四国ペンギンズ
四電ペンギンズ
酸欠マラソン2025
第22回 四国のてっぺん酸欠マラソン大会
2025年10月5日(日)、高知県伊野町において第22回四国のてっぺん酸欠マラソン大会が開催された。
このレースは、暑い暑い四国の真夏に開催される大変貴重なマラソン大会だった。
しかもコースは四国の道路としては最も標高が高い瓶ヶ森林道を走る。トヨタ自動車のテレビCMにも使われたりしている絶景コースだ。
こんな貴重で楽しい夏場の山岳レースには何があっても出たくなるが、2015年に初めてエントリーしてから2019年まで5年連続でエントリーしたのに、最初の2015年を始めとして、なんと5年のうち3年も悪天候で中止になったという幻のマラソン大会なのだ。
標高が高いので、登山と同じく、天候条件はなかなか厳しいのだ。
さらに、その後は新型コロナウイルスのバカ騒ぎが日本中に蔓延してマラソン大会の中止が相次ぎ、2020年と2021年と2022年の3年間はこの酸欠マラソンも中止になったため、我々で自主開催した。
そして2023年になってようやく復活し、翌2024年に続き、今年は復活後の3回目の大会となった。
今年、参加するのは去年も出た幹事長、支部長、D木谷さん、のらちゃんの4人のほか、久しぶりにピッグが出る。
(幹事長)「えらい久しぶりやな?」
(ピッグ)「実に8年ぶりですね」
(幹事長)「もうすっかりコースも忘れたやろ?」
(ピッグ)「いえいえ、自主開催大会には出てましたから」
そうだった。ピッグが本大会に参加するのは2017年以来だが、2020年、2021年、2022年の自主開催大会には欠かさず出ていたので、それを考慮すれば3年ぶりの参加だ。
(ピッグ)「子持権現山にも登りましたがな」
2021年の自主開催の時は、マラソンコースの沿道にある超過激な岩峰の子持権現山に登るという楽しいイベントも同時開催した。
〜 ザビエルの野望 〜
そして、今年はなんと超新人ザビエルが発作的に出る。
ザビエルはマラソンに関してはほぼ完璧なまでのど素人だ。生まれてこの方、長距離を走ったのは、6月に自主開催したオリーブマラソンが初めてで、まともなマラソン大会としては7月の汗見川マラソンが最初で最後だ。
なぜど素人のザビエルが急にマラソン大会に出ようとしているのかと言うと、イスタンブールマラソンに出るためだ。
幹事長と支部長、のらちゃんの自由人トリオは、昨年12月に初の海外遠征としてホノルルマラソンに出た。
これがめちゃくちゃ楽しかったので、これからは毎年、世界のどこかのマラソン大会に海外遠征すると言う方針を打ち出し、今年はトルコのイスタンブールマラソンに出る事にした。
そしたら海外旅行好きなザビエルが食いついてきて、一緒に行きたいと駄々をこねる。
(ザビエル)「私も出たい!一緒に行きたい!」
マラソンなんて走った事が無いザビエルが、なぜイスタンブールマラソンに出たいと言い出したかと言うと、単にトルコ旅行に行きたいからだ。
(幹事長)「それやったら普通にトルコ旅行に行ったらええやんか」
(ザビエル)「ボスポラス海峡を走って渡りたいの!」
イスタンブールマラソンはアジアからボスポラス海峡の橋を走ってヨーロッパに渡ると言う、世界でも珍しいマラソン大会だ。2つの大陸を結ぶマラソン大会は世界でも唯一との事だ。
普通にトルコ旅行に行ったのでは経験できない貴重な体験ができるのだ。
(幹事長)「でも長距離を走った事も無いのに、いきなりフルマラソンなんて走れるかなあ」
(ザビエル)「走れる!何とかなる!一緒に行きたい!」
(支部長)「ホノルルマラソンも制限時間が無かったから、なんとかなるんと違う?」
ところが調べてみたらイスタンブールマラソンは制限時間があった。ただし、6時間20分というかなり緩い制限時間だ。
(ザビエル)「それなら走れる!一緒に行きたい!」
(幹事長)「それくらいやったら、練習したら走れるかも」
(支部長)「制限時間オーバーになっでも、ヤイさんみたいに最後まで勝手に走って完走したらええがな」
ヤイさんは那覇マラソンで足を痛めて制限時間内でのゴールが不可能になった後も最後まで歩き続けてゴールした。完走証も完走メダルも貰えなかったが、42kmを走り切ったという達成感は得られる。
(幹事長)「いかーん!イスタンブールマラソンに出るには実績が求められてる!」
(ザビエル)「やだやだ、それでも出たい!一緒に行きたい!何とかしてよ!」
(D木谷)「どんな実績ですか?」
(幹事長)「制限時間と同じ実績」
イスタンブールマラソンに出るには実績が必要だったのだ。
過去2年間でフルマラソンなら6時間20分、ハーフマラソンなら3時間25分という実績を残していないとエントリーできないのだ。
フルマラソンの6時間20分にしても、ハーフマラソンの3時間25分にしても、めちゃめちゃ緩い基準であり、ほとんど意味をなさないような気もする。
要するに過去にフルマラソンかハーフマラソンの大会に出たことがあれば誰でも参加できるっていうレベルの基準だ。
ところが、過去にマラソン大会なんて出た事が無いザビエルとしては、全く実績が無い。なので、エントリーが締め切られる10月14日までに実績を残さなければならない。
(D木谷)「今から10月14日までに開催されるマラソン大会って、何がありましたっけ?」
(幹事長)「汗見川マラソンと酸欠マラソンと脱藩マラソンくらいですかね」
(ザビエル)「どれが一番優しいんですか?」
(支部長)「どれも激坂の連続やから、簡単ではないなあ」
その中で敢えて言えば、坂が最も緩やかと言うかマシなのが汗見川マラソンだ。
酸欠マラソンや脱藩マラソンはザビエルには絶対に完走は不可能だが、汗見川マラソンなら奇蹟が起きれば完走も夢ではないかもしれない。
て事で、何としてもイスタンブールマラソンに出たいザビエルは、参加資格をゲットするために汗見川マラソンに出場することにし、その練習のために自主開催のオリーブマラソンに出た。そして、絶対に途中で野垂れ死にするだろうという幹事長の予想を見事に裏切って、最後までしっかりした足取り完走した。
それに続いて、初めて正式なマラソン大会として出場した汗見川マラソンも、絶対に制限時間内での完走は無理だろうと言う幹事長の予言を覆して、見事、制限時間内で完走した。
これもひとえに、なんとしてもイスタンブールマラソンに行きたいという強烈な意気込みの賜物だ。
(幹事長)「根性で何とかなるもんやなあ」
(のら)「幹事長も見習って気合を入れてね」
汗見川マラソンの完走によってイスタンブールマラソンへの出場資格を満たし、無事、エントリーも完了したんだけど、ザビエルはなぜか再び血迷って酸欠マラソンにも出ると言い出した。
(幹事長)「何を血迷ってるん?」
(ザビエル)「酸欠Tシャツをゲットしなければなりませんから」
(幹事長)「ああ、そうやったな」
そうなのだ。ペンギンズの海外遠征でのユニフォームは酸欠マラソンのTシャツと決まっている。
(D木谷)「え?そんな決まりがあったんですか?」
初めての海外遠征となった去年のホノルルマラソンで我がペンギンズの精鋭メンバーが酸欠Tシャツを着て走った事から、酸欠Tシャツの知名度は世界的なものとなった。
終盤の10kmを一緒に走った高橋尚子さまにも認知された。
(のら)「酸欠おにいさんって呼ばれてたもんね」
そのため、これからもペンギンズの海外遠征の際は酸欠Tシャツが正式なユニフォームとして着用が義務付けられた。
イスタンブールマラソンへの派遣選手のうち、酸欠Tシャツを持ってないのはザビエルだけなので、今回、参加して酸欠Tシャツをゲットしようというものだ。
〜 開催時期の変更 〜
酸欠マラソンは、コロナのバカ騒ぎで中止になる前の2019年までは9月初めに開催されていた。そのため、7月末の汗見川マラソンと並ぶ四国の夏場の貴重なマラソン大会だった。
四国で夏場にマラソン大会が非常に少ないのは、あまりにも暑くて走るのが大変だからだ。なので、かつては、夏場にはマラソン大会にほとんど参加せず、5月のオリーブマラソンが終わった後は、秋までマラソン大会には出てなかった。
でも、真夏にレースに出ないと、夏の間、ランニングをサボってしまいがちになる。レースが無くても地道にトレーニングできる真面目な人ならいいんだけど、我々のように心が弱いと、レースが無いとどうしてもサボってしまう。
なので、少しでもモチベーションを維持するため、暑い中でもレースに出たい訳だ。
酸欠マラソンと並ぶ貴重な真夏のレースである汗見川マラソンは7月末なので、天気が良いと間違いなく炎天下の灼熱地獄となる。おまけに天気が悪いと豪雨になり、土砂崩れが発生して、すぐ中止になる。
つまり炎天下の灼熱地獄か土砂崩れによる中止かという極端な二者択一になる。
それに比べれば、酸欠マラソンは9月初旬だったし、標高が非常に高いので、炎天下でも気温は少しマシだ。ただ、標高が高いため直射日光は強烈で、肌がじりじりと焦げていく。
でも、私は夏の猛暑の炎天下に走るのは嫌いじゃない。寒い中を走るよりは暑い中を走る方がよっぽど楽しい。なので、暑くても割りと平気だ。
ところが、貴重な真夏のレースだった酸欠マラソンの開催日は遅くなってしまった。
2019年までは開催日は9月初旬だったが、コロナのバカ騒ぎで中止になった2020年は早々に中止が発表されたのでよく分からないものの、事務局の発表文では「10月11日開催予定だった」としている。
また2022年も早々に中止になったので詳細は不明だが、事務局の発表文では「10月に開催予定だった」としている。
そして、遂に復活した2023年は、やはり10月になっていた。
これまでずっと9月初旬だったのに、なぜ1ヵ月も遅らせて10月になったのかは分からない。9月は暑いので10月に変更したのだろうか。
酸欠マラソンの事だけを考えると、暑い9月初旬よりは10月の方が好ましいのかもしれない。
しかし、我々としては9月初旬に開催されるからこそ存在意義が高かった。夏場の空白期間を7月末の汗見川マラソンと共に埋めてくれる貴重なマラソン大会だったからだ。
それに、10月になると他にもいっぱいマラソン大会があり、存在意義が無くなるどころか、スケジュールが立て込んで大変な事になる。
まずは、超過激な山岳マラソンである酸欠マラソンと脱藩マラソンが2週連続で開催されると言う大惨事になった。いくらなんでも、こりゃ厳し過ぎる。
さらにその後も、スケジュールが立て込んで大変な事になっている。
(おんちゃん)「私なんて10月から11月にかけて9週間連続でマラソン大会になったよ」
(幹事長)「どっひゃ〜!」
[おんちゃんの今年の予定]
10月 6日 酸欠マラソン
10月13日 龍馬脱藩マラソン
10月20日 四万十ウルトラマラソン
10月27日 庵治マラソン
11月 2日 新見市しんごう湖畔マラソン
11月 9日 久万高原マラソン
11月16日 三豊うらしまマラソン
11月23日 小松島逆風マラソン
11月30日 今治里山マラソン
(幹事長)「いくらなんでも、そりゃ出すぎですがな!」
〜 10年間で6回も中止になった幻のマラソン大会 〜
個人的には夏場の暑いマラソンは大好きなんだけど、実はこの酸欠マラソンは暑さよりも、むしろ悪天候の方が強敵だ。
酸欠マラソンに我々が初めてエントリーしたのは10年前の2015年だ。初めての参加だったので、緊張しつつもワクワクしながら麓の西条から延々と瓶ヶ森林道を上って行った。
瓶ヶ森林道は気持ちの良い絶景コースだが、麓から上がっていくのが一苦労で、曲がりくねった狭い坂道を延々と1時間も上り続けてようやく瓶ヶ森駐車場に着くため、レース前からグッタリしてしまう。
瓶ヶ森林道は標高が高いので、天気が悪くなる事は覚悟はしていたが、上に着いたらやはりガスの中で、小雨もパラついていた。
それでも大した雨ではないし、大した風でもない。ガスで景色は見えないし、風の中を走るのは辛いが、それでも我々は走る気まんまんだった。
ところが、スタートを待っていたら、なんと、突然、中止になってしまった。これには呆然とした。かつてマラソン大会は、どんなに暴風雨が荒れ狂っても、天気のせいで中止にはならなかった。
2012年の徳島マラソンは台風顔負けの暴風雨の中でも決行された。あの時に比べたら、雨が降っていると言っても、大したことはないし、風も弱い。
そもそもマラソン関係者の間では、雨や風の影響で大会を中止にするなんて発想は皆無だったはずだ。 それが、いつから変わってしまったのだろうか。おそらくは、事故でも起きたらアホなマスコミが一斉に声高に非難するからだろう。
参加しているランナー達は、天候の事は自己責任で出場しているのだから、天候のせいで事故が起きても文句言うような幼稚な人はいないはずだ。
そもそも、夏場のマラソン大会なら、天気が良くて炎天下を汗だくになって走るより、むしろ雨の方が望ましいくらいだ。
てな事で、怒り狂いながら下山したが、どうしても参加したくて、翌年の2016年に再チャレンジしたら、打って変わって快晴となり、気持の良いレースとなった。
ただし、酸欠マラソンのコースは1400〜1700m前後で、四国の道路としては最も標高が高いから、快晴でも下界よりはだいぶ涼しいだろうと期待してたら、甘かった。
標高が100m違えば気温は0.6℃違うから、下界より10℃くらい低いはずだが、下界がめちゃ暑い日だったら、山の上もそこそこ暑い。
しかも、高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような灼熱地獄になるのだ。
おまけに強烈な激坂にぶちかまされて、ハーフマラソンとしては歴史的な敗北を喫するタイムとなった。
あまりにも厳しかったから、こんなレースにはもう二度と出たくないなあなんて思ったんだけど、支部長が「いやいや、こんなタイムでは終われないぞ。来年はリベンジせんと」なんて言ったので、翌年の2017年にもチャレンジしたら、時々雲に陽が隠れる天気だったので、前年ほど暑くはなく、そのおかげで少しはタイムがマシだった。
とは言っても、ほんの少しマシだった程度で、他の大会のタイムに比べたら歴史的敗北に変わりは無い。
それでも、2回出ると楽しさが分かってきて、もう止められなくなった。
てな訳で、翌年も出場しようと思っていたら、2018年は再び雨で中止になってしまった。
確かに天気予報は悪かったが、台風でも何でもない、ただの雨だ。2012年の徳島マラソンの時のような台風並みの暴風雨ではなくて、単なる雨だ。本当に中止にする必要があったとは思えない。
そして、2019年もまた中止になってしまった。前々日に事務局から電話があり「天気が悪そうなので中止になりました」と告げられた。確かに天気予報は雨だったが、大雨の予報ではなく、降ったり止んだり程度の雨の予報だ。
しかも前々日だから、まだ本当に降るかどうかも分からない。そんな曖昧な天気予報で中止決定するなんて、早まり過ぎだ。
そして、結果論だが、当日はほとんど雨も降らず、風も弱かった。どう考えても開催できた天気だった。
そして、2020年も3年連続で中止となり、2021年も4年連続で中止となり、2022年も5年連続で中止になってしまった。
ここ3年間の中止の理由は、悪天候ではなくてコロナのバカ騒ぎだから別問題ではあるが、エントリーし始めてから8年間で6回目の中止だ。
開催されたのは8年間で僅か2回だ。毎年エントリーしているのに2回しか出場していないのだ。
[酸欠マラソンの過去の開催実績]
2015年 悪天候で中止
2016年 開催
2017年 開催
2018年 悪天候で中止
2019年 悪天候で中止
2020年 コロナで中止
2021年 コロナで中止
2022年 コロナで中止
ここまで中止が続くと、まさに幻の大会だ。
(幹事長)「本当に存在するのかどうか確信が持てなくなってきたな」
(支部長)「夢か幻やったかもしれんなあ」
それが、2023年ようやく復活し、さらに2024年も開催されたので、幻ではなかった事が証明された。
(幹事長)「10年間で4回目の開催やから打率4割になったな」
(支部長)「驚異の4割打者やな」
(石材店)「マラソン大会なら10割が普通ですけどね」
〜 超厳しい山岳マラソン 〜
酸欠マラソンは夏場の貴重なマラソン大会というだけでなく、非常に厳しいコースも魅力だ。
四国の夏場のマラソン大会と言えば、高知県内の標高の高い場所で開催される山岳マラソンばかりだ。
我々も、ここんとこ毎年、夏場は高知の山岳マラソン4連戦が恒例となっている。6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の汗見川マラソン、9月上旬から10月上旬に変わった酸欠マラソン、そして10月上旬の龍馬脱藩マラソンだ。
なぜ山岳マラソンが夏場に集中しているのかと言えば、夏は暑いから、少しでも気温の低い山岳地帯でマラソン大会を開催しようという発想からだ。特に四国の夏はアホみたいに暑く、平地でマラソン大会なんか開催したら死屍累々の大惨事になる。
そのため山岳地帯で開催するんだけど、じゃあ山の上なら涼しいのかと言えば、これはトンでもない勘違いで、四国では山の上でも暑いのは同じだ。
暑いのには変わりがないうえに、山岳マラソンなのでコースはアップダウンが非常に激しいから、暑さとコースの厳しさとダブルパンチで、トータルとすれば極めて過酷なマラソン大会となる。
酸欠マラソンが開催されるのは高知県伊野町だが、伊野町と言っても、本来の伊野町のイメージではない。元々の伊野町は、高知市のすぐ西側にある和紙の産地であり、山深い町ではない。
酸欠マラソンが開催されるのは、合併で伊野町に吸収される前は本川村だったところだ。しかもコースは瓶ヶ森林道で、本川村の中でも北の端にあり、高知県と愛媛県の県境近くを走る道だ。
瓶ヶ森林道はUFOラインとも呼ばれ、標高1300m〜1700mの尾根沿いを縫うように走るルートは、天空へと続く絶景のドライブコースとして人気があり、トヨタ自動車のテレビCMにも使われたりしている絶景コースだ。
尾根の上の道を走るから、天気が良いと展望が素晴らしくて気持ち良い。少なくとも車で走ると、それほどアップダウンがあるような感じはなく、快適な尾根の道だ。
瓶ヶ森林道は展望が素晴らしい絶景コース
だが、車で走っているとフラットに思えるが、自分の足で走ると、かなり強烈にアップダウンがある。
酸欠マラソンのコースはスタート地点から最高地点までの高低差が300m近くある。しかもスタート直後の序盤で、3kmちょっとの間に250mも上るから、勾配は8%以上となる。8%もの勾配を3kmも登るなんて、これは強烈以外の何物でもない。
最高地点はスタート地点から4kmほど走った瓶ヶ森登山口の少し先で、そこを超えると今度は下り基調の道が6kmほど続いて折り返し点に至る。
折り返した後は、当たり前だが、6kmほどの坂を登り返し、最後に4kmほどの急坂を下ってゴールとなる。終盤の4kmが下りになるのは嬉しいような気がするが、レース終盤で足がヘタってきた頃の急な下り坂は決して楽なものではない。
つまり、最初から最後まで厳しいコースだ。
他のマラソン大会と比較すると、ハーフマラソンでは、龍馬脱藩マラソンのハーフマラソンや汗見川マラソンと比べると、最大標高差、獲得標高、平均斜度のいずれをとっても酸欠マラソンの方が厳しい。
つまり、酸欠マラソンは四国内の山岳マラソンのハーフマラソンで文句なしに一番厳しいコースと断言できる。
なお、酸欠マラソンにはハーフマラソンのほか、10kmの部がある。
(幹事長)「こんな遠方までわざわざ行って10kmの部に出る奴なんて、おらんわなあ」
(ザビエル)「わたし」
(幹事長)「なんとかーっ!」
なんと、ザビエルは10kmの部にエントリーしたんだそうだ。
(ザビエル)「だって酸欠マラソンは絶対に完走不可能だって言ってたじゃないですか」
(幹事長)「確かに、その通りです」
絶対に途中で野垂れ死にすると予想していた汗見川マラソンは、驚異的な粘りで完走したザビエルだが、タイムは制限時間ギリギリの3時間弱だった。
汗見川マラソンよりずっと厳しい酸欠マラソンの制限時間は、汗見川マラソンより20分短い2時間40分なので、どう考えても制限時間内での完走は不可能だろう。
(のら)「幹事長だって去年は制限時間ギリギリだったじゃん」
(幹事長)「てへぺろ」
去年は私自身が制限時間ギリギリの2時間39分だったので、ザビエルの選択は妥当なものだ。
(支部長)「私も10kmの部にしてるよ」
(幹事長)「なんとかーっ!」
支部長の選択も正しいような気がするが、ただ、10kmの部は距離は短いが、ハーフマラソンの5km地点で折り返してくるから、最初の4kmの激坂は同じように上らなければならない。なので、それほど楽ではない。
むしろ、コースの大半が激坂の上り下りとなる厳しいコースだ。
(支部長)「私は下りは得意やからな」
酸欠マラソンの定員はハーフマラソンの部と10kmの部を合わせて400人だ。定員400人のマラソン大会なんて全国的にも少ないだろう。
もっと増やせばいいと思うんだけど、道の狭さとか駐車場の容量とか考えると、それが限界なのかもしれない。
て言うか、僅か400人の参加者のために、こんな山奥でマラソン大会を開催してくれる伊野町役場様には本当に感謝だ。
北山林道駆け足大会や汗見川マラソンや脱藩マラソンもそうだけど、高知県の市町村はマラソン大会の開催に熱心なので、本当に本当に有難い。
〜 会場へ出発 〜
参加メンバーが6人になったので車はピッグに出してもらい、D木谷さん、ザビエル、支部長をピックアップしたあと、4時半頃に私を迎えに来てくれ、その後、のらちゃんをピックアップして5時過ぎに出発した。
なんで、そんなに早く出るのかと言えば、現地に着くまでに関門があるからだ。
現地での受付時間は8時〜9時半までOKなんだけど、車は会場までは行けず、4kmほど手前の瓶ヶ森登山口駐車場に車を置いてシャトルバスで移動しなければならない。
シャトルバスの最終は9時だから、それまでに駐車場に入れば良いんだけど、瓶ヶ森林道が始まる旧寒風山トンネル出口に関所があり、マラソン大会の交通規制のため、そこを通れるのは8時10分までで、さらに麓の新寒風山トンネル出口にある関所を通れるのは7時50分までとなっている。
順調に行けば新寒風山トンネル出口まで2時間もかからないだろうけど、何かトラブルでもあれば遅れてしまうから、少し余裕を持つためには5時頃には出発した方が安全だ。
4時過ぎに屋外に出ると、まだ真っ暗だが、それほど寒くはない。今年も去年と同様、キチガイみたいな猛暑が続いており、10月に入ってもまだまだ寒くはないのだ。
ただ、天気予報では今日は曇り予報だ。曇り予報と言っても、それは近隣の麓の話だ。
一般的に山の上は麓に比べたら天気が悪い。下界が晴れていても曇っている事は多いし、下界が曇りなら山の上は雨の可能性がある。
そもそも、酸欠マラソンの天敵は悪天候だ。上にも書いたように、初参加した2015年から5年連続でエントリーしたうち3回もが悪天候のために中止になってしまっている。
四国山地で最も標高が高く、日本海側から瀬戸内海を越えて太平洋側まで風が通り抜けていくような地域なので、下界は天気が良くても、山の上は天気が荒れやすいのだ。
もちろん、少なくとも夏場のマラソン大会なら、雨そのものは決して嫌いではない。
2010年の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走できたため、雨に対する抵抗感は払拭されたし、2013年の汗見川マラソンでも、直前に雨が降って気温が下がったため快走できたので、もう雨は恐れていない。
とは言え、瓶ヶ森林道は四国で最も標高が高い道であり、風が北から南へ吹き抜ける稜線なので、風雨を甘く見てはいけない。
今日の気象状況を考えると、暴風雨の可能性は低いと思うが、雨の場合は寒くなるだろう。
日曜日の早朝なので道路は空いており、順調に高速道路を走り、西条インターで高速道路を降りて国道11号線を西へ進む。
スタート時刻を考えると、そろそろ車の中で朝食を食べなければならない。さすがに早起きしたからお腹が空いてきた。
私の場合、朝食を食べてしばらくするとトイレで大が出るようになるので、できれば朝早く起きて、早目に食べて出発する前にトイレを済ませるのが理想だ。マラソン大会の会場のトイレは、どこも激混みになるからだ。
しかし、老化の進行によって早起きが苦痛でなくなったとは言え、4時半に家を出るとなると、4時前には食べないといけなくなる。さすがにそこまで早い時間に朝食を食べると調子が狂いそうなので、家では食べず車に乗ってから食べる事にした。
もちろん、朝食はおにぎりだ。
以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてからは改善された。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べ始めてからは下痢する頻度はかなり低くなった。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレに籠ってしまった。
その後も2022年の神戸マラソンや2023年の那覇マラソンや2024年の富士五湖ウルトラマラソンでもお腹を壊し、トイレに籠ってしまった。
さらに、今年2025年のえびす・だいこく100kmマラソンでは近くにトイレが無かったもんだから、田んぼの中の茂みに隠れて久しぶりに野グソをする羽目になった。
いずれの場合も、朝食の量は控えめだったし、パンも避けていた。それなのにお腹を壊した。年々ますます胃腸が弱くなっているようだ。
ただ、最近、お腹を壊したのは、いずれもフルマラソンやウルトラマラソンの長距離レースだ。今日はハーフマラソンなので、それほど神経質になる必要は無いだろう。
国道11号線から加茂川を渡ったところで南に折れて国道194号線に入り、そのまましばらく南へ走った後、新寒風山トンネルを抜けたら山道に入り、クネクネした急勾配の道を上がっていく。
下界は曇りだったが、高度を上げるとガスが漂ってきた。
〜 瓶ヶ森林道 〜
山道を20分ほど上がると、旧寒風山トンネルの出口に着く。ここから瓶ヶ森林道が始まる。
ここから先はマラソン大会のための通行制限区間となり、関所には番兵がいる。マラソン大会参加者も8時10分からは通行止めとなるが、まだ7時過ぎなのでそのまま通してくれた。
国道194号線からの上り口が標高700mで、ここの標高は1100m程度だから、まだ400mしか上がってきていない。瓶ヶ森林道の最高点は1700m程度だから、まだまだ上がらなければならない。
駐車場を過ぎると、傾斜は緩やかになるが、道幅の狭いクネクネの林道は延々と続く。一歩間違えたら脱輪して谷底まで転落しそうだ。
いくつかある小さなトンネルは完全に1車線分しかないから、すれ違うのは不可能だが、トンネル以外でも道は狭くて対向車とすれ違うのは難儀する。
ただし、今日はマラソン大会で交通規制になるから、対向車が現れる可能性は低い。
しばらく進むと、東黒森山の近くに小さなトンネルが2つ並んでいる。
このトンネルの東側が折り返し点となる。既に折り返し点の三角コーンとか関係者用の椅子とかが準備されている。
コースは、スタート地点からこの折り返し点まで走ってきて、折り返して戻って行く事になる。
このコースで最も坂が厳しい区間はスタートから4km地点辺りにある瓶ヶ森登山口までで、そこを過ぎた後は緩やかな下り坂が6kmほどダラダラ続く。
その後、折り返し点で折り返したら、その道を戻っていくので、今走っているのは折り返した後の緩い上り坂だ。
でも、緩い上り坂とは言え、それはスタート直後の激坂との比較であって、実際に走ってみると、結構、厳しい坂だ。
車で走ってると、ほとんどフラットに感じるけど、足で走るとかなりきつい上り坂だ。
(ザビエル)「車で走ってても激坂ですよ!」
(幹事長)「ほんとやなあ。こんなに激坂やったっけ?」
フラットな区間もあるが、傾斜がきつい箇所はかなりの激坂だ。
この辺りは見晴らしの良い区間で、前方に自念子の頭と呼ばれる小山が見えてくる。
ここがUFOラインの絶景ポイントで、とても有名な景色だ。走るのが厳しい上り坂ではあるが、晴れていれば一番気持ちが良い区間なので、気が紛れるところだ。
今日は麓から見上げると山の上は雲の中だったので、てっきり天気は悪いものと思っていたら、ここまで高度が上がると、うまい具合に雲の上に出て、時々晴れ間が見えたりしている。
ただ、まだスタートまで3時間もあるので、雨雲が来るかどうか微妙なところだ。
自念子の頭の辺りは、ほぼフラットな感じになるが、そこを過ぎると再びトンネルがあり、トンネルを抜けると景色が一変する。
前面に瓶ヶ森の山腹が現れ、それを横切る林道がはるか上に見える。あんな所まで上っていくのかと思うと気が遠くなる。
ガスが出ている時は真っ白で何も見えないが、今日はきれいに見えるので絶望的な気分になる。
(幹事長)「晴れているのも良し悪しやな」
かなりきつい上り坂を上り終えると、ややフラットに近くなり、吉野川源流の碑がある。10kmの部は、この500mほど西が折り返し点になる。
この辺りがピークのように見えるが、実はそれは偽ピークであり、まだまだ上りが続く。ようやくピークになったかなと思ってカーブを曲がると、もっと高いピークが見えてくるっていう事が何度も繰り返される。かなり精神的に辛い区間だ。
折り返し点から6.5kmほど走ったら、ようやく瓶ヶ森駐車場に着いた。
〜 会場に到着 〜
瓶ヶ森駐車場に順調に来られたため、時刻はまだ7時半だ。例年の事だが、ちょっと早く着き過ぎた。参加者の車も、まだ10台くらいしか停まっていない。
ただ、会場まで移動するマイクロバスは既に来ており、すぐに乗る事ができた。
瓶ヶ森駐車場からスタート会場の山荘しらさまでの4kmが最も傾斜が急な厳しい坂だ。
普通、坂のきつさは車で走ってると分かりにくいものだが、この坂は車に乗っていても明らかに厳しい坂だと分かる。車が転倒しないか心配になるほどの急勾配だ。
瓶ヶ森の登山口からしばらく下ると子持権現山がある。
子持権現山は瓶ヶ森のすぐ南にある岩山で、標高は1677mもあるが、一般的な登山口は瓶ヶ森林道にあり、登山口から山頂までの標高差は100mにも満たない小さな山だ。山と言うより、大きな岩の塊と言った方が相応しい。
子持権現山を過ぎると、道は一段と急になっていく。クネクネの急坂だから車も慎重に走り、会場の山荘しらさに着くまで結構、時間がかかった。
会場である山荘しらさは長い間工事中で使用禁止だったが、4年前に工事が終わり、新装開店した。
外観は古い建物を塗り直しただけのように見えるが、内部は全く新しい建物に生まれ変わっている。宿泊施設だけでなく、レストランも併設されており、とてもきれいでお洒落な造りに改装されている。
会場に入ったら、まずは受付だ。
ただし、Tシャツやタオルやゼッケンは事前に送られてきているので、受付と言ってもドリンクを貰うだけだ。
Tシャツは、一昨年や去年に引き続き、背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインだ。
以前は特徴の無いつまんないデザインだったけど、この画期的なデザインのTシャツは一目見て大好きになり、ホノルルマラソンを始めとして色んなマラソン大会で着用している。
色は一昨年はピンクと黒と青の3色から選べたのでピンクにしたが、去年はオレンジ色だけになり、今年はブルーだけになった。
一方、一昨年まで配布されていた大会プログラムは今年も無かった。
Tシャツやゼッケンが送られてきた時に、普通はせめて案内くらいは入っているのに、何も入っていなかった。会場でプログラムくらいくれるのかと思ってたけど、やはり何も無かった。
案内もプログラムも何も無いって、ちょっと簡素化し過ぎだぞ。
(のら)「プログラムは役場のホームページに掲載されてたよ」
(幹事長)「そこまでチェックしてなかった」
まだ時刻は8時前なので、山荘しらさの中は空いている。
すぐにおんちゃんに連絡を取り、落ち合う事ができた。
(幹事長)「相変わらずアホみたいに練習してるんですか?」
(おんちゃん)「ここ3ヵ月は毎月500kmは走ってるかな」
(幹事長)「ごひゃっきろとな!」
私は8月なんて50kmくらいしか走れなかった。暑くて走れないだけでなく、去年の年末の八ヶ岳アイスクライミングで肩を痛めてから、体のあちこちが痛むようになり、まともに走れないのだ。
(支部長)「暑いのに、いつ走ってるんですか?」
(おんちゃん)「夜中に走ってますよ。ちょっと睡眠不足気味ですね」
睡眠不足になるまで走るなんて、凄すぎる。て言うか、睡眠不足では絶対にそこまで走れない。もの凄い体力だ。
そこまでしないと、9週間連続でマラソン大会に出るなんて不可能だろう。
〜 出走準備 〜
スタート時刻は10時で、まだまだ時間はあるが、ヒマなので取り合えず着替えをする。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
今日は天気予報が微妙だったので、炎天下になっても雨になっても良いように一通りの準備をしてきた。
外を見ると、この辺りは曇っているが、稜線上に上がるとさっきみたいに晴れているかもしれない。少なくとも気温はかなり高めだ。
でも、雨雲がやってきて雨になるかもしれない。て事で、雨でも晴れでも対応できるような、中途半端なウェアにする。
まず、Tシャツはホノルルマラソンで貰った完走Tシャツだ。せっかくわざわざハワイまで行ったので、これ見よがしに着るものだ。それに、色もカットもセンスが良くて、とても格好いいのだ。
もちろんのらちゃんもお揃いで着ているが、なぜか支部長は満濃リレーマラソンのオレンジのTシャツを着ている。
D木谷さんやザビエルやピッグを始めとして、多くの参加者は今年の酸欠マラソンのブルーの酸欠Tシャツを着ているが、着ている人が多すぎて見分けがつかない。
(ピッグ)「幹事長のホノルルマラソンTシャツも似たような色なので見分けがつかないですよ」
(幹事長)「ほんまやなあ。せっかくこれ見よがしに着てきたのに」
Tシャツの下には雨が降った時に備えて防寒用の長袖シャツを着た。
長袖シャツには色んな厚さのものがあるが、気温は決して低くはないので、一番薄手の長袖シャツにした。登山で愛用している吸湿性と速乾性に優れた長袖のインナーウェアだ。
最近、登山で愛用しているメッシュのアンダーシャツは、どんなに汗をかいても全然ベチョベチョしないので、着ようかなと思ったけど、暑くなりそうなのでやめておいた。
タイツはどうしようかと思ったけど、雨が降って寒くなると辛いので、履くことにした。ただランニングタイツではない。
ランニングタイツは膝が突っ張って走りにくくなるので、普通の防寒用のタイツだ。一番薄手のものなので、膝は突っ張る事なく動かしやすい。
(ピッグ)「タイツの下に脹脛サポーターを履いてるんですか?」
(幹事長)「今日は履いてません」
去年の年末の八ヶ岳アイスクライミングで肩を痛めてから、生活のあらゆる面で苦労している。
脹脛サポーターはとってもきつくて思いっきり力を入れないと履けないんだけど、肩が痛くて力を入れる事ができないので、脹脛サポーターを履く事ができないのだ。
普通のTシャツですら、脱いだり着たりするのに大変な苦労をしている状態だ。
手袋は一応、持ってはいくが、そんなに寒くはないのでポケットに入れておいた。顔を拭くハンドタオルとティッシュもポケットに入れた。
雨がひどければ着ようと思ってビニール袋も持ってきたが、今の気温では、ビニール袋なんか着たら暑くてたまらないだろう。ランニングキャップも止めておいた。
外に出てみると、ちょうど薄日が射してちょっと暑いくらいだ。じっとしてても暑いくらいなら、走りだすともっと暑くなるだろう。
準備ができたところで、みんなで記念撮影をする。

スタート前に気合を入れるメンバー
(左から幹事長、ザビエル、D木谷さん、支部長、のらちゃん、おんちゃん、ピッグ)
思ったとおり、外は今年のブルーの酸欠Tシャツを着た人であふれていた。
〜 スタンバイ 〜
スタートの10時が近づいてきたので、そろそろと外に出てスタートラインに並ぶ。
既に大半のランナーが集まっていたが、参加者数はハーフマラソンの部でも259人と少ないから、どこに並んでもさほど変わりは無い。ちなみに10kmの部の参加者数は135人で、合わせて394人だ。
定員は合わせて400人で募集していたから、その通りなんだけど、定員に達したため募集を打ち切ったのか、たまたま偶然なのかは分からない。本当にこぢんまりした大会だ。
参加者の総数も少ないけど、女子の参加者はさらに少なく、ハーフマラソンの部は女子は僅か43人だ。男子の216人の1/5で、とても少ない。最近のマラソン大会は女子の参加者が多いんだけど、この大会はコースが厳しいから少ないのだろう。
逆に言えば、こんなレースに参加する女子ってのは相当な実力者揃いだから、決して女子だからと言って侮ってはいけない。もちろん男子だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高い。
10kmの部は女子も結構多く、参加者数135人のうち47人が女子だ。
ただ、このレースは最初の4kmの上りが厳しいコースであり、10kmの部だってそこまでは上らなければならないから、厳しい事に変わりはない。
参加者僅か259人のマイナーなレースなのに、タイムは計測チップで計ってくれる。同じようにマイナーで過激な山岳マラソンの北山林道駆け足大会も計測チップでタイムを測定してくれるようになったが、こんなに坂が強烈な山岳マラソンなんて良いタイムが出るはずないから正確に計っても何の参考にもならない。
ランナーが自分の時計で計測する自己申告制度でもいいくらいだ。それなのに、不思議だ。ランナーからの要望が多いんだろうか。
なお、ゴール地点ではタイムはチップで計測してくれるが、スタート地点での計測は無い。なので、スタート時刻は全員がピストルが鳴った時だ。
て事は、スタート地点でどこに並ぶかでタイムは変わってくるが、この厳しいコースで良いタイムは出るはずがないからスタート時の多少のタイムロスは誤差の範囲だ。
(のら)「制限時間内では完走してね」
(幹事長)「たぶん無理だと思います」
どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは坂が厳しいから、他のレースとの比較は意味が無い。
この大会は、正式な大会には過去7回エントリーしたが、実際に開催されたのは4回だけだ。
コースが超厳しいため、いずれもハーフマラソンとしては空前絶後の歴史的大敗のタイムで、2016年と2023年が2時間15分台で、2017年が2時間13分台だ。
これでも十分に遅いが、2024年はそれらとは別次元の遅さだった。
なぜか理由は分からないが、2024年7月の汗見川マラソンから突如として驚異的と言うか、あり得ないような空前の大惨敗が始まった。
(支部長)「理由ははっきりしてるがな。老化や」
(幹事長)「老化って、そんなに突然くるものなのか?」
2024年の汗見川マラソンのタイムはそれまでとは次元の違う驚異的な遅さだったが、それに続く酸欠マラソンのタイムも過去のタイムとは次元の違う驚異的な遅さで、ハーフマラソンの圧倒的自己ワースト記録を叩き出してしまった。
この大会の制限時間は2時間40分なんだけど、それを危うくオーバーしてしまう2時間39分という記録だったのだ。
これまでマラソン大会で制限時間なんて意識した事も無かったが、制限時間ギリギリだった事をゴールしてから指摘された。
去年ですら制限時間ギリギリという危機的状況だったが、その後、去年の年末の八ヶ岳アイスクライミングで肩を痛めてからは、ますます走るのが遅くなり、長い距離も走れなくなっているため、冷静に考えると去年よりさらにタイムが悪くなる可能性が非常に高い。
でも、それだと制限時間をオーバーしてしまうので、とりあえず現実的な目標としては制限時間内での完走だ。
〜 スタート 〜
間もなくスターターが時計を見ながらカウントダウンを始め、10時ちょうどにピストルの音が鳴ってスタートとなった。ランナーが少ないので、スタート地点を越えるまでのタイムロスは誤差の範囲だ。
普通のマラソン大会なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、さすがに最初から厳しい上り坂なので、それほど勢いよく飛び出さない。
前の方に陣取って優勝争いをするような実力者達は勢いよく飛び出していったかもしれないが、中程より後ろのランナー達はペース配分を考えた節度ある態度で地道なスタートとなった。
最初の4kmは激坂区間だが、自主開催を含めると7回も走っているので、どういうコースか分かっている。
まずは淡々と走っていると、早くもおんちゃんが前の方に出ていく。続いてD木谷さんも前の方に進んでいく。私とはかなりのスピード差があるので、ついていこうとも思わない。
さらにしばらく走ると、今度はのらちゃんも少しずつ前の方に進んでいく。こちらはついていこうと思えばついていけそうなスピードなので、ちょっと頑張ってすぐ後ろをついていくが、それも長くは続かず、すぐにのらちゃんの背中は離れていく。
コースには1kmごとに距離表示があるが、時々見にくかったりする。でも、この瓶ヶ森林道には、旧寒風山トンネルの駐車場を起点として、西に向かって1kmごとに道路の真ん中に大きな数字の距離表示がある。
山荘しらさの前がちょうど21km地点なので、大きな数字で「21」と書いてある。スタート地点は山荘しらさの前から50mくらい北にあるが、道路に書かれた数字は見落とすことがないので目印になる。
しばらく走ると道路に「20」と大きく数字が書いてあり、その少し先に1km地点の距離表示があった。
時計を見ると1km8分半もかかっている。歴史的大敗北を喫した去年よりさらに1km1分も遅い。
いくら上り坂とは言え、出だしからこんな遅かった事は無い。早くも今年も大惨敗が確実だ。
このマラソン大会は、不便な山の中を走る小規模なレースだが、天気が良いと炎天下の厳しいレースになるため給水所はきちんと用意されている。片道に3箇所と折返し点に1箇所あるから、往復で7箇所もある。
そして序盤の急な上り坂の途中に早速、最初の給水所がある。まだまだ走り始めたばかりだが、これは嬉しい。しかもマイナーな大会なのに、水だけでなくスポーツドリンクもある。
まだ序盤で喉は渇いてないが、喉が渇いてからでは遅いので、早速スポーツドリンクを頂く。
ただでさえ超スローペースで走ってるんだけど、坂の傾斜がだんだんきつくなってきたため、さらにますますペースが落ちていく。
他のランナーにはどんどん追い抜かれていくんだけど、そのうち追い抜いていくランナーが減ってきた。私の後ろにはもうほとんどランナーが残っていないのだ。
これが丸亀マラソンのような1万人規模のマラソン大会なら、まだまだ遅いランナーもいるだろうけど、所詮259人しかいないので、あっという間に誰もいなくなってしまったのだ。
2km地点で時計を見てビックリ。なんとペースはさらに落ちて1km9分半もかかっていた。いくらなんでも、遅すぎる。
次の3km地点でも、さらにペースは落ちていた
この辺りは風が無く、薄日もさしているし、ものすごく遅いとは言え一生懸命走っているので、体が暑くなってきた。Tシャツの下に長袖シャツを着た事を後悔し始めた。
「何を着るか迷った時には薄着をする」という教訓があったような気がするが、まさにその通りだ。
でも、ただでさえ体中が痛くて衣服を脱いだり着たりするのが困難な状態なので、以前のように走りながら1枚脱ぐなんて芸当は不可能だ。
この辺りで早くも10分後にスタートした10kmの部のトップランナーが追い抜いていく。めちゃめちゃ速い。て言うか、私がめちゃめちゃ遅い。
ようやく坂の傾斜が緩やかになって、車を停めている瓶ヶ森登山口に辿り着いた。この辺りに4km地点がある。そして、この1kmも9分半ほどだった。
去年のペースも、それ以前に比べたら1km1分くらい遅かった。だが、今年はさらに1km1分くらい遅い。つまり以前に比べたら1km2分くらい遅いペースだ。
て事は、トータルで従来より40分くらい遅くなってしまう。去年と比べても20分くらい遅くなってしまう。制限時間の2時間40分どころか3時間オーバーの危機だ。
ハーフマラソンのこれまでの最悪のタイムは、今年の酸欠マラソンの2時間39分なので、もちろんハーフマラソン自己ワースト記録だ。
瓶ヶ森登山口には2つ目の給水所があるので、ここでもスポーツドリンクをもらう。
もうめちゃめちゃタイムは悪いけど、これでようやく激坂区間が終わった。最高点まであと少しだ。もう少しで楽になれる。
激坂区間が終わった後も、まだしばらく緩い上り坂が続くが、スタート地点から4.5kmほど走ったところが最高点となり、ようやく下り坂になる。
全体的に平均的に言えば、ここから折返し点まで6kmほど基本的には下りの区間が続くのでホッとするが、6kmもあるから一様ではなく、最初はしばらくは傾斜のきつい下り坂となる。
「ここで調子に乗って勢いに任せてガンガン下ると足に負担がかかり、終盤で足が動かなくなる」と言う忠告があるが、今日は既にボロボロで、スピードを上げたくても上がらない。
少し進んだところに5km地点がある。この1km区間は緩い上りと下りが半々だったから、いつもなら1km6分くらいに上がる。でも今日は、さっきまでよりはだいぶマシになったとは言え、なんと7分半もかかっている。
この辺りから稜線沿いの道になり、晴れていれば見晴らしが良く、ずっと向こうの遙かかなたまで道が見える。あんな遠くまで走るのかと思うと気が遠くなるところだが、今日はガスで見えにくいので、その点では精神的には楽だ。
だんだん下り坂に慣れてきて、なんとか自然に足が前に出てくるようになった。
それでも6km地点や7km地点でのラップは1km7分を切るのがやっとだ。いつもなら、この辺りの下り坂区間では5分ちょっとだったので、トンでもない低空飛行だ。
前半の急な上り区間は風も無いし暑かったが、この稜線上に来ると弱いながらも風が吹き抜けていき、空もすっかり曇ってきたので肌寒くなってきた。
さっきは長袖シャツを着た事を後悔していたが、今は長袖シャツを着て良かったと思う。もっとまともなスピードでガンガン走れる状態だったらいいけど、今の状態で半袖Tシャツだけなら寒かっただろう。
7km地点を過ぎたら、まだ下ってはいるものの傾斜は緩やかになり、もう気持ちよく走れるような道ではなくなる。て言うか、なんとなく上り坂になっているような気すらしてくる。
これは微妙なところで、本当に上り坂になっているのか、それとも緩い緩い下り坂なのか分かりにくい。それまで急な下り坂を走ってきた反動で、体感的には上がっているような気がするが、よく分からない。
それでも足はなんとか前に前に出ているから、たぶん下っているんだろう。
しばらく走ると最初のトンネルが現れる。このトンネルを抜けると8km地点があり、そこで時計を見ると、再び1km7分をオーバーしていた。
このトンネルを抜けると、今度は錯覚ではなく明らかな上り坂になる。上り坂と言ったって、序盤のような激坂ではなく緩い坂なんだけど、既に疲れ始めた足には堪える。ちょうど自念子の頭のそばを通っている辺りだ。
この辺りで早くも先頭ランナーが折り返してきた。8km地点ってことは、帰りは13km地点だから、5kmも先を走っていることになる。この厳しいコースで驚くべき速さだ。
一方、私は、大したことない緩やかな上り坂のはずなんだけど、疲れた足は対応できず、まるで激坂に感じられ、9km地点でのラップはなんと一気に9分近くになっていた。従来は、せいぜい6分半くらいだったから、ちょっと考えられない大撃沈だ。
9km地点を過ぎたら再び下り坂になる。結構、急な下り坂だ。再びなんとか走っていると、なんと早くもおんちゃんが折り返して戻ってきた。ものすごく速い。
その後、D木谷さんも走ってきた。これまたかなり速い。
さらに酸欠姉ちゃんやのらちゃんも走ってきすれ違った。
(幹事長)「うわ、速いやん!」
(のら)「頑張ってね」
絶望的に遅いのは私だけだ。
と思ったら、最後にピッグが走ってきた。のらちゃんよりもだいぶ遅れている。久しぶりの酸欠マラソンなので苦戦しているようだ。もちろん私よりは遥かに速いんだけど。
折り返し点が近づいてきた頃に10km地点があり、なんとか1km7分を切るペースに回復した。
少し進むと小さなトンネルが2つ連続しており、それを抜けると間もなく折返し点だ。なんとか半分まで走ったかと思うと一安心だ。
折返し点の給水所で水を補給し、すれ違いながら後ろから来るランナーを数えていく。当然と言えば当然だが、私の後ろにはもうあんまりいなかった。
ポツリポツリと走るランナーを数えていったが、なんと全部で7人しかいなかった。つまり私はビリから8番目と言う事だ。かなりビリに近い位置だ。かつての塩江山岳マラソンを彷彿とさせる展開だ。
私の後ろにいる7人は、ほぼ全員が序盤の激坂区間から抜きつ抜かれつの戦いを繰り広げてきた顔なじみのランナー達だ。
折り返すといきなり急な上り坂となった。さっきは急な下り坂だったんだから当たり前だ。
一応、走っているつもりだが、足は全く上がっておらず、ほとんど歩いているのと同じ状態で、スピードも歩いているのと変わりない。
折り返してしばらく走ると、10km地点の距離表示がある。つまり11km地点だ。この大会の距離表示は往路の分しかないから、復路はそれを読み替えて行かなければならない。
ここでのラップは、折り返して急な上り坂があったとは言え、再び一気に1km8分になっていた。
この辺りは、このコースの中でも最も景色が良い場所で、特徴的な形の自念子の頭よく見える場所だ。だが今日は、景色を楽しむ余裕は皆無だ。
足を引きずりながら走って行くが、12km地点のラップは、なんと10分という戦慄のタイムとなった。
一昨年は、この辺りで高知の酸欠姉ちゃんと抜きつ抜かれつの激烈な死闘を繰り広げたので、かなりペースが上がった。
でも、今年は周りにはほとんど誰もおらず、孤独な戦いとなった。とめどもなくペースは落ちていき、16km地点では、なんと、遂に1km12分近くにまで落ちてしまった。
登山で滑落して靭帯を損傷し、走るのもやっとと言う状態で出た北山林道駆け足大会でも、1km10分を超えるような事は無かった。
1km12分だなんて、完全に歩きのペースだ。有り得ない人類最遅ペースだ。
折り返してからの後半のコースは、時々は下り坂もあるはずなんだけど、疲れているので下り坂を感じられない。
自念子ノ頭の側を通る区間は、束の間の下り坂のはずなんだけど、せいぜいフラットな感じだ。やはり足に疲れが出てきたようだ。
折り返した時には私より遅いランナーが7人いたが、その後、一人、また一人と追い抜かれていき、いよいよ残るは3人になった。つまり私はビリから4番目だ。
ただ、一方的に追い抜かれたりするのではなく、みんな抜いたり抜き返されたりの繰り返しだ。
こんな私と競っているくらいだから、みんなもものすごく遅いんだけど、それでも走り出すとなかなかのスピードで追い抜いていく。
なんでそんなに速いのにこんな所にいるんだ?って思ったら、そういうランナーはすぐに歩き出す。そしてしばらく歩いたら、またそこそこのスピードで走りだす。歩いたり走ったりの繰り返しだ。まるで支部長と同じだ。
私は頑張って走っていてもどんどんスピードが遅くなっていくが、歩こうとは思わない。どう見ても歩いているのとほとんど同じくらいのスピードにまで落ちるんだけど、それでも歩きたいとか歩こうとかは思わない。
しばらく進むとトンネルがあり、このトンネルを抜けると残りのコースの全貌が見えるようになる。
すると、もうそろそろピークが近づいてきて上り坂も終わるはずだと思っていたのに、これから向かう瓶ヶ森登山口がはるか上に見える。
あんな上まで登っていかないといけないのか。もうガッカリだが、どっちにしてもガッカリな今日の調子なので、頭を真っ白にして進み続ける。
この上りでなんとか1人追い抜いたから、ビリから5番目になった。
この辺りは、往路では、上りなのか下りなのか分からなかった場所だ。下っているはずなのに、体感としては上っているような気がした場所だ。
でも、こうやって走っていると、今は明らかに上りだ。つまり、さっきは上っているような気もしたが、実は下っていたのだ。下っていたのに、傾斜が緩やかになったから上っているのかと錯覚したのだ。
そこからはさらに傾斜がきつくなる。序盤の4kmよりはずっと緩やかなはずなんだけど、もういい加減足がくたびれているため、序盤より厳しく感じてしまう上り坂が続く。
16km地点を過ぎても、まだしばらくは上り坂が続くが、傾斜は緩やかになり、だいぶ楽になる。
さらに進むと、ようやく最高点に達して上り坂が終わり、緩やかな下り坂になる。残りは全て下り坂だけで、苦しい区間は終わりだ。
なので、最後の力を振り絞ってスピードを上げる。さっきまでの上り坂では、歩くようなスピードだったけど、ここで一気に取り戻さなければならない。
17km地点には給水所があるが、もう終盤なので、いつもは1秒でも時間を無駄にしたくないっていう気持で給水をパスするところだ。でも今日はヘロヘロなので、ここでもスポーツドリンクを頂く。
ここで関門が無いのか気になって聞いてみた。
(幹事長)「関門時間ってありましたっけ?」
(スタッフ)「2時間40分なので、まだ大丈夫ですよ」
2時間40分と言うのはゴールの制限時間だ。
この時点で既に2時間30分が近づいていたから、どう考えても制限時間内でゴールするのは不可能なんだけど、途中の関門は無いようだ。
こうなると、後はゴールまで4kmの過激な下り坂をノンストップでガンガン駆け下りるだけだ。
と思ったんだけど、なんと、全然足が動かない。ものすごい急な下り坂なのに足が前に出ない。ものすごく足が重い。
一生懸命に走って行くが、激坂の下りなのに18km地点でのラップは7分すら切れなかった。いつもなら、この激坂の下り区間は1km5分くらいで飛ばしていたところなので、それに比べたら2分くらい遅い。こんなに急な下り坂なのに絶望的に遅い。
下り坂の傾斜はますます強くなるので、必死でペースを上げようとするが、最近は、気持ばかり焦るだけで思ったように足が前に出なくてまどろっこしく感じる事が多い。
さらに、なんとみぞおちがキリキリと痛み出した。何か鋭い物が刺さったと言うか押し付けられたって感じだ。
それで思い出した。去年もこの最後の激坂の下りで同じようにみぞおちがキリキリと痛くなった。脇腹が痛くなることはあっても、みぞおちが痛くなるのは去年が初めてだが、今年も全く同じ症状だ。
こんな痛みに負けたらいかん、って思って頑張るが、なかなか耐えがたい痛みだ。少しスピードを落とすと痛みも少し軽くなるが、止まらない限り痛みは続く。
いつもは気持よく駆け下りる最後の下りなんだけど、足が疲れてなかなか前に伸びない上にみぞおちが痛いので、走るのが苦痛だ。
こんな状態が続き、19km地点のラップも20km地点のラップも7分を切ることすらできない。
制限時間は既にオーバーしているので、このまま走っても良いのか気になって、最後の給水所でスタッフに聞いてみる。
(幹事長)「まだ走ってもいいですか?」
(スタッフ)「もう制限時間を過ぎてるので、交通規制が解除されて車が通り出すかもしれないので、気を付けて走ってくださいね」
と言う事で、特に走るのを止めろとは言われなかった。なんとかゴールはできそうだ。
〜 ゴール 〜
少しずつゴール地点にいる人達の話し声が聞こえてきた。そして、最後の曲がり角を曲がったら、ようやくゴールが見えてきた。
ゴールゲートの横ではのらちゃんが待っていてくれた。
(のら)「お疲れさま!」
(幹事長)「今年もみぞおちが痛くて痛くて」
みぞおちの痛みが限界になり、ゴールしてそのままうずくまる。
(のら)「去年も同じだったね。大丈夫?」
(幹事長)「原因が分からないけど、終盤で痛み出したよ」
結局、タイムは驚愕の2時間56分だった。制限時間は既にオーバーしているので、どんどん後片付けが始まっていて、タイム計測もしてくれなかった。
それでも、それは分かっていた事なので、なんとか最後まで走ってゴールできたことで少しだけ満足だ。
他のメンバーは、おんちゃんは2時間0分台という、もうあとほんの少しで2時間を切ると言う素晴らしいタイムだった。
D木谷さんは今年はおんちゃんより少し遅かったが、それでも悪くないタイムだ。
のらちゃんも去年より2分速いタイムで、女子年代別で3位に入賞した。素晴らしいなあ。
久しぶりに出場したピッグはだいぶ遅かったが、もちろんそれでも私よりは遥かに速かった。
私は2年連続で酸欠マラソンの大会自己ワースト記録どころか、かつての強烈登山レース塩江山岳マラソンも含め、なんと過去30年間で90回出場したハーフマラソンの自己ワースト記録だった。
何の緊張感も無くダラダラ走った自主開催大会を入れても、108回走ったハーフマラソンの自己ワースト記録だった。
それも、ダントツで遅いハーフマラソン自己ワースト記録だった。
(のら)「去年と全く同じコメントだよ」
去年もそれまででダントツに遅いハーフマラソン自己ワースト記録で、理由が思いつかないどん底状態だったが、今回はさらに一段と大幅に上回る空前絶後にダントツで遅いハーフマラソン自己ワースト記録だ。
原因は、登山などで溜まりに溜まっている疲労、極端な暑さによる練習不足、忍び寄る老化、肩の故障など色々と考えられるが、もう絶望的だ。
もうまともに走れない体になったんだろうか?
10kmの部に出た支部長は、前半は激坂の上りなので歩きまくったが、後半は一気にスピードアップして駆け下りてきたそうだ。
(支部長)「下りは得意やからな。一気に蘇ったよ」
そして、ザビエルもなんとか完走したそうだ。
(幹事長)「タイムは?」
(ザビエル)「1時間17分ですぅ」
(幹事長)「支部長のタイムは?」
(支部長)「ん?えっと1時間16分やな」
(幹事長)「え?ほとんど同じやんか!」
(支部長)「え?ほんまや!」
支部長としてはザビエルごときには圧勝したつもりだったようだが、なんとすぐ後ろから迫って来てたのだ。
(支部長)「最後の下りは驚異的なスピードでガンガン駆け下りてきたはずなのに」
(ザビエル)「私も最後の下りはガンガン駆け下りてきましたよ」
(幹事長)「後ろに誰かいた?」
(ザビエル)「まだ何人かいましたよ」
サビエルは最下位ではなく、後にはまだまだ何人もランナーがいたようだ。
(ザビエル)「今日も一歩も歩きませんでしたよ」
(幹事長)「それは私も同じや」
私はどんなレースでも一歩も歩かない「完走」を至上命題としており、自分の気持ちとしては歩いていない。
でも、足は全く上がっていないので、他人が見たら完全に歩いているように見えるだろう。スピードだって歩いているのとほぼ同じだ。
たぶん、ザビエルも同じ状態だろう。
(のら)「それは世間では歩いていると言うのよ」
(支部長)「その場合は、ちゃんと歩いた方が疲れないよ」
(幹事長)「そうかなあ」
支部長のように、疲れたら完全に歩き、少し回復したら再び走るっていう方がマシなのかもしれない。
でも、一度歩き出すと、とめどもなく歩いてしまいそうだ。
〜 反省会 〜
みぞおちの痛みは治まったとは言え、体中が疲労困憊なので、山荘しらさの中に入り、椅子に座ってグッタリする。
ゴールした後は弁当とキジ汁の支給があるが、取りに行く事ができないので、のらちゃんが代わりに取って来てくれた。
こんなに疲労困憊でグッタリしてるんだけど、食欲はあるので、暖かいキジ汁を食べて冷えた体を温める。
お弁当は去年と同じくキジ肉バーガーだった。普通の大会なら疲れた体では喉を通りにくい幕の内弁当が支給されるが、キジ肉バーガーは美味しく食べやすい。山荘しらさで日常的に提供されているものだろう。
お弁当を食べてからもグッタリしていると、急がないと瓶ヶ森駐車場まで戻るシャトルバスに乗れなくなるとの事なので、疲れた体に鞭打って屋外に出て列に並ぶ。
去年はシャトルバスがなかなか来なくて寒い中で長い間待たされ、体が冷え切ってしまった。
でも、今年はうまい具合にすぐにバスが来たので、冷える事無く乗り込んだ。
レースの後は、温泉に入るに限る。近くにある温泉と言えば木の香温泉だ。
一昨年までは木の香温泉の半額入浴券が支給されたが、去年は何も支給されなかった。それが今年は800円が500円になるサービス券が支給されたので、少し嬉しい。
木の香温泉は、瓶ヶ森林道から下界に降りてすぐ近くにある道の駅に併設された温泉だ。
屋外にある木製の露天風呂は、ちょっとぬるめのちょうど良い湯加減なので、いつまでも浸かっていられる。厳しいマラソン大会で疲れた体を癒すには絶好の温泉で、本当に気持ち良い。
のんびりお湯に浸かりながら反省する。
今日は去年を上回る歴史的な大撃沈だった。でも、その原因が良く分からない。去年と同様、異常な猛暑だったため練習量が激減していたのは間違いない。だが、それは他のランナーも同じじゃないのだろうか。
おんちゃんのように早朝に走るとか、色々と工夫しながら練習量を確保しているランナーも多いだろうが、私の大撃沈はそれだけでは説明がつかない。
肩の故障に加え、ここんとこ背中や首も痛くて動かすのに苦労しているので、それが大きな理由だろう。体中の老化が一気に進んでいる感じだ。
空前絶後の大撃沈でダントツの自己ワーストを記録を出した去年に続いて、さらにダントツの自己ワーストを記録するなんて、絶望的だ。
しかし、絶望しているヒマは無い。
1ヵ月後には、去年のホノルルマラソンに続く海外遠征のイスタンブールマラソンがある。フルマラソンだ。
わざわざトルコまで行って、まともに完走できなかったら情けない。
なんとかして制限時間内の完走だけは死守したいぞ。
〜おしまい〜
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