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庵治マラソン2025
第20回 高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治
2025年10月26日(日)、高松市庵治町において第20回高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治(庵治マラソン)が開催された。
庵治マラソンは、私たちにとって一番身近な場所で開催される貴重なマラソン大会だ。そのため2006年の第1回大会から2012年の第7回大会まで毎年参加していた。
ただ、その後は他のマラソン大会なんかと日程が重なったり、台風で中止になったりして、参加できない年もあった。
2012年以降で参加したのは2016年の第11回大会、2019年の第14回大会、2022年の第17回大会、2023年の第18回大会、2024年の第19回大会だ。
ただし、2020年の第15回大会と2021年の第16回大会はコロナのバカ騒ぎによって中止になった年で、本大会は無かったが我々は自主開催したので、2019年以降は毎年走っている事になる。
このように第1回大会からほぼ毎年参加してきた愛着のある地元のマラソン大会なんだけど、なんと、今年が最後になると言う。
大会のホームページに今年の大会概要が掲載されたのが7月14日だが、なんとその4日後の7月18日に「重要なお知らせ」と題して大会終了のお知らせが掲載されたのだ。
「これまで、多くのランナーや関係者の皆様に愛され、支えられてきた「高松ファミリー&クォーターマラソン in AJI 」でございますが、近年の物価上昇や人件費高騰等、様々な事情を踏まえ、この度、今年の開催をもちまして、本大会を終了することとなりました。
これまで参加してくださったランナーの皆様や、ご協力いただきました関係者の方々に、心より感謝を申し上げます。
今回が最後の大会になりますが、例年以上に大いに盛り上がり、参加者の皆様全員に満足していただける、記憶に残る大会にしたいと思いますので、多数の御参加をお待ちしております。」
これには一同ぶったまげた。
この身近で愛着のあるマラソン大会が突然、終了するなんて考えてもみなかった。
(幹事長)「何が起きたんやろ?」
(支部長)「春の小豆島オリーブマラソンは大阪万博にボランティアを取られたのが原因やろけど、庵治マラソンは分からんなあ」
春のオリーブマラソンも今年は中止になったけど、小豆島町の発表によると、
「大阪万博や瀬戸芸の春会期と開催時期が重なり、島内の宿泊施設やフェリー、バスの混雑やスタッフ不足などが予想されることから中止を決めました」
との事だった。
なんで大阪万博が関係してくるのかと言うと、たぶんオリーブマラソンのボランティアをやってくれてた住民が大阪万博のボランティアに駆り出されてしまったからと思われる。
オリーブマラソンの中止は取り合えず今年だけだが、
「2026年以降の開催は時期やコースを見直すかどうかも含め今後検討する」
なんて言ってるから、もしかしたらこれで廃止になるかもしれない。
それに続いて庵治マラソンも今年が最後になるなんて、一体どういう事だろう。
大阪万博は終了したから、あんまり関係は無さそうだ。
事務局の発表では「物価上昇や人件費高騰」なんて書いてあるが、それはどのマラソン大会も同じだ。
それに対応して、庵治マラソンだって参加費が一昨年の2500円から去年は3000円に、そして今年は4000円にと、急激に値上がりしている。
それで十分ではないのか?たぶん十分ではないのだろう。
そもそも、全国どこのマラソン大会でも、経費を全て参加費から賄うのは不可能で、大半は自治体の持ち出しなのが実態だ。
ただ、そうは言っても、このこぢんまりした庵治マラソンの赤字額なんて、大した額ではないはずだ。
他のちゃんとしたマラソン大会に比べて庵治マラソンは距離が短くて、それほど大勢のスタッフが必要とは思えないし、それほど多額の経費がかかっているとは思えない。
(幹事長)「やっぱり香川マラソンの影響じゃないのか?」
(支部長)「たぶん、そうやな」
遅ればせながら、本当に遅ればせながら、ようやく香川県でも大規模なフルマラソン大会が来年3月から始まる。香川マラソンだ。
全国のほとんどの都道府県では、主に県庁所在地においてフルマラソンが開催されている。四国各県を見ても、他の3県は以前から県庁所在地においてフルマラソンが開催されてきた。
ところが、香川県は丸亀ハーフマラソンというとても有力なハーフマラソン大会があったため、フルマラソンが開催されてこなかった。
と言うのは嘘で、もう45年も前から小豆島において瀬戸内海タートルフルマラソンが開催されてきた。私が初めて出たマラソン大会であり、とても由緒ある大会だ。
しかし、瀬戸内海タートルフルマラソンは日本陸連公認の正式な大会ではないため、いまいち影が薄かった。
そこで、高松のサンポート地区に巨大なアリーナが完成したのを契機に、そこを会場としてフルマラソン大会が始まる事となった。それが香川マラソンだ。
規模は1万人規模の大きなフルマラソン大会なので、大勢のスタッフが必要だし、多額の経費もかかるだろう。
たぶん、その影響で庵治マラソンが吹っ飛んだんだと思う。
(幹事長)「でも、香川マラソンの経費に比べたら庵治マラソンの経費なんて誤差みたいなもんだよなあ」
(支部長)「批判的な人がおるんやろなあ」
庵治マラソンを廃止したって、香川マラソンの巨額の赤字の補填には程遠いはずだ。でも、マラソンに関心の無い人にとっては、無駄に見えるのかもしれない。
でも、庵治マラソンにはファミリー部門という他のマラソン大会には無い有意義な部門がある。これを無くしてしまうのは、あまりにも残念だ。
(ゾウ)「せっかく子供と一緒に出始めたのに残念ですぅ、しくしくしく」
〜 庵治マラソンの歴史 〜
庵治マラソンのコースは12kmだ。
クォーターマラソンと言うのは、本来はフルマラソン(42.195km)のクォーター(1/4)の距離、つまり10.54875km(=約10.55km)を走るものだ。
ハーフマラソンがフルマラソン(42.195km)のハーフ(1/2)の距離、つまり21.0975kmを走るのと同じ考えだ。
ところが、庵治マラソンはクォーターマラソンっていう名前が付いてるのに1/4の約10.55kmじゃなくて12kmのコースだ。
これには複雑な歴史的経緯が関係している。
実は、かつて庵治町が存在していた時は、庵治マラソンのコースは10kmだった。
でも、「10kmレース」って言うと、なんだか陸上関係者だけのマニアックな競技会のような響きがあるので「庵治マラソン」と称していた。
名前からでは距離が分からないが、フルとかハーフとかクォーターとか言わずに単に「マラソン」と銘打っている大会は数多く存在するので、それでも混乱は無かった。
一方、その頃、高松市は屋島の周りを一周する12kmコースの屋島一周クォーターマラソンてのを開催していた。
距離が12kmもあったので、本来ならクォーターマラソンとは言えないんだけど、なぜか単なる「屋島一周マラソン」ではなくて「クォーターマラソン」と銘打っていた。単なる「マラソン」ってのより、なんとなく格好いいからだろう。
屋島を一周するコースなので距離を短くすることはできなかったが、フルマラソンの1/4より多少は長いとは言っても、誤差の範囲と考えられるので、大きな問題にはならなかった。
その後、庵治町が高松市に吸収合併されたとき、この2つのレースも合体してしまった。
どちらも残してくれたら良かったんだけど、もともと香川県の自治体は高知県なんかと違ってマラソン大会にはあまり熱心ではない。
なので、庵治町と高松市が合併したのを良い事に、マラソン大会まで合体させてしまったのだ。庵治マラソンが開催される庵治半島と屋島は隣接しているので、「一緒にしちゃえ」って事だったんだろう。
ちなみに塩江町が開催していた塩江温泉アドベンチャーマラソン大会は、塩江町が高松市に吸収合併されたため廃止になってしまった。つまり、かつては3つあったマラソン大会が自治体の合併により1つになったのだ。(そして、このたびの庵治マラソン終了によって、かつては3つあったマラソン大会がゼロになるのだ)
屋島一周クォーターマラソンを合併吸収した庵治マラソンは、名称を「高松ファミリー&クォーターマラソン in 庵治」に変えた。
合併するまで庵治マラソンはちょうど20回開催された。そして新生庵治マラソンは今年が第20回だ。
なので、これらを通算すると庵治マラソンは40回も開催されてきた事になる。なので庵治マラソンのホームページには「40年の歴史に幕」なんて書いてある。
(おんちゃん)「40年も続いてきたなんて、歴史ある大会なんやね」
(幹事長)「由緒ある大会が無くなって寂しいなあ」
おんちゃんは今年初めて出場するので、庵治マラソンについては予備知識が無い。
合併した新生庵治マラソンは、場所は旧庵治マラソンの場所で開催し、距離は旧屋島一周クォーターマラソンの12kmを引き継いだ。
(おんちゃん)「場所は庵治マラソンの場所で開催し、距離は屋島一周と同じ12kmにしたってのは分かるけど、なんでクォーターマラソンって名前まで引き継いだん?」
(幹事長)「血みどろの争いがあったんですよ」
合体した後にクォーターマラソンて名前を受け継ぐんだったら、距離は以前の庵治マラソンの10kmのままで良かったと思うのに、わざわざ12kmに延ばしたのは屋島勢の意地だろう。
場所を庵治勢に譲った屋島勢としては、メンツを保つためにクォーターマラソンという名称と12kmという距離は譲らなかったのだ。
屋島一周の時は地形上の問題で距離を10.55kmにする事はできなかったが、庵治で開催するのなら従来の10kmコースでもいいし、少しだけ延長して10.55kmにする事も可能だ。
それなのに、わざわざ距離は12kmに延長して、なおかつクォーターマラソンという名称を引き継いだために矛盾が白日の下にさらされたのだ。
(おんちゃん)「誰か問題視してる人って、おるの?」
(幹事長)「距離が延びて激坂が組み込まれたのが大問題なんですよ」
距離が10kmから12kmに延長されたため、以前の庵治マラソンのコースに比べ、折り返し点まで1km、往復で2kmの延長となった。
そして、延長された往復2kmの区間が激坂区間なのだ。
コースは、会場の旧庵治町役場から少し走って、庵治半島の沿岸を走る県道36号線に出たら、そのまま沿岸を6km走って折り返してくるというシンプルなコースだ。太い脇道や交差点が無いから、とても分かりやすいコースだ。
折り返し点の辺りは、周囲に何の建物も無い森の中を走る道になるので何の目印も無いが、正式な大会では大きな三角コーンが立っているので間違う余地は無い。
屋島一周クォーターマラソンのコースは坂がとてもなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しい。
コースは片道の途中に坂が3つと言うか4つある。
(おんちゃん)「3つなん?4つなん?」
(幹事長)「数え方で変わるんですよ」
1つ目の坂は単純に上がって下るだけだ。
2つ目の坂は、複合的に細かなアップダウンがあってダラダラ続き、もう終わったかなと思ったら続けてさらに一段高い坂が待っている。これら一連の坂を全部合わせて2つ目の坂と捉える事もできるし、一段高い坂を3つ目の坂と捉える事もできる。
その後、3つ目もしくは4つ目の坂があるが、これは1つ目の坂と同じく単純に上がって下るだけだ。
途中にあるこれら3つもしくは4つの坂が終わると、最後に5km地点辺りから始まるラスボスの巨大な坂がある。この坂の距離は約1kmもある。
かつて庵治マラソンが10kmコースだった時は、最後の巨大な坂が始まる手前の5km地点で折り返していたため、最後の巨大な坂を走らずに済んでたんだけど、屋島一周と合体してコースが片道1km延長になったため、この巨大な坂を1kmも延々と上らなければならなくなったのだ。
このラスボスの坂はひたすら登り続けるんだけど、1kmほど走ると少しフラットになる。そして、ちょうどそこだけガードレールの色が白から茶色に変わっている。そこに折り返し点がある。
折り返した後は、巨大な坂を下り、再び途中の3つ(もしくは4つ)の坂を越えて町の中心部に戻ってくる。
最後は、ゴール間近になったところで、県道36号線から役場がある区画に戻ってくる。
〜 参加メンバー 〜
今年の参加メンバーは幹事長、支部長、のらちゃん、ゾウさん親子、ピッグ、D木谷さん、長谷選手、倉石選手、T橋選手だ。
このうち幹事長、支部長、のらちゃん、ゾウさん親子、ピッグ、長谷選手、倉石選手、T橋選手は去年に続いての出場だ。
ゾウさんちのジュニアは一昨年初めて参加したが、去年に続いて今年も親子で3kmファミリー部門に出場する。これは親と子供が一緒に3km走るレースで、庵治マラソンの目玉種目だ。
親と子は一緒に手をつないでゴールしないといけないので、親と子のどちらかだけが速くても駄目だ。
(幹事長)「ジュニアに負けないように」
(ゾウ)「プレッシャー感じるなあ」
ゾウさんジュニアは一昨年は3kmを19分30秒だったが、去年はなんと16分13秒にまで一気にスピードアップした。1km1分以上も速くなったのだ。
順位も一昨年は137組中の89位だったが、去年は140組中の28位だった。まだ小学2年生なのに、驚異的なスピードアップだ。
今年は小学3年生になるので、さらに一層のスピードアップが期待される。
そして、なんと今年は高知からはるばるおんちゃんがやってくる。
おんちゃんは最近、発狂したようにトレーニングしている。
(おんちゃん)「ここ3ヵ月は毎月500kmは走ってるかな」
(幹事長)「ごひゃっきろとな!」
私は8月なんて50kmくらいしか走れなかった。暑くて走れないだけでなく、去年の年末の八ヶ岳アイスクライミングで肩を痛めてから、体のあちこちが痛むようになり、まともに走れないのだ。
(支部長)「暑いのに、いつ走ってるんですか?」
(おんちゃん)「夜中に走ってますよ。ちょっと睡眠不足気味ですね」
睡眠不足になるまで走るなんて、凄すぎる。て言うか、睡眠不足では絶対にそこまで走れない。もの凄い体力だ。
この信じられないほどの練習量の成果を見るために、10月と11月は9週間連続でマラソン大会に出る。
その一環として、庵治マラソンにはこれまで出た事は無かったが、今年が最後というのを聞きつけてわざわざやってきたのだ。
[おんちゃんの今年の予定]
10月 6日 酸欠マラソン
10月13日 龍馬脱藩マラソン
10月20日 四万十ウルトラマラソン
10月27日 庵治マラソン
11月 2日 新見市しんごう湖畔マラソン
11月 9日 久万高原マラソン
11月16日 三豊うらしまマラソン
11月23日 小松島逆風マラソン
11月30日 今治里山マラソン
激坂の酸欠マラソンや龍馬脱藩マラソン、さらには四万十ウルトラマラソンの後なので、12kmの庵治マラソンなんて軽い整理体操みたいなもんだろう。
〜 会場へ到着 〜
庵治マラソンの会場は旧庵治町役場だ。
12kmの部のスタートは10時50分だが、駐車場がいっぱいになると困るので、かなり早いけど集合時間は9時にした。
(ゾウ)「ファミリー部門は10時10分がスタートですから早くはないですよ」
12kmの部はファミリー部門が終わってからのスタートになるから、ファミリーの部のスタート時間は40分も早い10時10分だ。
ちなみに、庵治マラソンには5kmの部なんてのもあるらしいが、こちらは12kmの部がスタートした後の11時10分にスタートし、12kmの部がゴールする前に早々に終わるので、一度も見た事は無い。幻のレースだ。
(幹事長)「本当にそんなレースはやってるのか?」
(支部長)「誰も見た事ないなあ」
庵治町は高松市内から近いので、全員が乗り合わせていく必要はないが、のらちゃんは丸亀から車で来るので、8時に私を途中で拾ってもらった。
車は順調に進み、8時半には会場に近い庵治中学校のグラウンドの臨時駐車場に車を停めることができた。
これくらいのタイミングで来ると渋滞は一切無いが、少し遅れたら大規模な渋滞が発生してしまう。
駐車場から会場へ歩いていくと、気温はあんまり低くなく、決して寒くはない。明け方まで降っていた雨も、なんとか上がったようだ。
かなり早目に到着したと思ってたけど、おんちゃんは既に1時間以上も前に到着していた。
さらにD木谷さんと支部長も早々に到着していた。我々が会場に着いた時には、さらに倉石選手らも来ていた。
長谷選手は少し遅れて9時ギリギリの到着となった。
一方、去年と同じく、少し離れた臨時駐車場を指定されていたゾウさん親子は、会場へのシャトルバスがなかなか来なくて、だいぶ遅れてしまった。
(支部長)「今年もピッグが遅いなあ」
(幹事長)「あれは確信犯やな」
ピッグは遅めに来ると大渋滞に巻き込まれるってのが分かっていながら、毎年、遅めに来て、大渋滞に巻き込まれている。
学習効果が無いんじゃないか、という意見もあったが、私は確信犯と睨んでいる。
会場に着いたら、まずは受付だ。
ゼッケンやタイム計測チップなんかは事前に送られてきているので、受付で貰うのはプログラムと参加賞のTシャツだ。
参加賞がTシャツになったのは喜ばしい事だ。かつて庵治マラソンの参加賞はくせ者だった。
この大会の前身だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、参加費が僅か1000円だったにもかかわらず、素晴らしく立派なスポーツバッグをくれたりしていた。
ところが、庵治マラソンになってからは、参加費が2500円にアップしたにもかかわらず参加賞は逆にとてもセコくなってきた。
以前と同じように何かの残り物なんだけど、参加者が多くなって参加賞の数も多く必要になったためか、爪切りとかコカコーラの小さなタオルとか、本当にガッカリするものが多かった。
それが、2016年には初めてのオリジナルの参加賞として庵治マラソンの名前が入ったタオルが登場し、2019年は遂に庵治マラソンの名前が入ったオリジナルTシャツ(えんじ色)が登場した。
さらに、タンスの引き出しから、もう1枚オリジナルTシャツ(紺色)が出てきたが、過去の記事には記載されていないから、いつ貰ったのか分からない。
台風で中止になった2017年大会の参加賞が紺色のTシャツで、後から送られてきたのかもしれない。
この流れから言うと、正式大会が復活した2022年も当然のようにオリジナルTシャツを期待してたんだけど、なんと時代を逆戻りし、2016年と同じ庵治マラソンの小さなタオルとなった。
ただ、庵治マラソンは参加費が比較的安いから仕方ない。
近年、マラソン大会の参加費の値上げは著しい。何年か前に京都マラソンの参加費が2万円になったときは呆れて顎が外れた。
さらに、ここのところ、コロナウィルス対応だとかもっともらしい言い訳をしながら、あらゆるマラソン大会の参加費が異常なまでに高騰している。
3週間前の酸欠マラソンは山の上のマイナーなマラソン大会なのに7000円もした。
庵治マラソンは参加費が安い事も魅力だったんだけど、他のマラソン大会のドサクサに紛れた値上げラッシュの中で、庵治マラソンも今年は4000円に値上がりした。
一昨年は2500円、去年は3000円だったから、かなり激しい値上がりぶりだ。
この値上げのせいかどうかは分からないが、小さなタオルになっていた参加賞は、2023年から再びTシャツに戻り、去年、今年もTシャツだ。
(支部長)「もうTシャツは要らないから参加費を安くして欲しいな」
(幹事長)「同じく」
ただ、これまでの庵治マラソンのTシャツはなかなかダサかったが、今年のTシャツはデザインが一新され、なかなか良い感じのものだった。
Tシャツも有終の美を飾ったのかもしれない。
〜 スタート前の準備 〜
スタートまでまだ2時間近くあるが、ファミリー部門の応援もあるので、早目に着替えなければならない。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
とは言え、この時期のレースは普通なら着るものに悩む余地が無い。
気温が低めの時でも、半袖Tシャツ1枚で十分だ。それ以上着たら暑くなる。
逆に、晴天になったとしても、さすがに秘密兵器のメッシュのシャツを着るほど暑くはないので、ウェアは半袖Tシャツ1枚で決まりだ。
ところが、今回は1週間前から天気予報では雨予報だった。1週間も前の天気予報なんて昔なら絶対に外れるところだけど、最近はとても良く当たる。
もちろん、雨が絶対的に嫌だと思っている訳ではない。て言うか、雨が嫌なのはせいぜい3月までで、それ以降は晴れると炎天下のレースになる可能性が高まるので、必ずしも雨は悪くない。
ただ、ウェアの選択では、雨になると状況は大きく変わる。なので今日は雨対策を万全にしてきた。雨になると冷えるかもしれないからだ。それで長袖の薄手のシャツを用意してきた。
ところが、天気は雨模様だが、気温は意外に高い。風も無いから、そんなに寒くない。
(幹事長)「長袖は暑いかなあ」
(支部長)「長袖なんか絶対に暑くなるってば」
暑くなるのは避けたいので、半袖Tシャツ1枚にした。
着るのは一昨年の酸欠マラソンで貰ったピンク色の「酸欠Tシャツ」だ。背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインのTシャツだ。のらちゃんも同じものを着ている。
酸欠マラソンの参加賞が酸欠Tシャツになったのは一昨年からで、個人的には一昨年のピンク色のが特に気に入っており、よく着ている。
また、去年のオレンジ色の酸欠Tシャツはホノルルマラソンでユニフォーム代わりに着たし、今年のブルーの酸欠Tシャツは1週間後のイスタンブールマラソンのユニフォームとして着る予定だ。
下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。
足はタイツは暑いだろうから履かないとして、脹脛サポーターを履こうかどうしようか迷ったが、履かなかった。て言うか、履けなかった。
去年の年末の八ヶ岳アイスクライミングで肩を痛めてから、生活のあらゆる面で苦労している。
脹脛サポーターはとってもきつくて思いっきり力を入れないと履けないんだけど、肩が痛くて力を入れる事ができないので、脹脛サポーターを履く事ができないのだ。
普通のTシャツですら、脱いだり着たりするのに大変な苦労をしている状態だ。
(のら)「そんな状態で走れるの?」
(幹事長)「もちろん大惨敗続きですぅ」
ランニングキャップは嫌いなので、炎天下か雨の時しか被らない。今日は雨が降ったとしても、ほんの小降りだろうから不要だ。
手袋は汗を拭くために履こうかとも思ったが、暑そうなので履くのはやめて、顔を拭くハンドタオルとティッシュを短パンのポケットに入れた。
晴れている時は日焼け止めクリームやサングラスも必携だが、今日は必要無い。
全員、着替えが終わったところでスタート前の記念撮影を行う。

やる気がみなぎる参加メンバー
(左から幹事長、D木谷さん、おんちゃん、のらちゃん、ゾウさん親子、ピッグ、支部長、倉石選手、T橋選手)
まだまだスタートまで時間があるなあと余裕をかましていたら、3kmファミリー部門のスタート時間が近づいていた。スタートは10時10分だ。
急いでゾウさん親子がスタートラインに整列する。ゾウさんジュニアは一昨年はマラソン大会のデビュー戦だったので緊張していたが、今ではすっかりベテランの風格を見せ、どっしりと構えている。
ここで止んでいた雨が再び降ってきた。と言っても、ほんの霧雨程度の雨だ。
これしきの雨はゾウさんジュニアは全く気にせず、堂々とスタート時間を待っている。
ファミリーの部は、小学生が親と一緒に走るんだけど、小学生だからと言ってバカにしてはいけない。速い子は、もうめっちゃ速い。
前の方には、見るからに速そうな親子が陣取っている。緊張の一瞬だ。彼らはスタートの合図と同時に、ものすごい勢いで飛び出していった。
3kmなので最初から最後まで全力疾走って感じだ。子供はペース配分なんか考えずに最初っからすごいスピードで飛ばすが、子供なので持久力が続かずペースダウンする場合も多い。
(支部長)「幹事長と同じやんか」
(幹事長)「わしにガキんちょみたいなスピードは無いぞ」
私も気持ちは全力疾走だが、第三者から見ると、最初っからタラタラ走っているようにしか見えない。
しばらくすると、早くもトップの親子が帰ってきた。なんとダントツの11分12秒だ。しかも女子だ。1km平均のスピードにすると3分44秒だ。私なら、北山林道駆け足大会のものすごい傾斜の下り坂でも絶対に出せないスピードだ。
次の2位の親子も11分58秒だ。さらに13分以内に8位までの親子が帰ってきた。
しばらくすると、ゾウさん親子も帰ってきた。タイムはなんと15分16秒だ。去年は16分13秒だったから、さらに1分も速くなっている。驚異のスピードアップだ。
たかが3kmのコースとは言え、途中に大きな坂の上り下りがあるから、以前ならともかく、今の私では絶対に走れないスピードだ。
順位は183組中の28位だ。去年は140組中の28位だったが、今年は参加者数が増えたため、同順位となった。
(幹事長)「すごいやんか!」
(ジュニア)「ゼイゼイゼイ(まあな)」
(のら)「お母さんにも負けないね!」
(ジュニア)「ゼイゼイゼイ(楽勝やな)」
言葉を発する事もできないくらい全力を出し切っている。
これほどまでに毎年毎年進化し続けているジュニアなので、今後が大いに楽しみなところだが残念ながら庵治マラソンは今年で終了となる。
1月の満濃公園リレーマラソンでの活躍を期待しよう。
〜 スタンバイ 〜
ファミリーの部が終わったら、いよいよ12kmレースのスタート時間が近づいてきたので、スタートラインに移動する。
12kmレースの参加者は男子632人、女子160人の合計792人で、マラソン大会としては小規模なので、それほど大混雑にはならない。
それでも去年よりは参加者が多い。やはり最後のレースだから名残惜しくて参加者が増えたんだろうか。
雨もすっかり上がり、日射しは無く、風も無い。暑くもないし寒くもない。つまりこれ以上は望めないくらい絶好のコンディションだ。
ここらで本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは距離が短いし、また坂が厳しいコースだから、他のレースとの比較はできない。
なので、目安はあくまでも過去のタイムだ。
この大会には2006年の第1回大会から毎年参加していた。最初の4年間は毎年、着実にタイムが縮まっていき、2009年の第4回大会では1時間0分台のタイムを出し、1時間切りが目前に迫っていた。
だが、その後はV字回復の反対で、V字型に悪化し、毎年着実にタイムが悪くなって、1時間の壁はどんどん遠ざかっていった。
同じ距離だった屋島一周クォーターマラソンの頃は、調子が良ければ1時間を切った事もあるので、1時間切りというのは非現実的な目標ではないと思うのだが、屋島一周のコースは坂がなだらかだったのに対し、庵治マラソンは坂がとっても厳しいので、容易ではない。
距離が12kmなので、1時間を切るには1km5分を切るペースとなる。坂が無い区間なら不可能でもないペースだが、坂が厳しい庵治マラソンでは、全ての区間を1km5分を切るペースで走り続けるのは難しい。
というか老化の進行が著しい今となっては不可能だ。
なので、フラットな区間では、できるだけ速く走って貯金しなければならない。そのためには、序盤から速めのペースで突っ込む必要がある。
ただし、坂がきついと言ったって、夏場の山岳マラソン4連戦のコースに比べたら大したことはない。
5km地点から1km続く坂は最大斜度20%、平均斜度10%もある急坂だが、平均斜度10%程度の坂が何kmも続く北山林道駆け足大会や四国のてっぺん酸欠マラソンや龍馬脱藩マラソンに比べたら坂の距離が短いからだ。
また、坂はあるけど全体の距離が12kmと短いから、フルマラソンやハーフマラソンのようにレース展開の作戦を考える必要はない。序盤は抑えて走る、とかいったペース配分を考える必要はなく、ただひたすら最初から最後まで全力で走るだけだ。
作戦を考える必要が無いというのは、精神的には楽だ。何も考えず、ただひたすらに全力疾走すればいいだけだ。
もちろん、本当に全力疾走しているのか、と言われれば、それはあくまでも主観的なものであり、他人が見たらチンタラ走っている程度だろう。
でも、「こんなに無理したら後になって足が動かなくなるんじゃないか」なんてペース配分を心配せずに、何も考えずに、その瞬間その瞬間における全力を出して走ればいい、という意味での全力疾走でだ。
てな訳で、とりあえずこのレースのタイムの目標は1時間切りだ。
なーんて言うのは去年までの話だ。
理由は全く分からないが、去年2024年7月の汗見川マラソンから突如として驚異的と言うか、あり得ないような空前の大惨敗が始まった。
(支部長)「理由ははっきりしてるがな。老化や」
(幹事長)「老化って、そんなに突然くるものなのか?」
2024年の汗見川マラソンのタイムはそれまでとは次元の違う驚異的な遅さだったが、それに続く酸欠マラソンのタイムも過去のタイムとは次元の違う驚異的な遅さで、ハーフマラソンの圧倒的自己ワースト記録を叩き出してしまった。
さらにその後も脱藩マラソン、庵治マラソンと、過去のタイムとは次元の違う驚異的な遅さで大会自己ワースト記録を出しまくってきた。
それに追い打ちをかけるように、去年の年末の八ヶ岳アイスクライミングで肩を痛めてしまった。あまりの痛さに上半身を自由に動かすことができなくなったため、それ以降、ますます走るのが遅くなり、丸亀マラソン、坂出天狗マラソンと大会自己ワースト記録を出し続けた。
体の痛みはその後もずうっと続き、3週間前の酸欠マラソンでは遂に制限時間をオーバーしてしまうという空前の大惨敗を喫した。
このような状況を考えると、この庵治マラソンも現実的な目標としては制限時間内での完走だ。
(幹事長)「制限時間ってどれくらいやろ?」
(のら)「120分って書いてるよ」
(幹事長)「え!?そんなに長いの?」
超激坂が続くハーフマラソンの酸欠マラソンの制限時間が2時間40分だった事を考えると、12kmの庵治マラソンの制限時間が120分ってのは優しい設定だ。とても優しい設定だ。
さすがに120分もあれば今の私でも完走できそうだ。良かった良かった。
(幹事長)「もう恐れるものは無いな。何の目標も無くなったよ」
(のら)「先に帰ってるよ」
一方、のらちゃんには明確な目標がある。
彼女は一昨年まで女子年代別部門で大会3連覇していた。それが去年は不調で3位入賞も逃してしまった。
なので、今年はリベンジに燃えているのだ。
(幹事長)「もう無理なんじゃないの?」
(支部長)「幹事長と一緒で、もう老化だよ」
(のら)「そんな事はない!」
僕と違って闘争心が全く衰えていないのらちゃんは、今年が最後となる庵治マラソンで有終の美を飾りたいと燃えているのだ。
〜 スタート 〜
いよいよスタートとなり、ピストルの音と同時にランナーが一斉に飛び出した。
旧役場の前をスタートして少し走ると、庵治半島の沿岸部を一周する県道36号線に出る。あとは折り返し点までひたすら走るだけだ。
支部長から「最初からバカみたいに飛ばすとすぐにペースダウンするよ」といつも忠告を受けていたが、それは以前の話であり、今はそもそも全くスピードが出ない。走ろうと思っても走れない。
おんちゃんは初参加なので、良いタイムで走ろうと言うより、コースを楽しみたいとの事で、D木谷さんの案内で一緒にのんびり走っている。
二人ともゆっくり走っているので、超スローペースの私でもなんとか着いて行けそうな気もするんだけど、やはり無理なようで、だんだん遠ざかっていく。
のらちゃんも同じで、そんなにハイペースではないんだけど、ジワジワと遠ざかっていく。
最初の1km地点でのラップを見て愕然。なんと6分半もかかっている。
最初の1kmはフラットだから、以前なら5分を切ったりしてたし、大惨敗の去年でも5分半くらいだった。
最近は、出るレース、出るレース、距離に関係なく、どれも1km当り1分くらい遅くなっているが、今回も同じだ。
しかも、過去の調子が良かった時と比べてではなく、大惨敗だった去年のタイムと比べて1km当り1分くらい遅くなっている。過去の調子が良かった時に比べたら、1km当り2分くらい遅くなっている。
普通ならあり得ない驚異的な遅さだ。体中が故障しているから仕方ないのかもしれないけど、どうしようもない。
このフラットな区間で6分半もかっているようだと、上り坂ではもっともっと遅くなり、平均でも1km7分くらいはかかりそうだ。トータルで1時間24分て事になる。もう何が何やら分からない超スローペースだ。
最初の1kmはフラットな区間だが、そこから先は坂が次々と現れる。
1km地点を過ぎると、まずは最初の坂が現れる。以前は負担感のあった坂だが、山岳マラソンを数多くこなしている今となっては、これくらいの坂はそれほどきつくはない。
なーんて思うんだけど、スピードは明らかに落ちていく。つまり、ペースが遅いからきつく感じないだけだ。最近、どんなレースでもよくあるパターンだ。
当然ながら、後から後から次々とランナーが追い抜いていく。
ただ、3週間前の酸欠マラソンと違って、あっという間に最後尾って感じではない。参加者が多いから、まだ後続ランナーはいる。
それに酸欠マラソンは超過激な山岳マラソンなので、そもそも強者しか出ていないが、庵治マラソンは気楽な市民マラソンなので遅いランナーもかなり出ている。
そのため、そう簡単には最後尾にはなりそうにない。嬉しいところだ。
このレースは距離は短いが、給水所は何ヵ所か設置されている。以前は、たかが12kmレースなので、飲んだ水が身体に回るまでにはゴールしてしまうので、少しでもタイムを稼ぐため全てパスしていた。
でも最近は、足攣り防止のため最初の給水所からすべての給水所で水分補給するようにしている。給水所で紙コップを取るのはとてもうまくなり、ほとんどタイムロスなく手早く取って飲む事ができるようになった。
今日も最初の給水所から素晴らしく手早く紙コップを取り、タイムロス無く水を口に入れて、自分ながら自分の手際に惚れ惚れする。
ただ、いくら手早く水を取ったって、ペースが異常なまでに遅いから何のツッパリにもならない。
最初の坂を下りるとしばらくフラットな区間が続き、次の坂の手前で2km地点になる。坂の上り下りがあったが、この1kmはさらにペースダウンして、6分45秒もかかった。
2km地点を過ぎると、再び上り坂となる。上り坂になると、とたんにペースダウンする。
3つ目のピークに上がったところに3km地点がある。上り坂が多かったせいか、この1kmはさらに一気にペースが落ち、遂に7分をオーバーしてしまった。大惨敗だった去年より1分以上も遅い。
おんちゃんやD木谷さんやのらちゃんの後姿は全く見えなくなってしまった。
なんとか頑張って一生懸命走っているつもりだが、それほど呼吸は苦しくはない。つまり、全力とは言えないような気がする。でも足がこれ以上、速く動かない。足としては全力なのだ。
3kmを過ぎると、細かなアップダウンの後に大きく下り、その後、4つ目のピークを上ったところに4km地点がある。
この1kmは大きな下り坂があったため、ほんの少しだけペースアップできた。
4km地点を過ぎてしばらくはフラットな海岸線が続く。
雨は止んだままで、もう降りそうにはない。かと言って日射しは無く、風も無い。暑くも寒くもなくて、絶好のコンディションが続く。
こんな日なら快調に走りたいところだが、体調が最悪なので軽快に走れないのが悔しい。
しばらく走ると、いよいよ最後の巨大な坂が現れ、それを上り始めたところに5km地点がある。この1kmもギリギリで7分を切った程度だ。
最後の巨大な坂は、以前は目の前が真っ暗になるほどの絶壁に感じられたが、夏場の山岳マラソン4連戦をこなしている今となっては、以前ほどは絶望的でない。
て言うか、一生懸命に上がっているつもりでも、たぶん以前に比べたらペースがとても遅いのだろう。なんとなく楽なのだ。頑張れてないのだ。頑張る事ができなくなっているのだ。それできつく感じないだけだ。
坂を登り始めると、なんと早くも倉石選手とすれ違った。かなり速い。
さらにしばらく上っていくと、おんちゃんやらD木谷さんやらピッグが一団となって降りてきた。
(幹事長)「みんな集団になって走ってるん?」
(おんちゃん)「ここからはスピード上げますよ」
そう言っておんちゃんは一気にスピードを上げたが、D木谷さんとピッグはそのままのペースで降りていく。
少し遅れてのらちゃんもやってきた。
(幹事長)「頑張ってね!」
(のら)「もう必死だよ」
さらに上っていくと、これまでのらちゃんと熾烈な優勝争いを繰り広げてきたライバル猫さんも降りてきた。
のらちゃんに比べたら勢いが無いので、今年はのらちゃんの勝利だろう。
さらに支部長も降りてきた。支部長だけが心の支えだったが、さすがに今日のような異常なスローペースでは支部長にも歯が立たない。
巨大な坂の傾斜度が緩やかになったら、間もなく折り返し点になる。
折り返し点は6km地点だ。この1kmはなんと8分近くかかっていた。ここは厳しい上り坂なので、例年、とてもペースが落ちるが、それでもいくらなんでもこんなにかかった事は無い。トンでもなく遅すぎる。
折り返したら下り坂になるので、ここぞとばかりにペースを上げる。なーんて思うんだけど、なかなか自分の足が思うように動かないのがまどろっこしい。
若い頃は下り坂になると転げ落ちるように走れたのに、今は、まず足が思うように広がらない。もっと足を前に出したいのに足が広がらないから、チョコチョコした動きになってしまう。
それでもピッチを上げられれば良いんだけど、チョコチョコ走っているくせに回転も遅く、スピードは上がらない。ストライド走法もピッチ走法もできない体になってしまった。
大きな坂の下りの終盤に7km地点があるが、気持ちでは一生懸命走ったつもりだったけど、なんと6分40秒もかかっていた。
以前なら、この激坂の下りでは1km5分を切っていたし、大惨敗だった去年でも5分半は切っていたから、比較にならないくらいのスローペースだ。
巨大な坂の後は海岸線のフラットな直線区間が続く。海から少し向かい風が吹き付けてきて、ちょっと涼しくなる。
再び上り坂に入ったところで8km地点となる。この1kmはほぼフラットな区間だったのに再び7分をオーバーしてしまった。もう完全に力尽きたんだろうか。
その後はアップダウンが繰り返される区間になり、9km地点で見たラップは、なんと再び1km8分近くかかっていた。それほど大した上り坂でもないのに、そんな事ってあるだろうか?
次の区間もアップダウンが続きはするが、基調的には下りが多い。しかも、もう残り3kmなので、なんとか頑張って走ったつもりだ。
そのせいか、10km地点で見たラップは6分半だった。今日、一番速いペースだ。
こんな場所で、こんなタイミングで本日最速が出るってのも意味不明だが、まだ力尽きてはいないようだ。
もう残り2kmなんだから、ラストスパートだと思ってペースアップしようと頑張る。
でも、頑張って走ったつもりだったのに、最後の4つ目の上り坂があったせいで、坂を下った11km地点で見たラップは、再び7分をオーバーしていた。もう全然スパートできていない。
それでも、残りは1kmだ。過去は、最後の1kmは、調子が良い時は1km4分半くらいのペースでフィニッシュしていたし、調子が悪くても5kmは切っていた。
なのでかなり頑張って走っているつもりなんだけど、なかなかペースは上がらない。
でも、今の状態での全力疾走って感じで走る事はできた。なんとか少しはスピードが出て、最後の1kmはなんとかギリギリで6分を切った。
〜 ゴール 〜
ゴールゲートの向こうに誰か出迎えてくれるメンバーの顔を探したが、誰もいなかった。あまりにも冷たい仕打ちだが、これだけ遅ければ仕方ないか。
それでも、いつものらちゃんだけは出迎えてくれるはずなのにどうしたんだろうって思っていると、場内放送でのらちゃんの名前が読み上げられている。
なんと、今年は再び上位入賞して表彰されているようなのだ。
慌てて表彰会場へ行くと、ちょうど表彰を受けているところだった。
(幹事長)「凄い!やったやんか!3位?」
(のら)「ううん、2位だったよ」
去年は調子が悪くて駄目だったけど、今年は復活して再び女子年代別部門で2位入賞したのだ。
1位の人とは少しタイム差があったが、3位の人とは僅差だったので、良かった良かった。
一方、私のタイムは空前の大惨敗だった去年より、さらに12分も遅い極端な大惨敗タイムだった。
やはり1km当り1分遅くなっている。1km当り1分も遅いなんて、一体、何がどうなったんだろう。
過去、調子が良かった時に比べると、1km当り2分も遅くなっている。1km当り2分も遅いなんて、もう訳が分からない。
(支部長)「もう参加する事だけに意義があると言う事でよろしいかと」
(幹事長)「なかなかそこまでの境地には達せないなあ」
〜 反省会 〜
レース後は、いつものように春日川の川沿いにある湯楽温泉に繰り出して疲れを癒した。
レース後に温泉に入るの気持ち良い。身体もさっぱりするし足の疲れも和らぐ。
温泉の後は、いつものように私の好きな春日町市場で肉うどんを食べる。ここの肉うどんは、うどんより肉の方が量が多いくらいで、ペース配分を考えないと肉が残ってしまうほどだった。
だったんだけど、明らかに毎年、肉の量が減り続けている。去年もそう思ったが、今年はさらに一段と肉の量が減っている。
ここんとこ、あらゆるものが値上がりして、うどん屋さんの原材料も値上がりしてるだろうから、肉の量を減らしたのだろう。
それでも、まだまだ他店に比べたら肉の量が圧倒的に多いので満足だ。
落ち着いたところで反省会をしなければならない。
だが、今の状態は反省して何とかなるようなものではない。明らかに体に異変が起きている。
1kmごとのラップを見ると、最初から最後まで、どの区間も去年のタイムより1km当り1分遅い。かつての調子が良かった時に比べたら1km当り2分遅い。
トータルのタイムも、去年より12分遅いし、調子が良かった時に比べたら24分も遅い。
考えられる要因は老化と練習不足だが、体中の痛みと戦っている現状では練習も満足にできないし、老化と戦うこともできない。
なんとしてでも体調を元に戻さなければ復活できない。
でも、どうやったら治るのかも皆目見当が付かない状態だ。
なんだけど、去年のホノルルマラソンに続く2回目の海外遠征であるイスタンブールマラソンまで1週間しかない。
もう1年近く苦しんでいる体調悪化から、僅か1週間で立ち直れるとは思えないので、今の状態での最善を尽くすしかない。
決して良いタイムを目指している訳ではない。せめて制限時間内で完走し、完走証と完走メダルをゲットするのが目標だ。
(のら)「何とかなるよ」
(幹事長)「何とかなるかなあ?」
〜おしまい〜
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