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脱藩マラソン2024


第11回 龍馬脱藩マラソン大会

〜 制限時間ギリギリのフルマラソン自己ワースト記録! 〜


2024年10月13日(日)、高知県檮原町において第11回龍馬脱藩マラソンが開催された。

脱藩マラソンは6月上旬の北山林道駆け足大会7月下旬の汗見川マラソン10月上旬の酸欠マラソンに続く夏場の山岳マラソン4連戦の最終戦として大きな存在感のある大会だ。
坂の過激さは北山林道駆け足大会や酸欠マラソンも同じくらい超厳しいが、なんと言ってもこの脱藩マラソンはフルマラソンがあるので、その過激さは筆舌に尽くしがたい
他の上記3大会は、コースが厳しいと言っても、北山林道駆け足大会は距離が13kmと短いので楽しいまま終わるし、汗見川マラソンは坂の厳しさが少しマシなうえ終わってからの川遊びが楽しいハーフマラソンだし、酸欠マラソンは天空の絶景コースを走るハーフマラソンなので、厳しいとは言いつつ、いずれもとっても楽しい大会だ。
しかし、脱藩マラソンは楽しさを感じる余裕は無く、最初から最後まで苦しいだけの大会だ。あまりにも厳しい大会なので、開催日が近づいてくると憂鬱な気分になり、できることなら逃げ出したいくらいになるので、自分でも本当にこの大会を楽しみにしているのかどうか、よく分からない。

(のら)「あたしも今年は逃げたくなってるよ!」
(幹事長)「分かればよろしい」


しかし、苦しいからと言ってこの大会を避けたりすると、自分が情けなくなり、ずっと後悔する羽目になるし、また自分の現時点での力を把握するためにも、避けて通れない地獄の関門のような大会だ。

ただ、従来は9月初旬に開催されていた酸欠マラソンが去年から10月の開催になったため、超過激な山岳マラソンである酸欠マラソンと脱藩マラソンが2週連続で開催されると言う大惨事になっている。いくらなんでも、こりゃ厳し過ぎる。
さらにその後も、スケジュールが立て込んで大変な事になっている
 10月 6日 酸欠マラソン、こんぴら石段マラソン
 10月13日 
龍馬脱藩マラソン
 10月20日 四万十ウルトラマラソン
 10月26日 善通寺フォトウォーク、空海うどんロゲイニング
 10月27日 庵治マラソン


しかも今回は、1週間前の酸欠マラソンで空前絶後の大撃沈となり、ハーフマラソン自己ワースト記録を大幅に更新したばかりなので、フルマラソンを完走するなんて不可能ではないかと不安だった。


〜 超厳しいコース 〜


龍馬脱藩マラソンは、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだ。
四国カルストマラソンは、夏場の貴重なレースと言うことで何度か参加したことがあるが、史上最大級に厳しい拷問のようなコースだった。
四国カルストマラソンがなぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだ。
死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。
その後継レースとして新しく2011年にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。

脱藩マラソンは、四国カルストマラソンと比べたら、開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースになる危険性は低くなった
しかしながら、コース自体ははるかに厳しくなった。最長でも20kmコースだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンの部ができたのだ。

ハーフマラソンのコースも累積の獲得標高は380mもあるから、汗見川マラソンやタートルマラソンより厳しい。
しかし、フルマラソンのコースはスタート地点から折り返し点までの標高差が560mもあり、しかも途中にアップダウンがあるので、累積の獲得標高は900mほどある。 ハーフマラソンの2倍以上の厳しさだ。
前半は基本的に上りが続き、特に前半の終盤が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点までの4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。
そして折り返し点直前の600mは岩が転がる山道で、走ることは不可能で両手を膝に着きながらよじ登ると言う、トンでもない山登りマラソンだ。

龍馬脱藩マラソンに初めてエントリーしたのは2014年。ただ、そのときは台風のため直前に中止になってしまった。
そのため、龍馬脱藩マラソンに初めて出場したのは2015年となった。そのときはフルマラソンとハーフマラソンとどちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。

(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちが良いか迷ってるんだけど」
(橋M)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンでも厳しいです。
     脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ。できれば10kmの部にしてください」


あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。橋Mさんに言われなくても、フルマラソンのコースが我々に厳し過ぎるってことは、楽天的な我々にも分かる。
一方、ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう
でも、さすがにわざわざ檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。超厳しいコースだろうけど、それだけに、そこまで厳しいコースってどんなんだろうって、ワクワク楽しみにしていたのだ。

ところが、実際に走ってみると、ハーフマラソンのコースは超過激ってほど大変ではなかった。事前に恐れおののいていただけに、その反動もあって、ちょっと肩すかし気味だった。

(幹事長)「あんなに恐れていたのに、あんまり大したこと無かったよなあ?」
(支部長)「いやいや、そんなことはない。十分に厳しかったで」

支部長は満腹したようだが、私は、翌年はフルマラソンの部に出るべきではないかと再び悩んだ。
そこで今度は阿南のスーパー女性ランナーY浅さんに聞いてみた。彼女は毎年、龍馬脱藩マラソンのフルマラソンの部に出ているからだ。

(幹事長)「どうでっしゃろ?」
(湯A)「せっかく脱藩マラソンに行くんなら、そりゃあフルマラソンに出ないと残念ですよ。ハーフマラソンでは脱藩になりませんよ」

この「ハーフマラソンでは脱藩にならない」という意見は、あちこちから聞いた。
なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからだ。つまり、土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。
しかし、ハーフマラソンのコースは国境まで行かずに途中で引き返してくるため、脱藩してないフルマラソンのコースを走って初めて脱藩したことになる
なので、やはり一度はフルマラソンの部に出てみないと話にならない。


〜 過去は惨敗続き 〜


散々、悩んだが、やはり一度はフルマラソンの部に出てみたいので、2016年に初めてフルマラソンの部に出場した
その結果は、呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
前半は聞いていた通りの急坂だった。ただ、走る前は、途中で足が動かなくなるんじゃないかっていう不安があったけど、実際に走ってみると思ったより順調に坂を上ることができて、途中で一歩も歩くことなく折り返し点に達した
しかも「絶対に前半に無理したらいかんぜよ!」という忠告を聞いていたので、そんなに無理して頑張って上った訳ではなく、淡々とマイペースで上ったつもりだった。
それなのに、折り返し点で時計を見ると、まだ2時間半しか経過していない。こんなに激しい上り坂を2時間半で上れたって事は、下りは2時間もあれば簡単に下りて行けるだろう。
てことは4時間半くらいで完走できるはずだ。この超激坂ウルトラ山岳マラソンで4時間半だなんて、めっちゃ良いタイムやんかっ!
って思ったんだけど、なんと、下りになった後半の途中で足が衝撃的に痛くなった。あまりの足の痛さに走るどころか歩くことすらできなくなり、道端に寝転がって痛みを取ったりした。
しばらく休んで痛みがマシになると再び足を引きずって歩き始めるが、すぐまた足が痛くなって歩けなくなり、また休む。しかも、だんだん休む時間が長くなる。
なんとかゴールに辿り着いたものの、もうあり得ないくらいの空前絶後の大惨敗だった。
そして、こんな辛い思いは二度としたくないから、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」なんて決意した。

ところが、翌年になると、あの空前絶後の大惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思い、2017年もフルマラソンの部に出場した

(支部長)「もう出ないって言ってたのに、ほんまに記憶力が悪いな」

辛かった記憶が薄れたこともあるが、前年はフルマラソンの部の初出場だったため、コースも分からず、作戦も失敗したが、その教訓を踏まえて再戦すれば、今度はもっとマシなタイムになると思ったのだ。
そして、嫌がる支部長も強引に誘ってフルマラソンに一緒に参加した。そして、結果は、二人そろってさらに呆れてモノも言えないくらいの大々惨敗だった
前年の反省から、前半は抑えて走って余力をたっぷり残しておき、折り返し点を過ぎて後半の下りになると、余力を開放してガンガン飛ばして一気に下る作戦だった。
ところが、なんと、あんなに前半に余力を残していたにもかかわらず、下りになった後半の途中で足が攣り始めた。
結局、終盤は前年と同様、歩いたり休んだりしながら足を引きずってトボトボと帰ってきたため、前年を上回る衝撃的な大々惨敗だった。
そして、「もう金輪際、二度とこのフルマラソンには出ないぞっ!」と決意した。

ところが、翌年になると、あそこまでひどい空前絶後の大々惨敗のまま終わってしまうのは悔しすぎるって思うし、 記憶力の衰えから、とんでもなく足が痛くて辛かった記憶が薄れてきたこともあり、2018年も性懲りもなくフルマラソンの部に出場した

(支部長)「記憶力が悪いと言うより、記憶力が無いな」

私よりは記憶力の衰えがマシな支部長は、二度とフルマラソンには出なかったが、私は再びフルマラソンに挑戦した。そして作戦を大きく変更した。
2016年は、「恐れていたけど、案外走れるぞ」なんて思って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2017年は、その反省から、前半を抑えて走り、急坂ではためらうことなく歩いた。それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
なので、2018年は、取りあえず何も考えずに再び自然体で走る作戦としたのだ。

(支部長)「それは作戦とは言わんぞ」

そして、その結果は3年連続で呆れてモノも言えないくらいの大惨敗だった。
自然体で走ったら、2016年の時と同様、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上れたが、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり

(支部長)「それって、最初の年と全く同じパターンやんか。学習効果が無いなあ」

ただ、大惨敗ながらも大会自己ベストは僅かながら更新したと勘違いして、レース直後には「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。
ところが、家に帰って調べてみたら、2016年のタイムより10秒だけ遅くて大会自己ベストじゃなかったことが判明した。

それで仕方なく、2019年も再びフルマラソンの部に出場した
2016年と2018年は前半の上り坂を一歩も歩かずに上ったため、後半に足が痛くなったり攣ったりして走れなくなったので、再び前半は徹底して抑えるという作戦に変え、少しでもきつく感じるとすぐ歩いた
前半での抑制を、2年目の2017年の時より、さらに徹底したのだ。
その結果、前半は過去3大会と比べて遅かった。しかし、それが功を奏して後半は足が痛くならず失速しなかったため、初めて後半の方が前半より速いタイムで走れ、結果としてなんとか大会自己ベストを更新することができた
てことで、晴れて「脱藩マラソンのフルマラソンの部からの卒業宣言」をした。

その後、新型コロナウイルスのバカ騒ぎのせいでまらそん大会が中止になったため2020年2021年自主開催した
自主開催でフルマラソンを走れるほど我々の精神力は強くないので、2年連続での自主開催大会はハーフマラソンのみの開催とした。

2022年に3年ぶりに復活した第9回大会は、またまたフルマラソンにしようかハーフマラソンにしようか迷った。
2019年に大会自己ベストを出して卒業宣言したので、もうフルマラソンに出る必要は無かったが、初参加するのらちゃんが、みんなから「一度はフルマラソンに出た方が良いよ」なんて甘い言葉をかけられていたので、一緒にフルマラソンに出ようか迷ったのだ。
でも、その時点でのらちゃんは脱藩マラソンに限らず、フルマラソンには一度も出た経験が無く、さすがに脱藩マラソンでフルマラソンデビューってのは無謀だと思い直した。
て事で、2022年みんな揃ってハーフマラソンに出場したその結果は、大惨敗だった
その翌年も、ついつい腰が引けてしまって、2023年もハーフマラソンでお茶を濁してしまったその結果は、さらなる大惨敗だった
フルマラソンは厳しいからとてハーフマラソンにしたのに、2年連続で大惨敗となったため、大きな衝撃だった。

(幹事長)「原因が全く分からない」
(支部長)「コロナ騒ぎの間に力が衰えたんだよ」


〜 エントリー 〜


ハーフマラソンですら2年連続で大惨敗したくらいだから、もう脱藩マラソンではフルマラソンは無理だろうと思ってたところだが、2022年の神戸マラソンでフルマラソンにデビューし、その後もフルマラソンで素晴らしい成績を上げ続けているのらちゃんが、「やっぱり一度は脱藩したい」って言い張る。つまり、フルマラソンを走ると言うのだ。

(幹事長)「いってらっしゃあ〜い」
(のら)「何言ってんの。一緒に走るよ」
(支部長)「それだけはこらえてください!」
(D木谷)「どうしたもんでしょうね」


支部長は相変わらず頑なにフルマラソンへの出場を拒む。それが理性ある大人の対応と言うものだ。
一方、いつもなら力強くサポートしてくれるはずのD木谷さんも、イマイチ腰が引けている。なぜなら私以上に超過密なスケジュールになるからだ。

 10月 6日 酸欠マラソン(ハーフマラソン)
 10月13日 
龍馬脱藩マラソン(フルマラソン)
 10月27日 金沢マラソン(フルマラソン)
 11月10日 岡山マラソン(フルマラソン)

 11月17日 三豊マラソン(ハーフマラソン)
 12月 1日 松江城マラソン(フルマラソン)


(幹事長)「何か家庭内で悩み事でもあるんですか?」
(D木谷)「あれだけ登山に行きまくっている幹事長には言われたくないですね」


特に悩み事を忘れるためにレースにばかり出ている訳でもなさそうだ。

(幹事長)「そこが加藤くんとは違う所やな」
(加藤)「私も悩み事を忘れるために毎週レースに出てる訳じゃないですよ!」


みんなで悩んではみたものの、のらちゃんの「一度は脱藩してみたい」という希望を叶えるため、みんな揃ってフルマラソンに出る事になった。

(支部長)「いや、私は絶対に出ないよ!」

て事で、支部長だけは頑なにフルマラソンを拒み、一人ハーフマラソンの部に出る。

(支部長)「本当は10kmの部でも十分なくらいや」
(幹事長)「先週は一人だけ10kmの部に出て寂しかったやろ」
(支部長)「そんな事はない。10kmの部は体に優しいよ」


フルマラソンは明らかに体に悪い。とっても悪い。筋肉も骨もボロボロになるし、内臓だって弱り切る。特に脱藩マラソンのフルマラソンだなんて、体には最悪だ。
ハーフマラソンだって、かなり体に悪そうだが、10km程度なら体には優しいだろう。
なので、支部長の選択は正しい。

てな事で、今年はのらちゃん、私、D木谷さんの3人がフルマラソンに出場し、支部長がハーフマラソンに出場する事になった。


〜 檮原町へ出発 〜


今年は支部長さまが車を出してくださった。あとの3人は、フルマラソンでボロボロになるから帰りの運転は避けた方が良い、との判断だ。

梼原町はとても遠いので、出発は早朝になる。
初めて大会に参加した2015年は民宿に泊まったが、2016年以降は早朝に出発して日帰りしている宿泊場所を探すのに疲れ果てたからだ
脱藩マラソンは、エントリー自体は他のマラソン大会に比べて楽だが、一番のハードルは宿泊場所の確保だ。宿泊場所の確保が極めて難しいのだ。
て言うか、このマラソン大会が人気薄な理由は、コースが厳しい事もあるが、宿泊場所に困る事も大きい。宿泊場所が無くて参加できない人が多いのだ。たぶん。

距離だけ考えれば、所詮は四国内なので、高松からの日帰りも無茶ではないような気がするが、初めてエントリーした時にH本さんに聞いてみたら、「何言ってるんですか!日帰りなんて無謀ですよ!睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ」なんて叱られた。
そのため、宿泊場所を探してみたが、檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、雲の上のホテルの別館のマルシェユスハラもきちんとしたホテルだが、どちらも小規模なので、予約は極めて難しい。
町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、あとは民宿を探すしかないが、民宿も小さな民宿が数軒あるだけなので、マラソン大会の前日の宿泊を確保するのは至難の業だ。

それでも初参加の2015年は、なんとか苦労を重ねた結果、1部屋だけ確保することができた。
ただし食事では揉めた。周辺に飲食店も無いような場所なので食事は必須なのに、民宿のおばちゃんは夕食を作りたがらない。夕食を作らない民宿なんて聞いたことないが、「高齢のため食事を作るのが大変だから」と言う説得力の無い理由で難色を示す。
かなり粘ったが、頑なに抵抗され、押し問答の末、食事無しで泊まる事にした。近所の飲食店に行こうかとも思ったが、そういう状況なら数少ない飲食店も満員と思われたので、行く途中の須崎市で食料品を買い込んで民宿の部屋で食べた。
この時の経緯は2015年の記事に詳細を記載しているので、是非読んで欲しい

結局、民宿に泊まっても、風呂も古くて狭くて設備はイマイチだし食事も出ないのであんまり快適ではない。
しかも、みんなで雑魚寝するため、どうしても夜は酒盛りをして寝不足になってしまい、マラソン大会前夜の過ごし方としては適切ではない。
て事で、翌年から前日の宿泊は諦めて、早朝出発の日帰り路線に変えたのだ。

4時過ぎに家の外に出ると、まだ真っ暗だが、それほど寒くはない。今年は歴史的な猛暑が続いており、10月に入ってもまだまだ寒くはないのだ。
早朝の4時20分支部長D木谷さんを乗せて迎えに来てくれて、その後、のらちゃんを拾って朝5時過ぎに高速道路に乗った。

車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。
以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてからは改善された。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べ始めてからは下痢する頻度はかなり低くなった。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレに籠ってしまった。
その後も2022年の神戸マラソン2023年の那覇マラソン今年の富士五湖ウルトラマラソンでもお腹を壊し、トイレに籠ってしまった。
いずれの場合も、朝食の量は控えめだったし、パンも避けていた。それなのにお腹を壊した。老化の進行により、年々ますます胃腸が弱くなっているのだろう。
ご飯路線が悪い訳ではないだろうが、レース前に食べすぎるのは禁物だ

日曜日の早朝なので高速道路は空いていて、車は順調に進んだ。天気予報では今日は良い天気との事で、四国山地の中も良い天気だった。
須崎インターで高速道路を降り、国道197号線を西にひた走る。順調に車は進むが、やはり梼原町は遠い。
梼原町の中心部に入る手前では、今年も雲の上のホテルの建て替え工事が続いていた。当初は、工事は2024年3月に完成する予定だったが、資材高騰で大幅に工事が遅れ、今は2027年夏の開業を目指しているらしい。
ただでさえ宿泊が難しかった脱藩マラソンの前夜泊がますます難しくなっている。


〜 会場到着 〜


7時半過ぎ梼原町の中心部に到着し、おんちゃんに再会した。と言っても、先週の酸欠マラソンで会ったばかりだ。
おんちゃんは最近も毎月300kmくらい走っていて、酸欠マラソンでもその力をいかんなく発揮して好タイムを叩き出した。
それに対して私は、先月は70km走るのが精一杯で、その力をいかんなく発揮して酸欠マラソンで大惨敗した。今日も同じ展開になるだろう。

会場の梼原町役場へ移動するが、ゼッケンや計測チップや参加賞のTシャツなんかも全て事前に送ってきているので、当日は受付が無い
ただ、なぜかパンフレットだけは当日配布しているので、それだけを貰う。

更衣室はいつものように地域活力センター「ゆすはら・夢・未来館」で、1階が女子、2階が男子更衣室だ。1階で着替えするのらちゃんと分かれて、我々は2階へ上がる。
ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ
予想外のコンディションになった時に慌てふためかないように、最近はどんな気象状況になっても対応できるように色んな準備をしてきている。万全の態勢だ。
今年は史上まれに見る異常な猛暑が続いており、今朝も全然寒くない。なので半袖Tシャツ1枚でちょうど良いだろう。

Tシャツはみんなで先週の酸欠マラソンのTシャツユニフォーム代わりに着る

(おんちゃん)「今日の脱藩マラソンのTシャツではないんやね?」
(幹事長)「違います。酸欠マラソンのTシャツです」


酸欠マラソンに酸欠マラソンのTシャツを着る人は大勢いるし、脱藩マラソンに脱藩マラソンのTシャツを着る人も大勢いる。なので、それでは目立たなくてユニフォームにならない。
一方、酸欠マラソンに脱藩マラソンのTシャツを着ている人は皆無だったし、脱藩マラソンに酸欠マラソンのTシャツを着る人も皆無だろう。なので、遠くからでも良く分かる。

(幹事長)「画期的なナイスアイデアやなあ。えっへん」
(支部長)「はいはい」


酸欠マラソンのTシャツは背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインだ。去年も同じデザインだった。
なので、みんな気に入って色んなマラソン大会で見かけるだろうと思っていたのに、我々の他は、一度も見かける事がなかった。なぜか、みんな避けているようなのだ。
Tシャツの下には最近、登山の時に着ているメッシュのアンダーシャツを着た。

(D木谷)「オリーブマラソンで着てたメッシュシャツではないんですね?」
(幹事長)「あれはもうボロボロですぅ」


登山用のメッシュのアンダーシャツは前々から気になってはいたものの、適当なものが見つからず導入してなかったが、遂に適当なものが見つかったので、最近、買ったのだ。
これが登山の時、期待以上の素晴らしい性能を発揮してくれて、いくら汗をかいても全然ベチャベチャしないのだ。
こんなに素晴らしい効果を発揮するとは思ってなかったので、マラソンでも着ることにし、先週の酸欠マラソンで初めて着たら、期待通り快適だった。

メッシュシャツは汗対策だけど、寒さ対策にもなるようで、屋外に出ても寒くない。
ただ、腕は剥き出しだと少し肌寒い。このコースは最高点はここより標高が600mくらい高いので、気温はもっと低いだろう。
こういう事態に備えて今年はアームカバーを持ってきた。それも厚いものと薄いものと2種類持ってきた。
とりあえず薄いのを着けて屋外に出てみたら、ちょうど良い感じだ。もし日射しが強くなって暑くなれば、すぐに脱げば良いだけだ。

ただ、手袋までは必要無いだろう。また、ランニングキャップは嫌いなので被らない。
ランニングタイツも暑くなりそうなので履かないが、足攣り防止のために脹脛サポーターだけは履いた。
下は練習の時にもいつも履いているランニングパンツを履き、ポケットにはハンドタオルとティッシュを入れた。
さらに今日は小さなウェストポーチを付けた。

(支部長)「おや、珍しいな」
(幹事長)「エネルギー補給のために」


支部長のらちゃんはいつもウェストポーチを付けて何やかやと持って走るが、私は鬱陶しいので普段は付けない。でも今日は完走するためにはエネルギー補給が重要だと思い、色々と入れてきたのだ。

(のら)「何入れてるの?」
(幹事長)「片手で食べられる小さなようかんだよ〜ん」


片手で食べられる小さなようかん」は今年の善通寺五岳山空海トレイルのダブル部門に出た時に採用した補給食だ。
レースの途中で足が動かなくなる要因の1つはエネルギーの枯渇なので、補給食は重要だ。お腹が空いたと感じた時点では既に手遅れなので、こまめにエネルギー補給しなければならない。
普通のマラソン大会ならエイドにある補給食で十分だが、善通寺五岳山空海トレイルのダブル部門とか脱藩マラソンのフルマラソンのような超過酷なレースでは、それだけでは不十分なので、自分でも補給食を持って走るべきだ
ただ、疲れてくると食べ物を取り出すのもなかなか大変になってくるので、いつでも食べやすいものでないといけない
その点、このようかんは片手の指でちょっと押すだけで出てくるから食べやすい。こんな物、一体、どういう人を対象にした商品なのか全く理解できないが、過酷なレースには打ってつけの食べ物だ。
他にも栄養補給のゼリーとか飴玉なんかも入れ、さらに足攣り防止ドーピング薬としてツーラン68の両方を入れた。これで万全の準備だ。

準備ができたところで、みんなで団旗を持って記念撮影だ。フルマラソンを完走できるか不安爆発だが、とりあえず笑顔で写真に収まる。

天気は快晴だが心には暗雲が立ち込める
(左から支部長、幹事長、D木谷さん、おんちゃん、のらちゃん)


準備が終わったところで、コースを確認する。今年はコースが少し変わるとの事だ。と言っても、以前のコースに戻っただけのようだ。
トンネルを2つ通って大きな坂を下ってしばらく行ったところに、5km地点(10kmコースの折り返し点)がある。去年は、そこを過ぎても、そのまま真っすぐに進んだが、今年は以前のように、そこで橋を渡って川の左に移動するようだ。
要所には案内スタッフがいるはずだから、道を間違える心配は無いが、コースを頭に入れておかないと戸惑ってしまうだろう。


〜 スタンバイ 〜


フルマラソンのスタート時間の9時が近づいてきたので、そろそろとにスタート地点に移動する。支部長が出るハーフマラソンのスタート時間は30分後だ。

スタート地点で周りを見ると、以前に比べて参加者が少ない
もともとマイナーな大会ではあるが、コロナのバカ騒ぎの前はフルマラソン、ハーフマラソン、10kmの部を合わせて定員は1500人で、定員いっぱいの参加者がいた。
それが今年の定員は全部で1111人だ。2022年は800人、2023年は1000人だったから、少しずつ定員は増やしている。
だが、実際の参加者数はもっと少なくて全部で773人だ。去年よりも少ない。
内訳はフルマラソンが238人、ハーフマラソンが294人、10kmの部が241人だ。

参加者が少ないから、どこに並んでもタイムにさほど変わりは無い。
て言うか、この厳しいコースで良いタイムは出るはずがないから、スタート時の多少のタイムロスは誤差の範囲だ。
これくらい少ない方が混雑も無いし、走りやすいが、大会が消滅してしまわないか心配だ。

(支部長)「以前はゲストが来てたけど、それもいなくなったな」

以前は間寛平とかはるな愛をゲストに呼んだりしていたが、ゲストを呼ぶお金も無いんだろうなあ。でも、こんなマイナーな大会でゲストを呼ぶ必要は無い。

参加者の総数も少ないけど、女性の参加者はさらに少なく、フルマラソンは男子が204人で、女子は全体の1/7の僅か34人だ。ハーフマラソンでは女子が2割ちょっといるし、10kmの部では4割以上が女子だから、いかに女子がフルマラソンを避けているのかが分かる。
最近のマラソン大会は女性の参加者も多いんだけど、脱藩マラソンのフルマラソンは超厳しいから女子の参加者が少ないのだ。
逆を言えば、こんなレースに参加する女性って相当な実力者だから、間違っても女性だからと言って侮ってはいけない。たいていの女性参加者には負けると覚悟しておかなければならない。
先週の酸欠マラソンでボロ負けした酸欠姉ちゃんも強敵だ。

(酸欠姉ちゃん)「脱藩マラソンのフルマラソンは初めてなんよ」
(幹事長)「え!?そうなん?このフルマラソンはキツイよう、ふっふっふ」
(酸欠姉ちゃん)「きゃあ〜!やっぱり?」


なんて言ってるが、私と正反対で、酸欠姉ちゃんは今年はもの凄く練習を積んでおり、先週の酸欠マラソンでもコテンパンにやられたから、今日も絶対に負けるだろう。

スタート前に本日の目標を立てなければならない。
もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは坂が厳しい過酷なコースだから、他のレースとの比較は意味が無い。

なので、目安はあくまでも過去のタイムだ
この脱藩マラソンでフルマラソンに出たのは4回だ。
上にも書いたように、2016年は、「案外走れるじゃ〜ん」なんて思って調子に乗って前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上ったため、後半の下りで足が痛くなって走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2017年は、その反省から、前半を抑えて走り、急坂ではためらうことなく歩いたが、それなのに下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫した。
2018年は、その反省から、取りあえず何も考えずに再び自然体で走ったら、2016年と同様に、前半の上り坂を一歩も歩かずに走って上れたが、下りの後半で足が攣り始め、やはり走るどころか歩けなくなり、大惨敗を喫してしまった。
2019年は、その反省から、2017年以上に前半を徹底的に抑えて、急坂ではことごとく歩いた。そしたら、前半は過去3大会と比べて最も遅かったが、それが功を奏して後半は足が痛くならず失速しなかったため、初めて後半の方が前半より速いタイムで走れ、結果として大会自己ベストを更新することができた。

(のら)「毎回、反省してたんだね」
(幹事長)「3回も反省して、ようやく打開できたのだよ」


打開できたって言っても、2019年の大会自己ベストのタイムは5時間24分だ。普通のフルマラソンなら、いくら私でも5時間をオーバーしたら大惨敗だ。フルマラソンなら最低でも5時間はクリアしないと恥ずかしい。
だが、しかし、この龍馬脱藩マラソンに限って言えば、2019年の自己ベストが限界のような気がする。なので、今回の目標は5時間24分を切って大会自己ベストを更新する事だ。

とは言え、それだって今回は簡単ではない。絶対に簡単ではない。なぜなら、今年は圧倒的な練習不足なのだ。
練習不足は今に始まった事ではなく、昔からそうなんだけど、特に今年はひどかった。月間走行距離は7月も8月も100kmちょっとで、9月に至っては70kmそこそこだ。
もともと練習が足りない私でも、年によっては9月でも200kmくらい走っていた事もあるので、いかに練習量が少なかったかが分かる。
何も、サボりまくっていた訳ではない。ひとえに今年の異常な猛暑のためだ。あまりにも暑くて、少し走っただけで足が動かなくなるため、あまり走れなかったというのが言い訳だ。
もちろん、いくら言い訳したところでタイムが良くなる訳ではない。おんちゃんなんかはまだ真っ暗な午前3時とかに走っていたと言うから、要するにやる気の問題だ。
先週の酸欠マラソンの前も同じ状況で、どんなに頑張っても練習では10kmくらい走ったら足が動かなくなった。なので、酸欠マラソンの激坂のハーフマラソンを完走できるかどうかものすごく不安だった。
ただ、標高が高い場所でのレースなので、気温は低く気象条件としては走りやすい状況だったせいか、なんとか完走はできた。とは言え、ハーフマラソン自己ワースト記録を更新する考えられない大惨敗だった。

それを考えると、今日もこの激坂のフルマラソンを完走できるかどうか、ものすごく不安だ
先週はなんとかハーフマラソンを完走できたと言っても、今日はその2倍の距離だ。普通に考えたら、途中で足が動かなくなりそうだ。
これはのらちゃんも全く同じ状況だ。彼女も先週の酸欠マラソンは、私よりはマシだったが、去年よりだいぶタイムが悪かった。
しかも、脱藩マラソンのフルマラソンは初めての出場だ。なので、不安が爆発している。

(のら)「えーん、えーん、フルマラソンなんかにエントリーしなけりゃ良かったよ」
(幹事長)「君が出るって言い張るから、私らは付き合って出るんだから、責任とってよ」
(のら)「完走できるかなあ」
(幹事長)「わしゃ何度も完走したことあるから、今日は片道走って脱藩さえしたらリタイアしてもいいんだよねー」
(D木谷)「同じくでーす」
(のら)「あーん、あーん」


何にしても、過去の実績を参考にすると、後半に足が痛くならずに完走するためには、2019年のように前半を徹底して極端なまでに抑えて走る事が重要だ。
少しでも急登だと感じたら、絶対に無理せず、徹底的に歩かなければならない
できれば大会自己ベストを出したいが、それよりも絶対的な目標は制限時間内での完走だ。
制限時間は6時間もあり、過去はどんなに大惨敗だった時でも、制限時間内にはゴールできた。だが、冷静に考えれば、今日は制限時間内での完走ですら危うい状況だ。なんとしても、6時間で帰ってきたい。
ペースの目安にするために、2019年の時のラップを書いた表を持ってきた。これを見ながらペースを考えて走ろう。


〜 スタート 〜


いよいよ9時になり、ピストルの号砲が鳴らされてスタートとなり、ランナーが一斉に駆け出した。
タイムはネットタイムで計測してくれるのかグロスタイムなのか分からないが、参加者が少ないので、スタートラインを越えるまで10秒もかからなかったから、どっちにしても誤差の範囲だ。

今日は徹底して前半を抑えるつもりだから、最初からゆっくり走り出す
最初はまだ上っていないフラットな区間なんだけど、先週の酸欠マラソンの疲れが残っているせいか、それとも決定的な練習不足のせいか、最初から足が重く、飛び出すような力は無い。なので、かなりゆっくりしたペースで走り出す。
D木谷さんのらちゃんも「今日は無理せず完走だけを目指してゆっくり走る」なんて言ってたけど、その割にはどんどん背中が遠ざかっていく。たぶん、彼らも遅いんだろうけど、私のペースが極端に遅いのだろう。
町中心部の狭い道を少しだけグルッと回った後、広い幹線道路に出る。最初はおんちゃんも一緒のペースで走ってくれたが、幹線道路に出たら前方に走り去っていった。

このマラソン大会のフルマラソンに出るランナーはレベルが高いが、決して最初からグングン飛ばしていくランナーが多い訳ではない。ペース配分を考えて、戦略的にゆっくり走るランナーも多い。
とは言え、さすがに今日の私ほどゆっくり走り出すランナーは少なく、みんなどんどん前方へ進んでいく。でも、決して焦りはしない。今日は完走する事が第一目標だからだ。

少し走ると最初の1km地点の距離表示がある。最初の1kmはほぼフラットだが、ラップを見ると、いきなり6分半を超えている。ここまで遅いスタートは初めてだ。
でも、序盤で無理すると終盤で足が止まるので、今日は無理はしない。

1km地点を過ぎると上り坂が始まる。まだまだそんなに大した坂ではないんだけど、決して無理をしてはいけないので、どんどんペースは落ちる
そしたら2km地点でのラップは一気に1km8分半近くにまで落ちていた。有り得ない遅さだけど、決して頑張らない。

2km地点を過ぎると、坂の傾斜は一気に強まり、激坂になってくる。まだ序盤なので、かつては頑張って走って登ってきた坂だが、今日は最初から歩くようなスピードで登っていく。
て言うか、自分でも、どう見ても歩いているとしか思えない足取りだ。
て言うか、そもそも今日の作戦では、こんな激坂は歩くべきなんだけど、さすがにこんな序盤で歩いていたら、そこら辺にいっぱいいるスタッフに心配されたらいけないので、一応、走っているようなポーズで歩く。そのため、さらにどんどんペースダウンしていく。

厳しい坂が終わると3km地点があり、この1kmはなんと9分近くかかっていた。驚異的に遅いペースだ。
でも、取りあえず序盤の上りの激坂はこれで終わりなので、ちょっと一安心だ。

急な上り坂が終わってピークを過ぎるとトンネルが2つある最初のトンネルは短くほぼフラットで、トンネルを出ると緩い下り坂になり、だいぶ楽になる。
少し走ると2つ目のトンネルがあり、今度のトンネルは長い下り坂で、楽に走れるようになってくる。

トンネルを抜けると、傾斜は一気に強まり、強烈な下り坂となる。帰ってくる時は誰もが歩いて上る壁のような激坂だ。
ここで調子に乗ってバカみたいに飛ばすと、後半で足が動かなくなるから、自重しなければならない。
とは言え、このような急な下り坂を抑えて走るってのは、割りと難しい。ブレーキをかけながら走ると、かえって足の筋肉に負担をかけてしまう。かと言って大股で自然に走ると、スピードが出て関節に負担がかかる。
金さんなんかは小股でチョコチョコと走るのが良いってアドバイスしていたけど、それはそれで簡単ではない。

てな事で、あまり無理してブレーキをかけるのはやめて、軽く自然体でチョコチョコと駆け下りていくと、下り坂の途中の4km地点では1km6分弱だった。
まだ序盤の急な下り坂なのに6分近くもかかっているなんて、圧倒的に遅いが、今日は気にしない。

下り坂を下り切ったところ最初の給水所がある。まだそんなに喉が渇いている訳ではないが、スポーツドリンクを頂く。足攣り防止のため、今日はタイムを惜しんで給水所をパスするなんてことはせず、こまめに給水していくつもりだ。
下り坂が終わるとフラットになり、四万十川の支流の四万川川(しまがわかわ)に沿って走る県道2号線に出る。
給水所を過ぎると再び上り坂になる。ちょっとだけきつい上り坂だが、すぐに終わり、緩やかな上り坂になる。

そのまま川沿いの堤防の道を走ると10kmの部の折り返し点を示す大きなコーンが立っている。ここが5km地点だ。
ここで見たラップは1km7分近くかかっている。しかも、こんなに遅いペースで走っているのに、早くも太ももの後ろ側辺りに明らかに疲労を感じる。これはここまでの走りによる疲労ではなく、最近の疲労が抜けていないって感じだ。
なんで圧倒的な練習不足なのに疲労が残っているんだろう?
でも、スタートからここまでのタイムを前回の2019年と比べると、1km当たり10秒くらい遅いだけだ。このままいけば前回と似たようなタイムになるかもしれない。下手したら自己ベストが出る可能性だってある。よしよし。

もともとのコースは、ここで幹線道路の県道2号線から橋を西側に渡って対岸の狭い道に移動していた。でも、去年は工事のため、県道2号線をそのまま直進するようにコースが変わっていた。
だが、今年は以前のコースに戻り、橋を渡って対岸の狭い道に移動する。


ここから10km地点までは、時々、急な坂もあるが、基本的には緩やかな上り坂が続く
そして、ここから距離表示が2.5kmごとになる。なんで1kmごとに表示してくれないのか不満が残るが、尋常ではない急坂のコースなので、あんまり細かいペースを気にしても仕方ないだろうって事かもしれない。
山の中を走る道なので、人家は少なく、沿道で応援してくれる人も少ない。それでも、村人がほぼ総出で応援してくれているようで、あちこちで道ばたにおじいちゃんおばあちゃん達が座りこんで応援してくれる
さらに、川の向こう側で農作業しているおばちゃんが手を振って応援してくれたりして、とても暖かい雰囲気で嬉しい。もちろん、できる限りこちらも手を振り、大きな声で「ありがとう」ってお礼を言う。

緩やかな坂が続く7.5km地点でのラップを見ると1km8分近くにまで落ちている。さすがに遅すぎるとは思うが、決して無理はしない。
9kmほど走ったところで、再び橋を渡って川の東側に移動し、県道2号線に復帰する

さらに少し走ると、ハーフマラソンのコースとの分岐に差し掛かる。ハーフマラソンのコースは右の集落に入っていくが、フルマラソンのコースはそのまま真っ直ぐ進む
そこを過ぎると10km地点があり、時計を見ると、さらにペースは落ちて1km8分をオーバーしている。徐々に坂が傾斜を増しているせいだろう。
スタートからここまでのタイムを前回と比べると、トータルで3分くらい遅れている。今日は前回以上に徹底してペースを抑えているので仕方ない。まだまだ挽回は可能だろう。

10km地点には3つ目の給水所があり、ここでは水分の補給だけでなく、小さなお饅頭も頂く。
過去の大会では、終盤にエネルギーが欠乏してしまい、慌てて何か食べたりするけど、食べてもすぐにエネルギーを吸収できる訳ではないので、今日は飲み物だけでなく、まだお腹が空いてなくてもできるだけ早めに食べ物をとっていくことにした。

10km地点を過ぎると、人家もほとんど無くなり、沿道で応援してくれる人もほとんどいなくなる。こうなると精神的に厳しい。
大方のランナーには引き離されてしまったため、目の前を走るランナーは少なくなってきた。しかも、後ろを走るランナーも限りなく少ない。早くもベッタンに近づきつつあるのだろうか。

10km地点の直後は下り坂がある。短い下り坂が終わると再び上り坂が始まり、傾斜は確実にきつくなっていく。まだ歩くほどではないが、決して無理をしてはいけない。
12.5km地点でのラップは、なぜかだいぶマシになっていたが、こんな所でペースアップできる訳がないので、距離表示のミスか何かだろう。
案の定、次の15km地点でのラップは1km10分近くにまで落ちていた。たぶん12.5km地点の距離表示が手前にズレていたのだろう。
スタートからここまでのタイムを前回と比べると、トータルで4分くらい遅れている。まだそんなに遅れてはいない。

その後も坂はますますきつくなっていき、足が少し攣りそうな気配を感じたので、頑張らずに歩く。ここから折り返し点までの5kmは全部歩いても良い覚悟だ。
しばらく進むと5つ目の給水所があり、ここでもしっかり水分補給する。
さらにウェストポーチからようかんを取り出し、口に入れる。小さなようかんなので、ちょうど一口で食べる事ができてよろしい。

この辺りで、早くもトップの人が折り返してきた。ダントツの1位で、2番手を大きく引き離していた。
坂はますます急角度になってきて、しばらく進んだ17.5km地点でのラップは、なんと1km10分半近くになっていた。

この辺りになると、もうほとんど歩きっぱなしで、走ることはなくなる。足が動かなくなって歩いているのではなく、走ろうと思えば走れるけど、無理をしないために歩いているだけなので、歩くスピードは速い。
ちょっと前から、あまり歩かずに頑張って走っている女性が近くにいる。彼女は頑張って走ってるんだけど、スピードは歩いている私とそれほど変わらない。
しかも、時々くたびれて歩いたりする。歩くスピードはかなり遅いので、その時には少しずつ差を詰めるんだけど、再び走りだすと差が少しずつ広がる。その繰り返しだ。
しばらくすると、彼女も遂に力尽きたようで、長々と歩き出したので、こっちも歩きながら追いついて、少しおしゃべりした。

(女性)「関門時間ってありましたっけ?」
(幹事長)「折り返し点で3時間10分ですよ」
(女性)「間に合いますかねえ?」
(幹事長)「全部歩いても大丈夫ですよ!」


過去の実績から言えば、折り返し点まで全部歩いても関門時間には間に合う。間違いない。
と断言したものの、彼女はなおも不安そうだ。それでも再び走り出す元気は無いようで、ヘロヘロと歩きながら遅れて上がってくる。

折り返して走ってきてすれ違うランナーが増えてきたが、もの凄く早くおんちゃんが折り返してきた。とんでもなく速い。かなり快調のようだ。
酸欠姉ちゃんも早々に折り返してきた。今週も絶好調のようで、かなりのスピードだ。
しばらくすると、D木谷さんも折り返してきた。「今日は完走さえできればいい」って言ってた割りには軽快だ。
そして、遂にのらちゃんまで折り返してきた。彼女も完走が危ういと思っていたのに、なかなか軽快だ。

このコースは、前半の最後は、折り返し点の少し前で舗装された道路から外れ、山道に分け入っていく。2016年や2018年は山道が土砂崩れで走れなくなっていたため、そのまま舗装路を走ったが、2017年や2019年は本来の山道に入っていった。
この山道は最初は下りになっていて、しばらく下った後、厳しい上りを登り返さなければならない。あまりにも急なため、走るのは到底不可能な山道で、膝に手をつきながら登っていくしかない。
なので、できれば山道の部分は無い方が嬉しいが、今年は山道の入口にスタッフが立っていて、「今年はこっちへ行ってくださいね」ということで、山道へ突入した。出だしは下りなので走れるが、すぐに上りになり、ゆっくり歩く。
イメージでは山道はすぐに終わるような気がしていたが、意外にとても長い。どこまでも続いている。しかも、どんどん傾斜がきつくなっていき、完全な山登りになる

いい加減に疲れ果てた頃に、ようやく山道が終わって舗装路に戻ると、すぐに折り返し点の前の小さな広場に入る。ここには6つ目の給水所があり、スポーツドリンクと共にお饅頭も頂く。
本当はバナナの方が消化に良いような気がするんだけど、過去のマラソン大会ではバナナをいっぱい食べてお腹を壊した事があるから、バナナは控える事にした。

広場を出て少し進んで高知県から愛媛県に一歩入ったところ折り返し点が現れる。これで今年も無事に脱藩できた
この折り返し点20km地点だ。フルマラソンの折り返し点だけど、まだ中間点には達していない。なぜなら後半の途中で集落に入り込む区間があるからだ。
20km地点でのラップは、なんと遂に1km12分近くかかってしまった。
スタートからここまでのタイムを前回と比べると、トータルの遅れは9分にまで大きくなった。一気にペースダウンしたため、だいぶ遅れてしまった。でも、下りでペースを上げられれば、まだ挽回は可能だろう。

折り返し点では、力尽きたランナーが何人か転がっていた。見た感じでは、足が攣ったり痛くなって走れなくなったランナー達だ。私も何度もなった事があるので、その苦しみは良く分かる。
一方、しばらくすると、さきほどのライバル女性が山道から抜け出してきた。やはり関門時間は余裕でクリアしたようだ。

後半は、さっきまでの厳しい上り坂から一転して激しい下り坂となる。一気に転げ落ちたいところだが、坂が急すぎて、ここをガンガン走ると足に大きな負担になるので、調子に乗らずに徹底的に抑えながら走らなければならない
2017年は、前半の終盤を歩いたにもかかわらず、後半の急激な下り坂になったとたん足が攣ってしまった。なので用心しなければならない。
今日はまだ足は大丈夫で、普通に走れる。ただし、絶対に調子に乗って走ってはいけないので、ゆっくりチョコチョコと走っていく。

しばらく走ると中間点の表示がある。ここまでの前半で遂に3時間を少しオーバーしてしまった
これまで大惨敗続きの脱藩マラソンと言えども、前半で3時間を越えた事は無かった。2016年や2018年は2時間半程度だったし、前半をかなり抑えた2019年でも3時間はオーバーしなかった。
よっぽど今年はスローペースだったって事だ。前半を徹底的に抑えるのは当初からの作戦なので仕方ない。
問題は後半戦だ。2016年も2017年も2018年も、前半の無理が祟って後半は3時間をオーバーしてしまった。もし今日も後半で3時間をオーバーするような事になれば、トータルで6時間をオーバーしてしまい、制限時間内での完走と言う絶対的な目標を達成できなくなる。
ただ、2019年は前半をかなり抑えて走ったおかげで後半は2時間半を切った。今日もそれくらいで走れれば良いタイムになる。
もちろん、下りになったとたんに頑張ってスピードを上げりしてはいけない。前半を徹底して抑えて走ったのは、あくまでも終盤になって足が痛くなったり足が攣ったりするのを防ぐためだ。
2016年も2017年も2018年も、後半に3時間以上もかかったのは、いずれも終盤に歩いたり止まったりしたからだ。いくらなんでも、歩かなければ3時間もはかからない。

しばらく進むと22.5km地点があり、1km6分半にペースアップしていた。急激な下り坂なので、少しくらいペースアップするのは当たり前だ。
その後、坂の下り勾配が少し緩やかになったため、だいぶ走りやすくなってきた。これくらいの傾斜だと、無理してブレーキをかける必要は無く、自然にまかせて下っていけば良いので走りやすい。
前半の上りでは足が攣りかけたが、下りでは股関節なんかが痛みだす。こんな過激なレースを走っていたら、あちこち痛み出しても不思議ではないが、過去の経験からすると、そのうち慣れて痛みは消えるはずだから、あんまり心配はしない。

淡々と下り坂をゆっくり走り続けると、25km地点でのペースは1km7分近くだった。
スタートからここまでのタイムを前回と比べると、トータルの遅れは8分くらいだ。まだまだ悪くはない。
でも、その後はだんだん下りの傾斜も緩やかになってペースは下がり、27.5km地点では1km7分半近くになった。
ここには給水所があり、スポーツドリンクを頂く。立ち止まって飲んでいると、前半の終わり頃に歩きながら話をした女性が追いついてきたのでビックリした。

(幹事長)「うわ!下りになってから速いですね!」
(女性)「きつかったですよ」


一気に回復したのだろうか。なかなか底力があるようだ。

両足の脹脛に足攣りの気配が出てきたので、ここで足攣り防止ドーピング薬68を飲んでおく。いつもなら、まずはツーランから飲むところだが、今日は激しく攣りそうなので、いきなり68を飲んだ。
そのうち、傾斜がさらに緩やかになり、下っているのか上っているのか分からないような区間になった。目で見ると下っているような気もするが、体感としては上っているような苦しさだ。ものすごくペースダウンしていく。
しばらく走ると、脇道にそれた集落コースに入っていく。ハーフマラソンのコースは9kmほど走ったら、本道からはずれて集落に入ってぐるっと3kmほど一周するんだけど、フルマラソンのコースも帰路は同じ集落コースに入っていく
折り返し点からずっと下り坂が続いてきたが、この集落コースに入るといきなり上り坂がある。大した傾斜ではなく、ハーフマラソンなら中間点辺りなので、まだまだ元気だからどうって事ない上り坂だ。
でも、フルマラソンの場合は30kmを過ぎてからなので、精神的に非常に辛くなる区間だ。できることなら、折り返し点をずっと先に延ばしてもいいから、帰路の途中の集落コースは廃止にして欲しい。

上り坂では再び歩いたりしたため、ペースは一気に落ちて、30km地点で見たら1km10分近くにまでペースダウンした。過去、4回の大惨敗でも、ここまで遅かった事は無い。もう足がまともに動かないのだ。
スタートからここまでのタイムを前回と比べると、トータルの遅れは14分にまで一気に広がった。さすがにもう自己ベストは無理だろう。
ただ、過去は集落に入ったとたんに足が痛くなって走ることができなくなった事もあったが、今日は少なくとも歩き続けるのは可能だ。
とは言え、少しでも上り坂になると、走るのは不可能だ。走ると足が攣りそうなのだ。
歩きながらチョコチョコとようかんを取り出して食べる。小まめなエネルギー補給にはちょうど良い大きさで食べやすい。

上り坂が終わると、前方にが見えてくる。橋を渡って対岸を見ると、後続のランナーが見える。さきほどの女性のほか、3人ほど後続ランナーが見えたが、足取りはみんな重い。
3kmの集落コースが終わりかけるところに32.5km地点があるが、歩いたり走ったりの状態だったので、1km8分近いスローペースだった。
でも、30km地点でのラップよりだいぶ速いってのは不可解だ。30km地点の前は少しだけ上り坂があったとは言え、基本的には下り坂が多かった。
それに対して、32.5km地点の前は上り坂もかなり多かった。ペースアップできるようなところではないはずだ。距離表示がおかしいのかもしれない。

集落コースが終わって本道に戻ると、後は10kmほど基本的に緩やかな下り坂を走っていく。これくらいの緩やかな下りが一番走りやすいはずだ。
ところが今日は、少しペースを上げると、すぐに足が攣りそうな気配が出てくる。足が本格的に攣ってしまうと、もう歩くこともできなくなる。なので、少しでも足が攣りそうな気配が出てきたら、すぐに歩き出す。
時間はまだまだ余裕があるはずだから、歩くべきところでは徹底的に歩く。

全体としては緩やかな下りだが、時々、上り坂もある。上り坂では当然ながら歩くが、フラットなところでも足が攣りそうで歩く事が多くなってきた。明らかな下りでないと走るのは不可能になってきたのだ。
時々、前方に同じように歩いたり走ったりしている人がチラチラと見えるが、差は一向に詰まらない。同じようなペースなんだろう。
もちろん、後ろから追いついてくる人もほとんどいない。後ろにいる人達は、途中で私が追い抜いた人ばかりのはずで、彼らはもう歩くのもやっとだろうから、なかなか復活はできないだろう。

35km地点でのラップは1km9分近くにまで落ちていた。
スタートからここまでのタイムを前回と比べると、トータルの遅れは20分にまで一気に広がった。さすがにもう自己ベストは無理だ。
それでも、残る距離は7kmだから、今のペースの1km9分のペースで走れば制限時間の6時間ではゴールできる。

トボトボと歩いたり走ったりしていると、遂に残り5km地点の表示が現れた。ペースは1km9分弱で変わらない。このペースを維持できれば、なんとか制限時間内でゴールできるはずだ。
と思ったんだけど、もう少しすれば超激坂がある。あの坂は歩いてもすごく時間がかかるはずだ。ひどい時には1km15分以上かかった時もある。それじゃあ制限時間内でゴールするのも簡単ではないぞ。まずい!まず過ぎる!
恐怖感がこみ上げてきて、今日初めて緊張感を持って頑張ったつもりなんだけど、残り4km地点では1km8分40秒にまでしか上げる事ができなかった。かなり危機的だ。

そして、いよいよ最後のめちゃめちゃ急な上り坂が現れた。このコースの最大の急坂だ。序盤にブレーキを掛けるのも難しかった急な下り坂を、今度は反対に上らなければならない。
もちろん、こんな急登を走ったりしたら、即、足攣りでダウンするだろうから、歩いていく。前方には少ないながらも先行ランナーが何人か見えるが、当然ながら全員が歩いている
前半で下った時よりも、上りの時の方がこの坂は長く感じられる。ペースが遅くて時間がかかるからだ。たぶん2倍くらい時間がかかっているだろう。

長い長い厳しい坂を上ると、坂の途中で真っ暗なトンネルに入る。このトンネルに入ると傾斜が緩くなるのでホッとするが、まだまだ走るのは不可能だ。
長いトンネルを抜けるとようやく厳しい上り坂が終わり残り3km地点の距離表示が現れる。
ここで時計を見ると、この1kmはなんと14分もかかっていた。驚異的な遅さだ。
制限時間の6時間まで残り23分しかない。23分で3kmを走るには、1km7分ならセーフだが1km8分だとアウトになる。この激坂に入る前のペースならアウトだ。
過去の大惨敗でも、制限時間の6時間をオーバーした事はない。もう、めちゃくちゃ危機的な事態だ

長いトンネルが終わり、次の小さなトンネルに入ると坂も終わり、ほぼフラットになる。ここでようやく走れるようになる。
その小さなトンネルを抜けると、後は下り坂だ。特に最初の1kmは急な下り坂だ。お尻に火がついてきたので、もう必死になって走り出す。
さっそく足が攣りそうな気配になってきたが、ここで歩いたら即アウトだ。足が攣ってしまったらもう仕方ないが、攣るまではなんとか耐えて走らなければならない。
でも、ずっと激しい上り坂を歩いてきたもんだから、急に下り坂になっても速くは走れない。足を馴らしながら下る感じで、あまりスピードは出ない。下り坂なのに足が思うように動かないのは、はがゆいばかりだ。
そのせいで、残り2km地点でのラップは1km8分少々で、危機的水準のままだ。残り2kmを15分で走らなければならない。非常に危ない状況だ。

近くには同じように悪戦苦闘している男性がいる。年齢は私と似たようなものか。彼も必死で走ったり歩いたりしている。

(幹事長)「制限時間ギリギリですよね」
(男性)「足が攣って走れませんよ」


抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げたが、何もお互いに勝負している訳ではなく、二人とも制限時間との戦いだ。

下り坂を一生懸命に駆け下りていくと、少しだけペースアップできたようで、残り1km地点でのラップを見ると1km7分を切っていた。
残る時間は8分18秒だ。1km8分のペースで走ればクリアできる。このまま走ればいけるかも。
なーんて思ったんだけど、最後の1kmはほぼフラットになる。フラットになったとたんにペースは一気にガクンと落ちた。
必死で走りながら、恐る恐るガーミンを見て、瞬間スピードを確認した。ここでもう駄目だと分かれば心は切れるだろう。
ところが、瞬間スピードはギリギリ1km8分ちょっとだ。もうめちゃくちゃギリギリだけど、まだ可能性はある
て事で、諦めずに必死で走り続ける。


〜 ゴール 〜


動かない足を必死で回しながら走って行くと、ようやく町中に入っていく分岐が現れる。そこを左に曲がって最後の角を右に曲がるとゴールが見えてくるが、これまた意外に遠い
ゴール前の最後の最後には再び急な上り坂がある。ものすごく短い坂だけど、ゴール直前の急な上り坂なので、なかなか辛いところだ。
だが、このゴール前は地元高校生達が並んでもの凄い声援を送ってくれる。例年そうなんだけど、今年はもう制限時間ギリギリなので、凄まじいばかりの声援だ
ここで制限時間オーバーになんかなったら恥ずかしいので、死に物狂いで走り続ける。ゴールの横に時計が見えるが、本当にギリギリでなんとか間に合いそうだ

ってところでゴールゲートに突っ込もうとした瞬間、ゴールの横から支部長が叫ぶ。

(支部長)「ちょっと待って!記念写真を撮るから!」

何を言ってるのかと思ったら、制限時間ギリギリの時計の横でポーズを取れと言うのだ。確かに、それは面白い。
それでゴールゲートの手前で止まって時計の横でポーズを取るんだけど、支部長がなんだかんだと注文を付けてなかなか写真が撮れない。
するとスタッフの人が「制限時間になるよ!急いで、急いで!!」なんて叫ぶので、慌ててゴールゲートに突っ込んだ
結果は5時間59分54秒という驚異的なギリギリタイムだった。

(のら)「よく間に合ったね!最後の根性が凄かったよ」
(幹事長)「さすがに気合が入ったわい」


根性が無いことで有名な私だが、さすがに僅か数秒で制限時間をクリアするのとアウトになるのでは雲泥の差と言うか天国と地獄の差だ
かつて2000年のタートルマラソンとか2006年のタートルマラソンのように制限時間ギリギリでアウトだった事はあるが、ギリギリセーフだった事は記憶に無い。
どうせ惨敗なんだったら、これくらい徹底的なギリギリの大惨敗の方が記憶に残って清々しい。
それに、過去に例が無いような練習不足でフルマラソンに出たが、なんとか完走できて本当に良かった良かった

(幹事長)「練習不足でもフルマラソンを完走できるもんやなあ」
(支部長)「あれだけ遅ければな」


さすがにハーフマラソンに出た支部長は快走したようで、何の疲れも見えない。

(支部長)「ハーフマラソンくらいが楽しいな」
(幹事長)「私も来年からはハーフマラソンにします」


おんちゃんは4時間20分と言う驚異的なタイムだった。有り得ない速さだ。この超厳しいフルマラソンでサブ4.5だなんて、私なら永遠に有り得ない。
酸欠姉ちゃんも5時間を切る好タイムでゴールしており、女子年代別部門で5位に入賞していた。素晴らしい。
完走できるかなあ」と不安そうだったD木谷さんも、まあまあのタイムだった。
一方、私と同じように決定的に練習不足だったのらちゃんは、やはり苦戦したようだ。

(のら)「フルマラソンの自己ベストより1時間20分以上も遅かったよ」
(幹事長)「わしなんて自己ベストより1時間30分以上も遅かったがな」


のらちゃんは最後の激坂で足が攣ってしまい、動けなくなったんだそうだ。なんとか回復したものの、下り坂でも走れずに悲惨な戦いだったようだ。

(幹事長)「ま、でも、今の状態で完走できたから良かったよね」
(のら)「うん、良かった良かった」


すると、終盤でしのぎを削った男性が声を掛けてきた。

(幹事長)「どうでした?」
(男性)「なんとかギリギリで制限時間内にゴールできましたよ」


そうか、良かった良かった。
さらにしばらくすると、前半の終わり頃に歩きながら話をした女性が声を掛けてきた。

(幹事長)「どうでした?」
(女性)「あと3分で制限時間をオーバーしてしまいました。くすん、くすん」


そうなのか。駄目だったか。30km地点辺りでは頑張っていたけど、そこで力尽きたのだろう。
みんなギリギリの戦いをしていたから、仕方ないよなあ。


〜 反省会 〜


走り終わったら、完走メダルお弁当を受け取る。でも、体中がヘロヘロなのでお弁当を食べる気はしない。
休んでいると体がどんどん冷えてきたので、急いでお風呂に行く事にした。お風呂はタダ券をもらった雲の上のホテルの温泉だ。

当然ながら、脱藩マラソンの日はランナーが殺到して大混雑となる。だが、今日は私がもの凄く遅かったため、お風呂に行くのも遅くなり、いつもほどは混雑しておらず、待たずにすぐに入れてもらえた。
ようやく入った温泉は気持ち良く、ぬるめの露天風呂にはいつまでも入れる。すっかりくつろいで疲れを癒すことができた。

(幹事長)「今日は有り得ないような大惨敗だったけど、ここまでギリギリのタイムだと、なんだか嬉しいぞ」
(支部長)「これに懲りて、来年からはフルマラソンはやめるように」
(幹事長)「もちろん、もう懲り懲りですぅ」

そもそも脱藩マラソンのフルマラソンは2019年に堂々と卒業している。今回はのらちゃんが「一度はフルマラソンに出てみたい」と言うから仕方なくお付き合いしただけだ。

(幹事長)「もう満足したやろ?」
(のら)「満足はしてないけど、もう絶対に懲り懲りですぅ」


もう金輪際、脱藩マラソンのフルマラソンに出る事は無いだろう。

さて、次のレースは2週間後庵治マラソンだ。距離が12kmと短いのが嬉しいが、今の状況ではまたまた自己ワースト記録を更新しそうだ。
でも、今さら焦って練習しても疲れが溜まるだけだから、このまま突撃するしかない。


〜おしまい〜




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