第18回 高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治

〜 女王様 驚愕の3連覇達成! 〜



2023年10月29日(日)高松市庵治町において第18回高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治(庵治マラソン)が開催された。

庵治マラソンは、私たちにとって一番身近な場所で開催される貴重なマラソン大会だ。そのため2006年の第1回大会から2012年の第7回大会まで毎年参加していた。
ただ、その後は他のマラソン大会なんかと日程が重なったり、台風で中止になったりして、あまり参加できていなかった。特に2013年から始まったサイクリングしまなみとは日程が重なる事が多い。
そのため、2012年以降は2016年の第11回大会2019年の第14回大会にしか出られなかった。
2020年も庵治マラソンとサイクリングしまなみの日程が重なりそうだったので、ヤキモキしていた。

それなのに、ああ、それなのに、なんと2020年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで庵治マラソンサイクリングしまなみもどちらも中止になってしまった
このマラソン大会の中止騒動は全国的なもので、日本中のあらゆるマラソン大会が次々と中止になっていった

これらのマラソン大会中止騒ぎってのは、どう考えても、あまりにも非科学的で情緒的でヒステリックな対応だ。
このようなヒステリックな動きに対抗するため、我々はマラソン大会を自主開催する事にした。その第1号が、2020年の第43回オリーブマラソンだった。
それ以降、中止になったマラソン大会はことごとく自主開催を続け、この庵治マラソンも2020年の第15回大会2021年の第16回大会(日程の都合で開催は2022年1月)と2年連続で自主開催を続けた。

そして
2022年になって、ようやくコロナのバカ騒ぎが収束し、全国的にマラソン大会が復活し始めた
国民の多くが理解するまで3年もかかったが、ようやくコロナなんてただの風邪に過ぎないっていう理解が進んできたからだ。
ところが、人口が密集している大都市の東京や名古屋で大規模マラソンが開催されたのに、なぜか田舎で沿道の観客だってスカスカの四国で開催されるマラソン大会は3年連続の中止が続いた。
四国の自治体はマラソン大会の開催について極めて臆病だったのだ

しかーし!
この
庵治マラソンは四国のマラソン大会としてはいち早く3年ぶりに復活した!
四国のマラソン大会で復活したのは、庵治マラソンが脱藩マラソンに次いで2つ目だ。(注:あくまでも私が知ってる範囲の大会です。たぶん他にも開催された大会があるとは思います)。

て事で、
庵治マラソンは2022年に目出度く3年ぶりの正式なマラソン大会として開催された
そして、
今年は復活後2回目の開催だ。
目出度い事だ。

ただ、従来は9月初旬に開催されていた酸欠マラソンが今年は10月1日の開催になったため、10月はほとんど休む間もなくマラソン大会が続いてきた。いくらなんでも、こりゃ厳し過ぎる。
さらにその後も、スケジュールが立て込んで大変な事になっている
 10月 1日 酸欠マラソン
 10月 8日 脱藩マラソン
 10月15日 こんぴら石段マラソン、四万十ウルトラマラソン
 10月29日 
庵治マラソン
 11月 5日 下関海響マラソン


(幹事長)「完全に川内優輝状態やがな」
(支部長)「本番が練習代わりと言いたいところやけど、どんどん疲れが溜まってきたな」


なお、我々はコロナのバカ騒ぎで中止になっていた期間も庵治マラソンを自主開始しており、回数をカウントし続けてきたので、このホームページでは自主開催した2020年の大会を第15回大会2021年の大会を第16回大会と銘打ってきた。
その後、復活した正式大会は2022年の大会を第17回大会、今回の
2023年の大会を第18回大会と銘打っている。
一方、大会事務局は中止が続いたため困ってしまい、第何回目なのかの表示は止めて2023年大会としか銘打っていないが、ま、気にしない。


〜 コース 〜


庵治マラソンのコースは12kmだ。
クォーターマラソンと言うのは、本来はフルマラソン(42.195km)のクォーター(1/4)の距離、つまり10.54875km(=約10.55km)を走るものだ。
ハーフマラソンがフルマラソン(42.195km)のハーフ(1/2)の距離、つまり21.0975kmを走るのと同じ考えだ。
ところが、庵治マラソンはクォーターマラソンっていう名前が付いてるのに1/4の約10.55kmじゃなくて12kmのコースだ。

実は、かつて庵治町が存在していた時は、庵治マラソンのコースは10kmだった
でも、「10kmレース」って言うと、なんだか陸上関係者だけのマニアックな競技会のような響きがあるので「庵治マラソン」と称していた。
名前からでは距離が分からないが、フルとかハーフとかクォーターとか言わずに単に「マラソン」と銘打っている大会は数多く存在するので、それでも混乱は無かった。

一方、その頃、高松市は屋島の周りを一周する12kmコースの屋島一周クォーターマラソンてのを開催していた。
距離が12kmもあったので、本来ならクォーターマラソンとは言えないんだけど、なぜか単なる「屋島一周マラソン」ではなくて「クォーターマラソン」と銘打っていた。単なる「マラソン」ってのより、なんとなく格好いいからだろう。
屋島を一周するコースなので距離を短くすることはできなかったが、フルマラソンの1/4より多少は長いとは言っても、誤差の範囲と考えられるので、大きな問題にはならなかった。

その後、庵治町が高松市に吸収合併されたとき、この2つのレースも合体してしまった
どちらも残してくれたら良かったんだけど、もともと香川県の自治体は高知県なんかと違ってマラソン大会にはさほど熱心ではない。
なので、庵治町と高松市が合併したのを良い事に、マラソン大会まで合体させてしまったのだ。
ちなみに塩江町が開催していた塩江温泉アドベンチャーマラソン大会も、塩江町が高松市に吸収合併されたため廃止になってしまった。

屋島一周クォーターマラソンを合併吸収した庵治マラソンは、名称を「高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治」に変えた。
そして、場所庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周クォーターマラソンの12kmを引き継いだ。

(のら)「場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周と同じ12kmにしたってのは分かるけど、なんでクォーターマラソンって名前まで引き継いだの?」
(幹事長)「血みどろの争いがあったんよ」

合体した後にクォーターマラソンて名前を受け継ぐんだったら、距離は以前の庵治マラソンの10kmのままで良かったと思うのに、わざわざ12kmに延ばしたのは屋島勢の意地だろう
場所を庵治勢に譲った屋島勢としては、メンツを保つためにクォーターマラソンという名称と12kmという距離は譲らなかったのだ。
屋島一周の時は地形上の問題で距離を10.55kmにする事はできなかったが、庵治で開催するのなら従来の10kmコースでもいいし、少しだけ延長して10.55kmにする事も可能だ。
それなのに、わざわざ距離は12kmに延長して、なおかつクォーターマラソンという名称を引き継いだために矛盾が白日の下にさらされたのだ。

(のら)「誰か問題視してる人って、いるの?」
(幹事長)「距離が延びて激坂が組み込まれたから大問題だわさ」


距離が10kmから12kmに延長されたため、以前の庵治マラソンのコースに比べ、折り返し点まで1km、往復で2kmの延長となった。
そして、延長された往復2kmの区間が激坂区間なのだ。

コースは、会場の旧庵治町役場から少し走って、庵治半島の沿岸を走る県道36号線に出たら、そのまま沿岸を6km走って折り返してくるというシンプルなコースだ。太い脇道や交差点が無いから、とても分かりやすいコースだ。
折り返し点の辺りは、周囲に何の建物も無い森の中を走る道になるので何の目印も無いが、正式な大会では大きな三角コーンが立っているので間違う余地は無い。

屋島一周クォーターマラソンのコースは坂がとてもなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しい。
コース片道の途中に坂が3つと言うか4つある

(のら)「3つなの?4つなの?」
(幹事長)「数え方で変わるのよねえ」

1つ目の坂は単純に上がって下るだけだ。
2つ目の坂は、複合的に細かなアップダウンがあってダラダラ続き、もう終わったかなと思ったら続けてさらに一段高い坂が待っている。これら一連の坂を全部合わせて2つ目の坂と捉える事もできるし、一段高い坂を3つ目の坂と捉える事もできる。
その後、3つ目もしくは4つ目の坂があるが、これは1つ目の坂と同じく単純に上がって下るだけだ。

途中にあるこれら3つもしくは4つの坂が終わると、最後に5km地点辺りから始まるラスボスの巨大な坂がある。坂の距離は約1kmもある。
かつて庵治マラソンが10kmコースだった時は、最後の巨大な坂が始まる手前の5km地点で折り返していたため、最後の巨大な坂を走らずに済んでたんだけど、屋島一周と合体してコースが片道1km延長になったため、この巨大な坂を1kmも延々と上らなければならなくなったのだ。

このラスボスの坂はひたすら登り続けるんだけど、1kmほど走ると少しフラットになる。そして、ちょうどそこだけガードレールの色が白から茶色に変わっている。そこに折り返し点がある。
折り返した後は、巨大な坂を下り、再び途中の3つ(もしくは4つ)の坂を越えて町の中心部に戻ってくる
最後は、ゴール間近になったところで、県道36号線から役場がある区画に戻ってくる。


〜 会場へ到着 〜


今年の参加メンバーは幹事長、支部長、D木谷さん、のらちゃん、ゾウさん親子、ピッグ、長谷選手、O野選手だ。
このうち幹事長、支部長、D木谷さん、のらちゃん、ピッグ、長谷選手は去年に続いての出場だ。

ゾウさんはジュニアが成長したので、今回、初めて親子で出場する。出場するのは3kmファミリー部門だ。これは親と子供が一緒に3km走るレースで、庵治マラソン特有の種目だ。
親と子は一緒に手をつないでゴールしないといけないので、親と子のどちらかだけが速くても駄目だ。

(ゾウ)「ちゃんと走れるかなあ」
(幹事長)「子供に負けたらいかんよ」


O野選手は今年の春からマラソンを始めたばかりなので、今年が初参加だ。
実は、このほかに往年のエースランナー石材店が久しぶりにエントリーしてたんだけど、体調が悪くなって欠場となった。まことに残念だ。

庵治マラソンの会場は旧庵治町役場だ。
12kmの部のスタートは10時40分だが、駐車場がいっぱいになると困るので、かなり早いけど集合時間は9時にした。

(ゾウ)「親子で走るファミリーの部は10時10分がスタートですから早くはないですよ」

そうだった。12kmの部はファミリーの部が終わってからのスタートになるから、ファミリーの部のスタート時間は40分も早い10時10分だった。

庵治町は高松市内から近いので、全員が乗り合わせていく必要はないが、のらちゃんは丸亀から車で来るので、8時に私を途中で拾ってもらった。
車は順調に進み、8時半前に会場に近い庵治中学校のグランドの臨時駐車場に車を停めることができた。

会場に早々に到着して、しばらくすると支部長D木谷さんを乗せて到着した。
さらにピッグO野選手らも到着した。
ゾウさん親子はファミリーの部に出るから、駐車場が庵治中学校ではなく臨時駐車場が指定されており、そこからシャトルバスでやってきた。
さらに長谷選手が職場の先輩のT橋選手を乗せて到着した。

T橋選手はマラソン大会は全くの初めてだそうだ。庵治マラソンは小規模なこじんまりとした大会なのに、「お祭りのように賑わってますねえ」と感心していた。
思い起こせば30年近く前、初めてのマラソン大会として瀬戸内海タートルマラソンに出た時、想像もしてなかったような賑わいにビックリした。沿道の声援も大きいし、天気が良くて気持ちよかった事もあり、一気にマラソン大会の大ファンになってしまった。
今から思えば、瀬戸内海タートルマラソンだって当時は小規模な大会だったが、初めての人間にとっては「こんな楽しい世界があったのか」って驚いてしまう。T橋選手も同じように、これでマラソン好きになってくれたら良いな。

会場に着いたら、まずは受付だ。
去年は100%何の意味も無い形式だけの健康チェック表を提出しなければならなかったが、さすがに今年は無くなった。
ゼッケンやタイム計測チップなんかは事前に送られてきているので、受付で貰うのは参加賞のTシャツと参加者の名前が記載されたプログラムだ。
先日の脱藩マラソンではTシャツも事前に送られてきていたが、庵治マラソンではTシャツは当日の受け取りだ。Tシャツまで郵送したら送料が高くつくからかもしれない。
また、脱藩マラソンもプログラムは事前の送付は無くて、当日に配布されていた。プログラムの作成はギリギリにならないと終わらないのかもしれない。

参加賞がTシャツになったのは喜ばしい事だ。これまで庵治マラソンの参加賞はくせ者だった。
この大会の前身だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、参加費が僅か1000円だったにもかかわらず、素晴らしく立派なスポーツバッグをくれたりしていた
ところが、庵治マラソンになってからは、参加費が2500円にアップしたにもかかわらず参加賞は逆にとてもセコくなってきた
以前と同じように何かの残り物なんだけど、参加者が多くなって参加賞の数も多く必要になったためか、爪切りとかコカコーラの小さなタオルとか、本当にガッカリするものが多かった。

それが、2016年には初めてのオリジナルの参加賞として庵治マラソンの名前が入ったタオルが登場し、2019年は遂に庵治マラソンの名前が入ったオリジナルTシャツ(えんじ色)が登場した。
さらに、タンスの引き出しから、もう1枚オリジナルTシャツ(紺色)が出てきたが、過去の記事には記載されていないから、いつ貰ったのか分からない。
台風で中止になった2017年大会の参加賞が紺色のTシャツで、後から送られてきたのかもしれない。

この流れから言うと、正式大会が復活した2022年も当然のようにオリジナルTシャツを期待してたんだけど、なんと時代を逆戻りし、2016年と同じ庵治マラソンの小さなタオルとなった。
ただ、庵治マラソンは参加費が値上がりしなかったからやむを得ない。
近年、マラソン大会の参加費の値上げは著しい。何年か前に京都マラソンの参加費が2万円になったときは呆れて顎が外れた。
さらに、ここのところ、コロナウィルス対応だとかもっともらしい言い訳をしながら、あらゆるマラソン大会の参加費が異常なまでに高騰している
先日の脱藩マラソンは山奥のマイナーなマラソン大会なのに9000円もしたし、来週の下関海響マラソンは13000円もする。

(幹事長)「もう貧乏人はマラソン大会に出られなくなってしまいました。しくしくしく」
(支部長)「同じですぅ。しくしくしく」
(のら)「二人とも後ろから刺されるよ」


このようなドサクサに紛れた値上げラッシュの中で、庵治マラソンは以前と同じ2500円のままだ。こじんまりした大会なので経費も少ないとは思うが、とても良心的だ。
なので、参加賞が小さいタオルであっても構わない。
と思っていたのに、今年は久々に参加賞が再びTシャツになった。素晴らしい事だ。


〜 スタート前の準備 〜


ここのところ毎日良い天気が続いており、今日の天気予報も晴れだった。そして、朝起きると、天気予報通りの晴天だった。
10月のマラソン月間では酸欠マラソン脱藩マラソンは雨模様だったが、こんぴら石段マラソンに続いて今日は晴天の下、気持ちよく走れそうだ。
しかも、気温は少し低めだ。今の時期は、晴れると炎天下になって厳しい戦いになりがちだが、今日は走りやすそうだ。まさに絶好のマラソン日和だ。
とは言え、個人的な嗜好で言えば、本当は私は炎天下のレースが大好きだ。

(支部長)「タイムはアホみたいに遅いけどな」

もちろんタイムは冬の寒い時期のマラソン大会の方が良いタイムが出る。寒い方が走りやすいのは間違いない。
でも、個人的な嗜好で言えば、寒い中、辛いのを我慢して走るのより、炎天下で汗を吹き出しながら走る方が楽しい。

スタートまでまだ2時間近くあるので、今日はゆっくり着替えができる。なーんて言っても、着替えは早い。この時期のレースは、着るものに悩む余地が無いからだ。
もちろん、ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。だが、しかし、今日は悩む必要は無い。

(のら)「今日は珍しく着るもので悩まないのね?」
(幹事長)「今日は半袖Tシャツ以外に選択の余地はないやろ」

この時期は天気が良くて炎天下のレースになりそうな時でも、さすがに秘密兵器のメッシュのシャツを着るほどではない。そこまで暑くはならない。
逆に、酸欠マラソン脱藩マラソンは雨模様だったため、寒さ対策でアームウォーマーを着けたり、長袖シャツと半袖Tシャツを重ね着したりしたが、今日はそんなものも必要は無い。
仮に雨が降ったとしても、たかが12kmの短距離レースなので、寒くなる前に終わってしまうから、長袖は必要ない。
ましてや、今日みたいな涼しい晴天だと、何も悩む事なく半袖Tシャツで決まりだ

(支部長)「距離に関係なく、何を着たってタイムに変わりはないんやってば」

着るのは今月初めの酸欠マラソンで貰ったピンク色の「酸欠Tシャツ」だ。背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインのTシャツだ。
のらちゃんも同じものを着ている。

足はタイツを履こうかどうしようか迷うところだ。最近はランニングタイツを履く選手が多く支部長のらちゃんはいつも履いている。
私は以前はランニングタイツのサポート機能を全く信じてなかったので、タイツはあくまでも防寒用として位置付け、寒い時以外は履かない主義だった。
しかし、2019年の龍馬脱藩マラソンで、一緒に走っていた航路さんからタイツの機能を教えてもらった。彼によると、タイツを履くと筋肉の無駄な動きが抑制されて疲労が防止できるのだそうだ。
テーピングも同じ効果があるとのことだが、航路さんは元陸上部なので、彼の言う事なら信用できる。
ただ、今日はタイツを履くと暑そうなので、同じ効果を期待できる脹脛サポーターを履いた。

支部長は暑がりのくせにアームウォーマーを着け、タイツを履いている。
のらちゃん長袖シャツの上に半袖Tシャツを着て、タイツも履いている。
ゾウさんO野選手アームウォーマーを着けているが、足は素足だ。
長谷選手アームウォーマー脹脛サポーターを着けている。
T橋選手長袖シャツの上に半袖Tシャツを着てるけど、足は何も履いてない。
D木谷さんピッグは腕や足には何も着けていない。

(幹事長)「みんなバラバラやな」
(支部長)「色々と考えるところがあるんやろ」


ランニングキャップは嫌いなので、炎天下か雨の時しか被らないから、今日は不要だ。もちろん、こんな日には手袋も不要だ。
顔を拭くハンドタオルティッシュを短パンのポケットに入れたら、準備完了だ。

全員、着替えが終わったところでスタート前の記念撮影を行う。

記念撮影
(左から長谷選手、O野選手、D木谷さん、T橋選手、ピッグ、のらちゃん、支部長、ゾウさん親子、幹事長)


まだまだスタートまで時間があるなあと余裕をかましていたら、3kmファミリー部門のスタート時間が近づいていた。スタートは10時10分だ。
急いでゾウさん親子がスタートラインに整列する。
ジュニアは小学校に入ったばかりなので、マラソン大会はデビュー戦だ。いつもはふざけ回っているジュニアだが、さすがにかなり緊張して顔がこわばっている。

ファミリーの部は、小学生が親と一緒に走るんだけど、小学生だからと言ってバカにしてはいけない。速い子は、もうめっちゃ速い。
前の方には、見るからに速そうな親子が陣取っている。緊張の一瞬だ。彼らはスタートの合図と同時に、ものすごい勢いで飛び出していった。
3kmなので最初から最後まで全力疾走って感じだが、子供は最初はペース配分なんか考えずにすごいスピードで飛ばすが、子供なので持久力が続かずペースダウンする場合も多い。

(支部長)「幹事長と同じやんか」
(幹事長)「わしにガキんちょみたいなスピードは無いぞ」


私も気持ちは全力疾走だが、第三者から見ると、タラタラ走っているようにしか見えない。

しばらくすると、早くもトップの親子が帰ってきた。なんと11分25秒だ。1km平均3分50秒弱だ。さらに12分以内に5位までの親子が帰ってきた。
私なら、北山林道駆け足大会のものすごい傾斜の下り坂で出るか出ないくらいのペースだ。

しばらくすると、ゾウさん親子が返ってきた。小学校1年生のジュニアはヘロヘロだが、それでも20分を切っている。

(のら)「すごいやん!」
(ジュニア)「ゼイゼイゼイ(まあな)」
(のら)「これだけ走れるんなら満濃公園リレーにも出られるね」
(ジュニア)「ゼイゼイゼイ(楽勝やな)」


て事で、来年の満濃公園リレーマラソンにはゾウさんは親子で出場する事が決まった。


〜 スタンバイ 〜


ファミリーの部が終わったら、いよいよ12kmレースのスタート時間が近づいてきたので、スタートラインに移動する。
12kmレースの参加者は男子549人、女子150人の合計699人で、マラソン大会としては小規模なので、それほど大混雑にはならない。

ここらで本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは距離が短いし、また坂が厳しいコースだから、他のレースとの比較はできない。

なので、目安はあくまでも過去のタイムだ
この大会には2006年の第1回大会から毎年参加していた。最初の4年間は毎年、着実にタイムが縮まっていき2009年の第4回大会では1時間0分台のタイムを出し1時間切りが目前に迫っていた
だが、その後はV字回復の反対で、V字型に悪化し、毎年着実にタイムが悪くなって、1時間の壁はどんどん遠ざかっていった。
同じ距離だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、調子が良ければ1時間を切った事もあるので、1時間切りというのは非現実的な目標ではないと思うのだが、屋島一周のコースは坂がなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しいので、容易ではない。

距離が12kmなので、1時間を切るには1km5分を切るペースとなる。坂が無い区間なら可能なペースだが、坂が厳しい庵治マラソンでは、全ての区間を1km5分を切るペースで走り続けるのは難しい。というか不可能だ。
なので、フラットな区間では、もっと速く走って貯金しなければならない。そのためには、序盤から速めのペースで突っ込む必要がある

ただし、坂がきついと言ったって、夏場の山岳マラソン4連戦のコースに比べたら大したことはない。
5km地点から1km続く坂は最大斜度20%、平均斜度10%もある急坂だが、平均斜度10%程度の坂が何kmも続く北山林道駆け足大会四国のてっぺん酸欠マラソン龍馬脱藩マラソンに比べたら坂の距離が短いからだ。
また、坂はあるけど全体の距離が12kmと短いから、フルマラソンやハーフマラソンのようにレース展開の作戦を考える必要はない。序盤は抑えて走る、とかいったペース配分を考える必要はなく、ただひたすら最初から最後まで全力で走るだけだ。
作戦を考える必要が無いというのは、精神的には楽だ。何も考えず、ただひたすらに全力疾走すればいいだけだ。
もちろん、本当に全力疾走しているのか、と言われれば、それはあくまでも主観的なものであり、他人が見たらチンタラ走っている程度だろう。
でも、「こんなに無理したら後になって足が動かなくなるんじゃないか」なんてペース配分を心配せずに、何も考えずに、その瞬間その瞬間における全力を出して走ればいい、という意味での全力疾走でだ。

てな訳で、とりあえずこのレースのタイムの目標は1時間切りだ。
とは言いつつ、そう簡単には1時間は切れそうにないのが現実だ。
去年も1時間切りを目標にしていたのに、1時間を切れなかったどころか、初出場でどんなコースなのか全く予備知識が無くて大惨敗した2006年の第1回大会のタイムより悪い大会ワースト記録を更新してしまった。
1時間なんて遥か遠くに及ばない。

(支部長)「老化が進んでるんやから、もう諦めたらどう?」

支部長に言われるまでもなく、2009年以降、毎年着実にタイムが悪くなっている要因と言えば、老化しか無い。

(支部長)「練習不足もあるやろ」

支部長に言われるまでもなく、特に今年は7月の北海道、8月後半の東北地方、9月下旬の南アルプス最南部と、遠方への長期の登山遠征が続き、さらにその合間を縫ってみんなで尾瀬登山にも行ったため、ランニングの練習がとても少なかった
なんと7月も8月も9月も、月間走行距離は100kmにも満たなかった。去年でさえ月間走行距離が100kmを下回ったような月は無かった。
月間走行距離が100kmにも満たなかったのは、6年前の2017年春に登山で滑落して靭帯を損傷した時以来だ。

これらを考えあわせると、1時間切りは極めて非現実的だろう。
でも、他に目標も見つからないので、とりあえず1時間を目指して走るしかない。

(支部長){現実的には、去年のタイムを目標にしたらどうや?」
(幹事長)「あんな大惨敗タイムを目標にはしたくない!」

一方、のらちゃんには明確な目標がある。女子年代別部門での大会3連覇がかかっているのだ。
彼女は2019年大会で女子年代別部門で堂々の優勝を飾り、表彰式でゲストの土佐礼子さんから賞状が授与され、さらに名産の庵治石で出来たメダルも授与された
その後、コロナのバカ騒ぎで大会は2年間中止になっていたが、3年ぶりに復活した2022年大会でも女子年代別部門で優勝し2連覇を成し遂げた

彼女には2回連続で熾烈に優勝を争ったライバルいる。県内随一の超有名ランニングクラブに所属する女性だ。
のらちゃんが参戦する前の2018年までは圧勝で優勝してたんだけど、のらちゃんが彗星のごとく現れて優勝をかっさらってしまったのだ。
前回の2022年は、最後の県道36号線から旧役場に入ってくる曲がり角で後ろから追い抜かれそうになったので、死に物狂いで走り、なんとか数十cmの差で先にゴールして逃げ切るという心臓が止まりそうなレースだった。
今年も白熱した戦いを繰り広げそうだ。
ただし、年代別部門には毎年、年代別部門の年代に達した若い人たちが新たに入ってくるので、ライバルに勝ったとしても、新たな世代に負ける可能性はある3連覇は決して簡単ではないのだ。

辺りを見回してみると、のらちゃんのライバルは今年も最前列に陣取っている。
我々の場所からは少し離れているが、タイムはネットタイムでの争いになると思うので、焦らずに後ろから攻めていく。

空は晴天なので、人ごみの中で並んでいると暑くなってきた。気温は割りと低めだけど、かなり暑くなるかもしれない。


〜 スタート 〜


いよいよスタートとなり、ピストルの音と同時にランナーが一斉に飛び出す
旧役場の前をスタートして少し走ると、庵治半島の沿岸部を一周する県道36号線に出る。あとは折り返し点までひたすら走るだけだ。

支部長から「最初からバカみたいに飛ばすとすぐにペースダウンするぞ」と忠告を受けているので、それほど無茶苦茶ハイペースで走っている訳ではないが、まあまあのペースで走れているような気がする。
なんとなく足が軽く、今日は調子が良いような気がする
なーんて思ってたら、早くもピッグが追い抜いている。着いて行こうかとも思ったが、かなりスピード差があるので、序盤から無理するのは止めにした。
自分では調子が良いのかと思ったけど、こんな早々にピッグに抜かれるなんて、それほどでもないようだ。
スタート直後は混雑しているから、他のメンバーは分からなかった。

最初の1km地点でのラップは、5分を少しオーバーしている。以前なら最初の1kmはフラットだから5分を切っていたので、やはりペースは確実に落ちている。全然、快調じゃないじゃん。
このフラットな区間で5分を切れないようだと、上り坂ではもっともっと遅くなり、平均でも1km5分は絶対に切れないから、トータルでの1時間切りは不可能になる
なので、頑張って走ろうとするんだけど、情けないが足が動かない。

最初の1kmはフラットな区間だが、そこから先は坂が次々と現れる
1km地点を過ぎると、まずは最初の坂が現れる。以前は負担感のあった坂だが、山岳マラソンを数多くこなしている今となっては、これくらいの坂はそれほどきつくはない。
なーんて思うんだけど、スピードは明らかに落ちていく。
すると、ここまですぐ後ろを走っていたのらちゃんがスッと追い抜いていく。さすがに、これはあっさりと先行を許したらズルズル落ちていきそうなので、なんとか着いていこうとするが、少しずつ差がついていく。
しかし、上り坂が終わると、再びスピードアップする事ができ、坂のピークでのらちゃんに追いつき、下り坂で一気に抜き返した。大股でスタスタ駆け下りていくのは気持が良い。

このレースは距離は短いが、給水所は何ヵ所か設置されている。以前は、たかが12kmレースなので、飲んだ水が身体に回るまでにはゴールしてしまうので、少しでもタイムを稼ぐため全てパスしていた。
でも最近は、足攣り防止のため最初の給水所からすべての給水所で水分補給するようにしている。給水所で紙コップを取るのはとてもうまくなり、ほとんどタイムロスなく手早く取って飲む事ができるようになった。
今日も最初の給水所から素晴らしく手早く紙コップを取り、タイムロス無く水を口に入れて、自分ながら自分の手際に惚れ惚れする。

最初の坂を下りるとしばらくフラットな区間が続き、次の坂の手前で2km地点になる。坂の上り下りがあったため、この1kmは5分半近くにまで落ちていた。
2km地点を過ぎると、再び上り坂となる。上り坂になると、とたんにペースダウンしたようで、すぐにのらちゃんが再び追い抜いていく。早くも着いていく力は無くなっているので、少しずつ背中が遠ざかっていく。
小刻みなアップダウンがダラダラ続き、しばらく走っていると、のらちゃんのライバルの背中が見えた。去年は彼女に負けたが、今年はこんな早々に追いつくなんて、調子が悪そうだ。
彼女を追い抜いて3つ目のピークに上がったところに3km地点がある。上り坂が多かったせいか、なんとこの1kmは6分近くかかっている。いくら上り坂があったと言っても遅すぎる!

のらちゃんは私と同じ良く目立つ酸欠Tシャツを着ているので、遠くなっても分かりやすいが、それでもだんだん背中が小さくなっていき、最後には分からなくなってしまった。
なんとか追いつこうと一生懸命走っているつもりでも、それほど呼吸は苦しくはない。つまり、全力とは言えないような気がする。でも足がこれ以上、速く動かない。足としては全力なのだ。

3kmを過ぎると、細かなアップダウンの後に大きく下り、その後、4つ目のピークを上ったところに4km地点がある。
この1kmはなんとか少しペースアップできたが、大きな下り坂があったんだから、もっとペースアップしたかったところだ。

4km地点を過ぎてしばらくはフラットな海岸線が続く。庵治マラソンは基本的に木陰の少ないコースだが、特にこの直線区間は木陰が全く無い
そのため、今日は暑くなるかなと心配していたが、空気が冷たくて、そんなに暑くはない。気持良い絶好のコンディションだ。なのにペースは上がらない。
ここで会社の後輩のK野くんが追い抜いていく。

(K野)「酸欠マラソンのTシャツですか?」
(幹事長)「ええやろ?もう一人前の方を走ってるから見つけてね」


しばらく走ると、いよいよ最後の巨大な坂が現れ、それを上り始めたところに5km地点がある。
この1kmは再び6分近くかかっている。もう完全に絶望的だ。

最後の巨大な坂は、以前は目の前が真っ暗になるほどの絶壁に感じられたが、夏場の山岳マラソン4連戦をこなしている今となっては、以前ほどは絶望的でない。でも、ペースは明らかに遅い。
坂の途中で、中間地点で折り返してきたD木谷さんとすれ違った。思った以上に差がついている。こんなに早く降りてくるとは思わなかった。
でも、他のメンバーは見つけられなかった。足元の路面を見ながら一生懸命上っていたからだ。

巨大な坂の傾斜度が緩やかになったら、間もなく折り返し点になる。
ここでのらちゃんが折り返してきて声をかけてくれた。これまた思った以上に差がついている。彼女が撃沈しない限り追いつくのは不可能な差だ。
折り返し点は6km地点だ。この1kmは6分を大きくオーバーしてしまった。今日のペースからすれば、当然だろうが、それにしても遅すぎる。

折り返して少ししたら、支部長が走ってくるのとすれ違った。
支部長は今年の春先から足の故障によりランニングの不調が続いていて、7月末の汗見川マラソンでは途中リタイアし、その後はほとんどランニング練習を控えていた。
それなのに3週間前の脱藩マラソンでは、最後の激坂以外では歩かずに完走した。
その後もランニング練習は控えているから、今日も「完走だけが目標」だと言ってたけど、思ったほど差はついてない。
支部長は下り坂がめちゃくちゃ速いから、この程度の差では、あっという間に追いつかれそうだ。手負いの支部長に負けたとなると目も当てられないので、必至で坂を駆け降りる。

でも、そうは思っても、なかなか自分の足が思うように動かないのがまどろっこしい
若い頃は下り坂になると転げ落ちるように走れたのに、今は、まず足が思うように広がらない。もっと足を前に出したいのに足が広がらないから、チョコチョコした動きになってしまう。
それでもピッチを上げられれば良いんだけど、チョコチョコ走っているくせに回転も遅く、スピードは上がらない。ストライド走法もピッチ走法もできない体になってしまった。

大きな坂の下りの終盤7km地点があるが、気持ちではガンガン飛ばしたつもりだったけど、そんなに大してスピードアップはできておらず、この1kmも5分を切る事はできなかった。
この最大の坂の下りで5分を切れなかったら、他の区間で5分を切る事なんでできる訳がない。て事はトータルで1時間なんて絶対に切れる訳がない。て言うか、ものすごい惨敗ペースだ。

巨大な坂の後は海岸線のフラットな直線区間が続き、海からの向かい風が吹き付けてきた。往路では追い風になって気が付かなかったのかもしれないが、なかなか強い風が吹いている。寒くは無いが走りにくい。
再び上り坂に入ったところ8km地点となる。この1kmはほぼフラットな区間だったのに6分近くかかっている。愕然だ。もう完全に力尽きたんだろうか。

その後はアップダウンが繰り返される区間になり、9km地点で見たラップは、なんと再び1km6分をオーバーしてしまった。それほど大した上り坂でもないのに、そんな事ってあるだろうか?
たかが12kmレースなのに、終盤で大撃沈するなんて、情けない。終盤と言ったって、ハーフマラソンなら、まだ序盤を過ぎたところだ。
少しでも時間ロスを減らすために、復路は給水所をことごとくパスする。残りの距離が短いから、もう水分補給は不要だろう。でも、そこまでしているのにペースは上がらない。

気合を入れるために、ここで支部長が言ったように、目標を去年のタイムに切り替える。
とは言え、去年は見たくもない大惨敗タイムだったので、あんまり正確に覚えていない。確か1時間7分台だったが、秒は覚えていない。
とにかく、1時間7分を切れば去年よりはマシなのは確かだ。

次の区間もアップダウンが続きはするが、基調的には下りが多い。しかも、もう残り3kmなので、なんとか頑張って走り、10km地点で見たラップはだいぶ改善した。
残り2kmも同じペースを維持できれば、なんとか1時間7分は切れる。もう残り2kmなんだから、もうラストスパートだと思ってペースアップしようと頑張る

でも、頑張って走ったつもりだったのに、最後の4つ目の上り坂があったせいで、坂を下った11km地点で見たラップは、再び大きくペースダウンして6分近くになっていた。
もう、全然スパートできていない。1時間7分を切るのも無理なタイムになってきた。それでも、うろ覚えの去年のタイムを上回るために、とにかく最後まで頑張って走るしかない。

過去は、最後の1kmは、調子が良い時は1km4分半くらいのペースでフィニッシュしていたし、調子が悪くても5kmは切っていた。でも今日は、やはり思ったほどはペースが上がらない。
ここまで何度も抜きつ抜かれつの熾烈な戦いを繰り広げてきた女性が何人かいて、この最後の最後でも二人の女性と熾烈な競争となった。
ゴールが見えてきた地点で一人に抜かれ、もう一人は抜き返し、そのまま必死でゴールした。


〜 ゴール 〜


最後に1人を抜いたので、なんとなく満足したが、調べてみると、なんと、去年のタイムより4秒遅かった
去年のタイムだって目も当てられない大惨敗タイムだったのに、さらにそれより遅かっただなんて、もう絶望のどん底だ。せめて去年のタイムを正確に覚えていれば、終盤でもう少し頑張れていたと思うんだけど。

一方、のらちゃんは、なんとなんと女子年代別部門で3連覇を達成していた。
永遠のライバルさんは、早々に前半のうちに私も追い抜いていたが、年代別部門には毎年、新しく若い人が入ってくるので、新たなライバルが出現する可能性もある中で、堂々の3連覇だ。

(幹事長)「めっちゃ凄いやん!」
(のら)「もう嬉しくて嬉しくて仕方ないよ!」
(幹事長)「来年は4連覇やな」
(のら)「心臓が痛くなるから、もういいよ」


前々回の初優勝の時は表彰式があったが、去年は表彰式が無くてつまんなかった。
でも今年は表彰式が復活するとの事で、晴れがましい事だ。

一方、D木谷さんは55分台という素晴らしいタイムでゴールしていた。
またO野選手ピッグもギリギリで1時間を切る好タイムだった。

(ピッグ)「初めて1時間を切れたので嬉しいですね」
(幹事長)「わしゃ、もう1時間を切るのは不可能だと悟ったよ」


しばらくすると支部長も帰ってきた。後半も特に足が止まることなく、前半のペースを維持しての完走だ。上り坂でもほとんど歩かなかったそうだ。
ほとんど練習ができてないのに、大したものだ。そこそこ練習した私と思ったほど差がつかなかっただなんて、自分が情けない。
さらにマラソン大会初体験のT橋選手と、そのサポートに徹した長谷選手も帰ってきた。

しばらくすると表彰式が始まり、各部門の上位3名が呼ばれた。もちろんのらちゃんも呼ばれ、表彰された。

女子年代別部門で3連覇を遂げ表彰されるのらちゃん


のらちゃんの隣の隣に座っている3位の人は、私がゴール直前で追い抜いた女性だった。

(幹事長)「て事は、私が女子だったら3位だったって事やな」
(のら)「それって嬉しいの?」


前回はライバルさんに僅か3秒差で勝つという熾烈な戦いだったが、今年は2位の人には1分ほど差をつけての楽勝だった。
本当に素晴らしい。


〜 反省会 〜


レース後は、いつものように春日川の川沿いにある湯楽温泉に繰り出して疲れを癒した。
まさか庵治マラソンの参加者がみんな殺到してるとは思えないが、かなり混雑していた。
それでもレース後に温泉に入るの気持ち良い。身体もさっぱりするし足の疲れも和らぐ。

温泉の後は、いつものように私の好きな春日町市場肉うどんを食べる。ここの肉うどんは、うどんより肉の方が量が多いくらいで、ペース配分を考えないと肉が残ってしまうほどだった。
だったんだけど、明らかに毎年、肉の量が減り続けている。去年もそう思ったが、今年はさらに一段と肉の量が減っている。
ここんとこ、あらゆるものが値上がりして、うどん屋さんの原材料も値上がりしてるだろうから、肉の量を減らしたのだろう。
それでも、まだまだ他店に比べたら肉の量が圧倒的に多いので満足だ。

落ち着いたところで反省会をしなければならない。
1kmごとのラップを見ると、最初から最後まで、どの区間も去年のタイムとほぼ同じだ。これにはビックリした。最終的なタイムは4秒遅かったけど、それも含めて最初から最後まで違いは誤差の範囲だ。
最初は気持よく飛ばして快調な気がしたし、激坂でもなかなか健闘していると思ったし、途中の細かなアップダウンも辛抱強く走っていると思ったけど、なんと全ての区間で去年とほぼ同じペースだったなんて、ビックリだ。

(幹事長)「凄くない?」
(のら)「何が?」
(幹事長)「精密機械のような走り」
(のら)「記憶力が悪いこと?」


そして、その前の正式大会だった2019年の区間ごとのラップと比べると、これまたコンスタントに全ての区間で同じくらい遅くなっている。グラフで見ると、きれいに平行移動しているのだ。
つまり、ペース配分がどうとかレース展開がどうとか言う問題ではなく、明らかに走力が落ちているのだ。

(支部長)「当たり前の事やんか」
(幹事長)「がーんがーんがーん」


のらちゃんは去年より1分くらいタイムを縮めて踏みとどまっていると言うのに、自分だけが老化が進んでいるだなんて、悲しい。
着実に進む老化に抗うすべは無いのだろうか。

さて、来週は初参加の下関海響マラソンだ。半年ぶりのフルマラソンだ。あんまり練習がでてきないけど、なんとか完走したいぞ。

(支部長)「志が低いな」


〜おしまい〜




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