどホテルが空いている。さすがは大都市だと思ったら、妙に安い。カプセルホテルでも普通なら3000円はするのに、1000円程度から大量にある。
一体こりゃ何じゃと思って場所と条件を確認していくと、極端に安いホテルは西成区に集中していた。つまり釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街のホテルなのだ。
ドヤ街で労務者が住んでいた簡易宿所(通称ドヤ)が時代の流れでビジネスホテルっぽく模様替えしているだけなのだ。いくら模様替えしたとは言っても、元々3畳トイレ無しといった狭い部屋だし、エリアとしては極端に怖いイメージだ。
しかし、釜ヶ崎のドヤ街以外のホテルを探そうとすると、何万円もする高額なホテルしか残っていなかったため、仕方なくドヤ街に泊まり、夜の釜ヶ崎を探検するという貴重な体験をした。
その辺りのドヤ街の相場は1泊1000円程度だったが、私が泊まったところは1泊2400円もしたから、地域では高級な部類だろうが、もちろんそれなりのものだった。
この夜の体験は非常に面白く、ああいう機会でも無ければ、絶対に一生、泊まることがないような場所なので、結果的に非常に得難い経験だった。
4年連続で遠征した那覇マラソンも似たような状況だ。那覇マラソンもエントリー以上に宿泊場所の確保で苦労する。
沖縄なんて全国有数のリゾート観光地だからホテルはいっぱいある。なーんて思うのは素人で、いくら沖縄でも那覇マラソンのような大規模イベントが開催されたら宿泊場所の確保は困難を極める。
当選が決まってから探していたのでは、もちろん遅すぎる。なので、応募した時点で宿泊場所の確保に動くのだ。
ところが、それでも遅く、その時点で既に手頃なホテルは全滅だった。大阪と同じで、我々のような貧乏人には手が出ない高級ホテルか、極端な安宿しか残っていない。他の参加者達は、それより早く、はるか以前に手配に動いていたようだ。
過去の経験から言えば、こういう場合には、ためらう事なく安いホテルを選択するのがよろしい。どんなに安いホテルでも、日本なので危険を感じる事はない。
それにマラソン大会はどこも朝が早く、そんなにゆっくりくつろぐ時間も無い。単に夜、寝るだけだ。
沖縄には大阪のようなドヤ街は無いが、海外からのバックパッカーなんかが泊まるユースホステルみたいな宿がある。
我々が確保した宿は、4人が1部屋に転がされる窓の無い息苦しい倉庫のような部屋だったが、1人1泊2000円だったので、文句は言えない。
また、龍馬脱藩マラソンでも苦労した。
もともと宿泊施設が少ない高知の山奥で開催されるマラソン大会なので、宿泊場所の確保には非常に苦労し、2015年大会は数少ない民宿のおばちゃんとの2年越しのバトルを繰り広げてなんとか泊まる場所を確保した。
ただ、宿泊はできたものの食事は作ってくれないし、風呂場は狭くて暗くて汚くて入る気が起きなかったし、みんなで雑魚寝だったので夜更かしして酒盛りしてマラソンのタイムも良くなかったし。
そのため、翌2016年以降は前夜泊を諦めて早朝に高松を出て日帰りにしている。
脱藩マラソンは高松から車で3時間もかかる梼原町で行われるので、当日の早朝出発の日帰りは強行軍だが、宿泊場所の確保に苦労するよりはマシだ。
マラソン以外でも、サイクリングしまなみでも毎回、宿泊場所の確保に非常に苦労している。
これも前日受付なので止むを得ず前泊しているのだが、当日の受付にしてくれたら早朝出発の日帰りで問題は無いはずだ。
このように、宿泊場所の確保では非常に苦労を重ねてきたので、最近は行動が早い。
バカ正直にエントリーが決まってから探したのでは遅すぎて、手が届かない高級ホテルしか残っていないのは分かっている。
なので、東京マラソンの場合は、毎年、抽選に申し込む何ヵ月も前に、会場近くの安宿を前日と当日の2泊分で予約をしている。
もちろん、東京マラソンは落選するのが当たり前なので、毎年、直前になってキャンセルし続けている。
一方、下関海響マラソンが開催される下関の宿泊状況はどうなのか皆目見当がつかない。
宿泊場所の確保の難しさは、宿泊施設のキャパと利用者の数に左右される。
下関は大都市ではないが、そこそこの規模の町なので、そこそこの数のホテルはあるようだ。
一方、参加者の大半は地元山口や近隣の広島や福岡の人たちのようだが、大阪や東京辺りから来る人も少なくない。
全く予想できないので、とにかくエントリーと同時に早々に抑えようとした。
ところーが!なんと、マラソン大会にエントリーした時点で、既に宿泊場所はほぼ完売していた。
少なくとも、なんとか会場まで歩いていけるような範囲のホテルは全滅だった。もう遅かったのだ。
やはり甘かったのだ。エントリーなんかを待つのではなく、はるか前に予約しておかなければならなかったのだ。
結局、なんとか予約する事ができたのは、大会の会場から10kmほど離れた長府という町にあるホテルだった。
〜 下関へ移動 〜
下関まで移動するには新幹線で行くか、車で行くか、の2つの選択肢がある。
楽さから言えば新幹線の方が楽だろう。ただ、それは便利の良い場所に宿泊場所を確保できている場合だ。
今回確保できた長府のホテルに行くとなると、新幹線の新下関駅で山陽本線に乗り換え、長府駅から1.5kmほど歩かなければならない。また大会当日も長府駅まで歩いて山陽本線に乗って下関駅まで行く事になる。
一方、車で行く場合は、ホテルまで直接行けるし、翌日も会場近くの駐車場まで行ければ不便はない。ホテルから会場まで10kmほど離れているが、車で行ければ問題は無いだろう。
コスト的にも、今回は5人での移動になるので、車で行く方がかなり安くつく。
問題は当日朝の駐車場の確保だ。
大会事務局からの案内を見ると、「会場には駐車場が無いから公共交通機関で来てくれ」と書いてある。
昨年の神戸マラソンでは、ホテルに近い所にある駐車場に車を停めて、そこから電車に乗って会場に行ったが、同じように手間な事をしなければならないのだろうか。
色々調べてみると、大会会場には駐車場は無いが、近隣にはいくつか駐車場があるようなので、できるだけ早く行って、そこに車を停める事にした。
ただ、駐車場問題が解決したとしても、下関まで車で行くのが大変な事に変わりはない。
実は下関のちょっと手前までは我々は毎年行っている。秋吉台カルストトレイルランに出るためだ。その際は、いつも美祢市内のホテルに泊まっているのだが、美祢市は下関市の40kmほど手前にある。
つまり、下関市は毎年行っている美祢市のさらに40kmほど向こうだ。
(D木谷)「美祢市よりまだ遠いんですね」
(幹事長)「ウンザリするくらい遠いですね」
秋吉台に行く時も、毎年、心底ウンザリする。岡山県を抜けるのは割と早いが、広島県が東西に長くて抜けるのが大変だ。
広島県を抜けて山口県に入ったら、もうすぐかなと期待するが、山口県に入ってからも遠い。美祢市も下関市も山口県の西部にあるから遠いのだ。
高松から下関までの移動距離は、大阪へ行くのより2倍以上遠く、なんと名古屋へ行くのよりも数十km遠い。
(のら)「ええっ?名古屋よりも遠いの!?」
(幹事長)「イメージと全然違うやろ?」
のらちゃんやゾウさんは毎年、名古屋ウィメンズマラソンに出ているから名古屋の遠さは実感しているが、下関はそれよりさらに遠いのだ。
今回、安易にイメージだけで下関海響マラソンへの参加を決めたが、新しいマラソン大会に出る時は場所をちゃんと考えてからにしなくてはいけない。
(のら)「コースも良く調べてからにしようね」
(幹事長)「本当やね。場所とコースを吟味して決めよう」
当日は、ピッグが10時過ぎに我が家へ迎えに来てくれて、その後、O野選手、D木谷さん、のらちゃんを次々に拾って11時過ぎに香川を出発した。
瀬戸大橋を渡り、途中で昼食をとりながら山陽自動車を西に向いてひた走り、順調に夕方の5時前に下関の長府に着いた。
今夜の宿泊場所はホテルAZ山口下関店だ。
ホテルAZと言えば、去年のサイクリングしまなみ2022に出場した際に東予市のホテルAZに泊ったことがある。何の変哲もない普通のビジネスホテルだ。
翌朝は早朝に朝食を食べる必要があるので、それから逆算すると前日の夕食も早目に食べる必要がある。
て事で、ホテルにチェックインした後は、かなり早いけどすぐさま夕食をとる事にし、ホテルに入っているレストランで夕食を食べた。
そして、夕食を食べたら早目にベッドに潜り込み、早く寝ないといけない。
ところーが!
実は今まさに日本シリーズ真っ盛りなのだ。我らが阪神タイガースが甲子園で3連勝してあっさりと日本一を決めてくれれば良かったんだけど、甲子園では2勝1負となり、3勝2負で敵陣の大阪ドームに乗り込むことになった。その第1戦が今夜あるのだ。
て事で、早く寝たかったのに、遅くまで起きていた。しかもオリックスに負けてしまったため、腹が立って安眠できなかった。悔しいーっ!
〜 ウェアの選択 〜
睡眠不足のまま朝4時に起き、準備を始める。
現地で着替える時間や場所が確保できるかどうかが分からないので、ウェアを着て、すぐに走れる状態で出発するのだ。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。
寒いのも暑いのも困るが、事前の天気予報を信じてどちらかに決めつけていると、予想外のコンディションになった時に困ってしまい、「次回は何があっても対応できるように色んな準備をしてこなければならない」と反省する。
なので、今回は暑くても寒くても対応できるように準備してきた。
1週間前の天気予報では、今日は雨が降るって言ってたので気が重かった。
もちろん、今の我々は雨を恐れていた昔の我々ではない。昔の我々なら、雨のマラソン大会なんて走る気が起きなかった。朝から雨が降っていると、空を見上げながら連絡を取り合って、結局、みんな揃って欠場って事も多かった。
しかし、2010年のオリーブマラソンで考えが変わった。その日は朝からものすごい土砂降りの雨だったので、みんなで欠場の相談をしていたら、我がペンギンズのエース城武選手から「雨がどうしたんですかっ!何を考えてるんですかっ!」と一喝され、渋々参加した。
ところが、土砂降りの雨は、走りにくいどころか、気温が低くなって走りやすくて、後半の大きな坂も全然、苦にならず、最後までペースダウンすることなく、というか、坂が多い後半の方がペースアップしてタイムが良くなるという考えられないレース展開でゴールし、2時間を大幅に切る大会自己ベストとなった。
私だけでなく、ピッグも支部長も快走した。それ以来、暑い季節には、むしろ雨を好むようになったのだ。
でも、それは気温が高いシーズンの話であり、寒い時期に冷たい雨の中を走るのは嫌だ。
ハーフマラソンくらいなら、最後までしっかり走れるので体から熱が発生し続けて寒くはならないから、冬でもない限り雨くらい平気だ。
しかし、フルマラソンだと終盤は歩くか、歩かなくても歩くようなペースにスローダウンするから、体から熱が発生しなくなって寒くなるので、雨は避けたい。
雨のフルマラソンと言うと2006年のタートルマラソンを思い出す。もう古い話だが、辛かった事を鮮明に覚えている。
何が辛いかと言うと、やはり終盤に体が冷える事だ。タートルマラソンも同じ11月の開催だから、天気が良いと暑くなるけど、雨が降ると本当に体が冷えてくる。
あの時は体を震わせながら、早くリタイヤしようと思って救護車を探しながらトボトボと歩くようなスピードで走ってたんだけど、救護車が見当たらなかったから仕方なくゴールまで泣きながら走った。
また2020年の高知龍馬マラソンも思い出す。3年前の事なので、辛かった事を鮮明に覚えている。
雨がかなり強く降っていたので、雨カッパの上からさらにビニール袋まで被って走り出したんだけど、それでもお腹が冷えたせいか、途中でお腹を壊してトイレに籠るという悲惨な展開となった。
なんとかトイレから出た後は、足を引きずりながら歩くような超スローペースでゴールまで泣きながら走った。
このような辛い経験があるから、フルマラソンでは雨は避けたかった。
ところが、天気予報は変わり、雨は翌日にズレ込みそうになってきた。そうなると、気温は高めだから、今日はむしろ暑くなるかもしれない。
とは言え、もう11月に入ったのだから、それほど暑くはならないだろう。
先週の庵治マラソンのように短い距離のレースだと、暑いまま終わるかもしれないが、フルマラソンでは終盤に足を引きずって歩くような超スローペースのスピードで走るので、むしろ体が冷える事を心配しなければならない。
こうなると悩むところだ。むちゃくちゃ難しい。
寒さ対策で長袖シャツは持ってきている。登山用に愛用している吸湿性と速乾性に優れた長袖のウェアだ。
長袖シャツではなくて、半袖Tシャツにアームウォーマーを着けるという選択肢もある。これなら暑くなればアームウォーマーを外せば良い。
散々悩んだが、去年の神戸マラソンの記事を読み返すと、去年も長袖シャツを着ようかどうしようか迷ったけど、最終的に半袖Tシャツ1枚にした結果、快適に走る事ができ、「悩んだ時は薄着にすべきだ」と書いていた。
それを信じて今回も自分に気合を入れるつもりで、清水の舞台から飛び降りるつもりで思い切って半袖Tシャツ1枚でスタートする事にした。
(幹事長)「決死の決断や!」
(のら)「今日は暑くなるってば」
もちろん、現地に着いて寒かった時のためにアームウォーマーは持っていく。
Tシャツは10月初めの酸欠マラソンで貰ったピンク色の「酸欠Tシャツ」だ。背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインのTシャツだ。
のらちゃんもお揃いの酸欠Tシャツを着る。彼女もTシャツとアームウォーマーだけだ。
下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。
足は筋肉の疲労防止と防寒のために神戸マラソンの時のようにタイツを履こうかと思っていたが、むしろ暑くなる可能性が高いと思い直し、脹脛サポーターにした。
雨は降らないようなので嫌いなランニングキャップは被らない。寒くはないだろうから手袋も不要だろう。
ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュとエネルギー補給のための濃縮ゼリーを入れたら、準備完了だ。
シューズはアシックスのノヴァブラストだ。
今年の初旬に、のらちゃんが「クッション性が良くて足が疲れないんよ」なんて言って勧めるので、騙されたと思って購入してみた。
ノヴァブラストはアシックスとしてはサブ5を目指す初心者ランナー用みたいな位置付けなんだけど、のらちゃんはこれを履いて3月の名古屋ウィメンズマラソンで終盤に一気にペースアップするという驚異的な走りでフルマラソン自己ベストを出した。
それで私も試しに3月の徳島マラソンで履いてみたのだ。
そしたら、なんと、八ヶ岳への雪山登山から下山して、そのまま夜通し車を運転して前日に帰ってくると言う超強行スケジュールのため、疲労と睡眠不足でボロボロ状態だったにもかかわらず、9年ぶりに大会自己ベストを更新するという予想外の健闘を見せた。
大健闘の理由は、最後まで足があまり疲れなかったからだ。ノヴァブラストはマジックスピードのようにスピードが速くなるシューズでは決してないが、足が疲れないため、いつものような終盤のペースダウンが避けられたのだ。
フルマラソンでもそれだけの威力を見せたものなので、フルマラソン以上の距離を走るウルトラマラソンには打ってつけシューズだと期待して、4月の富士五湖ウルトラマラソンでも履いてみたら、やはり足の疲れがあまり無くて、初めてのウルトラマラソンを快適に完走できた。
なので、今回もこのシューズの効用で最後まで足が痛くならずに走れる事を期待するぞ。
〜 朝食 〜
フルマラソンのスタートは8時30分で、集合するブロックの閉鎖時間は8時15分だ。それを過ぎると最後尾からのスタートとなる。
スタートブロックへの選手誘導は7時30分からになっており、遅くとも8時にはスタートブロックへ行くべきだろう。
受付が無いから、7時半頃に行っても余裕な気がするが、どう考えても近隣の駐車場はすぐに満車になるだろう。なので、6時に近隣の駐車場へ行く事にした。
さすがに、それなら駐車スペースはあるだろうし、仮に満車だったとしても、他の駐車場を探す時間はあるだろう。
ホテルから近隣の駐車場までは車で30分もあれば着きそうなので、ホテルを5時半に出発する事にした。
ホテルには無料の朝食が付いているが、朝6時からなので遅すぎる。なので朝食は部屋で何か食べようかとも思っていた。
ところが、マラソン大会があるとて、ホテルが特別に当日の朝食を朝5時から提供してくれると言う。それならホテルで朝食を食べても5時半には出られるだろう。
て事で、朝5時前にレストランの入口に集合し、5時になると同時に店内に突入してバイキングの朝食を頂く。
ただし、食べるものには用心しなければならない。もちろん、ご飯を中心に食べなければならない。
以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてみたら、その後は一度もお腹を壊さなくなった。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べれば、もう下痢を心配する必要は無いのだ。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレにこもってしまった。原因は分からない。でも、少なくともご飯路線が悪い訳ではないだろう。
エネルギーをいっぱい摂取しようと思って、おにぎりの他に、バナナやゼリーも食べたりしていたが、それらを控えるべきかもしれない。あんまり無理してレース前に食べすぎるのは禁物だ。
なので、去年の神戸マラソンでは用心した。あの時もホテルでバイキングの朝食を食べたが、ご飯は軽めにとり、おかずも消化に良さそうなものを少量選んで食べた。
ところーが!そこまで用心していたのに、なんと神戸マラソンでも途中でお腹を壊してトイレにこもり、のらちゃんに置いていかれる羽目になった。
なので、今日は極端な朝食にした。すなわち、食べるのは少量のご飯と明太子とお味噌汁だけだ。
(のら)「それじゃ少ないよ。タンパク質も食べないと駄目だよ」
(幹事長)「タンパク質なんか食べたらお腹を壊すやんか」
去年は、誰かが「足攣り防止用ドーピング薬は早目に飲んでおいた方が良い」なんて言うので、普段は足が攣ってからでないと飲まない足攣り防止用ドーピング薬を事前に飲んだ。もしかしたら、それが良くなかったのかもしれない。
なので、今日は足攣り防止用ドーピング剤も飲まない。
ささっと朝食を食べたら、部屋に戻ってトイレに行く。大会会場のトイレは激混みだろうから、ホテルで大を済ませたいのだ。
ところが、少ししか食べなかったせいか、或いは時間が早すぎるせいか、大は出なかった。
仕方なく5時半にロビーに降りて行った。
〜 会場へ出発 〜
まだ辺りが真っ暗の中、5時半にホテルを出発し、大会会場である海峡メッセ下関のすぐそばにある下関市細江町駐車場に向かう。距離は10kmほどなので、計画通り6時頃には駐車場に着いた。
そして、予想通り、既にかなりの車が集まっていた。10フロアもあり500台も収容できる大きな立体駐車場だが、既に半分のフロアは満車になっていた。やはり早く来て良かった。
首尾よく車は停めることができたが、まだ空は真っ暗だ。会場はすぐそばなので慌てる必要は無い。
て事で、明るくなるまで車の中で休み、明るくなってきてから駐車場のトイレに行く。
思った通り、トイレは空いていた。その頃には既に駐車場は満車になってて、新たに入ってくる車がいなくなったためだ。
7時になったので、そろそろ会場へ行ってみる事にした。スタートは8時30分で、集合するブロックの閉鎖時間は8時15分なので、8時にはスタートブロックへ行くべきだろう。
外に出ると、それほど寒くはない。多少、風は吹いているが、冷たくはない。
現地に着いて寒かった時に備えて、とりあえず長袖シャツとかタイツも持ってきたが、不要だろう。トレーニングウェアの上下も脱いで、走る格好で会場に向かう。
会場に行くと海峡メッセ下関の前にスタートとゴールのゲートが設置されていたので、そこで記念写真を撮る。
スタート前の元気な参加メンバー
(左から幹事長、D木谷さん、のらちゃん、O野選手、ピッグ)
男子の更衣室を見てみると、なんと立体駐車場の駐車スペースが更衣スペースになっていた。これは、ひどい。我々は既に着替えているので使う必要は無いが、薄暗い冷たいコンクリートの上で着替えするなんて、陰鬱な気分になるぞ。
しかも、手荷物で預けられるのは貴重品を入れる小さなビニール袋だけで、それに入らない衣類とかは薄暗い駐車場の片隅にそのまま置いておかなければならない。
一方、女子の更衣室はイベントホールの中なので、だいぶ環境は良い。この格差は何なんだ!?
貴重品を預けたら、集合ブロックに集まらなければならない。
集合ブロックは申告した予想タイム順になっているはずだ。これは速いランナーと遅いランナーが一緒くたにごちゃ混ぜになっているとスタート時の混雑がひどくなり、混乱するからだ。
こういう場合、申告する予想タイムは正直な方がいい。実力より前からスタートすると、周りのみんなから置いてきぼりになって精神的に落ち込むか、あるいは周りの速いランナーにつられて無理して飛ばしてしまって潰れる可能性が高い。
逆に、後ろの方からスタートすると、おしゃべりしながら固まって走る遅いおばちゃん軍団にブロックされて前へ行けない。参加者の少ないマラソン大会なら問題ないけど、1万人近くが参加する大きなマラソン大会では、最後まで遅いランナーに邪魔されてイライラすることになる。
なので、自分の実力通りの場所からスタートするのが一番良い。
貴重品預けとかでバラバラになってしまい、のらちゃん以外とはぐれてしまったので、二人で指定されたブロックへ急ぐ。
持ってきたゼリーを食べながら、なんとか我々が指定されたBブロックを見つけ、その中に入り込む。
よく分からないが、ざっと見た感じ、たぶん我々は真ん中どころにいるのだろう。今日の参加者数は男女合わせて9055人なので、前にも後ろにも5千人くらいのランナーがいるって事だ。
参加者のうち男子は7680人、女子は1375人なので、女子は15%程度に過ぎない。ただ、どんなマラソン大会でも言えることだが、女子の数が少ないって事は精鋭部隊が出ているって事なので、決して女子選手を侮ってはいけない。
ペンギンズだってのらちゃんやゾウさんやライオン4世を見れば分かるが、女子選手の方が強靭だ。男子は軽い気持ちで出ている選手も多いが、女子は全般的に真剣な人が多い。
(のら)「それって私らの事?」
(幹事長)「てへ」
時間は余裕があると思ってダラダラしてたら、いつの間にか時間が経っていて、集合したらすぐにブロックは閉鎖された。危ない危ない。
〜 スタンバイ 〜
8時15分となり、集合ブロックが閉鎖されるのと同時に、前の方で開会式が始まった。どこでやってるのか定かではないが、放送が聞こえてくる。
延々と国会議員とかの来賓挨拶が続き、いい加減ウンザリした頃にゲストの千葉真子や猫ひろしが登場した。相変わらず二人ともハイテンションで、盛り上がる。
ここまで、いつものようにウォーミングアップをしていないのはもちろん、ストレッチすらやっていない。
我々のように体力の無いランナーにとってウォーミングアップが百害あって一利無しなのは常識だが、最近、ストレッチすら無用という説を聞き、それを実践している。
ただ、ここまでかなりダラダラ歩いてきたので、足が少し疲れてきた。これではいけないので、待っている間に屈伸して、凝りをほぐした。
少しだけ風はあるが、集合ブロックはランナーが密集しているので寒くはない。ちょうど良いコンディションだ。スタート時間が近づいてきてようやく、やる気がみなぎってくる。
スタート時間が近づいてきたので、本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
このレースは今回が初出場なので、どんなに惨敗しても大会自己ベストは間違いない。
(幹事長)「間違いない!」
(のら)「当たり前じゃん。それって嬉しいの?」
(幹事長)「さすがに嬉しくはない」
なので、目標は立てにくいが、コース図を見る限りなかなか険しそうなコースなので、とりあえず5時間以内の完走を目指す事にした。
(ピッグ)「えらく控えめな目標ですね」
(幹事長)「この大会に賭けているものは何もないから」
軽い気持ちで出場する事になったが、この大会に対しては何の思い入れもなければ感情も無い。坂が多くて良いタイムが出そうなコースでもない。
なので、完走さえすれば良いんだけど、せめて5時間以内では完走したい。
過去、フルマラソンには40回は出ているが、4回出場して4回とも5時間オーバーの脱藩マラソンと、3回出場して3回とも5時間オーバーの那覇マラソンを除いて、5時間をオーバーした事はあまりない。
脱藩マラソンのような超過激なコースとか、那覇マラソンのような超過酷な気象状況のレースでなければ、よほどのアクシデントが無い限り、さすがに5時間をオーバーする事はあまりない。
なので、一応の目安として5時間以内の完走を目標にした。
なお、通常は私の定義では、完走と言うのは「歩いてでもゴールする」という意味ではない。「絶対に歩かない」のが完走だ。
しかしながら、このマラソン大会のコースは後半に大きな坂が何度も繰り返し出現するようなので、大変だった場合は無理せず歩くことにする。
(支部長)「一歩でも歩いたらアウトって言ってたやん」
(幹事長)「今日は何でもありやな」
去年の神戸マラソンでフルマラソンデビューしたのらちゃんは、その後、名古屋ウィメンズや徳島マラソンでサブ4.5が当たり前になっているので、今日はフルマラソン自己ベストを目指してもらう。
(幹事長)「目指してもらう!」
(のら)「やだよ、こんなコースで良いタイムは出ないよ」
のらちゃんは、フルマラソン自己ベストは来年の名古屋ウィメンズで目指すとの事で、今日はそこまで無理しないと言う。
なので、坂が出現するまでの前半は一緒に走る事にした。
目安のペースは、前半は1km6分ちょっとくらいにした。もし、そのペースで最後まで走れればのらちゃんはフルマラソン自己ベストが出る。
ただし、後半になって坂が出てくると、私は歩くようなスピードにペースダウンする。て言うか、いつでも歩く用意はできている。のらちゃんは行けそうだったら、そのままペースを維持して走ればいい。
(のら)「歩くのは嫌だなあ」
(幹事長)「ハーフマラソンの丸亀マラソンでも歩いてたくせに!」
(のら)「てへぺろ」
私が今回、上り坂で歩くのも辞さないのは、終盤に歩くのを避けるため。
(のら)「歩くのを避けるために歩くの?訳わかんないよ?」
(幹事長)「説明しよう」
無理して走っていると、終盤に足が痛くなる。足が痛くなると走れなくなって歩かざるを得なくなってしまう。ひどい時は歩くのも不可能になって立ち止まってしまう。そして、タイムは一気に悪くなってしまう。
逆に、どんなに遅いペースでも最後まで歩かずにゴールできれば、そんなに悪いタイムにはならない。いくら遅くても歩くのと走るのではペースが違うからだ。
足が痛くさえならなければ最後まで歩かずに済む。終盤は足が重くなるが、どんなに足が重くなっても、痛くなければ走り続ける事ができる。
ペースは極端に落ちて歩くようなスピードになったとしても、痛くさえ無ければゆっくり走り続けることができる。
そして、終盤に足が痛くなるのを防ぐためには、途中で決して無理をしない事が重要だ。なので、途中の坂では無理して走る事なく歩いてもいいのだ。
場内放送が盛り上がってきたかと思うと8時30分となり、いよいよ前の方のブロックからスタートした。
もちろん、私がいる場所からスタート地点までは少し距離があるので、周囲は全然緊張感もなく、しばらくしてようやくノロノロと動き出すだけだ。
タイムはチップでネット計測してくれるから、焦らずにのんびり歩いていく。
〜 スタート 〜
スタート地点は思ったほどは遠くなくて、立ち止まる事なく歩いていくと、すぐにスタート地点が近づいてきた。スタートゲートを抜けたら、いよいよスタートだ。
スタート地点を越えるまで2分くらいしかかからなかった。スタート地点を越えてからも、特にひどい混雑は無く、ゆっくりだけど普通に走っていける。
今日のコースは前半はフラットだが、後半になると大きな坂が連続して、ほとんどフラットな区間は無くなる。なので、前半のフラットな区間を調子に乗って飛ばし過ぎるとオーバーペースになって後半に撃沈する。
なので、前半は焦らず控えめに自然体で走る事が重要だ。
海峡メッセ下関の前をスタートし、すぐに左に曲がり、またすぐに右に曲がった後は、第1折り返し点まで東に向かって7.7km走る。
まだ体は暑くなっておらず、少しひんやりするけど、走るにはちょうど良い感じだ。
距離表示は1kmごとにあり、1kmごとのラップを見ていると、多少の凸凹はあるものの、だいたい1km6分10秒くらいだ。ちょっと速いような気もするけど、これで無理なく走れるのなら悪くない。
区間によってラップに多少の凸凹があるのは、距離表示がいい加減な場合もあるので気にしてはいけない。
こんな大規模なきちんとしたマラソン大会の距離表示がいい加減だなんて、普通は思わないだろうけど、さらに大規模でしっかりしているはずの神戸マラソンの距離表示は非常にいい加減だ。
詳しくは神戸マラソンの記事に書いているが、明らかに距離表示がアテにならない事が分かったので、1kmごとのラップには一喜一憂しない事にした。
ただ、5kmおきに設置されているタイム計測機では5kmごとにチップで正確にタイムを計測してくれるので、その距離表示は正確だと思われる。なので、信用できるのは5kmごとのラップだ。
3km地点の辺りで関門橋の下をくぐる。神戸マラソンでも明石海峡大橋の下をくぐったが、巨大な橋の下をくぐるのは、なんだか爽快だ。
3km地点を過ぎた辺りに最初の給水所があるはずだったが、見当たらない。
(幹事長)「この辺に給水所があるはずだよねえ?」
(のら)「見当たらないね」
まだ喉は乾いてないけど、おかしいなあって思ってたら、我々の勘違いで、3km地点過ぎにあるのは第1関門だった。
ランナーの数は多いとは言え、神戸マラソンほど多くは無いので、それほど大混雑はしてなくて、他のランナーが邪魔になる事も少なく、割りと走りやすい。
しばらく走ると、5km地点の手前にようやく最初の第1給水所があった。まだここは水とスポーツドリンクだけだ。
まだ暑くないし喉は渇いていないが、最近はどのレースのどこの給水所でもこまめに補給することにしているので、ここでもスポーツドリンクを取って少し口に含む。
その先に5km地点の距離表示があった。5kmごとの距離は正確なはずで、最初の5kmの平均ラップは1km6分10秒ちょっとだ。想定より少し速い。
(幹事長)「ちょっと速くない?」
(のら)「そうねえ」
のらちゃんはこれでも余裕があるようだが、私には速すぎるような気がする。
ちょっと悩んだが、前半で無理すると良くないので、もう少しペースを落とすことにした。
(幹事長)「ちょっとペースを落とすから、先に行ってね」
(のら)「は〜い」
て事で、のらちゃんの背中が少しずつ遠ざかっていった。
少し頑張って走っているし、太陽もだいぶ昇ってきたため、少し暑くなってきた。半袖Tシャツ1枚でちょうど良いくらいだ。
やはり悩んだ時は薄着にすべきだ。(←今後のための重要事項)
海岸線の道をそのまま東に向かって走っていくと、7.7km進んだところで第1折り返し点がある。
その折り返し点のだいぶ前にD木谷さんが折り返してきた。めちゃ速い。表情には余裕が溢れている。
折り返し点の直前ではのらちゃんがすれ違ってきた。まだそんなに差はついていない。
第1折り返し点で折り返して西に向かって戻っていくと、すぐに8km地点があり、そこに第2給水所があった。ここも水とスポーツドリンクだけなので、スポーツドリンクを取って少し口に含む。
さらに関門橋を見ながら走っていくと10km地点がある。この5kmの平均ラップも1km6分10秒ちょっとで、最初の5kmと同じだ。のらちゃんの背中は離れて行ったが、全然ペースダウンはしていない。のらちゃんが速いだけのようなので、ちょっと一安心だ。
10km地点を過ぎた所に第3給水所があった。ここは水だけだったので、水を少し口に含む。
12km地点を過ぎると、再び関門橋の下をくぐる。
往路では気付かなかったが、左(南)を見ると、狭い関門海峡を挟んで北九州が間近に見える。関門海峡はちょっと広い川くらいの幅で、とても近い。なかなか良い景色だ。
13km地点を過ぎた所に第4給水所があった。ここには初めて水分以外の食べ物が出てきた。あるのはチョコレートとおかきだ。
マラソン大会で走っている途中でおかきを食べるのは苦しい。口の中がパサパサして喉に詰まる。なんでそんな物が出てくるのかと言えば、地元の銘菓だからだろう。
もちろん、おかきはパスしてチョコレートを頂く。3個もらって1個ずつ口の中でゆっくり溶かしながら食べる。
折り返してからスタート地点の海峡メッセ下関のそばまで戻ってきたところに15km地点があった。この5kmの平均ラップは、一気に1km6分30秒くらいに落ちていた。
1kmごとに凸凹はなく、10km地点以降はずっとそれくらいのペースになっていた。まだ全然坂は無く、フラットな区間だったにもかかわらず一気にペースダウンしたって事は、早くも力尽きてきたって事だろうか。
いくらなんでも早すぎる。これはちょっとマズいぞ。かなり焦ってきたが、ここで無理してペースアップするのも危険なので、これ以上ペースダウンしないように気をつけながら走る。
15km地点を過ぎた所に第5給水所があった。ここには水のほかコーラがあった。疲れてくるとコーラがとても美味しい。リフレッシュする。
ほかにはちみつレモン飴もあったので、3個もらって口に入れた。
ここから港湾地区の中を何度も左に曲がったり右に曲がったりクネクネ走っていく。早くも疲れてきたようで、ペースは低調なままだ。
17km地点の手前に第6給水所があり、ここには水分のほかバナナと竹輪があった。
これまではマラソン大会でバナナがあるとよく食べていたが、今日はお腹を壊すのをできるだけ避けるためバナナは食べなかった。
竹輪はお腹を壊すかどうか以前の問題として、走りながらではとても食べにくそうなので、これまでもマラソン大会の最中には食べていない。
その先の18km地点の辺りで彦島という地区に入っていく。本土とは狭い海峡で隔てられた島になっており、関彦橋という橋で渡っていく。
この橋へ上がるには、いったん下をくぐってからぐるっと回って上がるようになっている。なので、下をくぐる時に上を走っている人たちが見える。
なのでのらちゃんがいないかなあと思って見てると、それらしい人影が見える。のらちゃんも私を見つけたようで、手を振ってきたので、私も手を振り返す。
お互いに良く目立つTシャツを着ていたのが幸いした。ざっと見た感じでは500mくらい離れている。
この橋は高さ5mか10mくらいのもので、大した高さではない。ところが、早くも疲れてきた私の足には予想外に重い負担となった。走り続けようと思っても足が前に出ない。ものすごいスピードダウンだ。
そのため、19km地点でのラップは一気に1km7分をオーバーしていた。本格的な上り坂が始まる前だと言うのに、もうヘロヘロだ。
ただし、私だけでなく、私の周囲のランナーもことごとくスピードダウンし、同じようなペースで上っていく。
19km地点には第7給水所があったが、ここは水と飴だけだったので、飴をいくつかもらってポケットに入れる。
ここから彦島トンネルに突入する。いよいよ1つ目の大きな坂が始まるのだ。
坂の中は暗くてよく分からないが、一気に足取りが重くなったので、急坂が始まったのが分かる。北山林道駆け足大会とか酸欠マラソンのような、めちゃくちゃな激坂ではないが、既に疲れ切った足には堪える。
足取りが重いのは私だけでなく、私の周囲のランナーも一斉にスピードダウンしているから、ことさら私だけが力尽きかけている訳ではなさそうだが、だからと言って救われる訳ではない。
トンネルは1km近く続き、トンネルを抜ける頃に20km地点があった。この1kmは、なんと9分をオーバーしており、この5kmの平均ラップも一気に1km7分をオーバーしている。ひえ〜!
しかも、坂はここで終わりではなく、ここから彦島大橋にかけて傾斜はますますきつくなるのだ。
トンネルから出ると見晴らしが良くなり、前方にものすごく高いところまで上り坂が続いているのが見える。もう絶望的な気分だ。
トンネルの中でも歩くようなスピードだったが、ますますスピードは落ちていく。気持としては走っている意識なんだけど、速足で歩いている人に抜かれたりする。
走っているつもりなのに歩いている人に抜かれると、当たり前だがやる気を失くす。なので、諦めて歩き出す。もちろん、歩いたらますます遅くなるが、それほどスピードが落ちるわけでもない。大した違いは無い。
スタート前から、きつい坂では無理せず歩こうと思っていたが、今は走ろうと思っても不可能だから歩いている状態だ。
上り坂がピークに達する彦島大橋の付け根にある21km地点の手前に第8給水所があった。ここは水分と長州の女というお菓子があるはずだった。長州の女は名前が気になってたので、是非食べたかったのだが、うまく見つける事ができず、食べそこなってしまった。もう疲れ果ててちゃんと探す事ができなかったのが敗因だ。
その先で、ようやく彦島大橋の上に出る。先ほど渡ってきた関彦橋と同様に、彦島と本土を結ぶ橋だが、割りと小さかった関彦橋に比べて高くて立派な橋だ。
ちょっと傾斜がゆるくなってきたので、再び超スローペースだが走り出すと、後ろから声を掛けてくるランナーがいる。背中に大きく「酸欠」と書かれた酸欠マラソンのTシャツを着ていたからだ。
(ランナー)「酸欠マラソンに出たんですか?」
(幹事長)「はいな。出ましたよ」
(ランナー)「私たちも出たんですよ」
なんて言いながら、ずっと小さな動画のカメラで撮影しながら追い抜いて行った。YouTubeで配信しているんだそうだ。余裕あるなあ。
彦島大橋を過ぎると、上り坂から一転して下り坂が3kmほど続く。上り坂で遅れたタイムを取り返すために頑張って駆け下りたいところだが、上り坂で足がくたびれてしまっているため、下り坂になっても全然スピードが出ない。
それでも下り坂なので、走り続けられるだけでもホッとする。
高い所を走っているので、とっても見晴らしが良い。彦島トンネルに入る前は瀬戸内海の関門海峡とその向こうの北九州が見えていたが、今は日本海の響灘の海が良く見える。
なんとなく絶景のような気もする。ただ、疲れ果てているので絶景を楽しむ余裕は皆無だ。
それに、3kmほど下り坂が続くはずだったのに、なんとなく下り坂はすぐに終わってしまい、すぐに上り坂が出てきたりする。上り坂はそれほど長くは続かないものの、下り坂らしい所もない。
恐らくは、もう足が重くなりすぎて、下っているけどフラットに感じるのだろう。
なので、この下りの区間でも、1kmごとのラップは1km7分を上回ったまま推移した。もう絶望的な状況だ。
空はすっかり晴れてきたが、高い所を走っているのでかなり風が強く、暑くもなく寒くもないって状況で、コンディションとしては悪くない。
が、疲れ果てているので、もう暑いのか寒いのか考える余裕も無い。
今日もマラソン写真撮影販売のオールスポーツのカメラマンがあちこちで写真を撮ってくれているので、どんなに疲れていても、カメラに気が付いたら近づいていってポーズを取るようにする。
しかし、疲れてくると、頭が下がってきて目の前の足元しか見なくなるのでカメラマンに気付かなくなっていく。
23km地点辺りに再びトンネルがあり、それを抜けた24km地点の手前に第9給水所があった。ここは水とコーラと飴があったので、コーラだけ頂いて少しだけリフレッシュする。
この辺りで坂を下り終えて、海に近い道を走る。と思ったら、すぐにまた上り坂が待ち構えている。2つ目の大きな坂だ。
そこに25km地点があり、この5kmの平均ラップは1km8分になっていた。まだ17kmも残っていると言うのに、早くも大撃沈だ。
ここからの2つ目の大きな坂は2km以上続く。坂のきつさは最初の坂と似たようなものだ。延々と続く上り坂を前にして、思考回路は停止気味になり、夢遊病者のようにただひたすら前に向かってノロノロと上がっていく。
1kmごとのラップは常に8分をオーバーしたままだ。
27km地点を過ぎて上り坂のピークになった辺りに第10給水所があった。ここは水分とチョコレートがあったので、チョコレートを1個だけ口に入れた。
坂のピークを過ぎると一気に下り坂となり、なんとか頑張って駆け下りようとする。それでも28km地点でのラップは、なんとか7分台になっただけだった。
しかも、そこから第2折り返し点まではフラットな区間なのに、なんと1km10分をオーバーしてしまった。
なぜだろう?なぜかしら?下り坂で少し頑張って駆け下りたせいで、足がすっかり動かなくなったからだろう。
第2折り返し点が近づいてきたら、例によってすれ違うランナーの中からメンバーを探す。
今回は、ものすごく遅れているから、はるか手前から必死で探していたが、結局、誰も見つけられなかった。
後から聞くと、自分で思ってた以上に遅れていたため、探し出そうとした時点では既にすれ違っていたようだ。
第2折り返し点で折り返すと、自分より後続のランナーとすれ違うようになる。まだまだ夥しい数のランナーが走ってくる。すっかり遅くなってしまったとは言え、まだまだ後ろのランナーも多いようだ。
折り返してから先ほど駆け下りた急坂を今度は上っていく。3つ目の大きな坂だ。
もちろん、走る事は不可能なのでトボトボと歩いて上がる。私だけでなく周囲のランナーもほぼ全員が歩いているので精神的にはそれほど惨めではない。
急坂を登り終えると30km地点があった。この5kmの平均ラップは1km9分近くにまで落ちていたが、もうすっかりどうでも良くなってきた。て言うか、どうしようもない。
30km地点を過ぎた所に第11給水所があり、ここには水分のほかそうめんがあった。ここまでお腹を壊す不安が大きかったので、食べ物は飴やチョコレートだけにしていたが、とてもお腹が空いてきたので、そうめんを頂く。
小さなカップに入っていて、一口ですする事ができて、とても食べやすかった。もう1杯もらおうかと思ったが、食べ過ぎると良くないので我慢した。
これまで、マラソン大会の途中でお腹の具合が悪くなって辛い思いをした事が何度もあるので、食べ過ぎは避けなければならない。
ここからは2kmほど下り坂の区間となる。
しかし、くたびれた足はすっかり痺れたようになっており、下っていてもフラットにしか感じない。所々に本当にフラットな所や少しだけ上っている所があるが、そうなるとまるで激坂の上りのように足が止まってしまう。
そのため1kmごとのラップは9分をオーバーしたままだ。下り区間なのに1km9分って、一体どういう事?
下り坂が終わりかけると、まだ下っているのか、再び上り始めたのか分からなくなってくる。足取りが重くなって歩き始めたが、周囲のランナーもほぼ全員が歩いているので、もう上り坂になったのかもしれない。
なーんて思うのだが、すれ違うランナーも全ての人が歩いている。こっち側も向こう側もみんな歩いているので、上っているのか下っているのか分からない世紀末的な状況だ。
この時点ですれ違う人たちは、こっち側のランナー以上に完全にヨレヨレ状態の難民たちなので、もう制限時間内でのゴールは不可能だろうなあ。
下り坂が終わりかけた頃、ポケットに入れてきた濃縮ゼリーを食べる。せっかく持ってきたゼリーなので、ここらで栄養補給しておかなければならない。
このゼリーはとても濃厚で粘っこいものなので、力いっぱい吸わないとなかなか吸い出せない。
そのため、2017年の海部川マラソンで走りながら吸い込んだらむせて大変な目にあった。ジェルが気管に入ってピッタリと詰まってしまい、息を吸い込むことができなくなり、咳き込むこともできず、息をすることができなくなったのだ。
マラソン大会で走っている最中に呼吸が停止するなんて、もう大変というか危険な状態だ。
なんとか必死で肺に残っていた息を絞り出して、少しずつ呼吸ができるようになって、必死で咳をして立ち直ったが、あのまま呼吸停止になるのかと思った。
そのため、今日は慎重に絞りだしてゆっくり食べる。
ゼリーを食べた後は、口の中が濃厚なゼリーでベチャベチャで気持ち悪くなる。なので、すぐさま水が必要になる。実は、往路で、この辺りに給水所があった事を確認していたので、そこに着く少し前にゼリーを食べたのだ。
記憶していた通り、33km地点の手前に第12給水所があったので、ここで水を頂き、口の中をさっぱりする。
ところが、なんと、ここには水やコーラのほか、ミカンとゼリーがあった。ゼリーは先ほど食べたゼリーと全く同じアミノバイタルの濃縮ゼリーだ。
わざわざ持ってきたのに、同じものがここにあるなんて、ちょっとだけガッカリだ。
でも、口の中がベチョベチョになるゼリーを2つも食べる気は起きないので、コーラを飲んでリフレッシュする。ミカンはお腹を壊す危険性があるので、欲しかったけど我慢する。
そこを過ぎると、再び上り坂となる。最後の4つ目の大きな坂だ。
苦しめられた次々と出現する大きな坂もこれで最後かと思うと、ようやく一安心だが、3kmほど上らなければならないから、安心している場合ではない。
もちろん、歩く。無理したらいけないから歩くのではなく、もう足が動かなくなり、走るのは不可能だ。歩かざるを得ないのだ。
上り坂の途中の35km地点の手前には第13給水所があったが、ここは水分と飴だけだったので、水だけ少し口に含む。
その後の35km地点で見ると、この5kmの平均ラップは1km10分をオーバーしていたが、それが何を意味するのか考える事もできなくなってきた。
なんと、ここで5時間半のペースランナーと、それに着いていくランナーの集団に追い抜かれた。これは衝撃だ!
スタートからここまで、最初は4時間のペースランナーに、次に4時間半のペースランナーに追い抜かれたが、さほど気にしてなかった。
でも、その次に5時間のペースランナーに追い抜かれた時は、かなり危機感を感じた。でも、とても一緒に走れそうになかったので諦めた。
それが今、なんと遂に5時間半のペースランナーに追い抜かれた。有り得ない大惨敗じゃないか!
さすがになんとか着いて行こうと思って走り出したが、上り坂の途中なので、すぐに走れなくなって歩いてしまった。すると、当然ながらペースランナー集団は遠ざかっていった。
さらに大きな声で「今の俺の状態やあ〜!」なんて叫びながら追い抜いていくおっさんがいる。なんのこっちゃ?ってキョトンとしていると、私の背中を指さして「酸欠状態やあ〜!」って叫ぶのだ。あまりに疲れてて、自分が酸欠Tシャツを着てる事すら忘れていた。
でも、そう言いながら上り坂なのに走って追い抜いていくんだから元気なもんだ。酸欠なのはこっちの方だぞ。
さらに上り坂をトボトボと歩き続けると、ようやく4つ目の大きな坂のピークに達した。もうあとは下るだけだ。
とは言っても、下り坂でも、下っている事を実感する力は残っておらず、せいぜいフラットな印象だ。
36km地点で見たラップは1km12分をオーバーしていた。のんびり散歩しているスピードだ。もう世も末だ。
そこを過ぎた所に第14給水所があり、ここにはパンがあったが、パンなんて喉を通らなくなっているので、水を少し口に含んだだけだ。
そこを過ぎて、なんとかヨロヨロと走りながら彦島トンネルに入っていく。トンネルの中は暗いから、ますます下っているのかどうかはっきりしない。
でも、さっきまでトボトボと歩くように進んできたのに、なんとなくそれほど苦痛も無く走り続ける事ができる。なんだか不思議な感覚だ。これは下っている証拠だろう。
自分だけでなく、周囲のランナーも走っている。先ほどまでみんな揃って歩いていた事を考えると、やはり下っているのだろう。
彦島トンネルを抜け、なおもヨタヨタと走り続けると、ようやく下り坂が終わって38km地点となる。
そこを少し過ぎた所に第15給水所があったが、ここは水だけだ。もうゴールまで残り少ないので水も不要だろうと思い、パスする。給水所に立ち寄るのも面倒と言うか大変になってきたのだ。
その後は、再び関彦橋を渡る。ほんの5mか10mの高さの低い橋なのに、往路と同じく大変だ。いや、往路ではしんどいながらも走って上ったが、もう走る力は残っていないため、トボトボと歩いて上る。
橋を降りたらぐるっと回って橋の下をくぐり、港湾地区に入っていく。
そこに40km地点があり、この5kmの平均ラップは1km9分くらいだった。
スタートからのタイムは既に5時間をオーバーしている。しかし、この先、歩かなければ5時間半は切れる。5時間半を切る事に何にも意味は無いけど、何か目標が無いとすぐに歩き通してしまいそうだ。
さきほど5時間半のペースランナーに追い抜かれたが、その後、視界から消えてしまった。だいぶ前にいるのだろう。彼らはグロスタイムの5時間半でゴールするから、その差かもしれない。
40km地点を過ぎた所には第16給水所があった。ここは水分と飴のほか、チョコレートやバナナや竹輪があったが、ゴールも近いので水だけ少し口に含んだ。
ここまで来たら、後は町中をクネクネと何度も曲がりながらフラットな道を走るだけだ。ことさら励みになる事も無いけど、なんとか走り続ける事だけは可能な気がするので、思考回路を停止して走り続ける。
〜 ゴール 〜
最後に海峡メッセ下関にある海峡ゆめタワーをぐるっと回って最後のコーナーを回ると、ようやくゴールゲートが見えてくる。
いよいよラストなので、気持ちよくスパートする。て言うのは不可能だけど、なんとか走り続けて万歳ながらゴールした。
ゴールするとフィニッシャータオルをかけてもらい、メダルや水を貰う。
他のメンバーを探したかったが、その辺りに滞留することはできず、ところてんのように先へ先へ押し出されていく。
押し出された先にフク鍋のお接待があった。どうせフグの身の小さなかけらが入ってるくらいだろうと思ってたら、なんとフグが丸々2匹入っていた。暖かくてとても美味しかったんだけど、疲れてなかなか喉を通らないので、お替わりは遠慮した。
それから貴重品袋を受け取り、スマホで連絡を取り合って他のメンバーと落ち合う。
(のら)「どうしたのよ?あまりに遅いから倒れてるのかと思って心配したよ!」
(幹事長)「自分でも原因が分からないけど、足が動かなくなったんよ」
結局、タイムは驚愕の5時間半弱だった。トンでもない空前絶後の大撃沈だ。
後で調べてみたが、超過激なコースのため4回出場して4回とも5時間オーバーの脱藩マラソンと、超過酷な気象状況のため3回出場して3回とも5時間オーバーの那覇マラソンを除いて、5時間をオーバーしたのはお腹を壊してトイレに籠った時くらいだ。
今日はいくら大きな坂が4つも連続するとは言え、脱藩マラソンのような超過激なコースではないし、暑くもなく寒くもない絶好の気象状況だったし、お腹も壊さなかったと言うのに5時間半だなんて、何が起きたのか理解不能だ。
このマラソン大会には魔物が潜んでるんだろうと思って他のメンバーのタイムを聞いてビックリ!
なんとのらちゃんは普通に4時間半を切っていた。去年の神戸マラソンより速かったのだ。
D木谷さんやO野選手やピッグも、素晴らしく良いタイムではなかったが、決して悪いタイムではなく、普通のタイムだった。
劇的に悪かったのは私だけだ。一体、どういう事なんだろう!?
後半は足が重くて動かなくなったけど、足が痛くなった訳ではない。足が痛くなると、辛くて辛くて、足を引きずりながら歩かなければならなくなる。もっとひどい時は歩くのも不可能になって止まってしまう。
今日は最後まで足が痛くはならなかったので、それほど辛い思いはしなかった。
しかし、足が重くて重くて、後半はほんの少しの傾斜の上り坂でも徹底的に歩いてしまった。歩いたらタイムが悪くなるのは当たり前だ。
フラットなコースなら足が痛くさえならなければ最後まで歩かずに済む。ペースは極端に落ちて歩くようなスピードになったとしても、痛くさえなければゆっくり走り続けることができる。
しかし、今日は上り坂が多かったため、ものすごく歩いてしまった。後半の半分は上り坂だったから、トータルで10kmは歩いてしまっただろう。
(のら)「私は一歩も歩かなかったよ」
(幹事長)「えっ!そうなん!?」
あんなに激坂がたくさんあったのに歩かなかっただなんて、凄い、凄すぎる。
て言うか、もしかしたら、大した激坂ではなかったのかも。
(D木谷)「幹事長が言うほど大変なコースではなかったですよ」
(幹事長)「やっぱりそうなのか!」
激坂だと思って苦しんだが、それは単に私の調子が極端に悪かったからのようだ。
とは言え、後から結果を確認したら、男子年代別部門では、ギリギリでかろうじて半分より上だった。嘘みたい。やっぱり厳しいコースなのかも。
〜 反省会 〜
辛く悲しい大会だったが、とりあえずお風呂に入ってサッパリしたい。
大会会場の近所にある銭湯を紹介したチラシが大会事務局から送られてきていたので、それを見ながらお風呂屋さんを探す。
大会会場から歩いていける所もいくつか紹介されていたが、そういう所は混雑しているだろうと思い、車でないと行けない離れた所にある弁天湯というお風呂屋さんに行ってみた。
昔ながらの銭湯で、小さな丸い浴槽があり、なかなか気持よかった。
銭湯なので、本来は石鹸やシャンプーは持参しなければならないが、D木谷さんが持っていないと言うと、親切な番台のおばちゃんが石鹸とシャンプーを貸してくれた。
(幹事長)「銭湯に行くから石鹸とかは持ってきてねと事前に言ってたでしょ?」
(D木谷)「いつも持っていかないんですよ」
なんと、庵治マラソンの後にいつも行ってる湯楽温泉など石鹸が無い温泉に行く時も、D木谷さんは石鹸なんかを持たずに行ってたんだそうだ。
(幹事長)「それで出るのが早いんですね」
(D木谷)「幹事長が長すぎるだけですよ」
お風呂の後は夕食だ。
すぐ近くに唐戸市場ってのがある。下関で有名な所のようで、友達からもぜひ行くように言われていた場所だ。
海が見えるウッドデッキが敷き詰められた気持の良い場所で、海を見ながらフグ料理を食べた。見た目はショボかったが、フグの刺身がとてもとても美味しかった。これまで立派な料理店で食べたふぐ刺しよりも美味しかった。
しかし、浮かれていられる状況ではない。反省しなければならない。
3月の徳島マラソン以来、8ヵ月ぶりのフルマラソンは、空前絶後の大撃沈となった。
理由が全く分からないのが絶望的だ。
(ピッグ)「老化ですか?」
(幹事長)「たった8ヵ月でそんなに急激に老化するか?」
(のら)「私は老化してないよ」
序盤のペースは徳島マラソンより遅かったくらいなので、序盤に飛ばし過ぎた訳ではない。それなのにどんどん失速していった。
どうすれば良いのか皆目見当がつかない。
1ヵ月後には再びフルマラソンの那覇マラソンがある。それまでに、なんとか解決の糸口を見つけ出さなければならない。
お風呂でサッパリし、お腹も満腹になったら、後は車の中で爆睡して帰るだけだ。
(ピッグ)「ちょっとちょっと、私は運転がありますけど」
(幹事長)「助手席のO野選手は運転手の相手をしといてね」
なーんて言ったけど、今まさに日本シリーズ真っ盛りだ。
昨晩、我らが阪神タイガースはオリックスに負けてしまったので、両者3勝3負で今日の最終戦で決着すると言うとても重要な試合となった。車の中で爆睡してる場合ではないのだ。
そして、我らが阪神タイガースは大事な最終戦でオリックスに大勝して、遂に38年ぶりの日本一に輝いた。オリックスは去年も日本一になっているから、今年は我慢してくれ。
て事で、空前絶後の大撃沈でどん底の気持ちになっていたのが、一気に晴れやかな気分になった。
(幹事長)「これで心おきなく爆睡できるわい」
(ピッグ)「これこれ」
〜おしまい〜
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