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酸欠マラソン2024
第21回 四国のてっぺん酸欠マラソン大会
2024年10月6日(日)、高知県伊野町において第21回四国のてっぺん酸欠マラソン大会が開催された。
このレースは、暑い暑い四国の真夏に開催される大変貴重なマラソン大会だった。
しかもコースは四国の道路としては最も標高が高い瓶ヶ森林道を走る。トヨタ自動車のテレビCMにも使われたりしている絶景コースだ。
こんな貴重で楽しい夏場の山岳レースには何があっても出たくなるが、2015年に初めてエントリーしてから2019年まで5年連続でエントリーしたのに、最初の2015年を始めとして、なんと5年のうち3年も悪天候で中止になったという幻のマラソン大会なのだ。
標高が高いので、登山と同じく、天候条件はなかなか厳しいのだ。
さらに、その後は新型コロナウイルスのバカ騒ぎが日本中に蔓延してマラソン大会の中止が相次ぎ、2020年と2021年と2022年の3年間はこの酸欠マラソンも中止になったため、我々で自主開催した。
そして2023年になってようやく復活し、今年は復活後の2回目の大会となった。
今年、参加するのは私のほか、支部長、D木谷さん、のらちゃんの4人だ。
過去、常に一緒に出場してきた支部長は、去年は足を故障していたため不参加だったが、今年は復活した。
(幹事長)「足の故障は回復してきたん?」
(支部長)「まだイマイチやけど、好タイムを狙ったりせず、のんびり楽しむ事にしたよ」
(幹事長)「私もだんだんその境地になりつつあるなあ」
ほんのつい最近までは、マラソン大会に出る限りは常に自己ベストのタイムを狙っていたが、だんだんそれが難しくなりつつあり、のんびり楽しむ方が良いっていう境地になりつつある今日この頃だ。
(のら)「いかんよ!そんな甘えた事言ってちゃ!もっともっと頑張るんだ!」
(幹事長)「すんませーん!
〜 開催時期の変更 〜
酸欠マラソンは、コロナのバカ騒ぎで中止になる前の2019年までは9月初めに開催されていた。そのため、7月末の汗見川マラソンと並ぶ四国の夏場の貴重なマラソン大会だった。
四国で夏場にマラソン大会が非常に少ないのは、あまりにも暑くて走るのが大変だからだ。なので、かつては、夏場にはマラソン大会にほとんど参加せず、5月のオリーブマラソンが終わった後は、秋までマラソン大会には出てなかった。
でも、真夏にレースに出ないと、夏の間、ランニングをサボってしまいがちになる。レースが無くても地道にトレーニングできる真面目な人ならいいんだけど、我々のように心が弱いと、レースが無いとどうしてもサボってしまう。
なので、少しでもモチベーションを維持するため、暑い中でもレースに出たい訳だ。
酸欠マラソンと並ぶ貴重な真夏のレースである汗見川マラソンは7月末なので、天気が良いと間違いなく炎天下の灼熱地獄となる。おまけに天気が悪いと豪雨になり、土砂崩れが発生して、すぐ中止になる。
つまり炎天下の灼熱地獄か土砂崩れによる中止かという極端な二者択一になる。
それに比べれば、酸欠マラソンは9月初旬だったし、標高が非常に高いので、炎天下でも気温は少しマシだ。ただ、標高が高いため直射日光は強烈で、肌がじりじりと焦げていく。
でも、私は夏の猛暑の炎天下に走るのは嫌いじゃない。寒い中を走るよりは暑い中を走る方がよっぽど楽しい。なので、暑くても割りと平気だ。
ところが、貴重な真夏のレースだった酸欠マラソンの開催日は遅くなってしまった。
2019年までは開催日は9月初旬だったが、コロナのバカ騒ぎで中止になった2020年は早々に中止が発表されたのでよく分からないものの、事務局の発表文では「10月11日開催予定だった」としている。
また2022年も早々に中止になったので詳細は不明だが、事務局の発表文では「10月に開催予定だった」としている。
そして、遂に復活した2023年は、やはり10月になっていた。
これまでずっと9月初旬だったのに、なぜ1ヵ月も遅らせて10月になったのかは分からない。9月は暑いので10月に変更したのだろうか。
酸欠マラソンの事だけを考えると、暑い9月初旬よりは10月の方が好ましいのかもしれない。
しかし、我々としては9月初旬に開催されるからこそ存在意義が高かった。夏場の空白期間を7月末の汗見川マラソンと共に埋めてくれる貴重なマラソン大会だったからだ。
それに、10月になると他にもいっぱいマラソン大会があり、存在意義が無くなるどころか、スケジュールが立て込んで大変な事になる。
まずは、超過激な山岳マラソンである酸欠マラソンと脱藩マラソンが2週連続で開催されると言う大惨事になった。いくらなんでも、こりゃ厳し過ぎる。
さらにその後も、スケジュールが立て込んで大変な事になっている。
10月6日 酸欠マラソン、こんぴら石段マラソン
10月13日 龍馬脱藩マラソン
10月20日 四万十ウルトラマラソン
10月26日 善通寺フォトウォーク、空海うどんロゲイニング
10月27日 庵治マラソン
こんぴら石段マラソンは開催日が重なって出られなくなってしまった。
このような状況なので、是非とも酸欠マラソンの開催は9月初旬に戻して欲しいところだ。
〜 9年間で6回も中止になった幻のマラソン大会 〜
個人的には夏場の暑いマラソンは大好きなんだけど、実はこの酸欠マラソンは暑さよりも、むしろ悪天候の方が強敵だ。
酸欠マラソンに我々が初めてエントリーしたのは8年前の2015年だ。初めての参加だったので、緊張しつつもワクワクしながら麓の西条から延々と瓶ヶ森林道を上って行った。
瓶ヶ森林道は気持ちの良い絶景コースだが、麓から上がっていくのが一苦労で、曲がりくねった狭い坂道を延々と1時間も上り続けてようやく瓶ヶ森駐車場に着くため、レース前からグッタリしてしまう。
瓶ヶ森林道は標高が高いので、天気が悪くなる事は覚悟はしていたが、上に着いたらやはりガスの中で、小雨もパラついていた。
それでも大した雨ではないし、大した風でもない。ガスで景色は見えないし、風の中を走るのは辛いが、それでも我々は走る気まんまんだった。
ところが、スタートを待っていたら、なんと、突然、中止になってしまった。これには呆然とした。かつてマラソン大会は、どんなに暴風雨が荒れ狂っても、天気のせいで中止にはならなかった。
2012年の徳島マラソンは台風顔負けの暴風雨の中でも決行された。あの時に比べたら、雨が降っていると言っても、大したことはないし、風も弱い。
そもそもマラソン関係者の間では、雨や風の影響で大会を中止にするなんて発想は皆無だったはずだ。 それが、いつから変わってしまったのだろうか。おそらくは、事故でも起きたらアホなマスコミが一斉に声高に非難するからだろう。
参加しているランナー達は、天候の事は自己責任で出場しているのだから、天候のせいで事故が起きても文句言うような幼稚な人はいないはずだ。
そもそも、夏場のマラソン大会なら、天気が良くて炎天下を汗だくになって走るより、むしろ雨の方が望ましいくらいだ。
てな事で、怒り狂いながら下山したが、どうしても参加したくて、翌年の2016年に再チャレンジしたら、打って変わって快晴となり、気持の良いレースとなった。
ただし、酸欠マラソンのコースは1400〜1700m前後で、四国の道路としては最も標高が高いから、快晴でも下界よりはだいぶ涼しいだろうと期待してたら、甘かった。
標高が100m違えば気温は0.6℃違うから、下界より10℃くらい低いはずだが、下界がめちゃ暑い日だったら、山の上もそこそこ暑い。
しかも、高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような灼熱地獄になるのだ。
おまけに強烈な激坂にぶちかまされて、ハーフマラソンとしては歴史的な敗北を喫するタイムとなった。
あまりにも厳しかったから、こんなレースにはもう二度と出たくないなあなんて思ったんだけど、支部長が「いやいや、こんなタイムでは終われないぞ。来年はリベンジせんと」なんて言ったので、翌年の2017年にもチャレンジしたら、時々雲に陽が隠れる天気だったので、前年ほど暑くはなく、そのおかげで少しはタイムがマシだった。
とは言っても、ほんの少しマシだった程度で、他の大会のタイムに比べたら歴史的敗北に変わりは無い。
それでも、2回出ると楽しさが分かってきて、もう止められなくなった。
てな訳で、翌年も出場しようと思っていたら、2018年は再び雨で中止になってしまった。
確かに天気予報は悪かったが、台風でも何でもない、ただの雨だ。2012年の徳島マラソンの時のような台風並みの暴風雨ではなくて、単なる雨だ。本当に中止にする必要があったとは思えない。
そして、2019年もまた中止になってしまった。前々日に事務局から電話があり「天気が悪そうなので中止になりました」と告げられた。確かに天気予報は雨だったが、大雨の予報ではなく、降ったり止んだり程度の雨の予報だ。
しかも前々日だから、まだ本当に降るかどうかも分からない。そんな曖昧な天気予報で中止決定するなんて、早まり過ぎだ。
そして、結果論だが、当日はほとんど雨も降らず、風も弱かった。どう考えても開催できた天気だった。
そして、2020年も3年連続で中止となり、2021年も4年連続で中止となり、2022年も5年連続で中止になってしまった。
ここ3年間の中止の理由は、悪天候ではなくてコロナのバカ騒ぎだから別問題ではあるが、エントリーし始めてから8年間で6回目の中止だ。
開催されたのは8年間で僅か2回だ。毎年エントリーしているのに2回しか出場していないのだ。
ここまで中止が続くと、まさに幻の大会だ。
(幹事長)「本当に存在するのかどうか確信が持てなくなってきたな」
(支部長)「夢か幻やったかもしれんなあ」
それが、2023年ようやく復活したので、幻ではなかった事が証明された。
(幹事長)「9年間で3回目の開催やから3割3分3厘やな」
(支部長)「素晴らしい3割バッターや」
(幹事長)「今年も予定通り開催されれば10年間で4回目の開催となるから驚異の4割バッターになるぞ!」
(石材店)「マラソン大会なら10割バッターが普通ですけどね」
〜 超厳しい山岳マラソン 〜
酸欠マラソンは夏場の貴重なマラソン大会というだけでなく、非常に厳しいコースも魅力だ。
四国の夏場のマラソン大会と言えば、高知県内の標高の高い場所で開催される山岳マラソンばかりだ。
我々も、ここんとこ毎年、夏場は高知の山岳マラソン4連戦が恒例となっている。6月上旬の北山林道駆け足大会、7月下旬の汗見川マラソン、9月上旬から10月上旬に変わった酸欠マラソン、そして10月上旬の龍馬脱藩マラソンだ。
なぜ山岳マラソンが夏場に集中しているのかと言えば、夏は暑いから、少しでも気温の低い山岳地帯でマラソン大会を開催しようという発想からだ。特に四国の夏はアホみたいに暑く、平地でマラソン大会なんか開催したら死屍累々の大惨事になる。
そのため山岳地帯で開催するんだけど、じゃあ山の上なら涼しいのかと言えば、これはトンでもない勘違いで、四国では山の上でも暑いのは同じだ。
暑いのには変わりがないうえに、山岳マラソンなのでコースはアップダウンが非常に激しいから、暑さとコースの厳しさとダブルパンチで、トータルとすれば極めて過酷なマラソン大会となる。
酸欠マラソンが開催されるのは高知県伊野町だが、伊野町と言っても、元々の伊野町のイメージではない。元々の伊野町は、高知市のすぐ西側にある和紙の産地であり、山深い町ではない。
酸欠マラソンが開催されるのは、合併で伊野町に吸収される前は本川村だったところだ。しかもコースは瓶ヶ森林道で、本川村の中でも北の端にあり、高知県と愛媛県の県境近くを走る道だ。
瓶ヶ森林道はUFOラインとも呼ばれ、標高1300m〜1700mの尾根沿いを縫うように走るルートは、天空へと続く絶景のドライブコースとして人気があり、トヨタ自動車のテレビCMにも使われたりしている絶景コースだ。
尾根の上の道を走るから、天気が良いと展望が素晴らしくて気持ち良い。少なくとも車で走ると、それほどアップダウンがあるような感じはなく、快適な尾根の道だ。
瓶ヶ森林道は展望が素晴らしい絶景コース
だが、車で走っているとフラットに思えるが、自分の足で走ると、かなり強烈にアップダウンがある。
酸欠マラソンのコースはスタート地点から最高地点までの高低差が300m近くある。しかもスタート直後の序盤で、3kmちょっとの間に250mも上るから、勾配は8%以上となる。8%もの勾配を3kmも登るなんて、これは強烈以外の何物でもない。
最高地点はスタート地点から4kmほど走った瓶ヶ森登山口の少し先で、そこを超えると今度は下り基調の道が6kmほど続いて折り返し点に至る。
折り返した後は、当たり前だが、6kmほどの坂を登り返し、最後に4kmほどの急坂を下ってゴールとなる。終盤の4kmが下りになるのは嬉しいような気がするが、レース終盤で足がヘタってきた頃の急な下り坂は決して楽なものではない。
つまり、最初から最後まで厳しいコースだ。
他のマラソン大会と比較すると、ハーフマラソンでは、龍馬脱藩マラソンのハーフマラソンや汗見川マラソンと比べると、最大標高差、獲得標高、平均斜度のいずれをとっても酸欠マラソンの方が厳しい。
つまり、酸欠マラソンは四国内の山岳マラソンのハーフマラソンで文句なしに一番厳しいコースと断言できる。
なお、酸欠マラソンにはハーフマラソンのほか、10kmの部がある。
(幹事長)「こんな遠方までわざわざ行って10kmの部に出る奴なんて、おらんわなあ」
(支部長)「ここにおるで」
(幹事長)「なんとかーっ!」
なんと、支部長は10kmの部にエントリーしたんだそうだ。
確かに、去年、加藤選手が10kmの部にエントリーしたと聞いて、支部長が「え?10kmの部なんてあったの?それなら、10kmの部にエントリーしたら良かったかなあ」なんてつぶやいていたのは確かだ。
今年エントリーした時に、支部長がラインに「ハーフハーフにエントリーしました」と書いていたので、てっきりインプットミスだと思ってたんだけど、まさかそれが「ハーフのハーフ」つまり「10kmの部」という意味だったとは思わなかった。
ただし、10kmの部は距離は短いが、ハーフマラソンの5km地点で折り返してくるから、最初の4kmの激坂は同じように上らなければならない。なので、それほど楽ではない。
むしろ、コースの大半が激坂の上り下りとなる厳しいコースだ。
(幹事長)「それは分かってるわな?」
(支部長)「10kmの部の折り返し点を過ぎてからの長い坂を走らなくても良いから楽なもんや」
酸欠マラソンの定員はハーフマラソンの部と10kmの部を合わせて400人だ。定員400人のマラソン大会なんて全国的にも少ないだろう。
もっと増やせばいいと思うんだけど、道の狭さとか駐車場の容量とか考えると、それが限界なのかもしれない。
て言うか、僅か400人の参加者のために、こんな山奥でマラソン大会を開催してくれる伊野町役場様には本当に感謝だ。
北山林道駆け足大会や汗見川マラソンや脱藩マラソンもそうだけど、高知県の市町村はマラソン大会の開催に熱心なので、本当に本当に有難い。
〜 会場へ出発 〜
車はD木谷さんに出してもらい、支部長をピックアップしたあと、4時過ぎに私を迎えに来てくれ、その後、のらちゃんをピックアップして5時頃に出発した。
なんで、そんなに早く出るのかと言えば、現地に着くまでに関門があるからだ。
現地での受付時間は8時〜9時半までOKなんだけど、車は会場までは行けず、4kmほど手前の瓶ヶ森登山口駐車場に車を置いてシャトルバスで移動しなければならない。
シャトルバスの最終は9時だから、それまでに駐車場に入れば良いんだけど、麓から少し登った旧寒風山トンネル出口に関所があり、マラソン大会の交通規制のため、そこを通れるのは8時10分までで、さらにその手前の新寒風山トンネル出口にある関所を通れるのは7時50分までとなっている。
順調に行けば新寒風山トンネル出口まで2時間もかからないだろうけど、何かトラブルでもあれば遅れてしまうから、少し余裕を持つためには5時頃には出発した方が安全だ。
4時過ぎに屋外に出ると、まだ真っ暗だが、それほど寒くはない。今年はキチガイみたいな猛暑が続いており、10月に入ってもまだまだ寒くはないのだ。
ただ、天気予報では今日は曇り予報だ。曇り予報と言っても、それは近隣の麓の話だ。
一般的に山の上は麓に比べたら天気が悪い。下界が晴れていても曇っている事は多いし、下界が曇りなら山の上は雨の可能性がある。
そもそも、酸欠マラソンの天敵は悪天候だ。上にも書いたように、初参加した2015年から5年連続でエントリーしたうち3回もが悪天候のために中止になってしまっている。
四国山地で最も標高が高く、日本海側から瀬戸内海を越えて太平洋側まで風が通り抜けていくような地域なので、下界は天気が良くても、山の上は天気が荒れやすいのだ。
もちろん、少なくとも夏場のマラソン大会なら、雨そのものは決して嫌いではない。
2010年の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走できたため、雨に対する抵抗感は払拭されたし、2013年の汗見川マラソンでも、直前に雨が降って気温が下がったため快走できたので、もう雨は恐れていない。
とは言え、瓶ヶ森林道は四国で最も標高が高い道であり、風が北から南へ吹き抜ける稜線なので、風雨を甘く見てはいけない。
今日の気象状況を考えると、暴風雨の可能性は低いと思うが、雨の場合は寒くなるだろう。
日曜日の早朝なので道路は空いており、順調に高速道路を走り、西条インターで高速道路を降りて国道11号線を西へ進む。
車の中で朝食を食べる。もちろん、朝食はおにぎりだ。
以前はレース中にお腹を壊すことが多かったので、用心して朝食と一緒に下痢止めの薬も飲んでいたが、2015年の徳島マラソンから朝食を菓子パンからおにぎりに変えてからは改善された。
パンに含まれるフルクタンという糖類は消化に悪く、下痢になりやすいが、お米に含まれている糖類は消化が良いので、おにぎりを食べ始めてからは下痢する頻度はかなり低くなった。
なーんて、すっかり油断してたら、なんと2020年の高知龍馬マラソンで5年ぶりにレース中にお腹を壊して20分もトイレに籠ってしまった。
その後も2022年の神戸マラソンや2023年の那覇マラソンや今年の富士五湖ウルトラマラソンでもお腹を壊し、トイレに籠ってしまった。
いずれの場合も、朝食の量は控えめだったし、パンも避けていた。それなのにお腹を壊した。老化の進行により、年々ますます胃腸が弱くなっているのだろう。
少なくともご飯路線が悪い訳ではないだろうが、レース前に食べすぎるのは禁物だ。
朝食を食べると眠くなってきた。昨晩はなかなか熟睡できず、なんとか起きる事はできたものの、軽く頭痛がするし、体調は悪い。少しでも眠りたいところだ。
国道11号線から加茂川を渡ったところで南に折れて国道194号線に入り、そのまましばらく南へ走った後、新寒風山トンネルを抜けたら山道に入り、クネクネした急勾配の道を上がっていく。
クネクネ道で体が揺られて目が覚める。
(幹事長)「そろそろ会場に着く頃かいな?」
(支部長)「何を言ってるんかいな。これから坂を上がっていくところや」
下界は曇りだったが、高度を上げるとガスが漂ってきた。山の上を見ると雲の中で、天気はどんどん悪くなっていきそうだ。
〜 瓶ヶ森林道 〜
山道を20分ほど上がると、旧寒風山トンネルの出口に着く。ここから瓶ヶ森林道が始まる。
ここから先はマラソン大会のための通行制限区間となり、関所には番兵がいる。マラソン大会参加者も8時10分からは通行止めとなるが、まだ7時過ぎなのでそのまま通してくれた。
国道194号線からの上り口が標高700mで、ここの標高は1100m程度だから、まだ400mしか上がってきていない。瓶ヶ森林道の最高点は1700m程度だから、まだまだ上がらなければならない。
駐車場を過ぎると、傾斜は緩やかになるが、道幅の狭いクネクネの林道は延々と続く。一歩間違えたら脱輪して谷底まで転落しそうだ。
いくつかある小さなトンネルは完全に1車線分しかないから、すれ違うのは不可能だが、トンネル以外でも道は狭くて対向車とすれ違うのは難儀する。
しかも、今日みたいにガスで視界が悪いと、対向車があると突然現れる事になる。
ただし、今日はマラソン大会で交通規制になるから、対向車が現れる可能性は低い。
しばらく進むと、東黒森山の近くに小さなトンネルが2つ並んでいる。
このトンネルの東側が折り返し点となる。既に折り返し点の三角コーンとか関係者用の椅子とかが準備されている。
コースは、スタート地点からこの折り返し点まで走ってきて、折り返して戻って行く事になる。
このコースで最も坂が厳しい区間はスタートから4km地点辺りにある瓶ヶ森登山口までで、そこを過ぎた後は緩やかな下り坂が6kmほどダラダラ続く。
その後、折り返し点で折り返したら、その道を戻っていくので、今走っているのは折り返した後の緩い上り坂だ。
でも、緩い上り坂とは言え、それはスタート直後の激坂との比較であって、実際に走ってみると、結構、厳しい坂だ。
車で走ってると、ほとんどフラットに感じるけど、足で走るとかなりきつい上り坂だ。
この辺りは見晴らしの良い区間で、前方に自念子の頭と呼ばれる小山が見えてくる。
ここがUFOラインの絶景ポイントで、とても有名な景色だ。走るのが厳しい上り坂ではあるが、晴れていれば一番気持ちが良い区間なので、気が紛れるところだ。
今日は麓から見上げると山の上は雲の中だったので、てっきり天気は悪いものと思っていたら、ここまで高度が上がると、うまい具合に雲の上に出て、すっかり晴れている。
(幹事長)「久しぶりに素晴らしい絶景になったなあ」
(支部長)「でも天気予報を見たら、南から雨雲が迫って来てるよ」
まだスタートまで3時間もあるので、雨雲が来るかどうか微妙なところだ。
自念子の頭の辺りは、ほぼフラットな感じになるが、そこを過ぎると再びトンネルがあり、トンネルを抜けると景色が一変する。
前面に瓶ヶ森の山腹が現れ、それを横切る林道がはるか上に見える。あんな所まで上っていくのかと思うと気が遠くなる。
ガスが出ている時は真っ白で何も見えないが、今日はきれいに見えるので絶望的な気分になる。
(幹事長)「晴れているのも良し悪しやな」
かなりきつい上り坂を上り終えると、ややフラットに近くなり、吉野川源流の碑がある。10kmの部は、この500mほど手前(西)が折り返し点になる。
この辺りがピークのように見えるが、実はそれは偽ピークであり、まだまだ上りが続く。ようやくピークになったかなと思ってカーブを曲がると、もっと高いピークが見えてくるっていう事が何度も繰り返される。かなり精神的に辛い区間だ。
折り返し点から6.5kmほど走ったら、ようやく瓶ヶ森駐車場に着いた。
〜 会場へ移動 〜
瓶ヶ森駐車場に順調に来られたため、時刻はまだ7時過ぎだ。ちょっと早く着き過ぎた。参加者の車も、まだ数台しか停まっていない。
ただ、会場まで移動するマイクロバスは既に来ている。支部長が聞きに行ってくれたところ、「20人くらい揃ったら出発する」との事なので、みんなで乗り込む。
しばらくすると満員に近くなったので、マイクロバスは出発した。
瓶ヶ森駐車場からスタート会場の山荘しらさまでの4kmが最も傾斜が急な厳しい坂だ。
普通、坂のきつさは車で走ってると分かりにくいものだが、この坂は車に乗っていても明らかに厳しい坂だと分かる。車が転倒しないか心配になるほどの急勾配だ。
瓶ヶ森の登山口からしばらく下ると子持権現山がある。
子持権現山は瓶ヶ森のすぐ南にある岩山で、標高は1677mもあるが、一般的な登山口は瓶ヶ森林道にあり、登山口から山頂までの標高差は100mにも満たない小さな山だ。山と言うより、大きな岩の塊と言った方が相応しい。
子持権現山を過ぎると、道は一段と急になっていく。クネクネの急坂だから車も慎重に走り、会場の山荘しらさに着くまで結構、時間がかかった。
会場である山荘しらさは長い間工事中で使用禁止だったが、3年前にようやく工事が終わり、新装開店した。
外観はどう見ても古い建物を塗り直しただけのように見えるが、内部は全く新しい建物に生まれ変わっている。宿泊施設だけでなく、レストランも併設されており、とてもきれいでお洒落な造りに改装されている。
会場に入ったら、まずは受付だ。
ただし、Tシャツやタオルやゼッケンは事前に送られてきているので、受付と言ってもドリンクを貰うだけだ。
今年のTシャツは、去年に引き続き、背中に大きく「酸欠」と書かれたインパクトのある画期的なデザインだ。
以前は特徴の無いつまんないデザインだったけど、この画期的なデザインのTシャツは一目見て大好きになり、去年もらってからは、ほとんどのマラソン大会で着用している。
ただ、去年はピンクと黒と青の3色から選べたが、今年はオレンジ色だけになった。こんなに参加者が少ないマラソン大会なのに、色を選択制にするのは手間がかかるのだろう。
一方、去年までは配布されていた大会プログラムが今年は無くなった。
Tシャツやゼッケンが送られてきた時に、普通はせめて案内くらいは入っているのに、何も入っていなかった。会場でプログラムくらいくれるのかと思ってたけど、やはり何も無かった。
案内もプログラムも何も無いって、ちょっと簡素化し過ぎだぞ。
まだ時刻は7時半なので、山荘しらさの中は空いている。
すぐにおんちゃんから連絡が入り、落ち合う。おんちゃんも早々に到着していたようだ。
(幹事長)「相変わらずアホみたいに練習してるんですか?」
(おんちゃん)「いや、最近は時間が無くて、そんなに走れてないよ。毎月300kmくらいかな」
(幹事長)「さんびゃっきろ!?」
(支部長)「さんびゃっきろ!?」
(D木谷)「さんびゃっきろ!?」
(幹事長)「合わせて900km!?」
(のら)「吉本やんか」
私は9月なんて70kmくらいしか走れなかった。積極的にサボっている訳ではなくて、暑くて走れないのだ。あまりにも暑くて、少し走っただけで足が動かなくなるのだ。
(幹事長)「暑いのに、よく走れますね」
(おんちゃん)「夜中の3時とかに走ってるからね」
(幹事長)「夜中のさんじ!?」
私には絶対に真似ができないトレーニングだ。
私は今日の酸欠マラソンのハーフマラソンと、来週の脱藩マラソンのフルマラソンの2連発で頭を抱えていると言うのに、おんちゃんはさらにその翌週は四万十ウルトラマラソンの100kmの部を走ると言う。
発狂しそうなスケジュールだ。
〜 出走準備 〜
まだまだスタートまで時間はあるが、ヒマなので取り合えず着替えをする。
もちろん、ウェアの選択は、どんな季節のマラソン大会であっても最も重大な問題だ。
今日は天気が微妙だったので、炎天下になっても雨になっても良いように一通りの準備をしてきた。
外を見ると、この辺りは曇っているが、稜線上に上がるとさっきみたいに晴れているかもしれない。でも、雨雲がやってきて雨になるかもしれない。
て事で、雨でも晴れでも対応できるような、中途半端なウェアにする。
Tシャツはみんなで脱藩マラソンのTシャツをユニフォーム代わりで揃える事にした。
(おんちゃん)「酸欠マラソンのTシャツではないんやね?」
(幹事長)「違います。脱藩マラソンのTシャツです」
1週間後に開催される脱藩マラソンのTシャツも事前に送られてきている。なので、酸欠マラソンのTシャツも脱藩マラソンのTシャツも、どちらも手元にある。
ただ、どう考えても、酸欠マラソンに酸欠マラソンのTシャツを着る人は大勢いるので、それでは目立たなくてユニフォームにならない。一方、今日、脱藩マラソンのTシャツを着てる人なんて皆無だろうから、遠くからでも良く分かる。
来週の脱藩マラソンでは、逆に酸欠マラソンのTシャツを着るつもりだ。
(幹事長)「画期的なナイスアイデアやろ?えっへん」
(支部長)「はいはい」
Tシャツの下には最近、登山の時に着ているメッシュのアンダーシャツを着た。
(D木谷)「オリーブマラソンで着てたメッシュシャツではないんですね?」
(幹事長)「あれはもうボロボロですぅ」
登山用のメッシュのアンダーシャツは前々から気になってはいたものの、適当なものが見つからず導入してなかったが、遂に適当なものが見つかったので、最近、買ったのだ。
これが期待以上の素晴らしい性能を発揮してくれて、いくら汗をかいても、全然ベチャベチャしないのだ。
こんなに素晴らしい効果を発揮するとは思ってなかったので、マラソンでも着ることしたのだ。
(おんちゃん)「僕も前から着ているけど、本当に快適やね」
メッシュシャツは汗対策だけど、寒さ対策にもなるようで、屋外に出ても寒くない。
ただ、腕は剥き出しだと少し肌寒い。こういう事態に備えて今年はアームカバーを持ってきた。それも厚いものと薄いものと2種類持ってきた。
とりあえず薄いのを着けて屋外に出てみた。そしたら、ちょうど薄日が射していて、ちょっと暑いくらいだ。じっとしてても暑いくらいなら、走りだすともっと暑くなるだろう。
って事で、アームカバーは止めた。風は弱く、少しくらい雨が降っても耐えられそうなので、ランニングタイツや手袋やランニングキャップも止めた。
ただし、脹脛サポーターだけは履いた。これは防寒用ではなくて、足攣り防止のためだ。
下は練習の時にいつも履いているランニングパンツを履いた。ランニングパンツのポケットにハンドタオルとティッシュを入れたら、準備完了だ。
準備ができたところで、みんなで記念撮影をする。
スタート前に気合を入れるメンバー
(左から支部長、D木谷さん、のらちゃん、おんちゃん、幹事長)
9時半になると開会式が始まったが、それに気が付いて慌てて外にでたら、すぐに終わってしまった。
スタートは10時なので、再び屋外に戻る。
〜 スタンバイ 〜
スタートの10時が近づいてきたので、そろそろと外に出てスタートラインに並ぶ。
既に大半のランナーが集まっていたが、ハーフマラソンの参加者数は186人と少ないから、どこに並んでもさほど変わりは無い。
て言うか、この厳しいコースで良いタイムは出るはずがないからスタート時の多少のタイムロスは誤差の範囲だ。
参加者の総数も少ないけど、女子の参加者はさらに少なく、ハーフマラソンの部は女子は僅か24人だ。男子の161人に比べると2割にも満たず、とても少ない。最近のマラソン大会は女子の参加者が多いんだけど、この大会はコースが厳しいから少ないのだろう。
逆に言えば、こんなレースに参加する女子ってのは相当な実力者揃いだから、決して女子だからと言って侮ってはいけない。もちろん男子だって、こんな厳しいレースに参加する選手の実力はレベルが高い。
10kmの部は女子も結構多く、参加者数145人のうち全体の4割以上が女子だ。
(幹事長)「支部長も上位入賞を狙えるかも?」
(支部長)「絶対に無理やってば」
このレースは最初の4kmの上りが厳しいコースであり、10kmの部だってそこまでは上らなければならないから、厳しい事に変わりはない。
参加者僅か186人のマイナーなレースなのに、タイムは計測チップで計ってくれる。同じようにマイナーで過激な山岳マラソンの北山林道駆け足大会も計測チップでタイムを測定してくれるようになったが、こんなに坂が強烈な山岳マラソンなんて良いタイムが出るはずないから正確に計っても何の参考にもならない。
ランナーが自分の時計で計測する自己申告制度でもいいくらいだ。それなのに、不思議だ。ランナーからの要望が多いんだろうか。
(のら)「今日は完走できるかなあ?」
(幹事長)「完走できれば万々歳やなあ」
どんな時でも、どんなレースでも、常に大会自己ベストを狙うのが良い子のランナーとしてあるべき姿だ。
マラソンはコースや季節によってタイムが大きく変わってくるため、違うレースのタイムを比較するのは不適当なので、どんなレースに出ても、とりあえず大会自己ベストを狙うのが良い子の正しい道だ。
特に、このレースは坂が厳しいから、他のレースとの比較は意味が無い。
この大会は、正式な大会には過去6回エントリーしたが、実際に開催されたのは3回だけだ。
コースが超厳しいため、3回ともハーフマラソンとしては空前絶後の歴史的大敗のタイムで、2016年と2023年が2時間15分台で、2017年が2時間13分台だ。
なので、とりあえずは2017年のタイムを目指すことになる。
なーんて言いたいところだが、今回は圧倒的な練習不足だ。月間走行距離は7月も8月も100kmちょっとで、9月に至っては70kmそこそこだ。
年によっては9月でも200kmくらい走っていた事もあるので、いかに練習量が少なかったかが分かる。
あまりにも暑くて、少し走っただけで足が動かなくなるため、あまり走れなかったというのが言い訳だが、いくら言い訳したところでタイムが良くなる訳ではない。。
のらちゃんも同じ症状だ。なので、今回は二人ともまともに完走できるかどうか不安なのだ。私の定義では、完走と言うのは「歩いてでもゴールする」という意味ではない。「絶対に歩かない」のが完走だ。
急な上り坂では走っても歩いてもさほどスピードは変わらない割りには、走ると体力を大きく消耗する。序盤から無理して不必要に体力を消耗すると、終盤の失速に繋がる。
なので、支部長のように序盤の激坂を最初から歩くという作戦には一理ある。
しかし、一度でも歩いてしまうと、歩くのに抵抗が無くなり、すぐ歩くようになってしまう。そんなだらしない展開は回避したい。
コースを再確認すると、コース自体は車で走ってきた一本道なので、とてもシンプルだ。迷う場所は無い。
スタート地点は会場の山荘しらさの前で、4km地点辺りにある瓶ヶ森登山口まで激坂が続き、そこから少し進んだ最高点からは下り坂が6kmほどダラダラ続く。
2つ並んだトンネルを抜けてすぐ折り返すと、帰りは逆に上り坂を6kmほど走り、最後は激坂を4km転げ落ちるというコースだ。
コースには1kmごとに距離表示があるが、時々見にくかったりする。でも、この瓶ヶ森林道には、旧寒風山トンネルの駐車場を起点として、西に向かって1kmごとに道路の真ん中に大きな数字の距離表示がある。
山荘しらさの前がちょうど21km地点なので、大きな数字で「21」と書いてある。スタート地点は山荘しらさの前から50mくらい北にあるが、道路に書かれた数字は見落とすことがないので目印になる。
道路に「11」と書かれていれば、そこから600mくらいで折り返し点があるはずだ。
〜 スタート 〜
間もなくスターターが時計を見ながらカウントダウンを始め、10時ちょうどにピストルの音が鳴ってスタートとなった。ランナーが少ないので、スタート地点を越えるまでのタイムロスは誤差の範囲だ。
普通のマラソン大会なら、スタートの合図が響くと一斉にランナーが勢いよく駆け出すが、さすがに最初から厳しい上り坂なので、それほど勢いよく飛び出さない。
前の方に陣取って優勝争いをするような実力者達は勢いよく飛び出していったかもしれないが、中程より後ろのランナー達はペース配分を考えた節度ある態度で地道なスタートとなった。
最初の4kmは激坂区間だが、自主開催を含めると6回も走っているので、どういうコースか分かっている。
まずは淡々と走っていると、早くもおんちゃんが前の方に出ていく。続いてD木谷さんも一緒に前の方に進んでいく。私とはかなりのスピード差があるので、ついていこうとも思わない。
さらにしばらく走ると、今度はのらちゃんも少しずつ前の方に進んでいく。こちらはついていこうと思えばついていけそうなスピードなので、ちょっと頑張ってすぐ後ろをついていく。
しばらく走ると道路に「20」と大きく数字が書いてあり、その少し先に1km地点の距離表示があった。時計を見ると1km7分半もかかっている。
いくら上り坂とは言え、出だしからこんな遅かった事は無い。でも、スタート直後はまだ調子が乗ってないから、ここからだんだん体を馴らしていけば良い。
このマラソン大会は、不便な山の中を走る小規模なレースだが、天気が良いと炎天下の厳しいレースになるため給水所はきちんと用意されている。片道に3箇所と折返し点に1箇所あるから、往復で7箇所もある。
そして序盤の急な上り坂の途中に早速、最初の給水所がある。まだまだ走り始めたばかりだが、これは嬉しい。しかもマイナーな大会なのに、水だけでなくスポーツドリンクもある。
まだ序盤で喉は渇いてないが、喉が渇いてからでは遅いので、早速スポーツドリンクを頂く。
だんだん高度が上がっていくと、なんとなくガスっぽくなってきた。雲の中に入っていくような感じだ。でも、走っていると寒くはない。
ただ、坂の傾斜がだんだんきつくなってきたため、徐々にペースが落ちていく。でも、序盤で無理すると中盤以降に失速する恐れがあるので、無理はしない。
するとのらちゃんと少しずつ差が出てきた。これまでは少なくとも前半はのらちゃんと一緒に走っていたのに、今日はこんな序盤で離されていく。彼女もそれほど速くはなさそうだが、自分がそれ以上に遅い。
2km地点で時計を見てビックリ。なんとペースは一気に落ちて1km8分半もかかっていた。
いくらなんでも、遅すぎる。いくら厳しい激坂が続くとは言え、このレースで過去、1km8分をオーバーしたような事は無い。しかも、まだ序盤だ。非常に危機的だ。
3km地点では、なんと1km9分をオーバーしていた。
のらちゃんの背中は、もうすっかり見えなくなってしまった。
この辺りで早くも10分後にスタートした10kmの部のトップランナーが追い抜いていく。めちゃめちゃ速い。て言うか、私がめちゃめちゃ遅い。
ようやく坂の傾斜が緩やかになって、車を停めている瓶ヶ森登山口に辿り着いた。この辺りに4km地点がある。そして、ここでも1km9分をオーバーしていた。
いくら遅くても、これまでは1km8分以内では走っていたので、1km当たりこれまでより少なくとも1分以上遅いって事だ。て事は、トータルで21分以上遅くなってしまう。
これまでのタイムは2時間13〜15分なので、このままだと2時間35分以上かかるって事になる。ちょっと想像もできなくて、めまいがするようなタイムだ。
ハーフマラソンのこれまでの最悪のタイムは、今年7月の汗見川マラソンで出した2時間24分だ。そのタイムだって、それまでの自己ワーストを大きく上回る考えられない大惨敗だった。
このままだと、今回は、さらにそれを大きく上回る史上空前の大々惨敗って事になる。さすがにそれは恥ずかしいので、かなり危機感を持って気合を入れる。
ここには2つ目の給水所があるので、ここでもスポーツドリンクをもらう。
もうめちゃめちゃタイムは悪いけど、これでようやく激坂区間が終わった。最高点まであと少しだ。もう少しで楽になれる。
激坂区間が終わった後も、まだしばらく緩い上り坂が続くが、スタート地点から4.5kmほど走ったところが最高点となり、ようやく下り坂になる。
全体的に平均的に言えば、ここから折返し点まで6kmほど基本的には下りの区間が続くのでホッとするが、6kmもあるから一様ではなく、最初はしばらくは傾斜のきつい下り坂となる。
「ここで調子に乗って勢いに任せてガンガン下ると足に負担がかかり、終盤で足が動かなくなる」と言う忠告があるが、今日は既にボロボロで、スピードを上げたくても上がらない。
少し進んだところに5km地点がある。この1km区間は緩い上りと下りが半々だったから、いつもなら1km6分くらいに上がる。でも今日は、さっきまでよりはだいぶマシになったとは言え、なんと7分近くかかっている。
この辺りから稜線沿いの道になり、晴れていれば見晴らしが良く、ずっと向こうの遙かかなたまで道が見える。あんな遠くまで走るのかと思うと気が遠くなるところだが、今日はガスで見えにくいので、その点では精神的には楽だ。
だんだん下り坂に慣れてきて、なんとか自然に足が前にスタスタ出て、気持よく走れるようになってきた。
それでも6km地点や7km地点でのラップは1km6分前後だ。いつもなら、この辺りの下り坂区間では5分ちょっとだったので、トンでもない低空飛行だ。
7km地点を過ぎたら、まだ下ってはいるものの傾斜は緩やかになり、もう気持ちよく走れるような道ではなくなる。て言うか、なんとなく上り坂になっているような気すらしてくる。
これは微妙なところで、本当に上り坂になっているのか、それとも緩い緩い下り坂なのか分かりにくい。それまで急な下り坂を走ってきた反動で、体感的には上がっているような気がするが、よく分からない。
それでも足はなんとか前に前に出ているから、たぶん下っているんだろう。
しばらく走ると最初のトンネルが現れる。このトンネルを抜けると8km地点があり、そこで時計を見ると、1km6分半をオーバーしていた。
このトンネルを抜けると、今度は錯覚ではなく明らかな上り坂になる。上り坂と言ったって、序盤のような激坂ではなく緩い坂なんだけど、既に疲れ始めた足には堪える。ちょうど自念子の頭のそばを通っている辺りだ。
この辺りで早くも先頭ランナーが折り返してきた。8km地点ってことは、帰りは13km地点だから、5kmも先を走っていることになる。この厳しいコースで驚くべき速さだ。
一方、私は、大したことない緩やかな上り坂のはずなんだけど、疲れた足は対応できず、まるで激坂に感じられ、9km地点でのラップはなんと一気に8分半になっていた。これまでは、せいぜい6分半くらいだったから、ちょっと考えられない大撃沈だ。
9km地点を過ぎたら再び下り坂になる。結構、急な下り坂だ。再びなんとかスタスタ走っていると、なんと早くもおんちゃんが折り返して戻ってきた。ものすごく速い。
と思ったら、そのすぐ後からD木谷さんも走ってきた。これまたものすごく速い。絶望的に遅いのは私だけだ。
折り返し点が近づいてきた頃に10km地点があり、なんとか1km6分近くまで回復した。
そこから少し走ると、今度はのらちゃんがやってきた。なかなか元気そうだし、私よりはずっとずっと速いが、それでもいつもよりはかなり遅れている。
少し進むと小さなトンネルが2つ連続しており、それを抜けると間もなく折返し点だ。なんとか半分まで走ったかと思うと一安心だ。
折返し点の給水所で水を補給し、すれ違いながら後ろから来るランナーを確認するが、もうあんまりいなかった。かなりビリに近い位置だ。かつての塩江山岳マラソンを彷彿とさせる展開だ。
折り返すといきなり急な上り坂となった。さっきは急な下り坂だったんだから当たり前だ。
一応、走っているつもりだが、足は全く上がっておらず、ほとんど歩いているのと同じ状態で、スピードも歩いているのと変わりない。珍しくお尻の筋肉がヒクヒクしている。
折り返してしばらく走ると、10km地点の距離表示がある。つまり11km地点だ。この大会の距離表示は往路の分しかないから、復路はそれを読み替えて行かなければならない。
ここでのラップは、折り返して急な上り坂があったとは言え、再び一気に1km8分近くになっていた。
この辺りは、このコースの中でも最も景色が良い場所で、特徴的な形の自念子の頭よく見える場所だ。だが今日は、景色を楽しむ余裕は皆無だ。
足を引きずりながら走って行くが、12km地点のラップは、なんと9分半という戦慄のタイムとなった。
去年は、この辺りで高知市から来ていた酸欠姉ちゃんと抜きつ抜かれつの激烈な死闘を繰り広げたので、かなりペースが上がった。
でも、今年は酸欠姉ちゃんは絶好調で遥か前方を走っていった。そのため孤独な戦いとなり、とめどもなくペースは落ちていき、16km地点では、なんと、遂に1km10分を超えてしまった。
登山で滑落して靭帯を損傷し、走るのもやっとと言う状態で出た北山林道駆け足大会でも、1km10分だなんてラップは出さなかった。有り得ない人類最遅ペースだ。
折り返してからの後半のコースは、時々は下り坂もあるはずなんだけど、疲れているので下り坂を感じられない。
自念子ノ頭の側を通る区間は、束の間の下り坂のはずなんだけど、せいぜいフラットな感じだ。やはり足に疲れが出てきたようだ。
時々、たまーに、後ろから追いついてくるランナーがいる。こんな私と競っているくらいだから、ものすごく遅いんだけど、それでもなかなかのスピードで追い抜いていく。
なんでそんなに速いのにこんな所にいるんだ?って思ったら、そういうランナーはすぐに歩き出す。そしてしばらく歩いたら、またそこそこのスピードで走りだす。それの繰り返しだ。
私は頑張って走っていてもどんどんスピードが遅くなっていくが、歩こうとは思わない。どう見ても歩いているのとほとんど同じくらいのスピードにまで落ちるんだけど、それでも歩きたいとか歩こうとかは思わない。
一方、彼らはゆっくり走るなんて事はせず、疲れたらすぐに歩き出し、少し回復したらすぐに走りだす。それの繰り返しだ。まるで支部長と同じだ。
そういうランナーが何人かいるんだけど、前に行ったり後ろになったりで、どっちが勝っているのか分からなくなる。
しばらく進むとトンネルがあり、このトンネルを抜けると残りのコースの全貌が見えるようになる。
すると、もうそろそろピークが近づいてきて上り坂も終わるはずだと思っていたのに、これから向かう瓶ヶ森登山口がはるか上に見える。
あんな上まで登っていかないといけないのか。もうガッカリだが、どっちにしてもガッカリな今日の調子なので、頭を真っ白にして進み続ける。
この辺りは、往路では、上りなのか下りなのか分からなかった場所だ。下っているはずなのに、体感としては上っているような気がした場所だ。
でも、こうやって走っていると、今は明らかに上りだ。つまり、さっきは上っているような気もしたが、実は下っていたのだ。下っていたのに、傾斜が緩やかになったから上っているのかと錯覚したのだ。
そこからはさらに傾斜がきつくなる。序盤の4kmよりはずっと緩やかなはずなんだけど、もういい加減足がくたびれているため、序盤より厳しく感じてしまう上り坂が続く。
たまに薄日が射すと、とたんに暑くなるが、基本的には曇っているので、暑くはない。ペースが遅いので、少し肌寒いくらいだ。走るにはちょうどいいくらいだ。
16km地点を過ぎても、まだしばらくは上り坂が続くが、傾斜は緩やかになり、だいぶ楽になる。
さらに進むと、ようやく最高点に達して上り坂が終わり、緩やかな下り坂になる。残りは全て下り坂だけで、苦しい区間は終わりだ。
なので、最後の力を振り絞ってスピードを上げる。さっきまでの上り坂では、歩くようなスピードだったけど、下りになるとさすがに足が動くようになってきた。
17km地点には給水所があるが、もう終盤なので、いつもは1秒でも時間を無駄にしたくないっていう気持で給水をパスするところだ。でも今日はヘロヘロなので、ここでもスポーツドリンクを頂く。
後はゴールまで4kmの過激な下り坂をノンストップでガンガン駆け下りるだけだ。
ちょうどここで、久しぶりに先行するランナーを捉えた。少し手前の上り坂で私を淡々と追い抜いて行ったおっさんだ。二人とも歩くようなスピードながら、向こうの方が少し速くて、引き離されていったおっさんだ。
上り坂では負けたけど、下りになると私ほどはスピードが上がらないようで、思いっきりストライドを広げてスタスタと走ると、あっさりと追い抜けた。後はこのままスピードを落とさないようにして逃げ切るだけだ。
と思ってスピードを上げて走っていたら、なんとみぞおちがキリキリと痛み出した。何か鋭い物が刺さったと言うか押し付けられたって感じだ。脇腹が痛くなることはあっても、みぞおちが痛くなるのは初めてだ。
こんな痛みに負けたらいかん、って思って頑張るが、なかなか耐えがたい痛みだ。少しスピードを落とすと痛みも少し軽くなるが、さっき追い抜いたおっさんに追いつかれてしまう。
それに、痛いと言っても、内臓の痛みだ。足の筋肉とか関節が痛むのであれば、足の故障の可能性があり、ちょっと危険な予兆となるが、内臓の痛みならそれほど緊急の重大事ではないだろう。我慢すれば良い。
なんとか痛みをこらえて走って行くと、18km地点でのラップは、ギリギリ6分を切っていた。いつもなら、この激坂の下り区間は1km5分くらいで飛ばしていたところなので、それに比べたら1分くらい遅いが、今日の大撃沈の中ではこれが限界だ。
下り坂の傾斜はますます強くなるので、必死でペースを上げようとするが、最近は、気持ばかり焦るだけで思ったように足が前に出なくてまどろっこしく感じる事が多い。
でも今日は、それ以前に、みぞおちの痛みがひどくなるので、限界までは上げられない。
ただ、後ろから迫ってきているはずのおっさんの足音は、いつしか聞こえなくなった。逃げ切りに成功したのかもしれない。あんまり意味は無い戦いだが、ホッとする。
普通ならこんな急激な下り坂は気持よく駆け下りていけるはずだが、みぞおちが痛いうえ、足が疲れてなかなか前に伸びないので走るのが苦痛だ。
こんな状態が続き、19km地点のラップも20km地点のラップも6分前後で、それ以上は速まらない。
〜 ゴール 〜
少しずつゴール地点にいる人達の話し声が聞こえてきた。そして、最後の曲がり角を曲がったら、ようやくゴールが見えてきた。
ゴールゲートの向こうでは、支部長がカメラを構えてくれている。なので、なんとか引きつった笑顔を作ってゴールした。
みぞおちの痛みが限界になり、ゴールしてそのままうずくまる。
(のら)「大丈夫?」
(幹事長)「走るのを止めたら痛みは治まるから、もう大丈夫」
(のら)「あまりに遅いから倒れてるのかと思って心配したよ!」
(幹事長)「自分でも原因が分からないけど、足が動かなくなったんよ」
想像をはるかに超える大撃沈でゴールが異常に遅くなりみんなにここまで心配をかけたのは、去年の下関海響マラソン以来だ。
(D木谷)「今年の琵琶湖マラソンや四万十桜マラソンもかなり遅かったですけどね」
(幹事長)「私の中では、あれくらいは誤差の範囲ですがな」
いくらなんでもひどいタイムだったので、何かしらの天変地異のため、みんな大撃沈したのかと思ったが、そんな事はなくて、最後まで快調に飛ばしたおんちゃんや、そのおんちゃんを後半に追い抜いたD木谷さんなんかは、どちらも2時間ちょっとで、なかなか素晴らしいタイムだった。
のらちゃんは去年よりかなり遅かったが、それでも私に比べたら遥かにマシだった。
結局、タイムは驚愕の2時間39分だった。
(ピッグ)「まるでフルマラソンのタイムみたいですね」
(幹事長)「わしは実業団選手か」
酸欠マラソンの大会自己ワースト記録どころか、かつての強烈登山レース塩江山岳マラソンも含め、なんと過去29年間で87回出場したハーフマラソンの自己ワースト記録だった。
何の緊張感も無くダラダラ走った自主開催大会を入れても、104回走ったハーフマラソンの自己ワースト記録だった。
それも、ダントツで遅いハーフマラソン自己ワースト記録だった。
(のら)「汗見川マラソンの時と全く同じコメントだよ」
7月の汗見川マラソンもトンでもない大撃沈で、ダントツで遅いハーフマラソン自己ワースト記録だったが、今回はそれを遥かに大幅に上回る空前絶後にダントツで遅いハーフマラソン自己ワースト記録だ。
原因は、登山などで溜まりに溜まっている疲労、極端な暑さによる練習不足、忍び寄る老化など色々と考えられるが、こんな大惨事が2レース連続で続くなんて、もうまともに走れない体になったんだろうか?
(幹事長)「自分の気持ちとしては全然歩いてないんだけどなあ」
(のら)「私はいっぱい歩いたよ」
私はどんなレースでも一歩も歩かない「完走」を至上命題としており、自分の気持ちとしては歩いていない。でも、足は全く上がっていないので、他人が見たら完全に歩いているように見えるだろう。スピードだって歩いているのとほぼ同じだ。
(のら)「それはもう歩いているのに等しいよ」
(支部長)「その場合は、ちゃんと歩いた方が疲れないよ」
(幹事長)「そうだろうなあ」
支部長のように、疲れたら完全に歩き、少し回復したら再び走るっていう方がマシなのかもしれない。
でも、一度歩き出すと、とめどもなく歩いてしまいそうだ。
10kmの部に出た支部長は、前半は激坂の上りなので45分くらいかかったが、後半は一気にスピードアップして25分くらいで駆け下りてきたそうだ。
そのおかげで、なんと男子56歳以上の部門で25人中10位だったそうだ。
(幹事長)「すごい!上位入賞やんか!」
(支部長)「入賞はしてないがな」
のらちゃんは去年と同じく、女子の年代別部門で2位になった。素晴らしい。
〜 反省会 〜
みぞおちの痛みは治まったとは言え、体中が疲労困憊なので、山荘しらさの中に入り、椅子に座ってグッタリする。
ゴールした後は弁当とキジ汁の支給があるが、取りに行く事ができないので、支部長が代わりに取って来てくれた。食欲は無いことはないので、暖かいキジ汁を食べて冷えた体を温める。
お弁当は去年と同じくキジ肉バーガーだった。普通の大会なら疲れた体では喉を通りにくい幕の内弁当が支給されるが、キジ肉バーガーは美味しく食べやすい。山荘しらさで日常的に提供されているものだろう。
お弁当を食べてからもグッタリしていると、急がないと瓶ヶ森駐車場まで戻るシャトルバスに乗れなくなるとの事なので、疲れた体に鞭打って屋外に出て列に並ぶ。
外に出たら少し風もあって寒くなったので、慌てて着替える。シャトルバスはなかなか来なくて長い間待たされ、体が冷え切ってしまった。
去年の記事に
のんびり着替えをしてたら第1便に乗り遅れてしまい、寒い屋外で、第2便までかなり待たされてしまった。どうせ待つのなら屋内で待っていれば良かった。
て言うか、さっさと着替えて第1便に乗るべきだった。←来年への反省事項だ。
なんて書いてあった。
全く同じ失敗を今年も繰り返してしまった。これを読んでおけば良かった。来年こそは覚えておかなければならないぞ!
レースの後は、温泉に入るに限る。去年までは木の香温泉の半額入浴券が支給されたが、今年は支給されなかった。でも、近くにある温泉はここだけなので、今年も行ってみる。
木の香温泉は、瓶ヶ森林道から下界に降りると、すぐ近くにある道の駅に併設された温泉だ。
いの町が所有する施設だが、管理していた業者が経営不振になって運営から撤退したため6月から閉館になっていた。それを町が直接運営する形で8月から再開したものだ。良かった良かった。
屋外にある木製の露天風呂は、ちょっとぬるめのちょうど良い湯加減なので、いつまでも浸かっていられる。厳しいマラソン大会で疲れた体を癒すには絶好の温泉で、本当に気持ち良い。
のんびりお湯に浸かりながら反省する。
今日は歴史的な大撃沈だった。でも、その原因が良く分からない。今年は異常な猛暑だったため練習量が激減していたのは間違いない。だが、それは他のランナーも同じじゃないのだろうか。
それとも、おんちゃんのように早朝に走るとか、色々と工夫しながら練習量を確保していたのだろうか。
空前絶後の大撃沈でダントツの自己ワーストを記録を出した汗見川マラソンに続いて、さらにダントツの自己ワーストを記録するなんて、絶望的だ。
しかし、絶望しているヒマは無い。僅か1週間後に脱藩マラソンがある。しかもフルマラソンだ。
脱藩マラソンのフルマラソンは筆舌に尽くしがたい死闘のレースだ。過去、4回出場した事があるが、制限時間の6時間ギリギリでゴールした事もある。
もう金輪際出たくないと思って卒業したのが2019年だから、5年ぶりのフルマラソンだ。
なぜ今年、性懲りもなくフルマラソンに出るのかと言うと、のらちゃんが脱藩マラソンのフルマラソンに出た事が無いからだ。それで仕方なくお付き合いするものだ。
でも、今日の状態から言うと、脱藩マラソンに限らず、今の状態でフルマラソンを完走するのは極めて難しいと思う。
(幹事長)「今回は折り返し点まで行って脱藩したらリタイアしよう!」
(のら)「私もそうなるかも」
〜おしまい〜
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