四国ペンギンズ
四電ペンギンズ
丸亀マラソン2025
第77回 丸亀マラソン大会
2025年2月2日(日)、第77回香川丸亀ハーフマラソン大会が開催された。
毎年、ペンギンズの初レースは1月の満濃公園リレーマラソンだけど、あれは動物チームで出る遊び半分て言うか遊び全部の行事であり、真剣勝負のレースとしては、この丸亀ハーフマラソンが初レースとなる。
(支部長)「満濃公園リレーマラソンは遊びやなんて言いながら、今年も圧倒的な大惨敗で悔しいやろ?」
(幹事長)「距離が短いレースは、もう諦めたよ」
2週間前の満濃公園リレーマラソンの忌まわしい記憶は忘れて、とにかく丸亀マラソンは正真正銘の真剣勝負だ。
このレースは、ほとんど坂が無い国際陸連公認の高速コースを走るってことで、良いタイムが期待できる。そのため、毎年、このレースはやる気まんまんで出場してきた。
そして2019年、2020年には2年連続で大会自己ベストを出した。この年齢になって大会自己ベストを出せたので、とても嬉しかった。
て事で、ますます絶好調で臨もうとした2021年大会だが、なんと2021年は新型コロナウイルス騒ぎのせいで大会が中止になってしまった。
事の発端は2020年の丸亀マラソンが開催された翌月の2020年3月1日の東京マラソンの一般ランナー参加中止だ。これに続き、3月8日の第9回名古屋ウィメンズマラソンも一般市民ランナーの参加が中止になった。
その後、状況はますます悪くなり、遂に3月22日の徳島マラソンは全面的に中止になり、その後も全国的にマラソン大会が次々と中止になっていった。
このマラソン大会の中止と言う非科学的で情緒的でヒステリックな対応は3年ほど続き、丸亀マラソンも2021年、2022年と中止が続いたが、2023年にようやく復活した。
そして、2024年に続き、今年も無事に開催される事になった。まことに喜ばしい事だ。
〜 エントリー 〜
丸亀マラソンは、高速レースとして全国的にも名高いことで、以前から人気が高かったが、昨今の異常なまでのマラソンブームのせいで、毎年、さらに参加者が増加してきた。
ただ、会場の丸亀陸上競技場はキャパが大きいため、定員には余裕がある。
そのため、一応、定員は1万人となっていて、申込者が1万人に達すると受付は終了してしまうが、それとは別枠で、大会前日に会場へ行けばエントリーが可能だった。
この前日受付OKというシステムは一体どういう意味があるのか、よく分からない。申込し損ねた人のためかなとは思うけど、なぜ前日だけなのか分からない。
ただ、2023年から前日受付という不思議なシステムは無くなった。コロナ騒ぎのせいかなとは思うが、元々からして意味が分からないシステムなので、無くなった意味も分からない。
て言うか、コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会の中止と言う非科学的で情緒的でヒステリックな対応が3年も続いたため、その間にマラソン大会参加者の数は全国的に激減し、いまだに多くのマラソン大会が定員割れに苦しんでいる。
マラソン大会の中止と言う何の意味も無いヒステリックな対応を取った自業自得なので、主催者には猛省を促したいが、実は古くからのマラソン愛好家である我々にとっては好ましい事態だ。
コロナのバカ騒ぎ前は、異常なまでのマラソンブームのせいでエントリーの競争が極端に厳しくなり、エントリーするのに必死になっていた。エントリーが成功したら、それでマラソン大会が終わったような気にすらなっていた。
それが正常な姿に戻ったのだから、コロナのバカ騒ぎによるマラソン大会参加者の激減は、必ずしも悪い事ではない。
この丸亀マラソンはハーフマラソンの部の定員は以前と同じ1万人で、それに対して今年の参加者は9918人だから、ほぼ定員通りだ。
ほぼ定員通りの賑わいが確保された一方で、定員いっぱいで参加できないっていう事態がギリギリで回避されたのだから、ちょうどいい具合だ。
参加すると分かるが、1万人規模のマラソン大会は走りにくくなる。最初から最後まで混雑が続くからだ。そのため、2017年から一般部門がB部門とC部門に分けられた。
以前はエリートランナーがA部門で、一般ピープルはB部門だったが、一般ピープルがB部門とC部門に細分化された。
A部門がスタートした後、次にB部門がスタートし、最後にC部門がスタートすることになったのだ。
タイムはシューズに着けたチップでネット計測してくれるから、後ろの方からスタートしても構わないように思うかもしれないが、後ろの方からスタートしたら大混雑で身動きが取れなくなる。
遅いランナーを追い抜きたくても、仲間同士でおしゃべりしながらゆっくり走るおばちゃん軍団なんかに邪魔されて追い抜くこともままならない。
昔は参加者が少なかったから、邪魔なランナーがいても、そのうちバラけて空いてきたが、1万人も参加するようになってからは、最後の最後まで混雑は緩和されず、最後までおばちゃん軍団に前を邪魔されたままになるので、それは避けなければならない。
その打開策として導入されたのがB部門とC部門の分離だ。部門分けの基準になるのは過去3年間のタイムだ。丸亀マラソンの記録だけでなく、正式な記録を提出できれば、他のマラソン大会のタイムでも良い。
B部門のエントリー条件は男子の場合は過去3年間で1時間50分を切るタイムを出していることだが、女子の場合はだいぶ緩やかで、過去3年間で2時間10分を切るタイムを出していればいい。
ただ、ペンギンズの2大女王様であるゾウさんとのらちゃんは、二人とも1時間50分くらいでは走るので、男子の基準でも問題無いくらいであり、今年もB部門での出場だ。
私は2020年の大会で1時間50分を切ったので、昨年まではB部門で出られていた。B部門の中では後ろの方だったが、それでも仲間同士でおしゃべりしながらゆっくり走るおばちゃん軍団がいないので、とても走りやすかった。
ところが、大会が再開された2023年、2024年と連続で惨敗して条件を満たさなくなったため、今年はC部門でのエントリーとなった。
他には支部長もC部門だ。
(幹事長)「C部門って走りにくくない?」
(支部長)「C部門の前の方だと走りやすいよ」
支部長の話によると、C部門でも前の方だと、仲間同士でおしゃべりしながらゆっくり走るおばちゃん軍団はいないので走りやすいんだそうだ。
B部門の後ろの方でも、C部門の前の方でも、どちらにもおばちゃん軍団はいないようだ。部門分けは成功だったようだ。
他に高速ランナーのD木谷さんもC部門になっている。
(幹事長)「なんで?」
(D木谷)「ふるさと納税でエントリーしたからでしょうかねえ?」
(幹事長)「え?ふるさと納税でエントリーできるんですか?私も来年はそうしようかなあ」
知らなかったが、丸亀マラソンはふるさと納税でエントリーできるそうだ。でも、その代わりかどうか分からないけど、なぜかC部門になったそうだ。
他に加藤選手もC部門でのエントリーだ。
一方、長谷選手、倉石選手、木村選手、O野選手はB部門での出場だ。
〜 駐車場 〜
12月中頃になり、のらちゃんから連絡が入る。
(のらちゃん)「支部長やD木谷さんが駐車場の抽選に当たってるよ」
いつの間にかホームページで発表されている、との事だ。調べてみたら、他にも何人か当選していた。
駐車場に関しては、以前は私は安心しきっていた。絶対に誰かは当選するだろうと思っていたからだ。
私自身は、たま〜に丸亀競技場の駐車券をゲットすることもあるが、たいていは遠く離れた三菱電機の臨時駐車場の券をゲットしてきた。それすら外れた事も無いことは無いが、たいていは三菱電機の臨時駐車場は当たっていた。
三菱電機の臨時駐車場なんて、福引きの残念賞のポケットティッシュと同じで、丸亀競技場の駐車場が当たらなかった人のための残念賞だと思っていた。
それに、どこの駐車場も当たらなかったっていう人もいるけど、我々は毎年10人くらいは参加しており、メンバーのうち誰か一人でも当選していれば、みんなで乗り合わせて行けるので、全員が外れるなんていう世紀末的な事態にならない限り問題は無い。
確率から言えば、全員が三菱電機の臨時駐車場すら外れるなんて事は、数百年に一度くらいだろう。
なーんて油断しきっていたら、なんと一昨年はメンバー全員が落選してしまった。
いくら駐車場券の競争率が高くなったとは言え、ここまで末期的な状況になっているなんて、そんな事があるだろうか?あり得るだろうか?
この非常事態を乗り切るために、電車で行こうか、とか、民間の駐車場を利用しようか、とか、色々検討を進めていたが、レース直前になって石材店が丸亀競技場の駐車券を入手してくれたので救われた。
それで、今年も石材店にお願いしてみたら、同じように丸亀競技場の駐車券をゲットしてくれた。なかなか手に入らない黄金のチケットだ。
足の故障で最近はあまりレースに参加できてない石材店だが、素晴らしい貢献をしてくれた。
〜 前日受付 〜
レースの受付は前日と当日があり、どっちでもいいが、私は前日の午後に開催されるジョギング教室に参加するので、その前に受付も済ませた。
一緒にジョギング教室に参加するのらちゃんも前日受付をした。
受付と言っても、去年と同様、ゼッケンや計測チップは事前に送られてきているので、受付ではパンフレットなんかをもらうだけだ。
ゼッケンと計測チップが事前に送られてきているのだから、パンフレットだって一緒に事前に送ってきたら良いのにと思うのだが、理由は分からない。
また、去年は受付で記念品のTシャツやオマケのシューズケースとかをくれたので、郵送するのは大変かもしれないと思ったが、今年は一切無かった。
これまでずうっとTシャツだった記念品は、今年はランナーローブってものに変わった。
ランナーローブとは、東京マラソンなんかでも配布されているようだが、タオル地のポンチョのようなもので、ゴール後の防寒に適しているらしい。
そのため、事前配布ではなく、ゴール後に配布してくれるらしい。ゴール後にバスタオルをくれるマラソン大会もあるが、それと同じようなものか。
多くのマラソン大会の記念品がTシャツなので、同じようなTシャツが毎年、積み上がっていくから、たまには違ったものも良いんだけど、ランナーローブなんて、再利用できる使い道があるんだろうか。
パンフレットには第77回と書いてあるが、もちろん、これは嘘だ。
よく「幹事長は何回くらい出てるんですか?」って聞かれて「第1回から出てるよ」って答えると、みんな私を仙人でも見るかのようにひれ伏して崇めてくれるが、もちろん私は77歳にはなっていない。
本当の第1回大会は76年前ではなくて、28年前の1997年に丸亀城築城400年記念大会として開催された。当時はまだこのホームページを開設してなかったため記事は残っていないが、翌年の1998年の第2回大会からは毎年記事を掲載している。
そのまま第4回までは正直な回数だったのに、2001年の第5回大会のとき、突然50回も上げ底されて第55回になった。1997年の第1回大会の前年の1996年には第50回香川ロードレースが開催されていたので、いきなりその50回分を足したのだ。
香川ロードレースというのは、陸上競技の専門家しか出ない閉鎖的な業界内の大会であり、市民マラソンとなった今の丸亀マラソンとは似ても似つかない全く別のレースだった。
長距離レースではあったものの、距離だってフルマラソンの時もあれば35kmレースなんて中途半端な距離の時もあったが、ハーフマラソンが種目だった年は一度も無い。レースの性格が全く異なっていたのだ。
水増しの事情については、第56回(本当は第6回)の記事に詳しく書いているが、理由はもちろん、回数が多い方が伝統がある由緒正しいレースのように聞こえるからだ。
もちろん、私は回数の水増しを非難するつもりは毛頭無い。私の故郷である丸亀のマラソン大会であり、回数が多い由緒正しいレースのように聞こえた方が、知らない人に対しては格好良いから、それでいい。
第1回と言うか第51回から数年間は、毎年、コースがコロコロ変わり、私の実家のすぐ裏の農道に毛が生えたような道を走ったりしていた草レースだった。
それが、今や国際陸連公認の高速コースになって全国的にも有名になり、1万人規模の大会になっただなんて、地元の私としては嬉しい限りだ。
受付が終わると3kmレースをやっていた。以前は3kmレースもハーフマラソンの当日にやっていたが、最近は前日にやっている。ハーフマラソンの参加者が増えて肥大化してきたから、3kmレースも同じ日に開催すると大混乱するからだろう。
3kmレースは定員1500人だが、実際の参加者は男子が208人、女子が86人、合わせて294人と、かなりこじんまりしたレースだ。
基本的に中高生のためのレースであり、出場しているのは大半が中高生で、社会人は少ない。て言うか、ごく少数の社会人は、いったいどういう理由で参加しているのだろう?
中高生の参加者は大半が陸上部員のようで、かなり速い。女子の中高生だってバカにしてはいけない。速い子はものすごく速い。トンでもなく速い。僕らでは100mも持たないスピードだ。
学校から強制されて嫌々出ている生徒もいるようで、チンタラ走っているように見えるが、それでも時計を見る限り、なかなかの速さだ。
なので、最後の方でヨタヨタ走ってるのは社会人ばかりだ。本当に、どういう理由で参加しているのだろう?
3kmレースの前には小学生の駅伝もやっていて、こちらの方がエキサイトしそうだが、残念ながら既に終わっていて見られなかった。
〜 ジョギング教室 〜
3kmレースが終わると、今年も金さんのジョギング教室がある。毎年、誰かしら有名な女子選手を相棒にしており、去年の相棒は有森裕子だったが、今年の相棒は高橋尚子さまだ。
ゲストが千葉真子や有森裕子では参加するかどうかちょっと悩むところだが、Qちゃんが来るとなると万難を排して参加しなければならない。
特に今回は、つい2ヵ月前のホノルルマラソンで、32km地点で偶然にQちゃんに出くわし、そこから10kmほど一緒に楽しく走るという得難い体験をしたばかりなので、何が何でも参加しなければならない。
もちろん、このようなレース前日のジョギング教室で何か参考になるような即効性のあるノウハウを期待してはいけない。明日のレースにすぐに役立つような魔法のノウハウなんて存在しない。
大半の参加者もそれくらい分かっていて、単に金さんやゲストと一緒に楽しく過ごすイベントと割り切っている。
私もそうだ。最近は毎年参加してて、なんとなく楽しいので今年も参加するものだ。
ジョギング教室への参加は当日でも会場で受付をやってるんだけど、最近は事前にインターネットで予約する事もできるようになった。
過去、何度も参加した事があるが、たいていは直前に行っても大丈夫だった。一応、定員はあるけど、定員がいっぱいになるほど参加者が集まる事は珍しいからだ。
ただ、2020年はQちゃんがゲストだったので、万が一って事もあるので事前に予約した。そしたら、なんと500人の定員が早々にいっぱいになってて、キャンセル待ちを申し込んでる人が150人もいた。
最近は人気も落ち着いてきているが、事前に予約しておけば当日ギリギリに行っても大丈夫なので、今年も事前に予約しておいた。
ジョギング教室は13時30分から始まるとの事だったが、直前に行われた3kmレースの表彰式が長引いていて、少し待たされた。
今日は天気が下り坂との事で、雨が降ったらどうするんだろうって思っていたけど、開始時にはなんとか持ち堪えていて雨は降っていなかった。
今にも降り出しそうな空だが、風は弱いので、そんなにむちゃくちゃ寒くはない。
始まるのを待っていたら、なんと高知の酸欠姉ちゃんに声を掛けられた。
(酸欠姉ちゃん)「こんにちは!」
(幹事長)「うわ、久しぶり!」
去年10月の善通寺まちなみ発見フォトウォークでバッタリ会って以来の再開だ。あの時も予想外に出くわしたが、今回もビックリだ。
明日の本大会には来るだろうと思っていたけど、わざわざ前日の軽いイベントにまで来るとは思わなかった。
(幹事長)「なんでこんなイベントにわざわざ来たん?」
(酸欠姉ちゃん)「仲間と一緒に骨付き鳥を食べに来たんよ」
あんまり理由になってないが、お昼に一鶴で骨付き鳥を食べてきたんだそうだ。
(のら)「まさか、今夜は泊まり?」
(酸欠姉ちゃん)「いえいえ、今日も明日も日帰りですよ」
ジョギング教室の内容は、毎回同じで、ストレッチの仕方や、自分の目標ペースのペースランナーと一緒に走るペース走や、質疑応答だ。
今日は寒くて体が冷えてきたので、まずはいきなりウォーミングアップのためにトラックを走った。全員揃ってゆっくりとトラックを2周した。
体が温まったところで、ペースランナーの紹介があった。
ペースランナーは今年も四国電力の陸上部OBを中心に構成されているが、その元締めは矢野選手だ。彼は陸上部OBではなくペンギンズOBだが、このペースランナー部隊を掌握する元締めとして大活躍している。
丸亀マラソンのペースランナーは2009年に初めて導入されたもので、大会のプロデューサーを務める金さんから新城プロに人選の依頼があった。そのため我々にも声がかかり、2009年の第63回大会と2010年の第64回大会では我々がペースランナーを務めた。
しかし、その後はペースランナー体制を強化するために、我々のようなド素人ではなく、陸上部OBなどのプロに変えた。
少し寂しい気もするが、ペースランナーを務めている限り、この高速レースに出場して好タイムを出すことができないので、どうせならペースランナーより選手として参加したい。
次は色んなストレッチのやり方の指導がある。
1ヵ月前にも青山剛コーチによる丸亀マラソン攻略クリニックなんてイベントがあった。
去年、「本番の直前に即効性のある指導なんてある訳ないじゃん」という私の忠告にも拘わらず、のらちゃんが「やだ。行きたい行きたい!」と駄々をこねるもんだから、仕方なく付き合って一緒に参加したイベントだ。
すると、思った通り1ヵ月後の丸亀マラソンに向けた即効性のあるアドバイスなんて全く無かった。それどころか、ランニングの指導すらほとんどなくて、専らストレッチの指導だった。
それまで、私はストレッチを避けていた。
小出監督が言ってたように、我々のような一般ピープルには通常のマラソン大会では体力を無駄に消耗するウォーミングアップは百害あって一利無しだ。どうせ序盤は大混雑でまともに走れないので、その時がウォーミングアップだ。
その教えを忠実に守る私は、さらにストレッチまで目の敵にし、ストレッチも一切やってこなかった。
ところが青山コーチの話を聞いて開眼した私は、さっそく彼の本を3冊も購入し、それ以来、ランニングの前にはストレッチをやる事にした。
ただ、そういうのはついついサボりがちになり、いつしかやらなくなっていた。
それで今年も1ヵ月前に同じ丸亀マラソン攻略クリニックに参加し、ストレッチの重要性を再認識したばかりだ。
青山コーチは今日も来ていて、前の壇上にいる。
ただ、去年12月に八ヶ岳でアイスクライミングをやった時に右肩を痛めてしまい、右腕が痛くて全く上がらなくなってしまった。肘から先は動くんだけど、肩は上がらないだけでなく、ほとんど動かすことができない状態だ。
そのため、ストレッチは不可能な体になってしまった。
ストレッチだけでなく、日常生活にも大きな影響がある。右肩が動かないと、ものすごく不便だ。ご飯を食べるのも大変だし、お風呂に入って体や頭を洗うのも大変だし、着替えをするのも大変だし、トイレに行くのも大変だし、コタツや布団から出るのも大変だし、車の運転も大変だし、靴紐を結ぶのも大変だし、もうありとあらゆる事が大変だ。
また、肩が痛くてうずいて夜もロクに寝られない。横になってじっとしていても痛くてなかなか寝付けないし、眠っていてもすぐ痛くなって30分〜1時間おきくらいに目が覚める。慢性的な睡眠不足になってしまった。
さらに、肩を動かせないと腕振りができないのでランニングにも多大な影響がある。
腕を振れないから完全に下半身だけで走る事になる。足だけで走っていると、スピードが出ないだけでなく、すぐに疲れる。
(幹事長)「最近の絶不調は肩の故障のせいだな」
(のら)「その前から絶不調だったじゃん」
確かに、絶不調は去年の夏からずうっと続いている。
ストレッチが終わったら、自分が目標とするタイムのペースランナーに着いてペース走を行う。
前日に無理して疲れが残ったら困るので、ウォーミングアップ代わりにちょっと遅めのペースランナーに着いて走るという手もあるが、去年は目標タイムの1時間50分を念頭に置いて、ちょっと速めの1時間45分のペースランナーと一緒に走った。
ちょっと速いが僅か5周2kmだから大丈夫だろうと思っていた。
すると、最初は楽に着いて行けてたのが、そのうちしんどくなり、途中で心が折れて止めてしまった。
その反省から、今年は2時間のペースランナーと一緒に走る事にした。
(のら)「私も一緒」
(幹事長)「駄目じゃん!のらちゃんはもっと速いペースランナーに着いていかないと!」
て事で、渋るのらちゃんの尻を叩いて無理矢理1時間45分のペースランナーに着いていかせた。
さすがに2時間のペースランナーに着いていくのはそれほど大変ではなく、なんとか無事に7周を走った。
一方、のらちゃんはかなりバテてしまっている。
(幹事長)「ちょっときつかった?」
(のら)「レース前日に無理するのは良くないよ、ぜいぜいぜい」
走り終わった頃から雨がポツポツと降り出したので、急遽、屋内に入り、質疑応答なんかをやって解散となった。
解散になった瞬間に、さきほどの疲れも忘れて猛ダッシュしたのらちゃんは金さんの著書を2冊も抱えて金さんのもとへ走り、サインしてもらった。今日、買ったばかりの本らしい。
金さんはそんなに人気がある訳ではなく、他には誰もいなかったので、長々とサインしてもらったうえ、一緒に記念写真を撮る事もできた。
それが終わったら、今度は大勢のファンに囲まれたQちゃんのもとへ突撃していった。
Qちゃんは大人気なので、大人しくしていたら永遠に近づく事はできないが、のらちゃんは強引に分け入ってサインしてもらったうえ、一緒に記念写真も撮らせてもらった。
サインしてもらったのは、ホノルルマラソンでQちゃんと一緒に走った時に着ていた酸欠マラソンのTシャツだ。背中に大きく「酸欠」と書かれているので、Qちゃんも覚えていてくれたものだ。
てな事で、今年も楽しいジョギング教室だった。
〜 会場へ出発 〜
天気予報ではレース当日は雨だって1週間も前から言っていた。前日から雨だと言っていた。
ただ、前日はジョギング教室をやってる間は雨は降らず、終わりかけてから降り出した。
その後、夜中は雨が降っていたが、朝になるとほとんど上がりかけていた。レースが始まる頃には、すっかり雨は上がるだろう。
去年と同じような状況で、ホッと一安心だ。
もちろん、雨が絶対的に嫌だと思っている訳ではない。以前はどんな季節であろうと、雨は絶対に嫌だったが、2010年の小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、我々は雨そのものに対する抵抗感は払拭されている。大会が中止になるほどの雨でなければ気にしない。
ただし、それは気温が高いシーズンの話であり、今は一年で一番寒い時期なので、冷たい雨の中を走るのは嫌だ。
もう古い話になってしまったが、2000年の第4回大会は、冷たい雨の中、体中の筋肉がこわばってしまい、空前絶後の大惨敗を喫したのを今でもはっきりと覚えている。
最近でも2018年は雨ではなく雪が舞う極寒のレースとなった。雨でも雪でも、とにかく寒いのは嫌だ。
今年は決して良い天気ではないが、風は弱そうだ。雨が上がって風が弱ければ、マラソン大会としては良いコンディションと言える。雨上がりで湿度が高いと呼吸が楽だし、風が弱いのがとても嬉しい。
例年、この時期は西から強い風が吹いてきて、前半は追い風で良いんだけど、折り返してからの後半が強い向かい風となり、ただでさえペースが落ちる後半にますます厳しい戦いを強いられるからだ。
車は久しぶりに私が出した。
(支部長)「珍しいな。最近は車を出さなくなったのに」
(幹事長)「これには深い理由が」
ことさら深い理由ではないが、駐車券が1枚しか無いのに、6人で乗り合わせて行かなければならないからだ。
ピッグの車もミニバンなので、ピッグが出る時はピッグに車を出してもらう事が多いが、今回はピッグが出ないので、私が出すしかない。
て事で、O野選手、加藤選手、支部長、D木谷さんを拾って7時半に高松を出発し、途中の坂出でゾウさんを乗せ、最終的に8時半頃に丸亀競技場に着いた。
レースのスタート時間は、エリートランナーが10時35分、一般ピープルB部門は10時45分、C部門は10時55分だ。当日の受付は、その1時間前の10時までだ。
なので、もっと遅く行っても問題は無いんだけど、何かトラブルでも発生したら遅れるので、余裕をもって早めに行ったものだ。
会場に着いたら場所取りをしなければならない。
天気が良い年はいつも、お日様が当たって気持ち良いバックスタンドの北の端っこの客席に陣取る。メインスタンドは日陰になって寒いが、バックスタンドは風が当たらないので、ポカポカと暖かいのだ。
でも、今日はまだ雨が降る可能性があるし、バックスタンドのシートは濡れているので、去年と同じように屋根があるメインスタンドに陣取りした。
メインスタンドでも下の方は雨ざらしになるので、2階部分の上の方の場所に陣取った。
しばらくしたら丸亀在住ののらちゃんがやってきた。
去年は少し風があって寒かったが、今年は風が弱いので、それほど寒くはない。
それでもスタートまでまだ2時間もある。なので、まだ着替えする気は起きない。
〜 出走準備 〜
10時になったので、ようやく着替えを始める。
何を着るかはマラソン大会において最も重要な要素だ。寒いのは大嫌いだけど、暑くなるとバテてしまうから避けなければならない。
(幹事長)「今日は悩むなあ」
(D木谷)「かなり悩みますよね」
いくら雨は止んだと言っても、気温が低いのは間違いない。なので、長袖シャツの上に半袖Tシャツを着るという組み合わせは決まりだ。
ただ、どの長袖シャツを着るかが問題だ。
その日の天候を予想して、それに合わせたウェアだけを用意してくると、予想外のコンディションになった時に困るので、最近は何があっても対応できるように色んな準備をしてくるようにしている。
今日は雨天対策から晴天対策まで怠りなく準備してきている。
長袖シャツとしては、強烈な風雪の中を走った2018年に着た防寒用の分厚い長袖ランニングシャツや、雨の可能性があった2019年に着た雨で濡れてもベチョベチョしない登山用の吸湿性と速乾性に優れた薄手の長袖インナーウェアや、その中間の厚さの長袖シャツなんかを揃えて持ってきた。
かなり悩んだが、風は弱そうなので、極寒ってほどにはならないだろうと考えて、中間の厚さの長袖シャツにした。
その上に着るTシャツはホノルルマラソンで貰った完走Tシャツだ。せっかくわざわざハワイまで行ったので、これ見よがしに着るものだ。それに、色もカットもセンスが良くて、とても格好いいのだ。
もちろんのらちゃんもお揃いで着ているが、なぜか支部長は相変わらず Pikara のTシャツを着ている。
さらにホノルルマラソンで買った格好いいラニングキャップものらちゃんとお揃いで被った。
(支部長)「帽子嫌いの幹事長にしては珍しいな」
(幹事長)「せっかく買ってきたので、これ見よがしに」
もちろん冬なので、防寒用にタイツは必要だ。でも、最近はランニングタイツではない。
私はもともとランニングタイツはなるべく履かない主義だった。ランニングタイツを履くと膝が突っ張って走りにくくなり、履いてない方が走りやすいような気がしたからだ。
ただ、ランニングタイツには筋肉疲労を防止する効果もあるという事を聞いてからは、私は寒い季節には防寒用も兼ねてランニングタイツを履いてきた。
でも、やはり締め付けがきついランニングタイツは履いてない方が走りやすいと思うので、筋肉疲労防止のためには脹脛サポーターを履き、最近はランニングタイツは履かない事にした。
ゾウさんもいつも「タイツは履かない方が絶対に走りやすいですよ」と言って、今日も脹脛サポーターだけ履いてタイツは履いていない。
ただ、それだと今日は寒そうだ。ゾウさんは平気らしいけど、私は耐えられない。
て事で、冬場は脹脛サポーターの上から普通の防寒用タイツを履くことにしている。タイツは防寒用の一番薄手のものなので、膝は突っ張る事なく動かしやすい。
(ゾウ)「今日もタイツの下に脹脛サポーターを履いてるんですか?」
(幹事長)「それが今日は履いてません」
右肩を故障して生活のあらゆる面で苦労している話は上に書いたが、脹脛サポーターはとてもとってもきつくて思いっきり力を入れないと履けないんだけど、肩が痛くて力を入れる事ができないので、脹脛サポーターを履く事ができないのだ。
(支部長)「完全に要介護老人やな」
(幹事長)「全くその通り!」
手袋は重ね履きしようかとも思ったけど、指が動かしにくくなるので、いつも履いている薄手の手袋だけにした。
顔を拭くハンドタオルとティッシュはポケットに入れたが、いちいち出すのは面倒なので、汗はできるだけ手袋で拭きたい。
寒くなった時のために、一応ビニール袋も持ってきたが、そこまでは必要無いだろう。
準備が整ったら団旗を持って記念撮影だ。
寒さに負けない良い子のメンバー
(左からO野選手、のらちゃん、ゾウさん、D木谷さん、加藤選手、幹事長、支部長)
例年なら、会場に着いてから朝食を食べる事が多いが、今日は出発がゆっくりしていたので、既に家で食べてきた。
私は朝食を食べたらトイレで大が出るようになるので、自宅で早目に食べて家を出る前にトイレを済ませるのが理想だ。なので、今日も早めに食べて、トイレも済ませてきた。
ただ、以前、「朝食はゴールの5時間前」という説を聞いた事があるが、今日はスタートの5時間前に食べた事になる。
ちょっと早すぎたので、ここでカロリー補給のためにチョコバーを食べた。
(のら)「カロリー補給は大事だろうけど、チョコバーを2本も食べて大丈夫?」
(幹事長)「だって美味しいんだも〜ん」
スタンドからトラックを見下ろすと、招待選手たちがウォーミングアップで走っている。最初は軽く走っていたが、そのうちスピードが上がってきて、我々にとっては短距離走のようなスピードで走り出した。
(幹事長)「一瞬でも着いていけないスピードやなあ」
(のら)「宙を飛んでるよ」
彼らは最初から全力で飛ばすシリアスなランナーなのでウォーミングアップが不可欠だろうが、我々のような一般ピープルにはウォーミングアップは百害あって一利無しだ。
どうせ序盤は大混雑でまともに走れないので、その時がウォーミングアップだ。
〜 集合 〜
10時10分になって集合開始となった。
B部門は10時25分までに、C部門は10時35分までに集合すればいいし、集合は細かくブロック別に分かれるので、急ぐ必要は無い。
ただ、風が吹き抜けて寒いスタンドより、ランナーが密集しているグランドの方が寒くないので、そそくさと降りていく。
集合場所は、A部門は競技場の外だけど、B部門とC部門はグランドの中で、ゼッケンに書かれたアルファベット順にAブロックから整列していく。B部門はAブロックからFブロックまで、C部門はGブロックからSブロックだ。
長谷選手らウルトラ3兄弟やのらちゃん、ゾウさん、O野選手らはB部門に並び、私は支部長やD木谷さんや加藤選手と一緒にC部門に並んだ。
しばらくすると開会式が始まり、続いてストレッチの時間となった。昨日のジョギング教室でも登壇していた青山コーチが登壇し、それに合わせてストレッチする。
昨日のジョギング教室ほど念入りなものでもないし、混雑しているのであまり大きな動きはできないが、そもそも肩が痛くてまともにストレッチする事もできない。
(青山)「気温は低めで風が無く、湿度が高くて呼吸は楽です。まさに絶好のコンディションです。これで良いタイムが出なかったら何の言い訳もできないですよ!」
なんて言ってる。本当にその通りだ。
10時35分になると、招待選手を始めとするA部門のトップランナー達がスタートした。
一般ピープルB部門は10分後の10時45分がスタートで、さらに10分後の10時55分にC部門がスタートする。
A部門がスタートしたので、それに続いて一般ピープルの移動が始まり、少しずつ進んでいく。
スタート時間が迫ってきたので、本日の目標を設定せねばならない。もちろん、どんな時でも、どんなレースでも、大会自己ベストの更新を狙うのが良い子の有るべき姿だ。しかも、この丸亀マラソンはほとんど坂が無い高速コースなので、良いタイムを狙いたいのが常だ。
ただ、死守しなければならない最優先タイムは、自己ベストではなく1時間50分だ。1時間50分を切れば3年間はB部門からスタートできるからだ。
もちろん大会自己ベストが出れば1時間50分もクリアしたことになるが、大会自己ベストが出なくても、最低でも1時間50分は死守したい。
もともと丸亀マラソンのコースは、ほとんど坂が無い国際陸連公認の高速コースだし、気温が低い2月だから、良いタイムが期待できる。
それなのに、私はなぜか坂が非常に多くて厳しいコースの瀬戸内海タートルマラソンの方がタイムが良いことが多い。おそらくタートルマラソンは前半から坂が多くて厳しいコースなので、終盤の失速を恐れて序盤からペースを抑えめに走っているため、終盤に失速しない事も多く、結果的に良いタイムが出やすいのだろう。
一方、丸亀マラソンはほとんど坂が無い高速コースで良いタイムが期待できるため、ついつい調子に乗って序盤からガンガン飛ばしてしまい、結局、終盤に大撃沈して失速するというワンパターンが多い。
理想的な走り方と言うのは、序盤は抑えめに走って、後半にペースアップするというネガティブ・スプリットだ。タートルマラソンやオリーブマラソンでも、好タイムを出した時は、たいていネガティブ・スプリットになっている。
オリーブマラソンなんて、前半はフラットで後半に坂が続くから、後半の方が遅くて当たり前なんだけど、好タイムを出した時は必ず後半の方がペースアップしている。
逆に、この丸亀マラソンのコースは終盤に失速するのが必至のコースだ。支部長は「最後の直線区間の直前にある17km地点の給水所の水には毒が入っているから直線区間に入ったら失速は避けられない」という毒入り説を信じて疑わない。
確かに、最後の給水所からゴールの丸亀競技場までの直線部分では、それまでどんなに快調に走っていても、必ず失速してしまう。
私は17km地点の給水所では、もう水分を取らないので、毒入り説には否定的だが、最後の直線コースは緩やかだけど上り坂になっているからペースダウンするのかもしれない。
しかし、2019年は初めて終盤にペースを上げるという理想的な展開となった。おそらく、あわよくば好タイムを出そうなんて色気を捨てて、1時間50分切りを絶対目標にして、前半を抑えて走ったからだと思う。
そのおかげで最初から無茶に飛ばして終盤に撃沈するという永遠のパターンを避けることができたのだと思う。
それで満足だったんだけど、ただ、少しだけ後悔もあった。ギリギリで1時間50分は切ったものの、ゴールして、あまりにも余力が残っていたのだ。全力を使い果たした時は、ゴールするともう足が動かなくなるが、まだまだいくらでも走れそうな余力が残っていたのだ。
後から考える結果論で言えば、もうちょっと前半から突っ込んでいたら、もっと良いタイムが出たはずだ。前半をあんまり抑えて走ってしまうと、いくら後半でペースアップしても、トータルで良いタイムを出すのは難しいのだ。
て事で、2020年は、序盤のペースをほんの少し上げてみた。そしたら、終盤は少しペースダウンしてしまったけど、大会自己ベストを更新する事ができた。ネガティブ・スプリットはできなかったので少し残念ではあったが、大会自己ベストを更新できたって事は、それくらいが理想のペースだったのかもしれない。
なので、コロナ騒ぎが終わって大会が復活した2023年も同じようなペースで入った。「仮に大惨敗したところで、失うものは何もない。1時間50分をクリアできなければ、ギリギリでオーバーしようが大幅にオーバーしようが同じ事だ」っていう発想からだった。
ところが、コロナのバカ騒ぎでマラソン大会の中止が続いている間に、私の走力はものすごく落ちていた。
マラソン大会がほとんど無かったので、モチベーションがダダ下がりだったと言うのも大きな理由の1つだろうが、それ以上に老化の進展によるスピードダウンも非常に大きいようだ。
いずれにしても、久しぶりの本大会となった2023年は惨憺たる大撃沈となった。最初の3kmまでは2020年と同じペースで入ったが、その後はどんどんペースが落ちていき、終盤は見るも無残な大撃沈となったのだ。
そのため、前回の2024年は序盤をもう少しペースを抑えて走ってみた。その結果、終盤の撃沈は2023年ほどひどくはなく、少しだけタイムはマシになったが、それでも惨敗の域は脱せなかった。
て事で、もちろん希望としては、大会自己ベストが出なくても1時間50分をクリアしたいところだが、現実的には非常に難しいと思う。
特に今回は圧倒的な練習不足だ。
練習不足は今に始まった事ではなく、昔からそうなんだけど、特に去年はひどかった。月間走行距離は7月も8月も100kmちょっとで、9月に至っては70kmそこそこだ。
もともと練習が足りない私でも、年によっては9月でも200kmくらい走っていた事もあるので、いかに練習量が少なかったかが分かる。
何も、サボりまくっていた訳ではない。ひとえに異常な猛暑のためだ。あまりにも暑くて、少し走っただけで足が動かなくなるため、あまり走れなかったというのが言い訳だ。
もちろん、いくら言い訳したところでタイムが良くなる訳ではない。おんちゃんや酸欠姉ちゃんなんかは、まだ涼しい真っ暗なうちから猛練習をして、今年も素晴らしいタイムを出し続けている。要するに、やる気の問題だ。
なので、現実的な目標としては去年よりマシなタイムを出したい。
(支部長)「それって現実的な目標なのか?去年の夏から空前の大惨敗が続いてるやろ?」
(幹事長)「おっしゃる通り」
去年7月の汗見川マラソンから始まって酸欠マラソン、脱藩マラソン、庵治マラソンと、過去とは次元の違う空前の大惨敗を繰り返してきている。なので、この丸亀マラソンだって去年のタイムは難しいだろう。
現実的な目標としては、せめて2時間を切ることか。
(支部長)「私も同じような目標やけど、それでも簡単ではないよなあ」
(幹事長)「情けないけど現実を見つめないとなあ」
ゆっくり移動していくと、ようやく競技場の南側の国道に出で、スタート地点の表示が見えてきた。
気温は低めだが、風が無いのでそんなに寒くない。雨が上がったばかりなので湿度が高く、呼吸は楽そうだ。路面は少し濡れているが、滑りそうな事はない。まさに絶好のコンディションと言える。
これで惨敗したら、何の言い訳もできない。
スタート地点にはQちゃんがいて、大きな声で声援を送ってくれている。
今日もQちゃんは一緒に走ってくれるとの事だが、2時間経ったらいなくなるらしい。ま、さすがに2時間はかからないだろうから、最後にハイタッチはできそうだ。
〜 スタート 〜
いよいよC部門のスタートの号砲が鳴り、スタート地点までダラダラと動き始める。
みんな一斉にスタートしていた時はスタート地点を越えるまで10分くらいかかったりしてたけど、今日はC部門では前の方なので1分もかからずスタートラインを越えた。
スタートラインを越えたら、すぐに普通に走る事が可能となった。以前はスタート地点を越えてもしばらくは歩くようなスピードだったから、だいぶマシだ。
これまでは序盤がウォーミングアップ代わりだったが、もうウォーミングアップ無しで早々に普通に走れるようになった。
(支部長)「それは良い事なんか?」
(幹事長)「ウォーミングアップが必要かもしれんなあ」
「スタート直後は大混雑でまともに走れないので、その時がウォーミングアップであり、一般ピープルにはウォーミングアップは疲れるだけで百害あって一利無しだ」と言う小出監督の教えを忠実に守ってきた我々だが、最初から普通に走れるとなると、考え直す必要があるかもしれない。
混雑していると前の人にぶつかりそうになるし、だからと言って右へ左へ他人をかき分けながら追い越して走るのは、体力と精神力を無駄遣いする割りには大してペースアップできないので、混雑が無いのは嬉しい。
でも、最初から自由に走れるとなるとオーバーペースになる恐れがある。なので、あまり無理せず自然体で走って行く。
しばらく走ると最初の1km地点の表示がある。ここで時計を見てビックリ。なんと最初の1kmのラップは5分半もかかっていた。ちょっと遅すぎる。
例年なら最初は5分前後のペースで入っていた。最初からペースを抑えて走った去年でも5分15秒くらいだった。
でも、最初はウォーミングアップと割り切れば、これくらいでも良いかもしれない。ここから少しずつペースを上げていこう。
支部長もほとんど同じペースで走っている。彼は蛍光色の Pikara Tシャツを着ているので良く目立つ。
参加者が多いマラソン大会なので、ランナーは多いが、C部門でも走りにくいような混雑はない。やはり部門分けは効果的だったようだ。
調子よく走ってるつもりだったが、次の2km地点で時計を見て再びビックリ。ほんの少しだけど、ペースが落ちている。ペースを上げようと思ってたのに、ぜんぜん上がってないじゃないか。
ほんの少しだけだが、支部長が前の方に離れていく。ことさら支部長がペースアップしたようでもないので、私のペースが落ちているようだ。
まだ2kmしか走ってないのに、こら一体どうした事だ?
次の1kmも丸亀城に向かう直線区間で、走ってる感覚としてはまだまだ快調だ。
それなのに3km地点でもペースは同じだ。全然ペースアップできてない。
そして支部長の背中は確実に前の方に離れていく。
次の4km地点では、さらに5分40秒にまで落ちていた。大惨敗した時の終盤のペースだ。
どんなに頑張って走ろうとしても足が動かず、全くペースが上がらない。こんな事ってあるのだろうか。
そして支部長の背中はどんどん遠ざかっていき、見えにくくなっていった。ま、支部長の事だから、終盤になると歩き出すだろうから、それからが勝負だ。
この辺りで早くもトップランナーが折り返してきたのとすれ違う。
いくらなんでもすれ違うタイミングが早すぎる。こっちはまだ5km地点の手前だと言うのに、彼はもう終盤だ。
先頭はやはり黒人で、ものすごく速い。軽やかに飛ぶように走っていく。同じ人間とは思えない走りだ。
トップ選手を写すテレビ車のカメラに向かって手を振ってみたが、後から録画しておいたテレビ放送を確認したけど、残念ながら映ってなかった。
次の5km地点でもペースは同じで、もうペースアップが無理なのは明らかだ。
相変わらず天気は曇ったままなので、全然暑くはないが、風が弱くてそれほど寒くもない。まさに絶好のコンディションが続いている。
それなのに、一体どうした事だ。
5km地点には最初の給水所がある。混雑しているし、まだレースは始まったばかりで喉は渇いていないので、給水はパスしたいところだ。
もともと私はあんまり喉が渇かない体質なので、ハーフマラソンなら給水無しでも全然平気だ。しかも冬場はあんまり汗もかかない。
ただ、足の攣りを防止するためには水分の補給は欠かせない。そもそも「給水は喉が渇いてからでは遅く、早め早めに給水しろ」ってのが鉄則だ。
て事で、最近は全ての給水所で少しでもいいから水分を補給する事にしている。混雑しているので少しタイムをロスするのが痛いところだが、ここまでペースが遅くなっていると、もうタイムロスなんて関係ない。
だいぶやる気を失くし始めたところだったが、なんとここで支部長の後姿が見えた。早くも歩いているのだ。それで追いついたのだ。
支部長の事だから、いつかは歩き出すだろうと期待していたが、こんなに早く歩き出すとは思わなかった。
そんなにトボトボと歩いてる訳ではなく、そこそこのペースで歩いているが、それでもこっちは走っているのですぐに追い抜いた。
ところが、しばらくすると支部長が再び走り出して一気に抜き返されてしまった。歩きが入り出したとは言え、走りのスピードは落ちてないから、走り出すとすぐに抜き返される。
でも、支部長の良い所は、走り出してもすぐに再び歩き出すところだ。なので、またすぐに追いついて追い抜ける。
でも、支部長の怖い所は、歩き出してもすぐに再びハイスピードで走り出すところだ。なので、またすぐに追いつかれて抜き返される。
この熾烈な戦いが延々と繰り返される。支部長はすぐ歩き出してすぐ走り出すので、何度も何度も抜きつ抜かれつの戦いが続く。
支部長との熾烈な戦いにより、精神的にはやる気を維持できているつもりなんだけど、6km地点、7km地点、8km地点と着実にペースは落ちていき、なんと6分近くにまで落ちてしまった。
9km地点の手前には2つ目の給水所があり、やはり喉は全然渇いてないが、ここでも少しだけ水を口に含む。
やがて、コース最大の難所である田尾坂が現れる。難所と言ったって、田尾坂なんて緩い緩い坂だ。
北山林道駆け足大会や酸欠マラソンや脱藩マラソンや汗見川マラソンと言ったマニアックな山岳マラソンはもとより、タートルマラソンやオリーブマラソンや庵治マラソンに繰り返し出てくる坂に比べたら全然大した坂ではない。
それでも毎年、少しペースダウンする。今日も9km地点のラップは遂に6分をオーバーしてしまった。
それも、かなり大幅にオーバーしている。給水所があった事も影響しているとは言え、例年より1km当たり1分も遅い。もう絶望的だ。
さすがに坂が終わって必死にペースアップしたつもりなんだけど、10km地点でもかろうじてギリギリで6分を切った程度だった。
支部長とは相変わらず熾烈な戦いが続いている。
支部長の姿はすぐに見えなくなる。たいていは私が知らないうちに追い抜いており、しばらくするとすぐまた支部長が抜き返していく。
でも、また、姿が消える。いつの間にか歩き出して私が追い抜いているのだ。
そんな事がいつまでも繰り返される。たぶん30回くらい繰り返されたと思う。
中間点で時計を見ると、単純に2倍するとギリギリで2時間だ。なので、前半のペースを維持できれば最低限の目標である2時間はギリギリでクリアできる。
でも、序盤からどんどんペースダウンしてきている事を考えると、非常に難しそうだ。少なくとも1km6分前後で走っていたのでは不可能だ。
少し進むと折り返し点がある。そのだいぶ手前で倉石選手とすれ違った。いつもながら、とても余裕のある表情で、にこやかだった。
その後ろから、D木谷さんもやってきた。彼も余裕の表情だ。
のらちゃんとも折り返し点のだいぶ手前ですれ違った。私とは、もうかなり差が開いている。
今日は本当に遅くて、順位も半分以下ではないかと思えるくらいだが、それでも折り返してから後続のランナー達を見ると、後から後からはるか遠く天竺まで続く地平線のかなたまで、呆れるばかりの夥しい数のランナーが走ってくる。
かつて制限時間が2時間5分だった頃は、僕らのような劣等生ランナーの後ろには、もうほとんどランナーはいなかったのだが、今は制限時間が3時間になっているため色んな人が参加するようになり、僕らのような低レベルのランナーが相対的に上位になってしまっている。
まるで自分たちが速くなったような気分になれて、大変気持ち良いのだが、決して速くなった訳ではなので勘違いしてはいけない。
折り返し点の辺りで支部長の姿が見えなくなったので、また歩いて後ろに下がったのかなと思って後続ランナーの中から探してみたが、見つからない。前方を見ても、はるかかなたまで見ても見当たらない。
蛍光色の目立つTシャツを着ているので、少しくらい離れたってすぐに分かるはずなんだけど、どうも見当たらない。
考えられる可能性は2つ。
@ さっきまでは歩き出してもすぐに復活して走り出していたが、遂に走り出す事ができなくなってずうっと歩き続けてしまい、すごく遅れてしまった。
A 私のペースが大幅に落ちてきたので、歩き出しても私が追いつく前に再び走り出して、すっかり後姿が見えなくなってしまった。
後ろにいるのを期待したいところだが、かなり後方のランナーまで探したけど見つからなかった。て事は、前の方に行ってしまったのだろうか。
ま、それだとしても、支部長の事だから終盤になって本格的に歩き出す可能性は残っている。なんとか追いつきたいぞ。
折り返した後半は西向きになり、例年なら正面からモロに西風を受けるようになる。風の抵抗はあるし、体が冷えて寒くなる。そのため、風が強い時は風よけになってくれるランナーを見つけなければならない。
でも、今年は風がほとんど無いので風よけを探す必要は無い。とても走りやすい。
と思ったんだけど、折り返して最初の11km地点のラップは再び6分をオーバーしていた。なんとか踏みとどまろうとしたんだけど、次の12km地点でのラップも似たようなものだった。
12km地点を過ぎると再びコース最大の難所の田尾坂が現れる。決して大した坂ではないけど、かなり疲れてきた足には大いに堪える。明らかに大きくペースダウンしている。
田尾坂を下り終わった辺りに3つ目の給水所があり、ここでも少しだけ水を口に含む。坂と給水所のせいで13km地点ではなんと遂に6分半にまでペースが落ちていた。
惨敗した去年と比べても1km1分も遅い。1km1分も遅かったら、トータルで21分も遅くなる。アホみたいに遅いペースだ。
その先には2023年から設けられた給食所が現れた。フルマラソンなら給食は一般的と言うか、42kmも走るのに給食が無いとエネルギーが枯渇してダウンしてしまうので、給食は必須だ。
でもハーフマラソンでは給食は不要だ。21kmくらい、事前に食べたエネルギーで走り切れる。なので丸亀マラソンでもこれまで給食なんて無かった。
ところが2023年から給食所が2箇所できた。その1つ目の給食所が13km過ぎに設置されたのだ。
2023年は気付かずに通り過ぎたが、2024年はお菓子をもらった。でも、ビニールで個別包装されているので何かは分からないが、走りながら食べたらむせてゲロゲロになるだろうからポケットに入れようとしたが、ランニングパンツの小さなポケットにはうまく収まらず苦労した。
なので、今年はもう貰わなかった。
給食所をパスした割りには14km地点も15km地点も、さらにどんどんペースダウンしていた。
次の16km地点では少しペースアップしていたが、それでも例年に比べたら1分くらい遅いままだ。
これで残り5kmだ。もう終盤だ。ここからが本当の勝負だ。たいていはこの辺りからペースダウンしてしまうが、2019年は逆にここからペースアップして1時間50分を切ることができた。
2020年はペースアップはできなかったが、ペースダウンを最小限にとどめる事ができたので大会自己ベストを更新する事ができた。
今年はトンでもない大惨敗ペースになってしまっているが、それでも頑張ってなんとか奇跡を起こしたい。
16km地点を過ぎると最後の小さい坂である土器川の橋を渡る。これを越えれば、もう細かなアップダウンは無い。
てことで、気持ちをラストスパートモードに切り替える。もちろん5kmもスパートが持つはずはないが、気持ちの問題だ。
橋を渡ると今度は下り坂になるので、ここで一気にペースアップして走ろうとするんだけど、足が疲れて動かない。せっかくの下り坂なのにスピードが上がらない。
坂を下ってしばらく走ると17km地点があるが、結局、さらにペースダウンが続いていた。どう考えても、2時間切りももう絶対に不可能だ。
こうなると、悪魔の囁きが聞こえてくる。「どうせ2時間すら切れない大惨敗なんだから、これ以上、辛い思いをして頑張っても何の意味も無いよ」って言っている。
確かに、2時間すら切れない空前の大惨敗が確実なんだから、ここで頑張って1分や2分タイムを縮めたって何の変わりもない。それなら、もう辛い思いをして頑張るのは止めて、早く楽になりたいと思い始めた。
17km過ぎには最後の4つ目の給水所がある。支部長が毒が入っているという給水所だ。いつもは、こんな終盤になったら給水は必要ないと思ってパスするんだけど、今日はここでも少しだけ水を含む。
ここからゴールの丸亀競技場までの直線部分は、たいていは失速してしまう区間だ。それも少しずつペースダウンするんじゃなくて、いきなりガクンと大失速する。
それまでどんなに快調にペースを維持していても、この最後の直線部分でいきなり大幅にペースダウンするのだ。
この最後の直線区間は、なかなか自覚できない程度なんだけど、ゆる〜い上り坂になっている。
ゾウさんによると、このコースで最も標高が高いのは、途中にある田尾坂ではなくて、スタートとゴール地点の丸亀競技場なんだそうだ。
とは言っても、3kmで10m上るくらいの超緩い坂だ。斜度0.3%くらいだ。完全に誤差の範囲だ。
それでも、疲れた足にはものすごく堪えるようで、足が動かなくなってしまう。
今年も18km地点でのラップは、やはりペースダウンを続け、再び6分半という超スローペースになっていた。
ところが、なんと、ここで突然、前方に支部長の後姿が見えた。やはり私のずっと前にいたのか。
なんと、彼は歩いていおらず、走っているではないか。走っているのに私が追いついたのだ。私だってかなりペースダウンしていると言うのに、その私に追いつかれたなんて、よっぽどペースが落ちてしまったようだ。
歩いているのなら再び走り出して抜き返される可能性が高いが、走っている支部長を追い抜けば、そのまま逃げ切れる可能性が高い。
これで一気にやる気が出た。必死でペースを上げて支部長を追い抜いた。
追い抜いたところで油断したら、いつまた抜き返されるかもしれないので、追い抜いた後も、もう必死で全力を絞り出して逃げ続ける。
その先には2つ目の給食所も設置されていたが、それどころではない。支部長から逃げるのに必死だ。
必死で走り続けたおかげで19km地点でのラップは6分くらいまでペースアップできていた。大惨敗ペースに変わりはないが、先ほどよりはだいぶマシだ。
それに、少しでもペースアップできたというのが嬉しい。
これなら逃げ切るかも、って思ったんだけど、次の区間は、過去の全ての大会において大きくペースダウンする区間だ。理由は分からないが、もしかしたら距離表示がおかしいのかもしれない。
なんとか頑張って走り続けたつもりだったけど、やはり20km地点のラップは大きくペースダウンして、再び6分半をオーバーしてしまった。
支部長が追いついてくるんじゃないかと気が気でない。
しかし、もう、いよいよ最後の1kmだ。コースは道路から競技場の敷地に入っていく。
ここまで来るとゴール間近になるため、否が応でも気分は高まり、例年ならどんなに疲れていても短距離走のつもりで必死で走る。それは私だけでなく、他の大半のランナーも最後は一気にペースが上がる。
と思って走っているのに、なかなかペースが上がらない。足が全然前に出ない。疲れ果てているのだろう。
〜 ゴール 〜
競技場の中に入ると、残りはトラック半周の200mだ。短距離走のつもりで必死に走る。
なんだけど、実際にはスピードは全く上がらない。
ところが、最後の直線区間になったところにQちゃんがいるではないか。2時間経ってしまったので、もう帰ったのかと思ってたら、私のためにちゃんと残っていてくれた。もちろん駆け寄ってハイタッチした。
これで少しは元気をもらった。もうゴール直前なのでタイムには関係ないけど、最後は元気にゴールに駆け込んだ。
タイムは最低限死守しなければならない2時間すら大幅に超過してしまった。去年より、なんと13分も遅い空前の大惨敗だ。
コロナ騒ぎで中断する前の2020年に比べたら、なんと20分も遅い。1km当たり1分も遅くなっている。あり得ない遅さだ。
ゴールするとのらちゃんが出迎えてくれた。
(幹事長)「どうやった?」
(のら)「私も練習不足でだいぶ悪かったよ」
と言いつつも、私の去年のタイムより少し遅いくらいなので、私に比べたら全然マシだ。
ただ、残り3kmくらいのところでゾウさんに追い抜かれたとの事だ。ゾウさんは最後までほとんどペースダウンしなかったけど、のらちゃんは練習不足がたたり、終盤に大きくペースダウンしてしまったようだ。
また例年、熾烈な競争をしていたライバルネコさんは今年は遂に2時間をオーバーしたが、それでも私よりは遥かにマシだった。
他のメンバーは、ウルトラ三兄弟のエースの長谷選手は、去年は序盤に突っ込み過ぎて後半にペースダウンしたが、今年はちょっと抑え気味にスタートしたのが功を奏して最後までペースダウンせず、素晴らしいタイムを叩き出した。
倉石選手とD木谷さんも最初から少し抑え気味に走ったが、そのままペースが上がらず、去年よりは少しタイムが悪かった。
私は去年より13分も遅い考えられない大惨敗だったが、なんとO野選手は去年より19分も遅い超大惨敗だった。
(幹事長)「どしたん?どこか故障してるん?」
(O野)「いえ、故障なんかは無いんですけど、単なる練習不足ですかねえ」
支部長は、と言うと、私より少し遅れてゴールした。
(幹事長)「最後は力尽きたん?」
(支部長)「だいぶ歩いたよ」
空前の大惨敗を喫した私だが、さらに大きく惨敗した支部長だけが心の支えだ。
(のら)「弱い者同士で支えあってたら向上しないよ」
さらに加藤選手も去年より20分近く遅い超大惨敗だった。
(幹事長)「いつものように写真撮りながら時間調整してたん?」
(加藤)「いえいえ、滅相も無い。足が動かなくなって」
後続のランナー達は、いつまで経っても次から次へとゴールしてくる。3時間の制限時間が近づいてきても、まだまだ後から後からゴールしてくる。
トボトボ歩いている人も多いが、意外にしっかりした足取りでゴールする人も多い。
(幹事長)「あれだけしっかりした足取りで走れるんやったら、もっと早くゴールできるんと違う?」
(のら)「その言葉は、そのまま幹事長に返すよ」
確かに、若い頃はゴールしたらへたり込んで、足が痺れてもう歩けなくなっていた。
それが今では、大惨敗しているのに、平気で歩き回れる。以前は、スタンドのこんな高い所まで戻ってくるのが辛かったのに、今では平気で階段を登ってこられる。
決して頑張ってない訳ではないと思うんだけど、やはり頑張れてないんだろうなあ。
優勝は男女ともに予想通り黒人選手で、二人とも大会記録を出しての優勝だったため、賞金300万円を獲得した。
女子は去年も大会記録を出して優勝した選手が連続優勝したので、2年連続で賞金300万円を獲得した。
(幹事長)「こいつ去年より2秒速かっただけやんか。この調子で毎年2秒ずつ速くゴールしてたら毎年300万円もらえるんや!」
(のら)「毎年、自己ベストを出し続けるのは大変じゃないの?」
(幹事長)「300万円が目の前にぶら下がっていたら、わしでもゲロ吐きながらでも頑張るよ」
(のら)「賞金が無くても、もうちょっと気合を入れて走ってね」
男子の日本人トップの太田智樹選手はハーフマラソン日本新記録となる59分27秒を出して賞金500万円を獲得した。日本人で初めて1時間を切る快挙だった。
日本人2位だった篠原倖太朗選手も1時間を切る日本新記録だったけど、僅か3秒差で500万円の賞金を貰えなかった。ただ、彼は学生なので学生新記録の100万円は獲得した。
〜 反省会 〜
レースが終わると、駐車場に戻り、渋滞が始まる前に早々に出発する。競技場の周辺は、恐れていたような渋滞はまだ発生していなかった。
ただ、油断しているとトンでもない大渋滞に巻き込まれてしまう可能性が高い。最後尾のランナーがゴールして交通規制が解除された後も、しばらくは交通規制の影響が残るからだ。
レースの後はうどん屋へ反省会に繰り出さないといけないのに、渋滞に巻き込まれたらうどん屋に行けなくなってしまう。たいていのうどん屋は午後2時過ぎには閉店になってしまうからだ。
そこで、今年は坂出南部で3時までやっている店をいくつか探しておいた。それでも最初の店は玉切れになって食べる事ができず、2軒目でようやくありついた。もう3時の閉店直前のギリギリだった。
うどんを食べながら反省しなくてはならない。
(幹事長)「毎年惨敗が続いてきたと言っても、2時間をオーバーするような大惨敗にはガッカリやなあ」
(支部長)「ここまで一気にタイムが落ちるとは思ってなかったなあ」
直接的な原因は明らかに練習不足だろう。最近は練習量が圧倒的に不十分だ。
大会自己ベストを出した2020年大会の前は、2ヵ月連続で月間練習距離が300kmを超えて最長距離を達成した。大会自己ベストは、明らかに練習量が多かったおかげだ。
それに比べたら、最近は練習量がガタ落ちだ。なにもサボっているからだけではない。練習量を増やすと疲れがたまり、不調に陥ってしまう。練習すればするほど遅くなるという状況だ。老化が進むと疲れの回復が遅くなるのだ。
なので、老化は直接的なスピード低下だけでなく、練習不足にも結びついており、魔のスパイラルから抜け出すのは不可能に思えてくる。
(D木谷)「練習量だけじゃなく練習の質を高めた方が良いかもしれませんね」
(幹事長)「分かってはいるんですが、ついついダラダラ走ってしまって」
以前からD木谷さんに指摘されているように、ただむやみに練習距離をかせぐだけじゃなく、スピード練習をやらないといけないのだろう。
一応は、個人練習でも速く走ろうとはしてるんだけど、明らかに甘いとは思う。精神力が弱いから、練習では本番のようなペースでは走れないのだ。
その点、のらちゃんやゾウさんのような女子部員は練習でも本番と同じようなハイペースで走っている。なんとか見習わなければいけない。
(支部長)「来週は坂出天狗マラソンやな。距離が短いから逃げ切れるかも」
(幹事長)「マズいなあ」
1週間後には坂出天狗マラソンが開催されるが、距離がハーフマラソンより短い15kmだ。
今日は18km辺りで支部長に追いついたけど、距離が15kmなら追いつく前にゴールしてしまう可能性が高い。
実際に、去年はゴール直前で支部長い追いついたんだけど、あと少しという所でゴールになって逃げ切られてしまった。
今年もこのままでは負けそうだ。
〜おしまい〜
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